オペラに行って参りました-2019年(その5)

目次

声の饗宴 2019年9月21日 町田イタリア歌劇団「トスカ」を聴く
マニアというほどマニアックではありません 2019年9月29日 杉並リリカ「Operamania4 ガラコンサート~ジュゼッペ・ディ・ステーファノに捧ぐ~」を聴く
宮本亜門も年を取った 2019年10月3日 東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」を聴く
心理劇としての「エフゲニ・オネーギン」 2019年10月9日 新国立劇場「エフゲニ・オネーギン」を聴く
今後の精進を期待します。 2019年10月20日 国立音楽大学大学院オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴く
演出と音楽との高度な調和 2019年11月10日 NISSAY OPERA2020「トスカ」を聴く
爆笑 2019年11月12日 メゾソプラノ地位向上委員会「6人のメゾソプラノ達~大メゾソプラノ時代~」を聴く
演奏されない理由 2019年11月15日 ベルカントオペラフェスティバルインジャパン2019「貞節の勝利」を聴く
あと一歩か二歩の向上を 2019年11月16日 新国立劇場「ドン・パスクワーレ」を聴く
いろいろ問題はあったにせよ 2019年11月21日 東京二期会オペラ劇場「天国と地獄」を聴く
若人の心意気 2019年11月24日 オペラ・カフェマッキアート58「マリア・ストゥアルダ」を聴く
見事なる日本準初演 2019年12月1日 藤沢市民オペラ「湖上の美人」を聴く
演技は素晴らしいが、、、、 2019年12月5日 新国立劇場「椿姫」を聴く
負の連鎖 2019年12月21日 オペラ彩「ナブッコ」を聴く
やり切った喜び 2019年12月21日2 オペラ・カフェマッキアート58「ロベルト・デヴリュー」を聴く
25年続けてきたこと 2019年12月22日 舞台音楽研究会創立25周年記念公演「魔笛」(昼公演・夜公演)を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2019年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2019921
入場料:自由席 3000円

主催:町田イタリア歌劇団

町田イタリア歌劇団秋の特別公演

オペラ3幕、原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(Tosca)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場:町田市民フォーラムホール

スタッフ

ピアノ 土屋 麻美
キーボード 鈴木 弥生
合 唱 町田イタリア歌劇団合唱部
演 出 柴田 素光
照明・舞台・演技指導 川島 慶子
音 響 桑原 理一郎

出 演

トスカ 正岡 美津子
カヴァラドッシ 及川 尚志
スカルピア 木村 聡
アンジェロッティ 小幡 淳平
堂守 横田 圭亮
スポレッタ 岡村 北斗
シャルローネ 落合 一成
牧童 若田 瞳
看守 山崎 大作

感 想

声の饗宴-町田イタリア歌劇団「トスカ」を聴く

 「トスカ」という作品を聴いて、割とよく思うのは、「トスカはなぜスカルピアに惹かれなかったのか?」、ということです。カヴァラドッシは女々しい役で、「妙なる調和」にしろ、「星は光りぬ」にしろ名曲かもしれませんが、英雄的ではない。一方でスカルピアに与えられている音楽は邪悪でサディスティックではありますが、いかにも権力者的です。歌詞がちゃんと分かっていれば、そんなことは思わないのかもしれませんが、字幕を見て音楽だけ聴いている限りでは、かっこいいスカルピアとダメ男のカヴァラドッシになっていて、トスカがカヴァラドッシに純愛を捧げる理由が分からない。

 現実の上演でも、トスカがカヴァラドッシのために、あるいは自分の純愛を貫くためにスカルピアを殺して当然、という風にお客さんに納得させられる演奏はなかなか少ないのです。ひとつはスカルピアを歌うバリトンがそこまで邪悪にふるまえない、というのが理由です。だから、いい演奏をするためには、演出家が歌手に徹底的に邪悪な役作りをさせるか、歌手自身がそういう風に演じることが重要な作品だとずっと思っていました。

 しかし、「トスカ」という作品には、トスカがカヴァラドッシに惹かれて当然、と思わせるように聴かせるやり方がもう一つあるのですね。それはテノールが頑張ることです。テノールが美声や技術でお客さんを納得させてしまえば、やっぱりトスカがカヴァラドッシに惹かれるのは当然と思えるのです。それを理解させてくれたのが、今回の及川尚志のカヴァラドッシ。ある意味やりたい放題の歌でした。アクートをこれでもかと引っ張り、声で圧倒する。大向こうからBravoがかかるような歌。時代がかった表現と言ってもいいかもしれません。こんな風に歌えるのは、及川が町田イタリア歌劇団の芸術監督であるということと、会場が狭くて、及川の実力からすると、会場を声で溢れさせるのは困難ではない、ということが挙げられると思います。音楽的には決してスマートではなく、ミスもあるのですが、それを声でねじ伏せお客さんを納得させてしまう。凄いなと思いました。その熱と心意気にBravoでしょう。

 一方のスカルピアを邪悪さを一所懸命前面に出そうとしていました。今回は第一幕の「テ・デウム」が大人の合唱だけで歌われ、スカルピアのモノローグが天使の声の中に響く邪悪、という感じにはならなかったのですが、そういった不利な点もありながらも木村聡は、邪悪に見せようと努力していたことは間違いありません。とはいえ、そこまで邪悪に見えたかというとそうではなく、プッチーニが音楽でそこをきっちり仕上げておいてくれれば、バリトンもここまで苦労しなくても済むのになあ、とは、今回も思ってしまいました。

 正岡美津子のトスカ。よかったです。冒頭の歌は一瞬ひ弱に聴こえて、及川カヴァラドッシに押し込まれるのではないか一瞬思ったのですが、すぐにエンジン全開になり、二重唱の迫力は声の爆弾と申し上げてよいほど。音楽的には不用意なところがいくつかあって、その辺を気をつければもっと素晴らしい歌になったと思いますが、トスカらしいトスカだったと思います。一番の聴かせどころである「歌に生き、愛に生き」は前半を抑え気味に、後半を盛り上げるというアプローチでしたが、前半は押さえた分ちょっとくすんで聴こえたので、そこはもう少し張った歌い方をしてもよかったのかもしれません。でも十分Bravaを申し上げられる歌でした。

 この主要三人と比較すると脇役陣は明らかに力が落ちますが、アンジェロッティ役の小幡淳平はなかなか立派なバス声で秀逸。堂守の横田圭亮も演技がもっとこなれるといいとは思いましたがよいものでした。

 音楽的には二時間途切れがなく、ピアノ伴奏はたいへんですが、土屋麻美はそこを大過なく勤めて立派。全体的に声の饗宴を楽しんだ公演でした。

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鑑賞日:2019929
入場料:1階19列24番 5000

主催声楽研究団体「杉並リリカ」

OPERAMANIA 4
ガラ・コンサート~ジュゼッペ・ディ・ステーファノに捧ぐ~

会場:杉並公会堂大ホール

スタッフ

ピアノ 藤原 藍子
司 会 フランコ酒井

出 演

ソプラノ 大隅 智佳子
ソプラノ 刈田 享子
ソプラノ 鈴木 玲奈
ソプラノ 砂川 涼子
メゾソプラノ 山下 裕賀
テノール 大澤 一彰
テノール 城 宏憲
テノール 笛田 博昭
テノール 宮里 直樹
バリトン 山口 邦明
スペシャルゲスト・テノール 工藤 健詞
スペシャルゲスト・ピアノ 小林 久美恵

プログラム

作曲家 作品名 曲名 歌手
マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ おお、ローラ 大澤 一彰
ドニゼッティ ラ・ファヴォリータ ああ、私の愛しいフェルナンド 山下 裕賀
ドニゼッティ 愛の妙薬 人知れぬ涙 宮里 直樹
ドニゼッティ ランメルモールのルチア 苛酷で致命的な欲求を 山口 邦明
ドニゼッティ 愛の妙薬 ラ、ラ、ラ 鈴木 玲奈/宮里 直樹
マイアーベーア ユグノー教徒 アルプスの雪よりも白く 笛田 博昭
ビゼー カルメン お前の投げたこの花は 城 宏憲
ベッリーニ ノルマ 清らかな女神 大隅 智佳子
ビゼー カルメン 何を恐れることがありましょう 砂川 涼子
ヴェルディ 仮面舞踏会 私はここに 刈田 享子/笛田 博昭
休憩
スペシャル・ゲストコーナー   工藤健詞ピッポを語る 工藤 健詞/小林 久美恵
ヴェルディ リゴレット 慕わしき人の名は 鈴木 玲奈
ヴェルディ イル・トロヴァトーレ 恋はバラ色の翼に乗って 刈田 享子
プッチーニ ラ・ボエーム 冷たい手 宮里 直樹
プッチーニ ラ・ボエーム 私の名はミミ 砂川 涼子
プッチーニ ラ・ボエーム 愛らしい乙女よ 砂川 涼子/宮里 直樹
プッチーニ トスカ 歌に生き、愛に生き 大隅 智佳子
ヴェルディ リゴレット 四重唱 鈴木玲奈/山下裕賀/宮里直樹/山口邦明
マスネ マノン 眼を閉じると 城 宏憲
ドニゼッティ ラ・ファヴォリータ 優しい魂よ 笛田 博昭
ベッリーニ 清教徒 愛しい人よ、貴女に愛を 鈴木 玲奈/大澤一彰

感 想

マニアというほどマニアックではありません-杉並リリカ「Operamania4 ガラコンサート~ジュゼッペ・ディ・ステーファノに捧ぐ~」を聴く

 非常に有名な方も、そうとは言えない方もいらっしゃいますが、主宰者のフランコ酒井氏のお眼鏡にかなった歌手ばかりを集めたガラコンサート、悪いはずがありません。本当に魅力的な声、魅力的な歌・音楽を皆で奏でてくれて、平均的なガラ・コンサートよりも十分に素晴らしい演奏会でした。しかし、聴いていればそれなりに気になることもあり、その辺を忘備録的に記録しておきましょう。

 最初が大澤一彰の「シシリアーノ」、会場の後ろのドアから入場して、舞台の下手からいなくなるという演出を見せてくれました。色気もあり、民謡的な雰囲気もよく出ていて、本当に素敵なシシリアーノでした。続く山下裕賀の「愛しのフェルナンド」。これもメゾソプラノ的雰囲気をたっぷり出して秀逸。惜しむらくは、若いんですね。ちょっと硬くなったところがあって、そこの余裕がちょっと足りなかった感じです。

 ドニゼッティ・シリーズ。まずは宮里直樹の「人知れぬ涙」。リリックテノールの魅力あふれる歌だけど、引いていくときのディミニエンドが、ちょっと不用意でそこはもっと張りながら小さくした方が素敵だと思いました。「ラララの二重唱」。宮里の声が響きすぎて、鈴木玲奈アディーナが太刀打ちできない感じでした。ここは宮里が押さえるか、鈴木が更に頑張るべきでしょう。山口邦明のエンリーコのアリア。詩の内容から言えば、あのような解釈は当然ありだとは思いましたが、もう少しおおらかな歌でもよかったかな、と思いました。

 笛田博昭の「ユグノー教徒のアリア」。今日本で一番輝いているテノールですから、もちろん見事で十分満足できるものでしたが、イタリアものと比較すると歌い込みが足りない感じです。どこか突っ込み不足の感じがしました。城宏憲の「花の歌」。歌い上げない冷静かつ繊細な表現で、10月の神奈川県民ホールでの公演が気になるような歌いっぷりでした。

 大隅智佳子の「CASA DIVA」。もちろん素晴らしい歌なのですが、お子さんを産んだせいなのか、昔と比較するとちょっと声質が変わってきているような気がしました。昔の蕩けるような脂の感じがなくなったというか。その点では、昔の声の方が個人的には好きですね。砂川涼子のミカエラのアリア。今回の出演者の最長老。さすがに貫禄です。今日本のソプラノでミカエラに一番似合っている歌手は砂川ですが、その実力を遺憾なく発揮しました。

 仮面舞踏会のリッカルドとアメーリアの二重唱。笛田博昭はもちろんさすがの歌。刈田享子は丁寧で悪くない歌でしたが、もう少し声があった方が、笛田との絡みには向いています。そこが少し残念かもしれません。

 後半は最初がディ・ステーファノの最後のお弟子さんである工藤健詞と奥様の小林久美恵の登場。フランコ酒井との鼎談で、ディ・ステーファノの思い出話をしました。その合間に、工藤は、「カタリ」など、師匠直伝の歌を披露しました。工藤はもう69ということで、若い歌手のようなベルベット・ボイスはもう無理ですが、正確で繊細な歌を歌いました。良かったと思います。

 鈴木玲奈のジルダのアリア。アディーナより全然よかったです。歌い込んでいる様子がよく分かりました。刈田享子の「恋はバラ色の翼に乗って」。テクニックは立派ですが、そもそも大ホールであまり歌った経験がないようで、会場の音響を味方に付けることはできていなかったと思います。ボエームからの三曲。日本一のミミ歌いの砂川涼子。さすがです。貫禄の歌と申し上げるしかない。宮里直樹のフルボイスにも全然負けないところが砂川の真骨頂です。宮里も伸び伸びとした歌でBravo. カヴァラドッシはネモリーノよりは全然似合っていました。

 大隅智佳子のトスカのアリア。これもCasa Diva以上の名唱。大隅の実力を遺憾なく発揮しました。リゴレットの四重唱。マントヴァ公が目立ちすぎです。マントヴァ公が基準になって皆が声を張り上げるので、バランス的にもよくなかったですし、求心力も働いていませんでした。城宏憲の「目を閉じると」。素敵な歌唱でしたが、「花の歌」ほどは歌い込んでいない印象。笛田博昭の「優しい魂よ」。笛田はイタリアものが似合いますね。とても立派で魅力的な歌。大澤一彰と鈴木玲奈との清教徒の二重唱。大澤がリードしている感じの歌唱でしたが、大澤は宮里のような声の出し方をしませんので、鈴木も歌いやすい様子でした。

 以上割と有名な曲を中心に20曲。オペラアリアや重唱の楽しさを満喫しました。結構辛口で書きましたが、基本は素晴らしい歌でした。そこは強調しておきます。また、一人オーケストラの藤原藍子。例年通り立派なピアノ。ほんとうに惚れ惚れとするようなもの。出演者全員にBravo, Brava, Braviと申し上げましょう。

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鑑賞日:2019年10月3日
入場料:E席 6000円 5F R2列6番

文化庁委託事業「2019年度戦略的芸術文化創造推進事業」
主催:公益財団法人 東京二期会

東京二期会オペラ劇場
(共同制作:ザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー・ドレスデン/デンマーク王立歌劇場/サンフランシスコ歌劇場)

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」 (Madama Butterfly)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 アンドレア・バッティストーニ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 河原 哲也
合 唱 二期会合唱団
演 出 宮本 亜門
装 置 ボリス・クドルチカ
衣 裳 高田 賢三
照 明 マーク・ハインツ
映 像    バルテック・マシス 
美 粧    柘植 伊佐夫 
舞台監督 村田 健介

出 演

蝶々夫人 森谷 真理
スズキ 藤井 麻美
ケート 成田 伊美
ピンカートン 樋口 達哉
シャープレス 黒田 博
ゴロー 萩原 潤
ヤマドリ 小林 由樹
ボンゾ    志村 文彦 
役人    香月 健 
子供   根本 葵空 
青年    牧田 哲也 

感 想

宮本亜門も年を取った-東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」を聴く

 蝶々夫人を日本人が演出すると、「日本の美」を意識した舞台になることが多い。東京二期会では、栗山昌良の伝統の舞台がその実例ですし、藤原歌劇団の粟國安彦の舞台もそうでしょう。どちらも美しい見事な舞台ですか、「文明開化」という印象は少ないか、あるいは、「文明開化初期」という印象になる。ただ、舞台の時間が1890年代の日清戦争の頃と考えると、日本の西洋文化の浸透もそれなりに進んでいて、今回の宮本の舞台のようにもう少し「日本の美」の印象を弱くして、代わりに西洋的な色彩を入れるのはありかな、という風に思いました。

 もちろん、今回の宮本亜門の演出の肝はそこにあるわけではない。それは三歳でアメリカに連れていかれ、向こうで大きくなった30歳のバタフライ・ジュニアに、死の床についているピンカートンが自分の三十年前の恋愛と息子の出生の秘密を語って聞かせるところにあります。その回想で進むから、蝶々さんが住む家も日本家屋ではない感じですし、その他の風景も基本は曖昧で、明確なのは、前奏や間奏曲の部分での死に床に就いているピンカートンの病室だけです。そして、回想の最後は、自分が本当に好きだったのは蝶々さんだった、ということになり、ピンカートンが昇天して行くとき、蝶々夫人と手を取り合って昇天していきます。

 「蝶々夫人」は、蝶々さんの一方的純愛と普通は考えるわけですし、ピンカートンの日本人蔑視的なところもあって好まない方もいらっしゃるわけですが、最後は相思相愛だったという風に終わらせたことで、宮本のこだわりが見えたと思います。もう一つ申し上げられるのは、宮本亜門の演出って、これまではもっと尖がっていて、そこに良きにつけ悪しきにつけ彼らしさが出ていたと思うのですが、今回は最後を相思相愛だったとしてしまったことで、そのとんがりもマイルドになったと思いますし、彼も年を取ったんだな、と思うところです。

 ただ、ひとつだけ申し上げておきたいのは、今回の装置、東京文化会館にはあまりあっていなかったのではないかと思います。総じて声の飛びがよくない。特に横を向いて歌うと、声が急に小さくなる感じがしました。反響の作り方がよくなかったのかな、という感じです。

 音楽的には、バッティストーニの音楽の作り方。ちょっと鼻につきます。上手に盛り上げているともいえるのでしょうが、オーケストラのスピードを結構揺らしますし、私にはやりすぎのような感じがします。プッチーニの時代、もう歌だけが主役の時代ではないのですが、それでももっと歌手を目立たせる演奏をした方がよかったのではないかと思います。更に東京フィル。最近の東京フィルの演奏の中では技術的にあまりうまくいっていなかったように思いました。音にざらつきがあるし、ミスも多かった。6月の新国立劇場の蝶々夫人の演奏の方がずっとよかったと思いました。

 歌手ですが、外題役の森谷真理、二年前より声に深みを増して、良かったと思います。特に第二幕後半から第三幕に向けての感情表現は非常に見事で感心いたしました。一方、一番の聴かせどころである「ある晴れた日に」は、演出に影響されて本当の実力を出せなかったと思います。梯子で家の上に上がり、一歩足を踏み外したら、数メートル下に落下するような、手すりも何もないところで歌うのですから、高所恐怖症の人なら足がすくんでとても歌えないと思います。森谷は何とか歌いましたが、高所にいる緊張が歌に出ており、伸び伸びとした歌とはとても言えません。こういう演出はどうかと思います。見ている方も落ちやしないかとハラハラしました。

 樋口達哉のピンカートン。こちらもよかったと思います。ただ、病人としてベッドにいて、早変わりで軍人の衣裳で「ヤンキーは世界をまたにかけ」と軽薄に歌わなければいけないところは、テンションの切り替えが上手くいかなかったのか、軽薄さの表出が今一つだったのかな、とは思います。愛の二重唱はさすがに見事。立派でした。

 黒田博のシャープレス。主要三人の中では一番安定していた歌唱。さすがベテランです。前に出すぎもせず、と言って音は十分にあり、今回一番魅力的な歌唱を聴かせてくれたように思います。

 藤井麻美のスズキ。新国立劇場研修所を最近修了したばかりの若手。そのせいなのか、所作振舞いがベテランのスズキ歌いと方と比較すると、嵌っていない印象です。「花の二重唱」などはもちろん蝶々さんとよいバランスで歌われているのですが、よくやられる花を撒く踊りもなく、スズキが目立つ様子もなく、存在感はあまり感じることができませんでした。存在感という点ではゴローもそう。ゴローは普通もっと軽薄な演技・歌唱で存在感を見せると思いますが、今回は黒い洋服系の衣裳で登場し、また歌い手もバリトンの萩原潤だったということもあって、黒子的でした。

 演出は蝶々さんとピンカートンの純愛に焦点をあてたかったということでそれは達成していましたが、音楽を楽しむ立場から言えば、脇役のアクセントをもっと見せて欲しかったな、と思うところです。

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鑑賞日:2019年10月9日
入場料:D席 7776円 4F 2列39番

令和元年度(第74回)文化庁芸術祭オープニングオペラ公演/国際音楽の日記念
2019/2010シーズン開幕公演

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(ロシア語)上演
チャイコフスキー作曲「エフゲニ・オネーギン」 (Евгений Онегин)
原作:アレクサンドル・プーシキン
台本:コンスタンチン・シロコスキー/ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

会場 新国立劇場・オペラパレス

指 揮 アンドリー・ユルケヴィチ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 三澤 洋史
合 唱 新国立劇場合唱団
演 出 ドミトリー・ベルトマン
美 術 イゴール・レジニー
衣 裳 タチアーナ・トゥルビエワ
照 明 デニス・エニュコフ
振 付   エドワルド・スミルノフ 
音楽ヘッドコーチ    石坂 宏 
舞台監督 高橋 尚史

出 演

タチアーナ エフゲニア・ムラヴェーワ
オネーギン ワシリー・ラデューク
レンスキー パーヴェル・コルガーティン
オリガ 鳥木 弥生
グレーミン公爵 アレクセイ・ティホミーロフ
ラーリナ 森山 京子
フィリッピエヴナ 竹本 節子
ザレツキー    成田 博之 
トリケ    升島 唯博 
隊長   細岡 雅哉 
合唱の先唱者    真野 郁夫 

感 想

心理劇としての「エフゲニ・オネーギン」-新国立劇場「エフゲニ・オネーギン」を聴く

 翻訳小説は子供の時から苦手であまり読まないのですが、ことにロシア文学は苦手で、「イワンのばか」みたいな童話を別にすれば、子供向けにリライトされた「戦争と平和」を読んだことがあるぐらいだと思います。プーシキンがロシア近代文学の父と呼ばれていることは何となく知っていたのですが、恥ずかしながら、「エフゲーニィ・オネーギン」が彼の代表作の一つであることも、元々、ソネット形式で書かれた韻文小説であることも、「ロシア生活の百科事典」や「余計ものの系譜の源流」と呼ばれていることも知りませんでした。翻ってオペラの「エフゲニ・オネーギン」。もちろん初めて聴くわけではありませんし、第三幕冒頭の「ポロネーズ」のように、オーケストラ曲も何度か聴いたことはあるのですが、原作のことやチャイコフスキーは22曲中15曲に原詩を引用しているであるとか、そう言った基本的な話を知らず、今回聴くにあたって初めて知りました。そういった背景的な知識を持ってみると、今回の舞台はかなり文学的と申し上げてよいと思います。

 そのような知識を前提に考えると、今回のベルトマンの舞台、かなり「ロシア生活」を意識した写実的な舞台であり、かつ「余計ものの視点」でちょっと醒めた眼で作った舞台だと申し上げてよいと思います。また、ロシア人が中心のプロダクションですから、彼らは当然原作を知っていて、それを踏まえた歌唱演技をしっかりされていたということだろうと思います。全体的に音楽的にはもう少し熱がこもった方が聴き手は楽しめたとは思いますが、そうしなかったところが演出の特徴で皆がそれを理解していた舞台だったと申し上げましょう。

 その典型が第二幕第一場のレンスキーが嫉妬に駆られてオネーギンに決闘を申し込む場面。レンスキーは凄くいきり立つわけですが、背景にいる合唱団のメンバーなどの民衆はロシアの田舎者の下品さを演じて(それはコミカルな動きで面白かったわけですが)、そういった怒りと無関係です。オネーギンはレンスキーをいなしながらも、ロシアの田舎のパーティがくだらないと感じてしまってレンスキーとも民衆ともかみ合わない。二人の男が正面からぶつかっているように見せればまた盛り上がるのでしょうが、敢えてそうせず、田舎者・レンスキーと都会人・オネーギンの比較をして見せたのでしょう。ただ、それが好きかと言われれば、オペラとしてはどうなのかな、と思う次第です。

 「蝶々夫人」において、蝶々夫人は15歳でピンカートンに嫁ぎますが、このオペラで、オリガは15歳ですけれども、早熟な当時でも子供として描写されている。タチアーナだって第一幕ではまだ17ぐらいでしょうか。プーシキンの感覚でも子供でしたし、最初から大人だったオネーギンが必死に書いたタチアーナの恋文を鼻であしらうのは当然のところですが、オネーギンの冷たさが、上手に演技・歌唱で来ていたか、と言えば必ずしもうまくいっていなかったとは思います。素っ気ないと言えば素っ気なかったので、それでいいのかもしれませんが。

 要するにプーシキンの世界をチャイコフスキーは自分の世界に上手に盛り込めなかった、ということなのでしょう。もちろんチャイコフスキーは稀代のメロディーメーカーですし、どこにも美しい旋律が満ち溢れているので、聴いていて退屈はしないのですが、微妙に文学の世界と音楽の世界がずれていて、そこが気持ち悪いのかもしれない。そして、ベルトマンはその微妙なるずれを明示する演出をしたということなのでしょう。聴き手としてはどうかなと思うのですが、知的に考えれば、凄く立派な行為だともいえます。

 それを前提に今回の演奏を考えると、立派な演奏だったと申し上げてよいと思います。まず合唱がいい。当たり前すぎてそれ以上申し上げることはないのですが、新国立劇場合唱団のレベルの高さを痛感します。脇役陣は、升島唯博のトリケがいい。唯一明示的なコミカルな役ですが、しっかり自分の役割を果たしていたと思います。またラリーナの森山京子、フィリッピエヴナの竹本節子の二人の低音女声歌手が存在感のある深い、それでいて響きのまろやかな声で抜群の存在感でした。二人まとめてBraveです。

 忘れていけないのは、グレーミンを歌ったティホミーロフ。いかにもロシアンバスというべきどっしりとした低音で、その地を這う響きは見事としか言うしかありません。大拍手が起こりましたが、当然のところだと思います。オリガの鳥木弥生。もう少し存在感を示してもよかったのかな、という気もしますが、第一幕第一場のアリアは、低音がドスが効かない感じで響き、そこに少女性を感じさせました。

 主要三人ではレンスキーのコルガ―ティンが一番弱かった印象。声質にちょっと癖があって、キャラクターテノール向き。もっとすっきりした声質であれば、レンスキーの若さがストレートに表現できると思うのですが、癖がある分、第一幕の最初からちょっと影を感じさせてしまって、どうなのかな、と思いました。今回の役作りの中であのような表現を要求されているのかもしれませんが、もう少しストレートな押し方があった方が、レンスキーという直情径行な青年の雰囲気を出せたのではないかなと思いました。

 ムラヴェーワのタチアーナ。まさしくロシア美人でタチアーナによく似合っていると思いました。「手紙の場」の情感の表出も素敵でしたし、ヒロインらしいヒロインだったと思います。一方で、第三幕の公爵夫人の気品と第一幕の田舎娘の可憐さにあまり差がみられなくて、なぜ第一幕でオネーギンがタチアーナにお説教をして遠ざけ、第三幕で一目惚れして、昔邪険にしたことを後悔したのか、という点の説得力はあまりなかったのかなと思います。この差を音楽的にもしっかり見せられると、このオペラの深みが更に感じられたのだろうなと思いました。

 最後にタイトルロールのラデューク。この方はオネーギンが「自分が余計ものであることを自覚している」ということを前提に歌唱・演技を組み立てているように思いました。それが、タチアーナに対するちょっとおずおずしたあしらい方ですし、決闘シーンでの優柔不断な感じもそれが前提であると考えればよく分かります。そのアンチ・ヒーロー的な動きこそがこの作品の見どころであり、よく考えられて取り組んでいたとは思うのですが、そう言った優柔不断性がオペラを見るという観点からすると、落ち着かない。ヒロイックじゃないけど悪役にもなり切れない感じを出せたことは素晴らしいことなのでしょうが、聴いている方としては、カタルシスを感じられません。そこがすっきりとしない。

 ユルケヴィッチ指揮東京フィルの演奏も基本抑制的でありながら、チャイコフスキーの美しさをしっかり示せて秀逸。

 以上全体として作品の文学性及び心理劇の側面を前面に出し、チャイコフスキーの音楽の素晴らしさも感じてくれた良質な演奏だとは思いましたが、なかなかすっきりとしない演奏でもありました。

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鑑賞日:2019年10月20日
入場料:A席 2000円 え列42番

2019国立音楽大学大学院オペラ公演

主催:国立音楽大学

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」 (Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 国立音楽大学講堂

指 揮 大勝 秀也
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
マンドリン 堀 雅貴
チェンバロ 相田 久美子
合唱指揮 安部 克彦
合 唱 国立音楽大学合唱団
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
振 付   堀田 麻子 
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

ドン・ジョヴァンニ 小林 啓倫
レポレッロ 照屋 博史
ドン・オッターヴィオ 秋山 和哉
ドンナ・アンナ 重田 栞
ドンナ・エルヴィーラ 栗本 萌
ゼルリーナ 北川 茉莉子
マゼット 島田 恭輔
騎士長    高橋 正尚 

感 想

今後の精進を期待します-国立音楽大学大学院オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴く

 若い人たちのグループが「ドン・ジョヴァンニ」を上演すると、あまりうまくいかないことが多い。新国立劇場オペラ研修所の研修公演もこれまで「ドン・ジョヴァンニ」を2回取り上げていますが、どちらもあんまりよい出来ではありませんでしたし、国立音大大学院でも何度も取り上げていますが、こちらもよかった公演、というのが思い出せません。なぜなのか、と考えてみると、やはり若い人には出せない大人の色気がないと上手くいかないというのがあるのでしょう。ドン・ジョヴァンニがそもそもそういう役ですし、ドンナ・アンナにしてもドンナ・エルヴィラにしても、いろいろな意味で大人でないとその味を出すことはできないということがあるのだろうと思います。

 しかし、その難しい「ドン・ジョヴァンニ」を上演した、本年の国立音楽大学大学院オペラ、もちろん問題はたくさんあったのですが、全体的に見れば結構聴きごたえがありました。その理由が二つあげられるとおもいます。ひとつは指揮の大勝秀也が音楽をしっかりコントロールしていたこと。もう一つはドン・ジョヴァンニに人を得たことです。

 大勝に関して申し上げれば、そもそもドイツの歌劇場の副指揮者からキャリアを出発させた人でもあり、モーツァルトは手中にあるのでしょう。特に何をやっているようにも見えないのですが、必要な時に歌手に指示を与え、合唱にも指示を与え、しっかり音楽を制御していました。おそらくゲネプロを確認する中で、今回のキャストやオーケストラを踏まえて指揮の仕方を変えてきているのではないかという気がしました。そんなわけで、全体の枠がしっかりとしていて、その中で歌うので、多分まとまりがよくなったのだろうなとは思います。

 オーケストラにしてもしょせん学生団体ですから、取り立てて素晴らしい、という感じではないのですが、特別破綻もなくしっかりと音楽全体の下支えをしていました。そこは立派だと思います。

 今回の外題役は助演の小林啓倫。小林は7年前の国立音大大学院オペラでは騎士長を歌って割とよかったのですが、今回はタイトルロール。小林は艶やかなバリトンで、声の響きが美しく色っぽい。こういう声の持ち主にドン・ジョヴァンニは向いています。「シャンパンの歌」のデモーニッシュな雰囲気。「セレナード」や「誘惑の二重唱」の甘い響き、など状況に応じて歌い方をしっかり変えて、それでいながら、どんなシーンでもしっかり響きを保って、ドン・ジョヴァンニの悪魔的な側面とそれも含めた色っぽさが常時あって、聞き応えがありました。今回の出演者の中ではおそらく断トツの実力で、彼の歌いまわしが、全体を引き上げたような気がします。

 レポレッロの照屋博史もまずまず。小林ジョヴァンニと比べるとミスも多く、気になるところもありましたが、「カタログの歌」の人を食った雰囲気もよかったですし、バッソ・ブッフォ的な演技も見事で、レポレッロとしての雰囲気をしっかりと表現していたと思います。助演としての十分役目を果たしたと申し上げられると思いました。

 高橋正尚の騎士長も良好。7年前は院生で、外題役を歌って見事に玉砕した感じだったのですが、その後の精進が良かったのか、今回の騎士長は立派だったと思います。フィナーレのドン・ジョヴァンニとの二重唱は緊迫感の溢れる見事なものに仕上がっていました。

 秋山和哉のドン・オッターヴィオ。昨年の大学院卒業生。昨年の「院オペ」は彼の日を聴いていないのですが、外部公演などで注目しているテノールです。甘い柔らかさ響きを持ったテノールで、どの声の雰囲気はドン・オッターヴィオにぴったり。しかし今回は、第一アリア「彼女は私の宝」の後半部分が今一つうまく処理できていなかった印象です。

 もっと問題だったのは、マゼット役の島田恭輔。あまり調子がよくなかったようで、アンサンブルでは声が埋もれていましたし、アリアもあんまりよい感じではありませんでした。

 さて、今回の院生3人ですが、若いから仕方がないのですが、三人とも声も表現も幼い、と思いました。

 特にそれを感じたのは、エルヴィーラを歌った栗本萌。雰囲気はドンナ・エルヴィーラっぽい感じはしましたが、仕草に今の女の子っぽさが見えてしまって、捨てられた一途な女の感じがなかなか出せないところがあります。それでもレシタチーヴォはいい感じのところも多いのですが、アリアや重唱になると一気に雰囲気が壊れます。別に不正確な歌を歌っていた、というようなことではないのですが、お客に聴かせる「何か」が歌にない。だから歌が軽くて面白みに欠けるのだろうと思います。

 これはドンナ・アンナを歌った重田栞もそうです。重田は中音部ではあまり感じないのですが、音が高くなると歌が単調になってしまって、ふくらみに掛けます。ドンナ・アンナはある意味、エルヴィーラ以上にドラマティックな表現を求められる役ですが、ドラマティックにならない感じがします。踏み込みが足りないとも言えると思いますが、踏み込めるだけの経験もないということなのでしょう。

 北川茉莉子のゼルリーナ。師匠の高橋薫子のゼルリーナと似た歌いまわしで、その類似をひそかに楽しんだのですが、もちろん技術は足元にも及びません。例えば誘惑の二重唱で、ドン・ジョヴァンニとのバランスのとり方が今一つですし、「ぶってよ、マゼット」のコケティッシュな魅力とか、「薬屋の歌」の色っぽさの表出もまだまだだなというレベル。

 以上三人は、きちんと歌っているなあ、とは思うのですが、面白くない。長いアリアになると眠くなるほど退屈でした。又三人とも精一杯歌っているのは分かるのですが、声量に余裕がない感じ。そこも踏み込みの甘さに繋がっていると思いました。とはいえ、ドン・ジョヴァンニの女たちは非常に難しい役柄で、経験の乏しい若い方が十全に歌うのはそもそも無理な役だと思います。今後もっとヴォイストレーニングを積んで、勉強もしていけば、きっと、もっと表現に飛んだ役柄として演じられるようになると思います。今後の精進に期待しましょう。

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鑑賞日:2019年11月10日
入場料:B席 6000円 2FH列43番

NISSAY OPERA2019

主催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」 (Tosca)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 園田 隆一郎
管弦楽 読売日本交響楽団
オルガン 平塚 洋子
合唱指揮 大川 修司
合 唱 C.ヴィレッジ・シンガーズ
児童合唱指揮 籾山 真紀子
児童合唱 パピーコーラスクラブ
演 出 粟國 淳
美 術 横田 あつみ
衣 裳 増田 恵美
照 明 大島 祐夫
演出助手   橋詰 陽子 
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

トスカ 岡田 昌子
カヴァラドッシ 藤田 卓也
スカルピア 須藤 慎吾
アンジェロッティ 妻屋 秀和
堂守 柴山 昌宣
スポレッタ 澤原 行正
シャルローネ 高橋 洋介
看守    氷見 健一郎 
牧童    倉金 はるか 

感 想

演出と音楽との高度な調和-NISSAY OPERA 2019「トスカ」を聴く

 「トスカ」は余計なものが一切そぎ落とされて、ドラマチックに仕上げられたオペラです。激しいドラマですが、それは内容が凝縮されているからでもあります。しかし、その見せるべきドラマを観客にしっかり伝えられた上演は、自分が見た範囲ではあまりなかったと申し上げられます。何度も申し上げておりますが、トスカを見ていると、ダメ男のカヴァラドッシと強いスカルピアという対比があって、何故トスカがスカルピアに惹かれなかったのかが理解できない、という演奏になってしまう。

 そこではスカルピアの役作り・演技が重要なわけですが、演出家はスカルピアの細かい演技までは入り込まないことが多いようです。私は、かっこいい音楽を歌いながら、邪悪な演技で、全体を邪悪に感じさせることができればで、ベストだろうなと思っているのですが、多くのスカルピアは演技が邪悪になり切れず、音楽の良さだけが前に出てしまい、ドラマとしてバランスの悪いものになってしまう。そんな「トスカ」をこれまで幾度となく聴いてきました。

 翻って、今回のスカルピアですが、邪悪でした。演技が邪悪。表情が憎々しげで、歌わずにただ動き回っているときの様子もいかにも悪役風でした。これは演出家の指示でそうしたのであれば、それはそれで素晴らしいことですし、須藤慎吾の世界観が作り上げたのであれば、須藤のセンスを褒めなければいけません。どちらにしても今回の須藤スカルピア、素晴らしい演奏だったと思います。「トスカ」の一番の聴きどころは、第一幕終盤のバックでデ・デウムの大合唱が流れているところで歌うスカルピアのモノローグですが、あそこは本当にゾクゾクとしました。第二幕の前半の邪悪な雰囲気の出し方も見事でしたし、後半のトスカに対する下心たっぷりの言い寄り方のいやらしさも見事でした。刺された後のダメさの表現も素敵でした。

 今回のトスカは、スカルピアの存在感で持っていたと申し上げても過言ではないと思いました。Bravoです。

 それに対抗するトスカ。岡田昌子。持っている地声は私がトスカにイメージする声とはちょっと違っていましたし、繋ぎの部分の表情などに気が廻らないところがいくつかあって、若さを感じさせてしまうところもありましたが、素晴らしい演技・歌唱だったと申し上げてよいと思います。第一幕のカヴァラドッシに嫉妬して見せる二重唱はカヴァラドッシの声を消すような強さを見せましたが、そこはもう一つ制御して可愛らしさも表現できれば鬼に金棒。第二幕は心情がトスカに入り込んでおり、一番の聴かせどころである「歌に生き、愛に生き」は半分泣きの入った歌唱で、決してクリアな声ではありませんでしたが、トスカの気持ちが歌に乗り移っていて、ドラマとしては最高だと思いました。また第三幕の前半、カヴァラドッシを訪ねたときの表現は、希望と不安さを相半ばにしているということで、ちょっと暗めの表情にしたのでしょうか? あの部分はもうちょっと明るく歌った方が、最後のカヴァラドッシが銃殺された後殿トスカの嘆きとの対照性が見えて更によかったのではないかと思いました。

 須藤スカルピアの素晴らしく邪悪な歌唱、演技、岡田トスカの気持ちの入り込んだ第二幕と比較すると、藤田卓也のカヴァラドッシは役に気持ちが入っている、というより、テノールとしての声の出し方に気持ちがいたようで、役作りの点から行くと上手くいっていなかった感じがします。もちろん、「妙なる調和」にしても「星は光りぬ」にしても素晴らしい歌唱でしたが、そこに至る繋ぎの歌唱はどうかというと、かなりバランスが悪く今一つだったと申し上げざるを得ません。特に第一幕の堂守と絡む場面は、柴山昌宣の堂守が立派な声で勝つ自然な表情で歌うのに対し、藤田カヴァラドッシは自然な形で対応できずぎくしゃくしている感じがかなりありました。テノールとしての見せ場ではないところでも、ドラマとしての自分の振舞いをもっと考えて、自然な演技が欲しかったところです。

 男声低音の脇役陣は皆素晴らしかったと思います。妻屋秀和のアンジェロッティも流石でしたし、上に書いた通りの柴山昌宣の堂守も、演技・歌唱とも自然且つ明晰でした。高橋洋介のシャルローネも氷見健一郎の看守もいい表情を見せていました。

 以上歌手のことだけを書きましたが、このようなドラマにしたのは、粟國淳の演出が見事だったということに尽きると思います。舞台装置は日生劇場の舞台の限界を前提に設計されていて、新国立劇場のような豪華さはもちろんないわけですが、「トスカ」がヴェリズモ・オペラであることを踏まえた写実的な演出です。第三幕が聖アンジェロ城での出来事ですが、そこで行われたことを示すのは、最後に影絵でその天使の像を写す手法でした。もちろん装置がよかったのではなく、細かい表情に至るまで歌手たちの動かし方が見事だったということです。

 また、そこにつける園田隆一郎の音楽も相当ドラマチックに仕上げていました。普通であればもう少しゆっくり演奏するのではないかと思うところをアッチェラランドをかけて攻め込んで見せる。そういうところがいろいろなところであるので、緊迫感が途切れません。またオーケストラの音の出方も和声が綺麗に決まってという感じではなくて、楽器がそれぞれ主張しているように聴こえる場所が多い。それも緊迫感によい影響を与えていたのではないかと思います。第二幕の前半の連行されたカヴァラドッシとスカルピアとを中心とした対話の後ろでは、舞台裏でトスカと合唱によって歌われるカンタータが聴こえてきます。普通このカンタータはBGM的に流れていることが多いと思いますが、今回はかなり強めに演奏され、そういうところも緊迫感を強めることに有用だったのではないかと思います。

 以上演出も演奏もドラマティックなオペラのドラマティックな表現に注力している感じがよく見えて、それがまた歌手陣の頑張りによって上手く嵌り、全体として高度な演奏になっているのではないかと思いました。Braviと申し上げるべき演奏でした。

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鑑賞日:2019年11月12日
入場料:自由席 4000円

主催:メゾソプラノ地位向上委員会

6人のメゾソプラノ達~大メゾソプラノ時代~

会場:三鷹市芸術文化センター星のホール

スタッフ

ピアノ 瀧田 亮子
演出 太田 麻衣子

出 演

メゾソプラノ 鈴木 涼子
メゾソプラノ 但馬 由香
メゾソプラノ 立川 かずさ
メゾソプラノ 鳥木 弥生
メゾソプラノ 福間 章子
メゾソプラノ 松浦 麗
ソプラノ 廣田 美穂
テノール 所谷 直生
バリトン 堀内 康雄(愛情出演)

プログラム

作曲家 作品名 曲名 歌手
オッフェンバック ホフマン物語 美しい夜、おお、恋の夜よ 6メゾ全員
ロッシーニ セビリアの理髪師 今の歌声は 但馬 由香
モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 行きますとも、でも愛する人よ 鈴木 涼子
マイヤベーア ユグノー教徒 いえ、いえ、決してありません 福間 章子
ヴェルディ 仮面舞踏会 地獄の王よ、急げ 立川 かずさ
チャイコフスキー オルレアンの少女 時は来た!~さようなら、故郷の丘よ 鳥木 弥生
中村 匡宏 石見銀山 厄災 松浦 麗
ヨナッソン かっこうワルツ(6メゾ替え歌) 6メゾ全員
休憩
プッチーニ 蝶々夫人 6メゾ・ハイライト版 蝶々さん:廣田 美穂
ピンカートン&ゴロー:所谷 直生
シャープレス:堀内 康雄
スズキ&ケイト:6メゾ全員
演出:太田麻衣子
プッチーニ 蝶々夫人 さらば愛の巣 所谷 直生
サン・サーンス サムソンとデリラ あなたの声に私の心も開く 6メゾ全員
オッフェンバック 天国と地獄 カンカン(6メゾ替え歌) 6メゾ全員

感 想

爆笑-メゾソプラノ地位向上委員会「6人のメゾソプラノ達~大メゾソプラノ時代~」を聴く

 6人のメゾソプラノ歌手による、真面目なおふざけコンサート。真面目にふざけてはじけてくれるので、クラシックコンサートとは思えないほど笑ってしまいました。楽しかった。たまにはこういうコンサートも素敵です。

 最初は6人のメゾソプラノが、ホフマンの舟歌の二重唱を歌って登場。半分の方はソプラノパートを歌ったのでしょうね。こうやって聴くと、メゾソプラノといえども、いろいろな声質の方がいることがはっきりして面白い。高音が得意な人もいれば、ドスの効いた低音が響く人もいる。その違いが楽しい。

 第一部は個別歌手のアリア。非常に有名な「今の歌声は」から、初聴の「石見銀山」のアリアまでいろいろ歌われました。

 私にとって一番魅力的だったのは、松浦麗の「石見銀山」のアリア。この作品は、石見銀山世界遺産登録10周年を記念して、吉田知明の作詞、中村匡宏の企画・作曲で、2017年7月に島根県太田市で初演されたいわゆる地方オペラです。私はそのような作品があることは知っていましたが、もちろん全く聴いたことはなく、松浦が歌ったアリアももちろん初聴。松浦は初演時から三回行われた公演で全て今回歌われた鬼女役をやっているそうで、今回も鬼の面を付けての歌唱でしたが、演技も入り、とても堂々とした歌唱で、立派。大変すばらしい歌でした。

 次いで魅力的だったのは、鳥木弥生の「オルレアンの少女」のアリア。日本人でロシア物と言えば女声ならばやはり鳥木弥生なんだな、と思った次第です。他の四人も自分が歌いたい曲を選んだというだけのことはあって、それぞれに楽しめる歌でしたが、松浦、鳥木ほどは魅力的には響きませんでした。

 アリアが終わると、チラシの恰好に身を包んだ六人が集結し、お写真タイム。俺が終わると、「かっこうワルツ」のメロディに乗せて「メゾ、メゾ、メゾソプラノ」と歌いながら、下手に消えていきました。

 後半の「蝶々夫人」ハイライト。「蝶々夫人」ですが、もちろん焦点はスズキです。スズキが登場しないシーンは見事に全てカット。だから、一幕は、ゴローがピンカートンに女中を紹介するシーンだけです。その潔さがいい。もちろんスズキは六人のメゾ全員が一緒に舞台に出て演じます。例えば福間スズキは木刀持って登場しますし、鈴木涼子スズキはモンペ姿で何かというと床を雑巾がけしています。但馬スズキは黒縁眼鏡でそろばんを弾いている、と言った具合です。この六人がくっついたり離れたりしながらスズキを演じ、歌いますが、太田麻衣子の演出がかなりお笑い寄りで、笑わずにはいられない。歌は正直申し上げればそこそこですが、演技が本当にコミカルで、バカバカしく、オペレッタでもこんなに笑うことはないだろうなという面白さ。もちろん、演じている方が真面目にやっているから笑いが起きるわけですが、「蝶々夫人」を見て、こんなに笑えるとは思ってもいませんでした。演出の太田麻衣子と出演者全員にBraviと申し上げましょう。

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鑑賞日:2019年11月15日
入場料:A席 6000円 2F5列33番

ベルカントオペラフェスティバルインジャパン2019
藤原歌劇団×ヴァッレ・ディトリア(マルティーナ・フランカ)音楽祭提携公演

主催:文化庁/公益財団法人日本オペラ振興会

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
A・スカルラッティ作曲「貞節の勝利」 (IL TRIONFO DELL'ONRE)
台本:フランチェスコ・アントニオ・トゥッリオ
校訂:ヤコポ・ラッファエーレ

会場 昭和音楽大学テアトロ。ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 アントニオ・グレーコ
管弦楽 ベルカントオペラフェスティバル管弦楽団
(コンサートマスター:ジャン・アンドレア・グエッラ)
演 出 ジャコモ・フェッラウ/リーベロ・ステッルーティ
美 術 ステファノ・ズッロ
衣 裳 サーラ・マルクッチ
照 明 ジュリアーノ・アルメリーギ
振 付   リッカルド・オリヴィエール 
舞台監督 八木 清市

出 演

リッカルド・アルベノーリ 迫田 美帆
レオノーラ・ドリーニ 米谷 朋子
エルミーニオ ラッファエーレ・ペー
ドラリーチェ・ロッセッティ 伊藤 晴
フラミーニオ・カストラヴァッカ 小堀 勇介
コルネーリア・ブッファッチ 山内 政幸
ロジーナ・カルッチャ 但馬 由香
ロディマルティ・ポンバルタ隊長    パトリーツィオ・ラ・ブラーカ 

感 想

演奏されない理由-ベルカントオペラフェスティバルインジャパン2019「貞節の勝利」を聴く

 アレッサンドロ・スカルラッティがバロック・オペラの代表的な作曲家の一人で、ナポリ派の礎を築いた音楽史的にはとても重要な作曲家であることを知識としては知っておりますが、その作品は普段ほとんど演奏されず聴く機会はほとんどありません。普段耳にできるのは、イタリア古典歌曲集に収載された「陽はすでにガンジス川から」とか「菫」のようなものを声楽初学者が歌うときぐらいかもしれません。オペラもほとんど上演されず、日本で上演されたのはおそらく過去2回、1974年の「グリセルダ」、1993年の「ミトリダーテ・エウパトーレ」だけだと思います。私はどちらも拝見しておりません。というわけで、今回の「貞節の勝利」、自分としては非常に楽しみにして伺いました。

 拝見して思ったのは、個人的には面白かったけど、この作品をもし演奏会形式で演奏されたら、退屈するだろうな、ということです。この時代のオペラにありがちですが、レシタティーヴォ、重唱、レシタティーヴォ、アリアという感じで延々と続きます。アリアはそれぞれ特色があるのですが、通奏低音の部分にあまり変化がないせいか、どの曲を聴いても似たような感じに聴こえてしまう。音域が全体的に低めで、更に華やかな高音がほとんどないので、演奏の難しさと比較すると演奏効果を発揮しにくいのもつらいところでしょう。そう言う意味で、かなりお客さんを選ぶ作品であることに間違いはなく、スカルラッティがこんな感じの作品ばかりを書いていたとすれば、21世紀の現在に受け入れられるのはなかなか難しいのかもしれないな、と思いました。

 とはいえ、自分にとっては面白かった。理由は皆、近い声部で歌っていることです。この作品で、典型的なソプラノ役はドラリーチェだけですし、典型的なバスもボンバルダ隊長で、あとは皆音域が近くカオスのような印象。ちなみにストーリーを簡単に言ってしまえば、改心した「ドン・ジョヴァンニ」です。リッカルドがドン・ジョヴァンニ、ボンバルダ隊長がレポレッロ、レオノーラがエルヴィラ、ドラリーチェがドンナ・アンナ、エルミーニオがドン・オッターヴィオに比定される。ただ、声の感じは全く違います。「ドン・ジョヴァンニ」の場合、この5役の声は、バリトン、バッソ・ブッフォ、ソプラノ・リリコ・スピント、ソプラノリリコ、テノール・レジェーロになるわけですが、「貞節の勝利」の場合、ソプラノ・リリコ・スピント、バッソ・ブッフォ、コントラルト、ソプラノ・リリコ、カウンター・テノール(カストラート)になります。

 この作品では、リッカルド(S)とエルミーニオ(C-T)とが、ドラリーチェ(S)を取り合うわけですが、皆ソプラノの音域で、ズボン姿の男役とカウンターテノールが、ソプラノを取り合うわけですから、何とも言えない雰囲気が出てくる。同じような意味で、レジェーロ・テノールのフラミーニオ(男役)とテノールのコルネーリア(女役)とのやり取りも、高音側のフラミーニオと低音側のコルネーリアとが同じテノールの音域でコミカルに歌うので、これまた何とも言えない雰囲気が醸し出される。フラミーニオとエルミーニオとはもちろん音色は違うのですが、音域的には類似でもあり、この間にコントラルトのレオノーラやロジーナが入ってくるわけですから、全体的にはかなり近いところで皆が歌っており、そこのカオスな感じが面白いのです。

 演奏の良し悪しですが、今回初聴きの作品ですので、正直なところ分かりません。しかしながら、小堀勇介の声が綺麗に響いていたのは、さすがに本年音コン一位のことはあるなと感心しましたし、迫田美帆のズボン役も嵌っていました。米谷朋子は、第二幕後半の怒りのアリアがよかったです。カウンターテノールのペーは、複雑なアリアを与えられていますが、見事なアジリダで魅了してくれました。ドラリーチェの二つのアリアはどちらも明るい響きでよかったと思いましたし、山内政幸のコルネーリアは雰囲気がよく出ていて見事だと思いました。他の方々も音域的にも技術的にも大変だったとは思いますが、それぞれ役の魅力を伝えられていたのではないかと思います。

 作品は、コンメーディア・デッラルテの伝統にのっとっているようで、演出も1969年の出来事として描かれているものの、その舞台の雰囲気は、コンメーディア・デッラルテを現代に持って来たということでよく言われる「イル・カンピエッロ」を思い出させるものでした。演出の仕方によってはもっと重たくも仕上げられるとも思うのですが、広場の上に洗濯物が翻っているなど、いかにも南イタリアの庶民の雰囲気を出した舞台で、それはそれで愉快ではありました。

 休憩を入れて2時間40分、この時代のオペラは一般にもっと長いものが多いので、ダカーポアリアの後半をカットしたりはあったのかもしれません。その辺は全く分かりませんが、単調な曲の入れ替わりの割には間延びはしていませんでしたので、それなりに工夫されていたのかな、と思います。

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鑑賞日:2019年11月16日
入場料:D席 7776円 4F 2列22番

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」 (Don Pasquare)
台本:ジョヴァンニ・ルッフィーニ/ガエタノ・ドニゼッティ

会場 新国立劇場・オペラパレス

スタッフ

指 揮 コッラード・ロヴァーリス
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 三澤 洋史
合 唱 新国立劇場合唱団
演 出 ステファノ・ヴィツィオーリ
美 術 スザンナ・ロッシ・ヨスト
衣 裳 ロベルタ・グイディ・デイ・バーニョ
照 明 フランコ・マッリ
音楽ヘッドコーチ    石坂 宏 
舞台監督 村田 健輔

出 演

ドン・パスクワーレ ロベルト・スカンディウッツィ
マラテスタ ピアジオ・ピッツーティ
エルネスト マキシム・ミノロフ
ノリーナ ハスミック・トロシャン
公証人 千葉 裕一

感 想

あと一歩か二歩の向上を-新国立劇場「ドン・パスクワーレ」を聴く

 イタリア・オペラ・ブッファ、最後の作品とも称される「ドン・パスクワーレ」ですが、演奏される機会はそれほど多くはありません。私も小さい舞台で演奏されたのは何度か見たことがありますが、大舞台での演奏を聴くのは、ほぼ20年ぶりだと思います。新国立劇場はベルカントオペラに冷たいのですが、「ドン・パスクワーレ」を選んでくれてありがとう、と申し上げましょう。とはいえ、開館20年たって、ドニゼッティもようやく三作品目というペースですからね。もっと演奏して欲しいところです。

 さて、今回の舞台ですが、演出がシンプルで分かりやすいのがいい。そもそも、登場人物が基本4人で、それぞれの役割が明確な作品ですから、変に読み替えたりしない方が良い結果につながることは当然ですが、演出のヴィツィオーリは、テキストに完全に寄り添う形で舞台を作り上げていきました。最初のシーンはドン・パスクワーレの書斎ですが、書棚にはぎっしりと書籍が詰まっており、いかにもお金持ちの老人の部屋の雰囲気。その部屋が閉まっていくと外側のデザインが笑っている男性の顔になっている。その部屋が割れて、海岸の避暑地にいるノリーナが「あの騎士の眼差しを」を歌いながら登場するというところも見事。演出に無駄がなく、ストーリーがすっきりと頭に入ってきます。

 一方で、演出ほど音楽はすっきりとはまとまっていませんでした。指揮者のロヴァーリス、生粋のイタリア人のようで、それなりに歌わせてはいますが、そのアプローチは結構えげつない感じです。まず、最初の聴かせどころである「あの騎士の眼差しを」ですが、前半がかなり遅く演奏し、後半にかけてどんどんアッチェラランドをかけて行くやり方。こうやることで観客の注意を引くのは間違いありませんが、歌詞の意味やノリーナのキャラクターを考えたとき、前半を引っ張って重くすることが良いことだとは思えません。これはあくまでも一例で、これ以外にも指揮者が結構こだわりを持ってスピードを変えている様子で見受けられ、どうなんだろうなあ、と思いました。私は、演出と同様、メリハリが過剰にならないように演奏したほうが、この作品のベルカント的な味わいが出るように思いました。

 歌手は皆素敵です。

 ただ、ミノロフのエルネスト、もちろん悪くないのですが、失敗もありました。第二幕冒頭のアリア「哀れなエルネスト」は、最初はもっと悲嘆を込めて歌い、最後はハイCまで上げて終わって欲しいところですが、実際はアプローチが上手くいかず、途中から美声がくぐもって聴こえ、最後は体勢が整わず、かなり低いところで終わらせていました。それ以外は決して拙いということはなかったと思いますが、2017年のアルマヴィーヴァ伯爵の時ほど声に艶がのっていなかった感じがします。不調だったのかもしれません。

 スカンディウッティのドン・パスクワーレ、ノリーナに翻弄されてオロオロするところなど流石の味わいがありました。冒頭の年甲斐のない喜びのアリアもよかったです。

 今回一番見事だったのは、マラテスタを歌ったピッツーティでしょう。本舞台の狂言回しであり、シナリオライターでもあるわけですが、活気ある歌唱で、全体を盛り上げるのに一役買っていました。ほとんど重唱での参加ですが、例えば、「用意はいいわ」の二重唱の小気味よいやり取りや、第二幕の三重唱から結婚契約書にサインするまでの立ち回りぶりの溌溂とした感じは見事でした。

 この低音二人、早口も見事で、さすがイタリア人。しかし、第三幕の早口の二重唱は完璧に合っているとまでは言えず、更に合わせて欲しいなあと思いました。本年5月聴いた「ドン・パスクワーレ」ではこの二重唱部分が完璧に合っていたので、不可能ではないと思います。

 ノリーナは「あの騎士の眼差しに」のアプローチは私の好みではありませんでしたし、結婚した後の豹変の感じも更に鋭さが欲しいところです。更に申し上げればスーブレットとしての作り込みがもっとあってもよかったのかな、とは思いました。悪くはないのですが、一歩引けている印象です。

 結果として指揮者はもっと抑えた演奏にして歌手に寄り添い、歌手は演技にもう一歩けれんを見せ、重唱はもっと合わせることに集中してくれれば、おそらくもっと素晴らしい舞台に仕上がったように思います。あと一歩か二歩足りない感じの演奏でした。

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鑑賞日:2019年11月21日
入場料:C席 6000円 2F I列48番

主催:公益財団法人東京二期会
共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団

東京二期会オペラ劇場
NISSAY OPERA2019提携

ジャック・オッフェンバック生誕200年記念

オペレッタ2幕、歌唱部分字幕付、日本語訳詞上演
オッフェンバック作曲「天国と地獄」 (Orphée aux Enfers)
台本:エクトル・クレミュー/リュドヴィク・アレヴィ
上演台本:鵜山 仁

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 大植 英次
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 根本 卓也
合 唱 二期会合唱団
演 出 鵜山 仁
装 置 乗峯 雅寛
衣 裳 原 まさみ
照 明 古宮 俊昭
振 付   新海 絵理子 
ヘアメイク   鎌田 直樹 
舞台監督 菅原 多敢弘

出 演

プルート 上原 正敏
ジュピター 大川 博
オルフェ 又吉 秀樹
ジョン・スティックス 吉田 連
マーキュリー 升島 唯博
バッカス 峰 茂樹
マルス 野村 光洋
ユリディス 愛 もも胡
ダイアナ 小村 朋代
世論 押見 朋子
ヴィーナス 山本 美樹
キューピット 𠮷田 桃子
ジュノー 醍醐 園佳
ミネルヴァ 高階 綾野
ダンサー 神野紗瑛子/東城由依/矢野叶梨/大西健次/半澤昇/𠮷村健洋

感 想

いろいろ問題はあったにせよ-東京二期会オペラ劇場「天国と地獄」を聴く

 東京二期会において、オペレッタは大きな柱の一つで、昔から2年に1回ぐらいの頻度でオペレッタを取り上げています。最近では2017年に「こうもり」、2015年に「ウィーン気質」、2014年が「チャルダーシュの女王」、2013年がまた「こうもり」といった具合です。実は私が最初に見た東京二期会の舞台も1987年の「メリー・ウィドウ」です。この1987年の「メリー・ウィドウ」は今でも印象に残っていて、佐藤征一郎のミルコとか、斎藤昌子のヴァランシェンヌとか、中村邦子のハンナとか、素敵だなと大いに思ったものです。それ以来も二期会のオペレッタはなかなか素敵な舞台が多かった印象があります。最近では2013年の「こうもり」がよかった。多分、それは大植英次のちょっと下世話な音楽づくりと、演出の白井晃の関西人的ノリの舞台が「こうもり」という作品にピタリと嵌ったのでしょう。

 しかし、その後の3回は皆失敗作でした。特に2015年の「ウィーン気質」は舞台芸術としての最低線に達していないのではないかと思えるほどのもので、かつての隆盛を知るものとして大変残念に思ったのを覚えています。そう言ったことに対する反省もあったのでしょう。今回はオペレッタを舞台喜劇として見せる目的で計画したのでしょう。それが、2013年評判の良かった大植の再登場であり、演出も文学座出身の演出家で、喜劇を得意とする鵜山仁への委嘱となったものと思います。ついでに申し上げれば、日本語歌唱が聴きとりにくいことを踏まえて、日本語の字幕を付けたのも大正解です。何を言っているのか分からないところが無くなったのは、観客のストレス軽減に有用でした。

 指揮者と演出家の選定、そして日本語字幕の採用は大成功でした。

 とにかく、全くだれません。台詞回しは皆が流暢というわけではないのですが、時々台詞を噛むことはあってもスピード感があり、「テンションが高い時はそう言い方するよね」という感じで、演劇的な部分でずいぶん鍛えたのだろうなという印象。舞台装置はそれなりで結構貧相でもあるのですが、このオペレッタが、元々下町の小劇場で上演されたもので、庶民が中産階級以上の行動をあてこするための作品だということを踏まえれば、それはその方が似合っています。とにかく台詞が面白く、「あっ、これ、面白い」と思って覚えようとするのですが、すぐに畳みかけるように次の面白い台詞が出てくるので覚えきれませんでした。現代社会の風俗はかなり取り込まれていましたが、いわゆる時事問題系の話は一切なく、かなり普遍的な台本になっているのではないか、という気がしました。

 音楽が下世話であるという点もよかったところです。大植英次の関西的ノリが今回も発揮したのではないかと思います。いわゆる普通のクラシックの上品さをかなぐり捨てた感じで、オーケストラの演奏も相当けれんみの溢れるものになっていました。これがいわゆるクラシック音楽であればやりすぎだと思いますが、相手がオッフェンバックのオペレッタならそれは当然といったところでしょうか。私はとても楽しかった。

 歌手陣は上原正敏プルート、大川博ジュピター、又吉秀樹オルフェの三人の健闘をたたえたい。

 上原正敏はオペレッタへの登場が多い方で、そのせいもあるのか、自分としてのオペレッタの切り口がしっかりあるように見えました。第一幕のアリステのシャンソンの人を食った感じの歌唱がよく、第二幕の「ほめ殺しのアリア」も面白い。プルートは地獄の王と言いながらもその軽薄な太鼓持ち的言動こそが持ち味ですが、そこはしっかり見せられたのかなと思います。

 大川博のジュピターもいい。助平な全能の神の感じがよく出ていましたし、「ハエの二重唱」のコミカルな動きも楽しめました。又吉秀樹のオルフェは声がひっくり返ったりもしましたが、最初からしっかろした歌唱で見事でしたし、その軽薄な雰囲気も良かったと思います。以上三人は台詞、演技も含め頑張っていたと思います。功労者と申し上げるべきでしょう。

 吉田連のジョン・スティックスもまずます。一曲歌うクプレはしっかりしたものでよかったです。

 女声陣は、まずユリディス役の愛もも胡。第一幕は声をセーヴしていたのか、あまり飛んで来ませんでした。また台詞回しもノリノリの又吉オルフェと比較するとノリも悪く今一つの印象。しかし、後半は熱を帯びた歌唱になり、まずまずとなりました。「後悔のクプレ」から「ハエの二重唱」にかけては彼女の魅力がよく出ていたと思います。

 その他の女声陣ですが、キューピットの𠮷田桃子が頑張っていましたし、高階綾野のミネルバもよかったです。世論の押見朋子。コミカルな演技は面白かったのですが、歌唱は今一つ。低音はともかく、高音に全く迫力がないのはいただけません。

 以上、音楽的には相当あらもあり、演技だってとっても良いという感じではなかったのですが、それでも「天国と地獄」という一つの喜歌劇の舞台として見たときは、登場人物全員が真面目にアホをやっていましたし、舞台に立ち上る臭さと一体感は、久しぶりの二期会オペレッタの醍醐味だったと思います。それを示してくれた最高の立役者は鵜山仁でした。彼にBravossimoと申し上げましょう。

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鑑賞日:2019年11月24日
入場料:自由席 5000円

主催・制作:オペラカッフェマッキアート58事務局/共催:ガルバホール

オペラカッフェマッキアート58×ガルバホール共同企画 イギリス女王三部作 vol.2

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演/演奏会形式
ドニゼッティ作曲「マリア・ストゥアルダ」 (Maria Stuarda)
原作:フリードリヒ・シラー「マリア・シュトゥアルト」
台本:ジュゼッペ・バルダーリ

会場 ガルバ・ホール

スタッフ

音楽監督・ピアノ 村上 尊志
合 唱 加藤早紀/藤野沙優
ナレーション 彌永 耕一
制作 加藤 早紀
字幕制作 横内 尚子

出 演

マリア・ストゥアルダ 梶田 真未
エリザベッタ/アンナ 山下 裕賀
レスター伯ロベルト 新海 康仁
タールボット伯/セシル卿 香月 健

感 想

若人の心意気-オペラカッフェマッキアート58「マリア・ストゥアルダ」を聴く

 ドニゼッティは、生涯78作のオペラを作曲しているそうで、それだけに様々な題材を取り上げていますが、イギリスを舞台にしたものが割と多いように思います。有名な悲劇「ランメルモールのルチア」がその一例ですが、もう一つ有名なのが、「イギリス女王三部作」、すなわち、「アンナ・ボレーナ」、「マリア・ストゥアルダ」、「ロベルト・デヴリュー」です。とはいえ、この三作は、もともと三部作にしようという意図で作曲されたものではないようですが、三作ともエリザベス一世の治世の前後を描いたということで、そう呼ばれている、ということです。

 それぞれが名曲ですが、どの曲も難曲で、上演される機会は滅多にありません。私はどの作品も好きですが、実際に公演を見たことがあるのは後半の二作のみ。「アンナ・ボレーナ」は録音を聴いた経験があるだけです。それだけに、この三部作を連作のようにみなして、一挙に上演しようなんて考えた人たちはこれまで誰もいなかった。海外は知りませんが、日本では少なくとも聞いたことがありません。しかし、オペラカッフェマッキアート58という団体がそんなことを考えて、一挙に上演するというので、「これは是非聴きたい」と思いました。しかし、第一作の「アンナ・ボレーナ」はどうしても外せない用事と重なってしまい、残念ながら聞き逃しましたので、二作目は是非聴きたいと、いそいそと出かけてまいりました。

 「オペラカッフェマッキアート58」 は、二期会オペラ研修所 第58期牧川修一クラス修了生(2015年3月修了の若い歌手たち)による グループで、そんな若い子たちがよくも「イギリス女王三部作」みたいな企画を思いつくなと驚くしかないのですが、逆にやってしまうのが若い証拠なのでしょう。会場は西新宿のガルバホール。初めて伺いましたが、70人ほどしか入れない小さいキャパで、それだけに歌手が近い。小さい会場と言えば、千葉のはなみがわ風の丘HALLを思い出しますが、風の丘ホールよりも更に狭くて演技をやれる広さはありません。従って演奏会形式にならざるを得ないですが、そのおかげで音楽そのものの構造や歌手の力量を聞けたのはよかったな、と思いました。

 さて、演奏ですが、重唱で一瞬音を見失うという結構大きな事故もありましたが、それでも音楽が止まることはなく流れ、全体的にはまずまずの出来栄えだったと思います。何せ狭くて歌手が近いのに、彼らは大ホールと同じテンションで歌うので、声の迫力がものすごい。それに圧倒されました。

 様式感の感じ方と声の制御の技術で一番見事だと思ったのは、エリザベッタを歌った山下裕賀です。彼女は強い声を出しながらもそれを押すことはなく、レガートの線を常に大切にして声を回していきます。その底に流れる声の厚みが一定なので、ここぞというときのアクートが魅力的に響きます。登場のアリア「ああ、清らかな愛が私を祭壇に導く時」が見事に響き、彼女の作った世界に入り込みました。彼女は第二幕でマリア・ストゥアルダの侍女のアンナ役も歌ったのですが、女王を歌う時と侍女を歌う時では顔つきが全く違っており、役柄の違いを意識して歌い方も変えていました。気持ちの持ち方で歌が変わる典型なのでしょう。

 対するタイトル役を歌った梶田真未ですが、頑張っていましたが、役への入り込み方も声のコントロールも、山下と比較するとかなり甘いというのが正直なところ。この作品は勝者のエリザベッタと敗者のマリアという関係があるので、声の力でマリアがエリザベッタの上をいかないとなかなかバランスがとりにくいところがあります。登場のアリアである「ごらん、麗しく美しい野原がひらけ」は悪くはなかったのですが、気持ちの入り込み方が今一つだったのかなという印象。一方で、第二幕フィナーレの死のシーンはそれなりに気持ちがのっていて、その他の登場人物の助けもあって聴きごたえがあったと思います。

 この作品の一番の聴きどころは第一幕フィナーレのエリザベッタとマリアの二重唱ですが、マリアにもう少し存在感があると更に火花の散り方に迫力が出たように思います。とはいえ、距離が非常に近いので、二人の声に圧倒されました。

 新海康仁のロベルト、口の開き方が半端ではありません。顔の半分以上が口になるぐらいの印象で、それだけ立派な歌唱ではあったのですが、ベルカントの様式感という点ではどうなんだろうという印象。声を押す傾向が強くドラマティックになりすぎるきらいがあります。「椿姫」のアルフレードやプッチーニのテノール役であれば、あのような歌い方でもよいと思いますが、ドニゼッティでかつ役柄のロベルト自身は、マリアを愛しつつもエリザベッタも拒否できないという優柔不断な男の役。そういう前提での表現にはなっていなかったのではないかと思いました。

 香月健のバリトン二役。これまた性格の違う二役で、一人で歌うことは普通ないと思いますが、香月はそこを歌い分けていたと思いました。

 全体で見れば、もっともっと検討の余地のある演奏だったとは思いますが、声の魅力と迫力とをしっかり楽しむことができ、聴くことができて大変良かったと思います。この企画を考えたオペラカッフェマッキアート58のメンバーと、それを現実の音楽に仕上げた歌手の皆さん、またピアノでそれを支えた村上尊志をたたえたいと思います。

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鑑賞日:2019年12月1日
入場料:A席 1F23列45番4500円

主催:公益財団法人藤沢市未来創造財団/共催:藤沢市、藤沢市教育委員会

藤沢市民オペラ制作委員会制作/藤沢市民オペラ2018-2020シーズン

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演/演奏会形式
ロッシーニ作曲「湖上の美人」 (La donna del lago)
原作:ウォルター・スコット
台本:アンドレア・レオーネ・トットラ

会場 藤沢市民会館大ホール

スタッフ

芸術監督・指揮 園田 隆一郎
オーケストラ 藤沢市民交響楽団
合 唱 藤沢市合唱連盟
合唱指揮 浅野 深雪
ナビゲーター 朝岡 聡

出 演

エレナ 森谷 真理
マルコム 中島 郁子
ウベルト/ジャコモ5世 山本 康寛
ロドリーゴ 小堀 勇介
ダグラス 妻屋 秀和
アルピーナ 石田 滉
セラーノ 渡辺 康

感 想

見事なる日本初演-藤沢市民オペラ「湖上の美人」を聴く

 「藤沢市民オペラ」は西の「堺市民オペラ」と並ぶ市民オペラの雄で、いくつかの重要な作品の日本初演を行うことで、日本のオペラ上演史にその記録が燦然と輝いています。古くは、ロッシーニの「ウイリアム・テル」がそうですし、ワーグナーの「リエンチ」もそうです。数々の受賞歴もその伝統あればこそでしょう。現在の芸術監督、園田隆一郎が就任してからは、招聘公園、演奏会形式公演、本公演を回すというスタイル。本年はその2クール目の2年目ということで、ロッシーニの「湖上の美人」が演奏会形式で取り上げられました。「湖上の美人」はいわゆるロッシーニ・ルネサンスで蘇演された作品の一つですが、実力のあるロッシーニテノールが二人必要ということで、最近まで日本では演されていませんでした。一昨年西尾京子が主宰するセレンティヴィティオペラが日本初演しましたが、それはピアノ伴奏。今回はオーケストラ伴奏で本格的な日本初演となりました。

様式的には、王様の慈悲によってその他の登場人物が幸せになるという典型的なオペラ・セリアですが、音楽的にはロッシーニならではの音楽技巧がてんこ盛りで、ベルカントオペラを聴く醍醐味を味合わせてくれる作品。特に今回の独唱陣は、今日本で考えられるおそらく最良のメンバーであり、この作品の味を十分に引き出せる方々です。その面々でも歯が立たない位大変な部分もあったわけですが、全体をみれば、大変立派な演奏で、この名作の味わいをしっかり引き出していたと思います。

 まず今回の最高の立役者は何と言っても小堀勇介のロドリーゴ。もう素晴らしいの一言に尽きます。おそらく世界中を見渡してもこの小堀のレベルでロドリーゴを歌える人が何人いるか、というぐらいの歌唱と申し上げてよい。小堀の凄さは、ロッシーニテノールが歌うべき軽いアジリダと将軍の力強さを両立させて見せたこと。もちろん高音は、例えばアルマヴィーヴァ伯爵などで期待される軽さとは質が違いますが、しっかりした力強い低音に乗せた高音で説得力があります。ロドリーゴのカヴァティーナは二オクターヴの音域で歌うことが求められますが、低音でも高音でも同じような感じで響かせられるのは、高校生まではバリトンを歌っていたという小堀ならではと申しあげてよいと思います。

 同じロッシーニテノールでもウベルトを歌った山本康寛は、残念ながら低音がない。また高音に関しても、最初のエレナとの二重唱は咽喉が十分に温まっていなかったのか、ちょっと苦しげでした。もちろん咽喉が温まってくれば、その叙情的な表現は、十分名君を感じさせられるもので素晴らしかったのですが、低い音に重さがないので、せっかくの高音の魅力が強調しきれなかったきらいはあると思います。ただ一つ申し上げられることは、小堀と山本はお互い違った表現で歌ってみせて、それぞれの役柄の違いを浮かび上がらせていました。そこは素晴らしいことだと思います。

 そして、もう一人の立役者はやはり何と言っても中島郁子のマルコムです。ロッシーニコントラルトの一つの典型を示したと申し上げてもよいかもしれません。発音がしっかりしていて、高音から低音までむらがなく艶やかな響きは何とも言えない魅力がありますし、ズボン役の声の質も妖しい魅力があって色っぽいのです。役の解釈が適切なのでしょうね。非常に説得力のある歌だったと思います。Bravaです。特に第10曲目大アリア「ああ、死なせてくれ!」はロッシーニの魅力と中島の魅力が融合して、素晴らしいの一言に尽きると思いました。

 いつもながらに安定した妻屋秀和の父親、脇役では若手の石田滉が抜群の存在感を示しました。またあまり目立ちませんでしたが、渡辺康もなかなか魅力的だったと思います。

 一方残念だったのはヒロインの森谷真理。アジリダの技術はなかなか立派でしたが、声が前に飛ばないことおびただしい。おそらく森谷が得意とする高さより低い役柄なのでしょう。確かにメゾソプラノによっても歌われる役なので、ソプラノの森谷を選ぶのではなく、高音もしっかり歌えるメゾ歌手を選択すべきだったのかもしれません。一幕から二幕の前半、正直申し上げて森谷の魅力を聴くことはできなかったように思います。その森谷も第二幕フィナーレのロンドはしっかり響かせて魅力的だったのですが、ここだけ魅力的に歌われても、と思う部分はあります。

 園田隆一郎の指揮は、相手がアマチュアオーケストラということもあって、特に煽ることもなく慎重に振っていたと思います。それがやや冗長に聴こえる部分もあったのですが、それは仕方がないことだろうと思います。また、さすがにアマ・オケだけあってテクニカルな乱れも多く、もうちょっと上手くまとまればなあと思いました。

 同様に合唱も今一つ。人数が多いのでそれなりに様にはなっているのですが、女声は個々の実力がそれほど高くないようで、響きに魅力が欠けます。男声合唱はグリークラブ経験者が多いものと見ましたが、基本的に典型的な年配者の合唱で、兵士の若々しさなどは全然表現できておらず残念でした。

 やはりこの辺が市民オペラの限界なのかもしれません。ソリストが素敵だったので、プロのオーケストラとプロの合唱団で支えれば、もっと素晴らしい演奏になったのではないかと思いました。その意味では、藤原歌劇団や新国立劇場の本公演で(もちろん演技付きで)、今回のキャストで取り上げて欲しいな、と思います。

 今回の演奏、何と言ってもロッシーニの素晴らしさを聴かせてもらえる機会でした。同時に現在日本のロッシーニ歌手たちの実力を見せてもらえる稀有な機会でもありました。そしてそれが大成功に終わったこと、素晴らしいことであると思います。この企画を立てて成功に導いたスタッフの皆様にBraviを捧げたいと思います。

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鑑賞日:2019年12月5日
入場料:D席3F L5列3番 4860円

主催:新国立劇場

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場:新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指 揮 イヴァン・レブシッチ
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合 唱    新国立劇場合唱団
合唱指導    三澤 洋史
     
演出・衣裳 ヴァンサン・プサール
美 術  ヴァンサン・ルメール
照 明  :  グイド・レヴィ 
ムーブメント・ディレクター  :  ヘルゲ・レトーニャ
演出補  :  澤田 康子
音楽ヘッドコーチ  :  石坂 宏
舞台監督  :  斉藤 美穂

出 演

ヴィオレッタ   ミルト・パパタナシュ
アルフレード   ドミニク・チェネス
ジェルモン   須藤 慎吾
フローラ   小林 由佳
アンニーナ   増田 弥生 
ガストン子爵   小原 啓楼
ドゥフォール男爵   成田 博之
ドビニー侯爵   北川 辰彦
グランヴィル医師   久保田 真澄
ジュゼッペ  :  中川 誠宏 
使者  :  佐藤 勝司 
フローラの召使    上野 裕之 

感 想

演技は素晴らしいが、、、、‐新国立劇場「椿姫」を聴く

 このチームで、4回目の本番だったにもかかわらず、チームワークの取れていない演奏だったと申し上げましょう。指揮者と出演者のスピード感がかなりずれていた印象です。指揮者は基本早く演奏したい様子で、どんどん前に進めていこうとします。オーケストラだけの演奏部分にそれは如実に表れている。一方、歌手はそのテンポを自分の歌いなれたテンポに引き寄せようとする。その綱引きが常時あって、妙なリタルダンドがあったりします。またヴィオレッタとアルフレードの間にもスピード感の違いがあるようで、上手く調和していない。指揮者もヴィオレッタもアルフレードも不器用な方なのかもしれません。

 今回主役のヴィオレッタを歌ったのは、ミルト・パパタナシュ。2010年の「フィガロの結婚」で伯爵夫人を演じ、割と劇的な伯爵夫人を歌ったかたで、どうも劇的な表現が得意な方らしい。美人ですし、スタイルもよい。ヴィジュアル的にはヴィオレッタにぴったりという感じがします。また表情なども多彩ですし、細かい演技も見事でした。しかし、ヴィオレッタを歌うには高音がないし、軽さも足りない。第一幕の「ああ、そは彼の人か~花から花へ」の大アリアは、指揮者の期待するスピード感と彼女の歌いやすい息遣いに違いがあったのか、軽さもドラマティックな表現も中途半端でしたし、音程もおかしいところが見受けられました。ドラマティックな表現力のある方なので、第三幕などはそれなりに説得力はあるのですが、あの程度であればもっといいキャスティングがあったのではないかというところでしょう。

 対抗するアルフレード。もっとブレーキ。こんなテノールを呼んできたのは誰だというレベル。はっきり足を引っ張っていました。「乾杯の歌」からして全然イケてなく、音程もリズム感も奇妙な感じです。持っている声質はそれなりで悪くないと思うのですが、それを生かせていない。第二幕冒頭の「燃える心を」は途中のどうでもいいところで歌詞を落として、一瞬「何事が起きたのか?」と思わせてくれましたし、メタメタだったと申し上げてもいい。悪い意味で驚かされました。

 対抗する日本人歌手。上手いです。順応力がある。須藤慎吾のジェルモン。よかったです。何年か前の藤原歌劇団の「椿姫」で聴いて以来の須藤のジェルモンですが、あの時よりも年齢を増した分、角が取れてより父親らしい雰囲気が出ていました。第二幕前半のヴィオレッタとの二重唱。パパタナシュも歌いやすい相手のようで、それまでよりもずっと伸び伸びと歌っていました。これは、おそらく須藤がソプラノと指揮者との間で上手くバランスを取った賜物ではなかったのか、という気がします。聴かせどころの「プロヴァンスの海と陸」。もちろんいいものでした。

 フローラは前回に続いて小林由佳。ガストンも同じく小原啓楼。ともに慣れた舞台だと思うのですが、一幕はちょっと違和感がありました。スピード感がこの日だけ特別だったのでしょうか?男声低音系歌手は、皆それぞれ役を果たしたように思います。

 指揮者は自分の音楽世界があるのでしょうが、もっと歌手に寄り添った方が、もっと良い結果で終わったような気がします。合唱はいつもながらの安定感。この歌いにくい舞台も三度目になり、それなりにコツを身に着けてきたのでしょう。

 この演出は三度目になりますが、「もう見たくない」という野が正直な感想です。意味不明すぎますし、それ以上に舞台装置の関係なのか、舞台の奥と前とでは音の響き方が違うのがいやらしい。奥で歌われると声が飛んでこないのは、バランスがどうしても悪くなってしまう。今回の演奏がバラバラに聴こえたのは、もちろん指揮者と主要歌手のバランスの悪さにまず起因するのですが、それもまた舞台装置の音響が影響しているのではないかと強く思わされました。新たな舞台への切り替えを期待したいところです。

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鑑賞日:2019年12月21日
入場料:B席LAブロック 9列2番 7000円

主催:特定非営利活動法人オペラ彩/和光市/公益財団法人和光市文化振興公社

オペラ彩第36回定期公演

全4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「ナブッコ」(Nabucodonosor)
台本:テミストクーレ・ソレーラ

会場:和光市文化センターサン・アゼリア大ホール

スタッフ

指 揮 ヴィート・クレメンテ
管弦楽   アンサンブル彩 
バンダ   東邦音楽大学有志 
バレエ   東京創作舞踏団 
合 唱    オペラ彩合唱団
東邦音楽大学/東邦音楽短期大学/東邦音楽大学東邦第二高等学校有志
放送大学埼玉学習センター合唱団有志
埼玉県立浦和高等学校グリークラブ
和光市内児童合唱団
合唱指導/副指揮    平野 桂子
     
演 出 直井 研二
美 術  大沢 佐知子
照 明  :  坂本 義美 
振 付  :  藤井 利子
衣 裳  :  藤井 百合子
音 響  :  齊藤 順子
技術監督  :  加藤 正信
舞台監督  :  望月 康彦
公演監督/総合プロデューサー  :  和田 タカ子

出 演

ナブッコ   須藤 慎吾
イズマエーレ   村上 敏明
ザッカーリア   飯田 裕之
アビガイッレ   小林 厚子
フェネーナ   巖渕 真理 
ベルの大司教   党 主税
アブダッロ   布施 雅也
アンナ   永安 淑美

感 想

負の連鎖‐オペラ彩「ナブッコ」を聴く

 「オペラ彩」は、地域オペラでありながら、地域オペラの良さをうまく取り入れ、欠点を上手く隠すのに長けた団体です。これはもちろん総合プロデューサの和田タカ子の力量と人脈あってのことです。

 市民オペラというと碌に歌えないおばちゃんが合唱団に集まって、男声はおじいさんばっかりでもっと歌えない、エキストラで支えるというのがほとんどのパターンですが、今回のナブッコでは、浦和高校グリークラブの男子高校生46人を舞台に乗せました。彼らの声はオペラの舞台に乗るにはまだ若すぎるところがあるのですが、彼らの男声合唱がどれだけこの舞台を支えたか。若い声があるかないかでオペラの舞台がどれだけ違ってくるかは聴いて初めて分かります。

 オーケストラも名称こそ「アンサンブル彩」ですが、実態はN響を中心としたプロオーケストラのメンバーの現役やOBです。だから基本的なアンサンブル能力が非常に高いし、楽器一つ一つの音がクリアに美しく響いてくるのです。演奏能力は当然ながら、新国立劇場で聴く東フィルや東京交響楽団レベル。地域オペラでこのレベルのオーケストラが聴けるのは、ほんとうにオペラ彩だけでしょう。

 歌手たちだって日本のトップメンバーを揃えました。最近ますます活躍目覚ましい須藤慎吾。私はこの方の歌、この二か月の間に三回聴かせていただきました。そして、日本のトップテノールの一人、村上敏明に、藤原歌劇団の名花・小林厚子。このメンバーだったら悪い演奏になるはずがないのですが、結果ははっきり申し上げれば、残念な演奏であったということに尽きます。

 その責任はまず指揮者に感じていただきたい。楽譜通りのテンポに演奏していない様子です。私は「ナブッコ」という作品を細かい処まで知っているわけではないので細かい指摘はしませんが、一番有名な合唱曲「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」が普通歌われるよりも倍ぐらい遅いテンポで歌われたのにはびっくりしました。あれだけ遅いと、この曲の希望の側面があまり感じられなくなってしまい、悲しさだけが前面に出てしまって凄く気持ちが悪い。「ナブッコ」は1987年に批判校訂版が出版されていますから、それを変えて演奏するのはヴェルディを冒涜することになるのではないでしょうか?もちろん慣用になっている部分を採用するとか、表情記号を若干変えるとかは指揮者の判断だとは思いますが、あそこまで変えるのは、私は賛成できません。

 さらに申し上げれば、「ナブッコ」という作品自身、前半が濃密なのに対し、フィナーレがあっさりと終る印象の作品です。そこを上手くバランスよくフィナーレまで魅力的に聴かせるためには、ヴェルディの指示を守った方がよかったのではないかとは思いました。作品の流れが幕ごとに寸断されるような感じがいつもより強く、全体としてのまとまりに欠けるのではないかと感じました。

 それにしても、日本人の演奏者って凄いですね。指揮者のこの指示をしっかり守って演奏してみせる。これが外人だと結構自分のテンポに持ち込もうとしたりもするのですが、日本人は主役と言えどもちゃんと指揮者の指示を守ってしっかり歌ってみせる。そこは日本人の柔軟性ということなのかもしれませんが、そういうことを無批判に受け入れていいのかな、という気はしました。

 この指揮者の変なテンポのせいかどうかは知りませんが、ソロ歌手たちもかなり危ない部分がありました。はらはらしっぱなしだったと申し上げてよいぐらいです。まず前半では巖渕真理のフェネーナが全然声が飛んでこない感じで、合唱の中に声が埋もれてしまっていました。村上敏明も他の人の上を越してくるいつもの村上の力強い高音ではなく、かなり抜けたところの多い歌唱で、「あれっ」と思いました。飯田裕之のザッカーリアは悪いものではありませんが、ザッカーリアだったら、もっと低音を響かせて大祭司らしい威厳を見せて欲しかったところですが、そこは全然できていない感じでした。又ナブッコも登場のアリアの冒頭の部分があまりうまくいっていなかった感じがしました。一方小林厚子のアビガイッレは、彼女の持ち声自身がそもそもアビガイッレを歌うほどドラマティックではないので、軽いアビガイッレに終始していましたが、逆にそのスタイルで通していましたので、十分アビガイッレの存在感は出せていたのではないかと思いました。よかったです。

 しかし、その小林も後半は失敗を見せてくれました。第三幕冒頭で党主税のベルの大司教が突然声が出なくなり、何とかこらえて歌い切ったのですが、それがブレーキになったのか、小林も一瞬高音が出なくなってしまいました。小林も流石のベテラン。直ぐに立て直し、立派な歌に戻ったのですが、聴き手は心臓がドキドキしました。

 そういう失敗はあったにせよ、小林厚子のアビガイッレはよかったと思います。アビガイッレに求められるドラマチックな声の強さはありませんが、その部分を自分の声に引き寄せてしっかり小林アビガイッレ像を構築したところ、Bravaと申し上げたい。同様に登場の部分は今一つの感じだった須藤ナブッコは、その後は立派の一言で、最後まで舞台を引っ張ったと思います。Bravoです。

 オーケストラはもちろん素晴らしい。合唱は子供っぽい声が時々聴こえるのが如何かなとは思いましたが、普通の市民合唱の老人的声よりはずっとよかったし、和声の構築もしっかりしていて聴きごたえがありました。

 演出はテンポのように違和感のあるものではありませんが、敵味方の関係がもっと視覚的に分かりやすい方がよかったのかなという気がしました。

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鑑賞日:2019年12月20日
入場料:自由席 5000円

主催・制作:オペラカッフェマッキアート58事務局/共催:ガルバホール

オペラカッフェマッキアート58×ガルバホール共同企画 イギリス女王三部作 vol.2

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演/演奏会形式
ドニゼッティ作曲「ロベルト・デヴリュー」 (Robert Devereux)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 ガルバ・ホール

スタッフ

音楽監督・ピアノ 村上 尊志
合 唱 加藤早紀/藤野沙優
ナレーション 彌永 耕一
制作 加藤 早紀
字幕制作 横内 尚子

出 演

エリザベッタ 松岡 多恵
ロベルト・デヴリュー 新海 康仁
ノッティンガム公爵夫人サラ 藤田 彩歌
ノッティンガム公爵 野村 光洋

感 想

やり切った喜び-オペラカッフェマッキアート58「ロベルト・デヴリュー」を聴く

 ドニゼッティの「イギリス女王三部作」、すなわち、「アンナ・ボレーナ」、「マリア・ストゥアルダ」、「ロベルト・デヴリュー」における女王とは「エリザベッタ」、エリザベス一世のことですが、「アンナ・ボレーナ」はエリザベス一世の母親の話。「マリア・ストゥアルダ」は若い頃のライバルの話。「ロベルト・デヴリュー」は晩年の愛人の話です。要するに時代が新しくなっていきます。「オペラカフェマッキアート58」の若いメンバーたちは三か月かけてこの三部作を時代順に演奏し、遂に完遂いたしました。今回の「ロベルトデブリュー」、セシル卿の歌う部分や混声合唱の部分はカットされて完全全曲ではありませんでしたがほぼすべての部分が歌われました。やり遂げたこと本当に素晴らしいことだと思います。制作の加藤早紀にBravaをまず差し上げましょう。

 「ロベルト・デヴリュー」の日本初演は2011年、バイエルン国立歌劇場の引っ越し公演において、エディタ・グルベローヴァのエリザベッタなどのキャストにより上演されました。その時のグルベローヴァのエリザベッタは自分の声の衰えと役柄上のエリザベス女王の老いを重ね合わせて、観客に厳しく迫る姿は、正にベルカントの女王の名に恥じない威厳がありました。歌には傷がかなりありましたがあれだけの説得力を持って歌えるところ、それこそが、女王の貫禄と申し上げて良いのかもしれません。

 それと比較すると、今回の松岡多恵のエリザベッタ、技術的にはあの時のグルベローヴァの上を行っていると思います。特にリズムの刻み方の正確さや、フィナーレのアリアの最後のハイDへのアプローチなどはほんとうに惚れ惚れするほどのもので、Bravaと申し上げるに何の躊躇もありません。しかし、若いことがこのエリザベッタという役の膨らみを表現するには邪魔をしていたと思います。伸び盛りの若手が老いを分かったらその方が怖いので、仕方がないことではあるのですが、もう少し余裕があってそんなところまで見渡せたら、もっと素晴らしかっただろうな、とは思います。

 ロベルト役の新海康仁、先月もレスター伯ロベルトを歌って、二月連続のロベルトでの登場。今月のなかなか立派でした。第一幕のエリザベッタとの二重唱のバランスがよく、その丁々発止としたやり取りが見事でしたし、第三幕のアリア「恐ろしき扉はまだ開かない~天使のような純真な心」は最後のアクートが上手く決まらず残念でしたが、それまでは立派な歌だったと思います。

 サラの藤田彩歌も松岡エリザベッタといいバランスで歌ってくれて、彼女の悲哀を上手に表現していたと思います。また、ノッティンガム公の野村光洋も忠臣としての表現と、ロベルトに対する復讐心溢れる部分での表現の違いが立派に示すことができました。素敵だったと思います。

 もちろんまだまだの部分はあったのですが、音楽の魅力と迫力とをしっかり楽しむことができ、同じ日のソワレで聴いた「ナブッコ」よりずっと楽しむことができました。ピアノの村上尊志も立派、三部作を有終の美で終わらせたオペラカフェマッキアート58の皆さんを大いにをたたえたいと思います。

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鑑賞日:2019年12月22日
入場料:自由席 4500円

主催:舞台音楽研究会
共催:横浜市泉区民文化センターテアトルフォンテ

舞台音楽研究会創立25周年記念公演

全2幕、日本語訳詞上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場:横浜市泉区民文化センターテアトルフォンテ

スタッフ

指 揮 高橋 勇太
管弦楽   エルデ・オペラ管弦楽団 
合 唱    ベッラ・ヴォーチェ/明治大学公認混声合唱団さわらびコール団
     
演出・美術・衣裳 原 純
照 明  :  服部 栄一郎 
舞台監督  :  菅野 将

出 演(昼公演)

タミーノ   石山 陽太郎
パミーナ   川越 塔子
パパゲーノ   和田 茂士
パパゲーナ   神田 さやか
夜の女王   齊藤 祐紀
ザラストロ   東原 貞彦 
侍女1   小山 道子
侍女2   岡本 麻里菜
侍女3   篠 枝美里
モノスタトス   岡嶋 晃彦
童子1   中桐 かなえ
童子2   小濱 望
童子3   安藤 千尋
弁者   水澤 聡 
僧侶1   檜山 悠
僧侶2   戸村 優希
武士1   伊藤 大智
武士2   青山 弘昭

出 演(夜公演)

タミーノ   山川 高風
パミーナ   沢崎 恵美
パパゲーノ   佐藤 望
パパゲーナ   坂本 麻友美
夜の女王   楠野 麻衣
ザラストロ   井上 白葉 
侍女1   新藤 清子
侍女2   鈴木 美也子
侍女3   久利生 悦子
モノスタトス   吉田 顕
童子1   網永 悠里
童子2   矢田部 麻由
童子3   井上 唯
弁者   水澤 聡 
僧侶1   檜山 悠
僧侶2   戸村 優希
武士1   伊藤 大智
武士2   青山 弘昭

感 想

25年続けてきたこと‐舞台音楽研究会創立25周年記念公演「魔笛」(昼公演・夜公演)を聴く

 前日に見た「オペラ彩」は総合プロデューサの和田タカ子の気持ちが支えてきたものだとすれば、舞台音楽研究会のオペラは、沢崎恵美と小澤慎吾の夫妻の熱意が続けてきたものです。「オペラ彩」の規模はないにしても、25年間、最近は二日にわたってダブルキャストで合計4公演、ちゃんとオーケストラ付きで、しっかりとした舞台美術も演出もあるというものをこれだけ継続してこれたというのは、まさに沢崎夫妻の熱意の賜物と申し上げるしかありません。私は一観客に過ぎませんが、この手作りのオペラをやってきた沢崎夫妻をはじめ、スタッフ等関係者に深い敬意を表します。

 舞台音楽研究会の方針は、日本語で上演できる外国オペラを交互に上演することのようです。過去の演奏曲目を見ても、今回演奏した「魔笛」のほか、「こうもり」、「サンドリヨン」、「カルメン」、「ヘンゼルとグレーテル」などの作品を日本語で毎年交互に演奏しています。沢崎恵美は申し上げるまでもなく、日本語オペラのスペシャリストであり、日本オペラ協会の創作オペラでは数多くの作品で主演を務めてきました。それだけに日本語で歌うということにこだわりがあるのでしょう。そのこだわりは、明晰な日本語という形で今回も示されました。翻訳オペラは多くの場合、訳詞が日本語としてこなれておらず、また音符と言葉のアクセントの関係が必ずしも整合していないので、聴きにくいことが多いのですが、今回の「魔笛」、そんな聴きにくさはほとんど感じることなく終わりに至りました。もちろん訳詞・台本がよく練られているということがあるのでしょうが、それと同時に沢崎の日本語をどのように歌うのか、という知識と経験とが、しっかりと舞台に盛り込まれている、ということがあると思います。

 個人的な経験を申し上げますと、私が実演で見た最初の西洋歌劇が1984年仙台オペラ協会による「魔笛」で、その時は日本語上演でした。おそらく魔笛はそれ以来20回以上聴いていると思いますが、完全日本語の上演はその1984年以来のことだと思います。魔笛は台詞は日本語で歌唱はドイツ語というパターンの上演が多いので、完全日本語ということを知ってちょっとびっくりしましたけど、上述のようにそれがほぼ違和感なく耳に届いたこと、それは喜ばしい収穫です。私はオペラは基本的には原語で上演すべきであるという意見なのですが、今回見ていた子供たちが、日本語オペラに心を奪われている様子を見ると、子供のためにはいい翻訳オペラもあってしかるべきだとも思いました。

 今回の昼公演、二幕のフィナーレでパパゲーノが首を吊りそうになる場面で、観客の子が「止めて」と声をかけたのは(歌っていた和田茂士は「お気持ちは嬉しいですが・・・」と言って、そのまま歌い続けましたが)微笑ましいハプニングでした。

 原純の舞台は、舞台中央にひな壇を置くだけで、あとは二枚のホリゾント幕にスライドの映写して場面を明示していくというスタイル。そのスライドは、エジプトのスフィンクスがあったり、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」があったり、基本はロココのスタイルを意識し、その中で、フリーメイソン思想というか、ザラストロの自由、博愛、叡智を示すというもの。美しいのですが、逆に類似したトーンで進むので、それが実際に起こっている場所の背景なのか、思想的なものなのかを区別するのは大変でした。例えば最初の大蛇のスライド、ちょっとわかりにくくて、魔笛のストーリーをよく知っている人でなければ、見落とすと思いました。実は私も昼公演ではこれが映写されていることに気づいておらず、大蛇はどこにいるのかな、と探してしまいました。

 演奏ですが、全体的に見れば夜公演の方がまとまりがよく、昼公演はそこまでではない、という感じでした。昼夜二人の歌手で比較すると、昼の演奏がよかったのはザラストロ、モノスタトス、パパゲーナ、そして侍女達のアンサンブルです。同等だったのが童子のアンサンブル、シングルキャストの弁者は昼夜で差はみられず、僧侶と武士は夜の方が旨く行っていたと思います。残りの役柄は皆夜が良い。

 全体的に見て一番見事だったのは、やはり主催者・沢崎恵美のパミーナでしょう。彼女はもちろん日本語を歌うことに長けていますし、パミーナも何回も歌われていますので、ポイントの置き方についてよく知っているということはあると思いますが、その情感の込め方は何とも言えない魅力がありました。No.17のアリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」の弱音が綺麗にレガートに響き、見事でした。マチネの川越塔子もよいところはいろいろあったのですが、この曲は音程も不安定でしたし、弱音もあまり美しくはありませんでした。

 沢崎に並んでよかったのは、夜公演の楠野麻衣による夜の女王。日本語で歌っていてあれだけ様式感をきっちりと見せるというのはなかなか大変だとは思いますが、それをやり遂げたところ素晴らしいと思いました。特に第一アリア「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」が立派に歌えたこと素晴らしいと思います。ちなみに昼公演の齊藤祐紀は高音の技巧的な部分はそれなりに決まっていましたが、低音がきっちり下がっておらず、その表現に落ち着きもなく今一つだったのかな、と思います。

 ザラストロは昼公演の東原貞彦は、レガートを基本とした楷書体のザラストロでしたが、その落ち着きと安定感が見事。夜の井上白葉は、ちょっと力みの入る過ぎるところがあって、それが歌全体に悪影響を及ぼしていました。

 タミーノも山川東風を取る。割と特徴のはっきりしない歌でしたが、その分安定していて、聴いていて安心できる歌。一方石山陽太郎は見事な美声の持ち主ですが、その才能に寄り掛かりすぎている感じで、訓練が足りない。高音へのアプローチがほとんど上手くいっていなかったことを率直に反省すべきだと思いました。

 和田茂士のパパゲーノ。冒頭は喉が全然あったまっていなかった様子で、ちょっとしゃがれ声の感じでした。咽喉が温まった後半は立派でしたが。一方夜公演の佐藤望は最初からしっかりしたバリトンの声で見せてくれました。演技そのものは和田の方に軍配が上がると思いますが、体格等ビジュアルの部分では佐藤の方がパパゲーノらしく見えました。パパゲーナは神田さやか。パパパの二重唱を聴くと、和田/神田のコンビの方が歌心が一致している感が強く、その分幸福感も強かったと思います。

 モノスタトスはテンポの刻み方の正確さで岡嶋晃彦を取ります。また悪人臭さの出し方も吉田顕の方がリアルな感じがありすぎて、もっと演技をしている感の強い岡嶋の方がこの舞台にはあっているのではないかと思いました。

 ダーメはマチネがよかった。夜公演の三人は、それぞれがソリストのように歌い、アンサンブルとしてのバランスが今一つよくありませんでした。昼公演は三人がお互いのバランスを聴き合いながら進んでおり、そのハーモニーが美しく響きました。童子は両方とも素敵で甲乙つけがたく、シングルキャストで歌った面々は理由はよくは分からないのですが、夜公演の方が良かったと思います。

 舞台にはいろいろミスもあり、オーケストラも決して上手と申し上げられるほどではなかったとは思いますが、昼公演も夜公演も楽しく聴くことができました。これはひとえに沢崎恵美を中心として集まったメンバーがそれぞれの役割を果たそうとして求心的な舞台を作り上げたということの表れなのだろうと思います。その意味でBraviです。今後の更なる発展を祈りましょう。

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