オペラに行って参りました-2011年(その3)

目次

日本語で上演する意味 2011年6月18日  モーツァルト劇場「クレタの王イドメネウス」を聴く 
地元中心のガラコンサート  2011年6月22日  夢の饗宴-珠玉のオペラアリアの夕べ-を聴く 
前川スタイルの徹底という点ではよかったが、、、。  2011年7月2日  MMC 音演出Vol.2「ポッペアの戴冠」を聴く 
スピード&スペクタクル! 2011年7月6日  東京二期会オペラ劇場「トゥーランドット」を聴く 
感情移入のやり方 2011年7月9日  東京オペラ・プロデュース「ブリーカー街の聖女」を聴く 
心意気を賞賛しよう  2011年7月23日  南條年章オペラ研究室「夢遊病の女」を聴く 
故郷は遠きにありて思うもの  2011年7月30日  新国立劇場地域招聘公演・仙台オペラ協会「鳴砂」を聴く 
近さの魅力  2011年8月20日  小空間オペラVol.33「秘密の結婚」を聴く 
一番スリムなカルメン  2011年8月27日  第17回新宿区民オペラ「カルメン」を聴く 
60年ぶりの復活  2011年9月3日  首都オペラ「ミニョン」を聴く 


オペラへ行ってまいりました 過去の記録へのリンク

2011年    その1    その2               
2010年      その1    その2    その3    その4  その5    どくたーTのオペラベスト3 2010年 
2009年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2009年 
2008年    その1    その2    その3    その4      どくたーTのオペラベスト3 2008 
2007年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2007 
2006年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2006 
2005年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2005 
2004年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2004 
2003年    その1    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2003 
2002年    その    その2    その3          どくたーTのオペラベスト3 2002 
2001年    前半    後半              どくたーTのオペラベスト3 2001 
2000年                      どくたーTのオペラベスト3 2000 


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鑑賞日:2011年6月18日

入場料:B席 4000円 2F1列7番

主催:モーツァルト劇場

全3幕、日本語訳詞上演
モーツァルト作曲「クレタの王イドメネウス」 Idomeneeus, re di Creta ossia Ilia e Idamante)
台本:ジャン・バディスタ・ヴァレスコ
訳詞:高橋 英郎

会場 紀尾井ホール


指 揮 大井 剛史
管弦楽 モーツァルト劇場管弦楽団
合 唱 モーツァルト劇場合唱団
     
演 出 鵜山 仁
美 術 倉本 政典
衣 装    伊藤 早苗 
照 明 井口 眞
振 付  :  上田 遥 
舞台監督 北村 雅則
総監督  :  高橋 英郎 

出 演

イドメネウス  児玉 和弘
イダマンテ  田村 由貴絵
イーリア  品田 昭子
エレットラ 菊地 美奈
アルヴァーチェ 布施 雅也
大司祭 中原 雅彦
天の声 志村 文彦

感 想

日本語で上演する意味−モーツァルト劇場 「イドメネオ」を聴く

 モーツァルト劇場は、オペラの日本語上演にこだわった団体で、これまで、モーツァルトの主要なオペラ以外にも、ドビュッシーやトマ、オッフェンバック、プーランクといったフランス語系のオペラ・オペレッタの日本語上演を行ってきました。これは、主宰者の高橋英郎が東大仏文科出身で、モーツァルトだけではなく、フランスのオペラのリブレットにも興味があるということと関係があるのでしょう。

 そのモーツァルト劇場が今年初めて取り上げた作品が、モーツァルト中期の傑作オペラ・セリア「イドメネオ」です。イドメネオは、最近は日本でも上演される機会の増えた作品ですが、日本初演の時期は比較的遅く1964年で、この公演が星出豊のデビューでした。本格的な公演の最初は1978年の藤原歌劇団公演になりますが、この藤原公演は、高橋左近による訳詞公演でした。従って、今回のモーツァルト劇場の「日本語初演」というキャッチフレーズは、誤りと言うことになります。

 さて、かつては、日本ではオペラ上演は、日本語訳詞上演が当然だった時期が長く続きました。しかし、1986年、藤原歌劇団「仮面舞踏会」に於いて、字幕スーパーの技術が確立されますと、急速に日本語訳詞公演は減少し、今は、オペラは原語上演するもの、というのが当然になりました。これは、オペラの台本に日本語を載せる難しさがあったと思います。イタリア語やドイツ語と日本語とは、母音の数もアクセントのつけ方も全く違います。そこで、無理やり日本語歌詞をつけると、聴き手に理解してもらえないという問題がありました。それでも、1970-80年代の翻訳担当者は、どのようにして分かりやすい日本語歌詞を作れるか、と言うことを熱心に研究したのだろうと思います。

 しかし、その成果は余り芳しいものではありませんでした。それは当然のこと、と申し上げるしかありません。そして、字幕スーパーの技術が確立した後、積極的に日本語で上演する事例は減ってきました。わざわざ、日本語上演する意味はないのですから。その中で、モーツァルト劇場は、日本語上演にこだわってきました。勿論これは、主催者・高橋英郎の作品公開の場の意味がありました。私は、実験的な試みに対する発表の場が必要であるという考えには全面的に賛成です。

 しかし、今回「イドメネオ」を取り上げること、それも、高橋の新訳で取り上げることに、意味があったかという点ではかなり疑問です。オペラ・セリアは物語の内容や、音楽の構成から見て、日本語がことに乗りにくいと思います。そこにわざわざ、日本語を当てて見せること、ドン・キホーテ的所業と申し上げるべきでしょう。勿論、結果がついてくれば文句はありません。しかし、今回の高橋の翻訳は、耳に非常に分かりにくく、更に「イドメネオ」の音楽が持つ味わいを減殺していたように思います。モーツァルトのスポイルするためだけにあった、と言うのは言い過ぎでしょうか。

 歌手たちは皆頑張っていました。

 イドメネオ役の児玉和弘。低音部の抑えが今一つ利かないところがありましたが、高音部の透明な響きと伸びが素晴らしく、モーツァルトのオペラ・セリアの主役を十分にこなしていたと思います。

 イダマンテの田村由貴絵。イダマンテ自身は、この作品のキーロールですが、音楽的には決して恵まれているとは申し上げられないと思います。しかし、田村のイダマンテは存在感があり、悲壮感もしっかり漂わせ、響きもきっちりとコントロールされた大変素晴らしいイダマンテで、感心いたしました。

 イリアの品田昭子も上々。透明感のあるリリコ・レジェーロは、この方の特徴ですが、その声がイリアの歌に良く似合います。第一幕の冒頭のアリアが良く、第三幕冒頭の「やさしいそよ風は」は、乙女心の表出に成功していて大変結構でした。

 エレットラの菊地美奈も素敵です。菊地は声の特性から、4月の二期会公演のスザンナよりもエレットラの方が断然似合っています。そして、この方表情の入れ具合を見ても、女の情念に燃えておりましたし、エレットラの熱い思いを十全に表現していたと思います。

 更に、布施雅也のアルヴァーチェも結構。アルバーチェのアリアは、第3幕の1曲だけですが、これが絶妙。布施の歌は、彼が東京芸大の学生の時から聴いていますが、成長を嬉しく思いました。

 合唱もよく、全体的に纏まって、素敵なアンサンブルになっておりました。

 個々の歌手たちは以上のように皆素敵だったのですが、音楽としてまとめて見てみると、今一つ小さくまとまってしまったきらいがあります。「イドメネオ」という作品が内包しているパワーを感じられない、と申し上げたらよろしいのでしょうか。「イドメネオ」はある意味狂気のオペラです。その狂気の恐ろしさを観客に伝えることが重要だと思います。しかし、その狂気の部分が十分表現できなかった。勿論、それは指揮者の責任なのかもしれません。大井剛史の指揮は、あまり作品の特徴を引き出すものではありませんでした。

 しかし、私はそれが、「イドメネオ」を日本語のオペラにしたためではないか、と思うのです。音楽に日本語を載せることによって、作品の味わいを殺してしまっているのではないか。逆に原語上演すれば、もっとモーツァルトの考えや意図が、伸びやかに表現できたのではないでしょうか。今回の演奏を聴くと、日本語訳詞公演の難しさをつくづく感じます。やっぱり、字幕付き原語上演のアドバンテージがありそうです。

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鑑賞日:2011年622
入場料:A席 2000円 2F 24列40番

主催:立川オペラ愛好会

-立川をオペラの町に-
夢の饗宴
珠玉のオペラアリアの夕べ

会場:立川市市民会館(アミューたちかわ) 大ホール

スタッフ

司 会 牧野 正人  
ピアノ 河原 忠之  
公演プロデューサー 牧野 正人  


出 演/プログラム

 

出演者   

作曲者 

作品 

曲名 

1  森口 賢二(バリトン)  ロッシーニ  セヴィリアの理髪師  フィガロのカヴァティーナ 「私は町の何でも屋」 
2  宮ア 京子(ソプラノ)  プッチーニ  トスカ  トスカのアリア  「歌に生き、恋に生き」 
3   森山 京子(メゾソプラノ)
村上 敏明(テノール) 
マスカーニ  カヴァレリア・ルスティカーナ  サントゥッツァとトゥリッドゥの二重唱 「サントゥッツァ!、ここにいたのか」 
4  光岡 暁恵(ソプラノ)  ドニゼッティ  ランメルモールのルチア   ルチアのアリア「狂乱の場」  「香炉はくゆり」 
5  松本 薫平(テノール) プッチーニ  トゥーランドット  カラフのアリア  「誰も寝てはならぬ」 
6  砂川 涼子(ソプラノ))/
森口 賢二(バリトン) 
ヴェルディ  イル・トロヴァトーレ  レオノーラとルーナ伯爵の二重唱 「この涙をご覧ください」 

休憩      

7  牧野 正人(バリトン)  レオンカヴァッロ  道化師  トニオのプロローグ 「御免下さい、皆様方」 
8  森山 京子(メゾソプラノ) ロッシーニ  チェネレントラ  チェネレントラのアリア 「悲しみと涙に生まれ育ち」 
9  宮ア 京子(ソプラノ)/
牧野 正人(バリトン)  
ヴェルディ  アイーダ  アイーダとアモナズロの二重唱 「ああ、お父様」 
10  砂川 涼子(ソプラノ)  ヴェルディ  椿姫  ヴィオレッタのシェーナとアリア 「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」 
11  村上 敏明(テノール)  ドニゼッティ  ラ・ファヴォリータ  フェルナンドのアリア 優しい魂よ 
12  光岡 暁恵(ソプラノ/ジルダ)
森山 京子(メゾソプラノ/マッダレーナ)
松本 薫平(テノール/マントヴァ公爵)
森口 賢二(バリトン/リゴレット) 
ヴェルディ  リゴレット  第4幕の四重唱  「なんと美しい人」 
13  出演者全員  ヴェルディ  椿姫  乾杯の歌 「友よ、いざ飲み明かそう」 


感想

地元中心のガラ・コンサート-「立川をオペラの町に−夢の饗宴 珠玉のオペラアリアの夕べ」を聴く

 豪華さ、と言う点では、先月、多摩センターで行われた、「藤原歌劇団 日本オペラ協会 ガラコンサート2011」と比較すると若干見劣りすることは否めませんが、立川とゆかりの深い歌手たちが多数出演してのガラ・コンサートで、地元密着型のコンサートとしては、最高級のものと申し上げてよいでしょう。立川在住で、立川市民オペラとの関係も深い、牧野正人、宮崎京子、森口賢二に、来年立川市民オペラ「トゥーランドット」に出演する松本薫平と砂川涼子、今年の立川市民オペラの「カルメン」にタイトル役で出演した森山京子、日野出身で、大学は立川だった村上敏明、といった具合で、こちらも実力派目白押しです。

 公演プロデューサーが「藤原歌劇団 日本オペラ協会 ガラコンサート2011」と同様に牧野正人であるせいか、選曲が前回と同様、魅力的です。イタリア・オペラの名曲、ベルカント・オペラからヴェルディを経てヴェリズモ・オペラに至る、イタリアオペラの王道の名曲が並びました。更に、5月は出演歌手が多かったため、全員が1曲しか歌いませんでしたが、今回は全員がアリア1曲、アンサンブル1曲を最低歌って見せる、ということで、楽しめました。また、ピアノは名手・河原忠之。流石の伴奏の技量です。

 始まると、まず森口賢二が、会場中ほどのドアから登場します。フィガロの登場のアリアを軽妙に歌って見せました。この軽妙さこそが、森口の真骨頂なのでしょうが、私の個人的な趣味を申し上げれば、やや走り過ぎの感がありました。それでも5月は司会者としての出演で、彼の声を聴けなくて残念と思った身としては、嬉しいところです。

 次いで、司会役の牧野正人が登場。牧野は、今回のガラ・コンサートのプロデューサー兼司会として、八面六臂の活躍でした。考えてみますと、牧野と言えば、藤原歌劇団のトップバリトンとして、ここ20年程活躍してまいりました。「セヴィリアの理髪師」のフィガロも、リゴレットも私は勿論聴いたことがあるのですが、本日は、昔の得意役を若手の森口が歌います。森口は今年9月の「セヴィリア」にも出演するわけで、フィガロの新旧揃い踏みになったことになります。そこが、いいですね。

 宮崎京子のトスカ。宮崎は、オペラ歌手としての実力が、今回の出演者の中で一番劣ることは紛れもない事実なのですが、立川市民オペラのヴォイス・トレーナーとして、あるいは演技指導者として、市民オペラを支えている方だけあって、丁寧な表現で聴かせてくれたと思います。若干もたついた部分等があり、また、声の張りも十全とはいえないのですが、緊張感のある立派な歌でした。

 森山・村上の二重唱。凄いです。森山の低音の迫力が、サントゥッツァの怒りをよくあらわしており、そこに絡む張りのある村上の声。二人の声が絡んだ時の盛り上がりの凄さ。この饗宴こそが、イタリアオペラを聴く醍醐味と申し上げて良いでしょう。

 光岡の「ルチア狂乱の場」。一言で申し上げれば、狂乱の場のお手本のような歌唱。本当に素晴らしいと思います。唯一つ難を申し上げれば、中音部が立派過ぎる。楽譜的にも音楽的にも、光岡の歌い方で何の問題もないのですが、高音部での狂乱との落差がちょっと大き過ぎるように思いました。中音部で、もう少し上に踏み外した方が、オペラ的には(音楽的には正しくないとしても)、魅力が増したのではないかという気がします。

 松本薫平のカラフ。ヴィブラートが大きすぎます。村上敏明や福井敬の「誰も寝てはならぬ」を何度も聴いている身としては、満足いくものではありませんでした。

 森口と砂川涼子の二重唱。素晴らしいです。 砂川が殊によい。レオノーラの役は、砂川の声からすると、やや限界に近い領域だと思いますが、力強く抜群のテクニックで歌うところが凄いと思います。森口賢二のルーナ伯爵も立派。前半を締めくくるにふさわしい歌唱となりました。

 後半は、御大・牧野による「道化師」のプロローグ。これは先日、牧野による歌を三鷹で聴いたばかりの役です。来週は横浜で歌う予定ですから、悪いはずがない。しっかりした歌を聴かせて頂きました。

 森山京子のチェネレントラ。悪くはないのですが、今一つ。多摩センターで聴いた「アルジェのイタリア女」のイザベラのアリアよりは劣ります。早口についていけていないところがややあって、アジリダの切れが今一つ。また、跳躍した時の声が強すぎて、もう少し柔らかな着地が欲しいと思いました。

 宮崎・牧野のアイーダの二重唱。牧野の圧倒的な声の前では、宮崎の声は迫力不足が明白でした。

 砂川涼子のヴィオレッタ。勿論立派です。唯、1月に同じ曲を歌った砂川を聴いておりますが、私は、その時の方が良かったように思います。今回は、低音がやや荒れているように思いました。

 村上敏明のフェルナンド。何を申し上げる必要がありましょうか。流石に上手です。Bravoです。

 リゴレットの四重唱。光岡暁恵のジルダが、まず素晴らしい。骨格のしっかりした歌唱で、全く崩れを見せません。それに対して、松本薫平のマントヴァ公は、ヴィヴラートが利きすぎていてよろしくない。森山マッダレーナはベテランの味と申し上げるべきでしょう。森口賢二のリゴレットは、抑えた歌唱で、全体をしっかり支えていました。

 アンコールはガラコンサートお決まりの、「乾杯の歌」です。関西から来た松本薫平が口火を切り、村上に引き継がれます。砂川、森山、光岡と受け継がれるのも結構。楽しく終わりました。

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鑑賞日:2011年7月2日
入場料:自由席 3600円

主催:maekawa.mania.company(MMC)

音演出Vol.2

オペラ プロローグ付3幕を2幕に再構成(字幕つき原語(イタリア語)上演)
モンテヴェルディ作曲「ポッペアの戴冠」(L'Incoronazione di Poppea
台本:ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブセネッロ

会場:日本橋劇場(中央区立日本橋公会堂ホール)

スタッフ

音演出  :  前川 久仁子 
ピアノ  :  吉田 貴至 
照 明  :  石川 紀子 
舞台監督  :  池田正宣 


キャスト

ポッペア :  宮本 彩音
ネローネ :  今尾 滋
オットーネ :  鶴川 勝也
オッターヴィア :  諸 静子 
ドゥルジッラ :  竹村 明子
アモーレ :  堀江 真鯉男 


感想:

前川スタイルの徹底という点ではよかったが、、、。-MMC「ポッペアの戴冠」を聴く
 

 「ポッペアの戴冠」がどのようなオペラであるかを知らない方が聴いたのであれば、かなり高い評価を与えたのではないでしょうか。お話の中身はそれなりにすっきりとまとまっていましたし、歌も劇的な表現を皆、それなりにしっかりとやられていて、なかなかよくまとまった舞台であったことは間違いないところです。  

 前川久仁子は、このオペラの完全譜が無いことを踏まえてか、それ以外の理由もあったのでしょうが、休憩を含めれば、4時間は優にかかるこの作品を、15分の休憩を含めて、2時間10分強にまとめてしまいました。ほぼ半分の楽譜は演奏されなかったわけです。登場人物も大幅にカットされていて、重要なバス役の『セネカ』がまったく出てこないなど、存在それ自身まで切られた役がたくさんあります。

 そこまでしても前川はこの作品のドラマツルギーを徹底して集密化して、ひとつの音空間を作りたかったのでしょう。それはある意味成功したと思います。結構複雑でわかりにくい作品を、すっきりと見えやすくしましたし、構図はっきりさせたとは思います。

 ただ、それがよいことか、と申し上げれば、私は否定的な意見を述べないわけには参りません。私は、オペラのストーリーに比較的関係しないアリアをカットすることを必ずしもいけないことだとは思わないのですが、ここまで短くしてしまうと、もう、モンテヴェルディの目指していたものと、似て非なるものになってしまっています。

 たとえば、外題役のポッペアは、本来はもっと野心満々の悪女ですが、この前川バージョンを聴いていても、さほど悪女には見えないし、その悪のアピール力も強くありません。これは、ポッペアを歌った宮本彩音の技量に問題があるというよりは、前川のカットのやり方が、ポッペアの持つぎらぎらした側面を削いでしまった、というところがあるのではないかと思います。  もっと申し上げれば、今、この時点で、前川がここまでカットして「ポッペアの戴冠」という作品を上演しなければならない必然性が見えません。ご本人は「違う」とおっしゃるのでしょうが、今回のやり方は、モンテヴェルディへの尊敬の念がないように見えます。また、モンテヴェルディ研究成果や、17世紀の歌唱スタイルは全て無しにして、前川風に完全に変えることが、本当によいことなのか、という自己批判も見えない。

 以上、評価しがたい舞台ではありました。

 しかし、この舞台はあくまでもモンテヴェルディの名を借りた前川の舞台だと割り切ってしまえば、それなりに楽しめる舞台でした。特に今尾滋、鶴川勝也の二人の男声が魅力的です。今尾は本来バリトンですが、今回はテノール役に挑戦して、まずまずの高音の響きを聴かせてくれて存在感がありましたし、鶴川のオットーネも本来歌われる声部とは異なっておりますが、声の力に魅了されました。

 外題役の宮本彩音は、悪女の表現の淡白さに今後の課題を残したとは思いますが、歌唱そのものは、軽くよく伸びる高音が魅力的で結構だったと思います。

 諸静子の表現も淡白。本来のバロックオペラのオーセンティックな表現を目指すのであれば、諸の表現は悪くないと思うのですが、今回の前川演出の目指すところが、ヴェリズモの表現のようなところにあったように思うので、そうであれば、もっと踏み込んだ表現があってもよいのではないか、と思いました。

 竹村明子のドゥルジッラは、二幕後半の愛のアリアがよかったです。堀江真鯉男はカウンター・テノールの声を出してきてよかったのですが、もし、本当にカウンター・テナーで歌うのであれば、もっと歌の細かい精度を上げてほしいと思いました。

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鑑賞日:2011年7月6日
入場料:5階R2列11番 D席 5000円

平成23年度文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)

主催:公益財団法人東京二期会/財団法人読売日本交響楽団


東京二期会オペラ劇場

オペラ3幕 字幕付原語(イタリア語)上演

プッチーニ「トゥーランドット」(Turandot)
台本:ジュゼッペ・アダーミ/レナート・シモーニ
原作:カルゴ・ゴッツィフィナーレ
補作:フランコ・アルファーノ

会場:東京文化会館大ホール

スタッフ

指揮  :  ジャンルイジ・ジェルメッティ 
管弦楽  :  読売日本交響楽団 
合唱  :  二期会合唱団 
合唱指揮  :  佐藤 宏 
児童合唱  :  NHK東京放送児童合唱団 
児童合唱指導  :  金田 典子 
     
演出  :  粟國 淳 
装置  :  横田 あつみ  
衣裳  :  合田 瀧秀 
照明  :  笠原 俊幸 
振付  :  松原 佐紀子 
舞台監督  :  大仁田 雅彦 
公演監督  :  大島 幾雄 

キャスト

トゥーランドット姫  :  横山 恵子 
カラフ(王子)  福井 敬 
リュウ(ティムールに仕える奴隷)  日比野 幸 
皇帝アルトゥム  田口 興輔 
ティムール(退位したタタール王)  佐藤 泰弘 
ピン(大臣)  :  萩原 潤 
パン(大臣)  :  大川 信之 
ポン(大臣)  :  村上 公太 
役人  :  小林 昭裕 

感想

スピード&スペクタクル! -東京二期会オペラ劇場「トゥーランドット」を聴く。

  今回の上演は、2009年の神奈川県民ホールで上演した「びわ湖ホール/神奈川県民ホール」共催の「トゥーランドット」の焼き直しです。粟國淳のこの舞台は、2009年に見たとき、大変感心したのですが、今回2年ぶりで見て、やはり見ごたえのある舞台であると思いました。なんといっても現代を意識しながらも、そこに永遠、あるいは普遍なものを見ようとする姿勢が面白く思いました。

 一昨年の沼尻竜典の音楽作りは、デュナーミクをしっかりとった幅の大きな音楽で、しゃっきりした音作りは、このプッチーニの名作の現代性をよく示して秀逸だったと思いますが、今回のジェルメッティ/読響の演奏は、沼尻の演奏よりも、ずっと重厚なものになっていたように思います。ただ、重厚なだけではなくて、スピードの乗った重厚さ。もともと読売日響は、厚みのあるドイツ的な音響を得意とする楽団ですが、ジェルメッティというイタリアオペラの手だれが指揮することによって、一つ間違うと、すぐドイツっぽくなってしまうこの楽団を、イタリアのスポーツカーのような一寸華やかな味わいに料理してしまいました。

 演出が、現代を意識しているものですが、その演出の問題意識である現代的スピード感に対して、イタリアオペラらしいイディオムを注入することにより、ドイツ的重厚さとイタリア的声の魅力を上手く交じり合わせて、このオペラの持つスペクタクル的魅力が前面に押し出された演奏に仕上げたと思います。そのスピード感溢れる重厚な迫力が魅力です。

 この指揮者の持ち味に全く負けることがなく対応したのが、外題役の横山恵子。細かいことを申し上げれば、音を外したと思しきところが一箇所あったのですが、それ以外は、実に素晴らしいドラマティックな歌唱でした。日本人歌手がトゥーランドットを歌うと、どうしても声が限界に達して無理が出ることが多いのですが、さすがに日本人ドラマティック・ソプラノの第一人者。どこまで行っても、声に余裕があるのではないかと思わせる歌唱には脱帽です。

 また、横山だけが、オーケストラがフルに鳴らしたときでも、声をその上に乗せることができていました。文句なしにBravaです。

 福井敬のカラフは、手馴れた感じがして、さすが福井節といったところです。しかし、第一幕は、喉が十分に開いていない印象で、硬い感じがしました。一方、一番の聴かせどころである「だれも寝てはならぬ」は、さすが福井の歌唱、とでも言うべき名唱でしたが、正確さに一部欠けるところがあって、画竜点睛に欠く、感じでした。

 日比野幸のリュウは、とても美しい声なのですが、やや軽い声で、リュウに期待される強くて深い声は出せない感じです。フォルテシモでヴィヴラートがかかるところがこの方の限界なのでしょう。リュウの死「氷のような姫君の心も」ではオーケストラに負けておりました。ここで、オーケストラをねじ伏せて、リュウの愛と意志の強さを示すことができれば最高だったのですが。

 田口興輔のアルテゥムは、2年前の神奈川公演よりは響かない感じでした。会場の理由なのか、田口自身の衰えなのかはわかりませんが、もう少し、声が伸びてほしいと思いました。  佐藤泰弘のティムールは良好。佐藤はいつもよい、というタイプの歌手ではないのですが、たまにとても魅力的な歌を聴かせます。今回は素敵なほうの歌唱でした。

 ピン、ポン、パンの三大臣は魅力的。ただ、テノールの一人が途中で声のバランスが悪くなったのが残念でした。

 小林昭裕の役人は声量不足。冷酷な役柄で、この方の一声がトゥーランドット姫の冷酷さをさらにアピールするので、もう一声強い声がほしいところです。

 以上、歌手陣には若干の弱さが認められたものの、指揮者、オーケストラ、主役が文句なく素晴らしく、カラフ、リュウにもそれなりの人を得たことが成功の秘訣だろうと思います。Bravaを申し上げるべきだろうと思います。


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鑑賞日:2011年7月9日
入場料:B席6000円 2F2列29番

平成23年度文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
主催:東京オペラ・プロデュース
協力:(財)新国立劇場運営財団

東京オペラ・プロデュース 第88回定期公演

メノッティ生誕100年記念

オペラ3幕 字幕付原語(英語)上演
メノッティ作曲「ブリーカー街の聖女」“The Saint of Bleecker Street
台本:ジャン・カルロ・メノッティ

原語歌唱による日本初演

会場:新国立劇場中劇場

スタッフ

指揮  :  飯坂 純 
管弦楽  :  東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団 
合唱  :  東京オペラ・プロデュース合唱団 
合唱指揮  :  伊佐治 邦治/中橋 健太郎左衛門 
     
演出  :  八木 清市 
美術  :  土屋 茂昭
衣裳  :  清水 崇子 
照明  :  稲垣 良治 
ヘア・メイク  :  星野 安子 
舞台監督  :  佐川 明紀 
プロデューサー  :  竹中 史子 


キャスト

アンニーナ    橋爪 ゆか 
ミケーレ    羽山 晃生 
ドン・マルコ    工藤 博 
デジデーリア    田辺 いずみ  
マリア・コローナ    小野 さおり  
カルメーラ    鈴木 彩 
サルヴァトーレ    藤山 仁志 
アッスンタ    丸山 奈津美 
若い男/修道僧    藤原 海考 
若い女/修道女    前坂 美希 
バリトン歌手/修道僧    秋本 健 
ゲスト    西垣 俊紘 
バーテンダー    麻野 玄蔵 
コンチェッティーナ    小口 あずさ 
マリア・コローナの息子    家入 嘉数馬 
スピリッツ    石居 佑月 


感想

感情移入のやり方 −東京オペラ・プロデュース「ブリーカー街の聖女」を聴く

 恥ずかしながら、メノッティのオペラをこれまで一度も実演で聴いたことがありません。「アマールと夜の訪問者」や「電話」は小さいオペラ団体が時々取り上げるので、それほど珍しいものではないのですが、大掛かりにやられることがないので、なかなか上演の情報を見つけにくいということがあります。また、私のオペラの趣味がいわゆる「ベルカントオペラ」に偏っていて、そんな室内オペラを見に行くぐらいなら、ロッシーニやヴェルディを聴きに行けばいいや、と思っている部分がある。そんなわけで、メノッティとは縁が薄い。

 でも、メノッティと縁の薄い日本人オペラ好きは私だけではないようです。

 ちなみに、メノッティは生涯26曲のオペラを作曲しているそうですが、そのうち、日本で紹介されているのは、1950年以前に作曲された作品がほとんどで、それ以降に作曲された作品では、「助けて、助けて、宇宙人がやってきた」(1968)ぐらいです。ちなみに、メノッティは1951年以降に19曲のオペラを作曲し、最後のオペラ作品は1993年の「歌う子供」という作品なのだそうですが、私は全く知りませんでした。

 今回上演された「ブリーカー街の聖女」は、メノッティの8作目1954年12月に初演されたオペラ作品で、米国では、彼の代表作と目されているそうです。ちなみに、そのことも私は知りませんでした。こういう隠れた名作を上演するのが、東京オペラプロデュースの真骨頂で、大変ありがたいことです。

 ちなみに「ブリーカー街」はニューヨークのイタリア人移民街のようです。メノッティ自身がイタリア生まれの移民で、1928年に米国に移住したということが、この作品を作曲した背景にあることは疑いないことです。貧しい移民街で奇跡を期待する貧民たちに対し、期せずして奇跡のようなことを起こしてしまう聖女アンニーナと、その兄で、妹の信心を全否定する唯物論者のミケーレが、対立軸となって動きます。これは、日本とは違って、宗教心の厚い米国では、近代の相克として抜き差しならぬ問題だったことがあると思われます。

 導かれる音は、ブロードウェイ・ミュージカルのようなサウンドもありますが、そこまでアメリカっぽくはなく、プッチーニ風のイタリアオペラっぽいところもありますが、そこも徹底していない。そういうどっちつかずのようなところが、メノッティらしいということかも知れません。

 メノッティは、最終的には宗教心に思いを寄せて、アンニーナは死によって神のそばに向かうことを許したのに対し、神を否定したミケーレに対して孤独を当てるという形で解決策を示しています。そういう宗教性の強い作品だけあって、賛美歌の合唱がまず魅力的です。合唱は、東京オペラ・プロデュース合唱団の23人の男女および一部のソリストが参画していましたが、アカペラの合唱の美しさ、特に倍音の響きが素晴らしかったと思います。

 歌手陣では、まず主役の「アンニーナ」を歌った橋爪ゆかが素晴らしい。ほとんど出ずっぱりの役柄ですが、最後まできっちりした歌唱が魅力的でした。特に第一幕の長大なアリア「ああ、イエス様、この苦痛から私を救いたまえ」が秀逸。一幕二場のカルメーラとの二重唱や一幕ラストのミケーレとの二重唱もよかったです。役柄をよく考えた歌唱で、全体に落ち着いた密度のある歌唱でした。高音の伸びも低音の広がりも素敵で、大変感心いたしました。

 ミケーレの羽山晃生も立派。美声テノールではない方ですが、それだけに表現が多彩で魅力的です。声の持つ基本的な力量が高い方で、その点に関しては、今回の出演者随一と申し上げてよいでしょう。演技の基本的な緊迫感もよかったと思います。ただ、惜しむらくは、演出の指示だったのか、妙なオーバーアクションがいくつも見られて、そこは、そんな演技をする場所じゃないだろうと申し上げたくなる部分がいくつもありました。

 ドン・マルコの工藤博。さすがにベテランの魅力です。ただ、前半は声のつやが今ひとつ乏しい感じでした。後半はかなり持ち直していました。

 デジデーリアの田辺いずみ。よかったです。今回の上演の歌唱・演技を総合して、私は田辺に一番共感を覚えました。第二幕のミケーレに殺されるまでの緊迫した歌唱は、大変立派だったと思います。

 そのほかの歌手では、アンスッタ役の丸山奈津美がよく、カルメーラ役の鈴木彩もがんばっていました。

 なお、難を申し上げれば、英語がよく聞こえなかった方が多かったこと。メノッティは英語のイントネーションにあわせて作曲していると思うのですが、語尾が聞こえなかったり、アクセントのつけ方がおかしくて何を言っているのか理解できなかったりした部分がいくつもありました。

 オーケストラの演奏は、金管にミスが目立った感じでしたが、指揮の飯坂純はがんばっていたと思います。

 八木清一の演出は、回り舞台をうまく使って、合唱などの群集の取り扱いも見事で、スタイリッシュなもの。ただ、惜しむらくは、ミケーレにやらせた妙なオーバーアクション。そこをもう少し抑制して見せれば、本当に素敵な舞台になったと思います。

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鑑賞日:2011年7月23日
入場料:自由席 5000円 

主催:南條年章オペラ研究室

ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズ Vol.11
ベッリーニ全オペラ演奏シリーズ 第1回

オペラ2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演、ピアノ伴奏演奏会形式
ベッリーニ作曲「夢遊病の女」La Sonnambula)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:津田ホール

スタッフ

指 揮 佐藤 宏
ピアノ 村上 尊志
合 唱 南條年章オペラ研究室メンバー+賛助出演メンバー
字幕作成 南條 年章

出 演

アミーナ   平井 香織
エルヴィーノ   青柳 明
ロドルフォ伯爵   折河 宏治
リーザ   村瀬 美和
テレーザ    斎藤 佳奈子 
アレッシオ   青鹿 博史
公証人    琉子 健太郎 

感 想

心意気を賞賛しよう-ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズVol.11 ベッリーニ全オペラ演奏シリーズ第1回「夢遊病の女」を聴く

 南條年章が、若手オペラ歌手の研鑚集団として「南條年章オペラ研究室」を設立して21年目。「南條年章オペラ研究室」設立10周年を期して始めた「ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズ」も昨年10回目の節目となり、今年から新たなシリーズを始めることになりました。それが、ベッリーニ全オペラ演奏シリーズです。

 ベッリーニは申し上げるまでもなく、イタリアオペラの最高の時代である19世紀前半の、最も重要なオペラ作曲家の一人です。34歳で早世したため、残っているオペラは10作と少ないのですが、「カプレーティとモンテッキ」、「ノルマ」、「清教徒」と傑作ぞろいですし、作品の美しさは、論を待ちません。しかし、日本ではあまり取り上げられにくい作曲家であることも又事実です。日本で複数回上演されているのは、今回の「夢遊病の女」と上記の3作だけで、それ以外は、本会が2005年に「ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズVol.5における「ビアンカとフェルナンド」だけだろうと思います。残りの5作品は、日本では初演されていない。

 そういう作品群を取り上げていこうという心意気を、まず賞賛したいと思います。大きなオペラ団体だと、コスト的にも合わない作品群を、南條年章という一人のオペラ・コーチのもとに集まった門下生でやっていく、これも本当に素敵なことです。

 第1回目は、それでも比較的有名な「夢遊病の女」が取り上げられました。スイスの田舎を舞台にした田園劇で、何と申し上げても美しいアリアが魅力的な作品です。

 その美しい「プリマ・ドンナ・オペラ」を今回は、平井香織の魅力で聴かせたというのが本当でしょう。

 平井は、その元々の声の特徴なのか、あるいは年齢的な問題なのかは分かりませんが、声の芯が一寸弱い感じがするところがあって、何でもない中音部がすっと伸びきれない感じがする部分があったのですが、よく勉強されている方なのでしょう、歌唱技術、表情共に素晴らしい歌唱だったと思います。

 登場のアリア「今日は何て穏やかな日」の冒頭は、エンジンの調子を見ていた部分があって、必ずしも全開ではなかったのですが、カヴァティーナの後半からカバレッタの部分のコロラトゥーラが非常に見事で満足でした。そして、なんと申しても、フィナーレの狂乱の場の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいところがあります。徹底して柔らかい表情で、言葉一つ一つが紡ぎだされている様子がとても素晴らしい。こういう表現は、なかなか若い方には難しいと思います。平井ならではの魅力と申し上げてよろしいのではないでしょうか。

 平井と比べると、他は皆、格落ちです。技術的にも表現的にも平井の足元にも及ばないというのが本当のところでしょうか。例えば、リーザ役の村瀬美和がその一例でしょう。村瀬は、第二幕のアリアは無難にこなすのですが、役柄全体の位置づけが見えていない感じがあります。楽譜を歌わされているレベルと申しましょうか、妙に頑張ってみたり、一方で、ここぞというところに余裕がなかったり、今一つでした。

 斎藤佳奈子のテレーザも一寸あくの強い感じがします。確かに母親役ですから、あれぐらいのことをやっても勿論かまわないですが、平井の表現を中心に考えれば、もう少し抑えた表現の方が全体として纏まるのではないかと思いました。

 テノールの青柳明。例年申し上げておりますが、エルヴィーノを歌うには、本質的に力不足と申し上げざるを得ない。いっぱいいっぱいのところで歌っているのがよく分かります。平井アミーナとの二重唱、例えば、「そよ風にも僕は嫉妬して」などを聴くと、平井は技巧的ながらも柔らかい表現で、青柳をフォローしつつ歌っているのですが、青柳はとても平井の技術に合わせられないという感じがしました。ベル・カント・オペラを上演する以上、もう少しテノールに人が欲しい。切に思います。

 そんな中で、折河宏治のロドルフォが気を吐いていました。折河は何と言っても声が良い。声量のあるバリトンで、威厳のある表現は、伯爵の気品が感じられてよかったです。

 例年通り合唱は立派。合唱練習の時間などあまりとれないのでしょうが、それでもあれだけ聴かせるわけですから、基本的に力があるメンバーで歌っているということなのでしょうね。「夢遊病の女」は割合合唱の果たす役割の大きい作品ですので、良い合唱は嬉しいことです。

 「南條年章オペラ研究室」ような一私塾がベッリーニの全作品を上演する。大変なことです。今後も苦難があるとは思いますが、頑張ってほしいと思います。来年は、小林厚子主演で「海賊」とのこと、期待して待ちましょう。

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鑑賞日:2011年7月30日
入場料:C席2835円 2F2列71番

平成23年度新国立劇場地域招聘公演
主催:仙台オペラ協会/新国立劇場

仙台オペラ協会

オペラ2幕 原語(日本語)上演
岡崎光治作曲「鳴砂」
台本:岡崎光治
原作:菅原 頑

会場:新国立劇場中劇場

スタッフ

指揮  :  山下 一史 
管弦楽  :  仙台フィルハーモニー管弦楽団 
合唱  :  仙台オペラ協会合唱団/仙台放送合唱団 
合唱(現代の浜人たち)  :  Chor青葉有志 
合唱指導  :  岩渕 秀俊(Chor青葉)  
児童合唱  :  NHK仙台少年少女合唱隊 
児童合唱指導  :  姉歯 けい子 
演出  :  岡崎 光治 
演出補  :  渡部 ギュウ 
舞台美術  :  今野 芳明
衣裳  :  清水 崇子 
照明  :  斉藤 孝師 
虎舞  :  籾江道子モダンバレエ研究所 
振付    籾江道子/和田敦子 
舞台監督  :  石井 忍 
芸術監督  :  佐藤 淳一 


キャスト

ミナジ    佐藤 淳一
イサゴ    佐藤 順子 
ナギサ    工藤 留理子 
エテル    横山 いずみ
ジサク    鈴木 誠
トマ    遠藤 典子 
浜長    高橋 正典 
山伏    野崎 貴男 
黒い男    山田 正明 
イソスケ    後藤 均 
シオタ    佐藤 祐貴 
ナミロク    吉野 信雄 
ハマトウ    菊地 亮 
アマメ    松本 康子
アヤギ    相澤 優子 
タマモ    小野 綾子 
マツモ  :  菊池 万希子 


感想


故郷は遠きにありて思うもの −新国立劇場地域招聘公演・仙台オペラ協会「鳴砂」を聴く

 私は、オペラの実演を初めて鑑賞してから足掛け29年になり、その間鑑賞したオペラの総数は、500回を優に超えると思いますが、最初の1回目が仙台オペラ協会の1983年公演「赤い陣羽織」と「広島のオルフェ」でした。大学院生の時のことです。それ以来、海外のウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場から、観客が100人ほどの小劇場公演に至るまで、本当に色々なオペラ公演を見てまいりました。

 それでも最初が仙台オペラ協会であった、と言うことは自分にとって非常に重いもので、今も、市民オペラや地域振興性の高いオペラに比較的よく出かけるのは、その最初の経験が遺伝子として刷り込まれているからかもしれません。

 それだけに、今年の新国立劇場地域招聘公演が「仙台オペラ協会」であると知った時、非常に嬉しく感じました。と言うのも、これまで新国立劇場地域招聘公演で招聘を受けたオペラ団体は、地域のオペラ団体として、かなり目立った活動をしていたからです。最初の「ザ・カレッジ・オペラハウス」にはじまり、「広島オペラルネサンス」、「関西二期会」、「札幌室内歌劇場」と、どれも、私が注目し、一度は聴いてみたいと思っていた団体ばかりです。その次に「仙台オペラ協会」が選ばれた、と言うだけで、地域の活動を高く評価されたものと思うのは当然です。

 また、今回は、東北地方太平洋沖地震による大震災の影響がありました。この震災は東日本大震災と呼ばれ、被災地が広かったのは事実ですが、被害の中心は宮城県でした。その一番の被災地の宮城県のオペラ団体が、震災の辛苦を乗り越えて、東京で公演を行う。これは、「仙台オペラ協会」を自分のオペラの故郷だと思うものにとって、とても嬉しいことでした。チケットの売れ行きもよかったようです。これは、「おらがオペラ団」を応援してやろうという東北の方々と、被災地支援の一環として、仙台オペラ協会の公演を見てやろう、と考えた、首都圏の人々の協力の賜物だと思います。

 本日の公演の最後に、芸術監督の佐藤淳一が挨拶を行いましたが、被災地の団体が、東京でこれだけの観客の前で、演奏を行えることの喜びや感謝の気持ちが込められた、結構な挨拶でした。この言葉こそが、出演者たちの気持だったことは疑いないところです。

 しかしながら、演奏は、かなりひいき目で見ても、いただけないものでした。普段東京で、学生オペラでももう少し締まった演奏を見聞きしている身としては、正直申し上げれば、完成度が低すぎる演奏と申し上げざるを得ない。まず、舞台演技の基本と言うか、心構えが全然出来ていない出演者が何人もいらっしゃいます。はっきり申し上げてしまえば、学芸会並みの演技と申し上げるしかない。

 勿論これは、演出の問題でもあります。舞台に合唱団が大勢登場した時、ひとりひとりに演技をさせていないようです。適当に動かしている。ポジショニングなども整理されていない。そのため、舞台に様式美が出てこないのです。また、舞台をもっと広く使うことを考えた方が良いとも思いました。合唱団を左右奥の方に置いて、中央でソリストを演技させるとかですね。結局のところ、ゴチャゴチャしてすっきりしない舞台になっていました。

 今回の舞台は、作曲者の岡崎光治の演出で、東京公演については渡部ギュウが演出補で入り、演劇的に相当手を入れたようですが、結果的には、習熟が不十分な演技になっていた、と申し上げざるを得ません。

 ソリストの歌唱も全般に弱い。本当の意味で、声に迫力のあった方は誰一人としていませんでした。オペラはデュナーミクで感情表現を示す部分があるわけですから、フォルテに力がこもらないと、どうしても迫力が感じられなくなってしまいます。特に問題なのが、佐藤順子のイサゴです。この作品の中で、一番感情表現を豊かに示さなければいけないのが、イサゴですが、佐藤の声の飛ばし方では、全くドラマティックにならないのです。新国立劇場の中劇場程度の広さの劇場で、声が途中でお辞儀しているようでは、ソリストとして失格です。

 女声陣に関して申し上げれば、工藤留理子のナギサにしろ、横山いずみのエテルにしろ、みな線が細く、綺麗であっても迫力が足らず、パッとしない印象でした。

 男声陣は、流石に女声陣よりは声が出て、表現の広がりもあったように思います。比較的良かったのは低音男声陣。野崎貴男の山伏、高橋正典の浜長が結構な歌唱をしておりました。また、ミナジ役のテノール・佐藤淳一ももう少し迫力が欲しいところですが、歌それ自体はリリックで良いものだったと思います。

 一方、語り役「黒い男」の山田正明の台詞が不明瞭なのは問題です。山田は、語り部として、このオペラの内容を観客に理解させるための重要な役ですが、彼の台詞がはっきりしなかったため、オペラの全貌が見えにくくなった部分があります。

 音楽的に魅力だったのは、ソロよりも合唱でした。岡崎光治が合唱曲の作曲家としての経験が豊富、と言うこともあるのでしょうが、ソロの曲よりも合唱曲に光るものが多かったと思います。一番素晴らしかったのは、男女8人のソリストがアカペラで歌う八重唱曲。入りのタイミングを間違って、間延びしたものになったのは残念ですが、凄くよく鍛えられていて、立派な響きになっていました。

 それ以外も合唱には良いものがありました。合唱団員ひとりひとりの力は必ずしも大したことはないと思いましたが、アンサンブルになると、素敵な響きになっている。そこは誇れるところでしょう。

 山下一史指揮、仙台フィルの演奏は立派。力量的に十分とは申し上げられない歌手陣をしっかりとサポートしておりました。山下の熱のこもった指揮にはBravoを申し上げましょう。

 地方オペラ団体は、仙台オペラ協会に限らず、普段は小中学校や高校で音楽を教えている方々が中心になる。オペラの専門教育を受けたメンバーが中心の首都圏のオペラと同水準と言う訳にはなかなか行かないのは分かります。また、仙台オペラ協会の場合は、震災で被害を受けたメンバーで作り上げてきた、と言うこともよく存じております。大変なご苦労だったと思います。しかし、それを踏まえても、もう少し、完成度を上げて欲しかったと思います。

 仙台オペラ協会を自分の故郷と考える評者にとって、「故郷は遠きにありて思うもの」ではなく、仙台まで聴きに行きたいと思わせるような団体になってほしい。今後の復活と発展に期待します。

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鑑賞日:2011年8月20日
入場料:2列3番 5000円 

主催:はなみがわ風の丘HALL

小空間オペラ Vol.33
千葉でちょっと気軽にオペラ
松本重孝オペラブッファの世界

オペラ2幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
チマローザ作曲「秘密の結婚」Il Matrimonio Segreto)
台本:ジョヴァンニ・ベルターティ

会場:はなみがわ風の丘HALL

スタッフ

総合プロデュース 大澤 ミカ
ピアノ 河原 忠之
演 出 松本 重孝
字幕作成 松本 重孝
ヘア・メイク  :  濱野 由美子 
字幕投影  :  前山 田彩 
照 明  :  武市 佳奈 
舞台美術    大澤 ミカ 

出 演

カロリーナ   砂田 恵美
エリゼッタ   野田 ヒロ子
フィダルマ   牧野 真由美
パオリーノ 小山 陽二郎
ロビンソン伯爵  :  鹿又 透 
ジェロニモ   柴山 昌宣
宅配便やさん(黙役)  :  宮本 匠 

感 想

近さの魅力-小空間オペラ Vol.33「秘密の結婚」を聴く

 はなみがわ風のHALL、小空間オペラTRIADEの活動は、前々から注目しておりました。個人が自ら設計して小さな劇場空間を作製し、そこでオペラを上演するという活動は、本当に凄いことだと思います。その上、出演者も現在の日本オペラ界の最前線で活躍されている方が多い、これまた、プロデューサーの大澤ミカの実力と12年間の活動の積み重ねの成果ということなのでしょう。

 ただ、興味はあっても今まで一度も伺ったことはありませんでした。これは、第一に私の住む多摩地区から千葉市までは相当に遠いということがあります。ドアtoドアで2時間強、これは流石にしんどい距離です。

 それにもかかわらず、今回何故伺うことにしたのかといえば、一つには、「秘密の結婚」を取り上げる、と聞いたことによります。チマローザ作曲によるこの名作オペラブッファは、あまり上演される機会が多くはなく、わたしの実演経験は2003年の国立音大大学院オペラのみになります。久しぶりにこの音楽を楽しみたかった、ということがあります。もうひとつは、八月はオペラの上演が少なく、なかなか聴きに行く機会がない。そんな中、はなみがわ風のHALLは毎年8月にオペラ公演を行っています。ならば行ってみよう、と思ったわけです。

 行ってよかった、率直に思います。会場は、自分が予想していたより狭いかもしれません。多分間口が7メートル弱、奥行きは10メートル弱というところではないでしょうか。要するにマンション一戸分ぐらいの空間です。ここに舞台と85席ほどの観客席と通路があります。舞台と云っても、観客席よりも10センチも高くない感じです。天井も高くない。そこに、85人の観客と9人のスタッフ・キャストが入る。かなり人口密度の高い空間になります。

 そこで現役のトッププロが歌うとどうなるか。新国立劇場や東京文化会館大ホールで十分歌える実力の方々です。その迫力は大きな舞台で聴くオペラとは全然違います。オペラ歌手の基本的に声を出す力量を目の当たりにさせられます。また、舞台と観客との距離の近さが格別です。私は今回2列目で聴いたのですが、2メートルぐらいしか離れていないところで、出演者が歌っているのですから、口の動きも表情もよく分かります。

 こういう小さい空間で、現役のトップの方たちのアンサンブル公演を聴いていたら、逆に大劇場の公演が物足りなく思うのではないかと思うほどの迫力でした。それだけに、演奏全体としては、かなり満足度の高いものになりました。

 まず、「秘密の結婚」という選択が良い。このオペラ・ブッファは、そもそも合唱が無く、男女6人のソリストだけで成り立ちます。はなみがわ風のHALLは、合唱を入れることが物理的に困難なので、合唱を多用するオペラはハイライト公演しか出来ない、という問題があります。しかし、元々合唱がなければ、全曲を聴かせることが可能です。本日の公演もレシタティーヴォのカットはそれなりにあったようですが、20曲のナンバーはほぼ全曲歌っていたようでした。

 また歌手たちの習熟度も高かったと思います。それは、今回の公演が、2010年3月公演の再演、と言うことがあるかと思います。本日は6回目の本番と言うことになり、出演者の皆さんも、この演出を十分習熟されているということなのでしょう。細かいところまで、臭い演技が徹底しており、オペラ・ブッファを楽しさがはっきりわかるものでした。

 その中でも、表情の多彩さで見事だと思ったのは、野田ヒロ子のエリゼッタと牧野真由美のフィダルマです。野田は、例えば、第一幕での女性三重唱で、自分がもう伯爵夫人になったと思っての歌唱の一寸得意げな表情を初め、細かい表情の変化が見事で、一寸三枚目的役どころである、エリゼッタを上手に演じていました。音楽的にも女声の中音部分と言う、なかなか存在感の主張しにくいポジションですが、きっちりと存在を見せていたと思います。

 牧野の表現も素敵でした。牧野は流石に低音部が良いです。また、この方も大きな眼を使った表情が実に見事で、驚いたときの表現などが素晴らしいと思いました。今回の女声の中では一番見事だったのではないでしょうか。

 砂田恵美のカロリーナ。可憐なカロリーナを演じていました。ソプラノ・リリコ・レジェーロの響きが美しく、特に、女性三重唱でのエリゼッタとのやり取りや、第1幕のアリアに良いものがあると思いました。そんなわけで、歌唱自体はほぼ満足なのですが、この方表情の変化が乏しく、どちらかと言えば受け身の印象が強いです。野田・牧野と同じぐらい極端に表情を作って下さった方が面白かったのではないか、と思いました。

 小山陽二郎のパオリーノ。私は、小山の鼻に籠もるような声の出し方は、あまり好きではないのですが、全体的には良い出来だったと思います。小山の場合、「愛の妙薬」のネモリーノであるとか、今回のパオリーノのような、一寸三枚目的なテノール役の方が、似合っていると思います。困った感じの表情が良かったです。

 男声低音部の二人、鹿又ロビンソンと、柴山ジェローニモは共に素晴らしい。柴山のバッソ・ブッフォ役の適性は、これまで何度も見て知っておりましたが、今回も再確認。又柴山は声の響きも今回の出演者の中で一番よく、また細かい言い回しの軽妙さも見事だったと思います。鹿又ロビンソンはバリトンのポジションで、これまた見事な響きを聴かせて下さいました。この二人の低音歌手がしっかりしていたことで音楽的には安定していたのだろうと思います。

 ピアノは、名手・河原忠之。悪いわけがありません。河原は伴奏だけではなく、開演時の口上や、途中の演技にも一部参加して、八面六臂の活躍だった、と申し上げてよいでしょう。

 この作品をオーケストラ伴奏で聴くと、ロココ的優雅さが味わえるのですが、ピアノ伴奏と言うことで、音がどうしても鋭角的になってしまい、優美な印象はありませんでした。歌手の方も鋭角的な歌唱をされていることが多く、もう少し、レガートな歌唱をされた方が良いのではないかとは思いました。勿論、逆にシャープで推進力の見える演奏で、どたばた喜劇の面白さがよく味わえるものになっていた、というメリットもありました。

 なお、最後に一つだけ苦言。プログラムを購入したのですが、誤植や誤った情報の記載が多すぎます。大体、表紙のイタリア語のタイトルからして誤っております。私もこのサイトで、時々誤字を書いたり、意味不明の表現をして、読者の方に叱られるので、偉そうなことは申し上げられないのですが、もう少し、きちんと推敲されることをお願いしたいと思います。

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鑑賞日:2011年8月27日
入場料:自由席5000円 1F9列45番

第17回新宿区民オペラ

オペラ4幕 原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」“Carmen
台本:リュドヴィック・アレヴィ/アンリ・メイヤック

会場:新宿文化センター・大ホール

スタッフ

指揮  :  宮松 重紀 
管弦楽  :  新宿オペラ管弦楽団 
合唱  :  新宿オペラ合唱団 
児童合唱  :  新宿区少年少女合唱団 
児童合唱指導    山口 大五郎 
フラメンコ舞踏 

: 

サボール・フラメンコ 
演出  :  園江 治 
美術  :  淡路 公美子
衣裳  :  五十嵐 和代 
照明  :  日高舞台照明 

振付 

今井 協子 

舞台監督  :  八木 清市 
プロデューサー  :  園江 詩子 


キャスト

カルメン    堀 万里絵
ドン・ホセ    橋本 大樹 
エスカミーリョ    野村 光洋 
ミカエラ    西本 真子
フラスキータ    永瀬 祐紀乃
メルセデス    齋 実希子 
ダンカイロ    和田 ひでき 
レメンダード    荒木 俊雅 
スニガ    中原 和人 
モラレス    浜田 耕一 


感想

一番スリムなカルメン −第17回新宿区民オペラ「カルメン」を聴く

 市民オペラ団体は数多くありますが、「新宿区民オペラ」はその中でも老舗、と申し上げて良いのかもしれません。とにかく1995年以来、年に1回オペラ本公演を続けている、というのは大したものです。上演作品の中心がヴェルディと言うのも、市民オペラとしては珍しいと思います。本公演で取り上げている演目が、「アイーダ」(2回)、「オテロ」、「マクベス」(3回)、椿姫(2回)、「ナブッコ」、「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」というのですから、かなり本格的。その新宿区民オペラが今年取りあげたのが「カルメン」です。ヴェルディを中心にイタリアオペラを主に上演する団体でありますが、「カルメン」は特別、と言うことなのでしょう。8年ぶり三度目の登場です。

 今回の上演を一言で申し上げれば、かなりコストを切り詰めた舞台だな、と言うことです。まず舞台の上には、合唱のメンバーが乗る壇があるだけで、後は何もありません。このひな壇だって、今回の上演用にあつらえたものではなく、ホールの備品でしょう。ホリゾントにホリゾントライトを映すことはやっておりましたが、これまたホールのものの様子。照明プランもざっくりしたものしかないようですし、ありていに申し上げれば、「衣裳をつけた立ち稽古」みたいな舞台でした。

 そう言えば、最近の原語上演では常識の、字幕もありませんでした。これもコストカットの一環なのでしょう。

 また、合唱のメンバーが少ないのも問題です。「カルメン」は、舞台上にある程度人がいないと成立しないオペラです。例えば、第一幕は、衛兵たちとたばこ女工を待っている男たちは、当然違う人たちです。しかし、男声合唱のメンバーが少ないから、衛兵の軍服を着て、「俺たちは、女工たちの帰りをここで待っている」と歌わざるを得ない。これは、音楽的には問題がないとしても、ドラマとしては問題が多い。

 更に、合唱の人数のバランスの悪さも気になりました。例えば、第一幕の「たばこ女工たちの合唱」は、ソプラノとアルトの掛け合いが聴きどころですが、アルトの人数が少なすぎて、対等な掛け合いにならないのです。普通であれば、アルトの合唱団にエキストラを入れて補強するのですが、そうはされなかったようです。そこもコストの都合なのでしょうか。同様に男声合唱も弱いのですが、男声合唱には力量の高い方がいるようで、テノールはそれでも今一つでしたが、バスはなんとか聴けました。

 児童合唱も問題。15人しかおらず、幼稚園児から中学生までの混合と言うことで、きっちり歌わせるのが難しいのは分かるのですが、声量が足りなすぎます。第一幕の子供たちの合唱「兵隊さんと一緒に」は、音は外れていましたが、子供らしさがよく出ていて必ずしも悪いものではありませんでしたが、第4幕の合唱は、子供の声がほとんど聴こえませんでした。

 もうひとつ問題なのは、会場の音響です。新宿文化センター大ホールは、それほど音響の悪いホールではなかったはずなのですが、久しぶりに聴いたら、相当響きのデッドなホールに変身していました。聞くところによれば、東日本大震災でホールが破損し、7月まで修理をしていたそうですが、その修理の影響が出たのかもしれません。

 歌手陣は、若手が中心ですが、魅力的な方と、そうではない方が分かれていました。

 主役のカルメンを歌った堀万里絵。今年の3月、新国立劇場・オペラ研修所を卒業したばかりの新鋭。彼女の歌は、一昨年のマザー・マリー、今年のツィータ、と聴いて来て期待の持てるメゾだと思っていたのですが、今回もまあまあ良い歌唱だと思いました。歌の表現は決して悪いものではありません。声が綺麗ですし、音程もしっかりしている。才能のある方であると、再認識いたしました。ただ、カルメンの表現としては一寸淡白すぎるかも知れません。若い方ですから不自然な妖艶さは不要だと思いますが、それでももう少し、色気があった方が良いと思います。私がこれまで聴いたカルメンの中で、一番スリムなカルメンですが、、表現はもう少し、ふくよかであって欲しいところです。

 橋本大樹のホセ。今一つです。テノールの響きは見えるのですが、全体としてテノールの華やかさが感じられない方です。声の飛びも今一つでしたし、演技もパッとしない。ホセと言う役柄は最初颯爽と登場し、カルメンに翻弄されながらどんどん駄目になっていく役どころですが、橋本の場合、最初からくすんでいて、終わりまで一本調子でくすんでいた感じがします。「花の歌」が一番の聴かせどころですが、どこかせつせつした感じに欠けていて、物足りなく思います。第4幕のカルメンとの幕切れの二重唱も、カルメンも軽量級ですが、ホセはそれに輪をかけていて、切実感に欠けていると思いました。

 野村光洋のエスカミーリョも軽量級。縮こまったエスカミーリョで、堂々感が今一つ不足しています。「闘牛士の歌」も、堂々とした雰囲気が足りない。エスカミーリョは男の色気を感じさせてほしい役柄ですが、そういう雰囲気とは遠いと思いました。

 西本真子のミカエラ。良かったです。主要4役の中では一番良かった。第三幕の「何を恐れることがあるのでしょう」の切々とした表現と、暗くならない高音の響きが上手くマッチしていて素敵でした。一幕の歌唱もよかったです。

 脇役陣では、スニガの中原和人とダンカイロの和田ひできが流石の貫禄です。二人は本当にオペラの経験が豊富ですので、舞台の立ち位置とか一寸した演技の作りが、他のメンバーよりも様になっています。この二人は、また深い声の中原、明るい声の和田と対比的ですが、二人とも美声ですし、声量も豊富で、経験の浅い若い方たちを下支えしていたと思います。

 宮松重紀指揮の新宿オペラ管弦楽団は、まあまあの出来でしょう。いろいろ細かい問題はありますが、音楽全体のサポートには十分な役割を果たしていたと思います。

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鑑賞日:2011年9月3日
入場料:C席6000円 3F12列12番


主催:首都オペラ/神奈川県民ホール

第20回首都オペラ公演

オペラ3幕 日本語字幕付き原語(フランス語)上演
トマ作曲「ミニョン」“Micnon
原作:ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」
台本:ジュール・バルビエ/ミシャル・カレ

会場:神奈川県民ホール・大ホール

スタッフ

指揮  :  渡辺 麻里 
管弦楽  :  神奈川フィルハーモニー管弦楽団 
合唱  :  首都オペラ合唱団/慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団OB有志 
合唱指揮  :  川嶋 雄介/蛛@暁志 
助演  :  赤い靴児童劇団 
演出  :  三浦 安浩 
装置  :  鈴木 俊朗
衣裳  :  小野寺 佐恵 
照明  :  奥畑 康夫 

舞踏監督 

横井 茂 

音響 

: 

関口 嘉顕 
舞台監督  :  徳山 弘毅 
総監督 :  永田 優美子 


キャスト

ミニョン    背戸 裕子
フィリーヌ    山口 佳子 
ヴィルヘルム    土師 雅人 
ロターリオ    飯田 裕之
ラエルト    根岸 一郎
ジャルノ/アントーニオ    相澤 圭介 
フレデリック    鈴木 美恵子


感想

60年ぶりの復活 −首都オペラ「ミニョン」を聴く

 メゾソプラノのアリアとしてあまりに有名な、「君よ知るや、南の国」が含まれるオペラ作品として、「ミニョン」は比較的名前の知られているオペラ作品ですが、上演機会に恵まれている作品とは残念ながら言えません。国内で最近演奏されたのは、2006年びわ湖ホールでのことですが、その前となると1951年の藤原歌劇団公演にまで遡らなければなりません。即ち、首都圏で上演されるのは60年ぶりと言うことになります。私も勿論初見となります。

 首都オペラは、神奈川県を中心に活動する准市民オペラ団体ですが、一昨年が「マルタ」、昨年が「フランチェスカ・ダ・リミニ」、本年が「ミニョン」と、滅多に取り上げられることのない作品を取り上げています。また、公演は比較的豪華で、会場は神奈川県民ホール、オーケストラ・ピットに入るのは神奈川フィル、舞台にもそれなりのお金をかけると言う、首都圏では、二期会、藤原歌劇団に次ぐ、華やかさがあります。そんなことで、今回も楽しみに伺いました。

 演奏は、なかなか結構なものであったと思います。

 音楽的には、渡辺麻里の音楽づくりが素直で良いと思いました。序曲の優美さをすっきりと見せるところなどがまず素敵でした。オペラ本編に入ると、自分でぐいぐい引っ張っていくというよりは、オペラの流れに寄り添う様な指揮でした。その結果、流れが少し冗長ではないか、ここで、指揮者が締めた方が、音楽の流れがもっとスムーズになるのではないか、と思わないではなかったのですが、自己主張を表面に出さないことが、結果としては良いまとまりを生んでいたようにも思いました。

 歌手陣で一番良かったのは、フェリーヌ役の山口佳子。高音がきっちり飛び、アジリダの技術もなかなかのものです。あまり聴いたことの無い方ですが、比較的無名の方でもあれだけの技量を持っているところが、日本のソプラノ・リリコ・レジェーロの歌手の層の厚さだと思います。一番の聴かせどころである、「私はティターニア」は特に素晴らしく、感心いたしました。それ以外でも、山口の華やかな歌唱は気持のよいもので、一寸高慢な雰囲気も含め、気に入りました。

 なお、フェリーヌは、主人公ミニョンの恋敵で、普通の作曲家であれば、ミニョンがソプラノ、フェリーヌはメゾソプラノの役にして、敵役らしさを強調すると思うのですが、トマはその関係を反対にしました。その結果、フェリーヌの嫉妬心があまり感じられないようになっているのですが、山口は演出家の指示もあったのでしょうが、さりげない嫉妬の出し方もよいと思いました。

 背戸裕子のミニョンも素敵です。背戸は声質が比較的明るい方ではあるのですが、高音の伸がも大したもので、メゾでは大変なC音もきっちり出していました。ミニョンの一番の聴かせどころである、「君よ知るや、南の国」はわりとあっさりした表現で、一寸物足りない感じもあったのですが、ミニョンの狂気がより後半で出てくることを踏まえれば、最初のアリアは、この程度に抑えるのが良いのかも知れません。

 背戸の魅力は、後半の狂気が前面に出てくるところの歌唱と、重唱にもありました。ロターリオとの二重唱「燕のように」など、低声部同士の重唱が殊に魅力的でした。

 一方、土師雅人のヴィルヘルムは今一つの出来。特に第一幕が良くありませんでした。軽く歌おうとはしているのですが、高音が重く詰まった感じで伸びが足りません。第一幕のアリアが特にその感じが強く、後半は盛り返してきましたが、それでも声の澄みかたが今一つ不足でした。結果的に若作りをした親父感が強くて、本来この役に期待したい若々しさが聴こえて来なかったように思います。

 飯田裕之のロターリオ、良かったです。トーンの定まった低音が魅力的。上述のように、ミニョンとの二重唱が殊に良く、どっしりとした構えからの歌唱は、トマの悠然と流れる音楽によくマッチしていて素晴らしかったと思います。

 根岸一郎のラエルトもいい。コミカルな脇役ですが、十分に存在感もあり、声も素直です。土師の声よりも、ずっと聴き易く、好感を持ちました。

 また、ジャルノ/アントーニオの二役を演じた相澤圭介も良かったです。第一幕でのジプシーの親玉のいやしさの表現が良いと思いました。

 フレデリクの鈴木美恵子。高音はともかく、低音部がきっちり歌えていなかったようです。通常メゾが歌うズボン役というには年が取り過ぎている青年の役なので、役作りが難しかったのでしょうが、低音をしっかりさせないと、こういう役は存在感が乏しくなります。

 さて、演出ですが、まあまあ面白かったと申し上げて良いでしょう。三浦安浩は、今回の「ミニョン」を、日本の廃業した映画館の中で行われる、ある劇団の劇に見立てました。従って幕はなく、神奈川県民ホールの中に入ると、舞台の上では、スタッフが準備している姿を見せられます。スタッフは黙役ですが、「ミニョン」を上演するために、キャストとなる人々に、台本を与えていきます。ミニョン役を演じる女優は、「何故私が、」と言う風な表情を示したりもする。そんな小さい混乱の中で、映画監督がカチンコを鳴らすように、舞台監督が手をならすと、音楽が始まります。

 劇中劇は、だんだん混乱し、主役の女優は、役柄のミニョンと自分自身がお互い入り込んで、狂気に犯されていきます。ゲーテの原作「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」におけるミニョンの挿話は、ある意味相当悲劇的なものですが、トマは、原作では死にいたる竪琴弾きやミニョンを、親子であることを知らしめ、ヴィルヘルムとミニョンが結ばれるハピーエンドにしてしまいました。三浦は、そのトマの意図をゲーテの意図に引き戻す試みとして、この演出をしています。

 それはある程度成功していました。唯、私の好みとしては、トマの通俗的な意図をより前面に出した演出を見たい気もしました。少なくてもトマの美しい音楽は、芸術性よりも通俗性に輝くものがあるような気がするからです。

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