オペラに行って参りました-2011年(その1)

目次

歌手陣の豪華さは素敵ですが・・・ 2011年1月15日  藤原歌劇団・日経ホール ニューイヤー特別企画「あなたが選ぶオペラ名曲セレクション」を聴く 
くすんだ田園喜劇  2011年1月23日  オペラ彩「ゼッキンゲンのトランペット吹き」を聴く 
室内オペラを探す  2011年1月26日  マラトーナ「奥様女中」/「スザンナの秘密」を聴く 
実力者の挑戦  2011年1月30日  高橋薫子ソプラノリサイタルを聴く 
ドイツオペラの流れを感じて  2011年2月4日  東京室内歌劇場「ゲノフェーファ」を聴く 
合唱団の都合  2011年2月12日  立川市民オペラの会「カルメン」を聴く 
音楽的充実と繊細な表現  2011年2月14日  新国立劇場「椿姫」を聴く 
賛否両論  2011年2月22日  東京二期会オペラ劇場「サロメ」を聴く 
繊細さと情熱と  2011年3月5日  藤原歌劇団「ランメルモールのルチア」を聴く 
成長を楽しむ  2011年3月10日  新国立劇場オペラ研修所研修公演「外套」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く 


オペラへ行ってまいりました 過去の記録へのリンク


2010年      その1    その2    その3    その4  その5    どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2008 
2007年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2007 
2006年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2006 
2005年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2005 
2004年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2004 
2003年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2003 
2002年    その    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2002 
2001年    前半    後半              どくたーTのオペラベスト3 2001 
2000年                      どくたーTのオペラベスト3 2000 


 panf096001.jpg

鑑賞日:2011年1月15日
入場料:指定席 5000円 T27

主催:日経ホール/財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団・日経ホール ニューイヤー特別企画
あなたが選ぶオペラ名曲セレクション

会場:日経ホール

ナビゲーター 林 隆三
ピアノ 浅野 菜生子
構 成 岡山 廣幸
   
     
   

出 演/プログラム

人気順位 

作曲家 

作品名 

アリアのタイトル 

演奏者名 

14位  モーツァルト  フィガロの結婚  もう飛ぶまいぞ、この蝶々  久保田 真澄(バス) 
9位  ヴェルディ  椿姫  ああ、そは彼の人か〜花から花へ  砂川 涼子(ソプラノ) 
9位  ビゼー  カルメン  闘牛士の歌  森口 賢二(バリトン) 
8位  モーツァルト  魔笛  復讐の心は地獄のように胸に燃え  ステバニュク・オクサーナ(ソプラノ) 
8位  ドニゼッティ  愛の妙薬  人知れぬ涙  村上 敏明(テノール) 
7位  ドニゼッティ  ルチア  狂乱の場  佐藤 美枝子(ソプラノ) 
6位  モーツァルト  フィガロの結婚 恋とはどんなものかしら  鳥木 弥生(メゾ・ソプラノ) 

休憩     

5位  プッチーニ  トスカ  星は光りぬ  川久保 博史(テノール) 
4位  プッチーニ  ジャンニ・スキッキ  私の愛しいお父さん  高橋 薫子(ソプラノ) 
4位  ヴェルディ  椿姫  プロヴァンスの海と陸  須藤 慎吾(バリトン) 
3位  プッチーニ  トスカ  歌に生き、恋に生き  小林 厚子(ソプラノ) 
2位  ビゼー  カルメン  ハバネラ  森山 京子(メゾ・ソプラノ) 
1位  プッチーニ  トゥーランドット  誰も寝てはならぬ  村上 敏明(テノール) 
5位  ヴェルディ  椿姫  乾杯の歌  全員 

感 想

歌手陣の豪華さは素敵ですが・・・-藤原歌劇団・日経ホール ニューイヤー特別企画「あなたが選ぶオペラ名曲セレクション」を聴く

 NHKのニューイヤーオペラコンサートは、既に今年で54回目を迎えるお正月の名物ですが、あのように、お正月に名歌手を並べてオペラの歌の競演を聴く、というのはとても素敵な趣味だと思います。華やかですし、気持がいい。NHKのニューイヤーオペラコンサートは、テレビで拝見することにしているので、会場に伺ったことはないのですが、今年は藤原歌劇団が、オペラ・ガラ・コンサートを行うと言うので、喜んで行ってまいりました。

 藤原歌劇団のニューイヤーコンサートは、ホームページでの投票により、「あなたの好きなオペラアリア&重唱曲ベスト10」を決めて、それを会場で披露するというもので、これは素敵な趣向です。なぜならば、こういう投票をする人は、@チラシをよく見て、このコンサートに出かけようと思っている人、Aオペラ好きで、オペラアリアのことを言いたい、方のどちらかでしょう。この二つの方は多分重なりますから、恐らく、実際に投票された方の多くは、当日会場にいらしたお客様に多いと思われます。即ち、演奏された曲目は、当日いらしたお客様が望んだ作品である可能性が高い、そういう風に考えられます。

 結局選ばれたベスト10は、有名な曲に纏まりました。当然ですね。現時点での人気ナンバーワンが、この5年間、オペラアリアの代表として人口に膾炙した「誰も寝てはならぬ」であるのは、予想の着くところですし、10年程前NHKニューイヤーオペラコンサートで、オペラアリアベスト10を企画として取り上げたとき、「ハバネラ」、「歌に生き、恋に生き」、「プロヴァンスの海と陸」は、上位に入っていたと思います。

 ちなみに、今回のコンサートでは、10位から13位に相当する曲は歌われなかったのですが、10位、「リゴレット」より「女心の歌」、11位、「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛と死」、12位、「ノルマ」より「清らかな女神よ」、13位、リゴレットより「悪魔め、鬼め」で、14位が歌われた「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」だったそうです。

 今回登場した歌手陣は、若手・中堅と言ういい方をすればそうですが、正しくは、今の藤原歌劇団の中核の歌手と言うべきです。最近5年間の藤原歌劇団の公演は、初お目見えのステパニュク・オクサーナを別にすれば、今回登場した面々で、主要な役を演じて来ました。そう言う第一線の歌手が、オペラから切り出した、自分の得意の一曲を歌うのです。悪いはずがありません。私の個人的な歌い方の好みで申し上げれば、「一寸違うな」、と思う方はいらっしゃいましたし、「声が不調なのではないか」と思う方もいらっしゃいましたが、総じて、大変素晴らしい歌を聴かせて頂いたと思います。

 特に良かったのだけいくつか紹介しておきます。

 砂川涼子は声がもう少し柔らかく響いてくれると文句なしなのですが、流石の実力でした。今年のNHKニューイヤーの大村博美よりずっといい。森口賢二は、自分のCDのジャケットに使った自前の闘牛士の衣裳で登場しました。村上敏明だけ2曲歌ったのですが、「人知れぬ涙」も悪くはありませんでしたが、彼のの18番とも言うべき「誰も寝てはならぬ」は流石の名唱。彼の「ネッスン・ドルマ」は何度も聴いておりますが、やっぱり素晴らしい。佐藤美枝子のルチア「狂乱の場」。流石の名唱です。今回のアリアベスト10に選ばれた曲は、比較的短いものが多いのですが、この「狂乱の場」だけは別格。難曲をあれだけしっかり歌うのは、大したものです。

 後半は、高橋薫子の「私のお父さん」は当然のところ。小林厚子のパワフルな「歌に生き、恋に生き」も結構でした。そして、本日の出演者の中では一番の大御所、森山京子のカルメンは、流石に魅力あふれるものでした。

 ただ、全体的にみると、物足りなさが残ります。あっさりとしている、というか、単調というか。

 人気アリアって、短い曲が多いのですね。今回は、ルチア「狂乱の場」と「ああ、そは彼の人か」を別にすれば、せいぜい3分ぐらいで終わってしまう曲ばかりだと思います。そういう曲を羅列されると、もう少し、重唱曲や合唱曲も入ってほしいと思ったり、人気アリアもいいけれど、歌手の実力がもっと良く分かる大アリアを歌って欲しいなあ、とも思いました。

今回は、司会の林隆三が、出演する歌手にインタビューをして、今年の抱負を訊いておりました。普段肉声の聴くことのない歌手の皆さんの声を聞くことが出来て、それは楽しかったけれども、インタビューよりも私は歌が多い方がいいですね。またピアノ伴奏ではなく、オーケストラ伴奏がいいし、合唱団も入ってほしい(ちなみに「誰も寝てはならぬ」の女声合唱は、裏で、女性歌手陣が歌っておりました。これはこれで豪華です)し、要望は限りないけど、腹七分目で我慢しましょう。

「あなたが選ぶオペラ名曲セレクション」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011年1月23日
入場料:C席 5000円 2F C7列10番

特定非営利活動法人

オペラ彩 第27回定期公演

主催:(特)オペラ彩

オペラ3幕、字幕付き原語(ドイツ語)上演
ネッスラー作曲「ゼッキンゲンのトランペント吹き」Der Trompeter von Säckingen )
台本:ルードルフ・ブンゲ

会場:和光市民文化センター・サンアゼリア大ホール 

指 揮 佐藤 正浩
管弦楽 OrchestreLes Champs-Lyrics
合 唱 オペラ彩合唱団
合唱指揮 辻 博之
バレエ  :  東京創作舞踊団 
演 出 直井 研二
美 術 大沢 佐智子
衣 裳 藤井 百合子
照 明 坂本 義美
振 付 藤井 利子
舞台監督 池尾 秀隆
プロデューサー  和田 タカ子 
監 修  :  瀧井 敬子 

出 演

ヴェルナー 桝 貴志
コンラディーン 原田 勇雅
シェーナウ男爵 志村 文彦
マリア 羽山 弘子
ヴィルデンシュタイン男爵 伊東 剛
伯爵夫人 河野 めぐみ
ダーミアン 持木 悠
執事 吉見 佳晃
大学総長 矢田部 一弘
トランペット・ソロ 大隅 雅人

感想

くすんだ田園喜劇-オペラ彩「ゼッキンゲンのトランペット吹き」を聴く。

 「ゼッキンゲンのトランペット吹き」は、2006年10月、ドイツのバート・ゼッキンゲン市と姉妹都市の関係にある、山形県長井市で日本初演されました。これは、東京芸大の瀧井敬子教授(当時は助手)の発案で、羽山晃生・弘子夫妻、及び日本経済新聞社の池田卓夫編集委員の尽力で上演されたそうです。これは、東京では、ほとんど話題にならなかったのですが、日本初演の未知の作品を、地方の小都市で上演したという点で画期的でありますし、関係者の志の高さに感服する次第です。

 翌2007年2月、三鷹芸術文化センター・風のホールにて、池田氏の企画、羽山夫妻と、初演時にシェーナウ男爵役を歌った峰茂樹の出演、ピアノ伴奏は、初演時の指揮者でもある佐藤正浩で、演奏会形式によるハイライト上演が行われました。これは私(どくたーT)も聴きに伺いましたが、未知の作品を演奏会形式で、それも全曲ではなくハイライトで演奏されても、なかなか曲の全貌を知ることは難しく、羽山夫妻も峰茂樹も、初演の興奮を持ち込んでの熱演ではありましたが、十分に満足することは出来なかった、と言うのが正直なところです。

 それだけに、全曲の舞台上演を見たいものだと思っておりましたが、朝霞市を中心に活動するオペラ団体、「オペラ彩」がこの作品を取り上げると聞いて、和光市文化センターまで駆けつけました。「オペラ彩」は、首都圏近郊で活動する市民オペラ団体の中でもアクティブな活動を行っている団体ですが、「ゼッキンゲンのトランペット吹き」を取り上げるというのは、英断だったと思います。池田氏のプロデュース力は当然あったのでしょうが、普通のオペラファンでもほとんど知ることのない作品を、市民オペラ団体が取り上げたのですから。これは、長井の日本初演と同様、関係者の志の高さの賜物です。それをまず賞賛しましょう。

  全曲を見て思うのは、残念ながら、作品としては一級品ではないということです。身分の低いトランペット吹きの傭兵と、男爵令嬢との身分違いの恋を描いた一種の田園喜劇ですが、ストーリーの単純さ、陳腐さからみれば、音楽はそう単純ではない。これがイタリアオペラの作曲家の手にかかれば、多分もっと底抜けに明るい喜劇になったのでしょうが、ドイツ・ロマン派の作曲家の作り出す音楽は、どこか屈折していて、くすんだトーンが特徴です。独唱曲を「アリア」と呼ばず、「リート」と呼ぶ当たり、ドイツ・ロマン派作曲家の矜持なのかもしれません。しかし、どこか及び腰の、すこしくすんだトーンこそが、この作品を十分楽しめない一つの原因なのではないか、という気がしました。

 演奏は、悪いものではなかったと思います。特にオーケストラがいい。市民オペラのピットに入るオーケストラは、市民オーケストラなどが多く、演奏はそれなりのことが多いのですが、今回ピットに入ったOrchestre“Les Champs-Lyrics”は、少人数ながら、管弦共にいい響きを聴かせてくれました。この団体は、指揮者の佐藤正浩が自身で設立したオーケストラだそうですが、メンバーは、N響の現役やOBが含まれるなど、一流のメンバーで構成されています。それだけの音色はありました。

 作品のタイトルが「ゼッキンゲンのトランペット吹き」と言うだけあって、トランペットが重要ですが、そこは、東京交響楽団元首席の大隅雅人が輝かしい音色を聴かせてくれました。しかし、このオペラは、それ以外の管楽器も重要な役割を果たしています。それらの音も素敵でした。トロンボーン、ホルン、オーボエ、クラリネットなど。特筆しましょう。

 オーケストラやトランペットの見事さと比較すると、歌手陣は今一つ落ちるというのが本当のところでしょう。

 ヴェルナーを歌った桝貴志は、魅力的な声の持ち主で、存在感もあるのですが、調子は必ずしも十分ではなかったようです。昨年11月の東京二期会「メリー・ウィドウ」におけるダニロの歌唱と比較すると、十分歌が練り上げられていなかった印象です。

 マリアの羽山弘子も今一つ。羽山は、この役の日本における創唱者であり、この役を歌わせれば、彼女以上に歌える方はいらっしゃらないとは思うのですが、今一つ魅力に欠けます。高音をきっちり響かせて、要所要所締めて歌ってはいるのですが、全体として音に厚みが足りないのです。三鷹で聴いたときは、そこはあまり気にならなかったのですが、広い会場で聴くと、声の薄さが気になります。そのためにマリアの喜びも悲しみも軽薄に聴こえてしまう。もどかしい表現に終始しました。

 良かったのはシェーナウ男爵を歌った志村文彦です。シェーナウ男爵は、一寸だけブッフォの入った頑固親父の役柄ですが、こういう役をやらせると、志村の巧さが光ります。声の落ち着きや伸びやかさが、今回の出演者随一の魅力でした。Bravoと申し上げるところです。

 脇役陣に関しては、コンラディーン役の原田勇雅は、声の感じが桝に似ているにもかかわらず、桝とのキャラクターの違いを見せて良好。河野めぐみの叔母役は、ヴェルナーとマリアの恋に、もっと絡んで縺れさせても良いとは思ったのですが、声の迫力も今一つでしたし、存在感も更に欲しいところです。ダーミヤンの持木悠は、コミカルな味わいが楽しめました。

 全体として見たとき、悪いものではないのですが、歌に華やかさが欠ける印象です。それでも私もようやく全曲を通して見ることが出来て、2007年以来の渇望を癒すことが出来て満足した。関係者の尽力を讃えましょう。

「ゼッキンゲンのトランペット吹き」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011年1月26日
入場料:自由席 5000円

2011年マラトーナ特別公演
ペルゴレージ生誕300年記念シリーズ第2弾

主催:マラトーナ

インテルメゾ2幕、字幕付き原語(イタリア語)上演
ペルゴレージ作曲「奥様女中」La Serva Padrona )
台本:ジェンナーロ・アントニオ・フェデリーコ

インテルメゾ1幕、字幕付き原語(イタリア語)上演
ヴォルフ=フェラーリ作曲「スザンナの秘密」Il Segreto di Susanna )
台本:エンリーコ・ゴリッシャーニ

会場:杉並公会堂小ホール 

指 揮 佐藤 宏
ピアノ 藤原 桂子(奥様女中)/今野 菊子(スザンナの秘密) 
電子ピアノ 今野 菊子(奥様女中)/藤原 桂子(スザンナの秘密)
演 出 恵川 智美
衣 裳 武田 園子
照 明 望月 大介
舞台監督 八木 清市
監 修  :  高橋 和恵 

出 演

奥様女中     
セルピーナ 古澤 真紀子
ウベルト 立花 敏弘
ヴェスポーネ(黙役) 鈴木 俊介
スザンナの秘密
スザンナ 趙 明美
ジル 柴山 昌宣
サンデ(黙役) 鈴木 俊介

感想

室内オペラを探す-マラドーナ「奥様女中」/「スザンナの秘密」を聴く

 室内オペラは、出演者が少ない。伴奏もピアノ一台や、少人数で済む場合もある。それだけに、しばしば上演されているようです。ところが、現実に公演を見てみようとすると、なかなか容易ではありません。まず、あまり宣伝されない。勿論、東京室内歌劇場クラスが上演する場合は、それなりに宣伝もするのですが、あまり有名とはいえないオペラ歌手が、自分のリサイタルの中で、歌うときなどは、チラシは作成するにしても、ほとんど宣伝されないというのが本当のところでしょう。

 私(どくたーT)の見ているオペラの数は半端ではないと思いますが、いわゆる室内オペラに限ってみると、プーランクの「人間の声」と「奥様女中」位しか聴いたことがありません。それだけに、室内オペラも、少しずつ見て行きたいな、と前々から思っていました。

 ところで、先日ネットサーフィンをしていていて偶然、マラトーナとかいう団体が「スザンナの秘密」を上演することを知りました。この上演は、「音楽の友」のコンサートガイドにも、「ぶらうぼ」のコンサートガイドにも出てこない、本当にマイナーな上演です。このようなほとんどの方が知ることのないマイナーな上演が一杯あるのでしょうね。普通は、このような公演があることを知っても、色々な都合で行けないことが多いのですが、今回は偶然時間もあり、また上演場所も杉並で仕事帰りに寄りやすい、そういうこともありまして伺うことにしました。

 聴きにきている方は、恐らく主役のソプラノ、古澤真紀子や趙明美のお友達や関係者なのでしょう。200席の会場ですが、埋まっているのは7割ぐらい。私のように、純粋に音楽を楽しみたくて訪問している方は少ないようです。それでも、楽しんで聴きました。

 奥様女中のセルピーナを歌った古澤真紀子は、頑張っていましたが、今一つの出来。まず問題なのは、声の質がセルピーナに向いていないということがあります。古澤は、レジェーロ的な歌唱技術はお持ちのようですが、響きのポイントが高くないのです。結果として高音の伸びが乏しく、柔らかく響かない。もっと高音が伸びて、早口が軽く響かないと、スーブレットの魅力に欠けます。

 対する立花はベテランの味わいと申し上げましょう。立花のウベルトは先月も聴いたばかりですが、先月はセルビーナの高橋薫子との息がぴたりとあって、また高橋と立花の声のバランスも良く、まさに聴き応えがありました。今回の立花の歌唱は、基本線は先月と同様でした。唯、相手が高橋ではなく古澤でした。その差は如何ともし難いところです。高橋との組み合わせですと、喰い込む高橋と、それを上手く受け止める立花の抜群のバランスがあったわけですが、古澤は、とても高橋のようには歌えず、立花が古澤をがっちりと支えていた感じです。立花としては役を果たしていたわけですが、支えられる側の力は十分とはいえない。その微妙なちぐはぐさが、今一つ感を更に助長していたと思います。

 「スザンナの秘密」でスザンナを歌った趙は、古澤と比べるとポテンシャルの高い方でした。元来の声に艶があり、深みもあります。唯、スザンナを歌うのにヴィブラートをつけ過ぎで、そこが納得いかないところです。もっとすっきりと清純に歌った方が、スザンナの魅力を表に出せたのではないかと思います。

 こちらも柴山昌宣の歌唱は流石の実力。柴山はもう少し抑制した歌い方のほうが、ジルの疑惑の心理をより明確に出せたのではないかと思いますが、あれだけの声を出していただければ、とりあえずは十分でしょう。ソプラノとの舞台の経験の差を見せつけました。

 ソプラノとバリトンのバランスという点では趙と柴山のコンビが上。ソプラノの力の差が、全体の雰囲気の差につながったような気がしました。

「奥様女中」/「スザンナの秘密」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011年1月30日
入場料:自由席 3000円 

主催:高橋薫子後援会

高橋薫子ソプラノリサイタル

会場:王子ホール

ソプラノ 高橋 薫子
ピアノ 河原 忠之
   
     
   

出 演/プログラム

作曲家 

作品名 

ベッリーニ  マリンコーニア  Mallinconia 
ベッリーニ  私の偶像である人よ  Per pieta bell' idol mio 
ベッリーニ  喜ばせて下さい  Ma rendi pur contento 
リスト ペトラルカの3つのソネット S.270  Tre sonetti di Petrarca 
  「平和を見つけられず」  Pace non trovo
  「祝福あれ、あの日」 Benedetto sia' l giorno 
  「私はこの地上で天使を見た」 I' vidi in terra angelici costumi
休憩
ドニゼッテイ  歌劇「愛の妙薬」より「受け取って頂戴。あなたは自由よ」  Prendi, per me sei libero
ロッシーニ  赤ちゃんの歌  La Chanson du Bebe
ロッシーニ  ゾラの歌  Chanson de Zora 
ロッシーニ  ロッシーニの別れ  Addio di Rossini 
ロッシーニ  歌劇「タンクレーディ」より「厳正なる神よ」  Giusto Dio
アンコール   
アーン  もしも僕の詩に翼があったなら   
バッハ  あなたのそばに   
中田喜直  おやすみなさい   

感 想

実力者の挑戦-「高橋薫子ソプラノリサイタル」を聴く

 「高橋薫子は、教師のように歌う」

 これが高橋薫子の大きな魅力の一つで、私が彼女を好きな理由の一つです。勿論、凡百の教師と比較すれば天賦の才能があり、声の伸びや響きは、全然違うレベルであることは申し上げるまでもありませんが、基本に忠実で、じっくりと歌いあげるところは、学生の手本のような方だと思います。

 更に彼女の魅力を申し上げれば、レパートリーの中心を「ベルカント・オペラ」に置いていることでしょう。19世紀前半のイタリア・オペラは、古典的イタリアオペラの集約期と申し上げてよく、歌唱技術も発達し、イタリアオペラの魅力が一番あふれている時期だと思っています。しかし、この「ベルカント・オペラ」をレパートリーの中心に置いている方は、あまりいらっしゃらない。歌が技巧的になり、なかなか歌いこなすことが大変ということもあって、この時期のオペラや歌曲をレパートリーの中心に置くのは、それなりの実力が必要です。

 高橋は、そこに焦点を当てて精進されて来ましたし、また、そこに似合った声を磨き上げて来ましたし、技巧的な技も身につけて来ました。今回のリサイタルは、そういう高橋の20年余の精進を、チャレンジングなプログラムで、正に示そうとした演奏会だったと思います。

 最初のベッリーニの3曲は、彼女のCD「永遠の愛と誠」に収録されている作品で、おなじみのものですが、録音の時点よりも時間が経た分、彼女の解釈も深くなっているようで、表情がより彫こまれたものになっているように思いました。

 そして、リスト「ペトラルカの3つのソネット」。圧巻でした。私は、この曲が、リストのピアノ曲「巡礼の年 第2年「イタリア」」に入っていることは知っておりましたが、歌曲の方は、全く初めて聴きました。リストのピアノ曲はどれも技巧的な難しさがあって、「ペトラルカのソネット」だって、一筋縄ではいかないのですが、歌曲も文句なしの難曲。高橋が、長い間温めてきて、ようやく歌うというのが良く分かりました。

 曲想が美しい名品ですが、高音の連続で、実力がなければとても歌いこなせないでしょう。ただ高音を出せばよいのではなく、そこに甘美な味わいがなければ魅力が半減しそうですが、そこは高橋。本当に見事なフレージングで、甘美さと技巧とを両立させていました。3曲続けて歌うとほぼ20分。その間3点D音を何度も出すのですから、凄いです。最後はスタミナが切れてしまった感じはありましたが、実力者のこの挑戦は、Bravaの一言に尽きます。伴奏の名手、河原忠之のピアノも、情感豊かな表現で、高橋の歌唱をよく助けていました。Bravoです。

 後半は、高橋にとってはおなじみの歌。それでも、「タンクレーディ」のアリアなど、技巧的で難易度の高いアリアを含みます。「愛の妙薬」の「受け取って」は、高橋にとっては18番のアリア、勿論結構なもの。ロッシーニの3つの歌曲は、コミカルな「赤ちゃんの歌」、明るい「ゾラの歌」、そして、「ロッシーニの別れ」。全て初めて聴く歌曲だと思います。最初の2曲が特に楽しめました。

 最後のタンクレーディのアリアは、勿論結構なものでしたが、合唱が入るともっと良かったのかな、とは思います。それにしても、アメナイーデは素敵でした。

 アンコールは三曲。アンコール前ですでに声が枯れるほどに一所懸命歌われていました。その上のアンコール。よく歌われたな、と言うのが正直なところです。

 高橋薫子は、13年前に後援会を立ち上げていただいて、後援会の主催で2年に1回ぐらいのペースでリサイタルを開いてきました。この後援会主催のリサイタルは今回が最後だそうです。それだけに、今回のリサイタルに、「彼女の今」をぶつけようとしたのではないかと思います。素晴らしい演奏会でした。

「高橋薫子ソプラノリサイタル」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011年2月4日
入場料:B席 5000円 2F 2列65番

文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
2010都民芸術フェスティバル参加公演

東京室内歌劇場42期第129回定期公演

主催:東京室内歌劇場

オペラ4幕、字幕付き原語(ドイツ語)上演
シューマン作曲「ゲノフェーファ」Genoveva)
原作:ルートヴィヒ・ディーク/フリードリヒ・ベッヘル
台本:ロベルト・シューマン/ロベルト・ライニック

日本舞台初演

会場:新国立劇場中ホール

スタッフ

指 揮 山下 一史
管弦楽 東京室内歌劇場管弦楽団 
合 唱 東京室内歌劇場合唱団
合唱指揮 小屋敷 真
演 出 ペーター・ゲスナー
美 術 内山 勉
衣 裳 中村 祐妃子
照 明 桜井 真澄
舞台監督 金坂 淳台
制作統括  :  松井 康司 

出 演

ゲノフェーファ 天羽 明恵
ジークフリート 今尾 滋
ゴーロ クリスチャン・シュライヒャー
マルガレータ 星野 恵里
ドラーゴ 大澤 建
ヒドゥルフス 小島 聖史
バルタザール 大澤 恒夫
ガスパール 岡元 敦司
コンラート(助演) 神谷 真士

感想

ドイツオペラの流れを感じて-東京室内歌劇場「ゲノフェーファ」を聴く。

 ショパン、リスト、シューマンはほぼ同時期に生まれ(ショパン・シューマンが1810年、リストが1811年)、ピアノの名手、ピアノ曲作曲家の名手として知られるわけですが、その味わいは随分違います。ショパンは天才、リストは技巧的、シューマンは奇妙な味、とでも申しましょうか、三人三様の味がある。で、オペラと考えると、三人とも一寸似合わない感じがします。特にショパン。だれでもそこは納得しそうです。シューマン、リストはあってよさそうですが、実際は二人とも完成したオペラは1曲ずつしかないそうです。

 勿論リストに関して言えば、実際に作曲したのは、一曲だけかもしれませんが、オペラ指揮者として随分指揮をしているようですし、色々な作曲家のオペラアリアのピアノ用パラフレーズを作曲しています。更に言えば、娘のコジマはワーグナーの妻ですから、ドイツオペラに密着している印象がある。

 それに対してシューマンは、オペラというと一寸似合わない印象があります。シューマンの音楽は、どこか内向きの浸透感が強く、舞台音楽に求められる外向きの華やかさに欠ける気配があります。それは勿論偏見かもしれないけれども、私はそう思っておりました。実際のシューマンは、ピアノ曲からはじまり、歌曲、交響曲、室内楽曲と、年ごとに新たなジャンルを切り開きながら自分の作曲技法を広げてきた方で、最後にオペラに到達するのは自明だったようです。

 その成果が「ゲノフェーファ」ですが、ほとんど上演されることなく、忘れ去られました。それは、今回聴いて納得できました。まあ、ありていに申し上げれば、舞台音楽としての外面的劇性が欠けているのです。ただ、それがシューマンらしさであることは間違いない。私が聴いていて思ったのは、音楽の底に流れる交響曲第3番「ライン」との相似性です。「ライン」交響曲は名曲ですが、底に流れているものに中欧農民的土臭さがあります。それと同じ土臭さをこの作品にも感じられました。内省的な感覚と申し上げても良いかもしれない。しかし、そう言った内省的方向性は、オペラとしての華やかさを殺しているところが少なからずあるように思います。

 しかし、一方で、この作品は、まごうことなくドイツオペラです。力強い合唱や、ホルンのファンファーレなどは、ウェーバーとワーグナーとを結ぶ中間点にあることはよく納得できましたし、19世紀のドイツオペラ史を考える上で、非常に重要なポイントとなる作品のように思いました。

 さて、実際の演奏ですが、あまり良いとは思いませんでした。作品自体が華やかな演奏効果を期待できるものではないとは思いますが、それにしてもくすみ過ぎです。出演者たちはシューマンが求めた内省的表現を重視しているのかもしれませんが、そんな風には感じられず、全体としてぎくしゃくしていたように思いました。

 主役の天羽明恵は、繊細な表現は結構だと思うのですが、声量が乏しく、存在感に薄い。描かれているゲノフェーファという役は、夫に貞節を誓った強い妻で、フィデリオにおけるレオノーレを裏返しにしたような存在です。彼女は、ゴーロとマルガリータの奸計に陥れられて、無実の咎を受けるのですが、領主の妻として、強い姿勢・態度で臨みます。そのような凛とした態度が表現として現われて来ないところに不満を持ちました。声を聴いている限り、運命にもてあそばれている弱い女のように思えて、領主の妻としての強さが見えてこないのが、もどかしく思いました。第4幕のアリアは結構だったので、基準点をもう少し上に置いて、全体的に強く歌っていただければ、感心できただろうに、と思います。

 ゴーロ役のシュライヒャーも感心できません。綺麗な声のテノールで結構なのですが、悪役的凄みが全く感じられないのです。声がリリコで、凄みのある表現が苦手、ということがあるのかもしれません。ある意味、オテロのイヤーゴに匹敵するような悪役なのに、悪役っぽく聴こえないというのは如何なものかと思いました。

 星野恵里のマルガリータも今一つ。この方も声量が乏しく、表現が単調。ゴーロをそそのかす悪役なのに、悪役っぽさが前面に出てこないのは如何かと思います。シューマンの音楽に問題があるのか、歌手たちの資質に問題があるのか、演出に問題があるのか良く分かりませんが、舞台の上で演じられていることに、この三人については歌唱が付いていっていない印象が強くいたしました。

 男性低音は、以上の三人と比べるとずっといい。伯爵役の今尾滋が声の質、表現の張り、いずれも良く、高貴な騎士の雰囲気をよく出していたと思います。今回の出演者の中では一番の出来だったと思います。大澤建のドラーゴは、声が若干不安定な感じはしましたが、騙し打ちされる侍従の存在感を出していました。小島聖史、大澤恒夫、岡元敦司の三低音男性は、良く通る声で、その存在感を主張していました。

 もうひとつよかったのは合唱です。このオペラは冒頭の合唱のモチーフで、全体が構築されていると言われるほど合唱が重要ですが、力強い合唱の響きは、大変結構でした。逆に合唱の声に埋もれてしまうソリストに、若干失望もしたのですが。

 山下一史指揮の東京室内歌劇場管弦楽団は、序曲がすっきり合ってくれませんでしたし、その後もミスが結構あったと思います。それでも、シューマン的なロマンティックな音を出していたと思います。音にそれなりの厚みもありました。

 初演以降150年間上演されることなく、最近は欧州で取り上げられるようになったとはいえ、日本舞台初演の作品ですから、なかなか的確に解釈するのは難しいのでしょうが、ソリスト、合唱、オーケストラのバランスを整えて、もう少し劇的な表現を心がけてもらえれば、それが仮にシューマンの意図と若干ずれていたとしても、もっと楽しめただろうに、と思いました。

「ゲノフェーファ」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011年2月12日
入場料:A席 2000円 2F 31列35番

アミューオペラ

主催:立川市民オペラの会/(財)立川市地域文化振興財団

オペラ4幕、字幕付き原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」Carmen)
台本:アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ

会場:立川市民会館(アミューたちかわ)大ホール

スタッフ

指 揮 大浦 智弘
ピアノ 今野 菊子
チェロ 村上 咲依子
フルート 玉井 佳奈子
クラリネット 川村 慎敬
打楽器 小鮒 和美
合 唱 立川市民オペラ合唱団
合唱指導 倉岡 典子
声楽/オペラ指導 宮ア 京子
演 出 直井 研二
照 明 渡邉 雄太
舞台監督 加藤 正信
芸術監督 砂川 稔

出 演

カルメン   森山 京子
ドン・ホセ   永澤 三郎
エスカミーリョ   森口 賢二
ミカエラ   宮ア 京子
スニガ   大塚 雄太
モラレス   大川 博
ダンカイロ   田中 大揮
レメンダード   澤崎 一了
フラスキータ   園田 直美
メルセデス   斎藤 佳奈子

感想

合唱団の都合-立川市民オペラの会「カルメン」を聴く。

 市民オペラ運動は色々なパターンがあって、行政主導型、声楽家主導型、市民主導型など様々です。立川市には国立音楽大学があって、その卒業生や教官など声楽家が沢山住んでいるのですが、オペラを歌う合唱団はなかった。そういうことで、立川市地域文化振興財団が2003年より「市民オペラ学校」を開き、その中でオペラの合唱曲を学んできました。即ち、立川の市民オペラは行政主導型、合唱主導型、と申し上げてよいのでしょう。

 「市民オペラ学校」では、最初の三年間は「カルメン」を取り上げ、2005年3月に終了発表会として「カルメン」の本公演を、その後は、「市民オペラ学校」を母体として「立川市民オペラ2007実行委員会」が立ちあげられ、「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」を上演、それが更に発展して「立川市民オペラの会」となって、2010年1月に「アイーダ」が上演されました。立川市民オペラの会の本公演は2年に1回が原則で、次回は、2012年3月です。しかし、会の活動のアピールや、合唱団員のモチべーションの維持・向上の観点からは、中間年にも何かやらなければ、ということなのでしょうね。そんな訳で、今回は合唱団の経験が一番豊富な「カルメン」となったのでしょう。

 そういう事情があったかどうかは部外者の私には知る由もないのですが、全4幕上演と謳いながらもカットが多い。まず重要な児童合唱が省略されて、どうしても歌わざるを得ない部分は女性合唱団員が歌います。仕方がないところですが、子供の声と大人の女声はやっぱり違います。やっぱり児童合唱団は入れるべきではなかったのかしら。また、男声合唱もほとんどが省略。第1幕の「たばこ女工の合唱」の冒頭部分の男声合唱は残っていましたが、他は全てカット。合唱団の男声団員の弱さゆえにそうしたのでしょうが、オペラの全曲演奏を謳う以上、こういったカットは好ましいものではありません。その他、第3幕の冒頭の合唱もカットでしたし、色々と細かいカットを行っていました。全体で30分位のカットがあったのではないでしょうか。

 伴奏はオーケストラではなくピアノを中心とした小編成。しかし、これは思っていたほど悪いものではありませんでした。この作品はリズムが重要で打楽器が欠かせないのですが、その打楽器が入っていたこと、又旋律楽器としてフルート、クラリネットが主要なメロディを奏でたことで、それなりの効果を示していました。最小限の楽器構成で、最大限の効果を上げたと申し上げてよいと思います。このアイディアを考えた方がどなたかは知りませんが、グッドジョブと申し上げましょう。

 しかしながら、演奏全体として見たとき、今一つ充実感に欠ける演奏だったと思います。まずは、前述のカットの問題です。カットは主として合唱で、オペラのストーリーに影響を与えるものではありませんでしたが、やはり、本来歌われるべきものが歌われないと、どうしても質的に安っぽく聴こえてしまいます。作品としての奥行きや深みに欠けるのです。こんなにサクサクと進んでいいのか。疑問でした。

 ソリストも今一つ。主要四役の中では宮ア京子のミカエラがまず問題。声量的に難があり、一杯一杯の歌唱。他の主要三役と比較するとレベルが一段落ちるのは明白でした。ホセの永澤三郎は、テノーレ・リリコ・スピントの歌唱で、よい声だと思いましたし、歌もなかなかのものでした。「花の歌」が聴かせどころだけあってよかったと思います。しかし、一箇所まともに落としていました。これはいただけません。

 森山京子のカルメンは、流石の貫録で、ハバネラと言いセギリーデャといい立派でしたが、声の調子は絶好調とはいえないもの。後半は、声の艶に陰りがみられ、ざらつきも増えて来ました。体調が万全でなかったのかもしれません。

 よかったのは森口賢二のエスカミーリョ。第4幕での闘牛士の衣裳は、自前のCDジャケットでも使用した本物を着用しての登場でした。歌唱は流石。永澤ホセがかなり脂っこい感じだったので、爽やかエスカミーリョがすっきりと感じられました。

 脇役陣は、斎藤佳奈子のメルセデスが独特の声で存在を主張していました。園田直美のフラスキータは、メルセデスと比べると今一つ存在感が希薄。男声脇役陣は、大川博のモラレスがわりとよかったように思いました。

 以上、構成に難があり、かつ練り上げ方が今一つ不十分で、纏まりに乏しく、充実した演奏と申し上げるわけにはいかないものでした。勿論入場料は安価ですし、合唱団のおさらい会だと思えば、上々の首尾でしょう。しかしながら、本当にこれで良かったのか、関係者には検証してほしいところです。

「カルメン」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011214
入場料:2835円、D席 4F344

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「椿姫」La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会 場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 広上 淳一
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 ルーカ・ロンコーニ
装 置 マルゲリータ・パッリ
衣 裳 カルロ・マリア・ディアッピ
照 明 セルジオ・ロッシ
振 付 ティツィアーナ・コロンボ
再演演出 三浦 安浩
舞台監督 齋藤 美穂

出 演

ヴィオレッタ パトリツィア・チョーフィ
アルフレード ウーキュン・キム
ジェルモン ルチオ・ガッロ
フローラ 小野 和歌子
ガストン子爵 樋口 達哉
ドゥフォール男爵 小林 由樹
ドビニー侯爵 東原 貞彦
医師グランヴィル 鹿野 由之
アンニーナ 渡辺 敦子
ジュゼッペ 竹内 公一
使者 黒田 諭
フローラの召使い 佐藤 勝司

感 想 音楽的充実と繊細な表現-新国立劇場「椿姫」を聴く

 私が一番多く実演を見ているオペラが「椿姫」だと思うのですが、なかなか素直に感心できる演奏は余りないのがこれまでの経験でした。ヴィオレッタはよくてもアルフレードに人を得なかったり、ジェルモンが今一つだったり、歌手はそこそこでも指揮者やオーケストラに魅力がなかったりです。それだけ難しい作品なのでしょう。

 しかし、今回の新国立劇場「椿姫」は、トータルバランスが良く、聴き応えのある演奏に仕上がっていました。このように聴いていてほぼ満足できた「椿姫」を見るのは、本当に久しぶりのことです。特別秀でていた方もいらっしゃらなかった代わりに、穴もなかった。それが、全体としての良さにつながったのでしょう。

 バランスの良い演奏をするためには、まず指揮者が音楽全体の統制をどう取るか、というのが大切だと思います。その点で、広上淳一の演奏は、非常に素晴らしいものだと思いました。歌手の歌に配慮しながらも、自分が主導権をしっかり握って音楽的感動を導くやり方が、洗練されていてかっこいいのです。オーケストラの音は決して薄くないのですが、繊細な表情付けがあって、響きが艶やかです。ニキティンのヴァイオリン、ヌヴーのクラリネット、荒絵里子のオーボエなど名手たちの音が素敵です。東京交響楽団の充実が良く分かる演奏でした。単なる伴奏に終わらず、音楽的主導権を取りながらも歌手たちにしっかり寄り添っていた東京交響楽団と、広上淳一にブラボーを贈りたいと思います。いい演奏でした。

 対する歌手たちは、声で聴き手をひれ伏させることが出来るほどの力量の持ち主はいなかったものの、それぞれが高水準の歌唱を示しました。

 パトリツィア・チョーフィは見た目もスマートで、声も演技も繊細な印象でした。コロラトゥーラの技術は必ずしも万全ではありませんが、中音の充実と、繊細な感情表現に魅力のある方です。パワーのあるタイプではないので、「ああそは彼の人か〜花から花へ」では、あまり力感を感じないのですが、正確な音程と歌唱バランスで、なかなか結構でした。パワーがない分、将来の肺病死を予感させるものが演奏に現われていると思いました。そういう薄倖感が歌唱全体にあり、もしこれを意識してやっているのだとしたら、もの凄い演技力だと思います。第二幕のジェルモンとの二重唱もとりわけヴィオレッタの薄倖感を導く感じがしましたし、第3幕の病気の表情もいかにもやつれているという雰囲気が良く出ていてよかったと思います。「さよなら、過ぎ去った日々」に見せる絶望感が素晴らしい。チョーフィは、声で圧倒するタイプのヴィオレッタではありませんでしたが、繊細な表現で、ヴィオレッタの不幸を明示して見せました。

 ウーキュン・キムのアルフレードも結構。甘いリリックな声で、ヴィオレッタへの愛で生きる若い金持ちの心情を歌いあげました。若過ぎもせず、といって重くもならないテノール声が素敵です。「乾杯の歌」では、チョーフィをリードするような感じが良く、第二幕の冒頭のアリアもバランスの的確な表情で、魅力的でした。

 ルチオ・ガッロのジェルモンもなかなか結構でした。歌い回しに一種独特の癖があって、そこが一寸鼻につきましたが、基本的には名手のうちです。ヴィオレッタとの二重唱の説得力も流石でしたし、「プロヴァンスの海と陸」の歌唱も立派でした。

 上記主要三役以外の脇役陣は、フローラを歌った小野和歌子とアンニーナの渡辺敦子を除くと、前回の新国立劇場「椿姫」と同じキャスティングでした。
 それはこの演出で歌うことに慣れている方が揃っているということです。そういう彼らの頑張りは、主要三役の歌唱をしっかり支えて、よかったと思います。

 私は、100点のヴィオレッタと50点のアルフレードの組み合わせより、75点のヴィオレッタと75点のアルフレードが良いと思っています。今回の演奏は、オーケストラが90点ぐらいで、ソリストが総じて75点ぐらいの演奏。そこが、この演奏を上手く行かせた秘密なのでしょう。バランスが良くて、穴が少ない。音楽的に充実していて、演技も繊細。久し振りに納得できる「椿姫」でした。Braviです。
 
「椿姫」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:2011222
入場料:8000円、D席 R4F35

平成22年度文化庁芸術創造活動特別推進事業重点支援事業
2011都民芸術フェスティバル参加公演

主催:(財)東京二期会/(社)日本演奏連盟

オペラ1幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「サロメ」(Salome)
原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語翻訳台本:ヘドヴィッヒ・ラッハマン

会 場 東京文化会館・大ホール

指揮 シュテファン・ゾルテス

管弦楽 東京都交響楽団
演出 ペーター・コンヴィチュニー
美術 ヨハネス・ライアカー
照明 マンフレット・フォス
舞台監督 幸泉 浩司
公演監督  :  多田羅 迪夫 

出 演

サロメ 林 正子
ヘロデ 高橋 淳
ヘロディアス 板波 利加
ヨハナーン 大沼 徹
ナラポート 水船 桂太郎
ヘロディアスの小姓 栗林 朋子
5人のユダヤ人1 大野 光彦
5人のユダヤ人2 岡本 泰寛
5人のユダヤ人3 与儀 巧
5人のユダヤ人4 松永 国和
5人のユダヤ人5 境 信博
2人のナザレ人1 小田川 哲也
2人のナザレ人2 西岡 慎介
2人の兵士1 吉川 健一
2人の兵士2 福山 出
カッパドギア人 須山 智文
子役 山中 真希

感 想 賛否両論-東京二期会オペラ「サロメ」を聴く

 カーテンコールでコンヴィチュニーが登場すると,BravoとBooの声が交錯しました。会場の声は、ややBravoが優勢か。でも拮抗していました。このような賛否両論は、コンヴィチュニーの狙ったところであることは申し上げるまでもないことです。ちなみに私は、結構納得した舞台です。読み替え舞台嫌いを公言しているどくたーTではありますが、今回の舞台はそれほど嫌ではありませんでした。

 本来の「サロメ」は、紀元前後の世界の異常な愛を、19世紀末の退廃に乗せて描かれたわけで、オスカー・ワイルドにしたって、リヒャルト・シュトラウスにしたって、本当のところ、紀元前後の世界を舞台にする必然性が余りなかったのではないか、というように思います。だから、今回の近未来の核シェルターの中で起こる狂騒も、さほど違和感がありません。この違和感のなさは、19世紀末の世紀末的閉塞感と、2010年代初頭における閉塞感が基本的に同じ臭いをしているからに他ありません。

 核戦争で地上の宮殿が地下に潜っている設定のようです。地下から逃げ出せない出演者たちは、皆、それぞれの属性を誇張しながら、ストレスまみれの状況をアルコールとドラッグと男色を含めたセックスに逃げています。5人のユダヤ人は、書を読み、思索にふける様子を見せながらも、閉塞感のあるこのシェルターから逃げ出したいと願っていますし、二人の兵士は、黒サングラスに黒スーツといういかにも用心棒というスタイルで現われます。グロテスクな秩序、と申し上げてよろしいのでしょう。

 ある意味、最後の晩餐です。横に長いテーブルと、そこに座る出演者たちは、キリストと13人の弟子を彷彿とさせます。いうまでもなくヨハナーンがキリストです。しかし、このヨハナーンはマスクを被され、この部屋の喧騒とは一線を画します。しかし、最後の晩餐を彷彿とさせても、実際はグロテスクな秩序の中で動いて行く世界は、必然的に崩壊します。ヘロデ王は、地下シェルターでは、威厳も尊厳もないようです。上半身裸になって、サロメに踊りを求める始末です。ヘロディアスの淫乱な様子、それ以外の面々の地上の属性に頼ってはいるものの、その不安げな様子と、秩序がきしんだ時の野放図な動きは、流石コンヴィチュニーと言うべきなのでしょうね。

 しかし、コンヴィチュニーは、こういった奇妙な秩序や騒乱だけでは終わらせませんでした。ヨハナーンの首を取ってからのサロメの純愛は、最後の晩餐の舞台を後ろに下げて、何もない二人だけの世界に昇華します。サロメのモノローグの中の愛の姿は、死ななかったヨハナーンと共に素敵に響きます。本来、サロメのモノローグはサロメの官能である筈なのに、コンヴィチュニーの演出は、サロメの純愛に変えてしまう。喧騒の中のエロスが静寂の中のアガペーに変えて見せるところがコンヴィチュニーの真骨頂でしょう。

 このようなふざけた舞台を見たお客が怒るのは当然のことで、例の「サロメを殺せ」は、客席から日本語で飛びます。本来ヘロデ王が言うセリフを、「内容に激怒した観客」に言わせてしまう想像外の読み替え。やられました。私はこの純愛のサロメを「殺せ」とは全く思いませんでしたが。

 音楽的には、まず、ゾルテス指揮の東京都交響楽団の頑張りを讃えたいと思います。歯切れのいい指揮で、音楽がスムーズに進みます。四管構成の大オーケストラから緻密で重厚だけれども、もっさりしない音楽が流れます。四管ですから、音量的にはもっと響いても良いのですが、歌手とのバランスを意識したのか、やや抑えめの演奏に終始しました。それだけに余裕もあったのでしょう。しっかりした骨格でありながら重くなり過ぎない、シュトラウスの音楽の良さを上手く引き出す演奏になっていたのではないかと思います。Bravoでした。

 「サロメ」はオーケストラに魅力がないと、歌手がいくら良くても本当の良さが示されないオペラです。その意味で、今回はオーケストラの魅力が溢れていて大変結構だと思いました。

 反面、歌手陣は今一つの出来と言わざるを得ません。

 外題役の林正子。頑張っていました。大きな演技で、コンヴィチュニーの意図をしっかり示そうとしていましたし、最後のモノローグの表現も良かったと思います。しかし、それでもサロメという役柄としては十全であるとは思えませんでした。それなりに魅力的な声であるとは思いますが、サロメに期待される厚みのある声が出ていなかったのもまた事実です。更に申し上げれば、声のスタミナも十分とは言い難く、途中でガソリン切れかな、と思う様な抜けもありました。

 勿論、これは林の責任だけとはいえないと思います。サロメのようなドラマティック・ソプラノのの役を歌いこなせるだけの基礎力のある日本人歌手がいるのか、という問題にたどり着きそうです。誰かが歌わなければならない中での選択肢としての林だったのでしょうが、林のキャリアにとって本当に良かったのかどうかだと思います。

 ヘロディアスの板波利加もあまり良いとは思いませんでした。板波はヘロディアスの下品さはきっちり示せていたとは思うのですが、歌唱・演技のスタイルが、このプロダクションとは微妙な違和感があると申し上げたらよいのでしょうか。彼女がサロメを歌った方が良かったのかもしれません。

 高橋淳のヘロデ王は、歌唱としては悪いとは思いませんでした。地下のヘロデ王は、もう王の威厳はなく、生身の男として娘のサロメに踊りをねだります。そういうキャラクターを演じさせると、高橋は抜群の上手さを発揮するのですが、今回の演技は、少し誇張が過ぎているのではないかという気がいたしました。ヘロデ王は結果として道化になるわけですが、道化であることを意識的にふりまき過ぎて、鼻についたと申し上げたらよいのでしょうか。

 歌手陣の中で一番気に入ったのは、ヨハナーンを歌った大沼徹です。昨年聴いたパパゲーノは、一寸泥臭い感じが鼻についたのですが、今回は一転してすっきりしたヨハナーンでした。響きも素敵でしたし、寸鉄人を殺すような声。よかったです。更に、サロメのモノローグにひたすら寄り添う演技は、声は出さないけれどもしっかりと演じていて好感を持ちました。

 水船桂太郎のラナポート、栗林朋子の小姓、ユダヤ人以下の脇役。それぞれヴィジュアルな存在感はあったと思いますが、歌としての魅力を感じたかといえば、難しいところです。

 指揮とオーケストラが良く、音楽全体としての流れは、私が何回か聴いた「サロメ」の中では、1990年に小澤征爾の指揮で聴いた「サロメ」以来のよい演奏だと思いますし、演出も刺激的でよかったのですが、タイトルロール以下、歌手陣の声の届かない感じは、どうにも気になります。オール日本人キャストでこの作品を上演する難しさを、強く感じさせられました。

「サロメ」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

鑑賞日:201135
入場料:6000円、D席 R4F123

平成22年度文化庁芸術創造活動特別推進事業重点支援事業
2011都民芸術フェスティバル参加公演

主催:(財)日本オペラ振興会/(社)日本演奏連盟

藤原歌劇団公演

オペラ2部(3幕)・字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ランメルモールのルチア」(Lucia di Lammermoor)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会 場 東京文化会館・大ホール

指 揮 園田 隆一郎

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮  :  須藤 桂司 
演 出 岩田 達宗
美 術 島 次郎
衣 裳    前田 文子 
照 明 沢田 祐二
舞台監督 菅原 多敢弘
公演監督  :  岡山 廣幸 

出 演

ルチア 佐藤 美枝子
エドガルド 村上 敏明
エンリーコ 谷 友博
ライモンド 彭 康亮
アルトゥーロ 川久保 博史
アリーサ 牧野 真由美
ノルマンノ 所谷 直生

感 想 繊細さと情熱と-藤原歌劇団「ランメルモールのルチア」を聴く

 「ルチア」と言えば、「狂乱の場」、「狂乱の場」と言えば「ルチア」というぐらい、「ルチア」の「狂乱の場」は、この作品の最高の聴きどころになっているのですが、佐藤美枝子の表現は、「完璧」と申し上げても差し支えない素晴らしさでした。上行音形のプロポーションの見事さは、流石と申し上げるしかないですし、言うなれば、最高級の白磁の壺のような演奏でした。カデンツァの名人芸に付く、フルートのオブリガートが又素晴らしさを一層引き立てています。フルートとソプラノの声が綺麗に重なった時の響きは、玄妙と申し上げるしかありません。久しぶりに背中がぞくぞくしました。フルートを吹かれたのは、東京フィルの首席奏者・斎藤和志さんらしいのですが、斎藤にもBravoを贈らなければいけません。

 佐藤の「狂乱の場」の表現を、「白磁の壺」と書きましたが、これは本当のところです。声の色といい、形といい、肌理の細かさといい、文句はない素晴らしさなのですが、あまりに素晴らしくコントロールされているため、どこか冷たく感じるところがあります。感情の迸りが余り見えないのです。これは、「狂乱の場」だけではありません。佐藤の表現は、全体的に繊細で正確で、ベルカント・オペラの美をきっちり示すものなのですが、(例えば、登場のアリア「あたりは沈黙に閉ざされ」の表現も繊細で素敵でした)、「完璧すぎて詰まらない」と申し上げると、傲慢な言い方ですが、音楽としては素晴らしいのですが、舞台劇と考えた場合、仮に何らかの破綻があったとしてももう少しアピールする何かがあっても良いのではないかという気がいたしました。

 このような書き方をするのは、村上敏明のエドガルドが、とても情熱的な表現に終始したことと関係しているのかもしれません。村上の歌は、一寸感情過多ではないかと思うぐらい、最初から泣きが入っていました。「魂と情熱のテノール」というのが、村上のキャッチフレーズですが、まさに「魂と情熱」の歌だったと思います。敢えて言えば、ヴェルディのドン・カルロのような表現と申し上げたらよいのでしょうか。最初のルチアとの二重唱の情熱は、情熱的すぎるエドガルドと、その情熱を受け止めきれないルチアの困惑とがはからずとも浮かび上がっていて、面白いと思いました。

 村上の歌唱は、いわゆるベルカント的な歌い方とは一寸違うのかもしれません。しかし、この作品におけるエドガルドの重要性を再認識させてくれました。

 「ルチア」という作品は、言うまでもなくプリマ・ドンナ・オペラですが、その背景には、アシュトン家とレーヴェンスウッド家の対立があって、エドガルドとエンリーコの感情的な対立があります。ルチアとエドガルドの愛を縦糸とすると、両家の対立を横糸、と申し上げてもよいかもしれない。

 作品としての味わいは、縦糸と横糸の編み方で決まると思います。これまで「ルチア」というと、私は、男女の愛と死にばかり注目してきたのですが、村上の、情熱的な歌唱は、両家の対立の根深さが、ルチアの悲劇を際立たせてくれるという、あたりまえのことに気がつかせてくれました。

 終幕のアリアもよかったのですが、一番の魅力は、第二部第一幕のフィナーレのコンチェルタートからストレッタの部分にありました。六重唱の中に浮かび上がってくるテノールの鋭く高い響きは、村上の実力を強く感じさせるものでした。

 以上、佐藤・村上は大変素晴らしかったと思うのですが、反面、繊細で美しい佐藤の表現と、情熱的で力強い村上の表現の間で、他の出演者が埋もれた感じになってしまったのは否めません。それでも谷友博のエンリーコは、谷の持つ艶やかで深みのあるバリトンが、冒頭のアリアなど各所で聴くことが出来ましたし、彭康亮のライモンドも、今一つ腰が定まらないきらいはありましたが、それなりの存在感を出していました。

 しかし、川久保博史のアルトゥーロ、所谷直生のノルマンノは、歌唱表現も、感情表現も、今一つあいまいで(勿論、ドニゼッティが脇役としての音楽しか与えていない、ということはあるのでしょうが)他の出演者の中に埋もれた感じになっていたのが、ちと残念です。尚、合唱は立派でした。

 園田隆一郎の指揮は、若々しく推進力のあるもの。決して明るくはないが、古典的な美学とロマン派的な美学の拮抗した美しさを持った「ルチア」という作品を、べたべたせずに見せたと思います。東京フィルの演奏は、ハープが若干もたついたりとか、歌と微妙に合わなかったりとか、それなりの事故はありましたが、前述のフルートのように素晴らしいところも多く、全体的にはよいものだったと思います。

 舞台は、傾斜の急な三角形の坂が置かれた、全体が三角形でまとめられたもの。抽象的なもので、17世紀のスコットランドという感じはしません。寧ろ、ルチア、エドガルド、エンリーコの三角関係を暗示していたのでしょうか。ルチアという作品は、「愛する男女とそれを妨害する兄の話」と考えるのであれば、勿論どのように抽象的にしても差し支えないのですが、スコットの歴史小説を原作にしている以上、そこはある程度踏まえて欲しかったようにも思います。

 岩田達宗の意識の中には、血みどろに戦う、幕末の志士のような男たちと、そこに一人で立ち向かう美しく薄倖な美女、という意識があったようですが、その感覚は上手く表現できていたような気がします。スコットランドの独立を日本の幕末に比定する。ここまで、書いていて突然思ったのですが、舞台の傾斜は、幕末ものでよく出てくる新撰組の池田屋事件の「階段落ち」を、無意識の中で考えたのかもしれないなあ。あの坂は、急で歌いにくそうな坂だったもの。

「ルチア」TOPに戻る
本ページTOPに戻る


鑑賞日:2011310
入場料:3780円、A席 1F643

主催:新国立劇場

新国立劇場オペラ研修所研修公演

オペラ1幕×2、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲外套Il Tabarro)
原作:ディディエ・ゴールド
台本:ジュゼッペ・アダーミ

ジャンニ・スキッキGianni Schicchi)
原作:ダンテ「神曲」地獄篇第30歌
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会 場 新国立劇場・中劇場

指 揮 ドミニク・ウィラー
管弦楽 トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
演 出 デイヴィッド・エドワーズ
美術・衣装 コリン・メイズ
音 響 河原田 健児
照 明 黒柳 浩之
振 付    伊藤 範子 
舞台監督 近藤 元

出 演

外套

ミケーレ 駒田 敏章(11期)
ルイージ 岡田 尚之(6期修了)
ティンカ 中原 雅彦(3期修了)
タルバ 後藤 春馬(12期)
ジョルジェッタ 上田 純子(11期)
フルゴーラ 塩崎 めぐみ(11期)
流しの歌うたい 中川 正祟(8期修了)
恋する女 倉本 絵里 (13期)
恋する男 中川 正祟(8期修了)
ソプラノの声 吉田 和夏(13期)
テノールの声 伊藤 達彦(賛助出演)
オルガン弾き    宇井 晴雄(助演) 

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ 山田 大智(12期)
ラウレッタ 上田 真野子(12期)
ツィータ 堀 万里絵(11期)
リヌッチョ 岡田 尚之(6期修了)
ゲラルド 村上 公太(6期修了)
ネッラ 立川 清子(13期)
ベット 近藤 圭(9期修了)
シモーネ 後藤 春馬(12期)
マルコ 西村 圭市(12期)
チェスカ 谷原 めぐみ(13期)
スピネロッチョ 北川 辰彦(5期修了)
アマンティオ・ディ・ニコラオ    北川 辰彦(5期修了) 
ピネリーノ 村松 恒矢(賛助出演)
グッチョ 伊藤 達人(賛助出演)
ゲラルディーノ 稲葉 望美(賛助出演)
ブルーゾ・ドナティ  宇井 晴雄(助演) 

感 想 成長を楽しむ-新国立劇場オペラ研修所研修公演「外套」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く.

 若手の歌手を久しぶりに聴くと、ぐっと成長していて嬉しくなることがあります。今回、「外套」のジョルジェッタを歌った上田純子がその例と申し上げましょう。上田は、一昨年の研修所公演で「カルメル会修道女の対話」において、ブランシュを歌ったのですが、正直申し上げて、あまりよろしい歌唱ではなかったと思います。しかし、今回のジョルジェッタは、ずっと纏まった役作りと歌唱になっており、好感を持ちました。

 ブランシュと、ジョルジェッタは、どちらもややスピントのかかったリリコ役だと思いますが、ブランシュの時は、役作りが纏まっておらず、その分、歌唱のバランスも今一つだったという記憶があります。それに対して、今回のジョルジェッタは、ヴェリズモ作品のヒロインということもあり、より造型がしっかりとしていたように思います。艶のある響きが美しく、ルイージに対する情熱のぶつけ方なども魅力的だと思いました。

 「外套」/「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」を普通「三部作」と称して、一緒に上演することが期待されるのですが、日本では、三部作のうちの二本を取り上げて上演されることが多いようです。この場合の組み合わせは、なぜか「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」が多く、男声役が多数必要な「外套」は余り好まれない。しかし、今回の上田のジェルジェッタを聴くと、「外套」も悪くない、と思いました。

 ミケーレ役の駒田敏章は、上田ほど魅力的な歌唱とはいえませんでした。駒田は一昨年が、「カルメル会」で「第二の人民委員」を昨年「ファルスタッフ」で「フォード」を歌っているのを聴いていますが、今年のミケーレは、その二役よりはよいものだったと思います。第二の人民委員はともかくとして、昨年のフォードは、自分の中で役柄への視点が定まっていなかった感じがしました。今回のミケーレは、その点、嫉妬に狂った男の雰囲気をきちんと示して、彼の成長も見て取れた訳ですが、割目するほどの成長ではなかったという感じです。まだ、物足りない。歌が若過ぎるのですね。ミケーレは、もっと疲れていなければいけない。確かに荷役船の親方ですから、元気には違いないのですが、そこに中年の疲れ、あるいは老いへの不安がある役です。その疲れや不安が見える歌唱ではなく、元気な歌で終わっていた。そこが不満です。

 その点、岡田ルイージは、年齢的にもあっているのでしょうし、岡田のこれまでの経験からもよい役なのでしょうね。よい歌唱だと思いました。岡田は、「ジャンニ・スキッキ」のリヌッチョの方が、更によいようにも思いましたが、若々しい情熱をそれなりの美声に響かせ、きっちりと見せたところが素敵だと思いました。

 脇役陣は、塩崎めぐみのフルゴーラが印象的な低音でよいと思いました。

 駒田を厳しく書きましたが、それでも全体のまとまりは、「外套」が断然上でした。指揮者のウィラーの感性が、こちらの作品に似合っていた、ということもあるでしょうが、オーケストラの響きも艶やかに聴こえましたし、周り舞台を荷役船の中に見立てた演出も「外套」により合っているものだったと思います。よい演奏でした。

 「ジャンニ・スキッキ」は作品としては、「外套」よりずっと面白い作品だと思うのですが、演奏は今一つでした。全体的にわざとらしい演技が生硬なところが気になりました。作品が作品ですから、演技がわざとらしくなるのは当然ありだと思いますが、そのわざとらしさが、喜劇の笑いにつながらないのですね。誇張が徹底していないと申し上げたらよろしいのでしょうか。

 ツェータ役の堀万里絵は、歌はよかったと思うのですが、足が悪くて杖を突いて歩くおばあさんの役なのに、動きが俊敏すぎるところがある。勿論自分の欲望を表に出すときに、突如動きが速くなるのはよいのですが、そうでない部分でも、何か若さがにじみ出てしまう。

 それでも堀の歌唱は、全体の中では、リヌッチョの岡田尚之や医師及び公証人を歌った北川辰彦と並んで良いものだったと思います。厳しかったのは、山田大智の外題役と上田真野子のラウレッタです。

 まずは上野ラウレッタですが、評価できません。歌に全然魅力を感じないのです。ラウレッタという役は、この作品の中では、リヌッチョとの絡みが少しはありますが、言うなれば、「私のお父さん」1曲を歌う役です。また、「私のお父さん」はソプラノのアリアとしては、とても人気のある作品で、一寸したソプラノならば誰だって歌う。だからこそ、上野らしさをどう出すか、というのが課題のはずなのに、全くその魅力が見えないのです。楽譜の表面ずらはきっちり歌えています。しかし、そこで終わっている。歌に個性を感じられませんでした。

 山田大智のジャンニ・スキッキも今一つ。山田は、体格が特に見事で、剛球派バリトンという感じがします。そのようなジャンニ・スキッキは、勿論結構なのですが、剛ではあるが柔ではない、とでも申し上げたらよろしいのか、しなやかなしたたかさが見えない申し上げたらよろしいのか、役に歌わされている感じがとても強いです。結局のところ、声はなかなか結構だったとは思いましたが、演技が生硬で、バッソ・ブッフォとしての魅力が出てこない感じがいたしました。 

 岡田リヌッチョは上記のとおり、美声で若々しい。プリモ・テノールとしての実力の片りんを見せてくれた、というところでしょうか。

 脇役陣、皆それなりに歌っていますし、ひとりひとりで見る限り、悪いものでは勿論ありませんでした。村上公太のように流石の身のこなしを見せた方もいます。しかしながら、アンサンブルオペラとして眺めると、音楽的纏まりに今一つ芯が通っていない感じがありました。重唱部分の息遣いがずれるところなどから、そう感じたのかもしれません。

 「外套」で使用した船倉をブォーゾの家に見立てるというやり方は分かりますし、上手にやれば、「ジャンニ・スキッキ」という作品の人工的な雰囲気をよく出せたと思うのですが、「予算がないので、使い回ししました」といった感じが少なからずあり、また船倉の広さの中で、沢山の相続人を動かすのは、狭さがネックになって、ゴチャゴチャ感が強く出たように思います。そんな訳で、演出も今一つでした。

「外套」/「ジャンニ・スキッキ」TOPに戻る
本ページTOPに戻る

目次のページへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送