オペラに行って参りました-2006年(その3)

目次

オーソドックスが素敵   2006年09月18日   東京二期会オペラ劇場「フィガロの結婚」を聴く
誰が聴いてもドビュッシー   2006年09月21日   東京オペラ・プロデュース「ロドリーグとシメーヌ」を聴く
若さの力   2006年10月15日   国立音楽大学大学院オペラ「イドメネオ」を聴く
ロッシーニは難しい   2006年10月20日   藤原歌劇団「ランスへの旅」を聴く
正しいモーツァルトとは?   2006年10月25日   新国立劇場「イドメネオ」を聴く
音楽と演出とが相互作用するとき   2006年11月3日   東京二期会オペラ劇場「コシ・ファン・トゥッテ」を聴く
出演者と会場との関係   2006年11月9日   「究極のクラシック・エンターテイメント スーパートリオ」を聴く
広上と中嶋のための舞台   2006年11月26日   日生劇場「利口な女狐の物語」を聴く
ノンヴィブラートの美   2006年12月1日   北トピア国際音楽祭2006「月の世界」を聴く
プレミエよりはましだったけれど   2006年12月6日   新国立劇場「フィデリオ」を聴く
レパートリーシステムへの挑戦   2006年12月7日   新国立劇場「セヴィリアの理髪師」を聴く

オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2006年9月18日

入場料:C席 7000円 1F 335

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

東京二期会オペラ劇場

主催:(財)東京二期会/読売新聞社/読売日本交響楽団

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 オーチャード・ホール

指 揮 マンフレード・ホーネック
管弦楽 読売日本交響楽団
チェンバロ 山口 佳代
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 森口 真司
演 出 宮本 亜門
装 置 ニール・パテル
衣 装 前田 文子
照 明 大島 祐夫
振 付 麻咲 梨乃
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 黒田 博
伯爵夫人 佐々木 典子
フィガロ 山下 浩司
スザンナ 薗田 真木子
ケルビーノ 林 美智子
マルチェリーナ 竹本 節子
バルトロ 鹿野 由之
ドン・バジリオ 経種 廉彦
ドン・クルツィオ 牧川 修一
アントーニオ 筒井 修平
バルバリーナ 赤星 啓子
二人の花娘 赤羽 佐東子、岩田 真奈

感想

オーソドックスが素敵-東京二期会オペラ劇場公演「フィガロの結婚」を聴く

 本年はモーツァルト生誕250年ということで、モーツァルトのオペラの上演回数が増えていますが、私自身今年3回目の「フィガロ」です。3回聴いて、一番よかった上演であることは疑いありません。細々したところには問題を抱えながらも、総じて見れば立派な演奏だったと思います。

 まず、オーケストラがよかった。細々と見ていけばホルンが外れたり、とか無事故ではなかったのですが、中庸の名演奏だと思います。弦楽器のきっちりとした響きを基本にして、管楽器を上手く乗せていく。管楽器がでしゃばらないので、ダイナミクスの大きな演奏にはならないのですが、均衡の取れた上品な演奏で、「フィガロの結婚」というオペラに上手くはまった好演奏だと思いました。知人の話によれば、ホーネックという指揮者は、普段は思いっきり管楽器を鳴らさせるタイプの指揮者だそうですが、「フィガロ」では、あえてそれを避け、モーツァルトの時代の響きを追求したということなのでしょう。

 演出もよい。今回の宮本演出は、2002年の上演の再演らしいのですが(残念ながら2002年公演は、丁度海外出張と重なって聴けませんでした。)、オーソドックスな視点と人の動かし方で、大変よいものでした。オーソドックスな舞台づくりは一つ間違うと陳腐化してしまうのですが、流石宮本亜門、細かいところまで十分手を加えて、清新な舞台に仕上げていました。オペラグラスで舞台を見ていると、歌手たちの表情がいちいちもっともで、細かいところにも手抜きがない。目配せの仕方や、舞台の歌手たちの位置の取り方も納得の行くものでした。手先の使い方など、うならせられるものでした。舞台をよく知っている演出家の仕事です。1幕から3幕までは、満点と言っても過言でないほどの出来。私がこれまで見た「フィガロ」の演出で最も納得できるものでした。

 惜しむらくは、第4幕の整理が今ひとつすっきりしなかったこと。この幕では、庭の東屋が一つポイントになるのですが、東屋が舞台上はっきり示されず、庭自体も1-3幕の具体性とは異なって抽象的になってしまいました。その結果、「フィガロの結婚」というオペラに親しみがない方にとってはわかりにくくなっていたかも知れません。

 歌を含めた舞台全体の流れは、後半が明らかによく、尻上がりに盛り上がったと申し上げることが出来ると思います。歌手陣の喉のこなれ方も、後半がよかったと思います。

 今回の歌手陣は比較的粒が揃っていましたが、とりわけ良かったのが黒田博の伯爵と山下浩司のフィガロでした。フィガロと伯爵の声の関係は、フィガロを伯爵よりも高音にする場合と低音にする場合の両方があるのですが、私の趣味は、フィガロに伸びのある高音をもったバリトンを置き、伯爵には性格表現の可能な低音の響きに魅力のあるバリトンを配する配役です。今回の黒田/山下のコンビは正にその関係であり、それゆえ、大変結構だったと思う次第です。

 特に黒田博はよかったと思います。登場からフィナーレまで、一定のペースを守りながら歌い、けれんはあまり目立たないのですが、要所要所をしっかり締めた演奏で素晴らしいものでした。第3幕の伯爵のアリアがまず聴き応えのあるもので、ブラボーに十分に値します。それ以外の重唱での参加も、伯爵の存在感と威厳を常に明示して、大変結構なものでした。

 対する山下フィガロも十分好演でした。最初のアリア「もし踊りをされるのならば」は、弱音で表現するところで、声がかすれることがあったのですが、それ以外は上々。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の皮肉な気分も結構でしたし、第4幕のアリアも納得の行くものでした。山下は歌唱も演技も軽快で、才気あふれるフィガロを上手く構築したと思います。

 男声陣でもう一人よかったのは、バジリオ役の経種廉彦です。経種のバジリオは何度か聴いておりますが、まさにはまり役です。歌っている時間は短いのですが、十分に存在感を示しました。

 一方、鹿野バルトロは今ひとつの出来。第1幕のアリアは、バルトロの尊大さと滑稽さを上手くミックスして表現しなければならないのですが、ビブラートが過剰になってしまい、声のコントロールが不十分でした。結果として、尊大さも中途半端、滑稽さも中途半端で、納得の行かないものでした。このアリアがきっちりはまると、それだけでオペラの盛り上がりが違うのですが、残念です。

 女声陣はメゾソプラノ陣が活躍しました。竹本節子のマルチェリーナがよい。第一幕のスザンナとの皮肉のやり取りになる二重唱は、竹本の声が薗田スザンナを圧倒していましたし、その後の重唱でも存在感をしっかり示して、アリアをカットされながらも印象的でした。

 林美智子のケルビーノは定評のあるところですが、その評価に違わない演奏でした。二つのアリア「自分で自分がわからない」、「恋とはどんなものかしら」は勿論、それ以外の演技、重唱でも、いたずらでおませなケルビーノを明確に表現して秀逸でした。

 一方ソプラノ陣は今ひとつでした。佐々木典子の伯爵夫人は全体的に見れば結構だったと申し上げるべきなのでしょう。音を大きく外したりは勿論しませんでした。ただ、登場のアリア「愛の神様みそなわせ」は、音程などはしっかりしていた様子でしたが、線の細い歌唱で、伯爵夫人の威厳を表現できたとは言いがたいと思います。その後も佐々木の第2幕は本調子とは言えないように思いました。しかし、後半はよかったです。第3幕のアリア「美しい思い出はどこに」は、登場のアリアの線の細さはすっかり解消し、憂いのあるしっとりとした歌唱でブラヴァは当然のところ。それ以外の重唱での参加も2幕と比較すると、非常に滑らかに進むようになりました。

 薗田スザンナも休憩後に本領発揮です。第1、2幕は、高音はかすれて伸びがなく、中低音も今ひとつ声に力を感じられない。軽快さは確保できていたので、オペラの進捗に大きな影響を与えたとはいえないのですが、高音部が伸びてくれないと、スザンナの頭の回転の速さがしっくりとしない。もう一段の頑張りがほしかったところです。しかし彼女も後半は前半と比べれば良好でした。第4幕のアリアも結構。最後は上手く纏めたと思います。

 バルバリーナの赤星啓子はスザンナも歌える方ですから当然ですが、大変結構でした。

 そんな訳で、バルトロと二人のソプラノには若干不満も覚えましたが、全体としては十分まとまった、素晴らしい演奏だったと思います。

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鑑賞日:2006年9月21日

入場料:C席 4000円 2F E30

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

東京オペラ・プロデュース第77回定期公演

主催:東京オペラ・プロデュース

オペラ3幕、字幕付原語(フランス語)上演
ドビュッシー作曲「ロドリーグとシメーヌ」(Rodrigue et Chimene)
台本:カテュール・マンデス

日本初演

会場 北とぴあ さくらホール

指 揮 高野 秀峰
ピアノ 飯坂 純/瀧田 亮子
合 唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指揮 伊佐治 邦治
演 出 松尾 洋
美 術 土屋 茂昭
衣 装 清水 崇子
照 明 稲垣 良治
舞台監督 松村 若菜

出 演

ロドリーグ 藤牧 正充
シメーヌ 松尾香世子
ドン・ディエーグ 鹿野 章人
ドン・ゴメス 和田ひでき
エルナン 佐藤伸二郎
ベルムード 望月 光貴
イニェス 平川 志保
国王 岩ア 恭男
ドン・ジュアン 相沢  創
ドン・ペドゥル 澤田  薫

感想

誰が聴いてもドビュッシー-東京オペラ・プロデュース公演「ロドリーグとシメーヌ」を聴く

 ドビュッシーは若い頃からオペラ作曲に意欲を示し、構想を持った作品としては5指に余るそうですが、完成したのは「ペレアスとメリザンド」唯一作。「ペレアスとメリザンド」は印象派オペラの最高傑作、あるいはフランスオペラの最高傑作としばしば言われますが、日本で上演されることは余り多くはありません。ましてや300ページ以上の楽譜が書かれながら捨てられた「ロドリーグとシメーヌ」を聴けるとは思いませんでした。それをTOPが取り上げる。嬉しいことです。この作品は1993年に遺作を基にした補完版がリヨンで世界初演されており、そのときのライブ録音が発売されているそうですが、私は全くの初耳でした。

 1993年の世界初演は、デニソフのオーケストレーションによるものだったそうですが、TOPはデニソス補筆版を使わずに、ドビュッシーのオリジナルに基づいた四手ピアノ伴奏で日本初演を行ったとのことです。これが本当に良いことだったかどうかはわかりません。でも、一つはっきり申し上げられることは、このオペラは明らかにドビュッシーの作品です。ドビュッシーは管弦楽も歌曲も作曲しましたが、その特徴が最もよく現れているのはピアノ曲でしょう。今回、ピアノ伴奏でオペラを聴いたわけですが、伴奏で聴こえる音楽は、ドビュッシーのピアノ曲を髣髴とさせるものでした。序曲から終幕までそこに聴こえるものは、ワーグナーの亜流ではなく、ドビュッシーでなければ書けなかったオリジナルだと思いました。

 音楽的にはそれなりの面白さがあるのですが、台本は陳腐そのもの。ドビュッシーがお蔵入りさせたのもわかります。ロドリーグは父親の仇討ちで恋人シメーヌのお父さんを殺してしまうのですから。にもかかわらず、若い恋人同士は、愛を断てない。このようなお話をドニゼッティやヴェルディだったら、上手くオペラに仕上げたのでしょうが、ドビュッシーはそのような感性ではなかった、途中で作曲を止めてお蔵入りさせたのも無理ないことかもしれません。

 初めて聴く作品ですから、正しく演奏していたのかどうかはわかりません。しかし、主役級は声に密度があり、聴き応えのある演奏でした。まず、ロドリーグ役の藤牧正充がよい。2004年にイタリアでデビューした新鋭のようですが、日本ではこの舞台がオペラデビューかも知れません。リリックな若々しい声が魅力です。高音が連続するかなりの難役だと思いますが、よく高音が伸び、一部ひっくり返りそうになったところもありますが、強い声も出ます。魅力的な新鋭です。まだ若そうですので、今後大いに期待しましょう。

 シメーヌ・松尾香世子もよい。彼女は歌うときの表情が舞台の内容や歌詞によって変わるのではなく、歌の技巧によって変わるという問題があり、折角の役柄をつまらなく見せることが多かったのですが、今回は絶品です。元々美声の方ですが、その声を技巧に走りすぎることなく使い、役へ十分集中して、表情も役柄によくあったものでした。特に第3幕のアリアが結構でした。

 鹿野章人の歌うロドリーグの父親ドン・ディエーグも良好。しっかりした密度のある歌で、かつ表情も豊かで楽しめました。強く歌う部分で、ヴィヴラートに頼らないのも好感を持ちました。一幕のアリアも悪くありませんでしたが、二幕一場の息子たちとの重唱部分がとりわけ結構でした。

 この主要三役以外の方も皆それぞれ結構な歌唱でした。今ひとつだったのは、岩崎恭男の国王ぐらいではないかしら。四手ピアノの伴奏は長時間の演奏だったにもかかわらず、最後の盛り上げまでがんばりました。ただ、ペダルの踏み方をもう少し考えて、響きをきれいにしてほしいと思いました。

 松尾洋の演出はいつもながら平凡なもの。人の動かし方を音楽にあわせてもう少しセンスよくやっていただきたいと思いました。

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鑑賞日:2006年10月15日

入場料:自由席 2000円 う列25

2006 国立音楽大学大学院オペラ公演

主催:国立音楽大学

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「イドメネオ」K.366(Idomeneo)
台本:ジャンバッティスタ・ヴァレスコ

会場 国立音楽大学講堂大ホール

指 揮 児玉 宏
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 装 半田 悦子
照 明 山口 暁
音 響 関口 嘉顕
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

イドメネオ 菅野 敦
イダマンテ 平尾 憲嗣
イリア 坪内 麗音
エレットラ 嘉目真木子
アルバーチェ 葛西 健治
大祭祀 奥田 順也
菅原 浩史

感想

若さの力-国立音楽大学大学院オペラ「イドメネオ」を聴く

 「イドメネオ」の公演はこれまで2回聴いたことがあります。どちらもなかなかの公演だったのですが、残念ながら演奏会形式。ちゃんとしたオペラとして聴いたのははじめての経験です。オペラは、音楽だけ聴くのと、舞台があって聴くのとでは相当に印象が違います。私はこれまで、「イドメネオ」はモーツァルトの作品の中では詰まらない作品という風に思っていたのですが、今回の公演を見て、考え方を改めなければならない、そう思いました。ダ・ポンテ三部作や「魔笛」ほどの魅力はないにしろ、それらの作品とはまた違った魅力があって、十分楽しめる作品であると思いました。

 そう思った大きな理由は、劇としてきっちり成立していたことがまず第一に挙げられるのですが、児玉宏の的確な指揮がそれをサポートしていたことは疑う余地がありません。私が聴いた前回の「イドメネオ」は、ほぼ2年前、2004年11月、寺神戸亮指揮、レ・ポレアード演奏の上演でしたが、寺神戸の演奏が、古楽器を使っての短いフレーズとヴィブラートの少ないところに特徴のある学究的な演奏であったのに対して、今回の児玉の演奏は、「イドメネオ」という作品の持つパッションを前面に出した演奏だったと思います。私は、寺神戸の演奏を高く評価するものでありますが、本日の児玉の演奏は、私の感情的な部分をよく刺激してくれて、正直にどちらが好きか、と問われれば、児玉の演奏に軍配を上げてしまいそうです。

 児玉の演奏は、「イドメネオ」のドラマのつながりを重視した演奏で、きびきびとした鋭いもの。聴き手を追い込む音作りは流石と申し上げるしかない。オーケストラは、基本的な技量が所詮は学生オーケストラで、万全とは申し上げられないのですし、一幕よりも二幕、二幕よりも三幕が、オーケストラの音楽に対する集中力が切れてきたようで、トラブルが増えたようでしたが、指揮者がよいとオーケストラはいい音を出すという至極当然の状況を聴くことが出来ました。

 今回の上演の成功は、まず指揮者に帰すべきでしょうが、もう一つ合唱がよかった。国立音大の合唱は定評のあるところですが、大人数の合唱は特に迫力満点でよし。群集が群集としてその勢いを示すのにはそれなりの人数の合唱が必要ですが、今回は約80人と十分な人数で舞台を盛り上げました。

 音楽の骨格の説得力と、合唱の迫力に比べて、ソリストにはいろいろと課題が残ったと思います。その中で最もよかったのは、エレットラを歌った嘉目真木子でしょう。一寸金属的な硬質の声で、もう少し陰影のあったほうが更によいと思いましたが、大学院生でこれだけ歌えればまずは良しとすべきでしょう。特によかったのは第三幕。「イドメネオ」の音楽的頂点とも言うべき四重唱での存在感。フィナーレのモノローグにこめられた怒り。素晴らしかったと思います。反面第二幕のアリアは、もう少し柔らかな表現がほしかったと思いました。

 ソプラノ、あるいはメゾソプラノで歌われることの多いイダマンテを歌った平尾憲嗣も魅力的でした。特に第一幕がよかった。明るい表現と暗い表現のバランスがよく、存在がくっきりと浮かび上がる感じ。一幕だけなら文句なしのブラボーでしょう。しかし、この存在感が、二幕、三幕と続かなかったところが残念なところです。高音の表現は総じてよかったと思うのですが、二幕、三幕では、低音部の調子があまり良くなく、今ひとつの感じに聴こえたのかも知れません。

 菅野敦のイドメネオは一寸問題。児玉宏がスリリングな音楽を組み立てているのに、スリリングな歌唱にならないところがまず気に入りません。王様役ですからどっしりとした歌唱をすることは結構だと思うのですが、菅野イドメネオはどこか鈍重に聴こえるところがあります。どっしりとしていることと鈍重とは違います。第二幕のアリアももう一つ突っ込みが甘いと思いましたし、第三幕での表現も同様。息子を殺さなければならない父親の苦悩の表現が通り一遍で、真実味が見えないところが問題です。

 坪内麗音のイリアは全体に荒削りな表現で、細かいところに神経が行き届いていないのがよく分る歌唱でした。情熱的な表現を前面に出す、力を込めて歌う、そうする理由は分るのですが、それだけではエレットラとの対比を考えても今ひとつ不十分です。また情熱が前面に出すぎてしまって、低音部の表現が今ひとつである部分もあり、私はもう少しがんばってほしいと思いました。

 細かいところには気に入らないところはあるのですが、それでも「イドメネオ」という作品を楽しむためには十分な演奏だったと申し上げます。

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鑑賞日:2006年10月20日

入場料:D席 5000円 4F R1列4番

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業

藤原歌劇団公演

主催:(財)日本オペラ振興会

ドラマ・ジョコーゾ1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「ランスへの旅」K.366(Il Viaggio a Reims)
台本:ルイージ・バロッキ
ジャネット・ジョンソン監修/ペーザロ・ロッシーニ財団編纂クリティカル・エディション(リコルディ版)

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 アルベルト・ゼッダ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
フォルテピアノ 小谷 彩子
演出・美術 エミリオ・サージ
衣 装 ペーパ・オハングレン
照 明 石川 紀子
演出補 メルタ・マイエル
舞台監督 大澤 裕
技術監督 カルロス・アポラフィア

出 演

フォルヴィル伯爵夫人 佐藤 美枝子
コリンナ 高橋 薫子
コルテーゼ夫人 小濱 妙美
メリベーア侯爵夫人 森山 京子
リーベンスコフ伯爵 マキシム・ミノロフ
騎士ベルフィオール 小山陽二郎
トロンボノク男爵 折江 忠道
ドン・アルヴァーロ 牧野 正人
シドニー卿 彭 康亮
ドン・プロフォンド 久保田 真澄
ドン・プルデンツィオ 柿沼 伸美
デリア 小林 厚子
マッダレーナ 河野 めぐみ
モデスティーナ 向野 由美子
アントーニオ 立花 敏弘
ゼフィリーノ 石川 誠二
ジェルソミーノ 納谷 善郎

感想

ロッシーニは難しい-藤原歌劇団「ランスへの旅」を聴く

 2001年ペーザロのロッシーニフェスティバルにおける新人公演の演出を借りてきた舞台です。私は勿論ペーザロの舞台を見ていないのですが、2002年ロッシーニ協会の「ランスへの旅」のパンフレットに掲載された千代田晶弘さんの感想によれば、2001年の新人公演は女声がよく男性に問題あり、2002年の新人公演は女声も駄目、という状態だったようです。今回の舞台を総括すれば、ペーザロの舞台を借りてきただけではなく、歌の出来まで借りてきたのかしら、という感じです。ロッシーニの高度な歌唱技術に対応できている人と対応できていない人の差が大変大きく、結果としてでこぼこの大きい舞台になったように思いました。

 エミリオ・サージの舞台は大変きれい。もともと新人公演ゆえにお金をかけられない、あるいは他の公演との兼ね合いで、舞台の奥まで使えないという理由で、舞台に細長くサンデッキを作り、その上で劇が進行する、というものですが、南国のリゾートを思わせる舞台で、私はとても気に入りました。幕もなく、第1部と第2部との間の休憩も暗転だけで入るというものでしたが、そういった細々としたつくりがよく出来ていて退屈させません。舞台の上の動きも個別にはいろいろあるのですが、結構細かいことをやっています。私はいつもの天井桟敷でオペラグラスを片手に臨んだのですが、もう少し奮発して、オペラグラス無しで見たほうがもっと楽しめたように思いました。

 アルベルト・ゼッタの音楽作りは、本作品を手中に収めているだけあって、流石に素晴らしいもの。推進力があって、ロッシーニはこう演奏しましょう、という風なお手本のような演奏と申し上げてよいのでしょう。結構テンポも速い。ただ、一寸気になったのは、東フィルの音です。音の角が立った感じで、本来ロッシーニはそう演奏するものなのかもしれませんが、私の個人的趣味からいえば、もう少し流麗に演奏していただき軽快さを更に際立たせていただきたかったように思います。

 歌手は本当に玉石混交。

 まず、柿沼伸美のドン・プルデンツィオがいただけない。歌が重たいですし、音程もふらついている感じがしました。2002年のロッシーニ協会公演では羽淵浩樹が歌いましたが、羽淵の歌のほうがずっと魅力的です。次に登場の小濱妙美のコルテーゼ夫人もミス・キャストです。ロッシーニらしくない歌い方です。妙に腰の重い歌で、湿っぽい。確かにコルテーゼ夫人は、小濱のような強い声のソプラノの役だとは思いますが、ヴィヴラートを利かせて大上段に振りかぶるような歌は不適切だと思います。ロッシーニ協会の家田紀子のコルテーゼ夫人が大変結構だったので、ことに気になります。

 ミノロフのリーベンスコフの伯爵は不調。確かに軽いロッシーニテノールで、ゼッダの秘蔵っ子だ、という片鱗は見えましたが、いかんせん声量が足りない。また、高音が微妙にかすれますし期待していた装飾技法も見せないというものでした。リーベンスコフの伯爵は男声の最高音で、かなり存在感のある役どころなのですが、重唱になるとほかに埋没する感じでした。

 一方、佐藤美枝子のフォルヴィル伯爵夫人は素晴らしい。最初の堂々たる大アリア「ああ、私はどうしても出発したいの」はロッシーニの技巧と佐藤の技術が見事にマッチした結構なもの。特に後半部の冴えは大変素晴らしいと思いました。後半のヴェルフィオールとの二重唱もよかったと思います。

 フォルヴィル伯爵夫人の騒ぎがあった後の六重唱でおもな登場人物が勢ぞろいするのですが、この六重唱は今ひとつぱっとしなかった様に思います。まず、森山京子のメリベーア侯爵夫人。今ひとつ。彼女はロッシーニをどう歌うべきか、ということはよく分かっていて、歌の切れ味や技巧はなかなか優れているのですが、音程が不安定のようですし、声の厚みのバランスも今ひとつのようでした。牧野正人のドン・アルヴァーロも過去2回歌っているお手のものであると思うのですが、以前聴いたときほど切れ味が優れていないような気がしました。牧野も存在感が薄く、ミロノフも今ひとつで、一つの見所である、メリベーア侯爵夫人に対する恋のさやあてをするドン・アルヴァーロとリーベンスコフの伯爵の部分を聴き落とした感があります。

 ここで登場するのが高橋薫子のコリンナ。高橋は抜群に素晴らしい。別格でした。舞台裏で歌われて実際は登場しないこの登場のアリアもこれまでの雰囲気を一変させる力がありました。またフィナーレの大アリアは、オーケストラピットのハープの脇まで下りていって、そこで歌ったわけですが、ハープの伴奏との相性が抜群で、更に、音程といい音色といい、装飾といい、文句の付けようのない素晴らしい最高の歌でした。2002年のロッシーニ協会の公演の感想に、高橋のコリンナを是非聴いてみたいと書きましたが、その夢が最高の形でかなったことを私は幸せに思います。

 次に登場するのが彭康亮のシドニー卿。この歌唱も良かった。シドニー卿のアリアではフルートソロがオブリガート楽器として活躍しますが、斎藤和志ががんばりました。正直申し上げるとフルートががんばりすぎた印象もあるのですが、歌唱も立派だったのでまあいいのでしょう。低音のアリアでは久保田真澄のドン・プロフォンドのアリアもなかなかのものでした。早口で歯切れよく歌う姿は見事なもので、感心いたしました。

 雰囲気が良く、キャラが立っていたのが小山陽二郎の騎士ベルフィオール。歌も悪くはないのですが、演技がひょうきんで笑わせていただきました。ミロノフが今ひとつだったせいもあって、ますます存在感が目立っていました。コリンナとの二重唱が面白く、後半の伯爵夫人との二重唱もよかった。

 「ランスへの旅」の頂点は、ほぼ中間に歌われる14声の大コンチェルタートです。ここで歌手達は着替えをしながら歌うのですが、やはり着替えのタイミングと歌唱のタイミングとを合わせるのが大変のようで、前半の手紙のシーンはいざ知らず、後半の着替えをしながらのアンサンブルはまとまりが今ひとつのように聴きました。最後のコリンナと伯爵夫人との高音の競演は楽しめました。

 総じていえるのは前半よりも中盤、それよりも後半がよかった演奏でした。しかしながらロッシーニの様式感を身に着けて歌っている人が多くなく、まとまりの取れた演奏には必ずしもなっていなかったと思います。本来いるべき合唱もおらず、その部分をソリストたちが分担して歌っているわけですが、普段合唱をやっていない方であり、必ずしもバランスの取れた合唱にはなっていなかった様に思います。作品が素晴らしいので、楽しむことは出来ましたが、ロッシーニの難しさ、ことに「ランスへの旅」の難しさを痛感させられた演奏でした。

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鑑賞日:2006年10月25日

入場料:C席 5670円 4F2列25番

平成18年度(第61回)文化庁芸術祭主催公演
新国立劇場公演

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「イドメネオ」K.366(Idomeneo)
台本:ジャンバッティスタ・ヴァレスコ

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 ダン・エッティンガー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ 大藤 玲子
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 グリシャ・アサガロフ
美術・衣装 ルイジ・ペーレゴ
照 明 立田 雄士
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

イドメネオ ジョン・トレレーヴェン
イダマンテ 藤村 実穂子
イリア 中村 恵理
エレットラ エミリー・マギー
アルバーチェ 経種 廉彦
大祭祀 水口 聡
峰 茂樹
クレタ島の二人の娘 黒澤明子/佐々木昌子
トロイ人の二人の捕虜 半田 爾/大森一英

感想

正しいモーツァルトとは?-新国立劇場「イドメネオ」を聴く

 「意欲的演奏」、という言葉があります。本日のエッティンガーの演奏が、まさしく意欲的な演奏だったと思います。例えば、オーケストラの配置。オケピットの中では向かって左側に置かれることの多い木管楽器群を舞台中央下に持ってくるなど。音の出方も意欲的。よくオーケストラが響き、響きの幅の広いドラマティックな演奏になっていたと思います。じゃあ、その演奏が楽しめたか、といわれると、正直なところ疑問符をつけざるを得ません。私にはいろいろな意味でやりすぎの演奏のように思えました。

 「イドメネオ」はそう滅多に聴くことは出来ませんが、モーツァルトの作品は非常に多く聴いております。そして、聴いたあといつも思うことはモーツァルトの難しさです。大して難しい音符が並んでいるわけではないのに、音楽として見る場合、演奏者によってここまで違うのか、と思わされます。ダン・エッティンガーの演奏は、モーツァルトの多様性を示そうとしていろいろなことをやって見せたが、結果的にはそれが空回りした演奏だったと思います。東京フィルのミス(特に金管)もそれなりにあったのですが、それ以上に指揮者がけれん味を持ちすぎた。もっと素直に演奏すればよいものをがんばりすぎた、と思うのです。オーケストラのスキルとしてははるかに劣るのに、2週間前に聴いた、児玉宏/国立音楽大学の演奏のほうが、ずっとモーツァルトらしいモーツァルトのように思いました。

 アサガロフの演出はオーソドックスなもの。古代のクレタをそのまま示し、いくつかのシーンはスペクタクルな効果を狙ったもので、比較的上演機会の少ない「イドメネオ」を理解するうえでは大変結構な演出ではなかったかと思います。

 歌手陣は概ねまとまっていたと思います。その中で特に評価すべきは藤村実穂子のイダマンテと中村恵理のイリアでしょう。

 藤村実穂子のイダマンテには本当は不満があります。彼女の声は、モーツァルトに対しては一寸劇的過ぎる。そこまでがんばらなくとも十分美しく歌えると思うのですが、劇的表現を重視したが故か、声の流れに一部無理があったと思います。また、イダマンテは本来カストラートのために書かれた役なので、歌に男性を感じさせてほしいのですが、藤村の歌は男の歌に聞こえない。見た目は髪の毛を短く刈り、いかにもギリシャの若武者なのですが、声が女性を強く感じさせるもので、もう少し表現に工夫があっても良いのかな、と思いました。とは申し上げますが、十分水準以上のイダマンテです。登場のアリアはともかく、一幕のフィナーレで歌われるアリアは流石の歌唱だと思いましたし、第3幕のイリアとの二重唱の美しさは正に震えが来るほどのもので大いに感心いたしました。

 中村恵理のイリアもよい。確実性という点では今回の歌手の中で随一でした。ただ、藤村、トレレーヴェン、マギーというワーグナー歌手に挟まれてしまうと歌の迫力が今ひとつなのは否めないところです。しかし、そこで無理に声を張り上げず、自分のポジションの中で歌いきったのは立派です。歌の表現に関してはまだまだ改良の余地はありますが、今回の歌手陣の中で一番しっかりした歌でした。冒頭のアリアはまだ硬さが取れず今ひとつ満足できないものでしたが、二幕の冒頭のアリアがよく、第3幕の冒頭のアリアから、イダマンテとの二重唱へのつながりは非常に素晴らしいものでした。

 次の良かったのは経種廉彦のアルバーチェ。第3幕のアリアは、しっかりと歌われて結構でした。

 一方、イドメネオとエレットラは不満があります。トレレーヴェンはいい声だと思いますし、所々に輝きがあるのですが、苦悩が歌に表れない。オーケストラが劇的に鳴っているのに、劇的表現を敢えて避けているような感じがいたしました。結果として、ところどころ退屈な歌唱になっていました。オーケストラはもっとスマートに、歌手は劇的に、のほうがこのオペラにあっていると思うのですが、トレレーヴェンとオーケストラとの関係は逆になっていたのではないかと思いました。ただ、この感覚は先日の国立音大大学院オペラでも感じましたので、そのように歌うのが楽譜どおりなのか?

 マギーのエレットラは買いません。第3幕のアリアはしっかり歌って大ブラヴァを貰っていましたが、このアリアもアジリダをもう少しきれいに歌ってもらいたいところですし、その前の歌唱は高音が薄くなってぶら下がる、中低音は響きが今ひとつでバランスが悪い、とどうにも気になる歌でした。表現すべき内容を持っていて、それを表現しようとしているのは分るのですが、歌唱が気持ちについていっていないと思いました。表現力では全然比較になりませんが、正確な歌唱という点では、国立音大大学院オペラでの嘉目真木子の方が上でした。

 その他の脇役もなかなか結構。合唱は流石の迫力です。「イドメネオ」は合唱が盛り上げる部分の多いオペラなので、迫力のある合唱は魅力です。合唱でのソロパートを歌った四人も良かったと思います。

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鑑賞日:2006年11月3日

入場料:C席 7000円 2FI列19番

平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
平成18年度(第61回)文化庁芸術祭参加公演

モーツァルト生誕250周年記念公演

主催:財団法人東京二期会/ニッセイ文化振興財団

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 日生劇場

指 揮 パスカル・ヴェロ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
フォルテピアノ 山口 佳代
チェロ 黒川 正三
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 松井 和彦
演 出 宮本 亜門
装 置 ニール・パテル
衣 装 前田 文子
照 明 中川 隆一
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

フィオルティリージ 林  正子
ドラベッラ 山下 牧子
フェランド 鈴木 准
グリエルモ 宮本 益光
デスピーナ 鵜木 絵理
ドン・アルフォンソ 加賀 清孝

感想

音楽と演出が相互作用するとき-東京二期会オペラ劇場「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 トータルの完成度、という意味では、非常に高い上演だったと思います。私がここ10年以内ぐらいで聴いた「コジ・ファン・トゥッテ」の中では、まず最高と申し上げてよい。決して私の好きなタイプの演奏ではなかったのですが、演出の意図と音楽の意図とが明確で、それが、お互いに相互作用して冗長さがなくなります。今回、完全全曲演奏ということで、25分の休憩を含んで3時間30分を越える演奏時間となったわけですが、その長時間を全く弛緩することなく、聴き手にも退屈を感じさせずに演奏したのは、大したものだと思います。

 その一つの要因として、的確な演出をまずあげるべきでしょう。まず、舞台中央にもう一つ舞台が置かれます。このもう一つの舞台は、簡単な幕があるだけで、全くがらんどうのスタジオのような舞台です。奥の壁は、一寸工夫がしてあって、照明の当て方でいろいろな絵や模様が浮き出ます。歌手達は、必要に応じてちょっとした小道具を持ち込んでこのもう一つの舞台で歌います。第一幕は、この舞台上舞台の幕を上手く使いながら、場面の変更を示します。そして、中の舞台の外側、舞台の向かって左端にドン・アルフォンゾが使う机が置かれ、ドン・アルフォンゾは、恋人たちのやり取りをこの机に座って見ている、という構図になります。

 宮本亜門は、この御伽噺のようなオペラを舞台劇として捉え、その異常なシチュエーションをもう一つの舞台に乗せるというやり方で解決しようとした、ということだと思います。舞台演劇は、大振りな演技に一つの特徴があると思うのですが、舞台の上にもう一つの舞台を置くことにより、その大げさな演技を歌手たちに求めました。その大げさぶりは、激しいラブシーンなどもその一つですが、コメディをコメディとして成立させるための大きな要素だったように思います。いくら喜劇とはいえ、オペレッタではない本格オペラで、レシタティーヴォで笑いが起きる公演はなかなか経験できません。この大げさな演技こそ、今回の公演を特徴付けるものだったと思います。

 演技が大げさなだけではなく、音楽も大げさでした。非常にドラマティックな表現。歌手たちも強い声を使った激しい歌唱表現で、モーツァルトの音楽の持つロココ的優美さをあえて否定したような演奏でした。しかし、この演出にこの演奏がよくマッチしているのです。この演奏ゆえに失われたものもあると思うのですが、あえてそれ(この「それ」については後述します)を切ることによって、コジ・ファン・トゥッテの演劇性を演出と音楽の両面から上手く示すことに成功したと申し上げてよいのでしょう。

 パスカル・ヴェロの音楽作りもこのドラマティック路線に乗ったものであり、それほど大きな編成ではなかったのですが、音のメリハリがはっきりした、劇的な表現でした。歌手たちもこのオーケストラの強い表現に負けない、強い表現が見事でした。今回は、ドン・アルフォンゾを別にすれば、全て20代、30代の歌手でグループを組んだせいもあるのでしょうが、全体的に歌手の粒が揃っており、そこも舞台の一体感を醸し出すのに有効だったと思います。

 そんなわけで、特に悪い方はいなかったのですが、まず良かったのは、ドラベッラ山下でしょう。一寸深みのある艶やかな声は、この演出とよく合っていたと思います。まず、登場のフィオルディリージとの二重唱がよく、1幕のシェーナ付の劇的なアリア「狂おしいばかりに私の胸をかきむしる苦しみ」の劇的な表現と、第2幕の「恋は盗人」の一寸甘いコケティッシュな表現はどちらも結構でしたし、重唱での存在感もしっかり決めていて、大変満足しました。

 フェランド・鈴木准もよい。若いテノールに良くある透明感のある伸びやかな声で劇的な表現と抒情的な表現を上手く歌い分けていたと思います。「恋人よ、愛の息吹は」がよく、通常省略される第24番のアリアも歌い、存在感をしっかり示しました。どうしても脇役的になるドラベッラとフェランドの存在感がしっかりしていたため、舞台の構成などは決してシンメトリックではなかったにもかかわらず、音楽のもつシンメトリックな感覚がよく出ていたのではないでしょうか。

 グリエルモ・宮本も上々。宮本は歌もさることながら、激しい演技がまたよい。ドラベッラを落としにかかるときの一所懸命さがまずよく、フィオルディリージがフェランドに心を動かされた後の嫉妬の表現も、その大げさなふりが大変素晴らしく、ディスピーナの公証人が結婚証書を読んでいるときのふてくされた態度は正に役者です。

 林正子のフィオルディリージは、劇的な表現に相当ぎりぎりのところで対処しており、一部余裕のないところもありましたが、きっちりと歌うところ、結構です。彼女は、メゾソプラノと申しても良いぐらい低音がきっちり出、反面高音は伸びにくいところがあります。これは、ドラベッラとの二重唱などでは、ハーモニーがよく重なるという点で非常に有効でした。二つの重要なアリア「岩のように動かず」はかなりぎりぎりの表現で、高音部に無理なところがありました。一方、より抒情的な「あの方は行く〜恋人よどうか許して」は、よくコントロールされた歌でなかなか結構でした。林正子の歌は基本的に正確できちんとしたものでしたので、全体的にもう少しおとなし目の表現であれば、もっとコントラストがはっきり出たのではないかと思います。

 この二組の恋人たちは徹頭徹尾、ドラマティックでした。それは、アリアにおいてオペラ的感興を与えるものではありましたが、一方、重唱部分は、強い声のぶつかり合いになってしまい、調和しない部分もありました。コジの魅力は、このアンサンブルにあるのですが、このアンサンブルの調和をあえて捨ててでも劇的表現に走った、これは見識です。

 一方、デスピーナ、この激しい恋人たちとは一寸離れた部分での表現。鵜木絵里は実に表情細やかにこの役を演じて見せました。細かいところまで気を配った演奏は大変結構でハイレベルなのですが、四人の恋人たちに比べて劇的表現が弱い。そのため、デスピーナ本来のませた雰囲気が希薄になったのが残念です。もう一つ、表現の細やかさの向きが内向きです。内部の充実など、聴く人が聴けばその凄さは分るものの、それが目立ってこないのです。全体がもう少し落ち着いた舞台ならば鵜木の歌はもっと際立ったと思うのですが、一寸恋人たちの熱気に当てられた感じです。

 加賀清孝のドン・アルイフォンゾ。結構でした。どっしりと落ち着き、それで声量が豊かで、非常に頼もしいアルフォンゾでした。

 以上、全体のコンセプトが良く見える演奏でした。歌手の実力もハイレベルのところで調和しており、劇的な部分が際立ちすぎて私の好きなタイプのコジではなかったものの、素晴らしい上演だったと思います。

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鑑賞日:2006年11月9日

入場料:S席 2500円 1F13列35番

主催:財団法人立川地域文化振興財団

究極のクラシック・エンターテイメント
スーパートリオ

会場 立川市市民会館・大ホール(アミュー・たちかわ)

出 演

ソプラノ 足立 さつき
クラリネット 赤坂 達三
ピアノ 斎藤 雅広

プログラム

曲目 演奏者
ズィーツィンスキー/ウィーン我が夢の街 3人
A・スカルラッティ/すみれ 3人
モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」より
「恋とはどんなものかしら」
3人
ロッシーニ/ダンツァ ソプラノ/ピアノ
ファリャ/火祭りの踊り ピアノ
ピアソラ/リベルタンゴ クラリネット/ピアノ
ラテンメドレー/アマポーラ〜シュリトリンド〜グラナダ 3人
休憩
マリア・カラスに捧げる歌劇「カルメン」メドレー
「ジプシーの歌〜ハバネラ〜セギディーリャ」
ジプシー:クラリネット/ピアノ
他:3人
ジュディー・ガーランドに捧げるメドレー
「虹のかなたに〜For Me and My Gal〜トロリーソング」
3人
ガーシュイン/歌劇「ポーギーとベス」よりメドレー
「サマータイム〜そんなことはどうでもいいさ〜ポーギー、私はあなたのもの
サマータイム:ソプラノ/ピアノ
そんなことは〜:クラリネット/ピアノ
ポーギー〜:3人
ディズニー・メドレー
「ビビディ・バビディ・ブー〜ラ・ラ・ルー〜いつか王子様が〜いつか夢で」
1曲目/3曲目:クラリネット/ピアノ
2曲目:ソプラノ/ピアノ
4曲目:3人
アンコール
グッドマン/Memory of You クラリネット/ピアノ
トスティ/アブルッツォのギターの調べ ソプラノ/ピアノ

感想

出演者と会場との関係-究極のクラシックエンターティメント「スーパートリオ」を聴く

 現在活躍中のオペラ歌手の歌は、大抵1回や2回は聴いたことがあるのですが、どういうわけか一度の聴いたことのない歌手もいます。その一人が足立さつきでした。オペラ歌手としては、マスメディアへの露出も多く、比較的名前の知られている方だと思いますが、私には縁がありませんでした。この足立と伴奏ピアニストとして、あるいはテレビ番組の講師として有名な斎藤雅広とクラリネット奏者の赤坂達三とが組んだコンサートの案内をいただきましたので、一寸出かけてみました。このコラボレーションですと一番目立つのはやはり歌唱でしょう。そんなわけで、このコーナーで取り上げます。

 19:00に始まって21:00丁度に終演というコンサートでしたが、最初からトークが沢山入り、正味の演奏時間は半分以下かもしれません。足立を「姫」、赤坂「王子」、斎藤「道化」と言っておりましたが、もちろん「リゴレット」のように深刻にはなりまえん。いわゆるクラシックの堅苦しさを解いた肩肘の張らないコンサートとなりました。3人ともトークをしますが、主に話すのは足立と斎藤。斎藤は昔教育テレビで放映していた「トゥトゥアンサンブル」のキーボーズが地でやっていたのだな、と分かる駄洒落、おやじギャグをどんどん挟み込みながらのトークです。足立の話は、いわゆる、女性のおしゃべりに近いものでした。

 演奏自体は、そう悪いものではありませんでした。

 足立は、リリックな声で美しい響きを持っていますが、いかんせん声量が足りない。アミューたちかわの大ホールがデッドなホールだ、ということも影響しているのでしょうが、声のパワーが希薄で、今ひとつ空虚です。また、ソプラノ歌手を標榜しておりますが、プログラムからも分るようにアリアはほぼメゾソプラノの持ち歌ですし、唯一ハイソプラノの持ち歌である「サマータイム」も移調して歌っていました。本来のソプラノの音域はもう歌えないのかもしれません。その代わり、自分の土俵に引き込んでの歌唱ですから、声の密度以外はなかなか結構でした。ましてやポピュラーソング系は、お茶の子さいさい朝飯前、といった感じで、見せてくれました。でも「ダンツァ」はもっと軽快に歌ってほしい。上行音型がややモタモタして、重い歌になったのはいただけません。

 赤坂達三のクラリネットも結構でした。なかなかソロを取れる楽器ではないのですが、要所要所でソプラノに絡み、魅力的でした。ことに、「ポーギーとベス」メドレーの「ポーギー、私はあなたのもの」では、男声部をクラリネットで演奏してソプラノに絡んだところなど、見事でした。

 斎藤雅広のピアノは、ペダルを多用し、力強さを強調したもの。歌手にもクラリネットにもあまり遠慮せず、ガンガン行っていたのが印象的でした。特にソロの「火祭りの踊り」は、相当にデフォルメした演奏でしたが、演奏のポーズも含めて、「見せるピアノ」をより強調したと思います。

 以上、楽しめた演奏会ですが、3人であの大ホールと舞台はきつい。これは、音との関係というだけではなく、舞台の広さが3人のパフォーマンスのためには広すぎるという点も含めての話です。もっと小さな会場でやったほうが、観客との一体感も含め、より楽しい演奏会になったのではないか、と思います。

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鑑賞日:2006年11月26日

入場料:B席 9000円 2FC列55番

日本芸術文化振興会舞台芸術振興事業

NISSAY OPERA 2006

主催:ニッセイ文化振興財団

オペラ3幕、字幕付日本語上演
ヤナーチェク作曲「利口な女狐の物語」Prihody Lisky Bystrousky)
台本:レオシュ・ヤナーチェク
日本語翻訳・字幕:宮本益光

会場 日生劇場

指 揮 広上 淳一
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱  
合唱指揮 田中 信昭
児童合唱 パピーコーラスクラブ
児童合唱指揮 籾山 真紀子
演 出 高島 勲
ドラマトゥルグ 山崎 太郎
美 術 乗峯 雅寛
照 明 勝柴 次朗
振付・ステージング 伊藤 多恵
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

森番 泉  良平
女狐ビストロウシュカ 中嶋 彰子
雄狐 蔵野 蘭子
校長/蚊 大野 光彦
神父/あなぐま 岩本 貴文
行商人ハラシュタ 折河 宏治
宿屋の主人パーセク 石鍋 多加史
森番の妻/ふくろう 諸田 広美
犬ラパーク 三角 枝里佳
パーセクの女房 村澤 徳子
雄鶏/きつつき 鈴木 純子
とさか雌鳥 宇月 東
伯田 桂子
ペピーク 青木 雪子
フランチーク 和泉 聡子
こおろぎ 市村 真美
かけす 岡崎 峰子
きりぎりす 須藤 由里

感想

広上と中嶋のための舞台-日生劇場「利口な女狐の物語」を聴く

 「利口な女狐の物語」。ヤナーチェクの最高傑作とも言われるオペラですが、なかなか上演に恵まれず、この日生劇場公演は、日本で5本目の演出です。私は初めての実演体験です。ちなみに日生劇場とこの作品の縁は深く、東京初演となった1978年11月28-30日の東京二期会公演は、日生劇場で行われています。本作品が傑作にもかかわらずなかなか上演されない一つの理由には言葉の問題があると思います。チェコ語は、日本人にはあまりに親しみがない。原語上演しようと思っても、日本人ではとても無理なのでしょう。そういえば、2004年12月のイエヌーファの公演も、原語上演ではなくドイツ語上演でした。

 今回言葉の問題を解決するために実施した方法は、日本語歌詞での歌唱です。この日本語訳は、日本語翻訳によるオペラ表現を研究しているバリトン歌手宮本益光によるものでした。宮本の歌詞は、現代風のものでした。一部生硬な所もあったわけですが、聴いていて概ね分るなかなか適当なものでした。勿論歌手によっては、歯切れが今ひとつで、何を言っているのかよく分からず、字幕に頼ってしまうところもありましたが、基本的には良く出来た歌詞だったと思います。

 演出もなかなか素敵です。歌手たちに動物のぬいぐるみやかぶり物を持たせてカラフルな舞台にする、という趣向が結構。この作品自体動物と人間との対立と同化が大きなテーマで、それを視覚的に示そうという趣旨がよく分かります。蛙の舌が、縁日で売られているぴろぴろ笛だった、という遊びも楽しいです。そのほかにも細々とした工夫が凝らされていて、子供の目にも楽しめるものでしょう。ミュージカル的演出、と申し上げれば雰囲気が分るかもしれません。一方で、ヤナーチェクのもくろんだ、輪廻転生の思想を含む東洋的な雰囲気は希薄になっていたように思います。

 しかし、それも一つの切り口なのでしょう。彼の独特の死生観を表そうとすれば、もっと別のやり方もあるのでしょうが、そういった作品の背景を思い切って切り取ったとき、見えてくるのは子供向けミュージカル的オペラだということかも知れません。かなり即物的演出でした。

 しかし、音楽はよかったです。広上淳一/新日フィル、がんばりました。あの狭いオケピットにギチギチにメンバーを入れている様子なのに、音楽は全然窮屈にならない。そこがいい。広上淳一の音楽作りもけれん味たっぷりですが、その大きな身振りと鋭い反応は、音楽の細かな制御につながり、漫然と演奏されることがない。広上の力量をまじまじと感じさせる音楽でした。新日本フィルの反応も良い。木管群の素敵な音とティンパニ/打楽器の鋭い打撃は、音楽をかっちりと引き締めておりました。今回の上演は十分満足できるレベルにあったわけですが、その第一の要因はオケピットの水準が高かったことであると、私は思います。

 歌手陣ではやはり外題役の中嶋彰子が群を抜いて存在感がありました。彼女が演技も上手く、舞台の真ん中にいると、ぐっとひきつけられるものがあります。狐のパペットを持っての演技ですが、狐の動きと歌手の動きとが上手く照応しており、その柔らかな雰囲気が良かったと思います。一方、歌は鋭さと丸さとがバランスして良好。雄狐ズラトフシュピーテクとの愛の二重唱の甘さは結構ですし、行商人であり密猟者でもあるハラシュタに対する鋭い声もよろしかった。中嶋彰子のオーラが出ていたようにも思いました。

 雄狐役の蔵野蘭子は、中嶋ビストロウシュカに当てられたのか、本来の力を出し切れていないように思いました。若干精彩を欠いている。蔵野といえばワーグナーのイメージが強いですが、ヤナーチェクはワーグナーのように演奏できない、ということなのでしょう。

 森番の泉良平も悪くはなかったのですが、わりと平凡な演奏だったと思いました。

 他にがんばっていたのは、ハラシュタを歌った折河宏治でした。第3幕の冒頭から、ビストロウシュカを殺すまでの流れ、よろしかったように思います。

 なお、本来使用されるバレエはカットされておりました。全体には広上の音楽作りと中嶋の歌唱演技が印象深い上演でした。

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鑑賞日:2006年12月1日

入場料:A席 7000円 2FJ列47番

北とぴあ国際音楽祭2006

主催:北区文化振興財団

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ハイドン作曲「月の世界」Il Mondo Della Luna)
原作:カルロ・ゴルドーニ
台本:カルロ・ゴルドーニ?

会場 北とぴあさくらホール

指 揮 寺神戸 亮
管弦楽 レ・ポレアード
演 出 実相寺 昭雄
三浦 安浩
装 置 唐見 博
衣 装 加藤 礼次朗
照 明 牛場 賢二
舞台監督 渡辺 重明

出 演

エックリティコ セルジュ・グビウ
ブオナフェーデ フルヴェオ・ベッティーニ
フラミニア 森 麻季
クラリーチェ 野々下 由香里
リゼッタ 穴澤 ゆう子
エルネスト 弥勒 忠史
チェッコ 水船 桂太郎
学徒・騎士 小酒井 貴朗
学徒・騎士 加藤 直紀
アモーレ 小栗 了

感想

ノンヴィブラートの美-北とぴあ国際音楽祭「月の世界」を聴く

 オペラ作曲家としてのハイドンは私にはとても縁の薄い方で、録音を含めて今まで聴いたことがあるのは、2003年に新国立劇場小劇場オペラとして上演された「無人島」だけです。これは、勿論ハイドン作品がなかなか上演されない、というのが背景にあり、録音もあまり多くはない、ということがあるかと思います。「月の世界」に関しても、アンタル・ドラティが1977年に録音したものが残されている(これも廃盤)だけでしょう。これは、ハイドンといえば『交響曲の父』というイメージが強く、歴史的にオペラには注目されなかった、ということがあるかと思います。現実にはハイドンはエステルハージ侯爵家の楽長となり、この宮廷のために12作のオペラを作曲していますが、エステルハージ侯爵家のために作曲した、ということが彼のオペラの普及の妨げになっているようです。ハイドンの交響曲の多くがエステルハージ侯爵家のために作曲されているのは有名ですが、その104曲ある交響曲にしても、現在普通に耳に出来るのは、エステルハージ侯爵の元を離れてから作曲されたいわゆるロンドンセットが中心であることを考えると、ハイドンの場合、広く大衆向けに書いた作品のほうが、後世にのこった、ということはあるのかもしれません。

 「月の世界」もエステルハージ候の夏の離宮であったエステルハーザのオペラ劇場のために作曲された作品で、中身はドタバタ喜劇ですが、そのドタバタの味わいが音楽的魅力とマッチしていないのではないか、という気がしました。私の趣味から言えば、レシタティーヴォが多すぎる感じもいたしました。勿論、これは今回の演奏上の問題も関係するのかもしれません。

 古楽器を用いた古楽奏法に則った演奏で、スケールが小さい。こじんまりとした演奏という印象です。オーケストラも歌手もノンヴィビラート奏法で、音色がクリアでよいのですが、音量が乏しい感じが否めません。というよりも、会場が広すぎる感じがいたしました。演出が11月29日に亡くなった実相寺昭雄で、基本的な演出プランは彼のもののようです。衣装や美術プランが、先日の二期会「魔笛」の際に採用した漫画家の加藤礼次朗で、漫画的なポップな感覚もある舞台です。舞台の中心にせり上がりのある家を配置し、1階がブオナフェーデの家、2階がエックリティコの家、3階がエックリティコの庭(月の世界)を示すお約束で、それぞれの場面に合わせて上下します。しかし、舞台構造上の都合なのか、この家が小さくて窮屈な感じで作られており、そのような視覚的な面もこじんまり感を感じた一因なのかも知れません。今回の演奏・演出だと、席数が700-800の会場で聴ければもっと楽しめた様に思います。

 オペラはある程度音量がないと、プリミティブな感動を持てないので、満足したとは申し上げられないのですが、演奏それ自身はそれほど悪いものではなかった様に思います。ただし、音楽が全般に重い感じがいたしました。演出的にもポップですし、内容もドタバタなのですから、もっと軽い演奏の方が良かったのではないかと思います。

 その意味でまず問題にしなければならないのは、ブオナフェーデを歌ったベッティーニでしょう。安定した歌唱で上手な方だと思いました。二幕のフィナーレなどでは存在感があって結構でした。でも、ブッフォとしても面白さにかけるのです。第1幕で、ブオナフェーデはいんちき天文学者のエックリティコにだまされるのですが、そのだまされているときの歌が盛り上がらない。ブッフォが要の作品で、ブッフォががんばってくれないとどうしても盛り上がりにかけるのですね。若い人のようで、なかなかベテランのようには行かないのでしょうが、もう少し面白い方が歌えばよかったのに、と思いました。

 エックリティコ役のグビウも今ひとつの感じです。ペテンをかける側で、一寸くせのあるテノールが演じれば魅力的だと思うのですが、グビウの声は、もっと軽めです。ですから、アリアによっては高音が良く伸びて魅力的に聴こえるのですが、性格を前に出すべき歌になると精彩を欠きます。

 水船桂太郎のチェッコもあまり魅力的ではありませんでした。これは、恐らく彼が古楽奏法に慣れていないことに関係するのだろうと思います。ヴィブラートを使用せずにきっちり歌い、それが魅力的に聴こえるということは、結構難しい事なのだろうな、と思いました。

 女声陣では森麻季・フラミニアが魅力的。音程・歌唱技術とも非常にしっかりしており、細かいところまで行き届いた歌唱、流石の実力者だと思いました。彼女もノンヴィブラートで歌っておりましたが、弥勒や野々下といった古楽を専門に演奏している方とは一寸雰囲気が違いました。また、音量も小さく、折角の素晴らしい歌唱の魅力を半減していたのではないかと思いました。

 技術的にも音楽的にもバランスが取れていたのは野々下由香里でしょう。つぼに嵌ったときの迫力を感じさせるような歌唱をされる方ではないのですが、きれいで丁寧な歌唱が印象的でした。特に第3幕のクラリーチェとエックリティコの二重唱が結構で、感心いたしました。

 穴澤ゆう子のリゼッタは第1幕が今ひとつで、第2幕はがんばった印象です。弥勒忠史のカウンターテノールも面白く聴きました。ズボン役もいいけど、カウンターテノールも悪くありません。

 総じて美しく(古楽奏法はいいですね)、よく出来た上演だと思うのですが、ブッフォの味わいの乏しさと、全体的な音量の少なさが一寸残念でした。

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鑑賞日:2006126
入場料:C席 5670円 4F1列29番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ベートーヴェン作曲「フィデリオ」Fidelio)
台本:ヨーゼフ・フォン・ゾンライトナー/シュテファン・フォン・ブロイニング/ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 コルネリウス・マイスター
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 三澤洋史
合唱 新国立劇場合唱団
演出・美術 マルコ・アルトゥーロ・マレッリ
再演演出 菅尾 友
衣 裳 ダグマー・ニーファイント=マレッリ
照 明 磯野 睦
舞台監督 大仁田雅彦

出 演

ドン・フェルナンド 大島幾雄
ドン・ピツァロ ハルムート・ヴェルカー
フロレスタン ステファン・グールド
レオノーレ エヴァ・ヨハンソン
ロッコ 長谷川 顯
マルツェリーネ 中村 恵理
ヤキーノ 樋口 達哉
囚人1 水口 聡
囚人2 大澤 建

感 想

プレミエよりはましだったけれど-新国立劇場「フィデリオ」を聴く

 新国立劇場のオペラは総じてプレミエよりも再演が良くなることが多く、今回のフィデリオもその例外ではなかった様に思います。とは言うものの、魅力的な公演だったか、と言えば一寸苦しい。

 まず指揮者がいけない。このマイスターという指揮者。名前はマイスターですが、全然親方ではありません。ベートーヴェンを演奏するということに対し、ほとんど見識がないと申し上げたら言いすぎでしょうか。プレミエのときのボーダーは妙に重たい音楽で癖癖とさせられましたが、今回のマイスターは何も考えずに手だけ動かしている様に思いました。とにかく音楽を統率しようとする意志が感じられないのです。作品自体がさほど魅力のある音楽ではないのですから、指揮者がしっかりと振っていただかなければどうにもならないと思うのですが、とても「親方」と呼べるようなレベルではありません。

 おかげでオーケストラも結構ボロボロでした。特に管楽器がばらついて細かいミスが目立ち、音楽の推進力があまり感じられない演奏で、私には納得行きませんでした。これは恐らくピットのメンバーが指揮者のやり方に納得していないのではないか、と思います。合唱のとき、合唱団は指揮者を見ているのではなく、3階の照明室でペンライトを振っている三澤さんを見ながら歌っていたようですが、これではオーケストラと舞台とがずれるのは仕方がありません。

 音楽の基本ベースが厳しいにもかかわらず、まあ何とか聴けたのは、舞台上の歌手たちががんばっていたためであると思います。まず良かったのは、ロッコの長谷川顯でした。長谷川は全体に丁寧でかつ安定した歌いっぷりでした。第1幕4曲目のアリアがよく、ヴェルカーとの二重唱でもヴェルカーよりも魅力的な歌唱をしました。後半も、脇役ながら存在感のある歌唱で結構でした。

 ヴェルカーの歌は、長谷川と比べると安定感に乏しい感じがしましたが、悪いものではありませんでした。とはいえ、悪役としてのオーラや存在感を感じさせる歌唱というわけでもなく、一寸中途半端な感じがいたしました。

 エヴァ・ヨハンソンのレオノーレはよいものでしたが、ヨハンソンの実力から言えば不本意と申し上げるべきかも知れません。声量はありますし、音程もそれなりにしっかりしていると思うのですが、結構歌に雑な部分があります。歌唱が一貫していないと申し上げればよろしいのでしょうか。とはいえ、第二幕は非常に存在感のある演技/歌唱で、満足いたしました。フィナーレのフロレスタンとの愛の二重唱は、流石の実力だと思いました。

 また、グールドのフロレスタンもよい。一寸押し付けがましく感じられるところもあるのですが、基本的に張りのある輝かしい声で、聴き応えがあります。第一幕と比較して第二幕がましだったのは、ヨハンソンとグールドの功績であると思います。

 そのほか樋口ヤキーノ、中村マルツェリーネもそれぞれの持ち味を生かした歌でまあまあだったと思います。また合唱がよく、二つの「囚人たちの合唱」、ともに楽しむことが出来ました。

 音楽の基本的な線が見事にずれていたにもかかわらず、それなりに満足できたのは、歌手たちのバランスが上手く取れていた、という事なのでしょう。オペラは奥が深いと思いました。

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鑑賞日:2006年12月7日
入場料:C席 5670円 4F1列36番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」(Il Barbiere di Siviglia)
台本:チェーザレ・ステルビーニ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 ミケーレ・カルッリ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤洋史
     
演 出 ヨーゼフ・E. ケップリンガー
再演演出 田尾下 哲
美術・衣装 ハイドルン・シュメルツァー
照 明 八木 麻紀
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 ローレンス・ブラウンリー
ロジーナ ダニエラ・バルチェッローナ
バルトロ マウリツィオ・ムラーロ
フィガロ ラッセル・ブラウン
ドン・バジリオ 妻屋 秀和
ベルタ 与田 朝子
フィオレッロ 星野 淳
隊長 木幡 雅志
アンブロージオ 古川 和彦

感 想

レパートリーシステムへの挑戦-新国立劇場「セヴィリアの理髪師」を聴く

 新国立劇場が今後発展していくためには、レパートリーシステムの確立が求められているわけですが、12月は、その試行として、「フィデリオ」と「セヴィリアの理髪師」との交互上演が行われました。私も2日連続で聴きに出かけたのですが、裏方はいろいろあって大変なのでしょうが、観客としてみる限り大きな問題はなかったように思います。また、再演ものということもあり、舞台の上の動きは、プレミエ時よりもスムーズになっていたように思います。

 考えてみれば、ベルタ、フィオレッロ、隊長、アンブロージオがプレミエのメンバーですし、合唱や黙役、子役も昨年出演していた方が多いのですから全体の動きがスムーズになるのは当然ですが、そういうことにより舞台のブラッシュアップが図られることは再演のメリットと申し上げてよいのでしょう。プレミエの感想で申し上げたように演出過剰で、ロッシーニの音楽に集中しにくいきらいはあり、私が気に入った演出ではないのですが、昨年よりましになったことは間違いありません。

 しかし、音楽は今ひとつです。指揮者が大ブーイングを浴びていましたが、仕方がないかもしれません。私は、前日のフィデリオを振ったマイスターよりはずっとましだと思っておりますが。カルッリの醸し出す音楽は、いかにもイタリア風の軽快な音楽で、アバドもどきとでも言ったらよいのでしょうか、「セヴィリア」を軽快に演奏しようとする意図はよく分かります。しかしながら、統率力不足と申しましょうか、彼のやりたい音楽と現実に演奏されている音楽にギャップがあるというのか、端的に申し上げれば力がない、前日も思いましたが、指揮者にオーラがないというのはつらいことです。

 さて歌ですが、プレミエ時はアンサンブルが良かった、と私は書いたのですが、今回は個々の歌手の個性が強く、アリアや重唱は面白いのですが、多人数のアンサンブルになると今ひとつの感じでした。

 まずは目玉のバルチェッローナ。流石です。見た目がロジーナか、という点には「?」が付きますが、歌は文句なし。役柄に即したというよりは、バルッチェローナを前面に出した印象です。深みと艶のある魅力的な声で技術的にも十分なものでした。「今の歌声は」は、彼女流にデフォルメしていますが、それでも十分納得行く歌唱。これだけでも、今回出かけた価値有です。1幕のフィガロとの二重唱、二幕のアリア「無益な用心」も結構。世界的な旬の歌手を聴くのは楽しいことだと素直に思いました。

 ブラウンリーの伯爵は今ひとつです。確かに声は出ていますが、美声とはいえないし、ロッシーニテノールとしては十分に軽いとは言えない。登場のアリア「夜明けの空」が一寸不安定でした。その後は小さな身体に熱気をこめてストレートに進みました。ただし二幕の超絶技巧アリアはパス。バルチェッローナと並ぶと、「蚤の夫婦」といった感がありますが(ラブシーンは、全て踏み台使用)、そこが見た目には面白く楽しませていただきました。

 フィガロのブラウンも十分満足できるレベル。登場のアリア「何でも屋」はもっとスマートでも良かったのかな、と思いましたが、全体としてはスマートな歌い手という印象。ブラウンリーがどちらかといえば、突貫小僧のようなタイプなので、二人の凸凹コンビが作品の楽しさを引き立てる部分がありました。

 バルトロ役のムラーロも悪くはありません。「世間の人から博士と呼ばれ」も二幕の「いとしのロジーナ」の魅力あります。ただ、この方ブッフォ的役柄に拘りすぎているのか、アンサンブルになるとどうにもいただけない。自己主張が強すぎて、アンサンブルを壊す方向にまわっていました。

 バジリオ役妻屋秀和も何となくおかしみがあってよし。「陰口」のアリアもよかったと思います。

 そんなわけで、今回は歌手の個性が前に出た「セヴィリア」だったと思います。歌を聴くという点では十分に楽しめた公演でした。

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