オペラに行って参りました-2011年(その4)

目次

VIVA!シラクーザ 2011年9月9日  藤原歌劇団「セビリャの理髪師」を聴く 
B 席39000円の価値  2011年9月24日  ボローニャ歌劇場日本公演「清教徒」を聴く 
女王の貫禄  2011年9月27日  バイエルン国立歌劇場日本公演2011「ロベルト・デヴェリュー」を聴く 
熱狂的であることが良いことなのか?  2011年10月5日  新国立劇場「イル・トロヴァトーレ」を聴く 
昭和音大オペラの充実  2011年10月9日  昭和音楽大学オペラ公演2011「ファルスタッフ」を聴く 
踊りの上手なサロメ  2011年10月12日  新国立劇場「サロメ」を聴く 
徹底してオーソドックス  2011年10月16日  2011国立音楽大学大学院オペラ「フィガロの結婚」を聴く 
宗教と世俗  2011年11月3日  チマッティ・コンサート、オペレッタ「太陽の光」を聴く 
古楽オーケストラ伴奏の意味  2011年11月11日  北とぴあ国際音楽祭2011「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く 
きちんと作り上げるということ  2011年11月13日  NISSAY OPERA 2011「夕鶴」を聴く 


オペラへ行ってまいりました 過去の記録へのリンク

2011年    その1    その2    その3           
2010年      その1    その2    その3    その4  その5    どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2008 
2007年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2007 
2006年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2006 
2005年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2005 
2004年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2004 
2003年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2003 
2002年    その    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2002 
2001年    前半    後半              どくたーTのオペラベスト3 2001 
2000年                      どくたーTのオペラベスト3 2000 


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鑑賞日:2011年9月9日

入場料:D席 4F2列26番 6000円

文化芸術振興基金補助金

主催:財団法人 日本オペラ振興会

藤原歌劇団公演

全2幕、日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「セビリャの理髪師」 Il Barbiere di Siviglia)
台本:チェザーレ・ステルビーニ


会場 新国立劇場オペラハウス


指 揮 アルベルト・ゼッダ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
フォルテピアノ    小谷 彩子 
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮  :  須藤 桂司 
演 出 松本 重孝
美 術 荒田 良
衣 装    前岡 直子 
照 明 成瀬 一裕
舞台監督 菅原 多敢弘
公演監督  :  岡山 廣幸 

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵  アントニーノ・シラクーザ
ロジーナ  高橋 薫子
フィガロ  谷 友博
バルトロ 三浦 克次
バジリオ 彭 康亮
ベルタ 牧野 真由美
フィオレッロ 押川 浩士
隊長    羽渕 浩樹 
アンブロージョ    小田桐 貴樹 
公証人    折河 宏治

感 想

VIVA! シラクーザ−藤原歌劇団「セビリャの理髪師」を聴く

 アントニーノ・シラクーザが名手であることは、これまで何度か聴いた実演から存じておりましたし、また世評も高い。現役ロッシーニ・テノールとしては世界最高峰かも知れません。しかし、これまで聴いてきた彼の歌唱は、私自身の好みとは一寸違っておりました。彼の歌は、軽い高音はとても立派なのですが、どこか今一つ硬さがあるし、高音と中低音との切り替えが、必ずしも滑らかではないところがあって、そこが、個人的には不満でした。

 しかし、今回のシラクーザ。何の文句もございません。最高でした。絶賛したいと思います。声が全体に強めに出ているのに、どこをとっても柔らかく、フレージングの滑らかさも「お見事」の一言。軽くて甘い高音と、軽い中音、低音とのバランスもよく、ロッシーニを聴く醍醐味を味あわせてくれました。登場のカヴァティーナ「空は微笑み」で、これまでとどこか一寸違うな、と思ったのですが、自分でギターをつま弾きながら歌うセレナーデがまた魅力的。特別な難曲ではありませんが、心情を込めた歌はとても素敵でした。「金があれば知恵が湧く」の二重唱のテノールパートも見事ですし、第一幕のフィナーレの酔っ払いの姿も見応えがありました。正に当たり役と言う感じです。

 そして、何といっても最高は、「もう、逆らうのは止めよ」のアリアです。これは、クライマックスのアリアですが、長大で技巧的な難曲のため、長い間カットされるのが常識、とされてきたアリアですが、シラクーザが歌うと、あれだけの難曲が大したことが無いように聴こえてしまうのですから、凄いと申し上げるしかありません。歌い終わった後、大ブラボーと1分以上の長い拍手がありましたが、これは当然と申し上げて良いでしょう。2002年の彼の新国立劇場デビューの時もこのアリアを歌いましたが、あの時よりも絶対に素晴らしい。経験は人間を進歩させるのですね。

 シラクーザと比較すると、日本人歌手は、皆今一つ声が足りない感じがしました。

 高橋薫子。日本を代表するソプラノ・リリコ・レジェーロですから、勿論立派な歌唱をされたのですが、今回ゼッダが2009年に完成された新批判校訂版を日本で初めて歌う、ということもあってか、一寸硬くなっていた感じがありました。例えば、「今の歌声は」は、いつも高橋が歌っているヴァリエーションとは違っていましたが、そういうことが関係していたのかも知れません。それでも高橋は素敵です。今回は、第2幕のベルタのアリアの後に、ロッシーニが、フォドール夫人のために書き残したアリア「ああ、もし本当なら」(No.14bis)が日本で初めて歌われたのですが、この長大なアリアを高橋はしっかりと歌って、その実力を示しました。やはりBravaです。

 谷友博のフィガロ。こちらもまあまあ素敵な歌唱。登場のアリア「私は町の何でも屋」がまずまずで、伯爵との二重唱や、その後の細かい歌唱もフィガロの魅力を示すに十分だったと思います。

 一方、ちと物足りなかったのが、三浦克次のバルトロ。三浦はバジリオ役では定評があり、私もこれまで何度も聴いてきましたが、バルトロは初役とのこと。禿ヅラをつけて、赤ら顔のメイクでブッフォ的キャラクターを示そうとはしているのですが、今一つ似合わない感じです。また、バルトロはもう少し低音が響いてほしいのですが、第一幕のアリア「私のような偉い人に向かって」が、今一つ響きが薄い感じで、その結果か、あのアリアの戯画的おかしさが十分に示されていない感じで、一寸残念でした。

 彭康亮のバジリオ。例の「蔭口はそよ風のように」は、指揮者の指示なのかもしれませんが、ゴツゴツした感じの歌唱でした。私は、もう少し滑らかにクレッシェンドが進んで行くように歌ってくれる方が好きです。早口が上手く言っていなかったのかも知れません。また、メイクも如何にも悪人風で、スマートではありません。私の好みを言えば、かつての三浦バジリオのような、如何にも詐欺師っぽいバジリオが好きです。

 ベルタの牧野真由美。悪くはないのですが、一番の聴かせどころであるアリア「老人は、嫁さんを求め」は、高音の抜けが悪く、画竜点睛を欠いた感じです。

 松本重孝の演出。喜劇なのですから、もう少し、歌手に演技させて、誇張を大きく付けた方が良いように思いました。演技に関しては、そういう演出の制限の中でもしっかりと見せていたのがシラクーザです。やはり彼は最高です。

 舞台装置も派手さがなく、如何にもお金をセーブしました、と言うのが見え見えの舞台で、そこは残念。勿論、安価な舞台が悪いということはありませんが、少なくても舞台の後ろ側に壁を作って欲しかったと思いました。と言うのは、響きが今一つ良くないのです。勿論アリアは、それなりに頑張って歌っているので、あまり気にならないのですが、レシタティーヴォがあまり響かない。例えば、第一幕フィナーレの冒頭、伯爵とバルトロとロジーナの三重唱のレシタティーヴォの部分は、高橋ロジーナの声が全く聴こえませんでした。勿論、ここはロジーナが
声を張り上げる場所ではありませんが、字幕に台詞が出て、ロジーナの口も動いているのに、聴こえないのは如何なものかと思いました。

 これは、あくまでも一例で、客席に向かわないで歌うと、声の強さが皆落ちる。それは勿論当然なのですが、その落差が激しい感じがしました。それが舞台装置の影響のように思えてなりません。

 さて、上述のように、今回の楽譜は、今回の上演の指揮者であるアルベルト・ゼッタが2009年に完成させた新批判校訂版による全曲上演です。ロッシーニの楽譜を知り尽くした方の演奏なので、オーケストラ、歌手共にそれなりに緊張感の高い演奏になっていたと思います。一方で、オーケストラ、歌手に対してそれぞれ細かい指示を一杯入れていたようで、そちらに注意を取られてしまって、オペラブッファとしての魅力はは今一つ不足しているようにも思いました。なお、楽譜の細かい変更までは勿論分からないのですが、序曲の音符進行や、それぞれのアリアのヴァリエーションのつけ方に新味があり、そこが新批判校訂版の魅力なのだろうと思いました。

 勿論ノーカット演奏で、普通は140〜150分で演奏される作品が、正味3時間かかりました。別にゆっくりした演奏ではありませんでしたが、ノーカットで、更にソプラノのための追加のアリアまでやればこうなるのですね。ゼッダの指揮はロッシーニを知り尽くした巨匠。その校訂者の指揮する演奏。そう言う意味で、大変素晴らしいコントロールでした。そう思うと、Viva!シラクーザではなく、Viva!ゼッダと叫ぶべきかもしれません。

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鑑賞日:2011年9月24日

入場料:B席 4FR3列1番 39000円

主催・招聘・企画制作:フジテレビジョン

ボローニャ歌劇場日本公演

全3幕、日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
ベッリーニ作曲「清教徒」 I Puritani)
台本:カルロ・ペーポリ

リコルディ社(ミラノ版)による上演

会場 東京文化会館大ホール


指 揮 ミケーレ・マリオッティ
管弦楽 ボローニャ歌劇場管弦楽団
合 唱 ボローニャ歌劇場合唱団
合唱指揮  :  ロレンツォ・フラティーニ 
演 出 ジョヴァンナ・マレスタ(原演出:ピエラッリ)
美 術 ピエラッリ
衣 装    ピエラッリ 
照 明 ダニエーレ・ナルディ
照明再現  ジュゼッペ・ディ・イオーリオ

出 演

ヴァルトン(城塞の総司令官、清教徒) 森 雅史
ジョルジョ(退役大佐、ヴァルトンの弟、清教徒) ニコラ・ウッリヴィエーリ
アルトゥーロ(騎士、王党派)  アントニーノ・シラクーザ
リッカルド(大佐、清教徒) ルカ・サルシ
ブルーノ(士官、清教徒) ガブリエーレ・マンジョーネ
エンケリッタ(亡きチャールズ一世の王妃) ジュゼッピーナ・ブリデッリ
エルヴィーラ(ヴァルトンの娘) デジレ・ランカトーレ

感 想

B席39000円の価値−ボローニャ歌劇場日本公演「清教徒」を聴く

 滅多に行かない海外オペラ劇場の日本公演に三年ぶりで行ってきました。それにしても高いです。新国立劇場なら4回行けちゃいますから。勿論高いなりの感動を与えてくれたのでしたら文句を言う筋合いではありませんが、そこも最上とは言い難く、コストがかかるのは理解できるとはいえ、まあ、一寸もやっとした気分は晴れません。

 とはいえ、日本では滅多にやられない「清教徒」。ベッリーニ晩年(ベッリーニに晩年があったとはいえないかもしれませんが:享年34)の傑作として名高い作品。聴けたことは嬉しいことです。演奏も最上ではないにしろ、それなりのものでしたし、コスト・パフォーマンスを言わなければ、文句を申し上げる筋合いではないようです。

 それにしても、イタリアのオペラハウスの来日公演だけのことはあります。長短それぞれイタリア的。例えば、合唱団のメンバーのいい加減さ。開幕の兵士たちの合唱。登場した兵士たちが並んで歌うのですが、後ろの方のメンバー、立ち位置が分からなくなってしまったようで、うろうろしながら歌っている。彼らはボローニャでも、来日して東京でも何度も歌っているはずなのに、あの体たらくは如何かと思います。

 合唱に関して申し上げれば、基本技術はそれほど高くない。新国立劇場合唱団や二期会合唱団を聞き慣れている耳には、バランスの悪さが気になります。それでもここぞという時のカンタービレは、流石に魅力があります。こういうところがイタリア人がイタリアオペラを歌うと言うことなのでしょう。同様の意味で、オーケストラも特に魅力的と言うことはありません。技術的にもミスは多いですし、ありていに申し上げれば、田舎オーケストラです。しかし、なんとも言えないローカルな味わいがある。その味わいは、日本の技術的レベルの高いオーケストラには出せないものなのかもしれません。

 そのローカルなオーケストラをコントロールして、ベッリーニの美しい音楽を演奏するのに、ミケーレ・マリオッティという指揮者は正に適任であったようです。徹底してソフトな演奏で、ベッリーニの優美な音を引き出しておりました。そのデリケートな指揮ぶりは、オーケストラの田舎の持ち味と上手く溶け合って、イタリアン・ローカルだけれども、品の良い美感を感じさせるものでした。個人的には、オーケストラをもう少し歌わせても良いのではとは思いましたが、このセンスこそが今回の舞台の全体の骨格になっていたと思います。

 舞台は、非常に簡素なもの。このオペラの舞台がイギリスであることを感じさせることの無い演出でした。更に申し上げれば、舞台上の歌手たちの動きもあまり大きくはなく、衣裳付き演奏会形式、と申し上げても良いのではないか、と言うぐらいのものです。勿論ボローニャでもこの装置を使用し、この演出で演奏されているのでしょうが、海外歌劇場に豪華さを求めている方々にとっては、物足りなさを感じたのではないでしょうか。クレジットされている演出家はジョヴァンナ・マレスタですが、(ピエレッリのオリジナル演出から自由に着想を得ている)という注釈がついており、ピエレッリの舞台を用いて、マレスタが、登場人物の動かし方を若干変えたというぐらいのことをやっているようです。ただし、あの程度の動かし方に、「自由な着想を得た」演出と書くのも、如何なものかと思ってしまいました。

 歌手たちも思ったほどではありませんでした。デジレ・ランカトーレ。技巧的な部分とそうでない部分とのバランスが悪いです。

 中低音部の地声は、もっさりとしたもので、そこから技巧的な高音部に行く時の変化が、急激で違和感を感じてしまいます。例えば、第一幕の「私は愛らしい乙女」のアリアなどは、軽々と歌っているようでありながら、細かい注意も払っておりました。このような注意が、中低音部を歌う時も欲しいように思うのです。なお、一番の聴かせどころである「狂乱の場」における複雑なヴァリエーションの見事さは素晴らしいものでした。更に申し上げれば、あの狂乱の場の柔らかな表現は、十分にBravaに値するものだと思います。しかしながら、そこだって、もう少し、高音に伸びやかさが欲しいものだと、一寸感じたことは付記しましょう。

 シラクーザは流石の貫禄です。急な代役と言うこともあり、必ずしも十分な準備が出来ていなかったようではありますが、シラクーザの名前に期待される程度の出来栄えだったと思います。登場のアリアは、どこか作品に入り込めない部分があったようで、一寸よそよそしい印象のある歌唱でした。しかし、だんだん役に馴染んでいったと申せばよいでしょうか、第三幕の「愛の二重唱」におけるD音は、結構きつそうでしたが、届いてはいたようですし、そこまでの高音が必要でない部分は、甘いシラクーザ節が流麗に流れて結構でした。イタリア人テノーレ・レジェーロの魅力をふりまいておりました。

 ジョルジョ役のウッリヴィエーリが美しい低音で結構。第二幕冒頭のアリアが素敵ですし、第一幕におけるエルヴィーラとのやり取りだって魅力的。40代に入ったばかりのバリトンで、役柄的にはもう少し枯れた感じがあった方が良いのかもしれませんが、深みのある落ちついた声は、ジョルジョ役の味わいを十分引き出していたように思います。

 脇役陣では、森雅史のヴァルトンがなかなかの美声で聴かせてくれました。リッカルド役は、当初のガザーレからルカ・サルシに変更になりましたが、ガザーレほどの声の魅力はない方のようで、敵役ながら、敵役としての存在感が今一つ弱い感じででした。第一幕のアリアも今一つパッとしない感じでした。エンリケッタ役のブリデッリは、技巧的ではないものの、存在感の感じさせる落ちついた歌唱で、良かったと思います。

 と言う訳で、問題もそれなりにあり、十分に満足できたとは申しませんが、名作なのに、滅多に聴けない「清教徒」を生で聴けたことは良しとしなければなりません。それにしても藤原歌劇団や二期会の上演ではD席扱いになるような東京文化会館4階サイドの3列目で、B席39000円は高すぎます。日本で、「清教徒」がもう少し頻繁に上演されるオペラになっていれば、私は間違いなく行かなかった公演でした。新国立劇場は、もう少し、ベルカントオペラを頻繁に上演するようになって欲しいです。切に願います。

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鑑賞日:2011年9月27日

入場料:特別鑑賞席 3FL3列27番 21000円

主催:公益財団法人日本舞台芸術振興会/日本経済
新聞社


バイエルン国立歌劇場2011日本公演

全3幕、日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ロベルト・デヴェリュー」 ( ROBERTO DEVEREUX)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 東京文化会館大ホール


指 揮 フリードリヒ・ハイダー
管弦楽 バイエルン国立管弦楽団
合 唱 バイエルン国立歌劇場合唱団
合唱指揮  :  ゼーレン・エックホフ 
演 出 クリストフ・ロイ
美 術 ヘルベルト・ムラウアー
衣 装    ヘルベルト・ムラウアー 
照 明 ラインハルト・トラウプ

出 演

エリザベッタ エディタ・グルベローヴァ
ノッティンガム公爵 デヴィッド・チェッコーニ
サラ  ソニア・ガナッシ
ロベルト・デヴェリュー アレクセイ・ドルコフ
セシル卿 フランチェスコ・ペトロッツィ
グァルティエロ・ローリー卿 スティーヴン・ヒュームス
ロベルトの召使 ニコライ・ボルチョフ

感 想

女王の貫禄−バイエル国立歌劇場日本公演2011「ロベルト・デヴェリュー」を聴く

 私がオペラを聴き始めた1980年代前半、グルベローヴァは既にコロラトゥーラ・ソプラノの女王でした。それから30年、歌唱技術は未だ女王の名に恥じないものを持っていますが、流石に声の衰えは隠しきれません。第三幕の幕切れの絶叫は、昔のグルベローヴァだったら、あんなすかすかの声ではなかっただろうとは思います。とは言え、65歳であれだけ歌えるのですから、年齢からすれば凄いと申し上げるべきなのでしょう。

 また、彼女の年齢や現在の声からすれば、彼女の昔の当たり役だった「ツェルビネッタ」や「夜の女王」、あるいは「ルチア」と言った役をいまさら歌うことは考えられず、今回の「エリザベッタ」とか「ノルマ」が一番良いことは間違いないようです。それでも年齢的にはかなり厳しい状況にあることは確かなところです。

 そういう歌手としての厳しい状況を、役柄の上で昇華させて見せたとことがグルベローヴァの凄さだと思いました。あの圧倒的な存在感は、一寸比類するものがないのではないかと思うところです。眼力にしても、声の響きにしても強靭さがあります。その強靭さが必ずしも滑らかさを兼ね備えていないところが、彼女の老いなのですが、それでも、自分の老いと役柄上のエリザベス女王の老いを重ね合わせて、観客に厳しく迫る姿は、正にベルカントの女王の名に恥じない威厳がありました。歌に傷があっても、あれだけの説得力を持って歌えるところ、それこそが、女王の貫禄と申し上げて良いのかもしれません。

 タイトル役であるロベルトは、当初アナウンスされていたホセ・ブロスからアレクセイ・ドルコフという若手ロシア人テノールへ変更になりました。このドルコフと言う方、なかなか結構な演技と歌唱をされました。第三幕のアリア「恐ろしき扉はまだ開かない〜天使のような純真な心」が大変素晴らしい歌唱で、魅力的でした。第一幕のエリザベッタとの二重唱は、大御所グルベローヴァの胸に抱かれた若きツバメみたいな感じで、貫禄は全くありませんでしたが、歌そのものは、良かったと思います。

 またドルコフとソニア・ガナッシの第一幕の愛の二重唱がまた良い。ガナッシの歌唱は、一寸控えめな感じで、「サラ」とい役柄にぴったり合っているように思いました。それでいながら声に密度はしっかりあり、今回の上演の中で、私が一番気に入ったのは、ガナッシのサラです。Bravaだと思います。

 主要四役で一番期待はずれは、ノッティンガム公爵役を歌ったデヴィッド・チェッコーニ。この方もパオロ・カヴァネッリの代役だそうですが、代役の歌以上のものは何も感じられませんでした。声に鋭さがなく、もっさりとした印象が強いです。何となく鈍重なイメージで、公爵が、夫人のサラとロベルトとの関係を疑う時の歌唱なども、真実味が感じられませんでした。

 合唱団は、本来もっと実力があると思うのですが、第一幕の合唱は、今一つパッとしないものでした。当初予定していた裏方も入れれば総勢400人のメンバーのうち100人が来日しなかったそうですが、合唱団員もそれだけ非力になっていたということはあるかもしれません。

 バイエルン国立管弦楽団の音は、構えの大きなどっしりとしたもの。管楽器奏者のそれぞれの音がお互いに主張し合っていてぶつかっている感じがしました。そこは、本来指揮者のハイダーが調整すべきだと思うのですが、彼は、それをあまりやらない方針のようでした。またバイエルン国立管弦楽団の立派な音は、エリザベッタの威厳を強調するには良いのかもしれませんが、ドニゼッティのオペラを演奏する観点からは、一寸違和感があります。敢えて言うならば、もっと浮足立った演奏の方が良かったのではないかと思いました。

 問題は演出です。ロイの演出は、17世紀のエリザベス一世の時代を現代に置き換えている訳ですが、なんとも良く分からない。確かにロベルトの噂話が、タブロイドの新聞を見ながら言うところとか、ロベルトの人物造型が、かなり傲慢で身勝手だけれども、実際は凄く小心者に描かれているとか、なるほど、と思える部分も多いです。その最大は、ロベルトを失ったエリザベッタが、慟哭をしながら自らの鬘を外し、老醜をさらけ出すところでしょう。そこは、老いによる衰えを、ロベルトによる愛でごまかしたかった女王の心の折れと、歌手の女王として長年君臨してきたグルベローヴァの衰えをお互いに重ねて見せる、残酷な中の人生の真理が見えるところでした。

 しかし、老女王の衰えと愛をより明確に描くのに、現代にする意味があるとは思えません。グルベローヴァの衣装などは、エリザベス一世ではなく、現在の英国女王をイメージしたものとも思いましたが、現在の英国女王が、署名一つで死刑を宣告することはあり得ないわけだし、もっと申し上げれば、ロベルトの死刑が「議会」で決まることもあり得ない。つまり、17世紀と言う時代が意味あるものにしている史劇オペラを、現代に置き換える積極的な意義はないようです。

 それでも、グルベローヴァの老醜を晒した体当たりの歌唱と演技は見た意味のある舞台でした。楽しみました。

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鑑賞日:2011年10月5日
入場料:D席 4F1列16番 7560円

主催:
文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場 

新国立劇場2011/2012シーズン オープニング公演

全4幕、日本語字幕付き原語(イタリア語)上演

ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」 Il Trovatore )
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ


会場 新国立劇場オペラハウス


指 揮 ピエトロ・リッツォ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出 ウルリッヒ・ペータース
美 術 クリスティアン・フローレン
衣 装    クリスティアン・フローレン 
照 明 ゲルト・マイヤー
音楽ヘッドコーチ  石坂 宏
舞台監督  :  村田 健輔 

出 演

レオノーラ  タマール・イヴェーリ
マンリーコ ヴァルテル・フラッカーロ
ルーナ伯爵 ヴィットリオ・ヴィテッリ
アズチェーナ アンドレア・ウルブリッヒ
フェルランド 妻屋 秀和
イネス 小野 和歌子
ルイス 鈴木 准
老ジプシー    タン・ジュンボ 
使者    渡辺 文智
死神  古賀 豊 
子役  池袋 遥輝 

感 想

熱狂的であることが良いことなのか−新国立劇場「イル・トロヴァトーレ」を聴く

  「イル・トロヴァトーレ」は、ヴェルディの中期を代表する名作で、「椿姫」、「リゴレット」と共に中期三大傑作のひとつとされます。この三作の中で人口に膾炙しているという意味では、「椿姫」、「リゴレット」に劣りますが、音楽的面白さという点では、間違いなく「トロヴァトーレ」が一番です。アリアを伝統的な「カヴァティーナ(カンタービレ)・カバレッタ」形式でここまで徹底しているのは、「トロヴァトーレ」が一番ですし、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンの4声がバランスよく配置されている、という点でも他の作品とは一味違います。ストーリーは確かにめちゃくちゃですが、声を聴かせる仕掛けがこれだけあると、それだけで十分だと私は思ってしまいます。

 しかし、そういう作品であるからこそ、歌手はこの作品を冷静に捌いて欲しいと思うのです。熱狂的に仕上げれば盛り上がる作品であることは間違いないのですが、自己満足の熱狂では困ります。冷静に熱狂を作り出す努力をしてほしいのです。

 ヴァルテル・フラッカーロのマンリーコ、その点で私は評価しません。とにかく自己満足の歌なのです。確かに声は伸びますし、アクートもきっちり決められる。観客を熱狂させるだけの力量はある。でもそれだけです。私には、何故あんなに音程をいい加減に歌えるのか分かりません。例えば一番の聞かせどころである「見よ、恐ろしい火を」のカバレッタです。ほぼ1音高く歌っているのではないかしら。とにかく高音にばかり気が行っていて、低音が全然下がっていない。あれでは音楽のバランスを崩してしまいます。楽譜通り歌え、と申し上げたい。

 フラッカーロの音程のいい加減は、本当にへきへきするほどのもので、例えば、レオノーラ役のイヴェーリとの二重唱では、イヴェーリが割りと低音を得意とするドラマティコ系のソプラノということもあって、ハーモニーがきれいに響かない。もう一寸フラッカーロが音を下げてイヴェーリが音を上げて歌ってくれればハーモニーがきれいに響くのに、と思うと、切歯扼腕の思いでした。

 タマール・イヴェーリのレオノーラ。本来ソプラノリリコスピントの声の方なのでしょうが、響きの中心が、やや低いポイントにあり、高音の伸びがいまひとつでした。登場のアリア「穏やかな夜に」は特にいまひとつの感じで、魅力的には聞こえませんでしたし、上述のとおり、マンリーコとの絡みも今ひとつの感じでした。しかし、その重心の低い歌唱は、第四幕の「思いよ、金色の翼に乗って」のアリアでは、レオノーラの切々とした感情と上手くマッチして、魅力ある歌唱になっていたように思います。ただし、技巧的な側面は今一つで、第4幕のアリアのカバレッタのアジリダは、もっと歯切れよく行って欲しいと思いました。イヴェーリは、当初アナウンスされていたキザールの代役で、急遽の登場。それだけに、このあたりが代役の限界なのかも知れません。フラッカーロとの声のマッチングも含めて、無理があったのでしょう。

 同じ代役でも、ルーナ伯爵役のヴィテッリは十分健闘していたと思います。ルーナ伯爵と言う役が持つ灰汁の強さはあまり感じられませんでしたが、端正で正確な歌唱が魅力です。第二幕の「君の微笑み」はBravoだと思いました。

 アンドレア・ウルブリッヒのアズチェーナも悪くない。アズチェーナに感じたい負のオーラは今一つでしたが、歌それ自身は全然悪くない。しかしながら、アズチェーナの一番の聴かせどころである「炎は燃えて」の後、自分では拍手を貰う積りで、止めて見栄を切って見せたところ全く拍手が来なかったのは、可哀想でした。拍手を貰えないほど悪い歌ではなかったのですが、歌の情念と申しますか、おどろおどろしさが今一つ不足していたのでしょうね。それが拍手に繋がらなかった原因のように思います。

 ちなみに、私が一番気に入ったのは、フェルランドの妻屋秀和です。音程もしっかりしているし、歌それ自体も滑らずにしっかり歌えている。小技もしっかりしている。派手さを感じさせるものでは勿論なかったのですが、しっかり土台を支える様な歌唱で結構でした。

 音楽的な面で、更に良かったのは、ピエトロ・リッツォの音楽作りです。レガート系と言うよりはスタカート系の音楽づくりで、悪く言えば軽薄。カーテンコールではBooも貰っていましたが、絶対悪いものではありません。非常に推進力があり、前に、前にオーケストラをぐいぐい引っ張っていきます。またオーケストラに対するデュナーミクの要求も厳しいようで、東京フィルの音響が深みのあるところで纏まっていました。「トロヴァトーレ」というロマンチシズム溢れる作品のロマン性をより表出していたのは、歌手ではなくオーケストラだったように思うのです。私は、そのようなオーケストラ・ドライヴを行ったリッツォにBravoと申し上げます。

 新国立劇場新シーズンの第一作と言うことで、演出は勿論新演出です。舞台は戦闘や戦争後の廃墟を意識したもので、新国の前の「トロヴァトーレ」の演出、即ち、アルベルト・ファッシーニの演出よりはずっとましなものであると思いました。ただ、ウルリッヒ・ペータースの演出は、歌手たちにやらせることが少ない分、変なところに力が入っている感じです。ペータースは、「死神を具象化したい」ということで、俳優の古賀豊を死神に扮装させて、常時舞台の上に置きました。このことで、この「トロヴァトーレ」というオペラの背景には、常に死があることを観客に意識させている訳ですが、正直言ってくどいです。「そんなことは分かっているよ」と申し上げたいほどでした。
ほく
 とにかく全体的にはフラストレーションの溜まる舞台でした。変に頑張り過ぎずに、音楽的な正確さや味わいを重視した歌唱や音楽づくりに徹してほしいと思いました。

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鑑賞日:2011年10月9日
入場料:A席 2F2列58番 3500円

主催:
昭和音楽大学 

昭和音楽大学オペラ公演2011

全3幕、日本語字幕付き原語(イタリア語)上演

ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」 Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト


会場 昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ


指 揮 松下 京介
管弦楽 昭和音楽大学管弦楽団
合 唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮  :  山舘 冬樹 
演 出 マルコ・ガンディーニ
美 術 イタロ・グラッシ
衣 装    シモーナ・モレージ 
照 明 奥畑 康夫
コレペティトール ダンテ・マッツォーラ
舞台監督  :  斉藤 美穂 

出 演

ファルスタッフ  三浦 克次
フォード  上野 裕之
フェントン  江口 浩平
アリーチェ 納富 景子
ナンネッタ 伊倉 睦実
クイックリー夫人 本多 直美
メグ 田中 千晶
医師カイウス   新後閑 大介 
バルドルフォ    高嶋 康晴
ピスト−ラ  佐々本 典

感 想

昭和音大オペラの充実−昭和音楽大学オペラ2011「ファルスタッフ」を聴く

 名演でした。それも、ひょっとしたら私が本年聴いた30本強のオペラの中でも1,2を争う充実だと思いましたし、主演の三浦克次に関して申し上げれば、私は、彼を初めて聴いてから20年位になると思うのですが、彼のベスト・パフォーマンスかも知れない、と思うほどでした。

 それにしても、昭和音楽大学のアグレッシブな姿勢には頭が下がります。第一、大学の学生公演に毛の生えた程度の演奏会で、「ファルスタッフ」というヴェルディの最高傑作、オペラ史上でも屈指の名作を取り上げようとする姿勢が素晴らしい。そのうえ、この作品は名作であることは疑いないのですが、決して易しい作品ではありません。演奏だってそうですし、聴き手だって選びます。即ち高い山なのです。その高い山にチャレンジして、きっちり練習を積み重ねて、本番に臨む。難曲であるからこそ練習にもたっぷり時間をかけたと思いますし、それが演奏に出ていたように思います。

 まず、オーケストラが良い。松下京介の切れのいい指揮に追い付かず乱れた部分がなかったとは申しませんが、全体的にみれば、音色の澄んだ美しい音が流れていました。演奏者の大半が学部学生です。大学生があれだけの音を出すということは、この公演に向けて、随分練習してきたのだろうと思います。木管系の音が本当に綺麗だと思いました。又、ティンパニもいい。弦楽器は、流石に普段私が聴いているトッププロと比較すれば、音の美しさに今一つのものを感じましたが、それだって、文句を言わなければいけないようなレベルでは、勿論ありません。あういう演奏をされれば、歌手だって頑張れるでしょう。本当に素晴らしい演奏だと思いました。

 これは松下京介の指揮が非常に若々しく、切れが良かったことも当然影響しています。ヴェルディの最晩年の喜劇を老人の眼ではなく、若者の眼で切り取って見せた感じがします。そういう意識だったため、若手中心のオーケストラとも気があったのでしょう。スピード感があり、しかしながら、若い恋人たちの二重唱のようなところでは、イタリアオペラっぽく甘く囁いて見せる。「ファルスタッフ」にこれほどイタリアオペラ的な感覚を感じたのも初めてのような気がいたします。良い指揮だったと思います。

 歌手は、まずは三浦克次の外題役がまず素晴らしい。三浦は長身でスマートな方で、ファルスタッフの体躯を作るという点では今一つでした。本来なら、肉襦袢をもっと着て、まんまるになってほしいところですが、歌唱に影響が出ると言うことで、あんな感じだったのでしょう。しかし、歌唱は、大変結構。役に声が合っている、と言うことがまずあると思いますが、あれだけもの凄い量の歌詞を入れて歌わなければいけないのに、不安な感じが全くしませんでした。一寸アリア的な「名誉のモノローグ」や「行け、サー・ジョン」なども素敵でしたし、最後の大フーガのリードぶりも流石の貫禄でした。

 演技や雰囲気も、好色で酒好きのならず者の老人という雰囲気をしっかり出していました。これは演出を褒めるべきなのでしょうが、ファルスタッフという役柄が持つ、「哀しいおかしみ」を上手に表出していたと思います。

 他の歌手陣ですが、ベテランの三浦と比較すれば何かと問題はあるのですが、それでもしっかりと歌っていたと思います。細かい歌詞まわしを噛んでしまった方もいらっしゃいましたが、そこもご愛敬というレベルでしょう。

 上野裕之のフォードが敢闘していました。一寸凄みのあるバリトンで、三浦ファルスタッフのある意味飄々とした歌いっぷりと比較すると、ストレートな表現。そこが良いと思いました。第二幕のモノローグが、怒りをしっかり示していて上々でした。バルドルフォとピストーラの二人の手下は、三浦ファルスタッフの存在感が強かったせいか、今一つ影が薄い感じがしました。江口浩平のフェントンは、若々しく甘いテノールで良いのですが、その声が終始一貫していなかったのが一寸残念なところです。緊張が一瞬途切れたのかもしれません。

 納富景子のアリーチェ。声が一寸小母さんぽくて、それがアリーチェという役柄の庶民性を引き立てていたと思います。アンサンブルをリードする役目が多いと思いますが、そこもしっかりやれていたように思いました。伊倉睦実のナンネッタ。娘役としてそれなりの頑張りを見せていましたし、アンサンブルでは、自分の役目を果たしていましたが、アリアっぽい部分になると、声の伸びが足りていませんでした。高音がしぼんでしまうところが一寸残念です。

 本多直美のクイックリーは、クイックリー夫人のもつおかしさを十分に表現していたと思います。これも演出なのでしょうが、ファルスタッフのところを最初に訪問する時、胸の谷間を強調して見せて、助平なファルスタッフの眼がそこに釘づけになる、所の演技の見せ方などは面白いと思いました。

 演出も素敵。ガンディー二の演出は、読み替えの無いごくごくオーソドックスなものですが、しかし、センスが良い。彼らしい斜線を多用した舞台ですが、舞台を中心で二つに分け、右半分をガーター亭にすると、左半分をウィンザーのテムズ川のほとりにして、4人の女房たちがおしゃべりをしている、という具合。舞台上に、本当に水を張ったテムズ川を用意して見せたのもアイディアです。従って、第二幕の洗濯かごに詰められたファルスタッフが、テムズ川に投げ捨てられた時、三浦ファルスタッフは、テムズ川の水の中ででんぐり返しをして見せました。この演出は、美的にも素敵なもので、今回の上演だけで捨ててしまうには惜しいなと思うほどでした。

 以上細かい傷はあったものの、指揮、オーケストラ、演出、歌手とも水準の高い名演奏でした。本当に充実した時間を過ごせました。

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鑑賞日:20111012
入場料:D席 
2835円 4F 256

主催:新国立劇場

オペラ1幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「サロメ」(Salome)
原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語翻訳台本:ヘドヴィッヒ・ラッハマン

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ラルフ・ヴァイケルト
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
     
演 出 アウグスト・エファーディング
再演演出 三浦 安浩
美術・衣装 イェルク・ツィンマーマン
振 付 石井 清子
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督 大澤 裕

出演者

サロメ エリカ・ズンデガルト
ヘロデ スコット・マックアリスター
ヘロディアス ハンナ・シュヴァルツ
ヨハナーン ジョン・ヴェーグナー
ナラポート 望月 哲也
ヘロディアスの小姓 山下 牧子
5人のユダヤ人1 大野 光彦
5人のユダヤ人2 羽山 晃生
5人のユダヤ人3 加茂下 稔
5人のユダヤ人4 高橋 淳
5人のユダヤ人5 大澤 建
2人のナザレ人1 大沼 徹
2人のナザレ人2 秋谷 直之
2人の兵士1 志村 文彦
2人の兵士2 斉木 健詞
カッパドギア人 岡 昭宏
奴隷 友利 あつこ

感想

踊りの上手なサロメ-新国立劇場「サロメ」を聴く

 リヒャルト・シュトラウスによれば、理想のサロメは、「イゾルデの声を持つ16歳の少女」だそうです。今回タイトル役を歌った、エリカ・ズンネガルドは、恐らく30代の方だと思いますが、16歳の少女、と言う観点からは、これまで私が聴いてきたサロメの中では一番イメージが近いかもしれません。多分、バレエの経験もそれなりにあるのでしょう。「七つのベールの踊り」は結構スマートで色気がありました。オペラ歌手としてはかなりレベルの高い踊りと申し上げて良いでしょう。もちろん、これは、「サロメ」というオペラに置いて、決して悪いことではありません。

 即ち、ヴィジュアル的には、かなり悪女「サロメ」のイメージに近い。メイクだって悪女メイクですし、見た目はある意味理想的なサロメなのですが、いかんせん、声は「イゾルデ」ではありません。ソプラノ・リリコ・スピントの方だとは思いますが、声そのものの力感が足りない感じです。あの声では、どうしても4管16型のオーケストラには太刀打ちできません。サロメとしての形は出来ているのですが、他の声やオーケストラと比較すると、やっぱり弱い感じです。フィナーレのモノローグも、艶やかな虚無感が欲しいところです。なんか薄っぺらで、深みが足りない感じがしました。

 「サロメ」というオペラは、やはり、サロメに声がないと迫力に欠けてしまいます。今回の上演、サロメ以外は皆、結構良い歌唱をしていると思ったのですが、タイトル役の声が不足しているのが決定的でした。折角の脇役の努力が水の泡の感じです。

 ヘロデ王を歌ったマックアリスター良かったと思います。声量のある方ですが、歌いっぷりは典型的なキャラクター・テノール。ヘロデ王のおろおろ感を上手に表現していました。ヘロディアスを歌った、ハンナ・シュワルツも上手なメゾだと思います。8年前にエルダを聞いたときよりは、存在感の出し方が上手になった印象がありました。

 ヨハナーンを歌ったジョン・ヴァーグナーは、2008年の公演の時もヨハナーンを歌って、感心させられた印象があるのですが、今回も前回と同様、深みのあるバリトンの声が魅力的に聴こえ結構でした。

 望月哲也のナラポートも声がくっきりとして、彼の胸の強さが分かる歌唱で良かったです。また山下牧子の小姓や、5人のかしましいユダヤ人たちも結構だと思いました。

 指揮は、当初アナウンスされていた、現・新国立劇場オペラ部門芸術監督・尾高忠明が病気降板のため、ラルフ・ヴァイケルトに変更。ヴァイケルトは、ドイツオペラの演奏には定評のある方で、特別スリリングと言うことはありませんでしたが、がっちりした構成の中に音楽を作り上げて行く様子が分かり、結構だったと思います。東京フィルの音も、「サロメ」という音楽作品の特徴を考えれば、もう少し、突っ込みの深い演奏をして欲しいところですが、タイトル役の声に合わせているとすれば、それはない物ねだりと申し上げてよいでしょう。

 個別に見て行くと、ほとんどの方が優れた歌唱をされていましたし、指揮者もオーケストラも決して悪いとは思いませんが、軽量級のサロメを連れてきたおかげで、作品全体の締りが減弱したように思います。

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鑑賞日:20111016
入場料:A席
2000円 か列1番

2011国立音楽大学大学院オペラ

主催:国立音楽大学

オペラ4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂

スタッフ

指 揮 現田 茂夫
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
チェンバロ  :  藤川 志保 
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
振 付 中島 伸欣
舞台監督 コ山 弘毅/川崎 大輔

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 : 栗原 剛
アルマヴィーヴァ伯爵夫人 : 城 佑里(第2幕)/今野 絵理香(第3,4幕)
フィガロ : 小林 啓倫
スザンナ : 柏木 沙友里
ケルビーノ : 鈴木 夏季
マルチェリーナ : 遠藤 千寿子
ドン・バルトロ : 狩野 賢一
ドン・バジリオ : 宮西 一弘
ドン・クルツィオ : 越智 優海
アントニオ : 大川 博
バルバリーナ : 原田 智代
花娘T : 田宮 実香
花娘U : 藤原 唯

感想

徹底してオーソドックス-2011国立音楽大学大学院オペラ「フィガロの結婚」を聴く。

 国立音楽大学の大学院オペラで「フィガロの結婚」を取り上げた、2004年、2007年、共に、類稀なる名演でした。この二回の功労者は、まず間違いなく、指揮者にありました。前回の岩村力、前々回の児玉宏、共に、一つ間違えれば、ガタガタになりかねない大学院生たちのオペラを、鋭い感性と統率力でまとめあげ、ぐいぐいと引っ張っていきました。それに対して、今回の現田茂夫のアプローチは、一転して徹底してオーソドックスなもの。ひたすら愚直で、「フィガロの結婚」と言う作品は、このように演奏するのだ、とでも言えそうな、ある意味教科書的な演奏だったと思います。

 勿論、今回の上演は、大学院生に対する教育の一環ですから、奇を衒うより、オーソドックスであることの方が重要です。下手に演出をいじったり、妙なカットを加えるより、楽譜に忠実に全曲をきっちりと演奏する。それが前提にあることはとても大事なことだと思います。しかし、海千山千の聴き手としては、ここまで楽譜に忠実にやられてしまうと、流石に退屈してしまいました。早い話が、音楽的面白みにかけるのです。

 現田の中庸なアプローチは、もう少し舞台経験の豊富な歌手たちによって作られた舞台であれば、もっと楽しく聴くことが出来たと思います。しかし、楽譜面を歌うのが精一杯の大学院生たちのオペラでこれをやられちゃうと、今一つ、乗り切れない。前述のとおり、教育の一環と言う立場からすれば、私の批判が異常で、現田のアプローチの方が正しいのです。でも、前回の岩村や、前々回の児玉のアプローチを知っている聴き手にとっては、もう少しやりようはなかったのか、と思ってしまうのですね。

 さて、歌手陣ですが、現役生、頑張っていました。確かに音楽的には楽譜を読みこむのが精一杯な感じで、もう一皮むけてくれると面白いのにな、と思う部分は多々あったのですが、少なくとも溌剌とした演技や、細かい表情などは、見るべきものがありました。

 特に主役のフィガロ役の小林啓倫とスザンナ役の柏木沙友里が息もぴったりで、溌剌とした歌唱が印象に残りました。この二人のぴったり加減は、プライベートでも恋人同士なのではないかと思うぐらい(本当かどうかは知りませんよ)で、細々としたところがスムーズに動いていたのが印象的でした。二人とも良く歌えているのですが、やはり、問題もあります。小林に関して申し上げれば、低音がもう少し響くと、もっと迫力が出るだろうなと思いましたし、柏木に関して言えば、地声がそれほど美声ではない方のようなので、地声をもっと上手に消せると良いと思いました。また、柏木に関して言えば、前半声量がやや足りない感じがしました。全体を歌いきるために若干セーブしていたのかも知れません。

 伯爵夫人を歌った二人は、力量的には今一つです。特に今野絵理香は評価しません。未だ20代の子が、あそこまでヴィブラートに頼る歌い方は絶対よろしくないと思います。ケルビーノを歌った鈴木夏季。特別悪くはない。二つのアリアも無難にまとめていましたし、演技だってそこそこきちんとやっていました。しかし、そこどまりでした。聴き手を注目させるプラスアルファを感じることはできませんでした。

 宮西一弘のバジリオが良かったです。キャラクター・テノールと言うには声が綺麗過ぎますが、逆に大学院生の若々しくて延びる高音が素敵だと思いました。普段はカットされる第4幕のアリアもきっちりと歌って、良かったです。今回の一番の収穫が、宮西を聴けたことだと思います。クルツィオ役の越智優海も悪くない。クルツィオは、変なボケ役みたいに歌われることが多いのですが、真面目におちゃらけたところが、良かったのではないかと思います。

 助演陣では、アルマヴィーヴァ伯爵役の栗原剛が流石の実力。第3幕のアリアなどは、譜面通りには歌っていないところもあったはずなのですが、要所要所を締めているので、破綻にならない。若い歌手にはないサムシングがあります。バルトロを歌った狩野賢一は、バルトロを歌うには若過ぎる感じです。バッソ・ブッフォは大学院を出たばかりの歌手には荷が重すぎると言うことなのでしょう。

 遠藤千寿子のマルチェリーナも悪くはないのですが、いつもカットされる難関のアリア「牡山羊は牝山羊を求め」は、ブレスが上手に決まっておらず、フレージングがぎくしゃくしておりました。

 それにしても、本当にオーソドックスでした。完全ノーカットでしたし。14時に開始し、20分の休みを入れて、カーテンコールが終わったのが17時55分。私のこれまで聴いた「フィガロ」の中では多分一番長い演奏でした。

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鑑賞日:2011113
入場料:無料

イタリア健康150周年記念 東日本大震災チャリティ
チマッティ・コンサート

主催:チマッティ資料館/チマッティ音楽の会

会場:イタリア文化会館・アニフェッリホール

プログラム

第一部 チマッティ名曲集

司会:塚田 若乃
ピアノ:石川 百合子

作品番号

題名 

翻訳タイトル 

歌手 

464   Cade la neve  雪が降る  中屋 早紀子(メゾソプラノ) 
703  しいの木と樫の実  Il faggio o il seme di quercia  川田 知洋(バリトン) 
769  夕やけ こやけ  Il tramonto  川田 知洋(バリトン) 
697  木の葉  La foglia cadula  川田 知洋(バリトン) 
38  「Signori mi presento」   「自己紹介」  真木 茜(ソプラノ) 


オペレッタ3幕、原語(イタリア語)上演
チマッティ作曲「太陽の光」Raggio di sole)(1924年、Savini番号:36)
台本:A. ブルランド
日本初演

スタッフ

指 揮 伏木 幹育
第一ヴァイオリン 菅野 武夫
第二ヴァイオリン  :  安倍 由美子 
チェロ 原 悠一
フルート 笹平 道子
クラリネット/オーケストラ編曲 奥田 英之
ピアノ 石川 百合子
合 唱 カトリック下井草教会聖歌隊・調布教会聖歌隊・碑文谷教会聖歌隊
ダンス サレジオ工業高専モダンダンス部
語 り 桜田 ゆみ

出 演

エマヌエル神父 : 島田 道生
フォング : 川田 知洋
ラッジオ・ディ・ソル : 真木 茜
サイ王 : 佐藤 亘克
スポーツマン1 : 大田 賢治
スポーツマン2 : 前嶋 智
役人 : 二宮 周平
警備員 : 井上 久
コック : 相馬 宏美
皿洗い : 土井 愛実
子供 : 森 美智子
会衆 : 中屋 早紀子

感想

宗教と世俗-チマッティ・コンサートを聴く。

 私は、チマッティという作曲家がいたらしいということまでは知っておりました。日本では、2004年ごろ彼のオペラである「細川ガラシャ」が上演されています。しかし、その正体については全く知りませんでした。

 ヴィンツェンッオ・チマッティ(1879-1965)は、イタリアで生れ日本で亡くなったサレジオ会の宣教師です。1900年21歳の時、パルマ音楽大学でコーラスのディプロマをとり、その後農業分野で博士号を取りました。46歳の1925年に来日し、日本のサレジオ会の発展のために尽くされ、1965年に亡くなるまでの40年間、日本に暮らしました。

 チマッティに音楽の才能があったのは間違いないようで、生涯950ともいわれる作品を作曲しました。各種作品がありますが、その中心になるのは、音楽劇とオラトリオのような大規模な声楽曲のようです。チマッティ資料館のウェブサイトによると、彼は生涯にオラトリオ8曲と、音楽劇を37曲、ミサ曲を18曲を作曲し、また教会の各種行事のための小品や聖歌を多数作曲しています。彼は、布教活動の際には、自分で作曲した作品を歌唱するのが常であったようです。

 しかし、大規模な音楽作品であっても、演奏される機会は、サレジオ会の内部だけであったことは否めないようです。37曲の音楽劇にしても、日本で作曲された作品も少なくないのですが、「細川ガラシャ」は、1940年代より外部で多数回演奏されているようですが、それ以外の作品は、「支倉六衛門」、「じゃがたらお春」といった例外を除いて、調布のサレジオ神学校の中で一回だけ演奏された、と言うものがほとんどのようです。

 そういうチマッティの来日する前に作曲されたオペレッタを上演すると言うので、出かけてまいりました。

 前半は、チマッティの小品を三人の歌手が歌いました。この中で聴きものは、日本語の学習のために日本語の詞に作曲をしたという三曲。どれも簡単な作品ですが、宗教性が表に全く出ていないので、それが無い分メロディ・メーカーとしてのチマッティの特徴が出ていると思いました。特に一番短い「夕やけこやけ」が良いと思いました。

 後半のオペレッタ「Raggio di sole」は日本語訳にすれば「太陽の光」。1924年、来日前のイタリアで作曲され、日本で演奏されたのは今回初めてのことになります。舞台は中国のカソリック宣教地ですので、彼の東洋指向がそれなりに見られるということなのでしょう。

 作品は、暴虐な王様のところから、そのしもべが王子を連れ去り、宣教師の教会で育てられます。王様は王子を見つけるために乞食に扮装して教会に出向き、王子と再会します。王様は王子を連れ戻し、王子をかどわかした宣教師やしもべを死刑にしようと思いますが、王子の諫言や宣教師の言葉で神を信じるようになりめでたしめでたし、という、如何にも宣教師が作曲したお説教臭さがある作品なのですが、そのメインのお話と直接関係しない脇役たちの歌に、楽しいものが多くありました。

 特に旅行中のアメリカ人のスポーツマンが歌う軽快な世俗的楽曲、「スポーツマンの歌」、「カミソリの歌」が非常に楽しく、良いものでした。また、「コックと皿洗いの二重唱」も楽しく聴けました。二人のスポーツマン役は、「カミソリの歌」の方が、音楽に良く乗っていて秀逸でした。

 演奏は、正直に申し上げれば、学芸会に毛の生えたようなもの、というところ。「演奏会形式」と言いながら、変に演技を入れたのが、あまり良くなかったように思います。歌唱に関して申し上げれば、イタリアものの割には、全体的に声量が不足している感じで、物足りなかったです。島田道生だけが、私が過去に聴いたことのある歌手ですが、島田も特に良いという感じはしませんでした。その他の歌手の中では、川田知洋が比較的よく、また、役人役の二宮周平が、声がじゅうぶんでていたという点で結構でした。

 この作品は、合唱の果たす役割が非常に大きいのですが、前半はその合唱が良くありませんでした。それぞれが手探りで歌っている感じで、音楽が前に出ない感じが著しい。指揮者にも問題があるのかもしれません。指揮者の伏木は、神父でチマッティの薫陶を直接受けた、と言うことですが、指揮者として音楽全体を統率する実力は今一つの感じがしました。それでも、後半はそれなりに音楽が流れるようになり、この作品の持つ明るさが表現できるようになってきたと思います。
 
 サレジオ高専の学生の踊りも私は買わない。モダンダンスと言うことですが、音楽に合わないこと著しい。ワルツのテンポで進んでいる音楽に、ストリートダンスのような振りつけは如何なものかと思いました。

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鑑賞日:20111111
入場料:B席 5000円 1FQ6番 

主催:北区文化振興財団/北区
北とぴあ国際音楽祭2011

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演/コンサート形式
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:北とぴあさくらホール

指 揮

寺神戸 亮

管弦楽

レ・ポレアード

合 唱

北区民混声合唱団

合唱指揮

名島 啓太

衣 裳 

: 

有松 陽子 

出 演

フィオルティリージ 森 麻季
ドラベッラ ロベルタ・マメリ
フェランド 櫻田 亮
グリエルモ 大山 大輔
デスピーナ 高橋 薫子
ドン・アルフォンソ フルヴィオ・ベッティーニ

感 想

古楽オーケストラ伴奏の意味-北とぴあ国際音楽祭2011「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 私が最初に古楽器の音の洗礼を受けたのは、1980年にホグウッドが手兵のアカデミー・オブ・エンシェントミュージックとヴィヴァルディの「四季を録音したCDを聴いたのが最初でした。このときは、本当に衝撃でした。音もテンポも、それまで聴いていた「四季」とは全く違ったものだったからです。それから、私はオーセンティックな演奏に相当のめりこみまして、ホグウッドやピノック、あるいはノリントンといった指揮者のCDを随分買い込みました。

 それから30年、今は日本国内でも古楽器による演奏会は、ごく普通になり、オペラでもバロック・オペラなどは当然のように、古楽器による伴奏で演奏されるようになりました。しかし、モーツァルトのオペラを古楽器伴奏で演奏するというのは、あまり聞きません。勿論海外まで目を向ければ多数あるのでしょうし、そのようなCDが出ているのも存じてはおりますが、日本で「コジ・ファン・トゥッテ」が、古楽器伴奏で全曲演奏されたのは、多分初めてのことです。それだけに、考えさせられることの多い演奏会でした。

 まず、全体としての出来は、かなり高レベルの演奏会だったと思います。寺神戸亮のオーケストラのコントロールがよく、ピリオド楽器らしい落ちついているけれども尖鋭な音が最後まで崩れることはありませんでした。それにしても、管楽器系の音がどれも素晴らしい。フルート、オーボエ、クラリネット、トランペット、どれも音色が特徴的で、歌と混じると、普段聴いている「コジ」とは、一味違った感じに聴こえるのが面白く思いました。

 「コジ・ファン・トゥッテ」は、あまりべたべたした演奏はされにくい作品だとは思いますが、今回のようなオーケストラの透明感が高く、それでいて軽やかな演奏を聴かされると、モーツァルトの「かろみ」ということを特に意識してしまいます。全体的に沸き立つようなリズム感が、「モーツァルトらしさ」を殊に強調しているように思いました。弦楽器も当然ながらノンヴィヴラート奏法による演奏で、そこもオーケストラの透明度を上げる一助になっていたように思いました。

 歌手陣もこの顔ぶれですから、当然高水準でした。しかし、色々な点で気になったところもあります。

 森麻季のフィオルディリージ。技術的なことだけを申し上げたら、何も申し上げることはないと思います。音程もリズム感も、様式感だって立派に歌っている。例えば、重唱におけるポジショニング一つとっても、重唱者とのバランスが上手く取れて、響きが一段と輝くところなど、「上手いなあ」と思ってしまいます。でも、森のフィオルディリージ、私には少なからず違和感がありました。

 森麻季を何度も聴く中で、彼女の一番良好な面は、例えば、ヘンデルのアリアを聴くときに感じられます。徹底的にコントロールし、針の穴を通すようなポイントを衝いた精妙な声は、正に彼女しかできないのではないかと思えるようなもので、何度も感心した覚えがあります。一方、彼女の「ムゼッタ」や「アデーレ」は、勿論上手なのですが、声量のコントロールだって、様式感だって、ヘンデルを歌う時のようには精妙ではありません。勿論、それはそれで構わないのですが、「フィオルディリージ」になると一寸違う様な気がするのです。

 要するに、今回ピリオド楽器の伴奏で「フィオルディリージ」をうたう以上、ヘンデルを歌うように歌って欲しいと思ったのです。勿論ヘンデルとモーツァルトは時代も違いますし、また、フィオルディリージに与えられた二つのアリアは跳躍が多く、一つのトーンで歌うのは極めて困難であることはよく分かります。それでもこの二つのアリアが、オペラセリアのアリアのパロディであることを踏まえると、もう少しトーンをそろえて、森の得意な古典を感じさせる歌い方をしていただければ、もっと素晴らしかったのに、と思ってしまうのです。

 ドラベッラを歌われたマメリ。こちらは良かったです。高音も軽快に伸びますし、低音だっていい。第一幕の仰々しいアリアは、古楽器のスッと消える音色と彼女の仰々しい表現とが、ぶつかり合ってしまって、全体的にゴツゴツと舌印象を与えましたが、第二幕のアリアは、とても清純な色気を感じさせる歌で、すこぶる結構でした。重唱のバランスが良いのは彼女も森と同様で、従って、森とマメリの二重唱は本当に素敵なものでした。Bravaです。

 櫻田亮のフェランド。フェランドと言えば、櫻田の当たり役の一つですから、勿論一定以上の歌を聴かせてくれました。しかし、音の抜け方がもう少しスッと抜けて欲しいであるとか、喉に声が詰まった感じがした、とか皆些細なところなのですが、細かいミスが目立ち気になりました。そういう細かなところが磨かれていれば、もっと素晴らしいフェランドになっていたのに、と思うと一寸残念です。

 大山大輔のグリエルモ。結構でした。流石に若手バリトンだけのことはあります。音楽がもたつかず切れ味がスパッとしているところが良いと思いました。

 高橋薫子のデスピーナ。はまり役です。今回の日本人メンバーの中では、一番のベテランですが、女中役が見事にはまっています。歌唱の上手さは常のことですし、医者や公証人に化けたときのコミカルな表現も、流石高橋と申し上げるべきでしょう。「日本一のスーブレット」と呼ばれて長いですが、未だ、その称号は返上しなくて良いと思いました。

 ベッティーニのドン・アルフォンゾ。存在感のあるドン・アルファンゾでした。北とぴあ国際音楽祭では常連のバッソ・ブッフォで、卓越した表現力を感じさせる方ですが、今回は、もう少し押さえた表現でもよかったのかな、と思う部分がありました。勿論、立派なアルフォンゾだったことは間違いありません。

 以上、非常に聴くべきところが多く、またこれまで聴いてきた「コジ・ファン・トゥッテ」とは一風異なった演奏で、感心もしましたし、興味も持てました。全体的には、モーツァルトの愉悦が溢れていたことが一番良かったことだと思います。そういう設計をした寺神戸亮にBravoを捧げましょう。

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鑑賞日:20111113
入場料:C席
4000円 2階G列41番

NISSAY OPERA 2011/青少年のための「日生劇場オペラ教室」第32回公演
[鈴木敬介 追悼公演]


主催:日生劇場【公益財団法人ニッセイ文化振興財団】

オペラ1幕、日本語字幕付原語(日本語)上演
團伊玖磨作曲「夕鶴」
作:木下順二

会場:日生劇場

スタッフ

指 揮 下野 竜也
管弦楽 読売日本交響楽団
児童合唱 パピーコーラスクラブ
児童合唱指導 籾山 真紀子
演 出 鈴木 敬一
再演演出    飯塚 励生 
美 術 若林 茂煕
衣 裳 渡辺 園子
照 明 吉井 澄雄
チーフ音楽スタッフ 服部 容子
舞台監督 小栗 哲家

出 演

つう : 田辺 彩佳
与ひょう : 大間知 覚
運ず : 青山 貴
惣ど : 山下 浩司

感想

きちんと作り上げるということ-NISSAY OPERA 2011「夕鶴」を聴く。

 一言で申し上げれば、立派な演奏だったと思います。「夕鶴」と言う作品の持つ、本質的な重厚さが示された演奏でした。その意味で、今回の功労者は、指揮者の下野をまず第一に挙げなければいけません。下野は、「夕鶴」と言う作品が、民話を題材にしたローカル・オペラであるという表面的な理解の前に、ワーグナー以降の西洋オペラの伝統の中に存在する作品である、というコンセプトで作品に向かったように思います。

 そのため、下野の音楽づくりは、意外にドラマティックな味付けの濃厚な指揮になっていました。読売日本交響楽団もそういう方向性に良く合っており、オーケストラが生々しく鳴っていました。フルート、オーボエと言った木管陣の活躍が特に目を引きます。 そして、オーケストラは唯ドラマティックではなく、一定の抑制が終始効いており、そこにあるまとまりを感じさせる演奏でした。結果として、「夕鶴」という作品が、日本の民話劇と西洋歌劇との見事な融合として成立していることを、強く感じさせる演奏になりました。

 歌手たちは、男声陣がそれぞれの特徴を見事に描き分けていて、良好。

 大間知覚の与ひょうは、途中一箇所、歌詞を噛んで、詰まりそうになってしまったところがあったのですが、それ以外は本当に見事な歌唱。歌唱が正確であると言うのは勿論のことですが、声のトーンが、温かみがあって、与ひょうのお人よしではあるけれども、つうを愛している気持ちはだれにも負けない、という雰囲気を実に上手に表現しておりました。言葉が明晰なことも特記できます。そして、その言葉は唯明晰なだけではなく、音楽の流れの中に上手に収まる形で明晰であることが特に良かったと思いました。Bravoです。

 青山貴と山下浩司の運ずと惣ども、それぞれの役割を果たす、立派な歌でした。惣どの強欲さの表現、運ずの引きずられる様子の表現など、それぞれ結構でした。今回字幕がついたのですが、青山も、山下も、歌詞は細かいところまで、字幕ときっちり同じに歌っておりましたし、またそこに曖昧さは全く感じられないものでした。結果として、与ひょう、運ず、惣どの三人の特徴が、バランス良く見分けられる演奏になっていたと思います。

 主役のつうを歌った田辺彩佳。好演でした。ただ、男声陣と比較すると、西洋歌劇に対する指向性が強かった感じがします。例えば、つうの歌う大アリア「私の愛した与ひょう」がいい例だと思うのですが、高音がピンと伸びて響く。これは勿論素晴らしいことです。しかし、この響かせ方は、民話劇として「つう」を感じる前に、田辺彩佳という一人の歌手を感じてしまうのです。上手な歌だとは思うのですが、オペラ全体の動きからすれば、もうひとつ工夫があるのではないかと思いました。即ち「つう」は鶴の化身であり、要するに「もののけ」です。その意識は基本にはあったのだろうとは思います。ただ、それが彼女の歌唱・演技のトーンとしてまとめ切れなかった、と言う感じがしました。

 パピーコーラスクラブの子供たち。良い合唱でした。こちらは、「夕鶴」が民話的であることを示すのに的確に役だっていたと思います。

 今回の公演は、本年8月に亡くなった演出家の鈴木敬介に対する追悼公演と銘打たれていました。その意識は出演者全体に浸透していたのでしょう。全体としては、細かいところまできっちり作りこまれた立派なものでした。良い舞台を見せていただいた、と思います。

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