オペラに行って参りました-2008年(その2)

目次

若さの素晴らしさと物足りなさ   2008年03月13日   新国立劇場オペラ研修所研修公演「フィガロの結婚」を聴く
豪華けんらんはオペラの醍醐味   2008年03月26日   新国立劇場「アイーダ」を聴く
ガラ・コンサートだから、堅いことは言いっこ無し   2008年03月31日   「オペラシティ・ガラ」を聴く
合唱を楽しむ   2008年04月18日   新国立劇場「魔弾の射手」を聴く
頑張れ市民オペラ   2008年04月26日   2008立川市民オペラ合唱団演奏会「ヴェルディの午後」を聴く
プリマドンナオペラはプリマドンナ   2008年04月27日   南條年章オペラ研究室「ルクレツィア・ボルジア」を聴く
傑作であることを再認識   2008年05月04日   東京歌劇団「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を聴く
頭でっかちの音楽   2008年05月07日   新国立劇場「軍人たち」を聴く
一寸楽しいガラ・コンサート   2008年05月28日   オペラに恋して<シリーズ10回記念ガラ・コンサート>を聴く
数年ぶりに聴いた来日公演   2008年06月06日   ウィーン・フォルクスオーパー日本公演2008「マルタ」を聴く

オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2008313
入場料:
B席 1800円 2F 246

新国立劇場オペラ研修所公演

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 新国立劇場・中劇場

指 揮 アリ・ペルト
管弦楽 トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ
合 唱 二期会合唱団
チェンバロ 大藤 玲子
演 出 飯塚 励生
美 術 鈴木 俊朗
衣 裳 渡辺 園子
照 明 八木 麻紀
振 付 伊藤 範子
舞台監督 堀井 基宏

出 演

アルマヴィーヴァ伯爵 岡 昭宏(10期生)
伯爵夫人 中村 真紀(10期生)
フィガロ 森 雅史(8期生)
スザンナ 山口 清子(9期生)
ケルビーノ 林 美智子(1期生・賛助出演)
マルチェリーナ 小林 紗季子(9期生)
バルトロ 北川 辰彦(5期生・賛助出演)
バジリオ 糸賀 修平(10期生)
ドン・クルツィオ 中川 正崇(8期生)
アントーニオ 能勢 健司(9期生)
バルバリーナ 前嶋 のぞみ(8期生)
二人の花娘 二期会合唱団メンバー

感 想

若さの素晴らしさと物足りなさ-新国立劇場オペラ研修所公演「フィガロの結婚」を聴く

 若い才能のある歌手の歌を聴くのが好きで、新国立劇場オペラ研修所の公演を毎年楽しみにしています。今年は五年ぶりの「フィガロの結婚」。そこも期待が持てます。そんなわけで楽しんで聴きました。確かに上手です。最近の若い歌手の歌を聴いていると、1980年ごろの二期会の本公演など聴けたものではありません。それぐらい高レベルです。今回の演奏も技術的にはなかなか良い線を行っていたと思います。

 しかしながら、今ひとつ心が動かされない演奏だったと思います。何故か。一つは全体的に華がないのですね。見せ場に欠ける。大きな破綻はないですし、みなきっちりと歌っているのですが、集中した盛り上がりがないので、なかなか、聴き手の気分が高揚してこないのです。悪くはない、でも惹きつけるものもない、というのが本当のところです。若々しい声は素晴らしい。けれどもそれだけでは物足りないのです。

 アリ・ペルトの指揮は、きびきびとした音楽を作り上げようとする意思の見える演奏で、間延びしたところがなく悪いものではない。又、トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズの演奏もいかにもモーツァルトらしい雰囲気を見せたもので、素敵でした。この団体のモーツァルトはやはりよいものです。しかし、それでも今ひとつ物足りない。指揮者はこの公演が「研修公演」であるということを意識しすぎて、本来モーツァルトの音楽が持つ軽い伸びやかな息遣いを殺してしまったのかもしれません。

 演出は、序曲が演奏されているときに出演者たちが客席から普段着で登場し、舞台上を片付けながら衣装を着替える所を見せ、その後の展開を期待したのですが、幕が上がってしまえば、オーソドックスな演出でした。研修公演ですから、奇を衒わないことは大切です。

 歌手たちも総じて今ひとつ個性的ではなかったと申し上げざるを得ません。研修所公演で「フィガロの結婚」を取り上げたのは5年前のことだと思いますが、そのときのメンバーは今年のメンバーと比較して、もっと個性的だった印象があります。とはいえ、そのときも十分な歌唱ができたわけではありませんから、これから伸びる人たちの歌、という風に考えるべきなのでしょうね。

 以下歌手たちの寸評です。

 伯爵役・岡昭宏。なかなか地声のよいバリトンです。とりあえず、楽譜に書かれた伯爵はそれなりに歌えていたと思うのですが、その次の踏み込みはまだこれからです。シャープで若々しい伯爵なのですが、伯爵としての貫禄が表現できていませんでした。第3幕のアリアは、もっと怒りが内包しているように表現可能であると思います。流石に一年目ということなのでしょう。今後に期待したいと思います。

 伯爵夫人・中村真紀。一言で申し上げればミス・キャストです。いろいろな事情でこの方を伯爵夫人に持ってこざるを得なかったのでしょうが、声が、伯爵夫人向きではありません。基本的にメゾ・ソプラノの声で、伯爵夫人としては、表現がドラマティックすぎるように思いました。ワーグナーを歌うようにモーツァルトを歌っている、と申し上げれば一番雰囲気が分るかもしれません。高音の伸びも今ひとつで、金切り声になる部分もありました。本来メゾ・ソプラノで行くべき方のように思いました。

 フィガロ・森雅史。プロフィールにはバス、と書かれていましたが、バス・バリトンかバリトンと呼んでもよいぐらいの声だと思います。響きがなかなか素敵です。決して低音が得意という感じはしませんでした。この方は研修所3年目と言うこともあって、演技も歌も相対的にはこなれていると思いました。若々しいフィガロでよかったのですが、フィガロのしたたかさを十分表現できているようには思いませんでした。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」なども割りと平凡でした。

 スザンナ・山口清子。第一幕は声が硬く、飛びも悪かったのですが、第二幕以降は頑張っていたと思いました。声も飛ぶようになりました。溌剌とした歌唱と演技で、楽しむことができました。主要5役の中では一番よかったと思います。ただし、現在の日本のソプラノ・リリコ・レジェーロの層の厚さから考えて、山口の今回の表現ぐらい歌える方は、たくさんいらっしゃると思います。その中で、山口がメジャーな役を得るためには、もう一段表現を磨く必要があるようです。

 ケルビーノ・林美智子。いまいちでした。林のケルビーノといえば、昨年の新国オペラ劇場における歌唱がなかなか良かったと思うのですが、そのときの歌唱と比べると、手を抜いているとしか思えない歌唱でした。あのときの歌は、表現が細やかで、女性が表に出すぎると批判しましたが、今回のように比較的そっけない歌唱も、折角の林の魅力を表現できていないきらいがあります。助演ということで遠慮していた、ということがあるのかもしれませんが、逆に後輩たちにベテランの力をもっと見せてもよかったのかも知れません。

 マルチェリーナ・小林紗季子。全体的によかったと思いますが、もっと大ぶりの表情のほうがマルチェリーナのコミカルな側面が強調されたと思います。第一幕のスザンナとの「さやあて」の二重唱も、フィガロがわが子であると判る第3楽章も、もっと大げさな表現の方がよいと思いました。

 バルトロ・北川辰彦。北川も若い歌手で、バルトロを歌うのは貫禄がまだ足りないとは思いますが、安定したものでした。北川は、5年前の研修所公演でフィガロを歌い、昨年の国立音楽大学の大学院オペラで又フィガロを歌って、その間の進歩に大いに驚かされたものですが、今回も後輩たちを引き立てる脇役として十分な支えになっていたと思います。

 そのほかの脇役の皆さんも頑張っていました。

フィガロの結婚先頭に戻る

鑑賞日:2008326
入場料:
C席 9975円 4F 139

主催:新国立劇場/読売新聞社

新国立劇場開場10周年記念特別公演

オペラ4幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「アイーダ」AIDA)
台本:アントニーオ・ギスランツォーニ

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 リッカルド・フリッツア
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 三澤 洋史
バレエ 東京シティ・バレエ団
児童バレエ ティアラこうとう・ジュニアバレエ団
演出・美術・衣装 フランコ・ゼッフイレッリ
再演演出 粟國 淳
照 明 奥畑 康夫
振 付 石井 清子
舞台監督 大仁田雅彦

出 演

アイーダ ノルマ・ファンティーニ
ラダメス マルコ・ヴェルティ
アムネリス マリアンナ・タラソワ
アモナズロ 堀内 康雄
ランフィス アルチェン・コチニアン
エジプト国王 斉木 健詞
伝令 布施 雅也
巫女 渡辺 玲美
バレエ・ソリスト 若林 美和(第1幕第2場)
    橘 るみ(第2幕第2場)
    小林 洋壱(第2幕第2場)

感 想

豪華けんらんはオペラの醍醐味-新国立劇場開場10周年記念公演「アイーダ」を聴く

 オペラの演出は、大胆な読替えや、極端な省略など先鋭的なものが最近の流行ですが、私は、古典的な、本来の舞台の趣旨に忠実な舞台が好きです。リアリズム志向ですね。更に、その舞台が、予算をふんだんに使った豪華なものであれば、さらに結構です。オペラは本来、非日常の「ハレ」のものですから、「ハレ」らしい華やかさは重要だと思うのです。新国立劇場のゼッフイレッリによる「アイーダ」の舞台は、まさに「ハレ」の舞台にふさわしい豪華けんらんなもので、オペラ好きにはたまらないものです。勿論上演するとなれば、300人もの登場人物が必要になり、滅多にできないのですが、新国立劇場開場10周年ということで、五年ぶりに再演されました。そして、久しぶりに見たこの舞台はやはり眼福だなあ、と思います。

 このオペラのスペクタクル性の頂点たる第二幕第二場の「凱旋の場」は、まさにこのオペラの華やかさを上手に表現したもので、何度見てもいいものです。音楽の持つ豪華さも相俟って、この部分は、「豪華けんらんこそオペラの醍醐味」と申し上げたくなります。更に申し上げれば、今回の出演者は、歌手としての基本的技量の高い人ばかりで、声の厚みも豪華と申し上げるべきなのでしょう。そういう意味で、オペラらしいオペラでしたし、満腹感も十分ありました。お客さんの反応も総じてよく、会場全体がこのスペクタクル・オペラの雰囲気に乗せられていた感があります。

 一言で申し上げれば高水準の上演と申し上げて良いのでしょう。しかしながら、私自身は必ずしも良い舞台だと思ったわけではありません。

 端的に申し上げれば、音楽全体として興奮を煽り過ぎているように思いました。フリッツアの指揮は、低音をしっかり響かせて、且つ切れの良い演奏で、推進力のあるものでしたが、音楽から自然にわきあがってくる興奮ではなく、計算した煽りがあるようで、私としては今ひとつ感心できませんでした。オーケストラもフリッツアの指揮に忠実な演奏をしていたように思います。オーケストラの細かいミスは当然あるわけですが、フリッツアのあおりが成功したせいか、そういったミスが破綻に繋がりません。乗って演奏していたのでしょう。だから、悪いことはないのですが、音楽全体が冷静さに欠けている感じがして、もう少し、クールな演奏を心がけても良いのでは、と思いました。

 歌手陣は声量の点については、皆十分でした。「アイーダ」はそれがなければ始まらない作品ですから、まず基本点は高い演奏だったと申し上げてよいと思います。

 ファンティーニのアイーダは流石に十八番と申し上げて良いのでしょう。上手なものでした。ただ、アイーダの存在感は余り強い感じがせず、前回の2003年の時のファンティーニの方がもっと輝いていたと思います。「勝ちて帰れ」などはよいと思うのですが、第二幕第一場のアムネリスとの二重唱や第三幕のラダメスとの二重唱などは、もっとダイナミックな表現をかつてはしていて、もっと存在感が強調されていたような気がします。今回は一寸引いた感じにして、アイーダの置かれた位置を強調した、ということなのでしょうか。

 ラダメスのヴェルティも声はよく出ていたと思います。きれいな声で魅力的です。ただ、全体的に一本調子で、感情表現があまり明確ではありません。また「清きアイーダ」では声のコントロールが今ひとつ上手く行かなかったのも残念です。

 マリアンナ・タラソワのアムネリスはよかったです。この方は声自身もよく、声量もあるのですが、それに加えて、細かい感情表現が又見事でした。第二幕第一場のアイーダとの二重唱は、タラソワが細かいニュアンスを示しながら歌ったのに対し、ファンティーニはそこまで繊細の歌唱をしませんでした。第4幕のタラソワの歌唱はその感情の示し方が抜群に良く、大いに感心いたしました。

 堀内康雄のアモナズロ。良い演奏なのですが、どこかあおられている感じがありました。斉木健詞のエジプト国王。期待していたのですが、期待通り或いはそれ以上の出来。斉木はこの半年ほどで若手バスのホープになったと思います。コチニアンのランフィス。特徴のはっきりしない歌唱でした。

 平均点の高い演奏であったことは間違いありません。だからこそ、もう少し冷静な演奏をして、音楽自身に作品のよさを語ってもらいたかったです。

アイーダ先頭に戻る

鑑賞日:2008331
入場料:
A席 4000円 2F C42

主催:東京オペラシティ文化財団

東京オペラシティコンサートホール 開館10周年記念

「オペラシティ・ガラ」

会場 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル

出 演

指 揮 岩村 力
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
ナビゲーター 池辺 晋一郎
     
ソプラノ 幸田 浩子
メゾソプラノ 林 美智子
バリトン 宮本 益光

プログラム

作曲家 作品名 歌唱部分 歌唱
モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 セストのアリア「私は行くが、君は平和に」 林美智子
モーツァルト   コンサートアリア K.418 幸田浩子
ドリーブ(加藤昌則 編曲)   カディスの娘たち 林美智子
デラックア   ヴィラネル 幸田浩子
R.シュトラウス ばらの騎士 ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱(第2〜3幕) 幸田浩子/林美智子
加藤昌則 刻の里標石(ときのマイルストーン) I プレリュード
II 歓びの児
III 恋する彼女は…
IV うたつてゐてあげよう
V 満たされた秋
VI じゃあね
宮本益光
休憩
レハール メリー・ウィドウ 導入曲  
ダニロ登場の歌「おお祖国よ」 宮本益光
ワルツ「高鳴る調べに」 幸田浩子/宮本益光
ロッシーニ セヴィリアの理髪師 ロジーナのアリア「今の歌声は」 林美智子
ロジーナとフィガロの二重唱「それじゃ私だわ・・・」 林美智子/宮本益光
J.シュトラウス こうもり アデーレのアリア「侯爵様、あなたのようなお方は」 幸田浩子
第二幕の重唱「ぶどう酒の流れる中に」 幸田浩子/林美智子/宮本益光
アンコール
武満徹 混声合唱のための「うた」 小さい空(加藤昌則編曲) 幸田浩子/林美智子/宮本益光

 

感 想

ガラ・コンサートだから、堅いことは言いっこ無し-東京オペラシティ開場10周年記念「オペラ・シティ・ガラ」を聴く

 新国立劇場が10周年を迎えたのですから、同時期に作られた東京オペラシティも10周年は当然です。2007年度の最後の日である3月31日が、東京オペラシティの10周年最後の日だそうで、10周年記念のガラ・コンサートが開かれました。登場したのは、幸田浩子、林美智子、宮本益光の皆30代の若手人気オペラ歌手。伴奏が岩本力指揮・東京フィル。幸田も林も宮本も、オペラの舞台ではしばしば見る顔ぶれですが、この三人のコンサートは聴いたことがありません。そこで、一寸期待して出かけました。

 この3人が出演した理由は、勿論お客を呼べる人気歌手、ということがあったのでしょうが、公式には、オペラシティが開館以来10年間続けている「B to C」シリーズの卒業生である、ということが関係します。B to Cとは、「バッハからコンテンポラリーまで」ということで、「B to C」に出演することになると、プログラムを出演者が決めるわけですが、プログラムを決める際の縛りとして、必ずバッハ作品と現代ものを入れる、ということがあるそうです。

 今回の「ガラ・コンサート」も基本的に三人の出演者がプログラムを決めたそうですが、バッハは無いけれども、日本の新進作曲家・加藤昌則の作品をとり上げるなどして、コンテンポラリーには気を使っています。それも含めて、前半は、三人の歌手が、今歌いたいものを選択し、後半は、ガラ・コンサートらしい華やかな作品を選んだということのようです。

 さて演奏ですが、大まかに申し上げれば、歌いたい「前半」よりも、お客サービスの「後半」の方が出来がよかったように思います。更に申し上げるならば、林美智子も幸田浩子も私が期待したほどは歌っていただけませんでした。宮本益光はよかったと思うのですが。

 まず最初の林美智子のセストのアリアですが、まず低音部の処理が今ひとつ冴えません。更に全体のフォルムがしっかりしていないのも気になります。もっとプロポーションがはっきりわかる歌唱をすればよいと思うのですが、今ひとつです。林は、フォルテではきっちりと響かせてくるのですが、ピアノになると声の飛びが思いっきり失速して、私のところまでやってこないのです。また、歌の小技がきっちり決められないと思いました。「今の歌声は」は、全体としてはそこそこの歌唱なのですが、アジリダの切れが悪い。きっちり切っていくと多分曲のスピードに乗れないためにあのような歌になるのでしょうが、もうすこししっかり歌ってほしいと思いました。また速いパッセージでは細かい技巧を入れようとしているのは分かるのですが、それが明確に見えない。私の席が舞台から遠すぎるのが問題なのかしら。

 幸田浩子の歌唱も今ひとつ納得行きません。幸田は前半は喉が温まっていなかったようで、高音の伸びが今ひとつでした。モーツァルトのコンサートアリアは、柔らかい優美な表現でよいのですが、高音が伸びないので窮屈な感じがします。また、この柔らかい表現は幸田の持ち味なのでしょうが、モーツァルトはともかく、「ヴィラネル」のような曲は、もっと硬質にきりっと歌った方が曲の味が光ると思います。なお、後半のアデーレのアリアは素晴らしいものでした。幸田のコケティッシュな魅力がよく出て、高音の伸びも十分でした。

 「ばらの騎士」の二重唱。林と幸田は、日本を代表するオクタヴィアン歌いとゾフィー歌いですから、基本的には息のあったデュエットを聴かせてくれました。ただ、問題はオーケストラが強すぎることです。岩村力の指揮は、全体には納得できるものでしたが、「ばらの騎士」におけるこの演奏は、元気が良すぎるように思いました。本来オーケストラ・ピットで演奏することを想定して書かれた音楽を舞台で演奏することだけで、オーケストラの音が前面で出るものですから、もっと抑制した優美な演奏を心がけた方が、二人の歌唱が引き立ったのではないか、と思いました。

 宮本益光は役者です。前半にとり上げたのは、宮本の友人の作曲家・加藤昌則によるオーケストラ伴奏つき歌曲集「刻の里標石」です。加藤のこの作品は、神奈川フィルの委嘱作品として2006年に発表されたものですが、今回が多分初の再演です。日本語、英語、フランス語、ドイツ語による6つの詩、それぞれが、誕生から死にいたる人生のイベントに対応します。

 プレリュードは日本の古謡のように、ウィリアム・ブレイクの英語の詩に曲をつけた「歓びの児」はハリウッドの映画音楽のように歌われます。ポール・エリュアールのフランス語の詩に曲をつけた「恋する彼女は・・・」は、低音による表現が印象的な作品。立原道造の「暁と夕の詩」からとった「うたってゐてあげよう」は、ロマン派の歌曲風の作品。ゲオルク・トラークルのドイツ語の詩に曲をつけた「満たされた秋」は、アルトフルートやコントラファゴットが活躍する低音の強い音楽。NHKの大河ドラマの主題歌風です。最後の谷川俊太郎の「じゃあね」は、明るい行進曲風。

 歌詞の内容と音楽の雰囲気が結構ミスマッチで、そこが又面白いともいえるのですが、宮本は多彩な表現で歌って見せました。前半の白眉でした。

 後半のメリー・ウィドーのダニロの歌や幸田浩子との「メリー・ウィドーのワルツ」は宮本の役者ぶりがよく楽しめました。

 こうもりは、本来入る合唱が無いので、一寸残念ですが、「ぶどう酒の流れる中に」は、こういったガラ・コンサートでは盛上げるためにうってつけの作品です。楽しめました。堅いことは言いっこなし、といいながら、堅いことばかり書きました。

 なお、アンコールは武満徹の有名な合唱曲集、混声合唱のための「うた」から「小さい空」。加藤昌則が三重唱用に編曲しました。東京オペラシティの大ホールが、「タケミツメモリアル」を思い出させる良い選曲だったと思います。

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鑑賞日:2008418
入場料:
D席 3780円 4F 426

主催:新国立劇場

オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ウェーバー作曲「魔弾の射手」Der Freiscütz)
台本:フリードリヒ・キント

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 ダン・エッティンガー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 マティアス・フォン・シュテークマン
美 術 堀尾 幸男
衣 装 ひびの こづえ
照 明 澤田 祐二
舞台監督 村田 健輔

出 演

オットカール 大島 幾雄
クーノ 平野 忠彦
アガーテ エディット・ハッラー
エンヒェン ユリア・バウアー
カスパール ピャーニ・トール・クリスティンソン
マックス アルフォンス・エーベルツ
隠者 妻屋 秀和
キリアン 山下 浩司
ザミエル 池田 直樹
花嫁に付き添う四人の乙女1 鈴木 愛美
花嫁に付き添う四人の乙女2 田島 千愛
花嫁に付き添う四人の乙女3 高橋 絵理
花嫁に付き添う四人の乙女4 中村 真紀

感 想

合唱を楽しむ-新国立劇場「魔弾の射手」を聴く

 「魔弾の射手」は、音楽史的に見れば、ドイツ・ロマン派を創生した作品ですし、ジングシュピール形式のオペラの掉尾を飾る名作です。また、音楽の親しみやすさも絶妙で、序曲は、音楽の鑑賞教材で必ず聴かれるものですし、「狩人の合唱」などは、高校の教科書にも載るぐらいのポピュラリティーを持っっています。個人的には、私が子どものころ、「世界の名曲」とかいうソノシートがあって、そこにも「魔弾の射手」序曲と、「四人の乙女の合唱」、「狩人の合唱」は収められており、小学校入学前ぐらいから、「魔弾の射手」の一部の音楽に親しんでおりました。

 そのようにポピュラリティーが高い作品のはずなのですが、日本での上演は余り多くはありません。一時期日生オペラで何度かとり上げられたのと、1999年にバーデン市立劇場が全国巡回公演を行ったのが主なもので、私が日本で実演を聴いたのは、東フィルのオペラ・コンチェルタンテシリーズの2001年の演奏会形式公演(チョン・ミョンフン指揮)が唯一です。この演奏は、台詞の部分を大胆にカットして、ほぼ音楽だけで繋いだもので、きりりとしたミョンフンの指揮と迸り出る音楽、そして主要四役、即ち、ペーター・ザイフェルトのマックス、ペトラ=マリア・シュニツァーのアガーテ、アルベルト・トーメンのカスパール、高橋薫子のエンヒェンの歌唱がいずれも素晴らしく、大いに感心したことを覚えています。

 そういうわけで、新国立劇場でのプレミエ公演を期待していたのですが、開館10周年目にしてようやくこの「魔弾の射手」が取り上げられました。満を持してとり上げたはずの今回の公演は、この2001年の演奏会形式公演と比較すると、音楽的には相当に魅力の欠けた公演と申し上げざるを得ません。しかしながら舞台はとても分かり易いもので、悪いものではないと思います。

 シュテークマンの演出は、木製の青黒い壁を森の木に見立て、これを自在に動かしながら舞台を作っていくものです。アガーテの家の登場させ方消失させ方などは、新国立劇場の舞台システムを自由に使いこなしたもので、この若い演出家が、新国立劇場の舞台をよく知悉していることを窺わせるものでした。そのような装置の中で、シュテークマンは写実的に舞台を作ります。

 「魔弾の射手」は、ジングシュピールの中でも台詞の多いオペラですので、幾ら字幕があっても、日本人が台詞を理解するためには、舞台が写実的であることが絶対に必要なことだと思います。その点で、今回の「魔弾の射手」の演出は、細かいところまでを含めてキントの台本に忠実であり、台詞の部分で退屈になりがちなこのオペラの面白さを日本人に伝えるには適切だったと思います。

 ダン・エッティンガーの音楽作りは、基本的には堂々としたものでした。ゆったりしたリズムでしっかり歌わせようとするものです。このような音楽のつくりと、主役のマックスがワーグナー歌いのエーベルツを起用したことから、この作品が、ワーグナーのオペラの前駆的作品であることがよく分かりました。ただ、オーケストラはこの息の長さに十分対応できていなかったように思いました。この作品は、序曲の冒頭のホルンの重奏からはじまって、ホルンが重要です。一方ホルンは、音が安定しない代表的な楽器ですから、ある程度の事故はやむをえないと思います。そういう意味では今回の東フィルのホルンセクションは十分頑張ったと思うのですが、アンサンブルが乱れるのはいただけません。エッティンガーの息の長さに十分ついていけないということなのでしょうか。

 一番素晴らしいのは合唱です。「魔弾の射手」は合唱が重要な役割を果たす、「合唱オペラ」とでも言うべき作品ですが、合唱部分は全てよかったとおもいます。新国立劇場合唱団のレベルの高さはよく知られていますが、今回の合唱は、その中でもとりわけ立派なものだったと思います。冒頭の農民たちのマックスに対する嘲笑の部分からよく、きりっと締まっていて、それでいて調和が取れているもので、感心しました。有名な狩人の合唱も秀逸。今回は合唱でまず楽しませていただきました。

 ソリストでは、アガーテを歌ったハッラーがまず絶品。落ち着いた暖かい声の持ち主で、アガーテの娘心を上手に歌い上げました。特に第二幕の大アリア「星の祈り」は殊に素晴らしいもので、揺れる心のうちを正確な技術で裏打ちしながら歌って見せました。3幕のカヴァティーナ「雲が太陽を覆っても」は、高音の伸びが若干詰まっていて、万全ではありませんでしたが、それでも水準を越える名唱。演技の雰囲気も含め、アガーテの純真で真摯な恋心を表現するのに十分でした。

 ソリストで次によかったのは隠者の妻屋秀和です。妻屋の歌は音程の揺れもあり、必ずしも万全というわけではないのですが、そこから湧き上がるようなバスの響きが魅力的でした。また、日本勢で、声の迫力が外人勢に全く見劣りしないのは妻屋ただ一人で、そこも気に入りました。ついでに申し上げると、台詞役ながら池田直樹のザミエルも結構です。音響的技術は駆使されていたようですが、コミカルな部分も含めた悪魔の表情が見事で、存在感がありました。シュテークマンは、このオペラをザミエル的世界と隠者的世界の衝突として明確に描いたのですが、妻屋と池田とは、その象徴としてどちらも結構な演技・歌唱でした。

 次に評価できるのが、カスパールのクリスティンソン。クリスティンソンは歌唱的には控えめな表現で終始しておりましたが、歌はしっかりしており、内に向いた刃を感じさせるものがありました。特に狼谷での魔弾を作成する部分の表情が見事でした。

 拍手は多かったのですが、私が気に入らなかったのはバウアー演ずるエンヒェンです。この方、軽い声で、高音はよく伸びるのですが、中声部がやせていてしっかりした表現にならない。エンヒェンは確かにレジェーロ・ソプラノの役であり、軽くて軽妙な表現が求められるのですが、中声部の土台がしっかりした上に高音の軽快な表現がないと、アガーテの不安を打ち消す役目にはなれないような気がします。エンヒェン役は台詞も多く、ドイツ語を国語とする歌手を連れてこざるを得なかったのでしょうが、歌だけで言えば、バウアーよりもっと歌える日本人ソプラノがたくさんいるように思います。

 マックス役のエーベルツも期待はずれでした。確かにワーグナーテノールだけあって、声はしっかりしているし、飛びも良い。しかしながら音程が不安定で、ヴィブラートの振幅も大きい。あまりぱっとしませんでした。また演技的にも、隠者/アガーテの善の側と、ザミエル/カスパールの悪側で揺れ動く心情を表現してほしいところですが、そこも余りはっきりせず、残念でした。

 その他の日本人歌手。大島幾雄と平野忠彦の両ベテラン。このメンバーの中では声量的に見劣りします。山下浩司のキリアンは、若々しくユーモラスな歌唱で良好。四人の花娘も演技のユーモラスなことと、立派な歌唱で結構でした。

「魔弾の射手」先頭に戻る

鑑賞日:2008426
入場料:自由席 
2000円 

主催:立川市民オペラ合唱団 共催:立川市地域文化振興財団

2008立川市民オペラ合唱団演奏会「ヴェルディの午後」

会場 立川市民会館大ホール

出 演/スタッフ

指 揮 砂川 稔
ピアノ 大園麻衣子、今野菊子、廣田真理子
合 唱 立川市民オペラ合唱団
合唱指導 倉岡典子/宮ア京子
舞台監督 林 歩
   
ソプラノ 品田 昭子
ソプラノ 宮ア 京子
テノール 角田 和弘
テノール 永澤 三郎
バリトン 牧野 正人

プログラム

作品名 歌唱部分 歌唱
椿姫 二重唱(合唱) 乾杯の歌 品田昭子/角田和弘/合唱団
アリア 燃える心に 角田和弘
アリア プロヴァンスの海と陸 牧野正人
リゴレット アリア 慕わしき人の名は 品田昭子
アリア 悪魔め、鬼め 牧野正人
二重唱 毎日曜日教会でお祈りをしているときに 品田昭子/牧野正人
休 憩
オテロ 二重唱 既に夜も更けた 宮ア京子/永澤三郎
アリア 柳の歌〜アヴェ・マリア 宮ア京子
アリア 神よ、全ての恥と禍を私に与えるのか 永澤三郎
アイーダ 合唱 賞賛と拍手の中にいる貴方は ア京子/合唱団
合唱 エジプトの聖なるイシスに栄光あれ 合唱団
ナブッコ 合唱 飛べ、思いよ、金色の翼に乗って 合唱団

 

感 想

頑張れ、市民オペラ-2008立川市民オペラ合唱団演奏会「ヴェルディの午後」を聴く

 市民オペラの隆盛は最近目を見張るものがあります。私が住む多摩地区でも、オペラ・リリカ・八王子、調布市民オペラ、多摩シティオペラ、町田シティオペラ、小平・市民オペラ協会などが活動しているようです。立川にも立川市民オペラがあり、2-3年に1回の本公演を目指して活動しています。立川市民オペラは、昨年、「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「道化師」の二本立てで本公演を行い、次回は2010年1月に「アイーダ」で本公演を行う予定。本年度は、本公演の無い中間年ということで、コンサートが実施されました。プログラムは上記のとおり。私は夕方野暮用があったため、オテロの途中まで聴いて退席いたしました。

 市民オペラが毎年本公演を行うのは、経済的事情、その他で難しいのはよく分かります。その中間年にこういった発表会を行って、活動の支えにするのは大変結構なことでしょう。ただ、今回の演奏会、主催が「立川市民オペラ合唱団」でありながら、プログラムの中心がアリアであることは腑に落ちません。ヴェルディのオペラには、「アイーダ」の大行進曲や、「ナブッコ」の「思いよ、金色の翼に乗って」以外にも、たくさんの聴き応えのある合唱曲がたくさんあるのですから(例えば、「ロンヴァルディア人」の「エルサレム、エルサレム」、「トロヴァトーレ」の「アンヴィル・コーラス」、「ドン・カルロ」の「ここに輝かしい日が始まった」など)、そういった合唱曲をたくさん演奏してくれれば良かったのに、と思います。

 演奏に関して申し上げれば、予想通りに良かったのが牧野正人、予想外によかったのが角田和弘、予想ほどよくなかったのが品田昭子、なかなか聴かせてくれたのが宮ア京子、今ひとつだったのが永澤三郎でした。

 牧野にとって、ジェルモンもリゴレットも何度も演じているお得意の役柄ですから上手なのは当然なのですが、流石の説得力でした。日本を代表するプリモバリトンだけのことはあります。また、リゴレットは、もっと低音が響く方が本来はふさわしいのだと思うのですが、私個人としては、牧野のような高音の伸びるバリトンが好きなので、彼の表現力を含め、十分に満足できます。納得の歌唱でした。

 角田のアルフレードも良い。「椿姫」はよく見るオペラですが、実は最近聴いたアルフレードは、今ひとつ満足できない方が多いのです。これは、多分高音は出ても、声に深みのないテノールばかりアルフレードに採用されているからだと思っています。角田は失礼ながら、見た目はもうアルフレードができる感じではありません。でも、歌の深みは若いぽっと出のテノールとは一段違います。しっかり、表情を固めながら内面を示すように歌います。「燃える心に」が、ここまで情熱的に歌われた例は、そうは無いのではないかしら。

 この二人のベテランと比較すると、品田の歌はまだ未熟と言わざるを得ません。「乾杯の歌」は、角田アルフレードの情熱に完全に押されていましたし、「慕わしき人の名は」は、表情を出そうとする意識はわかるのですが、細かい表現をする技術がついていかない。結局ジルダの若さが表現できない重たいものに終始しました。牧野との二重唱は、牧野の良きサポートを得て上手くまとめておりました。

 宮ア京子は初めて聴く方ですが、「柳の歌」をしっかりした情感で歌ってなかなかよかったとおもいます。オテロ、デズデモナの二重唱は、永澤の調子が悪く(音が随分外れていました)、折角の音楽がまとまらずに終わりました。

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鑑賞日:2008427
入場料:自由席 
5000

主催:南條年章オペラ研究室

ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズ Vol.8

オペラ プロローグ付2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「ルクレツィア・ボルジア」Lucrezia Borgia)
台本:フェリーチェ・ロマーニ
日本初演

会場 津田ホール

指 揮 佐藤 宏
ピアノ 村上 尊志
合 唱 南條年章オペラ研究室メンバー+賛助出演メンバー
     
     
     

出 演

ルクレツィア 佐藤 亜希子
ジェンナーロ 青柳 明
アルフォンソ 坂本 伸司
オルシーニ 村中 恵美子
リヴェロット 琉子 健太郎
ヴィテロッツォ 滝川 昌之
ペトルッチ 小林 秀史
ガゼッラ 折川 宏治
ルスティゲッロ 狩野 武
グベッタ 秋本 健

感 想

プリマドンナオペラはプリマドンナ-南條年章オペラ研究所「ルクレツィア・ボルジア」を聴く

 私は、極論すれば、オペラ作曲家はロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディがいればいいと考えている人間で、要するに、ベルカントオペラ偏愛者です。しかしながら、日本ではベルカントオペラを滅多にやらない。特にドニゼッティは演奏機会の少ない代表的な作曲家で、「愛の妙楽」と「ランメルモールのルチア」を例外にすれば、何年かに1回、忘れたようなころ上演されるのが普通です。70ぐらい作品があるにもかかわらず、これまで日本で演奏されているのは、僅か14作品に過ぎません。「ルクレツィア・ボルジア」は、カバリエやサザランドが歌う代表的なベルカントオペラの作品にも係らず、日本でこれまで上演された記録は無く、演奏会形式ながら、今回の演奏が日本初演になります。

 その栄えある日本初演。実に見事な演奏に仕上がりました。その90%はヒロインのルクレツィアを歌った、佐藤亜希子の素晴らしい歌唱に帰するべきでしょう。プリマ・ドンナ・オペラは、プリマドンナで決まる、ということをまざまざと見せてくれた実例と申し上げて良いかも知れません。まず、登場のアリア「何と美しく魅惑的なこと」で圧倒されました。引き続くカバレッタの「汚れない愛の最初のキスを」もアジリダの技術が上手く、大変感心いたしました。その後のジェンナーロとの二重唱、プロローグフィナーレにおける歌唱はその声量と圧倒的存在感によって、他を寄せつけませんでした。

 この技術的な正確さがはっきりしていて、大公妃の存在感を示す歌唱は、フィナーレに到るまで全く変わることがありませんでした。終幕は伝統的なアリア・フィナーレの形式で書かれているのですが、最後のアリアの凄絶な表現は、まさにベルカントオペラの真髄ともいうべきもので、歌好きにはたまらないものでした。

 この佐藤の歌唱に対抗すべき男声陣。はっきり申し上げて、差がありすぎます。特にジェンナーロ役の青柳明。軽く明るい声のテノールですが、表現の強靭さに欠けており、途中からメロメロと申し上げても良いぐらいの歌だったと思います。特に高音部の制御が不的確で残念でした。

 村中恵美子のオルシーニも低水準の歌唱でした。津田ホールは決して広いホールではないのですから、もっと声を響かせてしかるべきですが、ほとんど響かず合唱に埋没しています。オルシーニの役割の重要性を鑑みると、村中より声量のある方を選ぶのが適切だったように思います。

 坂本伸司のアルフォンゾは、主要四役の中では唯一佐藤ルクレツィアに対抗できていた方だと思います。低音がはっきりとしていて王様の妻への嫉妬の気持がよく表現できていたのではないかと思います。ルクレツィアに恨みを持つ四人の騎士ではガゼッラ役の折川宏治が良い歌唱でした。

 もう一人誉めるべきはピアニストの村上尊志です。一人でこのオペラのピアノ譜を表情豊かに弾ききったわけですから、大したものです。

 しかしながら、オペラは本来オーケストラの伴奏で演奏されるものですし、演技も行われるものです。そういった基本的な欠落があるにもかかわらず、それ以上の表現で、聴き手の耳を惹きつけて離さなかった佐藤の歌唱は、特筆ものです。日本の若手歌手には実力者が隠れていそうです。

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鑑賞日:200854
入場料:
B席 7000円 2646

主催:東京歌劇団
協力:東京国際芸術協会

東京歌劇団第1回公演

オペラ 4幕、字幕付原語(ロシア語)上演
ショスタコーヴィチ作曲「ムツェンスク郡のマクベス夫人」Леди Макбет Мценского уезда)
台本:アレクサンドル・プレイス/ドミトリ・ショスタコーヴィチ

会場 サンパール荒川 大ホール

指 揮 珠川 秀夫
管弦楽 東京歌劇団管弦楽団
合 唱 東京歌劇場合唱団
合唱指導 青木 素子
演出・美術・衣装 大島 尚志
照明 中村 浩実
舞台監督 佐藤 卓三
公演監督 岸本 力
制 作 田辺 とおる
     
     

出 演

ボリス・イズマイロフ 田辺 とおる
ジノーヴィ・イズマイロフ 小林 大作
カテリーナ・イズマイロヴァ 菊池 美奈
セルゲイ 羽山 晃生
アクシーニャ 羽山 弘子
ボロ服の百姓 加茂下 稔
ソニェートカ 塩崎 めぐみ
司祭・老いた囚人 大野 隆
警察署長・軍曹・哨兵 渡部 智也
教師 北嶋 信也
馬車引き・使用人1・酔客 中尾 遊
番頭・使用人2・警官 菅原 浩史
水車屋の使用人・屋敷番・使用人3 小林 弘児
女囚 大塚 陽子

感 想

傑作であることを再認識-東京歌劇団「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を聴く

 20世紀を代表するオペラ作品であるにも係らず、滅多に上演されないのがこの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。日本で上演されたのは、1996年のキーロフオペラ来日公演以来。日本人による上演は、1994年の東京フィル・オペラコンチェルタンテ以来です。1994年の上演を私は会場で聴いているのですが、大野和士の指揮が素晴らしく、また新星日響と合併する前のは東京フィルの演奏も生々しさが的確で、ショスタコーヴィッチのオーケストレーションの巧みさを堪能いたしました。また、カテリーナを歌った緑川まりのスピントの利いた強い声と表現に圧倒されました。私は、この演奏を聴いて、「マクベス夫人」の舞台上演を心待ちにし始めたものです。

 来年、新国立劇場で遂に取り上げられることを耳にし、小躍りして喜んだのですが、その前に本年突然、東京歌劇団という団体が上演することを知り、これは聴きに行かねばなるまいと、初めてサンパール荒川に乗り込みました。尚、東京歌劇団とは聞き慣れない名前の団体ですが、キャラクター・バリトンの田辺とおるが東京国際芸術協会の支援を受けて立ち上げた団体のようです。その第1回に取り上げる作品が「ムツェンスク郡のマクベス夫人」とは、何と志が高い。その志の高さは、それだけで誉められるべきでしょう。

 しかしながら、演奏・演出は決して十分ではありません。特に演出・舞台装置。予算の都合上仕方がないのでしょうが、背景に白樺と思しき木を並べ、舞台上には箱を並べて段差を作っただけの舞台。この作品は、リアリズム・オペラですから、抽象的な舞台は適当ではありません。お金が無い中でも、もう少し工夫の余地は無かったのでしょうか? しかし、そのような悪条件の中でも歌手たちは頑張っていたと思います。

 演奏も、正直申し上げれば、アマチュア・オーケストラに毛の生えたようなレベルです。管の音は外れるし、弦はざらつくし。しかしながら珠川秀夫の指揮は、比較的速いテンポで、デュナーミクを明示しようとした姿勢が見え、決して悪いものではありませんでした。ショスタコーヴィッチの音楽話法の素敵な部分をスポイルことなく演奏できていたと思います。大野/東フィルの名演を覚えているものとすれば、格段の差があることは認めざるを得ないのですが、この演奏は、この演奏で、楽しめるものでした。また、ショスタコーヴィッチの音楽の素晴らしさは、十分に表現できていたと思います。この作品が傑作であることは、前々から知っていたのですが、久しぶりに聴いて、その素晴らしさを再認識いたしました。

 歌手陣は、カテリーナの菊地美奈が抜群の出来。菊地の本来の声は軽めのリリコ、或いは重めのリリコ・レジェーロであり、本来スピントかドラマティコが歌うカテリーナには声が軽すぎると思います。確かに低音での心理表現などは、もう一段強い表現がほしいところですが、全体の雰囲気を含めた表現は、大変素晴らしいものがありました。第一幕第三場のモノローグが、欲求不満の若妻を表現して的確、続くセルゲイによる強姦とその認容の流れがスムーズです。また、赤い下着姿での菊地の演技が実にエロティックで結構でした。セルゲイ役の羽山晃生が割と形式的な演技でしたから、菊地の見せ方が光ります。

 セルゲイに惹かれるようになった後のカテリーナの悪女の表現も素晴らしいもので、また、舅や夫を殺害した後の恐怖の感じ方も、歌唱表現としては、もっと深くても良いのかな、と思いながら、全体の演技を見ると、このカテリーナでやはり良いのだろうと思います。94年の緑川も良い歌唱でしたが、演奏会形式で演技がありませんでしたから、今回の菊地の表現は、歌唱と演技とが調和して、緑川の表現よりも強い印象を受けました。Bravaです。

 セルゲイの羽山晃生は、なかなかの歌唱だったとは思いますが、演技は平凡で、緊迫感に薄い。セルゲイは結局のところ軽薄なだけのただの女たらしですから、カテリーナのような鬼気迫る演技をする必要は無いのでしょうが、もっとワルの重みを感じさせる、菊地に渡り合えるような演技がほしかったところです。

 ボリスの田辺とおるは、ボリスの嫁に対して邪な気持を抱く助平親父という側面よりも、田舎の習慣や父親の権威にしがみつく頑固者の側面をより出してきたものと思います。その表現は比較的おとなしいものでしたが、悪いものではありませんでした。

 歌唱表現は、以上の主要三役がしっかりと固めてきたので、全体の流れがよく見通せるようになっておりました。脇役陣では、小林大作のジノーヴィが最初のアリアをきっちりと歌い、羽山弘子のアクシーニャも結構で、また加茂下稔の酔っ払いも的確な表現でよかったと思います。それ以外の方々は一段落ちる水準。警察署長などはもう少し頑張ってほしかったところです。

 全体としては不満も多い演奏でしたが、菊地の優れた歌唱と演技、そして何よりも14年ぶりにこの傑作オペラを実演で聴けたという喜びで満足いたしました。

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鑑賞日:200857
入場料:
C席 6615円 4F 18

主催:新国立劇場

オペラ4幕、字幕付原語(ドイツ語)上演、日本初演
ツィンマーマン作曲「軍人たち」Die Soldaten)
原作:ヤーコヴ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ
台本:ベルント・アロイス・ツィンマーマン

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮 若杉 弘
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 ウィリー・デッカー
再演演出 ナイシェ・バルバラ・フンメル
美術・衣装 ヴォルフガング・グスマン
照 明 フリーデヴァルト・デーゲン
舞台監督 大澤 裕

出 演

ヴェーゼナー 鹿野 由之
マリー ヴィクトリア・ルキアネッツ
シャルロッテ 山下 牧子
ヴェーゼナーの老母 寺谷 千枝子
シュトルツィウス クラウディオ・オテッリ
シュトルツィウスの母 村松 桂子
フォン・シュパンハイム伯爵 大佐 斉木 健詞
ピルツェル 大尉 ピーター・ホーレ
アイゼンハルト 従軍牧師 小山 陽二郎
オディー 大尉 泉 良平
マリ 大尉 黒田 博
3人の若い士官 中嶋 克彦/布施 雅也/倉石 真
ド・ラ・ロッシュ伯爵夫人 森山 京子
若い伯爵・伯爵夫人の息子 高橋 淳
ラ・ロッシュ伯爵夫人の召使 木幡 雅志
若い見習い士官 青鹿 博史
酔った士官 川村 章仁
3人の大尉 細岡 雅哉/藪内 俊弥/浅地 達也

感 想

頭でっかちの音楽-新国立劇場「軍人たち」を聴く

 現代オペラを聴くことを趣味としている人々は、1960年に作曲され1965年にケルン歌劇場で初演された「軍人たち」が現代オペラの傑作であり、現代オペラの古典とも言うべき作品であることは常識なのでしょうが、現代オペラにあまり興味の無い聴き手にとって、奇妙な作品という印象が先に立ちます。20世紀の音楽の流れに「音の微分化」というものがあります。調性音楽が12階音楽になり、それが更に微分化されてセリー音楽になる系譜は、音楽史的には極めて重要な流れですが、この微分化の流れは、音楽の持つ感覚的な美とは相容れない、理論の世界に由来するものです。前衛になるためには、前衛になるための思想があります。その表現形態の一つが現代音楽である以上、現代音楽が理屈っぽくなるのは当然の理です。

 「軍人たち」はそのような現代音楽の難解さを、多様な音楽を持ちこみ、多元的な方向性を示すことによって解消させようとしたのかも知れません。しかし、そういった多様性の持ちこみ事態が、一種の理論の持込であり、全体を通じた生硬な理屈っぽさ解消するには到らなかった、という印象です。

 このような「頭でっかちの音楽」観は、ウィリー・デッカーの演出にも相当助長されました。デッカーは、登場人物を個性ある人間として描こうとはせず、類型的な存在として描こうとします。特に軍人たちは、全員が赤い軍服を身に着け、頭は全体に白塗りにするという方法で、個性をほぼ抹消して見せました。このやり方は、軍人という一つの記号を際立たせますが、その中身は、本来の個性を無視したものになります。この軍人には、オペラ好きには親しい、小山陽二郎、泉良平、小林由樹、黒田博などが登場して、それぞれの歌を歌うわけですが、小山がどこにいて、泉がどこにいて、といった個性をキーにした歌唱の状況は、顔立ちが全くわからないので、確認がなかなか困難です。

 つまり、軍人たちは、ソリストという個性である前に、テノールであり、バリトンであり、バスであるという声部としての取扱になります。そして、現実の軍人が本来の個人を抹殺された集合であるという事実と見事に符合するのです。

 このような歌手を記号として取り扱う方法は、女声陣も例外ではありません。マリーとシャルロッテの姉妹が灰色のワンピースで登場するとか、ド・ラ・ロシュ伯爵夫人が、黄色いドレス(ペチコートでスカートを膨らませた時代がかったドレス)で登場させるというやり方は、歌手が本来演ずるべき役柄の個性を強調するよりも、それぞれの属性を視覚的に訴えます。

 今回の舞台は、新国立劇場の舞台の中に大きな箱を置き(この箱は客席に向ってかなり傾斜しています)、その箱の後ろ側が開いたり、横斜めに傾斜したりするわけですが、お芝居がこの箱の中で全て完結します。その中で、ストーリーに基づいたお話が進むのですが、このような閉じられた場所での進行は、本来のお話の広がりを象徴的に閉じ込めようとしています。そして、本来このお話の持つ閉塞感を象徴させようとします。

 多分演出家の意図はそこで終わっているのかも知れませんが、このような演出をしたおかげで、この箱が一つの大きな楽器になっていることに気がつかされます。例えば、第二幕第一場で兵士たちがスプーンや食器をテーブルに打ち付けて音を出すシーン。これは、楽譜に指定されているそうですが、この行為は、舞台も楽器として使う作曲家の意図が見えます。即ち、この作品はオペラでありながら、作品全体としては交響詩のような雰囲気を持っているように思えるのです。

 若杉弘は、このような大規模管弦楽を伴った現代音楽を演奏させると、本当に面白く演奏します。本日も例外ではありませんでした。曲全体としては理屈っぽい作品ですが、その理屈っぽさを適当に残しながらも、全体を盛上げていく構成は面白く感じました。もう一つ付け加えれば、演奏者全体がよく練習していました。アンサンブルもまとまっていましたし、普通の公演では、あまり全体練習に参加しないと思われる外人勢も、相当一緒に練習したように思いました。音楽全体が、若杉弘を中心にきっちりまとまって、求心的な演奏になっていました。

 このような作品ですから、歌手個人の技量を誉めてもしょうがないのですが、ルキアネッツのマリーは出色の出来だと思います。他には、森山京子のド・ラ・ロッシュ伯爵夫人と山下牧子のシャルロッテがよかったと思います。それ以外の方々も個性を殺しながらも、音楽全体の構成には十分貢献しており、大変結構だったと思います。

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鑑賞日:2008528
入場料:指定席 
2F C3-1 7000円 

主催:朝日新聞社 音楽事務所サウンド・ギャラリー

歌と楽しいお話でつづる浜離宮オペラ・サロンコンサート
オペラに恋して
<シリーズ10回記念ガラ・コンサート>
〜憧れの歌姫マリア・カラスのように〜

会場 浜離宮朝日ホール

出 演/スタッフ

司会・メゾソプラノ 郡  愛子
ソプラノ 大岩 千穂
ソプラノ 佐藤 ひさら
ソプラノ 高橋 薫子
テノール 水船 桂太郎
ピアノ 河原 忠之
構成・台本 石戸谷結子

プログラム

第一部「歌姫、マリア・カラスのように」
ベッリーニ「ノルマ」より ノルマのアリア 清らかな女神よ 大岩千穂
プッチーニ「ラ・ボエーム」より ロドルフォのアリア 冷たき手を 水船桂太郎
サン=サーンス「サムソンとデリラ」より デリラのアリア 愛よ、私の弱さを助けに来ておくれ 郡愛子
ヴェルディ「運命の力」より レオノーラのアリア 神よ、平和を 佐藤ひさら
ヴェルディ「リゴレット」より ジルダとマントヴァ公との二重唱 愛こそ心の太陽だ 高橋薫子/水船桂太郎
ヴェルディ「リゴレット」より ジルダのアリア 慕わしき人の名は 高橋薫子
ベッリーニ「ノルマ」より ノルマとアダルジーザとの二重唱 ノルマよ、ごらんなさい 大岩千穂/郡愛子
休憩
第二部「ガラ・コンサート」
ヨハン・シュトラウス「こうもり」より 第二幕冒頭の合唱部分 ピアノ独奏 河原忠之
プッチーニ「ラ・ボエーム」より ムゼッタのワルツ 私が街を歩くと 高橋薫子
チャイコフスキー「オルレアンの少女」より ヨハンナのアリア さらば森よ 郡愛子
カタラーニ「ワリー」より ワリーのアリア さようなら、ふるさとの家よ 佐藤ひさら
ビゼー「カルメン」より ミカエラとホセとの二重唱 聞かせてくれ、おふくろの話 大岩千穂/水船桂太郎
モーツァルト「フィガロの結婚」より 伯爵夫人とスザンナとの手紙の二重唱 そよ風に寄せて 佐藤ひさら/高橋薫子
チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」より アドリアーナのアリア 私は芸術の神の慎ましいしもべです 大岩千穂
ビゼー「カルメン」より ホセのアリア「花の歌」 お前のくれたこの花は 水船桂太郎
リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」より 元帥夫人とオクタヴィアンとゾフィーの三重唱 マリー・テレーズ! 佐藤ひさら/郡愛子/大岩千穂
アンコール
ヨハン・シュトラウス「こうもり」より 第二幕の「シャンパンの歌」 ぶどう酒の流れる中に 全員

感 想

一寸楽しいガラ・コンサート-オペラに恋して<シリーズ10回記念ガラ・コンサート>を聴く

 何人かの歌手が集まって自分の得意曲を聴かせるタイプのコンサートは、オペラとはまた違った楽しみがあります。郡愛子が司会を勤める「オペラに恋して」シリーズは、毎回3-4人のゲスト歌手を招いてのコンサートで、そういった楽しみを味わえる代表的なコンサートです。2002年に始まったそうですが、このたび目出度く第10回目にいたりました。第10回の記念ということでしょうか、切符は完売だったそうです。

 今回は第10回ということで、内容は盛りだくさん。前半は20世紀後半を代表するソプラノ、マリア・カラスへのオマージュとしての選曲だそうです。でも、選曲はどうでしょうか?石戸谷結子は、歌手の顔ぶれを見ながらこのような構成にしたと思いますが、カラスの本当に得意な曲はノルマとトスカの二役でしょう。カラスが舞台で歌っている役は、デビューのサントゥッツアに始まり、超軽い役からドラマチックな役まで多彩で、ジルダ、ルチアからトスカ、ブリュンヒルデまで何でもござれ、というところがあるのですが、本当の当たり役は、ルチア、ノルマ、ヴィオレッタ、アイーダ、ジョコンダ、といったところでしょう。そういったところを上手に選曲してもらえないと、何となく看板に偽りありという気がします。

 それはさておき、歌唱ですが、大岩の「清らかな女神よ」は大岩の喉が温まっておらず、低レベルの歌唱。声の伸びが足りず籠もり気味で、音程も不安定でした。水船の「冷たい手」は、なかなか良いものでしたが、細々としたところでもう少し突っ込んでほしいと思うところが多々ありました。郡のデリラのアリアは、低音の迫力がよく面白く聴きましたが、反面中高音の押しが今ひとつ弱いと思いました。

 前半の白眉は佐藤ひさらのレオノーラのアリアでしょう。ソプラノ・リリコ・スピントの定番のような曲ですが、ここまで行き届いた歌はなかなか聴けないと思います。艶やかで情感もあり、音に乱れが無く、バランスも良い、非常に素晴らしい歌唱でした。佐藤ひさらといえば、「蝶々夫人」のスペシャリストみたいな感じがあって、それ以外の役の歌を聴いた経験は今回初めてだと思うのですが、実力を強く感じました。

 ジルダとマントヴァ公との二重唱、ジルダのアリアはともに結構。高橋薫子にすれば当然の水準の歌唱であると思います。最後のノルマとアダルジーザとの二重唱は、大岩の調子がようやく乗ってきたようで、まだ硬いものはあるものの、最初の「清らかな女神よ」とは雲泥の違いでした。

 後半のガラ・コンサートは、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」第二幕のガラ・パフォーマンスを装った内容でした。まず、河原忠之が、「こうもり」第二幕の冒頭の合唱部分をピアノソロで弾いて見せて、その雰囲気を示しました。河原のピアノは非常に優れたものですが、ここは本来の合唱で行ければもっとよかったのに、と思いました。

 高橋薫子のムゼッタのワルツは、高橋お得意の1曲。悪いはずがありません。ついで、郡愛子の「さらば森よ」は、ヨハンナの心情が伺える絶唱で良いと思いました。ホセとミカエラの二重唱は、全体的にべたっとした印象の歌唱。レガートを意識しているかもしれませんが、もう少し軽くまとめる方が私の好みです。

 佐藤・高橋の手紙の二重唱。これはいいものでした。二人のソプラノの美しい声が、微妙に交じり合って渦を作る。寄せては返す波のような印象の歌唱でした。大岩のルクヴルールのアリアは、大岩の意気込みはわかるのですが、歌唱は万全ではありませんでした。高音や聴かせどころはきっちりしているのですが、繋ぎの部分は傷があって、今ひとつだったと思います。

 水船の「花の歌」。雰囲気、情感とも十分で大変結構でした。ロドルフォよりもホセの方が、水船には似合っていると思いました。

 最後の「ばらの騎士」の三重唱ですが、これは今ひとつ。この曲は、「ばらの騎士」の最後で歌われるのですが、厚いオーケストラの音色の中、女声三部が美しく混ざり合うのが聴く醍醐味だと思います。残念ながらピアノの硬い音にはどうしても乗らない。河原が一所懸命雰囲気を醸し出そうとピアノを演奏しているのですが、本来のオーケストラの音の厚みをピアノで表現することは所詮無理な話です。そういう骨格の中での三重唱なので、どうしても音の混じりあいが今ひとつ不十分です。もっと柔らかく演奏してほしいと思いますが、そのためにはオーケストラを伴奏に用いないと難しいのかも知れません。

 アンコールはガラ・コンサートにつきものの「シャンパンの歌」。楽しく終わりましたが、ここもバックに合唱がほしいと思いました。なお、河原忠之のピアノ伴奏は特筆すべきもの。本当に上手でした。

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鑑賞日:200866
入場料:プレミアムエコノミー席 
12000円 3F R23

主催:(財)日本舞台芸術振興会/日本経済新聞社

ウィーン・フォルクスオーパー日本公演2008

オペラ4幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
フロトー作曲「マルタ」Martha)
台本:ヴィルヘルム・フリードリヒ

会場 東京文化会館大ホール

指 揮 アンドレアス・シュラー
管弦楽 ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団
合 唱 ウィーン・フォルクスオーパー合唱団
合唱監督 ミヒャエル・トモシェック
演 出 マイケル・マッカフェリー
舞台装置 ジュリアン・マクゴーワン
ドラマトゥルギー ビルギッド・マイヤー
     

出 演

レディ・ハリエット・ダーラム メルバ・ラモス
ナンシー ダニエラ・シンドラム
トリスタン・ミルフォード卿 マティアス・ハウスマン
ライオネル ヘルベルト・リッペルド
ブランケット アントン・シャリンガー
リッチモンドの判事 ヨゼフ・フォルストナー

感 想

数年ぶりに聴いた来日公演-ウィーン・フォルクスオーパー日本公演2008「マルタ」を聴く

 私は、日本のオペラ団体やオペラ歌手を応援していこうという立場の人間で、来日公演は滅多に聴きにいかないのですが、今回のウィーン・フォルクスオーパーの日本公演は、比較的安いチケットを入手できたこと、及び日本では滅多にやられない「マルタ」を上演するということから出かけてまいりました。「マルタ」は東京では、お茶の水女子大学が一度取り上げたことがあることと、日本オペラ振興会のオペラ歌手育成部が取り上げたことがありますが、本格的な上演は1953年の二期会公演以来55年ぶりです。私は当然、初めての実演視聴です。

 作品は、ロマンティックな田園喜劇で、全体を覆うのんびりした雰囲気は、音楽的にもストーリーも全然違うのですが、「愛の妙薬」にどこか通じるものがあります。判りやすい音楽とほのぼのとした雰囲気は、オペレッタの殿堂・ウィーン・フォルクスオーパーが取り上げるのにうってつけの作品と言えるでしょう。

 それだけに、演奏に雰囲気があります。アンドレアス・シュラーとウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団のコンビは取り立てて上手な演奏というわけではないのですが、ウィーン・ローカルとでも申し上げれば宜しいのでしょうか、独特の雰囲気があります。序曲の冒頭のアダージョの部分は、管楽器・弦楽器ともボロボロで、これでウィーンのオーケストラ?と目を疑いましたが、その後は尻上がりに好調になって行きました。オーケストラ奏者の個々の力量は特別感心するほどでもないのですが、アンサンブルの独特の雰囲気は聴かせます。そのような雰囲気・味こそが来日歌劇場を聴く楽しみなのでしょう。

 ただし、シュラーという指揮者舞台の統率力はそれほど強くない指揮者のようで、演奏は全体的に緩め。確かに田園喜劇ですからこれで良いのかもしれませんが、もっと締まったしゃきっとした演奏のほうがこの作品のよさが引き出せるのではないかという気が致しました。

 歌手陣は地力のある方を集めています。しかしながら、ルーチンの演奏があの程度なのでしょう。細やかな気遣いに欠けている演奏です。もっと丁寧に演奏すれば良いのに、と思う部分が何箇所もありました。

 メルバ・ラモスは、艶やかなリリコ・スピントの声を持った黒人系ソプラノ。一番の聴かせどころである「夏の名残りのバラ」(庭の千草)は大変素晴らしい歌唱でした。本当に力のある方のようで、音程はしっかりしているし、ヴィヴラートの振幅も小さい。しかしながら、注意の仕方が散漫というか、荒削りというか、歌唱の肌理が粗いのですね。もっと繊細に表情を作っていただければ、更に良いのに残念だなあと思いました。

 この繊細さ不足は歌手全体に共通しているように思いました。ナンシーを歌ったダニエラ・シンドラムもとても上手なメゾで、深い声ながらこもらず、艶やかなのですが、全体として肌理の粗い印象は拭えませんでした。

 男声陣も同様の印象です。ライオネルを歌ったヘルベルト・リッペルドは、軽やかなリリコ・レジェーロのテノールで、ライオネルの役柄にぴったりだと思いました。また第3幕のアリア「ああ、かくも汚れなく」も情感たっぷりで大変素敵でした。このように聴かせどころの歌唱は立派なのですが、それ以外のところでは、今ひとつ注意が行き届きません。そこが残念です。

 そういった部分部分の瑕疵が見えにくかったのがブランケットを歌ったバリトン、シャリンガーです。きっちり下支えをしており、好感を持てました。

 全体としては、肌理が粗く更に全体に緩めの演奏で、必ずしも私好みの演奏ではありませんでしたが、ウィーンの雰囲気漂う来日公演らしい演奏だったと思います。満足しました。

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