オペラに行って参りました−2003年(その1)−

目次

2003年 1月17日 一柳 慧 「光
2003年 1月20日 ヴェルディ「椿姫」
2003年 1月23日 ハイドン 「無人島」
2003年 1月31日 R・シュトラウス 「アラベッラ」
2003年 2月23日 ドニゼッティ「当惑した家庭教師」
2003年 2月24日 ビゼー  「カルメン」
2003年 3月 8日 ロッシーニ「イタリアのトルコ人」
2003年 3月23日 モーツァルト「フィガロの結婚」
2003年 4月 3日 ワーグナー「ジークフリート」
2003年 4月 9日 エディタ・グルベローヴァ・リサイタル
2003年 4月21日 ベッリーニ「ノルマ」
2003年 4月27日 プッチーニ「ラ・ボエーム」  

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オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2003年1月17日
入場料:2992円、4F 3列30番

主催:新国立劇場

字幕付原語(日本語)上演
一柳 慧作曲「光」(世界初演)
原作:日野啓三 台本:高橋康也

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:若杉弘  管弦楽:東京交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤 洋史
演 出:松本重孝  装 置:島川 とおる
照 明:成瀬一裕  衣 装:八重田喜美子/合田瀧秀
振 付:石井 潤  音 響:仙頭 聡
舞台監督:菅原多敢弘

出 演

ミツダ 井原 秀人
ホアン 釜洞 祐子
イシダ 久保 和範
老女 菅 英三子
老人 中村  健
医師 近藤 政伸
局長 松本 進
前田 祐佳
相原 理子
イシダの妻 菅 まろ美
ミツダの同僚の宇宙飛行士 熊谷 隆彦
    藤田 幸士
松本 進
    友利 敦子
バレエダンサー 前田 新奈
    奥田 慎也

感想

 シェーンベルグ以降の現代音楽の不幸は、音楽を音楽のみで語らせることが難しくなったことにあります。音楽は、それ自身人間の精神や感情に働きかけて、その情動を左右させる力を持っているものですが、現代音楽は、聴き手の感情を直接左右させることは難しく、聴き手の知識や頭脳に対して働きかけるところが一つの特徴になっているように思います。そういう理論偏重指向は音楽史的には必然なのかも知れませんが、単純に音楽をあるいはオペラを楽しみたい聴き手にとって、楽しむためのハードルがあまりに高いような気がします。 

 今回聴いた一柳慧の新作のオペラ「光」も、その理念が語られています。しかし、勉強不足の私にとって、その理念を音楽の中に素直に感じることができませんでした。私はこの作品の原作である、日野啓三の「光」をまだ読んでおりませんし、一柳慧の作品にも余り詳しくない。私のガイドは、劇場で購入したパンフレットぐらいです。ですから、このオペラを理解していないのだろうとは思いますが、全体を通して感じたのは「わりとモノトーンな作品だな」という点です。「光」は、「光」と「闇」の二元論的な背景が多分にあると思われますが、音楽に感じるのは「闇」であります。音楽的に「光」を感じるのは、フィナーレぐらいでしょうか。三管のフルオーケストラを駆使した音楽で数多い打楽器も使用しているので、音楽的な盛りあがりはそこここであるのですが、歌が盛りあがらないので、華やかに感じられない。そういう書き方をしたところに、一柳の考えがあるのでしょうが、能天気な聴き手に取って、素直に楽しめる作品にはなっていないように思います。

 一柳の作曲の意図は、時間的な要素と空間的な要素の融合であるようで、この作品はそれも含めた二元的な対立の融合でもあるようです。時間と空間、虚と実、光と闇、西洋音楽と東洋的響きなど。このような意図は演出にも反映されました。

 この作品は、現実の部分とミツダの頭の中で思われている部分とが交錯しています。音楽的には、世俗の代表ともいえる局長を語り役にするなど、二元的な分離も考えているようですが、演出は意識的に虚の部分と実の部分とをまぜこぜにしている部分があります。舞台は、宇宙をイメージしたと思われる螺旋状の骨組みで全体を飾り、中央に長い階段を配しています。階段の上には小さな舞台。また、階段の下の主舞台には、左右に二つの舞台を配し、その二つの舞台では、現実に行われたことを演じるようになっています。つまり、舞台には、全体として宇宙があり(ただし、その宇宙が作曲者の意志としての宇宙なのか、それともミツダの内面の宇宙なのかそのあたりがよく分らなかったのですが)、地球上、もっと言えば、東京のある場所で行われたことも、宇宙の要素であるかのように示されます。そのため、全体として描かれている現実も、非常に抽象的なイメージで観客に迫ってきます。また、今回の演出では、ミツダの心理的なイメージと、精神を病んだミツダを助けようとするホアンを代表するイメージが二人のバレエダンサーによって踊られます。このバレエは非常によいものだったのですが、二元論の相克と融合という作曲者の意図をどう反映しているのかと言う点を考えると、私にはよく分かりませんでした。

 歌手達は総じて良好。勿論歌はレシタティーヴォ的なものがほとんどで、技巧的には音が取りにくいところがあるにしても困難ではなく、きちっと歌って当然なのですが、それでも褒められるべきでしょう。主役のミツダを歌った井原秀人は、関西二期会で活躍しているバリトンですが、私は初めて聴きました。よかったです。フィナーレのアリアが特によかったです。ただ、逆行性健忘症からの回復の場面が、見ていて変化が不明瞭で、更にもう一段の改善が必要と思いました。ホアン役の釜洞祐子も中国人の日本語として見ると歌が流暢すぎるな、という点が気になりましたが、悪くなかった。久保和範もあまり目立ちませんでしたがわるくない。

 老女役の菅英三子。老女にコロラトゥーラ・ソプラノを当てるというのは珍しいやり方だと思いますが、アルツハイマーとベルカント・オペラの狂女との類似性をを一柳は考えたのかもしれません。菅は若干の傷があったものの、ほとんど高音の続く難しいパッセージをよく歌っていたと思います。ブラバです。中村健の老人もよかった。

 若杉弘指揮する東京交響楽団も流石によくさらった様で、悪くなかったと思います。全体として、新作世界初演ということで、歌手もオーケストラも合唱もよく練習しており、頑張ったなと申し上げましょう。

 しかし、「光」は描こうとしている文学的メッセージが割と抽象的で、そこに付随する音楽も抽象的でかつ演出も抽象的、ということで、全体として醸し出すものが混沌としていて、何ともいえない奇妙な味わいの作品となっていました。意図的にそうしていることは分かるのですが、理解はできるが楽しめない、そのような作品に仕上がっていたように思います。

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観劇日:2003年1月20日
入場料:B席 13000円 1F 37列36番

第13回藤原歌劇団ニューイヤー・スペシャルオペラ

字幕付原語上演
ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata
歌劇 全3幕

台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場 オーチャードホール

指揮:広上 淳一  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団
演出・照明:ロレンツァ・コディニョーラ
美術:マルコ・カプアーナ  衣装:イレーネ・モンティ
舞台監督:大澤 裕 

出演者

ヴィオレッタ ステファニア・ボンファデッリ
アルフレード チェザーレ・カターニ
ジェルモン レナート・ブルゾン
フローラ 森山 京子
ガストン 持木 弘
ドゥフォール 彭 康亮
ドビニー 中村 靖
グランヴィル 山田 祥雄
アンニーナ 竹村 佳子
ジュゼッペ 真野 郁夫
使者 石井 敏郎
召使 於保 郁夫

 

感想

 今回の椿姫は、藤原の葉書予約でチケットが取れず、行くのをよそうかと思っていたのですが、今ウィーンで大ブレイク中のボンファデッリがヴィオレッタを歌うこと、私の贔屓の広上淳一が指揮をすること、レナート・ブルゾンがジェルモンを歌うことの三拍子揃っていることを思うと、やはり聴かない訳にはまいりません。私は、10000円以上のチケットを原則として購入しないことにしていることにしているのですが、例外的に13000円の切符を購入して聴きに行きました。

 そして結論から言えば、滅茶苦茶に悪いというほど悪くはなかったけれども、期待度が高かっただけに、失望も大きかった演奏でした。

 その責は、まず第一に指揮者の広上が負うべきでしょう。私は、広上は日本の若手指揮者の中で随一の実力者だと評価しておりました。彼は音楽的な勘の良さに抜群のものがあり、それが決まる時、聴き手はライブを聴く幸運に酔いしれます。私は、彼に何度良い気持ちにして貰ったでしょう。しかし、今回はどうも彼の勘が少しずれていました。オーケストラには従ってもらえた彼のテンポ感覚は、舞台の上からは拒否されていたようです。彼は、柔らかく、ゆったりとしたロマンチックな音楽を目指していたように聴きましたが、舞台上の歌手達は、どうもこのテンポに乗れなかった、ということかもしれません。

 多分、彼のテンポ感覚に全員が従えば、それはそれであるまとまりができたのではないかと思うのですが、逆に主要登場人物のテンポ感覚が皆微妙にずれているために、エネルギーが集中してこない。全体として、非常に散漫な印象が強い演奏となりました。例えば、第二幕第一場のヴィオレッタとジェロモンの二重唱。ここでのボンファデッリの歌唱もブルゾンの歌唱もとても立派なものでしたが、二人の中で緊張感の高まりが全然見えてこない。ですから、ヴィオレッタの悲しみが聴き手の心に響かないのです。この辺りも広上の遅い指揮の影響が大きかったと思います。実は私は、広上は歌手達を煽るような演奏をして、熱気を高めるのではないかと予想して出かけ、多分この二重唱は感動的な名場面になるのではないかと期待していたのですが、見事に予想が外れました。

 遅い演奏にこだわった広上に責任があるのは当然ですが、主要3歌手間のテンポ感覚の微妙なずれも気になりました。ゲネプロまでに調整つかなかったのでしょうか?

 ボンファデッリについては、実力のある若手歌手だ、ということはよく分りました。美人で舞台栄えもするし、また声も飛ぶ。結構なことです。声質に特徴があって、一寸暗めなところがあります。このような声はヴィオレッタのキャラクターに合っていたと思います。でも若手なのだから、もっと素直に歌えばいいのに、と思う部分も何箇所もありました。1幕の「ああ、そは彼の人か」などは、高音のコントロールがすばらしい割には、中低音は手を抜いており、歌の質感に悪影響を与えていました。一幕より二幕、三幕の方が良かったですが、これは彼女が本質的にリリコであることを示しているのかもしれません。

 アルフレードを歌ったカターニ。いい声をしているテノールだと思います。でもボンファデッリとブルゾンに囲まれた時、明らかに貫禄負けしていました。声の飛び方が違います。そんなに悪い歌唱ではなかったのですが、褒められるようなものでもなかった。

 ブルゾンの歌唱は流石。年齢を感じさせるところが0ではなかったのですが、貫禄が全然違います。歌いなれている人の自信のある歌でした。歌の隅々に至るまでの細やかな神経の使いかたは、大バリトンの姿です。「プロヴァンスの海と陸」これを名唱と言わずして、何を名唱といえるでしょう。

 脇を固めるメンバーはいつもの藤原の中堅歌手たちです。歌いなれていることもあって彼らは流石に上手いです。昨年の二期会と比較すると雲泥の差。ボンファデッリがスマートなので、歌手体型の森山さんがおばさんっぽく見えたであるとか、細かくは突っ込めるところはあるのですが、そんなことはどうでもいいことなのは、申し上げるまでもありません。

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鑑賞日:2003年1月23日
入場料:3780円、D1列14番

主催:新国立劇場

小劇場オペラ#9

字幕付原語(イタリア語)上演
ハイドン作曲「無人島」(L'Isola Disabitata)
台本:ピエトロ・メタスタージオ

会場 新国立劇場・小劇場

指 揮:山上 純司  管弦楽:新国立小劇場オペラ・アンサンブル
演 出:井原 広樹  装 置:ユリ・マストロマッティ
照 明:原中 治美  衣 装:半田 悦子
舞台監督:大仁田 雅彦

出 演

コンスタンツァ 小畑 朱実
シルヴィア 松尾 香世子
ジェルナンド 高野 二郎
エンリーコ 鹿又 透

感想

 ハイドンがオペラ作曲家であったことは知っておりました。「月の世界」とか「薬剤師」。タイトルだけは知っています。でも録音でも聴いたことがない。そういう訳で「無人島」、初めて聴くハイドンのオペラです。聴いてみると、とてもわかり易い音楽で、楽しめました。よかったです。

 ハイドンは1761年にハンガリーの貴族エステルハージ侯爵の副楽長に就任以来1790年まで29年間仕えたそうですが、その間に12本のイタリアオペラを書いたそうです。エステルハージの当主ニコラウスは、ヴェルサイユ宮殿を真似てお城をつくり、エステルハーザと命名し、その中にオペラ劇場を作って、年50〜120回オペラを上演するほどでしたので、ハイドンは、主人のために毎年1〜2作のオペラを作曲しなければならなかったようです。「無人島」もその中の一作で、ハイドンのオペラの中では、最もシリアスなものにされているそうです。

 しかし音楽はいかにもハイドン、という感じで、形式美のある素敵なもの。序曲は緩やかな序奏+三部形式で、中間部がメヌエットです。序曲にメヌエットがあるぐらいですから全体は推して知るべし。オペラティックな激しさよりも、ロココ的な優美さが目立つ作品でした。

 このいかにもハイドン的、ロココ的な作品を山上純司は、ゆったりと演奏しました。しかし、優美な演奏とは言い難く、音楽の流れに齟齬をきたすところが若干有りました。また、アンサンブルメンバーの技量も今一つのところがあり、全体としてロココ的優雅なかろみは表現できていなかったと思います。

 歌手は4人しか登場しないので、それぞれに聴かせどころがあるのですが、正直申して、どの方も今一つでした。小畑朱実のコンスタンツァは後半は非常によく、フィナーレの歌唱は感心させられたのですが、前半は声の安定感が今一つでした。松尾香世子のシルヴィアは、反対に1幕のアリアはコロラトゥーラの技術、アジリダともによかったのですが、ニ幕のアリアは中途半端な技巧に溺れてしまった様子です。確かに上手ではあるのですが、彼女の声質をカヴァーする歌手は沢山いるので、そういう比較の中で考えた場合、彼女の持ち味が何なのか、考えてしまいました。高野二郎のジェルナンドは平凡。歌の魅力もないし、彼の歌唱の魅力もあまり感じられませんでした。鹿又透のエンリーコ。なかなかよい声の持ち主で低音がしっかり出ていたのは好感が持てるのですが、何処か声の質感に魅力が足りないと思いました。

 井原広樹の演出はなかなか優れたものでした。鏡を上手く利用して、舞台を広く見せたり、床に絵を描いて、そこに鏡をあてて、客席に見せるアイディア、面白く思いました。フィナーレで宮廷楽士の恰好をしたヴァイオリニスト、チェリスト、フルーティスト、ファゴット奏者が出て来て、メヌエットを演奏させるところなど、井原のアイディアであるとすれば大したものです。小劇場オペラは、オペラ劇場では見られない斬新な実験的な演出をやって見せますが、今回の演出も斬新だったと思います。その斬新さを現代ではなく、エステルハーザに結びつけて見せたところ、演出家の力量を感じます。

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鑑賞日:2003年1月31日
入場料:8505円、3F 4列26番

主催:新国立劇場

字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「アラベッラ」(Arabella)
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤 洋史
演 出:鈴木 敬介  美 術:パンテリス・デシラス
照 明:磯野 睦  衣 装:エルニー・クニーベルト(ウィーン国立歌劇場)
舞台監督:小栗 哲家

出 演

アラベッラ シンシア・マークリス
マンドリカ 大島 幾雄
ズデンカ 中嶋 彰子
マッテオ 中鉢 聡
ヴァルトナー伯爵 池田 直樹
アデライデ 永田 直美
エレメル伯爵 大野 徹也
ドミニク伯爵 宮本 益光
ラモラル伯爵 田嶋 達也
フィアッカミッリ 鵜木 絵里
カルタ占い 小畑 朱実
ホテルの客室係 渡辺 文智
ヴェルコ 村上 勧次朗

感想

 「アラベッラ」を実演で聴くのは、二回目の経験です。前回聴いたのは、98年の新国立劇場プレミエ。そのときも大島幾雄はマンドリカを歌っておりましたし、指揮も若杉弘でした。舞台も同じです。しかし、細かいことは随分忘れているものです。例えば、今回は第二幕と第三幕とが続けて演奏され、第二幕の舞台が下に沈むと、後にあった第三幕の舞台が前に出てくるのですが、前回はどうだったか全く記憶に残っていません。でも、若杉・都響の醸し出す音楽は、リヒャルト・シュトラウスの爛熟の美を描くのに十全で、なかなか素敵な舞台に仕上がっていたという印象があります。

 若杉弘の解釈は、恐らく前回と同じでしょう。全体としてゆっくり目の進行で、シュトラウスの複雑な音型を確実に処理をしながら、ロマンチックな雰囲気を醸し出そうとするものでした。この指揮者の意図にオーケストラがきちんと対応できた部分は、官能美とも言うべき音楽の美しさが表現されており、とても良かったのですが、残念ながら、東京交響楽団の演奏は、若杉の意図する精妙さに付けきれておらず、興ざめとなる部分がありました。金管の音のざらつきが殊に多かった様に思います。予期せぬでこぼこのでた演奏と申し上げてもいいかもしれません。

 歌手に関しても、シュトラウスのまったりした美しさを表現するには一寸もの足りない、というのが本当のところでしょう。アラベッラを歌ったマークリスは、ベースの安定していない歌で、不満でした。ヴィブラートの振幅が大きいのも私の趣味ではありません。特に第一幕ではしっとりとした情感に乏しく、アラベッラの持つ色気が醸し出されないのが残念でした。

 大島も良いところもあるのですが、傷もあるという歌唱。田舎貴族の野卑めいた雰囲気も一寸中途半端な印象でした。彼も第一幕が今一つで尻上がりに良くなった印象です。第三幕が一番存在感を感じました。

 中嶋彰子のズデンカは彼女の体当たりの演技も相俟って良かったです。彼女の声そのものは、必ずしも私の好きなタイプではないのですが、全体で一番傷がなく、どこをとってもしっかりと歌っていた所は、褒めない訳には行きません。第1幕のアラベッラとの美しい二重唱は、彼女の頑張りで情感がこもったように思いました。第三幕の盛りあがりは、彼女とマッテオが引張ったおかげと申し上げるべきでしょう。今回のベスト歌手でした。

 中鉢聡のマッテオもよかったです。一幕は、一寸むきになって、せっかくの美声が崩れた所があるのですが、それ以外はとても良好。声といい、歌のスタイルといい、藤原のリリック・テノールナンバーワンの実力を良く見せてくれたと思います。中嶋彰子との息も良くあっていて、感心致しました。今回の上演は、一幕よりはニ幕、ニ幕よりは三幕が出来が良かったのですが、中鉢・中嶋のコンビが一所懸命やったのが他の人たちのやる気を引き出したという部分があるのではないかと思います。

 池田直樹のヴァルトナー伯爵は、飄々とした雰囲気とがでていて良かったです。また、トランプでの賭け事をやりたい様子を上手く表現していて良かったです。アデライデの永田直美も悪くはない。ただ、永田さんはもっと艶やかな声を持ったメゾ、という印象があったのですが、艶やかな部分があまり聞こえてきませんでした。役柄上そうしたのか、声の調子が悪かったのかはわかりませんが。

 大野徹也のエレメル、宮本益光のドミニク、田島達也のラモラルは普通の歌唱。田島のバスが美声で良かったです。鵜木絵里のフィアッカミッリはコケティッシュな印象がありました。コロラトゥーラの技術はそれなりだと思いますが、舞台の華やかさを盛上げる点では十全な役割を果たしたと思います。

 全体として、指揮者の意図が貫徹されればもっと素晴らしい演奏になったことは間違いないと思います。しかし、尻上がりに舞台が良くなり、幕切れにしっかりと盛りあがったので、私は、気分よく帰ることが出来ました。「終り良ければ、全て良し」、ですね。

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鑑賞日:2003年2月23日
入場料:5000円、B席 2F 6列16番

主催:東京オペラ・プロデュース
    芸術文化振興基金助成事業
東京オペラ・プロデュース第67回定期公演

字幕付原語(イタリア語)上演
日本初演
ドニゼッティ作曲「当惑した家庭教師」(L'Ajo nell' Imbarazzo)
台本:ヤコボ・フェルレッティ

会場 なかのZERO大ホール

指 揮:松岡 究  管弦楽:東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
合 唱:東京オペラ・プロデュース合唱団  合唱指揮:伊佐地邦治
演 出:松尾 洋  美 術:土屋 茂昭
照 明:松尾 隆之  衣 装:清水 崇子
舞台監督:八木 清市

出 演

ドン・ジューリオ 小川 裕二
グレゴーリオ(家庭教師) 田代 和久
エンリーコ(ドン・ジューリオの長男) 羽山 晃生
ジルダ(エンリーコの妻) 羽山 弘子
ピッペット(ドン・ジューリオの次男) 木幡 雅志
レオナルダ(家政婦) 向野 由美子
シモーネ(召使) 白井 和之

感想

 作品のタイトルのみ知っているオペラ作品は多いのですが、今回日本初演された「当惑した家庭教師」もその一つです。録音はイタリアのFONIT CETRAから出ているらしいですが、私は聴いたことが無く、どんなストーリーかも知りませんでした。ドニゼッティの初期の作品を日本で上演されるのは珍しいので、時間をやりくりして行って参りましたが、色々な意味で収穫でした。ミン吉さんの「オペラ御殿」に拠れば、「ドニゼッティの1820年代前半の作品のうちもっとも評価が高い、と言うよりもっとも楽しまさせてくれる作品」だそうですが、その言葉に間違いは無く、とても楽しめました。

 ストーリーは実に現実的で、ありそうな御話です。知らない人のために簡単にストーリーを書いておきます。

 侯爵家(主人がドン・ジューリオ)の家庭教師グレゴーリオは、ちっとも勉強せずに、年増の家政婦に色目ばかり使っている次男ピッペットに手を焼いています。侯爵は非常に厳格な父親で、子供達は、お父さんのことを恐れています。一方、長男のエンリーコは父親に隠れて、ジルダと良い仲になり、子供まで生ませてしまいます。父親が留守の隙をついて、エンリーコはジルダを家の中に入れ、二人は呆れかえっているグレゴーリオに助けを乞います。そこに予定が変わった父親が帰ってきたので、グレゴーリオはジルダをエンリーコの部屋にあわてて隠します。これをきっかけにグレゴーリオは否応無しに、二人の世話をすることになります。侯爵がエンリーコの部屋に入ろうとしたり、その後、ジルダを自分の部屋に隠すのをピッペットに見られて、グレゴーリオとジルダが関係あるように言われて、大騒ぎになります(以上第1幕)。部屋に閉じ込められたジルダは、戻らないと赤ちゃんが死んでしまうとオロオロしています。しかたなしにグレゴーリオがジルダの子供を連れてこようと出かけます。その後すぐに侯爵がやってきます。バカ息子のエンリーコはおろおろするだけですが、ジルダはもうこうなったら、と侯爵の前に姿をあらわします。侯爵はジルダをグレゴーリオの愛人だと勘違いをし、年頃のまじめな息子の居る家にやってくるとは、と怒りだします。そこにグレゴーリオが赤ちゃんを連れて戻ってくるので、ますます呆れます。遂にジルダは「父親はエンリーコ」と話します。怒った侯爵は、エンリーコに勘当を申し渡しますが、ジルダは、「私が原因だから、赤ちゃんを殺して出て行きます」といって、子供を殺そうとします。あわてて侯爵は止めに入り二人の結婚は許されます(以上第2幕)。

 お話しは1幕がじっくりと進むのに対し、2幕はテンポよく進み、後半一寸駆け足だな、という感じでしたが、もちろんブッファとしては十分でしょう。巷間言われるように、ロッシーニの影響は否定できず、特に第一幕はドニゼッティの独自性よりもロッシーニの類似性を感じました。一方、第2幕はドニゼッティのオリジナリティが強く、ドニゼッティのロマンチックな資質が現われていたように思って聴きました。

 松岡究の音楽作りはシャープで軽快なもの。私は松岡の指揮するオペラを何度か聴いていますが、昨年秋の「ランスへの旅」(日本ロッシーニ協会)と並んで、彼の最良の面を出した演奏だったと思います。恐らく、彼の体質にあった作品なのでしょう。一方、松尾洋の演出は、ブッファのルールをきちんと踏まえながら、オリジナリティを出すといったものではなく、本質的には曖昧なもので、もう少し何とかなったのではないかと思いました。ただし、個々の出演者立ちの立居振舞は良く考えられており、そこここで、笑いを誘っていました。ジルダがグレゴーリオを色気と泣き落としで縋ろうとするシーンや、ジルダとレオナルダの喧嘩のシーンなどはよく考えられた動きで良かったです。

 外題役の田代和久。歌自身は決して悪く無いのですが、ブッフォ役として見ると、一寸演技が中途半端な気がします。一所懸命やっていたことは認めますが、何処か硬い。本物のブッフォ役者は、歩くだけで笑いが取れますが、彼はしっかり演技しないと笑いが取れないのですね。このオペラのキーマンで、彼の頑張りで楽しめた部分もあるのですが、本物のブッフォが登場したら、もっともっと面白く仕上がったのではないかと思います。

 ドン・ジューリオ役の小川裕二。良かったと思います。怒れる父親の役目を過不足なく演じていました。2幕のアリア「お前の不埒な心に罰を与えてやる」が与えられた唯一のアリアですが、これを的確に歌って良かったです。

 長男役の羽山晃生。声は明かに不調でした。伸びのある高音が聴けませんでした。登場のカヴァティーナ以外はアンサンブルでの参加ですので、あまり目立ちませんでしたが、私が彼の主役級の歌を聴いた4回の内、一番調子の悪かった日たと思います。しかし、コミカルな演技はよくやっており、演技にブラボーを贈るのに吝かではありません。

 ジルダを歌った羽山弘子。こちらはブラヴァ。今日の一番の殊勲者です。彼女は、これまで歌ってきた役柄から言えば、ジルダという役は彼女向きの役柄では無いと思うのですが、どのアリアも良く歌っていました。レッジェーロの軽さに欠け、一寸重めなジルダでしたが、1幕のカヴァティーナ「私は大佐の娘」も、第2幕の「喧嘩の二重唱」も、フィナーレのロンドもどれをとっても素敵な歌唱でした。ジルダが登場してからオペラの雰囲気が変わったような気がします。ヒロインの存在感をしっかり出していたと思います。

 ピッペット役の木幡雅志。この方も演技は上々。歌は今一つ。声が一寸弱い感じでした。向野由美子の家政婦。こちらも演技は上々。歌は彼女の場合あんな感じでしょう。白井和之の演技も楽しめました。

 総じて見れば、非常に楽しめた舞台でした。しかし、御客さんの入りは決してよくなく、これほど楽しめる作品を見た人があまりいない、というのは残念なことです。再演されることを望みます。

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鑑賞日:2003年2月24日
入場料:6000円、4F 2列26番

主催:(財)二期会オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

二期会創立五十周年記念公演
平成14年度文化庁芸術団体重点支援事業
2003年都民芸術フェスティバル参加公演

字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」(Carmen)
台本:リュドヴィック・アレヴィ、アンリ・メイヤック
ギローのレシタティーブによるアルコア版

会場 東京文化会館・大ホール

指 揮:飯森 範親  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:樋本 英一
児童合唱:東京放送児童合唱団  合唱指揮:籾山真紀子
演 出:実相寺昭雄  美 術:唐見 博
照 明:牛場 賢二  振 付:山田せつ子
舞台監督:小栗 哲家/幸泉 浩司

出 演

カルメン 板波 利加
ドン・ホセ 大間知 覚(1、2幕)
  福井 敬(3幕)
ミカエラ 林 正子
エスカミリオ 稲垣 俊也
レメンダート 高橋 淳
ダンカイロ 境 信博
スニガ 成田 眞
モラレス/アンドレ 久保 和範
フラスキータ 吉田 恭子
メルセデス 堪山 貴子

感想

 「カルメン」は、最も良く知られたオペラだと思います。私は余りCDを持っていないのですが、カルメンは2組ありますし、LDも持っています。しかし、実演経験は割と少なく、今回で3回目だったと思います。昨年の新国立劇場もドタキャンで行けませんでした。その意味では本当に久しぶりのカルメンです。そして、本日のカルメンは、色々と問題はあるものの、本質的にはとても素晴らしい演奏だったと申し上げてよいと思います。

 その第一の功績は、指揮者の飯森範親にあります。全体的にスピード感があってシャープな指揮で、プロポーションのよい演奏でした。アリアは割と遅目に、合唱はやや速めに振っていた様に思いますが、そういう動きが、オペラ全体を割と洒落た感じに仕立てていたのではないかと思います。ピットの東フィルも立派で、金管には目立ったミスがなかった様でした。第3幕への前奏曲におけるフルートとハープのデュオも良かったです。飯森は長くカレッジ・オペラ・ハウスのオーケストラの指揮者をされていて、数多くのオペラを振ってきていますから、これぐらいの演奏は当然なのかも知れませんが、それにしても結構なことです。

 主演の板波利加もとてもよいカルメンでした。初めて聴く方ですが、声がふくよかで深みがあって、実力派メゾだと思います。ハバネラもセギディーリャも良かったですし、終幕のニ重唱に至るまで非常なる存在感がありました。大柄で舞台栄えするのも良いと思います。

 板波が好調だったので、大間知の不調は残念でした。初めから明かな風邪声で、高音など技術を見せる所は何とかこなしているのですが、一寸抜けた所になると、声にイガイガが付いてしまう。ホセの一番の聴かせ所である「花の歌」も余り良くありませんでした。結局3幕は福井敬と交替しました。私もオペラの実演を随分聴いて来ました。その中で、予定されたキャストが変更になった例は何度かあるのですが、上演途中にキャストが替わったのを聴いた経験は初めてです。それはそれで面白い経験でした。福井敬は突然の交替だったにもかかわらず、とても素晴らしい歌を聴かせてくれたと思います。彼は、艶やかな声と演技とのバランスがよく、現在の日本のNo.1テノールであることを、また、感じさせてもらいました。

 エスカミーリョの稲垣俊也。スタイリッシュなエスカミーリョでなかなか結構でした。でも音程の悪さは相も変らずで一寸減点。ミカエラの林正子。彼女の歌はとても素晴らしかったと思います。正統派リリコだと思いますが、1幕のホセとのデュエットも良かったですし、第3幕のアリアも抜群でした。透明感のある声なのですが、遠くまでしっかり届く。表情も豊かで感心いたしました。

 その他では、スニガの成田眞がよかったです。ニ幕のアンサンブルやカルタの歌におけるフラスキータとメルセデスも良かったと思います。合唱も昨年の「椿姫」と比較したら各段によくなっていました。

 ということで、大間知さえよければほとんど文句のつけようのない立派な演奏だったと思います。逆に、大間知は無理して歌わずに、最初から福井にバトンタッチすべきではなかったのか、と残念に思うのです。

 演出は、ウルトラセブンを撮っていた実相寺昭雄。彼は中央のまわり舞台を最大限に利用して、セヴィリヤの町をあらわしたり、酒場を表わしたりしていて、なかなか面白いと思いました。照明の光は上手く使い分けて、影を強調した舞台でした。通常第1幕は、ハレーションを起こすように明るく描くということがよく行われると思うのですが、彼は、影を大事にして、むしろ暗さを強調していたと思います。なかなかシックな演出で、印象深いものでした。

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観劇日:2003年3月8日
入場料:D席 4500円 4F L1列21番

主催:財団法人日本オペラ振興会/社団法人日本演奏連盟

藤原歌劇団公演

字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「イタリアのトルコ人」Il Turco in Italia
オペラ・ブッファ2幕
マーガレット・ベント監修・ペーザロ・ロッシーニ財団編纂批判校訂版(リコルディ)による日本初演

台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮:マウリツィオ・ベニーニ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ:小谷 彩子
合 唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団
演出・装置・衣装:ピエール・ルイージ・ピッツイ
照明:セルジョ・ロッシ  舞台監督:大仁田雅彦

舞台・プロダクション協力:モンテカルロ・オペラ 

出演者

フィオリッラ 佐藤 美枝子
セリム 矢田部 一弘
ドン・ナルチーゾ 五郎部 俊朗
ドン・ジェローニオ 久保田 真澄
詩人 ロレンツォ・レガッツオ
ザイダ 牛坂 洋美
アンバザール 市川 和彦

感想

 「イタリアのトルコ人」は、タイトルこそ有名ですが、日本で取り上げられたことはほとんどなく、1981年9月に東京室内歌劇場が取り上げて以来の本格的上演です。批判校訂版がリコルディから売り出されたのが1988年ですから、81年の上演は批判校訂版によるものではなく、この藤原の公演が日本で初めての批判校訂版による演奏となります。私のもっている何冊かのオペラの本に書いてある「イタリアのトルコ人」の上演時間は110分ないし130分ですが、本日の上演時間は、当初の予定が140分でしたから、クリティカル・エディションになったことにより、これまでカットされていた部分が相当復元された、ということのようです。

 私が実演を聴くのは、もちろん初めてです。初日と3日目はデヴィーアが歌うということで、そちらの方が人気が高かった様で、本日はパラパラと空席も目立ちましたが、演奏自体は総じて良かったのではないかと思います。このオペラはアンサンブル・オペラとしての側面が強いのですが、その面では、チームワークのよい日本人キャストは光ります。私は、こと歌に関する限り、大いに満足いたしました。

 指揮のベニーニは、ロッシーニを得意としている人のようですが、私の趣味からすると一寸重い感じです。テンポをあまり動かさず、歌手を上手に乗せてはいたようですが、ロッシーニのあの軽やかな推進力を十全に表わせていたか、という点になると私には疑問符が付きます。オーケストラの音も決して悪くなく、序曲のホルン・ソロまあまあ決まり、良かったとは思うのですが、何となく釈然としないものが残るのです。

 歌の方は、総じて良かったと思います。合唱はテノール2部、バスの男性三部合唱なのですが、丁寧でよく合っており、色違いのスーツ姿もカラフルで、良かったです。合唱部の力量を見せて頂きました。見た感じも揃っていたので、ラインダンスでも踊れば、もっと楽しめたかもしれません(これは冗談)。

 ソリストでまず指を折るべきは、やっぱり佐藤美枝子でしょう。佐藤は、登場のアリアこそ、のどの温まり方が今一つだった様で、声が席まで飛ぶ前に失速しておりましたが、後はほぼ完璧と申し上げるべきでしょう。私はこれまでも佐藤美枝子は技術的レベルの高いコロラトゥーラ・ソプラノだと思ってきました。ただし表現力に関してはまだこれからかな、という認識でした。でも本日の歌唱は非常に柔軟で、今まで彼女の特徴と考えていた硬質の高音は健在でしたが、柔らかな高音も聴かせてくれましたし、アンサンブルでのバランスもなかなかのものでした。第2幕の悲嘆の大アリアは、技術的にも難しいものだと思うのですが、ドラマチックな前半も、華麗なカバレッタもしっかりと歌い切り、ブラヴァです。また演技も足をあげたり、取っ組み合いをして見せたり、と吹っ切れた演技で大活躍でした。

 五郎部俊朗のドン・ナルチーゾもよかったです。五郎部は日本のロッシーニ・テノールの第一人者ですが、まだその座を後継者に渡さなくても良いようです。私が最初に彼のドン・ラミーロを聴いたときのような感動はもう得られなくなりましたが、それでも声質といい、歌うテクニックといい大したものです。彼も登場のアリアこそ声が飛んできませんでしたが、あとはなかなかのものでした。第2幕のアリアは、技巧的なところをしっかりと歌い、さすが五郎部と申し上げましょう。

 お人好しのドン・ジェローニオを歌った久保田真澄もなかなかよかったです。彼はブッフォ役が良く似合う歌手では決してなく、今回のジェローニオについてももっとカリカチュアライズして歌っても良かったのではないかとも思うのですが、歌自身は良かったです。第2幕冒頭のセリムとの二重唱は、セリムには負けないという感じがよく出ていて、とりわけ秀逸でした。

 セリム役の矢田部一弘が大きな役を歌うのを聴くのは初めてです。若手のバスで、まだこれこそ矢田部の声というものを確立していない感じがしました。セリム自身は重要な役柄ですが、音楽的には小さいアリアを一つ与えられているだけであとは重唱での参加です。重唱の中で、他の声部と歌う時はそれなりなのですが、バス同士やバリトンと歌うとき、一番弱い感じがしました。

 詩人のレガツッオ。良かったです。声がまずいい。その上演技も抜群と申し上げなくてはなりません。いわゆる狂言まわしですが、非常にスマートな狂言まわしで、シンプルな舞台を引き立てるのに頑張っていたと思いますし、彼の持ち味で全体が締まった部分もあったようにも思います。。

 ザイダの牛坂洋美。アンサンブルでの参加のみですが、そこそこがんばっていたと思います。登場のシーンで声がかすれてしまったのが残念です。

 今回の上演で強調しておかなければならないのは、重唱です。よく合っていて、相当練習を積んだと思います。細かいことをあげつらうことは勿論可能ですが、本質的には個々の歌手の個性が上手くバランスされていて良かったと思いました。第1幕2場のジェローニオ、セリム、ナルチーゾ、フィオリッラによる四重唱、その後に続くフィオリッラとジェローニオとの二重唱、第一幕フィナーレの六重唱、第2幕冒頭のセリムとジェローニオとの二重唱、仮面舞踏会におけるてんやわんやの五重唱、どれも楽しく、ロッシーニを聴く喜びを十分に感じさせてくれる重唱でした。

 演出はモンテカルロ歌劇場のもの。左右に動く台車?を無碍に動かして、小道具を出し入れしながら舞台と作って行くというもの。ある意味抽象的な舞台ですが、作品の特徴から見て仕方ないのでしょうか?歌が楽しめたから良いのですが、それでいいかどうかはよく分かりません。

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鑑賞日:2003年3月23日
入場料:1425円、1F 19列47番

新国立劇場オペラ研修所研修公演

字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮:ヴィンセント・デ・コルト  管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/二期会合唱団  チェンバロ:大藤 玲子
演 出:ケルスティン・ワイス  装 置:西川 成美
照 明:八木 麻紀  

出 演

フィガロ 北川 辰彦(第5期生)
スザンナ 久嶋 香奈枝(第4期生)
伯爵夫人 國光 智子(第3期生)
伯爵 青山 貴(第4期生)
ケルビーノ 清水 華澄(第4期生)
ドン・バジーリオ 藤木 大地(第5期生)
バルトロ デイヴィッド・マシュー・ベダード(賛助出演)
マルチェリーナ 林 美智子(賛助出演)
アントーニオ 与那城 敬(第5期生)
バルバリーナ 中村 恵理(第5期生)
ドン・クルーツィオ 藤木 大地(第5期生)

感想

 新国立劇場にオペラ研修所があって、若い歌手の方が研鑚されていることは知っていたのですが、その終了公演は結構聴きがいがあるという話を聞いて、昨年も聴きに行こうと思っておりました。昨年2月頃適当に電話をかけた所、既に売りきれとのことだったので本年は満を持して、発売日に切符を手に入れました。そして、本日楽しみにして聴いてきたわけですが、基本的には楽しめました。

 歌手は原則的には研修生であり、まだ勉強中の人が歌っている、ということだからだと思うのですが、総じて役が自分のものになりきっていないという感じがいたしました。そのためか、全体的に余裕のない歌唱でした。1幕で、スザンナとフィガロの二重唱のあと、バルトロとマルチェリーナが登場するシーンがありますが、この二人が登場しただけで、それまでのスザンナとフィガロだけの時と比較して、音楽のレベルが一瞬にして変わりました。ここに研修生と研修所を終了して舞台経験を積んでいる林美智子の差が出ていたと思います。

 そのような、経験でしか身につかない点を別にしても、それぞれに課題があったと思います。以下かなり厳しいことを書きますが、今回の演奏を聴いての正直な所ですし、もし本当にプロの歌手になろうと思うのであれば、この程度の苦言は跳ね返して頂きたい。研修生の今後の精進を期待したいと思います。

 スザンナの九嶋香奈枝は、全体的に線の細い歌唱でした。細かいニュアンスの表情など頑張っていた所もあるのですが、ここぞ、という時の力強い声がないのです。フィガロの結婚におけるスザンナは、舞台上にいる時間が一番長い役柄で、数多くのアンサンブルにも参加するのですが、スザンナの存在感が強くアピールされてこない歌でした。スザンナの声部であるソプラノ・リリコやソプラノ・リリコ・レジェーロは、現在日本のオペラ歌手で一番層の厚い部分であるだけに、本日程度の歌唱では第一線に立つのはなかなか困難ではないか、という気がいたしました。

 フィガロの北川辰彦も若さだけが取り柄の歌唱だったと申し上げましょう。もちろん若さを感じられる歌、というのは大事ですが,それだけだと聴いていて詰まらないのです。フィガロという役の持つ持ち味、良くも悪くも庶民の知恵と反骨精神、というものをどう出していったらよいか、研究して頂きたいと思います。

 伯爵の青山貴。彼も若さに任せた部分もあったのですが、一方で伯爵の雰囲気を出すことに成功しており、まずまず好演と申し上げて良いと思います。

 伯爵夫人の國光智子。彼女も今一つ。第3幕のアリア「楽しい思い出はどこへ」は、丁寧に歌っていて好感を持てたのですが、歌にコクを感じることはできませんでした。彼女の歌には伯爵夫人が醸し出す憂いが出ていないのです。これは多分声質の問題で、彼女は伯爵夫人とミスマッチだったのではないか、という気がします。

 ケルビーノ役の清水華澄。彼女は一番面白かった。歌は取りたてて褒めるほどではないと思いますが、演技と存在感は抜群でした。ケルビーノは「色気づいたやんちゃな不良」というのが一番的確な表現ですが、もっているアリアが美しいせいで、「やんちゃな不良」と言う側面を強調した舞台は、これまで見たことがありませんでした。清水は女御笑い系の雰囲気があり、やんちゃな演技もこなれていて、この「やんちゃな不良」ケルビーノを上手く表現していたと思います。

 バルトロとマルチェリーナ。流石です。バジリオとドン・クルツィオの二役を演じた藤木大地。頑張っていました。バルバリーナの中村恵理。雰囲気が年増な感じで、ナイーブな田舎娘、という感じではなかったです。全体としてよく練習していた、ということは分かりました。演技のタイミングやアンサンブルのバランスなどにそれらを強く感じました。「フィガロ」は作品の側面として、アンサンブルの妙味を味わうところがありますので、その点は楽しめたと申し上げてよいでしょう。

 デ・コストの音楽作りは、シャープできびきびしたもの。私は良かったと思いました。ケルスティン・ワイスの演出もシンプルながら、一つ一つの演技にはこだわっており、私はよいと思います。そんな訳で、ここの歌手の力は、更なる研鑚を期待したいところですが、オペラ作品としてみる限り、結構楽しめた、というのが正直な気持ちです。

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鑑賞日:2003年4月3日
入場料:D席 6615円、4F 2列51番

主催:新国立劇場/日本オペラ団体連盟

平成14年文化庁国際芸術交流支援事業

字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲ニーベルングの指輪第2日「ジークフリート」(Siegfried)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:準・メルクル  管弦楽:NHK交響楽団
演 出:キース・ウォーナー  装置・衣装:デヴィッド・フィールディング
照 明:ヴォルフガング・ゲッペル 振 付:クレア・グラスキン
アクション:渥美 博  舞台監督:菅原多敢弘 

出 演

ジークフリート クリスチャン・フランツ
ミーメ ゲルハルト・シーゲル
さすらい人 ユッカ・ラジライネン
アリベルヒ オスカー・ヒッレブラント
ファフナー 長谷川 顯
エルダ ハンナ・シュヴァルツ
ブリュンヒルデ スーザン・ブロック
森の小鳥 菊地 美奈

感想

 日本のオーケストラはどこもそうなのでしょうが,NHK交響楽団は特に機能的な集団で、あまり癖や独特の音色を持たないオーケストラだと思っておりました。でも新国立劇場のピットに入ったN響が出していた音は、私がNHKホールで慣れ親しんでいる、いつものN響の音でした。普段N響がいない所で演奏するとき、N響サウンドが聞こえてくる。これはある意味では驚きでした。それにしてもN響は上手な演奏をします。勿論、正味4時間30分の長丁場ですから、全く無傷と言うわけにはいかないのですが、全体としてみれば、ハイレベルと申し上げなければなりません。

 準・メルクルとの相性も抜群です。メリハリも肌目の細かさもあって、ワーグナーの音楽が本質的に持つおどろおどろしさの表現も、あるいは第三幕の愛の二重唱での官能的表現も実に良いです。N響の次期音楽監督はアシュケナージですが、私は準・メルクルにすればいいのにとずっと思っていました。今回のワーグナーで、今後にその期待を繋ごうと思っております。私は、新国のオケピットから聞える音で、今回程「うまいなあ」と思ったのは初めてです。勿論音楽表現として良かった例はこれまでもあったわけですが、技術的なレベルと芸術的なレベルとが共にハイレベルというのは、今回が一番だと思います。

 考えて見れば、あの音響が悪いことで評判のNHKホールで、あれだけの演奏を普段しているのですから、箱が小さく、音響設計も優れている新国立劇場であれだけ厚い音を出せるのは当然かも知れません。それにしても、本日は弦が16型と結構大きな構成でしたが、弦楽器の音の精度は東フィルの比ではありませんし、管楽器の音の綺麗さ、例えばホルン、もう大したものであります。

 歌手ではジークフリートを歌ったクリスチャン・フランツがまず良かったです。高音に透明感があって美しく、それでいて全体としては深みと力強さを兼ね備えており、ヘルデンテノールとしての美点を持った名手と思います。登場から幕切れまで余裕の声量で歌いきり全然崩れない。日本人がこういう作品を歌うと、最後はアップアップでいつ沈没するかとハラハラして聴くのですが、今回のフランツの歌は間然とする所がありませんでした。ある方が、「声だけ聴いていたらどんな美男子かとおもっちゃう」とおっしゃていましたが、全く同感で、英雄ジークフリートの造形を明確に示していたものと思います。

 ミーメのゲルハルト・シーゲルも良かった。出だしは一寸声が出ていなくて、あれ、と思ったのですが、あとは抜群でした。ミーメはジークフリートと同じ声部ながら、単純でやんちゃなジークフリートに対して、複雑でずるがしこくてそれで卑屈な雰囲気を出していかなければならないので、ずっと大変な役柄だと思うのですが、シーゲルの歌と演技は、その卑屈さの表現に秀出ていて素晴らしいものでした。

 さすらい人を歌ったラジライネンはテノール二人の抜群の歌と比べれば当たり前でしたが、決して悪くはなかったと思います。1幕のミーメとの確執の部分での力強さとおどろおどろしさ、ニ幕のアリベルヒとの対決、三幕のエルダとの噛み合わない対話、どれをとっても相手とのバランスのとれた歌でした。さすらい人は要するに過去の人であり、若き英雄ジークフリートをコントロールして失敗する役柄ですが、過去の人としての雰囲気は十分味わえたと思います。

 ヒッレブランドのアリベルヒ。悪くないと思いますが特別な印象はありませれん。ファフナーの長谷川顯。決して下手な方ではありませんが、これだけ重量級の歌手の間に挟まると、一寸弱いかなという感じでした。

 女声陣は男声から比べると一寸弱めでした。エルダのハンナ・シュワルツ。深みのあるなかなか良い声で決して悪くはないのですが、あれだけの男声陣に翻弄された後に聴くと、今一つ乗り切れないというのが正直なところです。スーザン・ブロックのブリュンヒルデ。ジークフリートの若々しい求愛に戸惑いながらも乗せられている雰囲気が良かったと思います。声そのものの魅力は、フランツのジークフリートと比べると一寸落ちる感じがいたしましたが、表現は良かったのではないでしょうか。

 菊地美奈の小鳥。歌に関しては、まだまだ進歩の余地ありとみました。でも空中に吊られて回転するといった軽業をやる以上、若くて身軽でかつそこそこ歌えなければなりません。彼女だけシングルキャストだったところを見ても、そういうバランスのとれた歌手を選べなかったと言うことなのでしょう。彼女の頑張りにブラヴァを送ります。

 問題の演出です。流石に「ラインの黄金」や「ジークフリート」の時のような驚きはもうありません。キース・ウォーナーの「指輪」に対する基本的な認識は歪みなのですね。これはずっと一貫していて、今回の舞台装置も全て歪んでいます。あんな変ちくりんな舞台で歌わされる歌手は大変だななあ、とつくづく同情します。3幕の愛の二重唱の場面で、スーザン・ブロックが足場を確保しようとして恐る恐る動いていたのが印象的でした。

 もう一つ付け加えれば、ウォーナーの映画に対する意識の強さも印象深く感じました。第1幕のミーメの家は機能的なアメリカの家を意識していると言われている様ですが、あれはキューブリック監督の名作「時計仕掛けのオレンジ」のパロディです。あの映画の悪の主人公たちとジークフリートの類似性を強く感じました。2幕でぬいぐるみの動物をいっぱい登場させましたが、これも何かの映画との関連があると思います。第3幕のさすらい人とエルダとの二重唱の場面で、地面に撒き散らされたフィルムを見れば、映画との関連は明らかでしょう。

 このように休憩も入れて6時間、じっくりと楽しんでまいりましたが、それでも本質的なところで、私はワーグナー好きにはなれないようです。3幕の後半は音の分厚さにヘキヘキしておりましたから。指揮者、オーケストラ、歌手みんな揃っていて本当に良い演奏だったのですが、こういう音楽を自分のプリミティブな楽しみして感じられない所に、自分のオペラファンの限界を感じます。 

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鑑賞日:2003年4月9日
入場料:エコノミー席5000円 P2列  番

主催:財団法人日本舞台芸術振興会

エディタ・グルベローヴァ ソプラノ・リサイタル
<チューダー朝の女王たち>

会場:サントリーホール

指揮:フリードリッヒ・ハイダー
歌唱:エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

プログラム

ドニゼッテイ「マリア・ストゥアルダ」 第2幕 マリアのシェーナとカヴァティーナ「ご覧、かぐわしく美しい野原が開け」
ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」 序曲  
ドニゼッテイ「アンナ・ボレーナ」 第1幕 アンナのアリア「無邪気な若者よ」
序曲  
第2幕 アンナのシェーナとアリア「あなた達は泣いているの〜私の生まれたあのお城へ私を連れて行って」「邪な夫婦よ」
休憩
ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」 第1幕 エリザベッタのアリア「彼の愛が私を幸せにしてくれた」
序曲  
第3幕 エリザベッタのアリアとカバレッタ「冷たい男よ、彼女のそばで暮すがよい〜流された血は」
アンコール
ドニゼッティ「シャモニーのリンダ」 第1幕 リンダのアリア「私の心の光」
ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」 第1幕 ロジーナのカヴァティーナ「今の歌声は」

感想

 今回は端的に間違いでした。何がって言えば、席の選択です。今回エコノミー席を購入して、オーケストラの後側から聴いたのですが、やっぱりグルベローヴァの顔を見ながら聴くべきでした。後姿を見て聴いてもあれだけ素晴らしかったのですから、顔を見ながら聴いたら、どれだけ感心しただろうと思うのです。そう思うと残念です。

 しかしながら、流石グルベ様です。私はグルベローヴァのリサイタルは2度目(別にオペラの経験もあります)の経験なのですが、8年ほど前(正確ではない)にサントリーホールで聴いたリサイタルよりは圧倒的に感動いたしました。最盛期よりは衰えた、と言い方がよくされるのですが、衰えてあの歌ならば、最盛期はどんなに素晴らしかったことでしょう。

 恐らく、最近のグルベローヴァにとって、ドニゼッティのベル・カント・オペラは非常にマッチしている、と言うことなのだろうと思います。特に今回の女王役は、歌手の女王と役柄の女王とが上手く重なり合って、とりわけ良くなったのではないかと思います。一歌手のリサイタルとしては、文句なしに最上級のものでした。

 とはいえ、「マリア・ストゥアルダ」のアリアは、思ったほどではありませんでした。私は、このオペラをグルベローヴァとバルツァがマリアとエリザベッタを歌うパタネ指揮のCDで知り、大好きになったのですが、あのCDを初めて聴いたときのような感銘はありませんでした。グルベローヴァは、細かな表情をつけて歌っていたようなのですが、目の前にいるトランペットやファゴットの音で、その細かなニュアンスが全く聴き取れなかったのです。この責任はオケにあるわけでも、グルベローヴァにあるわけでもないのですが、非常に口惜しいところです。

 「アンナ・ボレーナ」の二つのアリアは、「マリア・ストゥアルダ」で一寸心配になった私の心をはっきりと晴れさせてくれました。「無邪気な若者よ」の巧みな技巧にも感心しましたが、もっと凄かったのは、「狂乱の場」でした。歌の表情の多彩さ。高音の力。ピアニッシモの繊細な息遣い。どれをとっても一級品で、どこがどうとも言えないほど感心いたしました。特に「邪な夫婦よ」の鬼気迫る歌唱は、非常に感心いたしました。恐らく、音楽自体としてはもっと上手に歌える人もいるのかもしれないと思うのですが、表現力と歌唱の技術とが融合して役柄との一体感を感じさせるという点では、まさにグルベローヴァの独壇場でした。大ブラヴァです。

 「ロベルト・デヴリュー」は、まともに聴いたことの無いオペラなので、よくは分らないのですが、第1幕のアリアはそういう私でも十分引き込まれるものがありました。カヴァティーナとカバレッタの見事な対比は、流石と申し上げるしかありません。フィナーレのアリアも凄いものでした。まともに見ていた方には、老いた女王の怒りや苛立ち、あるいは諦めが威厳をもって迫ってきた、と言うことでしたが、後姿を見ながら聴いていると、そういう劇的な感情変化はあまりはっきりと分らないというのが正直なところです。前から見れば、グルベローヴァのオーラが感じられたかもしれないと思うと口惜しいです。しかし、それでも緊張感が感じられてとても素晴らしいものでした。

 アンコールの「シャモニーのリンダ」からのアリアは、2000年のウィーン国立歌劇場日本公演を思い出させる歌唱で良かったです。そして、最後の「今の歌声は」。これは楽しかった。あそこまでのヴァリアンテをグルベローヴァ以外の人がやったなら、大顰蹙だと思いますが、彼女は別格です。コミカルな動き(表情もそうだった様ですが、これまた後姿だけでよくわからない)も素晴らしく、大歌手の余裕と貫禄を見せてくれました。

 指揮者はグルベローヴァの夫君のハイダーでしたが、いいコンビです。グルベローヴァが歌い易いように、しっかりとオーケストラをコントロールしていました。

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鑑賞日:2003年4月21日
入場料:D席 15000円 4F L3列24番

主催:財団法人日本舞台芸術振興会

字幕付原語(イタリア語)上演、演奏会形式
ベッリーニ作曲「ノルマ」Norma
全2幕

台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮:シュテファン・アントン・レック  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団  合唱指揮:ヤン・ロチェーナル
 

出演者

ポリオーネ ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
オロヴェーゾ シモン・オルフィラ
ノルマ エディタ・グルベローヴァ
アダルジーザ ヴェッセリーナ・カサロヴァ
クロティルデ マリア・レヤヴォヴァ
フラヴィーオ リュボミル・キツェク

感想

 今年は「ノルマ」の当たり年の様で、私が知っているだけでも4プロダクションが上演されます。その中で、多分最も注目されているのが、グルベローヴァが自分の歌手生活の最後のキャリアと言っている「ノルマ」を、世界で初めて歌うこのプロダクションでしょう。ちなみに日本で「ノルマ」が上演されるのは10年ぶりで、私がきくのも10年ぶりでした。

 聴いておもうのは、やっぱりグルベローヴァは不世出の大歌手である、という至極当たり前のことでした。大歌手が自分で取っておいた役を歌うということが、どういうことか、ということを嫌というほど感じさせていただきました。第1幕の彼女は明かに緊張していましたし、その影響が歌にも出ていました。彼女が普段ベルカント・オペラを歌う時の自在さは消えて、一音、一音をしっかりと丁寧に歌っているのがとても印象的でした。

 登場のアリア「清らかな女神」は、本来のグルベローヴァでしたら、もっとしなやかに歌うのでしょうが、歌の女神にかしずくような緊張感に満ちていて、聴き手の気持ちをも厳粛にさせずにはいられないものがありました。グルベローヴァは、これからどこかの舞台で「ノルマ」を演じるのでしょうが、多分今回程丁寧に、試験に臨む音楽学校の生徒のように歌うことはないのだろうな、と思いました。

 第一幕で自分の歌を歌えたと思ったせいなのか、髪をアップにし、黒い衣装で登場した第二幕は、普段のグルベローヴァに近い自在の歌に戻っていました。ここでまず感心したのは、カサロヴァとの二重唱「お願い、子供たちを」でした。この二重唱は、音楽的にはこの日の白眉だったと思います。この二重唱の美しさは、筆舌に尽くしがたいものがありました。グルベローヴァとカサロヴァの声の微妙なコンビネーションが、ふくよかな響きを醸し出します。本当にうっとりとさせられる一瞬でした。

 そして、その後の歌いっぷり。正に女優グルベローヴァでした。高音から低い地声に至る迄しっかりとコントロールしながらも、感情を前面に押し出す歌い方は、聴き手の心を揺り動かさずにはいられません。最後の最後まで緊張感が途切れず盛上げていく力は、大歌手の面目躍如と申し上げます。

 このグルベローヴァの歌唱にしっかりと対峙していたのがカサロヴァです。カサロヴァの声は、グルベローヴァの声と良く合うようで、二人が同時に登場すると、音域の広がりも声の密度の感じも素敵で、まさに「鬼に金棒」という感じでした。カサロヴァ一人で登場しても、低音のきらめき、高音の輝きとも優れていて、このような密度の濃いメゾ・ソプラノを聴く楽しみを満喫させて頂きました。

 もう一人すぐれていたのはオロヴェーゾを歌ったオルフェラでした。腰のあるしっかりした歌いっぷりで、また声に輝かしさも満ち溢れていて良かったと思います。歌が若くて、「ノルマの父親」という雰囲気に一寸欠けていたのが減点、というところでしょうか。

 ラ・スコーラは、彼本来の明るさ・輝かしさがあまりはっきりと見えなかった歌唱のように思いました。とはいえ、安定した歌であることは間違い無く、グルベローヴァの「ノルマ」デビューを支えるには十分な歌だったと思いました。

 合唱のスロヴァキア・フィルハーモニー合唱団は、結構粗っぽく、グルベローヴァの丁寧な歌とは対極にあった感じで,その実力は藤原歌劇団の合唱部や二期会合唱団よりも優れている、という風には感じられませんでした。しかし、グルベローヴァにとってみれば、同郷の合唱団がバックに付いてくれることが安心材料だったのでしょうね。

 指揮者のシュテファン・アントン・レックは、輝かしさを強調した、煽る指揮を見せてくれました。当初発表されていた上演時間よりも若干早く終演したのは、レックの指揮の影響が多かったためかもしれません。オーケストラをしっかりとコントロールしながらも、歌手の呼吸に対しても配慮しており、好感を持ちました。東京フィルハーモニー交響楽団も、音の輝き、という点ではN響にかないませんが、楽譜通りに弾く、という点ではかなり良い線でした。特にフルートは褒められるべきだとおもいます。

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鑑賞日:2003年4月27日
入場料:5670円、D席 4F1列31番

主催:新国立劇場/財団法人日本オペラ振興会 藤原歌劇団
平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」(La Boheme)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ
原作:アンリ・ミュルジュ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:アントニオ・ピロッリ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:三澤 洋史
児童合唱:杉並児童合唱団  児童合唱指導:志水 隆
演 出:粟國 淳   装 置:パスクアーレ・グロッシ
照 明:笠原 俊幸  衣 装:アレッサンドロ・チャンマルーギ
舞台監督:大仁田雅彦

出 演

ミミ 大岩 千穂
ロドルフォ オクタビオ・アレーバロ
マルチェッロ 堀内 康雄
ムゼッタ 崔 岩光
ショナール アレッサンドロ・バッティアート
コッリーネ 久保田 真澄
ベノア 築地 文夫
アルチンドロ 山田 祥雄
パルピニョール 中鉢 聡

感想

 私はプッチーニ嫌いを喧伝しているのですが、その作品の中で一番嫌いではない作品が「ボエーム」です。「ボエーム」にも私の好きになれないいわゆるプッチーニ節があちこちにあって、感心は出来ないのですが、ドラマの内容が一番あざとくないこと、貧乏なボヘミヤン達がそれほど悲惨に描かれていないことから、悪くない青春オペラだと思っています。今回の新国のプレミエは、青春オペラ「ボエーム」を聴くという点においては、なかなかよくまとまっていて、悪くない上演だったと思います。指揮、オーケストラ、歌手、演出、どれをとっても満点ではないにせよ皆そこそこに高い水準で、平均値の高い上演だったと思います。バランスの良い公演でした。

 この全体としてのバランス構築に、最も貢献していたのは、私が見る所、指揮者のピロッリです。彼はそれほど個性の強い指揮者ではないと思うのですが、オペラ劇場で指揮者がどう振るべきか、という点についてきちんとビジョンのある人のように思います。これは昨年の「セヴィリアの理髪師」の時もそう思ったのですが、今回もプッチーニの持つ本質的な泥臭さを流麗にコントロールしながら、全体としてピシッと締めていたように思います。東京フィルの演奏も総じて良く、躍動感のある切れの良い音楽でした。細かいミスはあったのでしょうが、私の耳障りになるような、大きなミスはなかったのでしょう。

 ベースとなるオーケストラが良かったせいか、ドラマはテンポよく進み、あっという間に終ってしまったという印象です。それは勿論いいことです。

 歌手もみなそれなりにまとまっていた、というのが率直な感想です。大岩千穂のミミは高音の伸びが今一つ乏しいところが僅かに気になったのですが、悪いというほどではないと思います。「私の名はミミ」はなかなか良かった。しかし、彼女はミミという薄幸のお針子を表現するには工夫が足りなかった、というのが本当のところだと思います。私が「ボエーム」を聴くのは、99年の藤原歌劇団公演以来なのですが、あの時のフレーニの歌うミミは、流石につぼを押さえた歌いっぷりでした。私はフレーニを決して美人だとは思わないし、体格的にも肺病病みには見えないのですが、舞台で彼女がミミを歌うと、彼女が貧しく純情なお針子に見え、肺病で命を失うのもやむをえない、という風に思わせてしまいます。それに対して、本日の大岩は、特に第4幕などは音楽的リアリティの薄い歌唱だったと思います。

 ロドルフォのアレーバロ。全体をそつなくこなしていたと思いますが、インパクトは若干弱い感じがしました。「冷たい手を」は悪くは無かったのですが、強さを感じられない歌でした。全体的にミミを引っ張っていくロドルフォ、というよりも、ミミに引張られるロドルフォという感じがしました。

 マルチェッロの堀内康雄は流石の歌唱です。本日ナンバーワンの歌唱だったと思います。マルチェッロはアンサンブルで活躍するのですが、マルチェッロが入るとそのアンサンブルが締まります。例えば第三幕のミミ、ロドルフォ、マルチェッロ、ムゼッタの四重唱などはその好例と申し上げて良いでしょう。

 ムゼッタの崔岩光も悪くはなかった。彼女は長身で舞台栄えがするので、「ムゼッタ」として十分な資質があると思います。「ムゼッタのワルツ」はもう少しコケティッシュな雰囲気を出した方が尚良しとおもいました。バッテリアートのショナール、久保田真澄のコッリーネは共に好演.。コッリーネの四幕のアリア「古い外套よ、さらば」は、音程コントロールも雰囲気もなかなか良いものでした。

 それ以外の脇役も総じて好演。第2幕の幕切れで、アルチンドロがボヘミアン達の勘定を上乗せされて請求された時の、表情の作り方などはとても楽しいものがありました。

 粟國淳の演出も分かりやすくいいものだったと思います。世界中の演出家達が頭を捻る、第二幕のカルチェ・ラタンのシーンも店を回転させる、というやり方と、二つの建物の間の距離を変えるというやり方で処理したところなどは、なかなか素晴らしいものがあったと思います。

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