オペラに行って参りました-2009年(その4)

目次

研究と娯楽の狭間  2009年09月23日  日本ヘンデル協会「オットーネ」を聴く 
イアーゴの眼力  2009年09月29日  新国立劇場「オテロ」を聴く 
オペラ研修所同窓会  2009年10月01日  平成21年度(第64)回文化庁芸術祭祝典「メリー・メリー・ウィドウ」祝祭版を聴く  
フレッシュな若手とベテラン  2009年10月03日 昭和音楽大学オペラ「愛の妙薬」を聴く 
スズキの魅力  2009年10月09日  東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」を聴く 
何年か後の楽しみ  2009年10月18日  国立音楽大学大学院オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴く 
喜歌劇の難しさ 2009年10月24日  東京オペラ・プロデュース「エトワール」を聴く 
少しずつ変わる再演  2009年10月29日  新国立劇場「魔笛」を聴く 
日本一のアディーナ  2009年10月31日  横浜シティオペラ「愛の妙薬」を聴く 
若手の力  2009年11月07日  日生劇場「ヘンゼルとグレーテル」を聴く 
改革の旗手のもうひとつの顔  2009年11月13日  北とぴあ国際音楽祭2009「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」を聴く 
モンスター  2009年11月18日  新国立劇場「ヴォツェック」を聴く 
逃避は分かっているけれど  2009年11月20日  東京二期会オペラ劇場「カプリッチョ」を聴く 
暑苦しさの魅力  2009年12月02日  新国立劇場「トスカ」を聴く 

オペラに行って参りました2009年その3へ
オペラに行って参りました2009年その2へ

オペラに行って参りました2009年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2009923
入場料:自由席 8000円 私が聴いたのは、1FM37番 

主催:日本ヘンデル協会

日本ヘンデル協会 コンサートシリーズ Vol.14
北とぴあ国際音楽祭特別参加公演

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヘンデル作曲「ドイツの王オットーネ」HMV15(1723)Ottone Re di Germania)
台本:ステファノ・ベンデット・パッラヴィチーノの台本からニコラ・フランチェスコ・ハイムの翻案による

演奏会形式

会場 北とぴあ さくらホール

スタッフ

指揮・チェンバロ:ローレンス・カミングス
オーケストラ:ヘンデル・インスティテュート・ジャパン・オーケストラ
       コンサートマスター:桐山 建志
       チェンバロ:平井 み帆

舞台総監督:藤江 郊子

演出・舞台・制作・字幕・言語・ライブラリアン・プログラム制作

伊藤 明子
金井 隆之
後藤 菜穂子
小酒井 貴朗
小林 裕子
鈴木 宏
三々尻 正
本宮 廉子
森 有美子
森川 郁子
柳本 洋子

出 演

オットーネ(神聖ローマ帝国第二代皇帝)  :  上杉 清仁(カウンター・テノール)   
テオーファネ(東ローマ帝国皇女・オットーネの婚約者)  村谷 祥子(ソプラノ) 
ジズモンダ(前イタリア王ベレンガリオの未亡人)  :  藤井 あや(ソプラノ) 
アデルベルト(故ベレンガリオとジズモンダの子)  :  池田 弦(カウンター・テノール) 
マティルダ(オットーネの従妹・アデルベルトの恋人)  :  田村 由貴絵(メゾ・ソプラノ) 
エミレーノ(海賊。実は・・・?)  :  春日 保人(バリトン) 
兵卒(オットーネの部下)  :  加藤 直紀(バリトン) 


感 想 研究と娯楽の狭間-日本ヘンデル協会「オットーネ」を聴く

 ヘンデルが18世紀前半を代表するオペラ作曲家であることはよく知られている事実ですが、その上演に触れることはなかなか難しいです。日本では、関西のヴィヴィヴァ・オペラ・カンパニーという団体と日本ヘンデル協会が定期的に彼の作品を上演しておりますが、それ以外でヘンデルのオペラの実演に接するのはなかなか難しい。それは、私の見るところ、ヘンデルのオペラにはナポリ派オペラのルールを割と厳格に守ったオペラ・セリアがほとんどであることと関係あるのかもしれません。

 私もヘンデルのオペラの実演経験は今回で三度目なのですが、今回の「オットーネ」の比較的オーセンティックに近いと思われる演奏を聴くにつけ、この作品を現代の聴き手に退屈させずに聴かせるのはなかなか骨だろうな、と思わずにはいられませんでした。

 勿論、それは演奏家の問題というよりは作品自身の問題です。ストーリーは必ずしも単純ではないのですが、音楽の組み合わせは単純明快。物語の進行はレシタティーヴォに任せて、登場人物の心情吐露はアリア。アリアもほとんどが典型的退場アリアで、アリアも数節の単純な構成、あるいは典型的なダ・カーポ・アリアと分かりやすいです。重唱は二重唱が第二幕のフィナーレと第三幕のフィナーレに各一曲ずつで、合唱は最後のコーロのみ。

 ヘンデルは、当時のナポリ派オペラセリアのルールを守って書いているわけですが、その後のオペラの多様な変容を知っている身としては、この単純さは、なかなか退屈せずに聴くには難しいところがあります。もちろん、そういう単純な構成であっても、歌い手が頑張って、火の出るような歌唱をしてくれれば又盛り上がるのでしょうが、今回の出演者は、「オットーネ」をどのように初演当時に近付けて演奏するかに興味の主点があったようで、熱情よりも冷静沈着な演奏に重点を置いていたように思いました。

 基本的な演奏様式は立派なものでした。とりわけ、ローレンス・カミングスの指揮とそれに呼応したヘンデル・インスティテュート・ジャパン・オーケストラは古楽器を使った渋いけれどもスマートな演奏で、大変感心いたしました。今回、オーケストラは舞台中央に配置され、歌手は、その周囲(オーケストラの前であれば、舞台の上そのもの、後方であればひな壇の上)で歌唱し、演技します。なお、歌手たちの衣装は「オットーネ」のために作られたと思しき衣装ですが、舞台装置は無に等しく、スライドの映写により舞台をイメージするもので、演奏会形式に近いものでした。

 歌手陣も基本的にはバロック唱法を意識したもの。カウンター・テノールは二人も登場するところがその志の高さを印象付けます。歌唱技術に関しては、みな一定水準以上にあって、正確な歌唱をしていたように思いました。したがって、学究的な意味からいえば、今回の演奏のは意義ある演奏だと申し上げてよいのでしょう。しかしながら、純粋に娯楽としてオペラを楽しんでいる私にとって、今回の演奏は今ひとつと申し上げざるをえない。それは、歌手陣の力量がというか声の輝きが今ひとつ不足しているところにあります。

 要するに、正確ではあるかもしれないが、迫力に欠ける演奏でした。上杉清仁のオットーネは、王の品格を示すには歌が浮ついている印象があり、また王の威厳を示すには声に迫力が欠けるように思いました。テオーファネの村谷祥子も同様です。美しいリリックな声で大変結構なのですが、感情の表現があまり劇的ではなく、また声量も今ひとつであり、聴き手に訴えるものの薄い演奏だったと思います。ジズモンダの藤井あやも同様です。しかし、藤井は第三幕のアリアで、母の感情を劇的に表現して見せ、一寸見なおしました。更に池田弦のアデルベルトは、オットーネよりもさらに迫力に欠け、悪人の匂いが感じられないのも残念なところでした。

 一方低音系の二人は頑張っていました。田村由貴絵のマティルダ。今回の上演の最高の立役者です。歌唱はオーセンティックなバロックスタイルではないのかもしれませんが、声の飛び方、迫力は今回の随一でした。凄みのある低音やしっとりとした中音部の表現と、他の方とはベースラインが違うように聴きました。春日保人のエミレーノも結構。すっきりとしたバリトンで、あくの強い表現ではないのですが、軽快でかつしっかりした歌唱であり、オペラ全体を引き締めるのに貢献していたと思いました。

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観劇日:2009929
入場料:D席 4725円 4F253番 

主催:新国立劇場

平成21年度(第64回)文化庁芸術祭協賛公演
2009/2010シーズンオープニング公演

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「オテロ」 Otello)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:アッリーゴ・ボーイト

新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指  揮  :  リッカルド・フリッツァ   
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
児童合唱  :  NHK東京児童合唱団 
児童合唱指導  :  金田 典子/加藤 洋朗 
     
演 出  :  マリオ・マリトーネ 
美 術  :  マルゲリータ・バッリ 
衣 装  :  ウルスラ・パーツァック 
照 明  :  川口 雅弘 
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督  :  大澤 裕 

出 演

オテロ  :  ステファン・グールド 
デズデモーナ  タマール・イヴィーリ 
イアーゴ  :  ルチオ・ガッロ 
ロドヴィーコ  :  妻屋 秀和 
カッシオ  :  ブラゴイ・ナコスキ 
エミーリア :  森山 京子 
ロデリーコ  :  内山 信吾 
モンターノ  :  久保田 真澄 
伝令  ダン・ジュンボ 


感 想 イアーゴの眼力-新国立劇場「オテロ」を聴く

 新国立劇場の2009/2010シーズンオープニング公演「オテロ」の評判がまずまずのようでご同慶の至りです。私も29日の4回目の公演に伺ったのですが、全体としてなかなか見ごたえのある公演だったと思います。

 新国立劇場で「オテロ」が上演されるのは2003年以来二度目のことです。2003年の上演はロンドンのコベントガーデン歌劇場から借りてきた1987年プレミエのモシンスキーの演出でした。この上演は良い演出だったのですが、演奏自身はあまり良いものではなく、ヴェルディの「オテロ」の難しさを感じさせるものだったので、今回の上演もあまり期待しておりませんでした。それだけに、ちょっと嬉しいです。

 まず、フリッツァの指揮が結構です。フリッツァは新国立劇場3回目の登場ですが、最初に「マクベス」で登場した時以来あまり失望した覚えがありません。彼の指揮ぶりは、音の強弱をうまく使ってめりはりをつけるところと、テンポをドラマの動きに合わせて微妙に動かしながら、こまやかな息遣いで演奏するところにあると思うのですが、今回もその彼の特徴がよく出ていたと思います。デュナーミクは広いのですが、その変化が割と自然で、音楽の流れが急に変化するところがないのもよいと思いました。

 東京フィルの演奏も自然で、大きなミスもなく、弱音も弱弱しくなることもなく、全体としてしっかりした造形だったと思います。

 歌手陣では、何といってもイヤーゴ役のルチオ・ガッロがよかったです。ガッロは、第二幕の有名な「イヤーゴのクレド」で大見えを切りました。寒々とした暗い怨念の表現がとても素晴らしく、イヤーゴはこれぐらいいやらしくないと面白くありません。演技もよく、このクレドのところで、水の中から緑色のヘドロをすくって壁に十字架を描き、それを無造作に水で流し消し去って、虚空を見上げますが、その睨みの迫力は大変素晴らしいものでしたし、それ以外でもイヤーゴの負の存在感は迫力がありました。私は、今回ガッロの見得を見れただけでも、今回の上演を見に行った価値があると思います。

 タマール・イヴェーリのデズデモナもなかなか結構。前半は必ずしも満点というわけではないと思いますが、一番の聴かせどころである「柳の歌」から「アヴェ・マリア」に至る表現は、とてもしっとりした情感の豊かなもので、上々のものでした。

 グールドのオテロは、強さと弱さとの表現のバランスが、いま一つ弱さに偏っているように思いました。もちろん最後は嫉妬で心がボロボロになるわけですから心の弱さの表現ももちろん大切なのですが、これは勿論前半の英雄「オテロ」の輝かしさがあってのことです。大した緯丈夫で見かけは将軍にぴったりなのですから、その威厳をもっと前面に出せるとよかったと思います。

 ナコスキのカッシオは、イヤーゴの奸計に踊らされるところが、若い声とその不安げな演技とがよくマッチしていて結構でした。脇役陣はエミーリアを歌った森山京子の存在感がよかったと思います。

 マルトーネの演出は、本来の舞台であるキプロス島ではなくヴェネツィアを意識したもの。舞台に水を張り、その量は50トンともいいますから、これはちょっと大したものです。 新国立劇場の機能性がよくわかります。マルトーネは、イヤーゴの悪の象徴としてヴェネツィアの水路をとらえているようですが、今回の上演では、存在感は圧倒的にイヤーゴでした。 「オテロ」の本質がイヤーゴの暗い心にあるというのがマルトーネの意識だと思いますが、その部分をうまく表現した演出は理解できるところです。

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観劇日:2009101
入場料:B席 2000円 4F233番 

主催:文化庁芸術祭執行委員会
制作:新国立劇場

平成21年度(第64回)文化庁芸術祭祝典
国際音楽の日記念

2幕、歌唱字幕付原語、台詞日本語上演
「メリー・メリー・ウィドウ」祝祭版
ーちょっと陽気な未亡人ー

新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指揮  :  現田 茂夫     
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合唱  :  新国立劇場オペラ研修所修了生・研修生 
合唱指揮  :  安部 克彦 
     
演出  :  飯塚 励生 
構成  :  飯塚 励生/中田 昌樹 
照明  :  磯野 睦 
振付 :  工藤 美和子 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 


出 演
<メリー・ウィドウ>

ハンナ  :  中嶋 彰子 
カミーユ  ディヴィッド・ロビンソン
ダニロ  :  与那城 敬 
ヴァランシェンヌ  :  九嶋 香奈枝 
ツェータ男爵  :  町 英和 
ボグダノヴィッチ :  青山 貴 
カスカーダ  :  北川 辰彦 
サン・ブリオッシュ  :  村上 公太 
クロモウ  岡 昭宏 
ブリチッチ    駒田 敏章
大使秘書    藤木 大地 

<椿姫>
ヴィオレッタ  :  安藤 赴美子 
アルフレード  ディヴィッド・ロビンソン 

<こうもり>
アイゼンシュタイン  :  桝 貴志   
ロザリンデ  :  吉田 珠代
オルロフスキー  :  清水 華澄 
オロロフスキー  :  増田 弥生 
ファルケ  :  青山 貴
アデーレ  :  大西 恵代 
イーダ  :  鷲尾 麻衣 

プログラム

作曲家 

作品名 

曲名 

備考 

レハール 

メリー・ウィドウ 

No.1 導入曲「紳士淑女の皆さん」   
    N0.2 二重唱「私は貞淑な人妻」   
    No.3 ハンナ登場の歌とアンサンブル「パリにまだ慣れていないのかしら」   
    N0.4 ダニロ登場の歌「おお、我が祖国よ」   
ヨハン・シュトラウスU世 

こうもり 

No.9 二重唱「上品なふるまい」   
ハチャウトリアン 

仮面舞踏会 

ワルツ  オーケストラ演奏 
ドヴォルジャーク    スラヴ舞曲 第10番ホ短調  オーケストラ演奏 
ブラームス    ハンガリー舞曲 第5番  オーケストラ演奏 
レハール

メリー・ウィドウ  

No.6 第一幕フィナーレ 「婦人が踊りの相手を選ぶ番」   

休憩    

レハール  メリー・ウィドウ  No.7 第二幕導入曲〜「ヴィリアの歌」   
モンポウ    チャールダーシュ(ヴァイオリン独奏:青木高志)  オーケストラ演奏 
ヨハン・シュトラウスU世 

こうもり

第二幕フィナーレ 「シャンパンの歌」〜「我々みな兄弟」   
ヴェルディ 

椿姫 

乾杯の歌   
レハール メリー・ウィドウ No.11 二重唱とロマンス「あなた、分別を持って」   
    No.15 ワルツ「唇は語らずとも」   
    No.9 七重唱「女のマーチ」   
    No.16 終曲「そう、女というものは」   

感 想 
オペラ研修所同窓会−平成21年度(第64)回文化庁芸術祭祝典「メリー・メリー・ウィドウ」を祝祭版を聴く

 開設以来10年を超えた新国立劇場ですが、まだ上演されていない重要なオペラ/オペレッタ作品はいくつもあります。メリー・ウィドウはその一つで、近い将来の上演を期待しているのですが、まだ計画はないようです。そんな「メリー・ウィドウ」が「国際音楽の日」記念の芸術祭ガラ公演で取り上げられると聞いて、新国立劇場に馳せ参じました。どういう中身になるか、事前のアナウンスはあまりなかったのですが、「メリー・ウィドウ」に「こうもり」と「椿姫」がガラ・パフォーマンスで含まれるのではないかという期待はありました。それこそ、祝祭的楽しみですね。

 しかし、実際はちゃんとしたオペレッタ上演というよりは、普通のコンサート、というほうがより近いイメージです。プログラムを見れば分かるように、基本的には「メリー・ウィドウ」の物語を踏襲しているものの、「メリー・ウィドウ」の大きな見どころである「カンカン」は省略されておりますし、第二幕の聴きどころである「間抜けな兵隊さん」もない。オーケストラの小品の演奏も幾つかあって、結局のところ、なぜこのようなプログラムにしなければならなかったのかがよく分らないというところです。

 ちゃんとしたオペレッタの上演にすると、舞台装置にお金がかかり、一晩だけの公演ではもったいないという判断があったのでしょうか。普段オーケストラピットに入っている東京フィルハーモニー交響楽団も舞台に乗り、その分、歌手たちが演技する部分は一部オケピットの上、それもオーケストラの位置よりも一段下、という風になっていました。私はいつもの4階で聴いたのですが、舞台がなかなか見えにくくなっていました。4階の座席には、舞台が見えにくくなっておりますので、譲り合ってご覧ください、という趣旨のビラが置いてありましたが、それだったら、もう少し舞台を高くしたらよいのに、と思いました。

 今回の演出は飯塚励生です。飯塚の演出といえば、先日の東京室内歌劇場公演「行きと還り」/「妻を帽子と間違えた男」で「見えない舞台を作るな」と厳しく批判したところです。今回も安い席の客は見えなくても仕方がないと考えていたとすれば困ったものですが、今回は、4階でも歌手の胸から上は見えましたから、許容範囲だと思います。ただ、今回の演奏会は皇太子殿下夫妻が臨席するというものだったのですが、そういった華やかさに対して、舞台の見た目の華やかさはあまり大したものではなかった、とは言えると思います。

 現田茂夫指揮する東京フィルハーモニー交響楽団の演奏も、いつもにもましてルーティンな演奏でした。オーケストラのみで演奏された4曲は全てアンコールピースであり、東京フィルにとってはどうということのない作品だとは思いますが、練習も十分されなかったのでしょう。それにしてもあまりにさらっとしていて、彼らの技術や芸術性を示そうという意思をほとんど感じることのできない埋め草的演奏でした。

 歌手陣は、中嶋彰子とディヴィッド・ロビンソンの二人を除くと全てが新国立劇場オペラ研修所の出身者と研修生。新国立劇場オペラ研修所も開設以来10年たち、その出身者は日本のオペラ界の将来を引っ張る逸材が多いと思います。今回の出演者では、九嶋香奈枝、与那城敬、安藤赴美子、清水華澄、青山貴などは私も注目している若手であり、彼らがどんな歌唱をしてくれるかが興味のあるところでした。

 その観点から申し上げれば、今回は全体的に不調だったと思います。オーケストラが舞台の上にあがるなど普段と違う構成になっていたことが関係あるのかもしれませんが、総じて響かない。そういうデッドな環境においても中島彰子はさすがです。一番の聴かせどころである「ヴィリアの歌」にせよ、「メリー・ウィドウのワルツ」にせよ、十分な存在感と強い歌声で歌いあげました。

 もう一人のゲストであるロビンソンは、カミーユを歌う時よりもアルフレードを歌うときのほうが魅力的。カミーユは、日本語のセリフの中で歌わなければいけないので、タイミングをとるのが難しかったのかも知れません。

 日本人歌手は結構力量の違いを感じさせられました。男性主役系の与那城敬、桝貴志はなかなか良かったと思います。ソプラノは総じて響きがいま一つ。九嶋香奈枝の声はヴァランシェンヌによく合っていると思うのですが、声の飛びがいま一つでした。安藤赴美子のヴィオレッタは無難にまとめていましたが、「乾杯の歌」ですから当然でしょう。清水華澄のオルロフスキーは、研修所時代のオルロフスキーのほうが良かったように思いました。

 オペラ研修所の仲間や先輩・後輩との舞台であり、息はまあ合っていたと思いますが、全般に声の飛びがいま一つで、更にがんばっていただきたいと思いました。

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観劇日:2009103
入場料:A席 3500円 2F436番 

主催:昭和音楽大学

2009昭和音楽大学オペラ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ
リコルディ版

会場:昭和音楽大学「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」

指 揮

星出 豊

管弦楽

昭和音楽大学管弦楽団

合 唱

昭和音楽大学合唱団

合唱指揮

山舘 冬樹

演 出

マルコ・ガンディーニ

美 術

イタロ・グラッシ

衣 装

シルヴィア・アイモニーノ

照 明

奥畑 康夫

舞台監督

斉藤 美穂

出 演

アディーナ

納富 景子

ネモリーノ

松岡 幸太

ベルコーレ

大石 洋史

ドゥルカマーラ

三浦 克次

ジャンネッタ

丹呉 由利子

感 想 フレッシュな若手とベテラン-昭和音楽大学オペラ「愛の妙薬」を聴く

 本年は私にとって本当に「愛の妙薬」の当たり年で5回目の鑑賞となります。年に2回か3回同じ演目を見ることはありますが、5回はちょっとない。それが、「愛の妙薬」というメジャーではあるけれども超メジャーではない作品でこの結果ですから驚きです。今後もこの記録は破られることはないでしょう。もちろんこれは、いくつかの偶然が重なったためです。藤原歌劇団が14年ぶりに本公演で取り上げたこと、「夢遊病の女」と「愛の妙薬」を交互に上演することの多い昭和音楽大学オペラの本年の順番が「愛の妙薬」だったことなどがその偶然に大きく関係しています。

 その昭和音大オペラですが、舞台は、本年6月に藤原歌劇団が東京文化会館で使用し、私が絶賛したマルコ・ガンディーニのものをそのまま持ってきました。本来のスペインのバスク地方を舞台とした田園恋愛劇を現代のショッピングモールでの恋愛劇に読み替えたこの演出は、賛否両論が随分あったようですが、これを大学の授業の一環として行われるオペラ公演に持ち込んだというのは、なかなかの英断だと思います。

 東京文化会館ではそれなりに余裕のあった舞台ですが、テアトロ・ジーリオ・ショウワは舞台が狭い分セットがかなりぎちぎちに置かれている印象です。また合唱団の衣装は、店員など制服系の方は別として、お客さんとして参加した若手はみな自前の衣装だったのではないかしら。東京文化会館の合唱団のメンバーよりももっと普通の衣装だった感じがします。また、おじさん、おばさんといった年配の方が何人も賛助出演しておりました。これらの方々はプログラムに名前が載っておりましたが
、その経歴については記載がありません。もし、大学の近くの新百合ヶ丘近辺の方々が参加していたならば、とても素敵だなと思います。それについては確認していないのでわからないのですが。

 東京文化会館における藤原歌劇団の上演と比較すると、あちらが一軍、こちらが二軍の演奏、というところが妥当なところでしょう。まずオーケストラの技量に差があります。割と批判されることの多いオケピットの東京フィルですが、昭和音大管弦楽団とは比較にならない。昭和音大管弦楽団は基本的技量がアマチュアのオーケストラに毛が生えた程度、というのが本当のところです。指揮がオペラ演奏の手だれであるベテラン・星出豊ですから、要所要所を締めて目立つボロはあまり出さないのですが、弦楽器のざらつきであるとか、音色の深みとか細かいところではいただけない所がいくつもありました。

 歌手陣についてもいま一つのところです。アディーナ役の納富景子は昭和音大出身者では光岡暁恵、葛貫美穂に次ぐ逸材なのでしょうが、かつて光岡や葛貫をはじめて聴いた時の感動と比較すると、いま一つ、と思わざるを得ないところがあります。若手らしいはつらつとした歌唱で悪くはないし、またそつのない歌なのですが、強い印象に欠けるというのが本当のところでしょう。高橋薫子や森麻季とまではいかなくとも、もう少し自分の主張が表に出るように歌ってほしいと思いました。

 松岡幸太は納富景子と比較すれば、粗がたくさんある歌唱でした。明るい若々しい声のテノールで、その声の軽さが長所でも短所でもあるようです。軽くすっきりと歌えるところはよいのですが、アクートをしっかり決めなければならないところなどはどうしても声が押し気味になりますし、また音程も安定しない。「人知れぬ涙」はもっと情感がほしいと思いました。演技も腰の入っていないところが多く、今後精進されることが望まれます。しかしながら持っているものは良いものがあるので、欠点を克服できれば、いいテノールになる可能性があります。

 大石洋史のベルコーレは悪くはありません。ただあまり印象の強い歌唱でなく、ネモリーノに対するプレッシャーの与え方はもう少し強くてもよいのではないかと思いました。

 この若手軍団に対してベテラン三浦克次はさすがです。声の立ち方が若手とは全然違いますし、演技も若手とは比較にならない臭さで存在感が抜群です。ドゥルカマーラの登場の口上の切れ味といい、アディーナとの二重唱といい、舞台経験の多さと経験は伊達ではないことを示しております。三浦の存在で、舞台が締まった部分は相当にあるように思いました。

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観劇日:2009109
入場料:C席 7000円 4F214

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進補助事業)/東京都芸術文化発信事業助成
主催:財団法人東京二期会/読売新聞社/財団法人読売日本交響楽団
 

東京二期会オペラ劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」(Madama Butterfly)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場:東京文化会館大ホール

指 揮

ジャック・デラコート

管弦楽

読売日本交響楽団

合 唱

二期会合唱団

合唱指揮

大島 義彰

演 出

栗山 昌良

舞台装置

 

荒田 良 

舞台美術

石黒 紀夫

衣 装

岸井 克己

照 明

沢田 祐二

舞台監督

菅原 多敢弘

出 演

蝶々さん

大山 亜紀子

スズキ

山下 牧子

ケート

渡邊 史

ピンカートン

樋口 達哉

シャープレス

直野 資

ゴロー  :  近藤 政伸 
ヤマドリ  :  鹿野 由之 
ボンゾ  :  佐藤 泰弘 
神官  :  大塚 博章 

感 想 スズキの魅力-東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」を聴く

 栗山昌良の「蝶々夫人」は「二期会の定番の演出」と申し上げてよいようで、2003年、2006年と再演されていますが、基本骨格はまったく同じです。細部の変更はあるとは思いますが、基本的な構成は同じ。日本的舞台で蝶々さんの抑制された演技により、日本女性の芯の強さを表現しようとするスタイルは、変わりがありません。その基本的な舞台に、二期会の若手歌手が挑みました。

 今回の出演者のうち、主要三役(蝶々さん、スズキ、ピンカートン)はオーディションによって選考されたそうです。それだけに基本的な技量は皆さん高く、充実しておりました。特に素晴らしかったのが、スズキを歌った山下牧子。山下といえば、メゾのわき役として最近の新国立劇場のメンバーとしてなくてはならないポジションを確保していらっしゃいますし、20世紀オペラにおける存在感は抜群です。しかし、彼女が歌ったスズキを聴くのは初めての経験でした。しかしながら、本当に素晴らしいスズキでした。

 私もこれまで定評のある永井和子のスズキをはじめいろいろな方が歌われるスズキを聴いて参りましたが、今回の山下のスズキほど、私の琴線に触れたスズキは初めてではないでしょうか。たとえば、第二幕冒頭の部分の歌唱は輪郭の明確な歌で、はっとさせられましたし、第二幕後半から第三幕にかけての存在感のある演技と歌唱は、このオペラにおけるスズキの重要性をいやでも意識させられるものでした。山下には大拍手を送りたいと思います。

 この山下の歌唱と演技を見ると、大山亜紀子の歌唱と演技は詰めの甘いものと申し上げざるを得ません。もちろん大山も実力のある歌手ですから、通常の音楽的レベルでは上々だったと申し上げるべきでしょう。声の強さは必ずしも十分とは思いませんが、最近の若手歌手だけあって基本的な技術のレベルは高いところにあったと思います。正確な音程、跳躍もきっちりこなしますし、ヴィヴラートに逃げることもない。技術的にはオーディションを勝ち抜いてきただけの実力があると思います。一番の聴きどころである「ある晴れた日に」は私が期待していたよりはリリックな表現で、私の趣味とはちょっと違うのですが、十分に魅力ある歌唱でした。

 しかしながら、劇的な表現という観点では、さらに研鑽をお願いしたいところです。例えば、ピンカートンが奥さんを連れて日本に来たことを知った時の絶望の表現などは、もっと厳しくあってほしい。大山の今回の表現では、蝶々さんの絶望が伝わってきません。そのほか、大山に関して申し上げれば、地声は必ずしも良い方ではないようで、それを技術でカバーした印象です。技術でカバーできるのですから結構なのですが、「地声は必ずしも良い方ではない」と書かれないぐらいのレベルでカバーしてくださればなおよいと思います。また、第一幕の愛の二重唱。樋口達哉と必ずしも息が合っていなかったようで、声が出るまで不安げな表情を見せていました。こういったところも、ポーカーフェイスを覚えてほしいところです。

 樋口達哉のピンカートン。結構だったと思います。アクートがきれいに決まらないところと、声を押し気味に歌うところがちょっとありましたが、全体としては大変魅力的な歌でした。最近の樋口の活躍ぶりと充実を見ると、二期会のリリックテノールの第一列は福井敬から樋口達哉に変わってきているのかな、とちょっと思いました。

 シャープレスの直野資は、一時期ほどの充実はないように聴きましたが、それでも要所要所を締め、温かみのある表現はさすがだと思います。ベテランの魅力と申し上げましょう。同様にゴローの近藤政伸の歌唱演技は、この役を当たり役としている近藤らしい様式美がありました。ブラボーです。

 その他のわき役陣は、佐藤泰弘のボンゾ、大塚博章の神官に魅力がありました。

 以上全般的にいえば、素晴らしい上演だったと申し上げてよいと思います。そして、これを支えていたのが、デラコートと読売日響の演奏です。デラコートは音の厚みをしっかり出して、コントラストを明確にする演奏でまとめてきました。読売日響は、オペラでオーケストラピットに入ることの多い東京フィルと比較して楽員の水準が高いのか、厚みのある弦楽の音やホルンの音色など魅力的であり、指揮者の要求によく答えた演奏だったと思います。結構でした。

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観劇日:20091018 
入場料:自由席 2000円 

主催:国立音楽大学 

2009国立音楽大学大学院オペラ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂大ホール

指 揮

高関 健

管弦楽

国立音楽大学オーケストラ

合 唱

国立音楽大学合唱団

合唱指揮

佐藤 宏

声楽指導

秋葉京子/大倉由紀枝/小林一男/福井敬

演 出

 

中村 敬一 

装 置

鈴木 俊朗

衣 装

半田 悦子

照 明

山口 暁

舞台監督

徳山 弘毅/川崎 大輔

出 演

ドン・ジョヴァンニ

押川 浩士

レポレッロ

狩野 賢一

ドン・オッターヴィオ

与儀 巧

ドンナ・アンナ

経塚 果林

ドンナ・エルヴィラ

嘉目 真木子

ツェルリーナ  :  全 詠玉 
マゼット  :  大川 博 
騎士長  :  菅原 浩史 

感 想 何年かあとの楽しみ-国立音楽大学大学院オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴く

 国立音楽大学の大学院オペラは評判が良いようで、本年は前売で完売。会場は完全に満席、さらにキャンセル待ちが出るほどの人気だったようで御同慶の至りです。国立音大は、玉川上水という決して地の利がよいところではないのですが、リーズナブルな入場料と地域との連携が、こういう結果をもたらしたのでしょう。私個人としては、何年か後の日本のオペラ界を背負って立つかもしれない人材を見つける楽しみに期待して毎年通っております。本年はそちらでも収穫があり、大変うれしいところです。

 国立音楽大学の大学院オペラは、原則としてモーツァルトのダ・ポンテ三部作を交互に上演するところに特徴があるのですが、今年は2006年以来の「ドン・ジョヴァンニ」を取り上げました。今年はオペラ専攻の大学院生が多い年のようで、初日はマゼットと騎士長を除く6役が現役の大学院生。私の聴いた二日目も3役が現役の大学院生でした。大学院生は入学した時から1年半後のオペラ公演に向けて研鑚を積むそうで、長期の練習がよい方向に現れた上演だったと思います。

 本年の上演を一言で申し上げれば中庸の演奏でした。一昨年の「フィガロの結婚」における疾走感や、昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」におけるしなやかな躍動感のような明らかな特徴はないと思うのですが、中庸で落ち着いた演奏であり、これはこれで楽しめるものでした。高関健の指揮は、ドン・ジョヴァンニの様式を丁寧に描きだそうとでもしているようでした。素直な明確な音楽づくりで、それだけに歌手の実力を率直に示してしまう演奏だったと言えるかもしれません。

 中村敬一の演出も同様に素直なもの。基本的に学生オペラですから、奇をてらった演出よりはテキストを大事にした素直な演出のほうが教育効果が高いと考えているのでしょうね。本当に何のひねりもないストレートな演出でした。でもそれだからこそ、それぞれの出演者たちの行動が有機的に結びつくのです。私はこれまでドン・ジョヴァンニを10回程度聴いていると思うのですが、大まかな筋はともかく、細かい歌唱が全体のストーリーに与えている影響が初めてすっきりわかりました。

 素直な音楽づくりと素直な演出の中、歌手陣は本気でこのオペラに取り組んでいらっしゃいました。

 押川浩士のドン・ジョヴァンニはあまり陰影のないスタイル。素直な舞台づくりによくあった役作りだったと思います。ドン・ジョヴァンニとしては歌唱がちょっと軽いかな、と思う部分はあったのですが、歌唱技術的にはよく歌えていたと思います。ツェルリーナとの二重唱やシャンパンの歌、セレナードなどは正確で魅力的でしたし、フィナーレの地獄落ちの部分も、もっとドン・ジョヴァンニのさがを示してほしいな、と思う一方、これはこれで悪くないと思って聴きました。

 狩野賢一のレポレッロも良好。一箇所、あれ、と思う部分があったのですが、よく声が飛んでいましたし、練習を十分積んでいたこともわかりました。コミカルな演技も見事で、バッソ・ブッフォとしてのレポレッロを上手に示していたと思います。まだ大学院の2年生ですから、今後精進して、もっと滑らかな演技ができるようになればさらに良くなる素材だと思いました。

 与儀巧のドン・オッターヴィオ。軽い声を作りこんで歌っていましたが、高音がやや濁って、低音領域での軽さと感じが違います。第2幕のアリアはもっと技巧をこらして軽やかに歌ってほしいと思いました。

 経塚果林も収穫と申し上げてよろしいでしょう。本格的なオペラは初めてだと思いますが、しっかりした声で、なかなか魅力的なドンナ・アンナでした。登場の劇的なレシタティーヴォでまず聴かせてくれました。ドン・ジョヴァンニが父親の敵であると知った時の歌唱などがよく、第2幕後半の大アリア「私が残酷ですって、それは違います」は、ちょっと疲れてきたのか、声の艶が前半ほどではなくなっておりましたが、歌唱技術的にはしっかりした明確なものでした。

 嘉目真木子のドンナ・エルヴィーラもまずます。嘉目と言えば、2006年の国立音大大学院オペラで聞いたイドメネオのエレットラの歌った時の硬質の強い声が印象に残っています。本日のドンナ・エルヴィラも強い声での歌唱が印象的でした。ドンナ・エルヴィラの持つ二面性、ヒステリックな部分とそれでもドン・ジョヴァンニを忘れられない抒情的女心があるわけですが、嘉目の歌唱は、ヒステリックな部分により傾いていた印象があります。そのバランスがうまく取れるとさらによいだろうと思いました。

 全詠玉のツェルリーナ。しっかり歌っていました。ドン・ジョヴァンニとの二重唱「お手をどうぞ」、「ぶってよ、マゼット」、「薬屋の歌」とどれも正確かつ明瞭に歌っていたと思います。しかしながら声が細い。ライバルが数多いソプラノ・リリコ・レジェーロの分野であの声量では伸していけないでしょう。肉体を含めた改善が彼女の最大の課題のように思いました。

 大川博のマゼット。とくに大きな問題はなかったお思います。菅原浩史の騎士長。騎士長を歌うには菅原は声が高すぎるように思いました。騎士長はバス役であって、バリトンの菅原には一寸荷が重かったのかもしれません。今回の出演者の中では、狩野賢一が声的には最も似合っていると思いますが、現役の大学院生に主要役を与えるということで菅原を騎士長に、狩野をレポレッロにしたと思いますが、その判断がどうだったか、ということになるのでしょう。

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観劇日:20091024 
入場料:B席 5000円 2階3列13

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
主催:東京オペラ・プロデュース
 

東京オペラ・プロデュース設立35周年記念公演
東京オペラ・プロデュース第84回定期公演

オペラ・ブーフ3幕、台詞日本語歌唱字幕付原語(フランス語)上演
シャブリエ作曲「エトワール」(L' Etoile)
台本:オウゲニ・レテリエール/アルベルト・ヴァンロー

会場:大田区民ホールアプリコ大ホール

指 揮

飯坂 純

管弦楽

東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団

合 唱

東京オペラ・プロデュース合唱団

合唱指揮

伊佐地 邦治/中橋 健太郎左衛門

演 出

 

八木 清一 

美 術

土屋 茂昭/松生 紘子

衣 装

清水 崇子

照 明

稲垣 良治

舞台監督

佐川 明紀

出 演

ラズリ  :  岩崎 由美恵 
ラウラ王女  :  及川 睦子 
ウーフT世  :  上原 正敏 
シロコ  :  峰 茂樹 
アロエス  :  田辺 いづみ 
エリソン  :  松村 英行 
タピオカ  :  島田 道生 
オアシス  :  平松 理沙子 
ユーカ  :  前坂 美希 
アスフォデール  :  鈴木 美也子 
ヅィニア  :  中村 伊津美 
ククリ  :  安達 郁与 
アドゥザ  :  樺沢 わか子 
パタシャ  :  小城 龍生 
ザルザル  :  白井 和之 
警視総監  :  保坂 真悟 
市長  :  工藤 博 

感 想 喜歌劇の難しさ
-東京オペラ・プロジュース「エトワール」を聴く

 シャブリエと言えば、「スペイン狂詩曲」やいくつかのピアノ曲は知っていましたが、オペラやオペレッタをいくつも作曲した方だということは知りませんでした。そのシャブリエの歌劇の実質的デビュー作「エトワール」を、『欧米では上演されていても日本では観ることのできない珍しい名作、埋もれてしまった秀作を上演する』ことに力を注いでいる東京オペラ・プロデュースが取り上げたので、蒲田まで聴きに伺いました。

 この「エトワール」という作品はオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」の系列に属する喜歌劇です。すなわち、「天国と地獄」がオペラ・ブーフと呼ばれたのと同様にオペラ・ブーフです。エスプリの利いた寓話劇で、作曲した時代のフランスを大いに批判していたのでしょう。物語は、残酷な王様が処刑しようとした少年が、自分の生命の長さを決めているという占いを聞いて、その少年を何とか長生きさせようとあたふたするお話です。非常に皮肉の利いた物語でストーリーとしてはなかなか面白いものですが、今回の東京オペラ・プロデュースの上演にはかなり疑問が残りました。一言で申し上げれば、喜歌劇なのに笑えないのです。

 一番の問題は、台詞を日本語で言って、今の日本を踏まえたくすぐりを一杯入れているのに対し、歌唱をフランス語のオリジナルで行ったことでしょう。これは、「エトワール」という作品が日本ではほとんど知られておらず、本格的な舞台上演としては初めてであること、また東京オペラ・プロデュースの考え方が、できるだけオリジナルに沿った形で上演するという姿勢を取っている団体であることを踏まえれば、やむをえないことだろうとは思うのですが、反対にほとんど知られていない作品故に、音楽の部分と台詞の部分とが融和しない。珍しい作品を上演する意気込みは買いたいのですが、ここがうまくいかないと、作品としてはなかなか聴きごたえが生じないのもまた事実です。こういう融和は、上演経験の蓄積の中で少しずつされていくものだとは思いますので、もし再演されるとすれば、その機会に期待しましょう。

 またこの作品を聴いていて感じた違和感に関しては、おそらく音楽の引っ張り方も関係していると思います。指揮の飯坂純の音楽作りは、どこか一寸振りかぶってくるところがあって、音楽がすぐにトップスピードに乗らないところがあります。後半のたたみかけてくるところなどは、なかなか良い指揮ぶりを発揮していたとは思うのですが、前半は一寸重い感じがしました。この音楽の微妙な重さと、台詞の軽薄さとが噛み合ってこないのですね。

 じゃあ、台詞の部分がよかったかといえばこれまた微妙です。出演者の演技は、峰茂樹や島田道生などの例外を除けば、ありていに申し上げれば学芸会レベル。だからせっかくのくすぐりのツボが外れてしまう。たとえば、エリソン一行が登場する場面の踊りなどは、あまりのぎこちなさに思わず笑ってしまいました。そういう「滑っている」部分を笑うことはできるのですが、笑いがツボにはまってこない。日本オペレッタ協会の寺崎裕則氏は、オペレッタを歌う方を「歌役者」と呼んで、歌と演技の双方の高いレベルでのバランスを問うわけですが、その意味では今回の上演で「歌役者」は少なかった、と申し上げましょう。

 歌手陣もどこか戸惑いがあるようで、いまひとつピンとこない方が多かったと思います。その中で一番存在感があったのが上原正敏のウーフ一世。上原は基本的に美声ですし、経験も豊富なだけあって、歌唱もそれなりに魅力的でしたし、どこかキッチュなおかしさを醸し出していて味がありました。

 実際の歌唱部分はあまりないのですが、峰茂樹のシロコも結構でした。このオペレッタの根本のトラブルメーカーである王様のお仕え占い師の役を十分にこなしていたのではないかと思います。王様が亡くなった後15分後に後追いするようにいわれたシロコが、遺言状を書き変えてくれるように頼むところの演技などは、さすがにベテランだと思いました。

 女声陣ではまず田辺いづみのアロエスがよかったです。本来メゾソプラノの方ということでしたが、高音で声が痩せることもなく、全体に張りのある声で、存在感がありました。岩崎由美恵のラズリは、高音はきっちり伸びていますし、どこが悪いと指摘するほど悪くはないと思うのですが、全体としてどこかくすんでいて、いまひとつ魅力的ではありません。ズボン役の戸惑いが本人にあるのかもしれません。もっと開き直った歌唱を期待したいところです。及川睦子のラウラは、及川の声が中低音に強く、高音が伸びないという特徴があるせいもあるのでしょうが、前半は今一つ、後半はそれなりに聴かせてくれました。

 以上全般的に詰めの甘い、生煮えの舞台でした。八木清市の舞台づくりは、この作品の寓話性を意識したもの。オリエンタルな雰囲気もありましたが、基本的にはおとぎ話としてのつくりで、きっちりと全体がまとまれば十分楽しめるものになったと思います。音楽だけで持たせられるオペラとは違った難しさを痛感させられた舞台でした。

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観劇日:2009年10月29日

入場料:5670円、座席:D席 4F1列25番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本 エマヌエル・シカネーダー

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 アルフレート・エシュヴェ  
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 ミヒャエル・ハンペ
美術・衣裳 ヘニング・フォン・ギールケ
再演演出 三浦 安浩
照 明 高沢 立生
振 付 伊藤 範子
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

弁者 萩原 潤
ザラストロ 松位 浩
夜の女王 安井 陽子
タミーノ ステファノ・フェラーリ
パミーナ カミラ・ティリング
パパゲーノ マックス・ブッター
パパゲーナ 鵜木 絵里
モノスタトス 高橋 淳
侍女1 安藤 赴美子
侍女2 池田 香織
侍女3 清水 華澄
童子1 前川 依子
童子2 直野 容子
童子3 松浦 麗
武士1 成田 勝美
武士2 長谷川 顕
僧侶 大槻 孝志

感 想 少しずつ変わる再演-新国立劇場「魔笛」を聴く

 98年プレミエのハンペの魔笛は新国立劇場4度目の登場です。オーソドックスで分かりやすい演出で、「魔笛」の演出の中では私の好きなものの一つです。だからこそ新演出に変わらないのでしょうね。結構なことだと思います。レパートリー公演ですから、もうハンペが手を出すことはなく、日本の若手の演出家たちが少しずつ手を加えています。前回の2006年公演では、田尾下哲が再演演出を担当し、今回は三浦安浩が担当しました。根本はハンペの演出ですが、細かいところは再演担当の色が出てきているように思います。細かい歌手の動かし方などは少しずつ違っているように思いました。たとえば、モノスタトスの動きであるとか、「パ、パ、パの二重唱」におけるクナーペの動きとか。もちろんこちらも細かいところまでしっかり覚えているわけではないので、気がする程度なのですが。このような小さな変更を加えながら舞台が良くなっていくことはもちろん歓迎します。

 演奏は初日だけあって、必ずしも十分にこなれていないところがありました。特にタミーノ。今回のタミーノ役、ステファノ・フェラーリは、99年タミーノを歌ってデビューしたテノールだそうですから期待していたのですが、期待はずれと申し上げてよいでしょう。タミーノに期待したい軽くて伸びる声ではなく、どこか微妙な引っかかりのある声でいまひとつ伸びない。更に冒頭は喉が温まっていなかったようで、「なんと美しい絵姿」は美的にも声の伸びも今一つでした。一幕後半と二幕前半は少し持ち直しましたが、やはり美声というにははばかられる歌唱で、私はあまり感心しませんでした。

 こなれていないという意味ではオーケストラもそうかもしれません。十分に音楽に乗りきっていないところがあり、一寸無骨な演奏だったと思います。それでも06年の服部譲二の伴奏に徹していた演奏よりは、今回のエシュヴェの演奏のほうが私は良いと思いました。エシュヴェの演奏も伴奏的なところも相当あるのですが、こまごまと自分の主張も入れているようで、06年のとき感じた散漫な印象は今回はなく、演奏には比較的求心力があってよかったと思います。

 歌手陣では今回は脇役勢が実力を発揮していたと思います。まず3人の童子が良い。このクナーペ役は児童合唱団の団員が務めることもあるぐらいで、特別難しい役ではないですが、細かいところまできっちりと歌うためには訓練された大人のほうが良いようです。今回の前川、直野、松浦の3人は新国立劇場合唱団のメンバーでかつソリストの経験もある方なので、こういうアンサンブル役にはうってつけなのでしょう。平均化された美しいトーンで細かいところもゆるがせにしないアンサンブルで良かったと思います。

 アンサンブルといえば、3人の侍女も結構。もっとも良かったのは最低音部を歌った清水華澄。次いで、中音担当の池田香織。相対的には一番パッとしなかったのが安藤赴美子でしたが、若手の実力者で固めたダーメのアンサンブルは力のこもった魅力的なもので、大変感心しました。特に冒頭部は、タミーノが今一つだったので、侍女たちのパワーがより目立ったようです。

 モノスタトスの高橋淳もよい。彼は2006年の時もモノスタトスを歌って良かったのですが、更に良くなっているように思います。こういうキャラクター・テノールとしては今一番乗っている方だということなのでしょう。一寸大げさな演技も3年前の演技を更に過剰に行おうとした結果かもしれません。

 それに対して主役級は必ずしも満足できないところがありました。

 ザラストロ役の松位浩。一番響く音域がたぶんザラストロに求められる音域よりも若干高いのだと思います。パミーナに向かって歌う「この聖なる神殿では」は優しい父親的印象があって結構なのですが、「イシスとオリシスの神々よ」のように威厳をきっちり表現しなければならないところでは、低音の響きが今一つ乏しく、威厳が示せないきらいがあります。そこが残念なところでした。

 安井陽子の夜の女王。今一つでした。特に第一幕のアリアが満足いきません。コロラトゥーラの部分はさすがなのですが、前半の母親の悲しみを表現する部分は全然悲痛さを感じることができませんでした。第2幕の「復讐の心は地獄のように燃え」は、夜の女王の怒りを表明する部分や技巧的なところはさすがに上手なのですが、どうでもいいところは十分気が回らないところがあるようで、画竜点睛に欠きました。夜の女王の歌唱に関しては4年前の佐藤美枝子に軍配を上げます。

 カミラ・ティリングのパミーナは良かったです。見た目もお嬢様風でよかったのですが、声にも気品があり、そこがまず良いところです。歌唱もバランスのとれた素敵なもので今回の一番の収穫でした。パパゲーノとの二重唱や、第二幕の悲痛なアリアにおける歌唱など大変よかったと思います。

 マックス・ブッターのパパゲーノの表現は類型的でありましたが、悪いものではありませんでした。ところどころ入る日本語のジョークは06年とは異なっているようでした。そういうところも含めて手堅いパパゲーノだと申し上げてよりしいのではないでしょうか。

 それ以外の脇役陣もおおむね良好。鵜木絵里のパパゲーナと大槻孝志の僧侶が一寸気に入っています。
 
 全体的には初日の硬さが影響していたようです。第2回目以降は更にこなれてくるでしょう。

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観劇日:20091031
入場料:A席 5000円 3F87番 

主催:神奈川オペラフェスティバル実行委員会/NPO法人横浜シティオペラ
共催:神奈川県民ホール

第19回神奈川オペラフェスティバル'09第2夜

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:神奈川県民ホール

指 揮

小崎 雅弘

管弦楽

神奈川フィルハーモニー管弦楽団

合 唱

横浜シティオペラ合唱団

合唱指揮

河原 哲也/平野 桂子

演 出

粟國 淳

舞台美術

川口 直次

衣 装

P・グロッシ

照 明

奥畑 康夫

振 付

田原 茜 

舞台監督

伊藤 潤

出 演

アディーナ

高橋 薫子

ネモリーノ

倉石 真

ベルコーレ

宮本 益光

ドゥルカマーラ

高橋 啓三

ジャンネッタ

加藤 千春

感 想 日本一のアディーナ-横浜シティオペラ「愛の妙薬」を聴く

 高橋薫子のアディーナが当然とはいえ、大変素晴らしいものでした。今年私は「愛の妙薬」を6回鑑賞しました。6人のアディーナは、宮本彩音、森麻季、川越塔子、高橋薫子、納富景子と今回の高橋薫子で高橋が2回になります。5人の中では森と高橋とが抜き出ているのですが、トータルでは高橋が一番でしょう。森は美声で技術も高く、素晴らしいソプラノではありますが、細かい息遣いとか、表現のコントロールでは高橋に一日の長があります。

 高橋薫子個人の歌唱に歌唱に関して申し上げれば、前回の藤原歌劇団本公演におけるアディーナよりも本日のアディーナの方が上だと思います。藤原公演は、何せ演出が現代風だったので、演技に対する意識が強く出、もちろん大変上手な歌だったのですが、どこか緊張したようなところがありました。それに対して本日は、高橋薫子にとってなじみの演出ということもあるのでしょう。もっと伸びやかな歌唱になっていたと思います。そういうところまで含めて考えれば、本日の高橋ア薫子ディーナが、本年私が聴いたベスト・アディーナだったように思いますし、高橋薫子こそが日本一のアディーナだと改めて思いました。

 素晴らしいところはたくさんあるのですが、特に第二幕のドゥルカマーラとの二重唱「なんという愛なの」のアダージョからドゥルカマーラとの二重唱を経てカバレッタに行く部分の技巧的にも表現的にも見事な歌唱は特に素晴らしいものでした。

 この高橋薫子の歌唱を支えた小崎雅弘指揮するところの神奈川フィルハーモニー管弦楽団も良かったです。神奈川フィルは、森麻季がアディーナを歌った公演でもピットに入っており、この作品に慣れていたということはあるのでしょう。余裕のある演奏だったように思います。小崎雅弘の音楽づくりは、歌手に寄り添いながらも比較的きびきびしたもので、結構だと思いました。

 更にベルコーレの宮本益光も良い仕事をしました。宮本ベルコーレも今年二度目ですが、本日のベルコーレこそが私が聴いた本年のベルコーレの中のベストだったように思います。コミカルで過剰な歌唱は、宮本ならではのものでした。

 また、ジャンネッタ役の加藤千春もよい。このオペラではジャンネッタという役柄は合唱を引っ張るソロパートを歌う役割しか与えられていないのですが、加藤の歌は、合唱と一緒に歌っても、合唱に埋没することなく、上にきちんと浮かんで聴こえて、そのバランスの良さに感じ入りました。

 以上が良いところ。一方これは?と思う処も少なからずありました。

 まずネモリーノ役の倉石真が不調でした。登場のカヴァティーナ「なんて美しいんだろう」を聴いて、とてもネモリーノを歌う声ではないな、と思いました。声が太くて張りがなく、本来ネモリーノに期待される明るい芯のある声ではありませんでした。それでも第一幕の後半は声をまとめて、それなりのテノール的発声をされていますが、ちょっと気を抜くと、すく野太い声になります。一番の聴かせどころである「人知れぬ涙」はテノール的美声で歌おうとして、それなりにまとめてはきているのですが、声にどうしてもざらつきが残り、音が濁ります。あまりよろしいものではなかったと思います。

 高橋啓三のドゥルカマーラ。彼の歌唱のスタイルも私の好むドゥルカマーラとは異なっておりました。一言で申し上げれば歌に厳しさが欠けているのです。もちろんそういう歌い方をすることで、ドゥルカマーラのいかがわしさを表現しようということはあったのかもしれませんが、結果としてぼんやりした印象のドゥルカマーラになりました。登場のアリアの口上などは、もっと立て板に水で、すっきりとたたみかけて欲しいですし、第二幕の聴かせどころである「私は金持ち、おまえは美人」の二重唱は、高橋薫子のきりっと締まった歌唱に寄り添った歌唱を行ってほしいと思いました。

 粟國淳の演出は、1997年に藤原歌劇団のために考案した舞台が基本で、それを踏襲したもの。オーソドックスで美しく、いかにも田舎の田園劇だな、と思わせるものでした。


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観劇日:2009117
入場料:C席 4000円 2FJ26番 

芸術文化振興基金助成事業
主催:日生劇場(ニッゼイ文化振興財団)

NISSAY OPERA 2009/青少年のための「日生劇場オペラ教室」第30回公演

オペラ3幕、字幕付日本語上演
フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」(Hanzel und Gretel)
ブレーメン劇場版
台本:アーデルハイト・ヴェッテ/日本語訳詞:田中信昭
会場:日生劇場

指 揮

下野 竜也

管弦楽

読売日本交響楽団

合 唱

C.ヴィレッジシンガーズ

合唱指揮

田中 信昭

児童合唱

 

パピーコーラスクラブ 
児童合唱指導 

 

籾山 真紀子 

演 出

クリスチャン・シューラー

装置・衣裳

イエス・キリヤン

舞台監督

幸泉 浩司

出 演

ヘンゼル

田村 由貴絵

グレーテル

臼木 あい

ゲルトルート(母親)

渡辺 敦子

ペーター(父親)

青戸 知

露の精

諸井 サチヨ

眠りの精 

 

虎谷 亜希子 
魔女 

蔵野 蘭子 

感 想 若手の力-日生劇場「ヘンゼルとグレーテル」を聴く

 「ヘンゼルとグレーテル」は、子供が見られるオペラということで、比較的上演頻度が高いのですが、私にはあまり縁のない作品のようで、2002年の新国立劇場公演以来7年ぶりの鑑賞となりました。

 「かつて、子供だったすべての大人に贈るファンタジー」というのが今回の公演のキャッチ・フレーズですが、確かに舞台は子供向けというよりは大人のセンスです。イエス・キリヤンの舞台美術は、ポスターにもあった黒白の市松模様が基本のモチーフで、お菓子の家がこのデザインで示されること。市松模様のスカートをはいた魔女は、山中美奈という女優さんが演じ、蔵野蘭子の魔女は、燕尾服を着てこの人形のような魔女の隣で歌います。これはなかなかモダンなものです。

 第一幕のヘンゼルとグレーテルの家にしても、ヘンゼルとグレーテルが幼い子供たちであることを強調するために家具が大きくしつらえられています。その無機的な巨大さは、例の東京リングの舞台を私に思い出させました。全体として無機的な舞台。シューラーは、以上のような現代風の無機的な舞台の中で、ヘンゼルとグレーテルという作品の持つ教訓性を示そうとしていました。

 なお、ブレーメン劇場版ということで、歌詞はオリジナルのものと異なっているようです。日本語の訳詞にしても冷蔵庫が出てきたり、ペーターの仕事が大工さんで、住宅地の造成が始まるのでお金が稼げると言っておりました。

 演奏は上々でした。まず、下野竜也の統率が非常に的確だったと思います。「ヘンゼルとグレーテル」というワーグナーの影響の大きい、言い換えるならばオーケストラの活躍する部分の大きい作品を、テンポもデュナーミクも適切にコントロールして、メリハリのついた演奏に仕上げていました。本日の演奏の最大の功労者が下野であったことは間違いないところだと思います。これに対する読売日本交響楽団の演奏を見事なもので、大いに感心いたしました。

 主役のヘンゼルの田村由貴絵、グレーテルの臼木あい共にこれまた素晴らしい歌唱でした。私は日生劇場の最後列で聴いていたのですが、田村、臼木共良く声が飛んできて上々、田村の少年の表現がことに素敵でした。臼木あいの歌唱は、コロラトゥーラの技術など技巧的なところは非常に見事でしたが、オーケストラに負けないように意識した声の出し方をしているせいか、ヴィヴラートの振幅が一部広がるところがありました。それにしても田村、臼木という若手の歌手がしっかりした見事な歌唱をされたことは素晴らしいことだと思います。

 ペーターの青戸知、ゲルトルート渡辺敦子の歌唱も結構でした。ことに青戸のドイツ民謡の表現は、彼のメンタリティと良く合致しているようで、声の響き、ペーターの持つ楽天的父親の雰囲気の表出共に、とても納得のいくものでした。ゲルトルートのヒステリックな表情もしっかりしたもので、渡辺敦子の力量をはっきり示したものだったと思います。

 出演時間は大したことはないのですが、虎谷亜希子の眠りの精、諸井サチヨの露の精もなかなか良いものでした。

 一寸期待はずれだったのが蔵野蘭子の魔女。蔵野といえば、ドラマティックな役柄の得意なソプラノという印象でいたわけですが、本日は声量が今一つ。ソプラノ・リリコ・レジェーロの臼木あいよりも声の飛びは貧弱でした。その結果、魔女に対する怖さが減弱されていたように思いました。

 細かい問題はあるにせよ、下野の素晴らしい舞台コントロール、オーケストラコントロールと、ヘンゼル、グレーテルの両主役の歌手の歌唱が素晴らしかったことから、まとまりのよい素晴らしい演奏なりました。こういう演奏を聴けることは大変嬉しいことです。
 
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観劇日:20091113
入場料:B席 5000円 2FG19番 

主催:北区文化振興財団/北区
北とぴあ国際音楽祭2009

オペラ3幕、字幕付歌唱フランス語、台詞フランス語/日本語公演
グルック作曲「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」(La rencontre imprévue, ou Les pèlerins de la Mecque)
台本:ルイス・ハータウト・ダンクール

会場:北とぴあさくらホール

指 揮

寺神戸 亮

管弦楽

レ・ポレアード

演出・装置

飯塚 励生

衣 裳

スティーヴ・アルメリーギ

照 明  :  室伏 生大 
振 付  :  大畑 浩恵 
日本語台詞・字幕  :  中村 康裕 

舞台監督

深町 達

出 演

レジア

森 麻季

パルキス

野々下 由香里

ダルダネ

柴山 晴美

アミーヌ

山村 奈緒子

アリ

鈴木 准

オスミン 

 

羽山 晃生 
托鉢僧 

フルヴィオ・ヴェッティーニ 
ヴェルデゴ  :  大山 大輔 
スルタン  :  根岸 一郎 
隊長  :  谷口 洋介 

感 想 改革の旗手のもう一つの顔−北とぴあ国際音楽祭2009「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」を聴く。

 グルックは、オペラ史ではバロックオペラ改革の旗手として極めて重要な位置づけを占めております。「オルフェオとエウリディーチェ」、「アルチェステ」、「トーリードのイフィジェニー」という改革オペラの発表が、バロックオペラの終焉と古典派オペラの発展に寄与したことは間違いないのでしょう。しかし、一方でグルックはオペラセリアの改革作品ばかり作っていたのではなく、喜劇的オペラもたくさん作曲していたことは注目してよい事実です。

 「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」は、改革オペラの第一作である「オルフェオとエウリディーチェ」初演(1762)の2年後の1764年に発表されたオペラ・コミックです。フランス語の台本に作曲されたフランス風の喜歌劇ですが、初演の地はウィーンのブルグ劇場。要するに当時のウィーン市民のフランス趣味に合わせた作品で、一方でオペラ改革を主張しながらも、流行を忘れずに取り入れるというグルックの立ち位置を感じさせられる作品です。「グルックの裏の顔」という言い方もされるようですが、グルックにしてみればいろいろな作品を書いている、ということにすぎないようにも思います。

 今回の上演は日本初演ではないそうですが、私の手持ちの記録に「メッカの巡礼」が上演されたという記載はないので、本格的な上演は日本で初めてと思われます。

 作品の基本的な骨格は、モーツァルトの名ジングシュピール「後宮からの誘拐」と同様で、スルタンの後宮に売られた恋人レジアを助けようというもの。したがって、この作品の「レジア」は「後宮」の「コンスタンツェ」に対応し、同様に「アリ」と「ベルモンテ」、「オスミン」と「ペドリロ」、「スルタン」と「トルコの太守」が対応しています。もちろんグルックの作品のほうが「後宮」よりも18年早く発表されていますので、オリジナリティはこちらです。しかし、作品としての魅力は「後宮からの誘拐」に軍配が上がります。

 この作品は合唱が使用されないこと、フィナーレを別にすれば重唱も一部の採用であり、基本的にはアリアと台詞(オペラ・コミックなので、レシタティーヴォは使われない)で作られており、音楽的に単調であることは否めません。一方、主役のソプラノやテノールには技巧的なアリアが与えられており、伝統的なオペラ・セリアの雰囲気もあります。すなわち「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」は、オペラ改革の旗手の作品でありながらも、旧来の伝統の延長線上に作られた作品だ、ということが言えるのかも知れません。

 演奏はなかなか結構なものだったと思います。特に主役の森麻季と鈴木准のコンビが良かったと思います。

 森麻季は、バロックから古典派にかけての技巧的なソプラノ役が一番似合っているとかねてから思っているのですが、今回の演奏を聴いて、ますますその意を強くしました。透明度のある伸びやかな高音や技巧的な表現いずれも素晴らしく、大声量を要求されないこのような作品では、発声も自然で、大変素晴らしく思いました。特に第二幕後半のアリア「つらい別れの後で」と第3幕の「どこまでもあなたに従います」の二つが白眉でした。

 鈴木准もリリコ・レジェーロのテノールで、このアリという役にぴったりだと思いました。技巧の冴えは、森麻季程ではありませんでしたが、軽いしっかりした高音の響きは、登場のアリアに相当する「レシアよ、あなたが至上の人」から始まり、第3部のアンサンブルフィナーレに至るまで、魅力的だったと思います。

 羽山晃生のオスミンもなかなか良かったと思います。羽山の声はテノールとしては低く、ハイバリトンと申し上げてもよいほどでした。オーセンティックな演奏という視点で考えたとき、オスミンを羽山のような表現を行うのが妥当かどうかはよく分からないのですが、低音を響かせることにより俗性をより強調し、王子アリとの対比を明確に示されていたことは明らかです。

 3人の侍女は、声の飛びかたの点が今一つ。特に、野々下由香里は一幕が今一つ調子が良くなかったように思いました。三人の中では、山村奈緒子が一番まとまった歌唱をされていたように思いました。

 この作品の登場人物の中で唯一の悪役というよりも小悪党である托鉢僧は、ヴェッティーニが演じました。日本人歌手が台詞を日本語でいう中、托鉢僧だけは、台詞をフランス語で話し、日本語とフランス語の掛け合いなどもあるわけですが、この辺のタイミングはよく整っていたと思います。托鉢僧はある意味道化役でもあるわけですが、ヴェッティーニは演技・歌唱ともさすがに上手で、存在感が際立っておりました。

 お話の本筋には全く関係ないのですが、第3幕で活躍するのが、大山大輔扮するヴェルディゴです。ヴェルディゴとオスミン、そしてパルキスの三重唱は、「アダージョですか?、いいえ違います」という始まりで、オーケストラの紹介と楽典の講義を行います。このヴェルディゴは、筋とは全く関係ない役割ながら、存在感がありました。

 飯塚励生の演出は、カイロの街中の雰囲気を意識した第1,3幕と後宮を意識した第2幕ですが、割合分かりやすいすっきりしたもの。私にはよい演出でした。寺神戸亮とラ・ポレアードのの演奏は、例年のごとく立派なもの。全体としては、作品の弱さは目につくものの、演奏自身はなかなか結構だと思いました。
 
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観劇日:2009年11月18日

入場料:6615円、座席:C席 4F2列33番

平成21年度(第61回)文化庁芸術祭主催公演

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場
共同制作:バイエルン州立歌劇場(2008年11月プレミエ)

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ベルグ作曲「ヴォツェック」Wozzeck
台本 アルバン・ベルグ
原作 ゲオルグ・ヒューヒナー

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ハルトムート・ヘンヒェン  
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱  :  NHK東京児童合唱団 
児童合唱指導  :  金田 典子/加藤 洋朗 
演 出 アンドレアス・クリーゲンブルグ
美 術 ハロルド・ドアー
衣 裳 アンドレア・シュラート
照 明 シュテファン・ボリガー
振 付 ツェンタ・ヘルテル
舞台監督 大澤 裕

出 演

ヴォツェック トーマス・ヨハネス・マイヤー
鼓手長 エンドリック・ヴォトリッヒ
アンドレス 高野 二郎
大尉 フォルカー・フォーゲル
医者 妻屋 秀和
第一の徒弟職人 大澤 建
第二の徒弟職人 星野 淳
白痴 松浦 健
マリー ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン
マルグレート 山下 牧子
マリーの子供 中島 健一郎
兵士 二階谷 洋介
若者 小田 修一

感 想 モンスター-新国立劇場「ヴォツェック」を聴く

 20世紀オペラの最高峰とも言われる「ヴォツェック」ですが、なかなか上演される機会は少なく、東京での上演は、1997年のベルリン国立歌劇場日本公演以来です。私は初めての実演経験。新国立劇場前芸術監督の故若杉弘が上演にこだわっていたというだけあって、かなり力の入った舞台でした。

 アンドレアス・グリーケンベルグの演出は、この作品をより複雑なものとして解釈しようとするもの。結果としてその方針は、全体の不安定さにつながり、カーテンコールにおけるBooにつなかったと思いますが、本来「不安」がテーマの作品ですから、こういった不安定な演出は悪いものではありません。

 その不安定さを示すために、グリーケンベルグは、この舞台をヴォツェックの心象風景として描こうとしました。社会の最下層民であるヴォツェックにとって信頼できるのは内縁の妻マリーとその息子。それ以外の存在は彼にとってはモンスター以外の何物でもありません。彼らの部屋は、舞台の上に浮いた空間で、そこは、大尉のひげをそる場所であり、あるいは医者による生体実験の場でもあるわけですが、その部屋は壁がむき出しになった倉庫のような部屋で、そこは、貧しさの象徴でもあると同時に、ヴォツェックの足元の弱さの象徴でもあります。

 ここに常にいるのはマリーの息子。このマリーの息子は母親にネグレクトされた存在として登場します。私は「マリーの息子」というだけあってこの子供はヴォツェックと血の繋がりのない存在だと思っていたのですが、この子供は、母親を忌避し、ヴォツェックに親愛を示す存在として登場します。それはやはりすっきりしない関係であり、この舞台の不安定さを増強するものだと思いました。

 更に、グリーケンベルグは、このヴォツェックを社会の最下層民として描こうとはしませんでした。黒い背広姿の男たちは、投げ入れられた食料をあさり、または、浮いた部屋を支えるもっと貧しい人たちです。アルバイトと書かれた看板を首から下げた男たちは、たとえ人体実験のモデルであっても仕事のあるヴォツェックのほうがまだマシ、というメッセージが込められているのかもしれません。

 舞台の床には深さ数センチの水が蓄えられています。ここを人が歩くとぴちゃぴちゃ音を立てると同時に、足元の重さに目をひかれます。この水の重さもまたモンスターであり、社会の最下層にある人たちの重さなのでしょう。本来のストーリーである下層民の痴話喧嘩に始まる殺人、という構図を社会の暴力、あるいは現代の重苦しさとした一般化がこの演出の特徴なのでしょうが、それはなんとも刺激的でありました。

 こういう作品だけに、重要なのは指揮とオーケストラだと思います。私はこの作品に関してはそれほど聴取経験がないので、良し悪しはよくわからないのですが、ヘンヒェンと東京フィルの演奏は一言で申し上げれば手堅いものでした。指揮者がもっと鋭利な刃物のような演奏を意図すれば、それはそれで面白かったとも思うのですが、演出の不安定さを意識してあえて音楽づくりは手堅くしたのかな、とも思いました。熱狂を呼ぶような演奏ではありませんでしたが、悪いものではありませんでした。

 歌手陣は、総じてバランスが良かったように思います。

 一番良かったのは、マリー役のシュタイネンです。彼女は表現も多彩で、高音の伸びもなかなか良く、存在感がありました。外題役を歌ったマイヤーもなかなかの出来です。前半は狂言回し的な雰囲気が強く、個性があまり見えていなかったのですが、第3幕の狂気は聴きごたえがあったと思います。それ以外の歌手については、取り立ててアリアがあるわけでも、存在感の強い演技を要求されているわけでもありませんが、全体に粒がそろっていたと思います。アンドレス役の高野二郎、医者の妻屋秀和、マルグレートの山下牧子がなどが秀逸であり、鼓手長のエンドリック・ヴォトリッヒ、大尉のフォルカー・フォーゲルも悪くないと思いました。 

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観劇日:2009年11月20日

入場料:5000円、座席:D席 2F K列33番

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
主催:財団法人東京二期会
共催:日生劇場(ニッゼイ文化振興財団)
 

東京二期会オペラ劇場


音楽のための会話劇1幕(2場構成)、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「カプリッチョ」Capriccio
台本 クレメンス・クラウス及びリヒャルト・シュトラウス

会場 日生劇場

指 揮

沼尻 竜典

管弦楽

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

演出・装置

ジョエル・ローウェルス

照 明

 

沢田 祐二 

衣 装

小栗 菜代子

振 付

伊藤 範子

舞台監督

小栗 哲家/金坂 淳台

出 演
伯爵令嬢マドレーヌ 佐々木 典子
伯爵、伯爵令嬢兄 初鹿野 剛
作曲家フラマン 望月 哲也
詩人オリヴィエ 石崎 秀和
劇場支配人ラ・ロシュ 米谷 毅彦
女優クレロン 加納 悦子
イタリアのソプラノ歌手 羽山 弘子
イタリアのテノール歌手 渡邉 公威
幹事長 佐野 正一
ムッシュ・トープ(プロンプター) 大川 信之
8人の召使T 菅野 敦
8人の召使U 園山 正孝
8人の召使V 西岡 慎介
8人の召使W 宮本 英一郎
8人の召使X 井上 雅人
8人の召使Y 倉本 晋児
8人の召使Z 塩入 功司
8人の召使[ 千葉 裕一
エトワール 藤 範子
男性ダンサー/兵士    原田 秀彦 
年老いた召使    久保 たけし 
楽士(チェンバロ)    宮本 玲奈 
楽士(ヴァイオリン)    戸澤 哲夫 
楽士(チェロ)    長明 康郎 

感 想 逃避は分かっているけれども-東京二期会オペラ劇場「カプリッチョ」を聴く

 「月光の音楽」が流れ、最後の場に赤いスーツを着たマドレーヌが杖をついて登場します。そして、音楽家フラマンと詩人オリヴィエを選ぶことができない、すなわち音楽が先か、言葉が先かという命題に、答えを与えることのできない気持ちを歌います。しかし、それを歌うサロンはナチスの暴力により破壊されており、杖をついていることで分かる通り、マドレーヌもそれに巻き込まれて怪我をしています。

 リヒャルト・シュトラウスは「カプリッチョ」を第二次世界大戦中に作曲し、まだドイツが優勢だった1942年10月にミュンヘンで初演されました。この時点ではドイツの絶対的優勢は崩れており、おそらくドイツの衰退を感じながらの初演だったのでしょう。観客はそれだからこそ、現実とは異なる1775年ころのパリ郊外のサロンに心を寄せたのでしょう。もちろんこれは逃避でしょう。でも現実の厳しさから目をそむけて、一夜の甘い夢に浸る、ということが戦争時代にあって悪いわけはないと思います。リヒャルト・シュトラウスはドイツロマン派の最後を飾る大作曲家であり、彼の死をもってドイツロマン派は完全に終焉するのですが、このカプリッチョの最後の場は、その終焉に向けた最後の甘さなのだろうと思います。

 しかし、ローウェルスはそこに1944年の解放前後のパリを持ってきました。そして、前半はあまり戦争の影を感じさせないのですが、フィナーレは戦争の理不尽さ、権力の理不尽さを前に出してきます。本来のあえて現実から逃避した懐古趣味を、現実の歴史に合わせてみるやり方は私はどうにも感心できません。この演出は歌われている内容と比べてもミスマッチですし、本来の台本作家と作曲家の意図も踏みにじっているようにも思いました。

 この最後の場の佐々木典子の歌唱は、破壊された現実の中で、「音楽が先か、言葉が先か」という形而上的感性を歌うので、感情の込め方がなかなか難しかったのではないかと思います。比較的感情過多な表現でした。これは、破壊された周囲の様子の中で、感情の抑制した表現をすればもっと浮いてしまうという判断でこのようにしたのだろうと推測しますが、これも私の趣味ではないし、この作品の目指すところでもないでしょう。

 私は10月にNHK交響楽団の定期演奏会で、アンドレ・プレヴィン指揮、フェリシティ・ロット独唱のこのモノローグを聴いたのですが、あの時のロットの歌唱は、この場面の美しさを徹底して、それも抑制的に表現した、背筋に震えが来るほど素晴らしいものでした。佐々木がどこまで近づけるか期待していたのですが、その完成度ははるかに低いものでありました。その責任は佐々木の歌唱の前に演出にあるような気がしてなりません。

 もうひとつ申し上げればオーケストラも今一つ。シティ・フィルの基本的技量はN響と比較するとずいぶん劣っているようです。最後の場におけるホルンの音などは自然なN響の音と比較するとどうしようもないレベルです。あういうホルンの音を出されるとせっかくの美しい音楽が台無しになってしまいます。

 以上最後は全く納得できていないのですが、前半から中盤にかけてはまあまあの演奏だったと思います。全体的にアンサンブルにもっと磨きをかけて欲しいとは思いましたが、個人個人の歌唱は水準以上だったと申し上げてよいと思います。

 特に望月哲也のフラマンが良く、軽い高音が心地よく響きました。石崎秀和の詩人とのやり取りも悪くないと思いました。また初鹿野剛の伯爵は演技がなかなか達者であり、声もよく、女優クレロンに対するアプローチなども良かったと思います。クレロン役の加納悦子は、声が抜けてしまうところがあって、必ずしも万全ではなかったお思います。佐々木典子のマドレーヌも前半はきっちり存在感をだして、サロンの女王としての感じが良く出ておりました。

 後半冒頭のフーガからラ・ロッシュの大演説に至るアンサンブルは軽快なもので、楽しいものでした。ここでは渡邉公威と羽山弘子の大げさでやや崩れた歌唱や全員での良く分からない議論があり、大演説に至ります。米谷毅彦のラ・ロッシュは好演で、この大演説は魅力あるものであり、表現も納得できました。

 結局のところ最後です。私は逃避だとしても1775年のパリ、オペラ改革が始まったころのパリを素直に再現したほうがずっと良かったと思うのです。逃避をいけないとする考えもいいですが、そうしたことにより、音楽的にもロココ的軽妙さが失われていたように思います。沼尻竜典の解釈は割と中庸なものだと思いましたが、素直な演出での中でもっと丁寧に美しく滑らかに演奏したほうがこの作品の味わいを出せたのではないかと思います。

 11月23日追記。以上の感想を11月21日に公開しましたが、私、どくたーTの演出の見方は不適切であるというご意見をこの感想をお読みになった方から頂きました。その方の意見の方が今回のローウェルスの解釈をより的確に見ていると思いますので、ご紹介いたします。

 今回の演出は、前奏曲の部分と終幕の部分が対となっていて、その間にサロンが演じられる構造になっている。音楽家と詩人はどちらもユダヤ人であり、最後にナチスに連行される。何年か経たあと、年老いたマドレーヌ(マドレーヌは怪我をして杖をついていたのではないという見方)は、永遠に失ってしまった(がゆえに、どちらか一方を選ぶことも
永遠にかなわない)2人の男への恋心を歌うというものです。

 また、今回の演出はナチスを強調するのですが、これはナチスによって庇護されたシュトラウスに対する批判でもあり、20世紀の半ばの段階におけるオペラという滅び行く(または既に滅んでしまった)ものに対するオマージュとして、多少の皮肉をこめつつ、それ自体がメタ・オペラである『カプリッチョ』を描いて見せたという意見です。

 この演出に対する見方はこのご意見の方が妥当であると思います。なお、この方はこの演出を高く評価されておられますが、私は、このような読み替えのアイディアは演出家の才気を感じさせるものという考えに異論はありませんが、カプリッチョという作品の本質を考えた場合、この演出を支持できるものではないな、と思っています。

 

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鑑賞日:2009年12月2日
入場料:C席、6615円 4階2列47番 

主催:新国立劇場

オペラ3幕 字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(Tosca)
原作:ヴィクトリアン・サルドゥ
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 フレデリック・シャスラン  
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 及川 貢
児童合唱  :  TOKYO FM少年合唱団 
児童合唱指導  :  太刀川 悦代、米屋 恵子、金井 理恵子 
演 出 アントネッロ・マダウ=ディアツ
美 術 川口 直次
衣 装    ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ 
照 明 奥畑 康夫
再演演出 田口 道子
舞台監督 斉藤 美穂

出演者

トスカ イアーノ・タマー
カヴァラドッシ カルロ・ヴェントレ
スカルピア ジョン・ルンドグレン
アンジェロッティ 彭 康亮
スポレッタ 松浦 健
シャルローネ 大塚 博章
堂守 鹿野 由之
看守 龍 進一郎
羊飼い 九嶋 香奈枝

感 想 暑苦しさの魅力-新国立劇場「トスカ」を聴く

 私は「トスカ」という作品がどちらかといえばあまり好きな作品ではないのですが、世の中には「トスカ」好きという方が沢山いらっしゃいます。なぜ、そうなのか、というのは色々あるのでしょうが、今回6年ぶりで、トスカを聴いて、あの音楽の暑苦しさに魅力があるのではないか、と思いました。前は、そんなこと全く考えなかったのですが、久しぶりの上演だとそのようなしょうがないことを思います。

 そんなことを思ったのは、今回の演奏が、ありていに申し上げれば、暑苦しさの極限を狙ったような演奏だったからです。

 シャスランの音楽づくりは、デュナーミクを大事にし、劇的な部分はオーケストラを思いっきり鳴らし、静かな部分はそれなりに、という演奏で、ケレン味たっぷりのものです。こういう演奏は、トスカの音楽の特質上当然あり得るわけですが、ここまでなんのてらいもなくこてこてでやられますと、お主、なかなかやるなあ、という感じになります。臭い演奏で、普段の私ではあまり賛同しない演奏スタイルなのですが、結構楽しんでしまいました。良く申し上げれば、熱気がある、でも実際は暑苦しい演奏。でも、ここまで徹底すれば評価せざるを得ません。東京フィルの演奏も、トチッたら冷水を浴びせるようなものですが、さすがに良く演奏している曲目だけあって、要所要所が良くしまったなかなかの名演奏で、暑苦しさを助長していました。

 歌手陣ではまず、カヴァラドッシを歌ったカルロ・ヴェントレを上げなければなりません。ヴェントレの歌唱は、いかにも「僕はイタリアのテノール歌手」といった雰囲気の歌でした。「妙なる調和」の前半こそ、高音の乗りが今一つかなと思いましたが、後半以降は全開でした。アクートを思いっきり利かせ、フェルマータを十分に伸ばし、声の魅力を一杯示そうとする意思、この暑苦しさは大変なものです。このようなやや崩したスタイルは、観客にとって必ずしも喜ばれるものではなく、私が思っていたほどBravoは飛びませんでしたが、このような歌唱スタイルは、一世代前はよくあり歓声が飛んでいたものです。私のプリミティヴな部分ではこういう歌唱スタイルに惹かれます。

 このいかにもイタリア人テノール風カヴァラドッシに対し、イアーノ・タマーのトスカも結構古いソプラノを彷彿とさせるスタイルだったと思います。ドラマティック・ソプラノということなのでしょうが、どうしても高音の抜けが悪く、中低音の威力でがんばるスタイル。確かに声に力はありますし、「歌に生き、恋に生き」などの表現は納得できるもので実力者だとは思いますが、歌唱自体の雰囲気は一世代前のドラマティック・ソプラノによくいたタイプに近いと思いました。

 トスカとカヴァラドッシが熱気をあふれさせていても、スカルピアが冷静さを保ってトスカに迫るところがこのオペラの魅力であり、そういうクールなスカルピアこそが、プログラムに林真理子が書いていた「カヴァラドッシよりスカルピアのほうが魅力的に見える」原因だとは思うのですが、今回のルンドグレンのスカルピアは全体の熱気にあてられた様子で、冷静さが足りないように思いました。一幕のテ・デウムのところなどはもっと冷たい表現でもよいと思いましたし、二幕ももっと感情を殺した歌唱のほうが良いようにも思いました。そのような結果として、今回はスカルピアよりカヴァラドッシの熱気に軍配を上げます。

 脇役陣では堂守の鹿野由之がよく、アンジェロッティの彭康亮も安定した歌唱でした。

 舞台は、新国で何度めの登場になるのでしょうか、典型的な具象化の舞台である、マダウ=ディアツのもの。トスカのようなヴェリズモ作品にとっては非常に分かりやすい舞台で、古典的スタイルです。舞台も古典的、歌唱も古典的、音楽の持って生き方も古典的ということで、一昔前の古き良きイタリアオペラを彷彿とさせるような演奏でした。

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