オペラに行って参りました-2013年(その4)

目次

オペラと歌芝居との距離  2013年7月13日  新国立劇場地域招聘オペラ公演 びわ湖ホール「三文オペラ」を聴く 
日本語訳詞上演の功罪  2013年7月27日  杉並区民オペラ「椿姫」を聴く 
労多くして益少なし  2013年7月28日  東京オペラプロデュース「ラ・フィアンマ」を聴く 
「華やかさ」ということ  2013年8月1日  東京二期会オペラ劇場「ホフマン物語」を聴く 
志の高さと成果と  2013年8月4日  南條年章オペラ研究室「異国の女」を聴く 
大正ロマンの魅力  2013年8月10日  OHSUMI&PRODUCE「愛の妙薬」を聴く 
確かにこの「ドン・ジョヴァンニ」一寸変でした。  2013年8月20日  labo opera絨毯座 実験室vol.6「ドン・ジョヴァンニ」を聴く 
年輪を重ねるということ  2013年9月5日  藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」(Aキャスト)を聴く 
役に入り込んだ魅力  2013年9月7日  藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」(Bキャスト)を聴く 
「切なさ」ということ  2013年9月13日  東京芸術劇場コンサートオペラ「青ひげ公の城」を聴く 


オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2013年  その1  その2   その3  その4  その5   
2012年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2012年 
2011年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2011年 
2010年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年  その1  その2  その3  その4    どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年  その1  その2  その3  その4    どくたーTのオペラベスト3 2008年 
2007年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2007年 
2006年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2006年 
2005年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2005年 
2004年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2004年 
2003年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2003年 
2002年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2002年 
2001年  前半  後半        どくたーTのオペラベスト3 2001年 
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年  

鑑賞日:2013年7月12日 
入場料:2F2列3番 6982円

主催:滋賀県、公益財団法人びわ湖ホール、公益財団法人新国立劇場運営財団

《平成25年度 新国立劇場地域招聘オペラ公演》
びわ湖ホール

全2幕、日本語字幕付日本語翻訳上演
ワイル作曲「三文オペラ」(Die Dreigroschenoper)
原作:ジョン・ゲイ「乞食オペラ」
台本:ベルトルト・ブレヒト
日本語翻訳:小林一夫

会場:新国立劇場中劇場


スタッフ

指 揮 園田 隆一郎  
管弦楽 ザ・カレッジオペラハウス管弦楽団
ピアノ 寺島 陸也
合 唱    びわ湖ホール声楽アンサンブル*
演 出 栗山 昌良
装 置  :  増田 寿子
衣 裳  :  緒方 規矩子 
照 明  :  原中 治美
音 響  :  小野 隆浩 
舞台監督  :  菅原 多敢弘

出 演

びわ湖ホール声楽アンサンブル

メッキー・メッサー   迎 肇聡
ピーチャム   松森 治*
ピーチャム夫人   田中 千佳子
ポリー・ピーチャム   栗原 未知
ブラウン   竹内 直紀*
ルーシー   本田 華奈子
娼婦ジェニー   中島 康子
スミス   西田 昭広*
大道歌手   砂場 拓也
フィルチ   古屋 彰久
キンボール牧師   的場 正剛
泥棒ウォールター   青蛛@貴夫
泥棒イーデ   島影 聖人
泥棒ロバート   二塚 直紀* 
泥棒マシアス   林 隆史
泥棒ジェイコブ   山本 康寛
娼婦ドリー   岩川 亮子
娼婦ベティー   小林 あずさ
年寄りの娼婦   林 育子*
娼婦フィクセン   松下 美奈子
娼婦モリー   森 季子

*びわ湖ホール声楽アンサンブルソロ登録メンバー

感想

オペラと歌芝居との距離-平成25年度新国立劇場地域招聘オペラ公演 びわ湖ホール「三文オペラ」を聴く

 「三文オペラ」は、ベルトルト・ブレヒトとクルト・ワイルの共同作品としてあまりにも名高く、舞台劇・ミュージカルとして何度も上演されています。Wikipediaによれば、1928年に初演されたこの作品は、1933年までの5年間に18の言語に翻訳され、合計10000回以上上演されたそうです。日本でも千田是也の翻訳(岩波文庫)をはじめ、合計5種類ぐらいの翻訳があるそうなので、相当よく知られている作品なのだと思います。

 しかしながら、私は今までこの舞台を見たことはありませんでした。それでも、「マック・ザ・ナイフ」や「海賊の花嫁ジェニー」はあまりに有名なスタンダード・ナンバーですから勿論何度も聴いていますが、ストーリーを含め、実は知らない。本来は三幕ものの舞台劇らしいのですが、今回の栗山演出は、二幕の途中で前後半を切った二幕ものとして上演されました。なお、栗山によれば、

なのだそうです。

 さて、その成果が上手く行ったかというと、いささか疑問と申し上げるしかありません。

 歌唱は皆立派でした。迎肇聡のメッキーメッサー、栗原未知のポリー、本田華奈子のルーシー、中島康子のジェニーが良く、ピーチャム夫妻も悪くない。オペラ歌手が、ワイルのキャバレーソングを楽譜通りに歌うぐらい、朝飯前なのでしょうね。しかしながら、この作品の持つ退廃感をどこまで表現できていたかということになるといささか疑問です。あれだけ、台詞や歌詞が下品なのですから、もっといやらしく、だらしない歌になった方が雰囲気が出るような気がするのですが、真面目に歌ってしまう。

 例の「メッキー・メッサーのモリタード」(マック・ザ・ナイフ)にしたって、砂場拓也の歌はとても立派なのですが、声に罅が入ったようなジャズシンガーの歌の方が素敵な気がしてしまうのです。

 演奏もそうです。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーも、かなり勝手が違う様子で、クラシック音楽の雰囲気がどうしても強く出てしまい、今一つおとなしい感じがずっと付きまといます。折角普段着でオケ・ピットに入ったのですから、普段着の雰囲気を出せればよかったのにな、と思いました。その点、ピアニストの寺島陸也は違います。彼は、この舞台の雰囲気というものを皮膚感として持っているようで、凄くセンスの良い演奏に終始しました。寺島は文句なしにブラボーです。

 舞台上に戻って、もう一つ問題だと思ったのは、芝居の部分です。今回の「三文オペラ」、正味上演時間が丁度3時間だったわけで、音楽の全くない、芝居の部分(台詞部分)が全体の半分ぐらいはあったと思います。半分以上かもしれません。その部分のお芝居が余りにも板についていない。見ていると本当につまらない芝居でほとんど寝そうになってしまいます。音楽があれば生き生きと舞台を感じることが出来るのですが、演劇は全然面白くない。オペラの部分を強調するのであれば、台詞の部分をもっとカットして、音楽中心にした方が良かったように思いました。

 「三文オペラ」はオペラとは書いてありますが、その本質は音楽付きの舞台劇です。オペラも音楽劇ですが、まずは音楽が先にある。だから、演奏会形式の上演が成立します。また、オペラ歌手も当然、音楽が先にあります。でも「三文オペラ」は劇が先にあるようです。だからこそ、オペラ歌手にも音楽がないところでもしっかりした演技が欲しかった。オペラ歌手に舞台俳優のように演じてほしいという要求はそもそも無理なのかもしれませんが、完全上演を行うのであれば、オペラ歌手である前に俳優としての肉体を意識する志がもっと前面に出ていれば、良かったのにな、と思いました。

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鑑賞日:2013年7月27日
入場料:B席2FC7列24番 4000円

主催:杉並区民オペラ
共催:杉並公会堂

ヴェルディ生誕200年記念
杉並区民オペラ第9回公演 

全3幕、日本語字幕付日本語訳詞上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ
日本語訳:大久保 眞

会場:杉並公会堂大ホール

スタッフ
指 揮 佐藤 宏充  
管弦楽   厚木交響楽団 
合 唱    杉並区民オペラ合唱団
合唱指導    大久保 眞/佐藤 宏充/須永 尚子/東 浩一
児童合唱    杉並区立高井戸第四小学校
児童合唱指導    後藤 亜紀子
演 出 森山 太
美 術  大河原 敦
衣 裳  :  下斗米 大輔
照 明  :  三輪 徹郎 
ヘアメイク  :  さとう せいこ
舞台監督  :  穂苅 竹洋
総監督  :  大久保 眞

出 演

ヴィオレッタ   津山 恵
アルフレード   高田 正人
ジェルモン   岡元 敦司
フローラ   杣友 恵子
アンニーナ   前坂 美希
ガストン子爵   山崎 敏弥
ドゥフォール男爵   井上 白葉
ドビニー侯爵   清水 一成
グランヴィル医師   林 正紀
ジュゼッペ  :  池田 敦郎 
使者  :  平田 利幸 

感想

日本語訳詞上演の功罪-杉並区民オペラ「椿姫」を聴く

 今回の「Boo」のタイミングは、あまりに素晴らしかった。演奏が終了し、オーケストラの余韻が丁度消え、拍手が始まろうとする直前のBoo、出演者の心を萎えさせるという意味では、あれぐらい素晴らしいBooはなかったと思います。あれは誰に対するBooだったのだろう? もし、あれがグランヴィル医師を歌われた林正紀に対するBooであったとすれば、私はあのBooを飛ばした人間を軽蔑します。

 林はアマチュアです。プロフィールを見ると、本業はお医者さんで、現在「杉並区民オペラ合唱団団長」とのこと。正規の音楽教育を受けず、年齢も70を超えている方が若手のプロに混じって出演され、それなりに歌われるということがどれほど大変なことか。しかしながら、林の歌は、確かに響きや艶に関してはプロと互せるレベルにあったとは言えませんが、本業が医師であるということを感じさせられる滋味のある歌唱で決して悪いものではありませんでした。むしろ、市民オペラという枠組みで考えるのであれば、一部の脇役は、音楽好きで、かつ玄人はだしの本当の市民が出演しても良いのではないか、私は林の歌唱を聴いて思ったほどです。

 私は林にBravoを差し上げたい。

 しかしながら、今回の「杉並区民オペラ」、全体として良かったかといえば、かなり厳しいところです。主要な問題は3つありました。

 まず第一は日本語上演の問題です。

 外国語のオペラ作品を日本語に翻訳して上演するのは、かつては当たり前のことでした。「椿姫」に関して申し上げれば、藤原歌劇団では青木爽の訳詞、二期会であれば宗近昭(柴田睦陸)の訳詞が定番でした。しかし、イタリア語という日本語とは全く違った音韻体系に基づくオペラを日本語で上演することはそもそも無理があり、藤原歌劇団では、1986年の「仮面舞踏会」によって始まる字幕付原語上演の15年以上前から、「椿姫」に関しては原語上演されるようになっていました。

 即ち、字幕のない時代であっても「椿姫」ぐらいポピュラーな作品であれば原語で上演した方がよい、というのが藤原歌劇団の制作陣の考え方だったのだと思います。字幕付原語上演が当たり前になってからも高橋英郎が主宰するモーツァルト劇場のように日本語上演にこだわる団体もありましたが、その日本語訳が、原語上演と同等以上にメリットがあるな、と感じたことは私は一度もありません。

 今回の大久保眞の翻訳も、私には良いものとは思えませんでした。津山恵も高田正人も丁寧に日本語の歌詞を音符に乗せようと努力しておりましたし、音楽の進行と歌詞が上手くマッチして、なかなか素敵だな、と思わせる部分がなかったとは申しませんが、アクセントの位置が異なり、すべての子音に母音が伴う日本語でヴェルディの作曲した音符を歌おうとすると、微妙なテンポのずれや、息遣いの違いがあって、音楽のアーティキュレーションの感覚がかなり違います。つなぎの音楽の所はいざ知らず、アリアの部分は違和感となって聴こえます。

 また、歌い手も日本語で歌うことによる緊張があって、原語ならもっと伸びやかに歌えるだろうに、と思わされました。「乾杯の歌」だって、「ああそは彼の人か」のアリアだって、津山恵と高田正人だったら、もっと聴き応えがあったに違いありません。

 総監督の大久保眞は、開演前に、字幕を見ないで舞台を見てほしい、そのために日本語上演にした、と仰っておりましたが、合唱は、日本語の発声も今一つで何を歌っているか分かりませんでしたし、意図と成果に大きな差があったように思いました。

 問題の第二はオーケストラです。あまりに低レベル。ピットに入っているのがアマチュアオーケストラですから多くを望むべきではないとは思いますが、もう少し練習して本番に臨んで欲しいと思いました。バイオリンのトゥッティ奏者の後ろの人などは、音符をまともに演奏できていないのではないか、と思うほどのレベルです。管楽器のバンダも全然よくなかったです。市民オーケストラが伴奏する市民オペラをこれまでも何度も聴いてきましたが、ここまで低レベルだったのはあまりなかったように思います。日本語上演という他の部分で難しいことをやっているのですから、オーケストラはもっときちんと支えて欲しいと思いました。

 第三の問題ですが、合唱です。女声は頭数が多すぎ、男声は足りなすぎです。声は、男声はエキストラで補充しましたから、著しく弱いという感じはしませんでしたが、見た目が変です。第一幕のヴィオレッタの夜会のシーンで、ドレスを着た女性ばかり目立つのは如何なものか。どうしても男性助演者が集められないのであれば、スリムな女性合唱団員にタキシードを着せる方法だってあったと思います。

 また、合唱のレベルも決して高いものではなく、出が揃っていないものですから、言葉が微妙にずれて、何を歌っているのか本当に分かりませんでした。

 個別の歌手は総じて立派。

 津山恵の声はヴィオレッタに凄く合うだろうと思って出向いたのですが、そこは期待たがわぬもの。「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」では、楽譜通り歌って、最後の3点変ホ音は出さなかったのが残念ですが、これは津山には出せない、というよりは、日本語の歌い方に集中したため、出せなかった、というのが本当ではないでしょうか。上にも書きましたが、原語で歌われた方が津山の良さがもっと出たのではないかと思いました。

 高田正人のアルフレードも結構。日本語で歌われたことで最良、という感じにはなりませんでしたが、今の高田にとって、アルフレードはよく似合っている役柄のように思いました。

 岡元敦司のジェルモンもよい。もっとどっしりした感じがあると、第二幕前半の「椿姫」の最大の聞かせどころである、ヴィオレッタとの二重唱がもっと切なくなったとは思います。なお、この二重唱部分の日本語訳におけるジェルモンの台詞は頂けません。ジェルモンの怒りを明確にするためにあのような訳にしたのでしょうが、ジェルモンは本質的に田舎の紳士ですから、もっと品よく、切々とヴィオレッタに訴えるようにした方が良かったように思いました。

 そのほか、杣友恵子のフローラに存在感があり、山崎敏弥のガストンも良かったです。

 以上、全体としては厳しい舞台でしたが、ソリストの努力で何とかなった、というのが本当の所でしょう。

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鑑賞日:2013年7月28日
入場料:B席2F3列34番 6000円

主催:東京オペラプロデュース

東京オペラプロデュース第92回定期公演 

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
日本初演
レスピーギ作曲「ラ・フィアンマ」(La Fiamma)
原作:ハンス・ヴィエルス=イェンセン
台本:クラウディオ・グラスタッラ

会場:新国立劇場中劇場

スタッフ
指 揮 石坂 宏  
管弦楽   東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団 
合 唱    東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指導    伊佐治 邦治/中橋 健太郎左衛門
演 出 八木 清市
美 術  土屋 茂昭
衣 裳  :  清水 崇子
照 明  :  成瀬 一裕 
ヘアメイク  :  星野 安子
舞台監督  :  佐川 明紀
プロデューサー  :  飯坂 純

出 演

シルヴァーナ   福田 玲子 
ドネッロ   松村 英行 
総督バジリオ    豊島 雄一 
エウドッシア   翠 千賀
アニェーゼ   佐々木 昌子 
モニカ   正岡 美津子
アガタ   薮田 瑞穂
ルチッラ    高木 亮子 
サビーナ   末広 貴美子
司教 :  森田 学 
祓魔師  :  西垣 俊紘 

感想

労多くして益少なし-東京オペラ・プロデュース「ラ・フィアンマ」を聴く

 東京オペラ・プロデュースは、海外では上演されているにもかかわらず、日本では上演の機会に恵まれない作品を積極的に取り上げて日本に紹介するという活動をずっとやってきました。今回彼らが取り上げるのは、レスピーギの「ラ・フィアンマ」です。

 「ラ・フィアンマ」は、レスピーギのオペラ作品の中では最も重要なものらしいのですが、レスピーギのオペラ自身が、世界的に見てもかなりマイナー。「海外では上演されているにもかかわらず」というほどは上演されていないようです。しかし、それは無理もないと思います。イタリアオペラに欠かせない、あのカンタービレが無いのです。そこまで言い切ると語弊がありますが、カンタービレが全く魅力的に響かない。それに対して、流石に20世紀に入ってから作曲されたオペラだけあって、現代音楽的な手法もふんだんに取り入れられていて、音楽的にはかなり難しいと思います。要するに、演奏者や出演者にはかなり苦労をかけるにもかかわらず、音楽的(もっと言えば「うた」的)な魅力に乏しい。あれだけ大変なのに、お客さんに受けないのでは歌手たちもやりづらいでしょう。

 我々にとってレスピーギとは、「ローマ三部作」や「リュートによる古代舞曲とアリア」の作曲家で、管弦楽法に凄く長けた方、という印象が強い。「ローマ三部作」などは、音の印象で、しっかりと絵を表現しており、声楽より器楽に適性の合った作曲家のように思えます。この「ラ・フィアンマ」も管弦楽法が複雑で、その分歌が損をしているのではないかと思ったりもしました。

 さて、肝心の演奏ですが、楽譜を消化しきっていないのだろうな、と思わせてしまう演奏。例えば合唱。この作品は第1幕と第3幕で合唱が重要な役割を示すのですが、どうもフォルテシモで歌うことが指示されているらしい。合唱団のメンバーはフォルテで力強く歌うのですが、そこだけで精一杯の感じで、お互いに声が溶け合ってこないのです。皆自分の思うまま力いっぱい歌っている印象です。聴いているとバラバラの印象で、もう少し、お互いのバランスを取った方が良いのではないか、という気がしました。

 演出の立ち位置があいまいなのも気になりました。この物語は、シルヴァーナとその母親が魔女であるという噂がベースにあるのですが、今回演奏した方々の合意として、本当は魔女だったという前提で演出していたのでしょうか?それとも本当はそうではないという演出だったのでしょうか。私は後者のように感じていたのですが、実際はどうだったのか。そこはシルヴァーノの存在感が強く、よく分からくなってしまいました。

 タイトル役の福田玲子の存在感が、シルヴァーノの存在感を必要以上に強めていて、それが、オペラのバランスを崩していたのではないか、という気がしました。

 福田は凄く馬力のある歌手で、一部の高音を除けば、ドラマティックで力強い演奏を示してくれました。ただ、それが、最初から最後までデュナーミクの幅の狭い演奏に終始していた感じがします。物語は3幕の間でそれぞれに変化があり、第1幕は、お姑さんにいじめられるお嫁さんであり、第二幕は自分が魔法を使えることに気付く強い場面であり、第三幕は愛に翻弄されて、最後は死ななければならないヒロインです。それぞれ違った表情で歌った方が、シルヴァーナの不幸がより明確に示せたと思うのですが、終始徹底してドラマティック。彼女の馬力で、他の物を吹き飛ばした印象。第三幕のエウドッシアとの対決のシーンでは、勝ち誇るエウドッシアと負けたシルヴァーナという関係になっているのですが、福田と翠千賀の歌を聴いていると、負けた筈の福田の方が、勝ち誇っているように聴こえてしまいます。もう少し、バランスを考慮すべきではなかったのかな、という気がしました。

 福田の馬力にあてられたのか、ドネッロ役の松村英行も今一つ。本日は最初から声の調子が今一つで、いろいろなところで危うさが垣間見られる歌唱だったのですが、第三幕では、完全に馬力が切れた感じでした。

 一方よかったのは豊島雄一の総督。本当にこれでよいのかな、と思う部分もあったのですが、リリックなバリトンで、シルヴァーナの馬力を受け止めるだけの懐の深さもあり、二幕のシルヴァーナとの二重唱はとても素敵でした。

 翠千賀のエウドッシアは、一幕の方がよく、第三幕は声は福田に負けていたように思います。その他正岡美津子のモニカ、司教の森田学が良かったと思います。

 石坂宏の指揮する東京オペラ・フィルの演奏はなかなか立派。この珍しいオペラを観客に知らしめるためには十分な演奏だったと思いました。

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鑑賞日:2013年8月1日
入場料:D席4F4列7番 5000円

主催:公益財団法人東京二期会

二期会創立60周年記念公演/東京二期会オペラ劇場 

全4幕、日本語字幕付原語(フランス語)上演
オッフェンバック作曲「ホフマン物語」(Les Contes d'Hoffmann)
台本:ジュール・バルビエ/ミシェル・カレ

演奏版:シューダンス版

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ
指 揮 ミシェル・プラッソン  
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱    二期会合唱団
合唱指導    大島 義彰
演 出 粟國 淳
装 置  横田 あゆみ
衣 裳  :  アレッサンドロ・チャンマルーギ
照 明  :  笠原 俊幸 
振 付  :  神戸 珠利
演出補  :  久恒 秀典
舞台監督  :  菅原 多敢弘
公演監督  :  三林 輝夫

出 演

ホフマン   樋口 達哉
ミューズ/ニコラウス   小林 由佳
リンドルフ/コッペリウス/ダペルトゥット/ミラクル博士   大沼 徹
オランピア   佐藤 優子
ジュリエッタ   菊地 美奈
アントニア   高橋 絵理
スパランツァーニ   羽山 晃生
クレスペル   大塚 博章
アントニアの母の声   小林 紗季子
シュレーミル/ヘルマン :  佐藤 望 
アンドレ/フランツ  :  田中 健晴 
ルーテル   倉本 晋児
ナタナエル   山本 耕平
コシュニーユ/ピティキナッチョ :  新津 耕平 
ステラ  :  今村 たまえ 

感想

「華やかさ」ということ-東京二期会オペラ劇場「ホフマン物語」を聴く

 「ホフマン物語」には、版の問題がある、というのは、一寸調べればすぐに分かることですが、私は、これまではあまり気にしたことがありません。まあ当然です。私は「ホフマン物語」の実演を聴くのが今回で5回目なのですが、先の4回は、全て「エーザー版」を基本にした上演でした。「シューダンス版」は、エーザー版が登場する前に一般的に上演されていた版で、古い録音などは、この版によるものが残っているようです。しかしながら、オッフェンバックの意図を忠実に反映したと言われるエーザー版登場とともに忘れ去られた版だった、ということです。しかし、指揮者のプラソンは、この版のでの上演に拘ったらしい。オッフェンバックの意図とは異なるけれども、先人たちの智恵の総和ともいえる、シューダンス版の魅力を伝えるのは自分の使命だと思ったのでしょうね。

 さて二つの版の大きな違いである、ジュリエッタの幕とアントニアの幕とを入れ替えることにより、オペラの見えてくるものが変わってくるわけで、そこはオッフェンバックの意図とは違ったものであるにせよ、決して悪いものではないと思いました。「娼婦に失恋してから、薄幸の女に失恋する」、「薄幸の女に失恋してから、娼婦に失恋する」の違いですね。このオペラは最後に「歌姫・ステラに振られる」、というのがついているので、オッフェンバックの考えた流れの方が自然だと思いますが、「娼婦に失恋してから、薄幸の女に失恋する」方が、ホフマンの純情さが際立つように思いました。

 また、ジュリエッタの幕のフィナーレで歌われる合唱付きの六重唱などは、補作者ブロックのものということで、エーザー版では削除されたものですが、今回はこの部分の演奏もよく、楽しめました。

 さて、演奏全体としての出来ですが、はっきり申し上げれば中途半端で完成度の低い演奏だったと思います。二期会の本公演の完成度の高さは、いつも十分満足していたので、今回の完成度の低さは残念に思いました。

 主役の樋口達哉からして今一つ。樋口は、最近凄く充実していて(例えば、先日の新国立劇場「ナブッコ」におけるイズマエーレの歌唱、今年2月の二期会「こうもり」におけるアルフレードの歌唱)、期待していたのですが、期待外れというのが本当のところ。ホフマン役はこのオペラの中では歌うところが最も多く、ほとんど出ずっぱりなわけですから大変なのはわかりますけど、音楽を未だすべて自分のものにし切れていない感じでした。勿論、アントニアとの二重唱を初めとして、樋口の実力と魅力を見せることのできた部分もあるわけですが、余裕を感じられない歌唱の部分もところどころ見られました。

 小林由佳のニコラウスも今一つパッとしない感じです。ジュリエッタと歌う「ホフマンの舟歌」は、退廃感の乏しい歌で、私は良いとは思いませんでしたし、それ以外は、元々それほど目立つ訳ではないので仕方がないとは思いますが、存在感が希薄なニクラウスでした。

 歌姫三人もそれぞれ問題がありました。

 佐藤優子のオランピア。丁寧でした。高音も伸びているし、細かいところもきっちり歌っており、よく練習して、バランスもまとまった結構な歌唱だったと思います。しかしながら、そこで終わっている。観客を湧き立たせるプラスアルファが感じられない。このプラスアルファがあるか無いかで全然違うのでしょうね。少なくとも今回は、歌姫に欲しい華やかさをあまり感じさせない歌唱だったように思います。

 菊地美奈のジュリエッタもパッとしない。妖艶さも華やかさにも今一つかけている感じで、存在感の薄いジュリエッタでした。

 高橋絵理のアントニア。三人の歌姫の中で一番魅力的でした。声に艶があり、伸びも良い。「小鳥は飛び立った」で始まるロマンスも素敵でしたし、良かったのですが、一寸とちった後、歌がボロボロに崩れたのは戴けません。トラブルがあっても直ぐ軌道修正出来るのは大事なことです。

 大沼徹の悪魔四役。後半は悪魔らしいふてぶてしさをしっかり出して良かったと思うのですが、前半は声が上擦っている感じがしました。低音の響きに深みが感じられず、悪魔の底知れぬ恐怖感を感じることはできませんでした。

 道化四役は二人で分担して歌われたわけですが、強い存在感で印象に残るという感じではありませんでした。その中で、田中健晴が歌ったフランツのクプレはユーモアがたっぷりで楽しく聴くことが出来ました。

 そのほかの脇役で印象に残ったのは羽山厚生のスパランツァーニでしょうか。

 粟國淳の演出は、2010年に「あいちトリエンナーレプロデュースオペラ」として愛知芸術劇場で制作され、その後スロヴァキアのマリポール劇場で上演されたものを基本的に使っているそうで、螺旋形の回り舞台を使用したセンスの良いもの。新国立劇場の能力をうまく使って楽しむことが出来ました。

 二期会合唱団の迫力はいつにもまして素晴らしい。ただ、学生歌の部分は、もっと羽目を外した雰囲気を出しても良かったのではないかと思いました。

 ミシェル・プラッソン指揮の東京フィルの演奏は、悪い演奏ではなかったと思いましたが、さほど魅力的でもなかったと思います。

 以上、全体として完成度が乏しく、そのせいか、一つのまとまった集中感を感じることのできない上演でした。部分部分は凄く魅力的なところが沢山あるのですが、全体としてうまくかみ合った上演の時に見られる、オペラ的華やかさに欠ける上演だったと思いました。

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鑑賞日:2013年8月4日
入場料:自由席5000円 

主催:南條年章オペラ研究室

ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズ Vol.13
ベッリーニ全オペラ演奏シリーズ 第3回

オペラ2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演、ピアノ伴奏演奏会形式、日本初演
ベッリーニ作曲「異国の女」La Straniera)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:津田ホール

スタッフ

指 揮 佐藤 宏
ピアノ 村上 尊志
合 唱 南條年章オペラ研究室メンバー+賛助出演メンバー
字幕作成 南條 年章

出 演

アライーデ :  佐藤 亜希子
アルトゥーロ :  琉子 健太郎
ヴァルデブルゴ :   坂本 伸司
イゾレッタ :   清藤 久美
モントリーノ伯爵 :   小林 秀史
オズブルゴ  :  青蛛@明 
僧院長 :   小林 秀史

感 想

志の高さと成果と-ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズVol.13 ベッリーニ全オペラ演奏シリーズ第3回「異国の女」を聴く

 ベッリーニは素敵だな、というのが率直な感想です。私はベルカント・オペラが大好きで、その中でもロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニに魅力を感じる聴き手です。その私にしても「異国の女」という作品名を知ったのは、数年前で、南條年章オペラ研究会が、ベッリーニの全オペラを演奏会形式で上演すると発表してからです。初耳の作品。ネットを見ると録音はあるようですが、世界的に見てもなかなかの珍品のようです。

 そういう珍しい作品を一私塾のメンバーで上演しようとするのですから、南條年章オペラ研究会の志の高さには脱帽します。その演奏水準は常に満足できるというわけにいかないですが、本年の演奏は、出演者の意識が調和している感じがあって、成果としても立派なものになっていたと思います。

 作品自体は、一寸激しい恋愛ものですが、与えられた音楽は基本的に抒情的なもので、如何にもベッリーニという感じ。ただし、第一幕の音楽は、ヒロインの登場のアリアもないですし、フィナーレの手前まであまり大きな盛り上がりがないので、良い音楽ではあるのだけれども華やかさに欠けるきらいがあります。ベルカントオペラとしての魅力が詰まっているのは第二幕。最後の主人公アライーデによるアリア・フィナーレに向けてどんどん盛り上がっていく感じです。

 この一面「渋い」作品を盛り上げた最大の立役者は、やはり主人公のアライーデを歌われた佐藤亜希子でしょう。あの強靭で芯のある声は魅力的です。立ち姿は華やかで王妃様の品も感じられました。第1幕、第2幕のフィナーレに与えられたアリアは、第1幕については技巧的な美しさによって、第2幕は最後のカバレッタの狂気的表現と、あの高音の伸びで、聴き手を満足させました。重唱においても、音楽的な核になって、周囲をリードしている感じがあり、素晴らしいと思いました。

 アルトゥーロ役の琉子健太郎も良かったです。アルトゥーロ役は、高音を響かせるような技巧的なテノール役ではなく、あくまでも純情で抒情的な役柄に終始します。嫉妬に駆られてヴァルデブルゴを刺したり、結婚式場から飛び出したりと行動は激しいものがあるのですが、音楽的にはあまり激しくならない感じです。その抒情的なレガートが、大変美しく響き、ベッリーニの特徴を上手に歌い上げていました。惜しむらくは、全体的に今一つ彫りが浅いところ。そこがくっきりとすれば、もっと魅力的だったに違いありません。

 ヴァルデブルゴの坂本伸司も悪くない。物語的には脇役で抑え役なのですが、与えられている音楽はかなりドラマティックです。そのドラマティックな表情をしっかりと出そうとしていました。中身は激しいのに音楽的には抒情的なアルトゥーロと、中身は抑制的なのに、音楽はドラマティックな二人がぶつかると、そこがまた面白く盛り上がります。第二幕の二人の重唱は、その面白さを特に感じられるもので、琉子、坂本ともに頑張ったと思います。

 イゾレッタを歌われた清藤久美。最初の二重唱はかなり固い感じで、喉が締まっている感じがしましたが、後半は良くなりました。第二幕のアリアは立派でした。この方、低音が美しく響く方で、そこが素敵だったと思います。

 その他脇役陣、合唱もよくで、演技がなく、伴奏もピアノというオペラを理解するには結構難しい状況の中でも、「異国の女」というオペラの魅力を上手に引き出せたのではないかと思います。

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鑑賞日:2013年8月10日
入場料:指定席B席 5000円 3F ひ26番

主催:OHSUMI&PRODUCE

OHSUMI&PRODUCE-Vol.15

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'Elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会 場 浅草公会堂大ホール

スタッフ

指 揮  :  佐藤 宏充   
管弦楽  :  OHSUMI&PRODUCEオーケストラ 
シンセサイザー  :   神保 道子 
合 唱  :  OHSUMI&PRODUCEオペラ合唱団 
合唱指導/指揮  :  横山 慎吾/和田 ひでき/内山 信吾/新宮 恵理 
演 出  :  原 純 
美 術  :  原 純 
衣 装  :  原 純 
照 明  :  西田 俊郎 
ヘアメイク  さとう せいこ 
舞台監督  :  加藤 正信 
プロデューサー  :  大隅 智佳子 

出 演

アディーナ  :  大隅 智佳子 
ネモリーノ  :  内山 信吾
ドゥルカマーラ  :   小林 昭裕 
ベルコーレ  :  大山 大輔 
ジャンネッタ  :  新宮 恵理 
アディーナの父    和田 ひでき 
アディーナの母    田島 尚美 
子供時代のアディーナ 

花田 美和 

感 想

大正ロマンの魅力?-OHSUMI&PRODUCE-Vol.15「愛の妙薬」を聴く

 若手ソプラノ・リリコ・スピントとしては随一の逸材と言ってよい大隅智佳子は、オペラ・プロデューサーとしての才能もあり、オペラの自主制作に取り組んでいます。その最初は、多分大隅が大学院生だった2004年のシューベルト作曲「二年間哨兵勤務」「サマランカの友人たち」の二本立て公演だと思いますが、それから十年、地道に活動を続けてきた、ということだと思います。いつの間にか15回目の公演、今回はとてもユニークな「愛の妙薬」でした。

 「愛の妙薬」の日本初演は、1918(大正7年)12月2日、浅草日本館です。いわゆる「浅草オペラ」時代に取り上げられたのですね。ただし、その時の上演がどんな様子だったかは分かりません。当時の浅草オペラの上演形式から見て、かなりのカットが入り、衣装、舞台とも貧弱だったものと想像されます。その初演以降、浅草で「愛の妙薬」が取り上げられた記録は、私が知る限りありません。今回の浅草公会堂での「愛妙」、浅草における95年ぶりの「愛妙」になりました。

 この、「浅草で上演」ということを、大隅も演出を担当した原純も相当に意識したのでしょう。演出自身が大正期の日本を舞台とする、読み替え舞台。相当に面白いものでした。 幕は歌舞伎でよく見られる黒、萌黄、柿の三色による定式幕を用い、登退場には花道が使われます。結構泥臭い演出でしたが、それが良いと思いました。「愛の妙薬」は割と読み替えしやすい作品らしく、2009年藤原歌劇団のショッピングセンターでの恋に読み替えたマルコ・ガンディーニの演出や、寓話性を強調した新国立劇場のチェーザレ・リエヴィの舞台などが記憶に新しいですが、今回の原純の演出も心に残るものになりそうです。

 アディーナはプログラムに依れば「華族の令嬢」だそうです。第1幕は袴姿の大正風女学生スタイルで登場。ネモリーノは人力車引きです。ベルコーレが軍人、ドゥルカマーラが怪しい薬売りという設定は変わりませんが、合唱のメンバーが書生だったり、女学生だったり、モガだったり、芸者だったりして、視覚的面白さが高いです。第二幕の冒頭の結婚式の場面は、金屏風の前に座って行う日本風。アディーナは白無垢で登場します(打掛や角隠しはなかったけど)。

 この大正モダン的演出は、色々なところで凝っていました。ネモリーノはアディーナの家の車夫なのでしょうか。子供時代のアディーナを乗せて、初恋したという設定。アディーナは華族のお嬢様という設定ですから、当然両親が出てくる。この両親が和田ひできと田崎尚美。この二人は本来の台本にはない役ですから全くの黙役ですが、如何にもお転婆な娘を心配する親になっていて(しっかり演技はされていました)、舞台の雰囲気づくりに貢献されていました。

 細かい擽りも楽しい。「ラララ」の部分では、アディーナは剣道の竹刀を持って登場し、相手の書生を打ち負かしながら、酔っぱらったネモリーノを訝しがりますし、結婚式を挙げながらも、「夕方まで待って」というアディーナに、ベルコーレはアディーナの首を絞めますが、その時のアディーナの百面相がとても愉快。あとは、ドゥルカマーラは偉い薬屋のまま隣村に送り出されるのではなくて、インチキであることを村人たちに見抜かれ、裸に剥かれて、赤フン姿で逃げ出すとか、細かく作り込んだ演出で、見事なものだったと思います。

 しかし、肝心の音楽は、相当問題がありました。まずはオーケストラが良くない。第一にバランス。浅草公会堂にオーケストラピットなどという高級なものはなく、客席の前方の椅子を外しての急ごしらえのピットだったわけですが、そのせいか、管楽器が強く響きすぎ、弦が鳴らない感じでバランスが悪い。しかし、指揮者は、そのバランスをあまり気にかけていなかったようです。更に演奏技術も今一つ。ドニゼッティの伴奏ですから大して難しいとも思えないのですが、結構目立つミスがありました。特に、歌と伴奏とが合っていないところもあり、十分にオケ合わせをしたのだろうか、と訝しげに思ってしまうほどの水準でした。

 合唱もいけません。演技は皆しっかりやっていて面白かったのですが、演技練習に力が入りすぎて音楽練習が不十分だったのではないかと思うほどです。特にソプラノが非力でした。冒頭の合唱も感心しませんでしたし、第8曲、ネモリーノの叔父さんが亡くなって、遺産を継いだネモリーノがお金持ちになったとうわさする合唱「そんなことって、ある?」もいただけませんでした。歌が平板で、女たちのわくわくした盛り上がりが十分に感じられませんでした。

 ソリストは流石に、オーケストラ、合唱よりは随分ましとはいえ、それでも不満が残りました。

 まず、ネモリーノが不調。内山信吾は実力のないテノールではないと思っているのですが、今回はいただけませんでした。細かいところの処理が結構荒っぽいですし、音程もこれで良かったっけ?と思う部分もありました。「人知れぬ涙」は、勿論歌えているのですが、もっと艶が欲しいですし、甘さもあってよいと思いました。

 小林昭裕のドゥルカマーラは軽量のドゥルカマーラ。この方持っている声がハイバリトンなのだろうと思いますが、そのせいか、歌が軽くなってしまって、本来この役に期待される重厚な嘘っぽさが出ないのですね。登場のアリア「皆様、お聞きなさい」を聴いていても、村民がドゥルカマーラを信じるに違いない、と思わせる説得力が今一つ感じられませんでした。

 大山大輔のベルコーレは立派でした。しかし、立派過ぎて詰まらない。まあ日本軍人ですからね、おちゃらけてはいけないのでしょうが、スペインの軍曹が、「女はどこにでもいる、行くところ行くところでモテモテだい」といった能天気さが感じられないのは、いいんでしょうか?

 で、アディーナ役の大隅智佳子。彼女は正直凄いと思いました。本来大隅の声は、ソプラノ・リリコ・スピントで、アディーナに一番似合ったソプラノ・リリコ・レジェーロではない。そのためか、ソプラノ・リリコ・レジェーロの歌うアディーナと比べると落ち着いた歌になりました。ありていに申し上げれば、第一幕は重たいアディーナで、袴姿の女学生スタイルで重たい歌を歌われると、年増のコスプレみたいで、私には違和感がありました。

 しかし、彼女の声には説得力があります。エンジンがかかってきて潤滑が良くなると、彼女の魅力もヒートアップします。白無垢になってからの、即ち第二幕の歌は、声質が変わったわけではないのに、どんどん説得力が増して、二幕のフィナーレでは、大隅のアディーナもなかなか良いと思えるようになりました。多分歌い方を少し変え、彼女の内なるテンションも変わったのだろうと思います。彼女のストライクゾーンとは思えない、アディーナという役をを自分のストライクゾーンに呼び込んだように思いました。

 結局のところ、日本風の演出と大隅の頑張りで、終わってみれば悪くないな、と思わせる「愛の妙薬」になっていました。

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鑑賞日:2013年8月20日
入場料:指定席 5000円 M列4番

主催:labo opera 絨毯座

labo opera 絨毯座 実験室 vol.6

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会 場 北とぴあ・つつじホール

スタッフ

指 揮  :  須藤 桂司   
ピアノ/電子チェンバロ  :  金森 敏子/田村 ルリ
合 唱(テノール)  :  鈴木 俊介/橋本 晃作/吉川 響一
合 唱(バリトン)  :  清水龍之介/山本 竹佑/鷲尾 裕樹 
演 出  :  太田 麻衣子
美 術  :  八木 清一 
衣 装  :  原 純 
照 明  :  望月 太介 
舞台監督  :  八木 清一 
プロデューサー  :  恵川 智美 

出 演

ドン・ジョヴァンニ  :  志村 文彦 
レポレッロ  :  大山 大輔
ドンナ・エルヴィーラ  :   黒田 博 
その侍女  :  大隅 智佳子 
騎士長  :  米谷 毅彦 
ドンナ・アンナ  :  川越 塔子 
ドン・オッターヴィオ  :  布施 雅也 
マゼット  :  吉川 健一 
ゼルリーナ  :  吉村 美樹 

感 想

確かにこの「ドン・ジョヴァンニ」一寸変でした。-labo opera絨毯座 実験室vol.6「ドンジョヴァンニ」を聴く

 現在、日本人のドン・ジョヴァンニ歌いとして第一に指を折らなくてはならないのは黒田博でしょう。黒田は、大学院を修了してまだ間もない1988年関西二期会公演でロールデビューを果たし、東京二期会オペラ劇場の本公演、2004年と2011年の両方で主役を歌っています。その黒田が何と、この「絨毯座」の実験室では、ドンナ・エルヴィラを歌うという。ちょっと信じられないキャスティングですが、怖いもの見たさというか、とりあえず聴きに伺いました。

 ちなみにタイトル役は志村文彦。志村の低音は艶があって美しく、ドン・ジョヴァンニを歌うにはうってつけですが、見た目が「ドン・ジョヴァンニ」ぽくない。オペラ歌手としては背が高い方ではなく、二枚目でもなく、その上禿げている。レポレッロならばキャスティングとして理解できますが、そんなわけで、彼はこれまでドン・ジョヴァンニ役をちゃんとした舞台で歌ったことはないと思います。

 大山大輔のレポレッロも面白いキャスティング。大山だって、持ち役としてはレポレッロよりもドン・ジョヴァンニです。彼もこれまでドン・ジョヴァンニを何度も歌っているはずです。即ち、通常の舞台であればドン・ジョヴァンニを歌う歌手がレポレッロやあまつさえ、ドンナ・エルヴィラを歌い、レポレッロを歌う歌手が、ドン・ジョヴァンニを歌う。この大きなキャスティングのねじれがこの舞台の実験たるゆえんです。そして、この実験は期待以上の成果を上げたと申し上げてよろしいのではないでしょうか。

 まず、志村のドン・ジョヴァンニが最高に面白い。本来ドン・ジョヴァンニのやっている行為は、はた目からはかなり可笑しいものです。ひたすら、ドンナ・エルヴィラからは逃げ、それ以外の女に尻を追いかけているだけですから。その行為の本質的なギャグっぽさは、通常の演出ではあまり強調されることは無い。まずはドン・ジョヴァンニは女性にどれだけ魅力的か、という観点で描かれます。しかし、今回の演出では、志村文彦という三の線の歌手を外題役にもっていったため、「女の尻を追い回す」という行為のギャグっぽさが否応なしに強調され、「ドン・ジョヴァンニ」というオペラが、オペラ・ブッファの枠組みで書かれている事実を聴き手に突き付けます。

 その上、太田麻衣子は歌手たちにかなり笑わせる演技をやらせます。志村は、背が小さく禿げているという特徴をたっぷり笑いの材料に使われますし、レポレッロは股間を殴られ悶絶します。その品のない演技を行った上に、ドン・ジョヴァンニの素敵な音楽が流れるというギャップが頗る刺激的です。既に 申し上げているように、志村文彦の声は、艶と深みとがあって、とてもドン・ジョヴァンニの音楽に似合っていますから、その見た目ややっている行為の品のなさとの落差が面白いです。志村は音楽的にも立派でしたが、敢て注文を付けるとするならば、演技に熱中し過ぎたのか、歌が慌ててしまったところが何箇所かあって、そこをもっとブレーキをかけてくれれば最高だったと思いました。

 もっと面白いのは黒田博のドンナ・エルヴィラです。黒田は女装して登場しますが、遠目でみると結構凄味を感じさせる美人です。黒田はバリトンですから、ドンナ・エルヴィラの歌をほとんど歌いません。高音になる部分は、エルヴィラの侍女役の大隅智佳子が代唱(?)します。大隅のイメージは腹話術師の人形。お化粧もそういう感じですし、動きも敢てぎこちなくしていたようです。しかし、ドンナ・エルヴィラは彼女の声にぴったりの役柄ですから、歌は最高に素晴らしい。

 これじゃ、黒田をキャスティングした意味がないじゃあないか、と思っていたら、二幕のエルヴィーラののレシタティーヴォ付アリアで見せました。黒田は低音部分を本来の楽譜より一オクターブ下げて歌い、高音部は舞台の陰で大隅が歌います。つまり、本来のアリアを男女二人の連携で歌うことにより、ダイナミクスが広がります。そのため、ドンア・エルヴィラの感情がより強調され、ドン・ジョヴァンニに対する思いが広がるのです。そして、黒田の歌が絶妙です。声の出し方はアルトっぽく出して、女性的な印象をしっかり与えます。黒田のバリトン役をこれまで何度も聴いて来て、彼が日本を代表するバリトン歌手であることは重々承知していましたが、こういう本来彼のホームグランドではない歌を歌わせても、雰囲気よく歌うところ、実力のある方は違うな、と感心いたしました。

 その他の歌手については簡単に。

 布施雅也は前半はまあまあの出来だと思いましたが、第二幕のアリアで、息の長く続くところを見せ、立派でした。川越塔子のドンナ・アンナは大隅智佳子のドンナ・エルヴィラと比較すると、密度の薄い存在。彼女の歌の密度が今一つ薄いのがその原因でしょう。吉村美紀のゼルリーナは一寸年増の雰囲気。もっと若々しい雰囲気のゼルリーナの方が良いと思いました。吉川健一のマゼット。良かったです。マゼットの持つ反発心がよく表現されていたと思います。

 米谷毅彦の騎士長は、低音が不安定で彼に向いていない感じ。大山大輔のレポレッロは、見た目にかっこよいし、歌もよいのに、志村ジョヴァンニやその他の出演者に弄られ、妙に気の毒な感じがしました。

 それにしても、太田麻衣子は「ドン・ジョヴァンニ」を思いっきり捻って見せて、喜劇性を表に出すとともに、ドンナ・エルヴィラの情念を見せるのに成功しました。「地獄落ち」では、エルヴィラもドン・ジョヴァンニと一緒に飛び込みます。こういうエルヴィラの情念を示すやり方は太田が初めてではないでしょうが、それ以外の部分は太田のアイディア満載でしょう。

 今回は上演は比較的小さなホールでの実験的公演でしたが、是非オーケストラの伴奏で、大きな劇場で、こういう演出を取り上げて欲しいものだと思いました。聴き手にとっても非常に刺激的な「ドン・ジョヴァンニ」でした。

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鑑賞日:2013年9月5日
入場料:D席4F1列53番 8000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
協力:公益財団法人新国立劇場運営財団
助成:公益財団法人三菱UFJ信託芸術文化財団

ヴェルディ生誕200年記念
藤原歌劇団公演 

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ
指 揮 園田 隆一郎  
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱    藤原歌劇団合唱部
合唱指導    須藤 桂司
バレエ    スターダンサーズ・バレエ団 
演 出 岩田 達宗
美 術  島 次郎
衣 裳  :  半田 悦子
照 明  :  大島 祐夫 
振 付  :  小山 由美
舞台監督  :  大仁田 雅彦
公演監督  :  岡山 廣幸

出 演

ヴィオレッタ   マリエッラ・デヴィーア 
アルフレード   村上 敏明 
ジェルモン   堀内 康雄 
フローラ   鳥木 弥生
アンニーナ   家田 紀子 
ガストン子爵   所谷 直生
ドゥフォール男爵   三浦 克次
ドビニー侯爵   柿沼 伸美 
グランヴィル医師   久保田 真澄
ジュゼッペ  :  山内 政幸 
使者  :  江原 実 
召使    秋本 健 

感想

年輪を重ねるということ-藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」を聴く

 今年4回目の「椿姫」公演になりますが、間違いなく一番素敵な演奏でした。細かく見て行けばいろいろと気になる点もあったのですが、そつなくこなして破たんがないという点で非常に立派な演奏であると思いました。

 考えてみれば当然かもしれません。藤原歌劇団は、五十嵐喜芳音楽監督の時代、ニューイヤーオペラと称して、毎年成人式前後には「椿姫」を上演しておりました。脇役や合唱団員には1990年の第1回ニューイヤー・スペシャルオペラ「椿姫」に出演していて、23年たった今年の椿姫にも出演されている方が何人もいるのです。三浦克次、家田紀子、大嶽邦子、山崎浩美、細見涼子、大野健、見野康幸、石井敏郎、鈴木敏彦、東嶋正彦といったメンバーです。このような何度も何度も「椿姫」の舞台に乗っている人たちが、音楽のベースを作っていく。正に伝統です。藤原歌劇団の「椿姫」公演にある基本的なスープは、こういうベテランに少しずつ若い方が入れ替わって受け継いでいるのでしょう。

 その意味では、誰が指揮者であっても「藤原歌劇団」の味が出るのは当然かもしれません。

 さて、指揮者の園田隆一郎は、デヴィーアに寄り添った指揮をしていたと思います。相当に丁寧な演奏。東フィルのメンバーは、園田のそこまで丁寧な緊張感のある指揮にはついていかず、ゆっくりとした部分では、緊張感の欠けた音もずいぶん聴こえてきたように思います。特に残念なのは、二幕一場のヴィオレッタとジェルモンの二重唱。わたしはここのやり取りが「椿姫」の一番の聴きどころだと思っているのですが、ここの緊張感がいささか足りない感じです。勿論、これが今のディヴィーアの趣味かもしれません。

 2000年の藤原歌劇団公演で、デヴィーアはこの部分をもっと緊迫感を持って歌っていたと思うのですが、今回はそこまでの緊迫感はなかった感じです。それがデヴィーアの13年の時を経てのヴィオレッタ観の変化なのか、それとも、指揮者とオーケストラに乗って歌ったら、そんな風になってしまったのかよく分かりませんでした。私はもっと感情の籠ったドラマティックな表現の方が好きです。

 デヴィーアに関して申し上げれば、年を取ったな、というのが正直なところ。美声は健在ですが、声の密度が昔とは違うと思います。第一幕は音楽に乗り切れていなかったのか、音符の捕まえ方が微妙に遅い感じがしましたし、丁寧に歌っていて見事なのですが、パワフルではありませんでした。「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」は流石にデヴィーアだとは思いましたが、もう少し前のめりに歌った方が、曲の魅力が引き立つと思いました。

 第二幕の感想は上述の通り。やっぱり一番見事だと思ったのは第三幕です。「さよなら、過ぎ去った日々」は彼女の人生を感じさせる立派な歌唱。こういう歌はディヴィーアだからこそ歌えるのだろうという感じがしました。体力の衰えを高い歌唱技術と経験で補った演奏だと思います。年齢を重ねることで見えるものが確かにありました。ヴィオレッタの死の場面の美しいこと。とても60代の歌手には見えませんでした。

 村上敏明のアルフレードも流石の歌唱です。村上の歌唱は、彼独特の歌のくせがあり、それが時として鼻につくこともあるのですが、アルフレードという役柄は、そういう村上独特の癖が、アルフレードの一本気な性格を表現するのに、非常に役立っている感じがしました。乾杯の歌はディヴィーアを食っている感じでしたし、第二幕の冒頭のアリア「燃える心を」も素敵で、カバレッタも良かったです。「パリを離れて」の二重唱もディヴィーアの持つ雰囲気と村上の持つ雰囲気とが上手く混じり合って見事でした。

 堀内ジェルモンは定評ある役柄だけあって、安心して聴けるものでした。二幕一場のヴィオレッタとの二重唱は、細かい表現で、デヴィーアに一日の長がありましたが、堀内ジェルモンは立派です。

 脇役陣では三浦克次の男爵が、眼帯を着けて目立っていましたが、歌も非常に立派なもの。ガストンは時として、アルフレードを食っちゃうこともあるのですが、所谷ガストンは村上アルフレードを追い込むような歌唱はしませんでした。久保田真澄のグランヴィルは一寸存在感が薄い感じ。鳥木弥生のフローラは歌唱はそれなりに雰囲気があるのですが、見た目が人形的でした。

 舞台は半分抽象的で半分具体的な感じ。舞台の上に更に白い舞台を置き、その位置を変えることで場所を変えようとするもの。あまり豪華な感じはしませんでした。演出もどちらかといえば控えめな感じでしたが、それゆえにディヴィーアの女優的存在感も光っているように思いました。

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鑑賞日:2013年9月7日
入場料:D席4F1列31番 6000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
協力:公益財団法人新国立劇場運営財団
助成:公益財団法人三菱UFJ信託芸術文化財団

ヴェルディ生誕200年記念
藤原歌劇団公演 

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 園田 隆一郎  
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱    藤原歌劇団合唱部
合唱指導    須藤 桂司
バレエ    スターダンサーズ・バレエ団 
演 出 岩田 達宗
美 術  島 次郎
衣 裳  :  半田 悦子
照 明  :  大島 祐夫 
振 付  :  小山 由美
舞台監督  :  大仁田 雅彦
公演監督  :  岡山 廣幸

出 演

ヴィオレッタ   佐藤 亜希子
アルフレード   西村 悟 
ジェルモン   須藤 慎吾 
フローラ   関 真理子
アンニーナ   吉田 郁恵 
ガストン子爵   上本 訓久
ドゥフォール男爵   東原 貞彦
ドビニー侯爵   和下田 大典 
グランヴィル医師   久保田 真澄
ジュゼッペ  :  山内 政幸 
使者  :  江原 実 
召使    秋本 健 

感想

役に入り込んだ時の魅力-藤原歌劇団「ラ・トラヴィアータ」を聴く

 一日空けて「椿姫」のAキャストとBキャストとを聴き比べることが出来ました。同じ舞台、同じ指揮者、同じオーケストラ/合唱団で演奏されながら、相当味わいが異なる演奏になりました。一言で申しあげるならば、Aキャストは繊細さを重視して細かいところも丁寧になぞるような演奏。Bキャスとはスピード感を重視して、細かいところの正確さよりも、出演者たちのパワーでもって行くような演奏でした。

 この違いは、まず指揮者の意識の差であったようです。マリエッラ・デヴィーアと佐藤亜希子という二人のヒロインのキャラクターを見た時、ベテラン・デヴィーアに対しては、彼女の音楽に寄り添うように指揮したのに対し、新進・佐藤に対しては、指揮者がぐいぐい引っ張って行く演奏を目指し、実際、そのようになっておりました。オーケストラにとって演奏しやすかったのは、Bキャストの方だったようで、オーケストラの音の流れ方は、今日の方が自然でした。

 外題役の佐藤亜希子は、これまでも何度も聴いて注目してきたソプラノです。津田ホールクラスのホールで聴くとき、彼女の声は、ホールの広さを突き抜けるような力を持っていますが、新国立劇場となると、流石にそうはいかないところがあります。第1幕は、佐藤が非常に緊張しており、実力が発揮できなかった、というところがありました。高音は綺麗に響いているのですが、中低音への意識がおろそかになって、飛んでこない音がいくつかありましたし、例の「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」は、最後のEs音こそ、しっかり上げて見せていましたが、カバレッタの部分はスタミナ切れ寸前、という感じになっていました。

 とはいえ、それで終わらないのが佐藤の実力です。第二幕からは佐藤の魅力が前面に出た演奏。第二幕第一場のジェルモンとの二重唱は、ヴィオレッタの感情が上手く入り込んでいて、須藤慎吾の割と若々しい父親の造形と相俟って、しっかり緊張感のある二重唱となっていました。私は、この二重唱は、デヴィーア/堀内組より、佐藤/須藤組を買います。ここから、佐藤の役に入り込んで、感情の籠った演奏が会場を盛り上げます。第三幕の「さようなら、過ぎ去った日々」は感情が入り込み過ぎているのではないか、と思うぐらい。とにかく、役に入り込んで立派なヴィオレッタを造形したと思いました。

 西村悟のアルフレードも良かったです。この方は甘い美声で勝負するタイプ。Aキャストの村上敏明が、ケレンをしっかり見せるタイプのテノールであるのに対して、彼は美声の類似したトーンで流れるように歌います。一寸なよなよとした声。そこが実にアルフレードにぴったりです。村上アルフレードが、パリにでてきた田舎地主のバカ息子が社交界でつっぱている、という感じに造形しているのに対して、西村アルフレードは、恋に恋する青年が娼婦が何たるかもわからず、夢見心地でいる、と言ったらよいでしょうか。アルフレードの純情を感じさせます。それだけに、アルフレードの激したところの表現は、もう少し踏み込んでも良かったのかもしれません。

 須藤慎吾のジェルモンは落ち着いた堀内ジェルモンと比較すると、高音の響く、もう少し尖ったジェルモン。見た目も歌も貫録という点では堀内ジェルモンに一日の長がありますが、彼の厳しめの歌唱は、上述の通り佐藤の役に入り込んだ歌唱と会うとき、感情の高まりを強調するように働いていました。「プロヴァンスの海と陸」は、楽譜に忠実な丁寧な歌唱で、そこもいい。

 脇役陣で存在感を出していたのは、フローラの関真理子。男爵の東原貞彦。医師の久保田真澄。東原の男爵は、三浦男爵ほどは良いとは思いませんでしたが、アルフレードの敵役として立派。久保田の医師は、対デヴィーアよりも対佐藤の方が、心配の雰囲気が出ているように思いました。関のフローラも存在を見せる歌唱でした。

 以上全体として若々しい椿姫として纏まりの良い演奏になっていました。両キャストを聴きましたが、全体としての印象は、第1幕は初日、第2幕は二日目。第3幕は互角か初日がやや優っている感じでした。そして、全体としては二日目を取りたい。音楽のスピード感と役に入り込んだ佐藤亜希子の魅力は、世界的大歌手が登場する舞台の魅力を上回るものがありました。

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鑑賞日:2013年9月13日
入場料:C席 3階F列43番 3000円

主催:公益財団法人東京都歴史文化財団

東京芸術劇場 コンサートオペラ Vol.1

全1幕、日本語字幕付原語(ハンガリー語)上演
バルトーク作曲「青ひげ公の城」BB62(A Kékszakállú herceg vára)
台本:バラージュ・ベーラ

会場:東京芸術劇場大ホール

スタッフ/キャスト

指 揮 井上 道義  
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
企画・演出    井上 道義
照 明  足立 恒
出演   
青ひげ公  :  コヴァーチ・イシュトヴァーン 
ユーディット  :  メラース・アンドレア
吟遊詩人  :  仲代 達矢

プログラム

オッフェンバック作曲(ロザンダール編曲)
バレエ音楽「パリの喜び」より抜粋(序曲、第1,2、4-10,14,22,23曲)

バルトーク作曲
歌劇「青ひげ公の城」

感想

「切なさ」ということ−東京芸術劇場コンサートオペラvio.1「青ひげ公の城」を聴く

 「青ひげ公の城」は、20世紀音楽を切り開いた三人の大作曲家(他の二人はストラヴィンスキーとシェーンベルグ)のひとりであるバルトーク・ベラの唯一の歌劇にして、彼の代表作の一つです。それだけに、しばしば演奏されるのですが、舞台上演されることは滅多にない。日本では2000年に新国立劇場で取り上げられていますが、それ以来舞台上演の記録はありません。しかしながらオーケストラの定期公演でバルトークが取り上げられるとなると、「管弦楽のための協奏曲」や「ヴァイオリン協奏曲第2番」、「ピアノ協奏曲第3番」などと並んでよく演奏されます。これは、演奏時間が約1時間とオーケストラ曲として手頃であること、ソリストがメゾソプラノ歌手とバス歌手を一人ずつ出演すればいいので、比較的プログラムに乗せやすいということはあるのでしょう

 私自身としても今回で4回目の実演経験となります。最近に聴いたのは、2011年12月のNHK交響楽団定期公演におけるシャルル・デュトワ指揮の演奏。これは基本的に端正で、デュトワの色彩感覚のよく現れた名演だったわけですが、今回の井上道義の演奏は、端正というよりはもっとどろりとした、男女間の訳の分からなさが音楽になったような感じで、デュトワとは肌合いの違う音楽になっていて楽しめました。

 N響定期でユーディットを歌ったのは、今回もユーディット役を歌われたメラース・アンドレア。あの時の演奏は、今回よりももっと端正で、音楽的正確さを重視したような演奏だったように思います。あの時の演奏の立派さと比較すると、今回の演奏は、人間的な感情がより強調されているような感じがいたしました。表現として一歩踏み込んでいる。そのため音楽的な雰囲気が崩れかかった感じはするのですが、ユーディットの焦燥感がより強く表現されたように思いました。

 コヴァーチ・イシュトヴァーンの青ひげ公も良かったと思います。そもそも「青ひげ」とは、シャルル・ペローの童話で我々に親しまれているのですが、ペローの童話では「青ひげ」は出かけてしまってそこにいない。つまり、妻の好奇心だけが強調されるわけですが、「青ひげ公の城」では、妻の脇に青ひげ公は常に寄り添っています。そして、過去の思い出したくない思い出を開け放たれていく。その時の心理的な変化の表現が素敵だと思いました。

 井上道義の音楽づくりは、男女の分かり合えない深淵を示すものになっていました。結局のところ妻の要求に逆らえない男と過去を含めた男の全貌を知りたい妻の間の深い河の切なさが感じ取れました。

 前半の「パリの喜び」は、井上のダンサー的身体能力がスマートな指揮になり、伸びやかな演奏になった楽しいものでした。ただ、バランス的には弦楽器が弱い感じで、何故16型のオーケストラにせず14型にしたのかが分かりませんでした。

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