オペラに行って参りました−2002年(その1)−

目次

2002年 1月10日 フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」
2002年 1月11日 ヴェルディ「椿姫」
2002年 1月19日 モーツァルト・オペラ・ガラ・コンサート
2002年 1月25日 三枝成彰「忠臣蔵」
2002年 2月 7日 オルフ「賢い女」
2002年 2月 8日 ブゾーニ「ファウスト博士」
2002年 2月21日 マスネ「ウェルテル」
2002年 2月28日 モーツァルト「フィガロの結婚」
2002年 3月 1日 ヴェルディ「リゴレット」
2002年 3月15日 ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」
2002年 3月28日 R・シュトラウス「無口な女」
2002年 3月29日 ワーグナー「ワルキューレ」

オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

観劇日:2002年1月10日
入場料:C席 2835円 4F 2列25番

新国立劇場主催

字幕付日本語上演
フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」HÄNSEL und GRETEL
台本:アーデルハイト・ヴェッテ
翻訳:田中信昭/中山悌一 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:三澤洋史  管弦楽:東京交響楽団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団  合唱指導:掛江みどり
演出:西澤敬一
美術:堀尾幸男  衣装:倉岡智一
照明:
服部基  
舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

ヘンゼル 林 美智子
グレーテル 高橋 薫子
ゲルトルート 郡 愛子
ペーター 平野 忠彦
魔女 森 公美子
眠りの精 岩井 理花
露の精 澤畑 恵美

 

感想

 色々な意味で練り方の足りない公演でした。完成度の低い締まらない演奏と言っていいと思います。日本語上演であったことを非難する方がいらっしゃるのですが、私は、それはそれで良いと思います。オペラが舞台芸術である以上、過剰にオリジナルを尊ぶ姿は、場合によっては不合理です。今回のように子供の客も狙った公演では、親しみ易い日本語上演は大いに検討されてしかるべきだと思います。

 しかし、子供向きだからといって、演奏を手抜きでやってよいと言うことではありません。別に、今回の出演者が、手抜きをしていたとまでは断言しませんが、練習不足の方が居られたことは否めません。そういう方が一人ならずいたために、公演全体として完成度の低いものになったものと思います。

 三澤洋史の指揮は、とりたてて文句を言うほどのものではなかったと思いますが、よくもなかったとおもいます。音楽的なメリハリの少ない演奏でした。フンパーディンクが書いた厚い管弦楽の音を十分に響かせていた演奏ではなかったと申し上げます。東京交響楽団も結構ミスのある演奏で興が削がれた部分もありました。

 そんな中で、タイトル役の二人はとても立派でした。このオペラ、タイトル役の二人はほとんど出ずっぱりで、歌いつづけなければならないので、かなり大変な役なのですが、大きな失敗もなく乗りきりました。ヘンゼル役の林美智子は、高い音がキンキン声になって辛い部分もあったのですが、大きく落ちることはなく、日本語もほぼ明瞭で、無事乗りきっていました。十分合格点を差し上げられる歌だったと思います。

 グレーテルの高橋薫子。今回の歌手ナンバー1でした。小さいミスはあったようですが、どんな時でも声が出て、音程も安定していて、日本語も聴き易く、大振りの演技も見やすい、ということで文句なしのブラヴァでした。いつもながらの中高音部の艶やかな響きが印象的でした。あと、この主役二人は、演技もとても良かったです。子役で、ほとんど踊りながら、動きながら歌うのですが、動作が子供らしく見えましたし、踊りも結構大胆でメリハリがありました。また、二人の動きがよく対応しており、練習を十分積んでいるのだな、というところがよく分って結構でした。

 ペーター役の平野忠彦も芸格の大きな歌で、それにミュージカルで鍛えた軽妙さもみせてなかなか存在感のある歌を聴かせてくれました。

 以上の三人以外は今回は私は評価しがたいと考えています。まず、魔女役の森公美子。テレビタレントで、演技には見るべきものがありました。でも歌は全くだめ。あの体であんな声しか出ないのかと思うと悲しくなります。彼女も昔はもっと出ていたと思うのですが、マイクを使う生活が長く続くと、オペラの声は出なくなるということなのでしょうか。そのことを自覚して、ヴォイストレーニングを積極的にやれば良かったのでしょうが、時間が足りなくて出来なかったということなのかも知れません。

 ゲルトルート役の郡愛子も不調。台詞が聴き取れないし、声が前に出てこない感じでした。岩井理花、澤畑恵美の二人も感心出来ませんでした。共に1曲ずつの登場なのですから、もっときちんと歌ってくれればいいのに、と思いましたがどちらも雑でした。二人とも歌える人だけに、残念です。

 西澤敬一の演出は、立体的でとても見やすいもので、メルヘンオペラの特徴を示すのに適当だと思います。新国立劇場の舞台装置は侮りがたいですね。

 演出もよく、主役があれだけ頑張っていたのに、全体としてはイマイチと思うのは、オペラはやはり総合芸術だということなのでしょうね。

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観劇日:2002年1月11日
入場料:C席 7000円 2F 7列15番

第12回藤原歌劇団ニューイヤー・スペシャルオペラ

字幕付原語上演
ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata
歌劇 全3幕

台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場 オーチャードホール

指揮:ステファノ・ランザーニ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団
演出:今井 伸昭
美術:フェッルッチョ・ヴィッラグロッシ  衣装:増田 恵美
照明:
成瀬 一裕  振付:鈴木 稔
舞台監督:大澤 裕 

出演者

ヴィオレッタ チンツィア・フォルテ
アルフレード マッシモ・ジョルダーノ
ジェルモン 堀内 康雄
フローラ 河野めぐみ
ガストン 持木 弘
ドゥフォール 彭 康亮
ドビニー 谷 友博
グランヴィル 三浦 克次
アンニーナ 小林 厚子
ジュゼッペ 真野 郁夫
使者 石井 敏郎
召使 千野 昌保

 

感想

 私が一番見ているオペラが「椿姫」で、私は、藤原歌劇団以外が制作した「椿姫」をこれまで見たことがないのですから、藤原歌劇団にはお世話になっています。ニューイヤーオペラは、年の初めの恒例行事として楽しみにしていたわけですが、昨年、一昨年は行われず、もう止めになるのかと思いきや、三年ぶりの復活(ちなみに2000年にも藤原は取り上げていますが、3月、東京文化会館での公演)。今回が10回目だそうです。大いに期待しました。

 端的にいえば、今回の「椿姫」は「椿姫」というよりも「ジェルモン」でした。堀内康雄が圧倒的でした。「プロヴァンスの海と陸」もとても良かったのですが、それ以上に、第2幕第1場のヴィオレッタとの二重唱がまた素晴らしかったです。存在感があり、説得力もある歌で、艶やかで響きもよく、ヴィオレッタが完全に圧倒されて、影が薄くなっていました。大ブラボです。今回は、第2幕の堀内を聴くだけでも、椿姫を聴く価値があると思います。

 ヴィオレッタのチンツィア・フォルテは、線の細さが目立つ歌唱でした。ただ、聴いていて繊細さを感じるより、神経質な感じが先に来て、私の好きな肌合いではありません。歌はほぼ正確で、高音部がやや細くなりがちですが、音程はしっかりしていましたし、声もよく響いていました。ただ、指揮者の音楽を作るスピードと彼女のアリアのテンポが一寸違う様で、歌が後れ気味になるところがありました。一番良かったのは「さよなら、過ぎ去った日々」。これは、情感があるふくよかな歌いっぷりで良かったです。一番の聴かせ所である、「そは彼の人か〜花から花へ」は、大きなミスもなく無難に歌いきりましたが、非常に神経質な歌い方で、正確なのですが聴いていて楽しめない感じがしました。力関係をいうと、対ジェルモンでは、ジェルモンに負け、対アルフレードでは、アルフレードに勝つというところでしょう。

 アルフレードを歌ったマッシモ・ジョルダーノはこれからの歌手ですね。歌が若くて平板で、聴いていて面白い歌ではありませんでした。演出の意図が、アルフレードを「世間を知らない甘ったれた若者」として描きたかったのであれば、それは成功していたのではないかと思います。

 脇を固める人々は、みなそれなりに歌える人ばかりなので、取りたてて申し上げることはありません。それぞれの任務を十全に果していたと思います。

 指揮者ランザーニの音楽作りは、速いテンポでグイグイと引っ張っていこうとするもの。切れ味の良い指揮だったと思います。歌手に歌を十分に歌いきらせなかった、というきらいがありましたが、彼のようなテンポで弾いていくと、「椿姫」もまたヴェルディの作品なのだなあ、と思わざるを得ない男性的響きで聞こえています。それは私は非常に良いことだと思います。音楽にメリハリがついて、立体的な陰影も良くみえます。「椿姫」は典型的メロドラマですから、いくらでも女性的な音楽を作るのが可能だと思いますが、そういう音楽の作りと一線を画したことに、彼の「椿姫」という作品に対する見識が示されているようで面白かったです。

 演出は、本格的な大劇場の演出がはじめてという今井伸昭でしたが、オーソドックスな演出でけれんがなく良かったと思います。

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観劇日:2002年1月19日
入場料:B席 2000円 1F 3列32番

国立音楽大学モーツァルト連続演奏会Part4

モーツァルト+オペラ=そこから見えてくるものは?・・・様々な愛のかたち
モーツァルト・オペラ・ガラ・コンサート

会場 東京オペラシティ・コンサートホール(タケミツ・メモリアル)

構成:礒山 雅
企画・制作:国立音楽大学演奏部

指揮:斉藤一郎
管弦楽:Kunitachi Philharmoniker
合唱:国立音楽大学
お話:礒山 雅

プログラム

作品名 演奏者
「魔笛」序曲 K.620  
パパゲーノのアリア「おいらは鳥刺し」(魔笛) 山下 浩司
パパゲーノとパミーナの二重唱「愛を感じる男なら」(魔笛) 山下 浩司
高橋 薫子
パパゲーノとパパゲーナの二重唱「パパパ」(魔笛) 山下 浩司
品田 昭子
「後宮からの誘拐」序曲 K.384  
ベルモンテのアリア「コンスタンツェよ」(後宮からの誘拐) 福井 敬
オスミンとブロンテの二重唱「俺は消えてやるが、覚えときなよ」
(後宮からの誘拐)
久保田真澄
品田 昭子
オスミンとペドリロの二重唱「バッカス万歳!」(後宮からの誘拐) 久保田真澄
油谷 充
コンスタンツェのアリア「どんな責苦に遭おうとも」(後宮からの誘拐) 澤畑 恵美
「フィガロの結婚」序曲 K.492  
ミサ曲ハ短調 K.427より「そして肉に入り」 本島阿佐子
ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱「あそこで手に手を取り合い」
(ドン・ジョヴァンニ K.527)
牧野 正人
高橋 薫子
ツェルリーナのアリア「ぶってよマゼット」(ドン・ジョヴァンニ) 高橋 薫子
フェランドのアリア「愛のそよ風は」(コシ・ファン・トゥッテ K.588) 井ノ上了吏
フィオルティリージのロンド(コシ・ファン・トゥッテ) 大倉由紀枝
「後宮からの誘拐」よりフィナーレ 澤畑 恵美
品田 昭子
福井 敬
油谷 充
久保田真澄

 

感想

 大学を評価する物差は幾つかあると思いますが、卒業生の活躍は、その一つの指標になると思います。国立音楽大学は、この点においては間違いなく一流です。出演者のほとんどが、卒業生と学生、それに教員というコンサートで、これだけの顔ぶれを集められるのですから。高橋薫子、澤畑恵美、大倉由紀枝、福井敬、牧野正人、久保田真澄といった面々は、現役の日本のオペラ歌手でも、トップクラスの面々です。今考えうる、最高級のメンバーだと思います。そういうトップクラスの面々を一堂に集めたコンサートですから、非常に華やかで聴きごたえのあるものとなりました。

 もう一つ申し上げるとKunitachi Philharmonikerと名乗るオーケストラ、実態は、国立音大ゆかりのプロの演奏家と学生との混成オーケストラですが、プロのメンバーがまた一流です。例えば、現・旧のN響メンバーとみると、三浦章宏、武藤伸二(以上ヴァイオリン)、宮本明恭(フルート)、北村源三(トランペット)、伊藤清(トロンボーン)、百瀬和紀(ティンパニ)が入っています。斉藤一郎の指揮は、決してよいものではなかったと思うのですが、オーケストラの音は下手な地方オケのレベルを凌駕しているように思いました。

 歌のレベルもごく僅かの例外を除けば、高レベルのものでした。まず評価すべきは、高橋薫子のツェルリーナです。彼女のツェルリーナは何度も聴いていますが、いつも聴きものだと思います。今回も牧野正人との二重唱も、「ぶってよマゼット」もいつもながらの快調さで飛ばしておりました。福井敬のベルモンテもまた良かったです。彼が失敗するところを見たことがないのですが、今回も実に説得力のある歌を聴かせて下さいました。澤畑恵美のコンスタンツェは、細かい問題はあったものの、高音が連続するあれだけの難曲を軽々と歌ってしまうのですから、大いに褒め称えられるべきでしょう。大倉由紀枝の歌唱も格別でした。昨年の秋、どうしようもないフィオルティリージを聴いておりますので、大倉さんの「ロンド」を聴いて、半年ぶりに厄落としをした気分です。

 それ以外の方の歌については、書きませんが、それぞれになかなかの歌を歌われていたように思います。

 音楽大学の市民向けコンサートという位置付けなのでしょうが、ガラ・コンサートの何に恥じない、良質で華やかでかつ楽しいコンサートでした。再演を期待したいと思います。

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観劇日:2002年1月25日
入場料:C席 2835円 4F 1列16番

新国立劇場/二期会オペラ振興会主催
平成13年度文化庁芸術創造特別支援

字幕付日本語上演
三枝成彰作曲「忠臣蔵」
台本:島田雅彦 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:大友直人  管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団/二期会合唱団  合唱指導:三澤洋史
演出:平尾力哉
美術:小林優仁  衣装:渡辺園子
照明:
中山安孝  振付/所作指導:菊若亮太郎
舞台監督:菅原多敢弘 

出演者

大石内蔵助 直野 資
綾衣(遊女) 山口 道子
橋本平左衛門 小林 一男
お艶(大工の娘) 塩田美奈子
岡野金右衛門 井ノ上了吏
夕霧(京遊郭の花魁) 秋葉 京子
幇間 松浦 健
大石主税 三津山和代
神崎与五郎 勝部 太
堀部安兵衛 福島 明也
吉良上野介 蔵田 雅之
女将 三橋 千鶴
三弦 山本 普乃

 

感想

 日本の創作オペラはあまり聴いたことがないので、「忠臣蔵」の位置付けが自分の中で整理されているわけではないのですが、日本の創作オペラ史の中では、かなり特異な作品だろうと思います。音楽の普遍性、ドラマの普遍性という意味においていえば、かなりドメスティックな作品です。この作品を欧米で上演する時、作曲者や台本作家が本来期待したような受容のされ方はしないのではないか、と思います。もっと有体に言ってしまえば、オペラ「忠臣蔵」は、「元禄赤穂事件」をよく知っている日本人向けの通俗音楽劇であり、それ以上でもそれ以下でもない。作曲家が日本人向け通俗音楽劇というコンセプトでわり切って音楽作りをすれば、それはそれなりに完結したのではないかと思いますが、変に国際性を求めて、19世紀後半のロマン派のオペラを意識した分厚い音楽作りをしたことで、かえって焦点が絞りこめなかったのではないか、という気がいたします。

 音楽は、プッチーニとワーグナーとを足して二つに割ったようなもの。分厚い管弦楽のもと甘いメロディが流れます。元禄時代の日本の性愛を描くのに、あたかも肉食人種の性愛を描くような音楽をつける。勿論美しいメロディは、そこここに散りばめられてはいますが、それをあたかも無限に繰り返す。それだけでもうお腹が一杯という感じです。脂肪分がたっぷり含まれた美味しいフランス料理を連日食べさせられているようです。一食ならば美味しいフランス料理も続ければ飽きるように、この音楽も聴いているうちに飽きてくるのです。

 結局、このオペラは欲張り過ぎなのだと思います。日本発の国際的なオペラを書こうとした気負いが、良いものは何でも突っ込もうとして、その結果、どれもこれもが中途半端になって、面白みに欠けるのです。また、あの内容で、正味3時間10分は長すぎます。この「忠臣蔵」というオペラ、赤穂事件を背景にした二つの恋愛を描いているわけですが、赤穂事件の説明がほとんど抜けていて、恋愛の部分が描かれます。日本人にとっては常識なので、橋本平左衛門の苦悩も岡野金右衛門の苦悩も説明抜きに理解出来るのですが、もし背景を知らない人が見たならば、橋本の苦悩も岡野の苦悩も理解出来ないでしょう。また、一力茶屋の場面など、このオペラでは不要な部分です。あと30分ぐらい削って冗長な部分をなくし、すっきりとさせ、更に物語の背景を日本人以外にも理解して貰えるような工夫が必要なのではないかと思いました。

 大友直人の音楽作りは、作品の弱さを補えるほどは優れていなかったと思いますが、初演以来何度も振っていることもあって、手なれたもの。音楽の盛り上げ方も流石です。しかし、東京交響楽団の金管セクションはフォルテで外す。本曲のような分厚い管弦楽で書かれた音楽で金管が外されると、それだけでしらけます。弦楽器セクションが流麗に弾いていたので、特に目だっていました。また、本曲は打楽器が要所要所で活躍するわけですが、打楽器はよく頑張っていたと思います。

 歌手に関しては、どの方も今一つピンときませんでした。日本語が明瞭に分るように書かれた作品との触れ込みですが、字幕があって助かったという部分が多々ありました。特に日本語が分らないのは女声歌手に多かったと思います。主要4役の内で、山口道子は、綾衣という役が彼女に向いているとはあまり思えないのですが、頑張って歌われていて好感を持ちました。小林一男は持ち前の美声を響かせていましたが、昔ほどではないような気もします。塩田美奈子は高音の続く部分を何とか乗りきっていましたが、井ノ上了吏と共に、決して彼らの実力を十分発揮した歌ではなかったように思います。

 演出もあまり感心しませんでした。平尾力哉は「ねじの回転」の時用いた二重スクリーンに映像を二重に写すという手法を持ちいて、背景を多様に使おうとしていましたが、そのかわり、舞台上の装置は質素で、わりと象徴的な舞台でした。どうしてもリアルな部分と、そうとは言えない部分とがマゼコゼになって、よくわからない。正直言えば、貧相な舞台のように思えました。

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観劇日:2002年2月7日
入場料:3780円 LB列31番

新国立劇場主催
小劇場オペラ#6

音楽部分:ドイツ語・字幕付き、台詞日本語・字幕なし
オルフ作曲「賢い女」(Die Kluge)
台本:カール・オルフ 

会場 新国立劇場・小劇場

指揮:時任康文  管弦楽:新国立劇場小劇場オペラアンサンブル
演出:伊藤明子  装置:大沢佐智子
衣装:前田文子  照明:成瀬一裕
舞台監督:村田健輔 

出演者

王様 米谷 毅彦
農夫 宇野 徹哉
農夫の娘(賢い女) 山本 美樹
牢番 小田川哲也
ロバを連れた男 高野 二郎
ラバを連れた男 成田 博之
三人の浮浪者I 湯川 晃
三人の浮浪者II 笹倉 直也
三人の浮浪者III 黒木 純
道化達(黙役) 山本 光洋
道化達(黙役) 野和田恵里花
道化達(黙役) 宮沢 さおり

感想

 はじめて聴くオペラです。オルフのオペラ作品としては「月」の次ぎぐらいに有名で、日本初演が1957年、サヴァリッシュがフィルハーモニア・オーケストラを指揮し、タイトルロールがシュヴァルツコップという録音もあるのですが、私には全く初めての作品でした。作曲されたのが1941-42年、初演がフランクフルトで1943年という、第二次大戦中、それもドイツの敗色が見えはじめた頃の作品ですが、音楽自身は戦争の影響を直接的には受けていない、むしろ拒否しているイメージに聴きました。

 題材はグリム童話の「王様と賢い女の物語」でオペラのストーリーは、ほぼこの童話を踏襲しています。しかし、細かい所では異なっている所も多く、例えば「なぞ掛け」の内容は、グリムの原作よりも「トゥーランドット」を彷彿とさせますし、原作にはない、世界を滑稽な話で風刺する三人の浮浪者も出てきます。この3人の浮浪者が歌う、三重唱がミュージカルっぽいナンバーでまた味わいがあります。全体として、戦争の陰は感じませんが、寓意に富んだ作品で、その裏側には戦争の影響が隠されているのかも知れません。

 タイトルロールの賢い女は、音楽的にはそれほど恵まれた役ではありませんし、ソプラノの技巧を駆使するような役でもない。グリムの原作を読むと、もっと目端の利く、おきゃんな女性だと思うのですが、与えられた音楽は、むしろ静かで朗読のようです。こういった音楽の与え方にオルフの悪意を感じます。本日の山本美樹は、このオルフの悪意を跳ね返すような歌を期待した所ですが、現実には数少ない聴かせどころがぱっとせず、全体としても印象の薄い歌だったと思います。

 王様。この役も、音楽的な技巧に富んだ役ではないのですが、外題役と比べれば、はるかに人間的です。米谷毅彦は、猜疑心が強く身勝手な王様を印象深く演じていたと思います。踊りもなかなかのものでした。ただし、本職の歌は、それなりに頑張っていたと思うのですが、どこか押しきれないところがあって、一寸まとまりに欠けるように思いました。宇野徹哉の農夫。冒頭のアリアを歌うのですが、これはなかなか良かったです。

 ロバ曳きの高野二郎と、三人の浮浪者もなかなかよい歌唱をしていたと思います。前述の三重唱がことに良かった。

 オーケストラは二台のピアノとオルガン、6人の打楽器奏者が沢山の打楽器を持ち替えての演奏。ピアノも打楽器的に用いられ、ジャズ的なイメージもありました。伊藤明子の演出は、とても象徴的なもの。舞台はほとんど幕だけで仕切られ、その動きで場所が移動します。寓話的なオペラですから、具象よりも抽象と云うことなのでしょうが、私には楽しめる舞台ではありませんでした。

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観劇日:2002年2月8日
入場料:5050円 2F7列28番

東京フィルハーモニー交響楽団
オペラコンチェルタンテ・シリーズ 第23回
文化庁芸術創造特別支援事業

字幕付ドイツ語上演、演奏会形式
ブゾーニ作曲「ファウスト博士」(Doktor Faust)
ヤルナッハ版、日本初演 

会場 オーチャード・ホール

指揮:沼尻竜典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京オペラ・シンガーズ
構成/字幕:大橋マリ  美術:牧野良三
照明:中山安孝  舞台監督:岸本多加志 

出演者

ファウスト博士 ダリボア・イェニス
ワグナー/式部官 大久保 光哉
メフィストフェレス 福井 敬
パルマ公 吉田 浩之
パルマ公妃 エヴァ・イェニス
兵士 秋山 徹

感想

 はじめて聴くオペラが2日続いて、いささか疲れました。ブゾーニは私の持っていたイメージでは、バッハの校訂者です。作曲した作品もあるのでしょうが、取りたてて有名な曲はないな、という印象です。「ファウスト博士」はそれなりに難解な作品で、一度聴いただけで、その真髄が理解できたとは思わないのですが、オペラとしては、かなり破綻の多い作品という印象でした。

 序曲(シンフォニア)と二つの序幕、幕間劇、二つの主幕とその間に挟まれる間奏曲、そして終幕という構成で、この組み合わせ自身がかなり変わっています。演奏会形式の上演で聴くと、オペラというよりもカンタータやオラトリオと近しく聞えます。直感的には、バッハの「受難曲」の影響が底流にあるように思いました。ブゾーニはアンチワーグナーであり、またアンチヴェリズモだったそうですが、そういった既成の権威と対抗するとき、彼の拠り所は結局バッハだったのかも知れません。そうは云っても、この作品が、バッハのような気高さのある作品ではありません。むしろパロディックで、稚気溢れる部分も多く、なんとも奇妙な味です。初演は「ヴォツェック」と同じ1925年とのことですが、20世紀の音楽語法を駆使して、緻密な音楽空間を作り上げたベルグに対して、音楽語法も古く、反面「カンタービレ」を拒絶したブゾーニの行き方は、焦点がぼやけていて、聴き手を素直に楽しませることを拒否しているように思いました。

 そういう珍妙な作品に対して沼尻竜典は、真正面から取り組み、非常に良い結果を出していたと思います。最近新国立劇場のピットでは決して評判の高くない東京フィルハーモニー交響楽団も、きりっと引き締まって、輪郭の大きなかつ明瞭な表現をしていたと思います。オペラの東フィルの実力を久々に出した、と申し上げます。オペラ・コンチェルタンテ・シリーズは、来年度は休止で、一応幕を引くようですが、その最後の演奏会で有終の美を飾った、と申し上げても良いでしょう。

 主役のイェニスは、初めてですが、なかなか美声のバリトン、決してわかり易いとは言えないオペラをニュアンス豊かに歌っていたと思います(その結果、このオペラが分り易くなったとは申しませんが)。対抗する福井敬。今回彼は絶好調ではなかったと思うのですが、要所要所をしっかり固め、持ち前の美声で上手にコントロールしていました。テノールのメフィストフェレ、ということで役作りも難しかったと思うのですが、その辺の苦労は見せませんでした。吉田浩之のパルマ公、エヴァ・イェニスのパルマ公妃は、どちらも特に不満はありませんでした。大久保光哉のワーグナーは今一つ。それ以外の役は、全て東京オペラ・シンガーズのメンバーが担当していましたが、非常にニュアンスの豊かな歌を聴かせてくれて、秀逸だったと思います。

 「器楽的オペラ」、と今回渡されたパンフレットで岡田暁生氏は書いていますが、これは実に言いえて妙。オペラとして聴くよりも、歌付きの交響曲として聴くべき作品なのかも知れません。一方で、この作品が舞台に乗るとき、どんな感じになるのだろうと言う点に興味があります。最近、ヨーロッパではしばしば舞台に掛かるそうなので、日本でもいつかは舞台上演があるかもしれません。その時、私はどのようにこの作品を見直すでしょうか?楽しみです。

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観劇日:2002年2月21日
入場料:D席 5670円 4F L8列4番

新国立劇場主催

字幕付原語(フランス語)上演
マスネ作曲「ウェルテル」WERTHER
原作:ゲーテ「若きウェルテルの悩み」
台本:
エドゥアール・プロー/ポール・ミリエ/ジョルジョ・アルトマン

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:アラン・ギンガル  管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団  合唱指揮:三澤洋史
児童合唱:杉並児童合唱団  合唱指導:志水隆
演出:アルベルト・ファッシーニ
美術・衣装:ウィリアム・オルランディ
照明:
磯野 睦  
舞台監督:菅原多敢弘 

出演者

ウェルテル  ジュゼッペ・サッバティーニ
シャルロット  アンナ・カテリーナ・アントナッチ
アルベール  ナターレ・デ・カロリス
ソフィー  中嶋 彰子
大法官  久保田真澄
シュミット  中鉢 聡
ジョアン  豊島 雄一
ブリュールマン  樋口 達哉
ケッチェン  高原 由樹

 

感想

 マスネのオペラは、「マノン」と「ウェルテル」しか聴いたことがないので、偉そうなことは言えないのですが、抒情的な表現に実力を発揮した人ではないかと思います。マスネの活躍した時代、イタリアはヴェリズモ・オペラの時代でした。ヴェリズモ・オペラを端的に言い表すと、カンツォーネ的オペラと云うことだろうと思いますが、そういう言い方をすれば、マスネのオペラはシャンソン的です。アリアも勿論悪くはないのですが、声を張り上げない、地の会話のようなものに付く音楽や、モノローグに付く音楽にとても惹かれるものがあります。

 「ウェルテル」は、「マノン」よりもよりシャンソン的イメージがあります。ゲーテの青春の激情を描いた小説にシャンソン的音楽をつける。ミスマッチと言えるかも知れません。演奏家は、作品の内容である「激情」に重心を置くか、音楽の根本にある「シャンソン」に重心を置くかで、曲の印象が変わってくるように思います。今回の演奏は、そういう分け方をすれば、「激情」に重心を置いた音楽の作りでした。

 ギンガルは、オーケストラをダイナミックに歌わせ、雄弁でした。フォルテの時の音楽の躍動感には目を見張るものがありましたし、畳み込むような音楽の運び方やアッチェラランドには、ウェルテルの激情をサポートするのに有効だったと思います。一方において、抒情的表現はややないがしろにされており、フランス・オペラを聴いている、というよりもヴェリズモ・オペラを聴いているという感じが致しました。

 サッバティーニは流石です。第1幕は、かなりセーブした歌い方で、何だこれは、という感じでしたが、2幕以降、尻上りに調子を上げ、第3幕の有名なアリア「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」は名唱でした。2幕の「他の男が彼女の夫なのだ」も良かったです。高音の伸びといい、正確な音程といい、ブラボーです。その上、彼は声を張り上げない繊細な表現もよく、第4楽章のシャルロットとのニ重唱にその良さが集約されていたと思います。彼の歌は劇的な面と繊細な面を歌い分けていて良かったのですが、一方において、彼の歌はサッバテーニの知的な側面が現れて来ていて、ウェルテルという登場人物の「幼さ」を表現出来ていませんでした。今回、サッバテーニのアンダーは中島康晴でしたが、今の彼であれば、ウェルテルの若さを歌わせたなら、サッバテーニ以上に歌えるのではないかという気もいたします。

 シャルロットのアントナッチ。三幕のモノローグがとても良かったです。シャルロットは元々メゾの役で、若きウェルテルの激しい愛を受けとめる「年上の女」という役どころです。この激しい愛を受けとめた時の動揺を、深みのある声で繊細に歌いました。第4幕の心と行動が一致してからの歌唱も良かったと思います。ただ、1、2幕は印象が薄いです。本来このオペラは、ひたすら一途のウェルテルと彼にほだされてだんだん変わっていくシャルロットの対比が一つの見所だと思うのですが、1、2幕での表現力が今一つであったため、後半の素晴らしさが強調されなかったきらいがあります。

 アルベールのデ・カロリス。音楽的には取りたてて聴くべきところが少ないのですが、妻に横恋慕する男に対する秘めたる怒りを上手く表現していました。第3幕で、ピストルを渡すシーンの表情は、スカルピアと見まがうような厳しいもので、この「激しさ」を強調した音楽作りに、とてもマッチしていました。

 中島彰子の歌は、上記3人と比較すると、今一つでした。シャルロットと比較すると、曲の構成上仕方がないのですが、歌唱に存在感がないのです。技術的には、第3幕の歌唱で、高音のアジリダが綺麗に決まらず流れてしまう所が私には不満でした。豊島雄一、中鉢聡、久保田真澄の三脇役では、中鉢の歌唱に注目します。児童合唱の杉並児童合唱団は、相当練習を積んだようで、演技と歌とがきちんとあっていて、良かったです。

 ファッシーニの演出はわかり易くて良かったと思います。平凡と言えば平凡ですが、私は妙に前衛に走るより、オーソドックスなところを買います。

 全体としてみれば、主張のある音楽作りで良かったと思います。ただし昨年の新国「マノン」と比較すると、サッバティーニの調子も含めて完成度では「マノン」に劣るというのが、本当のところでしょう。

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観劇日:2002年2月28日
入場料:Family Circle 25ドル I-384

メトロポリタン歌劇場主催

英語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」Le Nozze di Figaro
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 メトロポリタン歌劇場

指揮:ドナルド・ラニクルス  管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団
合唱:メトロポリタン歌劇場合唱団  合唱指揮:レイモンド・ヒューズ
演出:ジョナサン・ミラー  
美術:ピーター・ダヴィソン
衣装:
ジェームス・アケソン  照明:マーク・マックルーガー  
舞台監督:ロビン・グァリノ 

出演者

フィガロ  フェリッチョ・フルラネット
スザンナ  レベッカ・エヴァンス
ドン・バルトロ  ポール・プリシュカ
マルチェリーナ  デロリス・ツィーグラー
ケルビーノ  アンゲリカ・キルシュラーガー
アルマヴィーヴァ伯爵  ミケーレ・ペルトゥージ
ドン・バジリオ  ミシェル・セネシャル
伯爵夫人  メラニー・ディエナー
アントニオ  トーマス・ハモンズ
ドン・クルツィオ  アンソニー・ラシューラ
バルバリーナ  リューボヴ・ペトロヴァ
花嫁付添い娘  サンドラ・ロペツ
花嫁付添い娘  レヴェッカ・マヴロヴィッツ

感想

 ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」を聴くとき、私は、アルマヴィーヴァ伯爵を精神的な意味でフィガロの弟分のように聴きます。このロッシーニの名作において、伯爵はテノーレ・レジェーロの役柄であり、フィガロはバリトンの役柄です。伯爵は若さを強調し、フィガロは、その伯爵を兄のように助けるが如く働きます。それに対して、「フィガロの結婚」では、フィガロはバリトンのままですが、伯爵はバスかバリトンの役となります。伯爵が老成し、フィガロが若々しくいるように思えます。ダ・ポンテは、伯爵とフィガロをどういうような年齢関係で考えていたのでしょうか。

 こんなことを書いてみたのは、今回の「フィガロの結婚」では、どうみてもフィガロの方が伯爵よりも貫禄があるのですね。フルラネットのフィガロは、正に御大が歌っているという感じです。何度も歌っている役柄でもあり、どこを取っても余裕綽綽という歌いっぷりでした。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」などは、千両役者と言わんばかりです。流石と申し上げましょう。とても上手で聴いた甲斐はあるのですが、ここまでやられると、フィガロの持っている軽さが消えてしまいます。

 一方、伯爵役のペルトゥージは、何か軽くて貴族の貫禄に欠けるのです。歌自体は決して悪くないのですが一寸軽めで、フルラネットと並ぶと格下だな、と思わずにはいられません。そんなわけで、この「フィガロ」の公演は「セヴィリアの理髪師」を彷彿させる公演だと申し上げて良いでしょう。私の気持ちとしては、ペルトゥージはフィガロも持ち役ですから、フルラネットが伯爵を歌って、ペルトゥージがフィガロを歌った方がより「フィガロの結婚」らしく聞えると思いました。この公演ではそこが最大の不満です。

 しかし、上演としては実に上質だったと思います。まず良かったのがスザンナ役のエヴァンスです。初めて聴く人でしたが、リリコ・レジェーロの綺麗な声の持ち主で、艶やかで張りのある声です。割と小柄で、日本人ならば高橋薫子さんがよく似ています。この方は非常に丁寧でかつはつらつとした歌いっぷりで、感心いたしました。第4幕の「恋人よ、早くここへ」は、コントロールが隅々まで行き届いて、絶品でした。今回の公演の最高殊勲歌手と申し上げて良いと思います。

 ケルビーノは決して悪くないのですが、キルシュラーガーとしては今一つ、と言うところかしら。「自分で自分がわからない」も「恋とはどんなものかしら」も一寸重たい感じです。伯爵夫人も一寸貫禄不足です。ディエナーという人は初めて聴きました。「愛の神様みそなわせ」も「美しい思いでは何処に」も悪くはないのですが、伯爵夫人の持っているべき気品に乏しいように思います。背丈が小さく見えるのも不利です。

 バルトロを歌ったプリシュカは流石です。出ているだけで存在感があり、演技も軽妙で、ブッフォの鑑のようでした。また、マルチェリーナを歌ったツィーグラーもプリシュカト共に大仰な演技で、大いに湧かせてくれました。ドン・クルツィオのラシューラも良かったです。一方、バジリオ役のセネシャルは、一寸影が薄い感じです。

 指揮のラニクルス、序曲を猛スピードで弾かせて、このまま突っ走る気かと思ったら、幕が開いたら当り前の指揮でした。特に可もなく不可もなし、と言うところでしょう。でも、メトのオケは、流石に上手で、新国のピットでよくとちる某オーケストラとは実力の差異が明白でした。指揮は結構凡庸だったにも拘らず、音は非常に良いものがありました。

 ジョナサン・ミラーの演出は基本的にはオーソドックスなもの。舞台装置などは、ロココ形式を意識しているのか、非常に優雅で美しいものでした。光の利用も流石で、当り前といえば当り前ですが、午前中は東から光が入るのに対して、午後には西から入るようにするなど、一つ一つがきめ細やかに演出されており、美しくてかつ豪華でした。ジョナサン・ミラー演出のフィガロというと、94年ウィーン国立歌劇場の日本公演を思い出しますが、あの時よりも舞台美術がより華やかで明るいものでした。

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観劇日:2002年3月1日
入場料:Family Circle 30ドル H-1

メトロポリタン歌劇場主催

英語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「リゴレット」Rigoletto
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場 メトロポリタン歌劇場

指揮:マルコ・グィダリニ  管弦楽:メトロポリタン歌劇場管弦楽団
合唱:メトロポリタン歌劇場合唱団  合唱指揮:レイモンド・ヒューズ
演出:オットー・シェンク  
美術・衣装:ザック・ブラウン
照明:
ジル・ウェシェスラー
舞台監督:シャロン・トマス 

出演者

リゴレット  ホアン・ポンス
ジルダ  ルース・アン・スウェンソン
マントヴァ公爵  マルセロ・アルヴァレス
スパラフチーレ  ロバート・ロイド
マッダレーナ  デニス・グレイヴス
チェプラーノ伯爵  アルフレッド・ウォーカー
チェプラーノ伯爵夫人  レヴェッカ・マヴロヴィッツ
モンテローネ伯爵  ジェームス・コートニー
ジョヴァンナ  ダイアン・エリアス
マルッロ  ロディオン・ポゴソフ
ボルサ  マイケル・フォレスト
門衛  ジョセフ・パリソ
小姓  アレキサンドラ・ニューランド

感想

 2001年5月から6月にかけて、メトロポリタン・オペラハウスは日本ツアーを行いました。芸術監督のジェームス・レヴァインが引きつれて、リゴレット、サムソンとデリラ、バラの騎士の3本を持って来ました。このときの「リゴレット」の陣容は、表題役がファン・ポンス、ジルダがスウェンソン、公爵がラモン・ヴァルガス、スパラフチーレがロイド、マッダレーナがイリーナ・ミシュラで、レヴァインが指揮を取りました。この演奏の評価は決して高いものではなく、「音楽の友」誌における三善清達氏の評などは、彼の普段の筆致からすれば、かなり厳しい評と言って良いかも知れません。私は、この日本公演を聴いていないので、この批評の妥当性を評価できる立場にはないのですが(入場料が高すぎて、とても行こうという気が起きませんでした)、3月1日のニューヨークでの公演は、非常に感動させられた舞台だと思います。

 指揮者が芸術監督から、私は初めて名を聞くイタリア人指揮者に変わり、マントヴァ公が期待の若手テノール、アルヴァレスとなり、マッダレーナがグレイヴスに変わりましたが、それ以外は日本公演の陣容でした。指揮者が無名の青年指揮者に変わったことから、音楽的完成度はきっとレヴァイン指揮の時程ではなかったのだろうと思いますが、声を楽しむ、舞台を楽しむ、という意味では十全な演奏でした。

 まず、最初に指を折るべきは、タイトル・ロールでしょう。ポンスは、声が輝かしく馬力があって、悲しみの表情も的確で、非常に素晴らしいリゴレットでした。抜群の存在感です。「悪魔め、鬼め」の怒りは、父親の悲しみを表現して、素晴らしかったと思います。道化としての嫌味な部分と、娘を思う父親との部分の描き分けが今一つはっきりしないところがあるのですが、あれだけすばらしい声を聴かせてくれれば、文句はありません。ヴェルディがきっと期待したような歌いっぷりだったのではないでしょうか。

 スウェンソンのジルダもとても良かったです。声が清楚で、いかにも「ジルダ」という感じが良く出ていましたし、高音も低音も正確なテクニックで歌い切り、また、弱音の表現力も格別でした。最大の聴かせ所である「慕わしき人の名は」は、高音の魅力もさることながら、ピアノで表現する部分の繊細さが抜群によく、思わず背筋がピンと伸びました。

 マントヴァ公を歌ったアルヴァレスは、技術的には文句なしです。「あれか、これか」にしても、「女心の歌」にしても、私が気がつくようなミスを犯しません。ブラボーです。ただ、アルヴァレスは、マントヴァ公の持っている色気を出すという点については、まだまだという感じです。ですから、「あれか、これか」にしても、「女心の歌」にしても、余裕がないというか柔らかくないというか、一寸物足りない感じがあります。

 ロバート・ロイドのスパラフチーレは役の持つ極薄な感じをよく出していましたし、マッダレーナのグレイヴスは、ムンムンのお色気と艶やかな声とで魅了させて戴きました。

 主要配役が皆実力派で、力があるので、第3幕のジルダ、マッダレーナ、公爵、リゴレットの四重唱は、非常にバランスがよく、感動して聴けました。また、脇役や合唱も隅々まで行き届いており、オーケストラも上手い、ということで、大変感心致しました。

 演出は、日本公演と同一のものでしょう。ただし、東京文化会館とオペラハウスの舞台の大きさの違いからか、東京公演の写真とは一寸違ったイメージです。階段の位置などは、日本公演と逆でした。メトらしからぬ華やかさに欠ける舞台と言われましたが、当地で見ると、1幕、2幕のマントヴァ公の宮殿は、華やかです。そういう中で、非常に感動させられる上演を見る事が出来ました。良かったと思います。

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観劇日:2002年3月15日
入場料:D席 7000円 3F R3列13番

2002年都民芸術フェスティバル参加、平成13年度文化庁芸術創造活性化事業

藤原歌劇団公演

字幕付原語上演(リコルディ版)
ベッリーニ作曲「カプレーティ家とモンテッキ家」I Capuleti e i Montecchi
歌劇 2幕

台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 東京文化会館

指揮:ダニエレ・カッレガーリ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
演出・衣装・装置:ピエール・ルイージ・ピッツィ
照明:ディヴィッド・ハーヴィー  舞台監督:大澤 裕
舞台・制作協力:ロンドン・コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウス
(1984年プレミエ) 

出演者

ジュリエッタ マリエッラ・デヴィーア
ロメオ ソニア・ガナッシ
テバルド 佐野 成宏
カペッリオ 妻屋 秀和
ロレンツォ 三浦 克次

感想

 「カプレーティとモンテッキ」は、88年のミラノスカラ座の日本公演の時持って来た演目ですが、それを私は聴いておりませんので、今回が初めての体験です。私は、決して100%満足して帰ったわけではないのですが、この上演でこそ出来た部分がいくつもあって、非常に上質な上演だったと申し上げるべきだと思います。

 まず、舞台・演出がいい。舞台はコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスから借りてきたものですが、シックで落ち着いていてとても良いものでした。カプレーティ一族を赤いマントで、モンテッキ一族を青いマントで示す以外は、全体が無彩色ですが、バックの黒に対してこの赤と青が鮮烈な印象で良かったです。台本は、三単一の法則を守って、朝から翌朝までのほぼ24時間で終結するように書かれていますが、その時間の動きに対する照明の的確な使用も、好感が持てました。88年のスカラ座の来日公演の舞台もピッツイの演出でしたが、その時の写真と見比べますと、ほとんど同じなのではないかと思います。

 ベッリーニの音楽は管弦楽法が弱く、内声部の充実に乏しい密度の薄いものです。声が出てくれば、その弱さを隠してくれるのですが、カプレーティとモンテッキの場合、場のはじまりでは必ずオーケストラの序奏が入ります。この部分を演奏させるか、というのが指揮者の見識だと思うのですが、カッレガーリは、その序奏部を割とさらっと弾かせていました。これは多分楽譜に忠実だということなのでしょうが、歌が出てきた部分の充実と比べて、非常に見劣りがします。ここをもう少し何とか処理して、歌が出る部分とのギャップを小さくしたほうが良いのではないかと思います。

 東フィルの演奏は、中庸な指揮者の指揮ぶりに対して、とても正直に対応していました。管弦楽曲として見た場合、特に難曲というわけではないということもあるのでしょうが、演奏のミスはほとんど無かった様です。ホルン、チェロ、クラリネットなどで演奏されるソロパートもそれぞれ味があって良かったと思います。

 歌手でまず褒めるべきはデヴィーアでしょう。私はデヴィーアのオペラ舞台を見るのは三度目ですが、今回が一番の名唱だとおもいます。ジュリエッタの登場のアリア「ああ、いく度か」は、特に類稀なる名唱。聴いていて心地よく、人間のプリミティブな部分を刺激するような演奏でした。デヴィーアがベル・カントの女王と称される秘密を垣間見た気がいたします。その後のガナッシとの二重唱も、入念に練り上げられた名唱で、この一幕2場を聴くだけでも、今回出かけた甲斐がありました。第二幕冒頭のアリアもゆったりとしたテンポにのって、朗々と響き渡らせ、流石でした。一部高音で声のざらつきが生じた部分がなくもなかったのですが、総じて見れば、世界第一級の歌手の実力を惜しみなく出してくれたと申し上げられると思います。

 対するガナッシ。デヴィーアと比べると、一寸弱いな、というのが正直な所です。悲劇のヒーローを歌うのだから当然なのかもしれませんが、一昨年、新国でロジーナを歌った時のはつらつした感じが消えていた感じがします。また、見た目が、ロミオとしては今一つカッコワルイ。宝塚の男役とは申しませんが、もう少し見栄えが良い方が、舞台の美しさが引き立ったのではないかと思います。とはいえ、歌唱はなかなかのものでした。特に、デヴィーアと絡むところは,全くデヴィーアに負けていない。絶妙のコントラストとバランスでとても素敵でした。それに対して、日本人歌手と絡む部分と登場のアリアは、悪くはないのですが、今一つ乗り切れていなかった様です。二幕第三場のカヴァティーナは、恋人を失った悲しみが良く出ていて秀逸でした。

 佐野成宏のデバルド。冒頭のアリアも二幕二場でのガナッシの二重唱、共に良かったです。冒頭のアリアは、喉が温まりきっていないのかな、とも思わせる部分が無いわけではなかったのですが、流石の美声で十分満足いたしました。妻屋秀和のカペッリオは、響きに艶があって、良く通り、実に良かったです。妻屋さんの歌は随分繰り返し聴いて来ましたが,昨年ぐらいから「一皮むけたな」という印象がありました。今回の演奏を聴いて、その印象を更に強く持ちました。三浦克次のロレンツォ。彼も好演でした。彼は、妻屋さんのように艶のある声ではないのですが、その声の違いを上手く使って、カペッリオとの立場の違いを描き出していたと思います。デヴィーアとの二重唱が多いのですが、そのバランスにおいて、デヴィーアの魅力と上手くコントラストを作っていたと思います。

 合唱は、冒頭の合唱が結構雑でした。今回合唱の人数が多く、通常の藤原歌劇団公演では出られないような人も参加して、レベルが落ちているのかな、という印象でした。でも後半は、きちんと建てなおしました。

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観劇日:2002年3月28日
入場料:C席 5000円 2F 7列46番

東京オペラ・プロデュース第65回定期公演

舞台芸術振興事業助成公演

字幕付原語上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「無口な女」Die Schweigsame Frau
歌劇 3幕

原作:ベン・ジョンソン 台本:シュテファン・ツヴァイク

会場 新宿文化センター大ホール

指揮:松岡 究  管弦楽:東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:東京オペラ・プロデュース合唱団  合唱指揮:伊佐地邦治
演出:松尾 洋  衣装:清水崇子  美術:土屋茂昭
照明:松尾隆之  舞台監督:八木清市

出演者

モロズス卿  山口 俊彦
アミンタ  三崎今日子
ヘンリー  高野 二郎
理髪師  河野 克典
家政婦  向野由美子
イゾッタ  工藤 志州
カルロッタ  後藤 美奈
モルビオ  土屋弘二郎
ヴァヌッチ  笹倉 直也
ファルファッロ  菅原 源

感想

 「無口な女」は、リヒャルト・シュトラウス11番目のオペラで、台本作家・ホフマンスタールを失ったシュトラウスが、ツヴァイクという次の才能を得て作曲した作品です。名前が知られている割には実際の上演はほとんど無く、日本初演は、1999年2月の東フィル・オペラコンチェルタンテの時で、舞台初演は、翌年の東京オペラ・プロデュースによるものです。今回は、2000年の再演ということでしょう。私は、録音すら聴いたことが無く、全く初めての経験でした。

 作品が、独身の伯父さんをだまして結婚させて、財産を相続しようと考えるお話ですので、ドニゼッティの「ドン・パスクァーレ」を彷彿とさせます。また、その作戦参謀が床屋というのは、「セヴィリアの理髪師」みたい。さらに、伯父さんをだますのが、オペラ団の劇中劇というのですから、「アリアドネ」も入っています。少なくとも、ストーリーは過去のオペラ作品を彷彿とさせるという点で、実にロマンチックです。でも音楽は、リヒャルト・シュトラウスそのものです。あういう曲はリヒャルト・シュトラウスだからこそ書けたという気がいたします。

 しかし、演奏はあまり感心いたしませんでした。松岡究指揮する東京ユニバーサル・フィルが上手とはいえません。管楽器の技術は今一つだし、また、シュトラウスの音楽がもっている、爛熟した優美さを示すには弦の技量も不満があります。確かに、うるさく演奏してよい部分もあると思うのですが、全体としてごつごつした印象が強くですぎていて不満でした。リヒャルト・シュトラウスの作品は、オペラの中に占めるオーケストラの役割が多いと思います。ですから、オケがもう少ししっかりして、締まった音楽を聴かせていただきたいと思いました。

 歌は、オーケストラと比べれば、遥かにましでした。歌手で一番良かったのは、河野克典の理髪師でした。彼はオペラ・コンチェルタンテの日本初演でも同じ役を歌っていますが、落ちつきといい、声の艶、張りといい、一番の出来でした。目端の利く一方でちょっと軽薄な役どころですが、輝かしいハイ・バリトンで雰囲気を良く出していたと思います。モロズス卿の山口俊彦も良かったです。一部歌い飛ばす所があり、もっと丁寧に歌った方がよいとは思いましたが、感情表現が優れていましたし、だまされた老人の悲しみが。ことに、第3幕の「音楽はなんとすばらしいものか」で始まるアリアの表現は、とても説得力があるもので感心いたしました。ヘンリーの高野二郎は、前二者と比較すると一寸不満です。でも、第二幕のアミンタとの二重唱は、情感が込められていて中々のものでした。

 女声陣では三崎今日子が比較的良かったと思います。技術的に正確な歌で、特に高音が良かった。第二幕のモロズス卿との結婚が決まった後の、無口な娘を貰ったと思ったら大間違いよ、で始まるアリアは、高音が続く難曲だと思いますが、軽がると歌って見せました。ただ、この方は技術的には正確ですが、歌に膨らみがない。やせて聞えるのです。声量に不足があるようには思えないのですが、脂が乗ってない感じがします。

 工藤志州のイゾッタと後藤美奈のカルロッタもそれぞれに軽妙で、まずは文句なしと言うところです。向野由美子の家政婦も最初一寸弱い感じがしましたが、後半は建てなおしました。モルビオ、ヴァヌッツイ、ファルファッロの三役は、音楽的には特に重要ではなく、文句もありません。

 演出はわかり易い舞台を狙ったようで、大道具もしっかりしていましたし、照明の使い方も、陳腐ではありましたが、それなりのレベルではあったのかな、と思います。ただ、舞台の上での人の動かし方は、もっと整理したほうが見た目に良かったのではないかと思います。結構ごちゃごちゃしていていました。また、喜劇としてこの作品を見たとき、演出の狙いがはっきりしていない様に思いました。

 全体として見たとき、スタッフ・キャストの音楽的ベクトルが揃っておらず、散漫な印象を受けました。逆にいえば、音楽的集中が得られれば、とても楽しめる作品になるのではないかという感じを受けました。

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観劇日:2002年3月29日
入場料:D席 6615円 3F 2列52番

新国立劇場主催
オペラ団体協議会共催、日本ワーグナー協会協力

字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲楽劇「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」Die Walkure
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮:準・メルクル  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:キース・ウォーナー
装置・衣装:デヴィッド・フィールディング
照明:
ヴォルフガング・ゲッベル  
舞台監督:大仁田雅彦 

出演者

ジークムント  ロバート・ディーン・スミス
フンディング  ドナルド・マッキンタイア
ヴォータン  ジェームス・ジョンソン
ジークリンデ  スーザン・アンソニー
ブリュンヒルデ  リンダ・ワトソン
フリッカ  藤村実穂子
ゲルヒルデ  池畑 都美
オルトリンデ  森野 由み
ワルトラウテ  大林 智子
シュヴェルトライテ  黒木 香保里
ヘルムヴィーゲ  平井 香織
ジークルーネ  白土 理香
グリムゲルデ  菅 有実子
ロスヴァイゼ  岩森 美里

感想

 はっきり申し上げましょう。名演です。オペラはこうでなくっちゃ。

 でも、完璧に分りました。私はワグネリアンにはなれない。あれだけ素晴らしい演奏を聴いても、本当のところ、ワグナーを自分で楽しめていないのですから。私はやっぱりベルカントオペラ指向ですね。逆にいえば、ワーグナー好きの人には、とても素晴らしい一夜だろうと思います。とにかく感心いたしました。第1幕の終りの、ジークムントとジークリンデの愛の二重唱では、不覚にも目頭が熱くなりました。久しぶりのことです。

 今回の上演は、ワルキューレのひとりひとりに至るまで、音楽的に高レベルのところでまとまっていました。水準が高いのです。高い水準の中で更に素晴らしい音楽を聴かせてくれた人もいるわけですから、もう何を申し上げるべきでしょうか。

 まず称賛すべきは、準・メルクルです。彼の音楽作りは精妙でかつ丁寧で、決して上手とはいえない東フィルから、透明感のある音を引出していました。実に魅力的でした。東フィルは、金管が結構危ない部分があって、まともに外した所も無いわけではなかったのですが、全体としてみれば、非常に上質な演奏だったと思います。「ワルキューレの騎行」のような激しい部分よりも、緩徐部の官能的な響きに魅力を感じました。それにしても、オーケストラは指揮者で大きく変わります。弦が16型の大編成で演奏していた筈なのに、乱れよりも調和を、音楽のベクトルの向きの一致を感じさせるところなど、流石にメルクルだと思いました。とにかく今回の上演の最高貢献者は、私はメルクルだと思います。

 歌手達も皆良かったです。私が一番気に入ったのは、スーザン・アンソニーのジークリンデ。この方、持っている声が私好みです。若々しくて、艶やかで、ふくよかでもう最高でした。第1幕第3場の愛の二重唱は、抒情的な美しさに満ち溢れ、恍惚としてしまうほどでした。このかたは、ドラマチックな歌い方をする時でも、歌が鋭くならないのです。そこがジークリンデの雰囲気とよく合っていて、私は気に入りました。また見た目もセクシーでそこもいいです。

 ジークムントのロバート・ディーン・スミスも大変結構でした。凄みを感じるヘルデンテノールではないと思いますが、又そこがジークムントらしくていいと思いました。声に若さがあって、それが艶やかに伸びるところが又いいです。第一幕のヴェルゼーといって延ばすところの滞空時間の長いこと、テノールを聴く醍醐味ですね。

 マッキンタイヤーのフンディングも又いい。この方はちょっと渋めですが、凄むところの声の張りがいいです。ヴォータンを歌ったジョンソンは第2幕より第3幕が良かったです。ブリュンヒルデを探し出す所から、ヴォータンの別れに至る歌唱は、神の尊厳と自分の心にあるジークムントに対する思いとの相克を上手く感じさせる歌いっぷりで感心いたしました。対して第2幕は、フリッカに押された駄目親父、という感じで歌の精彩も今一つ欠いていた感じです。

 逆にフリッカを歌った藤村実穂子は素晴らしかった。彼女は昨年の「ラインの黄金」でもフリッカを歌いましたが、その時よりも遥かに存在感のあるフリッカでした。嫉妬心をまともにヴォータンにぶつけるところの歌いっぷりは、千両役者の如し。彼女は1966年生まれだそうなのでまだ35歳。これからの伸びを想像すると恐ろしいほどです。日本発の本当の意味での国際歌手第一号になる可能性を秘めています。

 トータルで私が一番感心出来なかったのは、ブリュンヒルデのワトソン。勿論、歌は声量、質感どれをとっても全然悪くないのですが(むしろ素晴らしいといった方が正しい)、何となく私の趣味に合わないのです。他のワルキューレ達の若々しい動きに対して、動きが緩慢なところが気に入らないのかも知れません。あるいは、動きが緩慢な割にはワルキューレ達の長としての尊厳を感じられない、というところが気になっているのかしら。

 日本陣の中堅歌手達で固めたワルキューレは、誰がどうとは区別できなのですが、皆はつらつとしていて、気に入りました。

 演出は現代風で面白いものです。サプライズの連続でした。私は楽しみました。でも、どう見ても、歌詞の内容と舞台の様子が違うのです。確かに、ワルキューレ達が野戦病院の看護婦で彼女達の馬が、ストレッチャーというのはアイディアだとは思いますが、でもねえ。本当にあれで良いのですかねえ。私にはそこが分りません。

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