オペラに行って参りました-2010年(その1)

目次

真っ当なガラコンサート  2010年01月06日  新国立劇場「ニューイヤーオペラパレス・ガラ」を聴く 
オペラの楽しませ方  2010年01月13日  新国立劇場地域招聘公演 札幌室内歌劇場「月を盗んだ話」を聴く 
B級オペラの魅力  2010年01月17日  東京オペラプロデュース「マダム サン・ジェーヌ」を聴く 
熱気だけは負けていない  2010年01月31日  立川市民オペラ「アイーダ」を聴く 
歴史・文化を知るということ  2010年02月07日 藤原歌劇団「カルメル会修道女の対話」を聴く 
福井オテロは侮れない  2010年02月17日  東京二期会オペラ劇場「オテロ」を聴く 
モーツァルトの若書き  2010年02月18日  東京室内歌劇場「偽りの女庭師」を聴く 
肉食人種のオペラ  2010年02月23日  新国立劇場「ジークフリート」を聴く  
一列目2メートル  2010年03月05日  国立音楽大学×サントリーホールオペラ・アカデミー「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く   

老人が見た老人

2010年03月11日  新国立劇場オペラ研修所研修公演「ファルスタッフ」を聴く   

どくたーTのオペラベスト3 2009年へ
オペラに行って参りました2009年その4へ
オペラに行って参りました2009年その3へ
オペラに行って参りました2009年その2へ

オペラに行って参りました2009年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2008年へ
オペラに行って参りました2008年その4へ
オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

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観劇日:201016
入場料:Z席 1500円 4FL81番 

主催:新国立劇場

新国立劇場オペラ・バレエ
「ニューイヤーオペラパレスガラ」(NEW NATIONAL THEATRE, TOKYO OPERA&BALLET, NEW YEAR OPERA PALACE GALA)

会場: 新国立劇場オペラ劇場

プログラム

第一部:バレエ

指揮    大井 剛史 
管弦楽    東京フィルハーモニー交響楽団 
照明    川口 雅弘 
舞台監督    森岡 肇 
     
「グラン・パ・ド・フィアンセ」(新制作)   
振付    ジャック・カーター 
ステージング    牧 阿佐美 
音楽    チャイコフスキー 
出演    さいとう美帆 
    本島 美和 
    小野 絢子 
    長田 佳世 
    寺島 亜沙子 
    伊東 真央 
     
「ジプシー男爵」より入場行進曲   
音楽   ヨハン・シュトラウスU世 
     
ローラン・プティの「こうもり」より「グラン・カフェ」   
振付    ローラン・プティ 
音楽    ヨハン・シュトラウスU世 
舞台美術    ジャン=ミシェル・ウィルモット 
衣裳    ルイザ・スピナテッリ 
照明    マリオン・ウーレット/パトリス・ルシュヴァリエ 
出演    湯川 麻美子(ベラ) 
    逸見 智彦(ヨハン) 
    吉本 泰久(ウルリック) 
    新国立劇場バレエ団 


第二部:オペラ
スタッフ

指 揮  :  菊池 彦典   
管弦楽  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮  :  三澤 洋史 
演 出  :  三浦 安浩 
舞台美術  :  増田 寿子 
照 明  :  川口 雅弘 
字 幕  :  増田 恵子 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 

プログラム

作曲家 

オペラ作品名 

アリア名 

出演者 

共演者 

ヴェルディ  アイーダ 清きアイーダ   ゾラン・トドロヴィッチ(テノール)   
    勝ちて帰れ  ノルマ・ファンティーニ(ソプラノ)   
  リゴレット  慕わしき人の名は  幸田 浩子(ソプラノ)  新国立劇場合唱団
(ソロ:渡辺文智(テノール)、川村章仁(バリトン)、龍進一郎(バリトン) 
  椿姫  プロヴァンスの海と陸  堀内 康雄(バリトン)   
オッフェンバック  ホフマン物語  昔、アイゼナッハの宮廷に  ゾラン・トドロヴィッチ(テノール)  新国立劇場合唱団(ソロ:渡辺文智(テノール)) 
    生垣に小鳥たちが  幸田 浩子(ソプラノ)  新国立劇場合唱団 
ジョルダーノ  アンドレア・シェニエ  祖国の敵  堀内 康雄(バリトン)   
プッチーニ  マノン・レスコー  ひとり寂しく、捨てられて  ノルマ・ファンティーニ(ソプラノ)   
マスカーニ  カヴァレリア・ルスティカーナ  乾杯の歌  ゾラン・トドロヴィッチ(テノール)  新国立劇場合唱団(ソロ:松浦麗(メゾソプラノ))  
アンコール     
プッチーニ  トスカ  歌に生き、愛に生き  ノルマ・ファンティーニ(ソプラノ)   
ヴェルディ  椿姫  乾杯の歌  ゾラン・トドロヴィッチ/幸田浩子  新国立劇場合唱団

感 想 
真っ当なガラ・コンサート−新国立劇場「ニューイヤーオペラパレス・ガラ」を聴く

 新年を祝うガラコンサートは、各オーケストラを中心に行われているようですが、オペラの世界でもNHKのニューイヤーオペラコンサートを初め、いくつかあるようです。新国立劇場でも昨年から「ニューイヤー・オペラパレスガラ」と称したガラコンサートを始めました。私は、昨年は行かなかったのですが、今年はテレビで見たNHKのニューイヤーオペラコンサートがあまりにも気に入らなかったので、口直しにならないかと突然思い立ち、当日券で入場しました。初めてのZ券です。

 一言で申し上げれば、まあまあのコンサートだったと申し上げるのが適切だろうと思います。決して華やかなガラ・コンサートらしいガラ・コンサートではなかったと思うのですが、先日のテレビで見たNHKのニューイヤーオペラコンサートよりはずっとましな出来で、ほっといたしました。

 私はバレエについてはほとんど見たことがありませんし、深い知識もないので、印象以外何も申し上げることはないのですが、みなさんさすがに上手に踊るな、と思いました。技巧的には「グラン・パ・ド・フィアンセ」のほうが難しいのではないかと思いましたが、お正月の華やかな気分によりマッチしたのは後半のローラン・プティの「こうもり」です。主役の三人の踊りもさることながら、三人のギャルソンの踊りや、3人のグリゼットの踊りも楽しめました。ただ、私は根本的に「歌好き」なのでしょうね。バレリーナたちの踊りが上手だと思いながらも、歌のない「こうもり」はやっぱり間抜けだな、と思っておりました。

 後半のオペラですが、4人の歌手が原則2曲ずつ歌う構成。今回は新国立劇場では非常に出演回数の多い、人気のソプラノ、ノルマ・ファンティーニと、やはり何度か登場しているテノール、ゾラン・トドロヴィッチ、日本勢からは幸田浩子(ソプラノ)と堀内康雄(バリトン)が登場しました。

 歌唱は全般に良好と申し上げてよいのでしょう。

 最初のトドロヴィッチの「清きアイーダ」は、彼の本来の声には合っていないものでした。私は、この曲は高音をふわっと響かせるような歌い方が好きなのですが、トドロヴィッチは、押し上げるような歌い方をいたしました。力強いのですが、この曲の持つ抒情を感じられない歌で、あまり感心できませんでした。しかし、これ以外は皆合格点の歌でした。

 ファンティーニの「勝ちて帰れ」は、さすがに「アイーダ」を得意役としている方だけあります。アイーダの板挟みの気持ちを良く表現した魅力的なものだったと思います。幸田浩子の「慕わしき人の名は」は大筋では良くまとめていたと思いますが、細かいところのコントロールが今一つだった印象です。たとえば、ディミニエンドして少しずつ声を抜いていくような部分の歌唱で、ディミニエンドのスピードがやや速かったりといったところです。ただ、それでも1月3日のコンスタンツェを歌った時より声に伸びやかさがありました。3日は調子が悪く、本日も回復途上にあるという印象を持ちました。堀内康雄の「プロヴァンスの海と陸」はさすがの歌唱だったと思います。

 「ホフマン物語」に移って、まずトドロヴィッチの「昔、アイゼナッハの宮廷に」は、「清きアイーダ」よりはずっと素敵な歌。多分トドロヴィッチの声が、こういう歌に似合っているということなのでしょうね。新国立劇場合唱団も良好でした。幸田浩子のオランピアのアリアは、さすが幸田浩子と申し上げるべき名唱。声は必ずしも絶好調ではないと思うのですが、幸田にとって「オランピア」はとことん歌いこんだ役のようで、間然とするところがない歌唱でした。文句なしにBravaです。

 堀内康雄の「祖国の敵」も流石の歌唱です。どっしりと落ち着いた響きは、ジェラールの揺れ動く気持ちを表現するに十分のものだったと申し上げて良いと思います。そして、ファンティーニの「ひとり寂しく、捨てられて」はファンティーニの力を示す歌唱であることは疑いありません。このコンサートのクライマックスにふさわしい歌唱だったと思います。最後は、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の「乾杯の歌」 今回アンコールは2曲でした。最初に歌われた、ファンティーニの「歌に生き、恋に生き」は本日の白眉。入魂の名唱だったと思います。「椿姫」の「乾杯の歌」は、カヴァレリア・ルスティカーナ」の「乾杯の歌」 よりずっと華やかな雰囲気があります。このガラ・コンサートを閉める曲としては十分と申し上げられると思います。

 菊池彦典と東京フィルの演奏は、こういう演奏会がどういうものか良く分かっている方たちなので、安心して聴けました。 舞台はお花をもう少し飾るなど、より華やかさを演出しても良いのかな、とも思いましたが、シンプルで良いとも思いました。

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観劇日:2010113
入場料:指定席 5670円 C114番 

主催:特定非営利活動法人 札幌室内歌劇場/新国立劇場
平成21年度新国立劇場地域招聘公演

札幌室内歌劇場


オペラ2幕 日本語訳詞公演
オルフ作曲「月を盗んだ話」(Der Mond)
原作:グリム童話「月」、台本:カール・オルフ
日本語訳詞、編曲:岩河智子


会場: 新国立劇場小劇場

スタッフ
芸術監督  :  岩河 智子   
指 揮  :  裄V 寿男 
演 出  :  中津 邦仁 
美 術  :  三宅 景子 
照 明  :  奥畑 康夫 
ヘアメイク  :  藤原 得代 
舞台監督  :  八木 清市 
副指揮  :  時岡 牧子 

室内楽
フルート/ピッコロ  :  蠣崎 路子 
ヴァイオリン  :  富岡 雅美 
チェロ  :  川崎 昌子 
ピアノ  :  吉村 美華子 
キーボード  :  駒崎 志保 

出演
語り手  :  萩原 のり子 
ペトルス  :  則武 正人 
4人の村人  :  石田 まり子/渡辺 ちか/窪田 晶子/松田 久美 
よその村の村長  :  石鍋 多加史 
よその村の農民  :  橋本 卓三 
よその村の村人  :  安田 哲平/新津 耕平/原 慎一郎/関口 直仁 
自分の村の村人  :  倉本 真理/土本 麻生/堤 摩泉/成田 潤子/松嶋 瞳/三浦 志緒理/森 千絵子 
居酒屋の女将  :  遊佐 悦子 
子供たち  八千代少年少女合唱団 

感 想 オペラの楽しませ方−新国立劇場地域招聘公演 札幌室内歌劇場「月を盗んだ話」を聴く

 日本のオペラの上演は、どうしても東京中心なわけですが、首都圏以外でも特徴ある活動を続けている団体がいくつもあります。そういう団体を東京に呼んで地方の舞台を見せようというのが、新国立劇場の「地域招聘公演」で、オペラでは、これまで、「広島オペラルネサンス」、大阪音楽大学の「カレッジ・オペラハウス」、「関西二期会」が招聘されました。そして今年は「札幌室内歌劇場」です。札幌は広島と並んで、地方都市としてはオペラの上演の盛んな町で、「北海道二期会」、「札幌オペラスタジオ」、そして、今回招聘された「札幌室内歌劇場」の三団体が定期的な公演を行っています。

 この中で、最も特徴的な活動を行っているのが「札幌室内歌劇場」と申し上げてよいのでしょう。札幌室内歌劇場で上演する作品の特徴は、音楽監督の岩河智子による編曲作品であり、又岩河による日本語訳詞での上演ということです。岩河は、「魔笛」、「フィガロの結婚」、「ヘンゼルとグレーテル」といった良く知られている作品の日本語上演もさることながら、マスネの「サンドリヨン」、シューベルトの「家庭争議」といった比較的珍しい作品の紹介、そして、「中山晋平物語」、「唱歌の学校」、「フォスター物語」のように、人口に膾炙した中山晋平の作品、唱歌、あるいはフォスターの作品を組み合わせて舞台劇にしてしまう、といった実験的なことまで様々なことを行い、その幅はかなり広いようです。

 今回取り上げた「月を盗んだ話」は、カール・オルフの「月」という1939年にミュンヘンで初演された作品を岩河がかなり組み替えた半分岩河のオリジナルの作品のようです。オリジナルの「月」はまだ日本で紹介されてはいないようです。したがって、今回の「月を盗んだ話」こそが、現在のところ、この作品の味わいを日本に伝える唯一の手段です。またこの作品を上演したのは、2005年の日本初演以来、すべて札幌室内歌劇場のみであり、それだけに聴けるのは貴重な機会です。

 演奏自体は、歌手の音楽的技量を初め、本質的問題点は必ずしもないわけではないのですが、札幌で活動している歌手たちの東京でしっかりと自分たちの活動を見せてやろうとする意気込みは十分感じさせてくれました。私は、今回事情で前半のメルヘンチックな部分しか見ることができなかったのですが、少なくとも前半はテンポも良く、歌手たちのパフォーマンスも見事で、後半を見ることができないのがとても残念でした。

 私は保守的な考え方の聴き手なので、オペラはオリジナルが良いと思っているのですが、今回の札幌室内歌劇場の上演を見る限りでは(あくまでも前半のみの観劇による判断です。念のため)、編曲物も悪くないな、オペラの楽しませ方はいろいろあるのかな、と思いました。

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観劇日:2010117 
入場料:B席 5000円 2F235番 

主催:東京オペラ・プロデュース

東京オペラ・プロデュース第85回定期公演(35周年記念公演)

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演 日本初演
ジョルダーノ作曲「マダム サン・ジェーヌ」(戦場を翔ける女)Madame Sans-Gene)
原作:V・サルドゥー&E.モロー、台本:レナート・シモーニ

会場: 新国立劇場中劇場

スタッフ
指 揮  :  時任 康文   
オーケストラ  :  東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団 
合 唱  :  東京オペラ・プロデュース合唱団 
合唱指揮  :  伊佐治 邦治/中橋 健太郎左衛門 
演 出  :  弥勒 忠史 
美 術  :  土屋 茂昭 
照 明  :  西田 俊郎 
ヘアメイク  :  篠田 薫 
舞台監督  :  酒井 健 
スーパーバイザー  :  八木 清市 

出演

カテリーナ 菊地 美奈
ルフェーブル 羽山 晃生
フシェ 岡崎 智行
ナポレオン 羽渕 浩樹
ナイペルグ伯爵 青地 英幸
トニオッタ 橘  麗子
ジューリア/ビューロー 佐藤 篤子
ラ ロッサ/皇后 勝倉小百合
カロリーナ女王 江口 二美
エリーザ王女 後藤 美奈
ヴィネーグル 望月 光貴
デスプロー 島田 道生
ジェルソミーノ 岡戸 淳
ルロワ 笠井 仁
ブリゴードゥ 白井 和之
ルスタン 佐原 壮也
マトゥリーノ    家入 嘉寿馬 


感 想 B級オペラの魅力−東京オペラ・プロデュース「マダム サン・ジェーヌ」を聴く

  ヴェリズモ・オペラがあまり好きではなく、ジョルダーノといえば、「アンドレア・シェニエ」と「フェドーラ」以外どんな作品を作っていたかも良く知りませんでした。音楽の友社の「オペラ辞典」をひも解くと、その両者のほかに「悪の世界」、「シベリア」、「無遠慮夫人」、「無礼講の晩餐会」などの作品があるようです。ちなみに「マダム サン・ジェーヌ」は、「オペラ辞典」言うところの「無遠慮夫人」です。この「無遠慮夫人」を、欧米では比較的良く上演されるが、日本では取り上げられない隠れた名作を紹介することをモットーとした東京オペラ・プロデュースが取り上げました。

 音楽的魅力という観点から申し上げれば、「アンドレア・シェニエ」や「フェドーラ」と比較して魅力的とは申し上げられないと思います。音の流れは割と陳腐ですし、これぞ、というほどの美しい旋律が見出せるわけではありません。所詮はB級作品と申し上げてよいでしょう。したがって、これまで日本で紹介されなかったのは仕方がないのかなと思います。しかし、洗濯女から公爵夫人にまで成り上がり、ナポレオンに対しても物おじしないで意見を言うカテリーナは小気味よい存在で、その上流社会の欺瞞に流されない生き方は魅力的と申し上げてよいと思います。即ち、このオペラを成功に導くためには、この「無遠慮夫人」カテリーナをどのように表現し、演じるかがポイントだろうと思います。

 その点で、今回のカテリーナ役、菊池美奈はとても魅力的なカテリーナを造型しました。弥勒忠史の演出はもちろん有効に働いていると思いますが、菊池の一寸したしぐさや雰囲気が、おそらく弥勒の演出を増幅していると思います。菊池の舞台はこれまで何度も見ていますが、喜劇オペラを見た経験はなかったと思います。今回初めて喜劇を演じる菊池を見て、菊池は喜劇に合っている、と強く思いました。闊達での伸び伸びした演技は魅力的なものでした。

 菊池に関して申し上げれば、歌も悪くない。高音部がやや絞り気味に聴こえることや、高音部のファルテでの歌唱でややヴィヴラート過剰なところが気になりましたが、全体には良好だろうと思います。二幕の2曲のアリアは最初の抒情的なアリアのほうがより魅力的でしたが、後半の劇的なアリアも悪くありませんでした。

 羽山晃生のルフェーブルは、菊池ほど魅力的ではなかったと思います。羽山も細身で長身なので、それなりに見られる演技はできるはずなのですが、演技よりも歌が得意なタイプのオペラ歌手だと思います。ただ、今回は声の調子があまり良くないようで、高音はかなり押し気味の歌で、私は満足できませんでした。中低音はそれなりに力強く響かせますが、響きが綺麗というわけにはいきません。ナイベルグを歌った青地英幸がより美声だったこともあって、羽山の不調が目を引きました。

 岡崎智幸のフシェはバリトンとしては普通の歌唱だったと思います。結構出番はあったのですが、印象の深い歌ではなかったということでしょう。

 脇役陣は、ナポレオンを歌った羽渕浩樹が結構。美声のバリトンでした。ナポレオンは、第3幕で物語のキーマンになるのですが、音楽的にも一つの軸となって、もう一つの軸であるカテリーナとうまく組んでいたと思います。青地英幸のナイベルグも良好。美声が魅力的でした。嫌味なカロリーナ王女を演じた江口二美も雰囲気が良く出ていて良好だったと思います。

 また第二幕冒頭で成り上がりの貴族を笑う三重唱を歌う島田道生、岡戸淳、笠井仁もコミカルな味わいが見事でした。

 オーケストラは、東京オペラ・プロデュースの公演ではいつもピットに入る東京ユニバーサルフィルではなく東京オペラ・フィルハーモニックという団体でした。コンサートマスターが先日東京フィルをおやめになった平澤仁でしたが、今回の公演のための臨時編成の団体だったのでしょうか。演奏技術は結構ミスも多く(特に木管)、今一つ感がありました。時任康文の指揮は、珍しいオペラを紹介するという意味では上々だったと思います。ただし、主張の強い演奏ではなかったと思います。

 弥勒忠史の演出は割とオーソドックスなもの。第2幕の冒頭で、第一幕の洗濯屋の舞台から回り舞台を活用して、公爵邸に変えて見せましたが、この転回こそが、洗濯女から公爵夫人への成り上がりを象徴するものです。こういった才気を全般を通じて示していただければよかったのですが、第3幕のナポレオンの部屋の舞台は、あまり皇帝の居室のようには見えないのが難でした。

 それでも全体に気楽に楽しめる舞台で良かったと思います。
 
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観劇日:2010131  
入場料:B席 2000円 2F3439番 

立川市市制70周年記念事業
主催:立川市民オペラの会/(財)立川市地域文化振興財団

立川市民オペラ2010

オペラ4幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「アイーダ」(Aida)
台本:アントニオ・ギスランツォーニ

会場:立川市市民会館(アミューたちかわ)大ホール

スタッフ
指 揮  :  古谷 誠一 
オーケストラ  :  立川管弦楽団 
バンダ  :  国立音楽大学有志
合 唱  :  立川市民オペラ合唱団 
合唱指揮  :  倉岡 典子/宮崎 京子 
助演  :  立川市民オペラ公演2010劇団 
バレエ  :  ジャパン・イナターナショナル・ユース・バレエ 
演 出  :  中村 敬一 
装 置  :  増田 寿子 
照 明  :  石川 紀子 
衣 裳  :  下斗米 雪子 
舞台監督  :  大澤 裕 

出演

アイーダ 森田 雅美
アムネリス 浅井 美保
ラダメス 柾木 和敬
アモナズロ 牧野 正人
ランフィス 矢田部 一弘
エジプト国王 熊谷 幸宏
伝令 小木曽 実奈
巫女の長 澤崎 一了


感 想 熱気だけは負けていない−立川市民オペラ公演2010「アイーダ」を聴く

  「アイーダ」の本質は、三角関係の愛憎劇ですが、そもそもの成り立ちが、スエズ運河開通記念として建てられた新しいオペラハウスのこけら落し用作品ですから、スケールの大きな祝祭的作品という側面があります。現代でも、新しいオペラハウスのオープニング作品として「アイーダ」が取り上げられることは珍しくありません。新国立劇場もそうでした。逆にそういうスケールの大きい作品だけあって、市民オペラに取り上げられることは珍しいようです。それだけに、立川市民オペラがこの作品を取り上げたことに大きな驚きを感じました。なにせ、会場のアミューたちかわの大ホールの舞台は、普通の市民会館の舞台であって、そもそもオペラ上演のことを考えた舞台ではないのです。間口が18メートル、奥行きが13メートルで袖も狭く、バックヤードもほとんどありません。ある意味自殺行為です。ここで「アイーダ」をやる。どんな演出をするのだろう。そういう興味で伺いました。

 中村敬一の演出は正統的なもので、変な読み替えなどは一切行わず、分かりやすいものでした。合唱団のメンバーや助演の人たちで約90人。+ソリストでは、舞台の余裕のなさも相俟って、第2幕第2場の大行進曲を十分に見せるのはやはり難しく、チープさを感じさせないわけにはいきませんでしたが、そこさえ目を瞑れば、あとはそれなりに恰好がついていたと思います。上を見ればきりがないのですが、トータルの美術や衣装を含めて、市民オペラとしては十分な水準の演出だったと思います。中村の苦労が偲ばれる舞台になっておりました。

 全体的に申し上げれば、スタッフ・キャストの熱気だけで押し切った舞台だと思います。立川管弦楽団の技量は所詮アマチュアで音色もパッとしないし、ミスも相当あったと思います。しかし、推進力があるのです。細かいミスをカバーするようなダイナミズムや熱気があって、とにかく押し切ってしまう。古谷誠一の指揮もとりたてて言うほどのこともないのですが(というより、この程度のオーケストラであれば、指揮者の個性云々よりも音楽を壊さないことで精一杯ということなのでしょう)、全体としては、演奏者たちの熱気をスポイルしない方向性を示していたと思います。

 合唱も問題が多い。特に第一幕などは、どんどん前のめりになる演奏で、合唱団員はそれなりに上がっているな、と思わせる演奏でした。しかしながら全体でみるとやはり悪くないのです。声がまとまってよく飛んでいます。生気と迫力があります。合唱団員ひとりひとりが恐らくこの公演を成功させてやろう、という意識をもって演奏したのでしょうね。そういう気持ちの先行する演奏が悪いわけはありません。結局細かいところは突っ込みどころ満載の演奏ながら、全体としてみれば、十分な魅力のある演奏になっていた、ということだろうと思います。

 ソリストも全体的には上々。私は2階の後方で聴いていたのですが、ほぼ全員の方の声が良く飛んできていました。アミューたちかわって、あんなに音響の響くホールだったかしら、と思うほどです。PAを使用した可能性はありますが、ないと信じましょう。

 ソリストで最も評価すべきは、アムネリスを歌った浅井美保です。これまでは「ヘンゼルとグレーテル」の魔女役でキャリアを積んできた若手の方だそうですが、声を聞く限りは、声に力があって、またこもることのない明るい声質で、結構でした。表現力も十分あって、アムネリスの一番活躍する第4幕第一場の迫力は大変素晴らしいものがありました。ここは文句なしにBravaだと思います。それ以外の部分でも存在感がしっかりしていて、このオペラのタイトルは「アイーダ」ではなく「アムネリス」ではないかと思わせるほどでした。

 しかし、アイーダの森田雅美もがんばったと思います。浅井ほどの存在感はなかったと思いますが、細かいところまでよく注意したきっちりとした歌唱が良かったと思います。しかしながら精妙さが先に立ってしまったせいか、感情表現は今一つ抑え気味で、そこが存在感の乏しさにつながったのかもしれません。「勝ちて帰れ」にせよ、第3幕の表現にせよ、第2幕第一場のアムネリスとの対決の場にせよ、もっと積極的な感情表現を目指しても良かったのではないかと思います。声はしっかり出ていたので、ことさらそう思います。

 一方、ラダメス役の柾木和敬は今一つ。柾木の本来の声質がややくすんでいて、カーンとした響きがないところがまず不満です。例えば、「清きアイーダ」は、このオペラがスペクタクルものであると同時に、あるいはそれ以上に恋愛劇であることを示すためにもしっかりと美声で響かせてほしいところですが、今一つくすんでいて華やかさに欠けます。更にスタミナも今一つで、第4幕では、森田アイーダや浅井アムネリスと比較して全然声が出ていませんでした。

 牧野正人のアモナズロは流石の歌唱。藤原歌劇団のトップバリトンを長年勤めていたのは伊達ではありません。細かい間の取り方や、表現の深さは本日の出演者の中では一日の長があると思いました。

 矢田部一弘のランフィス。低音部の声の太さのコントロールがもっと精密だと尚よかったのですが、結構だと思います。

 以上繰り返しになりますが、細かくは問題の多い舞台でしたが、スタッフ・キャストの本公演を成功させようという熱意が、そういった問題を吹き飛ばす迫力のある舞台になっていたと思います。その熱意を称賛します。
 
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観劇日:201027   
入場料:D席 5000円 4FL124番 

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
2010都民芸術フェスティバル参加公演
主催:財団法人日本オペラ振興会/社団法人日本演奏連盟

藤原歌劇団公演

オペラ3幕 字幕付き原語(フランス語)上演
プーランク作曲「カルメル会修道女の対話」(Dialogues des carmélites)
台本:ジョルジュ・ペルナノス

会場:東京文化会館大ホール

スタッフ
指 揮  :  アラン・ギンガル 
オーケストラ  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱  :  藤原歌劇団合唱部 
合唱指揮  :  柴田 真郁 
演 出  :  松本 重孝 
美 術  :  荒田 良 
照 明  :  沢田 祐二 
衣 裳  :  前岡 直子 
舞台監督  :  菅原 多敢弘 

出演

ド・ラ・フォルス侯爵 三浦 克次
ブランシュ・ド・ラ・フォルス 佐藤 亜希子
騎士フォルス 小山 陽二郎
クロワッシー修道院長 郡 愛子
リドワーヌ修道院長 本宮 寛子
マザー・マリー 牧野 真由美
コンスタンス修道女 大貫 裕子
マザー・ジャンヌ 二渡 加津子
マティルド修道女 松浦 麗
司祭 所谷 直生
第1の人民委員 川久保 博史
第2の人民委員 清水 良一
ジャヴリノ(医師) 柿沼 伸美
ティエリー(従僕)/看守 坂本 伸司
役人 羽渕 浩樹
マザー・ジェザール 家田 紀子
クレール修道女  吉村 恵
アントワーヌ修道女  立川 かずさ
カトリーヌ修道女  清水 理恵
フェリシティ修道女  村瀬 美和
ジェルトリュード修道女  安達 さおり
アリース修道女  宮本 彩音
ヴァランティーヌ修道女  渡辺 ローザ
アン修道女  吉田 郁恵
マルタ修道女  山崎 知子
シャトレ修道女  但馬 由香


感 想 歴史・文化を知るということ−藤原歌劇団「カルメル会修道女の対話」を聴く

 「カルメル会修道女の対話」は、フランス革命時のコンピエーニュのカルメル会16修道女の殉教(死刑)を題材にしたオペラですが、これを見ると、我々は、フランスの歴史や修道会のヨーロッパにおける位置づけ、その他、欧州のある程度教養のある人たちにとっては常識のことが良く分かっていないのだな、と思います。「我々」、と書いたのは、今回公演プログラムにおける作品解説にも、そういった誤解に基づく記述があるからです。クロワシー修道院長やリドワーヌ修道院長は、原語読みで記載すると、マダム・ド・クロワシー、マダム・リドワーヌになるのですが、これを日本語にそのまま訳して、クロワシー夫人、リドワーヌ夫人と書かれているところがあります。カソリックの修道女は独身が原則ですから、そもそも夫人になるわけがありません。要するに「マダム」というのは、神への帰依を示す位階の一つで、シスター、マザーの上の位ということのようですが、そういった基本的なことですら、我々にとって常識ではありません。

 そのような作品背景に対する根源的不理解があるだけに、分かりやすい演出は大事だろうと思います。その意味で、今回の松本重孝の演出は、すこぶる具象的で視覚的に分かりやすくよかったと思います。またこの作品は、場面の切替の多い作品なのですが、切替の部分では、くし状の幕を使って遮光し、後ろの舞台転換をする間は、幕の前で演技させるという方式で、音楽の流れを極力切らないような工夫がされていました。また、フランス革命の流れについてよく知らない聴衆のために、休憩後の初めに、フランス革命の主要な事項をスライドで年表に示す、また、最後の断頭台のシーンもにしても、断頭台は背景高所にしつらえてありますが、その周りに殺戮に関する色々な写真を投影して、この殉教の無意味性を相対的に示そうとしていました。最後のスライド投影は、結構うるさい感じがしましたが、「カルメル会」というオペラ作品を理解するためには良い手法なのかもしれません。

 ちなみに休憩は第二幕第二場あと、修道女たちがリドワーヌ新修道院長のもと「アヴェ・マリア」を歌った後です。これは修道女たちが断頭台に上がるときに歌われる「サルヴェ・レジーナ」と呼応させる意図があったのでしょうね。この休憩は、前後半の時間がバランスしていて、よいと思いました。

 指揮はアラン・ギンガルが、伴奏は東京フィルが受け持ちました。このコンビの演奏は、批判もあるようですが、昨年新国立劇場オペラ研修所が取り上げたときの東京ニューシティ管弦楽団の演奏よりはるかに深みをあったし、纏まってもいました。プーランクの晩年の音楽に特徴的な暗いきらめきと多様な音楽語法がこの作品の大きな特徴だと思うのですが、そこはある程度しっかり表現できていたのではないかと思います。また、作品のもともとの性格もあるのでしょうが、後半のほうが音楽的緊迫感はあったように思います。

 歌手陣で今回最も魅力的だったのは、コンスタンスを歌った大貫裕子。コンスタンスは、全体的に暗いトーンで描かれるこの作品の中で、唯一明るいアクセントを与える役柄ですが、声にしても表情にしても彼女が歌うとパッと輝く感じがあってよかったです。

 主役のブランシュを歌った佐藤亜希子。前半は今一つパッとせず、後半盛り返したという感じです。佐藤は一昨年の南條年章オペラ研究室で「ルクレツィア・ボルジア」を聴き、大変感心した方なので、大いに期待して行ったのですが、今回は、声の飛びが今一つ弱い印象でした。会場が広いことが影響したのでしょうか。また、ブランシュというある意味エキセントリックな性格の持ち主を歌ったにも関わらず、前半は歌唱がおとなしく、ブランシュの異常性が浮かび上がってこないところも残念に思いました。後半は盛り返し、最後はそれなりに帳尻を合わせていたとは思います。

 ベテラン・郡愛子によるクロワシー。さすがに声の力は衰えを隠せません。それでも演技や表情は迫真のものがありました。死の場面の修道女にあるまじき人間臭い表情こそがベテランの味と申し上げるべきなのでしょう。

 同じくベテラン・本宮寛子によるリドワーヌ。こちらは声の力、演技力共に今一つでした。リドワーヌは、カルメル会が迫害された後、修道女たちの中心になっていく役柄なので、リーダーとしての存在感が重要だと思います。昨年の新国立劇場オペラ研修所公演では、若手の中村真紀がこの役を演じたのですが、リーダーとしての威厳や責任を意識した歌唱をしていたと思います。今回の本宮の役作りはリーダーシップ強調ではなく、不安を秘めたような歌唱。結果としてリドワーヌの位置づけが不明確になっているように思いました。

 それに対してマザー・マリーの牧野真由美は存在感を出していたように思います。リドワーヌの立ち位置が不明確な分だけマザー・マリーの存在感が強かったということかもしれません。でもよい歌唱でした。

 三浦克次の侯爵、小山陽二郎の騎士、所谷直生の司祭はそれぞれ自分の役目を果たすのには十分な歌唱でした。

 登場人物が多いため、現代の中心的歌手を集めて上演するのが難しかったようですし、また演奏に問題も散見されましたが、全体としてはなかなか良い演奏だったと思います。
  
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観劇日:20102月17   
入場料:D席 6000円 5F29番 

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
2010都民芸術フェスティバル参加公演
主催:財団法人東京二期会/社団法人日本演奏連盟

東京二期会オペラ劇場公演

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「オテロ」(Otello)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:アリゴ・ボーイト


会場:東京文化会館大ホール

スタッフ
指 揮  : 
ロベルト・リッツィ=ブリニョーリ
 
オーケストラ  :  東京都交響楽団 
合 唱  :  二期会合唱団 
合唱指揮  :  佐藤 宏 
演 出  :  白井 晃 
装 置  :  松井 るみ 
照 明  :  齋藤 茂男 
衣 裳  :  前田 文子 
舞台監督  :  八木 清市 

出演

オテロ  :  福井 敬 
デズデモーナ  大山 亜紀子 
イアーゴ  :  大島 幾雄 
ロドヴィーコ  :  小鉄 和広 
カッシオ  :  小原 啓楼 
エミーリア :  金子 美香 
ロデリーコ  :  松村 英行 
モンターノ  :  村林 徹也 
伝令  須山 智文 

感 想 福井オテロは侮れない-東京二期会オペラ劇場「オテロ」を聴く

 福井敬が最近重めの役を歌っていることは承知しておりましたが、本質がリリコの人。そういう方が、イタリアオペラの代表的なドラマティック・テノール役である「オテロ」を歌う。確かにかつてはテノール歌手に細かい区別はなくて、例えば藤原義江は、アルマヴィーヴァ伯爵やマントヴァ公からタンホイザー、ローエングリーンまで歌っていたわけですから、福井がオテロを歌って悪い理由はありません。しかし、福井の本来の声からすれば、オテロというよりはカッシオでしょう。そういう福井がどういうオテロの表現をするのか、興味を持って伺いました。

 聴いて思うのは、確かに福井敬のオテロでした、ということです。福井の表現は、テノーレ・ロブストの歌手が歌う時に聴こえる圧倒的な迫力はないのですが、一つ一つが繊細で丁寧な歌唱でした。本来の福井の声の範囲で、重厚性を出そうと試み、オテロの英雄性と破滅を歌ったわけですが、結局のところ、英雄的なところよりもオテロの嫉妬にかられてからのメランコリックな表情に福井の良さが出ていたと思います。それにしてもオテロとしては軽量級で、その中で重厚感を作り出そうとしていましたが、完全にそのトーンを維持することはできず、何でもないレシタティーヴォのところで緊張が抜けてしまって、抑えが利かなくなるところがありました。それでも、高音はきっちり決めてきますし、抒情的な表現のうまさは流石に福井敬と言うべきで、楽しんで聴くことができました。

 また福井オテロと同じように役柄と声が似合っているとは思えないのですが、良かったのが大島幾雄のイヤーゴです。大島の歌唱は比較的頻繁に聴いていますが、今回のイヤーゴは出色の出来だったと思います。大島の声は、バリトン・ブリランテと言いますか、高音が響くバリトンで、イヤーゴとしては軽い声のように思いました。イヤーゴの一番の聴かせどころである「クレド」は整然と歌われて、そこに込められなければならないイヤーゴの恨みの量が今一つ不足しているようにも思いましたし、それ以外でもオテロに対する恨みの深さがしっかりと伺えるような歌唱ではなかったと思います。どちらかと言えば軽薄なイヤーゴ。

 しかし、軽量級のオテロと組み合わされると、この軽薄なイヤーゴが絶妙のバランスで、音楽的魅力を作り出していきます。声もいいし、聴き応えがありました。今回のオテロとイヤーゴは確かに本流ではありませんが、こういう行き方のオテロがあって良いと思います。

 更に、ロベルト・リッツィ=ブリニョーリの指揮は、重厚さよりも切れのよさを追求した音楽作りであって、その切れ味からオペラの劇性を示そうとしたと思います。今回オケ・ピットに入ったのは東京都交響楽団でしたが、実力のあるオーケストラだけあって、指揮者の意図を切れ味鋭く表現したと思います。弦楽器の音色が良かったこと、またメリハリの利いた表現、例えば、ティンパニの爆発的な表現は素晴らしいものがあったと思います。

 こういう音楽的な切れのよさを重視した音楽づくりには、福井、大島の比較的軽い表現が良く似合います。そういう点を含めて、重厚ではないけれども魅力的な「オテロ」でした。

 演出は白井晃。松井るみの舞台装置は、上手奥から舞台前に向かっての山の裾野のようなもの。舞台の切り替えは、吊り下げられた大きなパネルやブロックです。舞台の下手奥にはスクリーンが張られているようで、時々舞台の影が映ります。抽象的でシンプルな舞台です。そこで、歌手たちが歌い演じるのですが、舞台がシンプルであるがゆえに、声と言葉の魅力が浮かび上がったようです。白井は、抽象的な舞台に嫉妬の愛憎劇を置くことによって、シェイクスピア劇の本質が人類の普遍の真理を突いている、ということを言いたかったのかもしれません。

 デズデモーナの大山亜紀子。上手です。今回の主要な出演者の中で、役と声とが一番一致していたのがこの方でしょう。柳の歌からアヴェ・マリアに至るデズデモナの一番の聴かせどころは情感のあふれる表現で結構でした。声の制御も素晴らしいと思いました。しかし、今回のキャストの中では、声が重く感じられました。相対的なものなのですが、福井敬オテロ、大島幾雄イヤーゴでしたら、もう少し高音の華やかなソプラノを選んだ方が、バランス的には良かったような気がいたします。

 そのほか、カッシオを歌った小原啓楼やロドヴィーコを歌った小鉄和広がなかなか良く、いつものことながら二期会合唱団もよかったと思います。

 演出、音楽づくり、そして歌唱とバランスのとれた名舞台だと思いました。二期会の意欲あふれる舞台作りに拍手を送りたいと思います。
    
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観劇日:20102月18   
入場料:B席 5000円 2FBR136番 

平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
2010都民芸術フェスティバル参加公演
主催:東京室内歌劇場/社団法人日本演奏連盟

東京室内歌劇場41期第126回定期公演
古典名作シリーズ

オペラ3幕 字幕付き歌唱原語(イタリア語)台詞日本語上演
モーツァルト作曲「偽りの女庭師」K.196(La finta giardiniera)
台本:ジュゼッペ・ペトロセッリーニ(?)

会場:紀尾井ホール

スタッフ
指 揮  : 
ヴィート・クレメンテ
 
オーケストラ  :  東京室内歌劇場管弦楽団 
監 修  :  海老澤 敏 
公演アドヴァイザー  :  嶺 貞子 
演 出  :  飯塚 励生 
美 術  :  大沢 佐智子 
照 明  :  八木 麻紀 
衣 裳  :  小栗 菜代子 
振 付  大畑 浩恵 
舞台監督  :  深町 達 


出演

ドン・アンキーゼ  :  行天 祥晃 
女庭師サンドリーナ(侯爵令嬢ヴィオランテ)  小林 菜美 
ベルフィオーレ伯爵  :  青地 英幸 
アルミンダ  :  小笠 朝美 
騎士ラミーロ  :  高橋 節子 
セルベッタ :  末吉 朋子 
ナルド(ロベルト)  :  和田 ひでき 
ダンサー  :  水那 れお 
ダンサー  たまえ 

感 想 モーツァルトの若書き-東京室内歌劇場「偽りの女庭師」を聴く

 「モーツァルトには駄作がない」というのは、クラシック音楽ファンにとって疑ってはいけないテーゼですが、「駄作」があるかどうかは別として、傑作が晩年に多いことは紛れもない事実です。三大交響曲が、39番、40番、41番ですし、ピアノ協奏曲だって20番以降とそれ以前では音楽の深みが違います。オペラでも「ファガロ」、「ジョヴァンニ」、「コジ」のダ・ポンテ三部作や、「魔笛」は成人してからの作品です。ケッヘル番号が100番台の作品で傑作と呼んで差し支えないのは、交響曲25番の小ト短調と、ディヴェルティメントK.136-138だけでしょう。

 モーツァルト18歳のときに作曲されたドランマ・ジョコーゾ「偽りの女庭師」も、まあそこそこのドタバタ喜劇であって、その音楽は駄作と申し上げるべき水準ではないにせよ、ダ・ポンテ三部作を知っている身からすれば、やっぱり若書きだな、というのが正直なところです。今回の上演で、東京室内歌劇場は、レシタティーヴォ・セッコの部分をすべて日本語の台詞で上演しましたが、あえてそのようにしたのは、チェンバロ奏者が見つからなかったためではなく、レシタティーヴォをそのまま上演すると、冗長になってしまい、喜劇の味わいがなくなってしまうという危惧があったからではないでしょうか。

 しかし、台詞を入れて喜劇の味わいを増やすやり方が結構か?と申し上げれば、これはなかなか難しいところがあります。青地英幸にしろ、末吉朋子にせよそれなりに面白いのですが、本質的に素人芸です。台詞部分ははっきり申し上げれば学芸会であって、ごちゃごちゃやっているうちにせっかくの音楽の持つ味わいが切れてしまう。前日に聞いたのが二期会の「オテロ」だったわけですが、「オテロ」が緊張の途切れない名舞台だっただけあって、「偽りの女庭師」の弛緩ぶりというか発散が、実に中途半端に感じました。

 ヴィート・クレメンテの指揮、東京室内歌劇場管弦楽団の演奏は悪いものではないと思うのですが、台詞でぶつぶつと音楽の流れが切れてしまうことと、モーツァルトの音楽自体も後期の傑作群と比較すればどうしても印象の薄い音楽で、取り立てて申し述べるほどのインパクトは感じられませんでした。

 「偽りの女庭師」は、要するに古典的なオペラ・ブッファで、バッソ・ブッフォとスーヴレットが重要ですが、ブッフォ役が、テノール役のドン・アンキーゼとバリトン役のナルドに分けられているのが特徴だと思います。行天祥晃のドン・アルキーゼはドタバタのなかを翻弄されるところが良く、歌も軽妙で楽しめました。和田ひできのナルドは、行天のドン・アルキーゼと比較すると一寸抑えた表現だったと思いますが、唯一の低音歌手として重唱の下をきっちりと支えていたと思います。またアリアもなかなか軽妙でした。

 スーヴレットはセルベッタで、末吉朋子が歌いました。末吉の歌はなかなか素敵なもので、声的に華やかなセルベッタを十分表現していたと申し上げましょう。ところで、このセルベッタという役は、「フィガロの結婚」におけるスザンナや、「コジ・ファン・トゥッテ」におけるデスピーナのように物語の流れに本質的に入り込んでくる役ではなく、どちらかと言えば付け足しの役で、いうなれば、ロッシーニの「セビリアの理髪師」におけるベルタのような感じです。ところが、そういう役がオペラの最高音を担うわけですから、なんともバランスが良くない。そういうところが上記の中途半端感につながったのかもしれません。

 主役の青地英幸と小林菜美のコンビは、青地がまあまあで小林が今一つと言うところでしょう。青地はなかなか声の綺麗なリリックテノールで、モーツァルトの軽妙な表現を上手に歌ったと思います。一方外題役の小林菜美は、あまりぱっとしませんでした。一番の聴かせどころである第二幕のアリア「残酷な男たちよ」はきっちりとまとめ上げましたが、声に今一つ力が足りず、タイトル・ロールとしてのオーラが感じられませんでした。

 小笠朝美のアルミンダはサンドリーナの敵役として存在感十分、また高橋節子の騎士も無難にまとめていたと思います。

 以上、個別に見ていけばそんなに悪い感じはしないのですが、作品自体の弱さと、組み合わされた時のベクトルの微妙なずれが、全体としては音楽的な発散につながり、中途半端な上演で終わったような気がします。なかなか上演されない作品は、それだけの理由があるように思いました。 
    
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観劇日:20102月23
入場料:C席 7560円、4F 2列39番

主催:新国立劇場

オペラ3幕 字幕付き原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲ニーベルングの指環第2日「ジークフリート(Siegfried)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場・オペラ劇場

スタッフ
指 揮  : 
ダン・エッティンガー
 
オーケストラ  :  東京フィルハーモニー交響楽団 
演 出  :  キース・ウォーナー
装置・衣裳  :  デヴィッド・フィールディング
照 明  :  ヴォルフガング・ゲッペル
振 付 :  クレア・グラスキン 
音楽ヘッドコーチ  石坂 宏 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 


出演

ジークフリート クリスチャン・フランツ
ミーメ ヴォルフガング・シュミット
さすらい人 ユッカ・ラジライネン
アリベルヒ ユルゲン・リン
ファフナー 妻屋 秀和
エルダ シモーネ・シュレーダー
ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン
森の小鳥 安井 陽子

感 想 肉食人種のオペラ-新国立劇場「ジークフリート」を聴く

 ダン・エッティンガー、上手になったな。掛け値なしにそう思います。昔からそんなに下手な指揮者と言う印象はなかったのですが、昨年の「ワルキューレ」から更に進歩した印象です。プレミエ公演時の準・メルクル/NHK交響楽団のコンビと比較すると、音楽の構図も精妙さもまだ一歩譲らざるを得ないものがありますが、エッティンガーの指揮の切れ味は、相当レベルが高いと申し上げてよいと思いました。東京フィルをあれだけ思いっきり鳴らさせているのですから、「指環」の音楽に対する意識がかなり明確になっているのだろうと思います。

 東京フィルも全体的にはデュナーミクを大きくとったスケールの大きい演奏で良かったと思います。ただ、流石に後半はミスが目立っておりました。ホルンとかですね。あれだけの長時間演奏するのですから、後半疲れてくるのはやむを得ないのですが、第三幕は結構厳しかった印象です。それでもトータルで見れば、かなり優秀な演奏だったと思います。新国立劇場のオケピットに入った時の東フィルは、結構批判されることが多いのですが、今回ぐらいいつも一所懸命に演奏していただければ、そういう批判は随分減るだろうな、と思いました。

 「ジークフリト」それにしても大変なオペラです。上演時間が正味4時間半。にもかかわらず、出演者が少ない。わずか8人。そのうち森の小鳥やファーフナー、アリベルヒなどはそんなに長時間出るわけではありませんから、逆に言えば、ジークフリート、ミーネ、さすらい人などの負担は非常に大きいです。そして、ワーグナーの楽劇は大編成のオーケストラに負けない強い声を要求されるわけですから、長時間強い声で歌い続ける体力の持ち主でなければ、到底歌いこなせません。久し振りで聴いて、『肉食人種のオペラ』だな、と思いました。草食男子が流行中の日本人では歌いこなせないのは仕方がないのかな、と思ってしまいます。

 それだけで、主要役を歌った歌手の力が光ります。

 ジークフリートを歌ったクリスチャン・フランツ、良かったです。彼は、この舞台プレミエの時も来日してジークフリートを歌い、大変感心した方なのですが、その時の印象をまた思い出す歌唱でした。私は、当時彼を『高音に透明感があって美しく、それでいて全体としては深みと力強さを兼ね備えており、ヘルデンテノールとしての美点を持った名手と思います』と評したのですが、その印象は今回も変わりませんでした。力強いヘルデン・テノールでありながら、柔らかく美しい高音も出せるというのは大きな魅力だと思います。第二幕の「森のささやき」の部分の繊細な表現は、そういうフランツの一番魅力的な部分を示したように思いました。そして、第三幕のブリュンヒルデとの愛の二重唱。良かったです。外題役にフランツを持ってきたこと、大変結構な人選でした。

 ミーメのウォルフガング・シュミットも良かったです。ミーメと言う力強さも出しながら卑屈さも表現しなければいけない役柄を、なんともコミカルに歌ったと思います。というより歌自体は別にコミカルではなかったのですが、ミーメがニーベルング族の小人であることを踏まえた動きはコミカルで、キャラクター・テノールの味わいをしっかり出していたと思います。シュミットはジークフリートも持ち役なのだそうですが、このニーメの動きと歌唱を見ていると、ジークフリートが想像できず、一度彼のジークフリートも聴いてみたいものだと思いました。 

 さすらい人を歌ったラジライネンはテノール二人に劣らず立派な歌唱だったと思います。ラジライネンもプレミエ時のさすらい人で、この舞台の印象がまだ残っているのでしょうね。存在感の強いさすらい人だったように思います。1幕のミーメとの確執の部分での力強さとおどろおどろしさ、ニ幕のアリベルヒとの対決、三幕のエルダとの噛み合わない対話、どの部分も、プレミエ時よりも落ち着いた伸びやかな歌唱になっていたと思います。ラジライネンの歌唱は、プレミエ時よりも良くなっているように思いました。

 リンのアリベルヒ。結構存在感がありました。第二幕におけるさすらい人やミーメとの二重唱は、アリベルヒの込められた恨みを感じさせるもので良かったと思いました。ファフナーの妻屋秀和。重量級の歌手の間で健闘していたと思います。

 
女声陣は男声に伍して頑張っていました。特にイレーネ・テオリンのブリュンヒルデ。声の立ち上がりがもっと艶やかだと尚よいと思いました。ドラマティック・ソプラノだけあって、力強い歌唱は流石なのですが、表現がやや重く、すきっと立ちあがっれないようなところがあると思いました。声そのものの魅力は、フランツのジークフリートと比べると一寸落ちる感じがいたしましたそんなに悪くないと思いました。

 エルダのシモーネ・シュレーダー。この方も重要な役割なのですが、今一つ目立たなかったように思いました。また安井陽子の森の小鳥。安井の若さと美しい高音とで頑張っていたと思います。声も結構だと思いました。

 以上
このように休憩も入れて6時間、じっくりと楽しんでまいりました。ワーグナー畢生の名作を楽しんで聴けたこと。よかったと思います。

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鑑賞日:201035
入場料:
1500円 あ列28番

国立音楽大学×サントリーホール オペラ・アカデミー特別公演

主催:国立音楽大学
協力:サントリーホール

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂

スタッフ

指揮/チェンバロ ジュゼッペ・フィンチ

管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
フォルテピアノ ニコラ・ルイゾッティ
バロック・チェロ  :  懸田 貴嗣
ティオルバ  :  佐藤 亜紀子 
演 出 ガブリエーレ・ラヴィア/田口 道子
照 明 喜多村 貴
舞台監督 深町 達

出 演

フィオルティリージ 文屋 小百合
ドラベッラ 小野 和歌子
フェランド 櫻田 亮
グリエルモ 折河 宏治
デスピーナ 鷲尾 麻衣
ドン・アルフォンソ 増原 英也

ナビゲーター:礒山 雅

感想 一列目2メートル-
国立音楽大学×サントリーホール オペラ・アカデミー特別公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く。

 本年3月14日よりサントリーホールでホール・オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」が演奏されるのですが、その練習場所を提供した縁で、国立音楽大学講堂でプレ公演が行われました。ただし、本公演では外国人歌手が歌うのですが、今回はオペラ・アカデミーで勉強中の、本公演ではカヴァーに回る若手日本人歌手が出演し、オーケストラも東京交響楽団ではなく国立音大のオーケストラ。合唱は本公演でも歌う国立音大の合唱団(尚、本公演では「サントリーホール オペラ・アカデミー」という名称になります)。また本公演で指揮をしながらフォルテピアノでレシタティーヴォの伴奏をするルイゾッティはフォルテピアノの演奏のみにまわり、指揮は副指揮のフィンチが受け持ちました。

 国立音大講堂の舞台を使っての上演ですが、ホール・オペラ形式ということで、幕は下りることがありませんし、オーケストラもピットに入るのではなくて舞台の上にいます。ただし、通常のオーケストラ公演とは違うのは、オーケストラは舞台奥に位置し、舞台の壁に向かって演奏することです。指揮者は逆に客席側を向いていることです。ちなみに、歌手は指揮者を見られないので、舞台袖や客席に何台ものモニターが置いてあって、そのモニターに映っている指揮者の指示を見ながら歌うそうです。

 こういう手法をとったのは、オーケストラがピットをでた演奏会形式のオペラ上演だと、どうしてもオーケストラの音が強くなりすぎて、歌手の声のニュアンスがはっきりしなくなることからとられたアイディアだそうですが、これは、半分成功というところでしょう。確かに、音は一度壁にぶつかって響くので、全体にオーケストラの音響が柔らかくなる効果はあります。しかし、もともとのオーケストラの技量があまり高くないので、一つ一つの音の透明度が低く、反響した音が混じり合うことによって音の輪郭が消えてしまいぼんやりする。ぼんやりするだけなら未だいいのですが、場合によっては濁ってしまうというところがありました。プロのオーケストラであればもっと良い効果が出るのでしょうが、学生オーケストラの技量では、必ずしもその効果を引き出せなかったように思いました。

 演出は、本公演の演出家であるラヴィアのアイディアを田口道子が具体化したものだそうです。舞台転換時の音楽の途切れをなくすために、黒子が音楽のなっている間に舞台をどんどん変えています。基本的に大道具はなく、椅子やベッド、テーブルなどを持ち込んで、舞台を作り込んでいきます。使用される家具類は、アレッサンドロ・カメラのもので、全て籐でできたものです。黒子は、イタリアの伝統劇『コメディア・デラルテ』に登場する「プルチネッラ」をイメージした衣装をつけています。高い鷲鼻を特徴とする黒いマスクをつけ、黒い衣裳で登場します。
ちなみに合唱団も黒い衣裳。黒子と合唱団を区別するのはマスクのあるなしでした。

 ところで、普段私はオペラを天井桟敷で聴くことが多いのですが、これはもちろんチケットが安い、ということがあるのですが、それ以上に全体を見渡せるところが気に入っています。また舞台から遠いので、歌手の力量が見分けやすいというところもあります。しかし、舞台から遠いとどうしても細かいところはあいまいになりますし(音楽的にはその方が良いことも多いのですが)、細かな技術的な部分はよく聴き取れないことが多いのです。

 ところが、今回は偶然1列目に座ることになり、また今回はオーケストラ・ピットが設けられていないので、一番近いと私とほぼ2メートルしか離れていないところで、歌手たちが歌うのです。そうなると、普段見えないところが見えてきます。例えば、重唱において誰がどんな音程で何を歌っているかが完全に分かります。例えば普通男声三重唱で同じ歌詞を歌う時、バスやバリトンのメロディーをどちらの歌手が歌っているかなどということは、後ろの席では全く分からないのですが、一列目だとそこが分かってしまうのです。そういう部分を聞いていると見えてくるものがありました。演技も同様です。細かい手の使い方や表情など完璧に見えてしまいます。細かい演出は「コジ・ファン・トゥッテ」らしく、左右対称性を重視したものだったのですが、歌手たちの演技を見ていると、相当細かなところまで指導が入っているように思いました。

 それでも一列目はあまり良くないですね。どうしても音が頭の上を飛んでいきます。ルイゾッティがフォルテピアノでレシタティーヴォ・セッコの伴奏をしたり、佐藤亜希子がリュートの親分のようなティオルバを演奏したり、バロックチェロによる通奏低音的演奏も入っているのですが、その結果の音の膨らみはこの位置でははっきり感じることはできませんでした。また、音は分離して聞えるよりもミックスして聴こえる方が良いことも多いのです。全体的にピシッとした印象にならなかったのは、席の関係が大きいようにも思いました。

 さて演奏全体の印象ですが、基本的な歌唱技術は高く、よくまとまっており悪いものではありませんでしたが、全体的に生真面目な印象が強く、「コジ」という作品が持っている本質的なおかしみを出せた演奏ではなかったと思います。

 まず一番気になるのが、ドン・アルフォンゾとグリエルモです。今回、ドン・アルフォンソを増原英也が、グリエルモを折河宏治が演じましたが、これは逆にすべきだったと思います。増田は声の響きが軽く、高音に魅力があります。一方、折河は低音部が良く響き声に深みがあります。声の特徴から言えば、増田がグリエルモに向いていますし、折河がアルフォンソに向いている。実際の歌唱を聴いていても、折河は響きが低くなりがちで、グリエルモの若々しさが必要な部分でどっしりとした落ち着きのようなものが感じられて軽快さが不足していましたし、増田は逆に歌唱が軽薄な感じになって、哲学者的雰囲気が希薄でした。更に申し上げれば、同じ歌詞を歌う重唱部分では、折河が低音部を増田が高音部を歌っていることもあり、ご本人たちもその辺のギャップは気付いていたようです。どういういきさつでこのようなキャスティングになったのか分かりませんが、かつて折河のなかなか鋭いアルフォンソに感心したことのある私としては、残念でなりません。

 テノールの櫻田亮のフェランドはこの役によく合っています。櫻田のようなレジェーロ系の声こそフェランドにぴったりです。しかし、かつて聴いて感心した時ほど声の透明感がないように思いました。今回やや不調だったのか、それとも年齢的な問題なのか分かりません。歌の様式感のようなものはしっかりしている方なので、声の透明度不足が画竜点睛を欠いているように思えてなりませんでした。

 文屋小百合のフィオルディリージは伸びやかさが足りないように思いました。ほぼきっちりと歌って手堅くまとめてはいるのですが、それ以上にはならないのです。又全体に表情が硬く、感情が歌に乗ってこないきらいがあります。ドラベッラ役の小野和歌子が非常に表情豊かで、恋人と一緒にいるときの楽しい感じや、悲しさ、驚きなどを顔いっぱいに体現しているのに、文屋はぎこちなくて、余裕がなかったようです。もちろん技術的にも「岩のように動かず」における下降跳躍のようにきっちりと決まらないところはあったのですが、プリマ・ドンナのオーラが見えないところがそれ以上に残念でした。

 小野和歌子のドラベッラはよかったと思います。丁寧な役作りでしたし、歌唱も丁寧できっちりと決めてきました。ドラベッラは特に第二幕は喜劇的な表現が多くなるわけですが、その時のコミカルな動きや表情が豊かで感情が良く見えるところもよいと思いました。

 鷲尾麻衣のデスピーナも良好です。女中としての演技も面白く、また軽快な歌唱も結構。「男や軍人に貞節さをお望みですか?」も「女も15になれば」共に軽快に歌いましたし、例の医者や公証人に化けたときの歌唱も悪くない。鷲尾の問題も割と表情に遊びがないことで、デスピーナがいたずらをするのだという表情を出せば更に面白いと思いました。

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鑑賞日:2010311
入場料:
2700円 2F3列38番

新国立劇場オペラ研修所公演

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演

ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト

会場:新国立劇場中劇場

スタッフ

指揮/音楽指導 アリ・ベルト

管弦楽 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
演出/演技指導 ディヴィッド・エドワーズ
美術・衣装  :  コリン・メイズ
照 明  :  川口 雅弘 
舞台監督 金坂 淳台
ヘッド・コーチ ブライアン・マスダ
合唱指揮 松下 京介

出 演

ファルスタッフ 町 英和
フォード 駒田 敏章
フェントン 糸賀 修平
医師カイウス セルジョ・ベルトッキ
バルドルフォ 村上 公太
ピストーラ 後藤 春馬
アリーチェ  :  中村 真紀 
ナンネッタ       :  木村 眞理子 
クイックリー夫人  :  塩崎 めぐみ
ページ夫人・メグ  :  増田 弥生 
ガーター亭の主人  西村 圭市 
     

感想 老人が見た老人-新国立劇場オペラ研修所公演「ファルスタッフ」を聴く。

 ファルスタッフの実演を聴くのは多分8度目だと思いますが、聴くたびに傑作だな、との思いを新たにします。ストーリーは面白いし、音楽的な無駄はない。冒頭の「Falstaff, Sir John Falstaff」と医師カイウスによって歌い始められる部分から、最後の「世の中皆冗談」と歌われる重唱部分まで聴いていてすこぶる楽しい作品です。しかし、そこは老練なヴェルディの作品、そう簡単に一筋縄でいく作品ではありません。その意味でオペラ研修所が取り上げるにはちと荷が重いのではないか、と思いました。

 確かにアンサンブル・オペラの側面で見ても傑作ですし、新国立劇場オペラ研修所としては取り上げてみたい作品だろうということはわかるのですが、若い人たちが歌ってどうにもならない部分が確実にあるのです。それを一番思ったのは、タイトル役の歌唱です。

 町英和は、ブルゾン張りの美声ですし、要所要所の壺を押さえたきっちりした歌唱でした。アンサンブルのリード役も無難にこなしていました。第3幕冒頭の「世界中泥棒だ」などを聴くと、立派だな、と思いました。でもあの歌唱・演技ではファルスタッフの魅力を伝えきれていない。一言でいえば、町の所作は颯爽とし過ぎているのです。本来、ファルスタッフは自信過剰のふりをした小悪党です。実際は自分の老いも気が付いていますし、女にもてるかどうかだって、一抹の不安があるのではないか。この作品が初演された時、ヴェルディは80才です。ヴェルディは、長老の眼から見た老人の悲しみ、こっけいさを音楽にしています。ファルスタッフは笑い飛ばされる役柄だけれども、同じ題材を取り上げたニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」と比較して、ファルスタッフに対する音楽的扱いが優しく感じるのは、老人の眼でファルスタッフと言うキャラクターを見ているせいではないでしょうか。

 そういうことを歌や演技で表現するためには、どうしてもある程度のキャリアや経験が必要になり、若い歌手が知識として知っていて、それなりに似せた格好で歌ったところで、身に着かないところがあり、違和感を感じてしまうのです。町の歌唱は相当立派なものでしたので、その違和感が逆にクローズアップされてしまった感じがいたしました。

 駒田敏章のフォードも造形も今一つはっきりしないものでした。フォードはファルスタッフと同じバリトンながら、歌唱でその対立軸をしっかり見せなければいけない難しい役です。いうなればレポレッロに対するドン・ジョヴァンニです。ただファルスタッフとフォードは、ドン・ジョヴァンニとレポレッロとの関係と主役脇役が逆転しているので、より立ち位置が難しいのです。駒田の歌唱は、ファルスタッフとの対立軸を示すという観点では、ほとんど何の考えもなかったのではないでしょうか。フォードの一番の聴かせどころである「夢か現か」は結構あっさりと流してしまったように思いました。

 中村真紀のアリーチェも今一つ。彼女は、昨年の「カルメル会修道女の対話」でのリドワーヌ修道院長の歌唱がとてもよかったので期待していたのですが、期待はずれだったと申し上げざるを得ない。高音の伸びが今一つで、さらに歌い回しに変な癖があって、すっきりと纏まらない印象でした。クイックリー夫人の塩崎めぐみは、もっとケレン味を表に出した歌い方でいったほうが、クイックリーの存在感が出たのではないかと思います。

 よかったのは糸賀修平フェントンと木村眞理子。自分たちの年代と一番近い恋人たちの歌唱ですから、これぐらい歌ってもらわないと困るのですが、それにしても声は伸びていたし、安心して聴けました。

 それ以外の脇役陣はおおむね良好。新国立劇場の本公演でもこの役を歌っている増田弥生のメグは流石の力量。本公演では増田はあまり目立っていなかったと思うのですが、研修所公演ともなると、先輩として女声アンサンブルを引っ張っていました。村上公太のバルドルフォもしっかり存在感を出していました。後藤春馬のピストーラが今一つ存在がはっきりしていなかったのと比較すると、経験の差は大きいのでしょう。

 ディヴィッド・エドワーズの演出は、舞台を1960年代のウィンザーに移したという読み替えで、舞台美術は当時を意識したサイケデリック調でした。そして、ウィンザーの市民ということで、新国立劇場演劇研修所のメンバーが賛助出演していました。しかし、彼らは不要な存在でした。もっと申し上げれば、ほとんど邪魔と申し上げてよい。美術的にも落ち着きがなく、更に意味のはっきりしない人たちが沢山いるのは、せっかくヴェルディの素晴らしい音楽に浸りたい私にとっては、ちらちらと目障りでした。

 アリ・ベルトの音楽づくりも演出美術と呼応したのか、割と鋭角的な演奏で、オーケストラをよくならします。「ファルスタッフ」はシンフォニックな表現も可能なオペラ作品として有名で、私もそういう解釈が基本的には好きなのですが、一寸オーケストラが前に出過ぎた印象です。オーケストラの音のカーテンに歌手たちの声が見え隠れしているところがあり、そこをもう少し見せるようにしていただければ、反対に言えば、歌手たちはオーケストラに負けないように声を飛ばしていただければよいのになあ、と思いました。

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