オペラに行って参りました-2005年(その3)

目次

ガラコンサートは楽しい   2005年09月11日   日本ロッシーニ協会10周年記念ガラコンサートを聴く
真面目な関西人?   2005年09月16日   新国立劇場地域招聘公演、ザ・カレッジ・オペラハウス「沈黙」を聴く
ワーグナーの魔術   2005年09月20日   新国立劇場「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を聴く
頭数も大切です   2005年10月01日   日本オペレッタ協会「メリー・ウィドウ」を聴く
アンサンブルの妙味   2005年10月14日   新国立劇場「セヴィリアの理髪師」を聴く
大学オペラの楽しみ   2005年10月21日   昭和音楽大学オペラ「夢遊病の娘」を聴く
若手の実力侮りがたし   2005年10月30日   東京室内歌劇場「オベルト」を聴く
さまよえる演出?   2005年11月2日   東京二期会オペラ劇場「さまよえるオランダ人」を聴く
欲張ることは良いことか   2005年11月8日   「松尾香世子ソプラノリサイタル」を聴く
若いソプラノの誕生を祝福しよう   2005年11月14日   「宮本彩音ファースト・ソロ・リサイタル」を聴く
いくらなんでも   2005年11月29日   新国立劇場「アンドレア・シェニエ」を聴く
思いがけない収穫   2005年12月6日   新国立劇場「ホフマン物語」を聴く
スーブレットたちの貴族姉妹   2005年12月9日   東京オペラグループ「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
続けて聴いて見えるもの   2005年12月11日   東京室内歌劇場「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2005年9月11日
入場料:自由席 4500円 

日本ロッシーニ協会
創立10周年記念ガラコンサート

主催:日本ロッシーニ協会

会場 津田ホール

ピアノ 金井紀子/松井香織

プログラム

ロッシーニ作曲
「ブルスキーノ氏」(1813)〜カヴァティーナ「大きな劇場の世の中で」 牧野正人(バリトン)
「アルジェのイタリア女」(1813)〜カヴァティーナ「むごい運命よ」 阪口直子(コントラルト)
「なりゆき泥棒」(1812)〜アリア「あなた方は花嫁を求め」 佐橋美起(ソプラノ)
「オテッロ」(1816)〜アリア「なんですと!ああ!」 小山陽二郎(テノール)
「マホメット二世」(1820)〜カヴァティーナ「皆の者、立ってくれ、かくも良き日に」 三浦克次(バス=バリトン)
「セミラーミデ」(1823)〜カヴァティーナ「美しい光が」 佐藤美枝子(ソプラノ
「ランスへの旅」(1825)〜二重唱「かのお方の神々しい姿は」 天羽明恵(ソプラノ)
上原正敏(テノール)
休憩
「セミラーミデ」(1823)〜小二重唱「忠実な心を持ち続けなさい」 佐藤美枝子(ソプラノ
阪口直子(コントラルト)
「イギリス女王エリザベッタ」(1815)〜アリア「内なる声が聞こえます」 天羽明恵(ソプラノ)
「ギヨーム・テル」(1829)〜アリア「じっと動かずに」 牧野正人(バリトン)
「ギヨーム・テル」(1829)〜アリア「先祖伝来の住処よ」 上原正敏(テノール)
「アルジェのイタリア女」(1813)〜五重唱「わしが自ら紹介しよう」 阪口直子、佐橋美起
小山陽二郎、牧野正人、三浦克次
アンコール
「エジプトのモーゼ」1818)より「祈り」 全員
「スペインのカンツォネッタ」 全員

感 想

ガラコンサートは楽しい-日本ロッシーニ協会10周年記念ガラコンサートを聴く

 私は日本ロッシーニ協会の会員ではないのですが、ロッシーニは大好きです。あらゆるオペラ作曲家の中で一番好きなのがロッシーニですから、その支持ぶりも分かると思います。勿論、モーツァルトもヴェルディもリヒャルト・シュトラウスも好きですけどロッシーニにはかないません。しかし、世の中でロッシーニが見直されたのはごく最近です。私がオペラを本格的に見出した1980年代においてすら、ロッシーニといえば、「セヴィリアの理髪師」と「ウィリアム・テル」序曲の作曲家というイメージが普通で、「チェネレントラ」がいい、などと言ったものなら、よほどの好事家扱いでした。

 勿論これは仕方がないことです。彼の誕生の地・イタリアですらロッシーニ・ルネッサンスが始まって30年程度。日本でロッシーニの歌唱のあるべき姿が意識されてきたのは1990年代に入ってからでしょう。そこに日本ロッシーニ協会が果たした役割は決して少なくないようです。滅多に聴くことのないような彼の作品を取り上げ、その歌唱のスタイルを明らかにしていったわけですから。しかし、そのような専門家受けする内容ゆえに従来の日本ロッシーニ協会のコンサートは、観客の入りが決して良いとは言えなかったと思います。それでも10年の継続は見事。ついに今回のガラ・コンサートは490席の津田ホールが完全に満席になり、立ち見も出ました。

 これは本当に素晴らしいことだと思います。これが今後の日本におけるロッシーニ演奏活動のエポックになることを強く祈念します。

 お客さんが多いと、歌手の皆さんも張り切るようです。本日は、歌手の皆様も全般に良い歌唱をしてくれ、大いに満足しました。大変楽しめたコンサートでした。

 まず牧野正人が良い。彼は、現在の日本オペラ界を代表するバリトンの一人ですが、彼の魅力はロッシーニでこそ発揮されるような気がします。先日のエスカミーリョなんかよりはるかに聴き応えのある歌唱でよかったと思います。冒頭の「ブルスキーノ」のカヴァティーナは、ロッシーニの喜劇に欠かせない、「尊大なように見えて実際はおっちょこちょい」というブッフォのキャラを実に見事に示してくださいました。装飾歌唱の技巧も流石でしたし、声の迫力も十分でした。勿論ギヨーム・テルのアリアも良かったです。真面目なテルの雰囲気を上手く醸し出していました。声の迫力も納得です。

 阪口直子のイザベッラもグッドです。彼女は低音の艶に魅力のある方ですが、イザベッラの「むごい運命よ」はその声の艶をうまく使った歌唱でよかったです。最近のイザベッラといえば、藤原歌劇団でバルツァが歌っていますが、「むごい運命よ」に限っていえば、今回の阪口の歌は、そのときのバルツァを上回っているかも知れません。

 佐橋美起のベレニーチェのアリアは、輪郭のはっきりした歌でした。特に高音の決めはソプラノの意地を見せるものでした。一方で、アジリダの切れを含む細かい表現や低音部のまとまりには若干物足りないものを感じました。

 小山陽二郎のオテッロのアリアも今ひとつ物足りない。悪いものではないのですが、他が上手すぎるせいなのでしょうか、それとも発声に一寸癖があるので、それを私が気に入らないだけかもしれません。また小山さんは、セリアよりブッファの方があっている方のようで、オテロよりも「アルジェのイタリア女」のリンドーロ役の方が嵌っていた(勿論、リンドーロの声質は小山さんよりもっと軽い方が良いのですが)と思います。

 一方、三浦克次の「マホメット二世」のカヴァティーナも魅力的でした。ロッシーニはバスを主人公にしたオペラをこの「マホメット二世」だけ書いているそうですが、その主人公のアリアをまさに軽快に歌いこなして見せて、大いに楽しめました。また、「アルジェのイタリア女」におけるムスタファもよく、牧野正人さんとの掛け合い漫才のようなやり取りも楽しく、笑わせていただきました。

 佐藤美枝子の「美しい光が」。これが本日の白眉。佐藤美枝子が不調といううわさを耳にしていたのですが、今回の歌唱はその不調説を払拭するような見事な歌唱。歌に艶があって、高音も安定。そしてアジリダの技巧もたいしたものです。一昨年のロッシーニ協会のコンサートで松尾香世子がこの曲の初版を歌ったのを思い出しますが、松尾の歌が線は細いけれどもきらびやかであったのに対し、今回の佐藤の歌は、もっとしっとりしているけれども必要以上に重くならない歌でした。とても立派な歌唱で、大いに感心いたしました。阪口さんと歌った「セミラーミデ」の小二重唱もソプラノとコントラルトの声のバランスが絶妙で、結構でした。

 天羽明恵も結構です。上原正敏と組んだ「ランスへの旅」のコリンナとベルフォールの二重唱は、上原さんがいかにもきざな演技で登場して、そこがまず良かった。天羽のコリンナも舞台で歌っている役柄だけあって堂々としたもの。満足です。「エリザベッタ」のアリアも、細かい技巧が見事に冴えわたっていて、聴き応えのある歌唱になっていました。

 上原正敏は「ギヨーム・テル」の超難関アリアに挑戦しました。解説の水谷彰良さんが、テノール殺しのアリアと紹介し、本人も登場するなり十字を切って見せるなど、結構演出して見せました。聴いているとそれほど難曲のように見せずに歌い、敢闘賞と言うべきなのでしょう。私は、彼の一寸鼻にかかった高音をあまり好むものではないのですが、その取り組みを高く評価しましょう。

 プログラムの本編は、歌手同士の意地の張り合いもあったのでしょう。本当にレベルの高い、楽しめるコンサートでした。その分、アンコールはくだけた感じになって、それもまた良しでした。 

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鑑賞日:2005年9月16日
入場料:B席 4987円 2F 2列51番

主催:新国立劇場/大阪音楽大学

平成17年度 新国立劇場地域招聘公演
平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭協賛公演

オペラ2幕、字幕(英語・日本語)付原語(日本語)上演
松村禎三作曲「沈黙」
台本:松村禎三/原作:遠藤周作

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 山下 一史
管弦楽 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
合 唱 ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
合唱指揮 奥村 哲也
児童合唱 ころぽっくる合唱団
児童合唱指導 土居 克江
演 出 中村 敬一
美 術 増田 寿子
照 明 椴木 実
衣 裳 半田 悦子
音 響 小野 隆浩
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

ロドリゴ 小餅谷哲男
ヴァリニャーノ 新川 和孝
フェレイラ 井原 秀人
キチジロー 桝  貴志
モキチ 松本 薫平
オハル 石橋 栄実
おまつ 野間 直子
井上筑後守 田中 勉
通辞 青木 耕平
少年 寺内 智子
じさま 松森 治
老人 西尾 岳史
チョウキチ 安川 忠之
役人・番人・牢番・刑吏 雁木 悟

感 想

真面目な関西人?-平成17年度新国立劇場地域招聘公演「沈黙」を聴く

 関西でオペラをみたことはありません。しかし、その活動が結構盛んであることは知っております。関西歌劇団と関西二期会の二つの団体、いくつもある市民オペラ、琵琶湖ホール、そして、今回上京公演を行ったカレッジ・オペラハウスもその活動の一翼を担っております。座席数700程度の小さなホールだそうですが、専属の管弦楽団と合唱団をもつ本格的なオペラハウスとしては国内最初のものであり、15年にわたる活動は非常な注目を集めてきました。管弦楽団の指揮者は初代がフォルカー・レニッケ、二代目が飯森範親、そして三代目が現指揮者の山下一史です。上演の二つの柱はモーツァルトと現代作品ですが、現代作品では、ヘンツェ「若き恋人たちのエレジー」、ヴァイル「三文オペラ」、ブリテン「アルバート・ヘリング」、ダラピッコラ「囚われ人/夜間飛行」、メノッティ「領事」、ブゾーニ「トゥーランドット」、ベルク「ヴォツェック」を上演しております。日本人作品の上演も意欲的で、團伊玖磨「夕鶴」、原嘉壽子「よさこい節」、三木稔「よみがえる」、黛敏郎「金閣寺」、芥川也寸志「ヒロシマのオルフェ」などを上演しております。今回の松村禎三「沈黙」は2003年に取り上げ、大阪文化祭賞グランプリ、音楽クリティック・クラブ賞を受賞したものです。

 このような活動歴は非常に素晴らしいものであり、本年度より新国立劇場がはじめた「地域招聘公演」の第一弾として、まさにふさわしいものでしょう。私も期待して出かけました。

 中劇場のさほど広くない空間に二管10型のフルオーケストラと数多くの打楽器、ピアノ、チェンバロ、チェレスタが入ります。オーケストラピットからはみ出たピアノやチェレスタは、舞台袖での演奏です。山下一史の演奏は、ダイナミックレンジをはっきり取る劇的なもので、出てくる音は、中劇場の空間を飽和させる力がありました。細かい課題はあるようですが、総じてオケメンバーの意気込みがしっかりと現れた好演だと思います。

 歌手陣も好演でした。主役ロドリゴを歌った小餅谷哲男がまず良い。軽すぎないテノールでロドリゴの雰囲気によくあっていました。第1幕2場のヴァリニャーノ神父とのやり取りから、ラストの踏み絵を踏むまで、歌の表現という意味では総じて納得いくものでした。キチジローの桝貴志も臭い演技がよい。僅かな出演ですが、新川和孝のヴァリニャーノもよい歌でした。石橋栄実のオハル、松本薫平のモキチも悪くはない。脇役ですが、野間直子のおまつも良かったです。また、もともとのテキストが日本語ということがあるのでしょうが、歌手の発音が明瞭で字幕がなくてもオペラの理解に全然苦労しなかったのも大変嬉しいことでした。

 合唱も結構。宗教曲風の合唱曲が沢山使われていますが、それぞれ細かい表現が魅力的でしたし、児童合唱のわらべ歌もかわいかったと思います。全体のチームワークもよく取れていて、緊密な緊張感が全体を通してあって、そのラストに向かっての推進力はなかなか迫力のあるものでした。

 作品の音楽的特徴は、第一幕が相対的に陽で、第二幕は陰です。言いかえれば第一幕は世俗的で、第二幕は哲学的と申し上げても良いかもしれません。その特徴をどう捉えるかがこの作品の表現のポイントだと思うのですが、私は、今回の公演に関し、捉え方がぴんときませんでした。第一幕はそれなりに楽しめて聴けたのですが、第二幕は上手だとは思うのですが入り込めない。特にクライマックスのロドリゴのモノローグは、聴き手としては乗れない演奏でした。皆さん緊張していたのかもしれません。

 関西人の演奏する作品ですから、もう少しボケ・ツッコミのある演奏にすれば、逆にもっと共感できたのかもしれませんが、カーテンコールに至るまで皆さん真面目な感じでした。「沈黙」の原作者、遠藤周作は関西人的ユーモアがひとつの身上だった方ですが、「沈黙」という作品には、「キチジロー」にその片鱗はあるものの、彼のユーモラスな部分はほとんど隠され、テーマの重さが表面に出ています。松村禎三の音楽もそのテーマの重さをしっかりと受け止めたものになっています。この重いテーマを真面目に向かい合うのであれば、ただ真面目に演奏するだけではなく、どこまで切実に演奏できるかが課題になるように思いました。

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鑑賞日:2005年9月20日
入場料:E席 5670円 4F 2列51番

主催:新国立劇場

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭協賛公演

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガー」(Die Meistersinger von Nurnberg)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 シュテファン・アントン・レック
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤洋史
     
演 出 ベルント・ヴァイクル
美 術 フランク・フィリップ・シュレスマン
衣 裳 メヒトヒルト・ザイペル
照 明 磯野 睦
舞台監督 大澤 裕

出 演

ハンス・ザックス ペーター・ウェーバー
ファイト・ポーグナー ハンス・チャマー
クンツ・フォーゲルゲザング 大野光彦
コンラート・ナハティガル 峰 茂樹
ジクストゥス・ベックメッサー マーティン・ガントナー
フリッツ・コートナー 米谷毅彦
バルタザール・ツォルン 成田勝美
ウルリヒ・アイスリンガー 望月哲也
アウグスティン・モーザー 高橋 淳
ヘルマン・オルテル 長谷川 顯
ハンス・シュヴァルツ 晴 雅彦
ハンス・フォルツ 大澤 建
ヴァルター・フォン・シュトルツィング リチャード・ブルナー
ダーヴィット 吉田浩之
エーファ アニヤ・ハルテロス
マグダレーネ 小山由美
夜警 志村文彦

感 想

ワーグナーの魔術-新国立劇場「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を聴く

 私は、嫌いなオペラ作曲家を尋ねられると、プッチーニとワーグナーと答えることにしています。勿論意味合いは全然違います。プッチーニはあの俗っぽい、お涙頂戴に簡単に走るあざとさがどうにも自分の趣味ではない。それに対して、ワーグナーがいやなのはあの長さです。まだCDのみでオペラを聴いていた頃、ワーグナーを全曲聴きとおすのは忍耐が必要でした。「マイスタージンガー」を全曲通して録音で聴いたのも1回か2回しかないはずです。とにかく長すぎる。でも劇場でオペラを見るようになると、その長さが必ずしも苦痛じゃないのだな、と思うようになりました。そこがワーグナーの魔術なのでしょう。

 「マイスタージンガー」の実演経験は2回目。初めての経験は2002年の二期会公演。あの公演は、いろいろと細かな問題はあったにせよ音楽的によく練られた、細かいところに神経が行き届いた公演でした。今回の新国立劇場公演は、一言で申し上げれば大雑把。これは音楽のもって行き方もそうですし、演出もそう。全体のゾーン・コンセプトは決して悪いものであるとは思えないのですが、細かいところが全体になおざりにされています。その結果、どうにも締まらない。今一歩の感が強くいたします。

 レックの指揮がまずいただけません。第3幕に向けて盛り上げていくというコンセプトで指揮をなされていたように聴きましたが、途中のメリハリの着け方があまりにも甘すぎます。第一幕への前奏曲を聴いて、こんな気の抜けた演奏でいいのか、と率直に思いました。その後の一幕は相当に低調な演奏でしたし、第二幕は普通。第三幕がようやく盛り上がってくるという感じです。各幕の中での音楽の表現付けが今ひとつあいまいで、細かい表現や表情がピリッとしない演奏だったと思います。

 東京フィルの演奏技術自身は、一幕、二幕とも決して悪いものではなく、音の厚みも十分あったので、指揮者のもって行きかた次第では、もっとメリハリのついた良い音楽になるように思いました。一方、盛り上がった第三幕はオーケストラメンバーの疲れもあるのか、細かいミスが随分出てきており、一寸残念でした。

 演出のヴァイクルは、このオペラの舞台を中世のニュルンベルグから、時代不明のドイツの町にしたかったようです。衣装がまず広い時代範囲のように思えます。中心は19世紀末か20世紀初頭を考えていると思いますが、それだけではないようです。小道具もそうです。19世紀末を背景とするならば、第3幕第1場のヴァルターとザックスとの歌作成の場面で、ザックスが歌詞を書き取る紙が羊皮紙で、ペンが羽ペンであるのは整合性が今ひとつ取れていない。第1幕と第2幕の冒頭にサッカーを楽しむ子供たちが登場します。これはサッカー王国ドイツを象徴したいのでしょうが、ドイツでサッカーが盛んになったのはいつごろのことなのでしょう。こうしてみると、ヴァイクルの演出の趣旨は、中世のニュルンベルグという具体的な時代・場所ではなくて、時代・空間を超えたドイツ的なものを舞台の上に示したかった、と考えていたのではないかと思います。

 しかしそれが成功していたかどうか、というと疑問です。抽象的なものを念頭に置いて舞台を作る場合、登場人物の性格付けをしっかりやらないと舞台がつまらなくなりますが、今回の演出では、登場人物が皆単純に描かれ、陰影を感じません。悪役のベックメッサーが単なる道化として描かれて良いのでしょうか。ザックスも表面的な描き方で、ザックスのエーファに対する気持ちが見えてこず、人間的な深みがでていないのもどうかと思います。また、ダーヴィットに徒弟の悲哀が見えないのもいただけません。

 歌い手で最も良かったのはベックメッサー役のガントナーでしょう。声も魅力的でしたし、道化に徹した動きと歌のバランスもよく、十分に聴き応えのあるものでした。ボークナー役のハンス・チャマーもベテランの技量で結構です。歌うところはあまり多い役ではありませんが、ひとたび声を出すと存在感が違います。ダーヴィッドの吉田浩之も大変結構でした。とても美しい歌声で、且つ明瞭。存在感もあります。ただ、あまりにも明るい歌声で陰影が感じられず、ダーヴィッドを歌うよりも、ヴァルターを歌った方が良かったのではないかしら。ことにヴァルター役のブルナーが、部分部分では良いところがあるものの、全体としてはいまひとつ感心できなかったので、そう思うのかもしれません。

 また、ペーター・ウェーバーのザックスもあまり気に入りません。ザックスの存在感をなかなか示しにくい演出であったことを割り引いても、もう少し、ヒーロー性を前面に出した歌でも良かったのではないでしょうか。先年の二期会上演における多田羅迪夫の方が、第3幕がヘロヘロになったことを加えても、ずっとザックスらしかったと思います。

 エーファのハルテロス。声もいいし、容姿も端麗で結構です。でも、存在がピンとこない。マグダレーネの小山由美。しっかりと要所を締めて結構でした。

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鑑賞日:2005年10月1日
入場料:B席 4000円 2F K列19番

平成17年度文化庁芸術団体重点支援事業

世界初演100年 北トピア開館15周年記念
日本オペレッタ協会
公演

主催:(財)日本オペレッタ協会/(財)北区文化振興財団/北区

オペレッタ3幕、日本語上演
レハール作曲「メリー・ウィドウ」(The Merry Widow)
台本:ヴィクトール・レオン/レオ・シュタイン
訳詞:滝 弘太郎/台本:寺崎 裕則

会場:北トピア・さくらホール 

指 揮 ルドルフ・ビープル
管弦楽 日本オペレッタ協会管弦楽団
合 唱 日本オペレッタ協会合唱団
合唱指揮 角 岳史
演 出 寺崎 裕則
衣 裳 藤代 暁子
美 術 川口 直次
照 明 奥畑 康夫
振 付 横井茂/新井雅子
舞台監督 畑崎広和/種倉保雄

出 演

ミルコ・ツェータ男爵(ポンテヴェドロ公使) 小栗 純一
ヴァランシェンヌ(その妻) 針生 美智子
ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵
(公使館書記官、退役騎兵中尉)
田代 誠
ハンナ・グラヴァリ(富豪の未亡人) 佐々木 典子
カミーユ・ド・ロジョン(パリの伊達男) 五郎部 俊朗
カスカーダ子爵(公使館付随員) 小林 由樹
サン・ブリオッシュ(パリの伊達男) 飯田 裕之
ボグダノヴィッチ(ポンテヴェドロ領事) 村田 芳高
シルヴィアーネ(その妻) 東城 弥恵
クロモウ(公使館参事) 島田 啓介
オルガ(その妻) 木月 京子
ブリチッチ(ポンテヴェドロの退役大佐) 細岡 雅哉
プラシコヴィア(その妻) 桐生 郁子
ニェーグシュ(公使館下僕) 阿部 六郎

感想

頭数も大切です-日本オペレッタ協会公演「メリー・ウィドウ」を聴く。

 日本オペレッタ協会のオペレッタは、一種独特の香りがあります。これは、おそらく毎作品の演出を寺崎裕則さんが手がけているからに違いありません。寺崎さんは、日本人のオペレッタ好きとしての第一人者でありますから、演出のつぼは押さえているのでしょう。予算の都合もあって、必ずしも豪華絢爛とはなかなか行かないのですが、庶民的なオペレッタを示す、寺崎流に言えば、「歌芝居」としてはそれなりの味わいがあります。「下町風」と申し上げても良いかもしれません。

 しかし、この寺崎流を「メリー・ウィドウ」に当てはめるとどうもいただけない。私は、「メリー・ウィドウ」は3幕ともパーティが舞台ですから、パーティの豪華さと、ソフィスティケートされた部分がきちんとなければならないと思うのです。それは、舞台装置がどうこうというよりも、まずは頭数です。とりあえず、パーティは出席者が多いほど豪華に見えるものです。ところがオペレッタ協会は合唱が貧弱。バレエも貧弱です。例えば二期会オペレッタでは必ず名前がクレジットされるマキシムのグリゼットたちを合唱メンバーがやるとなると、その他の観客がほとんどいなくなるという状況。これではあまりにもさびしい。バレエもそうです。女性陣はまだしも男性の踊り手が最小限の二人ということになると、華やかさを表現しようがない。

 そのような根本的なチープさが全体を覆っていて、演出家が20世紀当初パリではやっていたジャポニズムを演出に取り入れようと言ったところで、それが舞台全体のアクセントにならないのです。また、オペレッタですから地の台詞が多くなるのは仕方がないのですが、もう少し刈り込むことは出来なかったのでしょうか。地の台詞をうまく使って典雅な雰囲気を醸し出すことは勿論可能なわけですが、舞台の人口密度が基本的に低いので、地の台詞が更にチープさを助長しているように思いました。

 しかし、流れる音楽は流石です。ウィーンフォルクスオーパーで長年指揮をしてきたルドルフ・ビープルの音楽作りは、オペレッタの要所を押さえたもので、安心してその流れに身を任せられます。あの舞台でありながら、全体としてそれほど悪い印象で終わらなかったのは、ビープルの音楽作りが納得できるものだったからに違いありません。

 主要歌手の出来はこれまたさまざまです。ヒロイン、ハンナ役の佐々木典子が今ひとつ。台詞の部分は結構見せてくれますし、歌も良い部分は勿論あります。でも、そこまでです。佐々木は、2003年の二期会「ばらの騎士」マルシャリンで見せたあの繊細で美しい表現が可能なだけの力の持ち主のはずですが、その後聴いた二回の舞台は、どちらも注意が全体に行き届いておらず不満でした。今回も同じです。例えば、ハンナの一番の聴かせどころである「ヴィリアの歌」は、ブレスの処理の仕方が露骨で感興を削ぎました。また、この歌の最後の抜けの部分ももう少しすっきりと抜いて欲しいところですが、その辺も十分に検討されていなかったようです。ハンナの音楽は、佐々木クラスの実力派にとって見れば、難しいところの少ないものなのでしょうが、だからといって、十分に研究せずに歌われるのはいかがなものかと思いました。

 田代誠のダニロももうひとつです。ダニロはまだ青年貴族ですから、青年らしさがほしいところです。実際に聴こえる田代の歌は、青年貴族的雰囲気を醸し出していて悪くないのですが、見た目が全然青年貴族っぽくない。もっとおじさん。マキシムで遊んでいても根の純情さが演技にも出ればよかったのですが。それでも、今年の春に聴いた二期会「メリー・ウィドウ」の星野淳の蓮っ葉なホストのようなダニロよりは数段ましでした。

 小栗純一はかつての持ち役ダニロからミルコに昇格。よく知っている役柄だけあって、それなりにまとまっており悪いものではありませんが、演技が今ひとつ硬い。演出のせいもあるのでしょうが、ミルコの持つとぼけた雰囲気を醸し出すには至っていなかったと思います。

 ヴァランシェンヌの針生美智子は敢闘賞。「グリゼットの歌」の部分の声の飛びが今ひとつだったところが惜しまれますが、あとは演技・歌唱とも大変結構。第一幕のカミーユとのデュエットが良く、第3幕のグリセットの歌からカンカンにいたる踊りは、足も良く上がっておりましたし、曝転もみせました。十分な練習の跡が見られました。ブラヴァを差し上げます。カミーユの五郎部俊朗も流石の美声でよかったです。

 脇役陣は総じて良好。小林由樹のカスカーダ、飯田裕之のサン・ブリオッシュは一定の存在感があって良く、大使館員たちもそれぞれに自分の役割を理解した歌唱と演技で良好。ただ、この辺は演出の都合なのでしょうが、春の二期会公演と比較すると存在感が乏しかったように思います。一方、女性陣の脇役は強烈。木月京子のオルガ、桐生郁子のブラスコーヴァは舞台に出てくるだけで存在感が違います。特に桐生は昭和9年生まれで70歳を越えるベテランですが、長年の舞台経験は伊達ではないな、と感じ入りました。

 いろいろ苦情はありますが、トータルとしてみればそんなに悪い舞台ではなかったと思います。それだけに頭数が足りなかったのが残念です。そこがもう少し充実するだけで、イメージは相当変わっただろうと思います。

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鑑賞日:2005年10月14日
入場料:F席 2835円 4F 3列14番

主催:新国立劇場

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭協賛公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」(Die Meistersinger von Nurnberg)
台本:チェーザレ・ステルビーニ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 ニール・カバレッティ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤洋史
     
演 出 ヨーゼフ・E. ケップリンガー
美術・衣装 ハイドルン・シュメルツァー
照 明 八木 麻紀
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 フェルディナンド・フォン・ボートマー
ロジーナ リナート・シャハム
バルトロ 柴山 昌宣
フィガロ ダニエル・ベルチャー
ドン・バジリオ フェオドール・クズネツォフ
ベルタ 与田 朝子
フィオレッロ 星野 淳
隊長 木幡 雅志
アンブロージオ 古川 和彦

感 想

アンサンブルの妙味-新国立劇場「セヴィリアの理髪師」を聴く

 久しぶりに「セヴィリア」を聴きましたが、なんて名曲なのだろうと改めて感じ入りました。第1幕を考えてみても、序曲から始まって、伯爵の登場、フィガロの「何でも屋の歌」、伯爵のカンツォーネがあって、「金を見れば知恵が湧く」の二重唱。そして、「今の歌声は」、続いて「陰口はそよ風のように」、「バルトロのアリア」ときて、あのすっちゃかめっちゃかのフィナーレと、これでもかこれでもかの名旋律の攻撃。歌の形式もアリア、二重唱、多重唱とあり、ロッシーニの天才振りがいやでも分かります。とにかくこれほど楽しいオペラは私は知りません。

 しかし、このオペラの本領を示すのはそう簡単なことではないようです。なぜなら、それには二つの条件が重なることが必要だと思われるからです。まず第一には、ロッシーニの様式観に忠実な歌唱が可能な歌手をそろえること。もう一つは、きちっとしたアンサンブルが組め、アリアの歌唱がアンサンブルの線からはみ出さないこと、だと思います。これは、書くのは簡単ですが、実行するのはそんなに容易ではありません。私はこれまで、「セヴィリア」の上演を10回ぐらい見ていると思いますが、シラクーザのアルマヴィーヴァ伯爵であるとか、ガナッシのロジーナであるというようなロッシーニ歌手の最高峰を聴きながらも、アンサンブルまで満足した経験というのはあまりない。

 しかし、今回は個々の歌手の技量には特別感心しなかったのですが、アンサンブルオペラとしての「セヴィリアの理髪師」という点では、なかなか高水準ではなかったかと思います。少なくともまとまりのある舞台でした。まず良かったのは、癖の強い歌い手がいなかったこと。かつ、歌い手の技術水準が低くなかった、というのも良い結果を得る条件になっていたのではないかしら。

 アルマヴィーヴァを歌ったボートマーは、普通のリリックテノールで、アルマヴィーヴァを歌うには一寸持ち声が重い感じです。登場のアリア「夜明けの空」こそ音程が安定せず一寸心配しましたが、あとは無難に歌いきりました。アジリダの技術も水準でそんなに悪くない。ただ、本物のロッシーニ・テノールではないので、第2幕の大アリアはカットで、残念でした。

 フィガロ役のベルチャーは、艶やかなハイ・バリトン。フィガロの機智と行動力を感じさせる声で、なかなか結構でした。今回の歌手陣で一番の収穫だったと思います。「何でも屋の歌」でまず感心し、「金を見れば知恵が湧く」の二重唱もボートマーとのバランスが良く取れていて結構。動きも身軽で良かったです。

 ロジーナ役のシャハムは、ロジーナのしたたかな部分を表出するところに特徴のある歌唱でした。イスラエル生まれのユダヤ人のようですが、見た目は情熱のスペイン人という感じ。箱入りの小娘というよりは、したたかさと奔放さとを前面に出した歌唱と演技でした。歌唱もそれなりにドスの利いているところがあって、軽くて綺麗なロジーナの歌唱という視点で見れば、必ずしも満足行くものではありませんでした。

 バルトロ役の柴山昌宣は好演。バルトロは、バッソ・ブッフォの代表役で、柴山は正統派バリトンですから、本来バルトロに求められている声とは違うと思います。また、居るだけでおかしい、という本格的ブッフォのようには参りません。しかし、禿鬘を付け、一寸大げさで臭い演技をしながら、伸びのあるバリトンで歌ってみせるところ、ミスマッチであると思いながらも結構なのですね。アリア「世間の人から博士と呼ばれ」を軽快に歌って見せたところなど、面白いと思いました。

 バジリオのクズネツォフの結構。今回の演出は、フランコ時代のスペイン・セヴィリアに舞台を置くというもので、登場人物の多くは20世紀中・後半のファッションで登場するのですが、バジリオだけは、黒衣をきて、伝統的なバジリオ風。「陰口はそよ風のように」が軽快で結構。見た目の不気味さと歌の雰囲気とがよくマッチしていました。

 ベルタの与田朝子も好演。シャーペット・アリアの代表といわれる「年よりは若い娘をほしがる」がまず結構だったのですが、そのほかの細かいアンサンブルへの参加も十分な存在感を示していました。

 それぞれ、水準の歌を歌っており、突出した技量を示す方は居なかったのですが、反対にアンサンブルは上手くはまっていました。まず、フィガロと伯爵との「金を見れば知恵が湧く」が上手く調和していたのにまず感心。一幕のフィナーレのストレッタなども、初日だけにぎこちなさが若干残っていたものの、それでもタイミングの取り方など十分練習の成果が上がっていたと思います。アンサンブルのバランスという点では、私の聴いた全てのセヴィリアの中でもトップクラスではなかったかと思います。

 カバレッティの音楽作りは特別特徴的なものではなく平板なものでした。もう少しスピード感がある方が、この作品とこの出演者には向いていたのではないかしら。オーケストラは、初日というせいもあるのでしょうが、ぎこちなさが抜け切れない演奏。序曲におけるホルンのミスに始まって、何箇所もトラブルがありました。

 演出は、装置や大きな見方は悪くないと思うのですが、細かく見ていくとどうも腑に落ちません。回り舞台の上にバルトロの家が置かれ、回転させながら、内側と外側を見せるというやり方。内側は3階建てで右・真ん中・左と三分割出来ます。右側が青、真ん中が黄色、左側はピンクがイメージカラーで、右側がバルトロの部屋で、左側がロジーナの部屋。時代は20世紀中ごろのスペインという設定ですから、テレビがおいてあったりします。外側には当然バルコニーがあります。舞台を回転させながら、バルトロ家の内外を見せます。なかなか綺麗で結構な舞台でした。しかし、良かったのは舞台だけかもしれません。

 バルトロの家の向かい側には娼館があって、そこの経営者がベルタという設定。これは意味があることかしら。黙役の娼婦が舞台上に何人か登場しますが、私には目障りなだけで意味がないように思いました。そのほか、細かく見ていくといろいろやっています。フィガロが登場するのはスクーターに乗ってですし、伯爵とロジーナは、バルトロの眼がなくなるとすぐにいちゃつき始めます。伯爵は本質的に女たらしですし、ロジーナも積極的・情熱的なスペイン娘と言いたかったのでしょう。しかし、このような演出の細かい部分は、過剰すぎて、ロッシーニの音楽を楽しむためには明らかに余計なものでした。もっと整理すべきでしょう。

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鑑賞日:2005年10月21日
入場料:B席 3000円 1F 14列21番

主催:昭和音楽大学

昭和音楽大学オペラ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ベッリーニ作曲「夢遊病の娘」(La Sonnambula)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 星出豊
管弦楽 昭和音楽大学管弦楽部
合 唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮 及川貢・山舘冬樹
     
演 出 馬場紀雄
美 術 川口直次
衣 装 ピエール・フランチェスコ・マエストローニ
照 明 奥畑康夫
バレエ振付 糟谷里美
舞台監督 渡邊真二郎

出 演

アミーナ 伊藤真友美
エルヴィーノ 小山陽二郎
ロドルフォ 中村 靖
リーザ 納富 景子
テレーザ 吉田 郁恵
アレッシオ 渡邊 朋哉
公証人 新後閑 大介

感 想

大学オペラの楽しみ-昭和音楽大学「夢遊病の女」を聴く

 大学オペラの第一の楽しみは、若手の才能豊かな歌い手と出会えることだろうと思います。昭和音楽大学は、主役に卒業生の若い歌手を当ててベルカント・オペラを上演するというやり方をここ数年続けており、そこから、葛貫美穂、光岡暁恵といった才能を世に示してきました。本年は、これらの世代から更に一段と若い世代を主役に持ってきて、ベルカントオペラの傑作を上演しました。ちなみに「夢遊病の女」は「ノルマ」に次ぐベッリーニの代表作ですが、決して上演機会の多い作品ではありません。日本では、1990年の藤原歌劇団上演がありますが、その後は東成学園/昭和音大オペラでのみ聴ける作品です。私は、2002年の公演も聴くつもりでチケットを購入していたのですが、急な発熱で行けなくなった経験があります。今回の上演は、そのときの口惜しさを晴らすためにも絶対に行こうと思いました。

 それで聴いた結論ですが、色々と物足りなさを感じる公演だったと申し上げましょう。この作品は、ベッリーニの上品さが一杯詰まっているものですが、その上品さを損なわないようにするために、切込みが足りない演奏になっていたと思いました。特に第一幕。はっきり申し上げればぎこちない演奏。指揮者は相当にオーケストラをあおっていたと思いますが、オケの乗りの悪さはどうにもならない。また管楽器は音は取れているのですが、音色とかフレージングの滑らかさという点になると、所詮アマチュアのレベルです。普通の大学の学生オケでももっといい音を鳴らすところはいくつもあるわけですから、音大のオーケストラたるもの、もう少しがんばっていただきたいと思いました。

 このぎこちなさは舞台の上も一緒でした。重唱になると、歌手間の距離が微妙に遠いのです。例えば、アミーナとエルヴィーノの二重唱「指輪をお取り」は、結婚を前にした二人の喜びが伝わってこない。まさか、二人の関係がすぐに壊れることを暗示するために演出でこうしたわけではないでしょう。このようなぎこちなさは、結局舞台の求心性を欠いたために起こることであり、全体としては歌手の熱意が空回りした舞台になっていました。第1幕のフィナーレなどはどうにも盛り上がりの欠ける演奏で、私には納得行きませんでした。

 第2幕は1幕よりはずっとまし。オーケストラもそこそこなるようになりましたし、木管の音もよくなりました。指揮者の指示にたいするレスポンスもよくなってきたと思います。それが舞台の上にも伝わって、そこそこの演奏になりました。

 さて歌手陣ですが、アミーナを歌った伊藤真友美はこれからの方でしょう。声質などはいいものを持っているようですが、声の線が細く、軽くて芯のある声にならない。技術的にも甘く、音楽を制御しきれていないようでした。ご自身の理想としている歌があり、そこに近づけようと努力しているのは聴いていて分かるのですが、理想とは随分ギャップがあったのではないかしら。一番の聴かせ所であるフィナーレの大アリアは、カヴァティーナの抒情性も今ひとつでしたし、カバレッタの輝きも物足りなく残念でした。

 リーザ役の納富景子は伊藤よりは声がしっかりしていますが、技術の甘さは否めません。第2幕のアリアはいいものを見せてくれましたが、細かなところの処理が今ひとつぱっとせず残念でした。

 母親役の吉田郁恵。一番安心して聴けました。第一幕は、他の人のぎこちなさが感染したのか、今ひとつこなれの悪い歌でしたが、二幕は上々。納得の行く歌唱だったと思います。

 男声陣は客演のベテラン勢で固めました。エルヴィーノ役の小山陽二郎は、小山らしい歌と申し上げるべきでしょう。中低音は持ち前の美声で軽々と歌い上げるのに対して、高温は声量が足りず、ぶら下がりぎみになる。勿論、若い女声陣よりはずっとしっかりした歌で、表現力も流石だとは思いましたが、会場を興奮させるようなスリリングなところは感じられませんでした。

 中村靖のロドルフォ。登場のアリアがまずいけない。ヴィヴラートのかけすぎで、メロディラインが消えておりました。その後は威厳を感じさせる低音で存在感を示しており決して悪くはなかったのですが、登場のアリアは、私は評価いたしません。

 もう一つ気に入らなかったのが合唱。教育の一貫で沢山の学生を舞台に乗せえなければならないという事情は分かりますが、新国立・中劇場にあそこまで村人役の合唱を乗せる必要があるのかしら。勿論その合唱がとても素晴らしかった、とでもいうのであれば許されますが、合唱のレベルもそう高いものではありません。特に男声は問題が多かったと思います。もっと精鋭を選んで少人数の合唱にした方が歌も良くなったと思いますし、舞台もすっきりしたでしょう。

 馬場紀雄の演出は取り立てて特徴のないもの。ストーリーに見合った具体的な舞台で、悪くはないと思いました。

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鑑賞日:2005年10月30日
入場料:B席 4000円 1F 17列71番

主催:東京室内歌劇場
共同制作:スポレート実験歌劇場

平成17年度文化庁国際芸術交流支援事業
平成17年度東京都芸術文化発信事業助成

2005年日本・EU市民交流年記念
東京室内歌劇場37期特別・日伊共同制作公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「オベルト、サン・ボニファーチョ伯爵」(Oberto, Conte di San Bonifacio)
台本:テミストークレ・ソレーラ
日本初演

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 ヴィート・クレメンテ
管弦楽 東京室内歌劇場管弦楽団
合 唱 東京室内歌劇場合唱団
合唱指揮 アンドレア・アマランテ
     
演 出 アントニオ・ペトリス
美 術 アントニオ・ペトリス
衣 装 グラツィアーノ・アルベルテッラ
照 明 ガブリエッラ・テザーリオ

出 演

オベルト 大澤 恒夫
クニーザ ヴェロニカ・シメオーニ
リッカルド 行天 祥晃
レオノーラ フランチェスカ・サッス
イメルダ 越野 麗子

感 想

若手の実力侮りがたし-東京室内歌劇場「オベルト」(日本初演)を聴く

 非常に素晴らしい公演でした。今年私が聴いたオペラの中でベスト3には間違いなく入る魅力的な演奏でした。

 「オベルト」という作品に関して申し上げれば、ヴェルディの処女作であるという音楽史的知識は勿論ありましたが、録音を含めて聴くのははじめての経験です。でもそれは仕方がない。ヴェルディ大先生の処女オペラというプレミアがつかなかったら、単なる凡作。歴史の波の中に消えていったに違いありません。物語は一種の復讐譚ですが、ストレートな構成で広がりも深みも欠けます。勿論オペラですから、アリアあり、重唱あり、合唱ありですが、形式的な構成に留まっており、音楽的な山場の作り方がまだ稚拙で、盛り上がり方も今ひとつと申し上げるべきでしょう。これまで日本で上演されなかったのも無理もないと思います。

 作品は、それでもヴェルディのものであることは明らかです。そこここに、ヴェルディの熱が感じられます。音楽的にも、将来の「リゴレット」を髣髴とさせるフレーズがあり、また、主要役の4人には強い声とアジリダを要求するところなどなかなか大変な作品です。「オベルト」こそが、ヴェルディの原点であることがよく分かりました。

 このような若書きの作品を魅力的に聴かせるためには、指揮者の力がものを云います。その点で、ヴィート・クレメンテの指揮はまさにヴェルディの血にうってつけとも言うべき、熱血的指揮で聴かせてくれました。とにかく盛り上げところのアッチェラランドは魅力的でした。オーケストラもまたよい。ホルンなど無事故というわけには行かなかったようですが、非常に集中したまとまりのある演奏で、大変結構なものでした。山口恭範のティンパニ、吉原すみれのパーカッションという二人の名手が担当した打楽器が殊に魅力的で、全体の盛り上げに大きく貢献していたものと思いました。この指揮者の熱情と、オーケストラの引き締まった演奏こそが、本日の公演の成功の大きな立役者と申し上げないわけには行きません。

 歌手も結構。特に女声陣がよい。シメオーニもサッスもまだ若手のイタリア人ですが、どちらも魅力的でした。二人ともまずほめるべきは、歌にごまかしが全くないことです。音程もしっかりしているし、強い声は強く、アジリダは軽快に、ビブラートは上品に、と、きっちり聴かせる所は実に結構です。特にクニーザ役のシメオーニはメゾソプラノながら低音の深みと高温の伸びとがともにあって、実に魅力的でした。低音部がこもらず発散するところも良い。ボリューム感も十分にあって、彼女が登場すると舞台が引き締まります。レオノーラを歌ったサッスもよい。恐らく本来のレオノーラはもう少しスピントの利いた歌手に歌われる役柄だと思いますが、リリックな歌声で結構でした。登場のアリアでまず感心し、最後の大アリアに至るまで、十分楽しむことが出来ました。

 男声陣は女声と比べると相当に落ちるといわざるを得ません。まず、リッカルド役の行天祥晃です。彼も非常にしっかりと歌っていたと思います。音程もしっかりしていたと思いますし、ごまかしもない。しかし、声それ自身の力が女声陣より劣る。声そのものが魅力に乏しいし、又声の膨らみも今ひとつで貧弱な感じがいたしました。女声陣が立派なだけに相対的に損していると云うことなのでしょう。

 もう一人の男声、外題役の大澤恒夫も今ひとつ。彼は役作りをよく考え、一所懸命声を作っているのはよく分かるのですが、基本的に声の力が足りなく、音の圧力が主人公としては弱すぎるように思いました。

 それでも、歌唱を総合的に見れば、総じてハイレベルの結構な演奏でした。合唱も力強く結構なものでした。

 舞台装置は後部の壁面にスライドを映写する以外は一切何もない。照明は基本的に暗めで影を多用していました。衣装も無彩色が基本で、全体に暗いイメージ。救われない内容のオペラですから、暗い色彩は似合っていたのかもしれません。

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鑑賞日:2005年11月2日
入場料:C席 7000円 5F 1列13番

主催:東京二期会
共同制作:ハノーファー歌劇場

平成17年度文化庁芸術祭参加
平成17年度文化庁国際芸術交流支援事業

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」(Der Fliegende Hollander)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 東京文化会館・大ホール

指 揮 エド・デ・ワールト
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 二期会合唱団/二期会オペラ研修所第50期本科研修生
合唱指揮 森口真二
     
演出・美術 渡辺 和子
照 明 喜多村 貴
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

オランダ人 多田羅迪夫
ダーラント 長谷川 顕
ゼンタ エヴァ・ヨハンソン
エリック 青柳 素晴
マリー 西川 裕子
舵手 経種 廉彦

感 想

さまよえる演出-東京二期会オペラ「さまよえるオランダ人」を聴く

 ヨーロッパの歌劇場同士がオペラを共同制作することは今や珍しくもなんともありません。また、ヨーロッパの歌劇場プロダクションを借りてきて、日本のオペラ団体が上演するのも、最近の藤原歌劇団、二期会では当たり前のことのようです。しかし、日本のオペラ団体とドイツの歌劇場がオペラを共同制作し、プレミエを日本で行う、更にその演出家が日本人だというのは、多分史上初めてのことでしょう。エポックメイキングな公演と申し上げてよいのでしょう。

 ただ、その演出は私にはピンと来ませんでした。船の甲板を思わせる斜面の舞台上で全ての幕が進行します。これは、嵐の日の船の甲板をイメージしているのかもしれませんし、あるいは登場人物たちの不安の象徴かもしれません。マリーの衣装がスーツであったり、船員たちがネクタイを着けていたり、基本的には現代風だと思いますが、現世側の人たちを現代人として描くことにより、現代人の病理を示したいという意図のある演出なのでしょう。それは、例えば、ダーラントの金権主義者ぶりがわりと大げさに描かれていたところなどに感じられます。しかし、本当のところ、演出家の意図はよく分かりませんでした。

 基本的に3幕は照明の違いで区別されていたと思うのですが、第1幕はあまりに暗い。あの暗さこそ、7年ぶりに登場する「オランダ人」の情念なのかもしれませんが、舞台で何が行われているのか、はっきりしないのはとてももどかしく思いました。また、第一幕は音楽の流れも低調で、その音楽を聴きながら暗い舞台を見ていると、眠くなってとても困りました。

 ワーグナーは「さまよえるオランダ人」を1幕もののように、休憩なしで上演することを意図していたそうで、今回の公演もその趣旨に沿い休憩なしで演奏されました。それどころか、幕間にも音楽を止めず、一つの交響詩のように演奏されました。それは、ドラマの一体性を醸し出す上で非常に効果的であったと思います。

 エド・テ・ワールトの指揮は、第3幕のクライマックスに向けて、次第に盛り上げていこうとするもの。音楽的には一幕より二幕、二幕より三幕が面白く聴けました。読響の演奏も後半がよく前半が今ひとつのものでした。「オランダ人」序曲などは、オーケストラのレパートリーピースとしては最もありふれたものの一つだと思うのですが、冴えの感じられない演奏で残念でした。そこから続く第一幕も歌手は決して悪くなかったと思うのですが、オーケストラがぱっとせず、上述のように眠気が襲います。オーケストラにエンジンがかかってきたのは二幕に入ってから。三幕になると、指揮、オーケストラ、歌手のベクトルがようやくシンクロして、聴き応えが出てきました。

 歌手陣は、おおむね良好でしたが、絶好調と申し上げられる方は一人もいなかったと思います。

 多田羅迪夫のオランダ人。この役を歌わせたら日本の第一人者でしょう。流石の歌唱と申し上げます。声量もあって迫力も十分、第三幕のゼンタとのやり取りなどは、鬼気迫るものもあって、非常に魅力的でした。第1幕のアリアも聴き応えがありました。ただ、一寸風邪気味だったのかもしれません。一寸した所で声に荒れが認められ、そこが玉に傷。

 ヨハンソンのゼンタ。この役を当たり役としているということもあって、全体としては安心して聴けるものだったと思います。深みのある声による「ゼンタのバラード」における力の入った表現などは流石と申し上げるべきでしょう。しかしながら、高音部の伸びがなく、文句なしとは行かないものでした。

 長谷川顕のダーラント。バスの重厚なイメージというよりは、軽薄な雰囲気の歌でした。これは、決して悪いことではありません。それにより、ダーラントの通俗性が明確にされていた訳ですから。ブラボーを差し上げましょう。

 青柳素晴のエリック。悪くありません。声量があり、しっかりした表現。スピントテノールとしての素質を示したと思います。ただし、歌唱技術は十分とは言えず、発声の処理に違和感のあるところが何箇所も見受けられました。

 西川裕子のマリー。悪くはありませんが、前4人と比べると、小粒な感じは否めません。経種廉彦の舵手。あまり目立たない舵手でした。第3幕の冒頭の水夫たちの合唱では、経種の声は、合唱に埋没していました。

 合唱は非常によかったと思います。二期会の合唱団のレベルの高さは定評のあるところですが、「糸車の合唱」も「水夫たちの合唱」も迫力のある結構なもので、彼らの実力をよく示したものと思います。

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鑑賞日:2005年11月8日
入場料:自由席 4000円 

松尾香世子ソプラノリサイタル
-もしも私を愛してくれるなら-

会場 津田ホール

ピアノ 山田武彦

プログラム

ヘンデル 歌劇「リナルド」〜「私を泣かせてください」
A・スカルラッティ 歌劇「ピッロとデメトリオ」〜「すみれ」
伝ペルゴレージ 「もしも私を愛してくれるなら」
ジョルダーニ 「いとしい女よ」
モーツァルト モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K165[158a]
休憩
R・シュトラウス 「ばらの花環」 作品36-1
R・シュトラウス 「夜」 作品10-3
R・シュトラウス 「サフラン」 作品10-7
R・シュトラウス 「あなたは私の心の冠」 作品21-2
R・シュトラウス 万霊節 作品10-8
カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」〜「向こうの岩の上に」(第5集第3曲)
カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」〜「羊飼いよ、あなたが愛してくれたなら」(第5集第5曲)
カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」〜「かわいい羊飼い」(第5集第7曲)
カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」〜「背こぶの人」(第3集第3曲)
ロッシーニ 歌劇「セミラーミデ」〜「美しい光が」
ドリーブ 歌劇「ラクメ」〜「若きインドの娘よ」(鐘の歌)

感 想

欲張ることは良いことか-「松尾香世子ソプラノリサイタル」を聴く

 松尾香世子は恵まれた歌手です。日本にプロのオペラ歌手が何人いるか私は知りませんが、プロの演奏団体で主役級を歌った経験のある歌手はそう多くないはずです。特にソプラノは人材豊富なので、チャンスは殊に少ない。松尾は確かに二期会や藤原歌劇団、新国立劇場オペラ劇場の本公演に出演した経験はないけれども、東京でアクティブに活動している五団体のうちの一つ、「東京オペラプロデュース」で何度も主役級を歌っているのだから、それだけでも大したものだと申し上げてよいでしょう。しかし、松尾の活躍したところは、ほとんど「東京オペラプロデュース」関連に限られ、その他のところで、正当な評価を受けていたかどうかはかなり疑問なところです。

 彼女は、日本オペラ振興会のオペラ歌手育成部を終了して、そのため長年「藤原歌劇団」の準団員として所属していました。既に数多くの舞台経験を持ち、公演評でも好意的に書かれることが多かったのですが、藤原で正団員になることはなく、遂に、二期会に移りました。結構力があるにもかかわらず藤原で冷遇されていたのは、音大出身ではなかったことと東京オペラプロデュースで何度も主役級を歌ったことが影響しているのかな、と思っておりました。しかし、今回のリサイタルを聴いて、どうもそれだけではないような気がしました。

 松尾は今回のリサイタルで相当意欲的なプログラムを用意しました。イタリア古典歌曲からドイツリート、フランスの民謡的歌曲、そしてオペラアリアです。私ははじめて聴く曲も随分あったのですが、全体を通して申し上げれば、ソプラノのありとあらゆる技巧を使ってまとめるリサイタル、ということになると思います。コロラトゥーラ・ソプラノとして売ってきた松尾にとっては、新天地を開くチャレンジということなのでしょう。別な言い方をすれば、随分欲張ったプログラムです。

 しかし、それは裏目に出た、と申し上げざるを得ない。勿論、「セミラーミデ」のアリアのように、松尾の魅力を堪能させる歌唱もあったわけですが、全体としてはごった煮のイメージで、芯が見当たりません。歌唱技術的に魅力の乏しい歌も少なからずありました。

 「リナルド」のアリアなどは、「ひとに聴かせられるようなレベルではなかった」と敢えて申し上げましょう。ビブラート過剰で、高音の伸びも今ひとつですし、低音も美しくない。松尾の魅力を全く感じさせない歌でした。「すみれ」も魅力の少ない歌でしたし、「いとしい女よ」もどうかと思いました。最初の4曲で比較的ましだったのは「もしも私を愛してくれるなら」だけでしょう。

 モーツァルトのモテットは、松尾向きの作品であり、高音の軽快な走りなどなかなか素敵でしたが、要所要所の押えが不十分で、いまひとつすっきりとしない歌でした。

 後半の最初、リヒャルト・シュトラウスのリートは特徴の不明確なものでした。確かに「あなたは私の心の冠」や「万霊節」は、それなりに美しい歌唱で、悪いものではないのですが、どういうコンセプトでこの五曲を選んだのかが全く見えません。もっと申し上げれば、全体の流れの中にリヒャルト・シュトラウスのリートを含めることの意味がよく分かりません。松尾の歌唱もリートの歌詞に共感を覚えている様子はあまり感じられませんでした。例えば、作品10だけに絞って、若書きの魅力を面に出すというようなやり方をすれば、また違った感じ方を覚えたかもしれません。

 一方、「オーベルニュの歌」は大変結構でした。「向こうの岩の上に」は、大変美しい響きと叙情的な表現が素晴らしく良かったと思いました。次の「羊飼いよ、あなたが愛してくれたなら」の印象的なリフレインがよく、最後の「背こぶの人」の可愛らしい表現に感銘を受けました。

 やはり、松尾香世子はコロラトゥーラが魅力です。「セミラーミデ」のアリアは全く無傷とは行かなかったのですが、ほとんどどこをとっても納得の歌唱で魅力的でした。本日の白眉と申し上げましょう。「鐘の歌」も良かったです。ただこちらは不安定なところもあり、完成度ではセミラーミデのアリアに及びませんでした。

 ピアノ伴奏の山田武彦は明らかに練習不足。テンポの動き方が変で、松尾の歌をサポートできていないところもありましたし、ミスタッチも少なくない。このピアノ伴奏で歌った松尾を褒めるべきなのでしょうか? 松尾に関してもう一つ付け加えるならば表情がよくない。歌の響きは当然口腔の形で決まってくるのですが、松尾は口腔の形状のつくりと顔が連動しているようです。難しい部分を歌っているときの表情が綺麗でないのが気になります。下唇が下の歯を覆って、上の歯が表に出たり、鼻の穴が広がったり、折角の美人が大無しです。口腔内での響かせ方と表情の分離は彼女の喫緊の課題でしょう。

 以上楽しめた部分と全然楽しめなかった部分が混在したリサイタルでした。

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鑑賞日:2005年11月14日
入場料:1階BL1列14番 3500円 

宮本彩音ファースト・ソロ・リサイタル

会場 紀尾井ホール

ピアノ ヴィンチェンツォ・スカレーラ
テノール 三村 卓也

プログラム

ベッリーニ 優雅な月よ
ベッリーニ マリンコニーア、優しい妖精
ベッリーニ 追憶
ロッシーニ 何も言わずにやつれはてるでしょう(慰めの音楽第5番)
ロッシーニ フィレンツェの花売り娘
ロッシーニ 歌劇「セミラーミデ」〜「美しい光が」
休憩
ドニゼッティ ジプシー女
ドニゼッティ 真夜中に
ドニゼッティ 愛の文通
ヴェルディ 哀れな男
ヴェルディ ストルネッロ
ヴェルディ アヴェ・マリア
ヴェルディ 歌劇「椿姫」〜「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」
アンコール
ヴェルディ 歌劇「椿姫」〜「パリを離れて」
成田為三 浜辺の歌
プッチーニ 歌劇「つばめ」〜「ドレッタの夢」
小林秀雄 落葉松
ヴェルディ 歌劇「椿姫」〜「乾杯の歌」

感 想

若いソプラノの誕生を祝福しよう-「宮本彩音ファースト・ソロ・リサイタル」を聴く

 宮本彩音は、本年1月の東京オペラプロデュース公演「とてつもない誤解」で主役のエルネスティーナを歌うのを聴いて、大いに感心したソプラノです。その宮本さんから、「自分のリサイタルがありますので、いらっしゃいませんか」とお誘いがあったのが、本年9月。この辛口感想をモットーにするどくたーTに声をかけるとはよほど自信があるに違いありません。大いに期待して出かけました。そして、その期待はほとんど叶ったというのが実際です。

 勿論全てが満点であったわけではありません。本人も反省点が少なからずあるでしょう。でも、全体としてみた場合、瑕をあげつらうよりも、あれだけの歌を歌えるソプラノが又一人登場したということの喜びが大きいです。非常に楽しめたリサイタルでした。まず、よく練習して来たことが分かる歌唱だったことがうれしい。このリサイタルが彼女にとってもとても大事な一夜だったのでしょう。歌に非意識的なごまかしがなかったのもとても素晴らしいことです。ビブラートも上品でしたし。

 プログラムも良く考えてあります。ベッリーニ、ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディとイタリアのベルカントオペラを代表する作曲家の作品でまとめ、しかし、オペラアリアを中心にはおかず、歌曲をメインに据える。しかし、オペラアリアは、ソプラノの力を見せつける2曲を前後半に1曲ずつ入れるところなど、小憎らしいばかりです。自分を歌を魅力的に聴かせるためにどうしたらよいかを考えたに違いありません。

 まず、第一曲の「優雅な月よ」が柔らかい表現で、宮本の魅力を上手く出していました。彼女の抒情的な表現が特徴的です。この抒情性こそが、本日のリサイタルを貫いたコンセプトのようでした。「追憶」などは、もう少し、技巧的な面を前に出した方が良いのかな、という気もしましたが、彼女の歌が悪いということではありません。

 ロッシーニも抒情性に飛んだ歌。「フィレンツェの花売り娘」は、テンポを若干動かしての歌。技巧の冴えよりも抒情的表現に勝っていました。セミラーミデのアリアは、期せずして、この秋だけで3人のソプラノによって歌われたものを聴きました。佐藤美枝子、松尾香世子、宮本彩音です。三人三様で皆違った歌で面白かったです。技巧の冴えという点では、松尾に軍配が上がると思います。表現力では宮本でしょう。存在感では佐藤です。トータルとしてみれば、存在感を一番感じさせた佐藤の歌を私は採りますが、宮本の歌も(技巧的にはもう少しがんばってほしいところもあるのですが)彼女のよさが良く出ていました。

 後半のドニゼッティも抒情的な面を前面に出した歌。前半も結構でしたが、やはり緊張もあったのでしょう。抒情性がすっきりしない部分もあったのですが、後半は緊張も解けて、柔らかさに魅力を感じさせる歌になりました。「ジプシー女」は、その中では比較的技巧を凝らした歌唱でよく、「真夜中に」の華麗な旋律への乗り方も上々でした。

 ヴェルディは、「ストルネッロ」におけるコミカルな表現が秀逸。「アヴェ・マリア」は、「アイーダ」と「オテロ」の間に作曲された作品ということですが、「オテロ」の「柳の歌」を髣髴とさせる曲で、良かったです。

 そして、プログラム最後が「ああ、そは、彼の人か〜花から花へ」です。恐らくこの歌が本日の白眉でした。正確にきっちり歌いきり、ごまかしがなく結構でした。宮本はアンコールでもヴィオレッタを2曲も歌い、ヴィオレッタに強い関心があるようですが、彼女のヴィオレッタは、したたかな高級娼婦というよりは、純情な少女のようでした。そこが魅力的でもあるのですが、本当に舞台で歌うのであれば、もう少ししたたかな部分を表に出してもよいのかな、と思いました。

 ピアノのスカレーラは流石です。このような名手に伴奏されただけでも宮本は幸せでした。

 とにかく楽しめたリサイタルでした。Bravaです。彼女の次の予定は留学でしょうか?宮本彩音の今後の精進とますますの発展をお祈りしたいと思います。

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鑑賞日:2005年11月29日
入場料:E席 2835円 4F 3列12番

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭参加公演

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ジョルダーノ作曲「アンドレア・シェニエ」(Andrea Chenier)
原作:ジュール・バルビエ/ポール・ディモフ
台本:
ルイージ・イッリカ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 ミゲル・ゴメス=マルティネス
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演出・美術・照明 フィリップ・アルロー
衣 裳 アンドレア・ウーマン
振 付 上田 遙
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

アンドレア・シェニエ カール・タナー
マッダレーナ ゲオルギーナ・ルカーチ
ジェラール セルゲイ・レイフェルクス
ルーシェ 青戸 知
密 偵 大野 光彦
コワニー伯爵夫人 出来田 三智子
ベルシ 坂本 朱
マデロン 竹本 節子
マテュー 大久保 眞
フレヴィル 石崎 秀和
修道院長 加茂下 稔
フーキエ・タンヴィル 小林 由樹
デュマ 大森 一英
家令/シュミット 大澤 建

感 想

いくらなんでも-新国立劇場「アンドレア・シェニエ」を聴く

 「アンドレア・シェニエ」は日本ではあまり上演されないオペラですが、伝説の名舞台が残されています。最初は、言わずと知れた、デル・モナコとテバルディの第3回イタリアオペラにおける名唱。これは、終幕のシェニエとマッダレーナの二重唱部分しか録画が残っていませんが、今見てもぞくぞくする名舞台です。次に上げるは、ジャコミーニとカゾッラのコンビの1994年の藤原歌劇団の上演。これは、私も勿論聴いておりますが、いま思うと、ジャコミーニとカゾッラの個性が上手くぶつかり合った良質な名舞台でした。その後、いくつかの小さな団体がこの作品を取り上げていますが、本格的舞台といえば、藤原以来と申し上げてよろしいのではないでしょうか。

 しかし、端的に申し上げて、藤原の舞台を見たときの感動を今回の新国立劇場の舞台で得ることは出来ませんでした。まず、主役歌手の実力がなさ過ぎる。更に付け加えれば、そのくせ歌い方が我流で、音程もいい加減ですし、テンポも乱れています。そのような形式感の乏しい歌を聴くのが私はまず好きではないのですが、それでも歌に力があって、無理やりにでも引っ張ってくれるのであればそれも許されるでしょう。しかし、歌に力がなくて、形式もいい加減であれば、聴いていて楽しくありません。

 まず批判されるべきは、標題役のカール・タナーでしょう。もう全くメリハリのない歌いっぷりで、聴いていてわくわくさせるところが全くないのが困ります。最初の聴かせどころである「ある日青空を眺めて」などは、こちらがぼんやりしていたせいもあるのでしょうが、いつの間にか終わった感じで、全然アリアを聴いたという充実感がないのです。中音部が響かず密度もないのもどうかと思いました。二幕の幕切れの二重唱でブラボーが飛びましたが、ルカーチも含め、いっけん熱血風ですが、よく聴くと何の内容のない歌にブラボーが出るのは私には信じられません。終幕の二重唱も切迫感が感じられない。とにかく、タナーは、アンドレア・シェニエをどのように歌うべきかという点に関し、何の考えもないのではないか、という気がしました。

 マッダレーナのルカーチも勘弁です。ドラマティックに歌おうという意識はあるようですが、そちらに走りすぎていて、歌のメリハリが不明確で、楽しめない。要するに気持ちとテクニックとが一致していないと申し上げましょう。率直に申し上げれば、「もっと練習してよ」です。基本がしっかりしているところでの崩しはそれなりに効果があると思うのですが、基本が確立していないところでの崩れは見苦しいだけだと思います。今回の上演で、彼女の歌で満足できたのは、「亡くなった母は」のアリアだけでした。

 主役の二人の力量が今回の上演の価値を決めていたように思います。「アンドレア・シェニエ」というオペラは、どちらかといえば下世話なオペラで、もっとあざとく盛り上げて「お涙頂戴」にもって行って一向に差し支えない作品だと思うのですが、主役にやる気が感じられないと全くつまらなくなる。困ったものだと思いました。

 しかし、主役の二人を別にすれば、音楽的にとりたててひどいという感じはしませんでした。ゴメス=マルティネスの指揮は、割と端正なもので、決して悪いものではないのですが、「アンドレア・シェニエ」というオペラを振るという点では、もっとあざとい音楽作りでも良いのではないかと思いました。東フィルの演奏も決して悪いものではなく、細かい問題はあったものの、全体としては流麗な響きで結構でした。

 合唱もよく鍛えられていて良好。第一幕のフィナーレのガボットから合唱に移る流れの自然さや、要所要所での群集の声は聴き応えがあってよかったと思います。

 歌手陣も主役の二人を別にすれば悪いものではありません。まず、ジェラール役のレイフェルクスが秀逸。今回私が合格点を与えられると考えているのは第3幕だけなのですが、それは、第3幕の主人公がジェラールだからかもしれません。全体的に押さえた演技でしたが、そこに内に秘めた情熱を感じさせました。3幕のジェラールのモノローグは、非常に聴きものでした。

 3幕でもう一人光っていたのが竹本節子のマデロン。しっとりとした声と内に秘めた情熱を感じさせる歌唱が素敵だったと思います。全体として申し上げれば、日本人の脇役は総じて良い歌唱をしていたと思います。青戸知、坂本朱、大澤建などもよかったと思います。密偵の大野光彦はいつものことながら声量のなさが気になりました。

 演出は、ギロチンを印象づける斜めが基本のモティーフで、それが載った回転舞台が回ることで、すばやい場面転換を行うものでした。この斜めはギロチンの印象と同時に人の心のゆがみの象徴であると思います。上手くCGなども使って、フランス革命時点での不安感を象徴的に示しているわけですが、非常にくどい感じがします。「アンドレア・シェニエ」というオペラは、所詮田舎芝居なのですから、あまり象徴的なモティーフを多用するよりも、もっと下世話でよいのではないかと思いました。

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鑑賞日:2005年12月6日
入場料:E席 5670円 4F 1列33番

主催:新国立劇場

平成17年度(第60回記念)文化庁芸術祭協賛公演

オペラ5幕、字幕付原語(フランス語)上演
オッフェンバック作曲「ホフマン物語」(Les Contes dHoffmann)
台本:ジュール・バルビエ、ミシェル・カレ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 阪 哲朗
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演出・美術・照明 フィリップ・アルロー
衣 裳 アンドレア・ウーマン
振 付 上田 遙
舞台監督 大仁田雅彦

出 演

ホフマン クラウス・フロリアン・フォークト
ニクラウス/ミューズ 加納 悦子
オランピア 吉原 圭子
アントニア 砂川 涼子
ジュリエッタ 森田 雅美
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット ジェイムズ・モリス
アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ 青地 英幸
ルーテル/クレスペル 彭 康亮
ヘルマン 黒田 諭
ナタナエル 渡辺 文智
スパランツァーニ 柴山 昌宣
シュレーミル 泉 良平
アントニアの母の声/ステッラ 林 美智子

感 想

思いがけない収穫-新国立劇場「ホフマン物語」を聴く

 正直申し上げて、新国立劇場の上演で特に感心したというのは近頃なかったのではないかと思います。特に今シーズンはどれもこれも低レベルで、いい加減どうにかならないものかと思っていました。それだけにホフマン物語の再演が予想以上に素晴らしい演奏だったことを私は素直に喜びたいと思います。

 まず、音楽全体の流れが自然で見事です。指揮は阪哲朗。阪は、2003年12月の本プロダクションの初演時も指揮をいたしました。そのときの指揮も決して悪いものではなかったのですが、今回の演奏を聴いてしまうと、前回の指揮はいかにも未熟だったと思わざるを得ません。全体のトーンが一貫していて、ロマンティックな音の流れが見事でした。ロマンティックといってもふわふわしたものではなく、もっとしっかりしたボディの充実した音楽で、そうでありながら重くならず、「ホフマン物語」というよく言えば幻想的、自分的には支離滅裂の作品の味わいを示すのに適切だったように思いました。洒落た音楽だった、と申し上げてもよいかもしれない。

 「ホフマン物語」は歌手がよければそれなりに聴ける作品ではありますが、ベースとなる音楽が素晴らしければ、その感興は一段高まります。今回は阪哲朗の指揮が良く、東京フィルの演奏も細かなトラブルはあったものの、全体としては高い演奏技術に終始して、聴き応えがあり、満足できたものと思います。特に木管陣の音が良く、クラリネットの音色は殊に良かったと思います。

 歌手陣でまず褒めなければならないのは、ホフマン役のフォークトです。来年メトデビューが予定されている若手ということですが、彼は実に結構です。まず声が美しく、高音に伸びがあるのが良い。あまり技巧に走らず素直に歌っているのも好感を持ちました。彼のようなすっきりしたテノールを聴くのは久しぶりだったので、特にうれしく感じました。

 三人の歌姫では、まずは砂川涼子が抜群に良い。砂川は勿論実力ソプラノですが、これまで、これほど女性の情念と音楽とが上手く一体化して歌えたことはあったかしら。とにかく、歌か命かの二者択一を迫られたアントニアが、命を削るようにして歌うところはまさに聴きものでした。

 砂川のオーラが他の歌手にも伝染したに違いありません。第3幕の音楽的緊張感、盛り上がりは、確実に他の幕を圧倒していました。フォークトのホフマンが良かったのは当然ですが、悪魔役・ミラクル博士を歌ったジェームス・モリスもこの幕が一番輝いていましたし、道化役の青地英幸もこの幕が一番素晴らしかったと思います。はっきり申し上げて、青地がこれほど歌える歌手だとは私は知りませんでした。また、彭康亮のクレスペルもバスの声が立っていて、実に素晴らしい。母親の林美智子も悪くなく、この幕の素晴らしさは、アンサンブルの美しさも相俟って、実力者が揃ったときのオペラの凄さを痛感させられました。文句なしのブラビーです。

 砂川と比較すると格落ちですが、吉原圭子、森田雅美もがんばりました。吉原は難役オランピアをしっかりとした音程で歌いきり、それだけでも十分に合格点でしょう。ただし、声質から見てオランピアが適役であるとは思えない。このかた声質が柔らかくて、温かみがあります。こういう声は機械人形オランピアの声ではないと思うのですね。もっと硬質でぴんと張った高音を出せる方をキャスティングすべきではなかったでしょうか?なお、第二幕に関しては、柴山昌宣のスパランツァーニも良く、モリスのコッペリウスとの掛け合いも満足しました。

 森田雅美のジュリエッタも良好。本プロダクション初演時はこの役を佐藤しのぶが歌って、彼女の実力低下ぶりに驚いた覚えがありますが、あのときの佐藤と比較すれば、抜群に良いと申し上げられます。スピントの利いた声を上手く退廃的な雰囲気の中に混ぜ込ませて見事でした。ジュリエッタの幕を、初演時はつまらないと感じて聴いたのですが、キーとなる歌手がいいと感じがすっかり変わります。全体として音楽のまとまりが良く、泉良平のシュレーミルも結構。モリスのダベルトゥットも良かったです。

 悪魔4役のジェームス・モリスは流石の存在感で結構でした。道化四役は、本プロダクション初演時に大評判だった高橋淳が降板して青地に変わったわけですが、青地は高橋ほどのけれんを出せなかったように思います。しかしながら第3幕で言及したように、青地なりの表現で、十分に役をこなしていたと思います。

 ニコラウス/ミューズの加納悦子も上手です。きっちりした歌唱で全体に溶け込んでおりました。ただ、彼女に関して申し上げれば、私は、彼女のN響で歌ったマーラー「大地の歌」を聴いております。この「大地の歌」における加納の歌唱は本当に素晴らしいもので、それを知っているからこそ、今回のニコラウス/ミューズは一寸物足りない。もっと踏み込んだ表現が出来るだけの実力がある方だと思います。

 細かく見ていけば、瑕疵がないとは申しませんが、演出も初演時よりこなれて自然になりました。音楽面、演出面とも初演時よりアップグレードされたものでした。ことに音楽面は高水準で、抜群の公演と申し上げましょう。

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鑑賞日:2005年12月9日
入場料:B席 4000円 3F B列32番

主催:東京オペラ/アートスフィア

東京オペラグループ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コシ・ファン・トゥッテ」(Cosi fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 アートスフィア

指 揮 佐藤 正浩
管弦楽 Orchestre "Les Champs-Lyrics"
チェンバロ 山口 佳代
     
演 出 小鉄 和広
美 術 高橋あや子
衣 裳 倉岡 智一
照 明 矢口 雅敏
音 響 実吉 英一
舞台監督 南 清隆

出 演

フィオルティリージ 高橋 薫子
ドラベッラ 羽山 弘子
フェランド 羽山 晃生
グリエルモ 吉川 健一
デスピーナ 嶋村 友美
ドン・アルフォンソ 小鉄 和広

感 想

スーブレットたちの貴族姉妹-東京オペラグループ「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く

 東京オペラグループは、「最小規模で高水準」というモットーを掲げて、バス歌手の小鉄和広が主催している団体で、アートスフィアでの公演は本年1月の「フィガロの結婚」に続く二度目のもの。「最小規模」ということから合唱団は参加せず、合唱部分はオーケストラのみでの演奏という変則の上演となりました。志が高いのは大変結構なことですが、それだけでオペラが上手くいくとは限らない。一月の「フィガロ」は、演奏の質という点で見た場合、あまり高いものではなかったと申し上げてよいでしょう。

 今回の「コジ」は、最初に結論を申し上げてしまえば、1月の「フィガロ」よりはまし。しかし、聴き手に十分な満足を与えていたか、という観点で申し上げれば、まだまだである、というところだと思います。

 まず指揮者がなっていない。一月のフィガロのときもそう思ったのですが、佐藤正浩はモーツァルトを振る、ということがどういうことか全然分かっていないのではないか、という気が致します。勿論スコア・リーディングはやったのでしょうし、自分なりの音楽のイメージも持っていたのでしょう。しかし、オーケストラから出てくる音に生気が感じられません。モーツァルトの音楽に本質的に内在するあのわくわく感が湧き出てこないのです。ただひたすらのっぺりとした音が流れるだけ。指揮者がイニシアチブをとって舞台を引っ張っていこうとする気概が無いようです。特に一幕。困ったものです。

 オーケストラ・プレーヤーはN響を中心とした一流どころですし、ミスもゼロとは言いませんが、そんなに数多かったわけではない。また歌手陣は相当にがんばっていました。それにもかかわらず音楽として魅力が感じられないのは、指揮者の責任と申し上げるしかありません。

 以上のように音楽全体は、私としては首肯出来ない部分が多いのですが、歌手陣は一部例外を除いてよく歌えていたと思います。男声と女声という分け方では女声陣を特に評価しましょう。まず、フィオルティリージの高橋薫子が抜群の出来でした。二つの大きなアリア、即ち第1幕の「岩のように動かず」も第2幕「あの方は行く〜恋人よ、どうぞ許して」は、どちらも格調の高い名唱。低音部の処理が大変そうでしたが、全体を傷つけるようなものではありません。歌の正確さ、表現の充実、どちらをとっても大変高水準の歌だったと思います。

 本来、高橋の「コジ」に関する持ち役は、「デスピーナ」で、フィオルティリージを歌ったのは初めてです。それにもかかわらず、あれだけの歌唱を見せるところが高橋の高橋たる所以と申し上げましょう。 一方ドラベッラの羽山弘子。この方もがんばりました。流石に高橋の深みに対抗できるだけの技術や経験はないようですが、十分水準以上の歌唱でした。また、羽山も声の質がソプラノ・リリコ・レジェーロであり、メゾ・ソプラノによって歌われることの多いドラベッラをを歌ったというだけで勿論たいしたものであります。

 フィオルティリージとドラベッラは普通ソプラノとメゾソプラノで歌われるわけですが、女中役を得意としている二人が受持つと、同じ声域ながら声質の微妙な違いがハーモニーにふくらみを与えて、ことさらに綺麗に聴こえました。こういうやり方を見るは初めての経験です。

 デスピーナの嶋村友美もも悪くない。ただ、医者に化けたときの演技とか公証人の演技は今ひとつ突き抜けたところがなく、ちょっと物足りない感じがありました。更にいえば、歌唱全体が、高橋薫子が歌ったデスピーナと比較するとまだ未熟であり、更なる検討をお願いしたいところです。

 男声は女声と比較すると、基本的な力が足りない感じがあります。また、羽山晃生は、若干のどが不調だったようで、彼の本来の声よりもざらついた声が出ているように思いました。吉川健一は、多分はじめて聴くバリトンですが、なかなか魅力的な歌を聞かせてくれました。歌で最も問題なのは、小鉄和広のドン・アルフォンソでしょう。彼は、発声に独特の癖があります。そのせいか、どれも小鉄節になってしまい本来の音程などがスポイルされているように思いました。

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鑑賞日:2005年12月11日
入場料:B席 4000円 2F 10列12番

主催:東京室内歌劇場

東京室内歌劇場37期第111定期公演
平成17年文化庁芸術創造活動重点支援事業

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コシ・ファン・トゥッテ」(Cosi fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 めぐろパーシモンホール 大ホール

指 揮 若杉 弘
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 東京室内歌劇場合唱団
合唱指揮 清水 史広
演 出 栗山 昌良
美 術 鈴木 俊朗
衣 裳 岸井 克己
照 明 成瀬 一裕
舞台監督 金坂 淳台

出 演

フィオルティリージ 小濱 妙美
ドラベッラ 井坂 恵
フェランド 中嶋 克彦
グリエルモ 井上 雅人
デスピーナ 松原 有奈
ドン・アルフォンソ 峰  茂樹

感 想

続けて聴いて見えるもの-東京室内歌劇場「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く

 私はこれまで随分の数のオペラの舞台を見ておりますが、違うプロダクションの同一演目を続けてみるのは初めての経験です。東京オペラグループ(TOG)と東京室内歌劇場、こうしてみると、当然ながら、違うプロダクションでは雰囲気が異なります。どちらも時代の読み替えをしないオーソドックスな演出でしたが、東京オペラグループの小鉄和広の演出は、「コジ・ファン・トゥッテ」が喜劇であることを強調した演出になっていたのに対し、室内歌劇場の栗山演出は、シックな雰囲気で、小鉄演出よりも上品な仕上がりになっていました。

 音楽としての出来は、室内歌劇場が一枚も二枚も上手でした。モーツァルト演奏に定評のある若杉弘の指揮は、基本は軽快ですが、アンダンテのような歌わせる部分ではじっくりとリタルダンドをかけます。ただ、露骨なブレーキングはせず、全体の音楽の流れに自然に任せた風にしているところなど、流石に日本のオペラ指揮分野での最高実力者です。特に遅い部分の表情の付け方が巧みで魅力的でした。

 音楽のふくらみも室内歌劇場に魅力があります。これは、弦楽器の数も関係するかもしれません。TOGは、弦楽器が5-4-3-2-1という最低限の構成に止めていたのに対し、東フィルは10型のオーケストラでした。このぐらいの弦楽器の数の差は、音楽の余裕に差が出るように思います。それだけ、室内歌劇場は音楽のベースに力をいれたということなのでしょう。

 コジの女声陣は、本来リリコ・レジェーロ(デスピーナ)、リリコ・スピント(フィオルティリージ)、メゾソプラノ(ドラベッラ)で歌われるものです。本公演では、その声質であわせてきました。この組み合わせは、三人ともリリコ・レジェーロの歌手で揃えたTOG公演よりも真っ当であります。しかし感銘は、TOGが上でした。室内歌劇場公演は小濱妙美のフィオルディリージが今ひとつぱっとしない。第一幕はヴィヴラートでごまかすところが見受けられ、「岩のように動かず」も若い貞淑な女性の決意、というよりも年増の深情けのような歌唱で、あまり良いものとは思いませんでした。第二幕は第一幕よりはよくなりましたが、東京オペラグループ公演における高橋薫子の名歌唱と比較すると高く評価するわけには参りません。

 ドラベッラの井坂恵は、小濱と比較するとずっとすっきりした歌唱。すっきりしすぎて一部物足りなく感じたところもありました。しかし、フィオルティリージとの二重唱などは上手くサポートをしており、決して悪いものではなかったと思いますし、二幕のアリアはなかなか聴き応えがありました。TOGの羽山弘子と比較すれば井坂の方が良かったかもしれません。

 しかし二重唱の味わいは、似かよった声質の高橋/羽山コンビの方が、対照的な声質の小濱/井坂コンビよりも精妙さの点で上回っていると思いました。

 一方、デスピーナは松原有奈に軍配が上がります。嶋村と比較して表現が明確でかつ正確。「兵隊さんの貞節」のアリアも、「女も15になれば」ノアリアも松原の表現に好感を持ちました。

 男声陣は、室内歌劇場の方に軍配が上がります。まず良かったのはフェランド役の中嶋克彦。レジェーロ系のテノールで、すっきりした表現が魅力です。中嶋は、昨年東京芸大の学生オペラ実験工房「サラマンカの友人たち」で聴いたテノールですが、そのときは特別優れたテノールであるという印象を持ちませんでした。1年余りで随分成長したな、というのが正直なところ。

 グリエルモの井上雅人も悪くない。第一幕はあまり存在感を感じない歌唱でしたが、第二幕はがんばっていたと思います。特にドラベッラを陥落するところの二重唱や、「我が女性よ」のアリアは良いものでした。

 ドン・アルフォンゾも峰茂樹の方が良い歌唱でした。峰は小鉄と比較するともっと自然な歌唱でよかったですし、重唱で参加する部分も小鉄よりも自然な存在感を感じました。

 二回続けて同一作品を見ると、両者の良いところだけ集められればさらにいいものになるように思えます。この二つの公演が、若杉弘指揮東京フィルハーモニー交響楽団、フィオルディリージ:高橋薫子、ドラベッラ:羽山弘子または井坂恵、ディスピーナ:松原有奈、フェランド:中嶋克彦、グリエルモ:吉川健一または井上雅人、ドン・アルフォンゾ:峰茂樹であったら、もっと深い感動を感じることが出来たのでしょうが、勿論これは、タラ・レバの話で、本当のところは分かりません。

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