オペラに行って参りました-2010年(その2)

目次

飯守泰次郎の情熱 2010年03月18日  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第237回定期演奏会「青ひげ公の城」を聴く 
ブリュンヒルデの存在感  2010年03月24日  新国立劇場「神々の黄昏」を聴く 
この演出でいいのか  2010年03月28日  神奈川県民ホール開館35周年記念「ラ・ボエーム」を聴く 
アディーナは日本人ソプラノに限る?!  2010年04月15日  新国立劇場「愛の妙薬」を聴く 
日野市にオペラは根付くか  2010年04月17日  日野市文化協会40周年記念オペラ・コンサートを聴く 
分かりやすい日本語のために  2010年05月08日  京王オペレッタフェスタ「メリー・ウィドウ」を聴く 
印象派の美  2010年05月21日  新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴く 
サヴァリッシュは上手かった  2010年05月26日  新国立劇場「影のない女」を聴く 
名匠ゼッダの統率力  2010年06月13日  藤原歌劇団「タンクレーディ」を聴く 
体育会系のパワー  2010年06月16日  森口賢二CD発売コンサート」を聴く 

オペラに行って参りました2010年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2009年へ
オペラに行って参りました2009年その4へ
オペラに行って参りました2009年その3へ
オペラに行って参りました2009年その2へ

オペラに行って参りました2009年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
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どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
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オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
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オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

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鑑賞日:2010318
入場料:C席 3000円 2FR2列51番 

主催:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第237回定期演奏会

プログラム

コダーイ:管弦楽のための協奏曲(日本初演)

オペラ1幕 演奏会形式 字幕付き原語(ハンガリー語)上演
バルトーク作曲「青ひげ公の城」作品11 Sz.48A Kékszakállú herceg vára)
台本:ベーラ・バラージュ

会場: 東京オペラシティ・コンサートホール

スタッフ

指 揮  :  飯守 泰次郎   
管弦楽  :  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 
キャスト     
青ひげ公  :  小鉄 和広 
ユディット  :  並河 寿美 
吟遊詩人(録音)  :  小鉄 和広 

感 想 
飯守泰次郎の情熱−東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第237回定期演奏会「青ひげ公の城」を聴く

 オーケストラ・ピットに入ったシティ・フィルはこれまで何回か聴いたことがありますが、定期演奏会は初めての経験です。お目当ては、飯守泰次郎が振るバルトーク「青ひげ公の城」。なお、そのほかにコダーイの「管弦楽のための協奏曲」が演奏されました。

  コダーイは、バルトークとほぼ同時代のハンガリーの作曲家ですが、作品の数があまり多くないそうです。代表作は、「ハーリ・ヤーノシュ」ですね。作品が少ない割には日本でもよく紹介されていると思うのですが、「管弦楽のための協奏曲」は日本初演。私も全く初めて聴く作品でした。この作品は、バロック時代のコンチェルト・グロッソを意識した作品だそうで、管楽器が活躍します。しかし、管楽器の音量を前面に出したというよりは、描写音楽的な印象の作品でした。私のイメージは「森」ですね。森を映した映画のバックグランドミュージックにちょうど良いのではないか、と感じました。

 「青ひげ公の城」。オペラとしては動きの少ない作品ですので舞台上演されることは稀です。10年ほど前に新国立劇場が一度舞台上演をやっています(その時の指揮者は飯守泰次郎でした)が、日本では、本格的な舞台上演はそれ以来ありません。しかし、全体で1時間ほどの演奏時間であること、登場人物が、ソプラノとバスの二名ですむこと。オーケストレーションが見事なこと、などの理由があって、オーケストラの定期演奏会では時々取り上げられます。今回のシティ・フィルの演奏会形式上演もその例ですね。

 演奏ですが、不満は一杯あります。例えば弦楽器ですが、音の粒立ちや滑らかさの点で私が普段聴いているNHK交響楽団と比較すると一段落ちます。管楽器も落としたり、外したりありました。作品は多分難曲なのでしょう。しかし、だからと言って音楽が悪かったわけではない。音楽は演奏技術だけで決まるものではない、ということを如実に示した演奏であったと思います。

 飯守泰次郎の指揮ぶりは、タクトではなく、背中を見ているだけでも情熱がほとばしっており、この演奏会を成功させるぞ、という意識が溢れていました。それに呼応してコンサートマスターの松野さんが、身体一杯使ってヴァイオリンを演奏します。そこにつんざく管楽器群の響き。このオペラは、音楽的には暗-明-暗の三つの部分に区切られるのですが、暗い部分と明るい部分とで楽器の音色をきっちりと変えて、そのデュナーミクを大きくとり、作品の構造を見やすくしているところも感心しました。また、これは、バルトークの作曲術を褒めるべきなのでしょうが、管弦楽のフォルテシモの咆哮と歌唱が微妙にずれるように作られているのですね。だから、演奏会形式であっても歌手の声がかき消されないのです。飯守の演奏設計は、そういう音楽の構造をきっちりと明示すること、というものがあったのでしょうね。情熱的ですが、冷静な指揮者の態度を感じました。今回の成功の第一の功労者はやはり飯守泰次郎の音楽づくりにあると思いました。

 歌手陣ですが、小鉄和広の青ひげ公が良く、並河寿美のユディットは今一つでした。

 小鉄和広は、この役をかなり勉強していたようで、歌唱に自信がありました。ハンガリー語というなじみの薄い言語の歌唱であるにもかかわらず暗譜で歌いましたし、歌唱のタイミングもぴったり合っていました。心情表現はことさら大げさではなかったのですが、作品の内容に即した困惑ぶりがきっちり表現されていてよかったと思います。

 並河寿美は、作品に対する習熟が小鉄ほどではなかった、というのがまず第一の印象です。楽譜を見ながらの歌唱で、歌唱のタイミングが小鉄ほどはぴったりとは合っていなかったと思います。また、ユディットという役はドラマティックな表現が要求される役ですが、そのことをことさら意識して歌っており、それが影響したのか、声がかすれた部分もありました。

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鑑賞日:2010年3月24日
入場料:C席 7560円 4F 1列39番

主催:新国立劇場
協力:日本ワーグナー協会

オペラ3幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲 楽劇「ニーベルングの指環」第3日 「神々の黄昏」(Götterdämmerung)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会 場 新国立劇場オペラ劇場


指 揮  :  ダン・エッティンガー   
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出  :  キース・ウォーナー 
美術・衣装  :  デヴイッド・フィールディング 
照 明  :  ヴォルフガング・ゲッペル 
演出補  :  マティウス・フォン・シュテークマン 
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 

出演者

ジークフリート クリスチャン・フランツ
ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン
アルベルヒ 島村 武男
グンター アレキサンダー・マルコ=ブルメスター
ハーゲン ダニエル・スメギ
グートルーネ 横山 恵子
ヴァルトラウデ カティア・リッティング
ヴォークリンデ 平井 香織
ヴェルグンデ 池田 香織
フロスヒルデ 大林 智子
第一のノルン 竹本 節子
第二のノルン 清水 華澄
第三のノルン 緑川 まり

感 想 ブリュンヒルデの存在感ー新国立劇場「神々の黄昏」を聴く

 ダン・エッティンガー指揮によるトーキョーリングの再演が終了しました。ダン・エッティンガーという指揮者は、この演出のプレミエを指揮した準・メルクルと比較すると指揮者としての才能は今一つパッとしない方だとは思いますが、相当頑張られたのではないかと思います。2年間で4演目を振られたわけですが、私の見るところ、演奏に一番問題が多かったのは「ラインの黄金」、それから「ワルキューレ」、「ジークフリート」とどんどんよくなり、「神々の黄昏」でしっかりと「リング」をまとめました。名演奏と申し上げてもよいのではないでしょうか。

 これは、東京フィルの力量も関係していると思います。技術的な側面を申し上げれば、先月の「ジークフリート」を演奏したグループよりも今月の「神々の黄昏」を演奏したグループの方が、ミスが少なかったと思いますし、音の澄み具合もこちらの方が上だったように思います。どこかでボロボロに崩れるのではないか、と危惧していた金管も最初から最後まで、しっかりと鳴らしてほとんど問題はありませんでした。実質5時間弱の長丁場を、高水準の演奏で貫いたことは称賛に値するのではないか、と思います。

 さて、6年ぶりにトーキョーリングの「神々の黄昏」を見たわけですが、前回見落としていた部分が随分あることに気付きました。一番大きいのはハーゲンの取り扱いですね。ウォーナーは、「神々の黄昏」はハーゲンが軸になって動いていることをかなり意識しています。ジークフリートがブリュンヒルデを襲うシーンでは、舞台の前方にハーゲンが座って進行を見ているところなどがその例でしょう。また、第三幕ラストの「ブリュンヒルデの自己犠牲」の部分では、ハーゲンは舞台袖で進行を眺めています。ウォーナーは、映画のような感覚で「リング」を演出していますが、「神々の黄昏」では、ハーゲンが監督、という意識があったのかもしれません。

 こんなことを考えたのは、ハーゲン役のスメギがいい歌唱をしたからです。6年前は、長谷川顕がこの役を歌って、端正な歌唱でよかったのですが、どうしても軽量級で、ハーゲンの悪役ぶり十分に表現しきれなかったきらいがあります。スメギは声に芯があり、いかにも悪役という雰囲気を出していました。心情告白の切実さもよく出ていましたし馬力もあり、感心して聴きました。

 ブリュンヒルデを歌ったのは、「ジークフリート」から引き続きイレーネ・テオリンでした。第1幕のジークフリートとの二重唱で若干声がかすれたところがありましたが、あとは流石の実力です。かつて「トゥーランドット」を歌った時は馬力はあるけれども歌が荒っぽくて嫌な感じをしたのですが、「ジークフリート」、「神々の黄昏」とこれぐらいきっちり歌って頂ければ文句を申し上げては罰が当たるでしょう。本物のドラマティックソプラノの声を堪能いたしました。響きが豊かで、高音も金切り声にならず、力強い歌唱でブリュンヒルデの存在感を強く感じることができ満足いたしました。なお、一番の聴かせどころである「ブリュンヒルデの自己犠牲」はよかったのですが、やや一本調子のような感じがしました。

 ジークフリート役のフランツも実力のある方ですが、彼の歌唱は、2004年の時の方がもっと冴えていたように思います。勿論水準以上の歌唱なのですが、もっと良い声の方のような印象がありました。

 以上の主要三役は流石に力があります。この三人のパワーにどれだけ負けずに行けるか、というのがほかの出演者の課題なのでしょう。それでも外人勢は声に基本的に力があるので、主要三役に引けを取らずに歌っていたと思います。ヴァルトラウテのリッティング、グンターのマルコ=ブルメスター共になかなかの歌唱でした。

 日本人勢でまず良かったのは、ラインの三人の乙女です。平井、池田のダブル香織に大林智子ですが、重唱が良く響き、ジークフリートとの対話の部分では、フランツの声に引けを取らない歌唱を聴かせていただきました。良かったと思います。序幕の三人のノルンも悪いものではなかったのですが、ラインの三人の乙女と比較すると印象のはっきり残らない歌だったように思います。その中では緑川まりが比較的良かったように思いました。

 グートルーネの横山恵子。横山は日本人歌手の中では最もドラマティックな歌唱のできるソプラノという印象を持っていたのですが、流石に本場のワーグナー歌手に挟まれると声の力不足を感じました。歌唱それ自身は端正で良いものだったのですが、迫力負けは仕方がないところです。

 さて、「神々の黄昏」を久しぶりに見て、ワーグナーの無茶ぶりを強く感じました。前作の「ジークフリート」が、ジークフリートがどんどん成長していき、ブリュンヒルデを助け出すまでになるという成長物語だったわけですが、「神々の黄昏」では、英雄ジークフリートは、文明に毒された田舎者で、どんどん駄目になっていくわけです。その駄目にするシナリオを描いているのがハーゲンです。ハーゲンはアリベルヒの息子ですから、「指環」の大きな対立軸が、主神ウォータンとニーベルング族アリベルヒの間にあることを踏まえれば、この位置づけは当然なのでしょう。しかし、「神々の黄昏」では、「神」の意識を持った登場人物はいないのですね。ジークフリートは、ウォータンの孫ですから神性があるはずですが、本人にその意識はありません。ブリュンヒルデもウォータンとエルダの娘ですから神性を持っているはずですが、意識は明確ではありません。彼女は、「ブリュンヒルデの自己犠牲」で、神々を告発しつつ死んでいくわけですが、告発される神はブリュンヒルデの意識の中にいるだけで、「神々の黄昏」という作品の中には実際には登場してこないのです。それでも、ブリュンヒルデが亡くなると世界が瓦解し、残るはライン川だけ、となるわけですが、ブリュンヒルデが亡くなるとなぜ世界が瓦解しなければいけないのか、これも分からないところです。

 音楽にパワーがあって押し切ってしまうので何となく納得してしまいますが、ストーリーにはかなり無理があるな、という感じで見ておりました。私がワグネリアンになれないのは、そんなストーリーに浸れないのと、あまりにしつこい繰り返しが影響しているのだろうと思いました。


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鑑賞日:2010328
入場料:
D席 4000円 3F 1415

神奈川県民ホール・びわ湖ホール共同制作
東京二期会共催

神奈川県民ホール開館35周年記念

オペラ4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」La Boheme)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ
原作:アンリ・ミュルジュ

会場 神奈川県民ホール

スタッフ

指 揮 沼尻 竜典
管弦楽 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合 唱 びわ湖ホール声楽アンサンブル/二期会合唱団
合唱指揮 冨平 恭平
児童合唱 神奈川県立弥生高等学校合唱団
児童合唱指導    岩本 達明 
演 出 アンドレアス・ホモキ
装 置 ハルトムート・メイヤー
衣 裳 メヒトヒルト・ザイベル
照 明 フランク・エヴィン
音 響  小野 隆浩 
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

ミミ 澤畑 恵美
ロドルフォ 望月 哲也
マルチェッロ 宮本 益光
ムゼッタ 臼木 あい
ショナール 萩原 潤
コッリーネ ジョン・ハオ
ベノア 松森 治
アルチンドロ 大澤 建
パルピニョール 清水徹太郎

感想

この演出でいいのか-神奈川県民ホール開館35周年記念公演「ラ・ボエーム」を聴く。

 ベルリン・コーミッシェ・オーパーは、フェルゼンシュタイン、クプファーという名演出家の伝統で、ムジークテアターの先駆として世界的に有名です。現在の芸術総監督で首席演出家のホモキもまた、読み替え舞台の前衛的なものが得意で、我々にとって特に親しいのは、新国立劇場の「フィガロの結婚」と「西部の娘」です。今回のボエームもこのホモキが2008年4月にベルリン・コミッシェ・オーパーで新たに制作した舞台を持ち込んでの上演です。見た目には美しい舞台であり、ホモキの冴えを感じさせる舞台であることを認めるにやぶさかではありませんが、正直申し上げて、私には受け入れにくい舞台でした。

 会場に入ると、空っぽの舞台に白く雪がうっすらと積もって、更に雪が降り続いています。指揮者登場の拍手もなく、突然音楽が始まります。パリの屋根裏部屋はどこにもなく、マルチェッロは壁にペンキをぶちまけて絵を描くストリート芸術家だし、ロドルフォもどこが詩人なのか。二人が暖をとるのは暖炉ではなく、路上のドラム缶であり、ミミとロドルフォが出会うのも路上と言う寸法。勿論、こういう演出があってもいいのでしょうが、屋根裏部屋が無くなったため、ベノアの意味が良く分からなくなります。本来ベノアは、屋根裏部屋の家賃を取り立てに来る因業大家です。それが、地代を集めに来る地主、と立場が変わっている。勿論地代を取り損ねて追い出されてしまう、と言うのは同じなのですが、そもそも、路上を主な活動場所としている人たちから地代を取れるのでしょうか?

 第二幕はそれほど気になるところはないのですが、第二幕が終わると、ストップモーションで止まった群衆たちが、そのままの体勢で第三幕の合唱を歌い始めます。本来の時間関係は、第1,2幕がクリスマスであるのに対し、第三幕は二月か三月と言う設定です。しかし、舞台の真中のクリスマスツリーはそのままだし、第二幕の群衆が第三幕の合唱をそのままの体勢で歌い始めるわけですから、第二幕と第三幕との時間的連続性を感じずには居られません。しかし、三幕で歌われる歌は、ミミとロドルフォ、マルチェッロとムゼッタのカップルがそれなりの期間恋人として付き合ったことを前提にしなければ成立しないのです。この辺の無視が私にはすごく気持ちが悪い。

 第四幕は、男たちは既に成功しています。ロドルフォは「Mimi」などというタイトルの本を出している。これは、原作者のミルジュが、もともと自分がボヘミアンだったのが成功して、「ボヘミアンたちの生活」という作品を出版して成功したということを踏まえているのでしょうが、成功した筈のコッリーネが「古い外套よ、さらば」と歌うのも変です。本来「ボエーム」という作品は、そういう細かい台本のディーテイルが音楽と密接に結びついているので、読み替えが非常に難しい。登場人物の衣装はどう見たって現代ですけど(なんたって、ムゼッタは、第四幕ではレギンスを穿いて登場します)、現代だったら結核は既に死の病ではないですから、ミミが子爵の世話を受けるようになった時、PAS療法か何かで直しておけばいいのです。

 私は読み替え舞台を一概に否定するものではありませんが、今回のホモキの舞台は読み替えることによって矛盾がいくつも出てきて、そこを気にしだすとどうにも困ってしまいました。コーミッシェ・オーパーであれば、あそこはドイツ語上演ですから、演出に応じて歌詞を変えるという手がありますが、イタリア語上演である日本では歌詞を変えるわけにはいきません。この「ボエーム」を企画したプロデューサーは、コーミッシェ・オーパーの特殊性を配慮せずに演出家を選んだのではないかしら。それともよっぽどレジー・テアターが好きなんでしょうか?。

 さて、演出への違和感はさておき、演奏ですが、これまたかなり厳しいものがありました。まず、澤畑恵美はミスキャストでしょう。澤畑はミミ歌いと言うよりはムゼッタ歌いです。私は、ミミと言う役は中音部に膨らみのある純粋リリコの役だと思っているのですが、澤畑恵美は高音部に響きのポイントのある方で、中音部は相対的に痩せています。彼女は役作りについては相当考えていたようで、私のようにミミに対する声のこだわりのない方は大いに感心したに違いありません。うまいと思います。特に第三幕の歌唱の感情の込め方に澤畑の真骨頂が出ていたと思いました。しかしここでも、高音部が響いて中音部のふくらみが今一つで、ミミという役柄としては、一寸蓮っ葉な感じを与えてしまう。 違和感がありました。

 望月哲也のロドルフォも今一つ。「冷たい手」では、オーケストラと相当テンポがずれており、どう合わせるのか、スリリングでした。第三幕のミミとの別れも、なんか妙に元気な歌唱で、口では悲しいと言っているけれども、内心は大喜び、ということなのかな、と余計なことを考えてしまいました。軽い美声で魅力的なテノールなのですが、もっとロドルフォの心情を踏まえた役柄づくりをしてほしいと思いました。

 臼木あいのムゼッタは下手ではありませんが、こちらが期待したほどではありませんでした。「ムゼッタのワルツ」はきっちり仕上げましたが、歌としてはごく普通の水準だったと思います。宮本益光のマルチェッロは結構シャープな印象のマルチェッロで、マルチェッロとしてはこれまで私が聴いてきた中では異質なタイプです。しかし、細かい演技をきっちりこなし、歌唱も立派で、本日の歌手陣の中では一番良かった方だと思います。

 萩原潤のショナールは、2006年の二期会公演でも歌っている役で結構でした。ジョン・ハオのコッリーネもよかったと思います。

 休憩のないのは、演出上の都合、と言うことでしたが、休憩時間が長すぎるなあとよく思う私にとって、ありがたいことでした。また、休憩がないことで全体のテンポが良くなり、すっきりと纏まったことは良かったことでしょう。本来はその中で、各幕の表情をしっかりと区別してほしいなあ、と思っていたのですが、幕毎の音楽的な表情の違いはあまり大きいものではありませんでした。そういう解釈が沼尻竜典のボエームに対する意識だったのでしょうか。それとも演出の都合で、音楽的表情をあまり前面に出さないようにしていたのでしょうか。

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鑑賞日:2010年4月15日
入場料:D席 3780円 4F 1列54番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会 場 新国立劇場オペラ劇場


指 揮  :  パオロ・オルミ   
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出  :  チェザーレ・リエヴィ 
美 術  :  ルイジ・ベーレゴ 
衣 装  :  マリーナ・ルクサルド 
照 明  :  立田 雄士 
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督  :  村田 健輔 

出 演

アディーナ

タチアナ・リスニック

ネモリーノ

ジョセフ・カレヤ

ベルコーレ

与那城 敬

ドゥルカマーラ

ブルーノ・デ・シモーネ

ジャンネッタ

九嶋 香奈枝

感 想 アディーナは日本人ソプラノに限る?!-新国立劇場「愛の妙薬」を聴く

 新国立劇場に不満は色々あるのですが、その一つにいわゆるベルカント・オペラに冷たい、ということがあります。開場して10周年を超え、上演された演目数も50を超えますが、いわゆるベルカント・オペラで上演されたのは僅か3演目、すなわち「セビリアの理髪師」、「チェネレントラ」、「ルチア」だけです。これは随分ひどい仕打ちです。特にベルカント・オペラが大好きで、ベルカント・オペラこそオペラ史上もっとも輝いた時代だと信じている私のような観客にとって、もっともっと新国立劇場にベルカント作品を取り上げて欲しい、というのは切なる希望です。

 そんな切なる希望が届いたためかどうかは知りませんが、遂にベルカント時代の傑作「愛の妙薬」が新国立劇場に取り上げられました。嬉しくて早速初日に聴いてまいりました。

 チェザーレ・リエヴィの演出は寓話的なものでした。時代も場所も特定されないところに、「トリスタンとイゾルデ」の本や、「ELISER」と書かれた文字が動きます。この演出には、バスク地方の香りはもうありません。しかし、「愛の妙薬」はこのような読み替え演出を許容する奥の深さがあります。昨年の藤原歌劇団のマルコ・ガンディーニの演出は、舞台を現代のショッピング・モールへ置き換えての演出でしたが、それでもさほど違和感を感じずに見ることができたわけですから、それから比べれば過激さの少ないリエヴィの演出が受け入れられないわけがありません。私には結構素敵な演出に思いました。

 その上、流石イタリア人ですね。色彩感覚のセンスが良い。華やかな色を使っての雰囲気作りは見事です。ネモリーノが赤い髪に緑の洋服であるのに対し、ドゥルカマーラは緑の髪に赤い洋服の対比。ジャンネッタの金髪と青色い衣裳に黄色いエプロンという風な原色を使った舞台づくりは、この作品の寓話性を強調するのに有意義だったと思います。

 そんなわけで、舞台は満足できるものだったのですが、演奏は今一つ、と申し上げるべきレベルのものでした。まず歌手陣が鳴り物入りで登場した割には大したことがない。特にアディーナ役のタチアナ・リスニック。プロフィールを見ると、随分立派な経験を積んでいるようですが、実際の歌唱は、声が伸びないし、高音が響かない。アディーナは典型的なソプラノ・リリコ・レジェーロの役ですから、軽く歌えて、高音が響いてほしいのですが、声がレジェーロというよりはリリコに傾いているようで、どうしても歌が重いのですね。その上技巧的にも問題があって、アジリダがきっちり歌えないし、音程も一寸不安なところがあります。

 私は昨年日本人アディーナを6回聴いたのですが、その中のトップ2、高橋薫子や森麻季と比較すると足元にも及ばないレベルです。こんな二流どころを連れてくるのであれば、高橋、森とまで言わなくても、日本人でこれ以上に歌える若手は一杯いるように思います。今回のアディーナのカヴァーは臼木あいですが、私は臼木の方が期待を持てるように思いました。

 更に話題のテノール、ジョセフ・カレヤのネモリーノ。こちらも私は買いません。確かに声は大きく良く飛びます。例えば「人知れぬ涙」の最後の4小節のまとめ方などは「上手いな」と思いました。しかし、それ以外は唯声が大きいだけのテノールじゃあ無いでしょうか。もっと丁寧に、表情をつけて軽やかに歌えば立派なネモリーノになると思うのですが、無理に声を張り上げ重戦車のように歌う。だから、ネモリーノの不安な気持ちがちっとも伝わってこないし、アディーナに対する恋慕の情も感じられないのです。せっかくのベル・カント・オペラなのに、ベルカントにならなきゃ詰まりません。

 でも他の3人はそれなりに立派だったと思います。ドゥルカマーラのシモーネ。流石にロッシーニ、ドニゼッティのバッソ・ブッフォのスペシャリストです。間然としたところのない立派なドゥルカマーラでした。登場のアリア「お聞きなさい、さあ、村の皆さん」の早口の口上がまず素晴らしく、その次のネモリーノとの二重唱での早口に感心し、第二幕冒頭のアディーナとの二重唱「私は金持ち、貴女は美人」も結構でした。本当にブッフォらしいブッフォで、楽しむことができました。

 与那城敬のベルコーレも結構。第一幕はさほど良いとも思わなかったのですが、第二幕のネモリーノを兵隊に誘うくだりからフィナーレまでは大変上手にまとめたと思います。九嶋香奈枝のジャンネッタも、アンサンブル中心の参加ですが、きっちりと自分の役目をはたしていました。

 もうひとつ特筆すべきは合唱です。新国立劇場合唱団はレベルが高いのですが、今回の合唱はことに良かったように思いました。

 作品は楽しい名作で脇役陣は頑張っていたのですから、主役の二人がもう少し立派な演奏をしてくれれば良かったのですが、そうはいきませんでした。そういうところがオペラの難しさなのでしょう。

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鑑賞日:2010年4月17日 
入場料:1000円 38列7番

主催:日野市文化協会

日野市文化協会40周年記念事業「式典&オペラコンサート」

会 場 日野市民会館大ホール

出 演

ソプラノ

立野 至美

 

メゾソプラノ

森山 京子

テノール

村上 敏明

バリトン

吉川 健一

ピアノ

江澤 隆行

プログラム

タイトル 

 

歌手 

帰れソレントへ    クルティス 作曲 

村上 敏明 

愛しい女よ    ジョルダーニ 作曲 

立野 至美 

エル・ヴィート   オブラドロス 作曲 

森山 京子 

カタリ    カルディッロ 作曲 

吉川 健一 

この道  北原 白秋 作詞  山田 耕筰 作曲 

立野 至美 

落葉松  野上  彰 作詞  小林 秀雄 作曲 

村上 敏明 

なんた浜  宮良 高夫 作詞  宮良 長包 作曲 

森山 京子 

電話  薩摩  忠 作詞  湯山 昭  作曲 

吉川 健一 

休憩    

「20スクードで」  オペラ「愛の妙薬」より  ドニゼッティ作曲 

村上敏明/吉川健一 

「恋は野の鳥」  オペラ「カルメン」より  ビゼー作曲 

森山 京子 

「セヴィリアの城壁の近くに」  オペラ「カルメン」より   ビゼー作曲 

森山京子/村上敏明 

「友よ、祝いの酒を飲み干そう」  オペラ「カルメン」より   ビゼー作曲 

吉川 健一 

「神よ平和を与えたまえ」  オペラ「運命の力」より  ヴェルディ作曲 

立野 至美 

アンコール   

「風穏やかに」  オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」より  モーツァルト作曲 

立野至美/森山京子/吉川健一 

「誰も寝てはならぬ」  オペラ「トゥーランドット」より  プッチーニ作曲 

村上 敏明 

「友よ、いざ飲みあかそうよ」  オペラ「椿姫」より  ヴェルディ作曲 

全員 



感 想 日野市にオペラは根付くか?!-日野市文化協会40周年記念「式典&オペラ・コンサート」を聴く

 日野市のキャッチフレーズが「藝術文化の薫る町」です。このキャッチ・コピーは、3〜4年前に市長が突然言い出したもので、一部の市民には浸透しているようですが、大多数の市民は知らない。ましてや市外の人が知る由もない、そういうものです。大体、日野市と藝術文化とはなかなか結びつかないと思います。文化施設と言えば、多摩動物公園がありますが、動物園の印象は、一般的には藝術文化ではありません。少なくとも音楽分野に関して言えば、多摩地区の平均を下げる方に役立っているような気がします。いちょうホールの八王子市、アミュー立川の立川市、府中の森芸術劇場の府中市、パルテノン多摩の多摩市と比較する時、日野市の日野市民会館の自主公演活動は相当に見劣りするのが本当のところです。

 それでも、市民有志による文化活動は活発に行われているそうです。日野市文化協会は美術、音楽、書道から、漢詩や大正琴あるいはボーイ・スカウトに至るまでの市内の26団体からなる組織で、毎年9月から11月までに行われる市民文化祭の主体となる組織です。その協会が設立40年を迎えたということは、「藝術文化の薫り」が見えにくい日野であっても、草の根の文化・芸術活動は連綿と続いていたということで、大変おめでたいことではあります。

 出演者は、日野出身の村上敏明と日野出身・在住の吉川健一、それに村上の伝手で出ていただいた立野至美と森山京子です。村上と森山は日本のトップクラスの実力者、吉川も若手バリトンとして一定の地位を築いている方です。立野はあまり聴いたことが無いので良くは知らないのですが、キャリアは立派なものです。そう言う方が歌うのですからそれなりの水準以上であるのは当然のことです。楽しむことができました。

 一番感心したのは、森山京子。森山と言えば、日本人のメゾソプラノで、特にイタリアものを歌わせたらこの方が第一人者なわけですが、その力量を良く感じさせて貰える歌唱でした。森山は、メゾソプラノですが高音の軽い抜けも素敵なのですね。森山の歌と言えば、フローラとかスズキとかの印象が強い聴き手にとって、沖縄民謡やスペイン歌曲は新鮮に思えました。私にとって、「エル・ヴィート」も「なんた浜」も初めて聴く曲なのですが、森山の魅力的な声と、沖縄民謡に関して申し上げれば、地元出身の歌手としての雰囲気をしっかり出していて、大変結構な歌でした。カルメンの2曲、「ハバネラ」と「セギディーリャ」。これは森山の18番ですから、悪いわけはありません。良い音楽を聴かせていただきました。

 村上敏明の歌も立派です。「誰も寝てはならぬ」、「帰れ、ソレントへ」、「落葉松」は、村上の得意な曲で、私もこれまで何度も聴いております。今回も、いつもながらの安定した歌で結構だったと思います。村上の歌唱で初めて聴くのが吉川ベルコーレと共に歌う「20スクードで」。結構でした。雰囲気がしっかりとネモリーノでした。一昨日に聞いたジョセフ・カレヤのネモリーノよりも、私にはずっとしっくりきます。吉川健一のベルコーレともども、賞賛したいと思いました。

 吉川健一もがんばりました。吉川の歌で一番魅力的だったのは、湯山昭の『電話』です。初めて聴く曲ですが、画家の得意の絶頂と失意をコミカルに歌って見せて、大変結構でした。「カタリ」も悪い歌ではありませんでしたが、この作品はテノールで歌われた方が魅力が増すように思いました。「闘牛士の歌」はごく普通の「闘牛士の歌」でした。

 立野至美は、高音の抜けが悪かったのが気になりました。森山京子の方が高音の抜けが良いというのは、ソプラノとしてあまり褒められたものではありません。とはいうものの、中低音に厚みのある歌は必ずしも悪いものではありません。「この道」における落ち着いた雰囲気は悪いものではありませんでした。

 司会は前半が村上と吉川が、後半はピアニストの江澤隆行が担当しました。三人の司会はそれぞれショーマンシップがあり、良いものだったと思います。村上と吉川は、「この日野市民会館でいつの日か本物のオペラを上演してみたい」と言っておりましたが、日野市にオペラが根付いて、そういう日が来ることを、私も期待したいと思います。

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鑑賞日:2010年5月8日  
入場料:B席 4000円 3F R1列48番

主催:株式会社京王エージェンシー/東京フィルハーモニー交響楽団/株式会社二期会21

第16回京王オペレッタフェスタ

オペレッタ3幕、ホール・オペレッタ形式、日本語訳詞上演
レハール作曲「メリー・ウィドウ」(Die lustige Witwe)
原作:アンリ・メイヤック「大使館付随員」
台本:ヴィクトル・レオン、レオ・シュタイン

会 場 東京オペラシティ・コンサートホール


指 揮  :  時任 康文   
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
演出・脚本  :  今井 伸昭 
振 付  :  川西 清彦 
装 置  :  鈴木 俊朗 
衣 装  :  小野寺 佐恵 
照 明  :  石川 紀子 
舞台監督  :  大澤 裕/田中 義浩 

出 演

ミルコ・ツェータ男爵(ポンテヴェドロ公使) 加賀 清孝
ヴァランシェンヌ(その妻) 鷲尾 麻衣
ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵
(公使館書記官、退役騎兵中尉)
黒田 博
ハンナ・グラヴァリ(富豪の未亡人) 腰越 満美
カミーユ・ド・ロジョン(パリの伊達男) 井ノ上 了吏
カスカーダ子爵(公使館付随員) 大川 信之
ラウール・ド・サンブリオッシュ(パリの伊達男) 村上 公太
ボグダノヴィッチ(ポンテヴェドロ領事) 畠山 茂
シルヴィアーヌ(その妻) 坂野 早苗
クロモウ(公使館参事) 須山 智文
オルガ(その妻) 橋本 恵子
プラシコヴィア(ポンテヴェドロの退役大佐の妻) 加納 里美
ニェーグシュ(公使館書記官) 志村 文彦
マキシムの踊り子 金澤 由美子
マキシムの踊り子 水那 れお
マキシムの踊り子 齋田 綾
マキシムの踊り子 関根 実里

感 想 
分かりやすい日本語のために-京王オペレッタフェスタ公演「メリー・ウィドウ」を聴く。

 私が初めて「メリー・ウィドウ」を実演で見たのが1988年10月29日、東京文化会館での二期会公演でした。佐藤征一郎のツェータ、中村邦子のハンナ、斎藤昌子のヴァランシェンヌ、越智則英のダニロ、黒田晋也のカミーユといった面々で、ともども大いに楽しんだ覚えがあります。それ以来、ウィーン・フォルクス・オーパなどの来日組、日本オペレッタ協会などの国内物など色々な舞台を拝見しておりますが、最初の体験が良かったのか、私にとっては、「メリー・ウィドウ」と言えば二期会、というイメージがあります。

 一方、京王オペレッタフェスタはもう16年も続いているイベントです。私は京王線の利用者なので、この公演を昔から存じておりましたが、なかなか時間が合わず、これまでは一度も伺ったことがありませんでした。本年は、4月、5月のオペラが乏しいこともあり、N響の定期公演を振り替えて初めて伺うことにしました。

 行った感想ですが、ありていに申し上げれば、イマイチでした。オペレッタとしてはそれなりに楽しめたと思います。しかし、二期会オペレッタの伝統をある程度知っているものにとってみれば、かなり問題の多い演奏だったと思います。工夫も色々あっていいところもあるのですが、トータルではいかがなものか、というところです。

 コストの観点からなのでしょうが、本来の登場人物がいなくなっているのがまず気に入りません。あのブリチッチュはどこに行ってしまったのでしょうか。今回プラシコヴァは、「夫は出張中で私は一人」のような趣旨の発言をしていましたが、ブリチッチュはいるだけでおかしいという役どころですからいて欲しかった。マキシムのグリゼットも6人いるはずなのに4人しかいない。これも何か寂しいです。どうやって6人にするのかな、と思っていたら、坂野早苗と橋本恵子が一緒に踊って形を作るのですね。演出家も考えたのでしょう。

 合唱がいないのもマイナスです。合唱によって音の厚みを出すべき部分が、合唱団がいないがゆえに貧弱になる部分があり、良いものではありませんでした。

 更に問題なのは、日本語が聞えないことです。それでも台詞の部分はまだよろしいのですが、歌唱の部分は歌詞が何と言っているのかがほとんど分かりませんでした。今回歌詞は野上彰(ワルツは堀内敬三)という二期会の標準を使用していると思いました。この歌詞であれば主要な曲であれば私も大体知っております。だからある程度は知識でカバーしながら聴くのですが、それでも聴きとれないところが少なくないのです。これは誰が、と言うことではありません。腰越満美もそうですし、黒田博もそうです。それ以外の方も皆そうでした。

 最近、オペラにおける日本語歌唱法が進歩して、かつてと比べると相当聴きやすくなったのですが、今回の歌唱は、20年前に逆戻りをしたのではないかと思うほど聴こえないものでした。全体的に声の飛びも今一つ思わしくなく、会場の問題か、私の座った席に問題があるのかもしれないと思いました。オペレッタは分かりやすさと言うのが一つの身上ですから、今後は、どう観客に歌詞を聴かせるかという観点での検討が必要だろう(特にオペラシティで継続するならば)と思いました。

 演出はやり過ぎ感はありましたが、ギャグの繰り返しを用いての強調、客席の使い方など、悪いのものではありませんでした。最初にボグダノヴィッチが登場して、オーケストラの女性奏者に名刺を配りながら振られるところであるとか、またボグダノヴィッチの話題になりますが、彼が登場する時は、必ず「僕、ボグダノヴィッチ」というところ、クロモウの過剰なまでのオルガの浮気の心配などきっちり見せていたところはよかったところです。

 ニェグーシュを演じた志村文彦も楽しかったところです。志村のニェグーシュと言えば、2005年の二期会本公演のコミカルな演技を思い出すのですが、今回もかつらを小道具に用いての大げさな演技が楽しめました。また本来ニェグーシュに独立したソロ曲は与えられていないのですが、今回は挿入曲として加賀清孝作詞・作曲の「私は何でも知っている」が歌われました。4人の踊り子を従えて歌うこのアリアは、大使館員夫人たちの火遊びを知ったニェグーシュの困惑と開き直りを歌ったもので、楽しめました。

 コミカルといえば、加納里美のプラシコヴィアを忘れてはいけません。体重がとても重いおばさん、とい設定で登場し、彼女がのしのし歩くと、男たちが飛び上がるところや、グリゼットたちの踊りで、大きなハートマークの入ったパンツを見せるところなど、存在感がありました。

 時任康文指揮/東フィルの演奏はごく普通のものだと思いました。ピットではなく、舞台上での演奏ですので、音の強さは、全体的にもう少し絞った方が良いと思いました。尚、今回のコンサートマスターは、ネイサン・ギエムが勤めたようです。彼の独奏ヴァイオリンの音色は美しいもので、感心いたしました。

 歌手陣の音楽ですが、正直なところイマイチです。腰越満美のハンナは「ヴィリアの歌」など上手だと思うのですが、全体として音量不足の感がありました。黒田博のダニロも同様。今一つパッとしません。歌詞が聞き取れないことは上記のとおりでしたし、黒田は台詞もはっきりしないところがありました。腰越も、黒田も私がこれまで評価してきた歌手なので、今回は期待外れと申し上げておきましょう。

 ツェータの加賀清孝はオペレッタのスペシャリストみたいなところがあります。あれだけ台詞を噛みながら、それでもおかしい演技につなぐところなどは流石だと思いましたが、音楽面は、最初の曲では音程が明らかに落ちていましたし、さほど良いものではありませんでした。ヴァランシェンヌの鷲尾麻衣も期待はずれです。先日聴いたコジ・ファン・トゥッテのデスピーナと比較すれば相当出来が悪い。音が飛んでこないですし。グリゼットたちとの踊りでは、ダンサーたちに混じって、足の振りあげなど遜色のないレベルだったことは高く評価しなければなりませんが、踊りに力がとられて、歌唱がおろそかになった、と言うことでないかと危惧をします。井ノ上了吏のカミーユ。高音が汚く、評価しがたい歌唱でした。

 オペレッタですから必ずしも歌唱の魅力だけで見せるものではないと思います。しかし逆に音楽舞台劇であるという側面を考えると、歌詞や台詞が聞き取れないのはやはりまずいです。日本語として分かりやすく聴こえるためにどうしたらよいか、関係者の方に再度検討してもらいたいと思いました。

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鑑賞日:2010521
入場料:8000円、C席 3F936

主催:(財)新日本フィルハーモニー交響楽団/すみだトリフォニーホール

新日本フィルハーモニー交響楽団
トリフォニーシリーズ
第461回定期演奏会

オペラ5幕、字幕付原語(フランス語)、コンサートオペラ形式上演
ドビュッシー作曲「ペレアスとメリザンド」(Pelleas et Melisande)
原作/台本:モーリス・メーテルリンク

会 場 すみだトリフォニーホール

指 揮 クリスティアン・アルミンク
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 栗友会合唱団
合唱指揮 栗山 文昭
演 出 田尾下 哲
照 明 西田 俊郎
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

ペレアス ジル・ラゴン
メリザンド 藤村 実穂子
ゴロー モルテン・フランク・ラルセン
アルケル クリストフ・フェル
ジュヌヴィエーヴ デルフィーヌ・エダン
イニョルド アロイス・ミュールバッヒャー
医師/羊飼い 北川 辰彦

感 想 印象派の美-新日本フィルハーモニー交響楽団コンサート・オペラ「ペレアスとメリザンド」を聴く

 「ペレアスとメリザンド」を聴くのはほぼ2年ぶりのことです。前回は2008年6月、若杉弘が新国立劇場のオペラ芸術監督のとき企画したコンサート・オペラで聴いたのですが、この時のことは、舞台の印象や浜田理恵の細かいニュアンスをしっかりつけた歌唱は記憶があるのですが、若杉がどんな演奏をしたかはほとんど覚えておりません。私は、オペラというと、どうしても歌唱に気が行ってしまうタイプの聴き手なのですね。

 そのような私が聴いても、今回の新日本フィルの「ペレアスとメリザンド」はオーケストラが気になる演奏に仕上がっていたと思います。

 今回の演奏の最も見事だと思うのは、オーケストラと歌のバランスが絶妙だ、ということでしょう。この作品は、オーケストラの弱音を、弱音でありながら、どれだけ印象的に響かせるかというところにポイントがあると思うのですが、その部分のアルミンクの設計は実に見事だったと思います。寄せては返す波のような弱音の流れは、舞台背景として用いられていたCGグラフィックスの森、あるいは森に流れる風のイメージとよくマッチしていて、印象派音楽の美しさ、というものを印象的に示していたのではないかと思います。

 結局、弱音が見事に流れ、登場人物たちの運命を彩って行くことを明確に示していくことから、時々見られるフォルテの強奏や金管の咆哮が印象的に聴こえるのですね。そして、管弦楽の弱奏の上に乗っかる様に歌われる歌も、オーケストラの海に沈むことは無く、と言って、オーケストラとの間で余計な波しぶきを立てることもなく、全体には、一体感を持って演奏されているように思いました。こういうところがアルミンクの巧さなのでしょう。

 私自身の趣味から行けば、部分的にはもう少しじっくりと演奏してほしい部分があったのですが、全体としてみればよくまとまった、この作品の魅力を十二分に引き出した演奏と申し上げてよいと思います。アルミンクの実力をまたもや再確認した演奏でした。新日本フィルの演奏も、アルミンクの棒によく対応した立派な演奏でしたが、殊に木管陣が魅力的でした。

 コンサート・オペラということで、演出は最小限のものです。オーケストラの前後に舞台があり、その両方を使って、簡単な演技をしながら歌われます。舞台の背後には大きなスクリーンがおかれ、そこにコンピューターグラフィックスによる映像が写されることで、このオペラの舞台である、森やお城、あるいは泉などを象徴的に示しています。この映像を利用するというやり方は、中途半端な演出をやられるより、すっきりしていて分かりやすく、またこのオペラの象徴主義的特性をしっかり示すことができていたように思いました。

 歌手陣では、メリザンド役の藤村実穂子がまず見事でした。本来メリザンドは、ソプラノ・リリコ・スピントの持ち役だと思いますが、ワーグナー・メゾの藤村もしっかりとした歌唱を見せました。藤村はもともと持っている声が美しいですし、結構高い声もこもることなくすっきりと響かせられる方なのですね。だから、メリザンドも悪くないのですね。メリザンドという役柄はミステリアスな印象と、幻想的な雰囲気を出すのが本来の姿だろうと思います。藤村はメゾ・ソプラノだけあって、幻想的な雰囲気というよりも、より存在感のある歌唱になっていたと思いますが、それはそれで、説得力があり、悪いものではありません。第3幕の冒頭に歌われる「メリザンドの歌」は、ことに印象的に響きました。

 ペレアスを歌ったジル・ラゴンは、若さを感じさせないペレアスの造形しました。正直申し上げて特別印象的な歌唱ではなかったのですが、ペレアスとメリザンドの愛が完全にプラトニックな愛である以上、若さや情熱が前面に出るのは好ましくないという判断があったのかもしれません。私は、第3幕の塔の場面などは、もう少し情熱のあるペレアスでもよいように思うのですが、良く言えば抑制された、ありていに申し上げればパッとしない雰囲気がありました。反対に運命に流されるペレアス、という雰囲気は出ていたのかもしれません。

 モルテン・フランク・ラルセンのゴロー、良かったと思います。ゴローはこのオペラの中で唯一世俗的な雰囲気が前面に出る役柄ですが、全体としてもやっとした印象で進む演奏の中で、自我の明確な表出と、嫉妬心の高まりが良いアクセントになって、オーケストラの強奏とともにこの作品の味を増すのに貢献していました。

 アロイス・ミュールバッヒャーのイニョルド。これも収穫。ミュールバッヒャーはまだ14歳のリンツの聖フローリアン修道院少年合唱団のメンバーだそうですが、まだ、変声前の子供の声でした。イニョルドは大人の女性が歌うことが多く、私もそのような演奏しか聴いたことが無かったのですが、子供が子供の役を歌う時、イニョルドの無邪気さが前面に出て、ゴローとの対比において、ゴローの嫉妬心がより引き立っておりました。

 アルケル王は、予定の大塚博章がクリストフ・フェルに変更。これも収穫でした。深いバスの声が老王のつつしみを感じさせるもので良かったです。2年前のアルケルは大塚博章だったのですが、その時の大塚と比べると、今回のキャスト変更は、演奏に良い影響を与えたのではないかと思います。

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鑑賞日:2010年5月26日 
入場料:D席 3780円 4F 3列12番

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「影のない女」(Die Frau ohne Schatten)
台本:フーゴ・フォン・ホーフマンスタール

会 場 新国立劇場オペラ劇場


指 揮  :  エーリッヒ・ヴェヒター   
管弦楽  :  東京交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出  :  ドニ・クリエフ 
美 術  :  ドニ・クリエフ 
衣 装  :  ドニ・クリエフ 
照 明  :  ドニ・クリエフ 
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 

出 演

皇帝

ミヒャエル・バーバ

皇后

エミリー・マギー

乳母

ジェーン・ヘンシェル

霊界の使者

平野 和

宮殿の門衛

平井 香織

鷹の声 

大隅 智佳子 
バラク 

 

ラルフ・ルーカス 
バラクの妻 

 

ステファニー・フリーデ 
バラクの兄弟たち/夜番たちの声  青戸 知 
バラクの兄弟たち    大澤 建 
バラクの兄弟たち    加茂下 稔 
天上からの声/生れざる子供たちの声/声    村松 桂子 
生れざる子供たちの声/声/侍女    吉原 圭子 
生れざる子供たちの声/声/侍女    國光 ともこ
生れざる子供たちの声/声    黒澤 明子 
生れざる子供たちの声/声/侍女    池田 香織 
生れざる子供たちの声/声    三輪 陽子 
夜番たちの声    大久保 光哉 
夜番たちの声    山下 浩司 


感 想 サヴァリッシュは上手かった-新国立劇場「影のない女」を聴く

 今回新国立劇場で、「影のない女」を聴いていて、18年前のサヴァリッシュ指揮によるバイエルン国立歌劇場の来日公演を思い出しました。それまでほとんど思い出すことのなかった公演なのですが、今回のエーリッヒ・ヴェヒターの演奏を耳にしながら、「サヴァリッシュはもっと上手だったよな」、と詮無いことを思っておりました。

 今回の「影のない女」は、そもそも若杉弘が振る予定でした。若杉が鬼籍に入り、代理でヴェヒターが指揮をしたわけですが、このヴェヒターと言う方、経歴はドイツのカペルマイスターと言う感じの方で、良く言えば手堅い指揮、ありていに申し上げれば色気の感じられない演奏のする方でした。別の言い方をすれば、個性的な指揮者だと思うのですが、個性の表出の仕方が、間欠的で、全体の有機的結合が見えにくい指揮者だと思いました。

 18年前のサヴァリッシュの解釈は、もっとゆったりと全体を包み込むような余裕のある音楽で、全体として色気の立ち上るロマンティックな雰囲気があったように思います。その時初めて聴いた作品でありながら、シュトラウスの味をじっくりと噛みしめることができ、流石にシュトラウスの第一人者だと思いました(当時、サヴァリッシュは、バイエルン国立歌劇場の総監督兼音楽監督で、この地で、リヒャルト・シュトラウスの全オペラ作品を自ら指揮して上演しておりました)。実演としては18年ぶりで聴いた今回の演奏は、個々の部分にフォーカスすればそれなりに魅力的なのですが、全体を俯瞰してみると、なんともぼやけてしまった印象で、今一つ納得できないものでした。

 それは、この作品のメルヒェンとしての味わいが足りないと思ったことも関係するのかもしれません。これは、ドニ・クリエフの演出にも関係するののでしょう。クニエフは、演出ノートで、このオペラは、「バラクの妻の妄想である」と言っています。そして、「カモシカに姿を変えた皇后、皇帝、皇帝を支える乳母、鷹などといったキャラクターは、彼女の幻想の産物」、とも。この精神分析学的解釈を基盤にした演出は、見ているときは、直ぐ分るようなものではなかったのですが、今、思い返してみれば、そうなのかもしれないとは思いました。

 今回の舞台のバラクの家のセットを見て思ったのは、数年前に新国立劇場のオペラ研修所公演で見た「アルバート・ヘリング」の舞台でした。あの舞台は、予算の都合と、作品の小市民的な感性を踏まえると納得できるものだったのですが、今回の舞台も、バラクの妻の現実と幻想の相克を意識しているのですね。だから、皇帝といえども豪華な宮殿に住むわけではない。クリエフに言わせれば、チープな舞台こそが、バラクの妻の心象風景だ、ということなのでしょう。そういう精神分析学的解釈は、この作品のメルヒェンとしての位置を拒否しているようで、私には、あまりしっくりとは来ないものでした。

 歌手陣は外人勢女声三人が立派。特に、バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデと皇后役のエミリー・マギーは抜群の声量と技巧で聴き手を圧倒します。また多分最盛期は過ぎているのでしょうが、ヘンシェルの乳母も聴かせます。

 エミリー・マギーはこれまで伯爵夫人やエレットラで新国立劇場に登場し、私はモーツァルト的な美感で歌うのは難しい人だと思っていたのですが、後期ロマン派のドラマティック・ソプラノ役に適性があるということなのでしょうね。良かったです。実力も着き歌唱の技巧も上がったということもあるかと思います。かつては、ずり上げが直ぐにわかるレベルだったのですが、今回はずり上げを歌唱技術で覆い隠すことができていました。また、フリーデもヘンシェルも声量のある方ですから、負けてられないというライバル心もあるのでしょう。これまで聴いた中では最も良い成果を上げていたと思いました。

 ステファニー・フリーデは、昨年の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が良かったわけですが、今回もいい。強い声がしっかり響くところが魅力的ですが、強い声で歌う中での細かいニュアンスの表出による感情表現や、一寸メランコリックな演技も面白く見ました。「影のない女」の実質的主人公は、バラクの妻ですが、ヒロインのオーラを出した歌唱・演技であったと思います。

 ジェーン・ヘンシェルは、弱音の表現は必ずしも良いとは思わなかったのですが、ドラマティックな部分の表現力・迫力は流石だと思います。三女声の中で、現時点でのトータルの実力ナンバーワンは、フリーデだと思うのですが、声の軸として君臨しているのはヘンシェルだったように思います。ベテランの魅力をふんだんに示しておりました。

 外人男性陣二人は悪くはないように聴きましたが、女声の迫力に完全に貫禄負けしていた印象です。「影のない女」と言うより、「影の薄い男」と言うところでしょうか。バーバの皇帝は、それでもそれなりだったと思うのですが、ルーカスのバラクは、聴いた直後はそうは思わなかったのですが、一晩おいて考えてみると、印象が相当散漫です。

 日本人脇役勢では、大隅智佳子の鷹の声と平野和の霊界の死者が印象的でした。


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鑑賞日:2010年6月13日 
入場料:D席 6000円 4F L1列22番

主催:財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「タンクレーディ」(Tancredi)
台本:ガエターノ・ロッシ

会 場 東京文化会館大ホール

指 揮  :  アルベルト・ゼッタ   
管弦楽  :  読売日本交響楽団 
合 唱  :  藤原歌劇団合唱部 
合唱指揮  :  須藤 桂司 
演 出  :  松本 重孝 
美 術  :  荒田 量 
衣 装  :  前岡 直子 
照 明  :  服部 基 
舞台監督  :  菅原 多敢弘 

出 演

タンクレーディ

マリアンナ・ピッツォラート

アメナイーデ

高橋 薫子

アルジーリオ

中井 亮一

オルパッツァーノ

彭 康亮

イザウラ

島木 弥生

ロッジェーロ 

松浦 麗 

感 想 名匠ゼッダの統率力-藤原歌劇団「タンクレーディ」を聴く

 私が好んでクラシック音楽を聴き始めた40年前、ロッシーニは全くマイナーな作曲家の扱いで、高名な音楽評論家の書かれた初心者向け啓蒙書にも、『ロッシーニは速書きで沢山のオペラを作曲したが、駄作も多く、歌劇「セヴィリアの理髪師」と、「ウィリアム・テル序曲」などのいくつかの序曲以外は、ほとんど演奏されない』と堂々と書かれておりました。しかし、当時購入した序曲集のタイトルを見てみると、「アルジェのイタリア女」とか、「絹の梯子」とか、一寸気になるタイトルがあり、将来は聴いてみたいな、と思いました。「タンクレディ」はその当時気になったタイトルの一作で、子ども心には、「タンク」=「戦車」、「レディ」=「女性」と考えて、戦車のような女性が主人公のオペラではないかと、勝手に考えておりました(勿論、タンクレディはそれで一つの男性名です)。また、欧米でもほとんど演奏されない作品が、日本上演されることなどないだろうな、と思っておりました。

 しかし、「ロッシーニ・ルネッサンス」の国際的な流れは、日本にも影響を与えたということなのでしょう。藤原歌劇団は、2003年の「イタリアのトルコ人」に始まり、「アルジェのイタリア女」、「チェネレントラ」、「ランスへの旅」とブッファシリーズを続け、一昨年はセミセリアの「どろぼうかささぎ」を、そして今回は、遂に初めてセリア作品を取り上げました。それが今回の「タンクレディ」です。

 「タンクレディ」はロッシーニが20歳の時、ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で初演され、同年初演のブッファ「アルジェのイタリア女」と共に、ロッシーニをスターダムに押し上げた作品として有名です。若い作曲家がスターになった時の作品ですから、あらゆるところにロッシーニの天才ぶりが示された傑作ですが、2003年のフェニーチェ劇場来日公演で初めて日本に紹介されました。今回が二度目。そして、今回の上演は、フィリップ・ゴセット校訂のクリティカル・エディションによるもので、初演時のヴェネツィア版に準じたハピーエンド型です(タンクレーディは、「フェラーラ版」と呼ばれる悲劇終了型もあり、20世紀後半のロッシーニ・メゾとして活躍したマリリン・ホーンはこちらを好んで歌ったそうです)。「準じた」と書いたのは、第二幕フィナーレの合唱とロンドがフェラーラ版を使用しているからですが、こちらの方が演奏効果が華やかで、後にスカラ座で上演されたときに、今回のフェラーラ版と初演版のミックスが用いられ、その後このスタイルが標準になったそうです。

 で、演奏ですが、まずは大満足でした。アルベルト・ゼッタの指揮、そしてその統率力は言うまでもなく素晴らしいもので、作品を知り尽くした指揮者だけが出来る何かが確かにありました。序曲におけるオーケストラの追い込みや、第一幕のフィナーレ、ストレッタの取り扱い、あるいは合唱に対する的確な指示、など見ていて気持ちの良いものでした。もう、文句なしのBravoでしょう。

 読響の演奏も立派でした。堂々たるシンフォニックな佇まい。アンサンブルが見事で、木管陣のオブリガートの付け方など流石に上手だと思いました。ただ、どこか鈍重なところがあって、ゼッタの鋭い切り込みに俊敏に反映できていないきらいがありました。その甘さがロッシーニの作品の持つ乾いた肌合いを示し切れなかったというところでしょうか。しかしながら、格が大きく、全体の構成をがっちりと組みあげて見せてくれたところは、流石読響というところがあって、良かったと思います。なお、オケピットでは、オーケストラは管楽器を向かって左手、弦楽器を右手に配置することが多いように思いますが、今回の読響は、舞台上での演奏会に比較的近い配置になっていました。これは、シンフォニックな響きを大事にしたいという指揮者の意識が働いたのかもしれません。

 外題役のピッツォラート。良かったと思います。未だ若いメゾソプラノのようですが、しっかりした技術に裏打ちされた歌唱が魅力的でした。特に登場のアリアの「多くの感動と苦悩の後に」が聴きごたえがあったと思います。ただ、全体的には、東京文化会館大ホールの広さには、パンチも声量も今一つ不足していたかな、との印象です。これは、初めてのホールですから仕方がないのかもしれません。また、もう少し、騎士の威厳を前面に出した歌唱をしてもよかったのかな、という気がいたしました。あまり英雄的な印象のないタンクレディだったと思います。

 一方、高橋薫子のアメナイーデ。素晴らしかったと思います。登場のアリアも悪くはなかったと思いましたが、第二幕で歌われる二曲のアリアはどちらも高橋の最良の面を見せた名唱と申し上げてよいでしょう。二曲目のアリア「いいえ、私には死はそんなに恐ろしいことではありません」の切々たる抒情性がまず素晴らしく、三曲目の大アリアの表現、高音においても細くならず、それでいてしっかりコントロールしている様子がとりわけ素晴らしいと思いました。とにかく技術的にしっかりしている。その上、王女としての品格というか威厳があるのですね。ピッツォラートはタンクレーディで売り出した方だそうですが、ピッツォラートのタンクレーディよりもはるかに存在感がある。高橋の方がキャリアは豊富だとは思いますが、それにしてもピッツォラートは高橋のレベルに驚いたと思います。

 タンクレーディとアメナイーデの重唱が二曲ありますが、これも高橋が主導した雰囲気です。勿論良く合っているのですが、高橋の力量にピッツォラートが付いて行っている印象すら感じられる二重唱でした。

 中井亮一のアルジーリオも合格点。日本のロッシーニテノールといえば五郎部俊朗が唯一の存在としてここ20年ほど君臨してきたわけですが、ようやく後継ぎが出来たということでしょう。登場した時は一寸声が安定しない印象でしたが、直ぐに調子をあげ、しっかりとした歌唱に変わってきました。まだ若手で今回が東京デビューと思われますが、高音の柔らかいテノールで、今後要注目、というところでしょう。

 島木弥生のイザウラも結構良かったと思います。低音がしっかり響いておりました。女役なのにタンクレーディよりも低音がしっかりしていたのが特に面白かったところです。この方が歌われる第2幕の最初のアリアも結構なものでした。このアリアは、位置づけから言えば、「シャーベット・アリア」なのですが、結構技巧的に凝っていて、そこをしっかり歌う島木は魅力的でした。

 更に松浦麗のロッジェーロも良好。この方も1曲シャーベットアリアを持っているのですが、きっちりと歌い、好感が持てました。彭康亮のオルパッツァーノは一番印象に残りにくい歌唱でしたが、悪いものではありませんでした。合唱も良好でした。

 以上、バランスの良い、音楽的には満足度の高い上演でした。今年見たオペラの中では、二期会のオテロと並んで、あるいはそれ以上に感心した上演だったように思います。

 問題があるとすれば演出でしょう。オーソドックスな舞台装置で悪いものではないのですが、あまりにも類型的で、ありきたりです。松本重孝の演出は、藤原歌劇団前回の「カルメル会修道女の対話」が結構面白かったので、今回も期待していたのですが、そこだけが一寸残念でした。
 

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鑑賞日:2010年6月16日 
入場料:3000円 自由席

主催:OPERA LAND

森口賢二CD発売記念コンサート


会 場 立川市市民会館小ホール

出 演

カルメン

渡邊 史

 

ドン・ホセ

村越 大春

エスカミーリョ/バリトン

森口 賢二

ミカエラ/スザンナ

宮本 彩音

ピアノ

倉本 卓

ナビゲーター  石川 伸子 

プログラム

第1部:森口賢二 オペラ・アリア  

おいらは町の何でも屋  オペラ「セビリアの理髪師」より  ロッシーニ 作曲 
昔、美しいパリスが  オペラ「愛の妙薬」より   ドニゼッティ 作曲 
終わりの日が来た オペラ「ドン・カルロ」より  ヴェルディ 作曲 
5・・・,10・・・,20・・・  オペラ「フィガロの結婚」より  モーツァルト 作曲 
もう飛ぶまいぞ、この蝶々  オペラ「フィガロの結婚」より   モーツァルト 作曲 

休憩    

 第2部:ビゼー作曲 歌劇「カルメン」ハイライト

「前奏曲」  ピアノ 
「恋は野の鳥」  カルメン 
「セヴィリアの城壁の近くに」  カルメン、ホセ 
「友よ、祝いの酒を飲み干そう」  エスカミーリョ 
「お前のくれたこの花は」  ホセ 
「何を恐れることはありましょうか」  ミカエラ 
「間奏曲」  ピアノ 
「お前か、あたしよ」  エスカミーリョ、カルメン、ホセ 


感 想 体育会系のパワー-森口賢二「CD発売記念コンサート」を聴く

 森口賢二は、最近に気になっている若手バリトンの一人です。最近の一番の活躍は、昨年6月の藤原歌劇団「愛の妙薬」ベルコーレですが、そのほかにもオペラリリカ八王子「トロヴァトーレ」のルーナ伯爵であるとか、魅力的な歌唱を何度か聴いております。その森口がCDを発売し、その発売記念コンサートを出身地の厚木と今お住まいの立川で開くと言うことで、立川まで出かけてまいりました。

 森口は、高校まではバリバリのスポーツ選手で、陸上の800メートル走や1500メートル走では厚木市のベスト3に入るぐらいの力だったということです。そんな彼ですから、大学は体育大か音大か迷った末、国立音大に入学したそうです。この森口のエピソードは何年か前のコンサートで聞いて知っていたのですが、そんな森口ですから、彼の魅力は、私は軽い身のこなしにある思っております。

 実は音楽と運動は相当密接しており、すぐれた音楽家は運動神経も優れている方が多いのです。リズム感覚や速いテンポに遅れずについていける反射神経は運動能力と近い関係にあることは申し上げるまでもありません。そういう意味でも運動神経の優れた森口が、優れた音楽家になれる可能性は大いにあると思っております。

 そんな「歌う陸上部」の森口が最初に歌ったのが「何でも屋の歌」です。これは森口得意の一曲で、速いパッセージを軽妙に歌い上げるところ、テンポが素敵で、声はあくまでも軽く、魅力的な歌だったと思います。二曲目のベルコーレのアリアも、昨年藤原歌劇団の本公演でも歌っただけのことはあり、一寸コミカルで、しかし自意識過剰のベルコーレの雰囲気を良く出した歌唱だったと思います。

 森口の魅力は、高い運動能力で、速いパッセージをビシビシ決めていくところと、高音の響きの抜けの良さだろうと思います。本質的にバリトン・ブリランテの方です。従って、バリトン・ブリランテと適性の合わない曲になると、必ずしも十分ではありません。それでもロドリーゴはまだ良かったと思うのですが、「フィガロの結婚」におけるフィガロが響きの位置が低くて、広がりが乏しく、今一つの感じがしました。「セビリアの理髪師」のフィガロと、「フィガロの結婚」のフィガロは同じフィガロなのですから、同じような調子で歌って見せるという解釈でも良いと思うのですが、モーツァルトにしっかりと敬意を表した、ということなのでしょうね。

 後半の「カルメン」ハイライト。一番良かったのはエスカミーリョを歌われた森口でした。今回のホストとしての役割を果たしておりました。次に良かったのは宮本彩音のミカエラです。私はミカエラは、宮本のようなソプラノ・リリコ・レジェーロの歌手が歌った方が良いと思うのですが、新国立劇場などに行くと、ソプラノ・リリコ・スピントの歌手が歌われて、がっかりすることが何度かありました。宮本は高音がきっちり抜けて、声は軽いけれども、感情はしっかり籠められていて、清純な雰囲気の出たミカエラでした。

 渡邊史のカルメンは、アクが今一つ足りないカルメンでした。悪いものではないのですが、もっとケレンミを前面に出した方が、カルメンの味が出るかもしれません。村越大春のホセ。今一つ調子が悪かったようで、花の歌などはもっと柔らかく歌われた方がよろしいかと思うのですが、どうも力づくで言い寄った感の強いホセでした。

 全体的に気に入らなかったのが、ピアノ。倉本卓は、落ち着きのない煽りまくるピアノを弾きました。こういう伴奏で演奏されると、歌手たちがどうしても煽られてしまいます。もっと落ち着いてじっくりと歌った方が良いのに、と何回も思いました。また司会も不要。「カルメン」ハイライトにおいて説明をしてくれましたが、その説明があまりにも中途半端で、「カルメン」のお話を知らない人には多分ちんぷんかんぷんでしょうし、私のように良く知っている聴き手にとっては煩わしいだけでした。

 また、全体に進行が速く、カルメンのハイライトも歌を結構端折っていきますので、カーテンコールが終わっても未だ8時30分でした。開始時間が7時ですから、正味1時間30分。アンコールもなしで終了しました。何か、とても急いで、とりあえず終わらせた演奏会という印象が強いです。終演後CDの即売であるとか、いろいろ予定はあったのでしょうが、せっかくそれなりに盛り上がったのに、アンコールもなしで終わるのは結構味気ないものでした。

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