オペラに行って参りました-2011年(その2)

目次

大震災の後だからこそ・・・ 2011年3月26日  アンダンド・ベーネ「リタ」を聴く 
カヴァー・キャストたちの水準  2011年4月19日  新国立劇場「ばらの騎士」を聴く 
存在の堪えられない重さ  2011年4月28日  東京二期会オペラ劇場「フィガロの結婚」を聴く 
同門の共感  2011年5月5日  砂川稔 楽壇生活60周年記念公演「魔笛」を聴く 
実力者たちの饗宴 2011年5月12日  「藤原歌劇団、日本オペラ協会ガラコンサート2011」を聴く 
アンサンブルの魅力のために  2011年5月15日  新国立劇場尾高忠明芸術監督による特別企画「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く 
音響の生々しさの魅力  2011年5月22日  TMPオペラ・プロジェクト第3弾「道化師」&オペラ序曲・間奏曲集を聴く
斬新な演出と、地味な音楽 2011年6月2日  新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
つれない指揮者と迫る歌手 2011年6月6日  新国立劇場「蝶々夫人」を聴く
お静かに 2011年6月17日 東京室内歌劇場コンサート・オペラ ブルーアイランド版「魔笛」を聴く 


オペラへ行ってまいりました 過去の記録へのリンク

2011年    その1                   
2010年      その1    その2    その3    その4  その5    どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2008 
2007年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2007 
2006年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2006 
2005年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2005 
2004年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2004 
2003年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2003 
2002年    その    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2002 
2001年    前半    後半              どくたーTのオペラベスト3 2001 
2000年                      どくたーTのオペラベスト3 2000 


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鑑賞日:2011年3月26日
入場料:自由席 3500

主催:アンダンド・ベーネ

心の歌・愛の歌2011

オペラ1幕、歌唱イタリア語、台詞日本語上演
ドニゼッティ作曲「リタ」RITA)

会場:東大和市民会館ハミングホール

スタッフ・出演

演 出 柴山 昌宣
ピアノ 河原 忠之
リタ  柴山 晴美 
ガスパロ  :  柴山 昌宣 
ベッペ 岡本 泰寛
   

アンコール曲

作曲家 

作品名 

歌唱 

サルバトーレ・カルディッロ つれない心  岡本泰寛/柴山昌宣 
ジュゼッペ・ヴェルディ  歌劇「椿姫」第一幕より「乾杯の歌」  岡本泰寛/柴山晴美 
武満徹  小さな空  柴山晴美/柴山昌宣 
レハール  喜歌劇「メリー・ウィドゥ」第3幕より、「メリー・ウィドウのワルツ」  柴山晴美/柴山昌宣/岡本泰寛 


感 想

大震災のあとだからこそ-アンダンド・ベーネ「リタ」を聴く

 今回の東北地方太平洋岸を中心とする大震災、本当に未曾有の大災害でした。発生から二週間経った今も、被害の本当の全容はまだ分かりません。亡くなられた方、被災された方には、慎んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 今回の地震は、被災範囲が広かったことから、北関東や東北の生産拠点を直撃し、多くの工場も被災しました。今一番の話題の福島第一原発にしてもそうで、発電所に関しては、関東から東北にかけての多くの原子力・火力発電所が操業を停止し、復旧にはそれなりの時間を要しそうです。そんなわけで、首都圏では、厳しい節電の要求と、計画停電が行われています。

 そういう事情があるせいか、3月後半のコンサートは、軒並みキャンセルが続いています。私は、3月後半に5つのオペラやコンサートに行く予定だったのですが、そのうち3つは中止、一つは延期、現実に行われたのは、今回の「リタ」だけです。今回の「リタ」にしても会場には暖房が入らず、照明も最小限、コートを着て鑑賞しないとかなり寒い、という環境下での鑑賞となりました。

 電力事情や、福島原発の状況に対する不安からこのような状況になっているのだと思いますが、クラシック音楽は、基本的に電気を使用しないパフォーマンスです。オペラも、オーケストラの演奏会も、電灯が発明される前から実施されて来ました。現代は、照明や暖房など全く電気を使用せずに上演することは無理でしょうが、それでも諸娯楽の中では、最も省エネの娯楽と申し上げて良いのではないでしょうか。色々な事情・お考えはあるのでしょうが、私はこんな時だからこそ、音楽会を平常と同じようにやって、心を豊かにして欲しい、自分も楽しみたいと思っています。

 さて、今回の「リタ」ですが、そう考えた方が私だけではなかったようで、300人ほどの会場が8割程度の入りでした。私としては、震災以来初めての生の音楽を聴きました。そして、本当に「音楽は素敵だ」と思いました。

 演奏会自体は、非常にこじんまりとしたものと申し上げてよいでしょう。出演者以外のスタッフは恐らく2-3名という感じです。今はほとんど常識と申し上げてよい字幕がなく、替わりにイタリア語の台詞部分を日本語の台詞に変えるというスタイル。ちなみに、この作品は、オリジナルはフランス語で、パリのオペラ・コミックでドニゼッティの亡くなった後の1860年に初演されています。オペラ・コミック座で上演されることを前提に作られているから、レシタティーヴォではなく、台詞なんですね。今回、この台詞部分が抱腹絶倒のものでした。この台本を誰が書いたか、ですとか、演出は誰か、という点については、プログラムには何の記載もなかったのですが、今回の手作りさ加減から、そこは、柴山昌宣自身が行ったのではないかという気はしています。ただ、「リタ」という作品は、3人の歌手とピアニストが入れば、とりあえず上演できるので、日本国内でもたまに上演されているようです。台本は、そこで使われている共通のものを一部改変した可能性もあります。


 演奏の完成度という観点では、それなりに傷があり、まとまりも今一つ、というのが本当のところでしょう。

 歌手の力量という観点から言えば、外題役の柴山晴美が一番弱い。スーブレットの雰囲気は出ていたと思いますが、全体的には声に余裕がなく、ここ一番の伸びが今一つ足りない。又、アジリダの歯切れが悪く、弱音部の声が飛んでこないのも如何なものかと思いました。

 岡本泰寛も今一つ。リリックなテノールで、ベッペのおどおど感をよく出していてと思え、そう言う点はなかなかのものでした。しかし、高音のアクートに上手く行かなかったところがあり、そこが残念でした。

 一番良かったのは、柴山昌宣のガスパロ。柴山は藤原歌劇団を代表するバリトンの一人ですが、その看板は伊達ではありません。声量といい、声の艶といい、歌の余裕の感じといい、流石だと思いました。また、柴山はガスパロを色々なところで何度も歌っているようで、そう言った経験も雰囲気に現われていたように思いました。

 ピアノの河原忠之は流石に大物の風格。河原と言えば、日本を代表する伴奏ピアニストですが、今回は、ピアノを演奏しながら、台詞部分では自分も舞台に登場するというサービスを行い、楽しませてくれました。それでもピアノの上手さは天下一品です。河原のナビゲーションは、今回の舞台の音楽的統一感を作る上で、とても有用であったように思いました。

 細かい不満はあるものの、こじんまりとした手作り感覚のよい演奏会で楽しめました。アンコール曲もポピュラリティと雰囲気が上手く絡まって結構でした。久しぶりの生演奏でのクラシック音楽鑑賞は、音楽を楽しめる幸せを、深く噛みしめるものとなりました。

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鑑賞日:2011年4月19日

入場料:D席 3780円 3FL3列3番

主催:新国立劇場

全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」(DER ROSENKAVALIER)
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール

会場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮 マンフレッド・マイヤーホーファー
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 冨平 恭平
児童合唱  :  NHK東京児童合唱団 
児童合唱指導  :  加藤 洋朗/金田典子 
     
演 出 ジョナサン・ミラー
美術・衣装 イザベラ・バイウォーター
照 明 磯野 睦
舞台監督 大澤 裕

出 演

元帥夫人 アンナ=カタリーナ・ベーンケ
オックス男爵 フランツ・ハブラダ
オクタヴィアン 井坂 恵
ファーニナル 小林 由樹
ゾフィー 安井 陽子
マリアンネ 黒澤 明子
ヴァルツァッキ 高橋 淳
アンニーナ 加納 悦子
警部 長谷川 顕
元帥夫人の執事 小貫 岩夫
ファーニナル家の執事 経種 廉彦
公証人 晴 雅彦
料理屋の主人 加茂下 稔
テノール歌手 水口 聡
帽子屋 國光 ともこ
動物商 土崎 譲
三人の孤児  :  前川依子/中道ゆうこ/小林昌代 
元帥夫人の従僕  :  梅原光洋/小田修一/徳吉博之/龍進一郎 
レオポルド 仲川 和哉

感 想

カヴァー・キャストたちの水準−新国立劇場 「ばらの騎士」を聴く

 新国立劇場の公演は、プレミエは今一つだけれども、再演すると、ぐっと良くなる、という例がこれまでも何度もありました。逆に言えば、再演物はプレミエよりもいいのが普通だったのですが、今回の「ばらの騎士」、残念ながら、プレミエ時の良さがかなり減殺された舞台になっていたと思います。まあ、これは致し方ないことでしょう。東日本大震災及びそれに伴う福島第一原発の事故で、外国人演奏家がほとんど来日してくれず、スタッフ・キャストが大幅に変更になったのですから。

 端正な指揮をし、新日本フィルとの相性も抜群の指揮者・アルミンク、前回、素晴らしい元帥夫人の歌唱・演技を披露した元帥夫人役のカミッラ・ニールント、2008年のウィーン・フォルクスオーパーの来日公演で、「マルタ」のナンシーを歌ったオクタヴィアン役のダニエラ・シンドラム、新国立劇場の「こうもり」でファルケ博士を歌ったファーニナル役のペーター・エーデルマン、そして、ゾフィー役のアニヤ=ニーナ・パーマンが、それぞれ来日せず、代役やカヴァー・キャストの方に変更になりました。

 主要役で最初のアナウンス通りに歌ったのがオックス男爵役のフランツ・ハウラタだけですから、期待通りいかないのはこれはいた仕方ないところです。逆に、これだけの交替があっても、それなりの水準で聴かせてくれたことは、賞賛に値すると思います。でもやはり、満足できない演奏でした。

 マイヤーホーファーと新日本フィルの演奏は、ところどころ凄く魅力的です。新日本フィルの木管パート、例えばフルートやオーボエなどはすこぶる良かったことは否定できないと思います。でも全体としてみると、ゴツゴツした肌触りが気になります。マイヤーホーファーの指揮姿も、腕はよく上がって振れているのですが、身体は今一つ音楽に乗り切れていない印象でした。更に音楽のバランスを考えると、代役陣の声量を考えて、オーケストラの音量を絞るべきではなかったか、と思いました。

 アルミンクが振っていたら、もっと端正な仕上がりになったのではないか、と思います。私は、「ばらの騎士」の音楽は、濃密で、滑らかに演奏してほしいと思う聴き手です。だから、オーケストラが十分なって、豊潤に聴こえることは悪いことではないのですが、もっと繊細に、バランスを見て指示を出してほしかったな、というのが正直な気持ちです。特に第1幕目にそれを感じました。それでも、第2幕、第3幕の音楽は、それなりの豊潤さとユーモアがあったと思いますので、マイヤーホーファーは十分代役の仕事を果たしたと申し上げるべきなのでしょう。

 歌手陣の代役もそれなり、というのが正直なところ。アンナ=カタリーナ・ベーンケの元帥夫人は、見た目こそ元帥夫人ですが、声の質は元帥夫人としては如何なものかと思います。声に憂いというか、陰りというかがない。第一幕でのオクタヴィアンとの愛の場面、二人のすれ違いが始まると、二人の声は対立的に扱われます。しかし、彼女の声の質だと、その対立がしっかりと浮かび上がってこないのです。更に第三幕の有名な三重唱では、ゾフィーと元帥夫人の声が同一化していて、三つの声のバランスがソプラノ側に傾きすぎていました。ここは、元帥夫人が微妙に低く歌って、彼女の老いへの諦念と、ゾフィーの天真爛漫さがぶつかるところが味わいであると思うのですが。

 オクタヴィアンの井坂恵。頑張っていました。しかし、今一つの歌唱でした。まず、全体に声量が不足していて、厚いオーケストラの音に声が負けている部分がありました。特に第一幕。あのオーケストラの音なのですから、もう少し、強く歌って欲しい。又、細かいミスも多かったと思います。例えば、第二幕のゾフィーとの二重唱。井坂は、オーケストラの音に上手く乗れず出遅れました。安井陽子のゾフィーは一瞬困ったような表情を浮かべて、声を入れ、最終的には何事もなかったようにまとめましたが、プロンプターの指示が悪かったのかもしれません。

 この主役二人以外は十分満足できる出来栄え。まず、安井陽子のゾフィーがよい。声が、ゾフィーの町娘的感情表現を示すのに、丁度良いと思えましたし、又表情も魅力的なものでした。唯、ヴィジュアル的には、彼女の恰好は金持ちのドラ娘、みたいなところがあって、オクタヴィアンが一目惚れしてしまうのは不自然な感じがしました。もう少し、メイクで工夫は出来なかったのかと思います。

 外人勢で唯一オリジナルのキャストだったハプラダのオックス男爵。この公演の中で最も魅力的でした。役に乗っていて、歌も立派。第二幕の後半も傍若無人なところが実に結構で、例の幕切れのワルツが又魅力的でした。第三幕の前半の、コテンパンにやられて引き上げるまでもすこぶる結構。好色の田舎貴族を、魅力たっぷりに歌い演じたと思います。

 小林由樹のファーニナルも立派でした。すっきりした見た目もよいと思いましたし、歌唱・演技も新興ブルジョワの、貴族に対する卑屈な思いと成り上がりの勢いのバランスを上手にとっており、一つ間違うと、他の主役陣に埋没してしまいかねない役柄を、存在感を示していたと思います。

 脇役陣では、キャラクター・テノール高橋淳が、いつもながらの魅力的な演技で、ヴァルツァッキを演じましたし、加納悦子のアンニーナも悪女的な雰囲気が出ていて結構。長谷川顕の警部、加茂下稔の料理人なども存在感がありました。更に第三幕で、オックス男爵を陥れるためのアンニーナに連れられて来る児童合唱が良かったと思います。

 演出は、2007年の印象通り、素敵なものです。第1幕ラストの、前回も感心した、
恋人の若さに嫉妬してキスもせずに追い出す元帥夫人が、後悔の念にかられながら、煙草入れからタバコを一本取り出して、雨のあたる窓を見ながらくゆらしますシーン。なんとも言えないほど魅力的です。この孤独感、諦念が、元帥夫人の声にもっと示されていれば、より楽しめただろうにと思うのです。そう思うと、やはり、残念な公演でした。

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鑑賞日:2011年4月28日

入場料:D席 4000円 5F L220

文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)

二期会創立60周年記念公演
東京二期会オペラ劇場

主催:(財)東京二期会

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 デニス・ラッセル・デイヴィス
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ デニス・ラッセル・デイヴィス
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 大島 義彰
演 出 宮本 亜門
装 置 ニール・パテル
衣 装 前田 文子
照 明 大島 祐夫
振 付 麻咲 梨乃
舞台監督 大仁田 雅彦
公演監督   中村 健 

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 鹿又 透
伯爵夫人 澤畑 恵美
フィガロ 久保 和範
スザンナ 菊地 美奈
ケルビーノ 杣友 恵子
マルチェリーナ 清水 華澄
バルトロ 池田 直樹
ドン・バジリオ 吉田 伸昭
ドン・クルツィオ 渡邉 公威
アントーニオ 境 信博
バルバリーナ 砂田 恵美
二人の花娘 盛田 麻央/長谷川 忍

感想

存在の堪えられない重さ-東京二期会オペラ劇場公演「フィガロの結婚」を聴く

 今回の二期会「フィガロの結婚」は、デニス・ラッセル・デイヴィスのテンポ感覚をどう評価するかが、ほとんど全てだろうと思います。私は駄目です。絶対に許されない。余りにも遅く、結果として余りにも重すぎます。新国立劇場は、2回の休憩、合計45分をはさんで、3時間20分でほぼ上演しますし、Wikipediaによれば、演奏時間は、カットなしで約2時間50分と書かれています。今回の二期会公演は、通常のカットを全て行った(即ち、バジリオのアリアやマルチェリーナのアリアは無し)うえで、20分の休憩1回を挟んだけで、3時間30分かかりました。

 序曲から驚かされました。こんなにのんびり演奏していていいの、そんな感じです。序曲の速度表示は「プレスト」のはずですが、「アンダンテ」で演奏しているように聴こえます。こういう春風駘蕩な演奏も悪くはないな、と一瞬思いましたが、それをオペラの幕内まで持って来られると堪りません。オペラの中で漂う、だらだらとした流れは、アンサンブルオペラとしても 傑作である、「フィガロの結婚」の楽しさをスポイルしていると申し上げるべきでしょう。

 とりわけ許せないのが、レシタティーヴォのチェンバロ伴奏。本当にのんびりと弾かれます。今回は、デニス・ラッセル・デイヴィス自身がチェンバロも演奏されて、全体のテンポを完全に指揮者が掌握していたのですが、このチェンバロののんびり感は、物語の緊張を切るようで、私には我慢できませんでした。

 その上困ったのは、ゆっくりとした重い演奏であることは確かなのですが、ただ重いだけで、厚みがない。いわゆる重厚な演奏ではないのですね。オーケストラ・ピットは、かなりすかすかで、コントラバスは3本しか入っていませんでしたから、オーケストラの規模は、10型位の、普通モーツァルトを演奏するような規模です。歌手陣だって、ワーグナー歌いのような方は入っていませんから、そもそも重厚な演奏に向いていません。オーケストラの演奏は、ミスが目立つと言ったものでは全くなかったのですが、指揮者の指示に従ってゆっくり演奏しているだけです。音が薄いのに重いというアンバランスですから、聴き手は背中がかゆくなって困りました。

 歌手陣にとっても戸惑いがあったのではないかしら。冒頭のフィガロとスザンナの二重唱を聴いてそう思いました。指揮者のテンポ感覚に歌手がついていけていないのです。勿論、デイヴィスからはテンポの指示があったはずですし、プロンプターもタイミングの指示は出しているとは思いますが、身に付いたテンポと違うテンポで歌わされるはずですから、神経をとがらせた歌唱にならざるを得ない。その結果、いい演奏に仕上がってこないのだろうと思います。特に久保和範は、フィガロをよく歌う方ですから、大変だっただろうと思います。

 しかし、それでも男声歌手陣はよくやったと思います。鹿又透の伯爵も久保和範のフィガロも頑張っていました。特に鹿又の伯爵が良いと思いました。第三幕のモノローグは、あのテンポで歌うのですから、感情表現を過剰にせず、音程・テンポをきちんと守って歌った方が、伯爵の怒りや猜疑心が表現されるのではないかと思いましたが、全体的には、バリトンの美声がよく、声も出ていたという印象です。久保のフィガロもよかったのですが、全体のテンポのせいか、颯爽とした感じが失われていたのが残念です。

 池田直樹のバルトロは、第一幕のアリアを聴いて、ベテランの味を感じましたし、吉田伸昭のバルトロの嫌味な感じもよいと思いました。境信博のアントニオもよく声が出ていました。

 気になったのは女声。特に澤畑恵美の伯爵夫人と菊地美奈のスザンナです。

 澤畑恵美は、硬質の上に抜ける高音が魅力の方で、ずっとスザンナを持ち役としてきました。彼女のデビューである国立音大の大学院オペラでもスザンナを歌っています。彼女も40代後半となり、声が低くなってきたという意識があっての伯爵夫人への転向だと思いますが、相当声を作っている印象です。多分スザンナならば、もっと自然に歌えると思うのですが、伯爵夫人を意識するあまりか、声の響きが胸に留まっているように聴こえます。ところどころ注意が抜けると、スザンナの声が顔を出します。

 一方、菊地美奈は中音に響きのポイントのある方で、そもそも高音を軽くしっかり歌う技術は、あまり上手ではない方です。要するにスザンナより伯爵夫人に向いている声です。確かに見た目は、大柄の澤畑恵美の伯爵夫人と小柄で可愛らしい菊地美奈のスザンナはぴったりとしているのですが、声質はどう見ても逆なのです。それを無理に歌うので、人工的な不自然な響きが聴こえます。又、菊地は高音が今一つ響かないので、スザンナの魅力を出し切れていない感じがしました。

 「手紙の二重唱」などを聴いている、二人が逆のパートを歌ったら、もっと伸びやかで自然なおかしみが醸し出されるだろうに、と思いました。

 杣友恵子のケルビーノは、5年前の林美智子ほどの魅力は感じられませんでしたが、自分の役割を果たしていたと思います。良かったのは、マルチェリーナを歌った清水華澄。声もよく出ていましたし、響きも澄んで綺麗。女声で一番魅力的だったと思います。

 それにしても今回の一番の問題はテンポです。ゆっくりとしたインテンポで進みます。悠然としたものです。デニス・ラッセル・ディヴィスの身に染みついたテンポなのでしょうね。でも、私には堪えられないテンポでした。

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鑑賞日:201155
入場料:
B席 4000円 2F BR2列6番

主催:砂川オペラプロデュース

砂川稔楽壇生活60周年記念公演

オペラ2幕、原語(ドイツ語)上演、演奏会形式、台詞カット、ナレーション付き公演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflote)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場:紀尾井ホール

スタッフ

指 揮 砂川 稔  
管弦楽 The Port Pilharmonic Orchestra  
合 唱 Minor kammer Chor  
合唱指揮 倉岡 信  
演 出 中村 敬一  
衣 裳 下斗米 雪子  
ステージ進行 古川 真紀  

出 演

弁者 矢田部 一弘
ザラストロ 長谷川 顯
夜の女王 品田 昭子
タミーノ 大間知 覚
パミーナ 稲見 里恵
パパゲーノ 山下 浩司
パパゲーナ 山咲 史枝
モノスタトス 栗原 剛
侍女1 清水 まり
侍女2 河野 めぐみ
侍女3 内藤 明美
童子1 白石 佐和子
童子2 丸山 優子
童子3 見崎 千夏
武士1 澤崎 一了
武士2 矢田部 一弘
僧侶1 河村 洋平
僧侶2 佐藤 雄太
ナビゲーター    松井 康司 

        
 
感想

同門の共感-砂川オペラプロデュース公演「魔笛」を聴く。

 砂川稔は、1950年代から1980年代初頭にかけて、最初は藤原歌劇団、そののちには二期会、あるいは東京室内歌劇場で活躍したテノール歌手です。1981年に歌手としては実質的に引退し、その後は、国立音楽大学での教育活動、国立音大を停年退官した後は、指揮を中心とした音楽活動に重心を置いているそうです。1930年生まれの80歳。音楽学校を卒業したのが20歳だそうですから、音楽活動歴は60年になるわけです。

 彼は長く国立音大で教鞭をとっていたおかげで、弟子が沢山います。その弟子たちが砂川の80歳を記念して集まったのか、あるいは砂川が招集を掛けたのか、そのあたりの経緯は知りませんが、とにかく、砂川門下の歌手たちを中心に、「魔笛」を上演することになったようです。

 当初の上演予定は3月20日。しかし、3月11日の地震の影響で延期され、ようやく本日の上演に至りました。チケットは完売だったようですが、日時変更の影響は避けられなかった様子で、本日は、空席がそれなりに目立ちました。それでも、何とか上演にこぎつけられたことをお祝い申し上げたいと思います。

 さて、今回の演奏は、基本的に舞台装置がない演奏会形式の上演です。ただ、出演者たちは衣裳を着用し、また、簡単な演技もします。また、「魔笛」という作品は、ジングシュピールという形式で書かれたオペラで、台詞があり、その台詞も舞台進行には重要な役割を果たすのですが、今回の上演では、台詞部分は原則カット。その代わり、ナレーターがお話の筋を説明します。又、最近のオペラでは常識となった字幕も今回はありませんでした。

 さて、演奏ですが、取り立てて素晴らしい演奏ではなかったと思います。といって、聴くに堪えない、というほどの演奏ではありませんでした。まあ、よくある演奏会の一つ、といったレベルでしょうか。本来3月に演奏するはずだったものが、5月にずれ込んだため、出演者たちの調子が狂ってしまっていた、ということはあるかもしれません。文句なしに絶好調という人は少なかったように思います。

 例えば、山下浩司のパパゲーノ。彼のパパゲーノは定評のあるもので、本日の演奏もその評価を裏切るものではありませんでした。「おいらは鳥刺し」を聴くと、彼の力量が見えます。しかし、その水準が全曲を通して保たれていたかと言えば、必ずしもそうではない。例えば、「恋人か女房が居れば」のアリアは、細かいミスがあったように思いました。5月1日まで二期会本公演でフィガロを歌った後の公演で、十分さらいきれていなかった、ということはあるのかもしれません。

 さらいきれていないと思ったのは、他にもいらっしゃいます。矢田部一弘の武士2もそうです。矢田部は、本来の弁者役に加えて、今回キャンセルになった田中大揮の代役で武士2も歌ったのですが、きっちり準備してきたと思われる「弁者」役が、低音の魅力をよく出していたのと比べると、武士2の方は、あまりぱっとしない印象でした。武士役は、武士1,2とのアンサンブルで動きますが、武士1の澤崎一了が、好調にその役を歌ったので、矢田部の印象が特に残ったのでしょう。

 長谷川顯のザラストロは流石の力量。低音がしっかりとしているのが魅力です。惜しむらくは、彼の一番響く音域の表情と、響かないけれども音はしっかりとしている低音部の表情が異なっており、響く領域は、どうしても軽く歌ってしまう、ということがあるように思いました。響く領域でも重しを載せて歌って頂いた方が、ザラストロの重厚な表情が出るのではないかと思いました。

 大間知覚のタミーノも今一つ。大間知も美しいテノール声は維持しているのですが、声が重くなってきているのでしょう。10年前であれば、考えずに出せた音色が、それなりに作って行かないと出なくなっている、ということはあると思います。例えば、「何と素晴らしい絵姿」は、響きの確かさや、高音の美しさは結構でしたが、細かい部分の処理が雑で、ざらつきが見えます。もっと滑らかに処理してほしいと思いました。

 稲見里恵のパミーナも一寸違います。端的に申し上げれば、オペラの歌い方をしていないと思いました。ある範囲で纏まり過ぎている感じがあり、突き抜けたものがないのです。宗教曲やオーケストラ伴奏付歌曲などを歌うソプラノとしては、彼女のような端正な表現が良いのでしょうが、その落ち着きぶりは、パミーナの娘らしさや不安げな雰囲気を示さなければいけない、オペラのヒロインのソリストとしては如何なものかと思いました。

 品田昭子の夜の女王は、高音が響きませんでした。中低音は肉厚で、夜の女王の迫力をしっかりと示していたのですが、いかんせん、コロラトゥーラの技量を発揮しなければならない高音部の軽い表現は、上手く行っていませんでした。第1幕のアリアの最高音は、本来より半音低いE#位、第2幕のアリアの最高音は本来より1音低いE音ぐらいまでしか届いていなかった感じです。

 あと思うのは、オペラの舞台によく立っている方とそうでない方の違いです。例えば、夜の女王の三人の侍女たちのアンサンブルですが、通常は、侍女2が一番聴こえにくいものです。しかし、今回は、その侍女2が一番はっきりと聴こえました。そこが、オペラ出演経験の最近豊富な河野めぐみと、必ずしもそうは言えない清水まり、内藤めぐみの違いなのだろうと思いました。

 砂川稔の指揮も、取り立てて特徴のあるものではありませんでした。オーケストラはフリーのプロ奏者たちによる臨時編成の団体。弦楽器は、3月で演奏予定だった方とほとんどが入れ換わっていました。その結果としてかどうかは分かりませんが、オーケストラの演奏にも細かい傷が結構あり、また求心力も今一つだったように思いました。

 以上、細かく見ていると、色々と問題の多い演奏だったと思うのですが、全体として見えるのは、同門生同士で歌う安心感のようなものです。同門意識が全体のトーンを決めており、安定感を醸し出していました。ある意味、面白い演奏でした。

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鑑賞日:2011512
入場料:
A席 4000円 24列43番

主催:財団法人日本オペラ振興会

財団法人日本オペラ振興会設立30周年記念

藤原歌劇団 日本オペラ協会
ガラコンサート2011

会場:パルテノン多摩 大ホール

スタッフ

司 会 川口 塔子  
森口 賢二  
ピアノ 渡辺 まどか  
大野 美智子  
久保 晃子  
公演プロデューサー 牧野 正人  
捻金 正雄  
公演企画立案・運営統括・制作   若林 勉   

出 演/プログラム

 

出演者   

作曲者 

作品 

曲名 

伴奏 

1  出演者全員  ヴェルディ  椿姫  乾杯の歌  「友よ、いざ飲み明かそう」  久保 
2  小山 陽二郎(テノール)  マスネ  ウェルテル  ウェルテルのアリア  「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」  渡辺 
3  沢崎 恵美(ソプラノ)  池辺 晋一郎  おしち  お七のアリア  「あいたい、名前を呼ぶだけで」  大野 
4   若林 勉(バス)  ロッシーニ  ランスへの旅  シドニー卿のアリア  「心から空しく矢を引き抜こうとも」  久保 
5  森山 京子(メゾソプラノ)  ロッシーニ  アルジェのイタリア女  イザベッラのアリア  「祖国のことを思いなさい」  渡辺 
6  長島 由佳(ソプラノ)/
木村 圭子(メゾソプラノ) 
菅野 浩和  日本の昔  二重唱  「おろかな嫁さま」  大野 
7  五郎部 俊朗(テノール)  ロッシーニ  イタリアのトルコ人  ドン・ナルチーゾのアリア  「御身が力を貸したまえ」  久保 
8  佐藤 美枝子(ソプラノ)/
牧野 正人(バリトン) 
ヴェルディ  リゴレット  リゴレットとジルダの二重唱  「日曜毎に教会で」  渡辺 
9  柴山 昌宣(バリトン)  ロッシーニ  ランスへの旅  ドン・プロフォンドのアリア  「他に類を見ないメダル」  久保 
10  大間知 覚(テノール)  三木 稔  ワカヒメ  田狭のアリア  「許すまじ」  大野 
11  中鉢 聡(テノール)  プッチーニ  トゥーランドット  カラフのアリア  「誰も寝てはならぬ」  渡辺 

休憩      

12  下原 千恵子(ソプラノ)  ドニゼッティ  ラ・ファヴォリータ  レオノーラのアリア  「私のフェルナンド」  久保 
13  河野 めぐみ(メゾソプラノ )/
持木 弘(テノール)
チレア  アドリアーナ・ルクヴルール  ブイヨン公爵夫人のアリア〜
二重唱〜マウリツリオのアリア 
「苦い喜び、甘い苦しみ」〜
「魂は疲れ果てて」 
渡辺 
14  家田 紀子(ソプラノ)  團 伊玖磨  夕鶴  つうのアリア  「私の大事なよひょう」  大野 
15  三浦 克次(バス・バリトン)  ドニゼッティ  愛の妙薬  ドゥルカマーラのアリア  「聞きなさい、村の衆」  渡辺 
16  斉田 正子(ソプラノ)  ヴェルディ  椿姫  ヴィオレッタのアリア  「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」  久保 
17  高橋 薫子(ソプラノ)/
久保田 真澄(バス) 
ドニゼッティ  ドン・パスクァーレ  ノリーナとドン・パスクァーレの二重唱  「お嬢さん、そんなに急いで」  久保 
18  郡 愛子(メゾ・ソプラノ)  ビゼー  カルメン  カルメンのアリア(ハバネラ)  「恋は野の鳥」  渡辺 
19  佐藤 光政(バリトン)  三木 稔  春琴抄  佐助のアリア  「佐助は嬉しゅうございます」  大野 
20  本宮 寛子(ソプラノ)  ドニゼッティ  ランメルモールのルチア  ルチアのアリア  「あたりは沈黙に閉ざされ」  渡辺 
21  出演者全員  岡野 貞一      「ふるさと」  大野 

感想

実力者たちの饗宴-「藤原歌劇団、日本オペラ協会ガラコンサート2011」を聴く

 本当に素晴らしいガラ・コンサートだったと思います。これでもか、これでもか、とご馳走が出てくる感じで、あまりの盛りだくさんにげっぷが出そう。ほぼ3時間、無駄な遊びの時間がほとんどなく、音楽を堪能できました。大満足です。

 出演した歌手が、日本オペラ協会と藤原歌劇団に所属する23人、長島のような若手から、郡、本宮といった大ベテランまで様々なメンバーが登場しました。日本オペラ協会がその名の通り日本オペラ、藤原歌劇団がイタリア・オペラとフランス・オペラをテリトリーとする団体ですから、それぞの得意とするところで、曲を選んで来ました。選曲は、必ずしも人口に膾炙している曲ばかりではありませんが、実に見事なものでした。イタリア・オペラが一番輝いていた時代、即ち、19世紀前半の、ロッシーニやドニゼッティの大アリアや二重唱を沢山取り上げてくれたことは、イタリアオペラ好きとしては、たまらないところです。

 最初の「乾杯の歌」、五郎部アルフレードの発声から始まって、小山アルフレード、中鉢アルフレード、大間知アルフレードという感じで受け継がれています。勿論ヴィオレッタも沢山いますから、ヴィオレッタのユニゾン三重唱で受ける感じでまず楽しくはじまりました。

 本番に入りますと、まず小山陽二郎が、ウェルテルの心情をリリコ・レジェーロの声で切々と歌い上げ、結構でした。

 続いて登場した沢崎恵美は、16歳の町娘らしく、黄色い振袖で登場。お七の心情を情感を込めて歌います。池辺の「おしち」はタイトルだけ知っている作品で、これまで聴いたことがないのですが、こんな素敵なアリアがあるのですね。前半、若干言葉が不明瞭でしたが、後半は、例えば「会いたい」という言葉に乗せられた気持が、とても共感できるもので、感心いたしました。

 若林勉のシドニー卿のアリアは、アジリダの切れなどに若干の不安がありましたが、最後は、きっちり決めて見せました。

 森山京子のイザベッラ。2004年の藤原本公演で、アグネス・バルツァとダブル・キャストで歌い、一部の聴き手からバルツァ以上と評価された森山の役です。私は、残念ながらその時の森山を聴いていないのですが、その評判をなるほどと思わせるものでした。跳躍における声の変化の、脂の乗り具合が、まさに絶妙でした。

 長島由佳、木村圭子の歌った「日本の昔」は、ショート・オペラとでも言うべき民話調女声二重唱曲。私は初めて聴きましたが、すこぶる面白い。ソプラノとアルトが語りを受け持ったり、嫁と姑になったり、その変化が結構です。グリッサンドを使ってみたり、声の重なり方の多様性も素敵です。二人は勿論和服で登場し、正座での挨拶、歌唱など所作も見事です。おおいに
楽しみました。

 五郎部俊朗のロッシーニ。日本のロッシーニテノールの第一人者の声は、まだまだ魅力的でした。

 佐藤、牧野の二重唱。日本を代表するリゴレット歌いとジルダ歌いの二重唱です。悪いわけがありません。形の決めが見事です。

 柴山昌宣の骨董品のアリア。見事な早口言葉。よく口が回るものだと感心しました。声の艶も素敵です。

 大間知覚の田狭。スピントの利かせた歌唱。先週のタミーノよりもこういう曲の方が、今の大間知の声には合っているように思いました。

 中鉢聡の「誰も寝てはならぬ」。力強い見事なスピント。中鉢は一時声を壊して、長らく不調だったのですが、ようやく彼の本来に戻ったような気がします。最後のアクートもきっちり聴かせました。

 下原千恵子のレオノーラ。怖いくらいの迫力。ソプラノという紹介ですが、低音のドスの聴いた迫力と反面伸びない高音を考えると、メゾソプラノの方がふさわしい感じがしました。

 持木、河野の「アドリアーナ・ルクヴルール」。声と声とのぶつかり合いが、如何にもイタリア・オペラという感じがしました。感情を込めたテノールの絶唱が見事でした。

 家田紀子のつう。白い「つう」の衣裳で登場。柔らかな所作が結構でした。

 三浦克次のドゥルカマーラ。三浦の得意な役柄です。ホールの通路を歩き、チラシを配りながらの歌唱。こういうパフォーマンスをやる時、三浦の魅力が特に示されると思います。

 斉田正子のヴィオレッタ。藤原本公演の「椿姫」で通算3回ヴィオレッタを歌った実力は伊達ではありません。魅力的です。惜しむらくは年齢の影響なのか、カバレッタの最高音が金切り声になったこと。

 高橋・久保田の二重唱。見事の一言です。それにしても、藤原歌劇団は、1975年以来「ドン・パスクァーレ」を取り上げていないのです。高橋薫子のノリーナを聴きたいと思っている方は、私だけではないでしょう。

 郡愛子のハバネラ。やや声が低く、声量的にもやや不足感があり、カルメンのむんむんした色気が感じられないハバネラですが、落ちついた独特の味があります。

 佐藤光政の佐助。「春琴抄」は、オペラ作曲家としての三木稔の最初の作品です。その後8作ものオペラを作曲したことを踏まえると、三木の日本オペラに対する貢献の高さに感心します。このアリアはレシタティーヴォのようなアリアですが、佐助の心情がよく示されていて結構です。佐藤の表現も日本語のテキストをよく読みこんでいるのでしょう。納得できる素敵なものでした。

 本宮寛子のルチア。素晴らしいの一言です。本宮は昭和19年生まれですから、既に67歳の大ベテランです。なのに、何であんな声が出るのでしょう。正直申し上げて、驚かされました。確かに最初一瞬、年齢的なフワフワ声が聴こえましたが、その後はしっかりと声に芯を入れて来ましたし、その上、軽い声でまとめました。ヴァリアンテもきっちり入れて、本当に年齢を感じさせない歌でした。Bravaです。

 このコンサート、最初は新宿文化センターで行われる予定でアナウンスされていたのですが、ホールの事情で、パルテノン多摩大ホールに変更になった経緯があります。新宿と比較すればアクセスが非常に悪く、その上、雨という天候で、観客にとっては来るだけでも大変だったと思います。でも、それを乗り越えて来た方は(結構、お客さんは多くて、入りは8割を超えていたかもしれません)、大変満足出来たと思います。

 アンコールで司会の森口賢二と川越塔子が何か歌うかな、と思ったのですが、それはありませんでした。そこがあれば、サプライズの面白さも加わって最高だったのですが。

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鑑賞日:2011年5月15日
入場料:2835円 2F1列47番

主催:新国立劇場

尾高忠明芸術監督による特別企画

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演、演奏会形式
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:新国立劇場中劇場

スタッフ

指揮/チェンバロ 石坂 宏

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団メンバーによる弦楽アンサンブル
ピアノ 石野 真穂
照 明 立田 雄士
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

フィオルティリージ 佐藤 康子
ドラベッラ 小野 和歌子
フェランド 鈴木 准
グリエルモ 吉川 健一
デスピーナ 九嶋 香奈枝
ドン・アルフォンソ 佐藤 泰弘

感想 アンサンブルの魅力のために-新国立劇場尾高忠明芸術監督による特別企画「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く。

 新国立劇場本公演のカヴァー・キャストたちによる演奏会です。5月末から始まる「コジ・ファン・トゥッテ」の本公演に向けた練習が現在進んでいるのですが、出演者たちに何かあった場合のカヴァー・キャストたちにも陽を当てたいという尾高忠明芸術監督の意向で行われた公演です。

 尾高は、最初にあいさつに登場し、日本人カヴァー・キャストの力量とその重要性を力説いたしました。それは確かに正しいです。大震災の後の「ばらの騎士」が、とにもかくにもきちんと上演できたのは、井坂恵、小林由樹、安井陽子がカヴァー・キャストとして練習していたからです。それでも、通常は、カヴァー・キャストが陽の目を見ることはないわけですから、こういう機会を設けることは意味あることだと思います。

 とは言え、本公演のようには行きません。コスト削減が大前提なのでしょう。オーケストラは東京フィルの弦楽陣のみで、それも、4-3-2-2-1という最低限の布陣。管楽器で演奏される部分はピアノが受け持つというものです。更に合唱もいません。普通、演奏会形式の公演は、演技はしないまでも、オーケストラは楽譜通りに用意しますし、合唱だって抜きませんから、なんとも寂しい限りです。こういう演奏会ですから、音楽全体を云々しても仕方がない部分があります。一番の聴きどころは歌手たちがどうこの作品を解釈して歌うか、という点に尽きると思います。

 まず聴いて感じるのは、若い歌手たちの基本的スキルの高さです。そこは見事です。まだ本公演の開始までは2週間あり、カヴァー・キャストたちも全員が楽譜の全てが入っている訳ではないようでしたが、それでも堂々たる演奏です。細かいミスはそれなりにあったようですが、きちんと構築されたものでした。お客さんが喜んだのは当然でしょう。

 しかし、それでも「コジ・ファン・トゥッテ」という作品として十分満足できたか、というと、必ずしもそうは言えません。どうしても歌手の持ち味と作品のミスマッチを感じてしまいました。ちなみに私は、これまで、小野和歌子のドラベッラ、鈴木准のフェランド、吉川健一のグリエルモは聴いたことがあります。それで、この三人については、どのような歌い方をするか、予想がついておりましたが、まあ、私の予想と大きく外れることはありませんでした。

 一方初めて聴いたのが、佐藤康子のフィオルディリージ、佐藤泰弘のドン・アルフォンゾ、九嶋香奈枝のデスピーナです。この三人については色々と思うことがありました。

 今回の公演の基準になるべきなのは、フェランドの鈴木准だと思います。鈴木はモーツァルトをレパートリーの中心に置いているテノールで、モーツァルトの持つロココ的軽さを表現する技術を十分持たれている方です。本日も細かいミスはあったのですが、全体としてみればフェランドとして十分な魅力を示していました。アリアも立派でしたし、重唱の核として見たときも、鈴木が中心にいるのが一番落ち着きます。

 この鈴木に対する小野和歌子の歌唱も見事です。鈴木に小野が加わる重唱になるとその魅力が引き立つように思いました。小野は歌唱が全体に丁寧で、それでいて表情も豊かで、アンサンブルのバランスのとり方もよかったです。また、吉川健一のグリエルモも、一寸やり過ぎかな、と思う部分がないわけではありませんでしたが、全体としては、アンサンブルに溶け込んでいたと思います。

 このアルト、テノールの軸に対して佐藤康子のフィオルディリージは、必ずしもバランスが良くないのです。佐藤の歌は一言で申し上げれば立派です。1幕の「岩のように動かず」だって、第2幕の「いとしいかたよ,愛する心のあやまちを」にしたって、立派であることは疑いない。しかし、その立派さがモーツァルト的立派さではないのですね。ヴェルディのアリアだったら あれで十分だと思うのですが、モーツァルトは、もっと軽々と跳躍してほしいのです。溜めをしっかりとってからの跳躍では、折角のロココ的軽さの魅力が失われます。アンサンブルの立ち位置もそうです。ところどころ、佐藤が見え過ぎるところがあって、気になりました。

 佐藤泰弘はもっと問題。私は、この方比較的好きなタイプのバス歌手なのですが、はっきり申し上げて、この方モーツァルトには向かないと思います。ドン・アルフォンゾは、要するに誇張しないバッソ・ブッフォでしょう。この方のアルフォンゾは、表情がつき過ぎで、その結果として音程が不安定です。アンサンブルもぎくしゃくしていて、私は彼のアルフォンゾを全然買いません。

 一方、九嶋香奈枝はもっと表情豊かに歌って欲しい。基本的にとても上手な歌い手で、声もいいし、歌い姿も正にデスピーナなのですが、医者に変身した時、公証人に化けたときの歌が徹底していないのです。自分が歌わずに待っているときの表情が怖くて、あんな表情で待っていたら、折角のコミカルな役が歌えないだろうな、と思いましたが、案の定そうでした。アリアは凄く良かったのですが、もっと役に入りこんでくれれば、もっとスーブレットとしての魅力が出たように思います。

 結果として、アンサンブル・オペラとしてのコジ・ファン・トゥッテは上手く行った部分と、そうとは申し上げられない部分があって、もう少し、アンサンブルの練習をされて、全体のトーンをそろえて本番に臨んでくれればよかったのに、と思いました。

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鑑賞日:2011年5月22日
入場料:4000円 2FE列9番

主催:三鷹市芸術文化振興財団

三鷹市芸術文化センター・風のホール第57回定期演奏会
沼尻竜典&トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演、演奏会形式
レオンカヴァッロ作曲「道化師」I Pagliacci)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

会場:三鷹市芸術文化センター・風のホール

スタッフ

指 揮 沼尻 竜典

管弦楽 トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
合 唱 栗友会合唱団
児童合唱 小田原少年少女合唱隊

プログラム

グリンカ  :  歌劇「ルスランとリュドミュラ」序曲 
ウェーバー  歌劇「魔弾の射手」序曲 
ビゼー  :  歌劇「カルメン」第3幕への間奏曲 
ヴェルディ  :  歌劇「運命の力」序曲 
休憩   
レオンカヴァッロ  :  歌劇「道化師」 


出 演

カニオ 水口 聡
ネッダ 北原 瑠美
トニオ 牧野 正人
ペッペ 渡邉 公威
シルヴィオ 大山 大輔

感想 音響の生々しさの魅力-TMPオペラ・プロジェクト第3弾「道化師」&オペラ序曲・間奏曲集を聴く。

 三鷹市芸術文化センター・風のホールでは、何度かコンサートを聴いております。TMPだって初めて聴くわけではありません。でも、こんな音を聴いたのは初めてではないかしら。とても音が魅力的でした。それも生々しい音の魅力。それにまずは心が奪われました。

 これは、多分会場の広さが関係しているはずです。私は二階席の一番後ろで演奏を聴いていたのですが、それでも舞台がとても近い。普通、オーケストラがコンサートをするような会場は2000席ぐらいはある。地方の市民会館のような所だって1200か1300席あるのが普通です。しかし、三鷹の風のホールは600席しかない。それぐらいの広さの上に、音楽ホールとして設計されています。そこで、フルオーケストラがフォルテを鳴らすのです。普通のコンサートホールと違う世界が見えるのは当然なのかもしれません。

 オーケストラの編成は最小限。弦楽器は8-7-6-5-3と言うものですから、これは室内オーケストラの規模です。でも、その響きは豊饒です。一つ一つの楽器の音が粒だっていて、奥行きの深い音です。ホール空間の容積よりも音が大きくて飽和しているのではないか、と思われる部分もありました。それでも豊かで位相のはっきりした深みのある音色は魅力的です。ひとりひとりの奏者の息遣いが感じられ、アンサンブルとして纏まってくる音楽。大ホールでは見えないものがあったと思います。

 前半の序曲集。まずは沼尻竜典の指揮が見事。「運命の力」序曲の冒頭のファンファーレ、これはもうひとつ落ちついた方が良いと思いましたが、あとはほとんど文句なし。「ルスランとリュドミュラ」序曲の疾走と流麗感の見事さにまずは感心し、「魔弾の射手」序曲のホルンの音色に感心させられました。岩佐和弘さんのフルートと三宅美子さんのハープの美しい音色が魅力だった「カルメン」の間奏曲。ファンファーレこそ今一つだと思いましたが、全体としては綺麗に纏まった「運命の力」序曲とどれも透明感があってすっきりと纏まっているのに、奥行きの深い演奏で良かったです。

 こういう生々しいオーケストラの音があれば、「道化師」は良い演奏になるだろうと思いましたが、まさにその通りでした。ヴェリズモ・オペラ特有の暑苦しさと、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズとの生々しさが抜群のマッチングを示します。沼尻竜典のリズム感は、決して重たいものではなく、少しスウィング感覚が入っているのではないかと思うほど軽快なものなのですが、オーケストラに最強奏をさせるとき、音の生々しさが前面に出ます。そのときの歌詞のテキストに乗せられる声が又、魅力的に響くのです。

 オーケストラに負けないのが合唱。流石に栗友会。南欧風の明るい合唱で舞台を引き立てます。小田原少年少女合唱隊の児童合唱も結構。オーケストラの音色と合唱の音色とがしっかり対峙して、お互いに四つ相撲を取るところは、オペラを聴く醍醐味の一つですが、今回はそれをまさに感じました。

 歌手陣では、カニオ役の水口聡が抜群に魅力的。スピントの利いたテノールのフォルテシモは、会場の空間のスペースを溢れさせるほどの迫力でした。例の「衣裳をつけろ」におけるアクートの凄みは、まさにテノールを聴く楽しみです。それ以外でも、嫉妬で狂いゆくパリアッチョの悲劇を、これでもか、これでもかと言う風に聴き手の心をナイフで抉りとるように歌うところが凄い。全身からあれだけの声を出して、スタイルが崩れないところが、水口の力量なのでしょう。水口は、新国立劇場を代表する日本人テノールですが、新国立劇場よりずっとせまい風のホールで聴くと、その実力が肌で感じられました。

 牧野正人のトニオも流石の実力です。歌い慣れた安定感があります。プロローグで見せる落ちついた雰囲気や、ところどころで見せる小悪党の表情は、牧野ならではのものと申し上げましょう。

 この二人とくらべると、残りのオーディションで選ばれたという三人は、硬さが抜けない歌で今一つ。北原瑠美のネッダは、頑張ってはいましたが、おとなしい印象です。「鳥の歌」は、端正な魅力は感じられましたが、凄みはありません。水口の狂気のスピントと比較すると、あまりにも弱過ぎて、四つ相撲にならない感じです。シルヴィオとの愛の二重唱も今一つ色気が不足している感じで、端正さのみが前面に出ている感じでいまいちでした。

 渡邉公威のペッペも、体格の割にはひ弱な感じです。オーケストラの音に流されていて、彼の声が杭になっていなかった感じがしました。それでもアレルッキーノを演じた舞台劇での歌唱はまずまずでした。

 大山大輔のシルヴィオは、それなりの出来でした。悪くはないのですが、牧野のように音楽の流れに乗って、声を微妙に変えるというところが上手く行っていない感じがしました。

 それにしても、沼尻竜典の統率力に敬意を表するべきでしょう。、軽快でありながら、奥の深い音をオーケストラから引き出した力量。大したものだと思います。

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鑑賞日:2011年6月2日
入場料:3780円 4F4列50番

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 ミゲル A.・ゴメス=マルティネス

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱  :  新国立劇場合唱団
合唱指揮  :  冨平 恭平 
     
演 出 ダミアーノ・ミキエレット
美術・衣裳  :  パオロ・ファンティン 
照 明 アレッサンドロ・カーレッティ
舞台監督 村田 健輔

出 演

フィオルティリージ マリア・ルイジア・ボルシ
ドラベッラ ダニエラ・ピーニ
フェランド グレゴリー・ウォーレン
グリエルモ アドリアン・エレート
デスピーナ タリア・オール
ドン・アルフォンソ ローマン・トレーケル

感想 斬新な演出と地味な音楽-新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く。

 コジ・ファン・トゥッテの舞台は、オーソドックスなものが好きでした。今まで見た「コジ」の舞台の中で、一番印象深いのは、1988年バイエルン国立歌劇場の日本公演のもので、ファイオルディリージとドラベッラの姉妹が出てくる邸宅の先には、真っ青な海が見えるというものでした。ジャン・カルロ・メノッティの古典的な演出。それ以来、「コジ」は10回ぐらい聴いていると思いますが、なかなかピンとくる演出が少なかったように思います。

 今回のミキエレットの演出は、私の嫌いな典型的読み替え演出だったのですが、思いのほか良かったです。というより、私はとても気に入りました。「コジ」のお話にあまりにはまっているのです。新国立劇場では、コルネリア・レプシュレーガーの比較的オーソドックスな演出で「コジ」を2回取り上げていたはずですが、今回のミキエレットの舞台が断然上だと思いました。

 ミキエレットは、18世紀ナポリを現代のキャンプ場に移しました。フィオルディリージとドラベッラは、そこにキャンプに来る若い女性。フェランドとグリエルモも同行する純朴な大学生、ドン・アルフォンゾは、キャンプ場の支配人で、デスピーナはキャンプ場の売店で働くウェイトレスという設定です。周り舞台の上には、キャンプ場の色々な施設、管理事務所とか、売店とか、キャンピングカーとか、キャンプファイアーをやる広場が点在していて、舞台を廻すことによって場面が移動します。

 幕が開くと、フェランドとグリエルモは、如何にもアメリカの純朴な大学生みたいな風貌で、キャンプファイヤーに使うまきわりをしています。そこに、管理人のアルフォンゾがやってくるという仕組みです。そこから、最後までキャンプ場の中だけでお話は進展しますが、物語と舞台の間にほとんど違和感がない。この作品の本質が「恋愛学校」であることが良く分かります。演出は文句なしにブラボーです。

 しかし、演奏は、と言うことになると、指揮者やキャストが変更になった影響なのでしょうか、なかなかパッとしないものだったと思います。音楽の求心力が欠けていたのではないかと思われる部分がまずあり、更には、歌手たちの華やかさが今一つ不足している感があり、音楽的に地味な印象があったと思います。

 音楽の求心力と言う点ですが、オーケストラのアンサンブルと歌手のアンサンブルとが微妙にずれているのではないか、と感じさせられる部分がありました。これは、舞台上に山が作られていた関係で、歌手たちから指揮者が見えにくかった、と言うことがあったのかもしれません。もしそうであれば、何らかの舞台の改善が必要でしょう。

 歌手の華やかさと言う点では、フィオルディリージとデスピーナに強くその不足感を感じました。

 フィオルディリージを歌ったマリ・ルイジア・ボルジは、とても上手に歌います。例えば、第2幕のロンド「いとしいかたよ,愛する心のあやまちを」などは、絶妙に上手い。5月のカヴァーキャスト公演の時、佐藤康子の歌唱を、私は「ための取り過ぎ」と批判したわけですが、ボルジは、溜めなど全く取らずに跳躍しているように聴こえる。また、細かなニュアンスの表現も正確で綺麗。この技量は素晴らしいものです。そういう力量の持ち主ですから、アンサンブルで、柔らかく歌う様な部分はとても美しく響きます。Bravaとしか言いようがありません。

 ただ、そういう繊細な表現を得意とする方ですから、惜しむらくは線が細く、ディーバとしての華やかさに欠けるのです。すっきりしていて、ケレンがない。第1幕のアリア「岩のように動かず」で、高音のフォルテシモを歌うと、ヴィヴラートがかかってしまう。これは逃げのヴィヴラートではないのですが、あの程度のフォルテシモでヴィブラートがかかるところが、この方の主役としての限界なのかな、と思うのです。

 デスピーナのタリア・オールも今一つ。デスピーナは確かにすれっからしですが、あそこまですれっからしな雰囲気を出さなくてもいいと思います。声質が、リリコ・レジェーロとしては軽さに今一つ不満があります。やっぱり、デスピーナはもっとコケティッシュな可愛さがあって、軽い高音をきっちりと飛ばしてほしいところです。

 フェランドのグレゴリー・オーレンは華やかな声の持ち主ですが、フェランドとしては如何なものか。この方、響きの位置は高いのですが、透明感に欠ける感じがします。あそこまで頑張らなくていいから、もっと澄んだ声で歌って欲しいと思いました。

 以上の三人は、当初予定されていた歌手ではなく、全て代役の方です。指揮者のゴメス=マルティネスも代役。代役の方はやはりそれなり、と言うことなのでしょうか。一方で、最初から予定されていた低音部の三人はそれぞれ立派な歌唱でした。

 まず、ドラベッラ役のダニエラ・ピー二が立派です。彼女は、歌の正確さや繊細な表現と言う点では、ボルジに負けている感じがしましたが、オペラ的表現の観点では断然上です。声に生命が籠もっているというか、メリハリがついた歌唱で、聴き手を引きつけます。アンサンブルのバランスのとり方も上手で、クレバーな歌手なのだろうと思いました。更に演技も割合自然で、この読み替えコジの舞台に溶け込んでいる印象でした。

 グリエルモのアドリアン・エレートも良好でした。軽快なバリトンで、ソロと言い、アンサンブルと言い、自分の役目をきっちりと果たしていたと思います。ドン・アルフォンゾは、バッソ・ブッフォと言う感じの方ではなく、比較的高音の伸びるバリトン。結果として重くならないアルフォンゾで、軽妙な味わいが良く出ており、これはこれで、納得できる歌唱でした。

 結局のところ、大地震と原発事故で日本を忌避する外国人が多いということが問題なのでしょうね。来たくない、と言う方に来てほしいとは思いませんが、最初のアナウンスの方々が登場すれば、もっと素敵な演奏になったかどうかには、興味を覚えます。

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鑑賞日:201166
入場料:
D席 5670円 4F 136

主催:新国立劇場

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「蝶々夫人」Madama Butterfly)
台本:ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

 

指 揮 イヴ・アベル
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮 冨平 恭平
合 唱 新国立劇場合唱団
演 出 栗山 民也
再演演出 江尻 裕彦
美 術 島 次郎
衣 裳 前田 文子
照 明 勝柴 次朗
舞台監督 大澤 裕

出 演

蝶々夫人 オルガ・グリャコヴァ
ピンカートン ゾラン・トドロヴィッチ
シャープレス 甲斐 栄次郎
スズキ 大林 智子
ゴロー 高橋 淳
ボンゾ 島村 武男
神官 佐藤 勝司
ヤマドリ 松本 進
ケート 山下 牧子

感 想

つれない指揮者と迫る歌手-新国立劇場「蝶々夫人」を聴く

 「蝶々夫人」は、主人公が日本人、場所が長崎ということで、新国立劇場では2-3年に1回取り上げられる人気演目です。今回の栗山民也の演出版も三回目。私はあまり好きな演出ではありません。私と同じような考えの方が多かったのか、それとも飽きられたのか良く分かりませんでしたが、4階席は結構まばら。月曜日の夜、ということも影響しているのかもしれません。

 お客は少なかったのですが、演奏はまずは上々と申し上げてよいでしょう。まず、指揮者の音楽作りがいい。このアベルという指揮者、基本的には歌手に媚びないタイプの指揮者ですね。全体的にやや速めのテンポでオーケストラを導こうとします。変に情緒的にならずに一定のテンポで音楽を進めていく。軽快な進み具合が結構です。

 しかし、歌手に媚びないとはいえ、歌手のメンタリティを無視しないのですね。グリャコヴァの蝶々夫人は、かなり感傷的な蝶々夫人でした。情感をしっかり込めて、繊細な表現も飛ばさずにしっかり歌う。従って、どうしても音楽が遅れがちになります。その遅れに寄り添ってみせる。しかし、基本インテンポの進行ですから、べたべたに甘えさせないのです。

 「ある晴れた日に」をグリャコヴァは情感たっぷりに歌い上げます。しかし、アベルは、ある程度は許容しますが、それ以上になると歌手を追いたてて歌わせます。その微妙な駆け引きを面白く聴きました。つれない指揮者を歌手がしっかりと引き留めようとする、とでも申しましょうか。

 外題役のグリャコヴァは、密度の濃い強い声の持ち主で、蝶々夫人の雰囲気に良く合っていました。上述のように一寸感傷的な歌唱で、如何にも日本人好みの蝶々夫人と言う感じです。惜しむらくは、言葉がクリアではないこと。私はイタリア語を話せないので、どちらがよりネイティブに近いかは判断できないのですが、私の耳には、日本人歌手と比べると、ずっと不明瞭な感じがしました。

 トドロヴィッチのピンカートンも良好。声の暗さが、ピンカートンの負い目を感じさせるように思いました。

 甲斐栄次郎のジャープレスも結構です。声が良過ぎるのか、一寸声が生々しい感じがしました。シャープレスとしては、もう少し落ち着いた声で歌ってくれた方が良かったかもしれないと思います。

 そのほか、何度目になるのか、スズキの大林智子は流石に落ちついた所作と歌唱で頑張りましたし。ゴローの高橋淳は相も変わらず、キャラクター・テノールの雰囲気を上手に出していました。

 以上、高水準の演奏でした。

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鑑賞日:2011617
入場料:
自由席 5000円

主催:東京室内歌劇場

東京室内歌劇場コンサート・オペラ
歌劇−ブルー・アイランド版

オペラ2幕、日本語(一部ドイツ語)上演、演奏会形式
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflote)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場:TOKYO FMホール

スタッフ

指揮・電子ピアノ 大島 義彰  
ピアノ 朴 令鈴  
演出・構成・ピアノ 青島 広志  
演出補    澤田 康子   
美術 斎藤 肇/松島 勇矢  
舞台監督 渡辺 重明  
制作統括    森 靖博   

出 演

妖怪屋敷の生物たち

役名  ブルーアイランド版での役柄  出演者 
ザラストロ 蝦蟇仙人 大澤 恒夫
弁者 大蛇 中原 和人
武士1 ヤモリ 伊東 大智
僧侶1 なめくじ 神谷 真士
童子1 座敷わらし 武澤 佳絵
童子2 座敷わらし 小川 嘉世
童子3 座敷わらし 川口 美和
ゲスト歌手 女郎蜘蛛 三橋 千鶴
ゲスト歌手 信楽焼のタヌキ 森 靖博
パパゲーナ 砂掛け婆 坂野 由美子
モノスタトス 黒人の小姓 阿部 祐介

 
役名  ブルーアイランド版での役柄  出演者 
合唱(ソプラノ) 見習い妖術使い 石田芽/今井愛/高橋結里/田中美穂
合唱(アルト) 見習い妖術使い 桜井日菜子/前山依加/森澤かおり
合唱(テノール 見習い妖術使い 下牧寛平/下村将太/吉川響一
合唱(バス) 見習い妖術使い 木谷圭嗣/土屋繁孝/平田利幸/細川傑

人間世界の住人達

役名  ブルーアイランド版での役柄  出演者 
夜の女王 大奥の大女 三崎 今日子
侍女1 三人官女 清水 菜穂子
侍女2 三人官女 高津 桂良
侍女3 三人官女 三津山 和代
パミーナ 禿 浅野 美帆子
タミーノ 笛吹き童子 青地 英幸
パパゲーノ 与ひょう 和田 ひでき
     
感想

お静かに-東京室内歌劇場コンサート・オペラ ブルーアイランド版「魔笛」を聴く。

 「魔笛」ではなく、「妖魔の笛吹き」です。舞台は江戸時代と思しき日本。蝦蟇仙人「ザラストロ」が支配する妖怪屋敷と大奥が舞台と言うのだから凝っています。ザラストロ以下、モーツァルトの原作では太陽を象徴する善役ですが、こちらでは妖怪ですから勿論悪役。パミーナをたぶらかして連れてきて、夜の女王の求めに応じて、パミーナを救いにやってきたタミーノも妖術にかけて、最後は妖怪の仲間に引き込んでしまう、という物語。善は悪に勝たないのですね。このプロットはとても面白いと思います。若いころは漫画家を志望した作曲家・青島広志の面目躍如と申し上げてよいでしょう。

 こういう徹底した読み替えが、青島広志演出のブルーアイランド版オペラの特徴です。しかしながら、私は、このブルーアイランド版演出を見るのが、今回二度目になる(前回は2006年7月の「フィガロの結婚」)のですが、前回感じた弱さがまだ残っています。

 まず、プロットの煮詰め方が甘い。日本語で歌わせ、台詞を言わせるのですから、極端な話、元々の役柄の名前を変えても構わないし、歌詞もオリジナルのドイツ語の内容に必ずしも沿う必要はないわけです。逆に青島版「妖魔の笛吹き」の世界を構築するためには、積極的にそうしたほうが面白い。ところが、その部分は本当に中途半端。特に、魔笛の音楽に、ストーリーに沿った歌詞を載せると言う作業は、ほとんど出来ていない、と言う感じで、主要なアリアや重唱は、ドイツ語で歌われてしまいます。

 青島広志は、作曲家としてはかなり優秀な方だと思いますが、文才の方はかなり厳しい感じがします。折角面白いプロットを考えられたのですから、このプロットに沿った作詞をきっちりして下さる方とコラボした方が良かったのではないかと思います。

 とはいえ、細かいギャグやくすぐりは、もと漫画家志望だけあってそれなりの面白さがあります。例えば、蝦蟇仙人にパミーナが短刀を突き刺そうとするけれども、蝦蟇の油で滑ってしまって全く刺せないとかですね。下ネタ系のくすぐりも、それなりに面白い。また今回は舞台装置は全くなく(幕もない)、歌手たちの衣装と演技だけの上演だったのですが、歌手たちの動かし方や衣裳や化粧の見せ方などは、漫画家的センスの光るところがありました。

 また、前回も厳しく指摘しましたが、青島広志が目立ち過ぎてうるさい。前振りの仕切りも前回同様にやって目立っておりましたし、アリアや重唱が終わった後の拍手も、後奏が終わる前に率先して始めていました。その姿を見ていると、この方は演出の面白さ・奇抜さで勝負しようとしているのではなく、テレビ等でもおなじみの、この方のキャラクターで勝負しようとしているように見えて興ざめでした。

 肝心の歌ですが、こちらはなかなか結構だったと思います。今年5月に聴いた砂川稔指揮の「魔笛」よりはこちらが上。細かく申し上げていけば色々事故はあったのですが、要所要所が締まっていたので、事故が目立たなかった、ということはあるかと思います。

 青地英幸のタミーノ。絶好調ではなかったと思います。青地はもう少し明るい響きの声を持ったテノールという印象があるのですが、一寸暗めで、響きが濁っていました。私は、タミーノは響きのポイントをもう少し上に置いて、透明感を出してくれる方が好きで、青地ならばそれが出来るだろうと思って出かけたので、一寸残念でした。

 パミーナはザラストロと夜の女王の間の子供、即ち人間と妖怪の混血という設定。だから、最初は、顔の右半分を黒く塗っての登場です。浅野美帆子の美貌が半分隠されているのが面白く見ました。歌もさほど悪くなかったのですが、第二幕の絶望のアリアは、思いっきり外しました。

 大澤恒夫のザラストロ。良かったです。最低音がもっと響いてくれると尚よいのですが、これは望む方に無理があります。この方の良いのは、なかなか出ない最低音と出しやすい中音を同じトーンできっちり歌うところです。今回の上演で一番良かった歌唱は、この方の「この聖なる殿堂では」ではなかったかと思います。Bravoでした。

 三崎今日子の夜の女王。期待以上の出来です。特に第一幕の「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」 がことに良い。「夜の女王」を歌う方は、第二幕のいわゆる「夜の女王のアリア」「復讐の炎は、地獄のように胸に燃え」に力を入れて、一幕のアリアがおざなりになる方が結構多いのですが、一幕のアリアをしっかり歌ってくれたのがまず嬉しいです。第二幕のアリアは、ところどころ上ずって完璧なものではなかったのですが、ハイFの最高音はきっちりと出してくれました。

 和田ひできのパパゲーノ。結構でした。和田は芸達者な歌手ですが、その特徴を存分に見せました。この演出でパパゲーノは、「鳥さし」ではなく、鶏肉売りで、「つう」に逃げられた「与ひょう」という設定です。パパゲーナに向かって「つう」と呼びかけてしまうところなどもなかなか上手。ただ、今回の上演では演技上のトラブルが多く、例えば、「鳥さしの笛」と「魔法の鈴」の紐がお互い絡まって、舞台の上で解けなくなってしまったり、たもとに入れようとした鈴が、たもとに入らず、パパゲーナと抱き合った時、床に落としたり。見ていてはらはらしました。

 その他、中原和人の大蛇、神谷真士のおねえ系蛞蝓が面白く、歌は必ずしも満足できませんでしたが、三人官女たちの熟女ぶりも面白かったです。

 ゲスト歌手の二人は、第二幕の冒頭の合唱の後に登場。三橋のカルメン、森のホセで、カルメンの第4幕のフィナーレの部分を歌いました。信楽焼の恰好をしたホセと妖艶にきっちり決めたカルメンの掛け合いは面白いものでした。

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