目次

日本オペラの重要な果実  2014年8月23日  慶長遣欧使節出帆400年記念事業 オペラ「遠い帆」2014年公演を聴く 
アニバーサリーを何で見せるか? 2014年8月30日 新宿区民オペラ20周年記念公演「椿姫」を聴く
究極のオペラ好きアマチュア  2014年9月6日  アーリ ドラーテ歌劇団「リゴレット」を聴く 
歌手泣かせ、観客泣かせ 2014年9月15日 東京二期会オペラ劇場「イドメネオ」を聴く
今後の精進に期待したい  2014年10月4日  第60回藝大オペラ定期公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く 
指揮者の責任 2014年10月11日 第23回首都オペラ公演「アラベラ」を聴く
練習量  2014年10月12日  昭和音楽大学オペラ公演2014「夢遊病の娘」を聴く 
過激だけど穏当 2014年10月14日 新国立劇場「パルジファル」を聴く
今年のM2は?  2014年10月18日  国立音楽大学大学院オペラ2014「フィガロの結婚」を聴く 
削ぎ落として見えるもの 2014年10月25日 東京オペラプロデュース「戯れ言の饗宴」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2014年  その1  その2   その3  その4  その5   
2013年  その1  その2   その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2013年 
2012年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2012年 
2011年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2011年 
2010年  その1  その2  その3  その4  その5  どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年  その1  その2  その3  その4    どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年  その1  その2  その3  その4    どくたーTのオペラベスト3 2008年 
2007年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2007年 
2006年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2006年 
2005年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2005年 
2004年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2004年 
2003年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2003年 
2002年  その1  その2  その3      どくたーTのオペラベスト3 2002年 
2001年  前半  後半        どくたーTのオペラベスト3 2001年 
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年  

鑑賞日:2014年8月23日
入場料:B席 7200円 2F2列73番

主催:仙台市/公益財団法人仙台市市民文化事業団

慶長遣欧使節出帆400年記念事業

オペラ1幕、日本語字幕付原語(日本語)上演
三善晃作曲「遠い帆」
台本:高橋睦郎

会場:新国立劇場 中劇場

スタッフ

指 揮 佐藤 正浩
管弦楽 仙台フィルハーモニー管弦楽団
合 唱 オペラ「遠い帆」合唱団
合唱指揮 今井 邦男
児童合唱 NHK仙台少年少女合唱隊
児童合唱指揮 大泉勉/佐藤淳一/原田博之/原田陽子
演 出 岩田 達宗
美 術 島 次郎
衣 裳 半田 悦子
照 明 沢田 祐二
音 響 山中 洋一
舞台監督 菅原 多敢弘
総監督 宮田 慶子

出 演

支倉六右衛門常長 :  小森 輝彦
ルイス・ソテロ :  小山 陽二郎
徳川 家康 :  井上 雅人
伊達 政宗 :  金沢 平
:  平野 雅世
黙役 :  渡部ギュウ/野々下孝/渡辺リカ/原西忠佑/齋藤兼治/千葉瑠依子/嶺岸加奈

感 想 日本オペラの重要な果実 慶長遣欧使節出帆400年記念事業「遠い帆」2014年公演を聴く

 三善晃が20世紀後半の日本を代表する作曲家のひとりであったことは言を俟たないところです。合唱曲や合唱付管弦楽曲に重要な作品が多い訳ですが、オペラを作曲することは長年封印してきたそうで、生涯唯一のオペラ作品がこの「遠い帆」になります。

 日本のオペラは、地域おこしのために作曲されることが割合多く、そのような作品は、多くの場合依頼した地域で一回上演されてその後は二度と日の目を見ないということが多いのです。「遠い帆」も仙台市の依頼で作曲されたある意味「地域おこし」的意味を持つ作品でしたが、作曲者が三善晃ということもあって、1999年の仙台市での初演後すぐに東京公演が行われ、2000年に再演、2002年に横浜で三演されました。その後は上演されることがありませんでしたが、2013年、慶長遣欧使節出帆400年記念事業の一環として仙台で四演され、その四演のメンバーで東京での演奏となったものです。

 私は評判は聞いておりましたが、作品を鑑賞するのは初めての経験です。

 感想を一言で申し上げれば、この作品は日本オペラを代表すべき一作であり、日本オペラ100年の歴史の中で、最も重要な果実の一つと申し上げて間違えない。徹底的にドラマティックであり、三善晃の作品としては単調という批判もあるかもしれないけど、逆に徹底的に凝縮し、削ぎ落として一時間十分強にまとめて濃密な音楽に仕上げた手腕、流石に三善晃と言うべきであり、その密度の濃さは半端ではありません。聴き手に緊張を強いるという点では、これほどのオペラはそうないのではないか、と思うほどであり、全部聴くと、相当の疲労を覚えるものでありました。

 演奏ですが、まず冒頭と最後の数え歌が見事。NHK仙台少年少女合唱隊が素晴らしい演奏を聴かせてくれました。またこの作品は主役が合唱と申し上げて良いぐらい合唱が重要で、その意味では合唱付管弦楽曲に重要な作品が多い三善晃的と申し上げてよいのですが、この合唱が非常に充実していました。男声こそ日本オペラ協会合唱団が応援に入りましたが、2013年公演と2014年公演のために集められた市民合唱団は良く鍛えられており、出ずっぱりといってよい中で、最上の演奏をしたと申し上げて間違いありません。

 ソリストはその分比重が小さいのですが、小森輝彦の常長、小山陽二郎のソテロ、平野雅世の影の演奏が良く、主人公・常長を演じた小森輝彦の演技は、合唱団の人数のパワーに押されながらも常長の苦悩を十分表現していると思いました。

 佐藤正浩指揮する仙台フィルの演奏も、非常にダイナミックであり、合唱の密度と共に作品の熱気を高めるのに十分な仕事をしていたと思いますし、岩田達宗の演出も、キリスト教、あるいはキリシタン弾圧の影を感じながらも、人間の運命の不条理さを前面に押し出して、その苛酷な悲しみを示すものでした。

 以上、作品の価値をよく示す、立派な演奏だったと思います。私は日本のオペラ作品をこれまで20位しか聴いたことが無いと思いますが、その乏しい経験の中では、ほぼ最上の経験だったと申し上げます。

 「遠い帆」は仙台発のオペラですが、三善晃の代表作の一つとして普遍の価値を持つ作品だと思います。今、「夕鶴」がそうであるように、三善や仙台とは無関係な人たちによって再演される日が来ることを期待したいと思います。

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鑑賞日:2014年8月30日
入場料:自由席 5000円


主催:新宿区民オペラ

新宿区民オペラ20周年記念公演

全3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」(La Traviata)
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場:新宿文化センター大ホール

スタッフ
指 揮 草川 正憲  
管弦楽   新宿オペラ管弦楽団 
合 唱    新宿オペラ合唱団
演 出 園江 治
美 術  淡路 公美子
衣 裳  :  五十嵐 和代
舞台監督  :  八木 清市
制作  :  園江 詩子

出 演

ヴィオレッタ   西本 真子
アルフレード   上本 訓久
ジェルモン   今井 俊輔
フローラ   片岡 ひろみ
アンニーナ   船津 え莉
ガストン子爵   新後閑 大介
ドゥフォール男爵   中原 和人
ドビニー侯爵   石井 一也
グランヴィル医師   藤原 啓
ジュゼッペ  :  細谷 正文 
使者  :  五島 泰次郎 
召使    城間 真 

感想

アニバーサリーを何で見せるか?-新宿区民オペラ20周年記念公演「椿姫」を聴く

 新宿区民オペラを最初に聴いたのは、10年前、新宿区民オペラ10周年記念公演だったと思います。この時の演目も「椿姫」。その時の演奏でまず覚えているのは、二幕第二場の冒頭の合唱です。特にあのマタドールの行進が、みんなおじいさんたちだったけど、闘牛士の衣裳を着て、嬉々として歌っていたのを思い出します。また、舞台装置も市民オペラにしてはお金がかかっていたように思います。

 それから10年、新宿区民オペラの実態はよく知らないのですが苦難は多かったものと思います。この10年間で多分合唱のメンバーは相当減ったようです。3年前の「カルメン」の時は合唱が人数的にかなり厳しい状況でしたし、一昨年の「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」の時は、江東オペラからの応援で形を纏めていました。今回は、「新宿区民オペラ合唱団」としての合唱になっていましたが、ソプラノ偏重、テノール偏重で、多分アルトパートやバスパートを歌うメンバーはエキストラが多いのではないかと思います。

 そのせいか、ジプシー女の合唱はまだ楽しそうに歌っていたようですが、マタドールの合唱は、あまり楽しげには見えませんでした。10年前の舞台に立てて嬉しい、という感じがあまり見られなかったのが、この市民オペラグループの大変さを象徴するように思いました。

 そういった個人的な感慨はさておき、演奏全体としては、市民オペラとしてはかなり上質なものだったと申し上げて良いと思います。これを引き出していたのは、外題役の西本真子とオーケストラだと思います。

 新宿区民オペラ管弦楽団は、よく練習していると思いました。弦の音などふらつく所、今一つのところは勿論あるわけですが、音楽の大きな流れがしっかりしていて、「椿姫」の音楽の骨格を支えるのに十分な役目を果たしていました。

 それに対してあまり買えないのは指揮者の指揮です。上記のような演奏は勿論指揮者のコントロールがあってのことではあるのですが、逆にスコアの流れ、推進力にだけ気が廻りすぎ、歌手との呼吸が結構あっていない。歌とオーケストラの出とがずれたところが何回もありましたし、溜をあまり作らないで進んでしまうことも多く、オペラのコクが出るのを邪魔した部分もあったのではないかと思いました。

 西本真子のヴィオレッタは、いろいろ細かい問題はあったにせよ、全体的には大変上質なヴィオレッタ。彼女は声のタイプからすると第三幕に力を発揮する人だと思っておりましたが、思ったとおり第三幕「さよなら、過ぎ去った日々」の前半が絶品。最後に声が掠れなければ、申し分ないものだったと思います。第一幕の「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」も期待以上の出来。特に高音をしっかり響かせるところが素晴らしいと思いました。第一幕はそういうテンションでもっていったのでしょう。

 ただ、そのテンションを引きずったのか、第二幕のジェルモンとの二重唱が今一つ。これは今井ジェルモンの責任でもあるのですが、要するに二人とも歌が上手で気分よく歌えちゃうものですから、どんどん進んでしまいます。上述のように指揮者も推進力のある方ですし。従って、美しく音楽は流れるのですが、あの音楽に含まれる、ヴィオレッタの悲しい覚悟や、ジェルモンの冷酷さ、身勝手さ、あるいはヴィオレッタに対する申し訳ないと思う気持ち(このどれに重心を置くかは、ジェルモン役の役作りだと思うのです)が、凄く曖昧になって、あの音楽のもつ観客を感動させる要素が希釈されているように思いました。

 このことは、今井俊輔のジェルモンに対する考え方の問題でもあるように思いました。今井俊輔はハイバリトンの素晴らしい声を持っている方です。ジェルモンはハイバリトンに歌いやすい役ですから、凄く乗って歌います。でもその歌にパパ・ジェルモンの年齢を感じさせないのです。例えば「プロヴァンスの海と陸」ですが、さいごの聴かせ所までは本当にするする行ってしまって、息子に言い聞かせている感じが聴こえてこないのです。そのあたりの表現をどう考えるかがこの方の課題なのだろうなと思いました。

 上本訓久のアルフレードは、力まずに歌っている部分はなかなか結構で、アルフレードらしさが良く出た演奏でした。ただ、力強く歌うところで、力みが出てしまうと、コントロールが利かなくなって今一つになってところがありました。「乾杯の歌」は旨く軟着陸していましたが、第二幕冒頭のアリアは、カバレッタをもう少し抑えた方が良かったかもしれません。

 脇役勢で良かったのは、アンニーナの船津え莉。それ以外の方々は、主要三役の方とは声の力の水準が違っているように聴こえました。

 以上気になる部分はいろいろあるわけですが、それでも全体を纏めて評価すれば、市民オペラとしてはかなり上質な上演でした。新宿区民オペラを主宰してきた園江夫妻の20周年に掛ける意気込みが、記念の演奏会を演奏で成功裏にまとめたものと思います。おめでとうございました。

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鑑賞日:2014年9月6日
入場料:B席 4000円 3F3列54番

主催:アーリ ドラーテ歌劇団
共催:公益財団法人日本オペラ振興会

オペラ3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「リゴレット」(Rigoletto)
原作:ヴィクトル・ユーゴー
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会場:昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 山島 達夫
管弦楽 アーリドラーテ歌劇団管弦楽団
合 唱 アーリドラーテ歌劇団合唱団
演 出 木澤 譲
美 術 鍵井 保秀
メイク 濱野 由美子
照 明 照井 晨市
舞台監督 千葉 翔太郎
公演監督 小山 陽二郎

出 演

リゴレット   須藤 慎吾 
ジルダ   高橋 薫子 
マントヴァ公   小山 陽二郎 
スパラフチーレ   小田桐 貴樹
マッダレーナ   向野 由美子 
モンテローネ伯爵   押川 浩士 
ジョヴァンナ   吉田 郁恵
マルッロ   佐々木 典 
ボルサ   阿食 金太郎
チュプラーノ伯爵   田中 大揮 
チュプラーノ伯爵夫人   愛知 智恵 
小姓   小林 実央

感 想 究極のオペラ好きアマチュア-アーリ ドラーテ歌劇団 第三回公演「リゴレット」を聴く

 地域系の市民オペラ団体で決して上演しない作品があります。まず、合唱の無い作品。また合唱の乏しい作品も難しい。こういった団体のビジネスモデルは、公募した合唱メンバーの知り合いにたくさん来てもらって収入を得る、というところがありますから、合唱団が沢山いた方がよい。また男声合唱しか合唱がない作品も現実には上演できません。市民オペラ団体の合唱の応募者は女声が圧倒的に多い。

 「リゴレット」はヴェルディの代表作の一つで、良く知られていて、聴きどころ、聴かせ所が沢山あるのに、市民オペラでは上演されないのは、合唱が男声合唱しか使われない、というのが大きいですね。というより、それが唯一の理由かもしれない。逆に申し上げるならば、市民の合唱ということに拘らなけらば、「リゴレット」はアマチュアのオペラ団でも上演できるということになります。

 アマチュア・オペラ団は、オーケストラ、合唱は自前でも、ソリストはプロの歌手を招聘するのが一般的です。勿論例外もあって、スタッフ・キャストを全て自前で揃えるという完全アマチュアのオペラ上演団体もいくつかあって、その中で最も長い歴史があるのが多分「東京大学歌劇団」です。1993年東大の学内のサークル活動として産声を上げたこの歌劇団は、東大生ばかりではなく、外部の市民などの参加もあって、2014年の現在に至るまで20年間年2回の公演を続けています。ちなみに今をときめくオペラ演出家の一人である田尾下哲も東大歌劇団で、「カルメン」のホセを歌っていたりします。

 アーリドラーテ歌劇団を主宰する山島達夫は1998年から2000年にかけてその東大歌劇団の総監督、指揮者を務めました。オペラ好きのアマチュアでその究極の姿は、自らオペラを手中に収めて演奏することだろうと思いますが、本業弁護士の山島は学生時代からその夢をかなえ、今は、プロ歌手を舞台に上げて、自分でコントロールする。これは凄いな、と思います。

 指揮姿はもの凄くカッコいいというものではないのですが、自分がやりたい「リゴレット」の姿があって、それに向かって指揮をしている感じが非常に良く見えて、悪くありませんでした。簡単に申し上げれば、推進力のある畳みかける部分の多い指揮。オーケストラもアマチュア奏者が中心だとは思いますが、それなりのしっかりした音を出していて見事だったと思います。

 アーリドラーテ合唱団と名乗る今回の合唱団のメンバーは、東大歌劇団OBと藤原歌劇団の混成メンバーですが、この合唱がリゴレットの合唱の邪悪な感じをとてもよく出していて秀逸。この声は市民合唱団の声ではありません。このぐらい不気味な音を鳴らさせるには、それなりの経験が必要です。

 舞台全体の感銘としては、まあまあというところです。舞台装置が貧弱なところが市民オペラ的ですが、歌手は藤原歌劇団の客演ですから勿論悪い筈がない。しかし、それでも最上とは言えないところがオペラの難しいところです。

 小山陽二郎のマントヴァ公が私の趣味とは違います。マントヴァ公は冒頭の「あれか、これか」でケレンをしっかり見せてくれないと、マントヴァ公の悪役としての臭いが薄まるように思います。小山の「あれか、これか」は、途中で「ワハハハ」と笑って見せるなど、デモーニッシュな雰囲気を出そうとはしているのですが、音楽としては悪魔的な感じがしないのです。ここで、バンと聴かせてくれないとオペラ全体の方向性が決まらないような気がします。二幕の冒頭のアリアもカヴァティーナの身勝手な悲痛さも、カバレッタの能天気な喜び方もどちらも中途半端な感じがする。だからその対比がクリアに聴こえないのです。「女心の歌」も最後のアクートをあれだけやるのであれば、途中ももっと工夫して、ケレンを見せた方が、アクートが生きるのに、と思いました。

 このマントヴァの中途半端な感じがオペラの味を薄めたように思います。

 須藤慎吾のリゴレット、これは立派。父親らしい雰囲気の深みの出し方には更に研究の余地はあると思いましたが、全体としては聴き応えのあるリゴレット。惜しむらくは、一幕のジルダとの二重唱が、もっとぴったりとした方が良いと思えたのと、全体に動きをゆっくりした方が、リゴレットが身体障碍者であるという前提をより明確に出せたのではないかと思います。二幕から三幕にかけての歌唱は、役の感じを良くつかんでいて、気持ちよく聴くことが出来ました。

 高橋薫子のジルダ。やっぱり上手だと思います。「慕わしき人の名は」は流石だと思いますし、二幕、三幕は重唱の位置取りも良かったと思います。

 小田桐貴樹のスパラフチーレは、不気味な感じが非常に良く、聴いていて嬉しくなるほどでした。向野由美子のマッダレーナは低音の響きが今一つだと思いましたが、三幕の四重唱ではしっかり自分の仕事をされていらっしゃいました。

 そのほかの出演者では吉田郁恵のジョヴァンナと押川浩士のモンテローネが良い歌を聴かせてくださいました。

 演出は、いわゆるマフィア・リゴレットを意識しているものでした。マフィア・リゴレットで私がまず思い出すのは、昨年10月新国立劇場で上演したクリーゲンベルグ演出のものですが、登場人物の服装は、ギャング的ではあるけれども、新国立劇場のように具象的ではないので、違和感が少ない。予算の都合なのでしょうが、簡素な舞台で想像力を働かせることが出来てかえってよかったような気がしました。

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鑑賞日:2014年9月15日
入場料:C席 8000円 4F2列54番

主催:公益財団法人東京二期会

東京二期会オペラ劇場/アン・デア・ウィーン劇場との共同制作

オペラ3幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「イドメネオ」(IDOMENEO)
原作:アントワーヌ・ダンシェ
台本:ジャンバッティスタ・ヴァレスコ

会場:新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指 揮 準・メルクル
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 大島 義彰
演 出 ダミアーノ・ミキエレット
衣 裳 カルラ・テーティ
照 明 アレッサンドロ・カルレッティ
演出補 エレオノーラ・クラヴァニョーラ
舞台監督 村田 健輔
公演監督 曽我 榮子

出 演

イドメネオ   又吉 秀樹
イダマンテ   小林 由佳
イリア/font>   経塚 果林
エレットラ   田崎 尚美
アルバーチェ   北嶋 信也
大祭司   新津 耕平
  倉本 晋児

感 想  歌手泣かせ、観客泣かせ-東京二期会オペラ劇場「イドメネオ」を聴く

 レシタティーヴォ・セッコには伴奏が付きます。普通はチェンバロを使用します。今回はそれが、ピアノとチェロでした。何故そうしたのかはよく分かりません。ただ、セッコの伴奏が、ピアノになると、音が大きく重くなります。そこにチェロが通奏低音的に割り込むと、セッコの部分の重々しさがより強調されます。

 それが良いことだとは、私は全く思わない。モーツァルトのレシタティーヴォをチェンバロで演奏しない理由が、正直申し上げて私には理解できないのです。指揮者の意思なのか、それとも演出家の考えなのか。こういった理解しがたい変更が他にもあります。例えば、終幕は、イドメネオのレシタティーヴォ・アコンパニャートがあって、王を讃える合唱で終わりというのが、私の持っていた「イドメネオ」の印象ですが、そのあと、オーケストラの伴奏だけが続いて、イリアが出産するという場面が出てくる。このオーケストラの伴奏は一体何なのでしょう。私は、「イドメネオ」というオペラにそれほど親しくないので、異稿・異版については何も申し上げられないのですが、オペラの常識から見て、フィナーレをオーケストラだけで飾るというのは、かなり異常だ、ということは申し上げられるかもしれない(演奏していたのは、「イドメネオ」に付随するバレエ音楽だそうです)。

 それ以外にも、私の知っている「イドメネオ」というオペラと本当に同じなのかな、と思う部分はそれなりにありました。「イドメネオ」は大きく、「ミュンヘン上演版」と「ウィーン上演版」とあるそうで、今回は、「ミュンヘン上演版」をもとにした独自版で演奏しているそうですが、その版の違いが影響しているのでしょうか?

 私が気になるのは、演出によって音楽が曲げられているのではないか、ということです。演技がなくてもオペラは成立しますが、音楽がなければオペラにはなりえない(勿論、オペラは総合芸術ですから、音楽も、演技も、演出も、舞踏も大切です)。その本質がある以上、演出家が音楽に手を入れる場合、単純カット等は認められるとは思いますが、それ以上の変更は許されないのではないか、という気がします。今回ミキエレットが、演出に合わせて音楽の順番等を変えていたとすれば、それはよろしくないように思うのです。

 それにしても、ミキエレットの演出は、相当マニアックです。舞台は、軍靴の撒き散らされた砂場です。勿論時代は神話時代ではなく仮想的現代、もしくは未来かもしれない。軍靴は勿論戦争の象徴ですね。その靴は幕が経ることによりどんどん減っていきます。つまり、この変化は、このオペラは、戦争の悲劇から他の問題、具体的には、親子問題に変わっていることを言いたかったのかもしれません。

 この推論が正しいかどうかは私は知りません。ミキエレットは表現したいことが沢山ある、ということはよく分かります。オペラの筋とは関係ないところで、合唱団の方々がやられている演技は、そういった演出家の主張・表現の一つの具現化なのでしょう。ただ、それが観客に伝わっているか、と言えばかなり疑問です。私自身は、やり過ぎで、結局のところ何が何だか分からない。モーツァルトの音楽とも相容れないのではないかと思って観劇しておりました。

 それがもっとも現れたのが、フィナーレで、イドメネオが倒れて、砂の中に埋められる。それに引き続き、イリアが出産する、というのは、勿論輪廻転生的イメージがあったのでしょうが、日本人であれば、イドメネオが倒れて、その隣にお腹の膨れたイリアがいれば、具体的に何もしなくても、イドメネオの魂がイリアのお腹の子に移ったと思うでしょう。しかし、そこを敢て余計な音楽まで付けて出産場面を見せる。くどくて悪趣味と申し上げるしかありません。

 「イドメネオ」はオペラ・セリアです。オペラ・セリアにはいろいろと約束事があって、それに沿ってモーツァルトは作曲している。その枠組みを壊すというのが、ミキエレットの演出のコンセプトなのでしょう。それがいけないことだとは思いませんが、それが、一目で分かるような演出にはなっていません。細かいことをやり過ぎで、それが一つ一つ意味がありそうなのですが、何を言いたいのが全く分からない。全体としての演出の柱が見えず、ディテールだけに拘っている感じがします。、観客に余計な思考を強いて、折角素敵なモーツァルトの音楽に入り込ませないのは、私には納得いかないものがあります。そういう観客泣かせの演出には否定的になるしかありません。

 なお、あの演出には、歌手にも余計な緊張を強います。靴と砂で足元が覚束ない。そういう条件を強いるのは、感心できることではありません。

 そういった悪条件の中で、歌手陣は頑張っておりました。若手中心のキャストですが、若いって凄いな、と思わせられました。

 まずタイトル役の又吉秀樹がよい。まだ29歳と言う話でしたが、あの若さで、あれだけの歌が歌えるのは素晴らしいと申し上げるしかない。技術的には粗削りで、才能だけで歌っている部分もあるわけですが、第二幕の大アリア「嵐の海から逃れたものの」は聴きものでした。それ以外も全体的に素敵な歌唱で、存在感のあるしっかりした歌を歌っていて良いと思いました。

 また又吉にまして良かったのは小林由佳のイダマンテ。イダマンテが「私には罪がないのに」で登場すると、舞台の空気が変わった感じがします。重唱の存在感もあり、本日の舞台を一番引っ張っていたのは小林イダマンテと申し上げてよろしいのではないでしょうか。

 田崎尚美のエレットラは、二幕の抒情的なアリアが比較的良かったと思いますが、第一幕と第三幕のアリアは、もっと厳しさを出す方が私の好みです。経塚果林のイリアは、無難にまとめておりましたが、聴き手に印象を与えるような歌唱ではなかったように思います。2009年の国立音大の大学院オペラではドンナ・アンナが良かった印象があるので、もう少し重たい役の方が、彼女の雰囲気に似合うのかもしれません。

 合唱は悪くはないのですが、今一つ求心力に欠けている感じがしました。

 準・メルクルの作り出す音楽は流石と申し上げて良いものだと思いました。明快で推進力が感じられます。東京交響楽団もさすがの実力でした。

 それにしても演出がくどくて焦点が絞れていないので、音楽の邪魔になって仕方がありません。舞台が気になって音楽が素直に耳に流れ込んでこなかったのが一番の問題のように思いました。

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鑑賞日:2014年10月4日
入場料:5000円 1F20列23番

主催:東京藝術大学音楽学部 藝大オペラプロジェクト実行委員会/東京藝術大学演奏芸術センター

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588( Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:東京藝術大学 奏楽堂

スタッフ

指 揮 高関 健

管弦楽 藝大フィルハーモニア
フォルテピアノ 大藤 玲子
合 唱  :  東京藝術大学音楽学部声楽科3年生 オペラ履修生
合唱指揮  :  千葉 芳裕 
     
演 出 粟國 淳
装 置  :  横田 あつみ 
照 明 笠原 俊幸
衣 裳 西原 梨恵
舞台監督 村田 健輔

出 演

フィオルティリージ 徳山 奈奈
ドラベッラ 吉田 貞美
フェルランド 松原 陸
グリエルモ 湯本 直幹
デスピーナ 松原 みなみ
ドン・アルフォンソ 伊藤 純

感想 今後の精進に期待したい-第60回藝大オペラ定期公演「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く。

 藝大オペラは例年行きたいと思って狙っていたのですが、他のオペラと重なったり、切符が売り切れていたりして、これまで一度も伺ったことがありません。今回もダメモトで電話をしたところ、当日券が発売されるということだったので、早速伺ってきました。そんな訳で奏楽堂に入るのは初めての経験ですが、なかなか良いホールです。嬉しくなりました。

 それにしても藝大の先生方も若返りました。会場の入り口に諸先生方が立って、お客様を迎えてくれるのですが、佐々木典子、勝部太、福島明也、甲斐栄次郎といった面々が並んでいて壮観です。それだけで期待が高まります。藝大の若手、どんな才能と出会えるのか、期待しました。

 結論を先に申し上げれば、この期待は裏切られたと申し上げてよろしいでしょう。

 若い方々だから、勿論いろいろ今後経験を積む中で解決しなければいけないのは当然ですし、緊張もするだろうし、それは仕方がないのですが、藝大の看板を背負って舞台に出ているのだから、原石の輝きで良いから見せて欲しかったと思います。今日の演奏を聴く限り、デスピーナを歌った松原みなみを除くと、若手で買える方はいらっしゃいませんでした。

 それでも舞台全体としては著しく悪いという感じはしませんでした。

 まず、演出がオーソドックスだったのがよい。粟國淳の演出は、このオペラの特徴である対称性を意識して舞台を作っており、その形式性が見事に美しい。本来の時代設定を意識したオーソドックスな演出は、舞台美術、衣裳を含めて非常に分かりやすいのも良いと思いました。

 また、応援で入った伊藤純のドン・アルフォンゾが見事の一言。声量といい、雰囲気といい、余裕といい、ベテランの味をしっかり見せていました。伊藤のアルフォンゾが、要所要所でくさびを打って行くので、音楽全体としては底上げされる感じがします。ただ、アルフォンゾの存在感がありすぎるのが、普段聴いている「コジ」とは雰囲気が違います。例えば、有名な三重唱「風は穏やかに」では、バスの声がしっかり響いて、ソプラノの弱さが目立ちます。本来はそういうところで、若手がベテランを食って欲しいところですが、そういう訳にはいかなかったのが現実です。

 オーケストラはとても良いとは思いませんでしたが、勿論市民オーケストラのレベルではありません。ただ、高関健が自分のペースで演奏するのではなく、結構若手歌手に気を使って、テンポを遅くしたり、リタルダンドを掛けたりしていますので、全体としての推進力があるという感じにはなりませんでした。私は、高関はもっと歌手たちを煽っても良かったのではないかという気がしています。

 さて問題の若手歌手ですが、松原みなみのデスピーナ、彼女は良かったです。張りのある軽い声で、声に力があるのが良い。粗削りのところもあるのですが、声量も十分でしたし、溌剌とした演技も良かったです。二曲のアリアはどちらも良かったですが、第一幕の「男たち、ましてや軍人に誠実を期待するなんて」の方が、第二幕の「女も15になったら」より良かった感じがしました。伊藤純ほどではありませんでしたが、彼女もオペラの推進に一役買っていました。これで、医者に化けた時の歌唱、公証人に化けた時の歌唱がもっと面白く表現できていれば、更によかったと思います。

 フィオルディリージの徳山奈奈は、声に力がない。重唱を歌う分には良いですが、アリアには正直なところ力不足だなと思いました。高音の張りも魅力がないですし、低音も声が飛んでこない。声に力がないので、跳躍が上手く行かない感じです。第一幕の「岩のように動かず」も第二幕の大アリアも結局楽譜面をなぞっているだけで、表現になっていない感じがしました。

 ドラベッラの吉田貞美もやはり今一つです。声に力がないという印象は、徳山と同様。第一幕の「私の心を騒がす」は、声を高音から低音に下げて行くところで、声のトーンが突然切り替わる感じなど、もう少し上手に処理して欲しかった感じがします。

 フェルランドの松原陸は、高音に伸びがないのが残念。高音になると、声が平べったくなって聞き苦しくなります。グリエルモの湯澤直幹は、もっと丁寧に歌えばよいのに、と思うところが何箇所かありました。二人ともやはり声に余裕がない感じでした。

 アリアと比較すれば重唱の部分がまだましだった様に思いますが、ドン・アルフォンゾとデスピーナが強く、その他が弱いという感じが終始付きまとい、そのバランスに課題を残した感じです。 

 以上、厳しく書き連ねましたが、若手はいつ、どう伸びるか分かりません。精進に期待し、次回聴くときは、括目するような存在になっていてほしいと思います。

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鑑賞日:2014年10月11日
入場料:C席 6000円 3F10列44番

主催:首都オペラ/神奈川県民ホール

オペラ3幕、日本語字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「アラベッラ」(Arabella)
台本:フーゴ・フォン・ホフマンスタール

会場:神奈川県民ホール

スタッフ

指 揮 中橋健太郎左衛門 panf14036.jpg
管弦楽 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合 唱 首都オペラ合唱団
合唱指揮 川嶋 雄介
演出・衣裳 佐藤 美晴
装 置 松生 紘子
照 明 奥畑 康夫
音 響 関口 嘉顕
ドラマトゥルグ 中村 康裕
舞台監督 徳山 弘毅
総監督 永田 優美子

出 演

ヴァルトナー伯爵 :  佐藤 泰弘
アデライデ :  佐伯 葉子
アラベッラ :  津山 恵
ズデンカ :  山口 佳子
マンドリカ :  月野 進
マッテオ :  内山 信吾
エレメル伯爵 :  浅野 和馬
ドミニク伯爵 :  御舩 鋼
ラモラル伯爵 :  宇田川 慎介
フィアッカミリ :  石井 実香
カルタ占い  :  前坂 美希 
ヴェルコ    北柴 潤 
デュラ    村上 龍郎 
ヤンケル    吉田 宣俊 
客室係    柳亭 雅幸 

感 想 指揮者の責任 第23回首都オペラ公演「アラベッラ」を聴く

 本年5月新国立劇場は、「アラベッラ」を取り上げました。あの演奏は、外人勢に問題が多く、決して十分満足いく演奏ではなかったのですが、日本人脇役が全員素晴らしく、枠組みのしっかりした演奏で、全体としての流れはスムースで、聴いていて心地よい演奏になっていました。その演奏と、今回の首都オペラとを比較してはいけないのでしょうが、新国立劇場の公演水準の高さをいやでも感じさせられてしまうと思いました。

 脇役勢の実力が全く違います。冒頭のアデライデとカルタ占いの二重唱。新国では竹本節子と与田朝子で歌われたわけですが、本当に美しく響きました。それと比較するとき今回の佐伯洋子と前坂美希のコンビは地力に差がありますし、竹本・与田のようにいかないのは仕方がないのですが、それでも相当差が開いた印象です。アラベッラに求愛する三人の伯爵も同様。新国の望月哲也、萩原潤、大久保光哉と今回歌った浅野、御舩、宇田川では歌手の格が違いますから、そこに差があるのは仕方がありません。

 しかし、脇役の差以上に、新国の公演と今回の公演とは差が開いていたと思います。その原因は指揮と演出にあると思います。

 演出について申し上げれば、舞台装置にお金をかけられないのは分かります。大きな階段状の舞台をしつらえ、そこを第1幕ではヴァルトナー家の一室とし、第2幕では舞踏会場とし、第三幕ではホテルの玄関と見せているのですが、小道具がいい加減なので、その雰囲気が出てこない。第三幕では、ヴァルトナー伯爵のカード仲間がホテルの玄関でカードを始める訳ですが、床に直接腰を下ろしてカードをする、というのはいくらなんでも手を抜きすぎだと思いますし、第二幕のアラベッラとマンドリカの会話の部分もテーブルも椅子もなく、直接階段に座らせるという演出はどうなんだろうと思ってしまいます。

 更に申し上げれば二重唱での二人の距離も離しすぎでしょう。これは舞台を広く使いたいという演出家の意思の表れかと思いますが、見ていて不自然だし、音楽的にも問題が多い。例えば、第二幕のアラベッラとマンドリカの愛の二重唱では二人の一体感を感じられないわけですが、これは、二人がお互いの息遣いを感じられない距離で歌っているからだと思うのです。佐藤美晴は、神奈川県民ホールの舞台の広さに困惑し、その舞台の広さに負けたとしか申し上げようがありません。

 もう一つ、登場人物の人物像の読み込みも浅い。例えば、アラベッラの父親のヴァルトナー伯爵は、娘の前では威厳を見せるものの、その本質はギャンブル狂のダメ親父です。そのダメさ加減を新国公演では妻屋秀和が、完璧に演技歌唱して大いに感心したわけですが、今回の佐藤泰弘のヴァルトナー。歌は決して悪くないのですが、全然ダメオヤジ風の演技をしないので、印象が薄い。また、アラベッラはマンドリカの素朴で粗野なところに惹かれて行くわけですが、マンドリカの素朴感や粗野感も出演者の演技を見る限り、ほとんど不明確だった、と申し上げるしかない。

 以上、演出も納得いかないものでしたが、それ以上に残念だったのは、中橋健太郎左衛門の指揮。この中橋という方、オペラ公演の裏方としては非常に有名な方で、色々な公演で副指揮や合唱指揮を務めていますから、個性の強い演奏にしないまでもしっかり纏めてくるかと期待していたわけですが、残念ながら、「アラベッラ」という作品を全く手中にしていない。リヒャルト・シュトラウスはウィーン貴族の没落を音で表現しているわけですが、その退廃と没落の音楽が全然それらしく響いてこないのです。

 弦楽器などはもう少しレガートかつ繊細に演奏させればそれだけでも違うのに、そういう雰囲気の指示はオーケストラに一切していないように聴こえます。それ以前にオーケストラが中で一体的な演奏をしていないのです。指揮が微妙なせいかアインザッツが揃わないこと著しい。右から聴こえる音のタイミングと左から聴こえるタイミングが違うというのはどういうことか。プロのオーケストラは、本番前に3日間ぐらいアンサンブルの練習をして本番に臨むわけですが、その練習を全くやっていないのではと思えるほどでした。

 とにかく指揮者の指示が不明瞭。今回の舞台はプロンプターがいないようで、指揮者が全部指示を出すのですが、歌手に対するタイミングの指示も遅く、歌手とオーケストラが合わない部分も非常に多いですし、自分のところに集まって来る情報を処理できない様子で、指揮が単調になってしまう。ただ四拍子を刻むだけだったら、メトロノームで十分ではないか、と申し上げたいほどです。指揮者が音楽を制御できないので、とにかくあちらこちらがバラバラで、音楽の一体感が全然生まれません。音楽における指揮者の重要性、責任を再認識させられました。

 そういう悪条件の中で主役級歌手たちは頑張りました。

 アラベッラ役の津山恵は、密度の濃い美声で、しっかりアラベッラを歌い、立派でした。新国で歌われたガブラーのアラベッラよりも私は津山のアラベッラの歌に共感を覚えます。山口佳子のズデンカも見事です。だからこの二人が組む二重唱は美しく、一寸妖しげに響くのです。

 月野進のマンドリカも上々。素朴、粗野感の出し方が不十分と申しましたが、私自身は、その部分を強調しすぎるより、月野位マイルドな表現の方が好ましいと思います。表現としての強さはあまりないのですが、シュトラウスの音楽美はとてもよくよく表現されていたと思います。

 内山信吾のマッテオは、上記三人と比較すると、ムキになりすぎて歌っている感じが強く、もう少し冷静に、マッテオの直情を表現できればよいのに、と思いながら聴いておりました。

 以上歌手については細かい問題はあったのですが、悪いということは全くありませんでした。それでもやはり歌いにくそうでしたし、彼らの実力を十分に発揮できる環境は与えられなかった、ということは申し上げて良いと思います。音楽をもう少し統率できる方が指揮者をやって頂ければ、また全然違った感想になったと思います。指揮者の責任を強く感じさせられた公演でした。

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鑑賞日:2014年10月12日
入場料:B席 2800円 3F5列56番

主催:昭和音楽大学

昭和音楽大学オペラ公演2014

オペラ2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ベッリーニ作曲「夢遊病の娘」(LA SONNAMBULA)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 ダンテ・マッツォーラ panf14037.jpg
管弦楽 昭和音楽大学管弦楽団
合 唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮 山舘 冬樹
演 出 マルコ・ガンディーニ
美 術 イタロ・グロッシ
照 明 奥畑 康夫
衣 裳 シモーナ・モレージ
舞台監督 伊藤 潤

出 演

ロドルフォ伯爵 :  小田桐 貴樹
テレーザ :  吉田 郁恵
アミーナ :  柏川 翠
エルヴィーノ :  岡坂 弘毅
リーザ :  木全 瑞恵
アレッシオ :  市川 宥一郎
公証人 :  工藤 翔陽

感 想 練習量 昭和音楽大学オペラ公演2014「夢遊病の娘」を聴く

 2日連続オペラを聴いて、オペラって共同作業なのだな、と当たり前のことを感じました。一体感のある演奏は、おざなりの練習で仕上げて来た公演とは違います。昭和音楽大学は、大学公演とはいえ、卒業生を中心とした若手歌手をキャストとして選び、十分な練習で公演に臨みますから外れが少ないのですが、本年も大変立派な公演に仕上がりました。

 演目は、昭和音大オペラ定番と申し上げて良い「夢遊病の女」。大学のオペラ公演というとモーツァルトが取り上げられることが多いのですが、昭和音大は一貫してベルカント。確かにモーツァルトは素晴らしいですが、イタリア古典オペラの完成形はロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニにあるわけですから、これらのオペラで教育するというのは理に適っていると思います。

 さて演奏ですが、昭和音大管弦楽団が立派。この団体、半数以上は学生で、潜在的な実力派それほどではありません。一度東京交響楽団との合同演奏を聴いたことがあるのですが、やはりプロオーケストラとの差は如何ともしがたいところがありました。それでも今回は素晴らしい演奏でした。多分それは、曲自体がオペラの伴奏ということで比較的演奏が易しい、ということはあるのでしょうが、練習量と、一体感を持ってオペラを成功させようという全員の意思が揃っていたというのが本当の理由だと思います。マッツォーラの指揮が明確だった、ということもあるのでしょうね。とにかく気分が良くなる演奏で嬉しくなりました。

 歌手陣も総じて立派。

 アミーナ役の柏川翠。素敵でした。全体的に線は細めでしたが、歌唱はきっちりまとめて立派。ちゃんと練習してポイントを押さえて歌っているというのがよく分かりました。登場のアリアとフィナーレの狂乱の場、どちらの曲もベルカント時代の技巧の粋を集めたような曲で、一曲の中で色々な表現をしなければならない難曲ですが、技術的には聴かせるものがありました。メリハリの付け方などはこれからだとは思いますが、今後に期待が持てる方だな、と思いました。

 岡坂弘毅のエルヴィーノも結構。一寸鼻にかかった軽いテノールの声が、正に「夢遊病の女」にぴったりです。ただ、声の質の割には高音が伸びないタイプの方のようで、高い音で少し声が痩せてくる感じがあり、そこだけが残念。それでも軽い声で飛ぶ様子はとても素敵です。

 こんな二人ですから、重唱がまた素敵です。透明感のある声が混ざって、清潔な初々しい感じが上手に表現されていました。このオペラのテノールの二曲のアリアはどちらもアミーナが重唱が絡んでくるので、二人の声の感じが重なっているというのも良い効果として現れているように聴きました。

 ロドルフォ伯爵を歌った小田桐貴樹も雰囲気がよく結構でした。バスの低い声が、役柄の落ち着いた雰囲気に丁度良い感じで見事でした。登場のアリアがよく、引き込まれるものがありました。

 木全瑞恵のリーザ。一幕は余り存在感を示しませんでしたが、二幕のアリアは、高音をビンビン響かせ、立派に歌い上げました。吉田郁恵のテレーザも結構。母親の雰囲気を出していたと思います。

 合唱は、冒頭の合唱が頑張りすぎたのか、声の溶け合い方に今一つ不足を感じましたが、あとは上々。良かったと思います。

 マルコ・ガンディーニの演出は、昭和音大オペラ伝統の写実的な表現ではなく、幾何学的抽象的模様で舞台を割っていくイタロ・グロッシの装置に群集劇的に人を張り付けて行くもの。このオペラの本質である田園ロマンスの雰囲気は必ずしも明確ではありませんでしたが、シャープな感じが若い歌手たちが作り上げる舞台には、丁度良いのかな、と思いました。

 細かい問題をあげつらえばいくらでもあるのでしょうが、音楽の感じが如何にもイタリアオペラに仕上がっておりましたし、出演者も皆揃っていました。よく鍛えられた聴き応えのある上演でした。練習量は裏切らない、ということだろうと思います。

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鑑賞日:2014年10月14日

入場料:C席 11340円 3FL10列2番

(平成26年度文化庁芸術祭主催公演)

主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

新国立劇場2014/2015シーズンオープニング公演

オペラ3幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲 舞台神聖祝典劇「パルジファル」(Parsifal)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会場 新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指 揮 飯守 泰次郎  
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団/二期会合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 ハリー・クプファー
装 置 ハンス・シャベルノッホ
衣 裳 ヤン・タックス
照 明 ユルゲン・ホフマン
映 像 :  トーマス・ライナー 
演出補 :  デレク・キンベル 
音楽ヘッドコーチ    石坂 宏 
舞台監督    大仁田 雅彦 
芸術監督 飯守 泰次郎

出演者

アムフォルタス エギル・シリンズ
ティトゥレル 長谷川 顯
グルネマンツ    ジョン・トムリンソン 
パルジファル  クリスティアン・フランツ 
クリングゾル    ロバート・ボーク 
クンドリ    エヴェリン・ヘルリツィウス 
第一の聖杯騎士    村上 公太 
第二の聖杯騎士    北川 辰彦 
小姓1    九嶋 香奈枝 
小姓2    國光 ともこ 
小姓3    鈴木 准 
小姓4    小原 啓楼 
花の乙女たち1   三宅 理恵 
花の乙女たち1    鵜木 絵里 
花の乙女たち1    小野 美咲 
花の乙女たち2    針生 美智子 
花の乙女たち2    小林 沙羅 
花の乙女たち2   増田 弥生 
アルトソロ   池田 香織 

感 想

過激だけど穏当−新国立劇場 「パルジファル」を聴く

 有名な話ですが、バイロイト音楽祭のチケットは滅多なことでは取れないそうです。それだけ、ワーグナーは世界中に愛好者たちがいて、あの長大な音楽に浸ることを楽しみにしているわけですが、正直なところ私にはその感覚がよく分からない。勿論、もっともっとたくさん聴いて、その音楽をよく知っていけばまた違うのでしょうが、あれだけ長大な音楽を、それ以外にも聴きたい作品がいっぱいあるのに、聴いている余裕はなかなかありません。だから、聴かず嫌いと言われれば一言もないのですが、私には退屈な音楽に聴こえてしまうことが少なくありません。

 「パルジファル」の第一幕前半のグルネマンツのモノローグなどがその典型。確かにストーリーを理解するためには欠かせないモノローグですが、ありがたいお経を聴いているみたい。重要だけど、私には退屈です。こういう連想が出てくるのは、ハーリー・クプファーが、この舞台の中に仏教僧を登場させて、このキリスト教的音楽の中に輪廻転生のような仏教的思想を強調したからかもしれません。「パルジファル」はすこぶるキリスト教的音楽だと思っていたのですが、クプファーにとっては、汎世界的な宗教性をもった音楽ということなのですね。

 演出については、高い評判を耳にしていましたが、まさにその通り。新国立劇場の舞台機構をたっぷり使った視覚的にも魅せる舞台でした。

 舞台には、奥から手前に向かって傾斜して来る「光の道」が設定されているのですが、これが一直線に伸びて天上につながっている訳ではなく、ジグザグです。このジグザグの光の道は、救済への道でありますが、その道は舞台機構により上昇したり下降したりしますから、直ぐに断絶し、単純に登場人物が救済されるに至らないことになります。この道は、初日では、出演者が歩くとかなり音を立てて耳障りだったそうですが、流石に楽日にもなると、新国技術陣のテコ入れもあったようで、ほとんど気にならないレベルまで修正されていたようです。その意味で楽日に聴きに伺った甲斐があったと思います。

 仏教とキリスト教の融合みたいな思想は、元来ワーグナーにあったそうですが、クプファーの演出はその考え方を中心においています。第1幕のラストに光の道に突然現れる仏教僧は、第三幕では倒れているパルジファルに法衣を与えて立ち上がらせます。この時、単なる愚か者だったパルジファルが、救済への聖者になったということなのでしょう。この法衣は、キリスト教の象徴でもある聖槍を包み、聖杯の国まで持ち込まれる。ラストではこの法衣が3つに切り開かれ、クンドリーとグルネマンツに分け与えられ、残りをパルジファル自身が持つ。すこぶるキリスト教的な音楽はこれにきて、仏教のとの融合を果たすのです。まさにありがたいお経のような音楽です。

 というわけで、ワーグナー好きではない聴き手には、音楽よりも演出に注目してしまう舞台でしたが、演奏も実は素晴らしい。私は結局のところパルジファルの音楽を楽しめている訳ではないのですが、演奏の完成度の高さはよく分かります。

 流石に日本のワーグナー指揮者第一人者である飯守泰次郎の演奏です。私のパルジファルの実演経験はわずか2回ですが、前回初めて聴いた東京二期会の演奏、すなわち飯守泰次郎指揮読売日本交響楽団の演奏よりも今回の東京フィルの演奏の方が更に完成度が上回っている感じがします。読響はドイツものには定評のあるオーケストラで、あのときの低音楽器の地の底から響きあがってくるような音楽に感心したわけですが、今回はそういう音の迫力は感じられなかったものの、全体としてそれ以上に感じられるというのは、飯守の「パルジファル」に対する解釈がより堅固になったということの表れなのでしょう。勿論、クプファーのパルジファルの本質をついた、ある意味過激ではあるが妥当な演出が、飯守の作る音楽をより活性化させた、ということもあるのかもしれません。とにかく、豊饒な響きが楽しめたことは間違いありません。東京フィルのメンバーにもBraviを申し上げなければいけません。

 歌手陣ですが、まずグルネマンツ役のトムリンソンに存在感がありました。グルネマンツのモノローグがありがたいお経のように聴こえてしまうのは、彼の歌い方にそれだけのものがあるからだと思います。滋味あふれる歌唱というと当たり前すぎますけど、やはり高徳の僧のイメージが強いです。

 クンドリーのヘルリツィウスも良い。馬力はあるのですが、その馬力がしっかりコントロールされて響かせているところが流石です。第二幕の妖艶なクンドリーの表現に魅力を感じました。その分、1、3幕は余り目立っていなかった感じもします。

 新国立劇場のワーグナーと言えば欠かせないのが、クリスティアン・フランツ。安定した表現で安心して聴けるヘルデン・テノールです。

 こういった外人勢の中で気を吐いたのが、長谷川顯の歌うティトゥレル。低音が安定していて響き、外人勢に引けを取らない表現力だと思いました。

 それ以外の脇役勢は決して目立つ存在ではありませんでしたが、しっかり自分の役割を果たしていたと思います。合唱もしっかり歌われており、音楽の骨格の保持に十分貢献しておりました。

 以上ワグネリアンでない自分には、分かっていない部分も多いのですが、その逆バイアスを修正すれば、素晴らしい上演だったと申し上げて良いのでしょう。飯守体制になっての第一シーズンの始まりとして、十分だったと申し上げられると思いました。

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鑑賞日:2014年10月18日
入場料:
A席 2000円 す列46番

主催:国立音楽大学

国立音楽大学大学院オペラ2014

オペラ4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂

スタッフ

指 揮 増田 宏昭
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
チェンバロ  :  相田 久美子 
合 唱 国立音楽大学合唱団
合唱指揮 佐藤 宏
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
振 付 中島 伸欣
声楽指導    岩森美里/大倉由紀枝/黒田博/小林一男/福井敬 
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 : 大槻 聡之介
アルマヴィーヴァ伯爵夫人 : 高橋 希絵
フィガロ : 照屋 博史
スザンナ : 佐々木 麻子
ケルビーノ : 細井 暁子
マルチェリーナ : 遠藤 千寿子
ドン・バルトロ : 大川 博
ドン・バジリオ : 瀧川 幸祐
ドン・クルツィオ : 宮西 一弘
アントニオ : 新造 太郎
バルバリーナ : 砂村 都
花娘T : 福田 亜香音
花娘U : 眞玉 郁碧

感想

今年のM2は?-国立音楽大学大学院オペラ2014「フィガロの結婚」を聴く。

 国立音楽大学の大学院オペラは、教育が前提にあるせいか、非常に基本に忠実で気持ちが良いです。演出が徹底してオーソドックス。時代は勿論のこと、出演者の演技一つ一つもすべて、歌詞に書いてあるものを忠実に再現してあります。誰が見たって、「「フィガロの結婚」は、こういうオペラなんだ」、って分かるように作ってある。そうやって見ていると、変に訳の分からん演出家のケレンが入っていないだけ、作品の名作ぶりがストレートに伝わってきます。満員客席からは何度も笑い声が上がっていましたが、大変うれしいことです。

 増田宏昭の音楽のコントロールはやや遅いかな、という感じはあるものの、基本的には中庸。歌手たちの歌いやすいスピードで進みます。特徴の際立った音楽作りではありませんが、大学院生が主人公なわけですから、指揮者やオーケストラが目立たないということは大切なことのように思います。

 一番の聴きものである歌手たちですが、端的に申し上げれば、助演陣と大学院生の力量の差がはっきり見える舞台となりました。大学院生たちは彼等の音楽人生が船出したばっかり、という感じが強くしたのが本当のところです。

 冒頭のフィガロとスザンナの二重唱。音楽家人生を歩みはじめて何年かたっている照屋博史のフィガロと、大学院生の佐々木麻子の差は明白です。佐々木は緊張していたのでしょう。声が上擦ってすっきりと出ておらず、大変だな、と思いました。佐々木は勿論最後まで緊張していたのだろうとは思いますが、どんどん調子を上げてきて、乗って来た感じが見えたのはよかったです。

 スザンナは、このオペラのキーロールで、全ての重唱の絡むわけですが、最初のフィガロの二重唱のぎくしゃく感がどんどん少なくなってきて、嵌るようになってきました。佐々木が、今回の大学院生の中では一番の収穫だったと申し上げて良いでしょう。

 伯爵夫人の高橋希絵はかなり厳しい。全体的に音のポジションが低く、伯爵夫人に向いた声ではありません。登場のアリア「愛の神よ、平穏を」は、音が下がってかなり危なっかしい感じでしたし、第三幕のアリア「あの美しい時はどこへ」は、登場のアリアほどの傷はなかったとはいえ、満足の行く出来栄えと申し上げる訳にはいきません。重唱を聴いていても、一寸油断すると直ぐにポジションが低くなってしまって、メゾソプラノ的な声になってしまいます。高音が伸びないのは仕方ないとしても、中音部がもっときっちり響いて欲しいと思いました。

 アルマヴィーヴァ伯爵役の大槻聡之介も評価できません。第三幕のアリア「訴訟に勝っただと」はしっかり歌っていて良かったのですが、アリア以外の部分は伯爵役に嵌らないこと著しい。伯爵のいらだった演技は悪くないと思うのですが、そこが声として現れていないきらいがあります。レシタティーヴォや重唱でももっと声に深みや輝きが欲しいところです。

 ケルビーノ役の細井暁子も今一つ。雰囲気はケルビーノらしさを醸し出しているのですが、声がケルビーノ的清新さに掛けているのです。「自分で自分が分からない」も「恋とはどんなものかしら」ももっとすっきりと、若々しさを前面に出して歌って頂かないと、イマイチ感が出てしまいます。

 大学院生と比較すると助演陣は流石に上手です。照屋博史のフィガロはバスバリトンの深い声を上手にコントロールして、元気の良いフィガロを演じました。遠藤千寿子のマルチェリーナも雰囲気も良く、歌も立派だと思いました。バルトロの大川博はブッフォ的雰囲気が更に出るとなおよかったのですが、歌それ自体はよかったと思います。瀧川幸裕のバジリオも慇懃無礼な感じが出ていて宜しいと思いました。

 助演の先輩たちとの差を見るにつけ、大学院生たちも今回の演奏を糧に更に研鑽を積んで、次回聴く機会があった時、括目するような存在になっていてほしいと思います。精進に期待します。

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鑑賞日:2014年10月25日

入場料:B席 6000円 2F3列32番

主催:東京オペラ・プロデュース

東京オペラ・プロデュース第94回定期公演
東京オペラ・プロデュース創立40周年記念公演

オペラ4幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ジョルダーノ作曲 歌劇「戯れ言の饗宴」(La Cena delle Beffe)
台本:セム・ベネッリ

日本初演

会場 新国立劇場中劇場

スタッフ

指 揮 時任 康文  
管弦楽 東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団
演 出 馬場 紀雄
美 術 土屋 茂昭
衣 裳 清水 崇子
照 明 成瀬 一裕
ヘア・メイク :  星野 安子 
演出補 :  松尾 史子 
音楽監督    伊佐地 邦治 
舞台監督    八木 清市 
プロデューサー 竹中 史子

出演者

ジネーヴラ 福田 玲子
ジャンネット 松村 英行
ネーリ    羽山 晃生 
ガブリエッロ  西塚 巧 
トルナクインチ    森田 学 
リザベッタ   羽山 弘子 
フィアメッタ    前坂 美希 
ラルドミーネ    勝倉 小百合 
チンツィア    菅原 みずほ 
トリンカ    石川 誠二
ドットーレ   白井 和之 
ファツィオ   加藤 史幸 
ラーボ   島田 道生 
カレンドラ    小林 涼 

感 想

削ぎ落として見えるもの- 東京オペラ・プロデュース 「戯れ言の饗宴」を聴く

 ジョルダーノのオペラと言えば、「アンドレア・シェニエ」が圧倒的に有名。次いで「フェドーラ」。それ以外の作品はヨーロッパでも滅多に上演されることはないそうです。日本では4年前に「東京 オペラ・プロデュース」が「マダム・サン・ジェーヌ」を取り上げましたが、これが唯一の事例かもしれません。今回は、その東京オペラ・プロデュースが取り上げたジョルダーノシリーズ第二弾、ということです。

 東京オペラ・プロデュースは、「欧米では比較的ポピュラーだが、日本では知られていないオペラを紹介する」をポリシーとした団体で、ここ数年、近代イタリアオペラ作曲家に焦点を当てているそうで、近代イタリアオペラ作曲家シリーズとしては第4弾になるそうです。

 この「戯れ言の饗宴」という作品、美女・ジネーヴラに手を出そうとして、乱暴者のネーリ、ガブリエリに袋叩きにあって、アルノ川に投げ込まれた若者・ジャンネットが、この兄弟に復讐するという作品です。復讐の仕方は、「決闘」みたいな、劇的なものではなく、「ネーリが狂った」と噂を流し、捉えさせてしまう、というもの。その間、自分はジネーブラをしっかり寝取り、今度は、ジネーブラに弟のガブリエリを誘惑させて、ベッドにいるところを、逆上してひと間違いをしたネーリに殺させてしまい、ジャンネットの復讐は完成する、というもの。

 この主人公の智恵で物語が進むというのは、「ジャンニ・スキッキ」みたいです。舞台も15世紀のフィレンツェで、14世紀のフィレンツェを舞台とした「ジャンニ・スキッキ」と近い。しかし、人間の物欲に焦点を当てた喜劇と、色欲と復讐がテーマとなる「戯れ言の饗宴」とでは作品の雰囲気が全然違います。こちらは主要な登場人物は皆悪人ですし、それぞれが負のオーラで満ちています。ジョルダーノの音楽も、ヴェリズモ風の生々しい音が多く、救いがない感じです。これで、もう少し上演時間を長くして、聴き手の気が休まるような音楽が含まれればよいのでしょうが、そこも又ヴェリズモ風で、この復讐譚に関する以外のところは徹底的に削ぎ落とし、正味1時間40分ほどの作品に仕上げていますから、余計に物語の救いのなさに胸をつくところがあります。どの登場人物に対しても感情移入ができない。

 演奏は、端的に申し上げればヴェリズモチックでした。オーケストラも、出演者たちもヴェリズモ的表現を意識して演奏しているように思いました。しかし、それが嵌らないこと著しい。オーケストラは練習が不十分だったのか、管楽器がかなりボロボロな感じでした。冒頭でホルンが大コケしたのをはじめ、変なところで音が無くなったりして、しっかり感が感じられない。勿論私はこの作品を聴くのは初めてですから、そうスコアにあるのかもしれないけど。ジョルダーノ先生が書いてある通りに演奏しているとすれば、この作品が演奏されないのは無理もないというところです。

 出演者の方も嵌っていない感じが最初から最後まで付きまといました。ヴェリズモ的な表現を意識して、ドラマティックに走り過ぎたのではないかと思います。この作品は近代作品だけあって、歌唱技術をひけらかすようなところはない割には、技術的な難しさがあって、そこをこなしきれていなかったのではないかと思うところもありました。

 この騒動の原因役でもあるジネーヴラ。福田玲子の歌唱はドラマティックで妖艶さを全く感じさせないもの。ジャンネットとの愛の二重唱が二人で決闘しているように聴こえてしまうのは如何なものか。それ以外を含めて、福田がもっと色っぽく歌って、会場の男たちに「こんな女になら誘惑されるのは仕方がない」と思わせるようであって欲しいのですが、そうは全然歌ってくれないので、白けてしまう感じがあります。

 松村英行のジャンネットも説得力がありません。音程を安定させるためなのか、喉を締め付けて高音を出している感じが常にあって聴いている方が辛くなってしまうところがあります。ドラマティックな役柄であることは間違いなのですが、もう少し、喉の筋肉を柔らかくして、リリックに歌われた方が良かったのではないかという気がしました。

 それに対して、バリトンに転向した羽山晃生のネーリ。一番嵌っていたと思います。声に力はあるし、表情に引き込まれるものがあります。捉えられて逆上する演技なども真実味があって聴き応えがありました。今回の上演の一番の立役者と申し上げてよろしいのではないでしょうか。ところどころ出てしまうビブラートがもっと少ないと、緊張感がさらに増して、もっと聴き応えがあったように思います。

 西塚巧の歌うガブリエッロは第4幕のストルネッロが美しく良好。羽山弘子のリザベッタは、第三幕での短いアリアが素敵で、その後続くネーリとの二重唱が、息があっていて素敵でした。

 それ以外の脇役勢では、菅原みずほの女中役が良く、出演時間はわずかですが、石川誠二のトリンカが良かったと思いました。

 上演全体は4幕が一番まとまっていた感じがします。四幕でようやく全体の統制が取れて来たということなのかもしれません。

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