オペラに行って参りました−2002年(その2)−

目次

2002年 4月25日 原嘉壽子「シャーロックホームズの事件簿・告白」
2002年 4月29日 三浦克次リサイタル
2002年 5月 1日 R・シュトラウス「サロメ」
2002年 5月 8日 プッチーニ「トスカ」
2002年 5月29日 サリエリ「ファルスタッフ」
2002年 7月27日 ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー」
2002年 7月29日 プッチーニ「蝶々夫人」
2002年 9月 3日 プーランク「声」/ミヨー「哀れな水夫」
2002年 9月 5日 ヴェルディ「椿姫」
2002年 9月 7日 シマノフスキ「ロジェ王」
2002年 9月13日 ロッシーニ「なりゆき泥棒」
2002年 9月20日 モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
2002年 9月21日 ヒギー「Dead Man Walking」

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オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2002年4月25日
入場料:3780円 B2列6番

新国立劇場主催
小劇場オペラ#7

日本語(原語)上演
原嘉壽子作曲「シャーロックホームズの事件簿・告白
台本:まえだ純 

会場 新国立劇場・小劇場

指揮:樋本英一  管弦楽:新国立劇場小劇場オペラアンサンブル
合唱:新国立小劇場合唱団
演出:岩田達宗  装置:島川とおる
衣装:前田文子  照明:成瀬一裕
舞台監督:佐藤公紀 

出演者

コラム教授 柴山 昌宣
ホームズ 鹿又 透
アンナ 佐々木典子
警部 宮崎 義昭
マーカー夫人 加納 里美
モーティマー 松山 いくお
ウィロビー 井田 直樹
アレクセイ 中島 正貴

感想

 シャーロック・ホームズは当然ながら子供の頃から親しんで来て、「金縁の鼻眼鏡」もよく知っている作品です。シャーロック・ホームズの短編の中でも、「まだらのひも」や「赤毛連盟」ほどではないにしろ、代表作の一つだと思います。原嘉壽子は、この有名な推理小説のプロットをほとんど変えることなしに一つのオペラに仕上げました。考えてみると、オペラと推理小説は合わない組み合わせのような気がします。オペラは簡単に言えば情熱のぶつかり合いですが、ミステリーは、冷静な知性の論理的解釈です。最初から水と油のように思います。でも、原嘉壽子は、帝政ロシアでの反王室運動を背景としたこの原作の、事件の背後にある悲劇を石けん役として、水と油をよく混ぜ合わせたと思います。

 原嘉壽子は、1980年代以降の日本を代表するオペラ作曲家で17の作品があります。しかし、私が彼女の作品を聴くのは初めての経験でした。ですから,この作曲家の音楽的特徴ははっきりとは言えないのですが、プロコフィエフ張りのモダニズムを感じました。基本的にドラマはレシタティーヴォで進みます。そこに、クラリネットとチェロ、ピアノによる伴奏が入ります。室内オーケストラの伴奏は、例えて言うならば、社会派ドラマの伴奏のようです。一寸不気味で色彩感が無い。それが、本作品の心理描写とその結果として示される悲劇に良くマッチしていると思いました。

 ドラマは前半が相対的に退屈で、真実が暴き出される後半が面白い。音楽的にも、後半の方が緊迫感のある曲に仕上がっていて良いと思います。ドラマ全体の中で一番音楽的なのは、最初から最後まで何度も登場する「シベリアの歌」の合唱です。6人の男性合唱で歌われるのですが、これがなかなか良かったです。

 ソリストで一番惹かれたのは、コラム教授を演じた柴山昌宣です。声に張りがあって、良いのですが、技術的に難しい役では無いと思います。それ以上に役作りを評価すべきです。常に車椅子に乗って、最後を別にすれば、主として表情で演技をするのですが、目を中心としたなんとも言えぬ表情が良いのです。ホームズに真実を見つけ出された時のさりげない表情の変化、アンナが洋服ダンスから登場して、彼をなじったあとの苦悶。一寸臭い部分も無いわけではないのですが、迫力がありました。

 ホームズの鹿又透も良かったです。柴山ほどの緊迫感は感じられませんでしたが、声が通り、日本語も判り易く、物語を進める狂言廻しとしてもしっかりしていました。アンナ役の佐々木典子。出番は後半のみですが、迫力のある歌と演技で良かったと思います。それ以外の3人は、それなりの演技。警部役のコミカルさ。加納里美のコミカルな部分。共に悪くありませんでした。

 岩田達宗の演出・舞台は、割とわかり易いもの、廻り舞台を多用していました。

 小道具に煙草が使われていて、コラム教授もホームズも舞台の上で何本も吸うのですが、歌手が煙草を吸っても良いのかしら?と思いましたが、これは余計な詮索です。室内オーケストラは、ヴァイオリン、チェロ、フルート、オーボエ、ピアノ、打楽器各1の6人構成のものですが、皆上手で、音楽の緊迫感を示すのに十分な力を発揮していました。総じてみた時、なかなか面白い舞台だったと私は思います。

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観劇日:2002年4月29日
入場料:5000円、自由席(私の聴いた席は前から4列目の中央)

日本演奏連盟/山田康子奨励・助成コンサート

バス・バリトン
三浦克次リサイタル

会場 カザルス・ホール

ピアノ:加戸あさ子
訳詞朗読:高橋典子

プログラム

1 ジョルダーニ 私のいとしき女よ Caro mio ben
2 カルダーラ 心親しき森よ Selve amiche
3 ロッシーニ 粉屋の娘が望むなら Se il vuol la molinara
4 ベッリーニ 私のフィッレの悲しげな幻よ Dolente immagine
5 ドニゼッティ いたましい愛 L'amor funesto
6 ヴェルディ 墓に近寄らないで欲しい Non t'accostare all'uma
7 ヴェルディ 哀れな男 Il poveretto
8 トスティ 君なんかもう Non t'amo piu
休憩
9 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」よりフィガロのアリア
「もう飛ぶまいぞこの蝶々」
Non piu andrai
10 ロッシーニ 歌劇「ラ・チェネレントラ」よりアリドーロのアリア
「深い神秘に包まれた天には」
La del ciel nell'arcano profondo
11 ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」よりドゥルカマーラのアリア
「聞きなさい、村の衆」
Udite, udite, o rustici
12 ビゼー 歌劇「カルメン」よりエスカミーリョのアリア
「闘牛士の歌」
Votre toast
アンコール1 ガーシュイン スワニー Swanee
アンコール2 コール・ポーター さよならという度に Ev'rytime we say good bye

感想

 リサイタルは、自分の不得意な作品は選ばないと思うので、基本的に悪い筈がないと思っています。今回の三浦克次さんの10年ぶりのリサイタルも、総じて言えば、素敵な演奏会になっていたと思います。三浦克次さんは、低音を朗々と響かせるタイプではなく、もっと軽めのタイプのバスだと思っておりましたが、今回その認識が誤りではなかったことが確認出来たように思いました。

 前半の歌曲8曲の中で私が一番感心したのは、ベッリーニの「私のフィッレの悲しげな幻よ」でした。音楽が自然で、無理な感じが全然見られませんでした。曲の進行と、声がぴたっと重なっていて、離れることなしに最後まで進みました。ロッシーニやドニゼッティの歌曲もベッリーニほどではなかったのですが、よい演奏でした。ヴェルディの二曲は、先に歌った「墓に近寄らないで欲しい」の方が良かったように思います。一幕の最後のトスティも休憩に向けての盛り上がりがあって良かったのではないかと思っています。

 最初の二曲も、勿論悪くはないのですが、喉が十分に温まっていなかったのか、声がピアノに比べて前に出てくる、という感じが少なかったです。

 後半のアリアの方が三浦克次を楽しむにはよいようです。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は、ピアノが前に出過ぎている印象を受けました。伴奏譜からもう少し音符を抜いて、密度を薄めた方が三浦さんの声の魅力を楽しめたように思います。「ラ・チェネレントーラ」のアリアは、優しい響きで良かったと思います。更にドゥルカマーラの登場のアリアは、本日の白眉でした。歯切れが良いのも良かったですし、そうでありながら胡散臭げな雰囲気も出ていて秀逸でした。ブラボーと申し上げましょう。

 「闘牛士の歌」は、今までの三浦さんのレパートリーからは外れています。しかし、バス・バリトンを称するようになった証しとして歌う必要があったのでしょうね。演奏は良かったです。端的に言えば、盛り上がりのあるエスカミーリョでした。おしまいに向けて盛上げて行くところなどは流石です。

 アンコールは一転してアメリカン・ジャズ、ガーシュインとコール・ポーターの曲を取り上げました。オペラや西洋歌曲からジャズのスタンダードに変わると、聴き手はほっとします。その驚きを楽しみました。

 ピアノ伴奏の加戸さんも悪くはなかったのですが、歌手との声のバランスで、もう少し押さえた演奏をした方が良いのではないか、と思えた部分が幾つかありました。カザルスホール自身が、高音が響き易く、低音が今一つ響きにくいところがあるので、ピアノが高音をバリバリ弾くと、バスの声にかぶってしまいます。そこの整理をもう少し上手く出来れば、更によい演奏会になったと思います。

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観劇日:2002年5月1日
入場料:4725円 D席 4F2列27番

新国立劇場主催

字幕つきドイツ語(原語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「サロメSALOME
台本:ヘドヴィッヒ・ラッハマン

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:児玉宏  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:アウグスト・エヴァーディング  演出補:ヘルムート・レーベルガー
装置・衣裳:イェルグ・ツィンマーマン  振付:石井清子

舞台監督:大澤裕 

出演者

サロメ :ジャニス・ベアード
ヘロデ :ヴォルフガング・シュミット
ヘロディアス :小山由美
ヨハナーン :青戸知
ナラボート :水口聡
ヘロディアスの小姓 :森山京子
2人の兵士1 :志村文彦
2人の兵士2 :鹿野由之
5人のユダヤ人1 :経種廉彦
5人のユダヤ人2 :羽山晃生
5人のユダヤ人3 :九貫達也
5人のユダヤ人4 :大野光彦
5人のユダヤ人5 :大久保光哉
2人のナザレ人1 :工藤博
2人のナザレ人2 :小貫岩夫
カッパドキア人 :今尾滋
奴隷 :小林菜美

感想

 サロメは、リヒャルト・シュトラウスを代表するオペラ作品ですが、普通のオペラと比較した時、オーケストラの重要性を感じさせられる作品です。イタリアオペラは、しばしばピアノや電子ピアノの伴奏で舞台演奏が行われますが、「サロメ」でそれをやったら「サロメ」でなくなります。サロメは、4管の大オーケストラ曲として演奏されてこそ、「サロメ」です。もっと有体に言ってしまえば、「サロメ」は歌つきの単一楽章の交響詩です。それだけオーケストラの重要性が高い作品だということになります。

 その意味において、「サロメ」演奏のキーマンは指揮者です。指揮者がこのオペラをどのように演奏しようとするかが、この作品の成否に大きく影響するものと思います。しかし、児玉宏の指揮は、指揮者の構想があまり明確に示されないものでした。聴いていて、全体の統一感・一体感が弱いのです。結末に向けて、どのように盛上げて行くのかがはっきりとは見えませんでした。

 また、東フィルの演奏も、ここそこに魅力はあるのですが、一方において、弦がざらついたり、木管が音をはずしたりして興ざめになる部分が少なくなく、作品の統一感を形成する精密さに欠けているように感じました。

 その中で、歌手は概ね頑張っていたと申し上げてよいのではないでしょうか。ジャニス・ベアードのサロメは、ドラマティックな歌いぶりが良かったのですが、それ以上に、演技・表情にサロメの狂気を十分に示していて、秀逸でした。ことにヨハナーンの首を得てからの表情・演技がエロティックでよいと思います。七つのベールの踊りの振り付けは、取りたてて好悪の意見はありません。

 ヨハナーンを歌った青戸知も、朗々とした歌いっぷりで魅力的でした。堂々としており、演技も予言者の威厳が備わっているようで良かったと思います。ただし、マイクを使った井戸の中からの声と、マイクを使用しない舞台上の声では、マイクを使った方が明瞭にきこえました。水口聡のナラボートも良かったと思います。青戸ほどの魅力はなかったのですが、サロメの魅力に惑わされる男の弱さを十全に表現していたと思います。

 本日一番の聴きものは、ウォルフガング・シュミットのヘロデ王でした。ドラマティック・テノールですが、声自身に魅力があります。その声を使って、サロメに横恋慕して、その魔性に翻弄される弱い男の心情を余すことなく伝えており、ブラボーでした。サロメの魅力に惑わされて7つのベールの踊りを頼む所も、ヨハナーンの首を欲しがるサロメをオロオロしながらなだめる所も良かったです。

 小山由美のヘロディアスもヒステリックな表情を上手く出していました。その他の脇役陣もそれなりに好演。でも作品全体の感想としては、イマイチの感を拭い切れません。演奏全体として精緻さに欠けており、音楽全体が散漫な印象です。そこが残念です。

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観劇日:2002年5月8日
入場料:D席 5670円 4FR8列1番

新国立劇場主催

オペラ3幕、字幕付原語上演
プッチーニ作曲「トスカ」
(TOSCA)
原作 ヴィクトリアン・サルドゥ
脚本 ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指揮:アルベルト・ヴェロネージ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤洋史
児童合唱:多摩ファミリーシンガーズ  児童合唱指導:高山佳子
字幕:田口道子  舞台監督:菅原多敢弘
演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ  美術:川口直次
衣装:ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ  照明:奥畑康夫

出演者

トスカ     :ノルマ・ファンティーニ
カヴァラドッシ :ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
スカルピア   :カルロ・グエルフィ
アンジェロッティ:長谷川 顯
スポレッタ   :市川 和彦
シャルローネ  :久保 和範
堂守      :築地 文夫
看守      :中村 靖
羊飼い     :岡山 美幸

感想

 自分の中で「トスカ」は好きになれないオペラです。プッチーニのヴェリズモ風の音楽もどこか趣味ではありませんし、登場人物にも共感をもてない。見せ掛けのリアリズム、という感じも受けます。でも、世の中、トスカの好きな方が大変多いようです。この公演も大ブラーヴォが飛んでおりました。

 トスカ嫌いが客観的に考えた時、あれほど熱狂的なブラボーが出るほどの名演だったかというと、私は首を傾げざるを得ません。低水準な演奏ではなかったにせよ、聴き手を熱狂的にさせるような高レヴェルの演奏だったとはとても思えません。アラが数多く認められました。

 それでも、主役のファンティーニは、良かったと言うべきなのでしょうね。演技がまずよかった。第1幕の嫉妬深い歌姫の演技も、第2幕のスカルピアとのやりとり、第3幕のカヴァラドッシを助けにいくときの表情も、その場その場に適切にあっており、緊張感が持続しておりました。歌も中声部に密度があって、存在感があり艶やかで良かったと思います。第1幕のカヴァラドッシとの愛の二重唱や、第2幕のスカルピアとのやりとりなどは、秀逸です。しかしながら、この方、高音は駄目な歌手ですね。以前、「仮面舞踏会」のアメーリアでも高音が出なかったのですが、今回も「歌に生き、恋に生き」の最高音は確実に下がっていましたし、第3幕にも変なところがありました。

 カヴァラドッシのラ・スコーラは感心出来ませんでした。「妙なる調和」では声の荒れをしっかりと示してくれました。高音がまともに出ないです。中声部はそこそこで、最後は思いっきり延ばしてブラボーを貰っておりましたが、あのように高音部がかすれた歌唱にどうして熱狂的なブラボーを飛ばせるのか、よく分りません。「星は光ぬ」は、第1幕よりはずっとマシでカヴァラドッシの線の細さも表現してなかなかよかったのですが、最高レベルとはとても申し上げられないと思います。

 主要3役の内で、声に最も魅力があったのはグエルフィのスカルピア。非常にハリのあるバリトン、実に立派でした。でも反対に、歌唱が立派過ぎで、スカルピアの冷酷非常でかつ女好きの雰囲気が充分に出ていなかったのが残念です。ラ・スコーラとグエルフィを聴いていると、どうみてもグエルフィの声に軍配が上がります。何故、トスカがカヴァラドッシを棄ててグエルフィになびかなかったのかが不思議なくらいです。そうすると、キャスティングに問題ありということかも知れません。

 脇役陣では、スポレッタの不気味な感じをよく出していた市川和彦と堂守の築地文夫が良かったです。

 指揮者は若手のアルベルト・ベルネージ。非常に活発な指揮ぶりで、若々しく推進力のある演奏で、なかなか良かったのではないかと思います。いつも批判の対象となる東フィルですが、細かいところには問題があるにせよ、大枠ではいい演奏だったと申し上げてよいでしょう。

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観劇日:2002年5月29日
入場料:A席 10000円 1F17列6番

東京室内歌劇場主催(第34期100回公演)

オペラ2幕、字幕付原語上演
サリエリ作曲「ファルスタッフ」(または3つのいたずら)
(FALSTAFF ossia Le Tre Burle)
原作 ウィリアム・シェイクスピア
脚本 カルロ・ブロスペロ・フランチェスキ

会場 紀尾井ホール

指揮:千葉芳裕  管弦楽:東京室内歌劇場チャンバーオーケストラ
合唱:東京室内歌劇場アンサンブル  
演出:鈴木敬介  美術:大沢佐智子
衣装:小野寺佐恵  照明:中山安孝
舞台監督:小栗哲家/南清隆

出演者

ファルスタッフ :小鉄 和広
フォード夫人  :田島 茂代
スレンダー夫人 :寺谷千枝子
フォード氏   :経種 廉彦
スレンダー氏  :藪西 正道
ベティ     :高橋 薫子
バルドルフォ  :山口 俊彦

感想

 シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』を原作にしたオペラは11本ありますが、普段演奏されるのはニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』とヴェルディの『ファルスタッフ』。サリエリの『ファルスタッフ』はほとんど無名です。日本では、1988年に高橋英郎率いるモーツァルト劇場が、東京グローヴ座の柿落としのコンサートの一環として、初演していますが、今回の東京室内歌劇場の公演は、それ以来のもので、私は初耳です。作品自身の面白さは、オペラ400年の歴史の最高傑作の一つであるヴェルディの『ファルスタッフ』を知っている身からすると、相当落ちると言わざるを得ません。勿論、ロココ時代の優美なオペラ・ブッファとしての味わいはあって、形式を重視して軽やかに且つ優しく上演すれば、きっと楽しいオペラなのではないかと思います。

 こういう書きかたをするのは、今回の上演は、端的に言えば、中途半端なドタバタに終っていると思えてならないからです。もっとドタバタに徹すれば、別の味わいが出てくると思うのですが、そこまでは徹底していないし、ロココ的軽みと優美さという点でも不十分です。結局、音楽的方向性も演出上の方向性もよくわからない、というのが実感です。指揮者は、若杉さんのピンチヒッターで立った若手の方で、彼の音楽的センスで、このオペラを統率することを求めるのは無理なのかも知れません。特に前半は、歌手の皆さんの固さがとれておらず、ギクシャクしたところも見えました。

 タイトルロールの小鉄和広。この方は声は良く響いており、なかなか素晴らしい歌唱だったと思うのですが、いかんせん、演技がつまらない。ファルスタッフという特徴的なキャラクターを唯のコメディアンに貶めてしまった、と申し上げましょう。下品で尊大だけれども、どこか憎めないキャラクターとしてのファルスタッフが見えてこないのです。勿論、ブッファですから、ファルスタッフを典型的バッソ・ブッフォとして描くという方向に持っていくやり方もあると思います。でも、バッソ・ブッフォとしてみても中途半端。演技がこなれていないのです。そんな訳で、どうも感心できなかったと言うことになります。歌は良かったので、残念です。

 山口俊彦のバルドルフォ。こちらは演技は控えめにやれば良いですから、歌だけのイメージですが、良かったと思います。主人に対するぼやきがなかなか秀逸でした。藪西正道のスレンダー。こちらは賢者的立場ですが、落ち着いた歌いっぷりで良かったと思います。

 一方、フォードを歌った経種廉彦。この方の歌を私は買いません。まず、音程が不安定ですし、中低音に対するケアも不十分です。確かに高音部で素晴らしい部分があったのは事実ですが、全体として見た場合、彼だけ拍手をもらうというのは片手落ちと言わざるをえません。また、ロココ時代のオペラの雰囲気といちばん遠い部分に居たのが経種で、この作品の様式に向かない歌を歌った、と申し上げます。はっきりブーです。

 フォード夫人を歌った田島茂代。この方ははつらつとした歌唱が良かったです。ドイツ娘に変装して、ファルスタッフとやり合う部分などに光るものがありました。また、寺谷千枝子との二重唱は、素晴らしいアンサンブルで、大いに感心いたしました。でも、アリアは、高音の伸びが今一つでした。寺谷は、一言で言えば、声に年を感じました。本来、アリーチェとスレンダー夫人は、似たような年恰好だと思うのですが、田島と寺谷の歌を聴いていると、田島が若く、寺谷は年寄りに聞えます。勿論、ソプラノとメゾですからある程度そうなるのは仕方がないのですが、寺谷の歌は、年をとりすぎています。ベティ役の高橋薫子。歌う部分は少ないのですが、歌えば、今回一番の声でした。女性アンサンブルに入ると、彼女の声が断然前で聞こえます。流石の実力です。

 演出は、舞台上に置かれた6枚のパネルを巧く組み合わせて、各登場人物の部屋や家を描き、最後の場面の樫の木まで作って見せます。紀尾井ホールという限られた舞台空間を上手く使った演出でした。

 東京室内歌劇場第100回の記念公演だったのですが、その祝福すべき演奏会を成功裏に終らせたとは言いがたい上演でした。音楽的ベクトルが統一されていなかった演奏だったと思います。

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観劇日:2002年7月27日
入場料:7000円 C席 3FL4列10番

財団法人二期会オペラ振興会主催

平成14年度文化庁国際芸術交流支援事業
二期会創立50周年記念公演
ベルギー王立歌劇場モネ劇場提携公演

字幕つきドイツ語(原語)上演
ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガーDie Meistersinger von Nurnberg
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 東京文化会館・大ホール

指揮:クラウス・ペーター・フロール  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:クルト・ホレス  演出補・振付:クリスチャン・バッケン
美術:アンドレアス・ラインハルト  照明:ロベルト・プラウシャー
合唱:二期会合唱団/二期会オペラ研修所オペラ・ストゥーディオ本科研修生/予科研修生
合唱指揮:三澤洋史  舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

ハンス・ザックス(靴屋) :多田羅迪夫
ファイト・ポーグナー(金細工師) :池田直樹
ジクストゥス・ベックメッサー(市の書記) :大島幾雄
ヴァルター・フォン・シュトルツィング(騎士) :福井敬
フリッツ・コートナー(パン屋) :島村武男
ダーフィット(ザックスの徒弟) :経種廉彦
エーファ :佐々木典子
マグダレーネ :西川裕子
夜警 :若林 勉
クント・フォーゲルゲザンク(毛皮屋) :大野光彦
コンラート・ナハティガル(ブリキ屋) :米谷毅彦
バルヤザール・ツォルン(錫細工師) :松永国和
ウルリヒ・アイスリンガー(香料屋) :牧川修一
アウグスティン・モーザー(仕立屋) :湯川晃
ヘルマン・オルテル(石鹸屋) :太田直樹
ハンス・シュヴァルツ(靴下屋) :鹿野由之
ハンス・フォルツ(銅細工師) :谷茂樹

感想

 ワーグナーの作品は皆長大で、上演する側にも、聴く側にもそれなりの覚悟を要求しますが、「マイスタージンガー」は殊にそうらしく、有名な作品にもかかわらず、日本で上演されたのは1993年のベルリン・ドイツ・オペラの引越し公演以来です。私も録音・録画で聴いたことはあったのですが、舞台を見るのは全く初めての経験でした。

 全体として言えることは、総じて良好な演奏だったということです。出演者の方がよく練習されていたようで、まとまりの良い舞台に仕上がっていました。勿論いろいろ問題はありました。その原因は体力に帰する部分が多かったように思います。休憩も含みますが全体で6時間、普通のオペラの二本分です。それを同じコンディションで歌いきることは、日本の第1線の歌手でもなかなか大変なのでしょうね。

 音楽的統一感の立役者は指揮者のクラウス・ペーター・フロールです。私は、彼がN響に客演した時の演奏を何回か聴いていますが、強い印象を与える指揮者ではなかったように覚えています。それに対して、今回の演奏は指揮者がぐいぐい引っ張って行くところが要所要所で見られて、そこが、全体の推進力に寄与していました。第1幕の前奏曲では、東フィルの音がざらついていて、管は危ない部分があり、こりゃどうなることかと心配したのですが、幕が上がるとうまく立ち直り、オケの演奏は尻上りに良くなって行ったように思います。フロールは、第3幕にオペラの頂点をもって行こうとして、そのようにオーケストラをドライブしていました。一方で、演奏の盛りたて方にあざとい部分もあり、そのあざとさをどう見るかで、この演奏への評価が変わるのではないかという気がいたしました。

 歌手でまず第一に挙げなければならないのは主役の多田羅迪夫です。多田羅迪夫はオーケストラとの共演で何度も聴いてきましたし(クラウス・ペーター・フロールの指揮で歌ったモーツァルト・レクイエムも聴いています)、オペラも聴いたことがありますが、主役で長時間歌うのを聴いたのは初めてのことでした。華やかなバリトンというイメージがあったのですが、今回も清々しいバリトンで、魅了してくれました。ワーグナーの主役としては線が細い気もいたしますが、何もそういう評価基準を前面に出すこともないでしょう。第2幕の「ザックスのモノローグ」がまず良かった。また、第3幕の最初の「迷妄のモノローグ」もまた非常に考えられた歌唱で、感心しました。全体として存在感が一貫しているのも良いところです。第3幕最後の歌合戦の場では、さすがに疲れたらしく、第3幕前半までの余裕のある歌唱ではなく、ぎりぎりのところで歌っていたようですが、大きな破綻もなく纏め上げました。

 ベックメッサーの大島幾雄も良かったです。ベックメッサーは、敵役で道化役、笑われるために存在するわけですが、大島は、ベックメッサーの頭の固さと余裕の無さとを、コミカルな演技と歌唱で示してくれました。歌合戦の場で、皆に馬鹿にされ、散々な思いで逃げ去る場面など、さすがだと思います。ヴァルターの福井敬も流石です。いつもの様に、終始一貫して流石といえる歌唱ではなく、一寸きついところもあったのですが、聴かせ所はぴしりと決めてくれました。第1幕の試験の部分もさることながら、第3幕で歌う「朝の光はばら色に輝き」は、響きといい、音程といい、実に良かったです。

 ダーフィットの経種廉彦。先日の「ファルスタッフ」は様式に合わない、音程も不安定と批判しましたが、今回のダーフィットはずっと良かったです。一部無理をした部分もあったのですが、全体として素直な歌唱でオペラの引き立て役を十分に果していたと思います。池田直樹のボーグナーの存在感。島村武男のコートナー。それぞれ、必要にしてかつ充分な歌唱。満足です。

 女声陣も良好と申し上げます。佐々木典子がエーファとして似合っているのかどうかという点について、自分ではよくわからないのですが、悪い歌ではなかったです。ヴァルターとのからみよりも、ザックスとの第2幕の絡みが良かったです。西川裕子のマグダレーネも特に不満はありません。総勢200人にもなる登場人物は、それぞれに役目を果し、オール日本人キャストで行われた2度目の「マイスタージンガー」を成功に導いたと申し上げましょう。

 と言う訳で、上質な上演だったと思うのですが、不満もあります。まず第一に、舞台装置が結構ちゃちだったこと。モネ劇場との提携公演ということで期待していたのですが、さほど上質には見えませんでした。例えば、床は最初から緑に塗られておりました。歌合戦の場は河原ですからそれでも良いのでしょうが、第1幕からだと一寸という気がいたします。また、第3幕の書き割りも、いかにも安っぽいのですね。また、第1幕では舞台裏の照明を暗幕できちんと隠さなかったので、その光が字幕の後から照らされ、字幕が見え難いこと。私は字幕を丹念に追いながらオペラを聴いているわけではないのですが、たまに見るときに読めないのは、妙に気になりました。

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観劇日:2002年7月29日
入場料:C席 8000円 4F1列25番

2002年日韓国民交流年記念事業
平成14年文化庁国際芸術交流支援事業
日韓芸術推進オペラ公演

藤原歌劇団・韓国オペラ団公演

オペラ2幕、字幕付原語上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」
(MADAMA BUTTERFLY)
台本 ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指揮:チョン・ミョンフン  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川貢

演出:ロレンツォ・マリアーニ  装置:マウリツィオ・バロー
衣装:コシノジュンコ/マウリツィオ・バロー
(ピンカートン・シャープレス・ヤマドリ・ケイト)  
照明:グイド・レーヴィ  舞台監督:菅原多敢弘

出演者

蝶々夫人  :中村 智子
ピンカートン:マルチェロ・ジョルダーニ
シャープレス:ホアン・ポンス
スズキ   :森山 京子
ゴロー   :市川 和彦
ボンゾ   :妻屋 秀和
神官    :於保 郁夫
ヤマドリ  :チョン・ヒョシク
ケイト   :菅家 奈津子

感想

 私が一番嫌いなオペラであると広言している『蝶々夫人』ですので、どうしても行きたいと言う訳ではなかったのですが、チョン・ミョンフムが振るとなれば、聴き逃すわけにはまいりません。という訳で、行って来たのですが、全体の感想を端的に言ってみれば、『良い演奏だった。けれども、私の蝶々夫人嫌いが治るほどは良くなかった』、というのが私の本音です。

 チョン・ミョンフムの演奏は、良かったことは間違いありません。精妙で且つ抑制された表現。しかしながら、要所要所で光る彼の音楽的情熱とセンス。聴き手を引きこんで飽きさせないだけの音楽的充実があったと思います。東京フィルハーモニー交響楽団も、チョンのその棒にしっかりとくっついていて、弦の音など、これが東フィルの音?と思うような深い音(太くはない)を出しておりました。チョンは、プッチーニのお涙頂戴的要素を敢えて抑制することによって、プッチーニの音楽の特徴を描こうとした様です。それは恐らく大成功だったといえるのでしょう。舞台が赤と黒と白を基調にした割とシンプルな舞台であったことも、この音楽の作りとマッチしていたように思いました。

 しかしながら、これまでチョン・ミョンフムの情熱溢れる演奏に共感を覚えて来た聴き手にとって、この行き方は、違和感を感じたことも否めません。N響のヴェルディ「レクイエム」や、東フィル・オペラコンチェルタンテ「魔弾の射手」で見た剥き出しのパッションは今回はありませんでした。チョン・ミョンフムの幅の広さを見せてくれた、という点で勿論意味があるのですが、私の本音としては、もっと情熱を前面にだしながら、けれどもお涙頂戴にならないような(即ち、古いプッチーニの像を破壊するような)演奏をして欲しかったです。

 中村智子は、前述のN響「レクイエム」の時のソプラノで、そのときの歌は、とても素晴らしいものがあったと記憶しております。今回、チョン・ミョンフムの指揮で日本のオペラデビューを飾れたのは、そのときの好演から、チョンが引っ張ったのではないかと推測しています。期待していたのですが、ベストとは言えないものでした。彼女のこれまでのレパートリーから見ると、蝶々夫人が一番重い役で、そもそも向かないのではないかという気がいたしました。第1幕最後の二重唱がイマイチでしたし、2幕の後半も余裕がなくなっていました。最大の聴かせ所「ある晴れた日に」はちゃんと歌っていて良かったのですが、聴き手を自分の土俵に引きこむ小技がないのです。だから、上手だとは思うのですが、感動できないのです。でも蝶々さんの日本婦人的矜持を巧く描いていて、好感を持ちました。

 ピンカートンは今回の歌手の中で最悪でした。中低音の汚さには閉口させられました。軽薄な雰囲気が出ていたのは良かったのですが。ブーが飛ぶのは仕方がないところです。

 ホアン・ポンスのシャープレス。歌手の中では一番良かったです。人のよさそうな領事役を絶妙に演じておりました。このプログラムの一番の聴き所でした。ポンスの次に良かったのは、スズキ役の森山京子。かつての強引な感じがなくなって、自然なスズキで良かったと思いました。「花の二重唱」では、ソプラノよりも良かったかもしれません。その他の脇役の面々。特にコメントはありません。

 ロレンツォ・マリアーニの演出。シックで良かった。一貫して暗いトーンで、そこに浮かぶ蝶々さんの赤。この赤こそ、蝶々さんの情熱とエロスの表出です。舞台全体を赤い縁取りの箱の中の空間にし、その閉鎖的空間が蝶々さんの心であり、その縁取りの赤こそが蝶々さん心理理的強さを暗示します。反対に巨大な椅子と巨大な障子はピンカートンの象徴なのでしょう。その心理的対比を舞台の上で見せ、さらに、ピンカートンが戻って来た時に壊してみせる技など、好き嫌いを別にすれば、感心できる舞台でした。

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観劇日:2002年9月3日
入場料:8000円 C4-2

会場:新国立劇場・小劇場

東京室内歌劇場主催(第34期101回公演)

オペラ1幕、字幕付原語上演
プーランク作曲「声」
(La Voix Humanie)
台本 ジャン・コクトー

ピアノ:河原忠之  

出演者

女 :高橋薫子
助演:室井真希

オペラ3幕、字幕付原語上演
ミヨー作曲「哀れな水夫」
(Le Pauvre Matelot )
台本 ジャン・コクトー

指揮:佐藤功太郎  管弦楽:東京室内歌劇場オーケストラ

出演者

水   夫:経種廉彦
そ の 妻:岩井理花
その 父親:堀野浩史
水夫の友人:多田康芳

両作共通

演出:中村敬一  美術:いむらさつき
衣装:前岡直子  照明:山本英明
舞台監督:大澤裕

感想

 東京室内歌劇場の通算101回目の上演は、「ジャン・コクトー−オペラ二題」と称して、プーランクの「声」とミヨーの「哀れな水夫」というコクトーが台本を書いた2本のオペラを上演しました。「声」はしばしば上演されるのですが、「哀れな水夫」は、1975年に同歌劇団が日本初演して以来の演奏でした。私にしてみれば、両方とも初めて実演を聴くものです。「哀れな水夫」に至っては、今回初めてタイトルを知ることができました。

 そういう人間の感想ですから、印象以外の何物でもないのですが、「声」は、なかなか魅力的な演奏でした。歌った高橋薫子は、これまで娘役を得意とするリリコ・レジェーロ・ソプラノで、私の聴いた中では、アディーナ(愛の妙薬)、ロジーナ(セヴィリアの理髪師)、ツェルリーナ(ドン・ジョヴァンニ)などに卓越した技量と才能を示してきました。そんな彼女が「声」の女のように、薄幸の女性を歌う。本当にマッチするのかとちょっと心配して行きました。しかし流石です。「歌」という観点に絞れば、非常に魅力的で、表情豊かな「女」を演じてくれたのではないかと思います。こういう言い方をすると失礼かもしれませんが、これまで女性的色気を感じたことのなかった高橋さんに歌唱表現だけで「女」を感じました。演技もそこそこ魅力的だったと思いますし、男に振られた女性のいじらしさも表出されていたのではないか、と思います。

 しかし、それでも十全な演奏だったか、と問われれば、課題も多かったというのが妥当なところだと思います。一つは、高橋の問題というよりキャスティングを含めた演出側の問題だとも思うのですが、オペラの部分が勝ってしまっている気がするのです。「声」という作品は、既にあった演劇作品に後から音楽をつけたものですので、私は音楽が演劇に奉仕しなければならないと思うのです。そのような視点で見たとき、演技が音楽に負けているように感じました。言いかえるならば、高橋の才能で表現する部分は、私には文句なしで、スピントのかかった高音なども素晴らしく、音楽的真実と文学的真実とが一致しており、非常に満足すべきものでしたが、一方で、彼女の努力で維持する部分は、まだブラッシュ・アップの余地が残されているということです。例えば、フランス語の発音です。私はフランス語が全く分らないので、的外れなことを申し上げているかもしれませんが、かつてフランス映画をよくみていたころ、スクリーンの向こうから聞えていた声と比較すると、彼女の発音に日本人を感じてしまいました。

 高橋薫子も30代後半になり、これまでのスープレットから役の幅を広げたいという意図があってのチャレンジだったと思います。その意気やよし、です。11月には、彼女は自分のリサイタルで「声」を再演するそうですが、今回の反省点を踏まえて、更に一段上の「声」を聴かせて頂けると思います。期待しています。

 「哀れな水夫」は、流れる音楽が美しく、描かれている内容とのギャップが面白い。実際にあった事件を元にした「ヴェリズモ」オペラだそうですが、おはなしにうそ臭さを感じます。このうそ臭さ、が今回私にとってのキーワードでした。音楽にも演技にも真実を感じられないのです。お話は、15年ぶりに成功して家に戻ってきた水夫が、妻を驚かせるために友達に成りすまして、「私は成功したが、夫は貧乏である」とうそをつきます。妻は、貧乏と言われた本当の夫のために、この本物の夫を殺して金品を奪う、というものです。

 しかし、この状況設定自身がかなりうそ臭い。15年もの間、夫を待ちつづけているのに、帰って来た夫が全く分らないというのにも無理があるし、逆に生死不明の夫を本当に15年も待てるのか、という問題もあります。そのうえ、主人公の水夫はテノール役です。ミヨーは、45歳の中年男をテノールが歌うのに、無理はないと思ったのでしょうか?そう思うと、ミヨーは「ヴェリズモ」オペラのスタイルを取りながら、それをパロディにしようと思ったのかも知れません。

 とするならば、主人公の水夫を歌った経種廉彦の歌は、作曲者の意図にある程度合致していたということが出来ると思います。彼のむきになった歌いっぷりは、この水夫が45の中年男ではなく30前の青年にしか私には聞けませんでした。一方、岩井理花の歌は、一寸けだるくて、40過ぎの15年間夫を待ってきた女に丁度あっていたと思います。これまで聞いてきた岩井さんとは一寸異なっているので、それなりに面白かったです。しかし、このテノールとソプラノの表現のベクトルは異なっています。そのせいか、見ていて舞台が求心して来ない。そこが残念です。堀野、多田の二人の助演者は悪くなかったと思います。

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観劇日:2002年9月5日
入場料:D席 5670円 4F L6列4番

新国立劇場主催

オペラ3幕、字幕付原語上演
ヴェルディ作曲「椿姫」
(La Traviata)
原作 アレキサンドル・デュマ・フィス
脚本 フランチェスカ・マリア・ピアーヴェ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指揮:ブルーノ・カンパネッラ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:及川貢

演出:ルーカ・ロンコーニ  装置:マルゲリータ・パッリ
衣装:カルロ・マリア・ディアッピ  照明:セルジオ・ロッシ
振付:ティツィアーナ・コロンボ  演出補:ウーゴ・テッシトーレ
舞台監督:
大仁田雅彦

出演者

ヴィオレッタ  :アンドレア・ロスト
アルフレード  :マッシモ・ジョルダーノ
ジェルモン   :アントニー・マイケルズ・ムーア
フローラ    :永田 直美
ガストン子爵  :中鉢 聡
ドゥフォール男爵:彭  康亮
ドビニー侯爵  :田島 達也
医師グランヴィル:池田 直樹
アンニ−ナ   :家田 紀子
ジュゼッペ   :於保 郁夫
使者      :立花 敏弘
召使い     :黒田 諭

感想

 今年1月の藤原の「椿姫」において、これは「椿姫」ではなく、「ジェルモン」だ、と書きましたが、本日の「椿姫」は「椿姫」でした。プリマ・ドンナ・オペラとしての「椿姫」の魅力が十全に示された演奏だったと思います。これまで新国立劇場では「椿姫」は上演されてこなかったわけですが、2002/2003シーズンの冒頭にプレミエを持ってきて、演出がルーカ・ロンコーニ、指揮がカンパネッラと言えば、新国の意気込みも分ろうかというものです。

 ロンコーニの舞台というので、かなり独創的なものを予想して行ったのですが、どちらかといえばオーソドックスでわりと上品なもの。舞台奥の壁にはどの幕も色を投影するのみで、その色がビオレッタの心象風景を表しているのかも知れません。実をいうと、舞台奥の壁に彩色がないのが3幕で、初めて気がついたので、違うかもしれないのですが。また、舞台の一番前には降りない幕が掛かっていて、1,2幕は左から右へ垂れ下げ、3幕では右から左へ垂れ下げていたのですが、これも何か意味があるのでしょうね。それ以外の舞台装置は、舞台の真ん中のレールに乗って左右に動き、早い場面展開を行っていました。

 カンパネッラの音楽の作りは、割りとゆっくりめの演奏で、部分的には間延びしているようにきこえる部分も有りました。そのため、歌手の歌のスピードと微妙にずれが生じ、第1幕の「乾杯の歌」の後では、一瞬音楽が途切れていました。また、オーケストラには強い演奏を要求したようで、部分部分でオケの音が強すぎて、歌の微妙な表現が聞こえないことがありました。「ああ、そは彼の人か」の部分のクラリネットがその典型です。

 一方、ロストのヴィオレッタは、とても素晴らしいものがありました。一番の聴かせ所である「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」は完璧な歌唱。情感に富み、音程も正確でビブラートも適当、文句なしです。第2幕のジェルモンとの二重唱も切なさがストレートに表現されていて共感を覚えました。この二重唱では彼女の歌に「泣き」が入るのです。この「泣き」は、私の好みではないのですが、これがいい、と思われる方は多いのではないでしょうか?第3幕の「さよなら、過ぎ去った日々」も「パリを離れて」も水準を越えた名唱。流石と申し上げるのが一番適切でしょう。

 ジョルダーノのアルフレードは、1月の藤原でも聴いていますが、そのときよりはかなりマシでした。1月は、かなり平板な歌いっぷりで、アルフレードの軽薄さばかりが目立っていたのでしたが、今回は歌に内容を感じました。ただし「乾杯の歌」はロストと息が合っていなかったようで、及び腰の歌唱。その上、最後は一瞬音楽が途切れさせました。しかし、その後は順調。彼の歌の特徴もまた、歌に泣きが入るところです。ですから、2幕、3幕のロストとの二重唱では、妙にマッチするのですね。

 ジェルモンのマイケルズ・ムーアは良かったです。「プロヴァンス」は流石の名唱と申し上げます。でも、私は、1月の藤原歌劇団でジェルモンを歌った堀内康雄の歌に軍配を上げます。第2幕のヴィオレッタとの二重唱で、ヴィオレッタに身を引かせる説得に、真実を感じさせないのですね。そこがもう少しよければ、相手がロストですから、もっと共感出来たに違いありません。

 他の脇役陣では、フローラの永田直美がやや不調。アンニーナの家田紀子はあんなものでしょう。男声陣は、みな自分の役割を上手く果していたと思います。

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観劇日:2002年9月7日
入場料:D席 2950円 4F C1列40番

NHK交響楽団第1466回定期演奏会

オペラ3幕、日本初演/演奏会形式・字幕付原語上演
シマノフスキ作曲「ロジェ王」(Krol Roger)
脚本 ヤロスロー・イワシュキエヴィチ、作曲者

会場 NHKホール

出演者のクレジット及び感想はこちら

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観劇日:2002年9月13日
入場料:3780円 D1列1番

新国立劇場主催
小劇場オペラ#8

オペラ2幕 字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「なりゆき泥棒
台本:ルイージ・プリヴィダーリ 

会場 新国立劇場・小劇場

指揮:佐藤 宏  管弦楽:新国立小劇場オペラ・アンサンブル
フォルテピアノ:金井紀子
演出:恵川智美  装置:荒田 良
衣装:半田悦子  照明:成瀬一裕
舞台監督:村田 健輔 

出演者

ドン・エウゼービオ 大野 光彦
ベレニーチェ 大川 繭
アルベルト伯爵 上原 正敏
ドン・パルメニオーネ 田辺とおる
エルスティーナ 橋本 恵子
マルティーノ 羽渕 浩樹
助演 林 直美
助演 井田直樹/原弘

感想

 丁度10年前の「東京の夏音楽祭」で、「なりゆき泥棒」は日本で初演されました。私はその公演を聴いているのですが、出演者は、五郎部俊朗、福島明也、斉田正子、近藤伸政、岩森美里、岡山広幸というメンバーで、なかなか素敵な舞台だったというイメージが残っています。本日の上演は、10年前の舞台と比較すると、正直もうして、歌手は小粒だと思いますが、演出や音楽の作り、その他を含めた総合点では、10年前に決して引けをとらない上演だったと思います。

 まず、佐藤の指揮がわるくありませんでした。10年前は松尾葉子でしたが、松尾の指揮は切れが悪く、何となく重くなってしまうのです。それに対して、佐藤の指揮は、取りたてて特徴があるわけではないのですが、ロッシーニの推進力を鈍らせるような感じはなく、若いロッシーニの才覚を楽しむのには十分だったと思います。恵川智美の演出は、低予算をうまくやりくりして、面白い舞台を作っていたように思います。水色を基調とした舞台に4つのドア付きの扉と、ドアなしの開口部。ドアと開口部で囲まれた舞台の中央部が室内を表わし、歌はそこで歌われます。しかし、ドアと開口部で囲まれた部分の外も舞台の上。歌こそ歌われませんが、着換えを見せたり、助演のメンバーがくすぐりをいれたり、膨らみがあります。また、天井には雲をぶら下げ、一番前の雲に字幕を写してみせる。ロッシーニの才気と恵川の才気がぶつかっていて、私は楽しめました。

 それにしても、ロッシーニの音楽は素晴らしいと思います。後年のセヴィリアの理髪師などの作品を彷彿させられる部分が多いのですが、類型的であるというよりも、むしろロッシーニの天才ぶりをストレートに感じられて気持がいいです。私は個人的な事情で、気分が晴れないまま劇場に出向いたのですが、ロッシーニの若さと軽みの溢れた音楽を聴いているうちに、元気になってきました。

 歌手は若い方が多かったのですが、概ね良好、みな、一寸緊張ぎみで、リラックスした歌唱ではなかったのですが、正確で端正な歌を歌った人が多かったです。特にアンサンブルが良好、一幕のフィナーレの六重唱、ニ幕のフィナーレの六重唱、共に良かったです。

 ベレニーチェの大川繭は、大劇場で歌えるだけの声の強さを持っているかどうかは疑問でしたが、小劇場空間の中では十分な力量がありました。アジリダが正確で音程もよく、声質も素敵でした。登場のアリアも良かったのですが、第2幕のアリア「あなた方は花嫁を求め」は端正でかつ細やかなところも手を抜かずにきちっと歌っていて、ブラーヴァでした。一方、上原正敏のアルベルト伯爵は、キャスティングのミスでしょう。ロッシーニ・テナーとしては声が重すぎます。一所懸命であるところは買えるのですが、モタッとしていて歌の切れが悪いのです。10年前の五郎部さんのようなレジェーロ・テノールは、日本にはいないのでしょうか?

 田辺とおるは、声も悪くはないし歌にめりはりもあります。舞台慣れをしていて動きもスムースで、堂々たるドン・パルメニオーネでした。しかし、ところどころで舞台ずれしているのが感じられ、歌いまわしに妙なくせがあります。一寸したところなのですが、全体が初々しかったので、違和感を覚えました。橋本恵子のエルネスティーナ。良かったです。艶のあるアルトで声に魅了されました。アンサンブルでの参加が多いのですが、誰と歌っても存在感があって、それでいてでしゃばってこない、私はとても気に入りました。

 羽渕浩樹のマルティーノ。演出上、稲妻に追いかけられたり、舞台の主筋とは異なったところでいろいろ追い回されていて、面白かったのですが、歌もよかったです。本日登場の男声の中では掛け値なしにベスト。第2幕のドン・エウゼ−ビオに追求されて歌うアリア「私の主人の正体は」は、回りから追いつめられて切羽詰って歌う感じがありながら、朗々とした歌いまわしでおおいに感心いたしました。大野光彦のドン・エウゼービオは、アンサンブル中心の参加で、余り目立ちませんでした。

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観劇日:2002年9月20日20:00〜
座 席:4Fリング M109 25ドル

ニューヨーク・シティオペラ 

オペラ2幕 英語字幕付き原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」K.527
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:ニューヨーク州立劇場

指 揮:ジョージ・マナハン
管弦楽:ニューヨーク・シティオペラ管弦楽団
合 唱:ニューヨーク・シティオペラ合唱団
演 出:ハロルド・プリンス
装 置:アルバート・シェアマン
衣 装:ロルフ・ランゲンファス
照 明:ケン・ビリングトン
振 付:スーザン・ストローマン
合唱指揮:ゲリー・トア・ウェドゥ
舞台監督:スーザン・ウェラン、カレン・フェデリング、ノア・シュピーゲル

出演:

ドン・ジョヴァンニ :メル・アーリック
騎士長 :ダニエル・ボロウスキー
レポレロ :ケビン・バーデット
ドンナ・アンナ :パメラ・アームストロング
ドン・オッターヴィオ :ジョン・テシエ
ドンナ・エルヴィラ :マーキッタ・リスター
ゼルリーナ :リナ・シャハム
マゼット :スコット・アルトマン

感想
 
ニューヨークは私の好きな町ではないのですが、オペラの魅力は東京より数段上だと思います。9月から5月まで連日行われるメトロポリタン歌劇場。METの華やかさは、さすがアメリカと思わずにはいられません。私は、可能であるならば是非METに行きたいと思うのですが、今回の出張は、タッチの差でMETのオープニングに間に合わず、春と秋に公演を行っている、ニューヨーク・シティオペラを見てまいりました。ニューヨーク・シティオペラは、METよりも庶民的で、素朴で、出演する歌手もこれからキャリアを積んでいく人が多いとはよくいわれるところですが、確かに来ている観客の顔ぶれは若い人やお年寄りが多く、社交のために来ている人は少ない、そういった感じでしたし、舞台も決して粗末なものではありませんでしたが、METとは違うのでしょう。

 最も重要な音楽の質ですが、これは率直に申し上げて、大してよいものではなかったと思います。所詮は二流です。

 まず、指揮者が全然駄目です。彼はチェンバロを弾きながら指揮もするというスタイルで演奏していましたが、そんなことをやっていていいのかしら、と思いました。私はマナハンという指揮者をはじめて聴くのですが、要するに音楽に対する踏み込みが甘い。ですから音楽に切れがなく、ドン・ジョヴァンニの音楽が本来内包する激しさや毒が全く感じられないのです。ただ棒をふってテンポを合わせているだけ、と申し上げたなら、言い過ぎでしょうか?

 歌手も総じて小粒です。このレベルならば、日本人歌手にももっと上手な方がいくらでもいるというような感じです。

 その中で相対的によかったのが男声。ドン・ジョヴァンニを歌ったアーリック(ドイツ語読みならウルリッヒ)は、歌に貫禄がなく、所々平板になるので、長年貫禄のあるドン・ジョヴァンニを聴きつづけて来た身としては一寸物足りないのですが、歌それ自身は正確で声も張りがあってよく通り、なかなかよかったのではないかと思います。見た目にスマートでルックスもよく、これならなびく女性がたくさんいてもいいのかなとも思いました。

 騎士長のボロウスキー。この方はよかったです。迫力のある低音で、二幕のフィナーレをしっかりと締めてくれました。バーデットのレポレロもなかなかよかったです。一番の聴かせどころである「カタログの歌」はもう少しけれんを持って歌っていただいたほうが楽しかったと思いますが、コミカルな動きやアンサンブルでの歌唱、共に満足です。トシエのドン・オッターヴィオ。これは明らかに二流。特別悪くはないのですが、魅力もない。昨年の新国での櫻田亮の清新な歌唱と比較すると、歌の正確さも清々しさも櫻田さんが文句なしに上です。代わりに何かトシエだけが持つ魅力があればよいと思うのですが、それもありませんでした。

 女声陣も今一つです。ドンナ・アンナを歌ったアームストロングは1幕では高音がかすれ気味で聴いていてつらいものがありました。2幕では立てなおしてきて、そこそこの歌唱を聴かせてくれましたが、私を満足させてはくれませんでした。ドンナ・エルヴィラを歌ったリスターは、黒人特有の深みのある声で、魅力のある声を聴かせてくれましたが、いかんせん、歌のコントロールが所々甘くなるのです。ですから、聞き手も声に浸りきれない。ゼルリーナも二流です。高橋薫子の素晴らしいゼルリーナを知っている身からすると、全然行き届いていない歌で、こんな程度でニューヨークでは拍手を貰えるのかと、正直不思議でした。

 演出は実にオーソドックス。カタログの歌でレポレロがカタログをドンナ・エルヴィラに巻きつけて見せるところなど、思わず笑ってしまいました。

そんなわけで、決して感心も感動もしなかった上演だったのですが、行ってよかったと思っています。オペラの観客の自然な笑いや拍手を見ながら、これがアメリカの日常のオペラの姿なのだろうと感じていました。

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観劇日:2002年9月21日13:30〜
座 席:4Fリング L24 30ドル

ニューヨーク・シティオペラ
2002年プレミエ

オペラ2幕 英語字幕付き原語(英語)上演
ジェーク・ヒギー作曲「Dead Man Walking」
台本:テレンス・マクナリー(シスター ヘレン・プレジーンの作品に基づく)

指 揮:ジョーン・デマイン
管弦楽:ニューヨーク・シティオペラ管弦楽団
合 唱:ニューヨーク・シティオペラ合唱団/ニューヨーク・シティオペラ児童合唱団
演 出:レオナルド・フォグリア
装 置:マイケル・マクガーティ
衣 装:ジェス・ゴールドステイン
照 明:ブリアン・ナサン
映 写:エリーネ・マクキャシー
音 響:ロジャー・ガンス
合唱指揮:ゲリー・トア・ウェドゥ
児童合唱指導:アンソニー・ピッコロ
舞台監督:シンディ・ナイト、サマンサ・グリーン、アンドルー・J・ポール

出演:

ジョセフ・デ・ローカー ジョン・パッカード
シスター ヘレン・プレジーン ジョイス・ディドナート
シスター ロゼ アディナ・アーロン
ジョセフの母、パトリック・デ・ローカー シェリル・ウーズ
殺された少女の父、オーウェン・ハート ロバート・オース
殺された少女の母、キティ・ハート ニコル・フォランド
殺された少年の母、ジェド・ボウヒャー ジェニファー・ロダラー
殺された少年の父、ハワード・ボウヒャー ビュー・パルマ
刑務所の教誨師、グレンヴィル牧師 デニス・ペーターセン
白バイ警官/刑務官1 ジョー・マーカス・ビンデル
刑務所長、ジョージ・ベントン ペーター・ウォルプ
 修道院長 パウラ・リスシオ
 シスター・リリアン キースティン・シャベズ
 シスター・キャサリン ジェニファー・ハインツ
 カールトン氏 ベンジャミン・カッツ
 カールトン夫人 デボラ・ウィリアムス
 刑務官2 マッソー・バーンズ
 殺された少女 アイミー・エックハート
 殺された少年 ロブ・ハンター
 弁護士補助員 ジル・ボスワース
 ジョセフの上の弟、19歳 エリック・ミレガン
 ジョセフの下の弟、14歳 ジョーニー・プライット

感想
 「Dead Man Walking」というオペラがあることすら知らず、NYシティオペラのウェブページではじめてこのタイトルを見たとき、正直申し上げて、触手が伸びませんでした。半分は時間つぶし、半分は経験ぐらいのつもりで聴きに行ったのですが,これは行ってよかったです。音楽的に非常に優れた作品であるかどうかは判断できるレベルにないので、私には分からないのですが、ドラマとして見たとき、非常によくできていると思いました。極めて精神的な内容ながら分かりやすいのです。現代米国の精神病理を描いていて興味深いものがありました。

 原作は、刑務所の死刑囚への精神的アドバイザーだったヘレン・プレジーン修道女が1993年に出版した同名の作品です。この原作はアメリカではベストセラーになったそうですが、凶悪犯罪の精神病理を取り扱った点でアメリカでは今日的課題だったのだと思われます。オペラ化はサンフランシスコ・オペラの委嘱で行われ,2000年10月7日に初演されました。このオペラ化は反響が高く、2002年にはニューヨーク・シティオペラの他、オペラ・パシフィック、シンシナティ・オペラ、オースティン・リリック・オペラ、ミシガン・オペラ・シアター、ピッツバーグ・オペラ、ボルチモア・オペラで上演されるそうです。

 オペラの粗筋を述べます。

 1980年代のはじめのある晩、ルイジアナ州の湖のほとりでハイティーンのカップルが強姦殺人されます。この犯人がジョセフとアントニーの兄弟で、二人は逮捕され、ジョセフは死刑、アンソニーは無期懲役の判決を受けます。孤児院で先生をしていたシスター・ヘレンは、ジョセフのペンフレンドになります。ジョセフは刑務所に彼女を招待し、彼女は周囲の反対を押し切って刑務所に出かけます。刑務所の教誨師や所長はジョセフが心を開かないといいますが,ジョセフは彼女を気に入り、シスター・ヘレンに死刑囚の精神アドバイザーになるように頼みます。彼女はそれを受け入れます。ヘレンは、死刑だけはしないで欲しいと頼むジョセフの母親を支えますが,殺された二人の両親からは強い反発を受けます。そして、陪審員は死刑を決定します。ヘレンは、ジョセフに罪を認め神の許しを求める事を強く勧めますが、彼は全く受容しようとしません。(以上が1幕)

 ジョセフの死刑執行日が8月4日の真夜中に決まります。独房に一人でいるとき,彼は自分の罪をじっくりと考えます。同時に、シスター・ヘレンは、夢で湖のほとりで殺されたティーン・エージャーの声を聴きます。そして、ジョセフに自分の罪を理解させ救いを与えなければならないと思います。死刑になる日の夕方、二人は面談しますが、そこで、お互いがアドバイザーと囚人の関係ではなく友人であると考えていることを知り、驚きます。ジョセフの家族が最後の面会に来ます。シスター・ヘレンはこの面会を助けます。一方殺された少年少女の両親からは、また強い反発を受けます。死刑になる直前、彼女は一人でジョセフと面談します。最後に彼は自分の罪を見とめ、電気椅子に登ります。シスター・ヘレンはジョセフが神の子であることを認め、最後に'I love you'と言い、ジョセフも'me too'といって処刑されます。彼女は、彼の遺体に賛美歌をささげます(以上が第2幕)。

 音楽は、賛美歌をベースにしたアメリカン・フォーク・ソングと心情表現で用いられる印象派的悲劇的音楽の組み合わせで比較的聴き易いものでした。オーケストラは3管の堂々としたもので、低音系の木管が活躍していた印象です。小太鼓を中心とした打楽器も要所要所でうまく用いられていました。

 演出も視覚的に非常に分かりやすいものでした。最初の殺人のシーンから、最後の死刑のシーンまで、吊り下げた大道具をどんどん取替えながら具体的な場所を示していきます。スポーツカーや白バイも登場させ,映像も多用していました。新作オペラは内容がよく分からないので,抽象的演出よりも今回のような視覚に訴える演出のほうが理解の助けになってよいと思いました。

 歌は主役の二人が圧倒的によかったです。シスター・ヘレンを歌ったディドナートは、スカラ座でアンジェリーナ(チェレネントーラ)を歌うなどのキャリアの豊富なメゾで、実力者なのでしょうが、ほとんど出ずっぱりにもかかわらず、最初から最後まで豊かでかつ慎み深い歌を聴かせてくれました。息切れなくふくよかで、要所要所でメリハリを利かせる歌いっぷりは賞賛に値します。

 ジョセフを歌ったジョン・パッカードもよかったです。パッカードは、このオペラの初演歌手だけあって、自分の役どころをよく理解し,効果的に表現していたと思います。また,パッカードは体も鍛えているようで,見た目がいかにも粗暴な青年という雰囲気が出ており、そこがこの作品とマッチしていたと思います。

 その他の歌手では、シスター・ロゼを歌ったアーロンが黒人歌手特有の艶のある声でよかったですし、ジョセフの母親役を歌ったシェリル・ウッズも死刑になる子を持つ母親の悲しみをうまく表現していたのではないかと思います。

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