オペラに行って参りました-2009年(その3)

目次

一寸豪華でとても嬉しい

2009年06月10

新国立劇場「チェネレントラ」を聴く

読替えの演出を見直しました

2009年06月13

藤原歌劇団「愛の妙薬」を聴く

Aキャストの力量

2009年06月14

藤原歌劇団「愛の妙薬」を聴く

日本人歌手の実力向上

2009年06月26

新国立劇場「修禅寺物語」を聴く

知性と声量

2009年07月01

「森麻季ソプラノリサイタル」を聴く

アレグロ、アレグロ

2009年07月05

オペラ・リリカ・八王子「イル・トロヴァトーレ」を聴く

美人は得か?

2009年07月18

佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2009「カルメン」を聴

フランス人になりたかった?

2009年07月26

南條年章オペラ研究室「オリー伯爵」を聴く

市民オペラの完成度  2009年08月30日  大田区民オペラ協議会「シモン・ボッカネグラ」を聴く 
安い席は客ではない?  2009年09月05日  東京室内歌劇場「往きと復り」、「妻と帽子を間違えた男」を聴く 

 

オペラに行って参りました2009年その2へ
オペラに行って参りました2009年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2009610
入場料:D席 3780円 4F152番 

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントラ」La Cenerentola)
台本:ヤコボ・フェルレッティ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮

デイヴィッド・サイラス

管弦楽

東京フィルハーモニー交響楽団

合唱

新国立劇場合唱団

合唱指導

三澤洋史

演出・美術・衣装

ジャン=ピエール・ポネル

再演演出

グリシャ・アサガロフ

演技指導

グリシャ・アサガロフ

 

ヴォルフガング・ゲッペル

音楽ヘッドコーチ

石坂 宏

舞台監督

大仁田雅彦

出 演

アンジェリーナ

ヴェッセリーナ・カサロヴァ

ドン・ラミーロ

アントニーノ・シラグーザ

ダンディーニ

ロベルト・デ・カンディア

ドン・マニーフィコ

ブルーノ・デ・シモーネ

アリドーロ

ギュンター・グロイスベック

クロリンダ

幸田 浩子

ティーズベ

清水 華澄

感 想 一寸豪華でとても嬉しい-新国立劇場「チェネレントラ」を聴く

 新国立劇場は開館10年になるわけですが、いわゆるベル・カント・オペラに冷たいです。これまでロッシーニは「セヴィリアの理髪師」しか上演していないし、ドニゼッティは「ルチア」のみ、ベッリーニに至っては何も上演していません。これは、19世紀前半がオペラの黄金時代だと信じているイタリア・オペラファンにはあまりにもむごい仕打ちです。そういう声を聴いたか聴かずか知りませんが、ようやくロッシーニの傑作オペラ・ブッファ「チェネレントラ」が登場しました。舞台は21年前に亡くなっている名演出家・ジャン=ピエール・ポネルの制作したバイエルン州立歌劇場のもの。勿論これは名舞台な訳ですし、こういった舞台の貸し借りを私は悪いことではないと思っているのですが、「チェネレントラ」を再度新国立劇場で上演することは無いだろうと言うことで、とりあえず借りてきた、という臭いがしないではありません。

 また、確かに名舞台だとは思いますが、古さゆるさを感じます。例えば床。普通ならば床にも何か張ったりすると思うのですが、今回の舞台は新国立劇場本来の床をそのまま使っているようです。再演演出のアサガロフはポネルの弟子の一人ですし、新国立劇場でも何本か演出してこの劇場の装置や規模も熟知していて、今回の演出としてぴったりだとは思うのですが、やはり自分の舞台で無いと言うことなのでしょうか、今ひとつ踏み込みが足りないように思います。どことなく演技がしっくり来なくて、ポネルが本来目指していた味わいとは一寸違うような気が致しました。

 とはいえ、トータルとしての出来は十分ハイレベルだと思います。まず歌手が良い。アンジェリーナ役のカサロヴァは、見た目はかなり怖そうですし、歌唱だって、低音のドスの利き方は好悪が分かれるところでしょう。私も第一声を聴いたとき、「一寸下品かな」、と思わずにいられなかったのですが、聴き進めていくとこの低音は結構魅力的です。またカサロヴァは低音が強い割には高音もそれなりに響き、かなり広い音域をフラットに歌えるだけの力量があります。だからアンジェリーナの存在感を十分に出して、更にはバランスよい歌唱で発声も過不足ないコントロールで、流石に一流のメゾです。また歌にオーラがあって、聴き手をカサロヴァ節に引き込みます。ディーヴァの証拠といったところでしょうか? ただアンジェリーナとして本当に向いているのか、という点に関しては一寸疑問です。少なくとも、私にとってベストのアンジェリーナでないことだけは確かです。

 それに対して、シラクーザのドン・ラミーロは好調。昨年の「どろぼうかささぎ」のジャンネット役よりははるかに良い。全体に軽い高音がぴっしり飛び、豊かなフレージングも素晴らしいと思います。私はこれまで、マイベストドン・ラミーロは91年藤原歌劇団公演における五郎部俊朗だと思っていたのですが、今回宗旨替えしなければいけないようです。特に第二幕のアリアは、前半のカヴァティーナはさほど素晴らしいとも思いませんでしたがどんどんよくなり、後半のカバレッタは息を呑む素晴らしさ。会場の強い拍手に押されて、カバレッタ部分をアンコール。このアンコールが本番よりも更に調子に乗っていて、ハイCがより伸びやかに響き、満足しました。歌手もお客さんの拍手に乗せられる、というのは本当なのだなと、改めて思いました。

 ダンディーニのデ・カンディアとドン・マニーフィコのデ・シモーネは、2005年の藤原歌劇団公演でも同役を歌った方で、どちらもこれらの役をレパートリーの中核に置いているそうです。それだけに達者な歌です。特にデ・カンディアのダンディーニは、技術的にはいろいろあるようですが、ポイントを押さえた歌で、第一幕のカヴァティーナといい、重唱でからむ部分といい、十分楽しめるものでした。シモーネも十分な歌でしたが、前回の藤原公演における達者な演技と比べると一寸抑えた感じがしなくもありません。でも、第二幕冒頭の俗物根性丸出しのアリア「娘のうちどちらでも」は、私が大好きなのですが、やっぱり素晴らしいと思いましたし、口調といい雰囲気といい、ブッフォ役が立っている上演は素敵に決まっています。

 アリドーロのグロイスベックは声がいい。他の方の存在感と比較すれば一歩引いた感じではありましたが、決して悪いものではありません。

 クロリンダとディーズベの日本人コンビ。幸田浩子はこのメンバーの中ではどうしても軽量。冒頭の三重唱ではアンジェリーナのドスの利いた歌と、それに負けない体格の清水華澄に挟まれて、わがままさが空回りしている印象でした。清水華澄のティーズベは、アンサンブルにおける低音の下支えなどをきっちりとやっていて、目立たないけれど良い仕事をしていました。どちらにしてもこの二人の日本人コンビは、全体に演技の乏しい舞台の中、よく走り回ってコミカルな印象を上手く作っていて十分自分の仕事を果たしたと思います。

 指揮者のサイラスは、序曲の最初が今ひとつでどうかと思いましたが、アレグロ・ヴィヴァーチェの部分から活気が出てきてなかなか良好。東京フィルの音も全体に明晰で、木管の音も柔らかく、満足できるものでした。オペラ本編に入っても、歌手たちに上手く合わせて指揮をしており、歌手たちは歌いやすかったに違いありません。

 カサロヴァのアンジェリーナとシラクーザのドン・ラミーロとのバランスは必ずしもベストだとは思いませんが、登場した歌手が全て一定以上の水準を保ち、更に男声合唱もよく、サイラスが、アンジェリーナの歌唱を中心とした組み立てをしたおかげで、まとまりも良好。全体としてはゴージャス感のある楽しめる舞台になっていました。

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観劇日:2009613
入場料:D席 5000円 4F R17番 

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)

主催:財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団創立75周年記念公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ
リコルディ版

会場 東京文化会館大ホール

指 揮

園田 隆一郎

管弦楽

東京フィルハーモニー交響楽団

チェンバロ

藤原 藍子

合 唱

藤原歌劇団合唱部

合唱指揮

須藤 桂司

演 出

マルコ・ガンディーニ

美 術

イタロ・グラッシ

衣 装

シルヴィア・アイモニーノ

照 明

奥畑 康夫

舞台監督

斉藤 美穂

出 演

アディーナ

川越 塔子

ネモリーノ

中鉢 聡

ベルコーレ

森口 賢二

ドゥルカマーラ

党 主税

ジャンネッタ

宮本 彩音

感 想 読替えの演出を見直しました-藤原歌劇団「愛の妙薬」を聴く

 ワーグナーの作品のようにどうにでも解釈できる作品はいざ知らず、登場人物が具体的な属性を持つオペラ・ブッファを下手に読み替えると結構大変なことになります。新国立劇場の「フィガロの結婚」の舞台とか、二期会が宮本亜門に演出させた「ドン・ジョヴァンニ」とかは結構賛否両論がありました。私はこういう読替えをあまり好まない聴き手で、どちらも如何なものかと思っています。「愛の妙薬」だって、本来はスペインのバスク地方を舞台とした田園牧歌劇です。これを現代のショッピングモールに持ってこようとするわけですから、これはあまりに大胆な読替えです。正直申し上げてどうまとめるのかと不安に思いながら出かけました。

 しかし、この現代のショッピングモールに置き換えた舞台は正解でした。マルコ・ガンディーニは「愛の妙薬」の本質がボーイ・ミーツ・ガールであり、その心情は時代と地域を越えて普遍的だと考えました。その結果として、現在のショッピング・モールを舞台に選んだのでしょうが、結局全く違和感が無い。むしろ現代の恋愛劇にしたため、現代を生きる我々にとって、より共感できる舞台になったのではないかと思います。

 幕が上がると、舞台にはデパートかショッピングモールの化粧品売り場が現れます。舞台の向って右手には「Drior」と書かれたブティックがあり、左手には高級化粧品らしい「LUNIQUE」や「GRENLAIN」と書かれた売り場があります。そこで売り子として働くのがアディーナとジャンネッタ。ネモリーノはこれらの店へ商品を運び込む仕事を行っており、冒頭のカヴァティーナは、ワゴンの商品に値札をつけながら歌います。ドゥルカマーラは、売り場を借りてクリームを売る実演セールスマン、ベルコーレだけが士官学校の学生ということです。

 合唱や助演で出演する方も多種多様で、ガードマン、日本の女子高生(制服にナイロンバック)、最新モードのファッションを身に着けたお姉さん、おのぼりさんの主婦、普通の背広姿の男性など、どう見てもデパートの化粧品売り場。ですから、アディーナが心情を吐露しようが、ネモリーノが嫉妬しようが、常にお客さんが居て、アディーナはお客さんの応対をしながらアリアを歌うというようなアクロバットなこともやります。舞台の隅々まで見ていると、ネモリーノが心境を歌っているときに、端っこで掃除していたり、商品の入れ替え作業をしていたり、そういうところも実際のショッピングセンターをよく観察して考えたものでしょう。

 また「愛の妙薬」が一日で起こる出来事であることは当然踏まえられていて、第二幕の中盤は閉館後のショッピングセンターになります。正式な名称はなんというのか知りませんが、よくデパートなどで見かける立入禁止のポールを置いて閉館を象徴。例のネモリーノの伯父さんが亡くなって遺産相続により大金持ちになるという噂話をジャンネッタたちがするシーンやネモリーノが「人知れぬ涙」を歌うところなどはお客さんがいなくなります。アディーナとネモリーノが結ばれたことを知ったドゥルカマーラは、翌日「愛の妙薬」を売ると1000円札を振りかざしたお客さんが行列を作ります。本当に舞台はヴィヴィッドな現代。それもどうも日本らしい。ここまで徹底した演出は凄いと思います。あえて問題点を申し上げるならば、ベルコーレの衣装がいかにも古いスタイルの軍服。現実の士官学校の制服がどんなものかは知りませんが、もう少し現代風でも宜しいのでは。サーベルはいらないでしょう。ジーパンをはいて当たり前に演技をしている中で、そこだけが一寸浮いているようにも思いました。

 それにしても助演一人一人に至る細々としたところまで動きを注意した名舞台だと思います。

 音楽面は、まず園田隆一郎の音楽作りが若さを前面に出した軽快で颯爽とした音楽作りに好感を持ちました。普段よりやや浅めのピットだったようでオーケストラの音の発散もよく、舞台の現代性とよくマッチした音楽作りであったと思います。

 歌手たちは一長一短。アディーナの川越塔子は今ひとつすっきりしない。本日の上演は、私にとって今年に入ってから三度目の「愛の妙薬」なのですが、一番買えないアディーナです。3月に聴いた森麻季のアディーナは繊細で且つ要所要所のコントロールが素晴らしく大変感心しましたし、2月に聴いた今回ジャンネッタを歌っている宮本彩音のアディーナも高音の抜けの良い歌でよかったと思います。今回の川越の歌は、二人と比較すると会場が広いというハンディはありますが、高音の張りが今ひとつ乏しいこと、高音部と中声部とで歌い方のスタイルを変えているのでしょうが、流れの一定感がないこと、そしてややヴィブラート過剰なことが気になりました。

 中鉢聡のネモリーノも今ひとつです。中鉢とネモリーノはキャラクター的によく合っていると思いますし、おどおどした雰囲気、気の弱そうな作業員の雰囲気はよく出ていてそれは良かったと思うのですが、歌が今ひとつ豊かになりきれない。「人知れぬ涙」は私の好きなスタイルではない。力が入りすぎて、曲の持つ本質的なロマンティックな部分がスポイルされていたように思いました。

 党主税のドゥルカマーラは金色の上着を着たキャバレーの司会みたいな雰囲気。これで歌も少し崩れていれば申し分なかったのですが、真面目な歌に終始していました。まだ若いということなのでしょうね。歌手のほうに重心が置かれた立ち居地で、役者としての読みが未だ甘いというところです。3月に聴いた三浦克次や4月に聴いた宮本益光の面白さの域にはなかなか及ばないということなのでしょう。

 音楽的に一番魅力だったのはベルコーレ役の森口賢二。先日立川で聴いたときよりも更に洒脱感があって、大変面白いと思いました。ベルコーレとネモリーノとの掛け合いが、ドゥルカマーラのインチキ臭さと並んだこのオペラの笑いの軸ですが、森口の柔らかい体がその微妙な笑いを盛上げていたと思います。最後に振られたベルコーレが、ネモリーノを蹴飛ばして見せるところなど(演出でしょうが)特に面白い。

 ジャンネッタの宮本彩音、頑張っていました。合唱も初日は随分すれていたそうですが、二日目はかなり修正されていました。 

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観劇日:2009614
入場料:D席 5000円 4F L120番 

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)

主催:財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団創立75周年記念公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ
リコルディ版

会場 東京文化会館大ホール

指 揮

園田 隆一郎

管弦楽

東京フィルハーモニー交響楽団

チェンバロ

藤原 藍子

合 唱

藤原歌劇団合唱部

合唱指揮

須藤 桂司

演 出

マルコ・ガンディーニ

美 術

イタロ・グラッシ

衣 装

シルヴィア・アイモニーノ

照 明

奥畑 康夫

舞台監督

斉藤 美穂

出 演

アディーナ

高橋 薫子

ネモリーノ

エマヌエーレ・ダグアンノ

ベルコーレ

須藤 慎吾

ドゥルカマーラ

久保田 真澄

ジャンネッタ

向野 由美子

感 想 Aキャストの力量-藤原歌劇団「愛の妙薬」を聴く

 二日間連続で同じ舞台を見て、ますます今回の演出が名演出だと思うに至りました。昨日は右席から見ていたすが、本日は左席から見ました。その結果、昨日見えなかったとのでころがよく見え、まさ昨日見落としていたところも分り、この徹底した作りこみは、大したものと申し上げるしかありませ昨日気がつかなかった代表は、第二幕冒頭にネモリーノは杖を突ん。いて登場した理由です。これは、第一幕フィナーレで、アディーナとベルコーレが結婚することになり、やけになったネーノはショッピングセンターの中で暴れます。最後にはショーケースモリの上に立ちあがり、上においてあるものを蹴飛ばすので、ガードマンに取り押さえられます。取り押さえられるとき、ーケースから落ちるのですが、そのとき捻挫するのですね。この取りショ押さえられる場所が舞台の向って右側なものですから、昨日はネモリーノの捻挫の演技までは確認できませんでし本日は、その演技をしっかりと確認いたしました。た。

 もうひとつ本日気づいたこと。公演監督の岡山広幸さんが最後ドゥルカマーラが「妙薬」を売るときに出来る行列の中に参加していました。カーテンコールには登場していませんでしたが。これは、分る人が分れば良いいたずらだと思いますが、気がついたのは二日見た効果かもしれません。

 で、上演の出来ですが、それは本日の方が絶対的に上。ダブルスコアで勝っていると申し上げるしかありません。オーケストラの出来は大差ないと思います。と申し上げるより二日間とも大変上手だったと思います。ピットに入ったときの東京フィルは必ずしも万全でないことが多いのですが、今回の「愛の妙薬」に関してはその心配は不要でした。「人知れぬ涙」におけるファゴットの伴奏も素敵でしたし、要所要所ではいるトランペットのファンファーレも結構でした。

 結局違いは歌手陣です。まず、アディーナの高橋薫子が圧倒的に素晴らしい。元々声の美しい方ではありますが、しっかり磨きをかけて臨みました。最初の「つれないイゾルデを」に始まり、ネモリーノとの二重唱、第二幕冒頭のドゥルカマーラとの二重唱、フィナーレのカンタービレに至るまで間然とするところの無い流石の歌唱でした。先日の森麻季のぴんと張り詰めた感じと比較するともっと柔らかな抒情性があり、高橋らしいアディーナを造型していたと思います。私は、14年前彼女のロールデビューの時も聴いており、そのときは溌剌としたアディーナの造型に非常に共感したのですが、14年経って、円熟の歌唱を聴けたことを大変素晴らしく思います。

 ネモリーノのダグアンノは前半がかなり危うい歌唱をしていたのですが、後半は持ち直しました。初日はかなりひどかったそうなので、本日は相当巻き返したということではないでしょうか。それでも最初のカヴァティーナを聴いたときはどうなることかと思いましたし、第一幕は時々良い声は聴かせてくれるものの、それでも低調な感じがありました。ニ幕は復活して調子を取り戻した感じがあります。「人知れぬ涙」は昨日の中鉢聡と比較すると大変良いものでした。と申し上げるより、今年私が聴いた「人知れぬ涙」の中では明らかに最高の歌唱でした。

 久保田真澄のドゥルカマーラ。見た目はほとんどドン小西。はったりもドン小西っぽいという方もいました。肝心の音楽ですが、昨日の党主税と比較すると、久保田のほうが圧倒的に胡散臭い。動きが妙に軽薄で、歌はいかにもセールストーク。それでありながら、第二幕冒頭のアディーナとの二重唱で誉められるときの尊大な雰囲気がある。このようなわけの分らない胡散臭さこそがドゥルカマーラでしょう。

 須藤慎吾のベルコーレも上々。昨日の森口賢二も良かったですが、それに勝るとも劣らない出来。昨日の森口がスマートさが前面に出たベルコーレに対し、本日の須藤は力強さが前面に出たベルコーレだったと思います。力強い声がよく出ていました。ジャンネッタ役の向野由美子も自分の役割を果たしてよかったと思います。

 結局主要三役は、Aキャストがより適切な歌唱をしていたと言うことなのでしょう。ダブルキャストで上演するとき、Bキャストの方が良い演奏をすることがままあるのですが、今回はAキャストの貫録勝ちと申し上げるべきでしょう。Aキャストに選ばれるだけのことはある、と申し上げるべき歌唱でした。 

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観劇日:2009626
入場料:D席 2835円 2F168番 

主催:新国立劇場

オペラ13場、字幕付原語(日本語)上演
清水脩作曲「修禅寺物語」
原作:岡本綺堂

会場 新国立劇場中劇場

指 揮

外山 雄三

管弦楽

東京交響楽団

演 出

坂田 藤十郎

美 術

前田 剛

衣 装

宮永 晃久

照 明

沢田 祐二

音楽ヘッドコーチ

石坂 宏

舞台監督

菅原 多敢弘

出 演

源左金吾頼家

村上 敏明

面作師夜叉王

黒田 博

夜叉王の娘かつら

小濱 妙美

夜叉王の娘かえで

薗田 真木子

かえでの婿春彦

経種 廉彦

下田五郎景安

大野 光彦

金窪兵衛尉行親

小野 和彦

修禅寺の僧

大久保 光哉

軍兵

細岡 雅哉

 

大木 太郎

 

三戸 大久

感 想 日本人歌手の実力向上-新国立劇場「修禅寺物語」を聴く

 日本オペラの作曲史を概観するとき、山田耕筰の諸作や、いくつかの小規模な作品はあるものの、本格的なスタートは1952年の團伊玖磨の「夕鶴」の発表がひとつの端緒になることは間違いありません。その次に来るのが清水脩の「修禅寺物語」です。「修禅寺物語」は、日本語の自然な旋律化への挑戦という意味で先駆的な作品と言われ、岡本綺堂の新歌舞伎の台本をそのままオペラの台本として用いているため、歌舞伎の口調がそのまま残っている特徴があるそうです。原作が面白いこともあって、上演回数も比較的多いそうですが、本格的な上演は、1994年の関西歌劇団による公演以来となります。私は初めて聴きました。

 聴いていてまず思うのは、オーケストラ偏重のオペラだな、ということです。一般には、歌舞伎の口調がそのまま残っているため、無調的になり、現代オペラ的になったといわれるわけですが、本当にそうでしょうか。オーケストラは金管が特に活躍して、とりわけ低音金管、トロンボーンやチューバが印象的に響きます。この管楽器の厚い響きは確かにフランス近代音楽のテイストがあります。ところが歌は、物語の劇的な起伏の割には単調です。勿論清水は日本語の自然な旋律化を目指したのでしょうが、もうひとつ彼が考えたのは演奏する人たちの技量だったのではないかしら。

 当時の歌手の実力は私は分りませんが、私がもっている1970年代の二期会オペラの録音などを聴くと(「修禅寺物語」ではありません、念のため)、最近上演される日本の団体のオペラと比較すると雲泥の差です。最近がはるかに上手になっている。それを思うと、1950年代のオペラ歌手の実力が素晴らしかった、ということはないような気がします。そういう人たちに歌ってもらう以上、彼らが十分に歌いこなせるように書く、というのが作曲家の意識的か無意識的かは知りませんが、抑制だったように思います。したがって歌は相対的に単調。

 それに対して今回のキャストは、村上敏明にせよ黒田博にせよ、今の日本オペラ界において屈指の名手であり、清水脩の書いた旋律を歌うのに問題があろう筈はありません。二人の姉妹、かつらとかえでは、本来はリリコ・スピントとリリコ・レジェーロに割り当てられた役柄ということで小濱妙美と薗田真木子が演じたわけですが、どちらも余裕です。多分歌唱におけるあの程度の違いであれば、小濱と薗田が反対の役を歌っても問題なかったのではないでしょうか。脇役テノールを歌わせると光る経種廉彦も結構ですし、そのほか私が批判的に書くことの多い大野光彦だって十分の歌唱だったと思います。そういうところが、1950年代前半の日本人歌手に求められていた水準と比較するとき、今日の日本人歌手たちのベースの実力が段違いに向上している証拠であるように思いました。

 勿論全く問題がないということではありません。まず第一に日本語発声の問題があります。男声陣はほとんど問題なく聴くことが出来たのですが、小濱も薗田も一部のフレーズで何を言っているのかわからなくなる部分があり、字幕で確認してもはっきりしないところがありました。元々歌舞伎用語を使用しているので、使っている言葉が難しいというのはあるのですが、そこを克服しての歌唱であると申し上げるべきでしょう。

 その点、村上・黒田の二人の男性は立派です。非常に明晰な発声で、難しい言葉を話しても何ら破綻がありません。感心しました。

 演出は坂田藤十郎。歌舞伎の方がオペラを演出するのはそう珍しいことではありませんが、新国立劇場では20041月の「鳴神」、「俊寛」の演出が市川團十郎であったのに次ぐもの。彼はどちらも歌舞伎の題材であるということと無関係ではないと思いますが、舞台の雰囲気や歌手に対して要求する所作が、お互いよく似ていることを感じました。なお、演技は内容がドラマティックで盛り上がる要素が多い割には静かな演出の印象。最後の夜叉王が死に行く娘のかつらの顔を写生するところなどは、もっと鬼気迫る演技を黒田に要求しても良かったのではないかと思いました。

 よく分らないのは、新国立劇場の本公演であるにも拘らず、中劇場で上演したこと。中劇場の音響はオペラ劇場よりも悪いと言われますが、歌舞伎を意識した場合、オペラ劇場よりも中劇場のほうがよいと言うような何らかの判断が入ったのかもしれません。私個人としては、比較的近い位置で歌手たちの歌唱が見られたこと、また全般に歌唱がよく、それには会場の広さも関連しているのではないかと感じられたことから、中劇場の選択は決して誤ったものではないと感じます。なお、外山雄三指揮の東京交響楽団は好演。厚みのある多層的な音楽を明快に聴かせていたと思いました。

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鑑賞日:200971
入場料:2F D41番 A席 2500円 

主催:北区文化振興財団

森麻季ソプラノリサイタル

会場 北とぴあ さくらホール

出演

ソプラノ

森 麻季

ピアノ

山岸 茂人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プログラム

カッチーニ

 

アヴェ・マリア

ヘンデル

 

歌劇「セルセ」HWV40 より「オンプラ・マイ・フ」

ヘンデル

 

歌劇「リナルド」HWV7より「勇者として戦ってください」

ハイドン

 

主題と変奏ハ長調Hob.XVII-5(ピアノ・ソロ)

ハイドン

 

「スターバト・マーテル」Hob.XXbisより「御子と共に苦しみたまえ」

ハイドン

 

オラトリオ「四季」Hob.XXI-3よりハンネのアリア「何と爽やかな気分」

-休憩-

ヘンデル

 

オラトリオ「サムソン」HWV57より「光輝く天使たちよ」

JS・バッハ(ケンプ編曲)

 

コラール前奏曲BWV645(ピアノ・ソロ)

ヘンデル

 

歌劇「アレッサンドロ」HWV21 より「何かしら、まだ分らない」

ヘンデル

 

歌劇「リナルド」HWV7より「涙の流れるままに」

グルック(ズガンバーディ編)

 

メロディ(ピアノ・ソロ)

成田為三(林古渓作詞)

 

浜辺の歌

越谷達之助(石川啄木作詞)

 

初恋

山田耕筰(北原白秋作詞)

 

からたちの花

プッチーニ

 

歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私の愛しいお父さん」

-アンコール-

新井満(新井満訳詞)

 

千の風になって

プッチーニ

 

歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのアリア「私が町を歩くと」

感 想

知性と声量-「森麻季ソプラノリサイタル」を聴く

 2009年はヘンデル没後250年、ハイドン没後200年のメモリアルイヤーで、それに関係したコンサートやリサイタルが各地で開催されるようですが、森麻季もヘンデルやハイドンを取り上げたリサイタルを集中して開催しているようです。714日には東京オペラ・シティのコンサートホールでも行われるようですが、その2週間前、北とぴあでも似たようなコンサートをやる。それで、入場料はオペラシティの半額ですから、これはこちらがお得、ということで、一寸足を運んでみました。

 聴いていて思うのは、森の体質や声に、ヘンデルやハイドンが正にぴったりだ、ということです。もともと安定した技術で、繊細なパッセージを軽やかに歌える方ですから、ヘンデルやハイドンの技巧的なアリアに向いているのです。どの曲を聴いても丁寧に確実に歌っているので、聴いていて気持がいい。このくっきりとした確実な技巧での歌唱は「さすが」と申し上げるしかありません。しかしながら、前半は今ひとつ物足りないとおもいました。

 ひとつはホールの選択ですね。こういったヘンデルやハイドンの技巧的な作品を聴くのに、さくらホールは広すぎるのです。コロラトゥーラの技術を優先させると声が発散してしまって響かない。細かなアジリダの技術などは流石だなと思うのですが、どこか声が遠くて今ひとつ迫力に欠けるのです。三曲目の「勇者として戦ってください」などは、ヴィヴラートのコントロールといい、速いパッセージのコロラトゥーラといい、技術的には文句なしなのですが、線が細くて迫力がない。どうしても魅力に欠ける。大変クレバーな歌唱だとは思うのですが、私のプリミティヴな部分には全く訴えてこない。大変悔しい思いで聴きました。

 休憩後は前半ほどかっちりした歌ではなくなり、声に力も出てきたようです。「光り輝く天使たちよ」も最初は前半と同様、技術的な巧さと声の飛ばなさのギャップを感じたのですが、後半はずっと声に力が入ってきました。速--速のアリアな訳ですが、後半の遅い部分からは表情といいコロラトゥーラの技術といい、流石に森麻季とでも言うべき歌唱でした。そして、この日の白眉は、「何かしら、まだ分らない」と「涙の流れるままに」の2曲。特に「涙の流れるままに」はイタリア古典歌曲集に収載され、声楽初心者にもよく歌われる作品ですが、森が歌うとしっとりと響き、情感も抜群、そして装飾のつけ方も流石と申し上げるしかありません。この作品は技術的には前半の曲ほど難しくはないのか、声の伸びもよく響きも良好で、背筋がぞくぞくしました。

 その後は日本歌曲とプッチーニのアリアですが、「浜辺の歌」はもっと素直に歌えばいいのに、ソプラノの技巧に拘って、この歌の良さを殺していました。それに対して「初恋」と「からたちの花」は歌詞の持つ雰囲気とソプラノの技巧が丁度よくマッチしていました。それでも「初恋」はもっと素朴な歌い方のほうが良いと思いますが、「からたちの花」は文句なしです。「私のお父さん」は前半の歌唱と比較すると、アンコールピース的です。声はよく飛んで、声量も抜群ですが、前半の精密なコントロールの歌と比べれば随分アバウト。前半は古典的な精密さを追求し、この曲ではロマンティックな情感を求めたということなのでしょう。アンコールの「ムゼッタのワルツ」も同様。声はしっかり飛んでくるのですが、歌唱コントロールは随分甘くなった感じです。

 結局のところ、歌唱コントロールの巧みさと声量とは森の場合は一致していなかったということなのでしょう。その両者がバランスした「何かしら、まだ分らない」と「涙の流れるままに」が大変素晴らしかっただけに、会場の選択にもう少し気を使って欲しかったと思いました。

 なお、ピアノ伴奏の山岸茂人は、森とのコンビが長いだけのことはあって、良い伴奏をしていたと思います。ソロピアノの演奏では、ハイドンの「主題と変奏」がゆったりとした端正な演奏で殊に良いと思いました。

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観劇日:200975
入場料:B席 4000円 2F357

平成21年度文化芸術振興基金助成事業

主催:オペラ・リリカ・八王子

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」Il Trovatore)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 八王子市民会館

指 揮

大浦 智弘

管弦楽

厚木交響楽団

合 唱

オペラリリカ八王子合唱団

演 出

八木 清市

美 術

八木 清市

衣 装

清水 崇子

照 明

辻井 太郎

副指揮

柴田 真郁

舞台監督

山貫 理恵

出 演

レオノーラ

松岡 薫

マンリーコ

浅原 孝夫

アズチェーナ

巌淵 真理

ルーナ伯爵

森口 賢二

フェランド

竹永 久男

イネス

阿井 泉

ルイス

澤崎 一了

老ジプシー

里見 義康

使者

森田 克己

感 想 アレグロ、アレグロ-オペラリリカ八王子「イル・トロヴァトーレ」を聴く

 ヴェルディの作品の中で一番好きなのは「トロヴァトーレ」か「ファルスタッフ」です。どちらが一番かはそのときの気分で変わります。どちらにしても「トロヴァトーレ」が大好きなオペラであることは間違いありません。それだけ好きな「トロヴァトーレ」なのですが、なかなか聴く機会はありません。私の場合は2002年の新国立劇場での視聴が最後。日本ではそこそこ上演の機会があるのですが、海外団体の引越し公演だったり、地方オペラの公演だったりで、リーズナブルな演奏が聴きにくいのは事実のようです。ところが、八王子の市民オペラ団体、オペラ・リリカ・八王子が「トロヴァトーレ」を上演するというので、半分怖いもの見たさで、出かけました。

 ここで、「怖いもの見たさ」、と書いたのは、よく「「トロヴァトーレ」は主役四人に名歌手が揃わないと上手く行かない」と言われるからです。市民オペラがこの作品を十分に演奏できるのか? やっぱり疑問視せざるを得ない。しかしながら、演奏は、問題点は多々あるものの、全体的に言えば敢闘賞と申し上げて良いと思います。十分ではないにせよトロヴァトーレの音楽になっていましたし、その音楽の持つ本質的な迫力をそれなりに表出できていたと思います。市民オペラとしては十分なのではないでしょうか。

 しかしながら、決して安いとはいえない(プロの団体の公演でもこの入場料で聴けるオペラ公演はいくつもあります)入場料で演奏するのですから、もう少し考えて欲しいところもいくつもありました。私の一番気になったのは全体的なテンポ設定。大浦智弘のテンポ設定はかなり速い。普通「イル・トロヴァトーレ」という作品は2時間20分から30分ぐらいで演奏されることが多いようです(休憩除く)。私の持っている2種類の録音は全曲で2時間19分と2時間18分でしたから、標準的な演奏時間はそんなものでしょう。それに対して今回の演奏時間は2時間5分ぐらい。3時から始まって途中20分の休憩を入れて、カーテンコールが終わって外に出た時間が530分丁度ですから何とも速い。

 私は間延びした演奏よりも、スピードがあってしゃっきりまとまった演奏を好む聴き手ですが、ここまで速いと如何なものかと思います。オーケストラはただ伴奏しているだけで、音の掘り下げが出来ていません。ヴェルディのオペラなのですから、オーケストラももっと劇的に彫りの深い音楽を奏でて欲しいのですが、ひたすら付けているだけ。勿論演奏しているのがアマチュアオーケストラであって、基本的技術はそれほど高くないので、ボロを出さないために速く演奏したという側面もあるのかもしれません。それにしてももう少しゆっくりとロマン派オペラの味を前面に出した演奏でも良かったのではないか、と思います。

 市民オペラの華である合唱も今ひとつ。トータルでは女声よりもエキストラがほとんどの男性の合唱が上手なのですが、それでもハーモニーの調和という点では今ひとつです。多分エキストラが入ってから十分な練習が出来ていないというのが関係しているのでしょう。更にもうひとつ申し上げるならば、強弱のとり方が徹底しておらずやや表情の乏しい歌になっていた、ということもあります。特に「ラッパの響きに」の合唱。実際舞台に立つと、上がってしまってそれまでの指示を忘れてしまったのかも知れません。

 ソリストもいろいろ。まず文句なしに良かったのは森口賢二のルーナ伯爵。登場のシェーナを聴くと、もう少し重厚な歌唱の方が良いのではないかと思いましたが、今回のテンポと森口の持つ雰囲気から言えばこの軽快さが魅力でしょう。更に声に力がありよく伸びます。ルーナの一番の聴かせどころである「君の微笑み」は特に結構。森口の魅力が満開だったと思います。また重唱でも存在感をしっかり示し、特にアズチェーナとの絡みで音楽的魅力を発揮していました。

 アズチェーナの巌淵真理もなかなか結構。第二幕の「炎は燃えて」はもっとケレンがあっても良いように思いましたが、あのテンポだとなかなか難しいのかも知れません。更に申し上げれば、巌淵の年齢と経験では、アズチェーナをそこまで濃いキャラクターとして演じきれないということはあるのかもしれません。それでもドラマティックな表現を心掛け、基本的なバランスもよくなかなか聴き応えのあるアズチェーナでした。

 マンリーコの浅原孝夫。声が少し軽く、マンリーコの屈折した感情や思いを表現するには今ひとつのところがあり、又力強さももうひとつ欲しいところですが、私は彼のようなリリックなテノールはきらいではありません。ひ弱なマンリーコもまたよしとしましょう。

 レオノーラの松岡薫。私は買いません。まず基本的に声がよろしくない。全体に重く、華やかさに欠けるのです。高音は金切り声になるのも今ひとつ。音程をきっちり合わせるとかといった基本的な技術はしっかりした方のようですが、レオノーラに期待される華やかさと味は表現できているとは申し上げられないと思います。マンリーコがやや軽めのテノールで、レオノーラが重めのスピント・ソプラノという組み合わせも、やや重めのテノールとやや重めのレオノーラが一番好ましいバランスとすれば、今ひとつのバランスだったと申し上げても良いでしょう。

 脇役陣では、ルイスの澤崎一了がなかなかよい歌唱をしておりました。

 いろいろと申し上げましたが、それでも基本的には市民オペラとしてはよくやったと思います。オペラ・リリカ・八王子は、原則1年半に1回オペラ公演を実施しているそうですが、その場合は次回は来年末。次回は今回以上に良い上演が出来るよう、今後もますます発展するようにお祈りしたいと思います。 

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観劇日:2009718
入場料:D席 5000円 4FL214

平成21年度文化庁舞台振興の先導モデル推進事業<舞台芸術共同制作公演>

主催:日本オペラ連盟/兵庫県立芸術文化センター/財団法人東京二期会/財団法人愛知県文化振興事業団

オペラ4幕、字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」Carmen)
原作:プロスペル・メリメ
台本:アンリ・メイヤック、リュドヴィック・アレヴィ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮

佐渡 裕

管弦楽

東京フィルハーモニー交響楽団

合 唱

二期会合唱団/ひょうごプロデュースオペラ合唱団

合唱指揮

矢澤定明

児童合唱

NHK東京児童合唱団

児童合唱指導

加藤洋朗/金田典子

演 出

ジャン=ルイ・マルティノーティ

装 置

ハンス・シャヴェルノホ

衣 装

シルヴィ・ド・セゴンザック

照 明

ファブリス・ケブール

舞台監督

幸泉 浩司

出 演

カルメン

林 美智子

ドン・ホセ

佐野 成宏

エスカミーリョ

成田 博之

ミカエラ

安藤 赴美子

フラスキータ

吉村 美樹

メルセデス

田村 由貴絵

モラレス

桝 貴志

スニガ

松本 進

レメンダード

大川 信之

ダンカイロ

初鹿野 剛

アンドレス

真野 郁夫

酒場の主人

グレッグ・デール

母の声

ドゥニーズ・マッセ

感 想 美人は得か?-佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2009「カルメン」を聴く 

 東京文化会館がほぼ満席でした。佐渡裕プロデュース・オペラは関西マダム層に大層な人気で、昨年の「メリー・ウィドウ」が11回全て完売だったそうです。その勢いを借りて、今年は、兵庫県立芸術文化センターで9回、東京文化会館で4回、愛知県芸術劇場で2回の合計15回上演する。既に終了した兵庫公演は9回全て完売(実際はキャンセルも随分出たようですが)とその勢いは止まらなかったとのこと。とはいえ、日常的にオペラ公演が行われている東京で、この勢いを維持できるのか、と思って出かけたのですが、東京でも勢いに変化はなかったということなのでしょう。先月の藤原歌劇団による「愛の妙薬」があれだけ面白い舞台だったのに、客席に閑古鳥が鳴いていたのとは大違いです。勿論「カルメン」はタイトルぐらいなら子供でも知っているオペラですし、「愛の妙薬」は、オペラの初心者がタイトルを知っているような作品ではありませんから、その違いは結構大きいということかも知れません。

 オペラでは東京デビューとなる佐渡裕ですが、これまでオーケストラの指揮で聴いてきた佐渡の雰囲気が感じられました。基本的に音楽作りは佐渡らしいアタックの厳しいもの。前奏曲のオーケストラを追い込んでいくところなどは流石に魅力的です。兵庫での演奏は、「重い」という意見もあったそうですが、少なくとも本日の演奏は軽快なメリハリの利いた音楽で結構でした。

 マルティノーティの演出は、私はあまり好きではないです。全体に光を絞った暗い舞台であること、また狭いことが残念です。第二幕はそれでもいいと思うのですが、第一幕や第四幕はスペインの陽光をもっと意識しても良いのではないか、と思いました。第一幕と四幕は舞台の奥行きをあまり使わず、出演者の移動方向は上手・下手が基本。第一幕の壁は、町の内外を区切る城壁で、カルメンの働くタバコ工場は城壁の外にあり、衛兵が守っているという設定のようです。そのため舞台が狭い印象。カルメンの喧嘩の場面など、人とが多く集まる場面では、城壁が移動し少し舞台が広くなりますが、それでもやっぱり狭いと思いました。

 マルティノーティはパンフレットに演出の意図として「カルメン」のリアリティを大事にしたい旨の発言をしていますが、彼にとって、「カルメン」のリアリティとは城壁の中で代表される保守的な人々、ここには勿論、ホセやミカエラも入ります、と城壁の高さをものともしないカルメンたちジプシーの対比ということなのでしょうか。

 タイトル役は林美智子が務めました。林は、オクタヴィアンやケルビーノで定評のあるメゾで、カルメンというイメージではないのですが、今回は佐渡裕のリクエストで、初役に挑んだそうです。佐渡は、カルメンを「華やかで色がありながらも、誰もが愛さずにはいられない、言い知れぬ魅力に溢れた女性」として考え、声もさることながら、見た目や雰囲気で林を選んだということです。美人は得ということかしら。でもこの選択は上手く行ったと申し上げて良いのではないでしょうか。

 林の歌唱はすっきりしていて、灰汁のないものでした。かなり激しい動きもあるのですが、歌のフォルムが崩れず芯の通った歌唱であるところが魅力です。しかし、それだけに声の込められた色気というか毒気はあまりなく、「ハバネラ」も「セギディーリア」もあまり拍手を貰えなかったのは残念です。その分演技に迫力がありました。舞台を鳴らす靴の音ですら生き生きしていましたし、佐野ホセにまたがって見せたり、下着姿(これまた色っぽい)で踊って見せたり、大活躍でした。

 私は今まで聴いたカルメンで、見た目でホセのようによろめいてしまいそうなカルメンは会ったことがないのですが、林カルメンならばかなり危ない。でも、音楽的にはカルメンは現在の林向きではないようにも思います。林が無理やり色っぽい声を出さないのは賢明だとは思いますが、やっぱりあの声はカルメンよりもケルビーノに似合っています。

 佐野成宏のホセ。この方はやはり声がいいですね。ドン・ホセによくあった甘い声。スタイルがしっかりしていて、いかにもホセを歌っていますという感じ。ブラボーも最も多くかかっていました。「花の歌」の腑抜けた雰囲気の出し方などはこの方ならではだと思います。でも、歌のスタイルが一時よりも情に偏っているような気がします。林が知的なカルメンの造型をしているわけですから(勿論演技は知的だけではないと思うのですが)、それに対応したもう少し抑えた声のコントロールの方がよりよかったのではないでしょうか。

 成田博之のエスカミーリョは普通のエスカミーリョ。エスカミーリョという役は、「闘牛士の歌」だけで存在感を示す役ですが、アルコア版で演奏しているためか、観客(合唱)の歓声が強く入り込みました。そういう乗りの良さで盛り上がった部分はあると思います。

 安藤赴美子のミカエラ。主要四役の中では一番買えない。彼女は声が上の方が響くのでしょうね。ピッチが高いところで響くような歌い方をしているのですが、それに加えて会場の広さを意識した強い声の出し方をしているので、どうしてもヴィブラート過剰になってしまいます。第一幕のホセとの二重唱も、第三幕のアリア「恐れることはありません」もあまり感心できませんでした。もっと落ち着いた声で、と言って大村博美の様にドスを効かせることのない、ごく普通のリリック・ソプラノに歌わせれば良いと思うのですが。

 脇役陣と合唱は健闘です。生き生きしてパワーがある。まずは、吉村美樹のフラスキータと田村由貴絵のメルセデスがよい。ニ幕の五重唱「ひと仕事があるんだ」、第三幕の「カルタの歌」ともによく、特に五重唱は振付も含めて楽しめました。同様にダンカイロ初鹿野剛、レメンダート大川信之も健闘でした。松本進のスニガも嫌らしい存在感がありましたし、桝貴志モラレスも結構。合唱も健闘。特に児童合唱の取扱が目新しいように思いました。「衛兵の交代」の合唱で、子供たちが奇声を上げたりするのは、私はこれまで見たことが無い様に思います。アルコア版を用いた特徴なのでしょうか。

 使用した版は、アルコア(オペラ・コミック)版とギロー(レチタティーヴォ)版の折衷ということですが、第一幕と第二幕はほぼ完全にアルコア版だそうです。新国立劇場での現行の「カルメン」は、アルコア版を基準にするが、台詞は全てレチタティーヴォに置き換えだそうですし、私も随分「カルメン」を聴いてきましたが、第一幕と第二幕だけとはいえ、ここまで台詞を入れたカルメンを見るのは初めての経験です。それだけに、面白く楽しめましたし、斬新な感じもいたしました。 

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観劇日:2009726
入場料:自由席 5000

南條年章オペラ研究室
ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズ 
Vol.9

主催:南條年章オペラ研究室

オペラ2幕、字幕付原語(フランス語)上演
ロッシーニ作曲「オリー伯爵」Le Comte Ory)
台本:ウジェーヌ・スクリーブ、シャルル・バスパル・ドレストル=ポアルゾン

会場 津田ホール

指 揮

佐藤 宏

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ピアノ

村上 尊志/江澤 隆行

合 唱

南條年章オペラ研究室メンバー

出 演

オリー伯爵

青柳 明

アデール伯爵夫人

山崎 浩美

イゾリエ

横井 香奈

家庭教師

久保田 真澄(賛助出演)

ランボー

羽渕 浩樹

ラゴンド

細見 涼子

アリース/城の婦人

種田 尚子

農夫/騎士

琉子 健太郎

感 想 フランス人になりたかった?-南條年章オペラ研究室「オリー伯爵」を聴く 

 「オリー伯爵」が日本初演されたのは、19766月。東京オペラ・プロデュースの第3回定期公演で、尾高忠明の指揮、佐藤信の演出でした。19899月のウィーン国立歌劇場引っ越し公演において「ランスへの旅」が日本初演される13年も前のことです。しかし、その後舞台上演される機会は余りなく、本格的上演は1997年の東京オペラ・プロデュースによる公演のみです。「ランスへの旅」がその後人気演目として、東京だけでも日本ロッシーニ協会が2回、藤原歌劇団が1回上演しているのと比べると、一寸少ない感じがします。

ちなみに私は東京で上演されたこの4回の「ランスへの旅」は、全て見ているのですが、「オリー伯爵」についてはこれまで見たことがありませんでした。「ランスへの旅」はロッシーニのオペラ作曲技術の集大成のようなところがあって、何度聞いても楽しめる作品です。それだけに、「ランスへの旅」を流用して作曲した「オリー伯爵」だってきっと楽しめるに違いないと思っていたのですが、いかんせん上演がなかなかありません。この度ようやく南條年章オペラ研究室のピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズVol.9で上演されると聴き、いそいそと出かけた次第です。

聴いていて思ったのは、ロッシーニはフランス人になりたかったのではないか、ということです。申し上げるまでもなくロッシーニは晩年をフランスで過ごしたわけですが、フランスで作曲された最初の作品が「ランスへの旅」でした。この作品はフランス国王のシャルル10世の戴冠祝福のため作曲され、パリのイタリア劇場で初演されているのですが、その台本はイタリア語で書かれました。これはそういう祝祭的性質の作品ということで、1825年に4回上演されただけで、ロッシーニはそれ以上の上演をゆるさず、150年以上幻のオペラ作品として記録にのみ留められたと言われます。しかし、この素晴らしい音楽を殺すことはなく、その3年後、彼の初めてのフランス語オペラ台本となる「オリー伯爵」に流用したわけです。

流用と申し上げると何か悪いことをしたようですが、ロッシーニはフランス語の特性とフランスのコミック・オペラの様式を十分に学び、そこに自分の天才の発露を流し込んだという気がします。すなわちフランス・オペラ作曲家としての地位を築くために、自分の最良の部分をあえて流用した。結果として流れている音楽は確かに「ランスへの旅」なのですが、その味わいは「ランスへの旅」とは随分違うように思いました。

さて演奏ですが、はっきり申し上げればロッシーニの音楽の味わいを十分に表現できたとは言えない演奏だったと思います。まず外題役がいけない。オリー伯爵を歌った青柳明はどう考えてもミスキャストです。がんばっていたのは認めますが、どう見てもロッシーニのテノール役に要求される様式感も軽さも技術も欠けます。南條年章オペラ研究室のメンバーの発表の場でしょうから、メンバー外の出演は難しいのでしょうが、それでももう少しロッシーニの味を出せる方に歌っていただきたかった、と思います。

アデール伯爵夫人を歌った山崎浩美もいまひとつ。昨年のオペラ全曲シリーズVol.8の「ルクレツィア・ボルジア」における佐藤亜希子の圧倒的存在感と役への入り込み方からすると、一所懸命であるのはわかるのですが、役への入り方が甘いと思いました。全体的に歌唱が洗練されていないのですね。第1幕のアリア、「悲しみの餌食となり」は、藤原歌劇団の「ランスへの旅」における佐藤美枝子のコメディ的な歌唱と比較すると印象が鮮明にならない感じの歌唱でしたし、第二幕のオリー伯爵との二重唱も高橋薫子と小山陽二郎の二重唱とはやはり比較にならないと思いました。

同様に細見涼子のラゴンド夫人も音程が必ずしも正確ではなく今ひとつでした。

一方魅力的だったのは久保田真澄と羽渕浩樹の低音男声2名と合唱でした。久保田はこのメンバーの中ではさすがに別格でした。ロッシーニのバッソ・ブッフォのあり方を身につけていると思いましたし、歌唱が思い切りよくポイントをついて攻めてきます。歌唱に余裕があります。大舞台の経験が豊富であることがよく分かる素敵な歌唱でした。羽渕も良好です。最初の登場からなかなか良いと思ったのですが、第2幕の早口の歌唱がなかなか結構。私は満足です。

合唱は、今回ソリストとして参加していないオペラ研究室メンバーが登場します。佐藤亜希子、小林厚子、竹村佳子といったソリスト級の入った合唱ですから悪いわけがありません。楽しめました。佐藤宏の指揮、村上尊志、江澤隆行のピアノ伴奏もがんばっていました。

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観劇日:2009830
入場料:C席 4000円 C2F834

主催:大田区民オペラ協議会/(財)大田区文化振興協会

オペラプロローグ付き3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「シモン・ボッカネグラ」Simon Boccanegra)
原作:アントニオ・ガルシア・グティエレス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
改訂版台本:アッリーゴ・ボーイト

会場 大田区民ホール・アプリコ大ホール

指 揮

森口 真司

管弦楽

プロムジカリナシェンテ

合 唱

大田区民オペラ合唱団

演 出

今井 伸昭

装 置

鈴木 俊朗

衣 装

小野寺 佐恵

照 明

大平 智己

舞台監督

徳山 弘毅

出 演

シモン・ボッカネグラ

上江 法明

アメーリア

大隅 智佳子

フィエスコ

山口 俊彦

ガブリエーレ

持木 弘

パオロ

増原 英也

ピエトロ

岡元 敦司

弓隊の隊長

新海 康仁

アメーリアの侍女

管野 瑞恵

伝令官

福田 淳也

感 想 市民オペラの完成度-大田区民オペラ協議会「シモン・ボッカネグラ」を聴く 

 「シモン・ボッカネグラ」は、ヴェルディの中期の作品の中では比較的「渋い」作品とされていて、日本ではなかなか上演されない作品です。しかしながら、上演されるとなればそれなりに話題になる作品で、日本初演が1976年の第8回イタリアオペラ、その後1981年のミラノスカラ座日本公演で取り上げられ、1988年東京オペラプロデュースによる日本人初演、1990年サントリーホールオペラ、1993年東京二期会、1994年藤原歌劇団と大どころが何年間隔かで取り上げています。しかし、その後は2001年のフェニーチェ歌劇場日本公演を最後に上演されることはありませんでした。ちなみに私は1994年の藤原公演のみ聴いております。

 この藤原公演は、レナート・ブルゾンのシモン、渡辺葉子のアメーリア、カルロ・コロンバーラのフィエスコ、市原多朗のガブリエーレ、牧野正人のパオロというキャストで、評判もなかなか良かったようなのですが、私自身はどんな上演だったか全く覚えていません。その時点で私のオペラ鑑賞歴は10年を越えていたはずですが、まだ、「シモン・ボッカネグラ」の面白さを味わえるほど熟練してはいなかったということかもしれません。

 そんな良い作品だと認識されてはいるけれども渋く、海外団体の引っ越し公演やメジャーなオペラ団体でしか取り上げられない作品が、山口俊彦夫妻が主宰する市民オペラ団体で取り上げる、というのでこれは行かねばならないと、総選挙の投票を済ませると、いそいそと蒲田に出かけました。

 そして、結論から申し上げれば、「当たり」の公演でした。市民オペラとしては、極めて完成度の高い公演で、前回の2007年10月の「ノルマ」公演で、第16回三菱UFJ信託音楽賞を受賞したのは、むべなるかな、と思わせるものがありました。

 まずは森口真司の指揮するプロムジカリナシャンテの演奏がよい。全体に荒削りながら、きびきびした演奏で、「シモン・ボッカネグラ」の渋さの陰にある熱い血潮を感じさせる演奏でした。言い換えるならば、一寸前のめりの演奏、ということかもしれません。細かいニュアンスや味わいというよりは、全体の構図をしっかり示し、それをゆるがせにせず、しかしながら推進力はあるという演奏だったと思います。森口は、二期会オペラなどで副指揮や合唱指揮でよく見かける名前ですが、この熱さを感じさせる演奏は、オペラスタッフとしての経験と「シモン・ボッカネグラ」というオペラに対する見識が見事に融合した結果、と申し上げてよいのかも知れません。

 歌手陣も主要三役が良好。外題役の上江法明は久しぶりで聴いたと思いますが、こんな上手な方だったかしら。シモン・ボッカネグラは、総督の顔と父親の顔との二面性があるのですが、上江は父親の顔を露わにする場面でより適性を示しました。第1幕第1場のアメーリアとの二重唱「なぜ、一人離れて」は絶品。大隅智佳子も上手な方ですが、二人のバランスが絶妙で、特に上江の娘に対する思いがふわっと現れる、実に聴きごたえのある場面でした。一方、総督の威厳を示すところは、今ひとつでした。意識して切り替えようとはしていたようですが、父親と同じ声になる部分がある。それも一つの行き方なのでしょうが、私としては、きっちり歌い分けてほしかったと思います。

 フィエスコの山口俊彦もよかったです。プロローグの「哀れな父」、そして三幕のアリアと要所を締め、政敵シモンと対峙する姿は、この市民オペラの総監督としての責任と、バス歌手としての魅力が混然となってよい味わいになっていました。

 アメーリアの大隅智佳子は、登場のアリアこそ高音がかすれ気味でどうかと思ったのですが、その後は良好、ガブリエレとの二重唱、シモンとの二重唱とリリコ・スピントの魅力を全開にした歌唱で、若手ソプラノ・リリコ・スピントの第一人者としての貫録を示したと思います。20代の馬力は侮れません。

 持木弘のガブリエーレ。私は必ずしも満足できませんでした。年齢的なことを考えれば、十二分な歌唱だったと思います。力強さもありました。第二幕の「心に炎が燃え」は満場のブラボーを受けました。しかしながら、ガブリエーレが20台の若者であるという設定を考えると、持木の声は一寸重すぎる気がするのです。音程をはじめとする基本的な技術はしっかりしていて、さすがベテランだと思いましたが、声にはつらつさが足りない。高音のすっきりした伸びを期待したいところですが、そこはなかなか難しいようです。

 増原英也のパオロ。基本的な歌唱はできていたと思うのですが、あくの強さを表現するには至っていない。悪役としては歌唱にけれんがなさすぎます。存在感に乏しいと申し上げてもよいかもしれません。私はパオロがもっと鋭く突っ込んだ歌唱を聴かせると、このオペラの味が引き立つと思うのですが、残念ながら悪役を聴かせるほどの魅力はないようです。

 そのほか合唱もよく鍛えられておりました。市民オペラの合唱としては、かなりハイレベルだと思いました。

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観劇日:200995
入場料:B席 4000円 2F R232

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)

主催:東京室内歌劇場

東京室内歌劇場41期123回定期公演
実験オペラシリーズ

オペラ1幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ヒンデミット作曲「往きと復り」Hin Und Zuruck)
原作:マルツェス・シッファー

オペラ1幕、字幕付原語(英語)上演 日本初演
ナイマン作曲「妻を帽子と間違えた男」The Man Who Mistook His Wife For A Hat)
台本:オリバー・サックス、クリストファー・ローレンス、マイケル・モリス
(原作:オリバー・サックス「妻と帽子を間違えた男」)

会場 第一生命ホール

指 揮

中川 賢一

管弦楽

東京室内歌劇場アンサンブル(編成は下)

合 唱

インターン・アンサンブル(編成は下)

演 出

飯塚 励生

美 術

大沢 佐智子

衣 装

小栗 奈代子

照 明

八木 麻紀

音 響 

 

有馬 純寿 

舞台監督

深町 達

出 演

往きと復り

ロベルト

近藤 政伸

ヘレーネ

森川 栄子

エンマおばさん

浦田 佳江

医者

中原 和人

看護人

佐竹 敬雄

女中

坂野 由美子

ひげ面の賢人

森 靖博

インターン・アンサンブル

神谷真士/小久保智弘/後藤達也/マレ・ジャン


東京室内歌劇場アンサンブル・メンバー
フルート   遠藤剛史
クラリネット 伊藤紀江
サックス   豊島かすみ
ファゴット  成田考司
トランペット 小林好夫
トロンボーン 中西和泉
ピアノ    朴令鈴、松本康子、大島義彰
ハルモニウム 朴令鈴


妻を帽子と間違えた男
P教授夫人 

 

見角 悠代 
神経科医S博士  羽山 晃生 
P教授 今尾 滋

インターン・アンサンブル 

浦田佳江/坂野由美子/神谷真士/小久保智弘/後藤達也/マレ・ジャン 


東京室内歌劇場アンサンブル・メンバー
第一ヴァイオリン 甲斐史子
第二ヴァイオリン 小松美穂
ヴィオラ     藤原歌花
第一チェロ    増本麻理
第二チェロ    中田有
ハープ      高野麗音
ピアノ      松本康子


感 想 安い席は客ではない?
-東京室内歌劇場「往きと復り」、「妻を帽子と間違えた男」を聴く 

 実験的なオペラ作品を観客に理解してもらえるように上演する、これは大変なことです。もともとオペラはイタリアの貴族とお金持ちの平民の娯楽として生まれ、彼らの楽しみのために発達した、という歴史があります。20世紀に入って従来のオペラが行き詰るなか、新しい形態が模索されたことは事実ですが、その多くは、なかなか観客の支持が得られなかったというのもまた一方の事実でありましょう。

 そのような現代オペラ作品を日本に紹介してきた最もアクティブな団体が東京室内歌劇場であり、今回の「往きと復り」、「妻を帽子と間違えた男」という二つの実験的作品の上演も、東京室内歌劇場のこれまでの歴史に則った流れで理解できます。また、それだけに十分なプレトークを行い、殊に今回日本初演となった「妻を帽子と間違えた男」に関しては、「往きと復り」のあと、「妻を帽子と間違えた男」の上演の前に指揮者の中川賢一による約30分間の講義を行って、観客の理解を深めようとした。これは評価できることでしょう。

 しかし、そのような努力は余りにも詰めが甘く、折角の企画の魅力をスポイルしたと申し上げなければなりません。もうひと手間、ふた手間かければ随分印象が変わるものを、そういった感覚がなかったのでしょうね。少なくとも私には、音楽の魅力を台無しにした音楽会でした。その第一の責は演出の飯塚励生に負ってもらわなければなりません。

 飯塚の罪は、ホールの特徴を無視した舞台づくりをしたことにあります。本来第一生命ホールは室内楽やピアノ・ソロの演奏を想定したホールであって、舞台の全体を使用することを前提に設計されておりません。にもかかわらず、飯塚はオーケストラは舞台の向かって左側に乗せ、舞台の右側で上演舞台を作りました。その結果として私の座った2階右側席からは舞台がほとんど見えませんでした。もちろん歌手が中央に出てきたりするときは、歌手の顔を見ることは可能ですが、端のほうで何をやっているかは全くわかりませんでした。

 劇場によっては舞台が見えにくい席が存在するというのは常識でしょう。しかし、その場合であっても、できるだけ見えるように舞台を構成するのが演出家の務めだと思います。いろいろな理由で、仮にそうできなかったとしても、そのような席を購入しようとする観客に、その旨を説明するのが普通の感覚だろうと思います。今回東京室内歌劇場からそのような説明は受けませんでした。当日会場に来て、初めてわかったことです。更に申し上げれば、舞台が見えないので、立って見ていたお客さんに対うして、周りに迷惑をかけていたわけでもないのに、客席係が無理に座らせました。席から見えない舞台を作った上で、なんとか舞台を見て楽しもうとしている観客に対し、こういった行為はあまりにも失礼です。

 以上、今回の上演のワースト2は、飯塚と今回の上演プロデューサーである森靖博になると思います。東京室内歌劇場にとって、安い席を購入する方はお客さんではないということなのでしょう。

 もうひとつ申し上げれば、中川賢一の講義も非常に聴きづらいものでした。日本語の滑舌が悪く、更に早口で説明しようとするので、言葉として意味不明のところが何か所も生じました。マイクの設定も悪かったのかも知れません。リハーサルはされたのかしら。

 舞台が見えなかったということで、欲求不満は残ったのですが、作品それ自体は大変興味の持てるものでした。ヒンデミットの「往きと復り」は、12-13分のあっという間に終わる短編オペラですが、途中から巻き戻しをする作品。ロベルトが妻を殺し、自分も飛び降り自殺をするのですが、ひげ面の賢人が自殺をしたロベルトに憐みを感じて、ほんとに逆転させます。これは音楽的にも巻き戻しであって、ヒンデミットにとっての映画の影響を如実に感じさせられるものでした。近藤政伸、森川栄子、森靖博の主要な3名の出演者もなかなか達者だったと思います。

 後半の「妻と帽子を間違えた男」もまた面白い作品です。原作者のオリバー・サックスが診たアルツハイマー病の患者がモデルのようです。オペラの中では、P教授がアルツハイマーであることは全く言及されないのですが、物体の認識がどんどん衰えていき、音楽の記憶のみが生き残っている状況。このモデルに対し、ナイマンはシューマンを与えました。中川の講義によれば、このオペラの中には12のシューマン作品が直接的に、あるいは加工されて含まれているそうです。私はそこまでシューマンに詳しいわけではないので、どのように使用されているかははっきりわからなかったのですが、ロマンティックな口調が浮き上がってくる構造は魅力的でした。

 また、医学的な題材に対して、ナイマンのミニマル音楽の手法が緊張感を与えていることはよく分かりました。伝統的オペラが感情の発露に主眼を置くのに対して、この作品は実際の病気の進行という客観的事実を中心に置きます。そのような素材に対して、大きな変化がなく繰り返されるミニマル音楽の手法は、作曲者の冷徹な視点を意識させられます。実験的な音楽だけに、演奏の良しあしはよく分かりませんでした。一つ不満があるとすれば、歌手陣の英語が極めて聴きにくいものだったことです。かつてニューヨーク・シティオペラで「Dead Man Walking」を聴いたとき、出演者がとても明瞭な英語で歌うので感心した覚えがあるのですが、それと比べると、はなはだ分かりにくい発音でした。歌手の皆さんはイタリア語やドイツ語は得意でも、英語は今ひとつ、ということなのでしょう。

 さて、「妻と帽子を間違えた男」はナイマンのシンメトリーな構造に対する興味とシューマンの音楽的特徴の一つであるシンメトリックな構造の重なり合いが面白いところなのだそうです。その対称性は「往きと復り」ほどはクリアではなかったとは思いますが、全体として対称性という串で結ばれた作品群のオペラ公演であったことは間違いないように思いました。ただし、その演出にはそのような意識はなかったようでした。演出にとって対称性はどうでもよい因子だったようです。結果として、私は最悪の位置で舞台を見せていただきました。

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