オペラに行って参りました-2023年(その8)

目次

ブーイングは演出家の勲章か? 2023年10月13日 東京二期会オペラ劇場「ドン・カルロ」を聴く
デビュー舞台の大変さ 2023年10月28日 国立音楽大学大学院オペラ2023「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
スタミナの問題? 2023年11月11日 NISSAY OPERA2023「マクベス」を聴く
初期バロック音楽の豊かな花 2023年11月18日 「ジューリオの宝石箱~古楽器で歌うイタリア初期バロックの名曲」を聴く
指揮者がいない限界 2023年11月19日 町田シティオペラ協会「ラ・ボエーム」を聴く
オテッロへの道 2023年11月21日 新国立劇場「シモン・ボッカネグラ」を聴く
ドイツ語版の理由 2023年11月23日 東京二期会オペラ劇場「午後の曳航」を聴く
50周年の底力 2023年11月26日 藤沢市民オペラ「オテッロ」を聴く
覚悟が足りない 2023年11月28日 シュトラウス企画「ラ・ファヴォリータ」を聴く
何のためのカヴァーキャストか? 2023年12月9日 新国立劇場「こうもり」を聴く
フランスバロックオペラの踊り 2023年12月10日 北とぴあ国際音楽祭2023「レ・ボレアード」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2023年10月13日

入場料:C席 4FR1列8番 10000円

主催:公益財団法人東京二期会

シュオットガルト州立歌劇場との提携公演

二期会創立70周年記念公演

オペラ5幕 字幕付きイタリア語上演
ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」 (Don Carlo)
台本:フランソワ・ジョセフ・メリ/カミーユ・デュ・ロクル
イタリア語訳:アキッレ・デ・ロージェール原作:フリードリヒ・フォン・シラー『ドン・カルロス』

会場 東京文化会館・大ホール

スタッフ

指 揮 レオナルド・シーニ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
演 出 ロッテ・デ・ベア
演出補 カルメン・クルーゼ
舞台美術 クリストフ・ヘッツァー
照 明 アレックス・ブロック
振付 ラン・アーサー・ブラウン
演出助手 太田 麻衣子
舞台監督 村田 健輔

出 演

フィリッポII世 ジョン ハオ
ドン・カルロ 樋口 達哉
ロドリーゴ 小林 啓倫
宗教裁判長 狩野 賢一
修道士 畠山 茂
エリザベッタ 竹多 倫子
エボリ公女 清水 華澄
テバルド 中野 亜維里
レルマ伯爵&王室の布告者 前川 健生
天よりの声 七澤 結
6人の代議士 岸本 大/寺西 一真/外崎 広弥/宮城島 康/宮下 嘉彦/目黒 知史

感 想

ブーイングは演出家の勲章か?-東京二期会オペラ劇場「ドン・カルロ」を聴く

  カーテンコールが進み、演出家たちが出てきた途端、大ブーイングが起きました。演出に対するブーイングはこれまでも何度か経験していますが、ここまで凄い、一斉のブーイングはオペラ歴40年、見たオペラの総数1002本目にして初めての経験です。二期会のホームページに「本公演では、オリジナルであるドイツ・シュトゥットガルトでの上演を尊重し、演出として一部に暴力的な表現を含みますので予めご了承ください」というアナウンスがあったので、ある程度過激であることは想定していましたが、自分が想像していたのと違う方向で問題の多い演出で、私も全く支持することができないと思いました。問題点は細かくはいろいろあるのですが、大きくは3つあると考えています。

①ヴェルディの意図していない音楽が組み込まれていたこと

②本来、このオペラが史劇として成立していることを無視していること。

③過激な性的表現・暴力表現

 この中で一番問題なのは、①のヴェルディの意図していない音楽が組み込まれていること、だろうと思います。

 「ドン・カルロ」はしばしば決定版のないオペラ作品と言われます。Wikipediaによれば主要な版が6つあり折衷版もよく上演されるそからだそうですが、とはいえ、私はリコルディの5幕版(1886年モデナ上演版)が決定版だと思っています。ヴェルディはこの作品を20年かけて改訂を続け、新国立劇場などで取り上げられているリコルディ4幕版まで凝縮し、更に1幕を戻して5幕版にしたことを踏まえれば、その間削除した楽曲や修正した楽曲はヴェルディは最終的には不要と判断したということでしょう。しかし、今回の上演はリコルディ5幕版を基本にしながら、ヴェルディが削除した曲を断片的に何か所も復活させています。大きいのが第3幕のバレエ音楽。しかもこのバレエ音楽も本来の姿で復活しているわけではなく、その間にヴィンクラーの「プッシー・ポルカ」という作品が組み込まれてデフォルメされています。これを組み込んだのは今回の演出の初演の指揮者であるコルネリウス・マイスターの発案だったそうですが、これは余計でした。この曲は現代音楽的で打楽器を多用したり、微分音が使われたりしていて、本来のヴェルディの音のベースとは全く違うものです。ヴェルディの音楽のパロディとして書かれたものだそうですが、これを組み込んだことによってヴェルディの音楽の大きな流れが寸断され、極めて違和感がありました。結果としてヴェルディの意図を踏みにじり彼の傑作を冒涜しているというべきであり、厳しく批判されなければいけません。

 ②も批判されてしかるべきでしょう。

「ドン・カルロ」は本来15世紀スペインが舞台でありますが、今回の舞台は近未来だそうです。しかし、舞台装置はほとんどなく衣裳を見ても近未来的な味がなく時代不祥な感じです。そもそも時代劇で15世紀のカソリックとプロテスタントの対立と教会権力と世俗権力との対立という二重構造が根幹にある作品の舞台を近未来に舞台を持ってくるのであれば、この中世的対立の二重構造も視覚的には現代の二重の対立構造にしなければ不十分です。しかし、舞台装置がほとんどなく背景が黒いだけの舞台では、「時代劇ではない」とは言われてもピンとこない。もし近未来劇として見せたかったら、視覚的に徹底して近未来を見せなければ話にならない。その意味で、この舞台は演出家の独りよがりの舞台というそしりを免れないでしょう。

 ③も好きになれないところです。意味のないベッドシーンが多い。第1幕ではエリザベッタとドン・カルロがベッドに入っているし、第4幕ではエボリ公女とフィリッポがベッドに入っている。エリザベッタはドン・カルロの婚約者ではあったけど、第一幕でドン・カルロと愛の二重唱は歌うけど、カルロの一方的な愛で、エリザベッタはカルロに対し明確な愛を示しません。そして、エリザベッタはカルロとは何もなかったと歌っている。即ちこの演出にしたことにより、エリザベッタは嘘つきであることを示したかったのでしょうね。しかしそう描くことにどんな意味があるのか。私には理解できません。エボリはフィリッポと関係を持ったと歌うわけですから、こういうシーンが伏線としてあってもおかしくないのですが、でも、フィリッポがベッドから独りで出てきて、「一人寂しく眠ろう」と王の孤独を歌う。「隣に美女がいて、どこが一人寂しく、なの?」と突っ込みを入れたくなるレベル。

 宗教裁判長がゲイで、男にどんどんキスをする演出も欧州で昨今問題になっている教会の性的迫害が背景にあるのでしょうが、それを何度も強烈に描く必要があるのでしょうか。暴力的な場面では、子供たちがカルロ5世を燃やしてみたり、最後に宗教裁判長が凶漢に襲われて血まみれになったり、背景としては現代のすさんだ欧州があるのでしょうが、それをこれでもか、これでもかと描くのは演出家の悪趣味でしかありません。

 斬新な演出に対するブーイングは、ブラボーとの対立があってこそ意味があり、そういう賛否両論の出る演出をできることは演出家の力であり、演出家の勲章と言っていいでしょう。しかし、今回はBooしかでず、私も斬新さは全く感じられず、ただただ暗くて後味の悪い演出だと思いました。この舞台がどうして日本で受け入れられると思ったのでしょうか?東京二期会が本当に受け入れられると思ったのであれば、そこも不見識と申しあげるべきでしょう。

 音楽部分については簡単に。

 レオナルド・シーニの音楽作りはやや乱暴になるところも見受けられましたが、推進力のあるパワフルな演奏でいいと思いました。

 歌手陣で一番素晴らしかったのは、ロドリーゴ役の小林啓倫。「友情の二重唱」から終幕の「ロドリーゴの死」までくっきりとした楷書体の歌唱でとても立派でした。ジョン・ハオのフィリッポもよかった。「一人寂しく歌おう」における枯れている感じが王様の寂寥感を示すのにぴったりで素晴らしい。しかし、続く宗教裁判長の二重唱では、九十いくつかの宗教裁判長が若々しい声で、フィリッポが枯れている感じなので、声の関係としては、ジョン・ハオが宗教裁判長を歌い、狩野賢一がフィリッポを歌った方がいいバランスになったと思います。

 ドン・カルロの樋口達哉。勢いあまってちょっと暴走しそうになるところはありましたが、気持ちと歌唱技術が上手く溶け合った歌唱で素晴らしかったと思います。ベテランの力量を示しました。

 女声陣では、エボリの清水華澄がとても良かったです。「ヴェールの歌」、第三幕のカルロとの二重唱、第四幕の告白、アリア「麗しき美貌」と立派な存在感。竹多倫子のエリザベッタは終幕の大アリア「「世のむなしさを知る神よ」は素晴らしかったですし、力強い高音は魅力的でしたが、中音部でぶら下がり気味だったところもあってそこは残念かもしれません。

 それ以外の出演者では声の力で存在感を示したのが前川健生のレノマ伯爵&王国の布告者。七澤結の天からの声も美しかったです。

 二期会合唱団の素晴らしさはいつもの通り。以上、歌手は大健闘して素晴らしかったのですが、演出の駄目さ加減が半端ではなく、とてもBravoと申しあげる気にはなれません。

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鑑賞日:2023年10月28日
入場料:S席 こ列18番 3000円

主催:国立音楽大学

2023年国立音楽大学大学院オペラ公演

全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 国立音楽大学講堂大ホール

スタッフ

指揮/通奏低音 阪 哲朗  
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指揮 安部 克彦
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
照 明 山口 暁
衣 裳 半田 悦子
音 響 片桐 健順
演出助手 古川 真紀
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

フィオルディリージ 楠 奈桜
ドラベッラ 小市 和音
フェルランド 三瓶 朗
グリエルモ 島田 恭輔
ドン・アルフォンソ 和田 央
デスピーナ 花田 美和

感 想

デビュー舞台の大変さ‐2023年国立音楽大学大学院オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 例年聴いている国立音楽大学大学院オペラ。今年は一昨年に続き「コジ・ファン・トゥッテ」。国立の院オペは昔からモーツァルトのダ・ポンテ三部作を繰り返して上演してきましたが、かつては「フィガロの結婚」の上演が多かったのですが、最近は「コジ」が増えているようです。「コジ」は出演者それぞれがバランスよく重唱に絡まなければいけないので、教育効果が高いということがあるのかもしれません。

 また10月は大学オペラのシーズンでもあります。私は昭和音大「愛の妙薬」、東京藝大「コジ・ファン・トゥッテ」、そしてこの国立音大「コジ・ファン・トゥッテ」と三つ聴いたわけですが、藝大と国音でどっちが良かったか、と言われれば歌手の魅力と音楽的まとまり方で東京藝大を採ります。国音も悪くはないけど、色々な部分で雑でほころびが出たというのが本当のところ。

 阪哲朗の音楽作りは前に進める意思が見える疾走感のあるもの。誰かが遅くなりそうになると手をぐるぐる回して進めよう、進めようとする姿が印象的でした。オーケストラは学生中心だと思います。個人の実力まではよく分かりませんが、阪の指揮にしっかり食らいついていこうとする様子はよかったと思います。とはいえ、プロ奏者中心の藝大オーケストラとは音楽のまとまり方で差があるようで、音楽の奥行きが藝大の方が上だと思いました。

 歌手についても総じて藝大が上。藝大に関して申しあげれば6人の出演者のベクトルが完全に一致している感じで音楽のトーンが揃っているのですが、国音は個人の個性が結構残っていて、その分アンサンブルの自由さが引き出されていたとも思うのですが、アンサンブルの美しさの点でも藝大に軍配が上がります。

 歌手個人ですが、少なくとも女声3人とフェッランドは藝大に軍配が上がるでしょう。

 フィオルディリージの楠奈桜。フィオルディリージに必死に取り組んだけれどもねじ伏せられた、という印象の歌唱。比較的中低音の出る方のようですが、それでもフィオルディリージの音域の広さは大変だったようで、「岩のように動かず」は低音に意識が行き過ぎたのか、最高音は乱れていて上手くいったとは言い難かったと思いますし、第2幕の「ロンド」も、今度は高音はしっかり伸びていてよかったのですが、低音は聴こえてこない。地声がややくすんだ感じの方のようで、アンサンブルでは時々くすんだ感じの声が聴こえることがあって、それがアンサンブルの透明感にブレーキをかけているようにも思いました。藝大で歌った影山亜由子も低音部には難がありましたが、それ以外はとてもよかったことから、楠にもさらに頑張ってほしいところです。

 ドラベッラの小市和音。今回の院生出演者の中では一番力量が上なのが、この方だと思います。声が美しく伸びやかで華やかな感じがあります。更に中音部が充実していてそこもいい。ふたつのアリア、第1幕の「耐えがたき不安が」の直情的表現、第2幕の「愛は可愛い泥棒」の乙女心、どちらもよく表現されて良かったと思いますし、アンサンブルもいいバランスで入っていて素敵でした。ただ、芸大で歌った富岡明子と比較すれば、芸歴の差は歴然としていて、そこは仕方がありません。しかし、持ち声がしっとりとしていて、小技も利きそうな感じがするので、上手に鍛えていければいい歌手になれそうな臭いはあると思いました。

 デスピーナの花田美和。一言で申し上げれば声が足りないです。スーブレットに期待される高音部での華やかさにかけています。もっとしっかり声を響かせて歌って貰えばいいと思うのですが、結果として重唱で絡んだ時、高音部の華やかさが今一つ足りない感じになり、デスピーナの存在感が感じられないと思います。アリアも声を響かせて歌った方がいい結果になったのではないかと思います。また、医者や公証人に化けたときの役作りももう少し、けれんみを出して味を見せて欲しいところです。

 フェッランドを歌った三瓶朗は女声よりも問題が大きいと思いました。鼻にかかった歌い方自体が個人的には好きになれません。更にアリアでは音を外したり、それもアクートを失敗して声を外すならまだしも何でもないところで外していましたし、後半になるとスタミナ切れなのか、声がかなりふらつくようになっていました。一本きっちり歌えるだけの体力と技術を磨いてほしいところです。

 一方助演の二人は大学院生よりは場数を踏んでいることもあって、上手くまとめたと思います。

 グリエルモの島田恭輔は、この舞台二度目のグリエルモ。5年前にはあまり目立った感じはなく、ごく普通のグリエルモ、と評したのですが、今回は先輩の意地を見せたというか、しっかりした歌でメリハリのついた演技・歌唱をやっていたのではないかと思います。重唱もしっかり支えていましたし、アリアも良かったです。ただこの方も体力的に最後が苦しくなってきたようで、そこまでのペース配分には更に検討の余地があると思いました。

 和田央のドン・アルフォンゾ。良かったと思います。最初流れに嵌らない感じで、軽薄なドン・アルファンゾになってしまったのですが、すぐに修正して、いい感じに重みのある声で、ドン・アルフォンゾを歌いました。その後はクリアーでぶれのない歌唱で見事だったと思います。

 演出は中村敬一。これまでも何度も使用された舞台で、オーソドックスで学生オペラには最適だと思います。

 今回出演の院生は大学院2年。彼らにとっては今回が本当の舞台デビューでしょう。その大変さが良く感じられました。結果的にあらが目立った舞台であることは否定できませんが、彼らはやれることはやり切った舞台だろうとは思います。ただ、今回のデビューは彼らにとっては長い音楽人生の緒に就いただけのことであり、今後の更なる努力に期待したいところです。

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鑑賞日:2023年11月11日

入場料:B席 2FH列44番 7600円

主催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団(日生劇場)

NISSAY OPERA 2023

日生劇場開場60周年記念公演

オペラ4幕 字幕付きイタリア語上演
ヴェルディ作曲「マクベス」 (MACBETH)
台本:フランチェスコ・ピアーヴェ
原作: ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 沼尻 竜典
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 C.ヴィレッジシンガーズ
合唱指揮 須藤 桂司
演 出 粟國 淳(日生劇場芸術参与)
美術・衣裳 アレッサンドロ・チャンマルーギ
照 明 大島 祐夫
振付 広崎 うらん
演出助手 上原 真紀
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

マクベス 今井 俊輔
マクベス夫人 田崎 尚美
バンクォー 伊藤 貴之
マグダフ 宮里 直樹
マルコム 村上 公太
侍女 森 寿子
医師、マクベスの従者、刺客、伝令、第一の幻影 後藤 春馬、金子 慧一(二人で分担)
第二の幻影 田浦 彩夏
第三の幻影 大木 美枝
ダンカン王 吉崎 裕哉
フリーアンス 青木 雪子
ダンサー 西田 健二/吉崎 裕哉/中村 駿/鈴木 遼太/永森 祐人/高橋 佑紀/小川 莉伯

感 想

スタミナの問題?-NISSAY OPERA 2023「マクベス」を聴く

  私にとって10年ぶりの「マクベス」でした。直近の演奏は、2013年9月のオペラ彩の公演。この公演は須藤慎吾のマクベス、小林厚子のマクベス夫人で上演されたのですが、須藤、小林が共に抜群によく、私にとって最高の「マクベス」体験となりました。それと比較したとき、今回は指揮、オーケストラ、合唱ともにその時よりも優れていたにもかかわらず、全体としてはイマイチの出来だったと言わざるを得ません。その理由のひとつは演出が暗すぎること、もうひとつはマクベス、マクベス夫人、マグダフの主要三人がそれぞれ難があったことによるものだろうと思います。

 今回の「マクベス」、一般向け公演はダブルキャストで2日だけですが、一般公演の前に中高生向けの公演を3回行っており、結果として主要役の方は声に疲れが残っていたのではないかという気がします。基本的には素晴らしい声と表現なのですが、ちょっと気を抜いたとたんに失敗するという感じで完璧ではなかったということです。

 まず主演のマクベスを歌った今井俊輔。高音が綺麗に出ておらず抜けた声になっていました。中低音部の表現・表情は本当に素晴らしく、だからこそ中低音部でしっかり鳴らすものの高音部に行くとスッと抜け、また中低音部ではしっかり鳴るという歌い方はかなり違和感がありました。私は今井のマクベスは今回で3回目(以前の2回は2010年大田区民オペラ、2013年東京二期会)なのですが、今まで上が抜けた声になっていたという印象がなく、ちょっとびっくりしました。彼の中低音部はそのフレージングや表現も含めてとても素晴らしく、表現技術の点では今回が最高なのだろうと思いますが、それだけにある音程以上の高音になると抜けてしまうのは残念でなりません。また、第4幕あたりは声に疲労も見えて、若干弱弱しくなったのも残念なところです。それでも一番の聴かせどころであるアリア、「悲しみも、誉れも、愛も」は抜ける高音は一瞬しか出てこないので、いい感じで響きました。

 マクベス夫人役の田崎尚美。ドラマティックな表情が素晴らしく、日本のドラマティック・ソプラノの第一人者という感じではありましたが、惜しむらくは細かいミスがありました。まず第一アリア「早く来て」の上行跳躍が上手くいかずずり上げで音程を取ったのが残念でしたし、その後も音程を低めに取っているところがあたようで、マクベスとの二重唱「運命の妻よ」は、マクベス夫人がもう少し高いところで音を取った方がいい感じに響くだろうとは思いました。夫人の登場のシーンが終わるとその後は響きといい、声量といい文句のない素晴らしいものでしたから、最初だけちょっと雑な部分があったことが残念ではあります。また田崎レディは途中からは表現がレディの強さも弱さも的確に歌っていた様子で、特に第二幕のアリア「日の光は衰え」は素晴らしく、マクベス夫人という野心家をしっかり見せたと思います。

 伊藤貴之のバンクォーは素晴らしい。多分一番安定して音楽を下支えしました。冒頭のマクベスとの二重唱が素晴らしく、また第二幕のアリア「天から影が落ちて」も素晴らしかったと思います。

 マグダフの宮里直樹は、持ち前の美声でアリア「父の手は」を綺麗に歌ったのですが、最高音のアクートが全然上に広がっておらず残念。その後の村上公太マルコムと歌うカバレッタは二重唱は完全なユニゾンで進行するのですが、その響きが村上マルコムが素晴らしい高音の響きでびんびん来るのに、宮里の声がほとんど目立たないというのも残念でした。

 一方素晴らしかったのは合唱。冒頭の魔女の合唱は半分地声で魔女のおどろおどろしさを表現したもの。私個人としては全体をベルカントで歌ってもらった方が好きですが、この歌い方が本来の歌い方なのでしょうね。でもそれ以降は合唱が素晴らしく満足いくもの。第4幕冒頭の混声合唱などは本当に素晴らしい。メンバーを確認すると、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部からの選抜メンバーのようになっており、これぐらい歌えるのは当然と言えば当然なのですが、作品の出来栄えには合唱が大きく関与するので、いい感じに歌ってくれて嬉しいです。

 ベースの音楽作りは沼尻竜典指揮の読響ですが、流石に素晴らしいオーケストラ。序曲の響きが厚くて立派。その後もしっかり舞台をサポートしていました。沼尻竜典に関しては昔からオペラに親和性のある指揮者でこれまでも数多くの演奏を聴いてきましたが、先月の新国立劇場「修道女アンジェリカ」と「子どもと魔法」のダブルビル公演に続き、いい時間を過ごすことができました。

 粟國淳の演出は闇を強調したもので、こちらはおそらく実際の時間の問題とマクベスやマクベス夫人の心の闇を描くためには基本的に舞台を暗くする必要があるという判断があったのでしょう。そういう暗い舞台の中で、時折稲妻のようなもので青白く光らせて心のゆがみを見せたり、服の裏地の赤を強調したりして印象深いものはあるのですが、例えば第二幕フィナーレの乾杯の場面などはもう少し明るくてもいいのかなとは思いました。

 以上色々と気に入らないところはありましたが、全体としてはまあまあの出来だったと思います。ただ観客のマナーに関してはどうかと思いました。音楽が終わらないうちの拍手や上手くいっていないのにBravoの掛け声。もちろん感動しているなら掛けたらいいとは思いますが、アリアが完全に終わらないのにかかるBravoや、大して上手くいっていないのにかかるBravoは、Bravoの価値が下がったようで、もやっとした気分にならざるを得ませんでした。

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鑑賞日:2023年11月18日

入場料:自由席 3000円

主催:Giulio

Giulio

ジューリオの宝石箱~古楽器で歌うイタリア初期バロックの名曲

会場 武蔵野スイングホール

出 演

監修・解説 バリトン 牧野 正人
企画 ソプラノ 小松原 利枝
ソプラノ 佐藤 恵利
ソプラノ 末吉 朋子
ソプラノ 松永 知子
ソプラノ 山田 真里
ソプラノ 梁取 洋子
ソプラノ 山邊 聖美
テノール 嶋田 言一
チェンバロ 上薗 美佳
ヴィオラ・ダ・ガンバ 西谷 尚己

プログラム

作曲 作品名/作詩 曲名 歌手 伴奏
カッチーニ 新音楽 Dolcissimo sospiro 山邊 聖美 チェンバロ
Tornaa, deh torna 小松原 利枝 チェンバロ
Amor ch'attendi 佐藤 恵利 チェンバロ
Perfidissimo volvo 嶋田 言一 チェンバロ
ストロッツイ   Lagrime mie 山田 真理 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
  L'Amante segreto 梁取 洋子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
フレスコバルティ   Se l'aura spira 松永 知子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
ディンディア   Odi quel rosignolo 末吉 朋子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
休憩    
モンテヴェルディ オルフェオ プロローグの歌「私を愛する歌」 小松原 利枝 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
オルフェオ オルフェオのアリア「天上のバラ」 嶋田 言一 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
ポッペアの戴冠 ヴァレットとダミエッラの二重唱「何かを感じる」 山邊 聖美、佐藤 恵利 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
ポッペアの戴冠 オッターヴィアのアリア「さらば父祖の地ローマ!、さらば友よ!」 松永 知子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
未出版 この世に別れを告げたい 末吉 朋子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
音楽の諧謔 第2巻 あの軽蔑した眼差し 梁取 洋子 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
倫理的、宗教的な森 第39曲「神を賛美せよ」 佐藤 恵利 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
ポッペアの戴冠 ネローネとポッペアの二重唱「ずっとあなたを見つめ、抱きしめる、愛しい人!」 松永 知子、小松原 利枝 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
マドリガーレ第7集 ああ、愛する人はどこに 末吉 朋子、山田 真理 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
アンコール    
モンテヴェルディ オルフェオ   牧野 正人 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ
ペーリ エウリディーチェ フィナーレのアリア 牧野 正人 ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ

感 想

初期バロック音楽の豊かな花-ジューリオの宝石箱~古楽器で歌うイタリア初期バロックの名曲~を聴く

  17世紀初頭から18世紀半ばまでを音楽史区分としてバロック音楽時代というわけですが、それ以前のルネサンスの音楽とどう違うのかについてまともに考えたことがありませんでした。今回このコンサートを聴いて調べてみると、バロック音楽は「モノディ」様式の確立で始まったとされるようです。モノディ形式とはWikipediaによれば「モノディは、15世紀終わりにカメラータによってフィレンツェ・ローマを中心に生まれた新しい独唱スタイルの音楽。独唱、または重唱の歌手と伴奏の楽器で演奏され、多くは弾き語りであった。」とのことで、それまでのポリフォニー音楽から、言葉の意味をはっきりと表現するために独唱と伴奏によって「語りながら歌う」というスタイルが確立し、それによって劇的な表現が可能になり、「過剰な音楽」であるバロック音楽になったとするようです。

 このモノディの確立に重要な役割を果たした作曲家がカッチーニであり、ディンディアであり、ペーリであり、モンテヴェルディだったわけです。この中で最も重要な作曲家はモンテヴェルディでルネサンス的なポリフォニックな曲もたくさん書いていますし、モノディ様式の曲もたくさん書いている。彼にはマドリガーレ集が9巻あるわけですが、そのうちの最初の第4集まではポリフォニックな音楽によるもので、第5集以降でだんだんモノディ形式が現れてくるそうです。オペラは劇的な音楽の代表格ですが、モンテヴェルディのオペラは散逸したものもあるようですが、「オルフェオ」、「ポッペアの戴冠」、「ウリッセの帰郷」の三作品は今でも時々演奏されます。今回モンテヴェルディの作品が中心になったのは故なきことではないのだと思います。

 一方で、過去からの連続も無視できません。例えばメリスマ唱法です。メリスマ自体はグレゴリオ聖歌からあり、ルネッサンスのポリフォニー音楽でも多用されました。それがバロック音楽になるとその極端な長大化や高難度化が進んだという特徴があります。今回もそんなメリスマ唱法がひとつの聴きどころとしてあったと思います。

 以上ポイントは分かるのですが、自分にとっては珍しい音楽体験でした。「ポッペアの戴冠」はこれまでに実演を2回鑑賞していますので、そのアリアは当然聞いたことがあるはずですが、全然記憶に残っていません。それ以外の曲も多分全く初めて。モンテヴェルディで一番有名なのは「アリアンナの嘆き」だと思いますが、そんなポピュラーな曲は演奏されるわけもなく、同様に、カッチーニの「新音楽」で一番有名なのは「アマリッリ」だと思いますが、こちらもなし。比較的無名ですが、初期バロックの特徴がよく出ていて、テクニカルにも聴き映えのする曲を選んだように思いました。そんな状態なので、個々の歌を評価するなどおこがましい。

 バロック音楽は一方で歌手側の自由度が高いとも言われます。例えばダ・カーポアリアで、戻ってきた繰り返しの部分に装飾を付けるというのは歌手の技術であり、そういった自由度が高い音楽であるからこそ、通奏低音は番号で書かれていて、演奏者のフィーリングに任せているところもある。だからといってバロックの様式感はきっちりと守らなければいけない訳で、ごまかしがきかないところがあります。

 そんなところを踏まえると細かい正誤は分からないのですが、出演者全員がきっちりと曲に取り組み初期バロックの雰囲気を上手に表現できていたのではないかと思います。メリスマの処理などは皆さん凄くいい感じでできていたし、重唱の和音のハモリ具合も流石で素晴らしかったと思います。

 特に上手だなと思ったのは、山田真理と末吉朋子のお二人です。山田はレガートな流れの中に劇性をしっかり表現しつつも響きの均質性が保たれていて素晴らしいと思いました。また、末吉朋子は高音が軽く響くだけではなく、中低音がしっかりと前に飛ぶ声で、抜けるところがない。ソプラノであれだけ中低音を響かせられる人はなかなかいないので、それだけでも素晴らしいと思いました。

 しかし、それ以上に素晴らしかったのは、最後に登場した牧野正人。牧野とそれ以外の方と比較すると、立っている舞台が違うな、という印象。流石に日本を代表するプリモバリトンです。最近は病を得て入退院を繰り返しているそうで、流石に高音の響きは昔ほどではなくなってきていますが、バリトンらしい中低音の迫力とフレージングは他人の追随を許さないレベルです。牧野の歌を聴いてしまうとその前のの歌が霞んでしまいます。素晴らしいとしか申しあげようがない歌でした。

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鑑賞日:2023年11月19日

入場料:A席 は列5番 4000円

主催:町田シティオペラ協会

第5回町田芸術フェスティバル

町田シティオペラ協会が贈るオペラシリーズ第10弾記念

オペラ4幕 字幕付きイタリア語上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」 (La Bohème)
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ
原作:アンリ・ミュルジェール「ボヘミアン生活の情景」

会場 町田市民ホール

スタッフ

ピアノ 田島 葉子/和田 良枝
キーボード 岩崎 紀子
合 唱 ボエーム記念合唱団
合唱指揮 高橋 勇太
演 出 松本 重孝
照 明 成瀬 一裕
舞台監督 伊藤 潤

出 演

ミミ 横井 香奈
ロドルフォ 金山 京介
マルチェッロ 寺田 功治
ムゼッタ 雨笠 佳奈
ショナール 岩田 健志
コッリーネ ジョン・ハオ
ベノア/アルチンドロ 志村 文彦
パルピニョール 望月 光貴
軍曹 岡田 頼祈

感 想

指揮者がいない限界-町田シティオペラ協会「ラ・ボエーム」を聴く

 指揮者がいなくても十分しっかりした演奏ができるキャストを集めたのでしょうが、それでも指揮者がいなかったことでしまりの悪い演奏になってしまった、と思います。もちろん声をお互い聴きあってしっかり合わせようとしていたのは分かりましたが、それでも各所にほころびが出えいたことは間違いないと思います。オペラをよく指揮する高橋勇太が合唱指揮者として入っていたわけですから、高橋が全体を振って統率すればいいと思うのですが、現実に高橋が登場したのは第2幕だけで、それも合唱に対してだけ指示を出しており、ソロの部分は緩い演奏だったと思います。

 会場の町田市民ホールは800席強のホールですが、その広さのホールをピアノ一台の伴奏で支えるのは難しかったというのはもうひとつ申しあげたいところ。確かに田島葉子、和田良枝によるピアノ伴奏は悪いものではありませんでしたが、ピアノの音響の特性上音が切れて聴こえてきます。「ボエーム」はそもそも三管編成のオーケストラで書かれていてオーケストラ部分が厚く、そこが作品の音楽全体を支配しているところがある。それをピアノ1台と電子キーボードで支えようとしても、会場が狭ければ何とかなるものの、あの広い会場では無理があります。これも音楽が全体としてスカスカに聴こえた理由だと思います。

 更に申し上げればカットにも疑問があります。第3幕の合唱が全部カット。あのシーンは、アンフェール門と市外との関税所前で明け方に行商人が市内にやってくるシーンで寒さの雰囲気を出して、そこにミミが現れるからこそその寂しさが強調されると思うのですが、その合唱がないとやっぱり内容が薄くなります。第2幕のカルチェ・ラタンのクリスマスの場面も、合唱が一か所に並んでほとんど演技をしないので、凄く間抜けに見える。松本重孝という日本を代表するオペラ演出家が演出しているにも関わらず、それぞれのシーンの雰囲気がそれらしくなく、全体としてピンとこない演出に終わっていたのも、もっとしっかりとオペラを作ろうという強い気持ちがなかったからなのではないかとも思いました。

 集めた歌手は二期会の本公演などにも出演する一流どころが多い。特に金山京介は東京二期会を代表する美声のテノールだと思いますが、今回は調子が悪かったのか、高音が美しく響かず残念でした。「冷たい手を」などはハイCは言うに及ばず、その2音下の「A」の音あたりから美しさが消えており、その更に下の音は凄く美しく響いていたので、高音がいい感じでなかったのは残念なところです。

 ミミの横井香奈はいい感じでした。第1幕の「私の名はミミ」は雰囲気が出ていましたし、そのあとのロドルフォと屋根裏部屋から降りて行くときの余韻もこれは金山京介の巧さもあるのですが、余韻があって素敵です。第2幕ではあまり目立つところはありませんが、しっかり役目を果たしていましたし、第3幕の切々とした雰囲気もしっかり出していてよかったと思います。

 寺田功治のマルチェッロはちょっと猛々しい感じで野獣性を感じさせるマルチェッロ。雨笠佳奈のムゼッタもピンとしたいい声で、ムゼッタのおきゃんな雰囲気をよく出していたと思います。

 コッリーネのジョン・ハオ、とても上手だと思いましたが、音の響きが重く、凄い高年齢のおじさんのように聴こえました。もっと若さが欲しかったところです。

 志村文彦のベノア・アルチンドロはこの人しかいないいいものがあり、もちろん今回もそれを見せてくれたのですが、演出があまり厳しくなく、例えば、二幕の幕切れで、アルチンドロが高額な請求書にびっくりして固まってしまう、ようなところがあまりはっきりと見せてくれなかったのは残念です。

 個々人の歌唱には全然問題ないと思うのですが、アンサンブルが甘くなるのは本当に感じました。例えば、第4幕前半で、男同士が遊び半分で「決闘だ」と騒ぎ出すストレッタからムゼッタが飛び込んで雰囲気が一瞬に変わるところ。その前の騒ぎの感じも今一つ踏み込んでいない感じがあったし、ムゼッタの飛び込んでくる感じももう一つ切迫さが欲しいところ。この辺は指揮者が攻めてくれればおのずとそうなるところですが、攻めてくれる指揮者がいないので、どうしてもゆるみが出てしまう。これは誰が悪いというものではなく、指揮者を頼まなかった制作側の責任です。

 折角素晴らしい歌手を揃えたのに、舞台として不完全燃焼に終わったのは、中途半端な企画をした町田シティオペラ協会の責任だと思います。 

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鑑賞日:2023年11月21日
入場料:C席 4F2列38番 9900円

主催:公益財団法人新国立劇場運営財団/独立行政法人日本芸術文化振興会/文化庁

共同制作:フィンランド国立歌劇場/テアオロ・レアル

2023/2024新国立劇場シーズンオペラ公演

プロローグ付き全3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「シモン・ボッカネグラ」(Simon Boccanegra)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ/アッリーゴ・ボーイト(改訂)

会場 新国立劇場オペラハウス

スタッフ

指揮 大野 和士  
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 冨平 恭平
演 出 ピエール・オーディ
美 術 アニッシュ・カプーア
照 明 ジャン・カルマン
衣 裳 ヴォイチェフ・ジエジッツ
装置補 ミケーレ・ダボレッリ
照明補 ヴァレリオ・ティベリ
演出助手 フランス・ヴィレム・デ・ハース
舞台監督 高橋 尚史

出 演

シモン・ボッカネグラ ロベルト・フロンターリ
アメーリア イリーナ・ルング
ヤコボ・フィエスコ リッカルド・ザネッラート
ガブリエーレ・アドルノ ルチアーノ・ガンチ
パオロ・アルビアーニ シモーネ・アルベルギーニ
ピエトロ 須藤 慎吾
隊長 村上 敏明
侍女 鈴木 涼子

感 想

オテッロへの道‐新国立劇場「シモン・ボッカネグラ」を聴く

 「シモン・ボッカネグラ」は1994年の藤原公演を皮切りに今回で5回目の実演鑑賞になります。有難いことにそれぞれの演奏にそれぞれ魅力がありましたが、今回の演奏は、その中でも最初に聴いた藤原公演と並ぶ魅力的な公演だったと思います。特に招聘した外国人男性歌手が皆素晴らしい演技・歌唱を見せてくれたと思います。

 タイトル役を歌ったフロンターリ。主役なのにアリアが少なくて重唱が多いという役どころですが、その分複雑な陰影を表現しなければならず一筋縄では行かない役どころだと思います。その中で総統の威厳と悲しみを表現する訳ですが、凄く上手いと思います。

 重唱の場合、役柄上の相手との力関係と音楽的な実力の関係の双方が絡まっていい感じに仕上げるのはなかなか難しいと思いますが、重唱相手を実力のある方を集めたということはあるのでしょう。魅力的です。特に低音同士がいい。低音同士の重唱というと、例えば「ドン・カルロ」におけるフィリッポと宗教裁判長の二重唱などがまず思い浮かぶわけですが、あの二重唱は教会権力と世俗権力では教会権力が強いという前提で歌われるので、おのずと音楽的な相互関係も決まってくるように思います。それに対して、今回は、例えばプロローグにおけるシモンとフィエスコの激しい二重唱はいろいろな表現法があるように感じます。そういう中で今回のフロンターリは海賊出身の平民という役柄にもかかわらず、激昂することはなく、と言って抑えすぎることもなく終始バランスのいい知的な歌い方で、総統としての適格性を示していたように思います。これはここだけではなく、様々な二重唱で同様で、例えば、アメーリアがシモンの娘であることが判明する二重唱では、もっと喜びを爆発させる表現もあると思うのですが、一定の抑制が効いてそこがいい。こういった抑制加減が、第3幕の余韻溢れるアンサンブル・フィナーレを導いたように思います。素晴らしい歌唱でした。

 フィエスコを歌ったザネッラートも素晴らしかった。こちらも重唱を中心とする参加で、冒頭のモノローグから続くシモンとの二重唱、第一幕のガブリエーレと二重唱、フィナーレと出てくるたびに低音の支えがしっかりして見事。実際は声質が違うので、よく聴いていれば分かるのですが、音域的にはシモンと重なているので、シモンとフィエスコのどちらが歌っているのかがあいまいになる。演出も両者の違いが視覚的にはっきりしないところもあるので、この作品をよく知らない人にとっては混乱するかもしれないと思いました。

 一方、悪役のパオロ。アルベルギーニがいい感じでまとめました。雰囲気が「オテッロ」のイヤーゴを思わせるものがある。ボーイトとヴェルディは、「シモン・ボッカネグラ」の改訂の後「オテッロ」に取り掛かるわけですが、パオロの進化系がイヤーゴなんだと聴いていて思いました。「シモン・ボッカネグラ」の方が作品としての構成が複雑で今までそうは考えなかったのですが、今回のアルベルギーニの表現を見ながら、これはイヤーゴだな、と思った次第です。バリトンの役柄ですがハイバリトンの音域のようで、重厚さがない分悪役のずるさを見せられる。そこが良かったと思います。

 ガブリエーレ役のガンチは素晴らしいテノール。どこをとっても本当に美しいレガートで歌い続ける。惜しむらくは高音のアクートへのアプローチが今一つ濁ること。そこさえなければ100点満点といっていい歌い方でした。Bravoです。

 アメーリア役のルングは、ちょっと調子が悪かったのか、上記四人と比べるとちょっと見劣りする歌唱でした。それでもアリア「うっとりするような甘い時刻に」などは素晴らしいと思いましたし、十分なレベルであったことは申しあげるまでもありません。

 これだけ素晴らしい演奏になったのは音楽監督大野和士のコントロールがあればこそ、だと思います。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏が緻密で素晴らしかったのは、大野の指揮があればこそなのでしょう。また大野が新国立劇場の芸術監督としてこの作品を選んだとき、自らタクトを取ることを前提にキャスティングを考え、現時点で世界最高レベルの舞台を作れるように歌手を集めたのでしょう。そこが今回の素晴らしい結果に繋がったと思います。その意味で最大の功労者は大野和士でしょう。

 舞台美術は現在大変評判の高い(私は知りませんでした)アニッシュ・カプーアのもの。赤、白、黒を基調にした美しいけれども抽象的な舞台。さかさまに吊るされた火山は、最終幕で噴火し、流れ出した溶岩にシモンは生き埋めになっています。そして、シモンが死に、ガブリエーレが次の総督になると黒い太陽が上がります。これが政争の醜さの表現であることは理解できますし、そして、この心理的な表現に対しては割と好意的に書かれている批評が多いようですが、私は苦手です。内容が複雑な割には演奏会形式で取り上げられることも多い「シモン・ボッカネグラ」ですから、抽象的な演出でも楽しめることはその通りなのですが、本来の筋をかなり明確に知っていないと演出の意図は見えてこないように思いました。私自身は、この演出はチンプンカンプンで、後でパンフレットに記載された演出ノートを見て納得しました。

 演出家の意図は理解できるものの、史劇として具象的な表現にして貰える方がいいとは思いました。

 今回の「シモン・ボッカネグラ」は改訂版で上演されました。この改訂は、次に「オテッロ」のオペラ化が決まっていたヴェルディが新しい台本作家としてのボーイトの実力を試すために台本の修正を依頼した、と言われています。「シモン・ボッカネグラ」は改訂版初演までの時間が十分になく、ヴェルディが思い描いていた改訂を完全には実施できなかったそうですが、この修正こそがヴェルディがボーイトの作劇術の素晴らしさを知るきっかけとなり、名作「オテッロ」に繋がりました。今回の上演を見ながら思ったのはその「オテッロ」のことです。劇と音楽の一体化が完全ではないけれどもかなり進んでいて、その抒情的な表情も含めて「オテッロ」の前駆となっていることを実感しました。

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鑑賞日:2023年11月23日

入場料:B席 2F F列25番 9000円

主催:公益財団法人東京二期会

共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団(日生劇場)

東京二期会オペラ劇場

二期会創立70周年記念公演/日生劇場開場60周年記念公演

オペラ2幕(2005年改訂ドイツ語版 日本初演) 字幕付き原語(ドイツ語)上演
ヘンツェ作曲「午後の曳航」(Gogo no Eiko)
台本:ハンス=ウルリッヒ・トライヒェル
原作:三島由紀夫「午後の曳航」

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 アレホ・ペレス
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
演 出 宮本 亞門
舞台美術 クリストフ・ヘッツァー
照 明 喜多村 貴
振 付 バルテック・マシス
映 像 avecoo
演出助手 澤田 康子/成平 有子
舞台監督 幸泉 浩司/蒲倉 潤

出 演

黒田 房子 林 正子
登/3号 山本 耕平
塚崎 竜二 与那城 敬
1号 友清 崇
2号 久保 法之
4号 菅原 洋平
5号 北川 辰彦
航海士 市川 浩平
ダンサー 池上たっくん/石山一輝/岩下貴史/後藤裕磨/澤村 亮/高間淳平/巽imustat/中内天摩/中島祐太/パトリック・アキラ/丸山岳人/山本紫遠

感 想

ドイツ語版の理由-東京二期会オペラ劇場「午後の曳航」を聴く

  ヘンツェの「午後の曳航」は、三島由紀夫の「午後の曳航」を原作に1986-89年にかけて作曲され、「裏切られた海」のタイトルで1990年にベルリン・ドイツ・オペラで初演されました。日本初演は2003年に読売日本交響楽団第420回定期演奏会において、ゲルト・アルブレヒトの指揮によって演奏会形式で行われましたが、この時、アルブレヒトの提案により元のドイツ語の台本をヘンツェに師事したことのある作曲家・猿谷紀郎の監修のもとドイツ文学の藁谷郁美によって日本語に翻訳され、音楽も登のモノローグなどが追加されたり、間奏曲が追加されたりしました。タイトルが「午後の曳航」とされたのもこの時です。この時の出演者は房子:緑川まり、登:高橋淳、塚崎:三原剛でした。

 ただこの日本語台本は、ドイツ語からの翻訳と三島の原作の折衷だったようで日本語としてのこなれ方は今一つだったようです。当時「音楽の友」誌にレビューを書いた岩下眞好は「改訂版の上演、結果としていちばん大きな問題を投げかけたのは、ほかならぬ、日本語による台本への変更だった。(中略)せっかくの日本語の歌詞がなかなか聴き取れない。それはもっぱら、もともとドイツ語の歌詞を前提にした音楽に日本語を当てはめたために、本来の日本語とイントネーションが異なってしまったためだ」、と書いています。

 一方、ヘンツェは更に曲の改訂を進めて、2005年に完成させ、2006年にザルツブルグ音楽祭で、アルブレヒトの指揮、緑川まり、高橋淳、三原剛など改訂版日本初演のメンバーで日本語で演奏されました。この改訂および演奏については当時の朝日新聞記事によれば、「アルブレヒトによれば、改訂作業では、翻訳がもたらす、日本語の歌詞と曲の音型との不自然さを解消するために「ヘンツェに約40分の曲の追加を要求した」という。結果に、この名指揮者は「ヘンツェの最も力強く、美しい作品となった」と手応えを感じた。(中略)日本語の不自然さはなお残り、日本語の歌詞やト書きのための字幕(ドイツ語・英語)が大幅に省略されていて、聴衆には難解な部分もあったかもしれない。」とされています。

 今回のドイツ語版は、「2005年決定版を作曲する際にヘンツェが作成したもの」と、「ぶらあぼ」のゲネプロレビューには書いてありますが、長木誠司による公演パンフレットの解説では、2020年にドイツ語に戻され、シモーネ・ヤングの指揮のもと無観客で舞台上演されたもの、との記載がありどちらが正しいかは私は判断できません。

 どちらにしても今回の上演は音楽と日本語の不自然さの兼ね合いを考えてドイツ語版で上演したということなのでしょう。ただ、日本語で上演することを前提に決定版が作曲されておりかつ日本で上演される以上、字幕付日本語上演という選択もあったのではないかと思います。

 ちなみにきっちり演技の入った上演は日本で初めて。決定版での上演も日本初演ということになります。

 宮本亞門の演出はストーリーに忠実な分かりやすいもの。登の心情表現を中心に描いており、その心理的葛藤がダンサーたちのダンスで表現されます。またその心象はモノトーンであり、舞台も基本はモノクロです。海も墨絵だし、登も学生服と白い下着で登場、塚崎の船員服は白。幕が上がると大きな目が現れ、モノクロの男子の写真がでてきますが、これは13歳の三島由紀夫であり、登でもあるのでしょう。「午後の曳航」という小説は、父性の否定とその裏腹の英雄への憧憬、そして成熟の拒否、があるというのが一般的な評価のようです。その解釈を忠実に描いた舞台のように見ました。

 また現代の視点から見れば「猫殺し」と「殺人」というふたつの悪事が、既に酒鬼薔薇聖斗事件を知っている我々にとっては、少年の狂気が悲劇を生み出すことを現実のこととして知っており、1号の空虚な台詞の中にその現実になった時の恐ろしさを感じてしまいます。

 ゲルト・アルブレヒトはこの作品の日本初演の時、舞台上演は場面転換が多すぎて難しいだろうと考えていたそうですが、宮本は間奏を上手く利用して場面転換を成し遂げており、アルブレヒトの要求による間奏の充実が舞台上演を成功させた要因かもしれません。

 音楽的には現代音楽的で無調っぽいですが、無調でない和音の響きもあり、その折衷の感じがより音楽を難しくさせているように思いました。間奏が極めて重要で、間奏が次の場面を想像させる導入にもなっており、面白いなと思いました。

 歌唱・演技としては何といっても山本耕平の登が素晴らしい。13歳には見えませんが、それでも同級生たちで組織したギャングの中では最も若く見え、葛藤の表現も理解できるもので、歌唱的には抑制的な部分が多かったと思いますが、その中に少年の純情な部分と残忍な部分がきっちりと示されており大変感心しました。

 林正子の房子も良かったです。おそらくこの演出では登から見た母でなければならず、情事の歌唱をどうするかというのは難しい解釈だと思いますが、下着姿の体当たりの演技で乗り越えました。音楽的には第2幕の塚崎との再婚が決まった後の愛のモノローグが見事だったと思います。

 与那城敬の塚崎もいい演技でした。塚崎は普通の大人で最初から最後まで何も変わっていないのですが、最初は登に勝手に英雄視され、その俗物性が明らかになるにつれて子どもたちの反感を買う役を愚直な表現で上手に見せていたと思います。

 登と一緒に行動する4人は1号の友清崇とと2号のカウンター・テナー、久保法之が存在感がありました。

 指揮者のペレスは作品をしっかり手中に収めて演奏しており、新日本フィルの演奏もなかなかいいもの。もちろんこの手の音楽ですから誰かが間違っていても観客は誰も分からないでしょうが。ただ、間奏のアプローチの感じやピアノの音、打楽器の響きなどがいい感じでした。楽譜はそうとう難解で、歌手たちは苦労したと思います。私も何年かしてもう一度この作品を見た時、今回のことを思い出すかどうかは分かりませんが、ある意味近未来的といってもいい現代オペラを聴けたこと、良かったなと思います。

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鑑賞日:2023年11月26日

入場料:B席 2F 5列25番 3000円

主催:公益財団法人藤沢市みらい創造財団

共催:藤沢市、藤沢市教育委員会

藤沢市民オペラ2022-2024シーズン

藤沢市民オペラ50周年記念公演

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演、演奏会形式
ロッシーニ作曲「オテッロ」(Otello)
台本:フランチェスコ・ベリオ・ディサルサ
原作:ウィリアム・シェイクスピア「オセロー」

会場 藤沢市民会館大ホール

スタッフ

指 揮 園田 隆一郎
管弦楽 藤沢市民交響楽団
合 唱 藤沢市合唱連盟
合唱指揮 浅野 深雪

出 演

オテッロ 宮里 直樹
デズデーモナ 砂川 涼子
エルミーロ 妻屋 秀和
ロドリーゴ 小堀 勇介
イアーゴ 山本 康寛
エミーリア 中島 郁子
ルーチョ/ゴンドラ漕ぎ 石井 基幾
総督 平尾 啓
ナビゲーター 朝岡 聡

感 想

50周年の底力-藤沢市民オペラ「オテッロ」を聴く

  ロッシーニの「オテッロ」は近年上演されることは滅多になく、日本で21世紀に入っての上演は3度。今回が4度目になります。4度のうち2回が今年に集まっているので今年は珍しい年かもしれません。1月のベルカントオペラ・フェスティバルにおける上演と今回と両方拝見しましたが、色々な点で色合いの違いを感じるものの今回の演奏もかなり上質。日本を代表する市民オペラ団体の藤沢市民オペラ製作委員会ならではの舞台だったとは思います。

 1月公演の指揮はイバン・ロペス=レイノーソというメキシコ人指揮者で、ロッシーニのプロフェッショナルというふれこみでしたが、聴いた感じはそこまでロッシーニ、ロッシーニしていないな、という印象でした。一方今回の園田隆一郎はロッシーニを演奏しているという感じがします。これは私が園田のロッシーニを聴いている数多い経験から、園田風のロッシーニの取扱い方が自分のロッシーニ観を決めているということがあるのでしょう。

 今回のオーケストラは藤沢市民によるアマチュア・オーケストラですが、園田イズムがかなり浸透しているようで、技術的には細かい問題が散見されたものの音楽的にはいい感じ。特にアリアで独奏楽器がちょっとたどたどしいところがあったりもするのですが、オブリガートをしっかり付けていて、アリアと独奏楽器の関係性が歌を盛り上げていました。ロッシーニの伴奏音型は単純で類型的といわれますし、またその通りだと思いますが、歌と組み合わさることで化学変化が起きます。そこがロッシーニの天才的なところなのでしょう。今回はオーケストラが舞台上で演奏する演奏会形式だったこともあり、その化学変化をこの目で確認出来て良かったな、というところです。

 合唱は冒頭の男声合唱はなかなか迫力があってよかったと思いますが、女声はちょっと落ち着きすぎている感じ。人数が40人もいてあの程度の迫力というのはかなり残念。オペラの合唱なのですから美しいハーモニーよりも劇性が求められると思います。合唱団員も「住民」という出演者であるというの意識をもって、もっと感情を込めた歌にして欲しいところです。

 オテッロの宮里直樹。素晴らしい歌でしたが、1月のオズボーンほどではなかったというのが本当のところ。端的に申し上げればオズボーンがロッシーニのオテッロを歌っていたとすれば、宮里はヴェルディです。宮里は確かに素晴らしい高音だし、歌も巧み。でもどこか軽みに欠けるのです。オズボーンはひとつのアリアの中でドラマティックな表現と軽い表現を自在に歌い分けていました。宮里にはその軽さが足りない。更に申しあげれば低音が響かないのもきついです。ロッシーニ的軽さって低音が響いてこそのところがあると思っています。だからロッシーニを歌っている筈なのに、ヴェルディにしか聴こえてこないのです。

 砂川涼子のデズデーモナもヴェルディも感じさせる歌唱。砂川涼子はロッシーニも巧みに歌う人ですし、今回もアジリダなどは流石に上手いなと感心するのですが、一方でヴェルディのデズデーモナも彼女の持ち役ですからそちらの印象が強いのかもしれません。ヴェルディとロッシーニのデズデーモナを比較するとロッシーニがベルカント・ヒロインとして強い女として創出したのに対し、ヴェルディは強い声は必要なロマンティックヒロインとして位置づけだと思います。第2幕のフィナーレの大アリアや第3幕の「柳の歌」はちょうど古典派からロマン派への切り替わりの端境期を感じさせる曲だと思うのですが、そのような印象が、古典的なオペラセリアでありながら、ロマンチシズムも感じる作品に仕上がったの要因でしょう。砂川のデズデーモナ像は、強いロッシーニヒロインを演じるために強い声の絶叫も使用し、緊迫したヒロイン像を見せて素晴らしかったのですが、そこにはヴェルディとの親和性もあるということなのでしょう。

 ロドリーゴの小堀勇介は素晴らしい。1月のアンジェリーニの歌も素晴らしかったけど、私は小堀を採りたい。小堀勇介は軽いテノールの宿命なのかいつも絶好調という感じではないのが辛いですが、好調の時の彼は現在世界のトップクラスのロッシーニテノールです。今回はその彼のロッシーニテノールとしての特徴を存分に見せて、とても素晴らしい。小堀は軽い高音が見事に響くだけでなく、中低音もくっきりと聴かせてよどみのないところが本当に素晴らしいです。特に聴かせどころの第2幕のアリアは見事で、ロッシーニを聴く醍醐味を味合わせてくれるものでした。

 イヤーゴの山本康寛はやや不調。昔はもっと軽い声が出ていたと思うのですが、今回は高音の綺麗な伸びがなく残念ではありました。一方で、あまりきれいな声のイヤーゴにしてしまうと、ロドリーゴとの違いがはっきりしなくなります。1月の公演では、第1幕のロドリーゴとヤーゴの二重唱で、二人の声が嵌りすぎ、どちらが何を歌っているのかが分からなくなるほどだったのですが、今回ぐらいロドリーゴとイヤーゴの声質が違うと、イヤーゴは悪役だけれどもロドリーゴはそうではないということがすっきりと見えてきます。山本に関しては歌はもう少し何とかしてほしかったとは思いますが、表現としては邪悪さがしっかり見えるやり方で悪くなかったと思います。

 妻屋秀和のエルミーロ。悪くはないのですが、準備不足な感じ。歌っている途中でどこを歌っているのかが分からなくなって、楽譜を探るのはちょっとカッコ悪かったです。

 エミーリア役の中島郁子は流石に素晴らしい。日本のロッシーニメゾの第一人者だと思いますが、それだけの力量を見せました。

 石井基幾のルーチョ、ゴンドラ漕ぎは1月の西山広大、渡辺康ほどではなかったですがしっかりと歌われていてよかったです。藤沢市民で、かつては藤沢市民オペラで合唱に参加していたという平尾啓は「ナブッコ」のアブダッロに続く出演、役目を果たしました。

 以上、トータルでは1月の方が魅力は上だったとは思いますが、ロッシーニの難曲のオペラセリアを市民オペラでありながらこれだけ上質の舞台を作ったこと、今年50周年を迎えた藤沢市民オペラの底力を見せてくれました。関係者すべてにBravissimi と申し上げましょう。

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鑑賞日:2023年11月28日

入場料:自由席 4000円

主催:シュトラウス企画

シュトラウス企画オペラシリーズ Vol.6

オペラ4幕 字幕付きイタリア語上演
ドニゼッティ作曲「ラ・ファヴォリータ」(La Favorita)
台本:アルフォンス・ロワイエ/ギュスターヴ・ヴァエズ、加筆:ウジェーヌ・スクリー
イタリア語台本:フランチェスコ・ヤンネッティ

会場 ルーテル市ヶ谷センターホール

スタッフ

指揮・キーボード 河合 良一
ピアノ 船橋 登美子
合 唱 シュトラウス合唱団
演技指導 川島 慶子
衣裳協力 朝霧 碧流
メイク emi.k

出 演

アルフォンソ11世 森井 敦
レオノーラ 松原 広美
フェルナンド 土井 悦生
バルダッサーレ 小幡 淳平
ドン・ガスパーロ 武田 夏也
イネス 前田 洋子

感 想

覚悟が足りない-シュトラウス企画「ラ・ファヴォリータ」を聴く

  素敵なメロディーに満ちた名作なのに「ラ・ファヴォリータ」は滅多に上演されることがありません。私は1997年にペンチェーヴァのレオノーラ、サッバティーニのフェルナンド、フロンターリのアルフォンソとい豪華な出演者による藤原歌劇団公演を拝見して以来、27年ぶりの実演になります。この間ハイライト上演は何度かありましたが、日本で全曲が上演されたことはなかったと思います。

 これはやむを得ないところがあります。まず、ヤンネッティによるイタリア語台本の設定が、あまりに不自然で突っ込みどころがありすぎです。まず、王妃とフェルナンドが姉弟で、父親が修道士という設定。修道士が妻帯してるの!、その上娘が王妃!カソリックの世界でこれはありえないです。更にフェルナンドはレオノーラを見染めると、相手は貴婦人だから武勲を立てて国王に認めて貰わないと告白できないって、王妃の弟はそんなに身分が低いのか、ということですね。お話に無理がありすぎる。オペラの台本は不自然な設定がよくありますが、「ファヴォリータ」の設定は「いくら何でも」の世界。

 そもそもお蔵入りになった「ニシダの天使」のストーリーと音楽を援用し、更にアリアをいくつか追加してグランド・ペラ形式で作曲された「ラ・ファヴォリート」はそもそも設定に無理がある。それをイタリアで上演するにあたり、ドニゼッティの監修を得ずにイタリア語に変更(というより翻案)されているのですから、本来の形がかなり歪められていたという実態がある。 

 これについて、Wikipediaには「河野典子は「本作がイタリアで上演される段になって、たとえ見習いであれ修道士が恋愛沙汰で修道院を飛び出していく設定がイタリアの検閲に引っかかり、改変を余儀なくされた。そのため、ヤンネッティ翻訳によるイタリア語版は実に奇妙な設定になっている。フランス語版で修道院長と見習い修道士という関係が修道院長が離婚されそうな王妃の父にされ、修道院長は見習い修道士の血のつながった父親ということになってしまった。元より他の作品として完成していたオペラを無理やり引っ張ってきて、当てはめたこのオペラにはあちこち設定に無理があるのだが、フランス語版とイタリア語版では物語の持つ色合いがあまりに異なる。近年ではイタリアの歌劇場でもこの作品のフランス語版に戻し『ラ・ファヴォリート』として上演するところが増えてきた」と指摘している」と記載されています。

 この作品の批判校訂版は1997年に出版され、その後世界的には批判校訂版によるフランス語上演が多くなっています。その流れのなかで批判校訂版による日本初演は今後の課題でしょう。

 以上のことは当然主催者のシュトラウス企画も分かっていたはずですが、今回使用した楽譜は古いリコルディ版です。批判校訂版での上演も検討されたのかもしれませんが、現実に歌える方がいるとも思えず、一から作り上げるのは小団体にはとても不可能ということで、古いリコルディ版で演奏したものと思います。でも、そうであるならもっとしっかり練習して、聴かせられるレベルの上演をして欲しかったと思います。全体的には、準備不足のまま本番が来てしまった感じで、絶対いい公演にしてやるという覚悟が見えない上演で残念でした。

 聴いている印象を申し上げると、完璧に楽譜が入っている方はレオノーラの松原広美だけだったと思います。松原は常にパワフルで、入るときのタイミングの取り方なども身体に入っている方の歌い方でした。舞台の上ではどの部分であってもしっかり声が響いており、立派でした。一番の聴かせどころである「おお、私のフェルナンド」は、カンタービレが美しく、カバレッタの苦悩の表情も素晴らしいものでした。唯、全体的に表情は硬い。確かに悲劇のヒロインではありますが、もう少し多彩な表情があった方がより悲劇性が高まったような気がします。

 小幡淳平のバッダサーレもなかなかの声。低音がしっかり響かせられることは素晴らしいことです。この方はアリアや二重唱は凄いと思ったのですが、コンチェルタートで後ろに引いたときは音を取るのに苦労している感もあり、完璧ではなかったのかな、というところ。

 森井敦の国王。歌はまあまあだと思いましたが、舞台姿が国王に見えない。動きに国王の威厳が感じられません。

 フェルナンドを歌った土井悦生は一番楽譜が入っていない印象です。割とヒロイックな役柄だと思いますが、声をしっかり張って思いっきり歌っている感じが見えません。自信なさげな歌い方で高音が抜けずにお辞儀している印象。更に歌詞が落ちたところが何か所かあり、あまつさえ指揮者がプロンプターとして指示を出しているにも関わらず歌詞を落としてしまう。この辺の稽古不足はきっちり反省して欲しいところです。

 合唱も今一つ。結構がちゃがちゃズレズレでした。またコンチェルタートでは合唱がもう少し聴こえたほうがいいバランスになると思います。このあたりにも調整不足を感じました。

 序曲のカットをはじめカットは多め。本来の演奏時間より30-40分短かった感じです。

 珍しい作品を上演することは素晴らしいことです。しかし、折角珍しい作品を上演するのですから、しっかり準備して聴き手が満足するような公演に仕上げて欲しいと思いました。

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鑑賞日:2023年12月9日
入場料:C席 4F3列22番 8415円

主催:公益財団法人新国立劇場運営財団

2023/2024新国立劇場シーズンオペラ公演

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ヨハン・シュトラウス2世作曲「こうもり」(Die Fledermaus)
原作:アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ 『夜食』
台本:カール・ハフナー/リヒャルト・ジュネ


会場:
新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指 揮 パトリック・ハーン
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱 :  新国立劇場合唱団 
バレエ :  東京シティ・バレエ団 
演 出 ハインツ・ツェドニク
美術・衣裳  オラフ・ツォンベック
照 明  立田 雄士
振 付  マリア・ルイーズ・ヤスカ
再演演出  :  澤田 康子 
再演振付 石井 清子
合唱指揮  三澤 洋史
舞台監督  :  高橋 尚史 

出 演

アイゼンシュタイン   ジョナサン・マクガヴァン
ロザリンデ   エレオノーレ・マルグエッレ
アデーレ   シェシュティン・アヴェモ
フランク   畠山 茂
ファルケ博士   トーマス・タツル 
オルロフスキー公爵   タマラ・グーラ
アルフレード   伊藤 達人
ブリント博士   青地 英幸
イーダ   伊藤 晴
フロッシュ   ホルスト・ラムネク

感 想

何のためのカヴァーキャストか?‐新国立劇場「こうもり」を聴く

 「舞台は一期一会の場である」、最初に誰が言ったのかは確認していませんが、多くの舞台人はその言葉を心の底に置いて舞台に上がっていると思います。ライブは一回限りです。それはオペラのようなクラシック音楽に限らず、ポピュラー音楽でも演劇でも、もっと言ってしまえば小学校の学芸会であろうと真理です。その時間、その場を共有できるのはその場に居た出演者と高い入場料を払い、自分の時間を費やして来場されたお客さんだけなのですから。だから、舞台人は、その時自分にできる最高のパフォーマンスを見せなければいけないし、それができないのであれば降板しなければいけません。これは「should」ではありません。「must」です。

 今回、その矜持をもって舞台を務めた外人歌手は誰かいたのでしょうか。いました。フロッシュを歌ったホルスト・ラムネクは間違いなくしっかりと自分の役割を果たしていたと思います。その他の男声歌手も疑問符は付くところがあるのですが、一所懸命舞台を務めたと認めましょう。ロザリンデとアデーレも寛大の心をもって許しましょう。しかし、オルロフスキーを歌ったタマラ・グーラだけは許せません。

 体調が絶不調だったのか、歌えないことこの上ない。登場のクプレ「私はお客を呼ぶのが好きで」が、「のど自慢」なら最初の4小節を歌って鐘ひとつで退場をお願いするレベルです。まずオーケストラのテンポと歌のテンポとが合っていないし、音程も明らかに外れている。声量も不足で、語尾などはほとんど聴き取れない。聴いていて気持ちが悪くなるレベル。最後まで舞台を務めましたが、その後はやや回復したものの合格点からは程遠い。この程度しか歌えないぐらい体調が悪いなら、降板しなければならないし、本人が拒むのであれば制作側が下ろさなければいけません。 カバーキャストが控えているのですから。今回オルロフスキーのカバーは谷口睦美。6日前に彼女が歌う「第九」を聴いたのですが、とてもいい歌で、絶対彼女の方が素敵なオルロフスキーになれたと思います。

 今回は、2023年の「こうもり」の公演の2回目だったのですが、初日と2日目の両方を聴いた友人は、これでも2回目の方が回復しています、と言っていたから初日を聴いた方には「ご愁傷様」というしかありませんが、あと2回ある公演をグーラに務めさせるのは犯罪的行為と申しあげてもいいと思います。新国立劇場には降板させる決断を望みたいところです。

 オルロフスキーほど酷くはありませんでしたが、ロザリンデを歌ったエレオノーレ・マルグエッレとアデーレを歌ったシェシュティン・アヴェモの二人も新国立劇場に招聘してはいけないレベルだと思いました。

 アヴェモは声が足りません。新国立劇場の4階席に声が届かないのはいくら何でもレベルが低すぎます。あの程度の声の歌手をキャスティングするとは新国立劇場の制作側の調査能力が疑われます。またアヴェモよりも確実に素晴らしいアデーレを歌えるソプラノが日本国内にも何人もいるのに、アヴェモ程度の歌手に歌わせる見識にも疑問を持ちます。それでも演技が上手いとかアンサンブル能力に長けているとか何かあればいいのですが、「言われた演技をやっているだけ」の感じが見え見えで自発的な演技に見えないのも残念です。今回のイーダは伊藤晴ですが、伊藤とアヴェモは交替してもいいかもしれません。

 マルグエッレは声を張っているときはいい声が聴こえるのですが、抜くとほとんど聴こえなくなります。その落差が激しく、唐突にバンと聴こえて、その後急に減衰するというところが何か所もあり、聴いていて気持ちよくありません。一曲全体をコントロールしてバランスよく歌うということが出来ないようで、彼女も体調が悪かったのかもしれません。だから重唱曲では自分が出なければならないところは強く歌って、その役目を果たすと、きっちり受け渡しすることなく居なくなってしまう、などということを平気でするのでしょう。更に申し上げれば彼女も演技は生硬で今一つ。2020年公演の時のロザリンデも人が得られず、カヴァーの大隅智佳子の方が絶対いい歌が聴けると書いたのですが、今回もどう考えてもカヴァーの大隅智佳子の方が素敵なロザリンデになったと思います。

 男声招聘歌手は女声とは比較にならないほど素晴らしいパフォーマンスだったとは思いますが、これは女声がひどすぎただけであって、男声がとても良かった、ということではありません。特に演技が今一つ学芸会的で身体に入っていない感じが著しい。例えば、第一幕のファルケがアイゼンシュタインをオルロフスキーの夜会に誘ってアイゼンシュタインがその気になる二重唱、この二重唱は歌自体は悪いとは思わなかったのですが、二人の動きが今一つ切れ味が悪くすっきりしない感じです。その後、アイゼンシュタインが燕尾服を着るために別室に駆けこんでいく時のウキウキした感じもちょっと上滑りしている感じでした。かつて、アドリアン・エレートが3回連続でこのアイゼンシュタインを歌ったのですが、あのちょっといやらしいけれどスマートな身のこなしを覚えている身とすると、今回のジョナサン・マクガヴァンはかなり残念の域。

 だから、第一幕の重唱はどれもピンとこない。表面上はアイゼンシュタインが牢屋に入るので悲しがっているけれども内心は夜会に行けると喜んで歌うアイゼンシュタイン、ロザリンデ、アデーレの三重唱「一人になるのね~泣き泣きお別れ」は第一幕の頂点ですが、悲しい表情とわくわくした表情の対比が甘く頂点を盛り上げる感じにならないのも残念でした。

 一方素晴らしかったのはフロッシュを演じたラムネク。2015年のこの新国立劇場の「こうもり」にフランクとして出演された方であり、この舞台のことをある程度覚えていたということなのでしょう(ちなみに2015年の公演は出演者のレベルが揃っていて、安定した素敵な公演になっていました)が、フロッシュとしてもとてもいい。見事な演技と歌唱。本来フロッシュは台詞役で歌うことはないのですが、今回のフロッシュはバスバリトンの歌手ということもあり、ヨハン・シュトラウス2世の「アンネン・ポルカ」に歌詞を付けて歌いました。この歌詞は由来が分からないのですが、歌自身の雰囲気は良かったです。

 日本人歌手は皆良かったと思います。まずアルフレードを歌った伊藤達人。伊藤ならこう歌うだろう、と思った通りの歌い方でよかった。張りのある美しくかつ強い声は「いかにもテノール」という感じで存在感がある。これまでは3回連続で村上公太がもう少しリリックな表情で歌っていて、個人的には村上の歌い方の方が好みではあるのですが、伊藤は伊藤らしくてとてもいと思います。

 畠山茂のフランクも素晴らしい。第一幕のアイゼンシュタインをお迎えに来るときの歌唱演技、第二幕のオルロフスキー公爵亭での場違いな雰囲気の出し方、どちらも素晴らしく、とてもカヴァーキャストから急遽出演した方とは思えない堂々とした歌唱演技。素晴らしい。

 パトリック・ハーンの音楽作りは、基本的には切れ味の良い小気味の良いもの。舞台に合わせてオーケストラに歌わせるというよりは自ら引っ張ったという印象。それが歌は結構駄目だったにもかかわらず全体としてはだれなかった要因のように思いました。歌がないバレエのシーンの疾走感などのきびきびした音楽作りは素晴らしい。一方で、序曲は冒頭がかなりゆっくりでだんだんとアッチェラランドを掛けて行き最後はプレスティッシモという音楽作りをしたのですが、これはちょっとやりすぎ。最初はもう少し速めに、最後はもう少しゆったりとした方が、ウィーン的な音楽に聴こえたと思います。

 合唱が素晴らしいのはいつもながら。

 演出はツェドニクで7回目の再演になりますが、フロッシュが歌うなどの細かい修正は入っていた様子です。なお、今回出演者が一掃され、この舞台を知っている人がいないので、稽古時間はもっと取った方が良かったのではないかとは思います。

 以上、外人招聘歌手がかなり低レベルでどうなる事かと思っていたのですが、指揮者の軽快な音楽作りと合唱やその他のフォローもよく、最後までたどり着きました。

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鑑賞日:2023年12月10日
入場料:A席 2FJ列10番 4000円

主催:公益財団法人北区文化振興財団

北とぴあ国際音楽祭2023公演

全5幕、字幕付原語(フランス語)上演/セミステージ形式上演
ジャン=フィリップ・ラモー作曲「レ・ボレアード」(Les Boréades)
台本:ルイ・ド・カユザックと言われる
原作:ギリシャ神話「ヒュペルボレオスのアバリス」

会場:北とぴあさくらホール

スタッフ

指 揮 寺神戸 亮
管弦楽   レ・ボレアード 
合 唱 :  レ・ボレアード 
演 出 ロマナ・アニエル
振 付  ピエール=フランソワ・ドレ
照明デザイン  岡田 勇輔
舞台監督  :  大平 久美 

出 演

アルフィーズ   カミーユ・ブール
アバリス   大野 彰展
アマダス/アポロン   与那城 敬
ポリレ   山本 悠尋
カリシス   谷口 洋介 
セミル/ポリムニ   湯川 亜也子
ポレアス   小池 優介
ニンフ   鈴木 真衣
アムール   鈴木 美紀子
バロックダンス   松本 更紗
バロックダンス   ニコレタ・ジャンカーキ
バロックダンス   ピエール=フランソワ・ドレ
バロックダンス   ミハウ・ケンプカ

感 想

フランスバロックオペラの踊り‐北とぴあ国際音楽祭2023「レ・ボレアード」を聴く

 バロックオペラが上演される機会はあまり多くなく、私自身もヘンデルやグルックの作品を合わせて10回ぐらい聴いたことがあるだけで、フランスのバロックオペラを拝見したのは初めての経験でした。そこで思ったのはイタリア・バロック・オペラとフランス・バロック・オペラは全然違うものなんだ、という当たり前のこと。 バロックオペラのなかでも特にオペラセリアになりますが、ほとんどの楽曲がレシタティーヴォとアリアで、重唱は1-2曲、合唱はフィナーレだけというのが基本です。このスタイルのオペラではアリアは登場人物により多彩になり、名曲も多いのですが、3時間もレチ、アリア、レチ、アリアと繰り返されるとだんだん飽きてきます。

 一方でフランスは先にバレエがあったようです。その背景の中、イタリアからオペラが導入されるとその中にバレエを組み込むのは必然。また、作品の中にアリアとレシタティーヴォに関する縛りもなく、重唱が多用されますし、ソロと合唱との掛け合いもある。ずっと多様性があったようで、これがフランスバロックオペラの特徴なのでしょうが、その多様性ゆえに退屈せずに楽しめました。

 今回聴いた「レ・ボレヤード」の作曲家ジャン=フィリップ・ラモーはフランス・バロックオペラの最大の作曲家ですが、生没年は1683年-1764年とバッハ(1685-1750)、ヘンデル(1685-1759)とすっぽり重なります。ロンドンで活躍し、バロックオペラの最大の巨匠といって過言でないヘンデルと同時代に生きたラモーはヘンデルのことを当然知っていたと思いますが、全然違う様式で作り上げている。それがまずはとても面白い。

 「レ・ボレヤード」は端的に言えば英雄恋愛劇でさほど込み入った筋があるわけではありません。主人公の女王「アルフィーズ」と最後は結ばれるヒーロー「アバリス」、そしてアバリスのライバルとなる「ボリレ」と「カリシス」の兄弟が骨格たる登場人物で、他にアバリスの指南役として登場する大司教「アマダス」が重要なぐらい。歌詞はもちろんあるけどそれほど多くはありません。イタリアオペラのレシタティーヴォの方がもっと色々なことが語られるのではないでしょうか。それでも正味3時間弱の演奏時間が必要な理由は、何と言ってもバロックダンスが各幕に組み込まれていることが大きいと思います。ガボット、エール、メヌエット、といった形式の踊りはどれもゆったりとしていて、優美です。コントルダンスのような速い踊りも踊られますが、それも相対的に速いだけで滅茶苦茶速いというわけではありません。

 それらの踊りがどう違うかについては、全く分かりませんでした。調べてみるとガボットやメヌエットは決まった様式があるようですが、エールは歌謡性のある音楽で踊られる踊りぐらいの意味だそうで、演出や振付で変化し、ステップに関しては大まかなルールはあるとしても固定的なものではないようです。したがって踊りの細かい違いについては気にせず、どのシーンでもとても美しかったということだけを言うしかありません。現代舞踊や現代のバレエのように大きなジャンプやアクロバティックな動きがあるわけではないのですが、指先の細かいポジションまでしっかりと見据えたゆったりとしたダンスは一種の様式美を感じさせるものであって、松本更紗以下4名ともとても素晴らしいと思いました。

 音楽的にはやはりこの作品のタイトル「レ・ボレアード」を楽団と合唱団の名前にしたアンサンブルの指揮者、寺神戸亮が最大の立役者だと思います。「ボレアード」とは北風の神々という意味で、北区から文化の風を吹き起こそうという意味で名づけられたそうで、もちろん楽団にこの名称を付けたときには、いつか楽団の名称の由来となったラモー最後の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)の「レ・ボレアード」を上演したいという気持ちがあったのでしょう。その気持ちが十分に込められた演奏になっていたと思います。

 使用された弦楽器がバロック弦楽器かどうかまでは分からなかったのですが、管楽器はバロック様式。ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、チェンバロといったバロック楽器も含めたオーケストラ構成は落ち着いた音響がいい感じに響きます。合唱もアルトは女声+カウンターテナーで構成され、その何とも言えない声の混じり方がとても素敵でした。

 歌に関しても細かいところは分からないのですが、フランスからいらしたカミーユ・ブールが当然ながら素晴らしいディクションと透明感のある歌声が素晴らしかったと思います。またアダマスとアポロンの二役を歌った与那城敬のバスの響きが冴えます。ポレアスの小池優介、カリシスの谷口洋介も存在感のある声で見事。合唱で参加しながら、要所で存在感を示したのがニンフの鈴木真衣とアムールの鈴木美紀子。第一幕でセミル、第四幕でポリムニを深みのあるの声で歌った湯川亜也子も素敵でした。

 大野彰展は突然の変更で大変だった様子ですが、きっちり歌はまとめられていて実力を示しました。ただ、持ち声は美声という感じではなくちょっとくすんだ感じ。テノールのプリモという意味ではもう少し美声が欲しいところです。

尚、オペラ全体の印象として、歌に関しては劇的な表現や激しい表現も多く、かなりドラマティックなオペラのように思えたのですが、優美な舞曲が全体の雰囲気を補正している感じがあって、田園劇では全くないのですが、そんな雰囲気が感じられました。

 アンサンブルはとてもいい。重唱やソロと合唱の掛け合いの関係性などはとてもいい感じの響きでした。以上素晴らしいチームワークで音楽的にも演劇的にも素晴らしい舞台だったと思います。12月の小春日和の休日の午後にふさわしい音楽でした。 

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