オペラに行って参りました-2005年(その1)

目次

オペラにおける指揮者の役割   2005年01月08日   東京オペラグループ公演「フィガロの結婚」
もっとも不遇な作品   2005年01月15日   東京オペラプロデュース公演、ロッシーニ「とてつもない誤解」
指揮者の実力、作品の力   2005年01月20日   新国立劇場「マクベス」
聴き手の不完全燃焼   2005年01月21日   藤原歌劇団第15回ニューイヤースペシャルオペラ「椿姫」
オペレッタの「ボエーム」?   2005年01月23日   日本オペレッタ協会公演、レハール「ルクセンブルク伯爵」
高水準の熱演   2005年02月10日   藤原歌劇団「ラ・チェネレントラ」
ニ幕版の上演は悪いことなのか   2005年02月14日   新国立劇場「ルル」
二期会の伝統を感じさせる舞台   2005年02月19日   東京二期会オペラ劇場「メリー・ウィドウ」
新作オペラに何を聴く   2005年02月25日   新国立劇場・久保摩耶子「おさん」ワールドプレミエ
上演されなくなった理由   2005年03月03日   新国立劇場小劇場オペラ、レオンカヴァッロ「ザザ」
日本発のエンターティメント   2005年03月04日   東京二期会オペラ劇場「魔笛」
今年はやや期待はずれ   2005年03月11日   新国立劇場オペラ研修所研修公演「ドン・ジョヴァンニ」

どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2005年1月8日
入場料:SS席 12000円 1F L列13番補助席

平成16年度文化庁芸術拠点形成事業

東京オペラグループ公演

主催:東京オペラ/アートスフィア
企画制作:スフィア

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 アートスフィア

指 揮:佐藤 正浩  管弦楽:TOGオーケストラ
チェンバロ:服部 容子
合 唱:TOG合唱団
演 出:小鉄 和広  美 術:高橋 あや子
照 明:矢口 雅敏  衣 装:倉岡 智一
舞台監督:佐藤 暢

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 三塚 至
伯爵夫人 島崎 智子
スザンナ 高橋 薫子
フィガロ 小鉄 和広
ケルビーノ 柴田 恵理子
マルチェリーナ 星野 恵里
ドン・バジーリオ/ドン・クルーツィオ 経種 廉彦
バルトロ 黒木 純
アントーニオ 筒井 修平
バルバリーナ 田子 真由美
花娘1 中嶋 周子
花娘2 熊井 千春

感想

オペラにおける指揮者の役割-東京オペラグループ公演「フィガロの結婚」を聴く

 今年最初に聴く、オペラはじめが「フィガロの結婚」というのは結構なことです。やっぱり年頭は、オペラブッファかオペレッタで明けたいものです。という訳で、バス歌手の小鉄和広さんが主宰する東京オペラグループの「フィガロの結婚」に出かけました。実際のお目当ては、国立音大の大学院オペラ以来となる高橋薫子のスザンナだった訳で、彼女が歌わなければ、多分出かけなかった公演です。その高橋薫子は、予想通りの素晴らしいスザンナで大変結構だったのですが、オペラの上演としては、はっきり申し上げれば、色々な意味で欠点の目立つ、低レベルの上演だったと思います。

 まず、最大の問題は、指揮者です。私は、佐藤正浩が振るオペラを恐らくはじめて聴きましたが、彼は、「フィガロ」をどのように演奏すべきか、ということについて、ほとんど何の考えもないように思います。ただふっているだけで、音楽をどのように盛上げていくのか、という観点での考えは、聴き手に全く見えて来ない演奏でした。TOGオーケストラは、今回の公演のために編成された臨時編成のオーケストラですが、N響メンバーが4人入っているなど、基本的な演奏技術に問題のある演奏団体ではないと思いますし、また、実際の演奏技術は、金管がメロメロだったことを別にすれば、そうひどいものではありませんでした。しかし、その演奏はただ弾いているだけ。舞台との調和や演奏の盛りあがりとはほとんど縁のない演奏で、舞台があれだけ盛りあがっているのにオーケストラがこんなに盛り上がらなくていいのかしら、と本当に思えるような、唯の伴奏になりさがっていました。

 昨年10月の国立音楽大学大学院オペラの「フィガロの結婚」は、学生オペラながら、聴き手に非常な感動を与える素晴らしい演奏でした。私は、あの上演が上手く行ったのは、指揮をした児玉宏の力量の成したものであると、そのときの感想に書きましたが、今回の歌い手の実力が、国立の大学院オペラより恐らく上であるにもかかわらず、演奏全体としての出来栄えが、昨年の国立音大大学院オペラの足下にも及ばなかったのは、まず指揮者の力量に問題があったのではないか、と申し上げざるをえません。

 また、アートスフィアという会場も問題です。とにかく響きがデッド。席数が500強のこじんまりとしたホールですが、響かないことこのうえない。ハーモニーの混じりが不十分で、音響がスカスカとしていました。アートスフィアの主催公演ですから、会場を変える訳にはいかなかったのでしょうが、もう少し音響の良い会場でやっていただきたかったと思います。

 一方演出は、問題はあったものの、そのコンセプトは評価したいと思います。それは、「フィガロの結婚」は喜歌劇である、ということです。字幕の表現を分りやすくし、物語の流れも分りやすく整理されておりました。原語上演ですが、所々に入る日本語の台詞もまた、喜劇性を高めるのに有効でした。しかしながら、その喜劇性が徹底的に煮詰められていたか、という点になると極めて甘い。笑いは本来具体的なものであって、抽象的なところではなかなか成立しないものですから、劇の流れを理解するための舞台装置がほぼ無いに等しい所で、状況による笑いを観客に理解してもらうのは至難の技でしょう。舞台装置が無いのであれば、所作・動作を徹底的に鍛えて、動きを定式化しないと笑いを十分得ることはできません。勿論出演者の動きは相当には整理されていましたが、定式化したとまではいかなかった、というのが私の見方です。

 歌手たちは、力の違いがはっきりしていました。まず一番良かったのがスザンナ役の高橋薫子。舞台の上での細かいハプニングに巻きこまれ、大変だった様子ですが、演技・歌唱とも群を抜いて素晴らしかったと思います。声の柔軟な使い分けや早口の処理、アンサンブルにおけるバランスも見事なものでしたし、第4幕のアリアも艶があって柔らかい大変結構な演奏でした。スザンナがこのオペラでのキーロールであることを示す存在感の大きさがありました。フィガロ役の小鉄との息も合って、予想に違わぬ良い出来でした。

 次に評価したいのは、バジリオ役の経種廉彦。経種は、ピエロのような化粧を施して登場し、かき回し役を上手く演じていました。彼は主役を演じるとあまりぱっとしないのですが、このような裏のある脇役のテノール役をやらせると非常に上手です。今回もその例外ではありませんでした。

 小鉄和広のフィガロは、昨年の東京室内歌劇場公演でも聴いているのですが、歌い方はほとんど一緒だったように思います。あのスタイルが小鉄スタイルなのでしょう。声はよく響き(あの会場であれだけ響かせたというのは大したものだと思います)、あの小鉄スタイルを買う人にとっては、聴きごたえのある歌だったのでしょう。しかしながら、私は買いません。溌剌としたフィガロのという前に、どこか押しつけがましさを感じます。また、「フィガロの結婚」というオペラは、伯爵、フィガロ、バルトロの3人の低音男性歌手が登場しますが、その声の高さは、本来フィガロが最も高く、伯爵、バルトロの順だとおもいます。今回伯爵役の三塚至が純粋バリトンで、割と軽めの声で歌っていたこともあり、小鉄と三塚の役を入れ替えた方がもっと良かったのではないか、更に申し上げればバルトロを歌うべきではなかったのか、という気持が抜けません。

 三塚至の伯爵は、歌唱それ自身はなかなか素敵な演奏だったと思いますが、小鉄・フィガロとの対比で考えれば、やはりミスキャストではなかったかという気がしてなりません。勿論、高音の伯爵、低音のフィガロという組み合せは、「セヴィリアの理髪師」の組み合わせであり、「セヴィリアの理髪師」と「フィガロの結婚」の連続性を想像するためには適切なのかも知れません。

 伯爵夫人の島崎智子は、声に年齢を感じさせる歌でした。登場のアリアも第3幕のアリアも情感のこもった歌ではあるのですが、音程がやや不正確であることと、細かな部分の処理にいい加減な所があって全体として重たい歌になっており、私は感心いたしませんでした。

 柴田恵理子のケルビーノ。これもまたパッとしない。会場が響かないことも関係するとは思うのですが、歌にはつらつとした魅力が感じられないのです。「自分で自分が分らない」も、「恋とはどんなものかしら」もそれなりに歌ってはいるのですが、それだけで、これらのアリアを上手な歌手が歌ったときに聴き取れるプラスαを全く感じ取ることができませんでした。

 黒木純のバルトロと星野恵里のマルチェリーナ。この二人は逆にけれんのない歌で感興を削いだと思います。決して悪い歌ではないのですが、バルトロとマルチェリーナという役が、「フィガロの結婚」というオペラを喜劇として成立させるために果している役割を考えると、もっとくどくて臭い歌の方がよかったのではないかと思います。

 バルバリーナ、花娘、合唱は、どれも声量が足らず、迫力に欠け、評価することはできません。

 以上、一部に魅力はあったもののトータルでみると欠点の目立つ上演でした。特に音楽に求心力が感じられなかったことが、最大の問題だと思います。

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鑑賞日:2005年1月15日
入場料:B席 5000円 2F 2列63番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京オペラプロデュース第72回定期公演

主催:東京オペラプロデュース
協力:(財)新国立劇場運営財団/後援:日本ロッシーニ協会

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「とてつもない誤解」(L'Equivoco stravagante)
台本:G・ガスバッリ

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 松岡 究
管弦楽 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
フォルテピアノ 飯坂 純
合 唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指揮 伊佐地邦治
演 出 馬場 紀雄
美 術 川口 直次
衣裳デザイン 増田 恵美
照明 奥畑 康夫
ヘア・メーク 星野 安子
舞台監督 八木 清市

出 演

ガンベロット 杉野 正隆
エルネスティーナ 宮本 彩音
エルマンノ 三村 卓也
ブラリッキオ 細岡 雅哉
ロザリア 小野さおり
フロンティーノ 倉石  真

感想

もっとも不遇な作品-東京オペラ・プロデュース公演、ロッシーニ作曲「とてつもない誤解」を聴く

 ロッシーニ・ルネサンスのあと、ロッシーニ作品は昔と比べると随分聴く経験が多くなりましたが、それでもなかなかお目にかかるのは難しい。私は、オペラ作曲家の中で一番ロッシーニを好む者ですが、実演で聴いたことのある作品はこれまで8作品に過ぎません。今回、第3作目のオペラ「とてつもない誤解」を聴くことが出来、たいへん嬉しいです。また、この作品は、ロッシーニの全てのオペラ作品の中で最も不遇な作品と申し上げて良い。初演は、1811年になされていますが、内容が公序良俗に反するという理由で、3回上演で打ちきり、その後ほとんど再演されることがなく、1965年に復活上演されるまで、150年あまり忘れ去られていた作品だそうです。自筆譜は失われ、批判校訂版も未だ流動的、ということで、その不遇さが分ります。ちなみに日本初演は、1997年の日本オペラ振興会オペラ研修所の終了公演で、今回が本格的な舞台初演となります。使われた楽譜は、2002年の第一次批判校訂版ではなく、1965年の復活上演版(オトス版)によるものだそうです。

 演奏全体を評すれば、どこかぎこちない所があちらこちらにあり、それが全体の感興を削いでいたと思います。舞台を見た感じは、相当練習を積んだのだろうと思えるもので、細かな所作も随分考えられたものでした。しかしながら、その動きが自然とはいい難いところが多くありました。これは、舞台での演奏経験の少なさがなせる業で、同一公演をもう2-3回繰り返してくだされば、もっとよい舞台になることは疑いないところです。そういう意味からも早い再演を望みたいところです。

 松岡究の指揮は、悪いものではないと思うのですが、普段の松岡に聴ける突っ込みが今一つ不足している感じで、そこが感興を削いだもう一つの原因かも知れません。ユニ・フィルの演奏も今一つパッとしない。序曲の入りが合わなかったのは仕方がないとしても、ホルンが外れるなど、演奏技術上の問題はそれなりに見うけられました。やっぱりロッシーニは、ロッシーニ・クレッシェンドでどんどん盛り上がって行くところに聴く醍醐味がある訳ですから、そこを技術的な問題で壊してしまうのはつらいものです。オーケストラがもう少しスムーズに流れてくれれば、全体の盛りあがりももっと期待できたのではないか、という気がします。

 歌手は頑張っていたと思います。まず褒めるべきは、宮本彩音のエルネスティーナです。本格的なオペラの舞台に立ったのが二度目ぐらいの若手歌手ですが、非常に結構な歌でした。レジェーロの軽い声ですが、響きがまろやかで、きんきんとしないところがまたよいと思いました。登場のアリアも良かったですが、重唱における歌唱がまた立派。口がよく回りアジリダがきちっと決まって行くところは胸のすく思いでした。正にブラヴァ。大柄でなかなかの美人ですし、舞台栄えします。今後の精進を期待したいところです。

 対するエルマンノの三村卓也は今一つ。頑張って歌っているのは分るのですが、歯切れが悪く、アジリダが流れてしまう所や、低音部で地声が出てしまうところなど要改善です。エルマンノとエルネスティーナの二重唱などは、エルマンノの思いが歌にこめられていて良かったのですが、エルネスティーナの溌剌とした歌唱に技術的に負けており、もう少し頑張って欲しいなと思いました。未だ若い方なので、今後の精進を期待したいと思います。

 恋敵で笑われ役のブラリッキオを歌った細岡雅哉は良かったです。ピエロのようないでたちで登場し、ブッフォ役を上手に演じました。一寸大袈裟な演技で笑わせ役に成りきっていましたし、ガンベロットとの掛け合いや、フロンティーノとのやり取りは思わず笑いがこぼれました。本作のタイトルの「とてつもない誤解」は、「ブラリッキオがフロンティーノの策略に引っかかって、エルネスティーナが去勢された男で、女装をしていると信じること」を指していますが、それを知った時のあわてぶりなども良かったですし、全体として見せてくれたトボケた味わいも、舞台の楽しさを盛上げてくれました。歌も歯切れが良く、上々でした。

 杉野正隆の父親も中々よい。歌唱自体は、田舎の成功者の威厳を表現するのに十分な力のこもったもの。結構でした。ただ、そういう役柄なのかも知れませんが、ブラリッキオと絡むとどこかブラリッキオに押されている感じがあって、もう少し、父親が前に出てもいいのかな、と思いました。

 ロザリア役の小野さおりは、声は綺麗ですし、歌もなかなか結構なのですが、声量が以前聴いた時よりも落ちている感じがいたしました。倉石真のフロンティーノ。存在感はあるのですが、歌はもう少し検討の余地がありそうです。

 それにしても歌手たちは全般的に頑張っていたと思います。アンサンブルがみなしっかりとまとまっていて、そのあたりの練習を十分に積んでいたことがよく分かるものに仕上がっていました。個々の場面は、どれをとっても結構な出来。ただ、場面場面の繋ぎや細かい所で、音楽の流れを上手く使いきれていないような気がしました。そういうところは、舞台上で解決するしか無いですから、早い再演を期待したいですね。

 あと良かったのは、フォルテピアノの飯坂純。レシタティーヴォの伴奏、その他にセンスを感じました。

 馬場紀雄の演出には、本作品がドタバタ喜劇であることを強調しようとする姿勢を強く感じました。ロザリアとフロンティーノとの恋仲をことさら強調したり、エルマンノがエルネスティーナに抱きついたりと、エロティックな部分もカリカチュアライズされた形で示されていました。そういう所を嫌う方もいらしたようです。しかし私は、もともと性的な隠喩が隠された作品ですから、勿論、よりソフティフィケートされた形で示されれば良いのでしょうが、今回のようなドタバタの強調は、作品に合っているのではないかと思います。

 最後に大事なことを一つ。今回、字幕が非常に見え難いものでした。ピントが合っていなかったようです。よく上演される演目ならば、字幕なしでもかまわないのですが、このように滅多に見る機会のない作品で、字幕が見え難いのはとても困ります。新国立劇場の問題なのか、東京オペラ・プロデュースの問題なのかわかりませんが、改善を期待します。

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鑑賞日:2005年1月20日
入場料:ランク7 5670円 4F L3列5番

主催:新国立劇場

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「マクベス」(Macbeth)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ/アンドレア・マッフェイ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 リッカルド・フリッツァ
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 野田 秀樹
美 術 堀尾 幸男
衣裳デザイン ワダ エミ
照 明 服部  基
振 付 木佐貫 邦子
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

マクベス カルロス・アルヴァレス
マクベス夫人 ゲオルギーナ・ルカーチ
バンクォー 大澤 建
マクダフ 水口 聡
マルコム 内山 信吾
侍女 渡辺 敦子
医師 片山 将司
マクベスの従者 大森 一英
刺客 篠木 純一
伝令 塩入 功司
第一の亡霊 友清 崇
第二の亡霊 高原 由樹
第三の亡霊 直野 容子

感想

指揮者の実力、作品の力-新国立劇場公演、ヴェルディ「マクベス」を聴く

 普通に聴けるヴェルディの作品の中で、自分にとって一番に苦手にしている作品が「マクベス」です。何度か舞台を見ておりますが、何度聴いても本当の所、この作品の良さがわからない。ヴェルディらしい音楽だとは思うのですが、「ナブッコ」にある熱気も、「リゴレット」以降の作品に見られる音楽的発展も感じられない、過渡期の弱さを感じてしまうのです。もう一つ申し上げれば、アリアも余り魅力的だとは思わないです。そう思う人は私だけでは無い様で、本日の新国立劇場、4階を別にすれば半分ほどの入り。いつも一杯のZ席にも空席がある始末。寒々しい状況でした。

 今回の舞台は、昨年5月の再演です。昨年5月の公演は、私は急な仕事で折角購入していた切符を無駄にしたのですが、行った人から聴いた話は、皆否定的な見解でした。自分が苦手としている、評判の悪い公演の再演、恐る恐る出向いたというのが正直な所です。ところが、あにはからんや、大変結構な公演でした。思いがけない喜びでした。

 その第一の立役者は指揮者のフリッツァでしょう。まず、その切れの良い指揮ぶりに感心いたしました。表現にメリハリがあって、極小さい動きから全身を使っての大きい表現まで、音楽を多彩に彩ります。また、ドラマの進行に合わせた細やかな息使いとテンポの動かし方は、流石才能あるイタリア人指揮者は違うな、と思わせるものでした。私にとって、決して楽しく無かった筈の「マクベス」の音楽が、このように魅力的にきこえたのは初めての経験です。

 東京交響楽団の演奏も素晴らしいものでした。大抵起きる金管の大コケが私の記憶の限りでは一度もありませんでしたし、反対に金管の艶っぽい音に感服致しました。音の立った生き生きとした演奏で、よかったと思いました。ヴェルディの音楽にもっと突っ込んで行ってヒートアップすれば尚良かったのでしょうが、十分満足の行くものでした。

 歌い手では、まずやっぱりアルヴァレスです。当たり前ですが、声が違います。艶があって、朗々と響く華やかさは流石です。にも拘らずリリックで繊細な表現はマクベスの内面の弱さも上手く表現していて、良かったと思います。第一幕の登場のシーンから魅力的だったと申し上げましょう。良い指揮者と良いタイトルロールが良い仕事をするとどうなるか、という例、と申し上げても良いと思います。

 マクベス夫人のルカーチ、強い声の出る方で、いかにもマクベス夫人という感じでした。われこそはドラマティコ、という風な歌い方をして、最初は感心したのですが、どこまで行っても同じスタイル。あういう歌い方が好きな方にはたまらないのでしょうが、私には鼻につきました。表情の変化に乏しいので、第四幕で夢遊状態になった時の歌がとても唐突に感じました。ただし、私が彼女の歌で一番感心したのは、この第四幕の大シェーナです。

 バンクォー役の大澤建。歌に不安定なところがあって、今一つ。一昨年の藤原歌劇団の「ロメオとジュリエット」でローラン修道士を歌ったときより不調だったと思います。マグダフの水口聡。なかなか良い声なのですが、声量が足りない。本来は、マクベスやマクベス夫人に対抗出来るだけの声が欲しいところですが、そうは行かないようです。第四幕第一場のアリアは、後半オーケストラの演奏に声が完全に消されていました。内山信吾のマルコムも悪くはないのですが、やはり声量的に弱かったと思います。そういう中で割合頑張っていたのが、マクベス夫人の侍女役の渡辺敦子でした。

 一方で、合唱がよい。魔女達の合唱も良かったですし、第四幕第一場のスコットランド難民の合唱も良かったです。特にスコットランド難民の合唱には、悲痛な雰囲気が現われていて感じが出ておりました。また、合唱団員が歌う亡霊達の歌も良かったと思います。

 結構評判の悪い演出ですが、私は、あれはあれで楽しめるものだと思っています。魔女のコスチュームが面白い。後姿を見ると、子供時代に見たテレビアニメのガッチャマンを思い出しました。どくろや骨をもってある意味不気味ですが、一方で動きにユーモアがあって楽しめました。そういう遊びのある動きが野田演出の特徴なのではないかと思いましたし、一方でそれが嫌われる原因なのかな、と考えたりもしました。

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鑑賞日:2005年1月21日
入場料:C席 7000円 3F 2列12番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

第15回藤原歌劇団ニューイヤースペシャルオペラ

主催:(財)日本オペラ振興会/Bunkamura

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場 オーチャードホール

指 揮 広上 淳一
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 及川 貢
演 出 ロレンツァ・コディニョーラ
美 術 マルコ・カプアーナ
衣 裳 イレーネ・モンティ
照 明 ロレンツァ・コディニョーラ
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

ヴィオレッタ エヴァ・メイ
アルフレード 佐野 成宏
ジェルモン 堀内 康雄
フローラ 鳥木 弥生
ガストン パク・ヨハン
ドゥフォール 三浦 克次
ドビニー 柿沼 伸美
グランヴィル 山田 祥雄
アンニーナ 竹村 佳子
ジュゼッペ 梅原 光洋
使者 雨谷 善之
召使 坂本 伸司

感想

聴き手の不完全燃焼-第15回藤原歌劇団ニューイヤー・スペシャルオペラ「ラ・トラヴィアータ」を聴く。

 お正月に藤原歌劇団の「椿姫」を聴く。私にとって完全に恒例の行事と成りました。今年で15回目ということですが、私も10回以上となりました。毎年聴いていると、その年、その年の特徴があらわになって面白いです。しかし、残念なことにここ数年は、余り満足したという記憶が残っておりません。その理由の一つはアルフレードに人を得ていない、ということにあります。若手の外人テノールを連れて来て歌わせるのですが、アルフレードのがむしゃらな若さを表現出来て、それでかつヴェルディの音楽表現をきっちり出来る人は、少なくとも21世紀に入ってからは誰もいなかったと申し上げて良いでしょう。

 そのアルフレードを佐野成宏が歌うという。これは期待が持てます。昨年11月の新国立劇場「椿姫」のアルフレードも佐野成宏でしたが、あのときの歌も良かった。加えてジェルモンは日本人のジェルモン歌いとして最も定評のある堀内康雄ですからこれは期待が持てます。肝腎のヴィオレッタ役は、エヴァ・メイ。私は聴いたことの無いソプラノですが、評判は良いらしい。これはきっと楽しめるに違いない、と思って勇んで出かけました。

 全体としては、それ程悪い演奏では無かったのでしょう。ただ、私個人の好みから言えば、今一つ淡白な演奏だったように思います。はっきり申し上げれば、心が動かされない演奏でした。熱気に欠けると申し上げても良い。聴き手の心をもっと燃やして欲しかったと思います。広上淳一の指揮に問題があったのかも知れません。しかし、私の見た感覚では、広上は広上らしい熱気のあふれる指揮をしていたと思います。しかし、オーケストラがあまりその指揮に乗って来ない感じがしました。2003年の藤原のニューイヤー「椿姫」の指揮者が広上淳一で、そのときは、ジェルモン役のブルゾンと広上がぶつかって、結果としてあまり良い演奏にならなかったのは記憶に新しい所ですが、今回も広上の解釈は、オーケストラや歌手に余り受け入れられなかった、ということなのでしょうか。

 エヴァ・メイのヴィオレッタも淡白。技術的には非常に立派なものをもっていて、「ああ、そは彼の人か」も「さよなら過ぎ去った日々」も音程といい、表現の柔軟性といい十分な演奏だったと思うのですが、言ってみればそれだけの演奏で、感情がこもっていない。例えば、「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」に含まれるヴィオレッタの感情の動きを聴き手に納得させたか、という点になると心許ないとおもいます。同様に、「椿姫」で一番の聴きどころであると常々申し上げている第2幕のジェルモンとの二重唱も、アルフレードとの別れを強要される悲しみが聴き手に伝わって来ないのです。歌がちょっとぐらい崩れても、感情表現が明確な方がオペラとしては良いのではないかしら、と思いました。

 佐野成宏は絶不調と申し上げるべきでしょう。あの張りのあるリリックな歌声を完全に失っていたわけではありませんが、あそこまで不調の佐野を聴いたのは初めての経験です。「乾杯の歌」でまず最初のトラブルが起き、声が瞬間的にひっくり返りました。第2幕冒頭のアリアは、声が完全にひっくり返り、一時歌えなくなり、更にオクターヴ下げての歌唱もありました。その後、目だったトラブルは無かったものの声にざらつきが感じられ、本来の佐野の声ではなかったと思います。それでも、私は佐野アルフレードを支持したい。舞台全体を見た感じでは、それでも、21世紀私が聴いたアルフレードの中では佐野アルフレードが一番でした。

 堀内康雄のジェルモンは立派。堀内が歌うジェルモンは何度か聴いておりますが、役柄が完全に手中に入っている歌だと思います。上記のヴィオレッタとの二重唱も淡白なヴィオレッタに対し、ジェルモンは割と感情のこもった歌で結構でした。二人の歌のスタンスが違うので、二重唱としては一寸ちぐはぐなものに感じられましたが。また、聴かせどころの「プロヴァンスの海と陸」も良い歌でした。

 脇役を受持つ、藤原のメンバーは、何度も同じ役をこなしている方が多く、皆しっかりした歌いぶりで良かったです。竹村佳子のアンニーナが特に良く、三浦克次のドゥフォール男爵、山田祥雄のグランヴィル医師も結構でした。

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鑑賞日:2005年1月23日
入場料:B席 4000円 2F 2列63番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

主催:(財)日本オペレッタ協会/協力:(財)新国立劇場運営財団

オペレッタ2幕、日本語上演
レハール作曲「ルクセンブルク伯爵」(Der Graf von Luxemburg)
台本:アルフレート・マリア・ヴィルナー/ロベルト・ポダンツキー
訳詞:滝 弘太郎

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 ヴァーラディ・カタリン
管弦楽 日本オペレッタ協会管弦楽団
合 唱 日本オペレッタ協会合唱団
合唱指揮 角 岳史
台本・演出 寺崎 裕則
美 術 大田 創
衣 裳 藤代 暁子
照 明 奥畑 康夫
舞台監督 友井 玄男

出 演

ルネ・ルクセンブルク伯爵 田代 誠
アンジェール・ディディエ 西森 由美
アルマン・ブリザール 平田 孝二
ジュリエット・ヴェルモン 針生 美智子
パジール・パジロヴィッチ侯爵 田辺 とおる
ココゾフ・パジロヴィッチ侯爵令嬢 柴田 恵理子
ペレグラン/パラソル 阿部 六郎
マダム・カンペール 木月 京子
メンチコフ 村田 芳高

感想

オペレッタの「ボエーム」?-日本オペレッタ協会公演、レハール「ルクセンブルグ伯爵」を聴く。

 私はミュージカル映画が大好きで、MGMのミュージカル映画のLDやヴィデオ録画をそれなりに持っています。ミュージカル映画歴はオペラ歴より長いですから、オペラにすんなり入って行けたのは、ミュージカルを見てきた経験があったからではないかと考えたりもしております。それにもかかわらず、ミュージカルの母体となったオペレッタをそれ程見ていない。「こうもり」と「メリー・ウィドウ」は何度も見ていますが、それ以外となると、タイトルこそ知っているけれども中身はさっぱり、という作品が多いです。

 「ルクセンブルグ伯爵」もその一つ。タイトルだけは知っておりましたが、録音すら聴いたことが無い。実演は勿論ありません。ですから、予備知識はほとんどなく、チラシにあった『オペレッタの「ラ・ボエーム」』という言葉を唯一のナヴィゲーターとして、新国立劇場に出かけて参りました。

 確かに、登場する人物はパリのボヘミアン。売れない絵描き・アルマンの所でモデルになる恋人・ジュリエットの姿は、マルチェッロとムゼッタに重なります。しかし、もう一つの恋人同士となるルネ・ルクセンブルグ伯爵とアンジェールは、どうみてもミミとロドルフォではない。レハールは、間違いなくこの作品を「ボエーム」を下敷きに作っていますが、ルネ・ルクセンブルグ伯爵とアンジェールをミミとロドルフォに対比しながらも、貧しさの中に真実の愛を見つけようとする「ミミとロドルフォ」にはせず、豊さの中(ルネ・ルクセンブルグ伯爵はボヘミアンではあるけれども、貧乏人ではない)に真実の愛を見つけようとさせました。

 どちらが好きかといわれれば、私は文句なく「ルクセンブルグ伯爵」を採ります。涙を強要するプッチーニのお涙頂戴的音楽より、全然悲劇ではないのに、ほろりと涙がこぼれる「ルクセンブルグ伯爵」の方がはるかに魅力的です。そういう意味では、オペレッタの「ボエーム」などという比喩をして欲しくはないですね。私自身としては、良いものを見せて頂いたと思います。演奏の音楽的側面は問題点が数多くあるのですが、作品の音楽の魅力と、登場人物の演技の魅力で、大変楽しんで見ることが出来ました。

 演奏を語る上での第一の立役者は、ハンガリーの女流指揮者・カタリンの指揮です。彼女の演奏はスタイリッシュではなく、一寸泥臭い感じがするものでした。そういうローカルな雰囲気は、オペレッタの下世話な部分とのマッチングが良く、レハールのオペレッタにはうってつけのように聴きました。ウィーンワルツはリズムが1、2、3ではなくて、1、2の3である、という言われ方はしばしばされますが、カタリンはこの「の」の取り方が抜群。しかし、スタイリッシュなウィーン風の「の」ではなく、もっと田舎の「の」という感じがします。そういうローカルな節の取り方が、音楽全体の味わいを上げているように思いました。

 日本オペレッタ管弦楽団も良い。特別上手だとは思わないのですが、カタリンの指示に上手く対応し、オペレッタらしい雰囲気のある音を出してよかったと思います。

 歌い手でまず褒めなければいけないのは、パジール役の田辺とおる。この作品の道化役ですが、とてもバランスが良い。歌もなかなか良かったと思いますが、演技がまたよい。ルネとアンジェールとの結婚式の場面での小心ぶりや、ルネとアンジェールが相思相愛であることが分った時のあわてぶりなど、芝居がとても上手です。最後にルネとアンジェールを祝福する時に見せる寂しさの出し方もとても素敵だと思いました。ブラボーです。

 外題役の田代誠もよい。歌だけをみれば、結構問題もあり、必ずしも万全ではないのですが、演技は良い。文無しの貴族を演じたとき、卑屈にならず、それでいて育ちの良さを見せる所など不良貴族の雰囲気をよく出しておりました。存在感のある歌唱と演技でした。

 女声陣ではジュリエット針生美智子がよい。軽々とした歌声で、ダンサーの雰囲気がよく出ておりました。歌唱それ自身だけを見れば、一番上手だったと思います。高音もよく伸びますし、口も回る。演技もなかなかコケティッシュで良かったと思います。ジュリエットに対する平田孝二もよい。平田は、自分のポジションを良くわきまえた歌と演技で、非常に好ましく思いました。

 それ以外の脇役、マダム・カンペールの木月京子、ベルグランとパラソルの二役を演じた阿部六郎、メチンコフの村田芳高は、皆「ルクセンブルグ伯爵」という作品の中の自分のポジションを心得ていて、好演でした。

 問題は、アンジェールを歌った西森由美。声も痩せていてあまり魅力が感じられませんでしたし、歌詞が分かり難いのも問題。同じソプラノでも針生美智子は、歌詞がそれなりに分るのに、西森が歌うと何を歌っているのか全く分りませんでした。日本語がベルカント歌唱に向いていないことは周知の事実ですが、それを観客に分らせるように歌うのが歌手の役目でしょう。演技も本日の登場人物の中では一番評価しがたいものでした。

 柴田恵理子のスターシャも今一つ。もう少し声量がほしい所ですし、演技ももう一つこなれてほしい所です。

 個別に見れば問題点は散見すれども、全体として見れば、好演だったと思います。日本オペレッタ協会が本演目を永年磨き上げてきたことが分る鍛えられた舞台で、満足いたしました。

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鑑賞日:2005年2月10日
入場料:C席 9000円 2F 7列23番

2005都民芸術フェスティバル参加

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

藤原歌劇団公演

主催:(財)日本オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントラ」(La Cenerentola)
台本:ヤコボ・フェルレッティ

会場 オーチャードホール

指 揮 アルベルト・ゼッダ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
フォルテ・ピアノ 小谷彩子
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 及川 貢
演出・装置・衣装 ピエール・ルイージ・ピッツィ
照 明 マリオ・ポンティッジャ
舞台監督 大澤 裕

出 演

アンジェリーナ ヴィヴィカ・ジュノー
ドン・ラミーロ ホアン・ホセ・ロペラ
ダンディーニ ロベルト・デ・カンディア
ドン・マニーフィコ ブルーノ・デ・シモーネ
アリドーロ 彭 康亮
クロリンダ 高橋 薫子
ティーズベ 向野 由美子

感想

高水準の熱演-藤原歌劇団公演「ラ・チェネレントラ」を聴く。

 ロッシーニのブッファが特に好きで、「チェネレントラ」も何度か実演に接しております。印象深かった公演は、14年前の、当時全盛期だった(実際は癌に冒されていて、そうではなかったようですが)ルチア・ヴァンレッティーニ・テッラーニがアンジェリーナを演じ、五郎部俊朗が絶妙のドン・ラミーロを歌った藤原歌劇団公演と、コヴェントガーデン王立歌劇場で聴いたバルツァが外題役を歌った「チェネレントラ」です。この二つの公演は、私のこれまで聴いた200余りのオペラ実演の中でも特に印象に残っているものです。そして今回の藤原歌劇団公演も、端的に申し上げれば高水準の熱演で、「チェネレントラ」を、あるいはロッシーニのオペラブッファを聴く醍醐味を味あわさせて貰いました。

 指揮がロッシーニの批判校訂版楽譜の編纂で名高い、ロッシーニ・オペラ・フェスティバル芸術監督のアルベルト・ゼッタです。彼の音楽作りは、アッチェラランドをかけながら、ロッシーニ・クレッシェンドをガンガン盛上げていくというスタイルではなく、もっと上品なもの。そのため物足りなさも感じました。例えば序曲がそうです。昨年秋に聴いたネッロ・サンティ/N響のコンビの演奏の方が私にはしっくり来る演奏でした。また、一幕はどちらかと言うとゆっくり目、ニ幕は相対的に速い演奏でしたが、全体として見れば、バランスがきちっととれていて過不足なく、流石に第一人者の振るロッシーニだな、と思いました。十分ブラボーに値するものです。東京フィルハーモニーの演奏も全体的にはなかなかのもの、金管、特にトランペットとホルンがもう少し上手だったらと、そこだけが惜しまれます。とにかく、音楽としての基盤が整った演奏でした。

 歌手陣も総じて満足。個別には色々ありますが、全体としてあの水準になったのですから、文句を申し上げたらばちが当たります。「ラ・チェネレントラ」のような、登場人物がそこそこいて、それぞれがそれなりの存在感を示すオペラだと、足を引張る方が一名くらいいるものですが、今回はその足を引張る方がいなかった。それがとても嬉しいです。アンサンブルなどは本当に高水準で、大いに感心しました。

 外題役のヴィヴィカ・ジュノー。いやその装飾歌唱。上手いです。脱帽と申し上げましょう。とにかく難しいパッセージをバンバン転がして行く所、胸のすく思いです。とにかく技術面では抜群の技量でした。ただ一つ残念なのは、豊満さに欠ける所。上手いのですが、色気に欠けると申し上げたら宜しいのでしょうか。例えば、最後のロンド・フィナーレ。アンジェリーナ役の聴かせどころです。ジュノーはあの長く且つ難しい所を技巧的には完璧に歌って見せますが、脂が足りない。上述のバルツァのアンジェリーナは、このフィナーレの冒頭を霜降り肉のような声で歌ってみせて、そのときの声は今だに忘れられないのですが、そのいう聴き手のプリミティブな部分をアタックする力は一寸弱いのかな、と思いました。

 対するテノール。こちらは今一つ。今回登場した7人のソリストの中で、私が一番気にいらなかったのがロペラのドン・ラミーロです。まず、私の好みからすると、ドン・ラミーロはもう一段軽い声であって欲しいと思うのですね。現在のロッシーニ・テノールの水準から見て、取りたてて低いということはないそうですが。また、歌唱技術の面でも、ジュノーの完璧なコロラトゥーラの技術と比較すると、今一つ切れが悪い。聴かせどころの第2幕のアリアは、ハイCはとりあえず出ていましたが、ロッシーニテノールならばもっと軽々と歌って欲しいと思いました。こうは言うものの、それでも十分水準には達しており、全体の感興を下げるような歌唱ではありませんでした。

 デ・シモーネのドン・マニーフィコ。ドン・マニーフィコと言えば、ブッフォの典型みたいな役柄ですが、今回の造型は、普通のお父さんぽい作りでした。私は、もっとおかしみのある造型の方が好きですが、これはこれで悪くないものです。第一幕は一寸もたついた所がありましたが、歌唱は正確で技術も確実。低音歌手が、装飾歌唱を難なくこなして行くところは、これまた聴きごたえがあります。ニ幕冒頭のアリアは素晴らしいものでした。

 ダンディーニ役のデ・カンディア。ドン・マニーフィコと並ぶブッフォ役ですが、演技が良いですね。ドン・マニーフィコは、私のイメージとは違った作りで来たのに対し、こちらはイメージ通り。登場のカヴァティーナはもう少しだと思いましたが、あとは流石です。特に、ニ幕のマニーフィコとのブッフォ二重唱はその抜群のおかしさで楽しませて戴きました。このデュエットでデ・シモーネが一言「ウソ」と発する所が特に可笑しく、会場内大爆笑でした。

 アリドーロの彭康亮。彼も良い。彼は、藤原の脇役や新国立劇場で何度も聴いている訳ですが、今回のようなまともなアリアを歌うのを聴くのは初めてじゃあないかしら。立派な歌で結構でした。

 二人の意地悪姉さんも良好です。高橋薫子のクロリンダが特に良かった。この作品ではソプラノがクロリンダ一役だけで、合唱にも女声が入りませんから、クロリンダは音楽の響きを決める上でとても重要な役割を果しているのですが、高橋はアンサンブルのトップをきちっととって流石の歌唱でした。口も良く回っていました。第二幕後半の六重唱で、クロリンダが難しいパッセージから重唱を導入する部分があるのですが、そこの入りの見事さは、ブラヴァの一言です。向野由美子も良い。彼女は、東京オペラプロデュースの公演で何度か聴いたことがありますが、今回のティーズベが私の聴いた彼女のベストです。二人ともコケティッシュでありながら尊大な意地悪なお姉さんの役柄を、見事に演じておりまして、外人勢の中で全くひけをとっていなかったのは見事でした。

 ロッシーニを聴く楽しみは、アンサンブルを聴く楽しみでもあります。これが、皆さんよく練習されていて、実に嵌まっています。緻密に計算されて積み上げられた重唱は、実に見事なものでした。第1幕のフィナーレは本当に素敵なもので、ドン・マニーフィコの酔っ払いの演技から、最後のストレッタに至る迄間然とさせないもの。ブラビーでした。

 以上、大いに楽しんだのですが、問題を2,3。先ず、折角御大ゼッタを指揮に呼んだにもかかわらず、カットがあったこと。批判校訂版の編者が指揮するのですから、批判校訂版の通り演奏して欲しかった。カットされたのがクロリンダのアリアなのが特に残念。高橋薫子があれだけ素晴らしい歌唱を聴かせてくれたのですから、アリアを是非歌って欲しかったです。

 もう一つ、演出も私の趣味ではない。モンテカルロ・オペラの舞台を持ってきたものだそうで、簡素ながらシックな舞台ですが、全体に暗めです。舞台の真ん中に黒幕をおいて、その前と後を上手く使いながら場面転換をしていきますが,照明の照らす位置や強度の変更で、舞台装置を少しずつ替えて行きます。それで話の展開は判るのですが、メリハリが利いておらずすっきりとしない。また、舞台転換で黒子の動きが直ぐ分るのはいかがなものでしょうか。オペラ・ブッファは、明け方から翌朝までの一日を描くのがお約束で、最初は暗いが段々明るくなり、最後は暗くなる、という風の演出がよく見られますが、その基本は明だと思います。しかし、今回の演出は暗がベースにあるようでした。音楽の持つ明るさと舞台のもつ暗さは、演出家が、「ラ・チェネラントラ」という作品がオペラ・ブッファながらセミセリアの先駆としての意味合いがあることを示したかったのかも知れませんが、私は、もっとあっけらかんとした明るい演出が好きです。

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鑑賞日:2005年2月14日
入場料:ランク7 5670円 4F R3列1番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ベルグ作曲「ルル」(LuLu)

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 シュテファン・アントン・レック
管弦楽 東京交響楽団
演 出 デヴィッド・パウントニー
美 術 ロバート・イスラエル
衣 裳 スー・ブレイン
照 明 ミミ・ジョーダン・シェリン
舞台監督 佐藤 公紀

出 演

ルル 佐藤 しのぶ
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢 小山 由美
劇場の衣裳係/ギムナジウムの学生 山下 牧子
医事顧問 大久保 眞
画家 高野 二郎
シェーン博士/切り裂きジャック クラウディオ・オテッリ
アルヴァ 高橋 淳 
シゴルヒ ハルトムート・ヴェルカー
猛獣遣い 晴 雅彦
力業師 妻屋 秀和
公爵/従僕 加茂下 稔
劇場支配人 工藤 博

感想

ニ幕版の上演は悪いことなのか-新国立劇場公演「ルル」を聴く。

 三幕版で上演するとアナウンスされていながらニ幕版になって、一部オペラファンから強い顰蹙を買った今回の「ルル」公演、行って参りました。私の率直な感想は、なかなか良い上演だった。これに尽きます。本日の終演後も数人の方が一所懸命ブーを飛ばしておりましたが、なぜ、この演奏がブーになるのか、私には理解できません。ちなみに日本で「ルル」がまともに上演されたのは今回が3プロダクション目。今回の上演が、どういうレベルのものかが分って、ブーを飛ばせるだけの背景のある観客がどれだけいたのでしょうか。単にスキャンダルに便乗してブーを飛ばしたとするならば、折角一所懸命に舞台を作り上げたスタッフやキャストの方に失礼ですし、また、音楽の本質を無視した愚かなことだと思います。

 オペラに何を聴くのか、というのは人それぞれだと思います。アリアでの歌手の技量に魅力を感じる方もいるでしょうし、重唱や合唱の迫力に魅力を感じる方も多いと思います。しかし、「ルル」には明確なアリアはありませんし、合唱もない。ほとんどがレシタティーヴォ(そう言って良いかどうかは不明ですが)で繋がれます。こういう作品では、個々の歌手の技量を云々するよりも、音楽全体のまとまりで評価するのが適切だろうと思います。その音楽のまとまりが、なかなか素晴らしかったと思います。指揮者のアントン・レックを大いに褒め称えなければなりません。

 レックの音楽の作りは、緊張感を持ちながらも、不安な気分と退廃とをバランスよく感じさせるものでした。東京交響楽団の演奏も、この複雑な作品をよくここまで演奏するな、というくらいの高水準のものであると思います。細かくは色々トラブルがあったのかも知れませんが、全体としてみれば、不満を申し上げられるようなものではありませんでした。満足です。オーケストラと歌のバランスという点で見れば、オーケストラ6に対して歌が4といった具合で、オーケストラがイニシアチブをとっておりましたが、その方がこのオペラの魅力を示すのに有効だったと思います。

 歌手も総じて悪くない。一番の魅力はシゴルヒ役のヴェルカーの歌だと思いますが、それ以外の方も決して悪くありません。まず、タイトルロールを抜群の演技で見せきった佐藤しのぶがいます。佐藤はここ数年全くの不調で、何を聴いても良いことはなかったのですが、今回のルルは十分に評価できるものでした。細かな言い回しでも声がしっかり出ていましたし、歌唱も線のはっきりしたもので結構でした。その上、退廃的演技が素晴らしい。「ルル」という役柄は天然の娼婦ですが、佐藤の姿は正に娼婦です。堂々としたエロティックさは、佐藤のこの役柄に対する意気込みを感じさせて結構でした。日本人歌手がオペラの舞台でこれほどエロティックな演技をしたことがあったでしょうか。それだけでも評価すべきだと思います。一昨年の二期会公演におけるルル役の天羽明恵と比較すると、天羽が、天然的な無邪気さを感じさせる所があったのに対し、佐藤のルルは、その無邪気さを完全に除外したように見えました。好き好きはあると思いますが、こういう徹底はルルの性格を明確にする上で十分有効だったと思います。

 又、今回のパウントニーの演出は、ルルを中心に登場人物が同心円上に、あるいは渦巻き状に関係するという意図があったようですが、佐藤の演技と歌唱はその求心力を良く示しており、物語の中の「ルル」の位置がよく分って結構でした。一昨年のルルにおける佐藤信の演出は、ルルのポジショニングが今一つ曖昧な所があって、物語の説得性を削いでいたように思いましたが、今回のパウントニーの演出はそこが明確であり、宜しかったと思います。

 他の方たちも、皆なかなか魅力的でした。最近評価の高いキャラクターテノール高橋淳のアルヴァ。これまた結構な歌唱でした。この方、変に構えすぎた演技や歌唱に違和感を感じることがあるのですが、今回は激しいながらも抑制した演技で、アルヴァという弱い性格の若者を十分に描き出していたと思います。

 猛獣使いの晴雅彦。全体の狂言回しとしての役割を十分に果しており魅力的でした。力業師の妻屋秀和、学生の山下牧子も良かったです。高野二郎はこれまで余り評価してこなかったテノールですが、今回の画家の演技は素敵で見なおさなければなりません。ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の小山由美は、一昨年の二期会公演でも同じ役を演じておられましたが、今回の方が演技に切れがあって、良かったと思います。歌も更によくなっていたのではないかしら。

 外人コンビではヴェルカーの歌が良かった。シゴルヒという役柄から言えば、立派過ぎるのが逆に難点のようにも思います。オテッリのシェ-ン博士も悪くないのですが、佐藤しのぶのルルの演技に食われて、存在感が薄かったのが一寸残念です。第一幕第3場で、ルルの魅力に負けて婚約者に別れの手紙を書くシーンなどは、もうひと工夫があったのではないでしょうか。

 最後に二幕版と三幕版の点ですが、ニ幕版で十分ストーリーは完結しますし、敢えて三幕版に拘る必要はないと思います。また、佐藤しのぶの演技は多分見ている以上に苛酷なのでしょう。第一幕は快調だった彼女の声と演技が、第二幕後半になると明かに疲れて来ているのが分ります。三幕歌えるだけの体力を着けるべき、というのは正論ですが、現実として、無理して三幕版を上演して冗長になるより、ニ幕で切って上演の質を確保するという今回の新国立劇場の判断は正解だったと思います。

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鑑賞日:2005年2月19日
入場料:D席 5000円 2F 7列8番

2005都民芸術フェスティバル参加

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京二期会オペラ劇場公演

主催:(財)二期会オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

オペレッタ3幕、日本語上演
レハール作曲「メリー・ウィドウ」(The Merry Widow)
台本:ヴィクトール・レオン/レオ・シュタイン
訳詞:野上彰(ワルツは堀内敬三)/台本:佐藤万里

会場:オーチャード・ホール 

指 揮 飯森 範親
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 森口 真司
演 出 山田 和也
装 置 堀尾 幸男
衣 裳 前田 文子
照 明 服部 基
振 付 麻咲 梨乃
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

ミルコ・ツェータ男爵(ポンテヴェドロ公使) 近藤 均
ヴァランシェンヌ(その妻) 赤星 啓子
ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵
(公使館書記官、退役騎兵中尉)
星野 淳
ハンナ・グラヴァリ(富豪の未亡人) 高橋 知子
カミーユ・ド・ロジョン(パリの伊達男) 上原 正敏
カスカーダ子爵(公使館付随員) 塚田 裕之
サン・ブリオッシュ(パリの伊達男) 境  信博
ボグダノヴィッチ(ポンテヴェドロ領事) 松本 進
シルヴィアーヌ(その妻) 佐々木弐奈
クロモウ(公使館参事) 二階谷洋右
オルガ(その妻) 三橋 千鶴
ブリチッチ(ポンテヴェドロの退役大佐) 竹沢 嘉明
プラシコヴィア(その妻) 押見 朋子
ニェーグシュ(公使館下僕) 志村 文彦
ロロ(マキシムの踊り子) 城田佐和子
ドド(マキシムの踊り子) 清水 純
ジュジュ(マキシムの踊り子) 北條 聖子
フルフル(マキシムの踊り子) 高橋 桂
クロクロ(マキシムの踊り子) 小林 由佳
マルゴ(マキシムの踊り子) 田上 知穂

感想

二期会の伝統を感じさせる舞台-東京二期会オペラ劇場公演「メリー・ウィドウ」を聴く。

 私が初めて二期会オペラを見たのが1988年10月29日。東京文化会館での「メリー・ウィドウ」でした。佐藤征一郎がツェータ男爵を演じたのですが、それが大変面白く、中村邦子の外題役、斎藤昌子のヴァランシェンヌ、越智則英のダニロ、黒田晋也のカミーユともども大いに楽しんだ覚えがあります。最初の体験が良かったのか悪かったのか、私には「二期会」というと「こうもり」、「メリー・ウィドウ」といったオペレッタが楽しめるグループというイメージが抜けません。今回、久々に二期会の「メリー・ウィドウ」を見た訳ですが、演出が気鋭のミュージカル演出家・山田和也に代わって、舞台の見せ方は昔の二期会「メリー・ウィドウ」より随分垢抜けた感じがいたしましたが、やはり伝統というものはあるのでしょうね。二期会らしい「メリー・ウィドウ」に仕上っておりました。

 伝統の力で、一番強く思うのは、観客を楽しませようというスタッフ・キャストの意識だろうと思います。アンコールの演奏の仕方などは、シナリオに沿ったものであることはミエミエで自然発生的ではなのですが、それでも全体として客を楽しませるつぼを心得ていて、それをきちっと示そうとする意識が見える所は大変素晴らしい所です。そんな訳で、今回の公演、私は音楽よりも歌手の踊りを含む演技に、より感心いたしました。

 これは、音楽を否定するものでは勿論ありません。音楽も良かったです。飯森範親の音楽作りが繊細で、しかしながら一寸下品で、オペレッタにぴったりです。彼は、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、といったクラシックの王道を行く作品よりも、こういうポピュラリティの高い作品の方が似合う方だろうと前々から思っておりましたが、正にその通りでした。とにかく、甘く甘く、一寸甘すぎるのではないかい、と思う部分もなきにしもあらずでしたが、「メリー・ウィドウ」ならば許されるでしょう。特別な難曲ではないとは言え、東フィルの演奏も出色のものでした。特に、コンサートマスター佐藤さんのヴァイオリンの音色が美音で、正にメリー・ウィドウにぴったり。ポルタメントの付け方なども過剰にはならず、さりとて冷たくもならず、良い演奏で満足です。

 そういう音楽に下支えられた舞台も、なかなか結構なものでした。舞台装置は比較的簡素で、第一幕のポンテヴェドロ大使館の様子も、第二幕のハンナ・グラヴァリ邸も衣装と小道具の違いで示しておりましたが、なかなかシックなもので、ストーリーの理解には十分のものだったように思います。

 歌手陣ではまず脇役に魅力がありました。まずは、ニェグーシュを演じた志村文彦。志村はコミカルな役柄でも定評のある方ですが、ほとんど歌のないニェグーシュ役でも十分笑わせてくれました。はげ頭もツェータ男爵に叩かれたりした時の反応。大使館員夫人たちの火遊びを知った時の困惑などそのコメディアンぶりは大変楽しめるものでした。同じく、歌がほとんどないのに存在感を示したのがプラシコヴィア役の押見朋子。ダニロに迫る時の下品な迫力は大いに笑えるものでした。

 ベテランで固めたポンテヴェドロ大使館員もいい。東京室内歌劇場代表の竹沢嘉明、キャラクターバリトンの松本進はほとんど歌はないのですが、舞台にいると、なんとなく良いんですね。味があります。佐々木弐奈は、88年メリー・ウィドウのとき、ドド役だったのが今回はシルヴィア-ヌですから、長年歌っているのですね。三橋千鶴と共に、年増パワーを感じました。また、クロモーという、冴えない嫉妬深い夫役を演じた二階谷洋右も、コミカルな演技に光るものがあって、見がいがありました。

 主要役では、まずヴァランシェンヌ役の赤星啓子。リリコ・レジェーロのいかにもヴァランシェンヌという感じの歌で良かったと思います。もう少し声量があれば、なお良いと思いました。演技のコミカルな表現もこなれていたと思います。特筆すべきは踊り。第三幕のカンカンで踊りますが、6人のグリゼット達ともどもよく足が上がります。昔、ウィーン・フォルクスオーパが来日した時、ヴァランシェンヌ役のメラニー・ホリディーの足がよく上がって感心しましたが、赤星の足もよく上がり、揃ったカンカンで、見た目の美しさは素晴らしいものでした。

 カミーユ役の上原正敏。これまで何回か聴いたことのあるテノールですが、いつも今一つの歌唱で詰めが甘い。今回第一幕は難しい部分がないとはいえ、きっちりと歌って結構だと思いました。しかし、後半はいつもの悪い癖が出て、むきになると音程のコントロールが甘くなり、今一つでした。とはいえ、演技は、「気障なパリ野郎」の雰囲気が良く出ていて、よかったのではないかしら。

 ツェータ役の近藤均。彼の演技に、一番二期会の伝統を感じました。演出が違いますし、台詞回しも違うのですから同じ筈はないのですが、聴いていると、17年前の佐藤征一郎の演技を思い出すのです。私はメリー・ウィドウの舞台を何度も見ておりますが、そこで見てきた何人かのツェータではなく、佐藤征一郎のツェータであるという所が、二期会オペレッタの二期会オペレッタである由縁なのでしょうね。そして、勿論伝統に裏打ちされた演技は、流石に面白く、細かなくすぐりも含めて笑わせて頂きました。私は、今回の公演で、近藤の歌唱・演技に一番共感を覚えました。

 あとは、主役二人ですが、これはどちらもあまり感心した出来映えではありませんでした。高橋知子は一寸きつめの美人で、声にも凛とした所があり、ハンナ役に打ってつけだと思うのですが、歌唱自身が今一つ。声が一寸篭り気味ですっきりと抜けてくれないのが残念でしたし、それを声量でカヴァーできるほどでもない。「ヴィリアの歌」はそれなりには歌えておりましたが、キラリとする所がない。主役で緊張していたということなのでしょうが、結果として華やかさが今一つのハンナだったと思います。

 星野淳のダニロはもっと問題。ダニロはマキシムで夜な夜な遊び回る酔っ払いですが、芯は純情でなければなりません。しかし、星野ダニロにはその清潔感が感じられないのです。盛りの過ぎたホストのようで、違和感が残ります。歌唱も全体的に蓮っ葉な感じで、純情さが見え隠れするという感じになっていなかったのが残念です。また、最後の聴かせどころである「ワルツ」の二重唱では声がひっくり返っておりました。そんな訳で、歌唱、演技共あまり高く評価は出来ないのですが、踊りで足が高く上がる所は、赤星ヴァランシェンヌと甲乙付け難い所がありました。これは大したものです。

 個別の歌唱、演技は以上の通りいろいろ不満もあるのですが、全体のまとまりと、オペレッタとしての楽しさという点ではそれでも十分に満足のいくものでした。まず、全体的に動きがきちっと纏っていて、細かい部分も含めメリハリが利いていたことは、大いに褒め称えられるべきでしょう。踊りや演技が通常のオペラやこれまでの日本のオペレッタと比べてより洗練されており、ミュージカルの演出家を連れて来た甲斐があったのではないかと思います。観客を乗せるという点でもよし。自発的な手拍子や、最初のクライマックスである、「女、女、女」の七重唱後の自発的な「アンコール」の掛け声もありました。「女、女、女」の七重唱の二度のアンコールが、この掛け声で一度増えたのではないとはおもいますが。アンコールという点では、カンカンも赤星啓子の素晴らしい踊りを二回見られたのは大変結構でした。カーテンコール後のアンコールまでよく計算されて、楽しめて大変結構でした。

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鑑賞日:2005年2月25日
入場料:ランク7 3780円 4F 1列37番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(日本語)上演
久保摩耶子作曲「おさん」(「心中天網島」より)
台本:久保摩耶子/原作:近松門左衛門

世界初演

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 神田 慶一
管弦楽 東京交響楽団
合唱指揮 三澤 洋史
合唱 新国立劇場合唱団
演 出 粟國 淳
美 術 横田 あつみ
衣 裳 増田 恵美
照 明 大島 祐夫
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

おさん 永吉 伴子
治 平 柴山 昌宣
小 春 森川 栄子
秘 書 青地 英幸
ホステス リンゴ 直野 容子    レモン 前田 祐佳
モ モ 金子 寿栄   奈 々 長谷川光栄
               
同窓生 昭 男 大木 太郎   英 次 丸山 哲弘
文 助 梅原 光洋   史 彦 川島 尚幸
椎 太 大元 一憲   五 郎 徳吉 博之
大 地 古川 和彦   千野 昌保

感想

新作オペラに何を聴く 2005年02月25日 新国立劇場・久保摩耶子「おさん」ワールドプレミエを聴く

 新国立劇場設立の意義に、ここから世界に向けて「新作オペラ」を発信していくことがありました。この新作オペラの作曲者が日本人作曲家である必要は勿論無いのですが、実際は、日本人作曲の新作オペラのみが発信されております。勿論、これは新国立劇場が設立まもなく、まだ発展途上にあることと無関係ではありません。今後は、少しずつ増え、また、外国人作曲家委嘱作品なども取上げられるようになるかも知れません。

 さて、久保摩耶子の「おさん」は、新国立劇場委嘱作品の第四作目。久保摩耶子の名前は、オペラ「羅生門」の作曲家として既に耳にはしておりましたが、実際に聴いたことのある作品はなく、今回初めての経験でした。きこえる音は、相当にユニークだと思いました。簡単に申し上げれば、モザイク模様の多面的な音楽作りと申し上げたら宜しいでしょうか。

 その前に、ストーリーについて述べなくてはなりません。このオペラ「おさん」は、近松門左衛門の人形浄瑠璃「心中天網島」を題材に、その内容、主題を、舞台を現代に置き換え、内容を「無償の愛と義理に挟まれて揺れ、追い詰められる登場人物の心のゆれ」を、「三角関係のもつれから、事故死あるいは殺人に至らしめてしまった女の罪の意識」に変えて行きます。篠田正浩監督の名作映画「心中天網島」があり、日本伝統芸能でも人形浄瑠璃から歌舞伎まで広く親しまれているこのお話を、日本発のオペラとして書換えようとする場合、台本作家は単純にストーリーをなぞるだけではなく、「人間の本質」を突きたかったのかも知れません。遊女に走る亭主を支える「おさん」の姿は、現実性があるかどうかはともかくとして、日本人の美学にはマッチします。エロスからも無償の愛を発生しうる、これが日本の「愛」でした。一方で、西洋での「無償の愛」、いわゆるアガペーは、エロスとの対立概念(でしたよね、確か)ですから、それを混在させた「日本の愛」を世界的に理解してもらう事は難しい、ということが背景にあったのかもしれません。

 とにかく、台本作家としての久保摩耶子は、「心中天網島」を解体し、本人のいう「愛の共同体(ゲマインシャフト)対社会(ゲゼルシャフト)」へ視点を変化させることによって、この浄瑠璃を「自殺あるいは事故、もしくは殺人事件」を鍵の事件とする、心理劇に変貌させ、その結果として国際性を得ようとしたようです。登場人物は日本人ですし、台本は日本語、原作も日本の古典、舞台も日本、そして作曲家も日本人、更に申し上げれば、初演のスタッフ・キャストも全て日本人であったにもかかわらず、そこに描かれた音楽に余り日本を感じなかったのは、作曲家の意識がこのお話を日本ローカルからインターナショナルへ持っていきたかった、ことの表れではないかと思います。

 また、同様な意味で、そこでは意識して日本の音階を使用することを避けられているように聴きました。一方で、日本語に乗り難い音階の使用も避けているようで、冒頭の合唱を別にすれば、テキストが不明瞭になる所はなく、久保摩耶子が日本語をどう音楽に乗せるかという点について、十分配慮しているように思いました。

 先に述べたように、「おさん」の音楽はモザイクです。本質は調性を破壊した前衛音楽かとも思いますが、冒頭の合唱におけるジャズ的な響きから始まって、多彩な音楽技法が使われています。後半の死の色が濃くなってくると、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の偽物のような音色が聞こえるなど、ドイツ後期ロマン派との近しさも感じずにはいられません。その多彩さは、現代音楽の技法が一巡して、更に次の音楽技法を探さなければならない現代音楽家の苦悩や逡巡を示しているのかも知れないし、一つの規範で縛れない現代社会の新しいオペラは、そういった多彩な音楽技法の組み合わせでしか生きられない、という作曲者の意識なのかも知れません。

 しかしながら、このような音楽的特徴は、どんどん煮詰まってくるストーリーの変化に対する緩衝材になる一方で、集中が削がれる側面もあり、なかなか難しいもののようです。カーテンコールが比較的静かだったのは、観客の戸惑いを表しているように思いました。

 さて、「心中天網島」という日本の古典を「おさん」というインターナショナルなオペラに昇華させた時、そこに見えて来るのは愛のエゴイズムです。この愛のエゴイズムを表現するのに、粟国淳の演出は十分な効果をあげていました。彼は、演出のプランを「エッシャーのだまし絵」の手法を用いたと言っており、確かにその効果は十分に認められるのですが、それ以上に彼の意識は、「愛の孤独」、あるいは「愛の意識のずれ」に焦点が合っているようです。主役の三人は常に別の船にのっており、同じ船に乗るのは、第5場の小春のアパートの場面だけです。ここでは、治平と小春の意識が重なり合いますが、後のシーンは、全て「自分の愛」であって、相手は実体ではなく自分の印象に過ぎない、と言うことなのでしょう。従って相手は全て人形で表わされます。

 その典型が第10場であります。ここでは、おさん、治平、小春の三人がもみ合って小春が死亡するのですが、粟国の演出では、舞台に更に三つの小舞台を置き、それぞれにおさん、治平、小春を立たせます。彼らがもみ合うのは、互いの生身の人間ではなく、それぞれの小舞台に置かれた人形です。この断絶に、私は久保摩耶子の意図に対する粟国淳の回答を見ました。

 歌手は、皆立派でした。おさんの永吉伴子、治平の柴山昌宣、小春の森川栄子とも初演の主役として十分な歌唱をされていたと思います。特にタイトルロールの永吉は、終幕のモノローグで十分な存在感を示し、好ましく思いました。全体は明かに悲劇なのですが、その中で作曲者のユーモア感覚が示されたのが、第二幕冒頭の「飲み会の歌」。男声8人の重唱ですが、アカペラで始まり、オーケストラがのって盛りあがる様子は、歌の上手さも相俟って、無責任な世間を象徴するに十分な魅力があったと思います。

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鑑賞日:2005年3月3日
入場料:5150円 D4列7番

小劇場オペラ THE PIT OPERA#14

主催:新国立劇場

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
レオンカヴァッロ作曲「ザザ」(ZAZA)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
レンツォ・ビアンキによる新版

会場 新国立劇場・小劇場

スタッフ

指揮 服部譲二
管弦楽 新国立小劇場オペラ・アンサンブル
演出 恵川智美
美術・衣裳 荒田良
照明 成瀬一裕
舞台監督 村田健輔

出 演

ザザ 森田雅美
ミーリオ 樋口達哉
カスカール 今尾滋
クールトワ 清水宏樹
ビュッシー 藤田幸士
アナーイデ 加納悦子
ナタリーア 背戸裕子
フロリアーナ/
デュフレーヌ夫人
関真理子
アウグスト/
マルコ
大槻孝志
ダンサー達 野和田恵里
    小川耕筰
トトー・デュフレーヌ 亀井奈緒<子役>

感想

上演されなくなった理由 2005年03月03日 新国立劇場・小劇場オペラ レオンカヴァッロ「ザザ」を聴く

 レオンカヴァッロの代表作といえば「道化師」。私の好みの作品ではないのですが、まあ、名作であることを否定するものではありません。しかし、それ以外の作品となると全くと言っていいほど知られておらず、日本では昨年初演された「ボエーム」があるぐらいです。この「ザザ」も日本初演とは書かれておりませんが、私の調べた範囲では上演記録がない。私はもちろん初めて聴きます。

 ヨーロッパでもあまり上演される作品ではないようですが、その理由が、「作品の内容があまりにも現実的すぎるので、敬遠される為」だそうです。なお、お話は、「純愛の女性と、その女心を手玉にとる不倫男性」のお話です。念のため。しかし、不倫は申し上げるまでもなく古今東西の文学作品の主要テーマですし、オペラ作品だって、「リゴレット」、「道化師」、「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「ペレアスとメリザンド」、一寸考えればいくつも出てきます。そう思うと、上演されない理由が、オペラ関係者で「身につまされる人が多い」、と言うのは多分俗説でしょう。

 もちろんヴェリズモ作品ですが、「道化師」ほど露骨なパッションは感じられず、ずっとソフティケートざれています。マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「友人フリッツ」の関係で例えれば、「友人フリッツ」に位置する作品と言う感じです。ただし、作品の面白さと言う点では、「友人フリッツ」よりも、私は「ザザ」を採ります。「友人フリッツ」はしばしば上演されておりますので、「ザザ」が日本初演であるとすれば、なんとももったいない話です。

 上演は、それなりに充実していたものだったと思います。私は、6時40分には会場に入って、ぼんやりしていたのですが、50分ごろから、スタッフが舞台をトンテンカンと叩きはじめます。これも演出なのですね。このスタッフたち、本来のスタッフと登場人物とが両方おります。第一幕の舞台が、レヴュー劇場の舞台裏ですから、スタッフが歩いていてもおかしくない、ということで考えたのでしょうが、幕がない小劇場をうまく活用するために、舞台裏を見せようとする恵川智美のやり方、斬新だと思いました。この演出プランは、一貫していて、幕間になるともちろん本物のスタッフが活躍するのですが、登場人物も荷物運びとなるところ、面白く思いました。恵川智美が演出する小劇場オペラ、今度で3回目だと思いますが、毎回少ない予算の中で、見る人を楽しませる演出、感心いたします。

 もうひとつ演出で申し上げておかなければならないのは、各幕冒頭で演奏される間奏曲。ピアノとトランペット・ソロによるものですが、これがなかなか上手い。これにあわせて、男女の道化師二人によるパントマイムが踊られます。これは、「道化師」の、「衣装をつけろ」だったり、「道化芝居の触れの音楽」だったりするわけですが、これが、オリジナルのものなのか、「ザザ」が「道化師」につながることを示したかった恵川智美の演出なのかはもちろんわかりません。

 演奏もなかなか立派なもの。第一幕は全体が騒然としていて音楽に集中できなかったこと、また外題役の森田雅美ののどが本調子ではなかったことから、どうなることかと一寸心配したのですが、二幕以降は結構でした。特にほめるべきは、森田雅美でしょう。初めて聴く方ですが、スピントのかかったなかなか深みのある声で、後半は一幕の不調を挽回しておりました。男に裏切られた「大人の女」の女心を、凛とした姿勢で歌うところ、心情表現がなかなか達者で、結構だったと思います。

 ミーリオ役の樋口達哉もよい。以前から美声では買っておりましたが、歌の形式に対する意識が薄弱で、妙な歌い方をすることがあってそこが気になっていたのですが、声の出し方に我流の不自然なところが残っているものの、全体としては音楽の流れに棹ささなくなっており、結構だと思いました。ミーリオは、心の弱さが特徴の悪役ですが、その心の弱さが歌ににじみ出るところ、よかったと思います。本日一番の出来でした。

 今尾滋もよい。今尾は、何度か聴いておりますが、いつ聴いても目立たないけれどしっかりした歌を歌っていて好感を持ちます。今回も例外ではない。中音部にも魅力があるのですが、高音部もよく伸びて美声。また、ザザ、ミーリオという激しい役柄の間にあって、温厚な役柄ですから、本来でしたら、もっと目立たなくてもおかしくないのですが、しっかり存在感を出していたところも立派でした。

 ほかのメンバーでよかったのが、ザザの付き人役の背戸裕子。ザザの母親役の加納悦子は、私の好きなメゾ・ソプラノですが、今回は声の魅力をあまり感じられませんでした。また、加納は、ずいぶんコミカルな動きをしておりましたが、演出なのか、彼女の地なのか、後者だったら面白いですね。

 もう一人申し上げておかなければならないのは、子役の亀井奈緒。ザザが不倫相手の家に乗り込んだ時にあう、ミーリオの子供役です。台詞役で、一人日本語をしゃべります。大人は歌い、子供は台詞。大人はイタリア語で、子供は日本語、と言う関係は、作品を崩してしまう可能性があったと思いますが、実際は結構まとまってしまいます。最後にザザに求められてピアノを弾き、それにオーケストラも和して、ザザの歌がのっかるのですが、亀井奈緒のピアノ(易しいアヴェ・マリアでした)もしっかりしていて結構でした。どこかの劇団からつれてきたのでしょうが、ザザが不倫相手の妻に一部始終をぶちまけなかったことが当然、と思える程度の演技をしておりました。

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鑑賞日:2005年3月4日
入場料:D席 5000円 4F C3列15番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京二期会オペラ劇場公演

主催:(財)二期会オペラ振興会

オペラ2幕、台詞日本語、歌詞原語(ドイツ語)上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflote)
台本:エマヌエル・シカネーダー
日本語台本:実相寺昭雄

会場:新国立劇場・オペラ劇場

スタッフ

指 揮 下野 竜也
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 河原哲也
演 出 実相寺昭雄
装 置 唐見 博
衣 裳 加藤礼次
照 明 牛場賢二
振 付 馬場ひかり
舞台監督 幸泉浩司

出 演

弁者 多田羅迪夫
ザラストロ 黒木 純
夜の女王 飯田みち代
タミーノ 望月 哲也
パミーナ 井上ゆかり
パパゲーノ 萩原 潤
パパゲーナ 若槻 量子
モノスタトス 青柳 素晴
侍女1 悦田 比呂子
侍女2 渡邊 史
侍女3 橋本 恵子
童子1 中嶋 周子
童子2 瀧上 美保
童子3 前田 真木子
武士1 種井 靜夫
武士2 畠山 茂
僧侶1 福山 出
僧侶2 羽山 晃生

感想

日本発のエンターティメント-東京二期会オペラ劇場公演「魔笛」を聴く。

 私は、2000年2月の二期会「魔笛」を見ておりません。実相寺昭雄の演出で大いに評判になったことを聞き、行かれずに残念だったと思いました。私がオペラの実演を見るようになって20年を越え、その最初期から親しんできた作品が「魔笛」です。今までさまざまな上演を目にしてきましたが、演出と音楽とがどちらも納得の行く上演は、決して多くない。本来、魔笛は、シカネーダーが主宰していた劇団のために書かれたジングシュピーゲルで、一般庶民向けの歌芝居だったはずですが、それが時代がたつにつれて、演出家の自意識過剰でどんどん高尚になっていったような気がします。もっと庶民的なくだけた演出があってもいいな、と思っていました。

 申し上げるまでもないことですが、日本発の現代文化といえば、アニメとゲームです。私は、アニメもゲームもほとんど知らないので、表面的な知識しかないのですが、数年前、ニューヨークはブロードウェイのトイザらスに入ったら、日本発のキャラクター(例えばハロー・キティ、ポケモン)のおもちゃがたくさん売られているのを見て、その広がりを実感しました。このような文化は「サブカルチャー」と呼ばれる範疇で、「歌舞伎」、「能」こそが、日本文化だ、と信じている方にとってはなかなか支持しがたいことがあるかと思いますが、私は、それが実態である以上、その現実を直視しなければいけないと思います。

 一方でオペラは、ヨーロッパの文化を代表するもののひとつです。日本で本格的にオペラが上演されるようになり100年、その間日本ので製作されたオペラの水準はどんどん上がってまいりました。特に、指揮者や歌手のレベルの向上は著しく、私見では、日本のトップ歌手の何人かは、十分に世界の水準にあると申し上げてよい。しかしながら、演出はまだまだです。少なくとも、日本発の演出が国際的に評価されたのは、浅利慶太の「蝶々夫人」の演出が唯一でしょう。そう思うと、日本人演出家の演出で海外に発信していくためにはどうして行ったらよいか、ということをもっと考えていくべきなのでしょう。

 今回の実相寺昭雄演出の「魔笛」は、上述の「庶民的なくだけた演出」であること、「日本のサブカルチャーを踏まえていること」の二点から、「日本人演出家の演出で海外に発信していく」方法のひとつの提案となっており、私は大変面白いと思いました。ただし、今回の上演は、台詞部分が日本語で、その台詞にはそうとうきわどいものがあり、それがあるゆえに更に面白くなっている、という側面がありますので、現実に海外に持っていくとなると、そこの対応が難しいだろうな、とも感じました。なお、私は、日本で上演するオペラは、歌は原語、台詞を日本語でやったほうがよいという考えの持ち主ですが、今回は、それをやったことで、お話がわかりやすくなり、また登場人物のキャラクターがより鮮明となったという利点がはっきり示されました。

 サブカルチャー的面で、一番典型的に示されたのが衣装です。デザインは漫画家の加藤礼次朗によるもの。いかにも漫画的発想でビジュアルにも面白いものでした。タミーノはどう見ても日本の若武者ですし、パミーナはロールプレーイングゲームのお姫様。夜の女王も漫画的にみればぴったりの衣装でした。モノスタトスは朱色の軍服にマント、頭はパンクロッカーのように逆立てています。モノスタトスの手下たちは、赤い軍服ですが、その動き方は、「仮面ライダー」のショッカーを彷彿とさせます。特に感心したのはパパゲーノの衣装。宇宙服のような衣装で、手には粉を噴出すショットガンを抱えています。この粉は催眠ガスらしいのですが、完全にSFの乗りでした。尚、冒頭の大蛇は蒸気機関車。岡蒸気のイメージだそうです。これまたメカニック。

 「魔笛」をひとつのドラマとしてみたとき、一番面白かったのもパパゲーノ。ぼろぼろの宇宙服を着ていても、中身は天衣無縫の自然児です。萩原潤のパパゲーノは、この自然児たる特徴を上手く出していて秀逸。今回歌はあまり歌わなかったのですが、このパパゲーノと絡むのが僧侶2の羽山晃生。羽山は歌を歌ってもなかなかのテノールですが、今回のようにほとんど歌わなくてもその存在感が抜群で、面白かったです。

 以上、日本のサブカルチャーを下敷きにした演出は、ある意味徹底していて、大いに楽しめました。ついでに追加すると、「パパパ」では、パパゲーノとパパゲーナはラジオ体操をやってしまいますし、魔笛に踊る森の動物は、前回同様円谷プロダクションの怪獣たちです。

 一方、音楽はどうだったか。これは正直申し上げれば今ひとつ。下野竜也は最近注目の若手指揮者ですが、これだけの演出を超えられる音楽を示しえたか、という点になるとはなはだ疑問です。もちろん悪くはないのですが、演出の邪魔にならない程度には演奏していたな、という程度でしょう。もちろん、これは、オペラの才能をしっかり示している、ということの裏返しかも知れません。東京フィルの演奏もホルンがずいぶんこけていたことを含め、それほど高く評価できるものではなかったのではないかとも思いますが、滑らかな音色はもちろん悪いものではありません。

 歌い手で評価したいのは、パミーナ・井上ゆかりとタミーノ・望月哲也。パミーナは、昨年9月の藤原歌劇団「カルメン」でミカエラを歌い感心させられた歌手ですが、前回ほどではないにせよ今回も好調。前回のミカエラよりも踏み込んだ表現をしていたように思いますが、結果としてはクリアーとはいいかねる部分があったように思います。あの衣装と歌が若干ミスマッチだったのかな、と思います。望月も美声で秀逸。こちらは、登場のシーンから、「何と美しい絵姿」をへて、フィナーレにいたるまで、凛々しい若侍姿といい、好調な歌といい、本日ナンバーワンのできでした。

 この二人を除くと音楽的に評価できる人は、あまりいなかったように思います。3人の童子やパパゲーナはよかったと思いますが、登場時間が限られていますので。まず、夜の女王・飯田みち代が不調。音程はきちっと取れていたようですが、テンポも音色も音量も今ひとつ。登場のアリアである「恐れおののかなくてもいいのです」がまず駄目。夜の女王の威厳を全く表現できておらず、残念でした。第2幕の「復讐の心は、地獄のように」は、前半がんばって復調したのか、と喜んだのですが、最後は尻切れとんぼになってしまい不満です。対抗するザラストロ・黒木純も低音のコントロールが今ひとつで、また重厚さの出し方も中途半端で、もう少し何とかならないものかと思いました。

 3人の侍女もハーモニーは悪くないのですが、ソロになると今ひとつ力が乗りません。低音部を受け持った橋本恵子はよかったと思いますが。パパゲーノ・萩原潤も抜群の演技力で大いに笑わせていただきましたが、こと「歌」となると今ひとつと申し上げざるを得ません。「おいらは鳥刺し」にしても「恋人か女房がいれば」にしても、愉悦感はあるのですが、技術的にはもう少し洗練してほしいと思いました。

 以上、音楽的には高く評価できる演奏ではなかった、と思うのですが、だからと言って、つまらなかったか、と言えば全然そんなことはない。やっぱり面白かったです。舞台の上で演じている人がみな楽しんでいたのがわかったのもよかったですし、おもちゃ箱をひっくり返したような演出だったにもかかわらず、音楽の流れが自然だったのもよかったと思います。 

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鑑賞日:2005年3月11日
入場料:2850円 2F 2列19番

新国立劇場オペラ研修所 研修公演

主催:新国立劇場オペラ研修所

オペラ2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovannni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:新国立劇場・中劇場

スタッフ

指 揮 フォルカー・レニッケ
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 バーナード・マクドナルド
演 出 マイケル・マカフェリー
美 術 マイケル・マカフェリー
照 明 八木 麻紀
舞台監督 岸本 多加志

出 演

ドン・ジョヴァンニ 与那城 敬(5期生)
レポレッロ デイヴィッド・ベタード(賛助出演)
ドンナ・アンナ 吉田 恭子(賛助出演)
ドンナ・エルヴィラ 小川 里美(6期生)
ドン・オッターヴィオ 岡田 尚之(6期生)
ツェルリーナ 鈴木 愛美(7期生)
マゼット 河野 知久(7期生)
騎士長 長谷川 顕(賛助出演)

感想

今年はやや期待はずれ-新国立劇場オペラ研修所研修公演「ドン・ジョヴァンニ」を聴く。

 新国立劇場オペラ研修所の研修公演を毎年楽しみにしています。といっても、私が行きだして3回目ですが。私が気に入っているところは、いくつもあります。まず第一に、若い歌手の溌剌とした歌声を聴くことができる。第二に、若い歌手の成長を見ることができる。第三に、音楽的水準は決して低くない。第四に入場料が安い。昨年は一人1500円でした。わずか1500円で、これだけのことが楽しめるのでしたら、そのコスト・パフォーマンスは抜群であると申し上げるべきでしょう。今年も楽しみに出かけました。しかしながら、独立行政法人である新国立劇場も経営的に苦しいのかもしれません。本年は、昨年1500円の入場料が3000円と2倍に値上がりしておりました。もちろん3000円でも十分に安いのですが、そのアップ分だけでもより楽しめるといいなあ、と思いながら出かけました。

 しかしながら、本年はやや期待はずれと申し上げざるをえません。若い歌手の演奏ですから、技術的課題がみえるのは仕方がないことだと思いますが、それ以上に音楽としての面白みに欠ける、と思いました。その責任は、まず指揮のフォルカー・レニッケが持つべきでしょう。とにかく中途半端な音楽です。レニッケは、長年国立音楽大学の教授を務め、毎年大学院オペラの指揮を行ってきました。国立音大の大学院オペラはモーツァルトのダ・ポンテ3部作を毎年交代で上演していますから、それだけでも「ドン・ジョヴァンニ」の演奏経験は数多いと思うのですが、モーツァルトに対する意識が非常に古いか、もしくは何も考えていないのか、聴いていて楽しくないのです。

 「ドン・ジョヴァンニ」は非常にドラマティックな作品ですから、ドラマティックな表現に重点をおいて演奏するとか、モーツァルトの音楽的特徴である「かろ味」をしっかり出していく、とか方向性はいろいろあると思うのですが、そのような特徴がはっきりしないのです。全般にもやっとした鈍重な音楽で溌剌としない。ドン・ジョヴァンニを若い男性として描いている今回の演出から行けば、ロココ的なすっきりとした演奏が似合うと思うのですが、それとは正反対と申し上げてよいでしょう。「カタログの歌」の伴奏も重くて愉悦感に欠けますし、「薬屋の歌」あたりでもすっきりしない。とにかく眠くなるだけでした。オーケストラは新日フィルですから悪いものではなかったのですが、全体的に緊張感の欠けた演奏で、金管のポカはずいぶんありました。

 そういう指揮の元での演奏ですから、歌唱だけ良いというわけにはなかなかいかないとは思いますが、歌唱も全体的に今ひとつと申し上げます。全体的にいえば、男高女低の歌で、特に女声陣は、私にとって納得行かない歌唱でした。

 吉田恭子は昨年の東京二期会「ドン・ジョヴァンニ」でドンナ・アンナを歌ったソプラノだそうですが、本日は不調。とにかく声に厚み・深みが感じられないです。第1幕、第2幕ともドラマティックな内容を持つアリアを歌うわけですが、どちらも歌の掘りが今ひとつ浅くて表面的な歌唱に終わっており、ドンナ・アンナの心のゆれを感じることができず残念でした。声の飛び方も悪く、中劇場でこの程度の歌で、東京文化会館できちんと歌えたのかしらと心配になるほどでした。

 ドンナ・エルヴィラ役の小川里美も今ひとつ。もともとメゾ・ソプラノで高音が出ないのは仕方がないとしても、声に厚みがないのはやはり残念です。全般的に声量が足りず、舞台の前のほうで歌うときはまだしも、二幕の冒頭、第15曲のドン・ジョヴァンニ、レポレッロとの3重唱のように、舞台の奥で歌うと、声が飛んでこないので距離が特に長く感じます。歌唱技術はそれほど悪いとは思わなかったのですが、スピントの利いた声で歌うエルヴィラを聴きなれている聴き手にとっては、欲求不満になる歌声でした。

 ツェルリーナ役の鈴木愛美も不満です。可愛らしい顔立ちで、ツェルリーナにぴったりなのソプラノですが、歌は密度の薄いもので今ひとつ。「誘惑の二重唱」における歌唱も、「ぶってよ、マゼット」も、「薬屋の歌」もとりあえず歌えているのですが、声に余裕がなくいっぱいいっぱいだな、というのがはっきり見えました。鈴木はオペラ研修所の1年生ですから、身体が更に成長して、もっと歌えるようになるのを期待したいと思います。

 男声陣は、女声陣ほどは問題が表面に出てきませんが、だからと言って問題がなかったわけではありません。ドン・オッターヴィオ役の岡田尚之がまず評価できない。この役は、レジェーロ・テノールに歌われると最も映える役柄ですが、岡田自身がそこまで軽い声のテノールでないところが問題です。もちろん、声の質的な問題を技術でカヴァーできればかまわないのですが、そこも今ひとつ。例えば第21曲のアリア。この曲が難しい曲であることはわかりますが、たどたどしい歌になっており、上手な方で聴けばテノールを聴く醍醐味が味わえる曲が、その魅力を完全に消しておりました。

 タイトル・ロールの与那城敬が一人気を吐いていた、というのが本当のところでしょう。学生陣の中では彼が一番よかったです。ヴィジュアルにはなかなかの二枚目でかつ若々しく、歌もそれなりで、まずは合格点をあげるべきでしょう。ただ、彼も若いせいか、ドン・ジョヴァンニというキャラクターを十分に表現しえたか、という点になると問題が残ります。まず、色気が足りない。力のあるドン・ジョヴァンニが歌うと、「誘惑の二重唱」でツェルリーナが誘惑されるのも無理はないな、と観客も納得するのですが、与那城のレベルでは、ツェルリーナがドン・ジョヴァンニに惹かれる理由が見えてこない。「セレナード」も同様。もちろん合格の歌なのですが、色気に欠けます。そのあたりが今後の課題でしょう。

 賛助出演のレポレッロ役、ディヴィッド・ベタードは悪くない。もっとおかしみの感じられるレポレッロならば尚よかったのですが、ベースの音楽自体が愉悦感の感じられないものでしたから、それを彼のせいにするのはフェアでないと思います。最もよかったのが、長谷川顕の騎士長。さすがベテランです。彼の声を聴くと、学生たちの不安定な声を聴いて不安になっていた心が安心します。歌いなれていることがわかる歌で、プロと学生の違いをはっきりと示していました。  

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