オペラに行って参りました-2006年(その2)

目次

ここまでやられれば納得   2006年04月20日   東京二期会オペラ劇場「皇帝ティトの慈悲」を聴く
全てが中途半端   2006年05月02日   武蔵野音楽大学オペラ「フィガロの結婚」を聴く
オーソドックスの美   2006年05月07日   藤原歌劇団「トスカ」を聴く
当代最高のファルスタッフ   2006年05月10日   国立音楽大学/サントリーホール「ファルスタッフ」を聴く
なんたってオペラは喜劇だ   2006年05月18日   浜離宮オペラ・サロンコンサート[「オペラに恋して」−オペラ座の愉快人?!-を聴く
新作オペラの再演に思う   2006年05月27日   国立オペラカンパニー青いサカナ団「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」を聴く
本気で馬鹿をやる   2006年06月20日   新国立劇場「こうもり」を聴く
仕切れば良いというものじゃない   2006年07月09日   東京室内歌劇場「フィガロの結婚」(ブルーアイランド版)を聴く
日本人ならではの   2006年07月17日   東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」を聴く
地元ならでは   2006年07月29日   「村上敏明・吉川健一ジョイントリサイタル」を聴く
二度聴いて分かること   2006年08月23日   東京室内歌劇場「欲望という名の電車」を聴く
イタリアはどこに行った   2006年09月13日   新国立劇場「ドン・カルロ」を聴く

オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
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オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
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オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2006年4月20日

入場料:D席 5000円 4F R19

平成18年度文化庁国際交流支援事業

東京二期会オペラ劇場(ハンブルグ州立歌劇場との共同制作)

主催:(財)東京二期会

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「皇帝ティトの慈悲」(La Clemenza di Tito)
台本:ピエトロ・メタスタージオ/台本改訂:カテリーノ・マッツオーラ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ユベール・スダーン
管弦楽 東京交響楽団
フォルテピアノ 山口 佳代
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 森口 真司
演 出 ペーター・コンヴィチュニー
美 術 ヘルムート・ブラーデ
照 明 マンフレート・フォス
ドラマトゥルク ベッティーナ・バルツ
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

ティト 望月 哲也
ヴィッテリア 林  正子
セルヴィーリア 幸田 浩子
セスト 林 美智子
アンニオ 長谷川 忍
フブリオ 谷  茂樹
死(クラリネット) 山根 孝司
医師 中吉 卓郎
看護婦 安藤みどり

感想

ここまでやられれば納得-東京二期会オペラ劇場公演「皇帝ティトの慈悲」を聴く

 「皇帝ティトの慈悲」は、モーツァルト最後のオペラセリアとして有名ですが、東京では東京藝術大学の大学院オペラが定期的に取り上げる以外は滅多に上演されず、今回が二期会初演です。私も録音で聴いたことはありますが、舞台を見るのは初めてでした。でも仕方がない。オペラとしての魅力が乏しい作品だからです。モーツァルトが作曲した時代オペラセリア自体がもう下火の時代でした。モーツァルトは、「皇帝ティトの慈悲」をオペラセリアとして作曲しながら、オペラセリアのルールを相当に無視して重唱を入れたり合唱を加えたりして多彩さを与える努力をしているのですが、それでも、物語の筋はレシタティーヴォで進むというオペラセリアの骨格を壊すことは出来なかった。ですから、いかにも中途半端な作品で終わっているのです。その中途半端なところを聴き手にいかに気づかせないような演出・演奏が出来るかが上演の成否を決めるような気がします。

 今回のコンヴィチュニーの演出は、そのあたりを上手く処理して、魅力的な公演に仕上げて見せました。勿論「あざとい」ところもたくさんあります。指揮者もオーケストラのメンバーもこの演出の協力者として働くことを求められます。本来の物語では登場しないはずの、医師と看護婦という台詞役まで登場するわけですから。ハンブルグでは、レシタティーヴォをドイツ語で、アリアをイタリア語で歌う上演だったそうですが、今回の上演では、そうせざるを得ない訳も納得です(東京公演では、全てがイタリア語で上演されましたが、コンヴィチュニーの意向で字幕は、ハンブルグでのドイツ語台本から翻訳されているそうです)。やりすぎの演出なのですが、ここまでやられれば納得です。私は演出過剰の上演はあまり好まないのですが、今回は一抹の疑問を感じながらも支持します。

 劇場に入ると、幕には「この有様では、古代ローマと変わらない」という意味のドイツ語が書かれています。序曲が始まると、フレーズごとに会場の明かりが消え、照明係と思しきスタッフが「今日は照明の調子が変だ」という趣旨のことを「日本語で」叫びます。そして、指揮者に、「マエストロ、また最初からお願いします」と言って、序曲をはじめから演奏するのです。このサプライズで、観客の心を舞台にひきつけます。幕が上がると舞台の上は、奥から左右に円形の壁があり、中央の回り舞台の上にローマの王権を象徴するような白い階段があり、階段の下には、いくつかのミニチュアのような小物と、「殿方用」と日本語で書かれたトイレのような箱が置かれています。これらは全てが白です。登場人物の衣装も白が基調で、ティトだけが、金色の甲冑のような胸当てをつけて、赤いガウンを羽織ります。ヴィッテリアは白いロングドレス、セストは白のカーゴ・パンツにジャンパー、ブブリオは、インドのサリーのようですし、セルヴィーアは浴衣をイメージしたエプロンつきのワンピースで登場します。要するに色では統一されていますが、様式的には分裂しています。

 一幕は、細かないたずらは各所にあるのですが、それでも淡々と進んでいると申し上げてよいと思います。唯一特記すべきは、「死」という役柄でバンダ・クラリネット奏者が、黒装束で登場し、セストのアリアにおいてクラリネットを演奏するところでしょう。この「死」役は、二幕にも登場するのですが、クラリネットの演奏以外にも細かい演技が要求されます。本日はNHK交響楽団の山根孝司さんがこの「死」役を演じたのですが、普段舞台で演技する機会があるとは思えない方にもかかわらず、存在感が強く認められました。クラリネットの演奏は完璧ではなかったのですが、非常に聴き応えのあるものでした。

 二幕はもっと凄い。幕が上がる直前に、ティトは劇場の後方のドアから登場します。そして、第1列目中央の座席のチケットを示して、そこにどっかりと腰を下ろします。指揮者は舞台の上から登場し、音楽が始まります。最初は舞台の上で演じられるところをティトが客席で観劇しているという構図。そして、オーケストラを真ん中に挟んで、舞台の上と会場の最前列で三重唱がやり取りされます。なお、舞台の構成は一幕と同じですが、一幕の終わりでセストがティトを殺すために宮殿に火を放っているので、舞台は全体にすすけて、登場人物の衣装も黒く焦げています。ティトは途中で、オケピットを通り抜けて舞台の上に戻りますが、このけれんの強さ、あざとさは凄いと申し上げてよいでしょう。

 この演出の一貫性はカーテンコールまで続きます。拍手の鳴り止まない中、指揮者は序曲を演奏し始めます。そこに出演者たちが登場し、舞台に上げられた指揮者は、舞台の上から指揮を続けるのです。とにかく徹底していました。この徹底ぶりのメッセージがどこにあったのか、「この有様では、古代ローマと変わらない」ということなのでしょうか。私にはよく分かりませんでしたが、この徹底ぶりに脱帽いたします。

 このようなハチャメチャの演出にもかかわらず(指揮者にたいする演出側の要求も多かった)、あるいはそうだからこそなのかもしれませんが、スダーンの演奏は推進力に満ちた結構なものでした。演出がけれんみの強いものに対して、音楽はあざとさの見せない適当なものでした。演出と音楽とがお互いを補い合っていたと申し上げてよいと思います。東京交響楽団も時々ミスを見せながらも、大変結構な演奏をされて、よろしかったと思います。

 歌手陣も総じて健闘。二期会の公演を見ているといつも思うのですが、個人の力をこれ見よがしに示すことなく、チームとしてのバランスで上手くやっているなということを強く感じます。今回も例外ではありません。チームワークのよさが全体を盛り立てていたように思います。全体的にはモーツァルトの晩年の緊密な音楽をもっと精妙に示せれば尚結構だとは思うのですが、演出とのバランスを考えれば、あの程度が最適なのかも知れません。

 まず健闘していたのが、望月哲也のティト。彼は歌はそこそこだったと思うのですが、演出の要求にしっかりこたえた演技が素晴らしかったと思います。本来王様ですから、細かい演技よりも大きな存在感を示せばよいはずですが、コンヴィチュニーの演出はティトを一番動かします。その結果、ティトのもつアイロニカルな側面が浮き彫りになるのですが、望月はそのアイロニカルな部分を敢えて抑制的に示そうとしたのではないかと思いました。第二幕のアリアは、本来の音楽を解体するものだったのですが、演出の要求とモーツァルトの音楽の持つ味わいを上手くバランスさせて結構でした。

 林正子のヴィッテリアの存在感も良かったです。低音のコントロールが今ひとつで揺らぎもあったのですが、強い表現、声はしっかり出ていて、セストをひきつけるオーラを示すことに成功していました。

 音楽的に一番魅力的だったのは林美智子のセストです。林も低音のコントロールに乱れがあったのですが、そこを除けば大変結構な歌唱でした。第九番のアリア「私は行くが、君は平和に」にまず感心し、ダブル林の二重唱も結構。長谷川忍アンニオとの二重唱では、貫禄の違いを見せ付けました。第二幕では19番のロンドが素晴らしく、大いに感心しました。

 幸田浩子のセルヴィーリア、長谷川忍のアンニオもがんばっていました。峰茂樹のフブリオは、このオペラ唯一の本格的低音役ですが、彼の低音は、このオペラを下支えするのに大きく貢献していたと思います。

 とにかく、大収穫の公演でした。ああ、楽しかった。そう申しあげます。

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鑑賞日:2006年5月2日

入場料:2500円 1F V1

武蔵野音楽大学オペラ公演
モーツァルト生誕250年記念

主催:武蔵野音楽大学

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール

指 揮 北原 幸男
管弦楽 武蔵野音楽大学管弦楽団
チェンバロ 金森 敏子
合 唱 武蔵野音楽大学オペラコース合唱団
合唱指揮 松井 徹
演 出 ヨハン=ゲオルク・シャールシュミット
美 術 和田 平介
衣 装 渡辺 園子
照 明 奥畑 康夫
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 谷 友博
伯爵夫人 津山 恵
フィガロ 清水 良一
スザンナ 西本 真子
ケルビーノ 但馬 由香
マルチェリーナ 小畑 朱実
バルトロ 杉谷 直信
バジリオ 西塚 巧
ドン・クルツィオ 日野 真一郎
アントーニオ 三戸 大久
バルバリーナ 高江洲 里枝
二人の花娘 小澤可乃・吉田静

感想

全てが中途半端-武蔵野音楽大学オペラ公演「フィガロの結婚」を聴く

 市民オペラや大学院オペラで「フィガロの結婚」は「定番」と申し上げてよいほど良く演奏されますが、これはモーツァルトの音楽が素晴らしいということを別にすれば、技巧的アリアがなく演奏しやすい、とか登場人物が多くたくさんの方が舞台に上がれる、といった事情があるのだろうと推察いたします。しかし、モーツァルトの作品を(これはオペラだけに限ったことではないのですが)聴き手に満足させるように演奏することは、そう容易なことではありません。易しい作品であるからこそ良く練り上げないとつまらなく聴こえてしまうのです。今回の武蔵野音大オペラがその一例だと申し上げます。全てにおいて練り上げ方が甘い。音楽を詰め切れていない。ここでもう一歩踏み込んでくれれば、と思うところが何箇所あったことでしょう。部分部分では良いところもあったのですが、全体としては今ひとつ満足できない公演でした。

 勿論期待感はありました。近年、武蔵野音大出身の声楽家たちの充実は相当なものだからです。佐々木典子、木下美穂子、佐藤美枝子、砂川涼子、谷友博、と一寸考えただけでも、日本のオペラ界に欠かせない人材が目白押しです。そして、Aキャストは、そのような現在活躍中の歌手たちで組むのですから、期待するのは当然でしょう。しかし、その期待感ほどの充実は感じられなかったということです。

 まず、オーケストラが今ひとつです。所詮学生オーケストラですから、抜群のヴィルトゥオジティを期待するつもりはさらさらありませんが、もう少しきっちりした音を出してくれれば良いのにと思いました。弦楽器などは音のざらつきが耳に障ります。彼らの音楽を聴いていると、日本のプロオーケストラのレベルがいかに高いかがよく分かります。北原幸男の指揮も割と平凡。意識して自分の音楽を作ろうとしなかった、ということかもしれません。伴奏指揮に徹していた、とも言えるかもしれません。そういうやり方が結果としていい舞台を作るのに貢献することもあるのでしょうが、今回はもう少し、北原が自分の主張を前に出した方が良かったのではないでしょうか。

 演出も中途半端でした。オーソドックスな演出で前半は非常に分かりやすい視覚的にも悪くないものでしたが、後半がよろしくない。第3幕の結婚式の場面で、村人たちを舞台に乗せすぎでメヌエットがまともに踊れないのもどうかと思いますし、第4幕で伯爵がスザンナに変装した伯爵夫人を口説いたことが白日の下に曝されるところの人々の動かし方も整理されていないもので、伯爵夫人の登場の仕方も唐突でしたし、その結果伯爵が許しを請う部分も、何故許しを請わなければならないのか、が、なかなか見えない演出でした。

 歌手陣も問題が多数ありました。文句なしは、マルチェリーナ役の小畑朱実ぐらいのものでしょう。彼女は、第1幕のスザンナとの二重唱でも貫禄を示していましたし、演技も笑われ役としての一寸過剰なところが良かったと思います。いつもカットされるから仕方がないのですが、第4幕のアリアを歌ってほしかったと思いました。

 次に良かったのは、西本真子のスザンナ。彼女は、声質が一寸くすんでいて、スザンナの溌剌とした感じを出すのには必ずしも向いていないのではないかという気がしましたが、全体にがんばっていました。参加したアンサンブルもしっかり中心となって押さえていたように思いましたし、「恋人よ、早くここに」も、情感のこもった大変結構なものでした。

 この二人以外は、皆問題がありました。まず、外題役の清水良一がだめ。第一声から音程が外れ、その音程のいい加減さが終始続きました。声は通り、それなりに迫力もあるのですが、音程がいい加減なのと声のバランスに対する留意が今ひとついい加減なので、聴いていていらいらさせられます。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は、普通に聴く「もう飛ぶまいぞ」と音の力点の置き方が異なり、その結果、フィガロのケルビーノに対する皮肉なまなざしが全く見えないものとなりました。内輪の演奏会でなければ大ブーイングでしょう。

 他は清水ほどではありませんが、気になるところが多かったです。伯爵役の谷友博は流石に実力派の歌でした。大きなバランスを見たときの声の出し方、表現、流石に藤原で活躍中のバリトンだけのことはあります。しかし細かいところが一本調子なのです。第3幕のアリアは、全体の構成としては、伯爵の怒りを示すのに十分なものでしたが、フレーズ毎の細かいニュアンスに注意を払っておらず、今ひとつ真実さにかけるものでした。これは一事が万事であって、伯爵役が板についていない感じがいたしました。

 ケルビーノの但馬由香も表立っては悪くない。溌剌とした演技もいいでしょう。しかし、歌は演技ほどには溌剌としていませんでした。「自分で自分が分からない」も「恋とはどんなものかしら」ももっと初々しさを前面に出してほしかったと思います。

 伯爵夫人の津山恵は、登場のアリアを聴いて風邪でもひいているのかしら、と思いました。声がこもるのです。しかし、風邪ではなかったようです。レシタティーヴォやアンサンブルでは、凛としたいかにも伯爵夫人的歌唱をするのですから。これがアリアになるとフォルテで歌うところは声がきっちりと飛ぶのですが、ピアノで歌う部分は、そのまま声が小さくなるのではなく、声がこもってしまう。結果として歌のバランスが取れず残念でした。

 杉谷直信は、バルトロを演じるには若すぎるな、ということです。第1幕のアリアはとりあえず歌っていましたが、バルトロのおかしみが醸し出されてはいませんでした。

 という訳で、歌も中途半端でした。一昨年の国立音大の大学院オペラが「フィガロの結婚」で、そのときの演奏は大いに感心したのですが、今回は、同じ大学オペラでも、演出もオーケストラも歌唱も皆中途半端で、すっきりせずに家路に就きました。

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鑑賞日:2006年5月7日

入場料:D席 5000円 4F R19

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

藤原歌劇団公演

主催:(財)日本オペラ振興会

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(Tosca)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ&ルイージ・イッリカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 菊池 彦典
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 及川 貢
児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
児童合唱指導 高山 佳子
演 出 ピエールフランチェスコ・マエストリーニ
演出補 粟國 淳
美 術 妹尾 河童
照 明 奥畑 康夫
衣 装 岸井 克己
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

トスカ エリザベート・マトス
カヴァラドッシ 市原 多朗
スカルピア 折江 忠道
アンジェロッティ 久保田 真澄
スポレッタ 市川 和彦
シャルローネ 東原 貞彦
堂守 柴山 昌宣
看守 井上 白葉
羊飼い 高橋 織子

感想

オーソドックスの美-藤原歌劇団公演「トスカ」を聴く

 この5月公演は、最初「ルイザ・ミラー」とアナウンスされていましたが、どういうわけか「トスカ」に変更です。それも、1996年、東京文化会館で上演したものを再度取り上げる、というものでした。96年上演と異なるのはキャストぐらい。そのキャストもカヴァラドッシが市原多朗で同じです。96年のトスカは舞台はあまり覚えていないのですが、林康子トスカと市原多朗カヴァラドッシが素晴らしく、また直野資のスカルピアが好演で印象深いものでした。私が実演で聴いた5回の「トスカ」の中で、96年の藤原歌劇団公演が最高の演奏と思っておりました。その再演ですから期待が持てます。一方で、10年前は素晴らしいカヴァラドッシを聴かせてくれた市原多朗が今回もよい歌唱をしてくれるだろうか、そこが一寸怖い。そんな気持ちで新国立劇場に向かいました。

 結果として予想は良い方に外れました。今回の演奏は、私的ベストであった96年の公演を上回る出来栄えだったと申し上げましょう。その原因は、「トスカ」を下品なオペラとして上演したことではないでしょうか。

 「トスカ」はプッチーニの諸作品の中でも最もあざとい作品ですが、そのあざとさを前面に出すのは躊躇されるようで、これまで私が聴いてきた上演は、この本質的な部分をわざわざぼかすような演奏が多かったように思います。しかし、菊池彦典はそのあざとさをわざわざ強調するように演奏しました。これ見よがしなアッチェラランドやリタルダントを始め、けれん味たっぷりの演奏をしてみました。

 このようなけれん味の強い演奏は本来私の好みではないのですが、「トスカ」ではあまりに似合ってしまうのです。下品なオペラに下品な演奏、こういう風にこられると一般大衆にはたまりません。すっかりプッチーニと菊池彦典の術中に嵌って、3時間翻弄されました。

 この音楽的成功の功績はまず菊池彦典が挙げられますが、歌手では折江忠道のスカルピアにその功を与えましょう。スカルピアは敵役で、冷酷非情かつ好色な人物として描かれていますが、立派に歌われると立派に見えてしまうという難点があります。カヴァラドッシが一寸弱いテノールだったりすると、トスカがスカルピアに惹かれない理由が分からない、という風になることも珍しくありません。その点折江忠道のスカルピアの役作りは、いかにも悪役でした。それもローマの警視総監としての威厳と、悪役としての下品さが見事にバランスされていて、大変結構でした。このスカルピアであれば、トスカが忌み嫌うのも当然です。

 トスカのマトスも結構でした。「歌に生き、恋に生き」のようなアリアは勿論良かったのですが、それ以上に第2幕のスカルピアとのやり取りが圧巻。特に第2幕フィナーレのスカルピアとの取引からトスカの接吻に至る部分の緊迫感は、菊池の好サポートも相俟って、実に素晴らしいものでした。

 市原多朗のカヴァラドッシは、10年前の完璧な歌唱とまでは行かなかったと思いますが、日本のテノールの第一人者としての実力を発揮したと申し上げてよろしいと思います。「妙なる調和」はもう少し朗々と歌ってほしかったと思いますが、「星は光ぬ」はまさに絶唱。ブラボーの嵐は当然のところでしょう。

 この主役3人のほかには、市川和彦のスポレッタが不気味な雰囲気を良く出して好演でした。

 10年前の舞台を再度組み上げて、オーソドックスな演出で、下品な演奏。これこそ「トスカ」らしい「トスカ」、と申し上げるになんら躊躇するところはありません。「トスカ」嫌いの私ですら、すっかり引き込まれました。

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鑑賞日:2006年5月10日

入場料:S席 9000円 1F 1832

サントリーホール20周年記念公演/国立音楽大学創立80周年記念事業

ホール・オペラ・アカデミー公演

主催:サントリーホール/国立音楽大学

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アリゴ・ボーイト

会場 サントリーホール・大ホール

指 揮 マルコ・ボエーミ
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指揮 堀俊輔
演 出 レナート・ブルゾン
演出補 田口 道子
照 明 石川 紀子
衣 装 ティタ・テガーノ
舞台監督 金坂 淳台

出 演

ファルスタッフ レナート・ブルゾン
フォード 森口 賢二
フェントン 櫻田 亮
医師カイウス 大野 光彦
バルドルフォ 小山 陽
ピストラ 小野 和彦
フォード夫人アリーチェ トモコ ヴィヴィアーニ
ナンネッタ 天羽 明恵
クイックりー夫人 牧野 真由美
ページ夫人メグ 鳥木 弥生

感想

当代最高のファルスタッフ-サントリーホール20周年記念公演/国立音楽大学創立80周年記念公演「ファルスタッフ」を聴く

 私が「ファルスタッフ」というオペラを知ったのは、カルロ・マリア・ジュリーニがロサンジェルス・フィルと共に録音したCD。1982年に録音されたこのCDは確か1984年に発売されたのではなかったかしら。私はこのCDを発売まもなく購入して、自分の愛聴盤の一つとして大切にしてきました。このCDにおけるファルスタッフがレナート・ブルゾンでした。ブルゾンが当代一のファルスタッフ歌いであることを確立したのは、この録音によるものだと思いますが、実際にブルゾンのファルスタッフを聴く経験はこれまでありませんでした。

 このたび、そのブルゾンのファルスタッフが聴けるというので、喜んで出かけました。普段私はチケットは出来るだけ安いものを購入するのですが、会場がサントリーホールということもありましたので、S席を奮発。楽しみました。

 いわゆるホールオペラ形式で、舞台の後ろ側の壁にスライドを映写し、舞台にはオーケストラを乗せ、その前で、小道具と衣装とで演技をするという形式です。そのような限定の中でもブルゾンの存在感は格別でした。上記のCDが評判が良かったせいかどうかは知りませんが、その後ジュリーニ/ブルゾンのコンビでLDが発売され、それも私は所有しているのですが、ブルゾンのファルスタッフは(衣装は異なるものの)まるでそのままでした。それだけで、私はうれしくてたまりません。

 そして、その歌がまたいい。格下の若い歌手や学生が相手ですから手を抜いてもおかしくないのですが、ブルゾンはきっちりと歌って、お手本を見せました。当代随一のファルスタッフ歌いが本気になって歌うと本当に魅力的です。「名誉のモノローグ」のように激しい表現のところも良いのですが、柔らかな表情が抜群に良い。その上、演技にも手抜きがなく、ここ数年のブルゾンの中でも最高の出来と申し上げてよいかもしれません。フィナーレのフーガの歌いだしも楽しそうでしたし、彼自身この舞台を楽しんで歌っているのだな、と思わずにはいられませんでした。

 このブルゾン「ファルスタッフ」に絡むのが日本人若手歌手たち。このなかで特に良かったのは森口賢二のフォードでした。第2幕におけるファルスタッフとのやり取りが、ブルゾンに対して全く物怖じせずに歌いきれたところがまず素晴らしく、モノローグ「夢かうつつか」は、怒りと切なさの感情が入り混じった実に良い歌唱で、大いに感心いたしました。

 牧野真由美のクイックリー夫人も好演。言うまでもなく、このオペラにおけるクイックリー夫人は重要なバイプレイヤーで、オペラのおかしみを醸し出すためには、この歌手の出来が大事です。牧野は、例の「ごめんくださいませ」というフレーズを腰を振る珍妙な振り付けで歌い、注目を浴びました。それ以外も深みのあるふくよかな声で、アンサンブルの低音部をしっかりと支えていました。

 トモコ・ヴィヴィアーニのアリーチェも良好。1幕は声の伸びが今ひとつだったようですが、2幕3幕は艶のある良い声で魅了しました。小山陽二郎のバルドルフォ、小野和彦のピストラも楽しく聴きました。

 相対的に今ひとつだったのは櫻田亮と天羽明恵のフェントン・ナンネッタのカップル。櫻田はかつてもっと澄んだ軽い声のテノールで、今回もレジェーロ・テノールでフェントンを歌ってくれることを期待したのですが、声が重くなっており、高音でのざらつきも目立ちました。当たり前のテノールであれば、あれだけ歌えれば文句を言う筋合いではないのですが、櫻田に関しては不満です。天羽明恵は張り切りすぎです。実力的には今回の女声陣の中では一番なのでしょうが、お嬢様役で、このオペラの中ではアリーチェ、メグ、クイックリー夫人に引っ張られる立場なのですから、もう少し抑えた表現の方が役柄にぴったり来ると思いました。

 それにしても、早口の台詞が多く、タイミングの取り方が難しいオペラを、ここまできっちり纏めたのは、大黒柱ブルゾンがいたとはいえ、日本人歌手の能力の高さを見せたもの、と申し上げてよいでしょう。歌い手たちの努力に拍手を送りたいと思います。

 一方問題なのはオーケストラ。学生オーケストラが扱うには相当骨のある作品だと思いますが、流石にこなしきれていないように思いました。コンマスは元N響第一ヴァイオリン次席奏者の武藤伸二教授で、弦楽器の各パートには教員が参加していましたが、それでも「ファルスタッフ」の音楽の持つ味わいを表現しきるには至りませんでした。特に第一幕は、オーケストラがすっかり硬くなっており、音楽を鳴らすのがやっと、という感じでした。

 ボエーミの指揮も、このようなオーケストラの状況を勘案して、敢えて安全運転で行ったのか、それとも彼のファルスタッフに対する意識が低かったのか分かりませんが、抑揚のない指揮でした。そのため、歌手たちががんばってアンサンブルを仕上げても、どこかふっと抜けて音楽の流れを阻害することが何回もあり、それが聴いていて残念でした。

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鑑賞日:2006年5月18日

入場料:7000円 1F 918

主催:朝日新聞社

歌と楽しいお話でつづる浜離宮オペラ・サロンコンサート[
「オペラに恋して」
〜オペラ座の愉快人〜
構成・台本:石戸谷 結子

会場 浜離宮朝日ホール

出 演

ご案内役 郡 愛子(メゾソプラノ)
    高橋 薫子(ソプラノ)
    望月 哲也(テノール)
    黒田 博(バリトン)
ピアノ 河原 忠之

プログラム

私は町の何でも屋 ロッシーニ/「セヴィリアの理髪師」より 黒田 博
今の歌声は ロッシーニ/「セヴィリアの理髪師」より 高橋 薫子
人知れぬ涙 ドニゼッティ/「愛の妙薬」より 望月 哲也
そよ風にきいてごらんなさい ドニゼッティ/「愛の妙薬」より 高橋薫子/望月哲也
私だって若いんですもの ロッシーニ/「結婚手形」より 郡 愛子
美しい絵姿 モーツァルト/「魔笛」より 望月 哲也
恋人か女房が モーツァルト/「魔笛」より 黒田 博
パ・パ・パ モーツァルト/「魔笛」より 黒田博/高橋薫子
休憩
マキシムへ行こう レハール/「メリー・ウィドウ」より 黒田 博
私は何にでもすぐ染まる バーンスタイン/「キャンディード」より 郡 愛子
侯爵様、あなたのようなお方は J・シュトラウスU/「こうもり」より 高橋 薫子
女心の歌 ヴェルディ/「リゴレット」より 望月 哲也
兄さん踊ろう、手に手をとって フンパーディンク/「ヘンゼルとグレーテル」より 高橋薫子/郡愛子
窓辺においで モーツァルト/「ドン・ジョヴァンニ」より 黒田 博
優しい人の愛のそよ風は モーツァルト/「コシ・ファン・トゥッテ」より 望月 哲也
女も15になれば モーツァルト/「コシ・ファン・トゥッテ」より 郡 愛子
さわやかに風よ吹け モーツァルト/「コシ・ファン・トゥッテ」より 高橋薫子/郡愛子/黒田博

感想

なんたってオペラは喜劇だ-浜離宮オペラ・サロンコンサート[「オペラに恋して」−オペラ座の愉快人?!-を聴く

 勿論オペラはアリアだけではありません。重唱もある、合唱もある、レシタティーヴォもあります。そういう全てが組み合わさって一つのオペラが完成する。そのとおりだし、オペラ全体を私も楽しんでいます。でも、オペラの聴き所だけ集めたコンサートは、オペラ全曲を楽しむのとまた全然違った魅力があります。この「オペラに恋して」はまさにそのような楽しいコンサートでした。

 まず歌手が魅力的。高橋薫子、黒田博とくれば今脂が乗り切った二人ですし、望月哲也は先日の「皇帝ティトの慈悲」で注目を浴びた新進テノールです。郡愛子は昔日の実力ではありませんが、舞台を勤める、ということがよく分かっている方です。こういう方が組み合わされると、コンサートの奥行きが広がり、味わいも格別です。

 まず選曲がいい。「オペラ座の愉快人」というサブタイトルですから、悲劇的なアリアやドラマティックな選曲はない。基本は軽快路線。勿論それがオペラの全てだなんて申し上げるつもりはありませんが、劇的でスリリングなアリアを聴くより、洒落ていてウィットの利いた歌のほうがこのようなコンサートには似合っているように思います。

 また、郡さんの司会が結構。大姉御の貫禄ながら、自分を上手く客観視して(石戸谷結子の台本も良かったのでしょうが)上手く会場を沸かせます。郡さんの歌ははっきり申し上げて物足りないものでしたが、コンサートの盛り上げ役として一所懸命勤められ、その結果観客が気分良く聴けたことは間違いないところです。早替わりによる衣装の変化も見ものでした。

 他のお三方は、歌の力に比して、会場が小さいと申し上げてよいでしょう。ビンビン響き、その響きが飽和してしまうほどです。このような声の力を満喫できるのは本当に楽しいです。

 黒田博は、最初のフィガロの登場のアリアをほぼ完璧に歌って見せてまずブラボー。「恋人か女房が」も勿論良好で、高橋薫子との「パパパ」はかつて新国立劇場で歌ったパパゲーノとパパゲーナのコンビで、ここも息があっていました。後半は、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵を洒落た雰囲気で歌って見せ好調。「ドン・ジョヴァンニのセレナード」も得意の一曲だ、ということなのでしょう。大いなる賞賛を受けました。最後のドン・アルフォンソも、ドン・ジョヴァンニとはまた違った歌い方で、芸の広さを良く見せてくれたと思います。

 高橋薫子も好調。「今の歌声は」は、彼女の最高の「今の歌声」とはいえないと思いますが、十分高水準のもの。望月ネモリーノとの二重唱は、アディーナを持ち役としているだけあって、アディーナのおきゃんな部分を上手く表現していました。そして、パパゲーナ。しかし、高橋の本領は前半より後半にありました。まずアデーレのアリアが最高。彼女はアデーレのアリアをリサイタルで何回か歌っていますが私は初耳。彼女の声質から見てもうアデーレは難しいのではないか、と思っていたのですが、これが素晴らしいものでした。そしてグレーテル。郡ヘンゼルと共に舞台の上を駆け回りながら歌うデュエットは本当に楽しそう。郡さんはすっかりあごを上げていましたが。最後のフィオルディリージも興奮冷めやらぬ様子。

 望月哲也も先日のティトよりものびのびした歌唱でよい。「人知れぬ涙」が情感のこもった歌唱で良く、高橋とのデュエットもネモリーノの間抜けな雰囲気を見せて好演でした。女心の歌はアクートを決めて見せて、ブラボーをたくさん貰っていました。フェランドのアリアもよし。望月さんは、力強い役柄よりもリリックな声の役柄の方が向いているように思いました。

 郡愛子は芸達者。歌そのものは今回登場した三者に伍して行くだけの力はもうありません。でもオールドレディのアリアやグレーテルとの二重唱でのがんばりは流石にオペラ歌手30年のキャリアは伊達ではないと思いました。

 それにしても楽しみました。「オペラ座の愉快人」だったかどうかは分かりませんが、歌い手さんたちもやや悪乗り気味で、「舞台の愉快人」であったことは間違いありません。

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鑑賞日:2006年5月27日

入場料:B席 5000円 2F 626

国立オペラ・カンパニー 青いサカナ団 第26回公演

第1回佐川吉男音楽賞受賞作品

主催:国立オペラカンパニー青いサカナ団

オペラ2幕、原語(日本語)上演
神田慶一作曲「僕は夢を見た、この満開の桜の樹の下で」
原作・台本:神田慶一

会場 なかのZEROホール・大ホール

指 揮 神田 慶一
管弦楽 ORCHESTRA DU POISSON BLEU
合 唱 青いサカナ合唱団
演 出 神田 慶一
美 術 八木 清市
照 明 八木清市/山口真一郎
衣 装 武田 園子
音 響 細越 泰良
舞台監督 岩戸 堅一

出 演

サクラ 並河 寿美
ジロー 樋口 達哉
タクロー/鍵の男 今尾 滋
作曲家/新聞記者 三塚 至
看護婦/美女1 宮本 彩音
若い女/美女2 城田 佐和子
ウェイトレス/美女3 高橋 華子
老人/執事 岸本 力
警部/司会者 岡戸 淳
若い男/編集者 田代 万里生
若い男/編集者 山崎 育三郎
看護婦の恋人 中村 力

感想

新作オペラの再演に思う-国立オペラカンパニー青いサカナ団公演「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」を聴く

 日本人作曲家が作曲したオペラは500本以上あるそうですが、その大半は再演の機会に恵まれない。例外は「夕鶴」と、こんにゃく座の諸作ぐらいでしょうか。初演のときにマスコミで騒がれても、その後再演されることなく忘れ去られている作品も少なくありません。そういうなかで、コンスタントに新作オペラを発表している神田慶一の「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」が初演以来3年ぶりに再演されることになり、聴きに行きました。この作品は東京文化会館の委嘱により作曲された作品で、2003年に東京文化会館で初演されています。私は、初演を見る気は全くなく、現実に伺いませんでしたが、その評判が良く、第1回佐川吉男音楽賞を受賞しました。そこで、再演があったら、是非聴きにいこうと思っておりました。

 今回の上演は、日本経済新聞の音楽記者・池田卓夫が、キャスティングとプレスとを担当し、彼の協力が再演に影響しているようですが、彼の「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」への見方は、凡百の日本語オペラと比較して、次のように整理されるように思います。彼は公演パンフレットの中で、日本語の創作オペラを敷衍して、

1)オペラは若いときから劇場に出入りし、音楽劇の生理を全身に植え込まない限り、台本を書いたり作曲することは出来ない。器楽曲の作曲家は、声楽独自の表現力やオペラ歌手の能力を無視しているのか、居心地の悪い雰囲気に満ちている。
2)日本には「リブレッティスト」と呼ばれるオペラの台本の専門作家が育っていない。有名な作家や詩人が書く台本は、歌の台詞としては硬く、音楽との相性が悪い。
3)作曲家と指揮者並に楽譜が読める演出家が欧米に比べて、徹底的に少ない。

と言っています。池田は、神田がこの問題を解決した人材だと明確に言い切っているわけではありませんが、彼が、在学中から来日オペラ団体公演のスタッフとして働き、大学卒業と同時に「青いサカナ団」を結成して主宰し、これまで8本の創作オペラを発表・上演しているということから、池田は、神田が上記の1)、3)を少なくとも満足していると考えているに違いありません。

 確かに神田が才人であることは間違いないようです。原作・台本・作曲・指揮・演出の全てを一人でやってのけたわけですから。まとまりという点で申し上げれば、舞台全体を自分の手の中で扱っているので、大きな破綻がないのは間違いないところです。全体の流れが自分の皮膚感覚の中にあるのでしょう。しかし、それが、私のように全くの他人が見たとき満足できるか、といえば、それは全く関係ないことのようです。

 まず、私が気になったのは、全てが彼のオリジナルであるにもかかわらず、あちらこちらからの影響がモザイクのように見え隠れすることです。第1幕の舞台はファミリーレストランですが、舞台に組まれたファミリーレストランのセットとその後ろ側に立つ巨大な桜の木。この舞台は、明らかに篠田正浩監督の「桜の森の満開の下」にインスパイアされています。勿論、神田の作品が坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」を下敷きにしているわけですから、類似性があるのは仕方がないのですが。また、この映画音楽は武満徹が書いていますが、彼の音楽が武満の音楽から無影響だと言い切れるのかと思いました。実は、私は武満徹の「桜の森の満開の下」の音楽を全く覚えていないのです(映画は見ています)が、このオペラ全体の音楽に武満徹の音楽の類似性を何となく感じてしまいました。

 基本的にこのオペラは幻想劇ですが、音楽の流れは決して単調ではありません。冒頭の音楽におけるジャズのイディオム、第2幕冒頭の二人の編集者の二重唱は、ミュージカルを意識していますし、サクラのアリアはワルツです。日本音楽も入っています。そういった多様性を持ち込みながら、全体として冗長な感じがなくならないのは、レシタティーヴォで物語運びをやってしまったことにあるようです。少なくとも池田の言う日本語オペラの問題点の2)は解決されていないと申し上げましょう。要するに、神田は説明をしたいのです。説明をしなくても困らないことに説明を加えてみせる。そこをカットして、現在の2時間30分の上演時間を2時間強ぐらいに切り詰めれば、あるいはアリアや重唱をレシタティーヴォの代わりに加えることで、この冗長感覚はなくなるのではないででしょうか。

 初めて聴く作品なので、歌手たちの巧拙は本当のところよく分かりません。基本的に現代音楽で和声が破壊されていますから、音をとりにくいだろうな、と思います。そこで日本語の歌詞を明晰に歌うのは相当に大変のようで、皆様苦労されていることがよく分かりました。その中で実質的な主役のサクラを演じた並河寿美は、前半、高音が上がりきれないところがありましたが、後半は立派。特にフィナーレのアリアは高音が良く伸び、ドラマティックな表現でよかったと思います。最後にサクラは桜の木と一体となるのですが、そこに至る第2幕の後半はなかなか説得力のある舞台でした。

 樋口達哉のジローも悪くないと思いました。ただ、樋口の場合、非常に美しい響きのところもあるのですが、ベルカントに徹しきれない。勿論ドラマの進行ゆえに、地声になるということがあっていいのですが、ドラマの進行とは無関係に汚い響きが聞こえるのは興ざめです。

 総じて言えることは、1幕は全体に歌も舞台上での出演者の動かし方もごちゃごちゃしすぎて整理されておらず、二幕の方が良かったと思います。各人の歌の魅力も、三塚至の作曲家、岸本力の老人などの例外もありますが、第2幕の方が高かったように思います。

 そのほか、今尾滋のリリックなバリトンは魅力的でした。彼の場合も1幕の怪我人の演技をしながらの歌唱よりも、二幕の鍵の男としての歌唱がより結構でした。二幕では、岸本力の執事。田代万里生と山崎育三郎の編集者はなかなか良く、三人の美女たちの三重唱もとても美しいハーモニーでよかったと思いました。

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鑑賞日:2006年6月20日

入場料:D席 5870円 4F 126

主催:新国立劇場

オペレッタ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ヨハン・シュトラウス作曲「こうもり」
原作: アンリ・メイヤック/ルドヴィック・アレヴィ
台本: カール・ハフナー/リシャルト・ジュネー

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ヨハネス・ヴィルトナー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
バレエ 新国立劇場バレエ団
演 出 ハインツ・ツェドニク
美術・衣装 オラフ・ツォンベック
照 明 立田 雄士
振 付 マリア・ルイーズ・ヤスカ
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン ヴォルフガング・ブレンデル
ロザリンデ ナンシー・グスタフソン
フランク セルゲイ・レイフェルクス
オルロフスキー公爵 エレナ・ツィトコーワ
アルフレード 水口 聡
ファルケ博士 ポール・アルミン・エーデルマン
アデーレ 中嶋 彰子
ブリント博士 高橋 淳
フロッシュ ハンス・クレマー
イーダ 中村 恵理

感想

本気で馬鹿をやる-新国立劇場「こうもり」を聴く

 私にとっての「こうもり」の規範的演奏は、クライバーのグラモフォン版レコード。大学に入学した頃買って何回聴き返したことでしょう。あの、アレグロを基調にした鋭いシャンパンの泡を思わせる演奏は、今聴いてもとても魅力的です。私はそれ以来、「こうもり」はアレグロ、と思っている節がある。ところが今回のヴィルトナーの演奏は、相当にリタルダンドを多用した、ある意味だるい音楽。気の抜けたシャンパンとは申しませんが、泡の魅力にあふれているとは一寸申し上げられないでしょう。しかし、これはこれで、「こうもり」の別の魅力を明らかにしていたのではないかと思います。

 と申し上げるのは、「こうもり」の本質は間抜けにあるからです。その最たる間抜けは主人公のアイゼンシュタインにあるのはいうまでもありませんが、ロザリンデだってアデーレだって考えてみれば間抜けです。この茶番のコーディネーターであるファルケとオルロフスキーだけが間抜けの線から抜け出しているようにも思いますが、いたずらの復讐劇としてこれだけのことを考えるのは結構モノマニア的で、ある意味間抜けと言えないこともありません。

 その「こうもり」の間抜けな部分、普通ではない部分を誇張して示そうとすれば、ヴィルトナーのリタルダンドは的を射ているように思います。その一寸ぬるい音楽に大きな身振りの演技と歌唱で乗って行った歌手たちもまた愉快でした。

 まずブレンデルのアイゼンシュタインが最高。ブレンデルといえば、ハンス・ザックスだのジェルモンだのといった所を得意とする歌手というイメージがあるのですが、実はアイゼンシュタインも十八番らしい。とにかく本気で馬鹿をやっていました。徹底してリズムに乗り、踊り、アイゼンシュタインってなんて間抜けな奴なんだ、ということを徹頭徹尾示しました。大げさな演技と歌唱はまさに魅力的で感心しました。アイゼンシュタインは演奏技術的にはそれほど難しくないと思うのですが、お金持ちの気品と成り上がりの卑しさを上手くミックスして示して、さらにその間抜けさを明確にするのは相当に大変だと思います。そこをしっかり見せてくれたので、私は満足でした。

 主役に対抗する刑務所長のフランクも良い。フランクを演じたレイフェルクスはスカルピアやアンドレア・シェニエのジェラールなどの役柄が多かったので、こんな喜劇的な役が出来るとは思いませんでした。フランクはオルロフスキー公爵の夜会では一番の異端で、自分の場違いを感じながらも調子に乗ってしまう役柄な訳ですが、レイフェルクスの一寸おどおどした雰囲気が自然で、そこが良かった。一方、第3幕におけるフロッシュとのやり取りは、今ひとつ淡白でした。

 間抜けさ、という点ではアルフレード・水口聡も忘れられません。かつての恋人の家に入り込むも、恋人の亭主の代わりに刑務所に入れられてしまうというシチュエーション自体相当に間抜けですが、それを水口が演じると更におかしい。雰囲気が間抜け丸出しで、これではロザリンデとよりを戻すのに無理があるな、と思わざるを得ません。歌はなかなか結構で、歌と演技とのギャップが面白さに輪をかけていたように思います。

 キャラクター・テノール高橋淳のブリントは期待していたのですが、他のおかしさが度を抜いていて、高橋程度のくすぐりでは一寸迫力不足だったと申し上げましょう。

 ハンス・クレマーのフロッシュはさすが、と申し上げます。ドイツ語での演技ながら、十二分に面白かったです。

 一方、女声陣ですが、ツィトコーワのオルロフスキー公がまずよい。歌もさることながら、不機嫌そうな演技が良かったです。彼女はかなりの美人ですが、もともと雰囲気が中性的な感じがあり、ロシアの美貌の貴族、という役柄にぴったりだったのでしょう。

 中嶋彰子のアデーレもよい。流石にフォルクスオーパーで歌っていただけのことはあります(実は彼女がそのときアデーレを歌った経験があるのかどうかは知りませんが)。オペレッタの乗り、というものが分かっているのでしょうね。「侯爵様、貴方の様なお方は」は当然ながら流石の名唱。イーダ・中村恵理と行う日本語でのくすぐりも楽しく良かったです。

 グスタフソンのロザリンデも結構。「チャールダーシュ」もいいですが、第一幕での一寸過剰なお色気も新鮮でした。

 ドイツ語上演でありながら、日本の新国立劇場で上演しているということを踏まえたくすぐりが一杯入っていたのも楽しく思いました。結構羽目を外した演奏で、それがオペレッタらしくてよかったと思います。音楽的な特徴としては、「チャールダーシュ」の後に「ハンガリー行進曲」が入り、バレエが挿入されたこと。2幕のフィナーレの前はオリジナルのバレエ音楽ではなく、最近一般的な「雷鳴と電光」が演奏されたことを記録しましょう。

 絵画調の舞台を動き回るコンセプトの演出。本来「こうもり」の舞台はウィーン近郊のバーデンとされていますが、第1幕のアイゼンシュタイン家は南国の邸宅みたい。パステルカラーで綺麗です。第2幕のオルロフスキー公爵邸はさほど絵画的でもなく、華やかさも感じなかったのですが、「ぶどう酒の奔流に」から後ろ舞台を大きく広げて華やかさをまします。これは一寸驚きです。このオルロフスキー公爵邸の大きな舞台は、第3幕のフィナーレでも刑務所のセットの後ろに再度登場し、「こうもり」が、オルロフスキー公爵邸を舞台にしたファルケの復習劇であることを明らかにしました。

 全般に過剰な演技を妥当な音楽に乗せた、という演奏でポップではなかったけれどノスタルジックで楽しめました。

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鑑賞日:2006年7月09日

入場料:B席 6000円 2F 336

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

主催:東京室内歌劇場

ブルーアイランド版
オペラ4幕、日本語(原則)上演

モーツァルト作曲「フィガロの結婚」
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
日本語台本:青島広志
日本語元訳:中山悌一

会場 シアター1010

指 揮 大島 義彰
管弦楽 東京室内アンサンブル
合 唱 東京室内歌劇場合唱団
演 出 青島 広志
美 術 工藤 明夫
衣 装 倉岡 智一
照 明 稲葉 直人
舞台監督 二葉 泰夫

出 演

有馬 美馬(社長) アルマヴィーヴァ伯爵 杉野 正隆
有馬 露路奈(社長夫人) 伯爵夫人 悦田 比呂子
笛 五郎(営業部員) フィガロ 福山 出
須佐 杏奈(新入社員) スザンナ 里中 トヨコ
毛 瑠美乃(中国人の社長秘書) ケルビーノ 紙谷 弘子
丸地 恵梨奈(庶務課係長) マルチェリーナ 三橋 千鶴
馬留頭 朗(社長夫人の叔父) バルトロ 女屋 哲郎
馬尻 雄(合唱部顧問) バジリオ 森 靖博
来知 雄(法律顧問) ドン・クルツィオ 山田 展弘
安渡仁 雄(植木屋) アントーニオ 和田 ひでき
場留場 理菜(受付嬢) バルバリーナ 猿山 順子
華道部員(新入社員) 二人の花娘 浦田佳江・荻野桃子
理事長(社長の母) <ゲスト> 太刀川 悦代
老婆(勤続88年の掃除婦) <ゲスト> 丹藤 麻砂美

感想

仕切ればよいというものじゃない-東京室内歌劇場「フィガロの結婚」(ブルーアイランド版)を聴く

 私はオペラは「楽しければそれでいい」と考えている人間です。だから、オリジナルがどうとか、オーセンティックがこうとかそんなことを申し上げるつもりはありません。レシタティーヴォ・セッコを全部台詞にする、これも一つの試みで悪くありません。でも、譲れない線はあります。まず、拍手は観客の権利だ、ということです。前振りに青島広志が登場し、観客に上演の意図を説明する。余計なことではありますが、それについて目くじらを立てるつもりはありません。しかし、そこで、観客に向かって、「歌が終わったら必ず盛大な拍手をしろ」とは何事でしょう。拍手をするのは観客の自由です。良い演奏だったら自然に拍手が出て盛り上がりますし、悪い演奏ならばブーイングが飛ぶ。それが当然です。大してよくもない演奏に盛大な拍手を貰ったら、それは演奏家に対しても失礼なことでしょう。そういった基本を押さえずに拍手を強要するのは観客に対しても失礼です。仕切ればよいというものではありません。

 それでも素晴らしい演奏であれば、自然に拍手も飛びますし、感動も出来るのでしょうが、はっきり申し上げて、演奏もいまいち、演出もいまいちです。

 演出はコンセプトの煮詰め方が甘く、何故、舞台を日本の老舗の和菓子屋さんにしなければならないのかが見えません。勿論、置き換えに大きな理由などないのでしょうから、舞台を老舗の和菓子屋さんにしようが、ちりめん問屋にしようがそれはいいのですが、置き換えた以上、台詞も歌詞ももっと舞台に即して変更すべきでしょう。中山悌一の訳詞を基本的に使用するのは結構ですが、その歌詞を無批判に使用するのはどうかと思います。勿論変更もあったようですが、最初のフィガロとスザンナの二重唱では、「社長」にならず「殿様」が残っておりましたし、それ以外にも歌詞をもっと考えた方がよいのに、と思う部分がいくつもありました。

 また、演出それ自体の問題としては、第4幕が整理させておらず分かりにくいのも難点です。ストーリーが頭に入っていれば、どういう見立てで舞台を構成していったのか分かるのですが、フィガロの結婚のストーリーをよく知らない方にとっては、あの演出が何を意図しているのかはなかなか理解できないでしょう。

 そんなわけで、基本的には不満の多い演出だったのですが、第3幕の結婚式のシーンを演芸大会に変えてしまったのは大成功。丹藤麻砂美の老婆と太刀川悦代の理事長の掛け合いや二人の歌(丹藤はミュージカル「マイ・フェア・レディ」から「踊りあかそう」を歌い、太刀川は歌詞に和菓子を読み込んだ歌(元歌は聴いたことがあるのですが思い出せません)を歌いました)は、新機軸です。「こうもり」の第2幕でガラ・パフォーマンスが演奏されることは珍しくありませんが、「フィガロ」でガラ・パフォーマンス付、というのは珍しいです。また、二人の花娘が生け花を披露するところなども十分面白かったと思います。

 演出にもまして音楽も今ひとつ。まず、オーケストラの規模が一寸小さすぎる。弦楽器が原則1パート2本、管楽器が原則1本ずつ、という構成は、本来2管構成のオーケストラによって演奏される「フィガロの結婚」の本来の音の厚みや広がりを実感できるものではなく、貧弱なものであったと申し上げざるを得ません。大島義彰の指揮はオーソドックスでそんなに悪いものではなかったのですが、オーケストラのスキルが今ひとつで、ミスが目立ったのも減点でしょう。

 歌手陣も総じて低調。残念ながら、私がこれまで実演に接してきた数多くの「フィガロの結婚」の歌唱の中で、最低に近い歌唱と申し上げざるを得ない。どんなに甘く見ても水準以上でないことは確実です。

 杉野正隆のアルマヴィーヴァ。私がこれまで聴いた杉野の歌唱の中で最も首肯できない演奏でした。この役は、上流社会人としての気品と威厳が不可欠ですが、声が軽すぎて、気品と威厳を感じさせることが出来ませんでした。第3幕の「復讐のアリア」だけはきっちり歌ってよかったのですが、あとはあまり感心出来ませんでした。

 悦田比呂子の伯爵夫人も買えません。音程が甘く、ずり上がりが目立ったのが気に入りません。更にビブラートの振幅が大きいのも私の趣味ではありません。3幕のアリアで、私の隣席のご婦人がブラボーを飛ばしていたのですが、私はこんな歌でブラボーを飛ばすとは、と心の中で悪態をついておりました。

 福山出のフィガロ。これも落第。フィガロの役柄が持っている屈折したワルの気分が歌唱に全く見えてこないのです。けれんがなさ過ぎる。「もう飛ぶまいぞこの蝶々」はすっきりはしているのですが、ケルビーノに対するからかいの気持ちが歌に現れてこなくて、私は納得できませんでした。それ以外の部分も単に若くて能天気なフィガロになっていて、本来の役柄の持っている雰囲気が感じられませんでした。

 里中トヨコのスザンナは相対的にはよく歌っていたと思います。また、「フィガロの結婚」の狂言回しとしても十分な役割を担っていたと思います。ただ、私の好みから申し上げれば、スザンナの声はもう少し軽くあってほしい。高音部でキンキン声になるのも一寸興ざめでした。

 紙谷弘子のケルビーノも悪くない。でも特別に素晴らしかったか、といわれれば、それほどでもありませんでした。また、女屋哲郎のバルトロも、バルトロのおかしさを醸し出すには明らかに貫禄不足でした。それに対して存在感をしっかり示していたのは、三橋千鶴のマルチェリーナ。吹っ切れた所作の大きな演技は、舞台のコンセプトを示すのに十分有益だったと思います。また歌唱も、一幕のスザンナとのさやあても良く、第4幕の本来マルチェリーナのアリアとは全く関係ない日本歌曲を歌ったのも結構でした。

 それ以外の方もがんばっていらっしゃいましたが、全体として、歌も中途半端、ギャグも中途半端で、頑張りが滑っている印象の強い演奏でした。

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鑑賞日:2006年7月17日

入場料:C席 7000円 3F R222

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

東京二期会オペラ劇場

主催:(財)東京二期会

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」(Madama Butterfly)
台本:ルイージ・イルリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 小ア雅弘(1幕)/ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ(2・3幕)
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
演 出 栗山 昌良
舞台設計 荒田 良
舞台美術 石黒 紀夫
衣 装 岸井 克己
照 明 沢田 祐二
舞台監督 菅原多敢弘

出 演

蝶々夫人 木下 美穂子
スズキ 永井 和子
ケート 松井 美路子
ピンカートン 福井 敬
シャープレス 直野 資
ゴロー 加茂下 稔
ヤマドリ 藤山 仁志
ボンゾ 島村 武男
神官 村林 徹也

感想

日本人ならではの-東京二期会オペラ劇場公演「蝶々夫人」を聴く

 指揮者のブリニョーリが突然の尿道結石で第一幕をリタイア。尿道結石の痛みは生半可ではないらしいのでこれは仕方がないのですが、代わりに振ったのが副指揮の小ア雅弘。アにしてみれば、大変だったでしょうね。突然の指示だった筈ですから。燕尾服で振っていましたが、家から急いで運んだのかしら。そして指揮ぶりですが、随分上がって指揮をしていたようでした。とにかく、指揮棒の動きとオケの音の出と歌手の歌が合わないのです。その結果として音楽が壊れたかといえばそんなことはない。相当アッチェラランドのかかった切れ込んでいく演奏でしたが、これがブリニョーリの指示に基づくものなのか、上がった小のテンポ感覚の乱れが、オケの落ち着きを乱したのか一寸分かりません。ただ一つ間違いないことは、小の指揮した第一幕と、痛みを止めて復帰したブリニョーリが指揮した2幕、3幕とでは、音楽の雰囲気が全然違いました。

 小の演奏はたたみかけるような推進力に特徴があり、ブリニョーリはどちらかといえばゆったりとした流れの中で、蝶々さんの心情の劇性をより明確に示した演奏。金管を容赦なく吹かせ、蝶々さんが自害する前のティンパニの強い連打などプッチーニがヴェリズモの作曲家であることを否応なく示す演奏でした。「蝶々夫人」というと甘ったるいロマンチックな表現を想像し、私はそれだけでげんなりする方ですが、考えてみるとここ数年聴いている「蝶々夫人」でそのような甘ったるい演奏を聴いていないような気がします。本日の小ア/ブリニョーリはそれぞれ違う演奏をしたと思うのですが、どちらも甘ったるくなかった。それはよいことだと思います。

 演出は二期会伝統の栗山昌良演出(1990年初演)。私も何度か見ています。いかにも日本情緒、といった風の舞台でオーソドックスの極致。特にハミング・コーラスの部分でのシルエットを使った美しさは、前回も感心いたしましたがよかったです。昨年新演出となった栗山民也演出の新国立劇場の舞台より私は好きです。

 指揮者が途中で交代したりという大きなアクシデントに襲われながらも、演奏全体はよくまとまっていたと思います。まずタイトルロールの木下美穂子がよかった。木下は2月の「ボエーム」が散々の歌唱で、私の中の木下の評価を大きく下げたのですが、今回はそれを相当に回復した、と申し上げてよいでしょう。2月に聴かれたヴィブラート過剰の歌が是正されていましたし、登場のシーンからフィナーレまで豊かな声量を保って歌いきりました。第一幕で高音部がかすれ気味になったところが2,3あったのですが、他は上々です。

 「ある晴れた日に」は流石の名唱。間然とするところのない、実に素晴らしいものでした。一方で、第2幕の表現はかなり抑え気味で、蝶々さんの不安が歌に示されてこない。オーケストラがあれだけドラマチックに演奏しているのですから、もっと感情の起伏を出してもよかったのではないか、とも思います。でも一方で、あれが木下美穂子の持ち味なのかなあ、とも思いながら聴きました。

 ピンカートンの福井敬も良好。しかし彼は声が重くなりすぎました。昔はもっとピンカートンらしい軽薄な歌を歌えたはずですが、声の重さがその軽薄さを打ち消していました。勿論、フォルムは流石に福井敬、と思わせるもので聞き応え十分なのですが、第一幕フィナーレの蝶々さんとの愛の二重唱が相思相愛に聴こえてしまうのはいかがなものか。

 脇役陣もみな上手です。直野資のシャープレスも温かみの感じさせる歌唱で結構でした。定評のある永井和子のスズキは、年齢を感じさせられるところがなくはなかったのですが、演技・歌唱とも流石のものでした。また、加茂下稔のゴローがよく、感心いたしました。

 細々と見ていけば不満がないわけではないのですが、何度も繰り返し上演された栗山昌良演出のもとベテラン陣が脇を固めた今回の上演、よくまとまった名舞台と申し上げてよいのでしょう。日本人が考える「蝶々夫人」の一つの回答なのかな、と思いながら帰路に着きました。

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鑑賞日:2006年7月29日

入場料:3500円 自由席

主催:村上ファミリー・チャリティーコンサート実行委員会

ひの社会教育センター支援・チャリティーコンサート
村上敏明・吉川健一 ジョイントリサイタル

会場 日野市七生公会堂

出 演

    村上 敏明(テノール)
    吉川 健一(バリトン)
ピアノ 江澤 隆行

プログラム

フニクリ・フニクラ デンツァ作曲 村上・吉川
初恋 石川啄木作詞/越谷達之助作曲 吉川
九十九里浜 北見志保子作詞/平井康三郎作曲 吉川
落葉松 野口彰作詞/小林秀雄作曲 村上
鐘が鳴ります 北原白秋作詞/山田耕筰作曲 村上
陽はすでにガンジス川から A.スカルラッティ作曲 吉川
いとしい女よ ジョルダーニ作曲 村上
禁じられた音楽 ガスタルドン作曲 吉川
カタリ(つれない心) カルディッロ作曲 村上
休憩
もう帰らないミミ プッチーニ/「ラ・ボエーム」第4幕の二重唱 村上・吉川
悪魔め、鬼め ヴェルディ/「リゴレット」より 吉川
女心の歌 ヴェルディ/「リゴレット」より 村上
歌劇「ドン・カルロ」第2幕前奏曲 ヴェルディ/「ドン・カルロ」より ピアノ独奏
あの人を失った〜われらの胸に友情を ヴェルディ/「ドン・カルロ」第1幕のアリアと二重唱 村上・吉川
アンコール
おいらは鳥刺し モーツァルト/「魔笛」より 吉川
誰も寝てはならぬ プッチーニ/「トゥーランドット」より 村上
オー・ソレ・ミオ ディ・カプア作曲 村上・吉川

感想

地元ならでは-村上敏明・吉川健一ジョイント・リサイタル-を聴く

 日野市立旭ヶ丘小学校から日野第四中学校に進んだ村上敏明と、日野市立程久保小学校から日野第三中学校に進んだ吉川健一とが、吉川の家からなら徒歩でもこれそうな七生公会堂でジョイント・コンサートを開きました。村上といえば藤原歌劇団期待の若手テノールですし、吉川は二期会期待の若手バリトンです。私はこれまで、村上の生の声を聴いたことはありませんでしたが、吉川は、東京オペラグループの「コジ・ファン・トゥッテ」で歌ったグリエルモを感心して聞いた覚えがあります。七生公会堂は、私の家からも比較的近いし、休日の午後を過ごすのには適当ではないかと思い、出かけました。

 七生公会堂は地元のカラオケ教室の発表会が行われるようなホールで、音響もとりわけ良くもないし、公会堂所有のピアノもコンサート・グランドではありません。更にピアノの側面には手垢が一杯ついている、といった具合で、なんともうらぶれています。でも聴きに来ているお客さんの多くは、地元出身の若手歌手を応援しようという意気込みのある方でしたし、歌ったお二人もその期待にこたえようと一所懸命がんばりましたので、大いに盛りあがりました。また、都心で行われるリサイタルではあまり見ることのない、お二人のトークもあり、村上が国立音大で吉川の一年先輩で、上下関係は厳しかった、などという話もありました。

 そんなわけで楽しめたコンサートではありましたが、お二人とも若いだけあって、課題もまた多かったように思います。

 まず、村上ですが、日本語の歌が上手に歌えない。彼が取り上げた二作品はどちらもテノールのために書かれた作品ではないと思うのですが、そこをテノールの技量で引き立てなければなりません。彼の歌唱は高音は良く伸び、且つよく響くのですが、中低音は出るのですが響かず、鈍重な印象が強くなります。彼は、楽譜に忠実に歌おうとしたのでしょうが、結果として日本語の歌詞の繊細さを表現しきれず、厚塗りの壁のような歌唱で期待はずれでした。日本語歌曲をどう歌うかは、今後の村上の大きな課題でしょう。

 これがイタリア歌曲になるとずっとすっきりします。「いとしい女よ」も低音部で一寸地声になるところがあって、満点ではなかったのですが、村上の美声を楽しめました。「カタリ」も、最後のアクートが一寸汚くなってしまって印象が悪くなったのと、途中ももう少し丁寧に歌った方がよいのに、と思うところがあったのですが、全体としては十分満足できる歌唱でした。

 村上が最も良かったのは、オペラでしょう。イタリア歌曲の歌唱より更に良かった。イタリア歌曲よりもよく練習していると見受けました。「ボエーム」の二重唱では、高音から低音の下降のところで、一寸気になるところがあった以外は非常に満足できる出来栄えでした。来春の藤原歌劇団「ラ・ボエーム」でロドルフォを歌うそうですが、期待が出来ます。「女心の歌」は良かった。「これも難曲です」と言い訳をつけてからの歌でしたが、出来栄えは当夜一ではなかったでしょうか。テノールらしい晴れ晴れとした歌唱で良かったです。

 吉川は比較的軽い声のバリトンで、高音の伸びが魅力です。最初吉川と村上とで「フニクリ・フニクラ」を歌ったのですが、1番を吉川、2番を村上が歌いました。吉川の1番を聴くとテノールパートも歌えそうな気がしました。勿論村上は転調して更に高音で歌って見せたのですが。

 この高音の伸びを使えることが、彼の日本歌曲が良かった一つの理由の様に思いました。とはいうものの、彼もこれらを十分に歌いこんでるわけではなかったようで、細かいところの処理に、もたついたところがありました。イタリア歌曲は勿論立派。ただし、「ガンジス川」は副科で声楽をとっている学生が習うような作品ですから、吉川クラスの歌手がきっちり歌うのは当然です。「禁じられた音楽」も良かったのですが、最後に声を張り上げすぎで、バランスを崩したのはいただけません。

 吉川もオペラが一番良かったと思います。上述の「ボエーム」の二重唱は、吉川も十分貢献しておりました。ただ、リゴレットの「悪魔め、鬼め」は吉川の声質には向いていないと思います。リゴレットの苦悩を表現するには、吉川の声質は軽すぎる。そこを無理して表現するので、声がざらついてしまい、どうにも違和感がありました。

 ドン・カルロのアリアから二重唱に繋がる部分は聴きものでした。ヴェルディの輝く推進力がリリックな声質のテノールとバリトンによって表現されて素晴らしい。アリアの部分で村上にミスがあったのですが、全体としては非常に高揚した歌唱で、フィナーレにふさわしいものとなりました。

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鑑賞日:2006823
入場料:5000円、2F2列17番、B席

主催:東京室内歌劇場
共催:財団法人 新国立劇場運営財団

東京室内歌劇場38期第113回定期公演

平成18年文化庁芸術創造活動重点支援事業

オペラ3幕、字幕付原語(英語)上演
プレヴィン作曲「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)
台本:フィリップ・リテル
原作:テネシー・ウィリアムズ

会場 新国立劇場中劇場

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京室内歌劇場管弦楽団
演 出:鵜山 仁  美 術:横田 あつみ
照 明:服部 基  衣 装:前田 文子
舞台監督:八木 清市

出 演

ブランチ・デュポア 釜洞 祐子
ステラ・コワルスキー 三縄 みどり
スタンリー・コワルスキー 宮本 益光
ハロルド・ミッチェル(ミッチ) 経種 廉彦
ユーニス・ハベル 森山 京子
スティーヴ・ハベル 蔵田 雅之
パブロ・ゴンザレス 多田 康芳
見知らぬ男(医師) 竹澤 嘉明
見知らぬ女(看護婦) 三橋 千鶴
集金人の若者 田代 万里生
メキシコ女 加納 純子

感想

二度聴いて分かること-東京室内歌劇場公演「欲望という名の電車」を聴く

 1998年サンフランシスコオペラのために作曲されたプレヴィンのオペラ「欲望という名の電車」は、初演から5年後の2003年、東京室内歌劇場の手によって日本初演を果たし、今回再演することになりました。日本初演時とほぼ同じスタッフ・キャストでの再演です。私は日本初演時、松本美和子のブランチと勝部太のスタンリーのコンビの演奏を聴いたので、今回は、前回聴けなかった釜洞祐子のブランチと宮本益光のスタンリーのコンビの演奏を聴くことにしました。

 日本初演時、松本/勝部コンビも釜洞/宮本のコンビも、若杉弘の指揮、鵜山仁の演出とともに絶賛され、それが今回の再演に繋がったものと思います。今回の再演の舞台は基本的には初演と同一であるのでしょうが、私の感覚は、初演時と随分違うな、という印象でした。その印象は恐らくブランチを歌った松本美和子と釜洞祐子との役作りの違いによるものが多いのでしょう。でも、それだけではないようです。舞台装置も恐らく初演時と微妙に違っているはずです。私は3年前舞台に向かって右側から見ていたのですが、今回は左側から見た。そのため印象の違う部分があるのですが、3年前の舞台はもっと荒涼感があったような気がします。今回はずっと柔らかな印象です。3年前のもっとごちゃごちゃした感じがすっかり整理された、ということかもしれません。

 このすっきりした舞台の印象と釜洞祐子の歌唱は良くマッチしていたように思います。逆に申し上げるならば、3年前の松本美和子の圧倒的な存在感は、今回の釜洞には感じられませんでした。しかし、それが悪いことであるとは私は思いません。3年前の松本はブランチのしたたかな部分に光を当てて表現していたのに対し、今回の釜洞はブランチのカマトトな部分に焦点を当てた表現だった、と思います。その結果、釜洞の歌唱に凄みを感じることは出来なかったのですが、だんだんと狂気が宿る様子が繊細に表現されて、よかったと思います。ヴィヴラート過剰な部分や音程がやや不安定になった部分(作品自身は調性のないものですので、本当に音程が不安定だったのかどうかは正確にはわかりませんが)が惜しまれます。

 よかったのは宮本益光のスタンリー。宮本は発声がストレートで持って回ったところがない。スタンリーの直情径行な性質をよく表した若々しく荒々しい歌唱がまた結構でした。宮本のパワーは野卑で荒々しいスタンリーの存在感を向上させていました。前回の勝部太は、松本美和子の存在感に圧倒されて、スタンリーの野卑な存在感を十分示しきれなかったのですが、今回の宮本は常にブランチにプレッシャーをかけており、その剃刀のような歌唱は、ブランチの胸の痛みを抉り出していることがよく分かりました。ブラボーでしょう。

 スタンリーとブランチの対峙が本オペラの基軸ですが、そこで、圧力をかけるスタンリーとその圧力に反発しながら最後には狂気に蝕まれるブランチの関係が、はっきりと明示されていました。釜洞の表現も尻上がりによくなってきました。3幕での表現は「さすが」、と申し上げるしかありません。

 結論的に申し上げれば、本日の公演の魅力はスタンリーとブランチのバランスにあると申し上げてよいでしょう。

 三縄みどりのステラも好演。ステラは現実主義者です。姉が転がり込んできたときに姉の苦労話を聞くと彼女を追い出すことは出来ませんが、最後はスタンリーを選ぶ。歌は抜群ではなかったように思いますが、演技はなかなか素敵でした。ブランチとステラとは対照的でありながら実際は似たものなのでしょう。その雰囲気が現れていて良かったと思います。

 経種ミッチは上手い。経種はヒーロー役よりも今回のミッチのように一寸屈折した役柄を演じさせた方がよい結果がでるのですが、今回も例外ではなかったようです。ミッチのブランチに対する恋慕とブランチの仮面がはがされていったときの演技は魅力的でした。

 他には森山京子のユーニスに魅力がありました。

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鑑賞日:2006913
入場料:D席 5870円 4F 126

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付イタリア語上演
ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」
原作: フリードリヒ・フォン・シラー
台本: 
ジョセフ・メリ/カミーユ・デュ・ロクル
イタリア語訳:アキッレ・デ・ラウジェレス/アンジェロ・ザナルディーニ

 

指揮 ミゲル・ゴメス=マルティネス
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出・美術 マルコ・アルトゥーロ・マレッリ
衣裳 ダグマー・ニーファイント=マレッリ
照明 八木 麻紀
舞台監督 大澤 裕

出 演

フィリッポ二世 ヴィタリ・コワリョフ
ドン・カルロ ミロスラフ・ドヴォルスキー
ロドリーゴ マーティン・ガントナー
エリザベッタ 大村 博美
エボリ公女 マルゴルツァータ・ヴァレヴスカ
宗教裁判長 妻屋 秀和
修道士 長谷川 顯
テバルド 背戸 裕子
レルマ伯爵/王室の布告者 樋口 達哉
天よりの声 幸田 浩子

感想

イタリアはどこに行った-新国立劇場公演「ドン・カルロ」を聴く

 一言で申し上げるならば、私には楽しくない演奏でした。この作品自身、いろいろと難しい問題があって、作品として冗長な部分があるとかバランスが悪いとか、楽しんで聴かせるためには元々難しい構造だとは思いますが、それにしても私が聴きたかった演奏とは対極的な気が致しました。客観的に見れば、それほど悪い演奏ではなかったのかもしれません。そつのない演奏という意味では、まあ、そつのない演奏でした。でも、「ドン・カルロ」をこのような予定調和的に演奏してほしくない。それが私の率直な気持ちです。

 指揮者の音楽作りの趣味なのでしょうね。重戦車が睥睨するような演奏、と申し上げたらよいのでしょうか。どっしりとして、立派で落ち着いた進みです。フォルテはフォルテらしく、ピアノはピアノの様に演奏して安定感があります。オーケストラもよい響きでそれに追随します。冒頭のホルンからフィナーレまで間然とするところがない。オーケストラの音の密度は十分で、東京フィルの充実がよく分かります。しかし、これはヴェルディが描きたかった音楽ではないと思います。全然スリリングではない。勿論私も、「ドン・カルロがヴェルディの作品の中で最もドイツ的な作品である、とおっしゃる方がいることは知らないわけではありません。でもここまでイタリア的な雰囲気を消さなくてもよいのではないかと思います。ヴェルディの音楽に欠かせない(と私が考える)沸々と湧き上がる血の滾る気分がどこかに飛んでいっています。ですから、退屈な部分は思いっきり退屈。歌手の上手さは理解できるけれど退屈、と思う部分が何箇所もありました。

 演出も、趣旨はわかるけど好きにはなれません。2001年12月のヴィスコンティ/ファッシーニの舞台と比較すると、極めて無機的な印象の強いものです。灰色のL字型のピースを組み合わせて舞台背景や宗教裁判所の圧力の象徴である十字架を示すなど、よく考えた舞台になっているのですが、もともと歴史の一場面を切り取った舞台をここまで象徴的にする意味がどこにあるのか、と私は思います。スペクタクルな場面である二幕第二場も今ひとつ寂しいですし、第三幕の群集が押し寄せる場面も華やかさに欠けていました。舞台の象徴性は音楽の持つ熱気を冷ますのに有効だった様です。指揮も演出もイタリアオペラらしさを消すのに一所懸命だった、と申し上げるのは、私の偏見でしょうか。

 歌唱は、前半が総じて今ひとつで尻上がりによくなっていったと思います。冒頭の男声合唱と長谷川顕の修道士のソロはそれほど悪くなかったのですが、ドン・カルロ/ドヴォルスキーが歌う「私は彼女を失った」はピリッとしないもの。そこから「われらの胸に友情を」に至る部分は、本日の演奏で技術的な安定性に欠けていたと申し上げてよいでしょう。「われらの胸に友情を」の二重唱は、先日コンサートで聴いた村上敏明と吉川健一の二重唱よりも明らかに完成度の低いものでした。

 ドヴォルスキーはよい声だとは思うのですが、声のずり上げや跳躍の失敗など技術的な不安定さがしばしば見え、一寸納得がいきませんでした。しかし、後半はよくなりました。ガントナーのロドリーゴは結構でした。高音の伸びやかな部分も素敵でしたし、若さがあふれる歌唱で良かったと思います。しかし、イタリアオペラ的声の魅力はあまり感じられない。1幕フィナーレのフィリッポ2世との二重唱は、もっとスリリングでもよいと思うのですが、落ち着きがありすぎて面白みに欠けます。

 コワリョフのフィリッポ二世も非常に結構な歌でした。貫禄には一寸欠けますけど、安定した歌唱で結構。第3幕の「一人寂しく眠ろう」は情感のある結構な歌で大いに楽しめました。妻屋秀和の宗教裁判長も結構。5年前は、フィリッポ2世を歌ってよかった覚えがあるのですが、今回は宗教裁判長で十分な存在感を示しました。

 女声陣では、大村博美のエリザベッタをまず誉めるべきでしょう。彼女も第一幕は細かいミスが出てあまりぱっとしなかったのですが、後半は非常に立派。現在の日本人ソプラノで、彼女ほどしっかりしたスピントを出せる人はいないと思うのですが、その実力を発揮しました。終幕のアリアは、細かいところまで行き届いた結構な歌唱だったと思います。

 エボリのヴァレヴスカもなかなかよいと思います。高音の張りが張りが今ひとつだったことや、歌唱全体にもう少し掘り下げてほしいと思う所もあるのですが、あそこまで歌って、物足りないと申し上げるならば、罰が当りそうです。「ヴェールの歌」は一寸退屈でしたが、これは彼女の責任というよりは、指揮者の責任でしょう。「むごい運命よ」は結構でした。

 背戸裕子のテバルトはまあまあ。普通舞台裏で歌われることの多い「天の声」は、マリア様の姿になって登場。幸田浩子の素敵な歌が聴けました。

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