オペラに行って参りました-2024年(その2)

目次

近くで聴く凄さ 2024年2月25日 水上恵理&澤﨑一了ジョイントコンサートを聴く
修了生たちの実力 2024年3月1日 新国立劇場オペラ研修所修了公演「カルメル会修道女の対話」を聴く
日本人にワーグナーは無理なのか? 2024年3月3日 東京二期会「タンホイザー」を聴く
定番のガラ・コンサートと思いきや 2024年3月10日 洗足音楽大学「SENZOKU GAKUEN 100th ANNIVERSARY プレミアムコンサート 珠玉のオペラ〜華麗なる饗宴」を聴く
何故なかなか上演されないのか? 2024年3月17日 日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第43期生新人育成オペラアンサンブル公演「秘密の結婚」を聴く
代役の限界 2024年3月20日 新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」を聴く
オッフェンバックに似合った空間 2024年3月23日 舞台音楽研究会「天国と地獄」を聴く
オーケストラがもう少し頑張ってくれれば! 2024年3月24日 立川市民オペラ2024「愛の妙薬」を聴く
目的を達成するためには・・・  2024年4月5日 有楽町マリオンオペラ オペラショウ「ラ・ボエーム」を聴く
レクチャーコンサートというよりは広美ワールド 2024年4月7日 「Duo Concert 松原広美&篠宮久徳」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2024年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2024年
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

 

鑑賞日:2024年2月25日

入場料:自由席 5000円

主催:音プラ☆ファミリー企画

水上恵理&澤﨑一了ジョイントイコンサート

会場 銀座ライオンクラシックホール

出 演

ソプラノ 水上 恵理
テノール 澤﨑 一了
バリトン・お話 牧野 正人
ピアノ 高島 理佐

プログラム

作曲家 作品名 曲名 歌手
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・ジョヴァンニとゼルリーナの二重唱「手を取り合って」 水上 恵理/牧野 正人
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドンナ・アンナのアリア「酷いですって!~仰らないで、愛しい人よ」 水上 恵理
プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートンとシャープレスの二重唱「世界のどこにでも」 澤﨑 一了/牧野 正人
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんとシャープレスの二重唱「さあ、座って手紙を読みましょう」 水上 恵理/牧野 正人
グノー ファウスト ファウストのアリア「この清らかな住まい」 澤﨑 一了
休憩   
ビゼー カルメン ミカエラのアリア「何を恐れることがありましょう」 水上 恵理
ビゼー カルメン ホセのアリア「お前の投げたこの花は」 澤﨑 一了
プッチーニ ラ・ボエーム 第一幕第三場。ミミとロドルフォの出会いの場面から第一幕フィナーレまで 水上 恵理/澤崎 一了
アンコール   
武満 徹 牧野正人編曲 小さい空 牧野 正人

感 想

近くで聴く凄さ-水上恵理&澤﨑一了ジョイントイコンサートを聴く

  澤﨑一了を最初に意識したのは2011年11月の人材育成オペラ公演「魔笛」。この時は武士、僧侶の二役で登場し、武士の二重唱を聴いて、素晴らしいテノールだな、と思ったのを覚えています。その私の感想は皆も感じたところのようで、藤原歌劇団の本公演では、2016年の「トスカ」のスポレッタで初出演を果たすと、18年道化師「ペッペ」、19年ラ・トラヴィアータ「アルフレード」、20年、カルメン「ホセ」、21年、蝶々夫人「ピンカートン」とどんどんプリモテノールの王道を進み、この1月は藤原歌劇団の「ファウスト」でタイトルロールとして素晴らしい歌唱を聴かせてくれたのは記憶に新しいところです。

 またゲスト格で出演した牧野正人は言うまでもなく日本を代表する大バリトン、私が最初に聴いたのは1991年チェネレントラ」のダンディーニだと思いますが、2021年の「ジャンニ・スキッキ」におけるタイトルロールまで、藤原歌劇団や新国立劇場で歌ったバリトン役は数知れず。その後、病を得て闘病生活に入り、車椅子移動をするようになって、もう本格的なオペラの出演はかなわないと思いますが、コンサートの出演はこれからも続けていくようです。

 それに対して水上恵理は、最近積極的に活動している自主活動を行っているソプラノで、牧野正人門下。オペラ出演も数多いですが、小カンパニーがほとんどで、大きな舞台を踏んだことはないと思います。

 今回のコンサートはその水上恵理が企画して、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部の後輩にあたる澤﨑と師匠の牧野を誘って実現したものです。

 プログラムは上に示した通りですが、演奏はまさにキャリアの差が演奏に現れたというべきもの。水上恵理の歌が特に悪かったとは思いませんが、澤﨑一了の今の実力と牧野正人のベテランの味に圧倒させられて、水上の歌が霞んでしまったというのが本当のところ。

 特に澤﨑は凄い。恵まれた体格を生かしての声量が素晴らしいですが、その声量をコントロールする技術も素晴らしい。そのリリックな美声はちょっと別格です。今日は会場が小さく、2列目で聴くと息遣い一つ一つまではっきり聴こえ、的確なブレスや明確な発声が今の澤﨑の実力を示します。今回彼は、先日大喝采を浴びたばかりの「ファウスト」の大アリアと「花の歌」、そして、ボエームの「冷たい手」と3曲のアリアを歌ったわけですが、どれも曲の魅力と歌手の魅力の両方を引き出すもの。「この清らかな住まい」も「冷たい手」もハイCのアクートがありますが、ハイCのアクートは出すだけで精一杯というテノールが多い中、柔らかい「ファウスト」のアクートと情熱的なロドルフォのアクートを歌い分ける技術などは惚れ惚れするとしか言いようがありません。この違いを聴かせてもらっただけでも今回は伺った甲斐があります。

 牧野正人は流石に絶好調とは言い難いですが、それでも経験の蓄積は凄いとしか言いようがありません。最初のドン・ジョヴァンニの「誘惑の二重唱」は音程が若干乱れたところもありましたが、勿論大御所の貫禄でしっかりと納め、その後は流石にベテラン、シャープレスは、分別はあるが行動はできない見守るだけのシャープレスの特徴をしっかり見せてくれました。彼はソロはなかったのですが、最後に武満のしみじみとした「小さい空」を聴かせてくれ、いいアンコールになりました。

 水上恵理はモーツァルトはちょっと向かない感じ。特にドンナ・アンナの大アリアは、2週間前に種谷典子が完璧な歌唱を聴かせてくれたばかりで、その種谷と比較すると明らかに一段違うと言わざるを得ません。とはいえ、蝶々夫人やミミは彼女も主役を歌っているだけあって全然悪くない。蝶々夫人の「手紙の二重唱」はコンサートで取り上げられることは滅多にないと思いますが、蝶々夫人の感情がしっかり示されていたのではないかと思います。 

 ミミも熱演。流石に澤﨑ロドルフォの隣では影が薄かったというべきでしょうが、「私の名はミミ」はしっかり情感が示されていましたし、愛の二重唱のハーモニーも良かったと思います。

 以上小さい会場での迫力のある歌唱。楽しめました。

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鑑賞日:2024年3月1日

入場料:指定席 1F 11列66番 4950円

主催:新国立劇場オペラ研修所

新国立劇場オペラ研修所修了公演

オペラ3幕 字幕付フランス語上演
プーランク作曲「カルメル会修道女との対話」 (Dialogues des carmélites)
台本:ジョルジュ・ベルナノス
原作:ゲルトルート・フォン・ル・フォール『断頭台下の最後の女』

会場 新国立劇場中劇場

スタッフ

指 揮 ジョナサン・ストックハマー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 武蔵野音楽大学メンバー
演出・演技指導 シュテファン・グレーグラー
照 明 鈴木 武人
音 響 青木 駿平
映 像 鈴木 大介
衣裳コーディネーター 増田 恵美
欧州内衣裳コーディネーター ヴェロニク・セマ
舞台監督 飯田 貴幸

出 演

ド・ラ・フォルス侯爵 佐藤 克彦
ブランシュ 冨永 春菜
騎士 城 宏憲
マダム・ド・クロワシー 前島 眞奈美
マダム・リドワーヌ 大髙 レナ
マリー修道女長 大城 みなみ
コンスタンス修道女 渡邊 美沙季
ジャンヌ修道女 小林 紗季子
マチルド修道女 一條 翠葉
司祭 永尾 渓一郎
第一の人民委員 水野 優
第二の人民委員/ティエリー 松浦 宗梧
ジャヴィリノ/看守 中尾 奎五
役人 長冨 将士
アンヌ修道女 河田 まりか
ジェラール修道女 斉藤 真歩
その他の修道女たち 磯貝珠弥/江波戸惇加/久我真由/齋藤奈々子/菅谷璃音/中山里咲/長島穂乃香/野中杏/塙梨華

感 想

修了生たちの実力-新国立劇場オペラ研修所修了公演「カルメル会修道女の対話」を聴く

 20世紀後半に書かれたオペラのおそらく最高傑作が「カルメル会修道女の対話」だと思います。それは知識としてはもちろん自分の中にあったのですが、それが四度目の鑑賞で遂に腹落ちしました。  明確な旋律線、モチーフの様々な使い方、オステナートの多用など、音楽的にはグレゴリオ聖歌からドビュッシーに至る過去の様々な音楽から影響を受け、現代的なものと古いものの双方が感じることができて面白いし、またそこに彼の宗教性を見ることが出来そうです。プーランクはエスプリの利いた洒脱な音楽を書いた人でもありますが、宗教的な作品もたくさん書いており、そういった宗教心が集大成としてこの作品に結実したということだと思います。

 管弦楽と歌は別のラインをなぞり、管弦楽が歌の単なる伴奏にはなっていません。作品の背景にはフランス革命があり、その騒がしさは主に管弦楽で示されます。管楽器の多用による騒然とした雰囲気や、革命に高揚した結果としての下品な民衆の様子は修道院の中の静謐さを際立たせます。多くの宗教的な場面ではアカペラの合唱のように全く管弦楽の伴奏がなくなる部分も含め、管弦楽の音量をぐっと絞り、人の声による和音の素晴らしさを聴かせてくれます。その無伴奏合唱の素晴らしさを聴けるのは中間部で歌われる「アヴェ・マリア」と最後の断頭台の場面で歌われる「サルヴェ・レジーナ」になるのでしょう。

 修道院を舞台としたオペラとしてまず思い出すのはプッチーニの「修道女アンジェリカ」なわけですが、宗教的な深さや物語の背景などの利用の仕方でアンジェリカとは異次元の高みがあり、宗教的な深みのある静謐な作品に仕上がっていると思います。

 そんな作品ですから女声が大切です。主要な5人、即ちブランシュ、コンスタンス、クロワシー、リドワーヌ、マリーがどういう風な聴かせ方をするかがこの作品のポイントだと思いますが、3年間の研修を修了する三人、クロワシーを歌った前島眞奈美、マリーを歌った大城みなみ、リドワーヌを歌った大髙レナの三人が特に素晴らしい歌唱を披露しました。

 第一幕の白眉は高潔なクロワシー修道院長が病の苦しみに耐えかねて神への冒涜の言葉を吐いてしまう彼女の死の場面ですが、前島は役にしっかり入り込んで、素晴らしい歌唱と演技とで、どこまで敬虔であっても俗っぽさが残されてしまう人間の弱さを見事に表現しました。

 もう一つ重要なのは信教に対して厳格な態度を取り、自他ともに厳しく、殉教の誓いを先導するマザー・マリーと、出来るだけ無駄な死を避け、慈しみをもって修道女たちを導こうとするマダム・リドワーヌの対立です。この性格付けゆえ、マザーマリーには厳しい音楽が与えられ、リドワーヌには、柔らかな音楽が与えられます。これが柔らかな高音を持った大髙レナとしっとりした中低音を持った大城みなみとで歌われるとその対立がよく見えます。特に大城みなみのマリーは敵役の感じですが、要所要所で顔を出しそれがいつもしっかりした楔になっていて、とても素晴らしかったと思います。またリドワーヌは第3幕のアリオーゾ風の音楽を優し気な感じでしっかり歌い、見事だったと思います。

 以上終了する三人の素晴らしい歌唱と比較すると、冨永春菜のブランシュと渡邊美沙季のコンスタンスは今一つ影が薄かったです。特にブランシュは性格付けが明確な役なので、もっと存在感を出せるのではないかとは思いました。悪い歌ではなかったのですが、上記三人と比較すると役への入りこみ方が甘いかなという印象です。渡邊美沙季も同様。第1幕第3場の陽気なおしゃべりの歌はとてもよかったと思いますが、重厚な音楽の中で軽めのアクセントになるコンスタンスももう少し攻めても良かったのではないかという気がしました。

 脇役系では何といっても騎士役を歌った城宏憲が素晴らしい。冒頭の妹を思う気持ちと修道院を訪ねて来たときの歌唱は共に短いものですが、城の美声と存在感をしっかり示すもので、最近の城の充実ぶりを反映するものとなりました。また司祭を歌った永尾渓一郎も美しいテノールで役割を果たしました。

 また全体的に合唱を含めた宗教的歌唱が素晴らしい。まずはクロワシーが亡くなった場面で歌われる「レクイエム」。ブランシュとコンスタンスの二重唱ですが、どちらも軽いソプラノである冨永・渡邊の両名で歌われるととても美しい。リドワーヌとマリーの先導で歌われる「アヴェ・マリア」も16人の合唱となり、この和声が美しく、本当に教会の礼拝堂で聴いたら凄いだろうな、と思わせるもの。そして、終幕の断頭台の場面。16人が歌う「サルヴェ・レジーナ」は死への恐怖の中にも神に殉じる潔さも感じられてとても素敵でした。

 指揮のジョナサン・ストックハマーはすっきりとした音楽作りで、この静謐だけれども重厚な作品をしっかり演奏しました。東京フィルも悪くなかったのですが、細かいミスによる不響音がありちょっと残念でした。

 シュテファン・グレーグラーの舞台は、衣裳をミラノ・スカラ座から借りたものを利用し、装置は布の重厚性をうまく使うことで低予算を乗り切った感じがします。修道院だけが女性が自分らしく生きられる場所だった時代のブランシュという変わった女性の人生を回り舞台に載せて描くというのは、細かいところでよく分からないところもありましたが、全体としてはとてもよかったと思います。舞台に吊るされた布が16人の修道女たちの命を象徴する。そのアイディアも秀逸でした。

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鑑賞日:2024年3月3日
入場料:C席 4F L1列28番 9000円

主催:公益財団法人東京二期会/公益社団法人日本演奏連盟
2024都民芸術フェスティバル参加公演

東京二期会オペラ劇場公演

フランス国立ラン劇場との提携公演

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「タンホイザー」Tannhäuser
台本: リヒャルト・ワーグナー

会場:東京文化会館大ホール

スタッフ

指揮 アクセル・コーバー
管弦楽   読売日本交響楽団 
合唱 :  二期会合唱団 
合唱指揮 三澤 洋史
演出  キース・ウォーナー
再演演出  カタリーナ・カステリング
装置  ボリス・クドルチカ
衣裳  カスパー・グラーナー
照明  :  ジョン・ビショップ 
振付  カール・アルフレッド・シュライナー
舞台監督  :  幸泉 浩司、大洞 邦裕 

出 演

ヘルマン   狩野 賢一
タンホイザー   片寄 純也
ウォルフラム   友清 崇
ヴァルター   前川 健生
ピーテロルフ   菅原 洋平 
ハインリヒ   伊藤 潤
ラインマル   水島 正樹
エリザベート   梶田 真未 
ヴェーヌス   土屋 優子 
牧童   七澤 結
四人の小姓   本田 ゆりこ
  黒田 詩織
  実川 裕紀
  本多 都
ダンサー   伊地知彩光、佐藤侑里、田島由圭、池上たっくん、谷森雄次、中嶋尚哉

感 想

日本人にワーグナーは無理なのか?‐東京二期会オペラ劇場「タンホイザー」を聴く

 2021年公演の3年ぶりの再演です。2021年はちょうどコロナ禍の真っ盛りで、色々なところで制限を受け、音楽も舞台も本当の魅力は示せませんでした。今回の公演でようやく本来の魅力が見せられた、ということなのでしょう。その意味では良かったのですが、色々な点でやはり残念なところも多く、なかなか厳しい舞台だったとは思います。

  キース・ウォーナーの舞台はやはり見事だと思いました。2021年の時はコロナの関係で、装置の配置や合唱団の使い方、バンダの使用などにも規制があって本来の舞台とは異なっていたと思いますが、それでもいい舞台だなと思っていました。それが今回は規制がなくなって彼の本来の構想が見え、更によかったのではないかと思います。現代と伝統を融合させた舞台はシックで美しいもので、最後の天に上ったエリザベートが降りてきて、下から上がっていくタンホイザーの手と手が触れるかどうかの瞬間で暗転して幕、というのは、やはりセンスの良さを感じます。

 更にオーケストラもいい。というより、これは前回が可哀想だった、ということです。前回はコロナの関係でオーケストラピットに入れるメンバーに制限があり、第1ヴァイオリンが10本の10型の弦楽器で演奏したのではなかったかと思います。「タンホイザー」を10型でやると音に余裕がなくなり、オーケストラの音がペラペラになり、ワーグナーの重厚な雰囲気を作れなかった。しかし、今回は14型。音の厚みが全然違います。低音の迫力がこれぞワーグナーという感じで響きます。前回はセヴァスチアン・ヴァイグレが小編成のオーケストラを精妙な音楽作りで室内楽的に音を作っていた印象があったのですが、今回はアクセル・コーバーが読響本来のドイツ的アンサンブルの魅力を上手に引き出して、ワーグナーらしい雰囲気作りに成功していたということだろうと思います。指揮者は第三幕で登場するときにかなりブラボーを貰っていましたが故なきこととは言えないと思います。

 合唱もいい。今回は合唱指揮者が三澤洋史。三澤は言うまでもなく新国立劇場合唱団のチーフ合唱指揮者として新国立劇場合唱団のレベルを上げた訳で、昨年の「タンホイザー」、一昨年の「さまよえるオランダ人」とこれ以上ないと思えるほどの精妙な合唱造りで舞台の成功に貢献しました。その力量が今回も発揮されたというところでしょうか。はっきり申し上げれば、二期会合唱団は新国立劇場の合唱団よりは鍛え方が今一つで、昨年の新国立劇場と同等の演奏とまでには行かないとは思いましたが、それでも日本人のアンサンブル能力の高さと合唱メンバーのレベルの高さで、十分立派な合唱を聴かせてくれました。第二幕の「大入場行進曲」や、第三幕の「巡礼の合唱」は大規模な合唱の魅力を伝えるに十分だったと思います。

 というわけで、舞台の外枠というか骨格というかは素晴らしいと思ったのですが、歌手は残念な方が多かったと思います。

 まずはタイトル役の片寄純也。確かに声量はあったと思います。でもその声量に余裕が全く感じられません。声はざらついているし、レガートでもない。おそらく初日に喉を使いすぎて、まだ完全に復活する前に今日の舞台に来てしまったということなのでしょう。第一幕の彼の歌は最後までしっかり張ろうという意識が強すぎるのか、ワーグナーの厚い音に対して錆びだらけの刀で無理やり切りつけるような歌唱で、子音はよく聴こえる反面、音楽がブツブツ切れまくり全然よくありません。第二幕、第三幕は少しはましになりましたが、それでも第三幕のローマ語りの部分などはもう少し何とかならないのか、と思いました。

 また歌合戦の場面では、歌唱の舞台が後ろにいったせいもあるのか、いまひとつ歌手の声が遠い感じがしました。ウォルフラム、ヴァルター、ピーテロフと騎士たちの「正しい」愛の姿が歌われる訳ですが、タンホイザーの激高の歌唱が前であることもあってバランス的には弱い感じがしました。美しくはあるけれどもパワフルではない。そこがワーグナーを歌うという観点で見た時どうなのか。

 ヴェーヌスの土屋優子は妖艶な感じがしっかり出ていて良い雰囲気の存在感だったとは思いますが、タンホイザーとの二重唱で今一つ音がかみ合わない感じがするところがありました。

 一方良かったのはエリザベートを歌った梶田真未。前回聴いた竹多倫子の方がもっとたっぷリした余裕のある歌だったように思いますが、梶田も全然悪くない。登場のアリアである「歌の殿堂」が魅力的。高音がやや抜けがちにはなっていましたが、立派な中声があって、魅力的。美しいレガートも聴け、素晴らしい存在感だったと思います。

 友清崇のヴォルフラムも頑張りました。有名な「夕星のアリア」は美しく響き役目を果たしました。

 そんなわけで、タンホイザーを別にすれば、それなりにしっかりした歌になっていたとは思います。しかし、外国人歌手が集まって上演したときの美しくも厚みのある音色とはレベルが違う感じです。二期会は自らの会員以外の歌手を歌わせることは基本はないのですが、今回は今回は世界的なヘルデンテノールであるサイモン・オニールを呼んできてAキャストのタイトル役を任せました。そして、それに対抗する歌手として片寄を選び、片寄はその期待に応えられなかったということでしょう。本人は精一杯やっていたとは思います。だからこそ、今回もまた、日本人がヘルデンテノールがタイトルロールを歌うワーグナー作品を歌うのは無理という現実を如実に示した舞台になってしまいました。

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鑑賞日:2024年3月10日

入場料:自由席 2000円

主催:洗足学園音楽大学

洗足学園音楽大学創立100周年記念行事

洗足学園音楽大学「SENZOKU GAKUEN 100th ANNIVERSARY プレミアムコンサート 珠玉のオペラ〜華麗なる饗宴」

会場 洗足学園音楽大学 シルバーマウンテン2F

出 演

ソプラノ 佐藤 亜希子
ソプラノ 塩田 美奈子
ソプラノ 柳澤 涼子
メゾソプラノ 鳥木 弥生
メゾソプラノ 藤井 麻美
テノール 中鉢 聡
バリトン 武田 直之
ピアノ 伊藤 美佐

プログラム

作曲家 作品名 曲名 歌手
ヨハン・シュトラウス二世 こうもり アデーレのアリア「侯爵様、あなたのようなお方が」 塩田 美奈子
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ レポレッロのアリア「奥様、これが恋人のカタログ」 武田 直之
ビゼー カルメン カルメンのハバネラ「恋は野の鳥」 鳥木 弥生/藤井 麻美
マスネ ウェルテル ウェルテルのアリア「春風よ、なぜ僕を目覚めさせるのか」 中鉢 聡
マスネ ウェルテル シャルロッテのアリア「私の心にウェルテルがいると誰が想像できたかしら」 藤井 麻美
オッフェンバック ホフマン物語 ジュリエッタとニクラウスの二重唱「美しい夜、恋の夜よ」 鳥木 弥生/藤井 麻美
オッフェンバック ホフマン物語 ニクラウスのアリア「見たまえ、わななく弓の下で 」 鳥木 弥生
プッチーニ トスカ トスカとカヴァラドッシの二重唱「マリオ!、マリオ!、マリオ!」 柳沢 涼子/中鉢 聡
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタのアリア「ああ、そは彼の人か~花から花へ」 佐藤 亜希子
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタとアルフレードとの二重唱「乾杯の歌」 全員
アンコール   
ヴェルディ リゴレット 四重唱「いつかあなたに会った時から」 塩田 美奈子/鳥木 弥生/藤井 麻美/中鉢 聡/武田 直之
レハール メリー・ウィドウ ハンナとダニロの二重唱「唇は閉ざしても」 全員

感 想

定番のガラ・コンサートと思いきや-洗足学園音楽大学「SENZOKU GAKUEN 100th ANNIVERSARY プレミアムコンサート 珠玉のオペラ〜華麗なる饗宴」を聴く

  洗足学園が2024年で100周年を迎えるそうです。割と新しい音大という印象があったので驚いたのですが、その感覚は実は正しいようです。洗足学園は元々1924年に当時の東京市品川区戸越に設立された「平塚裁縫女学校」で、大学が設置されたのは1967年。その時に音楽学部の単科大学として設立されたので、音大としては57年目で、国立音大、武蔵野音大、桐朋学園、東京音大といった音楽大学のよりは新しい歴史の大学です。それでも学園創立からは100周年ということで、今年1年間色々なイベントをやろうということで、その一つが、今回のガラ・コンサートです。

 会場のシルバーマウンテンは、洗足学園の校門を入ったすぐのところにある卵型の建物で、小さいコンサートやリハーサル用のホールとして10年ほど前に建ったように思いますが、建築後間もなく一度だけお邪魔したことがあります。会場は2階のホールで、舞台はなく、席数も100ぐらいだったように思います。出演者は日本を代表するオペラ歌手が多いですが、全員が洗足音大で教鞭をとられています。要は、学生向けに行った先生方の模範演奏を、外部のお客さんも見に来たという感じのコンサートでしょう。演奏された曲目は、定番が多いですが、色々趣向を凝らしてあり、見て聴いて楽しい演奏会でした。

 最初に登場したのが塩田美奈子教授。1990年代に活躍されたソプラノという印象が強く、聴いたのは本当に久しぶりです。アデーレは確か二期会の本公演でも歌っていたはずで、今回も昔取った杵柄か、醸し出す雰囲気はさすがです。今回は武田直之講師がアイゼンシュタイン役で参加し、ちょっとした寸劇もあって、そこも楽しめました。

 武田直之は大きな公演では聴いたことがないと思いますが、なかなか芸達者なバリトン、レポレッロのアリアをコミカルに歌ってBravo。早口ながら要所要所でブレーキのかかった丁寧な歌いまわしも良かったと思います。そのして、その武田がホセに変身したところに入ってきたのが、鳥木弥生、藤井麻美のダブル・カルメン。もうベテランといってよい鳥木カルメンと若手の藤井カルメンとが曲をいい感じで分担し、ところによってはユニゾンでハモリ、武田もアンサンブルで参加してとても楽しい一曲になりました。

 中鉢聡はギリギリのところで声を出し、大抵はそこで破綻するのだけれどもでも全体としては曲を大きく崩すことはなくしっかりまとめるというのが最近の彼の持ち味のようで、それがほとんど芸になっています(皮肉ではありません、真面目に書いています)。今回も例外ではなく、「オシアンの歌」もその後歌ったカヴァラドッシもアルフレードもマントヴァもアクートが破綻しているんですけど、それでもいいのかな、と思わせるのが中鉢の魅力かもしれません。

 藤井麻美の「手紙のアリア」、上手です。既に二期会本公演デビューを済ませ、2024-25のシーズンではドラベッラと「影のない女」の乳母を歌うことが決まっていル、今上昇気流に乗っているメゾソプラノですが、それだけの勢いと技術を感じさせる演奏で素晴らしいと思いました。重めのソプラノとメゾソプラノで歌われることが多い「舟歌」。今回はダブル・メゾによる二重唱。元々きらびやかな高音のある曲ではないので、落ち着いたメゾ・ソプラノの二重唱の方がいいかもしれない、と思える歌でした。いい雰囲気でした。

 鳥木弥生は、ニクラウスのアリア。オペラの中ではもちろん何度も聴いたアリアですが、コンサートで単独で歌われるのを聴いたのは初めての経験です。鳥木弥生は本当にいろいろな作品を知っていて、珍しい曲もどんどんコンサートに掛ける方ですが、今回も例外ではなかったということでしょう。

 トスカの第一幕の後半は二重唱の定番として時々取り上げられますが、今回はベテラン・柳澤涼子教授がトスカを務めました。こちらも演技も入って、柳澤トスカの嫉妬深い雰囲気も出てはいたのですが、それまでの歌手たちがやってきたもろもろの演技と比較すると、ちょっとインパクトに欠けている感じは否めません。コンサート全体の中では谷間だったのかな、という気がします。

 そして、実質的トリが、佐藤亜希子によるヴィオレッタのアリア。佐藤は藤原で2回ヴィオレッタを歌うなど、最も得意としている役柄のひとつなので、もちろん十分な聴き応え。プリマの魅力を十分に見せてくれました。

 通常ならガラ・コンならアンコールになる「乾杯の歌」が、今回は歌手たちに歌い継がれながら、合唱込みで歌われるアンコールスタイル。だからアンコールはなしかと思っていたら、本当のアンコールはそれから2曲。「リゴレット」の有名な四重唱。こちらはマッダレーナが二人いるスタイルで、塩田ジルダが悲しんでいるところ、マッダレーナがマントヴァに誘惑されているのではなく、マントヴァを鳥木マッダレーナと藤井マッダレーナが取り合うというスタイル。それがおかしくて、本当はドラマティックな緊迫した場面のはずなのに、笑いが止まりませんでした。最後の最後は全員で「メリー・ウィドウ」のワルツを歌ってお開き。

「華麗なる饗宴」というタイトルですが、「華麗なる」は「笑える」に変えてもいいかもしれません。途中休憩なしで全体で1時間半。濃厚で楽しい時間を過ごすことができました。

 ところで、今回はプログラムの配付はなし。プログラムが必要な方はスマホにQRコードを読み込ませてダウンロードしてください、というもの。私も会場でダウンロードして見ていたのですが、ダウンロードしたファイルを保存することを忘れて帰りの電車では全然見えない状態になっていました。私はそれでもダウンロードできたのですが、会場内に掲げたQRコードを読み込んでもプログラムにたどり着けない方が多数いらっしゃいました。またプログラムは洗足音大のコンサートのサイトには掲載されておらず、細かいところを確認したかったのですが、それもできずじまい。紙のプログラムを渡さないというのはありうる見識だろうと思いますが、そうであるなら後からでもどこかのサイトからダウンロードできるなど対応が必要だと思いました。

洗足音楽大学「SENZOKU GAKUEN 100th ANNIVERSARY プレミアムコンサート 珠玉のオペラ〜華麗なる饗宴」TOPに戻る

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鑑賞日:2024年3月17日
入場料:指定席 H列18番 3500円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会オペラ歌手育成部

第43期研究生 新人育成オペラアンサンブル公演

全2 幕、字幕付原語(イタリア語)上演
チマローザ作曲「秘密の結婚」Il matrimonio segreto
台本: ジョヴァンニ・ベルターティ

会場:昭和音楽大学 スタジオ・リリエ

スタッフ

指揮 樋本 英一
ピアノ   本橋 亮子 
チェンバロ :  藤井 麻里 
演 出  奥村 啓吾
ディクション  渡辺 康
照 明  山本 創太
舞台監督  :  渡邊 真二郎/穂積 千寿 

出 演

エリゼッタ   岩田 祐佳(第1幕)/石岡 華織(第2幕)/村井 あずさ(第1幕及び第2幕のフィナーレ)
カロリーナ   恒川 なみ(第1幕前半)/脇屋敷 美里(第2幕前半)/永田 梨紗(第1幕及び第2幕の後半)
ロビンソン伯爵   黄 在麒
ジェローニモ   和下田 大典
フィダルマ   遠藤 美沙子 
パオリーノ   原 優一

感 想

何故、あまり上演されないのか?‐日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第43期生新人育成オペラアンサンブル公演「秘密の結婚」を聴く

 日本オペラ振興会の新人育成アンサンブルオペラ公演は、珍しい演目を上演することが多く、時々は覗いてみたいと思いながらもなかなか時間が取れず、結果として初めて拝見しました。本年は「秘密の結婚」と「セルセ」。どちらも有名な作品ですが、上演機会が多くないのが特徴です。例年は二日間で二演目をやるのですが、今年は一日にまとめての上演。昼公演と夜公演で完全入れ替え制です。私は昼公演の「秘密の結婚」を楽しみました。

 チマローザはモーツァルトとほぼ同時代に活躍したイタリア人作曲家で、この「秘密の結婚」は、モーツァルトのダ・ポンテ三部作に並び称される作品なのですが、実際の上演回数はダ・ポンテ三部作とは大きく水をあけられているというのが実態です。私は通算三度目の鑑賞になりましたが、13年ぶり。毎年1回か2回拝見しているモーツァルトとは比較になりません。見ていてその理由が分かりました。

 一言で言えば凡作なのです。登場人物の描き方が実に類型的です。「フィガロの結婚」において、スザンナは自分で知恵を巡らせ、伯爵の陰謀を潰すために溌溂と動きます。しかし、カロリーナはス―ヴレット的ではありますが、スザンナほど性格付けが明確ではない。古典的なオペラ・ブッファの設定をそのまま持ってきて、登場人物の性格付けも特にしなかった、という感じがします。更にアリアも類型的で、どこぞで聴いたことがあるような感じ。アンサンブルも薄くて、ソプラノ二人が動くときは滅多にハモらず、ほとんどがユニゾン進行。これでは革新的なモーツァルトの傑作や、古典的ではあるけれども洗練され魅力的なアリアがいっぱい詰まったロッシーニに敵う訳がありません。ただ、アンサンブルの切れ味は独特の魅力があるので、そこを上手く見せられるといい上演になるのではないかと思いました。

 で、今回の上演ですが、一言でまとめれば「それなり」、というべきでしょう。全体のレベルとしては、新国立劇場のオペラ研修所公演よりは劣り、大学院オペラとはいい勝負かやや劣るぐらいではないのでしょうか。色々な意味で傷も多く、もっとうまくやれる手筈があったのかもしれません。とはいえ、一定の水準は保っていたと思います。

 まず、樋本英一の舞台コントロールが素晴らしいと思いました。自分の音楽を作っていくというタイプの指揮者ではなく、舞台を上手に廻すための指揮をしていたと思うのですが、それが実に的確。今回の席は指揮者のすぐ後ろで指揮の様子がよく見えたのですが、きっちりとテンポを取りながら、要所要所でプロンプター的な仕事もしながらタイミングを合わせていきます。その分かりやすい指揮姿はまさに職人芸であり、素晴らしいと思いました。

 助演陣も頑張ってサポートしていました。特にフィダルマ役の遠藤美沙子。アンサンブルで支える役目が多い役柄ですが、アンサンブルの入り方が上手いのです。スッと入ってハモる和音を作っていく感じはとても素晴らしかった。切れ味が良くて本当に魅力的。またジェローニモを歌った和下田大典も典型的なブッフォ的な歌唱や演技で支えて魅力的でした。この二人と比較するとパオリーノの原優一は今一つ切れ味が良くなかったかなというところ。役柄的には巻き込まれて押し流されるものなのでなかなか魅力を出しにくい役ですが、聴かせどころのアリアもあまりうまく行っておらず、ちょっと残念だったかもしれません。

 さて修了生ですが、エリゼッタ役の村井あずさ、カロリーナの永田梨紗、ロビンソンの黄在麒に注目したいと思います。

 特に村井がいい。村井は第1幕、第2幕のフィナーレに登場しましたが、歌唱と演技で抜群の魅力を示しました。エリゼッタは三枚目の役柄である意味「美味しい」役ではあるのですが、とにかく三の線の演技がとても魅力的、歌っていないときの演技が別格に上手です。舞台の上では常に何かを演技してアピールしている感じが凄い。更にアンサンブルも立派。オペラ・ブッファの例にもれずアンサンブル・フィナーレですが、ユニゾンで動く二人のソプラノの音が私から遠いエリゼッタの方からしっかり聴こえてくるのが凄いなと思いました。それ以外のアンサンブルもいい。周りの助けもあったのでしょうがしっかりした中音と伸びやかな高音を上手く使って、全然弛緩しないアンサンブルに貢献していました。

 永田梨紗は三人のカロリーナの中では一番魅力的でした。可憐な感じをうまく出していい感じで歌っていたと思います。第一幕のアリア「お許しください、伯爵さま」は雰囲気があってなかなかいいと思いましたし、重唱による絡みも悪くはない。ただ、演技に切れがなく、声もちょっと遠慮していた感じで、もう少し色々なところに積極的に絡んだ方が良かったのではないかと思いました。

 黄在麒は偉丈夫のバリトン。声に迫力があって魅力的ロビンソン伯爵の歌を朗々と歌って力量を感じさせました。ただ、歌と比べると演技の魅力は今一つで、もう少しブッフォ的なおかしみを出せるともっとキャラクターが立つとは思いました。ジェローニモを歌った和下田大典との経験の差は大きいのかなと思いました。

 名前の上げなかった4人のソプラノもそれぞれ役割は果たしていましたが、上記の三人とはちょっと差があるのかなという印象です。全体としては、樋本の的確な指揮と助演陣のしっかりしたサポートを得て、それなりの公演になったということなのでしょう。

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鑑賞日:2024年3月20日
入場料:C席 3F R10列3番 11200円

主催:新国立劇場

新国立劇場2023/2024シーズン公演

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」Tristan und Isolde
台本: リヒャルト・ワーグナー

会場:新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指揮 大野 和士
管弦楽   東京都交響楽団 
合唱 :  新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出  デイヴィッド・マクヴィカー
再演演出  三浦 安浩
美術・衣裳  ロバート・ジョーンズ
照明  :  ポール・コンスタブル 
振付  アンドリュー・ジョージ
舞台監督  :  須藤 清香

出 演

トリスタン   ゾルターン・ニャリ
マルケ王   ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
イゾルデ   リエネ・キンチャ
クルヴェナール   エギルス・シリンス
メロート   秋谷 直之 
ブランゲーネ   藤村 実穂子
牧童   青地 英幸
舵取り   駒田 敏章 
若い船乗りの声   村上 公太

感 想

代役の限界‐新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」を聴く

 今回の「トリスタンとイゾルデ」、新国立劇場では13年ぶりの再演ということでかなり期待されていた公演でした。当初アナウンスされていたトリスタンはトルステン・ケール、イゾルデはエヴァ=マリア・ヴェストブルックだったわけですが、ともにキャンセルになり、トリスタンはゾルターン・ニャリ、イゾルデはリエネ・キンチャが務めることになりました。ケールは2019年の新国立劇場「タンホイザー」でタイトル役を務め、とても魅力的な歌で、今回も期待していたのですが、声を聴けず残念です。また、ヴェストブルックは今一番脂の乗ったワーグナーソプラノだそうで、期待していました。ちなみに、代役のイゾルデのリエナ・キンチャはワーグナーソプラノで、新国立劇場へは2019年の「タンホイザー」エリザベート役で歌っており、その時も聴いていますが、あまり感心しなかった印象があります。そんなわけで、主役の二人が最初アナウンスされていた二人ほどではないだろうなと思いながら伺ったのですが、その悪い予感は当たりました。

 特にニャリはとてもトリスタンを歌えるだけの技量がない。もちろん偉丈夫で体力的に正味4時間のオペラを歌いきるだけの体力はあると思います。しかし、ヘルデン・テノールに期待される呼吸の深さがないのです。だからすぐに顎が上がった感じになってしまって、底の浅い歌になってしまいます。声そのものもちょっとキャラクターテノール的であり、正統派ではないと思うのですが、それ以上に技術的な非力さ故に英雄的な響きはなかったと思います。特に後半は疲労もあるのでしょうが、例えば第2幕のイゾルデとの長大な愛の二重唱や第3幕の慟哭のモノローグは全然よくなく、とりわけ第3幕のモノローグは、何年か前に東京二期会がオール日本人キャストで「トリスタンとイゾルデ」をやった時のトリスタン役、福井敬のレベルにも達していないなと思いました。

 キンチャはさすがにそこまで低レベルではありません。十分にイゾルデを演じていました。上述の「愛の二重唱」ではニャリが顎が上がった感じの歌だったのに対し、キンチャは深い声で官能的な響きを見せて悪くはないと思ったのですが、圧倒的なものを聴いた感じがしないのです。やっぱり深みがそれほどでもない。だから第3幕幕切れの「愛の死」ももっと美しく歌えるのではないかと思うのですが、結構あっさりとした印象ではありました。第1幕のブランゲーネとの二重唱を聴くとブランゲーネの方が明らかに音楽として整っている。響きといい言葉ひとつひとつに込められた思いといいブランゲーネの方が別格にいいので、相対的にキンチャが残念に聴こえた側面はあると思います。

 藤村実穂子のブランゲーネ。素晴らしいです。最初にバイロイトに出演してもう20年以上たっていると思いますが流石に別格の巧さです。日本人特有の正確な歌いまわしと、それをドイツ人のようにワーグナーのイディオムに載せて歌う技量を重ねもつメゾソプラノは、世界的にも珍しいのではないかと思います。登場する場面は少ないながら、登場すると舞台上の全てを持って行ってしまう感があります。一昨年、N響の定期公演で彼女の歌う「ヴェーゼンドンクの5つの歌」を聴いたのですが、その時、音楽的な正確さと言葉に込められた感情の表出があまりにも巧みで、藤村実穂子はこのレベルに達したんだ、と大いに感心したのですが、今回のブランゲーネを聴きながら、その時の感動を思い出したところです。

 マルケ王のシュヴィングハマーも素晴らしいバス。第2幕後半の「マルケの嘆き」のアリアが素晴らしい。マルケの品格を感じさせる歌で、声の深みと弱音のコントロールがマルケの悲しみを表すのに十分でした。

 もう一人、クルヴェナールを歌ったシリンズも十分。役柄的にマルケ歌にある圧倒的なものはもちろんないのですが、第1幕、第3幕における主人を思う気持ちの出し方などはとてもいいと思いました。クルヴェナールが音楽的な支えになったおかげでニャリの歌もそこまでは酷くは聞こえなかったのかなと思いました。日本人の脇役では秋谷直之のメロートがしっかりとした歌で存在感を示しました。

 以上を支える大野和士指揮東京都交響楽団は官能美が冴えていました。大野は飯守泰次郎が亡くなった今、日本人最高のワーグナー指揮者だと思いますが、その実力を遺憾なく発揮したと言えるのではないでしょうか。ワーグナーの持つ官能性をどぎつくはなく、しかしながらしっかりと見せる音楽性が大野の持ち味だと思います。それに加えて、都響メンバーの管楽器の音の美しさ。フルート、オーボエ、クラリネット、ホルンとソロパートがみんな見事。ワーグナーの音楽の持つ厚みが濁ることなく流れるように聴こえてくる様は、すこぶる美しい。この解決しないオーケストラの音の中に身を沈めていると、それだけで蕩けそうです。

 マクヴィカーの美しい演出はプレミエの時も評判になったものですが、13年ぶりに見て素晴らしいなと思いました。ワーグナーの感じていた哲学的世界を何の読替えをすることなく、ここまで美しく舞台で示したのはこの演出家の技量なのでしょう。

 「トリスタンとイゾルデ」が音楽史的に極めて重要な位置づけにあり、印象派も近現代音楽もこの作品なしには語れないことはよく知っていますけど、妙に哲学的な押し付けがましさと話が進まないスピード感は昔から好きになれません。今回は、トリスタンがもっとワーグナー世界を表出できる人であればまた違ったのかもしれませんが、オーケストラや脇役が凄く立派でトリスタンとイゾルデが代役の限界を感じさせるものだったためか、5時間20分強の演奏時間は長かったと思いました。 

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鑑賞日:2024年3月23日
入場料:自由席 5000円

主催:舞台音楽研究会
共催:横浜市泉区文化センターテアトルフォンテ

舞台音楽研究会オペラ公演

全2幕、日本語訳詞上演
オッフェンバック作曲「天国と地獄」Orphée aux Enfers
台本: エクトル・クレミュー/リュドヴィク・アレヴィ
日本語上演台本:原純
会場:横浜市泉区文化センターテアトルフォンテ

スタッフ

指揮 高橋 勇太
管弦楽   エルデ・オペラ管弦楽団 
合唱 :  ベッラ・ヴォーチェ
演出・美術・衣裳  原 純
振付  上原 彩弥
舞台監督  :  徳山 弘毅

出 演

オルフェ   山川 高風
ユリディス   楠野 麻衣
ジュピター   普久原 武学
プルート   勝又 康介
世論   沢崎 恵美 
キューピット   小澤 花音
ダイアナ   小山 道子
ヴィーナス   岡本 麻里菜 
ジョン・スティックス   五島 伝明
ミネルヴァ   塚本 雛
ジュノー   坂本 麻友美
マーキュリー   鈴木 克隆 
マルス   内貴 龍聖

感 想

オッフェンバックに似合った空間‐舞台音楽研究会「天国と地獄」を聴く

 「天国と地獄」は第1版と第2版とがあって、第1版は、小さめな劇場、ブフ・パリジャン座のために書かれ、第2版は2000人規模の大劇場、ゲテ・リリック座のために改変され、グランドオペラ風の作品になったそうです。第2版は本当に大規模で、第2版の初演では歌手たちのほかに120人の合唱、60人の楽団員、68人のダンサー登場したそうで、日本ではおそらく第2版をそのまま上演した例はまだないでしょう。大抵は第1版に第2版で追加された何曲かが挿入されることが多いようです。

 それは多分、作品の持つ下世話さが大規模空間に向かないということなのだろうと思います。私も東京二期会の2007年公演、2019年公演、2022年公演、東京オペラプロデュースによる公演などの1000人以上入る劇場での本格的公演も見ていますが、これまで一番印象に残っているのは、2018年に調布のせんがわ劇場で見た東京室内歌劇場のプロダクション。音楽的な完成度では二期会の方が断然上だったにもかかわらず、東京室内歌劇場の公演を忘れられないのは、この作品には場末の小さい小屋で上演するのに似合っているうさん臭さがあるからだと思います。その意味で、384席のテアトルフォンテこそ、この作品の魅力を一番示すことができたように思います。

 今回の公演、はっきり申し上げれば音楽的には瑕疵がいろいろありました。後ろに下がった合唱の迫力も今一つ。しかし、そういったことも含めて狭い会場で歌手の息遣いをはっきり感じながらバカバカしいオペレッタを見る醍醐味が今日も上演にあったと思います。今後自分の中で、一番思い出に残る「天国と地獄」になりそうです。

 そんな舞台の立役者は、第一に演出の原純でしょう。原は、オペラを演出するとき、演出だけではなく美術と衣裳も担当することが多く、今回も例外ではありません。更に今回は日本語公演ゆえに、歌詞の翻訳と上演台本の作成も原が担いました。一方で、原は「天国と地獄」という作品を演出するのが初めての経験で、この作品を1から考えざるを得なかったとも言っています。しかし、その両方があったゆえに、今回の舞台は原の世界観が満ち溢れた舞台になっており、そこが面白い。それが典型的に表れたのが「世論」の使い方。

 「世論」はもちろん「民の声は神の声」というフランス第二帝政時代の政治の在り方への当てこすりがあるのですが、今回の「世論」はSNS時代の過剰な正義への皮肉と、そんな時代であっても厚顔無恥な政治家たちへの批判があります。でもそんな民衆の本来は欲望とジェラシーに過ぎない感情をいかにも「正義」であると言うことも、お互いが感情のままに生きて倫理観を欠如させることもどちらも拙いでしょう、というのが彼のスタンス。フィナーレのホリゾントに映し出された写真は、第二次大戦のときに破壊されたウィーン国立歌劇場の写真だそうですが、欲望のぶつかり合いの果ては結局廃墟になるしかないしというのは、結局のところ、ロシアのウクライナ侵攻でもイスラエルのガザ侵略でも分かるように現実として捉えざるを得ません。

 私は「天国と地獄」という作品はもっとハチャメチャにして、フィナーレもそのパワーで押し切ってくれてもいいと思うのですが、原にはオーソドックスな中にも苦みを残して現代社会に通じるオッフェンバックの思いを示したいという明確な意識があり、それがちょっとほろ苦いフィナーレに結実したのでしょう。素敵な演出でした。

 今回の「世論」は沢崎恵美。「世論」はほとんど台詞役と申し上げてよく、歌うところはあまりないのですが、舞台音楽研究会を主宰するだけあり、存在感がしっかりしていて魅力的。今回の出演者の中で一番多くの舞台経験があるだけのことはあります。世論が舞台の楔にしっかりなっていました。

 しっかりとした存在感という意味では楠野麻衣のユリディスも同様。高音がよく転がるレジェーロソプラノで声的にもユリディスにぴったりですが、彼女のもつ雰囲気がいかにもユリディスという感じでいい。歌も冒頭のクプレからオルフェとの二重唱でしっかりと実力を示し、その後も高いテンションで、ユリディスのちょっと驕慢な雰囲気を維持しつつ、しっかりと歌っていました。主役が音楽的な軸になるのは舞台にとっても素晴らしいことで、楠野はそれを果たしたという点でBravaです。また後半では真っ赤なミニのドレスでストッキングのガーターをちらちら見せる色っぽさもありました。こういうのを楽しめるのも小さい劇場の魅力です。

 音楽的にもう一方の軸になっていたのが、普久原武学のジュピター。しっかりした声と存在感です。また神々の中で浮いてしまってイライラした様子など、全能の、神々の中の神であるにもかかわらず高貴な態度が取れない身勝手な権力者の様子を上手に演じることができたようです。またハエの二重唱などコミカルな部分にもいい感じで対応していました。

 山川高風のオルフェ。舞台音楽研究会でしか聴いた経験のないテノールですが、年々、声に艶がなくなっている感じがあります。今回も高音がかなり厳しい感じで、特に一番歌う部分の多い第一幕の前半はもう少し声があるとユリディスとの二重唱がもっと聴き応えがあったのではないかと思います。

 プルートはそもそも地獄の大王という感じではなく腰の落ち着かない権力者なのですが、勝又康介はそんなプルートを軽薄そうに演じてなかなかいい。ただ音楽的には高音が課題。高音がもっときっちりと決まると、軽薄さが更に光ったように思います。

 その他の神々は本来いるはずのバッカスがいなかったりなど音楽的なカットもそこそこあったし、合唱等で男声低音部を担当する歌手が少ないのが音楽的には重しが足りない感じで残念ではあったのですが、集団でのパワーが凄い。小山道子のダイアナ、岡本麻里菜のヴィーナスが雰囲気のある歌を歌ってよく、まだ大学生の小澤花音がキューピットを可愛く演じてよかったです。また一般にソプラノは中低音に課題。ソロ部分は低音が響きにくい方が多く、そこの言葉が聴き取れないかな。とはいえ、オッフェンバックのオペレッタは洗練よりもパワーに魅力があるので、若手歌手たちがノリノリでパワフルに歌うところが楽しくていい感じでした。

 高橋勇太が指揮するエルデ・オペラ管弦楽団は意図的なのか非意図的なのかはわかりませんが、ちょっとズンチャ調でそこも場末感があっていい。

 全体的に下町の雰囲気のある舞台でしたが吉本的な笑いに走ることはなく、オッフェンバックのエスプリと時代を笑い飛ばすパワーを170年へだてて見せてくれて楽しめました。

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鑑賞日:2024年3月24日
入場料:A席 2F 26列9番 4000円

主催:立川市民オペラの会/公益財団法人立川市地域文化振興財団

立川市民オペラ2024

全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'elisir d'amore)
台本:フェニーチェ・ロマーニ
原作:オギュスタン・ウジェーヌ・スクリーブ「媚薬」


会場:たましんRISURUホール大ホール

スタッフ

指揮 古谷 誠一
管弦楽   立川管弦楽団 
合唱 :  立川市民オペラ合唱団
合唱指導 宮﨑 京子、照屋 博史、今野 絵理香
演出  直井 研二
装置  鈴木 俊朗
衣裳  下斗米 大輔
照明  :  西田 俊郎 
音響  関口 嘉顕
舞台監督  :  伊藤 潤

出 演

アディーナ   前川 依子
ネモリーノ   工藤 翔陽
ベルコーレ   的場 正剛
ドゥルカマーラ   岡野 守
ジャンネッタ   山邊 聖美 

感 想

オーケストラがもう少し頑張ってくれれば!‐立川市民オペラ2024「愛の妙薬」を聴く

 素晴らしい「愛の妙薬」だったと思います。合唱を含めた歌手陣がみんないい仕事をされており、過去数年間で聴いた「愛妙」の中では個人的にはナンバーワンの公演と申し上げます。

 前川依子、素晴らしいアディーナでした。彼女は新国立劇場合唱団のコアメンバーで、様々な作品に出演されています。2023/2024年シーズンも10月の「修道女アンジェリカ」/「子供の魔法」から2月の「ドン・パスクワーレ」まで全公演に出演していますし、N響公演など外部公演にも参加されていると思います。更に新国立劇場では「魔笛」の童子1、「ばらの騎士」の孤児、「トスカ」の羊飼い、「タンホイザー」の牧童、といった小さい役のソリストも務めており、そして、新国立劇場で小さなソリストを歌うときは十分にその役目を果たされてきたことを知っています。でも大きな役を歌うのを聴いた経験は多分全くないと思います。それだけに楽しみに伺いました。

 正直に申し上げて予想以上に素晴らしかったです。私がこれまで聴いてきた20人以上のアディーナ歌いのなかでもベスト3に上げてもいいかな、と思うぐらい素晴らしいアディーナでした。全体的に声が美しく滑らか、また高音がぴんと張ってそれでいてしっかり伸びていく。気が強いけれども可愛らしいというアディーナの特徴をしっかりと見せてくれました。冒頭のカヴァティーナ「つれないイゾルデを」から、フィナーレの「受け取って、あなたは自由よ」に至るまで、アリア、重唱、合唱との掛け合いなどどこを取っても間然とする処のない見事な歌唱でした。新国立劇場合唱団のレベルは劇場合唱団としては世界有数とは言われますが、その中核メンバーとしてのアンサンブル能力の高さと、鍛えたレジェーロソプラノの美声が相俟ってこのような素敵なパフォーマンスを見せてくれたのだろうと思います。Bravissimaと申しあげましょう。 

 その他のソリストたちも前川ほどではありませんでしたが、それぞれの特徴をしっかり見せてくれました。

 工藤翔陽のネモリーノ。こちらもちょっと抜けた人のいいネモリーノという役柄を好演しました。工藤も癖のない伸びやかな高音を響かせて良かったのですが、第一幕ではちょっと声が喉に引っ掛かったり小さいミスがいくつかあって、そのあたりが上手くいっていればもっと良かっただろうと思います。しかし、一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」は抒情的な雰囲気がしっかり示すことができてとってもいい感じでした。最後までネモリーノらしい雰囲気を維持したと思います。

 的場正剛のベルコーレ。登場のカヴァティーナ「愛らしいパリスのように」はもっと大げさに行ってみれば時代がかった感じで歌って滑稽な雰囲気を見せたほうがいいとは思いましたし、声の切り返しか何かで上手くいっていないところがありそこは反省点だとは思いますが、後はしっかりと自分の役割を果たしました。第2幕のレシタティーヴォ・アコンパニャート「女心は分からない」からネモリーノとの二重唱「20スクードだって」はいいい感じでしたし、フィナーレの「世界中の女をものにする」とうそぶくところまでとてもいい感じで歌われました。

 岡野守のドゥルカマーラ。岡野にかんしては、2018年ハーモニーホール座間における「愛の妙薬」でドゥルカマーラを聴いていて、その時の楷書体のドゥルカマーラがあまりにも素晴らしかったので今回も期待していたのですが、座間の時ほどではなかった、というのが正直なところです。座間の時は一画一画のハネ、トメまでしっかり見せた楷書体の歌だったのですが、今回はやや歌い崩しがありました。その方がバッソブッフォとしての味が出るということだろうとは思いますが、最近聴くドゥルカマーラはみんなバッソブッフォ的誇張に走る人ばかりなので、久しぶりに座間の味わいをもう一度聴きたかった、というのが正直なところです。とはいえ、ドゥルカマーラとしては十分な歌で役目を果たしました。

 山邊聖美のジャンネッタ。合唱の先導をやることが多い役柄ですが、しっかりと自分の役目を果たしていましたし、合唱の中でも必要に応じて彼女の声が聴こえるさまは素晴らしかったと思います。

 そして、合唱。本当に素晴らしかったです。市民オペラの合唱は色々聴いていますが、今や藤沢市民オペラなどの合唱が充実した他の市民オペラを抜いて日本一と申し上げてよいでしょう。

 それはコーラスサポートという名のエキストラが入っているせいではあるのですが、このコーラスサポートは、今年はキャストオーディションを受けたメンバーで選ばれなかったメンバーから選抜し、普段の練習から合唱団のアマチュアメンバーと一緒に練習しています。立川市民オペラ合唱団は常設の合唱団で、そもそも中核メンバーはオペラの合唱を何度も経験したベテラン揃いですが、そこにプロが一緒に練習することで合唱の和声の感じやスピードが更に磨かれる。冒頭の合唱「刈り入れるものには心地よい眺め」で和音の迫力にびっくりし、最後の「どんな欠点も治す薬」に続く合唱まで素晴らしい合唱を聴かせてくれました。

 以上合唱も含めた歌手陣は本当に素晴らしかったのですが、オーケストラは「残念」の一言です。音は貧弱だし、トゥッティが乱れることも多い。管楽器の音色も例えば前日に聴いたアマチュア管弦楽団のエルデ・オペラ管弦楽団と比較すると一段落ちるというのが正直なところ。オーケストラがもっとしっかり支えてくれれば文句なしの出来だったのですが、実際はそうはいかず、もっと頑張って練習して本番に臨んでほしいとは思いました。 

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鑑賞日:2024年4月5日
入場料:指定席 K列19番 6800円

主催:朝日新聞社/有楽町朝日ホール/オペラ季節館

有楽町マリオンオペラ

全4幕、日本語訳詞上演
プッチーニ作曲オペラショウ「ラ・ボエーム」(La Bohème)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ
日本語訳詞:伊勢谷 宜仁
原作:アンリ・ミュルジェール「ボヘミアン生活の情景」


会場:有楽町朝日ホール

スタッフ

演出・美術 伊勢谷 宜仁
管弦楽   光太郎&サウンドX 
合唱・舞踏・助演 :  舞歌
振付 荒木 薫
ライティング・デザイナー  山口 博史
ステージ・マスター  村井 重樹
舞台・衣裳・映像  オペラ季節館

出 演

ミミ   西谷 衣代
ロドルフォ   中島 康晴
マルチェッロ   大坪 義典
ムゼッタ   大西 恵代
ショナール   星野 淳 
コッリーネ   龍 進一郎 

感 想

目的を達成するためには‐有楽町マリオンオペラ オペラショウ「ラ・ボエーム」を聴く

 オペラが舞台音楽の中で動員数が少ないのは紛れもない事実でしょう。私は自分自身がコアなオペラファンだですが、劇場でよく会うオペラ・ファンを別とすれば周りでオペラ好きという人と会ったことがありません。事実、ポピュラー音楽系のツアーであれば武道館クラスの大会場を満席にすることは難しくないですが、オペラの場合、二期会や藤原歌劇団の本公演でも会場が満席になることはなかなか珍しい。だから、ファンのすそ野を広げるために色々なことをやってみるというのはとても大切なことです。

 オペラ季節館の伊勢谷宜仁はすそ野を広げるためにこれまでも様々なことをやって来たそうですが、今回はあの「ラ・ボエーム」をちょっとポップにして、オペラになじみのない方にも楽しんでもらおうという試み。その心意気は素晴らしいと思いますが、残念ながら「これではすそ野は広がらないだろうな」、という程度の出来だったと思います。色々な意味で完成度が低い。

 まず、歌詞がはっきり聴こえてこない。これは日本語オペラの宿年の課題です。日本でのオペラは原語ではなく翻訳から始まりました。そして、色々な翻訳家たちが音楽の形を損ねないようにしてかつ分かりやすい日本語にする工夫をしてきたわけです。それは50年の歴史がある。しかし、残念ながらその翻訳が成功したことはこれまでなかったと申し上げてよいでしょう。かろうじて「こうもり」、「メリーウィドウ」といったいくつかのオペレッタと「カルメン」、「魔笛」、「ヘンゼルとグレーテル」がまあまあ聴ける日本語に整理されてきたかな、といったところだと思います。だから、1986年、藤原歌劇団が「仮面舞踏会」で字幕付原語上演を導入すると、雪崩を打ったように字幕付上演が一般化したのです。

 その後も日本語翻訳オペラの試みは色々なされてきたのですが、成功した例は私が聴いた経験から言えば、オペレッタを別にするとほとんどなかったのかな、と思います。だから、日本語で上演するのであれば字幕も用意して観客にストレスを与えない工夫が必要です。今回はその辺の工夫はされておらず、これまでの日本語翻訳オペラと同様、聴くのにストレスを感じずにはいられませんでした。

 さらに演目の選択も今一つです。もちろん「ラ・ボエーム」は傑作ですし、オペラ・ファンには不動の人気を誇る名作ですけど、本当の初心者が聴くには音楽に華がない。もちろん「冷たい手」でもハイCであるとか、「私の名はミミ」の甘い抒情性とか、聴きどころはたくさんあるのだけど、本当にオペラが未経験の人が見て楽しめるのでしょうか。さらに言えば、ボエームという作品は無駄のない作品で、冗長なところがない。しかし、それを約30分切り詰めると折角いい感じでバランスが取れていたものが崩れてしまう。特にポピュラリティという観点から言えば、、一番のスペクタクル性のある第2幕のカルチェ・ラタンの合唱がなくなってしまったのはわくわく感が失われてしまう感じがします。

 それでも個々の歌手が頑張ってくれれば違っていたと思います。しかし、全体的にはそこもイマイチ。もちろん良かった人もいます。

 一番はミミを歌った西谷衣代。西谷は見た目もミミらしい清楚な感じが出ていてそこがまずよかったのですが、歌唱も豊かな中声部としっかりした高音があって、声の滑らかさも相当なもの。「私の名はミミ」はもちろん良かったのですが、第三幕のアリアから四重唱に向かうアプローチとか、第四幕の死に瀕している時の歌とかどこも素晴らしく聴き応え十分でした。

 対する中島康晴のロドルフォ。一言で申し上げれば残念でした。中島は2001年、藤原歌劇団のヴェルディ「マクベス」でマクダフを歌って、その輝かしいアクートに大いに感心し、その後の成長に大きな期待をもっていました。その中島の声を23年ぶりで聴いたわけですが、高音は不安定でハイCはもちろん出ていませんでしたし、中音部もさほど美しくなく、あのマクダフの美声はどこに行ったのだろうと本当に残念でした。

 大西恵代のムゼッタ。こちらも違和感がありました。一番の聴かせどころである「ムゼッタのワルツ」は、本来よりもアプローチが短かったためか、冒頭の高音が上手く行っていない感じで、その後も結構嵌らない感じがしました。第三幕の四重唱もマルチェッロとムゼッタの喧嘩がミミとロドルフォとの愛の二重唱に楔のように打ち込まれるところに魅力があるわけですが、そこもいまひとつピシっと決まらない感じ。

 男声陣は個別には悪い感じはなかったし、コッリーネの「外套」のアリアはなかなかいい感じだったけど、アンサンブルは今一つ嵌らない感じ。おそらくそこは指揮者がいなかった影響のように思います。

 オペラのすそ野を広げるためには、オペラを知らない人を聴いて貰うことと、一度聴きに来てくれた人が再度来ようと思って貰えることが大切です。再度来ようと思わせるためには、声の素晴らしさでお客さんを圧倒することと、聴き手にストレスを与えずに楽しんで貰うことだろうと思います。その両点で今回は上手くいかなかったのかな、というのが率直な感想です。

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鑑賞日:2024年4月7日

入場料:自由席 3000円

主催:ソフィアザール

Duo Concert 松原広美&篠宮久徳

会場 ソフィアザール バロックホール

出 演

メゾソプラノ 松原 広美
ピアノ 篠宮 久徳

プログラム

作曲家 作詞家 曲名 演奏
瀧 廉太郎 竹島 羽衣 松原広美/篠宮久徳
山田 耕筰 三木 露風 木の洞 松原広美/篠宮久徳
瀧 廉太郎   メヌエット 篠宮久徳
雁部 一浩 室生 犀星 「室生犀星による二つの歌曲」より i 寂しき春 Op.3-5  松原広美/篠宮久徳
中田 喜直 三好 達治 甃の上 松原広美/篠宮久徳
大中 恩 佐藤 春夫 淡月梨花の歌 松原広美/篠宮久徳
平井 康三郎   幻想曲「さくら さくら」 篠宮久徳
休憩   
平井 康三郎 石川 啄木 ふるさとの 松原広美/篠宮久徳
橋本 國彦   夜曲 篠宮久徳
山田 耕筰 松崎 實 松原広美/篠宮久徳
清瀬 保二 石川 啄木 東海の 松原広美/篠宮久徳
雁部 一浩 石川 啄木 「石川啄木による二つの歌曲」作品10「かの旅の」、「雨に濡れし」 松原広美/篠宮久徳
橋本 國彦 深尾 須磨子 松原広美/篠宮久徳
アンコール   
武満 徹   歌うだけ 松原広美/篠宮久徳

感 想

レクチャーコンサートというよりは広美ワールド-「Duo Concert 松原広美&篠宮久徳」を聴く

  多分偏見だと思いますけど、私は日本歌曲はソプラノやテノールよりもメゾソプラノやバリトンが歌った方がいいと思っています。もちろん日本歌曲の上手なテノールやソプラノもいらっしゃいますけど、そういう方は余程研究されて歌われているのだろうな、と思います。だから、松原広美が日本歌曲を歌うというのは似合っているだろうと思って伺ったのですが、やっぱり似合っていました。彼女はドスの効いた低音が特徴のメゾソプラノですが、今回のコンサートでもその明瞭な低音が日本語の発声及び篠宮久徳のくっきりしたピアノとうまく合っていて分かりやすい日本語になっていたと思います。

 プログラムはかなりマニアック。最初に歌われた「花」はポピュラーですが、私が聴いたことがあるのは、他に平井康三郎の「ふるさとの」だけだと思います。あとは初耳の曲ばかりでタイトルすら知らない曲も多い。ただ、最後の「黴」を別にすれば小品が多い印象です。そういうマニアックな選曲なので、松原と篠宮は、演奏の前にそれぞれの曲のエピソードを語ります。そのお話を聞いていると日本近代音楽史を意識しているけれども、それ以上に個々の詩に表された世界観みたいなものを彼女として歌ってみたい、ということがあったように思います。

 今回、一番の珍曲は山田耕筰の「扉」のようです。これは楽譜がとうに絶版になっていて、松原がオークションサイトに楽譜が出品されているのを見て購入したという話で、今歌っているのは松原しかいないだろうというのが本人の談です。作曲されたのは多分昭和初期ですが、モダニズムの時代にあっては少し時代がかっている印象があって、それで歌われなくなったのかな、とは思いました。尚、余談ですが、山田耕筰に関しては自筆譜しか残されていない曲もたくさんあって、戦災で散逸したり焼失したものも多いということです。そんな中にも傑作があったかもしれないなとは思います。

 今回一番の聴きものは最後に演奏された「黴」。橋本國彦と深尾須磨子のコンビの楽曲は1928年から29年にかけていくつか作曲されており、今年の1月このコンビの「舞」を小池芳子の歌で聴いたばかりですが、今回橋本の出世作とも言われる「黴」を松原の迫力のある声で聴けてとてもよかったと思います。

 曲を知らないので、これ以上演奏に関して申し上げるべきことはありません。

 ただ、日本の西洋音楽の受容は学制が始まった明治5年を起点とすれば150年強、東京藝大前身の音楽取調掛が設置された年を起点とすれば145年になるのですが、その間幾多の音楽家が誕生し、様々な曲が作曲されてきました。その中には埋もれてしまった曲や散逸してしまった作品も多いだろうとは思いますが、そういう作品の中にある名曲に光を当てて演奏してみるというのは、これまでも大切なことだろうと思います。さらに申し上げれば「詩」は「詩」として残っても素敵なものですが、曲と一体化して、特に詩の世界観と音楽が上手く逢った時、詩単独で味わうより、広がった世界観を感じることができます。そういう観点でも知られていない曲を紹介する試みは大切だな、と桜が満開の東京で思ったところです。

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