オペラに行って参りました−2003年(その3)−

目次

2003年 9月14日 ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」(ハイライト)
2003年 9月18日 ヴェルディ 「アイーダ」
2003年 9月30日 プッチーニ 「蝶々夫人」
2003年10月12日 チマローザ 「秘密の結婚」
2003年10月14日 グノー   「ロミオとジュリエット」
2003年10月17日 モーツァルト「フィガロの結婚」
2003年10月24日 ドニゼッティ「愛の妙薬」
2003年11月 2日 日本ロッシーニ協会定期演奏会2003
2003年11月14日 プッチーニ 「トスカ」
2003年11月15日 イタリアのモーツァルト
2003年11月22日 ベルグ   「ルル」
2003年12月 5日 オッフェンバック「ホフマン物語」

オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2003年9月14日
入場料:B席 2500円 2F 8列9番

主催:東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
後援:財団法人大田区文化振興協会/東京オペラ・プロデュース/日本ロッシーニ協会

ユニフィル名曲コンサート No.8「オペラへの誘い」

解説付原語(イタリア語)上演。ハイライト上演
ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」(Il Barbiere di Siviglia
全2幕ハイライト

原作:ボーマルシェ
台本:ジュゼッペ・ぺトロセッリーニ

会場 大田区民ホール アプリコ

指 揮:松岡 究  管弦楽:東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
構成・演出:松尾 洋
舞台監督:八木清市
司会・解説:池田卓生

プログラム
序曲    
第1幕より   アリア「私のような先生には」(バルトロ)
カヴァティーナ「今や大空に輝かしく」(伯爵)   フィナーレよりストレッタ「なんとかまびすしいこの騒ぎ」(全員)
カヴァティーナ「私は町の何でも屋」(フィガロ)   第2幕より
二重唱「金を見れば知恵がひらめく」(伯爵・フィガロ)   二重唱「ごきげんようございまして」(伯爵・バルトロ)
カヴァティーナ「今の歌声は」(ロジーナ)   五重唱「ドン・バジリオ」(全員)
アリア「陰口はそよ風のように」   三重唱「何てことなの!」(ロジーナ・伯爵・フィガロ)
二重唱「それじゃ私ね」(ロジーナ・フィガロ)   フィナーレ「この目出度い恋のお話、きっと長く私どもの胸に」(全員)

出演者

伯 爵 五郎部 俊朗
ロジーナ 佐橋 美起
バルトロ 太田 直樹
フィガロ 今尾 滋
ドン・バジリオ 山口 俊彦

感想

 私はロッシーニのオペラが総じて好きなのですが、この「セヴィリアの理髪師」は、とりわけ好きな作品です。ロッシーニのオペラはセリアでもそうなのですが、じめじめしない。からっとしている。特にブッファは音楽の軽さと乾燥具合が私の趣味にぴったりです。私は熱血的で激しいヴェルディも好きなのですが、軽くて洒落たロッシーニがより好ましいです。ことに最初から最後まで洒落た音楽で一杯の「セヴィリア」は、とても大切な一作です。

 もう一つロッシーニをはじめとするベル・カント・オペラは、技術で勝負できる良さがあります。後期ロマン派のオペラは体力勝負みたいな所があって、まず声がしっかりしていなければ始まらない感じが強く、日本人の歌手では一部の例外を除くと欧米の一流どころと対抗するには体力的に無理があります。しかしロッシーニならば、トレーニングで技術を極めれば、かなりのところまで行きます。ロッシーニテノールやバッソ・ブッフォの問題はあるのですが、本物のロッシーニテノールは世界中を探しても幾らもいませんし、内面からおかしさがにじみ出るようなブッフォはこれまた数が少ない。そう思うと練習できちんと仕上て来る日本人歌手にロッシーニは相当向いている、というのが私の考えです。

 今回の上演は、オペラ初心者を対象としたハイライト上演で、解説付きです。解説は日経新聞の音楽記者、池田卓生さん。日本には音楽ジャーナリストが数多いですが、池田さんほどメジャーじゃない上演を聴いているジャーナリストを私は知りません。私は結構マイナーなオペラ舞台を見に歩きますが、幕間の休憩時間によく見かけます。恐らく本質的にオペラが好きな方だと思います。ただそのせいか説明がくどい。音楽の流れが切れてしまいます。スピーディな展開もロッシーニの魅力の一つですから、それが途切れてしまったのは残念です。また、ハイライト上演は一寸中途半端です。セヴィリアの理髪師の聴き所はほとんど網羅されているものの、第2幕の音楽は相当端折られていますし、第1幕のフィナーレのドタバタもストレッタ以外はカットですから。

 それでも歌自体は、最高では無かったものの、十分合格点を与えられる演奏でした。5人が5人とも一定の水準以上だったことが良かったと思いました。五郎部俊朗のアルマヴィーヴァ伯爵。彼以上のロッシーニテノールは日本に居らず、ある時期は世界でもトップクラスのロッシーニ歌いだった五郎部ですから、流石の堂に入った歌いっぷりです。軽々と歌っても声が一番飛びますし、要所要所の締め方、見せ方は流石です。声の輝きに魅力が薄れてきたのが一寸残念ですが、彼が全体の水準を引き上げたことは間違いありません。

 フィガロ役の今尾滋。彼も好調でした。きびきびとした大きな演技も良かったですし、フィガロのはつらつとした感じを上手く出して快調でした。ただ、本来お持ちの声のポテンシャルのレベルがそんなに高くない方のようで、ソロならば気にならないのですが、デュエットになると弱みが見えて来ます。例えば、「金を見れば知恵がひらめく」は、いいコンビだと、伯爵とフィガロの関係が互角に聞えるのですが、五郎部・今尾のコンビだと五郎部さんに押されてしまいます。

 佐橋ロジーナは下町風のおきゃんなロジーナに仕上て来ました。佐橋の趣味なのか演出の松尾洋の趣味かは良くわかりませんが、令嬢ロジーナというよりは、したたかな感じを前面に出したロジーナでした。「今の歌声」は、フィオリオーラを随分付けたもので、それなりに面白かったですが、やり過ぎという気も一寸いたしました。

 太田直樹のバルトロは、ブッフォとしての魅力はあまり感じられなかったのですが、速いアジリダをしっかり決めて来た所は評価すべきでしょう。まともに聴くのは初めての方で、本来どういうキャラクターの歌手か良く知らないのですが、技術面をしっかりして登場した所は高く評価しなければいけません。

 山口バジリオは、バジリオのせこさを表わすには、一寸貫禄がありすぎる感じです。「陰口は」のアリアは立派でしたが、何かザラストロが歌っているような感じで、しっかりしているのですが、軽さに欠ける所が一寸不満です。

 松岡究が指揮する東京ユニバーサルフィル。松岡のロッシーニは結構いいものもあるのですが、今回私は一寸重めで買いません。ナレーションで寸断されて乗りにくい、という所もあったのでしょうが、割と凡庸な演奏だったと思います。ただ、オーケストラが主役になるのは序曲だけで、他はほぼ完全に「付け」ですから、オケの粗はほとんど目立ちませんでした。

 そんな訳で、一流の演奏ではなかったのですが、音楽の水準が整っていたという点でまとまりがよく、日曜日の昼下がりを楽しむには恰好の機会でした。

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鑑賞日:2003年9月18日
入場料:E席 3780円 4F 3列26番

主催:新国立劇場

字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「アイーダ」(Aida
全4幕

台本:アントニーオ・ギスランツォーニ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:ダニエル オーレン  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
バレエ:東京シティバレエ団  児童バレエ:ティアラこうとう・ジュニアバレエ団
演出・美術・衣装:フランコ・ゼッフィレッリ  照明:奥畑 康夫
振 付:石井 清子  舞台監督:大仁田雅彦

出演者

アイーダ ノルマ・ファンティーニ
ラダメス ヴァルテル・フラッカーロ
アムネリス 藤川 真佐美
アモナスロ 堀内 康雄
ランフィス カルロ・コロンバーラ
エジプト国王 彭 康亮
伝令 於保 郁夫
巫女 岩永 圭子
バレエ・ソリスト 関本 美奈(第1幕第2場)
    安達 悦子(第2幕第2場)
    市川 透(第2幕第2場)

感想

 新国立劇場開幕記念公演の「アイーダ」は、切符を手に入れることが出来ず、聴いていないので、ゼッフィレッリのこの舞台を見るのは初めてです。一言で申しあげれば、「流石」ですね。絵になる舞台とは、このような舞台をいうのでしょう。お金のかけ過ぎであるとか、ゼッフィレッリに法外な演出料を払ったとか悪口も少なくありませんが、こういう掛値なしの一流ものを自分のものに出来るのであれば、ある程度費用がかかるのはしょうがないのかな、とも思います。

 音楽面はともかく演出面でアイーダをグランドオペラらしく演出するのはそう容易ではなく、国内制作のアイーダは藤原歌劇団の粟國安彦演出のものしか見たことがないのですが、粟國演出の凱旋の場の舞台は、少ない人数をいかに多数に見せようとしているかを観客席からも仕掛けがわかってしまい、結構無理をしているのがわかりました。海外のものでは、シノーポリ指揮のウィーン国立歌劇場の舞台をみたことがあるのですが、シノーポリの音楽はさておき、舞台・演出はリアリズムであり、凱旋の場面も、砂漠から戻って来た感じを強調するもので華やかさに欠けていたことを思いだします。一方、スカラ座のルカ・ロンコーニの舞台は素晴らしいもので、流石スカラ座だと思いました。

 そういう目で見ると、新国立劇場のゼッフィレッリの舞台は、オーソドックスではあるけれども、世界の一流歌劇場の舞台と肩を並べられるものとして見て良いのではないかと思います。私は素直に感心しました。

 ところで、私は「アイーダ」という作品を、ヴェルディの作品の中ではあまり好きではない。中期の名作の集大成であり、後期の傑作「オテロ」、「ファルスタッフ」への入口であるという位置付けは全くその通りなのですが、中期のヴェルディの「熱気」が一部成熟し過ぎちゃっている部分があるし、一方で、後期の二作程洗練もされていないと思います。オペラの流れを考えれば、スペクタクル性を排除して、アイーダとアムネリスとの男の取り合いの心理オペラにすれば、「オテロ」のようにもっと内容の引き締まった作品となったとおもうのですが、現実には凱旋の場のスペクタクル性が強調されます。私の見た日も第2幕までは満席だったのですが、第3幕以降はあちらこちらに空席が見えました。

 ダニエル・オーレン/東フィルの演奏はオーソドックスですが、流麗で結構なものでした。もっと熱気のある音楽を作ってくるのではないかと思っておりましたが、全体として調和を重んじた邪魔にならない指揮で、音楽を下支えしていたと思います。勿論、要所要所を締めており、派手ではないけれども、アイーダの音楽を明示するのに十分なものを示していたのではないでしょうか。東フィルの演奏も細かいトラブルは散見されましたが、全体としては、明確なものであり、良かったと思います。

 歌手は主要5役は皆立派なものでした。逆に言えば、エジプト国王の彭は主要5役と比較すると、力量不足が明らかでしたし、巫女役の岩永圭子の歌も私はあまり感心いたしませんでした。

 ノルマ・ファンテーニはアイーダに向いたソプラノです。高音部は弱い方なのですが、中音部に膨らみがあって一寸深みのある綺麗な声で、アイーダにぴったりだと思います。「勝ちて帰れ」の表情も、第3幕のアリアの表現力も、ただただ上手いなあ、と感心するばかりです。彼女の歌は仮面舞踏会のアメーリアだの、トスカだの、トロヴァトーレのレオノーラだの何回も聴いて居りますが、いつも所々に穴があって、満足したことは無かったのですが、今回は文句なしです。

 ラダメスのフラッカーロもブラボーです。一寸軽めの明るい声で歌い、声が良く抜けます。「清きアイーダ」は若き将軍の恋人を思う心が良く出ていたと思いますし、第4幕の牢屋の中の一寸泣きの入った歌も素敵でした。

 アムネリスの藤川真佐美の歌も褒めなければなりません。夏のラ・ヴォーチェ「ノルマ」では、アダルジーザ役でクレジットされていたわけですが、キャンセル。体調不良かとも思われましたが、復活したようです。今回の歌は十分に存在感のあるアムネリス役で良かったです。アイーダの中で一番のキーパーソンはアムネリスで、性格も複雑ですし、どう演じるかという点で考えると容易な役柄ではないと思います。敗者の美学をどう歌うかという点でも、歌手の力量が試されます。藤川の歌は技術的にも優れておりましたが、アイーダにかなわない女心・嫉妬心と諦めが伝わって来る歌で良かったです。第2幕1場のアイーダとの二重唱は、がっぷり四つに組んだ良いものでしたし、第4幕1場のアリアも存在感のある良いものでした。

 アモナズロの堀内康雄は、いつもながら快調な声。ランフィスのコロンバーラは久しぶりで聴きましたが、張りのあるバスの声が魅力的でした。

 主要5役の粒が揃っていたこと、指揮者、オーケストラがバランスの良い音楽を奏でていたことから、演出面の素晴らしさも相俟って、上質でバランスのとれた演奏になっていたと思います。今回で、五十嵐喜芳芸術監督が退任となりますが、五十嵐監督の掉尾を飾る素晴らしい舞台でした。

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鑑賞日:2003年9月30日
入場料:C席 6000円 5F 1列6番

主催:(財)二期会オペラ振興会
東京二期会オペラ劇場公演
平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業

字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」(Madama Butterfly
全3幕

台本:ルイージ・イルリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮:小林研一郎  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:松井和彦
演 出:栗山 昌良  舞台美術:石黒 紀夫
衣 装:岸井 克己  照 明:沢田 祐二

舞台設計:荒田 良  舞台監督:菅原多敢弘

出演者

蝶々夫人 腰越 満美
スズキ 与田 朝子
ケート 柳澤 利佳
ピンカートン 水船 桂太郎
シャープレス 蓮井 求道
ゴロー 近藤 政伸
ヤマドリ 畠山 茂
ボンゾ 峰 茂樹
神官 馬場 眞二
ヤクシデ 小畑 秀樹

感想

 私はプッチーニ嫌いを広言しているのですが、とりわけ「蝶々夫人」は気に入らない作品です。ベースにあるメロディは、プッチーニ1と言って全く問題ない美しさで、そこだけに限れば私も評価するのですが、そこにどんどん日本風のメロディーを乗せて行くと、デフォルメされたオリエンタリズムになってしまい、鼻につきます。そのうえ、お話が典型的な「お涙頂戴」ですからね。私には台本も音楽もあざと過ぎます。だから、「蝶々夫人」を聴きに行きたいとは全く思わないのですが、最近気になっているソプラノ、腰越満美が蝶々さんを歌い、二期会のテノールのホープ、水船桂太郎がピンカートンを歌うとなれば、それは見逃したく無い。コバケンの指揮というのも興味が持てるところです。そんな訳で、東京文化会館に出かけてまいりました。

 演奏は、私が想像していたものとはかなり異なっていました。そして、それは良い方に裏切られたと申し上げてよいでしょう。まず小林研一郎の指揮が適度に抑制されていて、上滑りしないところが良かったです。ところどころに炎のコバケンの片鱗が窺えましたし、指揮をしている様子を見ていると、決してテンションが低い訳ではないのですが、コバケン独特の爆発には行かない。寧ろ、歌手の歌をじっくり見定めながら合わせていっているように思われました。そういう抑え気味の演奏をしながらも、音楽の流れは快調でしたし、かつ、音の密度がしっかり感じられました。音楽の隅々まで小林の統率が取れていたということなのでしょう。特にハミング・コーラスの部分などは、実に透明度の高い演奏を聴かせてくれたと思います。

 歌手も予想外。腰越満美はもっとスピントを聴かせたドラマチックな歌い方で迫るだろうと思っていたのですが、リリックな歌い方で通しました。泣きに入らない抑制された歌い方は、フォームが崩れず、純粋に音楽を聴きたい聴き手に取って非常に好ましいものでした。逆に、一番の聴かせどころである「ある晴れた日に」は、あまりにすっきりしていて、コクが無く、盛りあがりに欠けたところも否めません。しかし、私は今回の全体の流れからして、ここだけを無理にドラマチックにしなかったことが良かったのではないかと思っております。腰越は、顔立ちがバタ臭く、日本的な美しさが出せるかどうかを一寸危惧していたのですが、そこも全く問題無いものでした。お世辞にも15歳には見えません(ちなみに、私がかつて聴いた全ての蝶々さんで15歳を感じさせてくれた演奏は一つもありません。これは、そういう風に音楽を付けたプッチーニの責任で、私がこの作品を好きになれない理由の一つです)が、立居振舞がなかなか上品で和服姿もよく似合って、美しいものでした。

 ピンカートンの水船桂太郎は、声はよく飛びますし、地声も美しく、二期会のホープであることはよく分りました。しかしながら、オペラを演じるということがどういうことであるか、ということを自分の中で消化されていないようです。自分の歌を歌うだけで精一杯で、まわりに合わせられていないという印象でした。第1幕の愛の二重唱は、夫唱婦随の形になるのが好ましいと思うのですが、腰越のバランスの取れた歌に水船は付けるのが精一杯で、夫唱婦随というよりは、婦唱夫随になっていたのは残念な所です(勿論、これは腰越の歌が立派だったことの裏返しなのですが)。

 スズキを歌った与田朝子は、彼女を聴いたこれまでの経験の中では一番良いものでした。演技も良かったと思いますし、「花の二重唱」での蝶々夫人とのバランスや、ケイトが登場する場面での抑制された歌唱は、蝶々夫人の悲劇を際立たせるのに良好なものでした。シャープレスの薄井求道は、発声はきちっとしていて良いのですが、それを持続出来ないきらいがあり、善人ではあるけれども、現実には何も出来ないシャープレスというキャラクターによく合っている感じが致しました。

 他の出演者で割りと良かったのが近藤政伸演ずるゴロー。彼の演技も抑制されていて、嫌らしくならない。栗山昌良の演出は、日本風のオーソドックスなもので、取りたてて申し上げるほどのものでもないと思います。ただ、第1幕などは、舞台の上の登場人物を動かし過ぎのような気が致しました。一方で、第2幕のハミングコーラスから幕切れの部分は、蝶々夫人と坊や、スズキの三人が影絵のように消えてゆき、その絵柄の美しさには感心致しました。

 総じて言えば、音楽の作りが抑制されていてお涙頂戴に走らなかったこと、特に主演の腰越満美に芯が通っていたことからなかなかよい上演になっていたと思います。満足致しました。それで、私の「蝶々夫人」嫌いは直ったかって? いや、それでも「蝶々夫人」は嫌いです。

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鑑賞日:2003年10月12日
入場料:自由席 2000円 

主催:国立音楽大学
国立音楽大学 大学院オペラ公演

字幕付原語(イタリア語)上演
チマローザ作曲「秘密の結婚」(Il Matrimonio Segreto
全2幕

台本:ジョヴァンニ・ベルターティ

会場 国立音楽大学講堂 大ホール

指 揮:北原 幸男  管弦楽:国立音楽大学オーケストラ
演 出:中村 敬一  装 置:鈴木 俊朗
衣 装:半田 悦子  照 明:山口 暁

舞台監督:徳山 弘毅

出演者

カロリーナ 安住 英子
エリゼッタ 松井 敦子
フィダルマ 沼田 香奈
パオリーノ 柿迫 秀
ロビンソン 高田智士(1幕)/折河宏治(2幕)
ジェローニモ 岡崎 智行

感想

 タイトルこそ有名だけれども、実際はなかなか聴くことの出来ないオペラ作品がいくつもあります。「秘密の結婚」は正にその例で、音楽史を紐解くと、オペラ・ブッファの代表として必ず名前が出る作品なのですが、実際の上演例はそうあるものではなく、最近では、2000年3月に東京室内歌劇場が取り上げた例があるぐらいです。私は初めて聴く作品でした。発表・初演されたのが1791年と、モーツァルトとほぼ同時代に活躍した作曲家だけあって、ロココ調の優美で楽しめる音楽が全体を貫きます。非常に聴き易く,ストーリーの破綻も少なく、聴いていて楽しくなる作品でした。こういう作品は、もう少し上演機会が増えても良いのではないかと思います。

 上演全体として見たときは、まあまあの出来ではなかったかと思います。音楽全体の動きをまとめていたのは、北原幸男です。北原の指揮は全体として「優美な軽め」を目指していたのではないかという風に聴きました。オーケストラは美音とはとても申し上げられませんし、弦・管共に細かい事故多発の状況で、北原の意図が100%達成されたかどうかは甚だ疑問ですが、一方で、指揮者の意図に合わせて演奏しようとする求心力が働いており、その結果としては、オペラの伴奏としては決して悪くないレベルの演奏が成り立ったように思いました。

 六人の登場歌手の内、三人が大学院生で、あとの三人は最近大学院を終了してプロの歌手を目指している若手です。舞台の振りつけや動きを見ていると、よく練習を積んだように思われました。細々としたミスはあったようですが、若い歌手たちの努力の跡が浮かび出ていました。その頑張りに拍手を贈りたいと思います。

 とはいえ、所詮は大学院生のオペラですから課題も多いです。全般に言えることは、テクニカルな問題が結構目に付きました。例えば、フォルテで歌っているときは良いのですが、ピアノで歌うと、歌が失速します。一流の歌手の方が歌うと、劇場の最後列で聴いていても、フォルテとピアノが同じスピードで飛んでくるのですが、彼らのピアノは途中で失速落下します。この辺はもう少し改善の余地があるでしょう。

 歌手の中で一番優れていたのは、ニ幕だけロビンソンを歌った折河宏治でした。声に密度のあるバリトンで、一幕の高田と比較すると、実力の差が明確でした。第2幕の伯爵のアリア「私は変りもの」は、響きがよく且つコミカルで、楽しめました。良い声の持ち主ですし、センスも悪くないので、これからの精進を期待したいものです。

 パオリーノ役を歌った柿迫も、なかなか将来性がある人のように聴きました。地声が良いのが魅力です。ただ、この方は声に透明感がなく、レジェーロでは無いようです。パオリーノに向いているかと言えば、一寸違うのではないかという気が致しました。ジェローニモの岡崎もなかなか良い歌唱だったと思います。ハイバリトンでよく歌っていました。ただ、どうみても役が板に付いていない。ジェローニモはバッソ・ブッフォの役ですが、彼の演技を見ていても、無理やりブッフォを演じているのがミエミエで、おかしさが表面的です。現在の日本の若手歌手で、バッソ・ブッフォ役をこなせる人は一人もおりませんので、岡崎を責めるのは酷なのですが。

 女声陣で一番頑張っていたのは、エリゼッタを歌った松井です。松井は、今回がオペラデビューということですが、溌剌としたリリコ・レジェーロで好感が持てました。高音が綺麗に響きますし、中低音部も声が飛んでいました。ニ幕のアリアは、結構聴きごたえがありました。透明感が今一つであること、全体に硬めで自在さと言う点で不満が残ること、など色々と課題はあるのですが、今後に期待が持てる方のように思いました。

 一方、カロリーナ役の安住は問題が多かったように聴きました。中低音は篭るし、高音はキンキンと響いて今一つ。特に聴かせどころのアリアに問題が多い。重唱の一部には良い所もあるのですが、全体としては評価出来ない歌でした。

 フィダルマ役の沼田は、ところどころ抜けるのですが、全体として見たときなかなか頑張っていたと思います。

 中村敬一の演出は、細かい所までしっかりと手を入れた精緻なものでした。オーソドックスで、奇を衒うものではありませんが、若い歌手たちに舞台上の動きを教えるには恰好のものだったのではないでしょうか。

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鑑賞日:2003年10月14日
入場料:D席、5000円 4階R1列10番 

主催:財団法人日本オペラ振興会
平成15年度文化庁国際芸術交流支援事業
藤原歌劇団/トゥールーズ・キャピトル歌劇場共同制作オペラ公演

字幕付原語(フランス語)上演
グノー作曲「ロメオとジュリエット」(Romeo et Juliette
全5幕

台本:ジュール・バルビエ/ミシェル・カレ

会場 東京文化会館・大ホール

指 揮:マルコ・ボエーミ  管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合 唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:佐藤 正浩
演 出:ニコラ・ジョエル  装置・衣装:カルロ・トマジ
照 明:アラン・ギシャール
  舞台監督:大澤 裕

出演者

ロメオ 中鉢 聡
ジュリエット 高橋 薫子
メルキューシオ 谷  友博
ティバルト 小山陽二郎
修道士ローラン 大澤 建
ステファノ 安達 さおり
キャピュレット 三浦 克次
ジェルトリュード 永田 直美
パリス マイケル・ディーン・マクレイン
グレゴーリオ 清水 良一
ヴェローヌ大公 田島 達也

感想

 最近の藤原歌劇団は意欲的なプログラムを取り上げます。2000年ごろから見て行くと、新国立劇場共催で「ドン・キショット」、「エウゲニ・オネーギン」があり、2001年以降は独立で、「イル・カンピエッロ」、「カプレーティとモンテッキ」、「イタリアのトルコ人」、そして今回の「ロメオとジュリエット」、次回の「アルジェのイタリア女」と続きます。私はいつまでも「カルメン」、「椿姫」、「蝶々夫人」ではあるまいと思っているオペラファンなので、こういう滅多に聴けない作品を聴かせて頂けることは、とても嬉しいことです。

 「ロメオとジュリエット」の日本初演は1918年なのですが、第二次世界大戦後メジャーなオペラ団が上演した記録はありませんでした。しかしながら、1993年より東京オペラプロデュースが精力的に取り上げて、そして遂に藤原歌劇団も取り上げた、ということの様です。私は東京オペラプロデュースの公演を聴いておりませんので、初めての舞台聴取となります。バレエは無いものの、グランド・オペラ形式で書かれていて、相当長い。6時37分に開幕して、終演が10時15分過ぎ。カーテン・コールまで終ったら、もう10時30分近かった。私は、このオペラにつけたグノーの音楽が格別に素晴らしいとは思わないのですが、シェイクスピアの名作を上手くまとめていることと、歌手がとても良かったことが相俟って、退屈することなく最後まで楽しんで聴くことが出来ました。

 とはいうものの、私は今回の上演をもろ手を挙げて評価する訳にはまいりません。まず、オーケストラが今一つです。管の音が総じて粗く、特にフルートの音程に疑問を持ちました。ハープも変なところがありました。ポエーミの指揮は、一所懸命ためを作って、ふくよかな音を鳴らそうとするものでしたが、その意図を弦楽器は比較的きちんと反映していたように思いましたが、管楽器はその域ではなかったようです。4回目の最後の演奏なのですから、もっと頑張って弾いて欲しいと思いました。

 しかし、ボエーミのこの音楽づくりも私の好みでは無い。全体に重いです。ボエーミの音楽は歌手にとっては歌い易い指揮かもしれませんが、グノーのフランス音楽的エスプリよりも、ワーグナーの影響を前面に出している様に聞こえました。

 一方で歌手は総じて良かったのではないかと思います。特に高く評価しなければならないのが、ジュリエット役の高橋薫子。まず、ほぼ完璧な歌唱でした。彼女は本質的に真面目な人で、いつもきちんと役を作って演奏に臨むのですが、今回は特に本気になった、という気がいたします。最初から最後まで、ふくよかでボディのある歌声が均質に響き、彼女の実力の高さを証明致しました。1幕のアリエッタがまず良かった。伸びやかで溌剌とした歌で堪能させていただきました。その後悲恋が始まると、娘のジュリエットから女のジュリエットに変わっていく姿が実に明瞭で、第4幕の大アリアの素晴らしさは、ただただ感心するばかりでした。このアリアは、従来の高橋の声からすると、一寸重すぎるのではないかと危惧をしていたのですが、全くの杞憂に終りました。彼女のドラマティックな側面を初めて本格的に堪能させていただいたという気がします。今回のジュリエット、彼女のこれまでの歌唱でもベストの一つと申し上げてよいでしょう。

 また、高橋は演技も良かったです。恥ずかしながら、彼女がこんなにラヴシーンを上手に演じられるとは思ってもみませんでした。最初、登場したときはしっかり10代の清らかな娘に見えましたし、悲劇のヒロインになるにつれ、女の情熱が見えてくるところ、感じ入りました。

 ロメオの中鉢聡。彼も色々と問題はあったとは思いますが、終始中鉢スタイルが一貫しており、その点評価すべきだと思います。彼のむきになった歌いっぷりは、ロメオの若さを強調しており、役柄との合致と言う点で良かったのではないでしょうか。ハイCも決めてくれました。彼の問題は弱音の表現力でしょう。ジュリエットとの二重唱では、役柄上の年齢では、ロメオが年上にもかかわらず、優しいジュリエットお姉さんに我侭を言うやんちゃな弟という雰囲気になってしまい、どうしてもかっこがつかないのですね。それでも、中鉢・高橋のコンビは絵になります。ビジュアルにはいかにも10代のロメオとジュリエットという感じで良かったです。

 メルキューシオ谷友博は、「マブの女王」をなかなか軽妙に歌って良かったと思います。ティバルト役の小山陽二郎は、初めて聴く方ですが、特に破綻なく歌って快調。両者が登場する第3幕の決闘シーンでは、それぞれ、中々見事な殺陣の演技で楽しませて頂きました。ステファノ役の安達さおりは、高音部が若干不安定でしたが、軽い味を出したシャンソンの歌い方でまあまあでした。ジュリュトリュードの永田直美、役柄が彼女の持ち味を生かすようなものでは無かったのですが、ジュリエットの乳母役を上手く演じていて良かったと思います。

 総じて脇役も悪くはなかったのですが、特に評価したいのが、三浦克次の父親と大澤建の修道士です。三浦は、声の張りや艶やかさで勝負する役よりも、今回のキャピュレットの様に温かみのある低音で歌うときに魅力を感じます。色々なところで狂言廻し的に登場する役柄ですが、彼の歌が、この悲劇的なオペラの悲劇的側面を和らげていた様に思いました。勿論、それが「ロメオとジュリエット」という物語にとって良いかどうかは別問題ですが、私は今回の三浦のような演技を支持します。大澤建は、わざわざ二期会からやってきて歌うだけのことはあって、非常に存在感のある歌声でした。底からわき上がるような低音の響きは、ロメオとジュリエットの悲劇を防ぐことの出来ない諦感と悲しみが感じられて良かったです。

 演出・舞台も流石です。私は、こと歌手に関しては、日本人歌手が外国人歌手と比較して特別に劣っているとは思わないのですが、演出は、まだあちらに一日の長があります。今回のロメオとジュリエットも、中世のイタリアを感じさせるシックな舞台装置と、納得の行く歌手の動かし方に満足致しました。

 それにしてもこれだけの上演が、一回限りとはとても淋しいです。高橋、中鉢とも後1、2回歌えばもっと良くなったに違いありません。そこが今回の上演のもっとも残念なところです。

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鑑賞日:2003年10月17日
入場料:D席、5670円 4階1列33番 

主催:新国立劇場
平成15年度第58回文化庁芸術祭主催公演

字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro
全4幕

台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:ウルフ・シルマー  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤 洋史
演 出:アンドレアス・ホモキ  美 術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣 装:メヒトヒルト・ザイベル  照 明:フランク・エヴァン
舞台監督:佐藤 公紀

出演者

アルマヴィーヴァ伯爵 クリストファー・ロバートソン
伯爵夫人 ジャニス・ワトソン
フィガロ ペテリス・エグリーティス
スザンナ 中嶋 彰子
ケルビーノ エレナ・ツィトコーワ
マルチェリーナ 小山 由美
バルトロ シャオリャン・リー
バジリオ 大野 光彦
ドン・クルツィオ 藤木 大地
アントーニオ 晴 雅彦
バルバリーナ 中村 恵理
二人の娘 三浦 志保
  小林 昌代

感想

 私は根が保守的な人間の様で、オペラの演出は写実的なオーソドックスな演出を好むようです。新国の「リング」。あのキース・ウォーナーの舞台は一度見るだけなら中々面白いとも思うのですが、あれを新国の舞台として何度も使い回すとするならば、一寸どうかしらとおもいます。今回のフィガロの舞台も同じ。私は、今回のホモキの舞台を大変楽しんで見ましたし、色の使い方、光の使い方も非常に上手で、とても感心したのですが、あの舞台をスタンダードとして持ちつづけるのかと思うと、次回以降楽しめるのかしら、と思ってしまいます。一寸自信がない。

 しかし、今回の舞台は、抽象的な現代的演出を嫌う私にとっても、とても魅力的な舞台でありました。背景の白、衣装の白と黒、舞台の空間には荷物と思しき函と、ニ幕以降登場する大きな洋服ダンスのみ。函には行き先なのでしょうか、LondonだのSivigliaだのWienだのトウキョウだのと書かれており、Tokyoの函には新国立劇場のトレードマークまで。多分このマークは大きな意味は無いのでしょう。これらの函や洋服ダンスが椅子になったり、四阿になったりします。そういう見立てで抽象的ではあるのですが、照明の使い方が実に上手く、舞台装置がハイブライトな白になって見たり、オフホワイトになったりそういう変化で状況の変化が如実に分ります。

 更に歌手たちの動かし方も上手い。抽象的でありながら、歌手たちの動かし方が「フィガロの結婚」の本質を突いているので、ストーリーがわかり易いのも良いところだと思います。舞台が抽象的なため、舞台転換で音楽が途切れるところが無いのも魅力で、特に第3幕と第4幕を一体化して連続して見せるやり方などは正に眼から鱗でした。

 演出に関してもう一つ加えると、「フィガロの結婚」の持つ裏の本質であるエロスの表出が結果としてか意識してかはわかりませんが、しっかりと現われていたところが良かったです。ボールマーシュは貴族と市民階層の対立を描いたのかもしれませんし、ダ・ポンテもその部分を台本に盛り込んでいるわけですが、私は、モーツァルトの気分はそんな政治的なことよりも、人間の根源であるエロスに興味があったのではないか、とかねがね思っておりました。抽象的な舞台の中でも(というより舞台が抽象的だったからかもしれませんが)、エロスがしっかり見えて来たのは、非常に面白いことでした。

 このような斬新な演出に対して、音楽も負けてはいなかったと思います。ウルフ・シルマーは、このモーツァルトの大傑作を実に柔らかく、ゆったりと演奏して見せました。現代的な鋭角のモーツァルトではなく、寧ろウィーンの伝統に基づいた演奏と申し上げて良いと思います。東フィルもこのシルマーの要求に対して、実に適切に応えていたようでした。少なくとも私がわかるような事故は一つもありませんでした。よく練られた演奏でした。

 歌手の粒も揃っていました。全体に線が細い演奏なのですが、技術的なレベルは、皆がある水準を越えています。だから、アンサンブルが揃います。単一キャストの良さなのでしょうね。息もよくあっておりました。従って、歌手陣だけを見れば、私は評価すべき演奏ではないのか、と思っているのですが、この舞台、オーケストラ、歌手と全て合わせたとき、よく纏った良い上演になっているか、ということになると、そんなことは無いのですね。要するに齟齬がある、違和感があるのです。言いかえれば、あの演出、あの歌い手の歌、に対して、シルマーの演奏は、柔らかすぎるのではないか、という思いです。わたしにはこの違和感がずっと気になってならなかった。この違和感の解消には、シルマーの音楽の作りを、鋭角的にもって行き、きびきびしたものとするか、歌手陣の声量を上げて、線を太くするかでしょう。

 歌手陣は全体に粒が揃っていたのですが、個別には勿論色々あります。皆さんがおっしゃっているように、総じて言えば、女高男低でした。伯爵とフィガロは、見た感じがよく似ていて、声もよく似ている。私は曲を知っているので、間違えることはないのですが、全員が白い衣装で登場する第4幕では、見分けがつかない人もいたのではないかしら。これは、演出上から言えばミスキャストです。歌手としての実力は伯爵役のロバートソンが上です。フィガロのエグリーティスは、あれだけの体格ながら、聴かせ所の見栄が決まらない。「もう飛ぶまいぞ」など、通り一遍で、彼の個性が表面に出てこない。主役の貫禄を感じさせないとでも申しあげたらよいのでしょうか。技術的に大きな問題はなく、アンサンブルもきちっとしているのですが、ここぞというときに声がでないのは、聴き手の気分を損ねます。ロバートソンもまた線の細い歌唱ですが、アリア、アンサンブルを含めて、余裕のある歌いっぷりで安心して聴けました。

 男声陣で一番良かったのはバルトロ役のシャオリャン・リー。中国人の若手のようですが、声に魅力が感じられました。アンサンブルでの存在感もよかったです。大野光彦のバジリオはあんなものでしょう。ドン・クルツィオで新国本舞台に初登場の若手、藤木大地は今後を見守りましょう。関西二期会のバリトン、晴雅彦は吹っ切れた演技と歌唱で良かったと思います。

 女声陣も線が細い、という点では男声と大きく異なっているとは思わないのですが、見た目の雰囲気と演技、一部歌手の歌唱で、男声陣を上回っていました。一番良かったのは、ケルビーノ役のツィトコーワでした。スマートでズボン役の雰囲気がよく出ていた所がまず良かったのですが、歌もよかったです。「自分で自分がわからない」も「恋とはどんなものかしら」も清純な雰囲気が出ていて、それでいて密度がありスピード感もある魅力的なものでした。

 伯爵夫人のワトソンの歌唱もなかなか良かったです。特に三幕の「思い出」のアリアは、情感がこもっており、且つ細かいところまで行き届いて秀逸でした。スザンナの中嶋彰子。この方を聴くといつも思うのは、技術的には水準の高いし、地声もいいのですが、いかんせん声量が不足気味なことです。今回も身のこなしが軽やかで、細かい演技もしっかりこなし、新婚の妻としてのお色気も必要にして十分感じられ、アンサンブルのキーロールとして舞台の緊密化に貢献していたとおもうのですが、ここぞというところで、声量が足りない。そこが画竜点睛に欠けるところです。

 マルチェリーナの小山由美。ワグナーをレパートリーにしている人ですからモーツァルトの軽やかさを出すのに苦労するのではないかとも思ったのですが、あにはからんや、良い歌唱でした。ワグナーは、彼女の実力の一杯一杯で歌うのに対し、モーツァルトでは余裕の歌唱ということなのでしょうね。思いがけず良かったのが、バルバリーナの中村恵理。3月の新国立劇場研修所公演でのバルバリーナも聴いているのですが、そのときの印象は全く残っておりません。多分、特段出来の良いものでは無かったのでしょう。しかし、今回はとても良かった。声に密度があることでは、今回登場したソプラノ随一だったと思います。今後に期待の持てる若手の登場はうれしいものです。

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鑑賞日:2003年10月24日
入場料:B席、3000円 1階8列50番 

昭和音楽大学オペラ公演

字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'Amore
全2幕

台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 新国立劇場中劇場

指 揮:星出豊  管弦楽:昭和音楽大学管弦楽部
合 唱:昭和音楽大学合唱団  合唱指揮:及川 貢/山舘 冬樹
バレエ:昭和音楽大学短期大学部バレエコース
演 出:馬場 紀雄  美 術:川口 直次
衣 装:P・グロッシ/増田 恵美  照 明:石川 紀子
振 付:糟谷 里美  舞台監督:伊藤 潤

出演者

アディーナ 光岡 暁恵
ネモリーノ 望月 光貴
ドゥルカマーラ 山田 祥雄
ベルコーレ 大石 洋史
ジャンネッタ 金田 泉

感想

 音楽大学のオペラ公演は、歌手のレベルは第一線のプロとは一線を画くしますが、フレッシュな声がきこえること、本格的であること、その割には入場料が安いことがあって、足を運ぶのが楽しみです。今年は、春の武蔵野音大、秋の国立音大、昭和音大と三つのプログラムを聴くことができました。これらの大学のオペラ上演は、伝統的な特徴があるようで、武蔵野はドイツオペラ、国立はモーツァルト(本年は例外的にチマローザ「秘密の結婚」でしたが)、そして昭和音大はベルカント・オペラが中心です。出演者に現役の学生が一番多いのが国立で、卒業生や教員を中心に組むのが昭和音大です。

 そういう点から、完成度と言う点では昭和音大オペラが頭を抜いており、本年の三大学聴き比べの結果でも昭和音大の今回の公演が一番聴きごたえがありました。しかし、本当にそれで良いのか、という気はいたします。出演者が皆昭和音大関係者ではありますが、別の見方をすれば、出演者全員が藤原歌劇団の団員若しくは準団員です。悪い言い方をすれば、藤原歌劇団の本舞台に立てない若手のトレーニングの場を提供している、とも見えないことはありません。昭和音楽大学は、藤原歌劇団と非常に密接な関係がありますから、こういうことが容易に出来るのでしょう。

 勿論聴き手として、そういったことは本来どうでも良いことで、演奏を楽しめたかどうかが全てです。その点を言えば、「楽しめた」と申し上げて良いでしょう。ただ、私の場合、「愛の妙薬」が大好きにも関わらず、全部を通して聴くのは、95年以来のことですので、相当バイアスがかかっているかも知れません。

 音楽全体は、星出豊の手堅い指揮が印象的でした。オーケストラは相当練習を積んで来ているように思いましたが、それでも木管・金管は弱いです。しかしながら星出の手堅い音楽作りと、もともとオーケストレーションが弱い作品の特徴が相俟って、オーケストラの全体的印象はなかなか良いものでした。合唱もなかなか良かったです。舞台上に沢山の学生を乗せた結果、新国立劇場・中劇場としては多すぎるぐらいの人数ですが、その若々しい迫力は、評価されてしかるべきでしょう。

 アディーナを歌った光岡暁恵は、今回の出演者の中では、ベテラン・山田祥雄と並んで力があります。典型的なリリコ・レジェーロの声で、アディーナの役に良くはまります。最高音がそれほど高くないけれども中音が豊かで、音の抜けも良く、響きがこもらない所もいい。歌唱技術も高音が苦しく、最高音がかすれ気味となるところと、低音部は注意が行き届かないと、抜けてしまうところこそ改善要点ですが、アジリダの技術もしっかりしているし、音程もきちんとしているので聴いていて気持が良いです。登場のカヴァティーナこそ、緊張のせいか今一つ声が伸びきっていないきらいが見受けられましたが、その後は快調で、第2楽章のドゥルカマーラとの二重唱はテンポも歯切れもよく快調でした。しかし、それが最後まで続かないところが残念です。ニ幕ニ場のフィナーレでは、最高音の声量が落ちかつかすれてしまって、今一つ。彼女にとっても不本意だったようです。

 ネモリーノ役の望月光貴。今一つでした。そこそこ良い声もありますし、音程もきちんとしているのですが、歌に余裕が無く、また質的にも薄っぺらです。聴かせどころの「人知れぬ涙」は、ブラボーを貰っておりましたが、いっぱいいっぱいのところで歌っていたようで、歌のためが甘く、また声にがさつきもあり、私は買いません。また演技も今一つで、「ラララ」などは、もう少し大ぶりでもよかったのではないかしら。

 ベルコーレの大石洋史も今一つ。良い所もあるのですが、全体的に小さくまとまっている印象です。ジャンネッタの金田泉。合唱の中に声が埋もれてしまって、特徴がよくわかりません。

 ドゥルカマーラを歌った山田祥雄。私はこれまで、山田の歌を何回か聴いておりますが、いつも端役。今回のようにじっくりと聴いたのは初めての経験です。さすがに良い声の持ち主で、歌といい、演技といい余裕でした。登場のアリア「お聴きなさい、村の皆さん」は、軽快な口調で、ドゥルカマーラのインチキ臭さをよく表現していたと思います。スマートな詐欺師といったところでしょうか。相手が若手ということで、やり易かったことが、あの軽妙な歌と演技に繋がったのではないかと思います。 

 演出は気を衒わないオーソドックスなもので好感を持ちました。そういう中でも、村人たちを演ずる合唱のメンバーに細かい演技をさせたりしていました。もっと面白いのは、ドゥルカマーラの部下として一緒にやって来るピエロのような女性たち(黙役)が、葡萄酒を薬びんに移し変えて見せるシーンや、結婚式の披露宴で、ドゥルカマーラとその部下たちが一緒にご馳走を食べる所など、細かいくすぐりがは入っていた所です。一つ残念な所は、舞台が狭いこと。バレエのメンバーは、狭い舞台の上で踊らなければならず、位置の取り方に苦労していた様に見受けました。

 全体としては、ある纏りがあってバランスが良く、小ぶりな上演ではありましたが十分に楽しめるものでした。

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鑑賞日:2003年11月2日
入場料:4500円 自由席 

日本ロッシーニ協会定期演奏会2003

-ロッシーニ・ガラ・コンサート 名曲と名作の再発見-

会場 津田ホール

主催:日本ロッシーニ協会
制作:水谷彰良
ピアノ伴奏:
金井紀子/稲葉和歌子

プログラム(作曲者はロッシーニ)

「なりゆき泥棒」(1812)より「お前の無分別なふるまいを」 平尾 憲嗣
「絹のはしご」(1812)より「愛しい人を呼び、ため息をつくの」 松尾香世子
「マホメット2世」(1820)より「正義の神よ、このような危機にあって」 家田 紀子
「ギヨーム・テル」(1829)より「じっと動かずに」 馬場 眞二
「ランスへの旅」(1825)より「ああ、私は出発したいのです」 高橋 薫子
「アルジェのイタリア女」(1813)より「パッパターチ」 平尾憲嗣/馬場眞二/三浦克次
休憩
「セヴィリアの理髪師」(1816)より「空は微笑み」 平尾 憲嗣
「セヴィリアの理髪師」(1816)より「私なのね」 高橋薫子/馬場眞二
「イギリス女王エリザベッタ」(1815)より「私の魂にとってなんという喜び」 家田 紀子
「ラ・チェネレントラ」(1817)より「深い神秘に支配される天の」(差替えアリア、1820) 三浦 克次
「セミラーミデ」(1823)より「美しい光が」(ロッシーニ初稿、日本初演) 松尾香世子
カンタータ「ジョヴァンナ・ダルコ」(1832) 阪口 直子
アンコール
「エジプトのモーゼ」(1818)より「祈り」 全員
「スペインのカンツォネッタ」 高橋薫子/家田紀子/平尾憲嗣

感想

 モーツァルトは素晴らしいし、ヴェルディも棄てがたい魅力が詰まっていると思いますが、ロッシーニを聴く楽しみは格別です。オペラ400年の歴史の中でも第一級の天才作曲家でした。ロッシーニの音楽はどんなに深刻な場面でも、徹底しては暗くならない。オペラ・セリアと謂えども、からっとした魅力があります。演奏面を考えるとき、音自身の魅力もさることながら、技巧の切れが演奏の巧拙を決める所があります。そういう点では、もって生れた声の強さや体力で勝負する作品よりは、器用な日本人向きの作曲家だとも言えるのではないでしょうか。日本人歌手がもっと上手になって世界で活躍して欲しい私にとっては、ロッシーニをもっと演奏することがその道の一つなのではないか、と思っています。

 日本ロッシーニ協会は、日本におけるロッシーニの研究・批評・著述・演奏に様々な角度から貢献することを目的に設立された団体ですが、これまで実施して来た活動、特に演奏活動は、「ランスへの旅」の邦人初演を実現するなど、アクティブであります。また志も高く、今回の2003年の定期演奏会も、事務局長でロッシーニの研究家でもある水谷彰良氏の解説によれば、演奏形式をロッシーニ時代の歌い方に合わせる、例えばバリアフィオーレの復活であるとか、セミラーミデの「美しい光が」では、結局採用されなかったオリジナル・バージョンを演奏して見たり、相当考えた作りになっているそうです。

 そういう研究的側面も魅力ですが、それに加えて、今回の演奏会の魅力は、やっぱり歌それ自身の魅力でした。歌手は、期待の若手テノール平尾憲嗣からベテランのコントラルト阪口直子まで7人が登場しましたが、それぞれに持ち味を出し、かつロッシーニの魅力を見せる歌いっぷりで良かったと思います。出演者全員に、拍手を贈ります。

 平尾の歌は、癖のない素直な表現で良かったと思います。持っている素質もいいものがあります。軽くて甘い声は、テノールを聴く醍醐味です。しかしながら、現役の大学院生ということもあるのでしょうが、表現力はまだまだ甘く、ロッシーニ・テノールに欠かせない技巧の切れも今一つでした。「なりゆき泥棒」のカヴァティーナは、初っ端の歌ですから、硬くなってしまうのは仕方がないとしても、「セヴィリア」の伯爵の登場のカヴァティーナは、平板な歌唱で、もう一つ工夫が必要であると思いました。好いものを持っている方ですので、今後の精進を期待したいと思います。

 「絹のはしご」のアリアとセミラーミデの「美しい光が」を歌ったのが、東京オペラプロデュースのプリマ・松尾香世子です。松尾は決して声量のある方ではないのですが、技巧の切れは抜群でした。コロラトゥーラにしろ、アジリダにしろ、軽めの高音でばしばし決る所は快感です。とりわけ、今回の演奏会の聴きどころである「美しい光」は素晴らしいものでした。初稿がカヴァティーナだけで構成され、その代り後半が、超絶技巧のパッセージとなっているのですが、その初稿に加えて、本来初稿にはなかったカバレッタも歌ってみせるという離れ業。技術がしっかりしていて聴きごたえがありました。彼女はただ立っているときは美人ですが、歌い始めると、技巧を駆使するせいか、表情が歌の内容と無関係に変化して、決して美しくはありません。そのあたりをケアすれば、もっとよくなると思います。

 家田紀子もまた、彼女の持ち味を上手く出した歌でした。「マホメット2世」のアリアの情感もなかなか良いものでしたが、「エリザベッタ」のカヴァティーナにより魅力を感じました。彼女は声自体に魅力のある人ではないのですが、この技巧的なアリアを派手ではないけれども確実に歌ってみせました。作品の魅力を明かにするに足る歌だったと思います。

 馬場眞二の「ギヨーム・テル」は今一つ共感出来ない。聴いていると軽量級のテルなのです。歌に彫りが入らないと言ったら宜しいのでしょうか。あれだけの名歌ですから、もっとじっくりと聴かせて欲しい所でした。

 高橋薫子のフォルヴィル伯爵夫人は文句なし。声と技術が高度な域でバランスしているという点で、今回の登場歌手の中で随一の実力者です。フィガロとの二重唱もお手のもの。楽しませて頂きました。

 実をいうと、三浦克次の三枚目ブッフォの役を舞台で演じている所を聴いたことはありません。ご本人は駄洒落の得意な、非常にひょうきんな方ですので、一度ドン・マニフィコとかムスタファを演じるのを聴いてみたい、と思っているのですが果されていません。本日の「パッパターチ」は、そういう期待をするに適当な重唱でした。相方のテノールもアリアよりずっと伸び伸びと歌っていたのが好感を持ちました。もう1曲のアリドーロのアリアも良好。でも、私個人としては、ドン・マニフィコの滑稽なアリアを聴きたかったですね。

 カンタータ「ジョヴァンナ・ダルコ」は初めて聴く作品です。かなりの難曲で、これまで取り上げられなかった、という趣旨の説明が水谷氏からありましたが、それを阪口直子が熱唱しました。阪口はロッシーニ協会の演奏会でしか聴いたことのない方ですが、ロッシーニとしては一寸重いのではないか、という印象を常に感じていました。しかし、本日は、そのじっくりとした取り組みが好い方に出ていたものと思います。抒情的な部分のしっとりとした所と最後の華麗なる表現、どちらも聴き手に迫るものがありました。

 アンコールの2曲。ホッと一息です。スペインのカンツォネッタは、以前のロッシーニ協会演奏会でも取り上げられたのではなかったかしら。

 連休の中日の、天気の好い午後。コンサートよりアウトドアで楽しみたい環境でしたが、やっぱり聴いて良かったです。

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鑑賞日:2003年11月14日
入場料:D席、5670円 4階1列49番 

主催:新国立劇場
平成15年度第58回文化庁芸術祭協賛公演

字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(Tosca
全3幕

原作:ヴィクトリアン・サルドゥ
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:ジェラール・コルステン  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:三澤 洋史
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団  児童合唱指導:掛江みどり
演 出:アントネッロ・マダウ=ディアツ  美 術:川口 直次
照 明:奥畑 康夫  
舞台監督:斉藤 美穂

出演者

トスカ エリザベス・ホワイトハウス
カヴァラドッシ カール・タナー
スカルピア セルゲイ・レイフェルクス
アンジェロッティ 谷 友博
スポレッタ 松永 国和
シャルローネ 豊島 雄一
堂守 山田 祥雄
看守 北川 辰彦
羊飼い 九嶋 香奈枝

感想

 私はプッチーニ嫌いを標榜しております。特に「蝶々夫人」は嫌いですので、このオペラは余程のインセンティブがないと見ません。「トスカ」も嫌いですが、「蝶々夫人」程は嫌いではないので、これはチャンスがあれば見ます。そのせいかプッチーニで見ているオペラは「トスカ」が断然多い。それだけしばしば上演されているということなのでしょう。新国のマダウ=ディアツ演出の舞台も三回目の観劇になります。本日は劇場がほぼ満員。日本人のプッチーニ好き、トスカ好きが良く分ります。

 舞台の出来は、マダウ=ディアツ演出の舞台で聴いた中では、今回が最良だったと思います。個別の歌手を取り上げれば、いろいろとでこぼこがあるとは思うのですが、「トスカ」という作品、として見た場合、非常に緊密なドラマになっており、客観的に見れば、「トスカ」の魅力を十分に伝えていたと思います。

 これは先ず、オーケストラの音楽がしっかりしていたことによるものと思われます。指揮者のコルステンは、彫りの深い音楽を目指していたようで、東フィルの音の厚みを上手く使って、音楽の厚みを上手に示していたように聴きました。プッチーニのオペラはオーケストレーションが複雑で、そこが又聴きどころの一つでもあるわけですが、主要三役が皆強い声の歌手だったこともあって、指揮者はオーケストラをしっかりと鳴らせました。その結果として、オケと歌手の声とが上手くミックスしてバランスが良く、全体として求心力のある演奏になりました。

 歌手で特に感心したのは、スカルピア役のレイフェルクスです。私が「トスカ」という作品でいつも腑に落ちないのは、スカルピアの音楽的性格付けです。スカルピアは、役としては典型的悪役で、トスカに横恋慕をして嫌われる訳ですが、良いバリトンが歌うと、全然悪人ぽくきこえないのですね。特にバカっぽいテノールがカヴァラドッシを歌うときは、何故トスカがカヴァラドッシを選んでスカルピアを選ばないのかが分からない、そういう音楽になります。このときトスカやカヴァラドッシの歌がどんなに素晴らしくても、オペラとしては感心出来ないと思うのです。その点、今回のレイフェルクスは、バリトンとしては一寸高めの声の方だと思うのですが、歌の中にスカルピアの酷薄な雰囲気を醸し出すことに成功していたと思います。歌っている時の眼の冷たい感じも良かったです。

 トスカは敵役が締まると全体が締まる作品です。レイフェルクスのおかげで、トスカもカヴァラドッシも役柄の特徴や性格付けが明確になりました。カヴァラドッシを歌ったターナーは、テノールらしい高音の美しいテノールではなく、性格的演技に向いているような、一寸くすんだ声のテノールです。しかし、このくすんだ声の雰囲気のおかげで、バカ・テノールという風にならない。「妙なる調和」も「星は光りぬ」も華やかな歌にはなりませんでしたが、そのかわり、トスカがカヴァラドッシに惹かれる理由が雰囲気として理解出来るような歌で良かったと思います。

 トスカのホワイトハウス。音程に関しては悪くなく、スピントの利いた強い声もでます。一方で、どことなく荒っぽく、例えば、声の強弱のつけ方に十分な神経を行き届かせていない点などもあり、ヒロインとしての突出した魅力は感じられませんでした。「歌に生き、恋に生き」もごく普通。それでも、ドラマの中のヒロインとしては十分な役割を果たしており、ドラマとして「トスカ」という作品を考えた時、ヒロインのオーラが出過ぎなかったことが、全体の音楽的密度に貢献していたのではないかと思います。

 脇役陣も概ね良好。アンジェロッティの谷友博、堂守の山田祥雄が良く、特に後者は、その三枚目的演技が良かったと思います。スポレッタ・松永国和のスカルピアに対するおどおどした様子なども、スカルピアの冷酷さを間接的に示すことになり、評価すべきでしょう。

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鑑賞日:2003年11月15日
入場料:3780円 C3列9番 

主催:新国立劇場
平成15年度第58回文化庁芸術祭協賛公演

歌曲のみ字幕付原語(イタリア語)上演、台詞は日本語
イタリアのモーツァルト 「ポントの王ミトリダーテ」&「ルーチョ・シッラ」より
全2幕

上演台本:恵川智美
台本:V.チーニャ=サンティ(ポントの王ミトリダーテ)/G.デ・ガメッラ(ルーチョ・シッラ)

会場 新国立劇場小劇場

指 揮:平井 秀明  管弦楽:新国立小劇場オペラアンサンブル
演 出:恵川 智美  美 術:本郷 友美
衣 装:合田 瀧秀  照 明:石川 紀子
舞台監督:村田 健輔

出演者

モーツァルト 島田 道生
父レオポルト 関 輝雄
御者 小川 耕筰
ミトリダーテ/ルーチョ・シッラ 成田 勝美
ファルナーチェ 黒木 香保里
シーファレ/チェチーリオ 腰越 満美
アスパージア/ジューニア 菊地 美奈
イズメーネ 九嶋 香奈枝
アルバーテ 清水 華澄

感想

 「イタリアのモーツァルト」、これはオペラなのでしょうか?

 私は「ポントの王ミトリダーテ」も「ルーチョ・シッラ」もタイトルだけは知っておりますが、一度も聴いたことがない作品です。各種解説書に拠れば、どちらもモーツァルトのイタリア旅行時に書かれたオペラ・セリアで、また、どちらも上演時間が3時間を越える作品です。それを繋ぎ合せて2時間30分に纏めてしまうのですから、確かに「ポントの王ミトリダーテ」と「ルーチョ・シッラ」の音楽が使われているとはいうものの、両作品のストーリーを生かしているとは言い難いところです。

 ですから、「イタリアのモーツァルト」、これは恵川智美の作った「音楽演奏つき演劇」といえば宜しいのではないでしょうか。モーツァルト父子のイタリア旅行を題材に、その時書かれたレオポルトとウォルフガングの手紙を、この二人が読んでいきます。手紙の内容は、二つのオペラの成立事情とその成功ぶり。成功の中身を知るために二つのオペラのさわりが上演されました。ただし、演劇として見た場合、面白いか、といわれれば、あまり面白くない。もし、演劇としてもっと面白いものを目指すのであれば、「ポントの王ミトリダーテ」と「ルーチョ・シッラ」に拘らず、BGMとして別の音楽を選択した方が良かったと思います。また、逆に音楽をもっと重視するのであれば、冗長な台詞をもっとカットしたほうがよかったのではないかしら。とにかく、どちらにしても中途半端で作品自体は、楽しめるようなものではありませんでした。

 そんな中で、歌手たちは良くやっていたと思います。劇場が小さく、余裕を持って歌えているということもあるかとは思いますが、みなさん総じて良い歌唱でした。前半で取り上げられた「ポントの王ミトリダーテ」は本来カストラートがやった筈のズボン役が2名。黒木も腰越もどちらも恰好良く、まるで宝塚の男役を見ているようでした。また、この2人の歌が良かったです。菊地美奈も良い歌唱をしてくださいました。成田勝美は、ミトリダーテは今一つでしたが、ルーチョ・シッラはなかなか良かったです。

 新国立劇場オペラ研修所の2人、九嶋香奈枝と清水華澄もなかなか聴かせてくれました。九嶋はトスカの牧童と「イタリアのモーツァルト」交互の出演で大変だとは思いますが、良くやっていました。清水華澄は、笑いを取れるオペラ歌手を目指しているようで、歌よりもコミカルな動きに注目してしまいました。

 モーツァルト役の島田も、台詞と歌でがんばっておりました。完全台詞役のレオポルトも悪くはなかったように思います。平井秀明の指揮するオーケストラ。今回は演奏家に上手な方を選んでいたようで、流暢なモーツァルトの音楽を聴けました。

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鑑賞日:2003年11月22日
入場料:5000円 2階J列15番 

主催:日生劇場/二期会オペラ振興会/東京フィルハーモニー交響楽団
日生劇場開場40周年記念特別公演

字幕付原語(ドイツ語)上演
アルバン・ベルク作曲「ルル」(LuLu)
全3幕完成版
補作:フリードリヒ・ツェルハ
3幕完成版:日本初演

原作:フランク・ヴェーデキント
台本:作曲者

会場 日生劇場

指 揮:沼尻 竜典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演 出:佐藤 信   衣装・装置:レギーナ・エッシェンベルグ
照 明:斎藤 茂男  音 響:実吉 英一
映 像:吉本 直聞  技術監督:熊谷 明人
舞台監督:中村 真理

出演者

ルル 天羽 明恵
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢 小山 由美
アルヴァ 福井 敬
劇場の衣装係/ギムナジウムの学生/ボーイ 林 美智子
医事顧問/銀行家/教授 勝部 太
画家/黒人 吉田 浩之
シェ-ン博士/切り裂きジャック 大島 幾雄
シゴルヒ 工藤 博
猛獣使い/力業師 池田 直樹
公爵/従僕/売春斡旋業者 近藤 政伸
劇場支配人 筒井 修平
15歳の少女 柴田恵理子
その母 秋山 雪美
女流工芸家 堪山 貴子
新聞記者 佐野 正一
召使 大久保光哉

感想

 教科書的な言い方ですが、20世紀音楽は、バルトークの民族主義、ストラヴィンスキーの原始主義、ジェーンベルグの12音技法に始まるとされます。この前二者はどちらかと言えば主情的な音楽であり、12階音楽は理屈が先行する主知的な音楽といえるでしょう。20世紀の前衛音楽に大きく影響を与えたのは勿論後者。しかし、一般のクラシック愛好家に支持されたのは前二者でした。バルトークやストラヴィンスキーの諸作は、例えば「管弦楽の協奏曲」、「春の祭典」とタイトルを挙げれば一目で分かるように、現代のオーケストラのレパートリーの中核を成しております。対してシェーンベルグの音楽で、オーケストラのレパートリーに入っているのは、後期ロマン派時代の作品「浄夜」ぐらいのもので、12階音楽時代の作品はタイトルは有名でも、現実に聴くことはかなり困難。その弟子たちのベルク、ウェーベルンについても事情は大きく変りません。これは、多分音楽が本質的に人間の感情を揺すぶるものであり、その知的な側面だけでは聴き手に感動を与えられない、ということを如実に示しているのだろうと思います。

 それでも新ウィーン楽派の中では、ベルクが最も良く取り上げられる作曲家のようです。それは、あの傑作ヴァイオリン協奏曲があることと、二つのオペラ「ヴォツェック」と「ルル」があることによるものです。学者や評論家に言わせれば、「ヴォツェック」も「ルル」も12音技法を駆使した20世紀を代表的オペラとなりますが、実際の上演となると実に少なく、かつて日本で上演されたのは、「ヴォツェック」が4プロダクション、「ルル」が1プロダクションのみです。私も「ヴォツェック」の実演舞台を見た経験は無く、「ルル」に関しても今回初めてです。

 これは勿論、上演には技術的な難しさを伴うことの反映であるとは思うのですが、もう一つは「聴き手を選ぶ音楽」になってしまっていることの反映であるとも思えるのです。言うまでもないことですが、オペラは娯楽ですから、知的な側面を強調しようとすると、お客は寄りつきません。多分、ベルクは、その解決策として、音楽は12音技法を駆使して知的にまとめる代りに、物語は思いっきり下世話にして、客の好奇心を満足させようとしたに違いありません(勿論ベルク自身の女性問題は反映されているのでしょうが、その点は深入りしません)。

 「ルル」は特にそう。ストーリーは悲惨の一言ですが、スキャンダル好きの庶民にとっては、このようなお話は正に「蜜の味」でしょうね。とすれば、良い上演とは、音楽的側面は知的に、演劇的な側面はスキャンダル好きな庶民が納得行くぐらい下品に構成された上演なのでしょう。このように考える時、今回の上演は、音楽的に知的ではあるけれども、演劇的には下品になり切れなかった上演と申し上げてよいと思います。

 音楽的面を考える時、まず評価しなければならないのは、沼尻竜典の指揮だと思います。沼尻は、これまでも東フィル・オペラ・コンチェルタンテシリーズなどで、滅多に上演されない20世紀初期のオペラ作品を取り上げて、知的なアプローチで見事な成功を収めて来たのですが、今回の演奏も明晰で、ベルクの音楽の特性をよく示したのではないかと思います。また「ルル」には流行歌の断片なども散りばめられていて、キッチュな臭いも認められるのですが、そういうインチキ臭さも上手に扱っていて良かったのではないかしら。東フィルの演奏も、指揮者の努力とも相俟って素晴らしいものでした。よく練習した演奏であったと思います。

 今回の上演は、音楽的には大成功の上演だったと思いますが、その最大の立役者は、これだけ複雑で精緻な音楽を分かり易く調理して見せた沼尻だろうと思います。

 歌手に関しては、先ず主役の天羽明恵が音楽的には良かったです。高音のコントロールが抜群で、そこでのニュアンスのコントロールはただただ息を飲むばかりです。第1幕第1場は、音楽に乗れていないきらいもありましたが、あとは文句無しです。音楽的には実に素晴らしいルルでした。ただし彼女を見ていると、演劇的真実は見えないのですね。立居振舞がシャープで、「ルル」が持つ筈の色気が見えないのです。今年6月、プレヴィンの「欲望という名の電車」が日本初演されましたが、そこでブランチを演じた松本美和子の歌唱と演技には、スタンリーが惹かれて行くのは当然と観客に思わすだけの色気がありました。それに比べると、天羽の演技は、あれだけの男が惹かれて行くのは当然、という風には私には思えない。第1幕の第3場は、ルルを切り捨てたいシェ-ン博士と彼との関係を続けたいルルとの対決の場面ですが、例えば、あの場での天羽の演技では、なぜシェ-ン博士が彼女を切り捨てられないのかが分からないのです。

 対して、実質的な副主人公である、シェ-ン博士役の大島幾雄は歌唱・演技とも良かった。特にルルに対するアンビヴァレントな感情を演技で十二分に示していたと思います。ルルに相対した時の疲れた感じは、さすがベテランの味です。福井敬のアルヴァ。勿論いつものことながら良かったです。ただ、「ルル」というオペラで、イタリアオペラ的テノールの示し方が本当に妥当なのかどうかは、私には良く分からないところです。

 登場した歌手は、皆良く練習を積んでいたようで、よくやっていらしたと思います。粒ぞろいでした。吉田浩之の画家、工藤博のシゴルヒ、池田直樹の力業師などがことに良かったと思います。また、レズビアンでルルに惹かれるゲシュヴィッツ嬢を演じた小山由美は見た眼のカッコも良く、また3幕2場での力強い歌唱は、聴き惚れる魅力がありました。

 佐藤信/レギーナ・エッシェンベルクの舞台は、割合抽象的で、白を基調としたシンプルなものでした。ただ、この装置と歌手の動き、歌唱がマッチして来ないのです。私は「ルル」のような作品こそ、リアリズムを基調とした具象的な演出の方がよいと思うのですが、そうはならず、結果として今回の上演の演劇的な弱さを強く示すことになったように思うのです。

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鑑賞日:2003年12月5日
入場料:5670円 4階2列31番 

主催:新国立劇場
平成15年度第58回文化庁芸術祭協賛公演

字幕付原語(フランス語)上演
オッフェンバック作曲「ホフマン物語」(Les Contes d'Hoffmann)
全5幕

原作:E.T.A. ホフマン
台本:ジュール・バルビエ/ミシェル・カレ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:阪 哲朗  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:三浦 洋史
演 出:フィリップ・アルロー   演出/美術/照明:フィリップ・アルロー
衣 装:アンドレア・ウーマン  振 付:上田 遥
舞台監督:大仁田 雅彦

出演者

ホフマン ヤネス・ロトリッツ
ニクラウス/ミューズ エリナ・ガランチャ
オランピア 幸田 浩子
アントニア アンネッタ・ダッシュ
ジュリエッタ 佐藤 しのぶ
リンドルフ/コッペリウス/ダベルトゥット/ミラクル博士 ゴードン・ホーキンス
アンドレ/コシュニーユ/ピティキナッチョ/フランツ 高橋 淳
ルーテル 彭 康亮
クレスペル 大澤 建
ヘルマン 青山 貴
スパランツァーニ 柴山 昌宣
シュレーミル 青戸 知
アントニアの母の声/ステッラ 中杉 知子

感想

 「ホフマン物語」は、私の中では、よく分からないオペラの一つです。実演経験は3回目になるのですが、未だによく分からない。一つは版の問題が複雑で決定的なものがどれかよく分からないというところに起因するのでしょうが、もう一つは、このオペラの持つ本質的なもの、即ち『幻想』的なものに対して、私自身があまり共感を持てないことがあるのかも知れません。自分の読書の趣味を考えてみても、SFは嫌いではないが、ファンタジー小説は好んでは読みませんし、本格的幻想小説は何か読んだことがあったかしら。

 幻想的なものよりも現実的なものを好む私にとって、今回の舞台は進行がわかりやすく、また登場人物の描写も明確で見やすく良かったと思います。私の前回の「ホフマン」経験は、2001年11月の二期会公演ですが、あの時と今回を比較するならば、個別に凸凹はあるにしても、舞台全体の味わいは今回に軍配を上げざるを得ません。今回の上演は、全体に小ぶりで、フランス的エスプリを感じさせられるものでもなかったのですが、総じてまとまりが良く、楽しめるものでした。

 なんといっても今回の魅力は舞台の美しさでしょう。どの舞台も非常に独創的で見事なものだったと思います。色の使い方がいい。第1幕と終幕とがナチュラルであるのに対し、ニ幕が黄色、三幕が青、四幕が赤と描き分けており、その色が人工と芸術/死と性に対応しています。蛍光色の黄色をふんだんに使い、機械とそれ以外を区別して見せたオランピアの舞台。正方形の舞台が歪んで45度程度反転し、舞台後方から前方へ傾いている異型の主舞台の廻りを青い蛍光色で光らせたアントニアの舞台。そして、ジュリエッタの衣装の赤と娼婦達の赤、そして、回転舞台の後側に現われるカジノのシートの緑(これは勿論赤の補色です)が印象的なジュリエッタの舞台。どれも素晴らしいものでした。

 そのような美しい舞台の上での演出は、わかり易いものでした。斬新だったのは、オランピアの舞台で登場するスパランツァーニの客達が皆機械人形で、オランピアと同じ動きをするところ。第三幕は、舞台全体が芸術によって死に行く不条理を歪みで表わしていたと思うのですが、その中での登場人物の動きは取りたてて言うほどのものではないと思います。第四幕も綺麗でしたが演出的にはオーソドックスで、結果として登場人物の描きわけが明確で分かり易くなったのでしょう。とにかく舞台・演出に関しては、先年の二期会公演とは比較にならないほど充実しておりました。

 歌い手に関しては小ぶりの一言で全体をまとめることが出来ます。その小ぶりな部分に不満を感じる方は多いと思うのです(全然グランドオペラっぽくないのですよね)が、私はそれはそれで良いのではないかという意見です。

 ホフマン役のロトリッツがまず小ぶり。それなりに綺麗な高音が出ていて、悪くはないのですが、全体として切れが悪い。聴いているとドミンゴのホフマンを彷彿とさせるところがあるのですが、役への取り組みが甘いせいか、物真似芸人がスターの物真似をしているような気持ち悪さがあって、居心地が悪かったです。二期会公演での題名役は福井敬が歌いましたが、こと歌に関する限りは、福井に軍配を上げたい気持ちです。

 反面非常に良かったのが、ニクラウス/ミューズ役のガランチャ。色気もあったし、歌唱全体がしっとりとした落ちついたもので素晴らしいものでした。言うまでもなく、ニクラウス/ミューズがこのオペラ全体の狂言廻しですが、彼女の歌に芯が入っていたため、細々と気になる部分があったにも拘らず、全体として悪い印象で終らなかったと思います。本日の最高の立役者でした。

 ホフマンの三人の恋人の中で最も良かったのは、幸田浩子のオランピア。コロラトゥーラの技術を駆使した硬質なヴァリアンテ。非常に素晴らしいものがありました。機械人形の演技も非常に明確なもので、この幕が全体の中で一番良かったのは、幸田の歌唱と演技による部分が大きいと思います。ただ低音がいまひとつで、声のボディが一寸乏しい感じでした。音楽的には昨年冬にツェルビネッタを聴いたときほどの感動を得ることはできませんでした。二期会公演の森麻季のオランピアと比較するならば、私は歌だけなら森を取ります。

 アントニアのダッシュは綺麗なリリック・ソプラノで、巧妙な歌い方で繊細なアントニアを上手に表現していたと思います。ただ、この方も声が小さく、小ぶりな感じは否めませんでした。しかし、もっと問題なのが母親の声役の中杉知子。全然声が飛ばない。だから、第三幕で一番魅力的な重唱が死んでしまいます。もう少し歌える方はいなかったのでしょうか。

 ジュリエッタの佐藤しのぶ。舞台姿は良く映えていて、あの胸元からの色気とスリットの間からかいま見える足の色気に私は圧倒されましたが、めりはりの感じられない小ぶりな歌で、音楽的魅力は感じられませんでした。私が佐藤しのぶの歌を直接聴くのは10年ぶりぐらいだと思います。あの頃の佐藤しのぶは実に生気があって、歌手殺しのNHKホールを一杯に響かせる実力があったのですが、もうあの声は過去の栄光なのでしょうか。ヴィジュアルには変化を感じられないのに、声の衰えだけがきこえると、とても寂しい気持ちです。

 悪魔4役を歌ったホーキンス。なかなかの偉丈夫で、期待は大きかったのですが現実は今一つ。登場したとき、黒人特有の艶やかで深みのあるバリトンが一瞬きこえたので、これはいいかなと思ったのですが、その後は余りぱっとしませんでした。やっぱり響かないのですね。だから舞台に登場しても恐くも威圧感も感じられないのです。それでも、悪魔役が一人だったのは良かったと思います。二期会の上演のように悪魔役を何人もの歌手に割り振るとますます存在感が曖昧になってしまいますから。

 道化4役を歌った高橋淳。彼は収穫でした。演技が明瞭で可笑しさがはっきりみえます。声もよく歌も悪くなかったです。二期会上演の時はコシュニーユだけを歌って、私もその歌を聴いている筈なのですが全く記憶にありません。こうみると、道化4役も一人で歌ったほうが断然いいですね。その他の歌手は、それぞれ頑張りがあって好感を持ちました。スパランツァーニの柴山昌宣とクレスペルの大澤建に存在感があってよかったと思います。合唱もドイツの素朴さが感じられる力強いもので、私は好感を持ちました。

 阪哲朗指揮の東京フィル。輪郭のはっきりしたかっちりした音楽の作りで演奏していたように聴きました。丁寧な演奏で決して悪いものではないと思います。ただ、そういう演奏が、今回のような全体的に小ぶりな歌と合っていたかと言えば、私は一寸違和感を覚えます。

 個別の歌に関しては満足とはほど遠いレベルだったのですが、皆似たようなレベルにあり、ニコラウスのように重要な役柄の何人かがしっかりと歌っていたので、全体としてはきちっとしたまとまりのある演奏になりました。毒もなければこくもない演奏でしたが、『ホフマン物語』にそこまで濃い演奏をする必要がないのではないか、というスタッフ陣のメッセージであるとすれば、私は基本的に賛成です。私は最初に書いたように、幻想性を強調するものに違和感を覚える性格ですので。

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