オペラに行って参りました−2004年(その1)−

目次

2004年 1月 9日 「フリン伝習録」(レハール 「メリー・ウィドウ」による)
2004年 1月13日 フェニーチェ・サロンコンサート Vol.8 高橋薫子
2004年 1月16日 ヴェルディ「椿姫」
2004年 1月30日 間宮芳生「鳴神」/清水脩「俊寛」
2004年 2月 5日 プッチーニ「外套」
2004年 2月11日 ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」
2004年 2月18日 「スペインの燦き」(ラヴェル〜バレエとオペラによる〜)
2004年 2月20日 リヒャルト・シュトラウス「エジプトのヘレナ」
2004年 3月 1日 ヨハン・シュトラウス「こうもり」
2004年 3月 4日 リヒャルト・シュトラウス「サロメ」
2004年 3月11日 ロッシーニ「アルジェのイタリア女」
2004年 3月19日 リヒャルト・シュトラウス「カプリッチォ」

どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
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オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2004年1月9日
入場料:S席 7000円 1F 7列2番

主催:東京オペラ・シティ

東京オペラシティ2004ニューイヤー・ジャズ・オペレッタ

3幕・初演・超演奏会形式
「フリン伝習録」〜レハールの《メリー・ウィドウ》による

作/脚本/演出:筒井康隆
編曲:栗山和樹

会場 東京オペラシティ・コンサートホール

指 揮:茂木大輔  管弦楽:東京フリンハーモニー室内管弦楽団

音楽/ピアノ:山下洋輔

出演者

ハンナ/ヴァラン/オルガ 森 麻季
シルビア 佐々木弐奈
ダニロ/カミーユ/ブリオ 大野 徹也
カスカダ/ヴェロ 小川 裕二
ロウドク/ツェタ 筒井 康隆

感想

 思うに、このコンサートは、私が出かけるべきコンサートではありませんでした。正直なところ、私にとって時間とお金の無駄遣いでした。面白いかもしれないという勘を働かせて出かけたのですが、ほとんど楽しむことが出来ず、寧ろ聴いていて苦痛でした。だったら、途中で帰ってくれば良かったのですが、根が貧乏症のせいか結局全部聴いてしまいました。

 私が一番驚いたのは、会場に入ると、眼の前に大きなスピーカーが置いてあることでした。また、山下洋輔のピアノには、2本のマイクが突っ込んであり、そのほか舞台のオーケストラのところどころにもマイクが仕込んであった様です。ホールの後にはミキサーがいて、マイクから拾われた音を平気で変調して流します。その結果として、オーケストラや歌手の直接届く声と、スピーカーから流れる操作された音とが一緒に耳に入るものですから、音の位相が歪んでいて、聴き心地が悪いことこのうえない。私は、電気的増幅を100%否定するものではないのですが、比較的音響の良い東京オペラシティ・コンサートホールで、かつ、それなりの実力者が登場するコンサートで、音に人工的な操作を加えることは、本当に愚かしいことだと思います。

 この作品は、筒井康隆が「メリー・ウィドウ」のお話を下地にして、舞台を現代日本のK大学医学部において書いた台本(2003年11月「文学界」に掲載)に、「メリー・ウィドウ」の音楽を自由に貼りつけて、あるいは、それ以外の音楽を持ってきて組み合せたミュージカルなのですが、今回は、音楽以外の部分は、役者を使わずに、筒井が皆、自作を朗読して繋ぐと言う形をとっておりました。この筒井の朗読が聴きにくい。話の内容も音楽もすっちゃかめっちゃかのドタバタ喜劇なのですから、もっと軽妙に語った方がよいかと思うのですが重たい。所詮は素人の旦那芸と申し上げるべきでしょう。

 また、演奏会形式というのもどうかです。この作品は、半分ぐらいが台詞で繋がれる作品の様で、お話の全体観は舞台を見ないとわからないようです。私は、「超演奏会形式、演出:筒井康隆」という言葉にだまされ、踊り子たちが登場するのか、などと期待しておりましたが、それもなく、要するに普通のコンサート形式だった、ということです(PAの過剰使用が、「超」の意味ならば、それはそうなのですが)。また、聴き手にも問題があったと思うのですが、オペレッタを楽しませようという気概が製作側にない。オペレッタのお約束である、「拍手が多い場合は、その場でアンコール」もなかったし、会場の戸惑い気味の観客を乗せようとする技術も戦略もなかったと申し上げるべきでしょう。フィナーレは、原曲の「女・女・女」の7重唱をもじった「フリンのマーチ」でしたが、これを会場の人に歌わせようとしても、それまでに観客を乗せていないのですから歌うわけがない。 

 そんな訳で,このコンサート、企画と製作と、演出に関しては0点で、全く評価出来ないものでした。

 一方、演奏自身は、決して悪いものではありませんでした。弦が4-3-2-2-1という小編成、管も原則1本、総勢24人の臨時編成のオーケストラですが、演奏メンバーは茂木人脈で集めたようで、N響中心の名手揃いです。コンサートミストレスが、東京モーツァルト・プレイヤーズの佐分利(ブは人偏に分が正しい)恭子でそれに磯絵里子らが加わります。ハープは、篠崎史子。そして、N響メンバーは、ヴィオラの谷口真弓、チェロの藤村俊介、フルートの神田寛明、クラリネットの加藤明久、ファゴットの井上俊次、トランペットの佛坂咲千生、打楽器の植松透と竹島悟史と、全体の3分の1。

 指揮の茂木大輔はジャズとのフィーリングが合う方で、指揮も軽妙、音楽もスウィングしておりました。所どころに挟まれる、フリーセッションは、聴きごたえがある部分が多かったです。ドラムスの宮地良幸と山下洋輔の掛け合いは勿論よかったし、サクソフォンの平野公崇の技術も大したものでした。サックスとクラリネットの掛け合いや、竹島のマリンバや植松タンバリンのパフォーマンスも見応えありました。

 歌手は、彼らの実力から見れば当然のレベル。森麻季は聴く度に巧拙の分かれる歌手ですが、今回は「拙」、声がスピーカーからは聞こえてくるのですが、ご本人からはきこえてこない。ソプラノの技量を示す高音も、音程はしっかりとしているのですが、声が飛んで来ないので、インパクトに乏しかったです。佐々木弐奈は、歌って踊れる方なのですが、踊りがないと魅力が半減といったところでしょう。男声陣も同様。歌手に関しては、練習の成果を示すというよりは、自分達のベースのレベルを示したということなのでしょう。

 この中で比較的面白かったのは、大野徹也です。大野はジャズがお好きらしく、他のセッションを楽しんでいらしたようですし、、ジャズバラードである「ダニロのバラード」を、直接のマイク無しに布施明張りに歌い上げて見せました。大野といえば、ドイツものが得意なオペラ歌手というイメージが強かったので、これは一寸意外な発見でした。

 ニ幕と三幕との間に入った、山下洋輔作曲のジャズ・ピアノ・コンチェルト「ラプソディー・イン・F」は、プロコフィエフ風のモダニズム音楽で、かつジャズの雰囲気が一杯詰まっていてなかなか楽しめました。

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鑑賞日:2004年1月13日
入場料:自由席 4000円

主催:ラ・ムジカ・フェニーチェ

フェニーチェ・サロンコンサート vol.8

高橋 薫子

-ミューズに祝された愛らしい歌姫-

会場:大田区民ホールアプリコ・小ホール

出演:高橋 薫子(ソプラノ)
   牧口 純子(ピアノ)

プログラム 

デッラックァ  ヴィラネル
フォーレ  月の光
   夢のあとに
グノー  歌劇「ロミオとジュリエット」より、「私は夢に生きたい」
平井康三郎  ゆりかご
中田 喜直  たんぽぽ
   悲しくなったときは
   むこうむこう
草川 信(岩河智子編曲)  ゆりかごの歌
休憩
ロッシーニ  約束
   フィレンツェの花売り娘
ドニゼッティ  歌劇「ランメルモールのルチア」より、「あたりは沈黙に閉ざされ」
ベッリーニ  歌劇「夢遊病の女」より、「ああ、信じられないわ〜ああ、最高にうれしいの」

感想

 ラ・ムジカ・フェニーチェがどのような団体かは全く知らなかったのですが、大田区で、2001年ごろから活動しているグループのようです。年に2から3回、いろいろな歌手を招いてリサイタルをする。これまで出演したのが、上原正敏、佐々木典子、谷友博、寺谷千枝子、持木弘、栗本尊子、勝部太の7名で、今回が高橋薫子です。

 会場は大田区民ホール・アプリコの地下小ホール。170平方メートルの空間に、折りたたみ椅子を180脚程度並べたところです。収容人員が少ないせいもあって、切符は完売。当日券を求めて行った私は、スタッフの方の特別な配慮で入場させて頂きました。

 リサイタルは自分の良さ、特徴をアピールするものですから、悪い訳はないのですが、彼女自身の調子は絶好調という訳ではなく、7分位ではなかったでしょうか。高橋薫子は「ヴィラネル」をよくとりあげるのですが、調子のよい時の高橋は、この技巧的な歌を軽々と歌い上げます。今回の彼女の「ヴィラネル」は、一寸重たく、完成度も今一つでした。

 一方、最近の彼女は、中声領域の充実が素晴らしく、そこに魅力のある作品は映えます。フォーレの2曲は、彼女の中音域の魅力を知るためには絶好の選択肢の様に思います。そして、この2曲は、正に素晴らしい演奏でした。「夢のあとに」の情感溢れる歌が特によかったと思います。

 「ジュリエットのアリア」は、昨年の藤原公演を彷彿とさせる歌でした。次いでの日本歌曲は、ビブラートに頼らない、且つ母音をしっかり響かせる歌で、歌詞が明確に聞こえてよかったと思います。特に「悲しくなったときは」、「ゆりかごの歌」が良かったです。

 後半のロッシーニは、CD録音もしているお得意の曲。CD録音時期より数年経ち、円熟味を増し、よりまろやかな演奏になった印象でした。そして、最後に「ルチア」の登場のアリアと「夢遊病の女」のフィナーレのアリア。どちらも高音部で僅かな傷が認められ、完璧な歌唱ではなかったのですが、共に立派な、登場人物の存在感を示す歌唱でした。特に「夢遊病の女」は、カヴァティーナとカバレッタとの対比が明確な表現で、ヒロイン・アミーナの心の変化を的確にとらえている様に思われました。

 アンコールは3曲、プッチーニの「私のお父さん」、イタリア古典歌曲、そして「七つの子」でした。どれも素晴らしいものでしたが、ことに「私のお父さん」を買います。

 高橋さんは、元来高音が響くタイプの歌手ではなく、中音部の正確な音程と細やかな表情、そしてアジリダの切れ、と云った技巧に魅力のある方なのですが、最近より高音よりも中音部に魅力が増してまいりました。このような変化は、必ずしもベルカント・オペラのアリアを歌うためには喜ばしい変化ではないと思うのですが、それでもベルカントの難易度の高いアリアを二曲続けて歌って見せ、そしてそれなりに聴かせる所に、彼女のソプラノとしての意地を感じます。また、会場は狭い所で、ほぼ最後列で聴いていた私の耳にもビンビン響きます。決して広いと言えないホールでも全力で歌唱する姿もまた、「ソプラノの意地」なのでしょう。

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鑑賞日:2004年1月16日
入場料:B席 9000円 3F 2列16番

平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業

第14回藤原歌劇団 ニューイヤー・スペシャルオペラ

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会 場 オーチャード・ホール

指 揮:ジュリアーノ・カレッラ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮:及川 貢  合唱:藤原歌劇団合唱部
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団
演 出:ペッペ・デ・トマージ  美 術:フェッルッチョ・ヴィッラグロッシ
衣 装:ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ  照明:奥畑 康夫
振 付:鈴木稔  舞台監督:斎藤 美穂

出演者

ヴィオレッタ マリア・コスタンツァ・ノチェンティーニ
アルフレード サルバドール・カルボ
ジェルモン 堀内 康雄
フローラ 永田 直美
ガストン 持木 弘
ドゥフォール 彭 康亮
ドビニー 柿沼 伸美
グランヴィル 久保田 真澄
アンニーナ 竹村 佳子
ジュゼッペ 真野 郁夫
使者 石井 敏郎
召使 坂本 伸司

感想

 「椿姫」と言えば、私にとっては、藤原歌劇団のニューイヤーオペラ。もう14回だそうです。私にとって、「これがないと正月が来たような気がしない」とまでは申しませんが、このように、毎年ほぼ同じ時期に同じ演目をかけてくれると、それは一つの季節感になって行きます。大変結構なことだと思います。一方、それだけに、年によって感銘度にずれが出る。毎年同じと言うわけにはまいりません。本年の演奏は、私にとっては満足行くものではありませんでした。細々と解析的に聴いて行くと、各人ミスを出しながらも、そう致命的なものは無かったように思うのですが、全体としては求心力の無い演奏でした。

 多分指揮者の責任なのでしょう。指揮姿や紡ぎ出される音楽が取りたてて悪いということは決してないのですが、どこか踏み込みが足りないのでしょうね。「椿姫」の音楽の持つ切実さに、どのように切りこもうとしていくのかが示せない。だから、ここぞと言うところで、音楽的真実が示せない。「椿姫」の真の聴き所は、第2幕第1場のヴィオレッタとジェルモンの二重唱ですが、ここで、ヴィオレッタの心情とジェルモンの心情がぶつかり合って上手く重なる時、極めて緊迫した名場面となります。私は、ここでのノチェンティーニの表現も堀内康雄の表現も決して悪いものではなく、最上ではないにしろ、「椿姫」を楽しむには十分のレベルにあったとおもうのですが、この場面全体としては、ベクトルが重ならない散漫なもので終りました。残念でなりません。

 これは一例に過ぎません。個別に見て行けば、決して悪いと言うほどではないのですが、全体でみると通り一遍の演奏で、感心も感動も出来ないものでした。今回のペッペ・デ・トマージの演出も、私の好みではない。この演出は、98、99、2000年の「椿姫」の演出によるそうですが、ヴィオレッタの衣装も、舞台装置も、歌手達の動きも多分相当変更が加えられています。私は98年の演出も2000年のもなかなか気に入っていたのですが、色々と手を加えた結果、却って悪くなったと言う気がするのです。一番気に入らないのが三幕でのヴィオレッタの動かし方。肺病で死にかけている病人が、あんなにストレートに動けるのか、あるいは動かすのが適切な演出か、と考えると私には結構興ざめでした。

 そういうベースの元での歌手陣ですから、どこかパッとしない。外題役のノチェンティーニは、ズリ上がりが時々見られる、であるとか、音程を必ずしも正確に取らない部分がある、など決して精緻な歌唱ではなかったのですが、基本的には音程が正確で声も飛び、「椿姫」の不幸に見合った演技も十分で、それなりに評価されなければならないでしょう。少なくても昨年のボンファデッリよりはマシな歌唱でした。過去の出演作をみるとソプラノ・レジェーロのようですが、「ああ、そは彼のひとか〜花から花へ」は、正確ではありましたが、一寸くすんでいて華やかさに欠けていたように思います。第三幕は病人を感じさせない歌唱で、これはこれでどうかと思います。結果として、ニ幕が一番良かったように思います。

 アルフレード役のカルボ。はっきりと申し上げれば、これからの方です。「乾杯の歌」は、声が飛ばず華やかさに足りない演奏でしたし、その後は立ち直ったものの、アルフレードの味わいを出すには一寸貫禄不足のようにも思います。堀内ジェルモンは決して悪い演奏では無かったのですが、声の飛び方が今一つ。一昨年のニューイヤーオペラの際に演じたジェルモンと比較すると、前回の方がずっと魅力的な声と演技だったと思います。

 他の脇役陣は、いつもの藤原メンバーで手堅い歌唱だったと思います。一つ指摘するなら,永田直美のフローラが必ずしも完調ではなかったぐらいでしょうか。

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鑑賞日:2004年1月30日
入場料:C席 2835円 4F 2列42番

平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業

主催:新国立劇場/(財)二期会オペラ振興会

オペラ1幕・字幕付原語(日本語)上演
間宮芳生作曲「鳴神」
台本:間宮芳生

オペラ1幕・字幕付原語(日本語)上演
清水脩作曲「俊寛」
台本:岡本一彦/清水脩

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:秋山 和慶  管弦楽:東京交響楽団
合唱指揮:三澤 洋史  合 唱:新国立劇場合唱団
演 出:市川團十郎  美 術:中嶋 正留
衣 装:花井 幸子  照 明:磯野 睦
所作指導:市川 紅梅  演出補:平尾 力哉
舞台監督:菅原多敢弘

出演者

鳴神    
鳴神上人 福島 明也
雲の絶間姫 佐々木典子
白雲坊 経種 廉彦
黒雲坊 松本 進
鳴物 望月太三郎
俊寛    
法勝寺執行俊寛 直野 資
丹波少将成経 井ノ上了吏
平判官入道康頼 鹿野 由之
丹左衛門基康 星 洋二

感想

 今だかつて、「歌舞伎」というものを一度も見たことがありません。正直申し上げると、興味もあまりない。一度歌舞伎座の入場券を頂いたことがあるのですが、そのチケットも別の方に差し上げて、自分では見にいきませんでした。それでも、日本芸能において「歌舞伎」が非常に重要なジャンルであることはよく知っているつもりですし、「十八番」であるとか「二枚目」という言葉が歌舞伎発祥であるとか、「白波五人男」の口上の一部ならば言えてしまうとか、そう思うと、歌舞伎が日本人に根を下ろしている程度はオペラの比ではないようです。

 日本発のオペラが歌舞伎に題材を取るのはごく自然なことで、歌舞伎十八番の一つ「鳴神」がオペラ化されるのは、一見高尚なようで実は下世話な題材をよく取り上げるオペラというジャンルにとっては、これまたごく自然なことだったろうと思います。ただ、それが「歌舞伎」を強く意識した形で纏めるのが良いのか、それとも歌舞伎とは離れた自由な発想で纏めればよいのか、という所になるとよく分かりません。間宮芳生は、どうも歌舞伎を強く意識してまとめたようで、また、今回の演出が歌舞伎の大看板・市川団十郎、と言うことになれば、歌舞伎がベースにあるオペラであることをより意識せずにはいられません。

 そういうオペラをどう演奏するのがよいのか、ということに私は明確な意見があるわけではないのですが、今回の上演を見る限り、恐らく未だ見ぬ歌舞伎「鳴神」の方が、楽しめるのではないかという気がします。演奏がオペラともつかず、歌舞伎ともつかぬ部分がどうもバランスが取り難い所です。

 これは登場人物の方も感じておられたのではないでしょうか?福島明也も佐々木典子も彼らの本来のフィールドであるドイツオペラの時から比較すると、声の出し方も慎重であったように思いますし、そのせいか「声」では「決め」が決らない感じが致しました。日本語が聴き難くも無いし、それぞれ技術もあったとは思うのですが、このオペラについて、ご自身の血肉として完全に消化出来ていない、どこか戸惑いながら歌っているという風に感じました。そのためか少なくとも私は、舞台の中に引き込まれていくまでには至りませんでした。戸惑いという意味では、鳴神上人が雲の絶間姫の胸元に手を突っ込むシーンで、福島明也の隈取をした顔の微妙な戸惑いの表情変化が可笑しかったです。一方、経種廉彦、松本進の二人は、歌う場面が無かったようですが、台詞廻しをよく検討されたようで、本物の俳優ほどではないにせよ、それなりに聴きごたえがあったと思います。

 そうすると、一番良かったのは望月太三郎の鳴物、ということになります。オーケストラボックスの一番後で、拍子を入れていく役目ですが、この一声で舞台がぐっと引き締まりました。

 「俊寛」は「鳴神」よりはずっと普通のオペラで、そのため、ザルツブルグ・オペラ賞コンクールでは入賞出来なかったのでしょうが、私はこちらの方が楽しむことが出来ました。この「俊寛」というオペラ作品を私ははじめて耳にしたのですが、子供の頃から「平家物語」に親しみ(本物ではありません。、子供向きにリライトしたもの)、「足摺」の章も印象深く感じていた私にとって、内容は直ぐに入っていけるものでした。こういうところが日本ものを題材にした作品の強みですね。

 上演はなかなか素晴らしいものでしたが、それは、主人公「俊寛」を演じた直野資の表現力がまず大きく貢献していたものと思います。前半の俊寛の諦めの気持ちの中にも抑えられない望郷の念と妻あずまやヘノ思慕の念と、後半の妻の死を知り、そして同じ咎にもかかわらず、自分だけ鬼界ヶ島に残らなければならない絶望、そのわずかな差異を上手く表現して、前半と後半の対比を示しておりました。

 井ノ上了吏の少将も良かったです。井ノ上は声の甘さに特徴のあるテノーレ・リリコですが、女声のないこのオペラの最高音を受持つのには適切なのだろうと納得行かせる歌でした。元々明るい話では無いし、また明るい部分があるわけでもないのですが、井ノ上の声があることにより、オペラ全体の色合いが違ってきたと思いますし、俊寛の絶望の深さを浮きあがらせる上でも効果的でした。

 鹿野章人のバスもそう。ソロはなかったようですが、井ノ上のテノールと鹿野のバスが、上手く直野のバリトンを上下から直野のバリトンを支えてる構図が感じられました。よかったと思います。

 「鳴神」、「俊寛」を通して、秋山和慶/東京交響楽団も頑張ったと思います。どちらも日本的響きが意識の中にあって、メロディーが前面に出る作品ではないですが、打楽器群の頑張り、低音楽器群の下支えがよかったように思いました。

 市川團十郎の演出、相当ブーを貰っていましたが、私はあれはあれで良かったと思っています。歌舞伎を相当意識した演出だと思いますが、そのせいか西洋オペラを見なれた目からみると、舞台装置が安っぽく見えるということはあります。しかし、なにも日本オペラを油絵で表現する必要は全くないわけで、日本画の世界で表現するのは当然選択肢の一つでしょう。そういう日本伝統を意識した演出は、歌舞伎とオペラの関係を考える上でも興味深いものでした。

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鑑賞日:2004年2月5日
入場料:3780円 C5列7番

小劇場オペラ#12

主催:新国立劇場

オペラ1幕・字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「外套」(Il Tabarro)
台本:ジュゼッペ・アダミ

会 場 新国立劇場小劇場

指 揮:神田 慶一  管弦楽:新国立小劇場オペラ・アンサンブル
合唱指揮:寺川 信男  合 唱:新国立小劇場合唱団
演 出:粟國 淳  装 置:横田あつみ
衣 装:増田 恵美  照 明:大島 祐夫
舞台監督:大仁田 雅彦

出演者

ミケーレ 大久保 真
ジョルジェッタ 木下 美穂子
ルイージ 水口 聡
タルバ 峰 茂樹
フルーゴラ 加納 里美
ティンカ 加茂下 稔
流しの歌唄い 松永 国和

感想

 プッチーニの「三部作」は、三作同時に上演されることに意味があると思うのですが、日本では滅多に三部作を同じ上演することがありません。それぞればらばらに上演されるとき、一番よく上演されるのが「ジャンニ・スキッキ」、次いで「修道女アンジェリカ」、「外套」はほとんど上演されません。私は、これまで「ジャンニ・スキッキ」と「修道女アンジェリカ」の実演を見たことがあるのですが、「外套」は本日が初めてでした。「外套」は、ダンテ「神曲」の「地獄編」に対応するものだそうですが、内容は中年男の嫉妬で、救いの感じられないものです。

 でも、上演自身は結構なものでした。通常のオペラでは、オーケストラ・ボックスを舞台の前に置くものですが、今回は、敢えて舞台の後に置き、客席からはオーケストラがほとんど見えない状態になっています。その為、通常の演劇の舞台のように、舞台の端と客席に隔たりが無く、歌手達の歌や演技が近くに見えます。横田あつみによる舞台も、セーヌ川に係留された伝馬船の甲板がリアルに眼に入り、このヴェリズモ・オペラの雰囲気をよく下支えしていたものと思います。

 神田慶一の指揮するオーケストラは、それなりにトラブルもあり、完璧なものとは言えませんでしたが、舞台の後側からきこえてくる音楽は、船上で歌う歌手達の背中を押すような感じで耳に致しました。この舞台優先のコンセプトは、登場人物の雰囲気作りが良いことと相俟って、今回の上演の成功に大きく寄与しているものと思われました。

 歌手で最も魅力的だったのは、ジョルジェッタ役の木下美穂子。2001年の声楽コンクール三冠王の逸材ですが、その看板に偽り無しの美しい歌唱でした。彼女をまともに聴いたのは初めてでしたが、その力量はよく分ります。声に艶があり、リリックな表現もドラマティックな表現もバランスよくこなし、他の方とものが違う、という風に感じました。また、彼女は、化粧の効果もあるのかもしれませんが、欲求不満の人妻の色気がしっかりと現われておりました。これまで、もっと垢抜けしない方だとばかり思っていましたので、今回の変身は嬉しい誤算でした。

 一方主人公のミケーレ役を歌った大久保真、後半の嫉妬に狂った男を表現するような緊迫した部分での表現力に、ベテランのさすがの力量を感じましたが、声の出し方や音楽に対する感性は、残念ながら今回の出演者の中では一段落ちるように思われました。水口聡のルイージは逆に劇的表現に秀でていて、ジョルジェッタとの逢瀬の場面における歌唱など中々聴きものでした。ただ、演技それ自身は、あまり特徴の感じられないものでした。

 脇役陣は皆優秀。峰茂樹のバリトンは、大久保真の声よりも私には魅力的でしたし、加納里美のフルゴーラも「わたしは可愛い家を夢見てる」がよく、感心いたしました。加茂下稔のティンカのコミカルな部分や、松永国和の「ミミの歌」も良かったです。

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鑑賞日:2004年2月11日
入場料:5000円 2F L列3番

錦織健プロデュース・オペラ Vol.II

主催:財団法人小平市文化振興財団

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」(Il Barbiere di Seviglia)
台本:チェーザレ・ステルビーニ

会 場 ルネこだいら大ホール

指 揮:現田 茂夫  管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合 唱:ラガッツィ
演 出:今井 伸昭  装 置:鈴木 俊朗
美術デザイン:天野 喜孝  衣 装:小野寺佐恵
照 明:古川 靖  舞台監督:徳山弘毅/堀井基弘

出演者

フィガロ 大島 幾雄
ロジーナ 澤畑 恵美
アルマヴィーヴァ伯爵 錦織 健
バルトロ 志村 文彦
ドン・バジリオ 戸山 俊樹
ベルタ 武部 薫
フィオレッロ/隊長 友清 崇
公証人 松浦 洋之

感想

 本公演パンフレットに、プロデューサーの錦織健が「ごあいさつ」という一文を書いています。簡単に要約すると、「私(錦織)は、商業演劇に対応する「商業オペラ」というカテゴリーがないことを疑問に思ってきた。勿論従来「商業オペラ」に相当する物が無かった訳ではないが、敢えて、この旅の一座を商業オペラ宣言したい。そうすることにより、これまで全く「オペラ」に無関係だった1億人にのぼる人たちは、未知で手つかずのマーケットに見えてくる。この巨大マーケットに参入するためには、新たなスローガンが必要であり、「商業オペラ」を名乗ることによって、その性格と目的と覚悟とが明確になる」

 その意気込みを私は高く評価したいと思っています。少なくとも「オペラ」というパフォーマンスを「最先端ではなく、最も身近なオペラを目指して意志統一した」と言い切るのは、集客に具体的方法論を持たない他のプロデューサーよりはるかに高見識だと思います。このプロジェクトの成功を心から望みたいと思います。

 さて、この旅の公演は、2月11日の小平公演がスタートだったのですが、初日の公演を聴く限り、理想と現実のギャップを感じずにはいられませんでした。「商業オペラ」と言い切るには、未だ完成度が低い演奏でした。その最大の責任は指揮者が負わなければならないと思います。現田茂夫は、オペラの指揮経験の豊富な人ですが、どうもロッシーニの音楽と合う人ではないようです。とにかく棒が重い。ロッシーニの音楽は情緒的な部分を排して軽々と軽快に演奏するとき、その魅力が発揮されると思うのですが、本日のようなドテッとした音楽では、ロッシーニの魅力は明かにされないように思います。本日は、ロジーナが「今の歌声」を歌い始めるまで、音楽に全く魅力を覚えませんでした。

 私は最初、錦織健や大島幾雄が、早口部分で口が廻らなくなるのを防ぐために遅くしているのか、とも思いましたが、大島の「何でも屋の歌」では後半の早口部分も特に問題無かったようですので、このスピードは指揮者の体質なのでしょう。オーケストラもあまり誉められたものではありません。特に管楽器がメタメタでした。序曲でホルンが大コケし、休憩中にアルペジオを一所懸命さらっていたのですが、その効果無く第2幕でもコケる、そんなレベルでした。

 歌手もあまり高くは評価出来ないように思います。ロッシーニを歌うには、アジリダの技術がみな未熟です。歯切れが悪く、どうしても感情の起伏が表に出て来ます。ロッシーニは、感情表現より技術の切れ味で勝負した方がいい演奏になるというのが私の考えなのですが、なかなかそうはなりません。どうしても感情表現が前に出て、結果としてロッシーニの乾いた笑いをウェットな笑いに変えてしまったような気がいたします。

 アルマヴィーヴァ伯爵役の錦織健。十数年ぶりで聴きましたが,持ち前の美声は健在でした。しかし、彼は冒険をしないのですね。とにかく高音を響かせない。徹底して安全運転で、落ちることはないのですが、テノールを聴く醍醐味をあじあわせては貰えませんでした。錦織の声は、一声聴けば錦織だと分る個性があって良いと思うので、きちっとハイCで決める所は決めていただきたい、と思いました。

 大島幾雄のフィガロも今一つ。現田茂夫の音楽作りの犠牲になったことは間違いないのですが、フィガロに期待したい前向きの明るさ、というものが一寸希薄な感じでした。「何でも屋の歌」も「金を見れば智恵がわく」も、聴いていて退屈でした。フィガロの持っている押しの強さが、前に出てこない感じが致しました。

 一方、澤畑ロジーナは抜群。「今の歌声は」は、持ち前の硬質の高音を響かせて、テクニックで観客を魅了しました。グルベローヴァみたいに完全に歌を崩すことは無かったにせよ、徹底した装飾歌唱で、ソプラノの魅力を示しました。第二幕のアリアも良かったですし,演技もおきゃんで溌剌としたロジーナという娘の造形をしっかりと示しており、正に快演でした。本公演のナンバーワンであったことは、疑いないところです。

 志村バルトロも評価したい所です。見た目は全然貫禄の無いバルトロですが、妙に演技が軽妙でバッソ・ブッフォらしさが出ておりました。動きがコミカルで威厳を全然感じないのに、威張ってみせる所などなかなか良かったと思います。戸山バジリオもまあまあ。歯切れの良さという点では、もう少し練習して頂きたい所ですが、「陰口のアリア」は、聴きごたえがありました。

 今井伸昭の演出は基本的にオーソドックスなものでしたが、あちらこちらに細々としたくすぐりを入れ、そのくすぐりに乗るだけでも十分楽しめます。舞台装置は、バルトロの家の中と、幕がわりの塀の簡単なものでしたが、舞台装置に字幕の投影部分を初めから含めるなど、旅公演向けに工夫が見られました。

 全体的に1幕より2幕がよく、尻上がりでした。1幕ではそこここでギクシャクした印象があったのですが,第二幕ではそれが無くなり、こなれた演奏になった感じです。今後公演を重ねるうちに、もっとよくなる可能性を秘めている演奏だと思います。

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鑑賞日:2004年2月18日
入場料:C席 2835円 4F 3列46番

主催:新国立劇場

スペインの燦き  -ラヴェル
〜バレエとオペラによる〜

Tオペラ
1幕・字幕付原語(フランス語)上演
ラヴェル作曲「スペインの時」(L'Heure Espagnole)**
台本:フラン・ノアン

Uバレエ
ラヴェル作曲「ダフニスとクロエ」第二組曲*/**

V言葉のない小品
ラヴェル作曲「洋上の小舟」

Wバレエ
ラヴェル作曲「ボレロ」**

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:マルク・ビオレ  管弦楽:東京交響楽団
合唱指揮:三澤 洋史  合 唱:新国立劇場合唱団*
バレエ:新国立劇場バレエ団**
演出・振付:ニコラ・ムシン  美術・衣装:ダヴィデ・ピッツィゴーニ
照 明:ペーター・ペッチニック  舞台監督:大澤 裕

出演者

モーリス 美加理
スペインの時    
コンセプティオン グラシエラ・アラヤ
トルケマダ ハインツ・ツェドニク
ゴンサルヴェ 羽山 晃生
ラミーロ クラウディオ・オテッリ
ドン・イニーゴ・ゴメス 彭 康亮
「ダフニスとクロエ」第二組曲    
バレエ・ソリスト 酒井はな
バレエ・ソリスト 市川 透
「ボレロ」 鹿野 由之
バレエ・ソリスト 湯川麻美子
バレエ・ソリスト 市川 透

感想

 端的に申し上げれば、準備不足をあまりに露呈した舞台でした。プレミエで新しい舞台を見せる、色々な問題が生じるのでしょう。それは良く分ります。しかし、もう少しスキルを磨いた上で上演するべきではなかったのでしょうか。ある一部だけが不足しているという感じより、バレエもオーケストラも、歌手も皆練習が足りない。群舞なんか全然綺麗じゃない。総じてテクニックの問題というよりもコンビネーションの問題だったように思います。「オペラとバレエのコラボレーション」というキャッチフレーズに相当惹かれて出かけたのですが、十分なコラボレーションが出来ていない感じでした。

 音楽的な部分でまず批判されるべきは、ビオレの音楽作りでしょう。センスの欠けている指揮で、ラヴェルの音楽の持つ独特の香りを表現出来ていなかった感じがいたします。棒はやや重め。ラヴェルに重い指揮が悪いとは必ずしも言えないとは思いますが、彼の指揮は単に重いだけで工夫がない。オーケストラを一杯に歌わせているという訳でもないし、舞台を盛上げるために、オケを煽ってみせる、といったこともやらないようです。単に振っているだけで、ラヴェルの味わいをどう表現するか、という課題をまともに考えていないのでは無いか、と思わせる指揮でした。

 「スペインの時」は、歌手個々人には大きな不満はありません。急遽キャンセルのジョン・健・ヌッツォのアンダーステイで入っていた羽山晃生が、高音が全然伸びていなかったことを別にすれば、みなそれぞれ適切な歌を歌っていた様に思います。でも、舞台全体をトータルで見ると、全然面白くない。グラシエラ・アラヤのコンセプシオンは、それなりにコケティッシュではあるのですが、ムンムンした色気は感じられませんでしたし,男性歌手もみなそれなりに面白いのですが,眼を惹くものがないのです。アンサンブルがしっくりせず一つの作品としての盛上げの方向が全然曖昧で、お互いに共通認識も取れていない様子で、発散した舞台になっていました。

 そういう意味では、最大の問題は演出にあると申し上げてよいのでしょう。ムシンという演出家はバレエ出身の方のようで,オペラを演出した経験は無いようです。「スペインの時」という人間関係の面白さを艶笑喜劇に纏めた作品の演出は,私はもっと内向きの求心的な演出をしたほうが、もっと面白くなると思うのですが、かれは、舞台を大きく使う発散的な演出をして見せました。その結果、人間関係の濃密さが全然見えてこず、全体として非常に散漫な印象を与えて終りました。終演後の「Boo」は当然の所です。

 バレエもどうかと思います。現実にバレエを踊るのに「ダフニスとクロエ」を第二組曲だけ選ぶという意図もよくわかりません。ボレロはいいのでしょうが。バレエの振付は決して悪いとは思わないのですが,群舞の合わないことといったら、あまりにも酷すぎやしませんか。ミュージカルの踊りのシーンなど、結構合わないこともあるのですが、今回の新国のバレエは、合わなすぎではないでしょうか。とても十分に練習したとは思えないレベルでした。ソリスト達の技術は流石だとは思いますが、個々人の技巧の高さ、確実さが集合として見た場合全然あっていない。演出家はあの程度の踊りで満足出来るのでしょうか?

 オーケストラの技量も高く評価する訳には参りません。「ダフニスとクロエ」はとりあえず指揮棒にあわせて音を出しているという感じでしたし,「ボレロ」はソリストの技量が分るので一所懸命に演奏するかと思いきや、金管楽器は随分落ちていたようです。どちらも指揮者を中心にまとまって行くという感じでは無く、散漫で雑駁な演奏で残念でした。

 とにかく全体として、非常に中途半端でかつ準備不足な演奏でした。「スペインの時」と「ボレロ」で同じ時計を出して、全体の統一感を出そうといった構想は悪くは無かったと思うのですが、繋げていこうとする演出の工夫よりも拡散しようとする音楽の特性の方が強く出ていたと申し上げましょう。 

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鑑賞日:2004年2月20日
入場料:4000円 D席 4F R2列4番

東京二期会オペラ劇場

平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業
2004都民芸術フェスティバル(東京都助成)参加公演

主催:(財)二期会オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

オペラ2幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「エジプトのヘレナ」(Die Agyptische Helena)
台本:フーゴー・フォン・ホーフマンスタール

会 場 東京文化会館大ホール

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:松井和彦
演 出:鈴木 敬介  美 術:シュテファニー・エンゲルン
舞台監督:小栗 哲家/幸泉 浩司

出演者

ヘレナ 横山 恵子
メネラス 福井 敬
アイトラ 佐竹 由美
アルタイル 小川 裕二
ダ・ウド 望月 哲也
第一の侍女 小林 菜美
第二の侍女 堪山 貴子
第一の妖精 品田 昭子
第二の妖精 羽山 弘子
第三の妖精 杉田 美紀
第四の妖精 池田 香織
全知の貝殻 村松 桂子

感想

 これまでCDでも聴いたことの無い、全く初めて聴く作品でしたが、久々にオペラを聴く醍醐味を存分に味あわさせて頂きました。良かったです。

 リヒャルト・シュトラウスのオペラは、日本では「サロメ」がよく上演され、次に「ばらの騎士」が上演されると思いますが、それ以外のオペラでしばしば取り上げられる作品は少ないようです。恐らく、それは作品のポピュラリティ故だと思うのですが、特にシュトラウスとホフマンスタールとのコラボレーションの中で、「エジプトのヘレナ」がこれまで紹介されてこなかったのは、その内容の分り難さにあったようです。確かに、「エジプトのヘレナ」の物語は決して分りやすいものではありませんが、音楽はいかにもリヒャルト・シュトラウス的で、決して難しいものではありませんでした。シュトラウスは決してこの作品を何かにインスパイヤされて書いた作品ではないのでしょうが、私の耳には音色の処理などに「ばらの騎士」の音楽と共通のものが聞こえてきます。そういう所に、聴いたことのない作品ながら、共感をもって全曲を聴けました。

 今回の上演が成功裏に終ったのは、東京二期会オペラ劇場のスタッフ・キャストの総合力の賜物なのでしょうが、特に日本最高のリヒャルト・シュトラウス解釈者と言うべき若杉弘の真摯な解釈に基づいた指揮があったからに違いありません。若杉は、4管14型の大オーケストラを遠慮なく鳴らします。金管の咆哮などは恐ろしいほどです。その結果、シュトラウスの分厚い音色的特徴が明確になります。実に雄弁なオーケストラで、シュトラウスのダイナミックな管弦楽を存分に楽しむことが出来ました。

 このような強いオーケストラに対して、歌手も一歩も引いておりませんでした。正にがっぷり四つ。特に素晴らしかったのは、外題役の横山恵子です。どんな場面でも十分に声が出て、その音色の膨らみがまた素晴らしい。オーケストラの咆哮に全く負けることなく、ヘレナ役をやり遂げたと思います。「ヘレナ」というのは、自己肯定的な強い女性なのですが、横山の歌を聴くと、その性格付けが容易に納得できるものがありました。特に良かったのが第二幕の最初の、この作品唯一と言って良いアリア。ドラマティックな表現力と正確な技術で会場を沸かせました。ブラヴァは当然の所です。

 福井敬も引けを取りません。福井の声は、純粋リリコだと思っていたのですが、本作品のようなドラマティックな作品でもしっかりした表現力で見せてくれました。声の強さも抜群で、横山の声に一歩も引けを取りません。横山、福井ががっぷり四つに組み,そこに若杉の音楽がかぶさるとき、その声を聴く楽しみは、オペラを聴く醍醐味に違いありません。主役の二人はそれを十分に知らしめてくれました。

 横山、福井と素晴らしかったので、他の方々は割を食った感じはありますが、脇役陣も快調でした。佐竹由美のアイトラは、さすがにオーケストラの強奏に負けていたところもあったのですが、全体としてみれば、それでも十分敢闘賞というべき演奏だったと思いますし、アイトラの二人の侍女は、第二幕の美しい二重唱で存在感をアピールしておりました。

 望月哲也のダ・ウドは、福井と比較すると若さが前面に出て、対比が明確で良かったです。小川裕二のアルタイルは、他の方々から見れば、特徴があまりはっきりしていなかったきらいがあります。

 作品は一幕よりも二幕の方がストーリー的にも音楽的にも面白く、終点に向かってどんどん盛り上がっていく感じがしました。お話自身背景を良く知っていないと楽しめない所もあり、一幕はことに細かい所が入り組んで理解が難しい所もあって、そう思うのかもしれません。演出の鈴木敬介は、視覚的に表現し難い舞台を、上手く見せてくれたと思います。特にシュテファニー・エンゲルンの舞台装置や衣装は、神話世界を象徴する幻想絵画のようなもので、なかなかセンスの良いものだったと思います。

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鑑賞日:2004年3月1日
入場料:1475円 1F 17列58番

主催:新国立劇場オペラ研修所

2004年2/3月研修公演

3幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」(Die Fledermaus)
台本:カール・ハフナー/リヒャルト・ジュネ

会 場 新国立劇場中劇場

指 揮:ニルス・ムース  管弦楽:東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団
合唱指揮:バーナード・マクドナルド  合 唱:二期会合唱団
演 出:ロベルト・ヘルツル  振 付:ロベルト・ヘルツル・Jr
美 術:バンテリス・デシラス  衣装協力:岸井 克己
照 明:黒柳 浩之  舞台監督:熊代 浩児

出演者

ロザリンデ 吉田 珠代
アデーレ 九嶋香奈枝
イーダ 中村 恵理
オルロフスキー公爵 清水 華澄
アルフレード 岡田 尚之
アイゼンシュタイン 桝 貴志
ブリント 村上 公太
ファルケ 青山 貴
フランク 北川 辰彦
フロッシュ 与那城 敬
イヴァン 町 英和

感想

 若いということは、何て素晴らしいことだろう。今回の舞台の感想を端的に申し上げれば、このようになります。一杯問題点があった、認めましょう。でも、聴いていてとても楽しかった。私は、こと「こうもり」に関しては、片手で足りないほどは聴いておりますが、「楽しかった」という点に関してはナンバーワンの公演でした。こういう演奏を作り上げたスタッフ・キャストに厚く御礼申し上げたい気分です。

 まず、歌手たちが皆一所懸命で手抜きがない。これは大変素晴らしいことです。総じて歌は硬く、演技も硬いのですが、でもその緊張感が溌剌とした推進力に結びついていて、緩みのない演奏で纏りました。「こうもり」という作品の味わいである爛熟の魅力は感じられなかった訳ですが、爛熟が弛緩とだらしなさに繋がる上演よりどれだけましかわかりません。全体に引き締まった演奏でした。もう少し肉付きのよい演奏を好む私にとって、もの足りない部分もありましたが、でも、若さのパワーを感じさせていただいた分チャラにしましょう。

 若さ、という点でもう一つ申し上げておきたいことは、昨年登場したメンバーは確実に成長しているということです。例えば、昨年の研修所公演「フィガロの結婚」でバルバリーナを歌った中村恵理は、そのときの演奏はさほど印象的ではなかったのですが、新国9月の本公演でバルバリーナを歌った時の進歩は、正に瞠目すべきものでした。その中村は、今回イーダで登場し、存在感を示していました。中村の声質は、ロザリンデでも良かったと思うのですが、ロザリンデは、6期生の吉田珠代が歌いました。成長著しい中村を置いてまで吉田に主役を持ってきた、そこが現在のオペラ研修所の実力なのだろうと思います。

 それにしても、女声陣は細々とした問題はあるにせよ、総じて良かったです。アデーレ役の九嶋香奈枝は、昨年スザンナを歌い、私は、「線の細い歌唱」と厳しく評価したのですが、本年は、その線の細さが消えて、魅力的な歌と演技でした。それでも演技は、演出家の指示をこなすのに精一杯で、アドリブを利かせる域には達していないように見受けましたが、こと歌は良かったです。アデーレの聴かせ所である「侯爵様、貴方のようなお方が」は、誤魔化しのない歌いっぷりで満場の喝采を浴びましたし、それ以外でもアデーレのコケティッシュな魅力をふんだんに撒き散らしており、大いに満足致しました。

 吉田珠代のロザリンデも評価すべきでしょう。繋ぎの部分や、アンサンブルでは若さを露呈する部分もなくはなかったのですが、「チャルダーシュ」の貫禄ある歌いっぷりは、大層結構なものでした。細かい演技にまろやかさが見られれば更によいものになると思いました。

 オルロフスキーの清水華澄も流石です。清水は、歌も悪くはないのですが、舞台度胸が一番あって、演技でも見せてくれる方です。そういう点でオルロフスキーの傍若無人な感じにあっている方だと思っておりましたが、思っていたほど無茶な演技ではなく、抑制されておりました。でも、「客を呼ぶのが好きで」の小バカにした雰囲気は中々よかったです。

 女声陣の成熟と技術の高さと比較すると、男声陣は魅力にやや乏しかったと申し上げざるを得ません。全体に若くて、アイゼンシュタインの俗物ぶりや、フランクの間抜けな所を演じるには、成熟が足りないという所はあるかと思います。桝貴志のアイゼンシュタインは、のっぺりとした助平爺的部分を出そうとしていた所を認めるに吝かではないのですが、貫禄に欠けている。ですから偽物っぽいのです。北川辰彦のフランクもそう。実直な田舎者の雰囲気は出ているのですが、やはり、刑務所長としての貫禄に乏しいと思いました。

 青山貴のファルケは、演技の自在さで前二者に勝っていたと思いますが、清水オルロフスキーには、演出上の都合はあるのですが、常に押されている感じが強くあって、やっぱり軽い役柄に終始しておりました。アルフレード役の岡田尚之は、声をもう少し鍛えた方が良いかと思います。アルフレードという気取ったジゴロを歌うには、もう少し声の成熟と声量に期待したい所です。

 村上公太のブリントは、もっと練習してほしいと思います。一方、与那嶺敬のフロッシュは、見た目はフロッシュとしては今一つなのですが、演技が結構緻密で、アドリブの間も中々良く、会場から爆笑をとっておりました。彼の本位の演技だったかどうかは分りませんが、お笑いのセンスはある方のようです。

 ムースの指揮は相当早め。オーケストラは、細かいパッセージを弾くときなど相当苦労している様子でしたが、ピッコロの音色など、印象的な音を上手く出して、全体として、きびきびとしてスピード感のある今回の上演を上手に下支えしていたと思います。

 舞台装置は簡素で、豪華絢爛な「こうもり」を見慣れている人にとっては、魅力に欠ける舞台です。しかしながら、作品に相当忠実に演出し、字幕が丁寧で説明がしっかりしているので、「こうもり」というお話をよく知るためには、適切な舞台だったと思います。 

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鑑賞日:2004年3月4日
入場料:D席 5670円 4F 1列22番

主催:新国立劇場

オペラ1幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「サロメ」
原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語翻訳台本:ヘドヴィッヒ・ラッハマン

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:フリードリヒ・ハイダー  管弦楽:東京交響楽団
音楽ヘッドコーチ:三澤 洋史
演 出:アウグスト・エファーディング  美術・衣装:イェルク・ツィンマーマン
演出補:三浦安浩  振 付:石井 清子
舞台監督:大澤 裕

出演者

サロメ エヴァ・ヨハンソン
ヘロデ ハインツ・ツェドニク
ヘロディアス 片桐 仁美
ヨハナーン アラン・タイタス
ナラポート 吉田 浩之
ヘロディアスの小姓 前田 祐佳
5人のユダヤ人1 大野 光彦
5人のユダヤ人2 井ノ上了吏
5人のユダヤ人3 九貫 達也
5人のユダヤ人4 松永 国和
5人のユダヤ人5 大澤 建
2人のナザレ人1 工藤 博
2人のナザレ人2 青戸 知
2人の兵士1 彭 康亮
2人の兵士2 田島 達也
カッパドギア人 石崎 秀和
奴隷 井垣 朋子

感想

 自分の中でポジションを置きにくい作品があります。私にとって、「サロメ」がその代表です。これまで何度も実演に接している作品なのですが、何度聴いても、今ひとつピンと来ない。リヒャルト・シュトラウスは、19世紀に書かれた交響詩も割合好きですし、ホフマンスタールと組んでからのオペラは大好きな作品が多く、結構否定的な意見が多かった先日の東京二期会の「エジプトのヘレナ」も十分楽しめて聴けたので、リヒャルト・シュトラウスは、私にとって相性のよい作曲家だと思うのですが、どうも「サロメ」だけは駄目みたいです。作品の持つ肌合いが、どうも私の趣味ではないということなのでしょう。また、「サロメ」をどう演奏貰えると自分は嬉しいのか、という点もよく分からないです。

 前回「サロメ」を鑑賞した時、私は「サロメ」を歌付交響詩として鑑賞したい、という趣旨のことを書きました。そういう視点で見たとき、今回の演奏はバランスが取れており、決して悪いものではなかったと思うのですが、そのバランスが決して高水準の所で取れていたわけではないことが、今回の演奏の不満な所です。フリードリッヒ・ハイダーの指揮は、サロメの音楽のダイナミックな部分や不協和音を強調し、後期ドイツロマン派のもつ官能美や陶酔感を前面に出さない演奏でした。そのためか、個々の技量では光る所があるものの、綺麗な音や透明感のある音にはならず、騒々しい印象で聴きました。

 しかしながら、ハイダーの演奏は、歌手たちの声量にかなり気を配っていたようで、四管16型の大オーケストラの演奏にもかかわらず、歌手たちの声が、オーケストラの音に潰されてしまうことはありませんでした。

 勿論、この大オーケストラに負けないだけの強い声の持ち主が登場して、指揮者も遠慮なくオケを鳴らすという形で音楽が調和すれば、その方が好ましいに違いありません。今回そのような声の強さで圧倒したのが、アラン・タイタスのヨハナーンでした。声量が十分あり、そして艶やかな声で歌う所は,彼の凛とした態度と共に、まさに圧倒的と申し上げて宜しいでしょう。最初の登場のシーンから印象的でした。前半だけで歌わなくなるのは残念なほどでした。

 次いで良かったのは、吉田浩之のナラポートでした。彼には、アラン・タイタスに感じたのような絶対的な声の強さはないのですが、それなりに強い声と役柄に見合った幅広い表現と演技で、サロメに振り向いてもらえない純情な傭兵隊長を上手に演じていたものと思います。

 女声陣では、サロメ役のヨハンソンを先ず褒めましょう。前半は、タイタスヨハナーンにおされている部分もあったのですが、これは全体を見越したペース配分だったようです。かなり動きの多い「七つのベールの踊り」が終った後の歌唱は素晴らしかったと思います。ハイダーが繊細にコントロールしていたとはいえ、オーケストラの強奏を突き破る強さは魅力的でした。歌の表現力も中々のもので,どんどん狂気へ向かっていく様子が窺えて宜しかったのではないかと思います。

 ツェドニクのヘロデ王は、所どころで,流石の歌唱を示してくれましたが、それが持続しないところが残念でした。代表的なワグナー歌手の一人ですが、60を過ぎて、昔のような声が出なくなったということなのかもしれません。片桐仁美のヘロディアス。特別悪いと言うことはなかったと思いますが、全体に声の弱さが眼につきました。タイタスや吉田は余裕で歌っている、という印象があるのですが,片桐はぎりぎりの所で歌っている、という感じがいたしました。廻りの声量に合わせるのに苦労しているというところでしょうか。

 その他の歌手は更に印象が曖昧になります。サロメを殺す役柄のヘロディアスの小姓は存在感が希薄でしたし、その他の出演者たちも特に印象的な所は感じられませんでした。二人の兵士が一寸存在感があったことぐらいでしょうか。

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鑑賞日:2004年3月11日
入場料:7000円 D席 4F L1列22番

藤原歌劇団公演

平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業
2004都民芸術フェスティバル(東京都助成)参加公演

主催:(財)日本オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「アルジェのイタリア女」(L' Italiana in Algeri)
台本:アンジェロ・アネッリ

会 場 東京文化会館大ホール

指 揮:コッラード・ロヴァーリス  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ:ロゼッタ・クッキ
合 唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
演出・装置・衣装:ジャン・ピエール・ポンネル  演出補:ディアナ・キーナスト
照 明:ルドルフ・フィッシャー  舞台監督:大仁田 雅彦

舞台装置:ウィーン国立歌劇場(1987年9月28日プレミエ)

出演者

イザベッラ アグネス・バルツァ
ムスタファ ロレンツォ・レガッツォ
エルヴィーラ 斉田 正子
リンドーロ アントニス・コロネオス
タッデオ ロベルト・デ・カンディア
ズールマ 牛坂 洋美
アリ 佐藤 泰弘

感想

 アグネス・バルツァと言えば、まずカルメンのイメージが強いです。しかし、実は彼女はロッシーニ歌いでありまして、私が1990年4月にロンドンで聴いた彼女のアンジェリーナ(チェネレントーラ)は、実力のあるオペラ歌手が得意な曲を歌ったとき、どんなに凄いかを知らしめてくれました。声が全体に艶やかで、高音も低音もバランスよく、アジリダもよく廻り、もう最高でした。私は彼女の歌うカルメンも聴いておりますが、それよりずっと素晴らしかったと思います。しかし、そのころ彼女のロッシーニの最もの当たり役がイザベッラだったようです。私がロンドンでアンジェリーナを聴いた前後に、彼女はウィーン国立歌劇場で今回のジャン=ピエール・ポンネルの舞台でイオン・マリンの指揮のもとでイザベッラを歌っているようです。その頃のバルツァのイザベッラは是非聴いてみたいものです。

 このような書き方をするのは、今回のバルツァのイザベッラに、衰えを感じずにはいられなかったからです。勿論かつては世界一のメゾと呼ばれていた方ですから、そこここに並の歌手では味わえない上手さがありました。それでも90年のアンジェリーナで聴けた彼女の全盛期の魅力は相当減弱していたと申し上げるを得ません。低音のドスの入り方が下品になっていますし、声の艶やかさも随分減少した感じです。全体に重たい歌になっており、ロッシーニらしさ、という点ではもっと明るい声の持ち主を使ったほうが良かったかも知れません。

 そうは申し上げても流石に大歌手です。彼女が登場すると華やかな雰囲気が生れますし、ポンネルから直接演技指導を受けている方ですから、この舞台でどう歌うべきか、という点をしっかり理解しています。そのため、一寸したニュアンスが舞台に実に良くフィットしている感じです。歌についても第2幕の大アリア「祖国のことをお考えなさい」は、バルツァの魅力が全開で、聴きごたえ十分の歌唱でした。

 ロレンツォ・レガッツォのムスタファは聴きものでした。昨年の『イタリアのトルコ人』の詩人も良かったですが、本年のムスタファは更に適役の感じがします。最低音が一寸不安でしたが、それ以外は実に魅力的。第1幕の軽妙なアリアをアジリダの切れ良く歌って見せてくれて良かったですし、アンサンブルの参加でもその存在感は抜群でした。イザベッラに翻弄されてメロメロになっていく所、一方で妻エルヴィーラに対する態度の対比。今回の「アルジェのイタリア女」の中で最も魅力的だったのがムスタファだったと思います。

 それに対してリンドーロ役のアントニス・コロネオスは、若さが前に出る歌唱でした。声は軽く、上手く行くと声の転がりも抜群なのですが、一定していないきらいがあります。高音のコントロールの技術などは、もうすこし、検討・訓練の余地がありそうです。

 ロベルト・デ・カンディアのとぼけた味わいも中々良かったと思います。環境に左右されて悲鳴を上げている中年男を魅力たっぷりに演じていた様に思いました。佐藤泰弘のアリも中々の偉丈夫で見た感じも絵になっていましたが、「イタリア女は偉丈夫で」のアリアもなかなか結構でした。

 斉田正子と牛坂洋美は予想外の収穫。斉田は最初アナウンスされていた佐藤美枝子からの変更ですが、演技が色っぽくって魅力的。痩せていてスタイルが良いので、アルジェのトルコ人女性が着るへそだしの衣装がまたよく似合います。アリアはないですが、アンサンブルできちっと歌っていて、良かったと思います。牛坂洋美もこの役をやるためにお腹の肉を落して出演しているようです。 

 個別の歌手もさることながら、ロッシーニのオペラブッファで語るべきは重唱でしょう。羽淵浩樹、納谷善郎、党主税といったソロも歌うメンバーが入った藤原歌劇団合唱部の男性合唱は力強く、全体の盛上げに一役買っていたと思います。そして、主要ソリストが一堂に会して歌う第一幕フィナーレと第二幕の「パッパターチ」から「フィナーレ」への流れ。どちらも良かったのですが、どちらも馬鹿馬鹿しさの典型なところですから、もっと馬鹿馬鹿しさを強調した歌のほうが良かったのかも知れません。

 第一幕のフィナーレは、夫に捨てられて外国に航海しようとするエルヴィーラ、リンドーロ、ズールマの端正な三重唱から始まり、お約束のストレッタまで一気呵成に流れて行きますが、馬鹿馬鹿しさのアクセルのかけかたが観客にはっきりと見えない所が一寸不満でした。それに比べると「パッパターチ」は、最初からおバカなわけですが、そのおバカさ加減をまじめに演じたレガッツォに魅力がありました。

 ジャン・ピエール=ポンネルの舞台・演出も流石です。原演出は1972年のデュッセルドルフのものだそうですが、それに改良を加えた87年にウィーンに持ってきたものを、今回藤原歌劇団が借りでいます。基本的には写実系のいかにも「トルコの王宮」という風の舞台に、トルコ人達の衣装もいかにもアラビアンナイト、という感じで結構です。それをベースにしての数々のおバカなくすぐり、例えば、大砲をぶっ放すと、イザベッラたちが乗った船の模型が沈んで行くシーン、パッパターチの儀式で、手掴みでスパゲッティをむしゃむしゃと食べる所。随分会場内では笑いが出ておりましたが、上手いですね。

 ロヴァーリスの指揮はまあまあです。確かに作品の個別の音楽の演奏と言う点に関しては、決してロッシーニの才気を表現することが上手とは言えないと思われる東京フィルを上手くドライブして、音楽の流れを作り出しておりました。基本的には軽快なテンポで、ロッシーニのこの傑作ブッファを楽しめむに十分の指揮をしていたと申し上げてよいでしょう。しかし、レシタティーボからオーケストラ伴奏に変る所の取り扱いに一寸もたもたしたところが見えた所と、ロッシーニ・クレッシェンドが割りと平板な盛上げ方でけれん味がなく、ある意味で下品と言ってもよいバルツァの歌との相性が合っていなかったの出はないかと思わせる節がありました。

 それにしてもロッシーニは最高です。「アルジェのイタリア女」にはロッシーニの天才が詰まっております。私は「アルジェのイタリア女」の実演経験は二度目ですが、何度でも聴きたい、と節に思うものです。

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鑑賞日:2004年3月19日
入場料:8000円 B席 2F 5列26番

東京オペラ・プロデュース第70回定期公演

平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業
2004都民芸術フェスティバル(東京都助成)参加公演

主催:東京オペラ・プロデュース/(社)日本演奏連盟
後援:日本リヒャルト・シュトラウス協会

オペラ1幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「カプリッチォ」(Capriccio)
台本:クレメンス・クラウス

会 場 なかのZERO大ホール

指 揮:松岡 究   管弦楽:東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
演 出:松尾 洋   美 術:土屋 茂昭
衣 装:清水 崇子  照 明:松尾 隆之  舞台監督:八木 清市

出演者

伯爵夫人(若い未亡人) 佐々木 典子
伯爵(伯爵夫人の兄) 杉野 正隆
フラマン(音楽家) 高野 二郎
オリヴィエ(詩人) 太田 直樹
ラ・ローシュ(劇場支配人) 米谷 毅彦
クレーロン(女優) 菅 有実子
イタリアのソプラノ歌手 三崎 今日子
イタリアのテノール歌手 成田 勝美
家令 畠山 茂
トープ(プロンプター) 佐藤伸二郎
8人の召使T 木幡 雅志
8人の召使U 岡戸 淳
8人の召使V 中村 元昭
8人の召使W 笹倉 直也
8人の召使X 大野 隆
8人の召使Y 曽我 雄一
8人の召使Z 志村 糧一
8人の召使[ 一戸 貴広
ダンサー 中原 麻里

感想

 カプリッチォ=奇想曲。音楽辞典を紐解くと、「カプリッチォ」には、3つの意味があることが分ります。@16世紀頃のマドリガーレ様式の名称、A18世紀中頃から、弦楽器の技巧的な作品の名称。B19世紀以降のピアノ曲をはじめとしてユーモラスで気ままな楽曲に対する名称。リヒャルト・シュトラウスは、彼の最後の、本当に美しくて繊細なオペラに、何故「奇想曲」などという名前を着けたのでしょうか。

 我々は、モーツァルトのライバル?サリエリが、「音楽が第一、言葉が次に」というオペラで、「オペラ」の中で、音楽を最重要視しようとする主張をしたことを知っています。このような題材は、オペラの楽屋落ち的内容になりますから、恐らく色々な作曲家が取り上げてきたのでしょうが、実際に現在聴ける作品はほとんどなく(サリエリの作品も滅多に上演されません)、それぞれの作曲家がどのように解決してきたかを知りません。シュトラウスは、歌曲や歌劇における音楽の優位性、言葉の優位性、あるいは演出の重要性といった登場人物に行わせる会話が、シュトラウスの考えの吐露であると同時に、そんなことは単なる「思いつき、カプリッチョ」なのだ、と主張したかったのかも知れません。

 それにしても美しい音楽です。「四つの最後の歌」ほどの枯淡の境地には無いものの、音楽の底に流れる諦観は、「バラの騎士」第三幕における元帥夫人の諦観と通じるものがあります。1941年の作品ですが、20世紀半ばで、現代音楽の手法を完全に無視し、過去の文化を踏まえた(舞台がグルックの時代のフランスのサロンです)実に技巧的な名曲を提供する。言い古されたことですが、シュトラウスこそ、最後のロマン派の作曲家に違いありません。

 こういう繊細で美しい音楽をどう上演されたか。私は、かなり良くできていたと思います。でも、詰めが甘い。あそこまで頑張ったのだから、もうひと押し何とかならなかったのか、というのが率直な所です。まず残念なことに、オーケストラの技術に相当な問題があります。指揮の松岡究はこの作品を研究して、繊細な味わいを出そうと工夫していたと見受けました。演奏の中で時折見られる非常に美しい表現は、松岡の努力の賜物であろうと評価したいと思います。

 しかしながら、オーケストラは技術的にむらがあって、繊細な表現が続かない。勿論、導入部の弦楽六重奏曲であるとか、ソネットにおけるクラブサン、ヴァイオリン、チェロの三重奏など、繊細な表現が光っている所もありましたし、オーケストラの全奏でも、シュトラウスのほとんど壊れそうな美しい旋律を歌った所があることは否定しないのですが、管は落ちる、弦の強奏は柔らかく響かないといった純粋に技術的な問題で、曲の持つふくよかなまったりした味わいが消されていくのは、残念でした。この作品は、歌よりもオーケストラの巧拙が全体の仕上りの印象に影響を与えるものと思います。その点で、もっと上手なオーケストラの演奏で聴きたかったと切に思います。

 歌手は全体によく歌われていたと思いますが、細々とした点に問題があり、全体の感銘を下げていたのではないでしょうか。

 佐々木典子の伯爵夫人。こういう役柄を演じさせたら、現在日本で一番力のある方ですから、悪いものではないのですが、表現の繊細さの一貫性と言う点で課題が残ったと思います。要するに詰めが甘く、細々とした所の処理が一貫しないのです。佐々木自身が歌った昨年夏の二期会「バラの騎士」における元帥夫人のあの繊細な表現と比較すると、今回の演奏は彼女の本領を発揮したものとは言えないと思います。それでも、終景におけるソネットの歌唱は、実に美しいもので、大いに感心させられました。

 同様にやや問題があったのが杉野正隆の伯爵でした。難しい役柄なのでしょうが、キャラクターが安定せず、表現も一貫しない。そのため、音楽の流れに棹差す部分があって、一寸残念でした。高野二郎の音楽家は良かったと思うのですが、精妙さと言う点でやはり今一つの所があり、何か一寸満足出来ないものが感じられました。聴かせどころであるソネットなどは結構だと思うのですが、細かいやりとりの部分に詰めの甘さが目立った感じです。

 一方良かったのは、詩人役の太田直樹。真っ当な歌いっぷりでぶれが少なく、作曲家とのやりとりでも受けが上手く行っていて、聴きごたえがありました。ブラボーです。米谷毅彦の劇場支配人の歌唱も良好。最初、一寸崩れた所もあったようですが、中盤以降は抜群でした。特に最初のクライマックスともいえる「弁明のモノローグ」の歌唱は非常に立派なもので、感心いたしました。女優の菅有実子も良かったです。ふくよかな低音の表現が美しく、深みのあって艶やかな響きに感心させられました。

 成田勝美のイタリア歌手は、取りたててよいとは思いませんでしたが、成田勝美独特の声が響き、存在感がありました。一方三崎今日子の女性歌手は、声の飛びが今一つで残念でした。

 全体に言えることは、ベクトルの合わせ方にずれがあり、アンサンブルの歌唱のバランスが今一つの所です。個々には力があり、良い歌唱もするのですが、アンサンブルになると微妙なずれが目立ち、繊細さが消えていくのです。リヒャルト・シュトラウスの音楽の持つ美しさを本当に表現しようと思えば、チームワークによる一体感が重要なのでしょうが、そこが完璧でなかったことが、私の不満の根源にあるようです。練習時間は十分だったのでしょうか?

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