オペラに行って参りました-2021年(その1)

目次

サムソンに求められるもの 2021年1月6日 東京二期会オペラ・コンチェルタンテ・シリーズ「サムソンとデリラ」を聴く
フェイスシールドの罪 2021年1月8日 藤原歌劇団「フィガロの結婚」を聴く
トスカを「演じる」ということ 2021年1月28日 新国立劇場「トスカ」を聴く
歌う喜び、聴く楽しみ 2021年1月28日 二期会サロンコンサートVol.208「歌う喜び、明日の楽しみ」を聴く
やっぱりフェイスシールドはいけません 2021年1月30日 藤原歌劇団「ラ・ボエーム」を聴く
歌手に寄り添うことは大切ですが・・・ 2021年2月14日 新国立劇場「フィガロの結婚」を聴く
ロッシーニ好きにはたまりません 2021年2月19日 「ロッシーニ男子」を聴く
終わって分かる三演目 2021年2月20日 日本オペラ協会「ギジムナー時を翔ける」を聴く
タイトルロールの責任 2021年2月21日 東京二期会オペラ劇場「タンホイザー」を聴く
実力差を見せつけられる 2021年2月23日 町田イタリア歌劇団「ランメルモールのルチア」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2021年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2021年1月6日
入場料:B席 2F 7列20番 6000円

主催:公益財団法人東京二期会
東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ

全3幕、字幕付原語(フランス語)上演 セミ・ステージ形式
サン=サーンス作曲「サムソンとデリラ」(SAMSON ET DALILA)
原作:旧約聖書・士師記第13-16章のサムソンとデリラの物語
台本: フェルディナン・ルメール


会場:オーチャードホール

スタッフ

指揮 マキシム・パスカル
管弦楽   東京フィルハーモニー管弦楽団 
合唱 :  二期会合唱団 
合唱指揮 大島 義彰
舞台構成  飯塚 励生
照明  八木 麻紀
映像  栗山 聡之
音楽アシスタント  :  佐藤 正浩 
舞台監督  :  幸泉 浩司 

出 演

デリラ   池田 香織
サムソン   福井 敬
ダゴンの大司祭   小森 輝彦
アビメルク   ジョン・ハオ
老ヘブライ人   妻屋 秀和 
ペリシテ人の使者   伊藤 潤
第一のペリシテ人   市川 浩平
第二のペリシテ人   高崎 翔平 

感 想

サムソンに求められるもの‐東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ「サムソンとデリラ」(セミ・ステージ形式)を聴く

 「サムソンとデリラ」はサン=サーンスが作曲した13曲のオペラの中で頭抜けて有名なものであり、かつサン=サーンスを代表する名曲とされていますが、日本では滅多に演奏されません。日本初演は1927年のロシア歌劇団公演と非常に古いのですが、その後演奏されたのは1986年のコベントガーデン王立歌劇場来日公演であり、その後もぽつぽつとしか演奏されません。最近は2016年に東京芸術劇場 コンサートオペラVol.3の演奏会形式公演で、せいぜい5年に1回ほどの頻度です。私自身は録音ではそれなりに親しんできた作品ではありますが、実演で聴くのは今回初めてです。

 この作品はワーグナーの影響がよく言われるのですが、確かに声の使い方などにその影響は見られるものの、もっと古典的な音楽、例えばモーツァルトへのオマージュを感じました。更に申し上げれば、聖書の内容を扱っていることもあって、西欧社会で連綿と続くキリスト教音楽の流れに載った作品と申しあげてよいと思います。合唱でのフーガの使い方などにそのような特徴が見受けられます。一方で、バッカナールの音楽のようにフランスのグランド・ペラの影響も明らかに見られ、色々な音楽のいいとこ取り、というか、モザイク状に組み合った音楽のようにも感じられ、その多面性が上演を困難にしているのかもしれないな、と思いました。

 音楽全体の流れには、指揮者の意図が相当反映されていたのではないかと思います。パスカルは、現代音楽の指揮に定評のある若手フランス人指揮者ですが、自国の新古典主義的な作曲家の作品を若々しく、現代的に演奏したように思います。その指揮者の意図はやや空回りしたところもあり、特にバッカナールなど管弦楽だけで演奏される部分では、オーケストラが指揮に付いていけずバラバラになりそうな瞬間もありました。しかしながらその積極性が音楽の推進力になり、若々しい美しさが溢れた演奏になりました。攻めた演奏の怖さと、上手く行った時の達成感とが双方感じられた演奏だったと思います。

 歌手たちはこの若手指揮者にやや翻弄された部分もあったと思いますが、概ね立派に役割を果たしました。特に素晴らしかったのがデリラ役の池田香織。池田の歌は息が長くてレガートをしっかり響かせる歌い方で、ここぞ、というところに力を込める歌い方ではなく、風船が膨らむように大きくなって言って、その中にしっかりと中身を詰め込んでいくような歌い方で、パワフルというよりも幅の広さで寄り切られるような感じの歌でした。けれんはあまりないけど、染み入る味わいがあり、素晴らしいと思いました。特に第二幕は彼女の存在感が素晴らしかったと思います。一番有名なアリア「あなたの声に心が開く」はもちろんよかったのですが、その前後のサムソンを誘惑する重唱の存在感なども素晴らしい。第一幕の登場のアリアから一貫してそのような歌い方で、悪女の味わいも感じさせながら、包容性を感じさせて見事でした。

 一方で、サムソン役の福井敬。衣裳も舞台装置もない中での歌唱の難しさを示しました。もちろん、福井敬特有のあの輝かしい美声は健在です。だからどこをとってもとても上手なのですが、流れで聴いていると一本調子に聴こえてしまいます。サムソンは冒頭の英雄的な働きから、デリラに誘惑されて骨抜きにされる様子、そしてデリラに騙されてどん底まで落とされ、復活します。そこを違った表現で見せてくれないと、サムソンの心情が伝わってこないのですね。福井もそこは当然考えていて、デリラに騙されてメロメロになる部分などはそういう意識で歌ってはいるのですが、輝かしい声が勝ちすぎて客席にまでその心情が伝わってこない感じです。これで舞台装置や衣装があって演技ももっと明確に分かればまた違うのでしょうが、声だけでその違いを示さなけれなならない以上、もっと徹底して歌い方を変えて、英雄的な部分とどん底の部分とを対比的に歌った方がよかったのではないかと思いました。

 あと歌唱で素晴らしかったのは、老ヘブライ人役を歌った妻屋秀和。妻屋の歌は無理のない歌唱の中で低音をしっかり響かせるというもので、その響きが素晴らしい。妻屋は日本を代表するバス歌手ですが、それでも低音が上手く行かないことは時々あります。それだけ低音をしっかり響かせるのは難しいのですが、今回は響きと言い、アプローチと言い、素晴らしいとしか言いようのない歌唱でした。

 ダゴンの大司教役の小森輝彦は、登場時に咽喉が上手く温まっていなかったようで、最初の何小節かは本来の音ではない歌を歌っていたと思います。和声的にハモっていませんでした。すぐに本来のポジションに立て直し、それ以降はしっかりした歌でよかったと思います。

 アビメルクは一幕の前半で殺されてしまう役ですが、ジョン・ハオの殺されるまでの歌唱は立派で印象的でした。

 合唱は、宗教音楽的響きが求められる冒頭の合唱とオペラ的な第三幕の合唱など色々なパターンがありますが、流石二期会合唱団というべきか、いつもながら上手でした。

 セミ・ステージ形式の舞台ですが、衣裳は通常の燕尾服とドレスで、演技もあまり特徴的ではありません。新型コロナ対策の影響なのでしょう。サムソンとデリラは常にソーシャルディスタンスを取っての歌唱、演技であり、その物足りなさはありました。その分CGでの表現が重要になると思うのですが、そちらも割と抑制的で目立つものではありませんでした。最後の神殿崩壊が、このオペラのクライマックスですが、そこのCGがちょっと目立ったぐらいです。抑制的な演出で音楽の味わいをしっかり感じさせようとしたのでしょう。ちょっと物足りなさはありましたが、音楽の流れの美しさを感じることはできたと思います。

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鑑賞日:2021年1月8日
入場料:B席 3F 2列55番 6800円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
藤原歌劇団公演

全4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(LE NOZZE DI FIGARO)
原作:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシュ
台本: ロレンツォ・ダ・ポンテ


会場:テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指揮 鈴木 恵里奈
管弦楽   テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ 
チェンバロ   星 和代 
合唱 :  藤原歌劇団合唱部 
合唱指揮 須藤 桂司
演出  マルコ・ガンディーニ
美術  イタロ・グロッシ
衣裳  アンナ・ビアジョッティ
照明  :  奥畑 康夫、西田 俊郎 
振付  :  伊藤 範子 
舞台監督  :  斎藤 美穂 

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵   須藤 慎吾
伯爵夫人   西本 真子
フィガロ   谷 友博
スザンナ   中井 奈穂
ケルビーノ   向野 由美子 
マルチェリーナ   牧野 真由美
ドン・バルトロ   東原 貞彦
ドン・バジリオ   持木 弘 
ドン・クルツィオ   松浦 健 
バルバリーナ   芝野 遥香
アントニオ   安東 玄人
農民の娘   中桐 かなえ/丸尾 有香 

感 想

フェイスシールドの罪‐藤原歌劇団「フィガロの結婚」を聴く

 コロナ禍が発生してから、テアトロ・ジーリオ・ショウワでオペラを楽しむのは三度目です。最初の藤原歌劇団「カルメン」と次の昭和音大オペラ「ドン・ジョヴァンニ」は、オーケストラを舞台に上げて、歌手は全員フェイスシールドという形での上演でしたが、今回の「フィガロの結婚」は久しぶりにオーケストラ・ピットが復活していましたが、歌手たちはソーシャルディスタンスを保ちながらもフェイスシールドを着用しての歌唱でした。確認はしておりませんが、当初はフェイスシールドなしで上演することを予定していたが、緊急事態宣言が1月7日に発令されたことを踏まえ、急遽着用に変更したのではないかと思いました。そして、着用の悪影響がしっかり出た公演になったと思います。

 特にその影響がはっきり出たのが第一幕、女声陣が総崩れでした。例えば冒頭の「5,10,20」の二重唱。フィガロ役の谷友博はしっかり歌って見事なのですが、スザンナ役の中井奈穂、音がブツブツ途切れる感じで、響きに伸びやかさが全く感じられませんでした。マルチェリーナの牧野真由美はもっと問題で、声が同じ幅で出てこない。だから、第5番のあてこすりの二重唱が全然上手く行っていない。フェイスシールドを着けることにより、音の聴こえ方がすっかり変わってしまい、合わせられなくなっていたのだろうと思います。

 向野由美子のケルビーノも第一幕はあまりよくありませんでした。「自分で自分が分からない」のアリアは溌溂感があまり感じられませんでしたし、その後の重唱も上手く嵌っていませんでした。

 須藤慎吾の伯爵と谷友博のフィガロはフェイスシールドの影響を感じさせないしっかりとした歌になっていましたが、それでも問題がありました。一番気になったのはテンポ感覚が歌手ごとにずいぶんずれていたことです。例えば須藤アルマヴィーヴァは音をオーケストラよりも早く捕まえに行く感じで前のめりになっていましたし、バルトロの東原貞彦は、オーケストラの後ろの響きに合わせる感じで、指揮の鈴木恵里奈も戸惑っていました。こういった違いが出たのは、フェイスシールドを着けることによって、自分の声が強くなって聴こえ、周囲の音が拾えなくなっていたためだと思います。フェイスシールドは自分から出す飛沫を飛ばさないという効果はありますが、ウィルス侵入を防止する効果はほとんどなく、オペラにとっては効果よりも害が多い道具だと思います。やむを得ない判断だったのでしょうが、フェイスシールドを付けずに上演して欲しかったと思います。

 他にもフェイスシールドが影響しているのだろうな、と思ったところは何か所かあります。例えば第二幕冒頭の伯爵夫人の登場のアリア。西本真子の歌はビブラートの勝ちすぎる歌唱で、音程がはっきりしない。音が下がっているように聴こえたところもありました。第4幕のバルバリーナのアリアもそうです。芝野遥香は丁寧にきっちり歌っていて好感が持てましたが、音がフェイスシールドの中に籠って響いてしまい可哀想でした。

 正直申しまして、二幕冒頭の伯爵夫人のアリアが終わるまで、どうなる事やら、と心配しました。しかし、ベテランぞろいのメンバーは修正も早い。どのような手法を用いたかは分かりませんが、二幕のアンサンブルからはしっかり合うようになっていました。そうなってくると、このオペラの面白さがだんだん際立ってきます。ケルビーノの「恋とはどんなものかしら」、スザンナのアリア「さあ、跪いて」から始まって、フィナーレの七重唱に至る流れは見事なもので、フェイスシールドに慣れた感じがしました。その後はすこぶる順調、フィナーレまで「フィガロの結婚」というオペラの楽しさを満喫しました。

 アリアで特によかったのは第三幕の伯爵のアリア「訴訟に勝っただと!」と第四幕のフィガロのアリア「準備はできた」の二曲。また、伯爵夫人の第三幕のアリア「あの美しい時はどこへ」は登場のアリアのような力が入っておらず、その分響きが美しくてよかったです。続く手紙の二重唱も素敵でした。スザンナの第四幕のアリアも冒頭とは全く違ってしっかり響くようになっていました。ちなみに25番のマルチェリーナのアリア「牡山羊と牝山羊」はカット。2011年の東京文化会館公演の時は、牧野真由美はマルチェリーナで出演しこの曲を歌っているので、今回カットになったのは残念です。続くバジリオの「理性がまだ未熟な年ごろは」は歌われましたが、持木弘のバジリオはこの歌をかなりけれんみたっぷりに歌い上げました。バジリオのキャラクターからすればこの歌い方でいいのでしょうが、私の好みとしては、もっと抑制してレガートを際立たせる方がこの曲の良さが出ると思います。

 舞台は2011年東京文化会館で使用したマルコ・ガンディーニのものですが、東京文化会館でやった時よりも、舞台の規模感がテアトロ・ジーリオ・ショウワに合っているように思いました。以上フェイスシールドがなければもっと良い演奏になっただろうなと思わせる上演でした。付けないよりはましなのでしょうが、付けて音楽がバラバラになるのであれば、付けないでやって欲しいとつくづく思いました。

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鑑賞日:2021年1月28日
入場料:D席 4F L6列3番 3168円

主催:新国立劇場
新国立劇場公演

全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トスカ」(TOSCA)
原作:ヴィクトリアン・サルドゥ
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イリッカ

会場 新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 ダニエレ・カッレガーリ  
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱  :  世田谷ジュニア合唱団 
児童合唱指導  :  掛江 みどり
演 出 アントネッロ・マダウ=ディアツ
美 術 川口 直次
衣 装    ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ 
照 明 奥畑 康夫
再演演出 田口 道子
舞台監督 村田 健輔

出演

トスカ キアーラ・イゾットン
カヴァラドッシ フランチェスコ・メーリ
スカルピア ダリオ・ソラーリ
アンジェロッティ 久保田 真澄
スポレッタ 今尾 滋
シャルローネ 大塚 博章
堂守 志村 文彦
看守 細岡 雅哉
羊飼い 渡邉 早貴子

感 想

トスカを「演じる」ということ‐新国立劇場「トスカ」を聴く

 新国立劇場の「トスカ」と言えば、前回の2018年、キャサリン・ネーグルスタットが素晴らしい「トスカ」を演じてくれて、大いに感心したのですが、今回のイゾットンもネーグルスタッドに勝るとも劣らない素晴らしいトスカでした。トスカを正しく精密に歌える方はたくさんいらっしゃるのだろうなと思いますが、「トスカ」をきっちり演じられる方はなかなかいない。特に声の変化で、その心情を訴えられるだけの技量の持ち主は滅多にいません。今回のイゾットンはそれができる稀有な歌手なのだろうと思います。

 特に第二幕、緊迫したスカルピアとの二重唱ですが、悲鳴が素晴らしい。強くて明瞭で、響き渡る悲鳴。あんな悲鳴を上げたら、その後大崩れするのではないかと思うのですが、そんなことは全くない。「歌に生き、愛に生き」のピアニッシモは柔らかく明瞭に響き、しっかりと盛り上がっていく。女優だな、と思いました。スカルピアのソラーリはハイバリトンで、声も表現も端正にまとめるタイプのバリトンです。第一幕の「クレド」などはそれなりに邪悪な表情は出ておりましたが、基本は端整なスタイル。なかなか悪役の凄みを感じられませんでしたが、二幕では、トスカの「スカルピア嫌い」のオーラに触発されてか、その邪悪な雰囲気が輝いていました。

 スカルピアに与えられた音楽は歌詞的には邪悪としか言いようのないものですが、音楽は決してそんなことはない。バリトンにとって歌いがいのある素敵なメロディーが与えられています。だから、それを邪悪に歌おうとしてもやはり限界があって、特にイタリア語がよく分からない日本人にとっては、スカルピアって結構格好よくも見えてしまうのです。そこを助けるのがトスカの演技で、重唱部分のトスカの表現こそが、このオペラの味を決めてしまうのだな、と再確認いたしました。二幕がトスカが登場してから、トスカがスカルピアを殺すまでの一連の流れは、ほんとうに息もつかせぬもので、素晴らしかったです。

 メーリのカヴァラドッシも適役。「妙なる調和」も「星は光りぬ」もしっかり心情のこもった素晴らしいもので満足しました。第一幕のトスカとの二重唱、イゾットンの女優ぶりにかなり押されていましたが、音楽的には負けておらず秀逸。第三幕のトスカとの場面も悪くない。

 脇役勢では、前回に続く志村文彦の堂守が、コミカルな味を際立たせて秀逸。ちょっと不気味な感じの今尾滋のスポレッタ、切迫感のある久保田真澄もよかったです。羊飼いの歌も綺麗に響きました。

 舞台は今回8回目の利用となるマダウ=ディアツの演出。コロナ対応で、第一幕のクレドの部分の合唱団が広がりすぎている感じで、そこはオリジナルの方が良いと思いますが、オーケストラもよかったですし、合唱も立派。ヴェリズモ・オペラの神髄を楽しめました。

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鑑賞日:2021年1月28日
入場料: A列7番 3500円

主催:公益財団法人東京二期会

二期会サロンコンサートVol.208「歌う喜び、明日の楽しみ」

会場 カワイ表参道コンサートサロン パウゼ

出演

ソプラノ 藤野 沙優  
メゾソプラノ 川合 ひとみ
バリトン  :  小林 由樹 
ピアノ  :  木下 志寿子

プログラム

作曲 作品名 曲名 歌唱
ドニゼッティ ドン・パスクァーレ マラテスタのアリア「天使のように美しい娘が」 小林 由樹
ワーグナー タンホイザー エリザベートのアリア「厳かなこの広間よ」 藤野 沙優
ロッシーニ チェネレントラ アンジェリーナのアリア「悲しみと涙のうちに生まれ」 川合 ひとみ
ロッシーニ セビリアの理髪師 フィガロとロジーナの二重唱「それでは私なのね?」 川合 ひとみ/小林 由樹
ワーグナー ローエングリン エルザのアリア「暗く寂しい日々の中で」 藤野 沙優
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・ジョヴァンニのセレナード「窓辺においで」 小林 由樹
モーツァルト フィガロの結婚 ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」 川合 ひとみ
ヴェルディ イル・トロヴァトーレ ルーナ伯爵とレオノーラの二重唱「あなたの前に~その声は!」 藤野 沙優/小林 由樹
ベッリーニ ノルマ ノルマとアダルジーザの二重唱「ご覧なさい、ノルマ」 藤野 沙優/川合 ひとみ
アンコール
モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ フィオルディリージ、ドラベッラ、ドン・アルフォンゾの三重唱「風はさわやか,波は静か」 藤野 沙優/川合 ひとみ/小林 由樹

感 想

歌う喜び、聴く楽しみ‐二期会サロンコンサートVol.208「歌う喜び、明日の楽しみ」を聴く

 藤野沙優は一昨年、オペラカフェマッキアート58の「アンナ・ボレーナ」で主役のアンナを歌われました。それは残念ながら聴けなかったのですが、それ以来注目しているソプラノ・ドラマティコ。川合ひとみは二期会「ルル」でゲシュヴィッツ伯爵令嬢を歌われるという新星。川合はこれまで一度も聴く機会がなく、このルルも残念ながら聴くことができません。それに今まで幾度となく聴いていますが、アリアを聴いたことのない小林由樹という組み合わせのコンサートがあると聞いて、伺いました。コロナ禍の下、休憩なし、ほぼ1時間のコンサートですが、プログラムは大曲を含んだなかなか立派なもの。全員が大きなアリア1曲と比較的小さなアリアを1曲。そして結構大規模な二重唱を二曲歌われて、楽しめました。

 藤野はアリアは得意のワーグナーから二曲。「殿堂のアリア」と「エルザの夢」の二曲ですが、どちらも堂々としたパワフルな歌唱でとても立派。川合はアンジェリーナのフィナーレの大アリアをきっちり歌ってみせてこれまた聴きものでした。小林のしょっぱなのアリアは、まだ緊張していたのか、立派でしたが、コミカルな味はさほど感じることができませんでした。

 二重唱は、「セビリア」の二重唱。これも見事なものでしたが、ロジーナのおきゃんな感じがもっと強く出たほうがより雰囲気が出るように思いました。トロヴァトーレの二重唱。こちらはソプラノ、バリトンともよく似合っていて、演奏に仕上がりました。Braviでしょう。ノルマの二重唱も悪くないですが、その精度において、昨年12月町田で聴いた刈田享子、高橋未来子のコンビと神がかった二重唱と比較すると一段落ちるというのが本当のところ。でもこれだけ聴かせて貰えれば十分です。

 以上なかなかいいものを聴かせていただきました。歌っている様子を見ていると、皆さん、緊張しながらも「喜び」を感じていらっしゃると思いましたし、聴く側としても特別珍しくもなく、と言ってポピュラーすぎることもないプログラムで、聴く楽しみをたっぷり味わえました。新国立劇場の「トスカ」の感動がこのサロンコンサートの感動が更に加わって、雪から雨に変わる厳しい天気でしたが梯子した甲斐がありました。

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鑑賞日:2021年1月30日
入場料:B席 2F L1列14番 9800円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団公演

全4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」(La Bohème)
原作:アンリ・ミュルジェール
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ


会場:東京文化会館大ホール

スタッフ

指揮 鈴木 恵里奈
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
合唱 :  藤原歌劇団合唱部 
合唱指揮 安部 克彦
児童合唱 :  多摩ファミリーシンガーズ
児童合唱指導 高山 佳子
演出  岩田 達宗
美術  増田 寿子
衣裳  前田 文子
照明  :  沢田 祐二 
舞台監督  :  菅原 多敢弘 

出 演

ミミ   伊藤 晴
ロドルフォ   笛田 博昭
ムゼッタ   オクサーナ・ステパニュック
マルチェッロ   須藤 慎吾
ショナール   森口 賢二 
コッリーネ   伊藤 貴之
ベノア   豊島 祐壹
アルチンドロ   東原 貞彦 
パルピニョール   井出 司 

感 想

やっぱりフェイスシールドはいけません‐藤原歌劇団「ラ・ボエーム」を聴く

 藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」。岩田達宗演出によるこの舞台は、2007年の初演以来四度目となるおなじみのものですが、コロナ禍の影響で、色々なところが変わっていたようです。やむを得ない措置ではあったのでしょうが、音楽的には悪影響が多すぎて、やはり残念な舞台になったと言わざるを得ません。

 まずフェイスシールドの着用。今回は、コロナ禍以降二回行われた藤原歌劇団の本公演とは異なり、舞台に五人以上いるときは着用、四人以下の場合は非着用で運用されたようですが、着用と非着用とでは聴こえ方が全然違います。

 具体的に着用と非着用を舞台ごとに示すと、第一幕は前半、ショナールがアルバイトの稼ぎを持ってきて、マルチェッロ、ショナール、コッリーネの三人がカルチェラタンに出かけていくまでが着用。後半、一人になったロドルフォのところにミミが訪ねてくるところからは非着用。二幕は着用。三幕は、冒頭の合唱団がいるところは着用、ミミが登場するところからは非着用。第四幕は冒頭は非着用、途中から着用で運用されました。

 この中で一番良かったのは第三幕です。ミミが登場して、マルチェッロとの二重唱。ここが非常に美しく響き、今回の上演の白眉とも言うべきところでした。それに続くロドルフォとマルチェッロの二重唱からミミの独白が混じる三重唱も見事で、三幕の締めとなる二組の恋人たちの対称的な四重唱も実に美しい。情感の迸り方も見事ですし、お互いの立ち位置も息が合っていて、緊密な和音が四人の心情を際立たせます。Bravi言うべきでしょう。フェイスシールドを外して、お互いの声を聴きながらやれれば、このメンバーであればここまで緊密な音楽を作れるんだ、ということを示しました。

 しかし、残念ながら、同じフェイスシールドを着けていなくても、第一幕の後半はあまりうまくいっていませんでした。笛田博昭のロドルフォが一幕は本調子ではなかったのが影響していました。笛田は声量があり、フェイスシールドをしていてもその影響を感じさせないように歌ってはいるのですが、それでも何か違和感があるのでしょう。一幕前半のコンチェルタートの部分での高音へのずり上げが目立ちました。フェイスシールドを外しての「冷たい手」もその影響が続き、聴かせどころであるハイCは上がり切れずに終わりました。それを受けての「私の名はミミ」も、伊藤晴は緊張していたのか、歌が硬くて本来のこの曲の味わいが十分出ていたようには思えませんでした。しかし、それでもフェイスシールドを着用して歌うシーンよりは全然ましでした。

 フェイスシールドは男声歌手には影響を与えず、女声歌手に影響を与える傾向が強いようですが、男声しか出てこない第一幕前半も、本来この部分の持つがっちり組み合った緊密性とはちょっと違った演奏になっていました。お互いの息遣いが確認できないので、多分自分だけで手探りで歌うからそうなるのでしょう。男声の四人は皆この舞台で歌ったことのあるベテランばかりですからもちろん崩れることはないのですが、お互いがそれぞれで歌っているという印象なのです。

 色々な意味で今回一番問題だったのは第二幕です。この第二幕の音楽は極めて緊密に書かれていて、混声合唱、児童合唱、パルピニョールの売り声、それに噛んでくるボヘミアンたちの会話の声がきっちりと組み合わせれていて、どれが欠けてもいけないのですが、今回は児童合唱がコロナ禍対応のため録音での参加になりました。とはいえ、児童合唱の多くは大人の合唱と掛け合いで入ってくるので、録音で入ると言っても限界があります。結局は児童合唱の部分の多くは歌われずにオーケストラだけの演奏になりました。

 本来あるものがないとそれだけでも変ですし、他の出演者たちにも影響を与えます。歌いにくいのでしょう。合唱もあまりよくなかったですし、パルピニョールもあまりよい感じではありませんでした。更にムゼッタのワルツ、可哀想でした。フェイスシールドに遮られて声がパンと響かない。そのため、この曲の楔となる効果も減殺されていましたし、ムゼッタの華やかな魅力も今一つ表現されていなかったというところです。また第二幕は、ソーシャルディスタンスの関係か、立ち位置が舞台全体に広がっていて、人の出入りのメリハリが本来の演出よりも少なくなっていました。合唱が、橋の上に乗って歌うのは従来通りですが、本来の演出では橋上の合唱にも照明が当たって一人一人が歌うところが見えたのですが、今回は、児童合唱が登場しなかったためか、橋の上の合唱にはライトをあてず、本来のきらびやかさもなくなって暗い印象。そこも残念なところです。

 以上コロナ禍による緊急事態宣言下での公演で仕方がないのでしょうが、条件さえ整っていれば極めて上質な公演になりそうだったのに、と強く感じさせられる演奏だけに、聴き手の残念感も強いです。

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鑑賞日:2021年2月14日
入場料:C席 3F L10列3番 5940円

主催:新国立劇場

新国立劇場公演

全4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(LE NOZZE DI FIGARO)
原作:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシュ
台本: ロレンツォ・ダ・ポンテ


会場:新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指揮 沼尻 竜典
管弦楽   東京交響楽団 
チェンバロ   小埜寺 美樹 
合唱 :  新国立劇場合唱団 
合唱指揮 冨平 恭平
演出  アンドレアス・ホモキ
美術  フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳  メヒトヒルト・ザイベル
照明  :  フランク・エヴァン 
再演演出  :  三浦 安浩 
舞台監督  :  高橋 尚史 

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵   ヴィート・プリアンテ
伯爵夫人   大隅 智佳子
フィガロ   ダリオ・ソラーリ
スザンナ   臼木 あい
ケルビーノ   脇園 彩 
マルチェリーナ   竹本 節子
ドン・バルトロ   妻屋 秀和
ドン・バジリオ   青地 英幸 
ドン・クルツィオ   糸賀 修平 
バルバリーナ   吉原 圭子
アントニオ   大久保 光哉
二人の娘   岩本 麻里/小酒部 晶子 

感 想

歌手に寄り添うことは大切ですが・・・‐新国立劇場「フィガロの結婚」を聴く

 コロナ禍による外国人入国規制の影響を受けて、伯爵夫人がセレーナ・ガンベローニから大隅智佳子に、フィガロがフィリッポ・モラーチェからダリオ・ソラーリに変更。指揮もエヴェリーノ・ピドから沼尻竜典に変更になっての上演でした。ガンペローニもモラーチェもピドもこれまで一度も聴いたことのない人なので、本当のことは分かりませんが、大隅への変更は成功、ソラーリへの変更は失敗だったのかな、と思います。沼尻への変更もいい変更ではなかったのかもしれません。

 ダリオ・ソラーリは新国立劇場1月公演「トスカ」のスカルピア役として来日し、スカルピアを熱演しました。ただ持ち声がすっきりした美声で、スカルピアを歌うには美声過ぎるかな、というのが聴いたときの印象。そのソラーリが帰国することなく、フィガロで代役出演することをきいて、絶対フィガロ役の方が似合っている、と思いました。しかし、実際は、正直なところかなり残念なフィガロでした。確かに声はフィガロにぴったりだと思いましたし、歌それ自身も非常に上手です。しかし、リサイタルならいざ知らず、オペラの中でフィガロを歌う、という観点で見たとき、彼の歌はわたしは好きになれません。

 何故か? まずテンポが遅く重たいのです。言葉が明瞭なのは素晴らしいことですが、それにしても遅すぎやしないか。そもそも「フィガロの結婚」というオペラ自体がアレグロを基調とする作品です。だから、畳み込んでいくように歌うのが基本だと思うのですが、しっかりブレスを取って、パウゼも時間を十分とって歌います。例えば第3曲目のカヴァティーナ「踊りを踊られるなら」は、アレグレットで始まり中間部でプレストになる曲ですが、この中間部がプレスト、という感じがしないのです。だからこの曲のもつ反骨心はあまり感じることはできませんでした。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」も同じで、上手だけどテンポが重いので、ケルビーノをからかっている感じが出てこない。第4幕のアリアももっと溌溂と歌った方が気持ちが出ると思います。

 それでもアリアが遅い分にはまだ許せるのですが、アンサンブルも遅くしてしまう。第一幕は遅いな、重いな、という印象が始終付きまとったのですが、基本のテンポが最初の、「5、10、20」の二重唱で基本のテンポが決まっちゃったからなのでしょうね。それで割を食ったのがスザンナ役の臼木あい。臼木はレジェーロのソプラノで、高音はしっかり出るのですが線が細くて中低音をしっかり鳴らせるソプラノではありません。テンポが遅くなるとどうしても声が足りない感じになってしまって、中低音も弱さがもろに出てしまいます。そこはフィガロがもっとスピードを上げてやれば上手くフォローできたと思うのですが、それがなかったお陰で、スザンナが相対的に貧弱に聴こえてしまいます。

 本当は指揮者がそこを上手くコントロールしてテンポを作っていけばよいと思うのですが、沼尻竜典も重めのフィガロが好きなようで、急がせないように思えます。考えてみると、序曲も割とゆっくりめでしたし、ソラーリにサービスしたような音楽づくりになっていたのかな、という気がしました。

 だから、フィガロが出演しないシーンではテンポが速まります。第二幕は私がちょうどいいと感じる速さで音楽が進みました。そのおかげか、第二幕は素晴らしい音楽になったと思います。冒頭の伯爵夫人のアリアがまず素晴らしい。しっとりした大隅智佳子の美声が劇場を満たします。続くケルビーノの「恋とはどんなものかしら」がまた素晴らしい。第一幕の「自分が自分でわからない」は今一つテンポが遅めで満足できなかったので、こちらのアリアで、脇園彩の魅力を満喫しました。続くスザンナのアリアもよかったし、その後の三重唱がまた抜群によかったです。スザンナの溌溂とした魅力が炸裂し、伯爵夫人の芯の強さも垣間見られ、伯爵の身勝手さもわかりとても素晴らしい。続くスザンナとケルビーノの二重唱からフィナーレの流れもとてもよかったです。

 第三幕も第二幕同様によかったのかなという印象。ここもフィガロがテンポを作る幕ではないのが幸いしました。プリアンテの伯爵のアリアが見事。コミカルな六重唱に続く伯爵夫人のアリアがまた素晴らしい出来。更に手紙の二重唱も息の合った歌で魅力的でした。

 脇役は、総じてレベルが高い。新国のこの舞台で妻屋秀和がバルトロを歌うのは初めてだと思いますが、さすがの貫禄。立派です。マルチェリーナの竹本節子。三回連続での出演。さすがの安定感でした。青地英幸のドン・バジリオ。コミカルな味が出ていてよかったです。糸賀修平のドン・クルツィオ。歌は上手ですが、もっとコミカルに演じたほうがよかったかなという印象。吉原圭子のバルバリーナも三度目の登場。立派に役を務めました。

 以上、全体的には整った素晴らしい演奏だったとは思いますが、指揮者がもっと自分のテンポで引っ張れればもっと統一感の取れた「フィガロの結婚」に仕上がったのではないかと思います。指揮者が歌手に寄り添って歌いやすくすることは大切だとは思いますが、オペラの統一感はそれに優先するのではないか、と思いました。

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鑑賞日:2021年2月19日
入場料: 7列19番 3500円

主催:ロッシーニ男子たち

ロッシーニ男子

会場 府中の森芸術劇場ウィーンホール

出演

テノール 小堀 勇介  
バリトン 小林 啓倫
バスバリトン  :  後藤 春馬 
ピアノ  :  園田 隆一郎

プログラム

作品名 曲名 歌唱
イタリアのトルコ人 ドン・ナルチーゾ、詩人、ドン・ジェローニオによる三重唱「間抜けな夫は」 小堀 勇介/小林 啓倫/後藤 春馬
ラ・チェネレントラ ダンディーニとドン・マニーフィコによる二重唱「ある重大な秘密について」 小林 啓倫/後藤 春馬
泥棒かささぎ ジャンネットのアリア「おいで、この腕の中に」 小堀 勇介
セビリアの理髪師 アルマヴィーヴァ伯爵とフィガロの二重唱「黄金にして万能なるこの金属は」 小堀 勇介/小林 啓倫
セビリアの理髪師 ドン・バジリオのアリア「陰口はそよ風のように」 後藤 春馬
アルジェのイタリア女 リンドーロとムスタファの二重唱「もし妻を娶るとするならば」 小堀 勇介/後藤 春馬
セビリアの理髪師 フィガロのアリア「わたしは町の何でも屋」 小林 啓倫
アルジェのイタリア女 リンドーロ、ムスタファ、タッデオの二重唱「パッパターチ」 小堀 勇介/小林 啓倫/後藤 春馬

感 想

ロッシーニ好きにはたまりません‐「ロッシーニ男子」vol.2を聴く

 小堀勇介、小林啓倫、後藤春馬の三人は、ともに国立音楽大学出身で小堀と小林は同級生、後藤は1年先輩で学生時代は三人とも「オペラ研究会」というサークルで活動していたそうです。その後三人とも新国立劇場のオペラ研修所に進み、わたしはその時代から注目してきたわけですが、その国立音大→新国立劇場研修所という同じコースを取った三人がロッシーニの曲だけ集めたコンサートをやるというので、いそいそと出かけてまいりました。

 当初はもっとヴォリュームのあるコンサートを企画していたようですが、コロナ禍による緊急事態宣言下20時以降は会場が使用できないということで泣く泣く曲を削り、この規模で行うことになったそうです。しかし、プログラム、演奏とも最高の料理でした。演奏された8曲は、アリアが3曲、二重唱が3曲、三重唱が2曲でしたが、ジャンネットのアリア以外は全てオペラ・ブッファからの選曲。ロッシーニのオペラ・ブッファはおバカな内容を最高に難度の高い技巧で聴かせるところにその真骨頂があるわけですが、皆さん、ほんとうに良く口が廻る。そして明晰。会場がウィーンホールというかつて日本一とも言われた響きのよいホールでやったということも関係するのでしょうが、柔らかくて力強い響きの中に軽い口調が乗っかり、ほんとうに見事だったと思います。

 ピアノ伴奏もいい。今回はロッシーニをよく指揮する指揮者の園田隆一郎が受け持ったのですが、園田のピアノがのりのりで、歌手たちとアイコンタクトをとりながら上手にリードして行きます。歌手たちも乗っていたし、ピアニストも乗っていたということでその相乗効果が演奏に現れていたと思います。だから、今回の聴きものはアリアよりも重唱。もちろん小堀勇介のジャンネットのアリアと、小林啓倫の「何でも屋」は歌手の美声と的確な技術で、後藤春馬の「陰口」は曲の解釈と表現の濃密さでどれも素敵なものでしたが、それより重唱の方が断然面白い。

 どの曲も早口の部分があって、同じ早口の歌詞を三度でハモったり、違う歌詞を歌っても韻がきっちり合っていたりして、そこがきっちりと嵌っていくところが何と言っても素晴らしいです。それにしてもほんとうに良く口が廻っています。一所懸命練習して合わせたというのがよく分かりました。重唱はどの曲もほんとうに素晴らしかったのですが、一曲だけ上げるとすればフィガロとアルマヴィーヴァのお金の二重唱でしょうか? 「セビリアの理髪師」は比較的よく見るオペラですが、このお金の二重唱をここまで嵌って聴けるのはなかなか珍しいと思います。ほんとうに素晴らしいと思いました。

 そしてラストが「パッパターチ」。ロッシーニのオペラブッファのおバカの典型の曲で、技巧的にはレベルが高度だけど、内容はないという曲。この曲を最後に持ってきて盛り上げて終わるセンスがいいですね。ちなみにアンコールもこの曲の後半が演奏されました。コロナ禍のなか、聴き手に笑って元気を与えたいという気持ちがあったのでしょうね。その気持ちが最初から最後までよく伝わった濃密な1時間でした。ロッシーニ大好き人間の私にとっては、最高の1時間でした。

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鑑賞日:2021年2月20日
入場料:B席 1F 19列8番 8000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/公益社団法人日本演奏連盟
共催:公益財団法人新宿未来創造財団
2021都民芸術フェスティバル参加公演

日本オペラ協会公演
日本オペラシリーズNo.81

全2幕、歌唱字幕付原語(日本語)上演
中村 透作曲「ギジムナー時を翔ける」
台本: 中村 透

会場:新宿文化センター大ホール

スタッフ

指揮 星出 豊
管弦楽   東京フィルハーモニー交響楽団 
三線   大城 貴幸 
沖縄笛   入嵩西 諭 
シンセサイザー   松本 康子 
合唱 :  日本オペラ協会合唱団 
合唱指揮 須藤 桂司
演出  粟國 淳
美術  川口 直次
衣裳  増田 恵美
照明  :  大島 祐夫 
舞台監督  :  斎藤 美穂 

出 演

カルカリナ   砂川 涼子
オバア   森山 京子
ミキ   長島 由佳
フミオ   芝野 遥香
マサキ   海道 弘昭 
本多/長老   押川 浩士
区長/地頭代   泉 良平
マチー   金城 理沙子 
ジラー   照屋 篤紀 
アンマー   村松 仁美
パキュロ   古川 和彦

感 想

終わって分かる三演目‐日本オペラ協会「ギジムナー時を翔ける」を聴く

 日本オペラ協会で「キジムナー時を翔ける」を取り上げるのは、今回で三回目。最初が1994年、次いで2001年、そして今回20年ぶりに新演出で演奏されました。日本の創作オペラはこれまで1000作品近くあるのですが、年を経て何度も再演される作品は決して多くなく、日本オペラ協会で三度も再演されるのはかなり珍しいと申しあげてよいでしょう。

 私自身は、東京初演も2001年の再演も見ておりませんので、初見になります。そして第一幕見終わった時思ったのは「なんだかわけわからんオペラだな」ということでした。まず何と言っても地の台詞が多いです。おそらくメロディーに乗せる部分は全体の半分程度。また、レシタティーヴォ・アコンパニャート的な部分もあるのですが、そこもオーケストラの伴奏が入っていても歌っている感じはあまりせず、しゃべっているような感じ。そして、その内容はリゾート開発推進派と自然保護・開発反対派との会話が延々と続く。そこには沖縄民謡のようなメロディなどもあるのですが、生硬な感じが常に付きまとい、オペラ的な情感が感じられないのです。第一幕で主に活躍するのは開発反対派のオバアと賛成派のマサキ、そして都会での生活に憧れるオバアの孫娘のミキですが、このオペラの背景を説明するために丸一幕を費やした感じです。

 だから、わたしはこれが日本オペラ協会で三度も取り上げるべきオペラなのかな、と思ったのですが、このオペラが面白くなったのはキジムナーのカルカリアとオバアのもう一人の孫娘、自然を愛し、ギジムナー伝説を信じたフミオが舞台の中心になってからです。フミオがキジムナーに会えるにはどうしたらいいのと歌って、カルカリアが自分の姿を見えるようにすると、カルカリアが道案内になってフミオが時空を飛び始めます。17世紀、現代、22世紀の沖縄のある島を行き来しながら、その島の自然破壊の様子を学んでいく。そこに巻き込まれたマサキは17世紀の自分の先祖にも会い、22世紀の廃墟となった島を見るに至って、自然保護の重要性や伝統文化の保護の重要性に気づくことになります。全部見ると、それなりに解決がついて、満足できる仕組みになっているようです。

 音楽的には上述のように、沖縄的な音階やメロディは随所に取り上げられているものの、全体に地の台詞も多く、どのように歌うのが適切なのかは分かりません。ただ、演技も含めた存在感という感じでは、やはり砂川涼子のカルカリアと芝野遥香のフミオがよかったと思います。砂川は目立つ衣裳とノリノリのコメディエンヌ的な演技でいい味を出していましたし、ズボン役の芝野も少年っぽい純情さが見事に示され、こちらも素敵。海道弘昭演じるマサキはいろいろな状況に戸惑いながらも自分自身の中で解決する姿がしっかり認められ、こちらもよかったのでしょう。

 前半の立役者である森山京子のオバア、長島由佳のミキもよく雰囲気が出ていましたし、第二幕のマチー、チラー、アンマーもそれぞれの役目をしっかり果たしていたと思います。またキジムナー達や村人たちになる合唱も見事。合唱曲は冒頭と最期で活躍するのですが、それが見事に呼応してしっかりまとまった感じです。なお、今回も日本オペラ振興会の方針なのか、舞台に上がった人は全員フェイスシールド着用でした。ただ、作品の特徴が関係するのか、その影響を感じられた人はほとんどいませんでした。

 粟國淳の演出は、現代、17世紀、22世紀の違いを視覚的にしっかり見せて、そこに沖縄的な感じを盛り込むことに成功していたと思います。粟國は東京の出身ですが、父親のオペラ演出家、故粟國安彦は沖縄出身だそうで、その地を感じさせる演出になったということなのでしょう。そう言えば、今日の出演者は、カルカリアの砂川涼子とオバアの森山京子、そして、17世紀の若者たちを演じる金城理沙子、照屋篤紀の四人が沖縄出身で、沖縄言葉を上手に操っていたのが印象的です。

 さて、作品に戻ると作曲者の中村透は北海道出身で30歳目前にして沖縄に移住し、その後は沖縄音楽や文化を研究しながら作曲活動に取り組んだ作曲家ですが、こうやって全体をみると沖縄を相対的に見ているな、という感じがしました。沖縄言葉や沖縄弁の扱いは巧みですし、沖縄では知られた妖精のキジムナーを取り上げたところなどは凄いなとは思いますが、そこに込められたメッセージ性が環境破壊反対や伝統文化保護というのは、今日的ではあるけれども、表層的だなと思わずにはいられません。

 もし中村が沖縄出身の人であれば、沖縄戦の廃墟も体感として知り、その後の米国占領下も経験することになり、そういった経験をした人だったら、沖縄の自然保護を歌うだけの作品にはしなかったのではないかな、という気はします。またこの作品は1990年に作曲され、91年に初演されているわけですが、作曲されていた当時はまさにバブル景気の真っ只中であり、沖縄も大資本による開発の波が押し寄せてきた時代だったというのも、この作品を書いた推進力になったのでしょう。

 ただ、2020年になって、SDGs、生物多様性の確保が世界的に言われる時代になって見ると、中村の割とステレオタイプな開発推進と反対との二極的な見方はちょっと古いのかな、という感じはしました。そう言った世界の流れを踏まえたとき、この作品が上演し続ける価値のある音楽的に魅力的な作品なのか、という点についてはかなり難しいのではないかという気がしました。

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鑑賞日:2021年2月21日
入場料:C席 R4F 1列13番 8000円

主催:公益財団法人東京二期会/公益社団法人日本演奏連盟
2021都民芸術フェスティバル参加公演

東京二期会オペラ劇場公演
二期会創立70周年記念公演
フランス国立ラン劇場との提携公演

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「タンホイザー」Tannhäuser
台本: リヒャルト・ワーグナー

会場:東京文化会館大ホール

スタッフ

指揮 セバスティアン・ヴァイグレ
管弦楽   読売日本交響楽団 
合唱 :  二期会合唱団 
合唱指揮 三澤 洋史
原演出  キース・ウォーナー
演出補  ドロテア・キルシュバウム
装置  ボリス・クドルチカ
衣裳  カスパー・グラーナー
照明  :  ジョン・ビショップ 
振付  カール・アルフレッド・シュライナー
舞台監督  :  幸泉 浩司 

出 演

ヘルマン   長谷川 顯
タンホイザー   芹澤 佳通
ウォルフラム   清水 勇磨
ヴァルター   高野 二郎
ピーテロルフ   近藤 圭 
ハインリヒ   高柳 圭
ラインマル   金子 慧一
エリザベート   竹多 倫子 
ヴェーヌス   池田 香織 
牧童   牧野 元美
四人の小姓   横森 由衣
  金治 久美子
  実川 裕紀
  長田 惟子
ダンサー   薄田真美子、佐藤侑里、田島由佳、乾直樹、西川卓、安村圭太

感 想

タイトルロールの責任‐東京二期会オペラ劇場「タンホイザー」を聴く

 キース・ウォーナーでワーグナーというとやはり新国立劇場のトーキョー・リングが忘れられません。ポップでカラフルでキッチュなあの舞台は好悪は分かれると思いますが、やはり新国立劇場の歴史を語る上で、絶対に忘れられない舞台だと思います。今回のタンホイザーの舞台もあれぐらいぶっ飛んでいるのかな、と思って伺ったのですが、思いのほか普通の舞台でほっとしたところです。というか、現代と伝統を融合させた舞台はシックで美しいもので、また照明を上手く使って、ワーグナー的救済を示すところは日本人のセンスでは及びもつかないところがあると思いました。いい舞台だと思います。

 そこで歌われたタンホイザー。いくつかの点で残念だったのかな、と思います。まず、オーケストラ。

 セヴァスティアン・ヴァイクレは音楽の雰囲気をつかんだ見事な指揮ぶりで、読響も美しい演奏で応えていてよかったのですが、オケの音が薄いのです。例えば序曲。普段であれば内声部がもっと厚く響くと思うのですが、コロナ対策のためか弦楽器が相当減らされていたようで(コントラバスが3本だったようなので、10-8-6-4-3?)、どうしても弦の厚みが足りない感じです。その分正確で精妙な演奏にはなっていたのですが、せめて12型、できれば14型で演奏してくれれば、もっと音の厚みが出て迫力が増していたと思います。歌が入るようになれば、オーケストラの音が薄い分歌手は歌いやすくなって、必ずしも悪いことばかりではなかったとは思いますが、ワーグナーを演奏するという観点からすれば、やっぱり残念だったところです。

 タイトル役の芹澤佳通。不調でした。声は決して悪くはないと思いますが、とにかくパワーが続かない。声を張り上げるとワーグナー的な雰囲気は出るのですが、すぐに失速してそれを持続させることができないのです。冒頭からそうで最後までそれが改善されることはありませんでした。声を張り上げるのを自重して、全体的に平らに歌うことを意識したほうが良い結果が出たのではないかと思いますが、ヘルデンテノールのように歌いたいという意識があるのでしょうね。とにかく声を張り上げ、すぐに失速してパワーがなくなってくる。これの繰り返しで、聴きづらいことこの上ない。更に申し上げれば第三幕は体力的にもヘロヘロだった様子で、最初から声に力が入らなくなっていました。体調が不調だったのであれば降板すべきだったと思います。またこれが芹澤の実力だというのであれば、キャスティングのミスだったと申しあげざるを得ません。

 オーケストラの薄さとタイトル役の不調で、全体的にはよかったとは申しあげられませんが、他の歌手は概ね好調でした。

 まずエリザベート役の竹多倫子。抜群だったと思います。エリザベートの登場のアリアである殿堂のアリアがまず素晴らしい。声の厚みと言い表現の滑らかさと言いとても魅力的なもので、エリザベートの存在感をしっかり示すものでした。その後の歌唱もレガートの美しい見事な歌で、最後まで至りました。2017年日生劇場の「ルサルカ」で初めて聴いて今後期待できる方だ書きましたが、その通りになったようで嬉しいです。

 ヴェーヌスの池田香織も素晴らしい。池田はいつの間にかワーグナー歌唱研究の日本での第一人者になってしまって、実演でもしっかり実力を示すわけですが、今回でも例外ではありません。第一幕のヴェーヌスベルグの音楽ではバランスの悪い芹澤の歌に対して、見事な声量と妖艶だけど明確な表現でヴェーヌスの存在を示しました。Bravaです。

 清水勇磨のウォルフラムも見事でした。清水は2016年の日生劇場「セビリアの理髪師」でフィオレッロを歌われているのを聴いているはずですが、全然印象が残っていませんでした。しかし彼も豊かな声量としっかりした声で、ウォルフラムを好演したと思います。第一幕からいい感じで、第二幕の歌合戦でのアリア、第三幕での夕星の歌も立派なもので、しっかりと役目を果たしました。Bravoでしょう。

 その他の歌手では、牧童の牧野元美が清涼剤の役目を果たし、騎士たちでは、近藤圭のピーテロルフがよかったと思います。

 二期会合唱団の合唱はいつもながらに見事なもので、大いに感心しました。四人の小姓のアンサンブルも一瞬だけですが、見事なハーモニーでした。

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鑑賞日:2021年2月23日
入場料:自由席 3000円

主催:町田イタリア歌劇団

町田イタリア歌劇団公演

全3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」(Lucia di Lammermoor)
台本: サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場:町田市民フォーラム3Fホール

スタッフ

指揮 遠藤 誠也
ピアノ   小森 美穂 
フルート   秋山 万己子 
合唱 :  町田イタリア歌劇団合唱団 
舞台監督  :  原田 統 

出 演

ルチア   木村 はる奈
エドガルド   谷川 佳幸
エンリーコ   市川 宥一郎
アリーサ   織田 麻美
アルトゥーロ   須藤 章太 
ライモンド   赤木 恭平
ノルマンノ   岡村 北斗

感 想

実力差を見せつけられる‐町田イタリア歌劇団「ランメルモールのルチア」を聴く

 圧倒的によかったのがエンリーコ役の市川宥一郎。他の歌手たちとは多分三ランクぐらいレベルの高い歌を歌って、圧倒していました。若手プリモバリトンの第一人者ですが、その実力を遺憾なく発揮していたと思います。雰囲気もエンリーコにまさにぴったりで、音楽の捉え方も他の人たちとはレベルが違っていたと思います。

 「ルチア」という作品は、最初、合唱とノルマンノとで始まり、すぐにエンリーコが入るのですが、エンリーコが入るまでの何小節かは曲の雰囲気もベルカントの様式感も感じられない一体どうなるのかという演奏だったのですが、エンリーコが第一声を出した途端にこれは「ルチア」の音楽だ、と思わせてくれました。要するに音楽の色がエンリーコの声だけでガラッと変わったのです。冒頭のエンリーコのアリア「冷酷で不吉ないらだちを」が素晴らしい。市川はその後の重唱やちょっとした参加でも圧倒的な存在感で、歌の中心にいたと思います。市川がいたおかげで「ルチア」は「ルチア」でありえたと思います。それぐらい素晴らしかったです。

 周回遅れではありましたが、次によかったのはエドガルドの谷川佳幸。谷川は終幕のアリア「この世に別れを告げよう」でそれなりの雰囲気でまとめましたし、同じく第三幕冒頭のエンリーコとの二重唱もエンリーコに負けじと声を張り上げ、引けを取りませんでした。それ以外の場面も英雄的なイメージを前面に出した歌唱で見事だったと思います。ただ、本質的な問題として谷川の声はプリモテノールの声ではないのです。音楽的にもしっかりした歌だったと思いますし、エンリーコに負けないように歌っていたのですが、響きにブリリアントな輝きがなくて、どうしてもバリトンに勝てる声にならない。そこがもどかしく思いました。

 木村はる奈のルチアは更に周回遅れと言うべきレベル。何とか卒なくこなせた、というレベルで、彼女に「ルチア」がふさわしいかと言われれば、「?」と言わざるを得ません。持ち声が、ベルカントオペラを歌うレジェーロ系ソプラノとしては決して綺麗ではない。更に申しあげるならば音域もルチアを歌うに十分な広さを持っていない様子で、低音は上ずり高音は上がり切れないという感じでした。特に登場のアリア「静かで不気味な夜更けは」はそのことが特に感じられ、イマイチならぬ今二つ位の出来栄えだったと申し上げましょう。一番の聴かせどころの「狂乱の場」はきっちり練習をしてきた様子で、登場のアリアと比較すると明らかに高レベルの歌唱でしたが、やはり持ち声の問題は解決しておらず、透明で軽い声、というわけにはいかなかったことを記載しておきます。

 他の脇役陣は更に一段下というのが本当のところでしょう。ライモンドを歌われた赤木恭平はバスらしいバスで声量も非常にあるのですが、力任せに押して歌っている感じで、ライモンドの持っている役柄の味を殺してしまっているように思いました。須藤章太のアルトゥーロも登場したときの第一声が、ベルカントテノールの歌い方ではなく、響きが声に乗っていませんでした。

 合唱が男声が二人というのがいくら何でも可哀想でした。冒頭の男声合唱はテノールとバスそれぞれ一人で全責任を負わなければいけないのですから、恐る恐る合わせていくのがよく分かってやはり残念なレベルになりました。また、これは合唱とは言わず二重唱と言うべきで、プロデューサーは人数を増やす手立てを考えるべきでした。

 以上問題も多かったのですが、嵌るときは嵌ってなかなかいい音になるから面白い。第二幕のフィナーレ。最期のストレッタはしっかり嵌っていて、ルチアらしいフィナーレになり、三幕の狂乱の場の導入にふさわしい雰囲気にまとまっていました。

 指揮の遠藤誠也はオペラ全曲を指揮するのは初めてという若手。曲のスタイルを体得していたかどうかは不明ですが、一所懸命の指揮ぶりは好感が持てました。小森美穂のピアノはいつもながらの安定感。全体を下支えしました。

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