オペラに行って参りました−2004年(その2)−

目次

2004年 3月26日 ワーグナー 「神々の黄昏」
2004年 5月14日 モーツァルト「フィガロの結婚」
2004年 5月24日 ヴォルフ=フェラーリ「イル・カンピエッロ」
2004年 6月10日 マスカーニ 「友人フリッツ」
2004年 6月19日 高橋薫子ソプラノリサイタル
2004年 6月25日 ヴェルディ 「ファルスタッフ」
2004年 7月 2日 ビゼー   「カルメン」
2004年 7月19日 リヒャルト・シュトラウス「インテルメッツォ」
2004年 7月23日 モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
2004年 8月 7日 ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
2004年 9月 4日 ヴェルディ 「椿姫」
2004年 9月15日 マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」/レオンカヴァッロ「道化師」

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オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2004年3月26日
入場料:D席 6615円 4F 2列52番

平成15年度文化庁国際芸術交流支援事業

主催:新国立劇場/日本オペラ団体連盟
協力:日本ワーグナー協会

オペラ3幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲 楽劇「ニーベルングの指輪」第3日 「神々の黄昏」(Gotterdammerrung)
台本:リヒャルト・ワーグナー

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:準・メルクル  管弦楽:NHK交響楽団
合唱指揮:三澤 洋史  合 唱:新国立劇場合唱団/二期会合唱団
演 出:キース・ウォーナー  美術・衣装:デヴイッド・フィールディング
照 明:ヴォルフガング・ゲッペル  舞台監督:菅原多敢弘

出演者

ジークフリート クリスチャン・フランツ
ブリュンヒルデ ガブリエーレ・シュナイト
アルベルヒ オスカー・ヒッレブラント
グンター ローマン・トレーケル
ハーゲン 長谷川 顕
グートルーネ 蔵野 蘭子
ヴァルトラウデ 藤村 実穂子
ヴォークリンデ 平井 香織
ヴェルグンデ 白土 理香
フロスヒルデ 大林 智子
第一のノルン 中杉 知子
第二のノルン 小山 由美
第三のノルン 緑川 まり

感想

 遂に私のトーキョーリングは終りました。終ってみて、このオペラ史上最大の大作を、高度な水準で演奏して見せた新国立劇場の制作水準は、相当に上がっているのだろうと率直に思いますし、私個人にとっても、この一連の舞台上演を(従来の引越し公演でのリングは高額で手が出ませんでした)全て聴けたということは、非常に嬉しいことですし、自分にとってもエポックメイキング的なことだと思います。また、そこで生れた音楽が、「神々の黄昏」だけではなく、全体が非常に素晴らしかったという点でも、日本オペラ上演史に特筆すべき快挙であると思います。

 それにしても、準・メルクル/NHK交響楽団のコンビは最強と申し上げてよいでしょう。とにかくまず技術水準が高い。もちろん6時間もの長丁場ですから、問題が全くないということはないのですが、そういった演奏上の傷が少ないところは大したものです。また、ユニゾンで演奏するところでも音は濁らず、フォルテッシモでも音が濁らない所が凄いです。あまりにけれん味が無さ過ぎてそこが厭だ、という人も一杯いるのだろうなと思いながらも、やっぱり魅力的でした。「神々の黄昏」には、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」とか、「ジークフリートの葬送行進曲」といった、オーケストラコンサートでもよく取り上げられる間奏曲が演奏されるわけですが、こういった部分の立体的な音色は、流石にN響と申し上げざるを得ません。特に後者は、聴く側もそれなりに疲れている第三幕の半ばに出てくるわけですが、それでも注意が発散せず、聴きごたえのある演奏であったことを報告いたします。

 準・メルクルが才能であることを、彼がはじめてN響の指揮台に立った時から知っておりますが、今回もその感を新たにしました。この方、音楽設計が上手いと思います。音楽の流れを上手く作り出すことにたけており、その音楽のうねりは、ワーグナーの音楽の持つ本質的なものと共鳴しあって、聴き手をノックアウトするのではないかしら。私は、「神々の黄昏」初日の演奏において、何が素晴らしかったといった時、歌手たちの魅力溢れる声もさることながら、準・メルクルの音楽作りと、その設計図を高度な水準で具現化して見せたNHK交響楽団の演奏を上げることに何も躊躇いたしません。

 序幕の三人のノルン。ハゲヅラに眼鏡とマッドサイエンティストのような風体で登場しました。ここで、ウォーナーが持ち出すのが、お馴染みの映画のフィルムです。これを小道具にして、物語の粗筋を説明します。このなかで、歌が良かったのは緑川まり。ワーグナーを得意とする方だけあって、本日の日本人歌手陣の中では、別格の藤村実穂子に次ぐ力をみせてくれたと思います。中杉知子は特徴が不明確におもいました。小山由美は悪くはなかったとは思いますが、取りたてて良いとも感じられませんでした。

 ノルンがいなくなると現われるのが、ジークフリートとブリュンヒルデの夫婦です。後朝にブリュンヒルデの家から出てくる二人の衣装は、「ジークフリート」で使用された「スーパーマン」のTシャツで、「ジークフリート」と「神々の黄昏」の連続性を強調します。これだけではなく、演出は、過去との連続性が常に意識されており、今回だけ特別、という部分がなくなっていました。そのため、観客にしてみれば取りたててのサプライズもありませんでしたし、私個人にしてみれば、なるほど、こういう風に纏めて来たか、という感じでした。

 ジークフリート、ブリュンヒルデのフランツ、シュナウトのコンビは実に素晴らしいものでした。フランツは昨年も聴きましたので想像がある程度つきましたが、シュナウトは本当に感心致しました。本物のワーグナー歌手としての力量を見せたと申し上げて何ら問題がないと思います。どこまで行っても豊かな響き。高音での絶叫も金切り声にならずに音楽的に聴かせるテクニック、その上何度も歌っている役だけあって、役が身についています。序幕の「愛の二重唱」から第三幕の「ブリュンヒルデの自己犠牲」に至る迄、存在感が他を圧倒しておりましたし、オーラが出ていたと申し上げてもよいでしょう。

 フランツもよい。昨年の「ジークフリート」では、英雄になっていく過程が歌に表現されていて良かったと思ったのですが、今回は、どんどん駄目になっていく様子が、上手く表現されていてこれまたブラボーでした。第三幕の「森の小鳥の歌」に合せて過去を思い出す所でのうつろな表情などは、実に素晴らしかったと思います。

 話が前後になりますが、第一幕です。ギービッヒの大広間の壁(?)には、水牛かバッファロー(?)の絵が投影され、これが、ジークフリートが騙されて行くにつれて、二重にずれて行くという演出。グンターは白色の宝塚のタキシードのような衣装で登場。グートルーネもピンクのシャネル風スーツで明を象徴しているようです。反対にハーゲンは黒の衣装で悪巧みの象徴なのでしょうね。

 長谷川顕のハーゲンは、よく頑張っていたと思います。フランツ、シュナウトという本物のワーグナー歌手に対抗して、悪役を演じ切ったという点では、高く評価しましょう。表情もありましたし、心情告白も切実です。第二幕における、合唱をともなう軍隊召集の歌唱も良かったと思います。ただ、この方、地の底から登ってくるような暗い音色が出ない方なので、どうしてもフランツ、シュナウトと比較すると軽量級の感じになってしまう。巧いけれど、体重差でかなわないといったところでしょうか。

 グンターのトレーケルは、廻りに埋没した感じです。音楽的にそれほど重要な役柄ではないこともあって、見た目にはかっこいいのですが、音楽的な印象は薄いです。一方、蔵野蘭子のグート・ルーネ。頑張っていました。繊細な感じもあって良かったと思います。しかし、この重量級歌手の中では、基本的声の力に無理があるように思います。バランスという点で弱さを感じました。

 第一幕の後半は、ハーゲンのシナリオに乗せされて動く登場人物というコンセプトで進みます。その中で、特筆すべきは藤村実穂子のヴァルトラウデでした。シュナウトとのやりとりでも全然位負けしておりませんでしたし、「語り」の行き届いた歌いっぷりは、現役最高のワーグナーメゾとも称される藤村の力をはっきりと示しておりました。ブラヴァでした。

 「神々の黄昏」の舞台で、一番印象的なのは、「ラインの黄金」からお馴染みの扉の沢山ついた白壁です。第二幕ではこの白壁から畜肉処理場の人のような白い作業服に緑色の前掛けをした合唱団が登場します。ハーゲンの扇動に乗る合唱は、力強くて良いものでした。対抗する女性合唱は、グートルーネと同じピンクのスーツで登場。ウォーナーにとって、一見キャリアウーマン風の女性も、グートルーネの内面と同様、無知ながら鈍感ということなのでしょうか?

 第三幕のラインの娘たちは、思ったほど悪くなく、楽しめる歌唱でした。平井香織、白土理香、大林智子、それぞれ頑張っていたと思います。ただあの水着姿は、「ラインの黄金」の時のラインの娘たちとの対応でおもうと、一寸グロテスクなような感じを持ったのですか、ラインの娘たちも、リングの物語の進展と共に、変って来ていることを象徴したかったのかもしれません。

 「リング」4部作を通じて、ウォーナーは歪みの解消という方向性で描いて見せたようです。「ラインの黄金」や「ワルキューレ」で見られた極端な歪みが「神々の黄昏」ではほとんどみられなくなっていたのが印象的でした。もう一つは映画との対応。彼は、映画の記憶をあちらこちらに散りばめて演出してきました。「神々の黄昏」では、具体的な作品を私は関係付けられなかったのですが、映画の連作的なイメージを取りこみたかったことは明白です。「スター・ウォーズ」のような映画の連作の大本は、恐らく「リング」4部作にあると思うのですが、東京の新しいリングが、そのような映画の表現の反映だとするならば、ウォーナーは、映画を反映させるというやり方で、リングの過去の演出との連続性を見せようとしたのかもしれません。 

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鑑賞日:2004年5月14日
入場料:B席 3000円 LB 1列21番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京室内歌劇場第36期107回定期公演

主催:東京室内歌劇場
共催:財団法人 目黒区芸術文化振興財団
協力:横浜シティオペラ

オペラ4幕・字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚」(Le Nozze di Figaro)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会 場 めぐろパーシモンホール 大ホール

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京交響楽団
合唱指揮:大島 義彰  合 唱:東京室内歌劇場合唱団
演 出:栗山 昌良  振 付:小井戸 秀宅
美 術:鈴木 俊朗  衣 装:岸井 克己  
照 明:山口 暁  舞台監督:金坂 淳台

出演者

伯爵夫人 佐々木 典子
スザンナ 菅 英三子
ケルビーノ 井坂 恵
マルチェリーナ 森山 京子
アルマヴィーヴァ伯爵 勝部 太
フィガロ 小鉄 和弘
バジリオ/ドン・クルツィオ 近藤 政伸
バルトロ/アントニオ 池田 直樹
バルバリーナ 小林 菜美
花娘 坂野 由美子
花娘 石原 知枝

感想

 東京室内歌劇場が「フィガロの結婚」をベーレンライター社の『新モーツァルト全集』版を用いて、通常行われるカットを一切行わないノーカット上演を行い、更に初演時の配役に合せて、バジリオとドン・クルツィオ、バルトロとアントニオをひとり二役でやるということを聞いたので、はるばるめぐろパージモンホールまで出かけてまいりました。18世紀にオペラがどのように演奏されていたか、私の知るところではありませんが、こういったやり方と,更に小さなオーケストラピットに8-6-5-4-2という小さな弦楽構成のオーケストラ(管は二管)を入れて演奏したところから、初演時期のモーツァルトの考えを出きるだけ忠実に再現したいという意図があった上演だと申し上げて良いでしょう。また、大きさが、座席が1000強のホールで上演したということも、「フィガロの結婚」の特徴を示すのに有効ではなかったか、と思います。

 若杉弘の音楽作りは、端正で且つ丁寧なもの。最近、モーツァルトは速め・軽めに演奏するのが流行のようで、特に序曲は当然のように速く演奏されることが多いように思うのですが、若杉は決して煽ることなく、着実なボウイングで一つ一つの音を明瞭に示すことを求めているように思いました。このテンポ感覚と方針は終始一貫しており、幕が上がってから急に遅いテンポに変ったり、アリアの部分だけリタルダンドをつけたり、という動かしをほとんどやらないので、その演奏の上品さが際立ちます。私の趣味からすると全体的に一寸重いかな、という気がいたしましたが、このようなオーソドックスで着実な音楽作りは悪いものではありません。これで、東京交響楽団がもう少し上手に演奏してくれれば文句無し、というところです。

 舞台装置は非常に簡単。ステージの中央に、方形の周囲よりも二段ほど高い舞台を置き、ここに小道具を持ち込んで、第1幕のフィガロが与えられる部屋、第二幕の伯爵夫人の部屋、第三幕の大広間、第四幕の庭園を示します。この舞台からオケピットに向かって階段が設けられており,この階段と舞台の左右から人が出入します。抽象的な装置ですが、衣装はごく普通のロココ風のもの。ストーリー理解の妨げになるほど極端に抽象的でもなく、といって時代を彷彿とさせるように具体的でもない、いかにも東京室内歌劇場的舞台であると思いました。

 歌手陣は明確に女高男低。特に良かったのはマルチェリーナ役の森山京子でした。彼女は三月の藤原歌劇団公演「アルジェのイタリア女」でも抜群の歌唱を披露したそうですが、今回もその好調さが維持されていたようです。柔らかくて篭らず響く声は、マルチェリーナの老嬢的性格を表現するには適当でないかもしれませんが、アンサンブルでも存在感を明確に示しておりました。また、今回の上演では、通常カットされることの多いマルチェリーナの四幕のアリア『雄山羊と雌山羊とはいつも仲がいい』も歌われたわけですが、この歌唱も抜群。感心いたしました。ちなみにこのアリアは、物語の筋とは直接関係ないのでカットされることが多いのでしょうが、歌の中身は「雄山羊と雌山羊はいつも仲良く御互いを裏切らない、しかし人間の殿方は、女性をつかまえる時は一所懸命だが、飽きると直ぐに不実になる」という『フィガロの結婚』の本質を衝いているもので、もっと演奏されても良いのではないかと思いました。

 井坂恵のケルビーノも溌剌としていて良い。「自分で自分がわからない」も「恋とはどんなものかしら」も端正でいて、それでいて雰囲気もあって良く魅力的でした。見た目や動きはやんちゃなケルビーノというより軟派なケルビーノという雰囲気でした。これまで何度も演じてきているだけのことはあって、要所要所の締め方が上手かったと思います。

 佐々木典子の伯爵夫人は、聴かせどころでの貫禄は抜群でしたが、そうでないところでは注意の行き届いていないところがありました。第三幕の「美しい思い出はどこに」は流石の名唱で、伯爵夫人の憂いを表現するのに抜群でしたし、スザンナとの「手紙の二重唱」の美しさも素晴らしいものがありました。しかしながら、第二幕の登場のアリア「愛の神様みそなわせ」は、声が十分乗っていなかったようで今一つでしたし、レシタティーヴォでも、ところどころ今一つのところが見うけられました。

 スザンナの菅英三子。本日の女声陣の中では明かに一番不調でした。後半は相当盛り返して来ました(例えば、手紙の二重唱)が、前半はこれがあの菅英三子の声かしら、と思えるほどのレベル。声自体があまり飛ばず、声量も十分出ていない感じでした。体調が悪かったのかもしれません。第四幕のアリア「恋人よ早くここへ」もあまり盛り上がりませんでした。「フィガロの結婚」のアンサンブルの要はスザンナですから、ここがしくじると全体の印象が悪くなります。しかしながら、彼女は技術でカヴァー出来る所はきちんと押さえて来るので、アンサンブルを破綻させることはない。その意味では役目を果たしているということなのでしょう。

 男声陣では、バルトロ池田、バジリオ近藤の両者が良く、フィガロ小鉄と勝部伯爵に一寸不満を覚えました。近藤政伸は良く見かける方ですが、私がこれまで見た彼の役柄は脇役ばかりで、アリアを聴いたのは初めての経験です。彼の歌った通常カットされる第四幕のアリア「ロバの皮一枚で」の歌唱はなかなか立派なものでした。池田直樹は、ブッフォ役として見た場合は、今一つ精彩に欠けていたと思うのですが、アンサンブルでの表現は流石。ベテランの味わいを感じさせてくれました。

 小鉄和弘の歌い方は首肯する分けにはまいりません。深みのある美しいバスで、もっているものは素晴らしいと思うのですが、歌に不自然な力が入っているようで、すっきりと抜けない。音楽の終り方や繋ぎに独特の癖があって、それが音楽の流れに棹さしているように思いました。勝部はむらがあります。かつてのブリリアントなバリトンの声も、ここ、あそこで聴くことが出来るのですが、適当に流している部分も多く、全体として見ればいま一つと申し上げるべきでしょう。第三幕の伯爵のアリアも十分とは言えず、私は感心しませんでした。

 アンサンブルについては、概ね良好だったと思うのですが、一部に仕上り不十分な部分があり、もう少しじっくりと練り上げたほうが良かったのではないかという気がいたしました。

 とにかくノーカット版「フィガロ」を初めて聴く事が出来ました。18時30分に開演して途中休憩が20分1回だけだったにもかかわらず、カーテンコールが始まったのが22時10分。長かったけれども楽しめました。歌手には色々と小さな不満があるのですが、若杉さんの音楽作りがよく、全体としては十分満足出来る演奏だったと思います。

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鑑賞日:2004年5月24日
入場料:C席 4000円 2F3列21番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

藤原歌劇団公演

主催:日本オペラ振興会

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴォルフ=フェラーリ作曲 歌劇「イル・カンピエッロ」(Il Campierro)
台本:マリオ・ギザルベルティ

会 場 新国立劇場中劇場

指 揮:ダニエレ・ベラルディネッリ  管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合唱指揮:及川 貢  合 唱:藤原歌劇団合唱部
演 出:粟國 淳  振 付:マリアーノ・ブランカッチョ
美術・衣装:パスクアーレ・グロッシ  
照 明:笠原 俊幸  舞台監督:大仁田雅彦/斎藤美穂

出演者

ガスパリーナ 川越 塔子
ドナ・カーテ 石川 誠二
ルシエータ 佐藤 亜希子
ドナ・バスクア 小山 陽二郎
ニェーゼ 高田 恭代
オルソラ 山崎 知子
ゾルゼート 所谷 直生
アンゾレート 党 主税
アストルフィ 折河 宏治
ファブリーツィオ 三浦 克次

感想

 2001年7月の藤原歌劇団公演「イル・カンピエッロ」は、小気味の良い上演で、私はおおいに楽しみました。その時、私は感想の最後に、

>イル・カンピエッロは、日本での本格的上演は二度目とのことです。今回4日公演で4000人の人がこの作品を知る事ができるわけですが、更に多くの人に知ってもらって良いオペラだと思います。近い再演を期待しましょう。

と書きました。そういう声が他にも多かったのでしょう。ほぼ三年ぶりの再演となりました。私は勇んで出かけたのですが、今回は特に若手中心のBキャストで聴くことにしました。というのは、「イル・カンピエッロ」は、しばしば日本オペラ振興会オペラ歌手育成部の終了公演で取り上げられ、このことはベテランの味わいよりも若手の溌剌さこそが、作品の魅力を引出すのに適当と思ったからです。

 その予測は、半分当たっていて、半分は間違っていたというのが率直な所。まず良かったのは、全体的に溌剌とした歌唱です。オーディションで選ばれた若手歌手が歌うわけですから、音程であるとか、リズム感であるとか基本的な所がしっかりとしており、最低限のレベルは十分クリアしています。そして、かつ、みなほとんど初主演のような方ばかりですから、一所懸命うたう。そのひたむきさを私は高く評価したいと思います。

 ただ、それが今回の公演の限界であった、とも言えると思うのです。これがベテラン勢の歌であったなら、プラスサムシングがある。今回の公演はそのプラスサムシングが見えてこなかったのですね。ですから、公演全体が非常に淡白な感じでした。指揮者とオーケストラは結構あざといこともやっているのですが、全体としては淡白。その淡白さをよしとするか、駄目とするかで、本日の公演の印象は相当に違う様に思います。

 私の個人的趣味は、もう少しコクのある演奏のほうが好みです。これは、三年前の公演の印象が強く残っているからでしょう。個別の歌唱ごとに比較すると全て前回がよいということにはならないのですが、全体で見れば、2001年の公演を凌駕出来なかったのかな、というのが素直な私の気持ちです。

 ガスパリーナの川越塔子。端正で且つクレバーな歌唱で水準の歌を聴かせて呉れたと思います。しかし、歌がすかすかで密度がないのです。高音部で声が細くなる所も要改善。演技も固く、カマトトぶりっ子の見せ方も今一つだったと思います。最後の聴かせどころ、「さよなら、愛しのヴェネツィア」も今一つ感情移入出来ない歌で、もう少し柔らかさがあればと思いました。三年前の高橋薫子の域に達するには、相当の研鑚が必要であると思いました。

 ニェーゼの高田恭代も今一つ。三年前の葛貫美穂は、硬質で軽いリリコ・レジェーロの声を駆使して、ニェーゼという役柄の特徴をくっきりと示したと思うのですが、今回の高田は、全体的にボケた印象で、いまひとつパッとしません。声の飛び方も今一つでしたし、メリハリの付け方も今一つ。ニエーゼという役柄の性格付けが曖昧で、全体に舞台に埋没した感じでした。「イル・カンピエッロ」はアンサンブル・オペラであり、プリマ・ドンナが主張するような作品ではないのですが、それぞれの役柄を個性的に示さないとつまらなくなってしまいます。彼女の場合は、歌の輪郭の示し方ももう少し工夫すべきであると感じました。

 一方割合良かったのがルシエータの佐藤亜希子。三年前の五十嵐麻利絵の大胆で突っ込んだ演技と比較すると、下品さが足りない感じでしたが、歌は良かったと思います。ソロもアンサンブルもきちっと纏めており、今回の女声陣ナンバーワンと申し上げましょう。

 山崎知子のオルソラ、若い方なのでしょうね。おばさんぽさの出し方が今一つ。何か元気がよすぎるのですね。その元気さがおばさん的元気さというより若さの表出に見えてしまうところが残念です。でも、男のオバサン二人に負けないだけの存在感を示しておりましたし、また声の抜けもよく、好演と申し上げて良いと思います。

 女装した二人の小母さん役、石川誠二と小山陽二郎、どちらもテンションが高かったです。男性が女装すると、実際にはそっちの気が無くてもテンションが上がるのでしょうね。三年前のコゾッティ・持木弘のコンビと比較すると、演技の切り込みがやや甘めでしたが、それでも十分な存在感を示しておりました。

 男声陣が今回は総じて快調。所谷直生ははじめて聴くテノールでしたが、中々の美声。一部高音を外した所もありましたが、全般には端正な歌唱だったと思います。今後の精進に期待したい所です。党主税のアンゾレートも長身を生かしたワイルドな演技と歌唱で魅力がありました。三浦克次のファブリツィオ。ベテランの味わい。流石に余裕があります。

 男声で私が一番評価するのが、折河宏治です。彼の歌は、昨年の国立音大大学院オペラではじめて聴き、その美声と声の密度に感心したのですが,今回も良好でした。歌のスタイルが端正で、騎士の雰囲気を上手に出しておりました。声もよく響きも軽やかで、このまま精進すれば、相当魅力的なバリトンになると思います。

 ベラルディネッリの指揮は、十分に音楽を御しきれていない様に聴きました。特に第1幕は相当ぬるい演奏。表情をきちっとつけて、迫ってくるようでいて、その音はどこかぼやけていて退屈なのですね。後半は音楽的な焦点が合い始めたようで、舞台と音楽が纏まって来て、それなりの効果が得られたと思います。特に第三幕はまずまずのレベルに達していました。

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鑑賞日:2004年6月10日
入場料:3780円 B3列12番

小劇場オペラ#13

新国立劇場小劇場-THE PIT

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
マスカーニ作曲 歌劇「友人フリッツ」(L' Amico Fritz)
台本:P/スアルドン

会 場 新国立劇場小劇場

指 揮:渡邊 一正  管弦楽:新国立小劇場オペラ・アンサンブル
演 出:高岸 未朝  美 術:西川 成美
衣 装:半田 悦子  照 明:山本 英明
舞台監督:佐藤公紀

出演者

フリッツ・コブス 小貫 岩夫
スーゼル 小林 菜美
ベッペ 山下 牧子
ダヴィッド 小林 由樹
フェデリーコ 青地 英幸
アネゾ 森田 学
カテリーナ 背戸 裕子

感想

 イタリア・オペラを聴く醍醐味を声の饗宴にあると信じている方にとっては、相当に聴き応えのある演奏だったと思います。300席の小劇場一杯に広がる声は、魅力的であったと申し上げるべきかもしれません。ただ、ヴェリズモ・オペラ嫌いを広言している私にとって、今回の「友人フリッツ」は、自分のヴェリズモ・オペラ嫌いを再認識させられた、そんな上演でした。「友人フリッツ」は、決してポピュラーな作品ではなく、日本初演ではないにせよ、ここ20年以上上演されたことのない作品ですが、それはまあ、仕方が無い様に思いました。

 ストーリーは典型的なボーイ・ミーツ・ガールの田園劇です。悪人も登場しなければ,ドラマティックなエピソードも無い。そういう作品なのですから、もっと軽やかな作品に仕上れば、含まれるメロディは決して悪いものではないのですから、それなりに楽しめたと思うのですが,オーケストレーションもアリアも決して軽やかではない。あんな単純な恋愛劇をドラマティックな音楽で包んでしまうと、非常に違和感を覚えます。これは、作曲家・マスカーニ先生の責任なのでしょうが,今回のチームの責任も少なくないように思います。作品の本質を見て、もっと軽やかにすっきりと纏めれば良かったと思うのですが,いかにもヴェリズモ調にまとめ、そこも私の好みとは相容れないものでした。

 渡邊一正の指揮がまた結構けれん味の強いもの。マスカーニの音楽を忠実に伝えていた、ということになるのでしょうが,何も泥臭くやらなくてもいいじゃないか、という感じでした。全然洒落ていない。オーケストラも基本的に重たいもので、ハーモニーも今一つと申し上げなければなりません。演奏が全般にこなれていない感じがいたしました。

 歌もあまり高く評価するわけにはまいりません。全般に声を張り上げすぎです。大きい声を聴くことが,オペラの醍醐味である事は否定いたしませんが,大きい声を出すと、その前後の音楽の制御が甘くなり、結果として緊張感が薄れます。結果的には、相当に泥臭い印象の強い演奏になったと思います。

 タイトル役の小貫岩夫は、全般的には若々しい歌で良好だったのですが,随所に細かい傷が認められ、気になりました。抒情的な表現に優れていたように思いますが,それがすっきりと抜けず,重苦しい歌になっていたのが残念です。特に後半は,小林菜美の歌に乗せられたのか,声を一段と張り上げ,結果として声の制御が甘くなっておりました。

 スーゼルを歌った小林菜美。力のある方だと思います。力強さと可憐さ、双方を適切に表現しようと努力していたように思いました。「友人フリッツ」が劇的な悲劇であれば,私は小林を絶賛したと思います。しかし、田園牧歌劇での力強いドラマティックな表現は,決して似合うものではありません。スーゼルは、お話の中では未だ10代の可愛らしい乙女の筈です。しかし、小林の劇的な表現は、スーゼルを清らかな娘として示さない。表面的には純情でもその後に見え隠れするしたたかさ。また、小林の演技も人工的で、何とも云えない違和感を覚えました。

 ダヴィッドの小林由樹。今回の歌手陣の中で一番評価出きると思ったのがこの方。なかなか良い声の持ち主で,響きの広がりも良い。前半は特に声のコントロールがよく、特に小林が冒頭のバラードを相当おっかなびっくり歌っていたこともあって、彼の良さが引き立ちました。しかし、第三幕は全体の熱気に当てられてしまって、声を張り上げ過ぎてしまい、泥臭さから逃げることは出来なかったように思いました。

 ベッペの山下牧子。ズボン役。「仮面舞踏会」のオスカルのような印象。このオペラの熱狂と、本来別の所にいる役だったこともあって、第一幕の「哀れな子供たち」、第三幕の「忘れられないあの人」ともにすっきりとした表現で中々良かったと思いました。

 それ以外の脇役陣。フェデリーコの青地英幸、アネゾの森田学、カテリーナの背戸裕子、どの方も水準の歌を披露して、よかったと思います。

 全体の流れにそって総合的な印象を大雑把に云えば、第1幕は出演者の皆さんが自分のポジションを確認し切れず,おっかなびっくり歌った感じ。しかし、全体に声の調子が良く、第二幕はコンビネーションの良い歌となりました。今回一番の聴きものはフリッツとスーゼルとのサクランボの二重唱だったと思います。第三幕はこの調子に乗りすぎて暴走した、と云ったところでしょう。

 高岸未朝の演出は、特段優れているものとは思いませんでしたが,悪くもない。オケピットを舞台の後側に置き,歌手と観客との距離を縮めるやり方は、前回の小劇場オペラ「外套」のやり方を踏襲したもの。これは悪くないやり方だと思います。

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鑑賞日:2004年6月19日
入場料:5000円 自由席

主催:高橋薫子後援会

後援:(財)日本オペラ振興会・藤原歌劇団

高橋薫子ソプラノリサイタル

会 場 王子ホール

ピアノ:河原 忠之

プログラム

ドナウディ どうか吹いておくれ Spirate pur, spirate
ああ、愛する人の O del mio amato ben
中田喜直 歌曲集「魚とオレンジ」(全曲) はなやぐ朝/顔/あいつ/魔法のリンゴ
艶やかなる歌/ケッコン/祝辞/ラクダの耳から
休憩
ドニゼッティ
歌劇「ランメルモールのルチア」より
アリア「あたりは沈黙に閉ざされ」 Regnava nel silenzio
アーン クローリスへ A Chloris
恋される人 L'Eamouree
グノー
歌劇「ロメオとジュリエット」より
ワルツ「私は夢に生きたい」 Ah! Je veux vivre
アリア「神様、何という戦慄が」 Dieu! Quel frisson
アンコール
アーン 我が詩に翼ありせば  
山本正美 ねむの木の子守唄  

感想

 高橋薫子を聴きはじめて10年以上になります。かつてはリリコ・レジェーロの軽妙な声と確実な技巧で、モーツァルトやベルカントオペラで、その魅力が最大に発揮されて来た訳ですが、ここ2-3年は、年齢的な影響もあるのでしょうが、最高音がやや苦しくなってきた一方で、中音域の密度が上がり、昔よりロマンティクな表現に秀でてきているようです。彼女のリリコ・レジェーロの声の魅力でファンになった私としては、一抹の寂しさを感じずにはいられませんが、ひとりの歌手のレパートリーの変化をじっくり眺めることは、これはこれで楽しみなことであります。

 今回のコンサートのプログラムは、最近彼女が好んで取り上げている作品の集合です。ドナウディは、音楽史上重要な作曲家ではありませんが,音楽を志す学生にとっては必ず通り抜ける作曲家です。技術的には特別難しいところが無い作品ですが、高橋のふくよかな中音で聴くと、作品の魅力がひきたちます。

 中田喜直もよく取り上げますが、「魚とオレンジ」は、初めてだと思います。「魚とオレンジ」は、中田の代表的な歌曲集で1985年出版。作詞は阪田寛夫です。阪田の軽妙な詞とそれにマッチした中田の曲が揺れる女心をヴィヴィッドに表現している素敵な作品です。ところで、日本語の歌をソプラノが歌うことは、本質的に難しいのではないか、というのが私の直感的な意見です。日本語の持つ波長と高音がもつ波長は基本的に同調しないのではないか、と思うのです。したがって、曲は聞こえても歌詞が聴き取れないということがしばしば生じます。そういう構造的な問題点をどのように折合いをつけるか、というのがひとつの聴きどころです。その点、本日の高橋は、中低音を上手く使って、表現の幅を広げる、ノンビブラートの素直な歌唱で、歌詞を明確に歌う、等の作戦で、相当善戦したな、と思います。特に女性の心理表現の巧みな阪田寛夫の詞を、微妙な表現の膨らみで、陰影をもって表現した所は素晴らしいものでした。一方で,高音部の激しい表現では、歌詞がほとんど聞き取れませんでしたし、声がかすれて十分でなかった所もありました。そういった部分を検討して解決し、再度聴かせて頂けきたいと思いました。

 後半のルチアのアリアは、流石に自家薬籠中のものです。安定した表現で、安心して聴くことが出来ました。このような歌を聴くと、音域の問題はあるにせよ、高橋のベルカント・オペラを又聴きたいと思います。

 続いてのアーンの作品。アーンは1875年ベネズエラに生れ、1947年にフランスで亡くなった近代フランスの作曲家です。歌曲に才能を発揮した方だそうで、生涯104曲の歌曲を残しているそうです。ロマン派の残照とも言うべき甘美で伸びやかな旋律が特徴的です。高橋がアーンを取り上げたのは、本年5月の国立でのコンサートが最初です。今回も前回と同じ作品を取り上げていますが、作品への向き合い方が、自分の中で決ったようで、前回よりも豊かな表現になっていたように思いました。

 「ロミオとジュリエット」のアリア。最近の高橋の柱です。しょっちゅう歌っているだけあって、歌い方が固定されてきています。特に「ジュリエットのワルツ」は、どこでどのように表現するかについて、完全にインプットされており、ずれがほとんどありません。まさに「おはこ」とでも呼ぶべき、素晴らしい歌唱でした。そして、「神様、何という戦慄が」のドラマティックな表現も、彼女の表現として固まってきたようです。非常に素晴らしいものでした。

 アンコールは、先ほどのアーンの13歳の時の作品と、皇后陛下が歌詞をお書きになったという歌曲。すっかり力が抜けて、よい歌でした。

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鑑賞日:2004年6月25日
入場料:D席 5670円 4F 1列38番

主催:新国立劇場

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲 歌劇「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:ダン・エッティンガー  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮:三澤 洋史  合 唱:新国立劇場合唱団
演 出:ジョナサン・ミラー  美術・衣装:イザベラ・バイウォーター
照 明:ペーター・ペッチニック  舞台監督:大澤 裕

出演者

ファルスタッフ ベルント・ヴァイクル
フォード ウラディミール・チェルノフ
フェントン ジョン・健・ヌッツォ
医師カイウス ハインツ・ツェドニク
バルドルフォ 中鉢 聡
ピストラ 妻屋 秀和
アリーチェ スーザン・アンソニー
ナンネッタ 半田 美和子
クイックリー夫人 アレクサンドリーナ・ミルチェーワ
ページ夫人メグ 増田 弥生

感想

 「ファルスタッフ」はヴェルディの最後の作品にして最高傑作ですが、本当に演奏家を選ぶ作品だと思います。実力のある演奏家が本気を出したとき、この作品の持っている輝きを絶妙なまでに示しますが、中途半端な人たちが演奏した時、出てくる表現も今一つです。今回の新国立劇場の公演、初日を見ました。これから段々と練られて行くとは思いますが、どこか錬度の足りない演奏だったと思います。個別に見ていけば、非常に素晴らしい方もおられたのですが、全体としては一寸物足りない、そのような演奏でした。

 その最大の責任は指揮者のエッティンガーに背負って貰わなければなりません。彼は、細心の注意を払ってこの名曲をコントロールしようとしていたことは間違いないようです。音の切れもよく、ところどころでは,長年この作品に親しんできた私でも、ヴェルディが期待した演奏はこういうものだった筈だ、と目から鱗が落ちるような、素晴らしい部分が何箇所もありました。しかしながら、全体として見た場合、それほどよかったという印象が無いのですね。これは多分、「ファルスタッフ」という音楽の枠組を、指揮者自身が消化していないことの表れのような気がするのです。

 言うまでも無いけれども、「ファルスタッフ」は、徹頭徹尾ドラマです。ヴェルディもドラマに奉仕するように音楽を付けていると思います。だからこそ、この作品は、指揮者が徹底的にコントロールして、トーンを定めた演奏にし、歌手たちもその音楽のトーンに合せて歌うのべきであるように思います。そういう観点で見た場合、昨年5月の群馬交響楽団東京公演における高関健の指揮のほうが、今回のエッティンガーよりも音楽の求心力が高かった点で評価出来ると思います。

 歌手は、総じて上手でした。しかしながら、「ファルスタッフ」を演奏する、という観点で見たとき、そのスタイルが妥当かどうかという点で、疑問符がつく方たちがいらしたように思います。

 まず、タイトル役のヴァイクル。良い声で響きも通り、品格のある歌で大いに感心いたしました。この作品の聴きどころの一つである「名誉のモノローグ」も第三幕冒頭の「世の中泥棒だ」も素晴らしいものでしたし、その他のアンサンブルも存在感が抜群でした。しかしながら、彼は立派過ぎます。目を閉じて聴いていると、ファルスタッフを聴いているのではなくてザラストロを聴いているような錯覚を覚えたほどです。ファルスタッフは元上流階級に属していたが、今や落ちぶれてしまった悪党ですから、もう少し下品な所があっても良いように思いました。

 チェルノフのフォードも好演いたしました。第2幕のモノローグは、感情の爆発という意味では、もう少し劇的な表現をしたほうがよいのかな、という気がしましたが、あういう一寸抑え気味の表現の方が、保守的で嫉妬深い性格を明確に示しているようにも思いました。今回の公演の中でひとりだけ歌手を選ぶとするならば、私はチェルノフを選びます。

 バルドルフォとピストラの二人は文句無し。どちらも主役級の方々で力がありますから、この程度の役柄は、お茶の子さいさい、なのでしょう。中鉢、妻屋ともに、楽しんで演奏していたようですが、特に中鉢は、女装役が楽しくて仕方がないように見受けました。

 フェントンのジョン・健・ヌッツォ。これは今一つ。美声ですし、見栄えもよくフェントンというキャラクターにぴったりでした。しかし歌のトーンが統一されておらず、どこか密度の薄い演奏になっておりました。相方のナンネッタ役・半田美和子も美声ですし、頑張りもよく分かるのですが、彼女も歌のトーンが統一されていないという点でジョン・健・ヌッツォと同様です。この若い恋人の組み合わせは、群響の時の、福井敬、澤畑恵美のコンビと比較すると、今一つであったことは間違いない所です。

 女声陣で今回一番評価したいのはクィックリー夫人のミルチョーワです。彼女の「挨拶」の表現は,なんとも言えないおかしみがあります。こういう演技を見ると、日本人歌手をクィックリー夫人役から外されるのも仕方が無いのだろうなと思わずにはいられません。

 アリーチェ役のスーザン・アンソニーは悪くないと思いますが、特段印象に残った部分はありませんでした。メグを歌った増田弥生、初の本公演で緊張していたにも拘らず、ちゃんとした繋ぎでアンサンブルの要をしっかり押さえていただきました。

 アンサンブルに関しては、よく揃えて来ているとは思いましたが、まだまだ粗削りのところが多く,改善の必要性が認められます。特に女声陣に問題が多く認められました。最後のフーガも感動的まとめではあったのですが、ちょっとぼやけた感じがありました。これは回を重ねることによりもっと精度が上がるようになると思います。

 ミラーの演出。割とオーソドックスな表現で良かったと思います。ファルスタッフのような演劇的要素の大きい作品では前衛的演出よりもオーソドックスな演出が似合うように思います。

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鑑賞日:2004年7月2日
入場料:D席 5670円 4F 1列32番

主催:新国立劇場

オペラ3幕・字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲 歌劇「カルメン」(Carmen)
台本:リュドヴィク・アレヴィ/アンリ・メイヤック

会 場 新国立劇場オペラ劇場

指 揮:沼尻 竜典  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱指揮:三澤 洋史  合 唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:杉並児童合唱団
演 出:マウリツィオ・ディ・マッティーア  装置・衣装:ジュゼッペ・クリゾーニ・マラテスタ
振 付:マリアーノ・ブランカッチョ  照 明:磯野 睦  舞台監督:斎藤 美穂

出演者

カルメン ナンシー・ファビオラ・エッレラ
ドン・ホセ ヒュー・スミス
エスカミーリョ チェスター・パットン
ミカエラ 大村 博美
スニガ 長谷川 顕
モラレス 青山 貴
ダンカイロ 今尾 滋
レメンダード 市川 和彦
フラスキータ 大西 恵代
メルセデス 片桐 仁美

感想

 新国立劇場の「カルメン」と私は、どうも相性がよろしくないらしく、過去2回行われた公演はどちらもチケットを購入しながらも、ドタキャン。本日遂に聴けたか、と思いきや、予期せぬアクシデントで第二幕は半分ほど聴き損ねました。まあ、仕方がないのですが、一寸残念です。それにしても「カルメン」は傑作です。芸術性で言えば、俗っぽいところが多々あって、手放しと言うわけにはいかないのですが、聴き手を楽しませるという点では、最初から最後までほとんど退屈する部分がない。これは大したものです。こんなことは当然かもしれませんが、1年4箇月ぶりで「カルメン」を聴くと、そんな当然のことも強く感じます。

 演奏の全体の印象を一言で申し上げるならば、まとまっている演奏、と申し上げてよいかもしれません。演出と音楽とのバランスがよく、演奏者に特別な下手糞も、特別に上手な方もいない。結果として筋の通った纏った演奏になっていたと思います。ここは、沼尻竜典の手腕と申し上げてよいのでしょう。彼の指揮ぶりは、割りとおとなし目で(勿論演目がカルメンですから、唯おとなしいわけではないのですが)、きちっと手綱をしめてコントロールした演奏でした。そのため、全体の見とおしがよく、バランスのとれた演奏になっていたものと思います。東フィルの演奏も良好で,金管は細かな事故もありましたが、前奏曲や間奏曲の木管のソロ、即ち、フルート、オーボエ、クラリネットはどれも中々の好演で楽しめるものでした。

 しかしながら、手放しで褒める気になれないのは、主役のカルメンの声が、私の趣味とは一寸違うことによるためです。エレッラという方,顔立ちがラテン系でエキゾチック、大柄で踊りもそれなりに見られるレベル、とカルメンを演じるのに外観的には十分なのですが、いかんせん、歌に色気を感じさせない。言いかえれば、悪女のオーラがない。本来カルメンは、登場のアリアである「ハバネラ」で、ホセや竜騎兵ばかりではなく、男性観客の心もつかまなければいけないのですが、持ってまわったような歌い廻しで、こちらにストレートに響くものがないのです。「セギディーリヤ」もそう。歌の相が明確でなくて、なぜ、ホセがあの歌で心を奪われてしまうのか、分りません。

 一方で、見た目にはカルメンの雰囲気をよくだしている方だったので、重唱部分や踊りの部分は魅力がありました。第二幕冒頭の踊りや、「花の歌」前後のホセとのやりとり、終幕の殺されるシーンなどは、魅力的で良かったと思います。

 対するホセ。こちらは雰囲気がよく出ていたと思います。登場したときから颯爽とした印象はありませんで、どこかボーッとしていてカルメンに騙されそうな雰囲気を感じさせました。この雰囲気は、どんどん落ちぶれて行く「ホセ」という役柄にフィットしていて良かったと思います。歌も、声を張り上げて大向こうを唸らせるようなものではありませんでしたが、正確な歌で、自分の位置を上手く押えながら歌っているなという印象でした。「花の歌」のリリックな表現が魅力的で感心いたしました。

 エスカミーリョを歌ったパットン。痩身の黒人で、見た目がかっこいい。第3幕での闘牛士の登場のシーンなどは、オペラ歌手みたいではなかった。ただ、声についてはよく分かりません。上に書いたアクシデントで「闘牛士の歌」を聴けなかったものですから。

 大村博美のミカエラ。この役柄は、彼女の持ち味とずれているように思いました。大村の声はよい声だと思うのですが、響きが低めで落ちついた印象を与えます。その結果、印象的な響きの音域が、カルメンとそう違わないのですね。勿論見た目は、情熱的なカルメンと清楚なミカエラという対比は成立しているのですが、声に関する限り、その対比がきっちりと見えてこない。また、歌自身もビブラート過剰気味で、ミカエラという役柄とは合わないと思いました。そういう違和感を覚えながらも、第3幕のアリア「何を恐れることがありましょう」には感心いたしました。

 それ以外の脇役はおおむね好演。スニガの長谷川顕は、余裕の歌で、それでいながら、出過ぎない演技で良かったと思いますし、モラレス役の青山貴は、若々しい歌いっぷりでよく、冒頭のミカエラとのやりとりなどは、若い青年士官と年増のやりとりみたいに聞こえて、一寸可笑しかったです。ダンカイロの今尾滋、レメンダードの市川和彦も十分。フラスキータの大西恵代は、まだ若い人ですが、カルメンの仲間のジプシーの悪女ぶりを雰囲気的にもよく表わしていましたし、「カルタの歌」のアンサンブルでも聴かせてくれました。メルセデスの片桐仁美は、一寸変な歌い廻しのところもあったのですが、全体的には悪くなかったと思います。

 合唱の爆発ぶりはそれなりに、竜騎兵の交替における児童合唱はかわいらしくてよかったです。

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鑑賞日:2004年7月19日
入場料:B席 4000円 2階2列22番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京室内歌劇場第36期108回定期公演

主催:東京室内歌劇場

オペラ2幕・字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲 歌劇「インテルメッツォ」(Intermezzo)
台本:リヒャルト・シュトラウス

会 場 新国立劇場・中劇場

指 揮:若杉 弘  管弦楽:東京交響楽団
演 出:鈴木 敬介  美 術:大沢佐智子
衣 裳:小野寺佐恵  照 明:鈴木 尚美
舞台監督:幸泉 浩司

出演者

ロベルト・シュトルヒ 多田羅 迪夫
クリスティーネ 釜洞 祐子
ルンマー男爵 近藤 政伸
アンナ 若槻 量子
公証人 竹澤 嘉明
公証人の妻 青木 美稚子
楽長シュトロー 松浦 健
商工業顧問官 藪西 正道
法律顧問官 有川 文雄
宮廷歌手 平野 忠彦
料理女ファニー 村松 桂子
マリー 山咲 史枝
テレーズ 佐々木 理江
レジ 柏原 奈穂

感想

 「インテルメッツォ」は、昔一度録音で聴いたことがあるのですが、繰返し聴きたいと思うような作品ではありませんでした。音楽全体は、いかにもリヒャルト・シュトラウスなのですが、アリアらしいアリアはなく、魅力的なメロディーはオーケストラには与えられていても、歌手には与えられていない。要するに詰まらない、と思いました。しかし、今回の日本初演を目にすることが出来て、まさに「ナーンだ」です。音楽自体は相当に凝った作りをしているようですが、「歌劇を楽しむ」という観点でいえば、難解な点は全く無く、寧ろ下世話なワイドショーを楽しむように、楽しんで見ることが出来ました。「オペラは舞台を見なければわからない」、オペラをよく見る方たちが皆おっしゃることですが、今回の「インテルメッツォ」は、正に舞台を見て楽しむ作品でした。

 それにしても、シュトラウス先生は、相当に悪意の強い方の様です。主人公の夫役である宮廷楽士長に、リヒャルト・シュトラウスのもじりと直ぐに分かる「ロベルト・シュトルヒ」と名づけ、このシュトルヒ先生は、妻にてこずりながらも愛していて裏切ることがないという、夫の鏡のような方で聖人君子という設定にする、一方で、宮廷楽士長の妻は高慢ちきで、思い込みが激しく、周囲から嫌われている、という設定にする。こうすることにより、実生活でも自分は善人で罪のない人間で、妻こそが悪妻である、と主張したかったに違いありません。

 しかし、この高慢ちきなクリスティーネを釜洞祐子が演じると、あら不思議、全然嫌味な女にならない。寧ろ可愛らしいくらいです。物凄い焼餅焼きなのですが、その焼餅焼きの部分すら可愛い。ロベルトが、廻りから「あんな妻」、と言われながらも、妻を愛しつづけている訳が文句なく納得出来ます。釜洞は、初め、コロラトゥーラ・ソプラノとして名を挙げた方ですが、最近は、歌唱力に加えて演技力を求められる役柄に良いものが多いような気がします。例えば、新国立劇場での「光」におけるホアン役。今回も、細かい演技や表情に味があって、半分ぐらいは怒りとそこから派生する演技ですが、気品が失われることがありません。あくまでも可愛い妻。この釜洞の計算の行き届いた演技と歌唱は、高く評価されるべきでしょう。

 この釜洞の名演からすると、多田羅迪夫は、演技はまだしも、歌唱は今一つと申し挙げざるを得ません。どことなく無理がある。声が明かに割れた所もありましたが、そういった明確なトラブルだけではなく、今一つ自然な感じが足りないように思えました。二期会でハンス・ザックスを歌った時の伸びやかな雰囲気が消えていたのが残念でした。こうは書いたものの、演技・歌唱を含めたトータルでは十分合格点だと思います。直情径行で、それでいながら脇の甘い妻を包み込む包容力は、きちっと示していました。

 甘ったれの青年貴族・ルンマー男爵を演じた近藤政伸もなかなかの好演でした。男爵の自堕落な雰囲気を出す所は、詰めが甘いかな、と思いましたが、結構ストレートな若々しい歌唱で、この間の抜けた敵役(というほどでもないか)を上手に造形していたと思います。また、女中アンナ役を演じた若槻量子も中々の好演。声の力こそ釜洞には劣りますが、可愛らしい雰囲気と、歌っていない時も含めた見事な演技は十分に称賛に値します。脇が締まると舞台が締まる好例だと思いました。

 その他、楽長シュトローを演じた松浦健、公証人役の竹澤嘉明、カードのシーンにしか出て来ないけれども平野忠彦など、印象的な方が多く居ました。

 若杉弘の音楽作り。決して満点では無かったと思います。勿論、相当の難曲です。全てがレシタティーヴォで進み、音の入りや合せが自然で、よく聴いていてもどこがどこだかよく分かりません。そういう自然さを完璧に出ていたか、といえば、それは違うかもしれない、というのが私の印象です。勿論、日本随一のリヒャルト・シュトラウス弾きが指揮をしているのですから決して悪い筈はないのですが、第一幕では、オーケストラの音が劇場の広さを越えていると思えた所が、何箇所かありました。そういう私も第二幕は文句なし。一幕の生硬さがすっかり影を潜め、シュトラウスのドイツロマン派の最後の爛熟の音が、魅力的に迫ってきます。正に尻上がりによくなった演奏でした。

 この作品が「インテルメッツォ=間奏曲」と呼ばれるのは、申すまでもなく、場面の切り替えを間奏曲でつなぐという手法によります。この間奏曲こそ、この作品でシュトラウスがもっとも心血を注いだ所のようです。場面転換の度に演奏される間奏曲は、前のシーンのクライマックスを受けて始まり、次ぎのシーンの前奏曲として終る所に特徴があるようです。このような作り方は、恐らく映画のカット割に影響を受けています。オペラは一般に場面転換がむつかしいものです。実際に写実的に描きたくても、舞台の制約上そう細かな場面展開が出来ない。シュトラウスは、間奏曲で繋ぐという手法で、この細かい場面展開を可能にし、ある意味退屈なストーリーを、面白く見せました。

 この音楽的特徴を忠実に舞台として再現したのが鈴木敬介の演出です。鈴木は何枚かの壁と小道具を巧みに組み合わせて、ロベルトの居間やら客間、ルンマー男爵の下宿、公証人の部屋からスキー場まで写実的に描いて見せます。間奏曲を演奏している間の時間を上手く使って、具体的に場面を次々と転換して見せる。これこそ、シュトラウスの目指していたものなのだろうな、と素直に思うことが出来ました。

 本年の日本のオペラ界は、リヒャルト・シュトラウス・イヤーで、それなりに高水準の舞台が続きましたが、幾つかの不満を残しても、その最高は今回の「インテルメッツォ」ということになるのではないでしょうか。

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鑑賞日:2004年7月23日
入場料:D席 5000円 4階L3列19番

平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

東京二期会オペラ劇場

主催:財団法人二期会オペラ振興会

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会 場 東京文化会館・大ホール

指 揮:パスカル・ヴェロ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:二期会合唱団  合唱指揮:松井 和彦
演 出:宮本 亜門  装 置:ニール・パテル
衣 裳:前田 文子  照 明:デーヴィッド・ランダー
舞台監督:大仁田 雅彦

出演者

ドン・ジョヴァンニ 宮本 益光
騎士長 長谷川 顕
ドンナ・アンナ 増田 のり子
ドン・オッターヴィオ 高野 二郎
ドンナ・エルヴィーラ 腰越 満美
レポレッロ 久保 和範
ツェルリーナ 砂田 恵美
マゼット 山下 浩司

感想

 舞台の上に置かれた装置は、ニューヨークのグランドゼロをイメージした風景。テロによる破壊後の世界での魚色です。ドンナ・アンナの家のものは、騎士長、ドン・オッターヴィオを含めて、陸軍の軍人、あるいはマフィアですし、ツェルリーナとマゼットは、麻薬中毒の不良。ドン・ジョヴァンニも売れないホストのようですし、レポレッロも売れないお笑い芸人のようでした。

 出てくる小道具もいかにも現代。「カタログの歌」で使われるカタログは、紙の巻物や手帖である訳がなく、携帯電話のメモリーで、それに怒ったドンナ・エルヴィラは、レポレッロの携帯を取り上げて放り投げてしまいます。ドンナ・エルヴィラが登場する時に持っているスーツ・ケースには、ステッカーが一杯貼ってあって、いかにも旅行者という感じです。ツェルリーナは自転車に乗って登場すれば、第二幕フィナーレの前の宴会で食べる物はケンタッキー・フライド・チキン、といった具合です。

 ドン・ジョヴァンニが騎士長を殺すとやってくるのは、テレビ局のクルーですし、最後にドン・ジョヴァンニは石像と共に奈落の底に落ちるのではなく、騎士長と関係すると思われるギャングにピストルで撃ち殺されます。テロとドラッグとガンとマスコミとファーストフードという現代社会の特徴をこれ見よがしに示すことにより、「ドン・ジョヴァンニ」に登場する人物たちの精神的不安を現代の不安と同調させて見ようというのが、演出の宮本亜門の趣旨だったようです。

 現代を意識するならアメリカ、というのはわからないではないですが、「ドン・ジョヴァンニ」の舞台は本来スペインです。だからこそ、「カタログの歌」でスペインから遠い順に、トルコでは91人、ドイツで231人、イタリアで640人、スペインで1003人という歌詞になる訳ですが、今回の上演で、ブラジルでは91人、メキシコでは231人、カナダでは640人というう風に変わってはいませんでした。勿論聴き手にイタリア語が堪能な人は僅かしかいないでしょうから、歌詞を変えなくても演出家の主張は十分伝わるということなのでしょうが、アメリカに焦点を合わせるためにも、歌詞まで見直す必要があったように思います。

 オペラにおいて、演出の意図は十分尊重されるべきですが、それを支えるのは勿論音楽です。宮本の意図したヴィヴィッドな演出に対して、パスカル・ヴェロの作り出す音楽は、端的に言えば、おざなりなもので、全く聴きごたえの無いものでした。「ドン・ジョヴァンニ」の音楽が本来もつデモーニッシュな力も全く感じることが出来ませんでしたし、現代的な冴えも感じられない全くの凡演でした。オーケストラの纏りも今一つでした。私がこれまで聴いてきた「ドン・ジョヴァンニ」の中で、最も詰まらない演奏であると断言します。

 そういう伴奏に合せて歌うわけですから、歌手も総じて精彩がない。みんな音楽的には一応の水準で歌っているのですが、それ以上の突っ込みに欠けるのです。宮本益光のタイトルロール。声はいいですし、音程も正確で、声もそれなりに伸びており、決して悪くはない筈なのですが、物足りない。それは恐らく、ドン・ジョヴァンニのもつ色気というか凄みというかが感じられないからです。ツェルリーナに迫る部分などは、本来もっとデモーニッシュな声でがんじがらめにしていかなければならないと思うのですが、軟派の不良が女の子を引っ掛ける様な感じです。「セレナード」も上手いのですが凄みに欠けます。演技は、演出家の方針に基づいてよくやっていたように思いますが、その分歌への注意が削がれたということなのでしょうか。

 レポレッロの久保和範。悪くないと思います。ひとつひとつきちっと処理して、正確な歌を歌って好ましい。しかし、上に「売れないお笑い芸人」と書いたようにどこか物足りない。ドン・ジョヴァンニとレポレッロは、本来表裏一体ですし、今回の宮本演出では積極的にホモセクシュアルとして描いているのですから、その方向でもっと突っ込んだ演技や歌唱があったほうが良かったのではないかと思います。

 増田のり子のドンナ・アンナ。一所懸命の歌唱で好感を持ちました。二期会の本舞台に初めて立ったチャンスに精一杯歌おうとする心意気を感じました。第2幕のアリア、特に良かったです。

 腰越満美のドンナ・エルヴィーラ。こちらは今一つ。特に登場のアリアから始まる第1幕の歌唱は、高音部はしっかりと決めて、持ち前の凛とした歌声が響いて美しいのですが、中低音部がカスカスでした。第二幕は、調子が復活したようで、中声部や内声部もしっかりと密度のある歌唱となり、よかったと思います。

 高野二郎のドン・オッターヴィオ。これ又今ひとつ。私はドン・オッターヴィオはレジェーロ系のテノールが歌う役というイメージが強いのですが、高野二郎自身の持つ声が一寸重く、そこに先ず違和感を覚えました。また歌唱技術の点でも、第2幕のアリアの下降音型の処理など聞き苦しい所が幾つかありました。

 ツェルリーナの砂田恵美。この方の歌は、非常に人工的。正確だと思いますし、声は美しく、そこそこ飛んでも来るのですが、砂田恵美の息遣いをを感じさせない歌でした。まるでマイクを通した声を聴いているようでつまらない。「お手をどうぞ」の二重唱も、「ぶってよマゼット」も「薬屋の歌」も、鎧で覆われているような歌で、私は評価するわけにはまいりません。

 結局、音楽に求心力が無い。個別の歌はそれなりに良かった所もあるのですが、音楽に求心力がなく、音楽と演出との連携も今一つの為に、全体として聴きごたえのない演奏に終ったものと思います。

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鑑賞日:2004年8月7日
入場料:D席 5000円 4階L8列2番

ラ・ヴォーチェ主催

オペラ2部3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲 歌劇「ランメルモールのルチア」(Lucia di Lammmermoor)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会 場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:ステファノ・ランザーニ  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢
演 出:ヴィンチェンツォ・グリゾストミ・トラヴァリーニ  装 置:2002年10月新国立劇場
美術・衣装:アルフレード・トロイージ  照 明:磯野睦
舞台監督:菅原多敢弘

出演者

ルチア 出口 正子
エドガルド 佐野 成宏
エンリーコ 堀内 康雄
ライモンド 久保田真澄
アルトゥーロ 中鉢 聡
アリーザ エレナ・ベルフィオーレ
ノルマンノ 樋口 達哉

感想

 オペラは総合芸術ですから、奇抜な演出を楽しむのも、美しい衣装を楽しむのも、それはそれでよいのですが、まず第一に「音楽」であることを忘れたくないと思います。本日のラ・ヴォーチェのルチアは、特別評判になった訳ではない2002年10月の新国立劇場の舞台をそのまま利用し、演出の点では特に目新しいものでは無かったのですが、そこに流れる音楽が十分に聴きごたえのある演奏だったため、全体の印象は非常に良いものとなりました。やっぱりオペラは音楽、もっと言えば「歌」です。

 この成功の第一の功労者は指揮者のランザーニだと思います。彼はスカラ座のヴァイオリン奏者から指揮者になった方だそうで、イタリアオペラを得意にされている方です。特別な才気を感じさせる何かがある方ではありませんが、歌手が歌い易いようにするにはどうすべきかという方法論をきちっと身に付けている、職人タイプの指揮者で、どう盛上げていくかという方針が明確です。要所要所で管楽器を思いっきり鳴らし、テンポも平気で動かします。しかし、それはオペラを盛上げて行くための手段です。

 結果として、舞台上の息遣いとオーケストラの息遣いとがシンクロして、音楽全体が盛りあがって行きます。東フィルの演奏もまた上手です。細かなミスは認められるのですが、全体の音楽の流れはランザーニの意図を反映して、盛りあがりへのクレッシェンドが成立しています。これで歌手が良ければ十分に観客を興奮させられる、そういうお膳立てが出来あがりました。

 実際の歌ですが、ランザーニのお膳立てを十分使用出来たか、という点になると一抹の不満が残ります。

 まず、外題役の出口正子が衰え始めている、ということです。多分10年前であれば、彼女が日本一のルチア歌いだったのでしょうが、さすがに一寸苦しい部分があります。全体としては、十分メリハリのある歌なのですが、中声部にワウワウする所があって、締まらなくなっていますし、高音部の声量も今一つです。登場のアリア「あたりは沈黙に閉ざされ」で特にそれを感じました。また、全体的に出口の表現は、ルチアという悲劇のヒロインの持つ運命的な悲哀を示すには、一寸ドラマティックな力に欠けているような気が致しました。一方、「狂乱の場」でも前述の問題点はあったのですが、流石に聴かせ所だけあって、出口もミスを最小限にして歌い切りました。切れ味鋭い硬質の「狂乱の場」ではなく、柔らかい表現で、必ずしも私の好きなタイプの歌唱では無かったのですが、よかったと思います。それにしても、「狂乱の場」はソプラノの晴れ舞台ですね。オペラグラスで出口の表情を観察しながら聴いていたのですが、すっかり狂女になり気った出口にはオーラがありました。

 一方男声陣には、今上り調子の歌手の勢いを十分に堪能させて頂きました。

 まず佐野成宏が抜群に良い。登場したときはさほど感じなかったのですが、どんどん力の入った歌唱になって行きました。登場のアリアはさほどでは無かったのですが、ルチアとの二重唱「燃える吐息」で存在感をアピールし、第2幕のフィナーレではますます存在感がまし、第3幕第1場のエンリーコとの二重唱は、テノールとバリトンとがお互いの力をぶつけ合って火花を散らす好演。最後の自殺のシーンでのアリアは正に出色のものでした。佐野は結構波のある方ですが、評判の良いアルバレスの歌唱にも触発されたのでしょう、本日は実に素晴らしい歌を聴かせてくれたと思います。

 堀内康雄のエンリーコ。音程のとり方で必ずしも納得出きるとは言えない部分もあったのですが、立派な演奏をしたと思います。彼も登場のアリアは、あまり良いとは思えなかったのですが、尻上がりに調子を上げて行ったと思います。先述の第三幕第1場のエドガルドとの二重唱での存在感、実によかった。

 久保田真澄のライモンドも素晴らしい。要所要所での久保田のバスは、場面の変化に非常に効果的でした。声量もあり、存在感も十分感じさせて下さいました。中鉢聡のアルトゥーロも中々のもの。登場のアリアの甘い響きが良かったです。

 全体として「声」の魅力を堪能出来た上演でした。第2幕のフィナーレ、エドガルドが登場するシーンから幕切れのストレッタまでの音楽の流れと声の力。歌手達お互いがそれぞれ触発されながら盛り上がって行き、実に聴きごたえのある演奏になっていました。

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鑑賞日:2004年9月4日
入場料:自由席 3500円 1階6列29番

新宿区民オペラ10周年記念公演

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」(La Traviata)
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ

会 場 新宿文化センター 大ホール

指 揮:横島 勝人  管弦楽:新宿オペラ管弦楽団
合 唱:新宿オペラ合唱団  合唱指揮・副指揮:大浦智弘/久世武志/小澤和也
演 出:園江 治  美 術:淡路公美子
舞台監督:八木清市

出演者

ヴィオレッタ 生野 やよい
アルフレード 小澤 慎吾
ジェルモン 木村 聡
フローラ 渡海 千津子
アンニーナ 田村 ゆき子
ガストン子爵 山川 高風
ドゥフォール男爵 安藤 常光
ドビニー侯爵 中西 勝之
グランヴィル医師 大野 隆
ジュゼッペ 白石 康祐
使者 今井 俊輔

感想

 「どくたー、生野やよい、って若いけれど日本では数少ない本物のスピント歌手ですから、一度聴いてみるといいですよ」と、ある方にいわれて、それを目的に新宿区民オペラに出かけてまいりました。市民オペラは随分久しぶりに聴きます。市民オペラは、技術的に様々な方が出演しますから、粗を探せばいくらでも探せるのですが、全体を通しての感想は、決して悪くないものでした。若い歌手達の頑張りに拍手を贈りましょう。

 お目当ての生野やよい、いい歌手だと思いました。まず、長身で痩身、目鼻立ちが派手で舞台に映える。オペラ歌手は歌に魅力があることが一番重要ですが、見栄えが良いに越したことはありません。その点で、この方、ひとつアドヴァンテージがあります。そして、声に力がある。やせた姿から、あのような強い声で歌われると、「声帯を痛めなければいいけど」と、人ごとながら心配になるほどです。しかし、その凛とした歌声は、確かに一寸日本人歌手に思い当たる人はいません。非常に魅力的でした。

 歌がストレートで誤魔化しの無いところも気に入りました。妙なビブラートやもって回ったような歌い回しがなく、素直な歌い方は、若さの特権なのかもしれません。しかし、一方で歌に余裕が無く、豊さを感じさせるものではありませんでした。技術的には、ミスの隠しかたが今一つで、トラブルがそのまま表に出てきます。「ああ、そは彼のひとか〜花から花へ」における内声部の処理や下降音型の処理に問題がありましたし、「花から花へ」の最高音を歌わなかったのも減点でしょう。

 もうひとつ問題なのは、二重唱の情感の出し方です。「椿姫」で一番魅力的なのは、第二幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱ですが、そこの感情のこめ方が今一つで、ヴィオレッタの悲しみが聴き手に伝わって来ない。これは、バリトンにも問題があるので、彼女ひとりの責任には出来ないのですが、ソロの魅力がデュエットでは出て来ないのは一寸残念です。今後の精進を期待します。

 それでも私がこれまで聴いた日本人ヴィオレッタの中では、最も魅力的なひとりでした。硬質のくっきりとした歌声を大いに楽しみました。

 主役のヴィオレッタと比較すると脇役は一寸落ちます。小澤慎吾のアルフレード。若さが溢れ、声量もあり、それなりに良かったのですが、その良さが一貫していないのが残念でした。乾杯の歌は良かったのですが、「パリを離れて」の二重唱は、ヴィオレッタの魅力に完全に負けていました。ニ幕冒頭のアリアも私にはピンときませんでした。また、テノールとしては一寸くすんだところのある声で、単純素朴な田舎青年のアルフレードより、どこか腹に一物を持ったような役柄の方が似合っているのではないかとおもいました。

 木村聡のジェルモン。若い方の様で、ジェルモンの背負っているものを表現するのには一寸無理があるのかな、という感じでした。持っている声は決して悪いものではなく、なかなか説得力もあるのですが、どこか物足りない。上述のヴィオレッタの二重唱では、父親の悲しみをヴィオレッタに訴えきれなていない。にもかかわらず、ヴィオレッタがアルフレードと別れ様とする訳ですから、嘘っぽくなるのです。「プロバンスの海と陸」もいいのですが、どこかもうひとつ踏み込んだ表現がほしいと思いました。

 その他の脇役はいいでしょう。横島勝人が指揮する新宿オペラ管弦楽団は、なかなか良好でした。横島は、ヴェルディの音楽の持つ推進力を生かそうとする意識が明確な指揮で、音楽の魅力を十分引出していたと思います。オーケストラは、ベースとなる技量が所詮はアマチュアですから十分とは言えないですし、細かいミスは相当にあったようですが、音楽の流れにのって聴く分には気になるほど悪い演奏ではありませんでした。よく練習していたのではないかと思います。

 合唱。ほとんどがおじいさん・おばあさんでした。おばあさんが、舞台衣装のイブニングドレスを着て、歌っている姿をみると、市民オペラの良さを感じます。上手とはいい難いですが、練習の成果を舞台の上で発揮できて嬉しかったのではないでしょうか。

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鑑賞日:2004年9月15日
入場料:D席 5670円 4階R3列1番

新国立劇場主催

オペラ1幕・字幕付原語(イタリア語)上演
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(CAVALLERIA RUSTICANA)
台本:ジョヴァンニ・タルジョーニ・トッツェッティ/グイード・メナーシ

オペラ2幕・字幕付原語(イタリア語)上演
レオンカヴァッロ作曲 歌劇「道化師」(I Pagliacci)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ

会 場 新国立劇場・オペラ劇場

指 揮:阪 哲朗  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:新国立劇場合唱団  児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
合唱指揮:三澤 洋史
演 出:グリシャ・アサガロフ  
美術・衣装:ルイジ・ベーレゴ  照 明:立田 雄士
舞台監督:大澤 裕

出演者

カヴァレリア・ルスティカーナ

サントゥッツァ エリザベッタ・フィオリッロ
ローラ 坂本 朱
トゥリッドゥ アテイッラ・B・キス
アルフィオ 青戸 知
ルチア 片桐 仁美

道化師

カニオ ジュゼッペ・ジャコミーニ
ネッダ ジュリエット・ガルスティアン
トニオ ゲオルグ・ティッヒ
ペッペ 吉田 浩之
シルヴィオ ルドルフ・ローゼン

感想

 ヴェリズモ・オペラ嫌いを広言しているどくたーTです。何故嫌いか。まずは、オペラが全然リアリズムじゃないところですね。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、「嫉妬に狂って刃傷沙汰」というだけの作品ですが、そんなありふれた事件にマスカーニ先生は、ドラマティックな歌と非常に美しいメロディラインのオーケストレーションをつける。それ自体が私には「嘘っぱち」という感じがするのですね。「道化師」だってそう。嫉妬に狂ったピエロが、それを抑えて舞台に上がるのに、舞台の上で錯乱する、というのは、一寸幾らなんでもうそ臭いじゃないですか。いうまでも無いことですが、私はオペラに嘘があってはいけない、と申し上げている訳ではないですよ。話の中身と音楽にミスマッチがあるな、と思っているに過ぎません。

 作品の嫌らしさを、演奏で隠していただければ嬉しいと思っています。しかしながら、今宵の「カヴァレリア」は、作品の厭な面を積極的に示してくれた点で、私には納得行かない演奏でした。阪哲朗は才能の豊かな指揮者ですが、少なくとも「カヴァレリア・ルスティカーナ」には向いていないようです。まず、オーケストラの表情が豊か過ぎると思います。一般論ですが、ドイツオペラは、オーケストラと歌とが渾然一体となった時のほうが良い演奏になり、イタリアオペラは、オーケストラが伴奏に徹して妙にでしゃばらない方がいい演奏になることが多いと思うのですが、阪は自分を前面に出して、伴奏ではなく、自らの音楽を作ろうとしたようです。

 それは、多分にロマンティックなものでしたが、歌とぶつかってしまって上手く混じらない。私は、オーケストラの部分だけを聴けばそれなりに完結していると思うのですが、歌が入ると違和感を覚えてしまいました。

 「カヴァレリア」に関して言えば、歌手も納得いきません。サントゥッツァ役のフィオリッラは、音程も不正確でしたし、ヴィヴラートの振幅も広くてどうにも聴きづらい歌でした。ドラマティックな表現を意識していたのでしょうが、その部分だけが前面に出てサントゥッツァの感情が見えて来ないのです。だから、聴いていても舞台に惹き込まれないのです。

 キスのトゥリッドゥも今一つ。彼もどうオペラを盛上げて行くか、という点で考えのない方のようです。表情豊かで、いいものを持っている方だとは思うのですが、一本調子なのです。最初のシリチアーナも最後のアリアも、同じような泣きの入った歌で、その違いを表現しきれていませんでした。

 青戸知のアルフィオは、外人コンビと比べると首肯できる歌でしたが、アルフィオに向いていないようです。アルフィオはもっと男臭いぎらぎらした感じが出せる方がよいと思います。一方良かったのが片桐仁美のルチアです。最近片桐の出演するオペラを3度ほど聴きましたが、本日のルチア役が一番良かったように思いました。

 物足りなかった「カヴァレリア」と比較すると、「道化師」は抜群に良かったと思います。これはひとえにジャコミーニの素晴らしさでしょう。ジャコミーニを聴いたのは、藤原歌劇団の「アンドレア・シェニエ」以来のことでほぼ10年ぶりのことです。もう64歳ということで、かつての輝きを完全に維持しているとは言えないのですが、それでも貫禄です。ここぞというときの声は、何物にも替え難い素晴らしさがあります。「衣装を着けろ」がいかに素晴らしかったか。円熟の極致と申し上げましょう。久しぶりに背筋に震えがきました。これぐらい歌っていただければ、ヴェリズモ嫌いの私も文句なくシャッポを脱ぎます。歌った直後の拍手は1分以上あったと思いますが、当然だと思います。

 トニオのティッヒも、歌といい演技といい、良かったと思います。プロローグの口上からよく考えられた歌い廻しで、冴えておりました。トニオはある意味、「道化師」のキーパーソンですから、ここに人を得るとドラマが締まります。ジャコミーニの迫力とティッヒの冷静な雰囲気がコントラストになっており、バランスが抜群。ブラボーです。

 吉田浩之のペッペ。持ち前の美声を生かした端正な歌唱で、よかったです。ローゼンのシルヴィオ、他の実力者に挟まれて、特徴の出しにくい所でしたが、決して悪い歌ではありませんでした。

 ガルスティアンのネッダもよいと思いました。高音部が今一つでしたが中低音部の密度があって、なかなか魅力的です。「鳥の歌」、良かったとおもいました。

 阪哲朗の指揮するオーケストラも、「カヴァレリア」ほど独り善がりではなく、音楽全体としてまとまっていたのではないかと思います。ジャコミーニは素晴らしかったのですが、その歌唱に触発されてか、登場人物皆が求心的に歌って、全体として良く纏ったものになっていました。

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