オペラに行って参りました−2003年(その2)−

目次

2003年 5月 2日 ニコライ   「ウィンザーの陽気な女房たち」
2003年 5月16日 ガッツァニーガ「ドン・ジョヴァンニ」
2003年 5月23日 ヴェルディ  「ファルスタッフ」
2003年 5月31日 パイオニア・ミューズ・コンサート2003
2003年 6月11日 プレヴィン  「欲望という名の電車」
2003年 6月12日 ヴェルディ  「オテロ」
2003年 6月14日 R・シュトラウス「エレクトラ」
2003年 7月20日 R・シュトラウス「ばらの騎士」
2003年 8月 1日 ベッリーニ  「ノルマ」
2003年 8月17日 サリヴァン  「ユートピア国株式会社」
2003年 8月30日 パイジェルロ 「セヴィリアの理髪師」 

オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2003年5月2日
入場料:2500円、1FN24番

主催:武蔵野音楽大学
武蔵野音楽大学オペラ公演

オペラ3幕、訳詞(日本語)上演
ニコライ作曲「ウィンザーの陽気な女房たち」(Die Lustigen Weiber von Windsor)
台本:サーロモン・ヘルマン・ヴォン・モーゼンタール
原作:シェイクスピア
訳詞:中山悌一

会場 武蔵野音楽大学ベートーヴェンホール

指 揮:ヨゼフ・ツィルヒ  管弦楽:武蔵野音楽大学管弦楽団
合 唱:武蔵野音楽大学オペラコース合唱団  合唱指揮:松井徹
助 演:武蔵野音楽大学学生/武蔵野音楽大学附属江古田音楽教室生徒
演 出:ヨハン=ゲオルク・シャールシュミット   美 術:和田 平介
照 明:奥畑 康夫  衣 装:渡辺 園子
舞台監督:大澤 裕

出 演

ジョン・ファルスタッフ卿(でぶの放蕩者) 志村 文彦
フルート氏(ウィンザーの市民) 金  努
ライヒ氏(フルート氏の隣人) 郷田 明倫
フェントン(アンナを愛する貧乏な青年) 樋口 達哉
シュペアリッヒ(金持ちの息子) 奥山 晋也
カーユス博士(医者) 月野 進
フルート夫人(フルート氏の妻) 夏梅 智世
ライヒ夫人(ライヒ氏の妻) 但馬 由香
アンナ・ライヒ(ライヒ氏の娘) 加藤 茜
ガーター亭の亭主(台詞役) 大野 隆

感想

 シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作としたオペラは数作あり、日本でも4作品の上演経験があります。ニコライのこの作品は、その中でもヴェルディに次いで有名で、上演回数も多いのですが、舞台を見るのは私にとって最初の経験です。音楽大学が取り上げることが多い作品の様で、昨年は東京芸術大学が、95年にはお茶の水女子大学が、94年には武蔵野音楽大学が取り上げており、今回私が聴いたのも、武蔵野音楽大学の公演です。

 出演者の九割が若手で、大学院学生も多い、という条件にも関わらず、全体として見れば、まあまあの上演だったと思います。これは、恐らく指揮者のツィルヒが、音楽的なコントロールを上手くやって、全体として整理したということなのだと思います。はじめて聴く人ですが、ドイツ音楽に経験豊富なベテランのようで、「ウィンザー」の聴かせ方も十分に知悉しているという感じで受け取りました。オーケストラは、音色はまあまあで、コンサート・ミストレス・中川香さんのヴァイオリン・ソロはよかったと思います。一方管楽器は事故多発状態でしたが、大事故はなくかすり傷で済んでいたというところでしょう。オケピットが狭くて、演奏者が大変な感じがしましたが、ホールが狭いので、仕方がないところでしょうか。

 演出はオーソドックス。最初舞台を見たとき、学芸会の書割みたいで随分安っぽいな、と思いましたが、舞台の広さ等を考えると仕方がない部分が多いでしょう。しかし、具体的で判り易く、特に不満はありません。

 志村文彦のファルスタッフ。要するにプロの歌でした。ベートーヴェン・ホール程度の広さのホールだと、志村の声だと余ってしまう。余裕の歌でした。ニ幕一場ののみ比べから自慢話の場面は、完全に出演者とはレベルの違う歌でした。ただ演技は、彼は、二期会のヴェルディ「ファルスタッフ」では、ピストラを持ち役としているせいか、それともニコライの書き方がそうなのかよくわかりませんが、ファルスタッフというキャラクターが本来持つずれたおかしみより、単純な助平爺としてのおかしみが前面に出ていたのが一寸違和感を感じました。

 フルート氏を歌った金は、課題の多い歌でした。その中で第2幕のファルスタッフとの二重唱は頑張っていたと思います。郷田のライヒ氏も特段難しい歌がある訳ではないので、問題はないのですが、全体の雰囲気が学生で、結婚を控えた娘がいるようには聞こえない所が残念でした。

 フェントンを歌った樋口は、最近売り出し中の新進テノール。私は初めて聴きました。抜群の声量ですし、醸し出す雰囲気がいかにもセクシーでテノールらしくていいのですが、いかんせんバランスが悪い。例えば、恋人役のアンナが声量のないソプラノなのですが、二重唱で相手の声に構わず、自分のペースで歌うので、とても押しつけがましくきこえます。最初から最後まで一貫として堂々と歌い、他人を圧倒する歌いっぷりは、最後には恋の勝利者になるにしても、あまりにも単調で考えがない。また、声質が一寸ハスキーで、そこにも違和感を覚えました。

 フォード夫人の夏梅は、本来持っている声はあまり良いものではないのですが、はつらつとした歌いっぷりに好感を持ちました。技術もフォード夫人を歌う分には十分しっかりしていたと思います。声量もこのホールでは十分でした。1幕1場のライヒ夫人との二重唱はあまり感心できなかったのですが、1幕2場の「さあ急いで、冗談よ、いたづらよ」のアリアは、しっかりした技巧でなかなか良いものでした。ライヒ夫人の但馬はアンサンブルでの参加で特徴がよく掴めなかったのですが、今一つの部分が多かった印象です。

 アンナ役の加藤は、技巧はしっかりしていて声も良いのですが、声量が全く足りなく、ベートーヴェン・ホールですら物足りない印象でした。樋口とのデュエットでは、完全に樋口に押さえられて、アンナの持つはつらつとした若さが見えてこない。残念でした。

 中山悌一の日本語訳による舞台でしたが、歌唱部分で日本語が不明瞭なのが全員共通した不満。音楽自体がドイツ語が乗るように書かれていて日本語用ではないのですから、台詞のみ日本語、音楽は原語、といったやり方も考えていただいた方がよかったのではないかと思いました。

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鑑賞日:2003年5月16日
入場料:3780円、1F D2-18番

主催:新国立劇場
小劇場オペラ#10

オペラ1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ガッツァニーガ作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:ジョヴァンニ・ベルターティ

会場 新国立劇場・小劇場

指 揮:松岡 究  管弦楽:新国立小劇場オペラアンサンブル
合 唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤 洋史
演 出:今井 伸昭  装 置:鈴木 俊朗
照 明:古川 靖  衣 装:小野寺 佐恵
舞台監督:村田 健輔

出 演

ドン・ジョヴァンニ 上原 正敏
ドンナ・エルヴィーラ 井上 ゆかり
ドンナ・アンナ/ヒメーナ 安井 陽子
マトゥリーナ 國光 智子
パスクァリエッロ 志村 文彦
オッターヴィオ公爵 塚田 裕之
騎士長 米谷 毅彦
ビアージョ 境 信博
ランテルナ 飛鳥井 亮

感想

 「ドン・ジョヴァンニ」といえば、モーツァルトの三大オペラのひとつ。この成立については、次のように言われているそうです。即ち、『「フィガロの結婚」がプラハで大評判をとったことから、彼は当地の音楽家に招待されて1787年プラハを訪れ、熱狂的な歓迎を受けます。そして、プラハの劇場支配人ボンディーニは、次シーズンのプラハのオペラをモーツァルトに依頼します。ウィーンに戻ったモーツァルトは、「フィガロ」の台本作者ダ・ポンテと再度コンビを組み、ダ・ポンテは、同年2月にヴェネツィアで初演されたばかりのガッツァニーガ作曲の「ドン・ジョヴァンニ、または石の客」の台本(ベルターティ)を下敷きにしながら新しい「ドン・ジョヴァンニ」の台本を書いた。作曲は1787年の春から秋にかけて行われ、同年10月29日、プラハで初演された』

 即ち、ガッツァニーガの作品はモーツァルトの傑作の下敷きとなった作品で、音楽史的には意味があるのでしょうが、実際は忘れ去られた作品のようで、音楽の友社「オペラ辞典」には、ガッツァニーガもドン・ジョヴァンニのどちらも記載がありません。今回の上演が日本初演にあたるようです。小劇場オペラも珍しいオペラを上演して10回になるのですが、10回目が日本では全く知られていなかったこのような作品を取り上げたことは、とても意義深いことのように思います。

 作品は、モーツァルトの下敷きとされたということもあって、構成がよく似ています。両作品の関係を表にまとめてみます(パンフレットに載っていたものを一部修正)と、

台本 ジョヴァンニ・ベルターティ ロレンツォ・ダ・ポンテ
作曲 ジュゼッペ・ガッツァニーガ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
初演時期 1787年2月5日 1787年10月29日
初演場所 ヴェネツィア、サン・モイゼ歌劇場 プラハ、ノスティツ伯国立劇場
上演時間 全一幕、約1時間50分 全ニ幕、約3時間
作品の舞台 イタリア・ヴェネツィア周辺 スペイン
登場人物と声部 ドン・ジョヴァンニ(テノール) ドン・ジョヴァンニ(バリトン/バス)
騎士長(バリトン/バス) 騎士長(バス)
ドンナ・アンナ(ソプラノ) ドンナ・アンナ(ソプラノ)
オッターヴィオ公爵(テノール) ドン・オッターヴィオ(テノール)
ドンナ・エルヴィーラ(ソプラノ) ドンナ・エルヴィーラ(ソプラノ)
ドンナ・ヒメーナ(ソプラノ) -
マトゥリーナ(ソプラノ) ツェルリーナ(ソプラノ)
ビアージェ(バリトン) マゼット(バス)
パスクァリエッロ(バリトン) レポレッロ(バリトン/バス)
ランテルナ(テノール) -

 曲の構成も大体次のようで似ています。下表で分かるように前半が特によく似ています。(ただし、ガッツァニーガの方は、耳で聴いたものを記憶に頼って書いておりますので、正確ではないです)。

モーツァルト ガッツァニーガ
序曲 前奏曲(字幕による)
導入曲(レポレッロ、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドン・ジョヴァンニ、騎士長) 導入曲(バスクァリエッロ、ドンナ・アンナ、オッターヴィオ公爵、ドン・ジョヴァンニ、騎士長)
第2曲 アンナとオッターヴィオの二重唱 導入曲に含まれる。
第3曲 ドンナ・エルヴィラのアリア ドンナ・エルヴィラのアリア
第4曲 レポレッロのアリア「カタログの歌」 バスクリエッロのアリア「カタログの歌」
  ドンナ・ヒメーナとドン・ジョヴァンニの二重唱
第5曲 マゼットとツェルリーナの二重唱と婚礼を祝う合唱 ビアージェとマトゥリーナの二重唱と合唱。タランテラの踊り
第6曲 ドン・ジョヴァンニ押しのけられたマゼットの怒りのアリア ドン・ジョヴァンニ押しのけられたビアージェの怒りのアリア
第7曲 ドン・ジョヴァンニとツェルリーナとの誘惑の二重唱 マトゥリーナの誘惑のシーン。レシタティーヴォで歌われる。
第8曲 ドンナ・エルヴィラのアリア  
第9曲 ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオ、ドンジョヴァンニの四重唱 マトゥーリナとドンナ・エルヴィラの恋の鞘当ての二重唱
第10曲 ドンナ・アンナの復讐のアリア なし
第11曲 ドン・ジョヴァンニのアリア「シャンパンの歌」 なし
第12曲 ツェルリーナのアリア「ぶってよマゼット」 なし
第13曲 第1幕のフィナーレ。ドン・ジョヴァンニの舞踏会 なし
第14曲 ドン・ジョヴァンニ、レポレッロの二重唱 バスクリエッロがドン・ジョヴァンニから離れようとするレシタティーヴォ
  ドンナ・ヒメーナとバスクァリエッロとの二重唱、ドン・ジョヴァンニの参加で三重唱
第15曲 ドンナ・エルヴィラ、ドン・ジョヴァンニ、レポレッロの三重唱 なし
第16曲 ドン・ジョヴァンニのアリア「セレナード」 なし
第17曲 ドン・ジョヴァンニのアリア なし
第18曲 ツェルリーナのアリア「薬屋の歌」 なし
第19曲 六重唱(レポレッロ、ドンナ・エルヴィラ、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ツェルリーナ、マゼット) なし
第20曲 レポレッロのアリア なし
第21曲 ドン・オッターヴィオのアリア なし
第22曲 ドン・ジョヴァンニとレポレッロの二重唱。騎士長の石像を招待する 騎士長の墓の前で復讐を誓うオッターヴィオ公爵と、そのあと、石像を招待する、ドン・ジョヴァンニ、怖がるバスクァリエッロ
第23曲 ドンナ・アンナのアリア なし
第24曲 フィナーレ。ドン・ジョヴァンニ邸での晩餐。エルヴィーラによるドン・ジョヴァンニの改心を迫るアリア。石像の登場と地獄落ち。他の出演者の「悪魔の末路はこのとおり」 ドン・ジョヴァンニ邸に現われるエルヴィラ。エルヴィラの改心を迫る歌に、ジョヴァンニは拒否。ランテルナが給仕で、ドン・ジョヴァンニとバスクァリエッロとの晩餐。石像の登場と地獄落ち。六重唱(バスクァリエッロ、エルヴィラ、ヒメーナ、オッターヴィオ公爵、マトゥリーナ、ランテルナ)

 この比較表をみると分かるように、ダ・ポンテのやり方は盗作とは言えないまでも明かに剽窃です。とても現在は、このような作品は発表出来ないに違いありません。われわれは、モーツァルトの傑作が18世紀に書かれたことを幸せに思わなくてはなりません。

 しかし、台本の出来と言う点では、ダ・ポンテの方が上のようです。プロトタイプを書き直しているのですから当然なのですが、ベルターティの台本は素朴ですし、ストーリーに矛盾があります。音楽的に見ても、モーツァルトがいかに傑作を書いたか、ということがよく分ります。ガッツァニーガの方は、音楽的にも類型的です。主人公のドン・ジョヴァンニをテノールに設定しながらアリアを与えないなどのドラマとしての盛上げ方にも疑問が残ります。また、ドン・ジョヴァンニをテノール役に設定したため、単なる助平男になってしまい、モーツァルトの描いたドン・ジョヴァンニのようなドラマティックな真実が感じられなかったのも残念です。ドンナ・アンナも最初に出てくるだけで、あとは一切登場しないのも腑に落ちません。「カタログの歌」は、ガッツァニーガの方も素朴で楽しめる音楽でしたが、「ドイツやフランスでは100人以上、スペインやイタリアでは数えきれない」と歌うよりも、「イタリアでは640人、ドイツでは231人・・・」と具体的な数を上げていったほうがリアルです。そういう点からも後出しの強みを感じました。

 歌としての面白みは、マトゥーリナとドンナ・エルヴィラの二重唱。「つくね女に煮干娘」(正しく訳すとどうなるかは知りませんが、字幕はこうなっておりました)とやりあう姿は、男を取り合う女の姿の面白みを感じました。また、フィナーレの六重唱は、バスクリエッロとマトゥリーナ、ドンナ・エルヴィラとオッターヴィオ公爵、ヒメーナとランテルナという組み合わせで、いかにも三組のカップルという風に歌われるのですが、この内容の矛盾はともかく、歌としては楽しいものでした。

 今回のオーケストラは東フィルを中心としたメンバーのようですが、あまりよい演奏とは思えませんでした。松岡究は、音楽に対する彼のスタンスを決めかねているようにきこえました。

 歌い手でよかったのは、男声では志村文彦(パスクァリエッロ)と境信博(ビアージョ)。女声では井上ゆかり(ドンナ・エルヴィラ)と國光智子マトゥーリナ)でした。志村は、バッソ・ブッフォ的演技で小心だけれどもずる賢いパスクァリエッロを役柄を大袈裟な演技で表現しており秀逸でした。ドン・ジョバンニから禿頭を叩かれるのですが、そのときの表情も良かった。歌も良かったと思います。境の怒りのアリアは実に聴きものでした。今回のナンバーワンかもしれません。井上と國光は、似たような声質の持ち主で、どちらもふくよかで艶のある声が素敵でした。 

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鑑賞日:2003年5月23日
入場料:4500円、B席 3F7列25番

主催:群馬交響楽団
群響定期第400回記念 東京公演

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演、演奏会形式
ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アリーゴ・ボーイト
原作:シェイクスピア

会場 墨田トリフォニーホール

指 揮:高関 健  管弦楽:群馬交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:大島 義彰

出 演

ファルスタッフ 福島 明也
フォード 大島 幾雄
フェントン 福井 敬
医師カイウス 小貫 岩夫
バルドルフォ 経種 廉彦
ピストラ 志村 文彦
アリーチェ 三縄みどり
ナンネッタ 澤畑 恵美
クイックリー夫人 竹本 節子
ページ夫人メグ 栗林 朋子

感想

 私が東京近郊に住むようになって今年で16年目ですが、本日初めて錦糸町駅に降り立ちました。そういう訳で墨田トリフォニーホールも初めての経験です。間口が狭くて奥行きが広いホールで、3階席は特に奥が広い。私が坐った席は、結構舞台までの距離のある席でした。東京の西側を中心に生活していると、隅田川の向こう側に行くことは滅多になく、群響の東京公演で「ファルスタッフ」を取り上げていなかったら、錦糸町もトリフォニーホールも縁がなかったに違いありません。

 群響の演奏は、技術的洗練という意味では、私が普段聴いているN響と比較になるようなレベルではなく、東フィルの二軍とどっこいどっこいか少しマシ、といったレベルでしょう。弦の音の透明さも今一つでしたし、管の音も危いところが結構ありました。でも音楽に向き合う態度は真剣で、紡ぎ出される音楽は、熱気と熱意に溢れていて、私は大いに満足しました。これは指揮者の高関の切れ味の良い指揮と、今回の東京公演を成功させようと思っている楽団員の熱意のベクトルとが上手く一致していた、ということが相乗効果となったということだろうと思います。

 歌手陣は皆二期会のメンバーです。二期会では、ファルスタッフを2001年の夏の本公演で取り上げていますが、そのときのバルドルフォとピストラが今回と同様経種と志村であったことから、あのときの演奏をどうしても思い出してしまうのですが、音楽的充実度は今回のほうが遥かに上です。歌手の質がずっと高く、また指揮者の音楽のコントロールの仕方も、2001年夏のモランディよりも今回の高関の方が、作品の音楽的特徴を明示していたという点で優れていたと思います。

 歌手は総じて男声陣が優れていました。タイトル役の福島明也がよかったです。福島は時々妙な癖のある歌いかたをして、違和感を持つことがあるのですが、今回は、助平で大酒のみの不埒者、ファルスタッフを、彼自身本来のブリリアントな声で、素直に表現しておりました。ファルスタッフの造形の方向として、助平で大酒のみというキャラクターを誇張して描くというやり方があると思うのですが、私は、今回の福島の行き方、即ち誇張の無い表現で、音楽の流れを重視する行き方の方が、ヴェルディの音楽に向いていると思います。

 大島幾雄のフォードも良かったです。特に第2幕第1場のモノローグは、劇的な表現に秀でていて感心いたしました。福井敬のフェントンは勿論良かった。いつも同じことばかり書いて恐縮ですが、現在最も脂の乗っているテノールを聴く楽しみを味わえました。

 バルドルフォとピストラも良かったです。バルドルフォを歌った経種廉彦を最近よく聴くのですが、彼は主役のテノール役を歌う時よりも、昨年夏のマイスタージンガーにおけるダーフィットやこのバルドルフォのように、バイ-プレーヤー的役柄で彼の良さが光るようです。今回もピストラやファルスタッフとのやりとりの中に、良いものがありました。ピストラ役の志村文彦を期せずして5月に3回聴くことになりました。そのうち1回は、彼が主役を歌ったニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」でした。ニコライの作品で志村はファルスタッフをブッフォ的に描いてみせました。この行き方はニコライでは良いのでしょうが、ヴェルディ向きではないようです。それで、彼はこちらではピストラです。ピストラがこちらでは一番喜劇的誇張の多い役どころですので、まさに志村のキャラクターにぴったりとなるのでしょう。

 女声陣は男性陣と比較すると今ひとつです。特に三縄みどりと栗林朋子は、オーケストラの強奏に声が負けており、何を歌っているのかわからないことが幾度かありました。三縄はかつての美声が健在で、技術的にもしっかりしているのですが、声が飛んでこないこと、著しい。そのため、福島ファルスタッフと遣り合うときなど、役柄では勝っている筈のアリーチェが、ファルスタッフの迫力に負けている感じがいたしました。

 クイックリー夫人の竹本節子は、声の飛びかたが三縄・栗林ほどではないにせよ、やはり一寸おとなし目の印象でした。しかし、クイックリー夫人という喜劇的役柄の造形はしっかりしていて、ファルスタッフを小ばかにしたような慇懃な態度などで見せてくれました。

 女声の中で最も光っていたのは、澤畑恵美のナンネッタでした。硬質の美声でそれがよく飛びます。福井敬とのデュエットも、美声と美声とがぶつかって非常に素敵な演奏になっていました。

 演奏会形式ということで、ステージの上にオーケストラが乗り、その後に更に段をつくって、歌手はその上で歌いました。歌手の位置は客席から遠くなります。そのうえ、トリフォニーホールは奥行きのあるホールなので、3階の後で聴いていた人にとっては、声が届きにくかったのではないか、という気がいたします。歌手とオーケストラの位置をもう少し変えてやれば、更に良くきこえたのではないかと思います。そこが残念なところです。しかし、難点はあるものの、一昨年の二期会本公演「ファルスタッフ」よりはるかによい演奏でした。このメンバーでの舞台公演を是非見てみたいと思います。

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鑑賞日:2003年5月31日
入場料:2000円、B席 1F7列14番

主催:パイオニア合唱団

パイオニア・ミューズ・コンサート2003

−イタリアオペラの夕べ−

会場 文京シビック大ホール

指 揮:佐藤 宏  管弦楽:パイオニア交響楽団
合 唱:パイオニア合唱団/JPTA男声合唱団  合唱指揮:國土潤一
ソプラノ 高橋薫子・小林厚子
テノール 中鉢 聡
バリトン 牧野正人 

プログラム

第一部
ドニゼッティ「愛の妙薬」第1幕より抜粋
 アディーナ:高橋薫子
 ネモリーノ:中鉢 聡
 ベルコーレ:牧野正人
 ジャンネッタ:小林厚子

第二部(アリアと合唱の名曲集)
 ヴェルディ「ナブッコ」より「序曲」と開幕の合唱「祭りの晴れ着が」
 プッチーニ「トスカ」より「星は光りぬ」(中鉢聡)
 ヴェルディ「椿姫」より「プロヴァンスの海と陸」(牧野正人)
 ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」より「あたりは沈黙に閉ざされ〜このうえない情熱に心奪われたとき」(高橋薫子)
 ヴェルディ「アイーダ」より凱旋の合唱「エジプトとイリスの神に栄光あれ」

アンコール
 ヴェルディ「ナブッコ」より「行けわが思いよ、金色の翼にのって」

感想

 台風崩れの低気圧による激しい雨が降っていたので、出かけるかどうか最後まで迷いましたが、現在日本のオペラ界を代表する3人が登場するとなると、やはり聴きたいです。そして行って良かった。高橋、中鉢、牧野という現在日本で明かにトップクラスのソプラノ、テノール、バリトンを聴け満足しました。

 オーケストラや合唱はアマチュアで、アマチュアとして見た場合、決して悪くはないと思うのですが、普段上手なプロオーケストラや合唱を聴いていると、技巧的には不満が残ります。しかし、四人の藤原歌劇団の歌手を聴けてよかったです。

 高橋さんのアディーナは95年の藤原本公演以来ですが、あのときのきりっとしたアディーナよりは、もっと柔らかなアディーナになっていたようです。細かいミスがあったようですが、それが気にならないほど技巧の正確さは流石で、いつもながら感心いたしました。ルチアの登場のアリアはふくよかで陰影もある歌でまた感心しました。情感のあるカヴァティーナと技巧的なカバレッタ、どちらも素晴らしかったです。高橋さんは、最近色々レパートリーを広げているようですが、彼女の最良の部分を聴くにはベル・カントだと再確認しました。

 中鉢さんは最近聴く度に上手になっているような気がします。今現在、藤原歌劇団のリリックテノールナンバーワンでしょう。歌はいい、声はいい、顔はいい、の三拍子揃っていて、ネモリーノのとぼけた味もよく出ていたし、星は光りぬの熱唱も説得力がありました。

 牧野さんの「プロヴァンス」。彼の18番です。余裕で歌い、ブラヴォーでした。ベルコーレ役もコミカルな演技付で、流石だと思いました。

 これだけのメンバーがハイレヴェルの歌を歌ったにもかかわらず、会場の反応は今一つでした。聴きに来ている人の多くが、パイオニア管弦楽団と合唱団の関係者、ということでなかなかあの歌の凄さが分からない、ということなのでしょうが、一寸淋しいです。

鑑賞日:2003年6月11日
入場料:4000円、1F19列66番、B席

主催:東京室内歌劇場
共催:財団法人 新国立劇場運営財団
助成:財団法人 五島記念文化財団

東京室内歌劇場35期第104回定期公演

平成15年文化庁芸術団体重点支援事業
創立35周年記念特別公演

オペラ3幕、字幕付原語(英語)上演
プレヴィン作曲「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)
台本:フィリップ・リテル
原作:テネシー・ウィリアムズ

日本初演

会場 新国立劇場中劇場

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京交響楽団
演 出:鵜山 仁  美 術:横田 あつみ
照 明:服部 基  衣 装:前田 文子
舞台監督:津田 光正

出 演

ブランチ・デュポア 松本 美和子
ステラ・コワルスキー 塩田 美奈子
スタンリー・コワルスキー 勝部 太
ハロルド・ミッチェル(ミッチ) 近藤 政伸
ユーニス・ハベル 青木 美稚子
スティーヴ・ハベル 蔵田 雅之
パブロ・ゴンザレス 多田 康芳
見知らぬ男(医師) 竹澤 嘉明
見知らぬ女(看護婦) 小畑 朱実
集金人の若者 小貫 岩夫
メキシコ女 秋山 雪美

感想

 テネシー・ウィリアムスの「欲望という名の電車」が、アメリカの近代戯曲の代表作であることは知っておりました。また、エリア・カザンは、ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドゥのコンビでこの作品を映画化したことや、日本では杉村春子がブランチを当たり役にしていたことも、常識として知っておりましたが、原作も読んだことはありませんし、映画も見ていないし、舞台も経験がありません。今回の東京室内歌劇場公演が、私の初めての「欲望」体験でした。

 作曲のプレヴィンは、映画音楽の作曲や編曲から出発した人で、ビンセント・ミネリ監督のミュージカル映画「恋の手ほどき」でアカデミー音楽賞を受賞しています。彼は出自が映画音楽だけあって、いわゆる音楽理論に勝った20世紀音楽を書くということはしませんでした。彼の初のオペラである「欲望という名の電車」は、アメリカン・ミュージカルでは全くありませんが、いわゆる文芸映画の背後に流れる音楽と類似しているものがあり、彼の映画音楽との深い結びつきを感じずにはいられませんでした。

 勿論、私にとってのプレヴィンはあくまでもクラシック音楽の指揮者であり、作曲家ではありません。指揮者としてのプレヴィンは、一言でいえばしなやかな指揮者であり、おしつけがましい音楽よりも楽員の自発性を発揮させるような音楽に特徴があります。私は,その結果として、何度か稀有な体験をさせていただきました。そういう彼の最良の面は彼のモーツァルトの演奏で聴くことが出来るのですが、ラフマニノフのようなロシア音楽やヴォーン・ウィリアムスやブリテンのようなイギリス音楽も得意としています。

 そういう演奏家が作曲する新作オペラは、物語が悲劇ですから、劇的盛りあがりがあるのは当然ですが、プレヴィンというしなやかで、音楽の自発的流れを重視する指揮者が作った作品としては、私が予想していた以上にドラマティックで、一寸驚きました。また、ニュー・オリンズという舞台に合わせたのか一部ジャズのイディオムも使われておりましたが、それはほとんど僅かであり、アメリカ南部のローカル性を歌うより、ブランチとスタンリーという二つのタイプの個性を対立させることにより、普遍性を狙っているように思いました。敢えていうならば、ガーシュインに連なるというよりは、むしろイギリス音楽との近しさを感じました。私個人としては、モーツァルトの音楽を楽しみに来たのに、出てきたのはブリテンの音楽というところでしょうか。

 若杉弘の演奏は、流石のものでした。このテキストに優れ、劇的なオペラを上手にドライヴし、プレヴィンの音楽世界を描くのもさることながら、テネシー・ウィリアムスの劇的世界を描くのに、大いに貢献していたと思いました。東京交響楽団の演奏は、木管の乱れ等もあったものの、全体としては良好なものであったと思いました。

 鵜山仁の演出は、スタンリー・ステラの夫婦が住む家を廻り舞台の上に置いて、劇が進む部屋を舞台の正面に出すやり方。基本的に心理劇であるこのオペラを見せるのには、十分な舞台装置と演出だったように思います。

 歌手で今回の演奏でまず評価すべきは、松本美和子のブランチでしょう。もう既に還暦を廻っている方なのですが、舞台の姿がとても色っぽいところがまず感心致しました。声もしっかりしていて、ヴィヴラートの振幅が大きくなるなどの声の老化に伴う現象がまだほとんど感じられないところも、良かったとおもいます。高音も出ていたし、絶望のときのしゃがれ声も「うまい」と申し上げる他はありません。スタンリーに追いつめられてからの、狂気の演技は正に迫真で、背中がぞくぞくしました。今回の上演が成功に終った最大の立役者は、「女優」松本美和子に他なりません。

 塩田美奈子のステラもよく歌っていました。役作りが一寸曖昧で、姉のことを心配しながらも、野卑な夫から離れることが出来ない女というコンセプトが曖昧で、印象がボケてしまうところがあるのですが、歌それ自身は立派でした。特に第1幕で、ステラの家に飛び込んで来たブランチとの二重唱は、リリコ・レジェーロの幸福感あふれる妹と、ドラマティックで不幸を重ねてきた姉の声の対立が明確で、感心致しました。

 ブランチの宿敵となるスタンリーを歌った勝部太は、松本の迫真の演技には押されていましたが、決して悪くはなかったと思います。ただし、野卑な感じの出方が足りず、また、なぜ、ブランチをあれほど嫌うのかのところが明確に演技されてこなかったこと(音楽上問題もあるのでしょうが)、また、ステラが夫に怒鳴られながらも離れられない理由が視覚的には見えてこないのが一寸残念でした。

 脇役陣で良かったのは、青木美稚子のユーニスと秋山雪美のメキシコ女でした。

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鑑賞日:2003年6月12日
入場料:5670円、D席4F1列21番

主催:新国立劇場/日本オペラ団体連盟

平成15年文化庁国際芸術交流支援事業

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「オテロ」(Otello)
台本:アッリーゴ・ボーイト
原作:ウィリアム・シェイクスピア

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:菊池 彦典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:三澤 洋史
児童合唱:杉並児童合唱団  児童合唱指導:志水 隆
演 出:エライジャ・モシンスキー(英国ロイヤルオペラ制作版;1987)
装 置:ティモシー・オブライエン  照 明:ロバート・ブライアン
衣 装:ピーター・J・ホール
舞台監督:大仁田 雅彦

出 演

オテロ ウラディーミル・ボガチョフ
デズデーモナ ルチア・マッツァリーナ
イアーゴ ホアン・ポンス
ロドヴィーゴ 彭 康亮
カッシオ 吉田 浩之
エミーリア 手嶋 眞佐子
ロデリーゴ 市川 和彦
モンターノ 峰 茂樹
伝令 ダン・ジュンボ

感想

 総じて言えば、そんなに悪くない演奏だったというべきでしょう。でも、私には物足りなかった。というのは、私は最高のオテロを聴いたことがあるからです。1990年1月6日。場所はロンドンのロイヤルオペラハウス。オテロがプラシド・ドミンゴ、デズデーモナがカーティア・リッチャレッリ、イアーゴがフスティーノ・ディアスというコンビで指揮がカルロス・クライバーとなれば、「最高」という言葉があながち誇張ではないことが分かるでしょう。まさにそれは稀有な体験と申し上げるべきものでした。それから13年以上経った訳ですが、私にとってあの演奏は忘れ得ぬ演奏であります。こういう高レベルのスタンダードがあると、新しい物は不利でしょう。久々に「オテロ」を聴いたのですが、私の頭の中には、あの時の思い出が残っており、どうしても比べてしまうのです。更に悪いことに、90年に聴いたのがモシンスキーの演出版で、細部に異同はあるようですが基本的に今回の上演と同じ演出です。そうなると、ますます比べずにはいられません。

 比べてしまっては勝負になりません。ドミンゴとボガチョフ、リッチャレッリとマッツァリーナ、クライバーと菊池、この取り組みはありていに言ってしまえば、横綱と十両ぐらいの差があります。こちらが勝っているのは、イヤーゴのポンスぐらいかもしれません。そういう意味で、どうしても、辛口の言いまわしになります。以下御容赦を。

 菊池彦典はプッチーニよりヴェルディ向きの人だと思っています。ヴェルディの熱をオーケストラに伝えるだけの力量も間違いなくある。今回の演奏も、ヴェルディの熱を上手く表現していたと思います。しかし、見きり方がクライバーと比較すると甘すぎる。そこここで、良い音が聞えて来るのですが、全体として見た印象は、何処か曖昧です。東フィルも結構切れ味の良い演奏をしているのですが、ところどころで磨ぎ方が今一つ、という感じがするのです。今回の演奏では、第4幕でイングリッシュホルンが事故で落ちてしまい(菊池さんは詰まったという言い方をしていました)、ファゴットで演奏するというアクシデントがあったのですが、そういう点を差し引いても、悪くはないけれども、何処か満足出来ない演奏になっていたとおもうのです。

 ボガチョフのオテロ。不満です。技術的には大きな破綻はなかったと思います。第1幕の冒頭の咆哮も上手かったですし、終幕の「オテロの死」もそれなりに聴かせてくれました。しかし、感情の表現の仕方に全く真実味を感じさせないのです。歌や表情を見ていても、ただ歌っているだけで、嫉妬の息苦しさも、感情の爆発もどれもおざなりな感じでした。あちらこちらで能天気なテノール節がきこえてくるし、私は「ドン・ホセ」を歌っているんじゃないんだぞ、何度も突っ込みたくなりました。

 マッツァリーナのデズデーモナ。ボガチョフほどではないにせよこれまた満足できません。声が一寸くすんだ感じのソプラノで、デズデーモナの役柄に良くあった人だと思うのですが、優美さに欠けているのです。最近珍しい肥満型ソプラノのせいか、舞台上をのっしのっしと歩き、演技がデズデーモナに期待される雰囲気を出せていない。これで歌が抜群であれば、どうでもいいのですが、歌もどこかぱっとしない。「柳の歌」から「アヴェ・マリア」はソプラノの聴かせどころですが、わりとけれんなくすっといってしまったことなどからもそう思うのかも知れません。

 ポンスのイアーゴ。こと歌に関してはこの方が一番でした。「イアーゴのクレド」などは、細かいところまで神経の行き届いた流石の表現でした。ただ、この陰滅たるオペラの陰滅たる部分を一手に引きうけるとするならば、ポンスのキャラクターは一寸明るいのではないか、という気が致しました。身体が堂々としていて、声も朗々と響くので、イアーゴのずる賢くて嫌らしい部分がはっきりと見えてこないという部分はありました。もちろん、小男のバリトンで、ポンスほどの表現が可能な方がいるのかどうかわからないので、ないものねだりなのかも知れません。

 それ以外の脇役で良かったのは、市川和彦のロデリーゴをまず第一に上げなければなりません。彼は、ロデリーゴの小ずるそうな雰囲気をよく醸し出していて良かったです。彭のロドヴィーゴもいい演奏でした。手嶋真佐子のエミーリアも、深みのある落ち着いた表現で感心致しました。

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鑑賞日:2003年6月14日
入場料:2950円、D席3F1列C40番

主催:NHK交響楽団

NHK交響楽団第1490回定期演奏会

オペラ1幕、演奏会形式 字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「エレクトラ」(Elektra)
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール

会場 NHKホール

感想はこちら

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鑑賞日:2003年7月20日
入場料:5000円、D席5F R2列24番

主催:(財)二期会オペラ振興会/朝日新聞社

二期会創立50周年記念公演/ケルン市立歌劇場共同制作('02-'03)/平成15年度文化庁国際芸術交流支援事業

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」(Der Rosenkavalier)
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール

会場 東京文化会館大ホール

指 揮:エマニュエル・ヴィヨーム  管弦楽:東京都交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:松井 和彦
演 出:ギュンター・クレーマー   舞台美術:ユルゲン・ベックマン
衣 装:ピーター・J・ホール  照明デザイナー:マンフレート・フォス
舞台監督:大仁田 雅彦

出 演

元帥夫人 佐々木 典子
オックス男爵 佐藤 泰弘
オクタヴィアン 林 美智子
ゾフィー 幸田 浩子
ファーニナル 加賀 清孝
マリアンネ 渡辺 美佐子
ヴァルツァッキ 吉田 伸昭
アンニーナ 与田 朝子
警部 長谷川 顯
テノール歌手 上原 正敏
帽子屋 小林 菜美
動物商&料理屋の主人 牧川 修一
公証人 志村 文彦
元帥夫人の執事 近藤 政伸
ファーニナル家の執事 松永 国和
元帥夫人の従僕&食堂のボーイ 田代 和久
レオポルト 笹倉 直也
三人のみなしご 高橋 節子
  筑場 亮子
  田村 由貴絵

感想

 ウィーン、ザルツブルグ、ドイツの各劇場を席巻するクレーマーがシュトラウスの宝石箱からとりだした<時のうつろい>、というのがキャッチ・コピーです。このコピーは実に魅力的。ホーフマンスタールが「ばらの騎士」のテーマに取り上げたのが、まさしくこの「時のうつろい」であります。その「時のうつろい」は、元帥夫人にとっては、忍び寄る「老い」でしょうし、リヒャルト・シュトラウスにとっては、ドイツのロマン主義音楽の終焉だったに違いありません。ギュンター・クレーマーがこの「時のうつろい」をどう表出して見せるかが、今回の最大の見所だったのでしょう。

 クレーマーにとって「時のうつろい」とは、個人個人の感情や、シュトラウス持った過去に対する憧憬ではなく、もっと即物的なもののようです。パンフレットによると、第1幕は、1740年代の宮殿のイメージ、第2幕は1911年ごろのニューリッチと貴族との差異「金持ちファーニナルの家」、第3幕が1960年代の観光地化したウィーンの居酒屋「ヴィーナヴァルト」だそうです。どの幕も、周囲に竹を張り巡らせ、中央にテーブルを置くという基本形は変えず、美術やその他の装置の違いでこの時代の違いを描いて見せます。なかなか面白いものでした。しかしながら、クレーマーの「時のうつろい」は、要するに幕ごとの時代の違いにすぎないのではないかという気がします。極端に言えば、シュトラウスの音楽に本質的に備わっている「時のうつろい」への諦念は全く配慮しない演出と申し上げても良いかもしれません。というのは、今回の指揮者は、クレーマーの推薦で連れてきた方だそうですが、この人の作る音楽は、「時のうつろい」と相容れないような演奏だからです。

 ヴィヨームという方は、決して下手な指揮者では無いのだろうと思いますが、「ばらの騎士」の音楽をどう聴かせるべきか、という点に関しては、ほとんど考えのない方のようです。全体にシンフォニックな構成をつくり、オケを咆哮させます。切れ味も、風通しも良い演奏と申し上げてよいでしょう。また、東京都交響楽団のメンバーの技術も素晴らしく、指揮者の意図に合わせて明晰な音楽を奏でます。しかし、シュトラウスの音楽が本質的に持っている官能美や爛熟の美しさは、全く感じることができませんでした。もしこのような音楽を演奏させることを目的として、クレーマーがヴィヨームを連れてきたとしたら、大した慧眼です。しかし、彼の音楽は、私が「ばらの騎士」に期待している音楽とはどうも相容れない。私は、第1幕の元帥夫人の寝室シーンではもっと官能的音楽を聴きたいし、オックス男爵のワルツは、もっとウィンナ・ワルツ的であって欲しいと思うのです。

 歌手たちは、総じて健闘していたと思います。オーケストラが、厚みのある音で鳴らしていましたから、歌手の人たちにとって大変な部分もあったと思いますが、負けませんでした。

 元帥夫人役の佐々木典子は特に良かった。第1幕前半のオクタヴィアンとの二重唱は、林美智子と声の性質が似ているようで、非常に美しいものになりました。一幕後半の「老いのモノローグ」は、佐々木の実感が入っていたせいかどうかは分かりませんが、気品と諦念が上手く表現されていて良かったと思いました。佐々木はウィーン国立歌劇場で歌っていた方ですが、本場の元帥夫人の歌を知っていることが、彼女の歌にも反映されたようにも思いました。

 林美智子も好演。きちっと歌う所は、きちっと歌っていたし、またオクタヴィアンのむきになった所の表現も17歳の少年を彷彿とさせるもので良かったです。また、マリアンデルに扮した時のオックス男爵との一寸エロティックでコミカルな演技も評価したいものです。

 佐藤泰弘のオックス男爵もなかなかのものでした。演技が一寸重く、第2幕の「ワルツ」のシーンで自ら踊らないなど演技面では気になる所も無いではなかったのですが、歌それ自身は悪いものではありませんでした。下品な田舎者として演技するのか、無知で傍若無人な田舎者として演技するのかという所が一つ興味があったのですが、どちらかと言えば下品な方(演出の意図もそうだったのでしょう)。第3幕でズボンを下ろしてパンツをみせる辺りの困惑ぶりは見ていて十分に楽しめるものでした。

 主要四役の中で最も不調だったのが、幸田浩子のゾフィーでした。もっと中低音にボディがあってしっかりした歌いかたの出来る人だと思っていたのですが、声が、オクタヴィアンにもオックス男爵にも押されていました。

 幸田が不調だった所に原因があるのでしょうか、第3幕の三重唱は、今一つの出来映えでした。終幕の三重唱は、お互いの声をシンクロさせて、美しく聴かせようという意図で合わせれば、とても美しいものになりますが、今回はハーモニーが崩れ、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーのそれぞれが、合わせる前に自分の歌を歌ってしまったようでした。これは、オーケストラの音響が強かったため、それぞれが負けない様に声を出したと言うことが第一にあると思うのですが、演出上、お互いの息遣いを聴くことが出来なかったと云うことも反映しているかも知れません。

 それ以外の歌手では、渡辺美佐子のマリアンネと与田朝子のアンニーナがなかなか良かったと思います。上原正敏のテノール歌手はあまり上手な歌ではなかったのですが、それはそれで構わないでしょう。

 演出に関しては、上述の通りです。細々とした所にもどうかと思う部分は多数ありました。例えば、元帥夫人は裾の広がったスカートでずっといるのですが、第1幕のオクタヴィアンとの交情のシーンでもペチコートを外さないところはその一例です。

 歌手の頑張りは評価するものの、無神経な演出と指揮に疑問を持たずにはいられない、それが今回のまとめです。

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鑑賞日:2003年8月1日
入場料:D席 6000円 4F 2列23番

主催:株式会社ラ ヴォーチェ

字幕付原語(イタリア語)上演
ベッリーニ作曲「ノルマ」Norma
全2幕

台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:ブルーノ・カンパネッラ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川貢
演出・美術・衣装:ウーゴ・デ・アナ  照明:セルジョ・ロッシ
振 付:レーダ・ロヨーディチェ  舞台監督:菅原多敢弘 

出演者

ポリオーネ レンツォ・ズーリアン
オロヴェーゾ 久保田 真澄
ノルマ 下原 千恵子
アダルジーザ 森山 京子
クロティルデ 島木 弥生
フラヴィーオ 中鉢 聡

感想

 今年は「ノルマ」の当たり年の様で、私が知っているだけでも4プロダクションが上演されます。その掉尾を飾るのがラ・ヴォーチェという会社が主催する本日のプロダクション。チェドリンスのノルマ、アントナッチのアダルジーザ、ラ・スコーラのポリオーネという組み合わせで結構高額のチケットを売りましたが、1日だけ日本人キャストで、チケット代も外人組の半額というのがあったので出かけて見ました。ところで、ラ・ヴォーチェという会社、あのリクルート事件の江副浩正さんがやっているのですね。知りませんでした。そのせいかそうで無いかは知りませんが、結構細かい所が豪華です。例えば、字幕が林真理子だったり、クラブ・ジ・アトレに付いている引換え券を持って行くと、プログラムが無料になるとか(私は引換え券を持って行くのを忘れたので、1500円払って買いました)。

 このようなゴシップは勿論どうでもいいことで、実際の上演がよければそれが全てです。私の見る所、本日の上演は、十分に及第点を与えることが出来る演奏だったと思います。そして、その第一の貢献者は、当初クレジットされていた藤川真佐美の代役としてアダルジーザを歌った森山京子だろうと思います。私は、森山さんの歌をこれまでずいぶん聴いていると思うのですが、役柄としては脇役、例えば「椿姫」のフローラであるとか、「蝶々夫人」のスズキなどが多く、主役級の歌を聴くのは初めての経験です。これまでも、彼女が実力派メゾであることは感じておりましたが、今回聴いて、今まで思っていたよりも力がある方だ、と思った次第です。

 まず、強い声が高音から低音まで均質に出ている所がよい。また、ポリオーネとの二重唱にしても、1幕、2幕にそれぞれあるノルマとの二重唱にしても、これぞベルカント、と言うべき美しさで迫ってきており、この二重唱を聴くことが出来ただけでも、本日出かけた甲斐があったと思います。四月のグルベローヴァとカサロヴァの二重唱も素敵なものでしたが、あの二重唱が硬質できらめくような美しさに特質があったと思うのですが、今回の下原・森山の二重唱は、もっと柔らかでしっとりとした情感に魅力があったと思います。 

 外題役の下原千恵子は決して悪くは無かったのですが、ノルマ役に期待されるオーラに乏しい様子でした。歌それ自体は決して悪いものではなく、力強く歌うべきところは、強い声で歌い、美しく響かせるところは響かせていて良かったのですが、それに付随して出るべきサムシングが余り認められない。悪く言えば、ノルマが板についていないのです。登場のアリア「清らかな女神」は、後半を睨んでかかなりセーヴした歌いっぷり。しかし、この歌の持つ魅力を見せてくれるのには十分な歌唱でした。アダルジーザとの二重唱の美しさは上述のとおり。ポリオーネが加わってからの三重唱は、ドラマティコとしての下原の力量を十全に示し、その緊張感は心良いものがありました。ニ幕第三場は、若干失速し、ところどころコントロールが甘くなった所もあるのですが、すぐに建てなおし、全体としてみれば、良好な歌唱であったと申し上げてよいのでしょう。

 女声二人に対して、ポリオーネのズーリアンは今一つの歌唱。歌それ自体は特別の破綻がないのですが、地声が美しくない。フラヴィーオの中鉢聡の方が美声という点で上です。そして、感情表現も今一つで、第ニ幕三場のアダルジーザからノルマへの心の戻りなども表現が不明確でした。

 久保田真澄のオロヴィーゾは、久保田さんとしてごく普通の歌唱。悪くは無いけれども取りたてて褒めるほどよくもないというところでしょう。一寸しか登場しませんが、中鉢さんの美声は上述の通りで良かったです。藤原歌劇団合唱部の歌は、四月のグルベローヴァの「ノルマ」で合唱を担当したスロヴァキアフィルハーモニー合唱団よりはるかに実力が上です。質感・力強さともに勝っていて良かったと思います。

 カンパネッラの音楽作りは、端的に言えば、歌に奉仕しようとするもの。オケの音を小さく絞って、歌手たちの声の土台になろうとする姿勢がよく分かりました。途中での観客の拍手を拒否し、第1幕終了時のカーテン・コールも無かったのに、終演時間が案内より15分程度遅くなったのは、歌を十分に歌わせたいという指揮者の意図があったのではないでしょうか。東フィルの演奏も指揮者の意図に乗ったジェントルなもので、良かったと思います。

 アナの演出は、18世紀のナポレオン時代に時代を設定しているようで、ローマ・ガリア時代っぽくないです。しかし、壁といい、床といい黒く光っており、質感がありました。「清らかな女神」で紙吹雪が落ちてくる所とか、演出の意図が不明な所もありました。しかしながら、それ程悪い演出ではなかったと思います。

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鑑賞日:2003年8月17日12:00〜
入場料:3800円、自由席

主催:野毛地区街づくり会

楽しくて活気のある「大須オペラ」スーパー一座公演

喜歌劇2幕、日本語(訳詞)上演
サリヴァン作曲「ユートピア国株式会社 又は進歩の花形(UTOPIA LIMITED or The Flower of Progress)
台本:ウイリアム・S・ギルバート
日本語台本:岩田 信市

会場 横浜にぎわい座

編曲・指揮:宮脇 泰  管弦楽:シアター管弦楽団
合 唱:スーパー一座  合唱主任:児見山宗志、稲本奈央
歌唱指導:若井 雄司
演出・作詞・台本:岩田 信市   翻 訳:鎌田 大資
照 明:児玉 道久  大道具:華 新
衣 装:岩田 幸子  振 付:古川 隆一

出 演

ザラ姫(ユートピア国の姫) 大脇 薫
フィッツバルトアックス(近衛兵大尉) 若井 雄司
パラマウント王(ユートピア国王) 羽田野泰弘
ファンテス(大目付大臣) 間瀬 礼章
スカフォ(大目付大臣) 水谷 真人
タララ(爆弾大臣) 原  智彦
ネカヤ(ユートピア国の双子の姫) 高木 和子
カリバ(ユートピア国の双子の姫) 斎藤美七海
ソフィー夫人(双子の姫の家庭教師) 寺本久美子
カリンクス(ユートピア国役人) 松村 篤
ベイリーベア卿(イギリス人弁護士) 児見山宗志
ゴールドベリー卿(イギリス人会計士) 加藤 智寿
ドラマリー卿(イギリス人道徳家) 前田 尚孝
コーコラン船長(ビナフォア艦長) 紀平 束沙

感想

 名古屋で毎年夏、オペレッタを演奏している団体がある、それも大正時代の浅草オペラの乗りで、ということを聞いたのは3年ほど前のことだったと思います。ただ、東京にいると全然情報がないのですね。「音楽の友」など本流のクラシック・ジャーナリズムは知っていて取り上げなかったのか、知らないのか、それとも取り上げたけれども私が気がつかなかっただけなのか知りませんが、とにかく見たことはないですし、名古屋ではなかなか出かけるのも大変です。そこで、これまでは噂だけで我慢してきたのですが、本年は横浜公演があるということを聞いて、いそいそと出かけて参りました。

 取り上げた作品はギルバート&サリヴァンのサヴォイ・オペラ「ユートピア国株式会社」という作品で、今年名古屋の大須演芸場でこのスーパーオペラ一座が取り上げたのが日本初演。私は、庄野潤三「サヴォイ・オペラ」を読むまで、タイトルも知らなかった作品です。ビクトリア朝時代のイギリスの風俗を徹底して当てこすった内容で、台本・演出の岩田信市が、日本向けに相当手直ししたようです。簡単に粗筋をまとめます。

 のんびりした南海の島国ユートピア国を近代化しようとイギリスに留学していたザラ姫が、顧問の紳士たちを連れて帰国、ユートピア国を株式会社にして発展させようとする(以上が一幕)。会社の総会では、いろいろな近代化のひずみが報告されるが王様は無視。国民の怒りが爆発して暴動が起き、王も反省。再び豊かな自然を取り戻そうとする。

 勿論、現代日本に通じそうな内容になっています。「構造改革」だの「財政破綻」だの「個人情報保護法案」などの言葉が出てきますし、暴動のシーンでは、「インターナショナル」が歌われるし、「ごみの分別」云々というのもありました。終りは、「豊かな自然を取り戻そう」という聞こえの良い内容でまとめるのですが(原作は、株式会社=悪、民主主義=善、的な終り方をするそうですが、又聞きなので本当の所は分かりません)、大須オペラの面々は教科書的な終り方を潔しとはしません。「教訓など吹き飛ばせ」とばかりに、最後は「ミカド」のフィナーレをくっつけて狂乱のフィナーレとなります。持ち味は、下品です。だからこそ庶民的で良いと思います。

 上演場所の横浜にぎわい座は、桜木町駅からすぐ側の街の真ん中にある寄席です。桟敷席まである。普段は落語をやっている所で、館内飲食自由。ビール片手で聴いても誰も文句を言わない、というのがいいですね。実に庶民的。また会場が狭いので、一番後で見ても結構迫力があります。また、舞台も狭く(新国立劇場の小劇場の更に半分ぐらいのスペースしか無い感じ)、全員が登場するフィナーレなどは芋洗い状態でした。そんなに狭い場所で上演するにも拘らず、ほとんど全員がピンマイクを付けての登場。音楽的なことを言えば、幾らでも批判は可能だと思います。

 しかし、はっきり申し上げて、私は思いっきり楽しみました。客席と一体となる、ということがどういうことなのかよくわかったように思います。何を言っても踊りが皆上手です。合唱で参加されていた女性は皆バレエの素養があるようです。手足の先までピシッと決る踊りは見ていて快感です。二人の大目付大臣と双子の姫の踊りが特によかったと思います。

 歌は、音大で教育を受けていると思われるのが、ザラ姫を歌った大脇と近衛兵大尉を歌った若井、そして家庭教師役の寺本の三人と思われますが、それ以外のメンバーもなかなか聴かせることのできる歌を歌っていました。大目付大臣の間瀬、双子の姫の片割れ高木の両名が特によかったように思いました。

 オーケストラは15名の編成で、この会場では響きすぎるほど。指揮者の乗りがよく、楽隊の演奏もしっかりしていて好感を持ちました。フィナーレ後アンコールを行うのがこの楽団の流儀のようですが、本日は3回。その後もアンコールの声が続きましたが、指揮者が逃げ出して終りとなりました。

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鑑賞日:2003年8月30日
入場料:A席 5000円 2F 3列7番

主催:東京室内歌劇場35期第105回定期公演

字幕付原語(イタリア語)上演
パイジェルロ作曲「セヴィリアの理髪師ーまたは無駄な用心」(Il Barbiere di Siviglia ovvero La Precauzione Inutile
全2幕

原作:ボーマルシェ
台本:ジュゼッペ・ぺトロセッリーニ

会場 紀尾井ホール

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京室内歌劇場オーケストラ
演 出:鈴木 敬介  美 術:大沢佐智子
照 明:中山 安孝  衣 裳:小野寺佐恵
舞台監督:小栗 哲家

 

出演者

伯 爵 五郎部 俊朗
ロジーナ 菅 英三子
バルトロ 藪西 正道
フィガロ 久岡 昇
ドン・バジリオ 志村 文彦
ジョヴィネット 大岩 篤郎
ズヴェリアート 綱川 立彦
市検長 湯川 晃
公証人 宮本 哲朗

感想

 パイジェルロの「セヴィリアの理髪師」は、それだけで語られることは滅多になくて、ロッシーニ作品が初演されたとき、パイジェルロ一派が妨害したという、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の解説書には必ず書かれるエピソードで語られる作品です。現代では、ロッシーニ作との人気の差はいかんともしがたく、日本での上演は23年ぶり3度目のことだと思います。勿論、私はこれまで聴いたことがありません。

 もっとも、この妨害エピソードは疑わしいものです。というのは、ボーマルシェの「セヴィリアの理髪師」に基づくオペラは、1776年のBenda作曲に始まり、パイジェルロ(1782)、Elsperger(1783)、Weigl(1783)、Schulz(1786)、Isouard(1796)、ロッシーニ(1816)、Morlacchi(1816)、Dall'Argine(1868)、Graffigna(1879)、Cassone(1922)、Torrazza(1924)と書かれているからです。パイジェルロの支持者たちは、ロッシーニだけを目の敵にする必要はなかったわけです。勿論、パイジェルロの支持者たちはロッシーニ作品ばかりではなく、他の作曲家の「セヴィリアの理髪師」の上演の際にも、妨害したのかも知れません。

 当然のことながら、ストーリーはロッシーニとほとんど一緒です。主要役である、伯爵、ロジーナ、フィガロ、バルトロ、バジリオに関しては、声の高さ(もっともロジーナはロッシーニ作品ではメゾソプラノ役ですが)、性格、オペラにおける位置付けまでほとんど瓜二つで驚かされます。「今の歌声は」はありませんが、バジリオが歌う「中傷に限ります」は、中身が「陰口はそよ風のように」とほとんど一緒で面白いです。また、伯爵が軍人に変装して、バルトロの家に入りこむ所で、バルトロのことを「野蛮人(Barbaro)」、あるいは「のろま(Balordo)」などと誤って呼ぶ所がありますが、これも両者一緒で、原作に書かれているかもしれません。

 このように、パイジェルロの作品とロッシーニの作品とは音楽を別にすると驚くほど似ているのですが、パイジェルロの作品は、モーツァルト「フィガロの結婚」との繋がりがより明確です。例えば、バルトロが外出するとき、「マルチェリーナを見舞いに行く」と歌うようなところです。音楽もまた、ロココ的であり、「フィガロの結婚」との関連を感じずにはいられません。一方、ロジーナが「フィガロの娘に御菓子をあげた」と歌う場面があるのですが、これは勿論ロジーナの機転で、本来フィガロには娘などいない、ということなのでしょうね。私個人の好みは、推進力溢れるロッシーニの傑作ですが、パイジェルロの作品もなかなか棄てがたい味わいがあります。

 音楽の作りは、私は、一幕の前半よりも後半がよく、一幕よりニ幕が良かったと思います。若杉弘の音楽の組み立て方は、この作品のブッファの側面を強調するよりも、ロココ的優美さを強調したもののように聴きました。若杉さんのモーツァルトは、わりと聴きものですが、このパイジェルロは彼のモーツァルト演奏の延長にあるように思いました。鈴木敬介の演出は、こと舞台装置に関していえば非常に抽象的なもの。紀尾井ホールの広さと設備を考えれば仕方がないのかもしれません。

 歌手では菅英三子をまず褒めなければなりません。私は、彼女をこれまで随分聴いていますが、オペラの舞台に立つのを聴いたのは二度目でブッファは初めてです。実は、彼女はもっと臭い演技をするのではないかと思っていたのですが、結構まともなコメディエンヌぶりで彼女は笑いも取れるのだ、とおもった次第です。歌も上手です。彼女の歌は輪郭がきちっとしたものではなく、もっとふんわりとした印象ですが、ロココ的オペラには合っていたと思います。聴かせどころの「正しい天よ」や、「もう春が帰ってきて」は流石でした。もっというならば、あの広さの会場で彼女の声では余裕がありすぎたようです。

 五郎部俊朗もよかった。音楽自体の理由もあるとはおもうのですが、かつての本当にかろみのあるレジェーロは聴けませんでした。しかし、酔っ払いのふりをしてバルトロの所を訪ねる場面や、バジリオの助手に成りすまして、バルトロの家に入り込んで生じるドタバタなど、アンサンブルでは彼の声がキーになって進行していたように思いました。

 藪西正道のバルトロは、歌はそれなりに良く、アンサンブルでの存在感も評価出来ると思います。ただし、バッソ・ブッフォとしての演技は硬さが取れず今一つ。もっと大胆な動きをしても良かったのではないかと思いました。フィガロ役の久岡昇を私はあまり買いません。歯切れは良いのですが、声が内にこもっていて発散しないのです。ただ、このオペラにおいてはタイトルロールが真の主役ではないので、オペラ全体に対する影響はそう大きくなかったと思います。バジリオの志村文彦は本年春からの好調を依然継続していると思われました。良い歌唱でした。

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