オペラに行って参りました-2023年(その7)

目次

市民オペラのひとつの理想形 2023年9月3日 座間市スポーツ・文化振興財団「ラ・ボエーム」を聴く
ジャンニ・スキッキの非普通感 2023年9月8日 Bocca del Monte「ジャンニ・スキッキ」&ミニコンサートを聴く
初期ヴェルディ作品の在り方(1) 2023年9月9日 藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(初日)を聴く
初期ヴェルディ作品の在り方(2) 2023年9月10日 藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(二日目)を聴く
よくやった上演 2023年9月17日 オペラバフ「ナクソス島のアリアドネ」を聴く
301本目はメノッティ 2023年9月24日 東京文化会館オペラBOX「Help! Help! グロボリンクスだ~エイリアン襲来~」を聴く
新国立劇場であるからこそ 2023年10月1日 新国立劇場「修道女アンジェリカ」/「子供と魔法」を聴く
頑張れ! 若手歌手 2023年10月5日 日本オペラ振興会団会員企画シリーズ「オータムコンサート2023」を聴く
新演出とアディーナと 2023年10月7日 昭和音楽大学「愛の妙薬」を聴く
東京藝術大学の力量 2023年10月8日 第69回藝大オペラ定期公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2023年9月3日

入場料:2F B列9番 5000円

主催:座間市スポーツ・文化振興財団

オペラ・ノヴェッラ制作

オペラ4幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」 (La Bohéme)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ
原作:アンリ・ミュルジュ

会場 ハーモニーホール座間・大ホール

スタッフ

指 揮 瀬山 智博
管弦楽 テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合 唱 ハーモニーホール座間 オペラ合唱ワークショップ参加者
合唱指導 古川 寛泰/鈴木 和音/高橋 千夏
演 出 古川 寛泰
装置プラン 鈴木 俊朗
衣裳コーディネート 下斗米 大輔
照明プラン 望月 太介
音響プラン 関口 嘉顕
ヘアメイクプラン 田中 尚美
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

ミミ 佐田山 千恵
ロドルフォ 伊藤 達人
マルチェッロ 高橋 洋介
ムゼッタ 斉藤 園子
ショナール 仲田 尋一
コッリーネ 湯浅 貴斗
ベノア/アルチンドロ 志村 文彦
パルピニョール 東原 佑弥

感 想

市民オペラのひとつの理想形-座間市スポーツ・文化振興財団「ラ・ボエーム」を聴く

  オペラが演出家の時代と言われるようになって久しいのですが、結果として、本来作曲家が目指していたものと異なった舞台になっているのではないか、というものをしばしば拝見します。演出家は当然楽譜を読み込んで作曲家の意図を汲み取り、それを自らの発想で表現するということをやっているはずですが、本当にそこまで突き詰めて音楽を示そうとする方は必ずしも多くないようにも思います。

 その点、古川寛泰は違います。彼は楽譜に作曲家の意図が全て反映されていると愚直に考えます。だから全曲演奏するとき繰り返しをカットするとか、慣用の高音への上げなどを拒否します。それを完璧に行ったのが2021年に座間で行われた「椿姫」。楽譜にかかれたことは全てやろうという立場で繰り返しも全て行い、一方で楽譜にないアクートなどは全て取り外し、極めて音楽的な「椿姫」の舞台を作り上げました。その方針はその後も貫かれており、今回の「ラ・ボエーム」においても徹底されているようです。そのために彼は観客に幕中の拍手をしないこと、Bravoを言わないことも要求しました。

 ボエームの一番の聴きどころが第一幕のミミとロドルフォとの出会いの場面であることは言をまたないところですが、普通はロドルフォが自己紹介のアリア「冷たい手」を歌うと指揮者はオーケストラを止めて観客からの拍手を待ち、その後おもむろにミミが「私の名前はミミ」を歌い始めるという風に演奏します。楽譜を確認すると、ロドルフォのアリアが終わると一拍半の総休止があり、その後第一ヴァイオリンがミミのアリアの最初の音を二拍与えて「私の名はミミ」が始まります。私は、この一拍半の総休止があるのだから、そこで拍手してもいいと思います。そこで転調もしますし。

 一方で古川は作曲家がそこにフェルマータを書かなかった以上、作曲家は拍手を求めなかったと解釈して一拍半を超えた休止をすべきではないと言い、それを実行するために事前に幕中の拍手をしないことを求めました。確かに、「冷たい手」から「私の名はミミ」の流れは一連の会話であり、ストーリーからすれば作曲家そこにフェルマータ付け忘れたのではなく、意図的に書かなかったと解釈する方が自然です。そうであれば音楽を拍手で止めるべきではないという彼の意見は妥当だとも思います。

 このように彼は楽譜に寄り添って、オーソドックスな舞台を作ることに勤めます。それは市民オペラとして適切でしょう。もちろんそうは言っても予算的な限界がありますから第二幕のカルチェラタンの装置は結構簡素で本格的にはなりませんが、上手に合唱団員を動かして、舞台いっぱいを使って雰囲気を出していきます。そういったところは演出家のセンスなのでしょう。

 演出は作曲家の意図に寄り添ったものになりましたが、演奏はそこまで気を使ったものではなかったようです。指揮の瀬山智博はかなりテンポを揺らして演奏したと思います。アリアの部分は総じてたっぷり目に演奏したように思います。特に第二幕「ムゼッタのワルツ」のあたりがゆっくりめ。第二幕はソロと合唱が入れ子のように重なって、テンポを揺らしにくいところだと思うのですが、子供たちの合唱を聴かせようとして、あのようなテンポの変化をやってみせたのかも知れません。確かに今回とてもよかったと思ったのが児童合唱。ボエームの児童合唱は普通はもっとあっさりと演奏されて背景に廻ることが多いですが、今回は合唱もしっかり聴かせようという意図があったようで、子供の合唱に存在感があって素晴らしいと思いました。

 ソリストたちはそれぞれ。 「ムゼッタのワルツ」をゆっくり演奏した斉藤園子のムゼッタですが、ムゼッタの本当は純真だけど気が強くて高飛車の雰囲気をよく出していたと思います。終幕の雰囲気がことによかったです。

 佐田山千恵のミミはオーソドックスな役作り。歌も素直でしっかり歌われていて、よく聴くタイプのミミという風に思いました。アリアは「私の名はミミ」にしても第三幕の「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」もしっかり歌われていてよかったですし、重唱も自分のポジションを固めながら合わせており、そこも好感が持てたところです。

 伊藤達人のロドルフォ。はっきり申し上げれば伊藤の声はロドルフォには似合わないと思いました。伊藤の声はリリコスピント系で本来ならロドルフォ向きだと思うのですが、響きが高い。この響きの高さはテノール歌手として大きな武器だと思うのですが、ロドルフォとしてはキラキラした声よりももう少し落ち着いた高音の方が似合うと思います。またこの高い響きのせいで、他の歌手との和音のハモリ方が今一つすっぽり嵌らない。そこは残念なところでした。

 マルチェッロ、ショナール、コッリーネは、新国立劇場のオペラ研修所を出て間もない若手。皆さんそのぞれの役柄に関してほぼ初役だそうです。その分溌溂としていて、若々しい感じが素敵でした。アンサンブルの嵌り方もいい感じ。惜しむらくはやや暴走してしまうきらいがあって、もう少し落ち着いてまとめて行った方が全体的にいい感じにまとまったのではないかと思いました。

 ベノア/アルチンドロは当たり役と言っていい志村文彦。彼がいると舞台が締まります。流石の存在感でした。

 以上全体的には高レベルの舞台だったと思います。演出家主導の舞台制作だったと思いますが、古川寛泰が歌手出身の演出家であること。作曲家へのリスペクトを忘れないことでオーソドックスな舞台づくりに努めたこと。市民のオペラワークショップを古川自身が講師を務めて自分の意思を伝えられたこと。座間市がしっかり応援したこと、の以上からいい舞台になったと思います。市民オペラも色々なパターンがありますが、ひとつの理想的な形だったようにも思います。

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鑑賞日:2023年9月8日

入場料:自由席 6000円

主催:Bocca del Monte

Bocca del Monte「ジャンニ・スキッキ」&ミニコンサート

オペラ1幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」(Gianni Schicchi)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ
原作:ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇、第30歌

会場 岩間市民プラザホール

スタッフ

指 揮 平野 桂子
ピアノ 小森 美穂
照 明 おおやま こうへい

出 演

ジャンニ・スキッキ 鶴川 勝也
ラウレッタ 大網 かおり
リヌッチョ 岡坂 弘毅
ツィータ 下倉 結衣
シモーネ 平賀 僚太
ネッラ 中畑 有美子
ゲラルド 正木 庸平
チェスカ 吉村 恵
マルコ 市川 宥一郎
ベット 和下田 大典
医者/公証人 島田 恭輔
ピネッリーノ 鈴川 慶二郎
グッチョ 若尾 隆太
ゲラルディーノ 岡坂 幸蔵

プログラム

作曲 作品名 曲名 歌手
プッチーニ ジャンニ・スキッキ    
休憩
モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ フィオルディリージとドラベッラの二重唱「私は暗い髪の方を選ぶわ」 中畑 有美子/吉村 恵
ドニゼッティ 愛の妙薬 ネモリーノとベルコーレの二重唱「20スクードだって!」 正木 庸平/島田 恭輔
ドニゼッティ ドン・パスクワーレ ドン・パスクワーレとマラテスタの二重唱「静かに、静かに」 鈴川 慶二郎/若尾 隆太
アンコール   
佐藤 真 混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』 大地讃頌 全員

感 想

ジャンニ・スキッキの非普通感-Bocca del Monte「ジャンニ・スキッキ」&ミニコンサートを聴く

  ジャンニ・スキッキは悪党です。もちろん、そのことをラウレッタ以外の全員とジャンニ・スキッキも理解しています。このオペラの最後はジャンニ・スキッキの口上「紳士、淑女の皆様。ブオーゾの遺産にこれより良い使い途があるでしょうか。この悪戯のおかげで私は地獄行きになりました。当然の報いです。」でも分かるようにジャンニ・スキッキは地獄に落ちるわけですから。だからこそ、ジャンニ・スキッキには尖がっていて欲しいと思います。その点で今回の鶴川勝也のジャンニ・スキッキは大人しかったかなとと思います。人を食った感じが今一つ弱いのです。例えば、最も価値ある遺産を分ける場面、「ロバは ― 親友ジャンニ・スキッキへ与える」という時の「ジャンニ・スキッキ」という言い方はもっとフォルテでクリアに言って欲しかったですし、逆にラウレッタに見せるメロメロお父さんの部分はもっと甘くあって欲しい。多分もっともっとメリハリを付けた方が、更に存在感が増したように思いました。

 一方アンサンブル系の歌は皆面白いし、切れ味も凄い。特に中畑有美子のネッラ、吉村恵のチェスカ、市川宥一郎のマルコ、和下田大典のベットといった面々は流石に藤原歌劇団の本公演にも出てるメンバーであり、流石に別格の巧さがありますし、役作りも表情の豊かさも流石です。一方でシモーネの平賀僚太の演技はちょっと臭すぎる印象。ただ、鶴川ジャンニのどちらかと言えば落ち着いた演技・歌唱よりは滑りかけてはいたけど平賀の臭い演技の方が面白い。

 それ以外の人たちもしっかり稽古を積んでる様子でよかったのですが、私的に特に面白かったのは下倉結衣のヅィータ。ジャラジャラ系でいかにもマダム、といった風の衣裳で演技も表現も臭い。しかし、平賀僚太で感じたやりすぎ感はあまり感じられなかった。そのバランスの良さを買いたいと思います。

 ラウレッタ役の大網かおりはカマトト的無邪気わがまま娘感をしっかり出していい感じ。「私のお父さん」も当然ながらしっかり歌いました。岡坂弘毅のリヌッチョも慣れたもので流石だったのですが、高音が上手くいっていなかったところがあったようです。全体としては素晴らしいチームワークで全体をまとめたというところ。

 もちろん、それには平野桂子の要所要所をしっかり締める指揮と小森美穂の伴奏がしっかりしていたことがベースにあることは間違いありません。

 ミニコンサートは最初に歌われた「コジ」の二重唱が一番良かったです。ハモったところの美しさが気持ち良かったです。二曲目、三曲目は流石にレベルが落ちます。正木庸平のネモリーノは高音をもっと軽く響かしてほしいところです。一方で、島田恭輔のベルコーレはいい感じだったと思いますが、合わさるともう少しプラスアルファがあって欲しいところ。三曲目は早口の難曲で、ピタッと合ってくれれば最高にかっこいいのですがやはり微妙なずれがあり、もっと揃って欲しかったところです。

 アンコールの大地讃頌はもちろん素晴らしいのですが、人数的に女声が少なすぎ、もう数人女声が入ればもっといい合唱になっただろうと思いました。

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鑑賞日:2023年9月9日

入場料:B席 3FL2列4番 11000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:公益財団法人新国立劇場運営財団/公益財団法人東京二期会

藤原歌劇団公演

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「二人のフォスカリ」 (I Due Foscari)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
原作:バイロン

会場 新国立劇場オペラハウス

鑑賞日:2023年9月10日

入場料:B席 3F1列19番 11000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:公益財団法人新国立劇場運営財団/公益財団法人東京二期会

藤原歌劇団公演

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「二人のフォスカリ」 (I Due Foscari)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
原作:バイロン

会場 新国立劇場オペラハウス

スタッフ

指 揮 田中 祐子
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団
合唱指揮 安部 克彦
演 出 伊香 修吾
美 術 二村 周作
振 付 伊藤 範子
照 明 齋藤 茂男
舞台監督 菅原 多敢弘
衣裳コーディネーター 小野寺 佐江

出 演

9日 10日
フランチェスコ・フォスカリ 上江 隼人 押川 浩士
ヤコポ・フォスカリ 藤田 卓也 海道 弘昭
ルクレツィア・コンタリーニ 佐藤 亜希子 西本 真子
ヤコポ・ロレダーノ 田中 大揮 杉尾 真吾
バルバリーゴ 及川 尚志 黄木 透
ピザーナ 中桐 かなえ 加藤 美帆
ファンテ 井出 司 井出 司
セルヴォ 石井敏郎 石井敏郎

感 想

初期ヴェルディ作品のあり方-藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(初日、二日目)を聴く

  ヴェルディの「二人のフォスカリ」が日本で上演されたのはこれまでただ一度。2001年12月、東京オペラプロデュースが取り上げています。私はこの上演は拝見していないのですが、その時見ている知人の話では「暗くてイマイチだった」ということでした。このイマイチが上演のことを言っているのか、作品のことを言っているのかはよく分からないのですが、ヴェルディの第6作目、ヴェルディ本人が「ガレー船の時代」と呼んだ多作期に書かれた傑作と評された話もほとんど聴かないこの作品を藤原歌劇団が取り上げたことにまずはびっくりしました。

 「二人のフォスカリ」で描かれた内容はほぼ史実だそうです。もちろん、息子が死んだのは流刑先のクレタ島だったとか、父親が亡くなったのはドージェ(総統)の地位が剥奪された翌日だったとか細かいところはもちろん違うのですが、息子が罪に問われた収賄事件も、敵国への嘆願の手紙を出したのも本当だったようです。またオペラでは冤罪とされた殺人についても実際も冤罪でしたが、以上を踏まえると当時のベネツィアの法律に照らしたとき全てが無罪で潔白というのは無理があるように思います。したがって、息子の流刑もそれが影響してのドージェの地位のはく奪も現代的感覚から言えばやむを得ない感じがします。

 ちなみに十人委員会は15世紀のフォスカリの時代においては反乱・陰謀や国家の平和を乱すあらゆる行為を取扱う統治機構であり、委員は選挙でえらばれ任期は1年。再任は禁止だったそうです。ドージェは十人委員会の討論に参加できる立場であり、最初私はドージェが内閣のトップで、十人委員会が国会のような感じで見ていたのですが、実際はドージェは国家の代表で十人委員会が実務機関(事実、十人委員会の管轄下に書記局などの官僚機構があった)という感じだそうです。当然、十人委員会の中での対立や十人委員会とドージェの対立はあったのでしょう。

 この作品をロレダーノがフォスカリ家に対して恨みを募らせ、復讐する復讐劇のように捉えられることが多いようですが、ロレダーノがフォスカリ家に恨みをもっていたとしても、やらかしているのは息子・フォスカリ(少なくとも収賄と敵国への嘆願状の送付は事実らしい)であり、息子・フォスカリが裁かれるのは当然で、ロレダーノが悪人呼ばわりされるのはちょっと違うのかなという気がします。

 尚、公私の関係・責任という点で言えば、ヴェルディは「シモン・ボッカネグラ」や「ドン・カルロ」も書いていますが、音楽的な重厚さや複雑さの観点から言えば、「二人のフォスカリ」は後期の二作と比べたとき単純です。父フォスカリは息子の罪に苦悩しますが、子供の反乱と妻の離反に悩みという「一人寂しく眠ろう」と歌ったフィリッポの複雑はこの作品にはありません。更に音楽的には初期のヴェルディの特徴、例えばコンチェルタートにおける定型的なスタイル(どこかで聴いたことのある音型が連なる点など)も含めて、あくまでも「二人のフォスカリ」はベル・カント・オペラの延長線上にある作品であり、ベルカントスタイルの中にどれだけヴェルディらしい表現を盛り込めるのか、というのが演奏上の肝になりそうです。

 その意味で全体としてまとまっていたのは二日目の舞台でした。オーケストラも初日よりも流麗に流れていましたし、歌手たちもベルカントスタイルを維持してヴェルディ初期作品の熱量とベルカントスタイルのの軽さを両立させていたと思います。初日は後期ヴェルディ寄りに音楽を感じていた人が多かった様子で、音楽全体が重々しくなりすぎていたように思います。

 それでも父フォスカリに関して言えば、初日の上江隼人に軍配を上げます。上江は現役日本人バリトンで今この時点で最高のヴェルディ・バリトンでしょう。第6曲目のロマンツァから第7曲目のルクレツィアとの二重唱はとても素晴らしいものでした。と言って、押川浩士が悪かったわけではありません。押川浩士にとっては今回が初ヴェルディだったそうで、上江にとってのヴェルディのスタイルが固まっているのに対して、押川はそれがまだ固まっていないのかなぐらいの違いです。押川はベルカント・オペラのスタイルからアプローチしているようで、重厚さはあまりないのですが自在さが認められ、同じく第一幕のアリアから二重唱は、上江とは違った魅力がありました。

 息子フォスカリに関しては完全に二日目の海道弘昭がよかった。初日の藤田卓也は後期のヴェルディ・テノールのように歌おうとしているのか、ただひたすら声で押すだけで、音楽が硬直して柔軟さに欠けています。確かに声量はあり迫力も凄いのですが、その分音程も怪しいところがありましたし、音楽がブツブツに切れたところもありました。第三幕になると疲れている様子で、かなりヘロヘロにもなっていました。一方で、重唱では声を張りすぎているせいか、他の人の声を潰している。例えば、ルクレツィアとの二重唱などは、もう少しテノールが後ろに引いてソプラノを前に出す方が音楽的な柔らかさも出るし、バランスもよくなると思うのですが、藤田が頑張りすぎたせいで音楽のバランスは悪くなるし硬直した感じも強くなります。藤田はリリックなテノールでもっと柔らかい声ももっている方だと思っていたのですが、調子が悪かったのでしょうか。

 海道弘昭は細かくはなんか変だなと思うところもあったのですが、全体的には柔らかい表現で上々の出来でした。登場のアリアは暗いシェーナからしっとりとしたカヴァティーナに移り最後は情熱的なカバレッタと典型的なベルカントスタイルなので、カバレッタはもっと輝かしく歌って欲しいとは思いましたが、初日の藤田と比べれば十分ベルカントスタイルを意識した歌いっぷりでとてもよかったと思います。無理をしない歌い方で、重唱のバランスも良かったと思います。要はヤコボのアプローチは後期ヴェルディスタイルからのアプローチよりも伝統的なベルカントスタイルからのアプローチの方が上手くいくということなのでしょう。

 ルクレツィアは佐藤亜希子の方がいい。と言って西本真子も全然悪くない。こちらは佐藤亜希子がベルカントスタイルからのアプローチをし、西本真子はヴェルディヒロインからのアプローチをしたように聴きました。登場のアリアである「神よ、その全能のまなざしに」はカバレッタにベッリーニ張りのアジリダがあるのですが、その処理は佐藤亜希子の方が良かったと思います。佐藤亜希子はこのカバレッタのように細かい音符をしっかり歌うところは素晴らしいのですが、このメンバーの中では声が細い。その点を周りが配慮して佐藤の良さを生かしてくれればいいバランスになったのですが、テノールのでかい音量に負けてしまう。佐藤はある程度は張り上げていましたし、オーケストラの強奏の上を飛び越えるぐらいの声はあるので、別に佐藤が悪いわけではないけど、なんか残念です。

 西本真子はベルカントのテクニックに関して言えば、佐藤の域では無いと思いましたが、もともと声に力のある方で、中期以降のヴェルディソプラノの存在感がありました。軽いテノールとちょっと重めのソプラノという関係がこの作品では合っている様子で、父フォスカリとの重唱も息子フォスカリとの重唱もとてもよかったと思います。

 ロレダーノは初日の田中大揮を採ります。田中は常に安定した重厚な歌唱で感情をあまり表に出さない感じがいい。一方で、杉尾真吾は線が細く歌に感情が込められている感じがします。一般的にはその方がいいのでしょうが、ロレダーノは上記のように復讐者としてよりも法の番人として見たほうが妥当だと思いますし、その場合、感情が入るより不気味さを表に出した方がいいと思います。なお、第三幕の幕切れで、ロレダーノは「復讐は成し遂げられた」と歌うのですが、ドージェの死を悼む合唱にかき消されて、この部分はほとんど聴こえません。多分それでいいのでしょう。

 合唱は、藤原、新国立劇場、二期会の三団体の合同チーム。その混成チームのせいか、それぞれの合唱団単独で聴くよりも、揃い方が雑な感じがしました。オーケストラは初日よりも二日目が上手くいっていました。そこも含めて全体のバランスは二日目が上。

 伊香修吾の演出は灰色の石畳に黒一色の衣裳を着た歌手たちが並んで演技するというもので、基本的に床と前後の仕切り以外の舞台装置がないミニマルスタイル。黒以外の色はドージェの象徴であるガウンと帽子の臙脂色と第三幕冒頭の合唱だけ白黒の衣裳と赤や青の仮面(眼鏡)だけです。内容的に暗い作品ですが、演出も暗さを強調しているように思いました。この作品の舞台は15世紀のベネツィアですが、今回は現代にもってきました。伊香は、復讐劇ではなく、政治家が公私を峻別することの苛酷さとトップであるが故の不自由さを心理劇風に描いたと思います。

 それは成功していたと思いますが、私は日本初演や滅多に上演されない作品はオーソドックスな演出で視覚的にも楽しめたほうがいいと思っており、その意味で今回の演出は私の好みではありませんでした。

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鑑賞日:2023年9月17日

入場料:自由席 8000円

主催:オペラバフ

オペラバフ制作公演

オペラ1幕(序幕+オペラ) 字幕付き原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ナクソス島のアリアドネ」 (Ariadne auf Naxos)
台本:フーゴ・フォン・ホーフマンスタール

会場 調布市文化会館たづくりくすのきホール

スタッフ

指 揮 中橋 健太郎左衛門
管弦楽 大黒屋オペラオーケストラ
演出・美術 尾城 正代
照 明 Light Vision
振 付 牛頭 奈織美
ヘアメイク 永野 ちはる/野尻 芳
舞台監督 しげ(1 coin)

出 演

執事長 吉永 研二
音楽教師 市川 宥一郎
作曲家 高橋 未来子
テノール歌手/バッカス 青栁 素晴
士官 野村 京右
バレエ教師 浅野 和馬
かつら師 磯崎 康陽
召使 片沼 慎
プリマドンナ/アリアドネ イ・スンジェ
ツェルビネッタ 和田 奈美
ハレルキン 竹内 利樹
スカラムッチョ 根岸 朋央
トルファルディン 平賀 僚太
プリゲッラ 岸野 裕貴
ナイヤーデ 林 眞美
ドゥリヤーデ 丸尾 有香
エコー 白砂 智子

感 想

よくやった上演-オペラバフ「ナクソス島のアリアドネ」を聴く

  「ナクソス島のアリアドネ」は決して上演回数の少ないオペラではないのですが、リヒャルト・シュトラウスの技巧がふんだんに盛り込まれている一筋縄ではいかない作品なので、新国立劇場や二期会といった大きな団体以外が取り上げることは希です。私は今回6回目の舞台鑑賞ですが、尾城正代というひとりの町医者が主宰する個人団体が取り上げたことにまず感謝するとともに、それがかなり高レベルの舞台として成立したことに驚きを覚えます。よくやったBravo!です。

 オペラバフがオペラを上演し始めたのは今年から。2月にまず旗揚げ公演の「魔笛」を行いました。この「魔笛」は歌手もオーケストラもミスが多く、練習不足を露呈していたと思います。その時の感想のまとめに「旗揚げ公演としては頑張ったのでしょうが、イマイチ感が強く、この程度で終わらせてほしくはありません」と私は書いたのですが、次回公演は「ナクソス島のアリアドネ」であると聞いて、「本気か?」と思ったのも事実です。「魔笛」とは難易度が全然違います。とにかく台詞は多いし、和声も複雑、管弦楽パートも唯の伴奏に過ぎない「魔笛」とは段違いに難しいはずです。しかし、難しい分、出演者もオーケストラの一人一人も真摯に楽譜に向き合い、熱心に稽古を積み、本番までに至ったのでしょう。その努力がしっかり見える舞台でした。

 中橋健太郎左衛門のオーケストラコントロールが良かったのでしょう。今回のオーケストラは、リヒャルト・シュトラウスのオリジナルスタイルで揃えました。弦楽器はヴァイオリンが6本、ヴィオラとチェロが4本、コントラバスが2本、それに木管が2管。金管はホルン2本、トランペット、トロンボーンが各1。打楽器が二人で、ハープが2台、ピアノ、チェレスタ/ハルモニウムという組み合わせ。それらによるシュトラウス独特の音響世界をきっちり組み合わせていたと思います。奏者が集中していたということもあるのでしょう。質の高い演奏になっていました。

 歌手陣も頑張りました。まず序幕では、何といっても市川宥一郎の音楽教師と高橋未来子の作曲家が素晴らしい。二人ともドイツ語オペラに出演するのは初めてだそうで、それだけにディクションをしっかりトレーニングして出演したのでしょう。結構な長台詞(レシタティーッヴォ)もあるのですが、違和感なく聴くことができましたし、歌も素晴らしい。特に高橋の自己愛の強い作曲家の造形は本当に素晴らしかったと思います。この作曲家役で思い出すのは白土理香で、2016年の東京二期会公演で演じたちょっとヒステリックな作曲家を覚えているのですが、今回の高橋の作曲家は、自己愛の強さとわがままな雰囲気を追求した印象。どこか、メランコリンクなケルビーノと言ったらいいかもしれない。また、ほとんどレシタティーヴォで歌っているという印象のない執事長ですが、厭味ったらしい役柄を吉永研二がしっかり見せてとてもよかったと思います。

 声量的には若干弱い感じがしましたが、浅野和馬の舞踏教師も存在感を示していました。

 序幕では文句ばかり言っているテノール歌手やプリマドンナはあまり印象強く歌うことはせず、ツェルビネッタと道化たちも存在感を主張せず、作曲家、音楽教師、執事長のドタバタをしっかり見せたのがよかったのだろうと思いました。

 オペラに入ると、喜劇の軸と悲劇の軸が対等にしっかり渡り合うのがいい。喜劇の軸はツェルビネッタとハレルキン以下四人の道化、悲劇の軸はアリアドネとバッカス、そして幻想的な雰囲気を出す三人のニンフたち。それが入れ子のように重なり合っておかしみが増します。まず、道化のアンサンブルと、ニンフのアンサンブルが素敵でした。特にニンフのアンサンブルは下を支えるドゥリヤーデの丸尾有香が安定した響きでよく、そこにナイヤーデの林眞美が乗り、更に白砂智子のエコーが入り込み、このアンサンブルが幻想的ながらもしっかりと聴こえたのが素晴らしい。道化のアンサンブルもハレルキンの竹内利樹が良く、残りの三人についてもしっかり歌われているようで、道化4人のアンサンブルも楽しかったです。

 この四人のアンサンブルに引っ張られてくるのがツェルビネッタの大アリア「偉大なる王女様」ですが、和田奈美が頑張りました。音程がとりにくい曲だと思いますが高音部の正確な動きが素晴らしい。これで、中低音部ももう少ししっかり聴こえるといいのですが、そこが彼女の課題なのでしょう。全盛期の幸田浩子には敵わないものの、前回の二期会公演における高橋維と同等ぐらいの歌ではなかったのかな、とは思いました。

 この軽いツェルビネッタに対し、深刻に重く歌わなければいけないのが、アリアドネとバッカス。アリアドネのイ・スンジェがきっちりしたリリコ・スピントでいかにもプリマドンナです、という雰囲気で歌ったのが素晴らしい。またバッカスの青栁素晴もいい。中低音部が豊かな響きで、いかにもテノーレ・リリコ・スピントという雰囲気で、これで、高音部がしっかり響いてくれれば文句なしですが、そこが乱れたのがちょっと残念でした。

 このアリアドネとバッカスは、序幕ではプリマドンナとテノール歌手であり、要するにテノールとソプラノが、テノール歌手とソプラノ歌手が役を歌うように歌ってみせるというシュトラウス独特のパロディです。イ・スンジェも青栁素晴もそれを分かって歌っていたと思います。そこもいい感じでした。

 演出の尾城正代は、ホーフマンスタールの台本に合わせてシンプルにしかし内容が理解できるような舞台に作り上げ、そこも良かったと思います。

 私自身としては7年ぶりにこの演目を聴きましたが、一マイナー団体の上演ながら感動は一流どころに負けないものがありました。この公演に携わった全ての方々に、「よくやったね、素晴らしかった」と申し上げます。

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鑑賞日:2023年9月24日

入場料:P列15番 3850円

主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化会館

東京文化会館オペラBOX

オペラ1幕4場 日本語訳詞上演
メノッティ作曲「Help! Help! グロボリンクスだ」 (Help, Help, the Globolinks!)
台本:ジャン=カルロ・メノッティ

会場 東京文化会館小ホール

スタッフ

指 揮 柴田 真郁
ヴァイオリン 岸本 萌乃加
ピアノ 高橋 裕子
児童合唱 こども防衛合唱隊
児童合唱指導 林 ゆか
踊り(グロボリンクス) ダンスぐろぼりん
演 出 岩田 達宗
美 術 島 次郎/角浜 有香
衣 裳 増田 恵美
照 明 稲葉 直人
振 付 鷲田 実土里
児童演技指導 伊奈山 明子
舞台監督 渡邊 真二郎

出 演

エミリー 種谷 典子
音楽の先生 佐藤 美枝子
校長先生 折江 忠道
バスの運転手 岡 昭宏
学校の門番 市川 和彦
算数の先生 八木 寿子
国語の先生 ヴィタリ・ユシュマノフ
理科の先生 奥秋 大樹
グロボリングス(踊り) 鷲田 実土里
アナウンサー(語り) 朝岡 聡

感 想

301本目はメノッティ-東京文化会館オペラBOX「Help! Help! グロボリンクスだ~エイリアン襲来~」を聴く

 神話的世界はオペラの重要なテーマでしたが、SFはオペラとの相性があまりよくないようです。これはオペラの興隆期が17世紀から19世紀であり、SFが文学として認められるようになったのはジュール・ベルヌ以降、即ち19世紀後半からですので、時代がずれているというのが一番大きいのだろうと思います。逆に言えば20世紀以降の作品であればSF的内容がオペラになってもおかしくありません。藤倉大の「ソラリス」と「アルマゲドンの夢」はどちらもSFが原作でした。SFを題材にした最初のオペラは私は未聴ですが、ヤナーチェクの「ブロウチェク氏の休暇旅行」(1908-17)でしょう。

 その後もSFを題材にした作品があるかもしれませんが、どちらにしても「Help! Help! グロボリンクスだ」はSF的題材に基づく比較的先駆的作品と思われ、1968年に発表されています。この時代は、テレビが世界的に普及し、音楽はポピュラー音楽が席巻した時代でありました。エレキギターを中心とする電子楽器が普通に用いられるようになり、アマチュアでも電子楽器によるバンドを組むのが珍しくない時代。メノッティはこれらの電子音楽を「エイリアン」に見立てて、それに勝つアコースティックな音という構造でこの作品を考えたと思われます。台詞役のアナウンサー(朝岡聡が好演)が何度も登場して、「グロボリンクスによって、どんどん占領されています」というくだりがありますが、確かに電子音は生の音をどんどん駆逐している現実があり、発表されて55年現在ではAIのアナウンサーがしゃべるほど電子音が当たり前になっており、この作品を演奏するのは今日的意味があるのだろうとは思いました。

 とはいえ、この作品は喜劇です。この作品の鍵となる部分はシーン2における校長先生と音楽の先生とによる会話だと思いますが、この会話部分は古典的なオペラ・ブッファのパロディでしょう。音楽の先生の「世界は歌い方を忘れた」とメノッティのこの作品に込めた思いを歌うのですが、一方で、この音楽の先生はかなり自分勝手でわがままです。今回音楽の先生役を佐藤美枝子が演じたわけですが、佐藤のコメディエンヌ的演じ方がとても面白い。佐藤は「ランスへの旅」におけるフォルヌヴィル伯爵夫人の歌唱などでコメディエンヌとしての才能を発揮してきた方ですが、久しぶりでそういうテンションの高い佐藤を見て満足しました。また歌唱技術的にも悲鳴を上げた後にベルカント的な歌唱につなげられるところなどはさすが佐藤だなと思う部分であり、一番存在感があった気がします。

 音楽の先生と対峙する校長先生(元の台本では、ドクターストーン、石先生)は折江忠道。禿頭姿が校長先生にぴったりです。折江と言えば悪役のバリトンのイメージが強いですが、「ボエーム」のベノアや今回の校長先生のような早口のないブッフォ的な役柄の方が似合っている気がします。グロボリンクスに侵略されて声が失われる役割ですが、言葉を失われてからの「ラー、ラー」と歌う様子や「ブルブルブルブル」と唇を震わせる様子は流石にベテランの仕事だったと思います。

 主役のエミリーは思っていたほど歌う場面はないのですが、歌う場面では流石に種谷典子。美しいベルカントで声を響かせ素晴らしい。またスクールバスの運転手役の岡昭宏も子供たちをリードする歌のお兄さん的立場でいい感じでした。

 それ以外の脇役陣では門番の市川和彦は校長との掛け合いが面白い。折江と市川と言えば、「トスカ」におけるスカルピアとスポレッタの関係などでおなじみですが、あの不気味な関係とは違って、ちょっととぼけた門番といきり立つ校長の関係が面白かったです。その他の先生では国語の先生と理科の先生の低音からの支えと算数の先生のちょっと冷静な歌唱がいい感じのアクセントになっていてよかったと思います。

 グロボリングスは公募の子供たち。メノッティはグロボリングスを「不吉だが、ユーモアのタッチがある」と表現したそうですが、今回のグロボリンクスは不吉というより可愛らしい。電飾を付けて、グロボリングスの象徴である電子音の中で振付の鷲田実土里とともに踊る様子は、きらびやかで印象的でした。もともと身体能力の高い子を選んだのだろうとは思いますが、抜群の身体能力で踊る姿は、この作品の主人公がグロボリングスであることを示すのに十分なものでした。

  合唱も公募の子供たち。声量はもちろんプロのオペラ歌手に及ぶはずもありませんが、はっきりとした歌唱はなかなか聴き応えがありました。楽譜にソロの指示があるソロパートもしっかり歌われていた様子で、そこも素晴らしい。

  岩田達宗の演出は狭い舞台を有効に生かすために会場全体を利用するもの。歌手たちに求めた大げさな演技は、状況の異常さを示すものになっていました。  日本語台本で、本来書かれた音楽以外のところはかなりアドリブや追加、削除があったと思います。そういうことが子供の理解しやすさに結びついていたとしたらそれは大切なことですし、また今回の舞台は十分に楽しめましたが、一方でオリジナルの台本とどう違っていたかはちょっと興味があります。 私にとって301タイトル目がこの作品です。私としては次の100本に向かうスタートの作品でもあるので、その違いが分かるような字幕付原語上演を期待したいところです。

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鑑賞日:2023年10月1日

入場料:C席 3FL9列3番 9900円

主催:文化庁/新国立劇場

令和5年度文化庁芸術祭オープニングオペラ/新国立劇場2023/2024シーズン開幕オペラ

オペラ1幕 字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「修道女アンジェリカ」 (Suor Angelica)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

オペラ1幕 字幕付原語(フランス語)上演
ラヴェル作曲「子どもと魔法」 (L'enfant et les sortilèges)
台本:シドニー=ガブリエル・コレット

会場 新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指 揮 沼尻 竜典
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱 世田谷ジュニア合唱団
児童合唱指導 掛江 みどり
演 出 粟國 淳
美 術 横田 あつみ
衣 裳 増田 恵美
照 明 大島 祐夫
振 付 伊藤 範子
舞台監督 高橋 尚史

出 演

修道女アンジェリカ

アンジェリカ キアーラ・イゾットン
公爵夫人 齊藤 純子
修道院長 塩崎 めぐみ
修道女長 郷家 暁子
修練女長 小林 由佳
ジェノヴィエッファ 中村 真紀
オスミーナ 伊藤 晴
ドルチーナ 今野 沙知恵
看護係修道女 鈴木 涼子
托鉢係修道女1 前川 依子
托鉢係修道女2 岩本 麻里
修練女 和田 しほり
労働修道女1 福留 なぎさ
労働修道女2 小酒部 晶子

子どもと魔法

子ども クロエ・ブリオ
お母さん 齊藤 純子
肘掛椅子/木 田中 大揮
安楽椅子/羊飼いの娘/ふくろう/こうもり 盛田 麻央
柱時計/雄猫 河野 鉄平
中国茶碗/とんぼ 十合 翔子
火/お姫様/夜鳴き鶯 三宅 理恵
羊飼いの少年/牝猫/りす 杉山 由紀
ティーポット 濱松 孝行
小さな老人/雨蛙 青地 英幸

感 想

新国立劇場であるからこそ-令和5年度文化庁芸術祭オープニングオペラ/新国立劇場2023/2024シーズン開幕オペラ「修道女アンジェリカ/子どもと魔法」を聴く

 オペラで二本立て上演と言えばいわゆる「カヴァ・パリ」、即ち「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」の二本立てが有名です。こういう類似テーマの二本を取り上げて一日で上演するのは、かつて東京室内歌劇場が得意としていたプログラミング法で、その結果、数多くの珍しい国内外の作品が紹介されました。ただ、東京室内歌劇場で取り上げたのは基本的に類似の二本。今回は同時代とはいえかなりテイストの違う二作品。よく結びつけたな、というのが率直な感想です。

 更に申し上げれば、プッチーニは、いわゆる「三部作」、即ち、「外套」、「アンジェリカ」、「ジャンニ・スキッキ」は同一晩に三本まとめて上演されること前提にして作曲したわけですが、新国立劇場がそれをわざわざバラバラにして上演するのはどうなのだろうとは思っています。最近「三部作」を一挙上演される例は少なくなっていて、私の知る限り、東京二期会が2018年9月に上演したのが最後で、その後バラバラで上演されるのが普通のようです。私が聴いている例でいえば、藤原歌劇団と日本オペラ協会は「ジャンニ・スキッキ」と池辺晋一郎の「魅惑の美女はデスゴッデス」を組み合わせまたし、足利オペラリリカは「ジャンニ・スキッキ」と「道化師」を組み合わせました。だからこそ、新国立劇場では「三部作」でやって欲しいという気持ちはあるのですが、大野和士音楽監督は、バラバラにして、上演機会の少ないもう1本と組み合わせて観客動員数を上げたいと考えているようです。

 そういう深読みの部分はおいても、今回の二本を「母の愛」繋がりというのは如何なものか。もちろん「アンジェリカ」は不義の恋で妊娠・出産をし、修道院に送られたアンジェリカが息子のことを一日も忘れなかった、というのは「母の愛」というのにふさわしいのかもしれません。しかし、「子どもと魔法」で子どもを叱る母親は、日常のありふれたエピソードのひとつに過ぎなくて、そこに母の愛を強調するのには違和感があります。「同時代であっても全然違うテイストの二本を組み合わせて、オペラの幅の広さを実感してください」、ぐらいが最も適当な感じはします。

 事実、演出の粟國淳は、この二つの作品を全然違うオペラとして制作したようです。外観的に、両オペラで使用された舞台装置はなかったようです。

 「修道女アンジェリカ」に関しては、黒や灰色のモノトーンで、写実的な舞台。「修道女アンジェリカ」のひとつの特徴は匿名性だと思うのですが、それを強調した舞台のように思いました。

 この作品に出てくる修道女たちは、アンジェリカ、ジェノヴィエッファ、オスミーナ、ドルチーナ以外は個人名はつきません。全て肩書です。更に名前の付いた四人に関しても歌わなければ誰が誰だかわかりません。楽譜にはそれぞれ違った歌が書いてあるはずなのですが、それを知らなければ、みんな同じに見えてしまう。逆に言えば、アンジェリカと公爵夫人以外はそれでいい、というのがこの作品の構成なのだろうと思います。それを素直に示したのが粟國淳の舞台でした。

 この作品の前半は修道女たちが同じように見えて、実際は違った境遇から修道女になったことを示す重唱ですが、そこのアンサンブルが見事。ちょっとしか歌わないけど、ドルチーナの今野沙知恵、オスミーナの伊藤晴がいい感じです。修道女たちの中で一番長く歌うのはジェノヴィエッファですが、中村真紀のしっかりした歌唱は、夕暮れを称えるのに十分なものでした。その他の修道女たちも含め、この場で歌われる重唱や合唱は、聖歌のパロディですが非常に美しく、ここで歌われたメンバーたちは和音をしっかり組み立てる能力に長けた方のようで、非常に美しい音楽が流れていました。

 修道女の中で異質だったのがイゾットンのアンジェリカ。前半部分ではアンジェリカはあまり目だたない方がいいと思うのですが、実際は目立っていました。姿かたちが日本人歌手よりも大柄なので当然なのですが、彼女が歌うと、ややピッチが低めなのかアンサンブルが濁ります。そういうことで目立つのはいかがなものかと思いながら聴いていたのですが、音楽にストレスがかかった感じで、修道女の同質性が失われていたと思いました。

 しかしイゾットンは素晴らしい。彼女が本領発揮したのは、公爵夫人が登場してからです。公爵夫人との二重唱がとてもいい。まず斉藤純子の公爵夫人が抜群。冷酷ではあるけれども冷酷過ぎないバランスが見事でした。そして公爵夫人が去り、イゾットンの独り舞台になってからが流石でした。名アリア「母もなく」をしっかり決めてくれた。

 ここにおける演出も新国立劇場の持つ機能を最大限使用したもの。毒をあおって自殺しようとしたアンジェリカが、カソリックの教義を思い出して懸命にマリアに祈ると天上に登って行くように見せる演出は、新国立劇場ならではのものでしょう。この演出により、視覚的にも死を選んだアンジェリカが許され、天上で子どもと合えたことを示唆するものになっていました。

 「子どもと魔法」に関しては、一転しておもちゃ箱をひっくり返したようなカラフルな演出。正攻法の演出で、聴くこと4回目でこの作品の本領を理解できたと思います。

 このオペラは管弦楽の魔術師ラヴェルが作曲しただけのことはあって、管弦楽部分が充実しています。そのためか、オーケストラの定期演奏会で演奏会形式で取り上げられることが珍しくなく、私もN響定期公演で、シャルル・デュトワが指揮した演奏を聴いています。このデュトワ指揮の演奏はとても素晴らしいもので、歌手もさることながらオーケストラが見事で粒ぞろい。デュトワ得意の風通しの良い演奏になっていました。しかし、その演奏をもってしてもバレエがなかったせいか、オペラのイメージが今一つ湧かないのです。音楽だけでは、メルヘンにはなり切れないということかもしれません。

 今回の舞台は何といっても視覚的に楽しい。最初、スクリーンにお母さんの影が映って、叱られる子ども。そこから子供が暴れてものが壊れるところまでがアニメーション。その後はスクリーンが開いて、おもちゃ箱の中身がどんどん飛び出して、子供に逆襲していきます。そこの作り込み方が凄く楽しいのです。またラヴェルというとオーケストラも燃えるのでしょうか、「アンジェリカ」の時のオーケストラが悪かったとは思いませんが、「子どもと魔法」になってからの方が、オーケストラが生き生きと鳴っていたと思います。指揮の沼尻竜典はフランス近代ものには定評のある指揮者ですが、「子どもと魔法」の方が、きびきびと指揮できていたように思います。素晴らしいオーケストラがこの舞台の支えになっていました。

 その中で歌う歌手ですが、クロエ・ブリオの子どもが抜群にいい。この役をもう200回歌っているそうですが、さすがに自分の中に「子ども」のポジションが明確にあるのでしょう。雰囲気もいいし、演技の暴れ方もいかにも子供っぽくていいかんじでした。齋藤純子のお母さんは陰歌での登場でしたが、こちらも素晴らしい。前半の公爵夫人のクールな感じとは違って子供を叱るお母さんの感じを出していました。

 子どもに復讐するおもちゃたちは、夫々カラフルで見事。ここでは歌手もさることながらダンサーを称賛しなければなりません。ダンサーの名簿には12人が記載されていますが、交替出演とのことでした。これらの踊りはいい感じに達者で、ラヴェルがバレエ音楽を得意にした作曲家であったこととを思い出させ、また、この舞台はバレエがあった方が全然楽しめるな、と思いました。歌手も身体の動く方を選んだようで、ダンサーの中で踊ってもさほど違和感を感じさせないところが素晴らしいと思いました。

 歌手たちは歌でも頑張っていました。コロラトゥーラソプラノ的に歌うことを期待された火、お姫様、夜鳴き鴬の三宅理恵が期待通り軽く迫り、安楽椅子、羊飼いの娘、ふくろう、こうもりを歌った盛田麻央はちょっと不気味な感じがあってそこが良く、中国茶碗とトンボの十合翔子はコミカルで楽しげに、コミカルと言えばティーポットの濱松孝行も面白い。低音では最初の肘掛け椅子と最後の木で十分な存在感を出した田中大揮が立派だったし、低音ながら動きは機械的でてきぱきしていた河野鉄平の時計、雄猫もよかったです。

 青地英幸の小さな老人に引き連れられて出てくる児童合唱による算数の復讐はこの作品のひとつの頂点ですが、世田谷ジュニア合唱団の合唱が可愛くてこちらも楽しい。

 このような演出は、新国立劇場の舞台機構あってのことだと思いますし、それを最大限活用した粟國淳のグループに深い敬意を表したいと思います。また、「子どもと魔法」という19世紀までのオペラ作品と一線を画した作品に関して、オーケストラ、歌手、合唱、バレエが一体となった音楽を舞台上でこのように示したことで、まさにラヴェルの言う「ファンタジー・リリック」の世界を見せたと申し上げてよいでしょう。こういう舞台こそ、是非子どもに見せて、オペラの楽しみを知って欲しいものだと思いました。

 2023/24シーズンのオープニングオペラの初日、詰め切れていない舞台を見せられるおそれもあったのですが、両作品とも素晴らしい舞台になっていました。関係した皆様の「おめでとうございます」と申しあげましょう。

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鑑賞日:2023年10月5日

入場料:自由席 3800円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会団会員委員会

団会員委員会企画シリーズ

オータムコンサート2023 (AUTUMN CONCERT 2023)

会場 ユリホール

出 演

ソプラノ 小山 道子
ソプラノ 月村 萌華
ソプラノ 長澤 みゆき
ソプラノ 中原 沙織
ソプラノ 福田 亜香音
メゾソプラノ 相羽 薫
メゾソプラノ 飯島 由利江
メゾソプラノ 小原 明実
テノール 原 優一
テノール 平尾 啓
バリトン 飯塚 学
バリトン 鈴木 集
ピアノ 久保 晃子
ピアノ 星 和代
司会 大貫 裕子

プログラム

作曲 作品名/作詩 曲名 歌手 ピアノ
J・シュトラウス2世 こうもり オルロフスキー公のアリア「我が家のしきたり」 小原 明実 星 和代
モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 セストのアリア「行きます、でも愛しい人よ」 相羽 薫 久保 晃子
ドニゼッティ 愛の妙薬 ネモリーノのアリア「人知れぬ涙」 原 優一 久保 晃子
ドニゼッティ  ランメルモールのルチア  ルチアのアリア「あたりは沈黙に閉ざされ」 月村 萌華 久保 晃子
ルチアとエドガルドの二重唱「裏切られた父の墓の前で」 福田 亜香音/平尾 啓 久保 晃子
ドニゼッティ  ドン・パスクワーレ  マラテスタのアリア「天使のように美しい娘」 鈴木 集 久保 晃子
ノリーナとマラテスタの二重唱「用意はできたわ」 月村 萌華/鈴木 集 久保 晃子
ドニゼッティ ラ・ファヴォリータ レオノーラのアリア「私のフェルナンド」 飯島 由利江 星 和代
レオンカヴァッロ 道化師 ネッダとシルヴィオの二重唱「ネッダ! シルヴィオ!」 小山 道子/飯塚 学 星 和代
休憩    
グノー ロミオとジュリエット ジュリエットのアリア「私は夢に生きたい」 福田 亜香音 久保 晃子
ジョルダーノ   アンドレア・シェニエ   シェニエのアリア「五月の美しい日のように」 平尾 啓 久保 晃子
マッダレーナのアリア「亡くなった母を」 中原 沙織 星 和代
ジェラールのアリア「祖国の敵」 飯塚 学 星 和代
ベッリーニ ノルマ ノルマとアダルジーザの二重唱「ご覧なさい、ノルマ」 中原 沙織/飯島 由利江 星 和代
プッチーニ トゥーランドット リューのアリア「お聞きください、王子様」 小山 道子 星 和代
プッチーニ  蝶々夫人  蝶々さんのアリア[ある晴れた日に」 長澤 みゆき 星 和代
蝶々さんとスズキの二重唱「花を集めてきてちょうだい」 長澤 みゆき/小原 明実 星 和代
ヴェルディ リゴレット リゴレット、ジルダ、マントヴァ公、マッダレーナの四重唱「美しい愛の娘よ」 福田 亜香音/相羽 薫/原 優一/鈴木 集 久保 晃子
アンコール    
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタとアルフレードの二重唱「乾杯の歌」 出演者全員 久保 晃子

感 想

頑張れ!若手歌手-日本オペラ振興会団会員企画「オータムコンサート2023」を聴く

 日本オペラ振興会団会員委員会では、毎年春・秋の2回オーデションを行い、その合格者に半年後ガラ・コンサートに出演してもらうという活動を行っています。まだ本当の意味での若手歌手の登竜門となっているわけではありませんが、そうなることを目指しているのは本当だと思います。しかしながら平日の夜、会場が新百合ヶ丘という条件の悪さもあって、観客は身内が中心という感じでした。オペラを盛り上げていくためには、出演者たち一人一人がもっと魅力的になって、このような場所条件や時間条件が悪くても7割ぐらいは席が埋まる感じでなければいけないと思います。12人もの実力者が出演して席が半分も埋まらない感じは、何とも寂しく、今回一番残念だったところです。

 歌に関して簡単に寸評します。

 最初のオルロフスキーのアリア。素直なオルロフスキーで悪くはないのですが、退屈で退廃的な雰囲気はなかったのかな、というところ。もっとけれんみを出して大げさに歌った方が良いと思いました。

 セストのアリア。いつも聴いているセストのアリアと雰囲気が違います。相羽薫はやや声が籠り気味で、それでいて低音が響かないので、この曲に期待される男性的な迫力に欠ける歌かなと思いました。

 「人知れぬ涙」。高音がしっかり響くのですが、キンキン声になってしまい、この曲に期待されるロマンチックな表情が薄れていたように思います。もう少し中音部が厚く聴こえるとよいのにな、と思いました。

 ルチアの第一アリア。月村萌華は本当に素晴らしい声の持ち主で、高音も中音部もしっかり鳴って且つ美しい。ただ、歌が健康的過ぎて細かいニュアンスが聴こえてこず、この曲のもつ不安げな印象が感じられないのがちょっと残念でした。

 続くルチアの二重唱。福田亜香音のルチアは、月村ほどのパワーはありませんが、細かいニュアンスが見事でルチアっぽいルチアでした。そこに絡む平尾啓のエドガルドは声に違和感があったようで、それでも途中まではいつもの平尾の強い声でしっかり響かせていたのですが、アクートで破綻。それを何とか整えて、最後の二重唱部分をまとめたところは素晴らしい。

 鈴木集のマラテスタのアリア。ハイバリトンの声がいい感じに響いて、とてもいい歌だったと思います。続く「用意はできたわ」の二重唱。月村萌華は悲劇のヒロインよりも喜劇が似合っているようで、ノリーナのしたたかな可愛らしさを上手に表現していたと思います。もちろん鈴木のマラテスタもすてき。

 飯島由利江のレオノーラもちょっと残念な歌。一言で申し上げればヒロインの華やかさが感じされない地味な印象でした。

 道化師の二重唱。この曲はややドラマティックなソプラノと軽いバリトンが組み合わさると一番いい感じで響くと思うのですが、ネッダを歌った小山道子はネッダとしては軽めの声、飯塚学はシルヴィオとしては重めの声で、バランス的に逆な感じがしました。

 ジュリエットのアリア。前半やや上ずり気味。でもそれが夢みる乙女としてはいいのかもしれません。

 シェニエの3つのアリア。これは全てよかったお思います。平尾啓は喉にやや違和感があったようで最善ではなかったですが、それでも魅力的な声を聴かせました。続く中原沙織のマッダレーナ。この曲は彼女が得意としている曲のようで、同じ曲を前にも聴いていますが、安定したパワフルな歌唱でよかったです。ジェラールのアリア。こちらも飯塚学に似合っており、いい歌唱でした。

 ノルマとアダルジーザの二重唱。きっちりハモっていて素晴らしい。飯島由里江もこういう合わせていく役の方が得意なのでしょう。とても素晴らしい二重唱になっていました。

 小山道子のリュー。声がリューに丁度いい感じで、胸に染みる歌だったと思います。

 長澤みゆきの蝶々さん。素晴らしい蝶々さんを数多く聴いた立場としては物足りない。声にもう少し力が欲しいですし、最後が乱れたのも残念でした。続く花の二重唱。こちらは蝶々さんとスズキの関係性が良くて、悪くなかったと思います。

 最後の四重唱。よかったです。ソロではあまりぱっとしなかった原優一、相羽薫がマントヴァ公、マッダレーナとして原は軽快かつ官能的に、相羽も官能的に歌いエロティックな様子を醸し出し、それに対しジルダの悲しみとリゴレットの内に秘めたる怒り。福田亜香音はジルダにぴったりでしたが、鈴木集はリゴレットとしてはちょっと貫禄不足。しかし歌そのものは良かったです。

 全体として申し上げられることは若い人に力のある方が増えているなという印象。自分の声に見合った役を見つけて更に成長して欲しいと思います。

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鑑賞日:2023年10月7日

入場料:B席 3F4列52番 3500円

主催:昭和音楽大学

昭和音楽大学オペラ公演2023

オペラ2幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」 (L'elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 昭和音楽大学 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 ニコラ・パスコフスキ
管弦楽 昭和音楽大学管弦楽団
合 唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮/副指揮 安部 克彦
演 出 マルコ・ガンディーニ
美 術 イタロ・グロッシ
衣 裳 アンナ・ビアジョッティ
照 明 西田 敏郎
演出補 堀岡 佐知子
舞台監督 斎藤 美穂

出 演

アディーナ 山口 はる絵
ネモリーノ 高橋 大
ベルコーレ 岩美 陽大
ドゥルカマーラ 小野寺 光
ジャンネッタ 塚本 雛

感 想

新演出とアディーナと-昭和音楽大学オペラ2023「愛の妙薬」を聴く

 まず個人的な話をひとつ。この「愛の妙薬」で、私のオペラ鑑賞総本数が1000本の大台に乗りました。この「どくたーTの音文協奏曲」を始めたときには、まだ77本だったので、自分のオペラ鑑賞は、このサイトとともにあったのだな、と今更ながらに思います。1000本はひとつの通過点に過ぎませんが、その通過点が大好きな「愛の妙薬」であったことは幸せに思います。

 さて、大学オペラは各大学でやられていますが、東京の音楽大学で学外に広く公開されているのは、東京芸大、国立音大大学院、洗足学園、そして昭和音大でしょう。それぞれ特徴がありますが、昭和は指揮や演出など主要な核を教員や外部の招聘音楽家が担い、舞台の実務を学生が担う。またキャストは卒業生の若手歌手が担うというところに大きな特徴があります。

 今回の演出はマルコ・ガンディーニ、昭和音大の客員教授が勤めました。昭和音大は一時期「愛の妙薬」を2年間隔ぐらいに上演していたのですが、今回の上演は11年ぶり。その3年前の2009年がやはりマルコ・ガンディーニの演出でやっていて、この時の舞台は、空港のショッピングモールで、藤原歌劇団がその年の春、東京文化会館でおこなった舞台をもってきたものでした。したがって、今回の舞台はガンディーニとしては完全な新演出になります。

 舞台は農村の広場で時代は現代の秋なのでしょう。束ねた藁の塊が山になっており、ホリゾントには絵をかいて広さを見せています。イタロ・グロッシによるこの写実的な舞台が秀逸。そこに集まってくる農民たちの演技ですが、細かく見ていると本当に面白い。例えば、ネモリーノがおじさんの遺産を相続して大金持ちになったことを知って、ジャンネッタ以下若い女性が言い寄る場面では、女性たちとネモリーノが手を組んでラインダンスを踊るとか、「ラララ」の部分では、アディーナとネモリーノがボールをお互いパスしあって、ドリブルをしながら歌うとか、細かい演技が「遊んでいるな」という演出。運動神経がない歌手がやったら大変なことになりそうですが、若い歌手たちは運動神経もいいのでしょう。一方で、兵隊の描き方などはよく分からない。普通の演出では兵隊をコミカルに示すために思いっきりグダグダに動かすか、すこぶる真面目に歩かせるかのどちらかだと思うのですが、そこは中途半端。軍服は着ているけれども小銃は持っていないし、歩き方はもう少し工夫して見せたほうがいいのではないかと思いました。

 パスコフスキの指揮は颯爽としていていかにもイタリア人指揮者という明るさがあります。オーケストラの弦楽器の音色などはさすがにプロのレベルというわけにはいかないのですが、しっかりメリハリがついていて、時々いい音が流れてきます。その音楽的サポートの中で学生たちや若い歌手が溌溂と歌います。

 今回はアディーナの山口はる絵が見事。昨年の「フィガロの結婚」ではスザンナを歌っていて、そこでは色々と課題が散見されたのですが、今年は役柄がスザンナよりも彼女に合っているのか、とても素敵だったと思います。導入曲の「冷淡なイゾルデが」のカヴァティーナは緊張していたのか、ちょっと伸びやかさにかける歌で音的にも変なところがあったのですが、二曲目のネモリーノとの二重唱ではかなり立て直し、一幕フィナーレからは凄くいい感じ。二幕は冒頭の舟唄から四重唱、それからドゥルカマーラとの二重唱と溌溂とした歌が続き素敵です。アディーナは典型的なツンデレ役ですが、「ツン」よりも真の愛に目覚めた「デレ」における表情が良かったと思います。

 一方、ネモリーノ役、高橋大の歌唱は私は買わない。全体的には暴走するところとブレーキがかかるところとがあって、そのバランスが悪いのです。一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」がその典型。この曲の最初はロマンティックに歌おうとして、とてもいい感じで始まるのですが、語尾が響かず音楽が下に向いてしまう。ところがアクートを決めようとするとそこだけ「バン」と張っている感じで、ひとつの音楽の流れとしては不自然なのです。これは一例ですが、他も似た感じです。ひとつの曲の起承転結のようなものが見えてこない、と申し上げたらよいのでしょうか。もちろんいいところもあったのですが、全体的には不満です。

 小野寺光のドゥルカマーラ。一言で言えば芸達者。このメンバーの中では一番大きな舞台経験の多い人で、それが歌唱演技に反映していました。ただ、全体的にこの方は音楽優先というより役作り優先の印象が強いです。役作りをするためには音楽がきちんと消化されていることが大前提ですのでもちろん素晴らしいことですし、ブッフォ役なのでそれでいいとも思いますが、私はもっと音楽が聴きたい。登場のカヴァティーナ「お聞きなさい、村の衆」なんかは本当に口上を言っている感じになっているのですが、もっと楽譜に沿ってもいいと思います。8月の荒川区民オペラでの三神祐太郎のドゥルカマーラと比較したとき、ドゥルカマーラとしての見せ方というか存在感は小野寺光が上と思いますが、音楽的な味わいでは私は三神を取ります。

 岩美陽大のベルコーレ。二枚目崩れの三枚目という印象の歌でした。ベルコーレはかき混ぜ役で最後は振られてしまうのですから、キザにいくより、三の線を強調する方が私は好きです。たとえば、登場のカヴァティーナ「魅力的なパリデがしたように」などはもっと大げさに歌って、三枚目を見せたほうが良かったのではないかと思いました。

 合唱は若さが十分でかつ力強く素晴らしい。

 以上、自分としては好めないところもあったのですが、ガンディーニの遊び心十分の演出と山口はる絵の清新なアディーナで、大いに楽しめました。 

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鑑賞日:2023年10月8日

入場料:指定席 12列14番 6000円

主催:東京藝術大学音楽学部・東京藝術大学演奏藝術センター

第69回藝大オペラ定期公演

オペラ2幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」 (Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 東京藝術大学奏楽堂

スタッフ

指 揮 佐藤 宏充
管弦楽 藝大フィルハーモニア管弦楽団
合 唱 東京藝術大学音楽学部3年生 オペラ実習Ⅰ履修生
合唱指揮/副指揮 小崎 雅弘
演 出 今井 伸昭
美 術 鈴木 俊朗
衣 裳 西原 梨恵
照 明 稲葉 直人
音 響 山田 香/亀川 徹
舞台監督 大澤 裕

出 演

フィオルディリージ 影山 亜由子
ドラベッラ 富岡 明子
フェッランド 有ケ谷 友輝
グリエルモ 佐橋 潤
デスピーナ 藤井 碧里
ドン・アルフォンゾ 髙崎 翔平

感 想

東京藝術大学の力量-第69回藝大オペラ定期公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 大学院生中心のキャストに助演が入るというスタイルの公演ですが、均質性があり、全出演者が一定以上のレベルで演奏されていたことで、素晴らしい公演になったと思います。それが東京藝術大学の力量なのか、それとも69回続いてきた伝統の力なのか、そこはよくは分からないところですが、いい演奏が聴けて大満足です。

 まずオーケストラが上手です。それもそのはず。藝大フィルって、学生オケかと思ったら大学に所属するプロのオーケストラなのだそうで、音色の美とか、フレージングの滑らかさとかが学生オケやアマチュアオケとは一線を画している様子です。佐藤宏充の指揮は曲の持つ様式感や構成感を大切にした指揮ぶりで、どこかを特に盛り上げたりすることはなく、必要なことを淡々とこなしていくものでした。「コジ・ファン・トゥッテ」は舞台で行われている演技・歌唱とも様式美が強調されるものなので、そのような音楽作りが全体的な様式美を際立たせるの的確だったのではないかと思います。

 歌手に関しては全員が同じ様式感を共有して歌っているように聴きました。それが均質感を感じる理由だったのだろうとも思います。とはいえ、大学院生と助演の教員とでは力量の差が明確でした。圧倒的によかったのがドラベッラ役の富岡明子。大学院生とは経験値が違いますから上手で当然なのですが、高音も張れるし、中低音も響くし、演技もいい感じだし、フレージングは見事だし、重唱では聴かせるところはしっかり聴かせ、支えるところは支え、きっちりとしていて、様式美もしっかり感じられ、素晴らしいとしか言いようがない。今回の舞台の上の音楽は実態として彼女が核になり、他の人たちはそれに寄るような形で進んだのではないかなと思います。それも全体的な統一感に繋がったのでしょう。

 フィオルディリージを歌った院生の影山亜由子。今の彼女の声はまだフィオルディリージを歌うには軽すぎる感じに聴きました。低音が響きません。デスピーナには向いているとは思いましたが、デスピーナを歌った藤井碧里と比べれば落ち着いた声質なので、この選択になるのでしょう。そういう条件の中で、彼女は精一杯フィオルディリージを務めたと思います。ふたつの大アリア「岩のように動かず」も「フィオルディリージのロンド」も跳躍で低音に飛ぶと全然響かないといったことはあるのですが、雰囲気の出し方や感情の込め方も感情過多にはならずにいいバランスで歌ってくれて、全体の様式美維持に貢献してくれたと思います。

 デスピーナ役の藤井碧里。彼女の声デスピーナにぴったりで、歌のまとめ方も全体の枠の中にしっかり嵌っているのでいい感じに聴こえます。そういうわけでとても良かったのですが、「女も15になれば」のアリアの冒頭はもう少しけれんみを見せてもよかったのかなと思ったのと、医師に化けたり公証人に化けた後の演技・声色はもっと強調してやっていいと思います。

 男性で一番良かったのはやはり助演で入ったドン・アルフォンゾ役の髙崎翔平。二人の大学院生よりはいいのですが、女声の富岡明子と影山亜由子、藤井碧里との差はなかったのかな、というところ。ひとつは髙崎自身がまだ若く、ドン・アルフォンゾに期待される人生を見据えた重厚感のようなものが実感として分からないということがあるのでしょう。そのためか、所々軽く聴こえてしまうのがちょっと残念だったかもしれません。

 有ケ谷友輝のフェランド。アリアは綺麗ですし、重唱でもしっかり自分の役割を果たしてよいと思います。

 グリエルモ役の佐橋潤。声がテノールのように聴こえる方で、ハイバリトンなのでしょうが、声の重心がもう少し下がった方がベターかなとは思いました。ただ、テノールっぽく聴こえることで、フェランドとの重唱では二人の声が均質になり、いい感じに響いたと思います。

 男声3人についても歌唱の様式感はしっかり感じていたようで、全体として六人のバランスが良く、この作品のもつ美しさをしっかり感じさせる演奏になっていたと思います。

 今井伸昭の演出は序曲部分で合唱のメンバーにアイドル?を追いかける女の子や、そのアイドルの男性を引っ張っていく妻を出して見せて、女性の強さを強調するもの。本編の部分は、板の幕をうまく使って、奥の舞台をどんどん変更していく演出でオーソドックス。舞台も男女3人ずつの均等性を踏まえたもので美しく、舞台も作品の様式美を意識したものになっていました。最後は騙された女たちが怒って男を振るパターンが最近多いですが、今回はかなり捻っていました。まず、ドラベッラとフェランドが抱き合うがすぐ分かれる、フィオルディリージはグリエルモを拒否。そこにフェランドがフィオルディリージに向かい二人が抱き合って、ドラベッラとグリエルモが呆然と立ち尽くす、というもので、一番貞操堅固と思われたフィオルディリージが妹の婚約者を奪ってしまうというラスト、結構カオスで面白いなと思いました。

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