オペラに行って参りました-2019年(その4)

目次

トゥーランドットは合唱オペラである 2019年7月21日 新国立劇場「トゥーランドット」を聴く
お金を貰える演奏ではなかった 2019年8月3日 相模原シティオペラ「カルメン」を聴く
勉強会発表の意味 2019年8月13日 モンタニーニオペラ勉強会「愛の妙薬」を聴く
渋い名作の素敵な演奏 2019年8月18日 エルデ・オペラ管弦楽団「シモン・ボッカネグラ」を聴く
名人たちの自主公演 2019年8月22日 イェヌーファの会「イェヌーファ」を聴く
ちょうどいいバランス 2019年8月31日 新宿区民オペラ「トゥーランドット」を聴く
頑張れ、若人 2019年9月6日 東京学芸大学大学院オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
ゼッダの置き土産 2019年9月7日 藤原歌劇団「ランスへの旅」を聴く
準備不足 2019年9月8日 第9回立川オペラ愛好会ガラコンサート「名歌手たちの夢の饗宴」を聴く
台詞は多すぎましたが・・・・。 2019年9月14日 東京オペラ・プロデュース「エトワール」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2019年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2019年7月21日
入場料:C席 11664円 4F 2列49番

オペラ夏の祭典2019-2020
Japn⇔Tokyo⇔World

主催:新国立劇場

制作:新国立劇場/東京文化会館

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トゥーランドット 」
Turandot)
原作:カルロ・ゴッツィ
台本:レナート・シモーニ/ジュゼッペ・アダーミ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

スタッフ

指揮 大野 和士
管弦楽 バルセロナ交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部/びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱 TOKYO FM少年合唱団
児童合唱指揮 米屋 恵子/伊藤 邦恵
演出 アレックス・オリエ
美術 アルフォンス・フローレス
衣裳 リュック・カステーイス
照明 ウルス・シェーネバウム
演出補 スサナ・ゴメス
舞台監督 菅原 多敢弘

出演者

トゥーランドット ジェニファー・ウィルソン
カラフ デヴィッド・ポメロイ
リュー 砂川 涼子
ティムール 妻屋 秀和
アルトゥム皇帝 持木 弘
ピン 森口 賢二
パン 秋谷 直之
ポン 糸賀 修平
官吏 成田 眞
ペルシャの王子 真野 郁夫
侍女1 黒澤 明子
侍女2 岩本 麻里

感 想

トゥーランドットは合唱オペラである-新国立劇場「トゥーランドット」を聴く

 大野和士の肝入りにより新国立劇場と東京文化会館の共同制作を二年間にわたって行う、という「オペラ夏の祭典2019-2020」。サブタイトルに「Japan⇔Tokyo⇔World」と付き、国と都とが共同で瀬化に発信していこうとする試み。今年一番の話題のクラシック音楽イベントなのだそうです。もちろん聴き手にとってはそんなお題目はどうでもいいわけなのですが、それだけ舞台にはお金をかけているのかなという印象です。

 申し上げるまでもなく「トゥーランドット」はイタリアオペラで舞台は架空の時代の中国・北京であるわけですが、今回のプロダクションにイタリアも中国も全く関係ありません。日本とスペインとの混成チームによる作品です。指揮は大野和士ですが、オーケストラはバルセロナ。演出のチームもバルセロナのラ・フーラ・デルス・ハウスという演出家集団の六人の芸術監督の一人であるアレックス・オリエのチームです。そういうところが関係したのか、オリエのチームの舞台は中国も東洋的エキゾチズムも全く感じさせない舞台に仕上げてきました。

 彼が見せようとしたのは権力の冷酷さとその高さです。その意識は「トゥーランドット」の台本そのものの中にしっかり示されているわけですが、それを可視化した舞台、と申し上げてよいと思います。具体的には、縦に高い舞台構造です。北京市民や国を追われたティムールやカラフは底辺のものとして舞台上で歌います。一方トゥーランドットやアルトゥムは高所から庶民たちを見下ろしている。来ている衣裳もアルトゥムは純白だし、トゥーランドットも第二幕までは白、それに対して庶民たちは灰色の汚れた衣装で「死だ、殺せ」と歌うわけです。大量殺戮は権力者によって行われるものですが、それを現実に実行するのは名もなき庶民です。その間、三人の大臣、ピン、パン、ポンは幕ごとに様子を変えてきます。第一幕では庶民と同じ汚い底辺の人として現れ、第二幕では中間的になり、第三幕では白い衣装で権力側の手先として登場する。

 これはカラフとトゥーランドットの関係性の変化の象徴なのかもしれません。カラフは国を追われたタタールの王子ですが、国を追われてしまえば王子はただの人でしかない。求婚者として名を上げなければ、天賦の権力者だと思っているトゥーランドットとの差はまさに天地です。しかし、首を刎ねられるリスクを犯して結婚相手として名乗り出たことによって、その関係性は変化していくのです。三つの謎を解いて姫君と結婚できる権利を取得することによって、その関係性は意識的には逆転します。しかし、実際の権力は未だトゥーランドット側にあるわけです。トゥーランドットはリューを拷問し、彼女は「カラフ」の名を名乗らないためには死を選ぶしかないところまで追いつめられる。そういう力関係、それは意識的なものも無意識的なものも含めて、きっちり示していた舞台でした。一種の読み替え演出であり、中国的なエキゾチズムをを示さないのは、私の趣味ではないのですが、この作品の持つ本質的な冷酷さを視覚的に示したという点では、優れた演出なのだろうと思います。

 視覚的と言えば、幕が上がると女性の凌辱が描かれます。これはトゥーランドットの祖母が受けた辱めですが、それを視覚的に示すことでトゥーランドットが冷酷に求婚者を殺していく理由というか、トラウマを示します。また、この演出でトゥーランドットは最後の二重唱で「愛」を高らかに歌い上げながらも、最後に選ぶのはカラフの手に落ちることではなくナイフによる自死でした。それだけトゥーランドットのトラウマの深さを強調する演出だったと言えると思います。

 この演出にマッチしていたのが、外題役のジェニファー・ウィルソンです。ドラマティック・ソプラノで強靭な声の持ち主であることはその通りなのですが、ウィルソンの歌はただ強いだけではない悲哀を感じさせるものがありました。トゥーランドットと言えば声の強さを前面に出して、あるいは、カラフに三つの謎を解かれた後の取り乱す歌唱はただヒステリックに響かせる方が多い中で、自分の内なるトラウマを見せる歌唱ができていた点で、ウィルソンはよく考えているな、と思いましたし、それが指揮者や演出家の要求であったとするならば、それに対応できている点で見事だと思いました。

 カラフのポメロイは立派な歌ではありましたが、ウィルソンと比較すれば類型的なカラフでした。カラフは言ってみれば単細胞の若者の役柄ですから、それでいいのでしょうが。

 砂川涼子のリュー。見事でした。何年も前から日本人リュー歌いとしてはトップランナーであったわけですが、今もその地位を維持していることを見せてくれる歌唱でした。第一幕の「ご主人様お聴きください」は舞台の底面で群衆の中にいて、最初はどこにいるのか分からないのですが、歌い始めるとそれだけで存在が明確になるところがまず見事でしたし、「リューの死」における切々とした歌唱は、リューの恐怖と勇気とをまさに感じさせるもので、素晴らしいと思いました。

 妻屋秀和のティムールは安定はしていましたが、妻屋としては普通の歌唱と言うべきか。持木弘のアルトゥム皇帝は歌う場面は実質ワンシーンですが、そのテノール声は場の雰囲気にしっかり楔を打ち込むもので、その存在感こそがベテランの力量なのでしょう。ピン、パン、ポンの三人の大臣は、存在感でピンの森口賢二、ポンの糸賀修平、パンの秋谷直之の順だと思いました。アンサンブルとしてよくまとまっていたと思います。

 以上ソロは全般によかったのですが、今回の演奏で最も見事だったのは合唱だったと思います。これは本当に特筆すべき素晴らしさ。元々力のある歌手の集団である新国立劇場合唱団に藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブルが三つ合わさった合唱は実に素晴らしい迫力で、どのような音にも全く澱みがなく、打ちのめされるような見事さでした。

 トゥーランドットもこれまで何度も聴いてきて、合唱が活躍するオペラだという認識はありましたが、大抵は合唱の人数が足りなくて迫力不足になるか、あるいは、大人数の場合は声が揃わなくて魅力がない、という風になりがちで、今回のように合唱ががっちり嵌って骨格を形成して、その中でソロが活躍するみたいな演奏を聴いたのは初めてのような気がします。合唱に群衆のパワー、それは怨念であったり、あるいは権力者に対する冷笑であったりすると思うのですが、その枠にしっかり対抗するソロで、しかし、その歌は枠からはみ出すことがなかったと思いました。合唱があってのソロ、という感じがあって、そのバランスが舞台の構成感とも一致していてとりわけ見事に思えたのかもしれません。

 オーケストラは大野和士の手兵のバルセロナ響。こちらも指揮者の要求に応えて見事な演奏でした。以上話題だけでない、内容が素晴らしい上演だったと思います。

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鑑賞日:2019年8月3日
入場料:自由席 4800円 聴取したのは、11列26番

主催:相模原シティオペラ

共催:相模原市民会館

オペラ4幕 字幕付き原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」
(Carmen)
原作:プロスペル・メリメ
台本:アンリ・メイヤック/リュドヴィク・アレヴィ 

会場:相模原市民会館

スタッフ

指揮 高橋 勇太
管弦楽 東京ピットオーケストラ
バンダ 相模原ウィンドアンサンブル
合唱 相模原シティオペラ合唱団
児童合唱 つくい少年少女合唱団
児童合唱指導 尾﨑 敬子
バレエ ヒロコバレエスタジオ
演出 森山 太
衣裳 池上 知津
照明 株式会社フルスペック
振付 中薗 博子
舞台監督 大河原 敬

出演者

カルメン 二瓶 純子
ホセ 狩野 武
エスカミーリョ 飯塚 学
ミカエラ 赤根 純子
ズニガ 宇田川 慎介
モラレス 栁亭 雅幸
ダンカイロ 戸村 優希
レメンダード 佐藤 悠究
フラスキータ 小澤 美咲紀
メルセデス 田口 友理

感 想

お金を貰える演奏ではなかった-相模原シティオペラ「カルメン」を聴く

 ここまで低レベルの演奏を聴いたのは久しぶりです。最近は市民オペラだからと言ってバカにできない演奏も多いのですが、今回の相模原シティオペラはちょっとひどすぎました。とにかく、ありとあらゆるところが悪い。指揮が悪い。オーケストラの演奏が悪い。演出が悪い。ソロが悪い。合唱が悪い。児童合唱まで悪い。全てが悪いので、お互いがカバーしあうことができず負のスパイラルが廻っていました。ここまですさまじく悪いとため息しか出てきません。途中休憩で出てきた知人が溜息をついている私を見て、「そんな溜息をつくんですね」とおっしゃったぐらいです。

 今回の一番の責任はプロデューサーに求めるべきでしょう。プロデューサーが「カルメン」とはどういうオペラで「カルメン」を上演するということがどういうことかが分かっていない。だからあんな舞台を見せられるのでしょうね。

 今回の上演で最初に気づいたのは合唱のレベルの低さです。個々のメンバーの能力も低いですし、かつ全然鍛えられていない。音は平気で外すし、支えがなく音は下がる。メリハリもないのでソロに対して楔を打つべきところが全く楔の役割を果たしていない。市民合唱と雖ももっと上手に歌える方はたくさんいますし、オペラを上演する以上そういう方を集めなければいけません。また、今回ぐらいのレベルの方でカルメンの合唱をやろうと思ったら、人を何としてでも集めなければいけません。今の三倍ぐらい人数がいないと声がまともに飛ばないはずです。そう言った根本的なことがプロデューサーは分かっていないから、本気で合唱団員を集めようともしなかったのでしょう。

 会場が相模原市民会館、というのもかわいそうです。音がデッドでそもそもが響かない。会場が市民オペラの前提条件で、それが仕方がないのであればなおさら、合唱団員を集めなければいけませんでした。

 児童合唱もダメでした。カルメンの児童合唱は悪かったことなど全く記憶にないのですが、今回はダメでした。子供らしい溌溂した感じが見られない合唱で、合唱としてもまとまっておらず声量も足りない。子供の合唱はいい指導者が一回か二回指導するだけで劇的に変わるはずですが、その辺も全然手当てしていなかったのでしょうね。

 指揮者もオーケストラもアウトでしょう。オーケストラはそもそも技量のある方の集団ではないようで、重いのですが、指揮者はそんなオーケストラを煽ろうとしないのです。あるいは煽っていたのかもしれないのですが、オーケストラが全然乗ってこない。カルメンの前奏曲ってもっと華やかに響く曲だと思っていましたが、そこからして全然でしたし、例えば第三幕の間奏曲、フルートのテンポが遅くてハープと合っていないし、そう言った乱れというか、遅れがいろいろありました。歌手とも合っていなかったようで、例えば「カルタの歌」のテンポは歌手二人の感覚と違っていたようで、歌い手が戸惑っているのがすぐ分かりました。舞台としてとにかくバラバラで、一体感がないというか、指揮者が求心的に引っ張っていこうとする意志もないというのか、とにかく、音楽としててんでんばらばらで、いくら何でもという感じでした。

 ソロ歌手も問題です。一番駄目だったのがエスカミーリョの飯塚学。エスカミーリョなんて、「闘牛士の歌」だけ歌ってそれで終わり、みたいな役ですから、そこで華やかに歌って見せればいいわけですが、それができていない。とにかく音が違うんですから話になりません。声をしっかりコントロールして正しい音程で歌うのが大前提ですが、それができないくせにかっこだけを付けている感じです。この方の音の感覚はちょっと変で、第三幕のホセとの二重唱もこの方の声が下がっていくので、ハモらない。それを気持ち悪いとも思わないのでしょうか?

 脇役のズニガ、モラレスも論外でしょう。ズニガの宇田川慎介は経験豊富なアマチュア。しかし、その舞台経験が音楽的にうまくいく方向に結びついていない。声は出ていますがメリハリがついていない。声を張るところのオペラ的な意味が全然見えてこないので、全く説得力がありません。モラレスは、冒頭のミカエラが訪ねてくるところで、もっと声が立たなくてはいけません。へなちょこの合唱と同レベルのソロを歌っているのですから論外です。

 ホセの狩野武。歌はまあまあでしょう。持ち声が美しく、「花の歌」などは眼を瞑って聴いていると、情感もあってなかなかよかったと思います。しかし、この方「ホセ」という役柄を自分の中に入れようという意思がないのですね。歌っていて演技がない。表情の変化もない。例えば第一幕のミカエラとの二重唱。ここはホセとしても田舎から婚約者になりそうな娘が訪ねてきたわけですからですから、もっと嬉しそうな表情を見せるべきだと思いますが、それがないので、歌に真実味を感じさせない。セギディーリャの時、ホセはカルメンに誘惑されるわけですが、ただ木偶の棒のように突っ立っているだけで、カルメンに惹かれていく感じが演技で全く見えないのです。これはオペラを演じるという観点からは失格でしょう。だから、第四幕のカルメンを刺すシーンでも逆上している感じが見えなくて、嘘臭いのです。

 もちろんこれは演出家の責任でもあります。演出家はもっともっと歌手に稽古をつけて、表情などは決めていかなければいけません。それを多分やっていないのでしょう。各シーンの配置(立ち位置等)は演出家が決めているのでしょうが、それ以上は何もやっていないのではないかという気がしました。舞台上の細かい動きの整理も不十分で、結果として音楽の流れと無関係に流されている感じでした。。

 ミカエラの赤根純子。このメンバーの中では比較的しっかり歌っていたと思いますが、第三幕のアリアはあまりうまくいっていませんでした。盗賊団の四人。全体的に線が細い。若手で音程やリズムはこのメンバーの中ではしっかりしていましたが、もっとパワフルであった方が良いのかなと思います。

 以上問題だらけの公演で、外題役の二瓶純子だけは気を吐いていました。これだけ問題の多い舞台ですが、彼女は我関せず、と言った雰囲気で、バリバリとカルメン役をこなしていた、と言う印象です。華やかな雰囲気のあるメゾソプラノで、多分相手に恵まれればもっと素晴らしい演奏ができるのでしょうが、そうでなくても一定のレベルの歌にはなっていました。演技も彼女だけはカルメンらしい雰囲気を醸し出している。それは褒めなければいけません。一方、カスタネットはもっと練習したほうがいい。出来れば先生について。我流はかっこよくない。

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鑑賞日:2019813
入場料:無料・自由席

主催:MONTANINI OPERA

MONTANINI OPERA 勉強会

オペラ2幕、原語(イタリア語)上演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」(L'elisir d'amore)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場:町田市民フォーラムホール

スタッフ

指 揮 小山 陽二郎
ピアノ 大橋 智樹
合 唱 モンタニーニオペラ合唱団

出 演

アディーナ 楠野 麻衣(客演)
ネモリーノ 横山 和紀
ドゥルカマーラ 佐藤 充
ベルコーレ 田村 智仁郎
ジャンネッタ 和田 友美

感 想

勉強会発表の意味-MONTANINI OPERA勉強会「愛の妙薬」を聴く

 「勉強会」という位置づけだそうですが、確かに、小山陽二郎にとっては指揮の勉強、出演者たちにとっては歌唱の、あるいは舞台の勉強だったのでしょうね。今時の公演にもかかわらず字幕もなく、衣裳も自前、スタッフも出演者たちがやっているような手作りの舞台でしたが、一方で、熱意は感じられ、彼らの一所懸命な感じが伝わってきて、微笑ましく思いました。

 出演者は、主役のアディーナを歌った楠野麻衣を別にすれば、皆まだ学生か卒業したての若手で、いろいろな意味でまだまだ感がありますが、音はしっかりしていますし、タイミングの取り方とか、アンサンブルのアプローチのやり方などはさすがオペラ歌手を目指しているメンバーと申し上げてよいと思います。合唱も各パート1名、せいぜい2名という布陣でしたがそれなりに立派なアンサンブルになっていました。とはいえ、「勉強会」という位置づけである以上、気になったところは指摘して、今後の勉強に役立てていただくべきでしょう。

 まず、楠野麻衣を別にすると、全体的にテキストの読み込みが浅い、ということは言えると思います。またキャラクターの立て方もまだまだでした。ドゥルカマーラはブッフォになっていないし、ベルコーレの三枚目的な可笑しさも必ずしもうまくいっていませんでした。しかし、とりわけ似合っていなかったのが横山和紀のネモリーノでした。

 横山は声量も力強さもあるテノールで、素材としては素晴らしい才能だとは思うのですが、技量が伴っていない。最初から最後まで声を張り上げている印象でうるさすぎます。常に100に近いところで歌っていると、歌の正確性が欠けてきますし、一本調子になってしまいます。ネモリーノはそもそもそんなに英雄的な役柄ではありませんから、弱音を意識してもっと大事にして歌わないといけません。「人知れぬ涙」などはもっと情感を大切にして歌わないとこの曲の良さが引き出せません。更に申し上げれば、もっとレガートを大切にすべきかと。レガートな流れがあって初めてアクセントが効くということが分かっていないように思いました。また重唱では相手とのバランスを気にかけてあげなければいけない。楠野級であればしっかり対応してくるのですが、横山の声が大きすぎるので、アディーナも必要以上に声を張り上げる必要が出てしまい、結局アンサンブルとしては今一つになってしまいました。

 佐藤充のドゥルカマーラ。歌詞を覚えるだけで精一杯で、それ以上は何もできなかった、という感じです。凄く生真面目な印象で、ドゥルカマーラの人を食った表情とか仕草はほとんどできていませんした。例えば登場のカヴァティーナ「お聞きなさい、村の衆」では、「えーっと」と言葉に詰まる部分があるわけで、そこはみんな困った表情とかあるいはごまかしの薄ら笑いを浮かべるのが普通ですが、佐藤にそんな余裕は無く、厳しい顔のまま突っ込んでいく。アッチェラランドをかけてどんどん前に進んでいくのは気持ちいいですが、口上なのですから、観客の様子を見て緩急をつけたほうがいいと思いました。

 田村智仁郎のベルコーレ。ベルコーレを歌うなら、声にもう一つ華やかさが欲しい。もっと空気を振動させる響きにしていかないとインパクトが薄いと思います。登場のアリアの「愛らしいパリスのように」の持つわざとらしさや滑稽さを表現するには声の裏付けが欲しいところです。また、第7曲のベルコーレとネモリーノとの二重唱。ここは、ベルコーレの「上から目線」がしっかり見えなければいけないところですが、ネモリーノはうるさすぎ、ベルコーレは響きが足りず、結果としてネモリーノが「上から目線」で歌っているように聴こえてしまう。この辺も調節が必要でした。

 アディーナの楠野麻衣。さすがに学生とは全然レベルが違いました。初役だそうですが、しっかり役柄を作り上げていて、表情も多彩でしたし、表現も見事でした。可愛らしいアディーナに仕上がっていて素敵でした。

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鑑賞日:2019年8月18日
入場料:全自由席 3000円 1F 8列2番にて鑑賞

エルデ・オペラ管弦楽団第12回演奏会

主催・企画制作:エルデ・オペラ管弦楽団

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演/演奏会形式
ヴェルディ作曲「シモン・ボッカネグラ 」
Simon Boccanegra)
原作:アントニオ・ガルシア・グティエレス
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ 

会場 かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

スタッフ

指揮 柴田 真郁
管弦楽 エルデ・オペラ管弦楽団
合唱 エルデ・オペラ合唱団
合唱指揮 諸遊 耕史
舞台監督 深畑 一徳/岸本 伸子

出演者

シモン・ボッカネグラ 渡辺 弘樹
アメーリア 高橋 絵理
フィエスコ ジョン・ハオ
ガブリエーレ 寺田 宗永
パオロ 千葉 裕一
ピエトロ 木村 雄太
射手隊長 木野 千晶
アメーリアの侍女 司茂 明日香

感 想

渋い名作の素敵な演奏-エルデ・オペラ管弦楽団「シモン・ボッカネグラ」を聴く

 「シモン・ボッカネグラ」は話がちょっと理解しにくいのと、華やかなアリアがないためか、滅多に上演されませんが、久しぶりに聴くと、低音歌手の魅力をこれだけふんだんに盛り込んだオペラもなかなかないだろうな、と思います。その魅力を上手に引き出したのが今回のチーム。個々に見ていけば、いろいろあるのですが、全体の流れとしては見事であり、この作品の魅力をしっかりと観客に伝えられた演奏ではなかったかと思います。

 その一番の立役者は、指揮の柴田真郁でしょう。柴田はこの作品の魅力をよく理解しているようで、作品の力強さを明示するように指揮しました。

 今回は演奏会形式でした。演奏会形式の場合、歌手がどこで歌うかが問題になります。これには二通りのパターンがあって、ひとつは舞台の前で歌う。もう一つはオーケストラの後方、合唱の前で前で歌う、です。今回はオーケストラの後方で歌われました。この場合歌手と観客の間が遠くなって、声を届けるという観点では難しいところもあると思うのですが、柴田はこちらを選択した。結果的に、この配置で成功したと思います。声の遠さを感じる部分が全くなかったわけではないのですが、全体的にはオーケストラと声の混じり方がちょうどいい感じだったと思います。

 オーケストラは技術的なことを申し上げればかなり稚拙な部分もありました。特に管楽器の事故は多かったと思います。またこのオペラ低音が充実しているオペラなので、オーケストラも低音部が充実していたほうが良いと思うのですが、コントラバスが3本、チェロが6本で低音の倍音の響きが少し弱かったのかな、という印象はありました。しかし、そう言った弱点に余りある熱気のある柴田の指揮。オーケストラも乗って演奏していたように思います。結果として凄く締まった演奏になったように聴きました。柴田にはBravoを申しあげたい。

 歌手陣は低音男声陣に総じて魅力がありました。まずは、ジョン・ハオのフィエスコが素晴らしい。ハオは全体的に安定していて、どんな場面でも突出しないし、又引っ込まない。常にバランスの取れた存在感がありました。例えばプロローグのバスとバリトンとの二重唱。この曲は、バスもバリトンもそれぞれの色を守った歌にして、その対立構造を明らかにするのが良いと思うのですが、ハオは、そこをしっかりとモノトーンで歌って、その冷たい感情を明確に示しましたが、一方のシモンは結構色彩豊かになってしまって如何なものかとは思いました。また、この二重唱の前のフィエスコのアリアも大変立派でよかったですし、第三幕の存在感も大変魅力的でした。ハオが、このオペラの最低音部を安定して支えたことが、おそらく音楽的魅力を一層増幅したのではないかと思います。

 外題役の渡辺弘樹。ハオほどの安定感はありませんでした。また、細かい表情の作り方は、私の好みとは違う部分が結構あったのですが、全体的にはなかなかの歌唱だったと思います。渡辺のこれまでの印象はもっと乱暴な歌い方をするバリトン、というものだったのですが、今回はとても丁寧な歌いまわしでよかったです。シモン・ボッカネグラの表現について十分研究したうえで、あういう歌い方を選択したのでしょうね。結果として、シモンの弱点を表現することに成功していたと思いますし、また、第二幕、第三幕の毒を盛られてからの表情などもレガートが美しく、納得できるものでした。

 千葉裕一のパオロもよかったです、悪役としての存在感という観点からはもう少しドスが効いていてもよいとは思いますが、持っている声が端正で、バランスの捉え方も立派でしたので、結果として、パオロという役柄のキャラクターを上手に浮き彫りにできたと思います。

 アメーリアの高橋絵理は張った時のきらびやかな高音の魅力はさすがだったと思いますが、一方で低音は今一つですし、中音部ももう少し厚みがあった方が、アメーリアのキャラに向いているだろうとは思いました。更に高橋はブレスの取り方が上手く行っていないところがあり、必ずしもベストな歌唱ではなかったと思います。

 寺田宗永のガブリエーレも全然悪くない。ただ、寺田の声とガブリエーレという役柄が似合っているかと言えば、これは似合っていなかった、と申し上げるしかありません。寺田は新国立劇場合唱団で普段歌っていますが、そのせいか、音のバランスのとり方がとても上手です。例えば、第二幕のアメーリアとの二重唱なんかは、とても素敵なバランスで歌われ、さすがだなと感心したのですが、寺田の声はちょっと軽くて、ガブリエーレには重し不足の印象でした。また線も細い印象で、なよなよしたガブリエーレになっていました。もうちょっと重厚感のあるテノールが歌われた方が全体的なバランスとしてはよかったのかな、という印象です。

 以上、問題はいろいろありましたが、全体としてはバランスも見事でしたし、迫力もありましたし、もちろん低音の響きによる渋みもふんだんでした。このチームの立派なパフォーマンスには十分Braviを申し上げられるだけのものがあったと思います。

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鑑賞日:2019年8月22日
入場料:全自由席 5000円 K列30番にて鑑賞

主催:イェヌーファの会

オペラ3幕 字幕付き原語(チェコ語)上演/演奏会形式
ヤナーチェク作曲「イェヌーファ」
Jenůfa)
原作:ガブリエラ・プライソヴァー
台本:レオシュ・ヤナーチェク 

会場 東京文化会館小ホール

スタッフ

指揮 城谷 正博
ピアノ 北村 晶子
ヴァイオリン 山崎 千晶
シロフォン 竹内 美乃莉
ステージング 粟國 淳
ピアノ 藤原 藍子
言語指導(チェコ語) 西松 甫味子
照明 岡崎 亘
舞台監督 田中 義浩

出演者

イェヌーファ 小林 厚子
コステルニチカ 森山 京子
ラツァ 琉子 健太郎
シュテヴァ 所谷 直生
ブリヤ家のおばあさん 与田 朝子
水車小屋の親方及び合唱 秋本 健
ヤノおよびバレナ メンサー 華子
村長 町 英和
村長夫人及び合唱 福間 章子
カロルカ及び合唱 黒澤 明子
羊飼いの女及び合唱 松浦 麗
年配の女及び合唱 三浦 志保
合唱 東海林 尚文
合唱 山原 卓実
合唱 上野 裕之

感 想

名人たちの自主公演-イェヌーファの会「イェヌーファ」を聴く

 新国立劇場の公演はシングルキャスト、複数日公演が原則ですから、キャストに事故があった時のために必ずカヴァー・キャストを立てます。このカヴァー・キャストは本キャストと同様に楽譜を覚え、演技も覚え、本番の時にメインキャストに何かあった時にいつでも交替できるようにスタンバイします。これが、「カルメン」であるとか、「椿姫」であるとか日本でもよく演奏される演目であれば、カヴァー・キャストたちも他の公演で歌う機会はいくらでもあるでしょうから、これらの準備は無駄にはなりませんが、比較的珍しい演目の場合、準備はしても舞台で歌うことはないということが当然起こります。

 「イェヌーファ」はヤナーチェクのオペラの中では比較的よく上演される演目ですが、それでも上演されるのは数年に1回、なかなかやることはありません。しかし、内容も音楽的にも魅力的な作品ですから、一度覚えれば歌いたいと思うのはごく自然なことでして、新国立劇場公演でイェヌーファのカヴァー・キャストであった小林厚子とコステルニチカのカヴァー・キャストであった森山京子が中心となって「イェヌーファの会」を立ち上げ、新国立劇場の音楽スタッフである城谷正博らと今回の演奏会を企画したものと思われます。

 小林厚子も森山京子も日本を代表する女声歌手であり、その実力は折り紙付きですが、その二人が自主公演で、自分たちのやりたいものやるわけですから、そもそも悪い演奏になるはずがありません。事実、全体を通して熱のこもった、と言って、バランスの壊れることのない、非常に上質で、感動的な演奏でした。

 その中でもことによかったのはコステルニチカの森山京子でしょう。コステルニチカという旧弊の縛りから逃げられない女を多彩な表情で表現してみせて恐ろしいほどでした。そもそも歌唱自身、迫力はあるけれども冷静という、さすがベテランと言うべきものでとても素晴らしいものでした。更に、演奏会形式で、そもそも演技はほとんどないわけですが、その顔の表情は豊かで、演技が少なくても、その声と表情を聴くだけでも、コステルニチカの感情変化が分かるような歌で、素晴らしいと言うしかありません。今回の一番の立役者と申し上げられると思います。

 もちろん、イェヌーファの小林厚子も立派でした。イェヌーファは自立していない流される受け身の役柄であり、強さを表に出しにくい役柄だと思います。ある意味可哀想な役柄を小林は乾いていくように歌っていったように思います。第一幕は結構ウェットで、ドロドロの愛憎関係をそんな感じに歌い、第二幕のコステルニチカとの対立は中立な感じで歌い、第三幕の結婚式とその後ではイェヌーファの傷の痛みと、その克服した強さをドライな感じで歌ったように思います。そう言ったイェヌーファの変化というか、成長を見せるように歌われたところが見事だったと思います。

 琉子健太郎のラツァ、所谷直生のシュテヴァも見事でした。ラツァとシュテヴァはもちろん対立的なキャラクターで、ラツアが善役、シュテヴァは悪役ですが、攻める男のラツァの濃い感情表現と逃げるシュテヴァの無表情の歌唱が対照的でこれまた面白いものでした。どちらも素敵だったと思います。

 その他の脇役の皆さんも、ブリヤ家のおばあさんに扮した与田朝子は1998年の東京フィル・オペラコンチェルタンテシリーズで歌って以来、日本で一番この役を歌っている方でさすがの存在感。その他の皆さんも新国立劇場合唱団のメンバーが中心で、ソロ部分も合唱部分も流石のアンサンブルで聴かせました。

 伴奏は、ピアノにヴァイオリン1本、シロフォンというものでしたが、ピアノだけよりは音色が多彩になり、この作品の音楽的魅力がよりクリアになったのではないかと思います。

 以上、大変すばらしい演奏で、見事でした。Braviと申し上げるに何の躊躇もない、と申し上げます。

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鑑賞日:2019年8月31日
入場料:自由席 5000円 1F 13列42番にて鑑賞

主催:新宿区民オペラ

新宿区民オペラ 25周年記念公演

オペラ3幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「トゥーランドット 」
Turandot)
原作:カルロ・ゴッツィ
台本:レナート・シモーニ/ジュゼッペ・アダーミ 

会場 新宿文化センター大ホール

スタッフ

指揮 時任 康文
管弦楽 新宿オペラ管弦楽団
合唱 新宿オペラ合唱団
合唱指揮 福田 夏絵
児童合唱 いたばしジュニアコーラス/なかの児童合唱団
児童合唱指揮 松井理恵・宮下麗/山畑清子
演出 園江 治
美術 淡路 公美子
衣裳 五十嵐 和子
舞台監督 八木 清市

出演者

トゥーランドット 羽山 弘子
カラフ 加藤 康之
リュー 谷 明美
ティムール 普久原 武学
アルトゥム皇帝 町村 彰
ピン 櫻井 航
パン 岡田 淳志
ポン 熱田 鷹丸
官吏 川村 貢一郎
侍女1 小宅 慶子
侍女2 安達 遥

感 想

ちょうどいいバランス-新宿区民オペラ25周年記念公演「トゥーランドット」を聴く

 先日の新国立劇場公演と比較すれば、それは全てにおいて足りない公演でしたが、予算の限られている市民オペラとしては相当立派な公演。新宿区民オペラ25周年記念公演として、十分その役割を果たしたと申し上げられると思います。

 何と言っても全体のバランスがほどほどに良い。新宿文化ホールは改装後、なかなか声の飛びにくいホールだと思っているのですが、今回もその特徴はいかんなく発揮されました。全体に声が遠いのです。今回私は、オケピットから10列目ぐらいで聴いていたのですが、それでも声があまり飛んでこない印象です。また合唱が男声10名、女声26名とこの作品を演奏するには全体的にも足りないですし、男声は致命的に少ない。では、合唱が悪いかと言えば、全然そんなことはありません。ハーモニーがまとまっているせいか、人数が少ない割にはきっちり聴こえてきます。細かいことを申し上げれば問題もいろいろありますが、個人のレベルも高いのでしょうし、又アンサンブルの練習も念入りにされたということなのでしょう。迫力はないけれども、美しく、よくまとまった合唱でした。

 脇役陣も総じて迫力には欠けますが、どの方も丁寧で、比較的正確な歌を歌っています。例えば、ピン、パン、ポンの三人のアンサンブル。どの方も突出した特徴があるわけではないのですが、テンポ感覚がぴったり合ったようで、掛け合いのタイミングが見事で聴いていて楽しくなるような印象。もっとケレン味が出れば更に印象的になるところですが、今回の全体のバランスからするとちょうど良かったと思います。

 官吏の川村貢一郎もよかったです。バリトンというよりはテノール的声で、官吏役のおどろおどろしさを出す感じはありませんでしたが、歌そのものは丁寧で綺麗。ピッチも正確だったと思いますし、見事な歌唱だったと思います。

 町村彰のアルトゥム皇帝。表情の付け方にもう一工夫あった方が、皇帝という最高の権力者でありながら、娘・トゥーランドットのやり方に逆らえない悲しみというか、もどかしさのようなものが出たのかな、という感じがしましたが、彼の歌も悪いものではありません。普久原武学のティムールは悪くはないのですが、もう少し存在感が欲しかったところです。見た目は存在感十分なのですが、歌うとその存在感が半減している感じ。

 主要三役も総じて立派でしたが、脇役陣から比べればあらも目立ったというところ。

 谷明美のリュー。声もよく飛び歌も悪くないのですが、歌に力が入りすぎて演技が抜けてしまった感じ、という風に見えました。聴き手が可哀想だな、と思えない演技なんですね。リューの自殺の場面などは、「これ以上拷問されて口を割らされたらいけないので死にます」というたおやかな強さではなくて、「英雄的に私は死んでいくのよ」のように聴こえてしまう。歌も多分そんな風に歌っていたのでしょう。「見た目は弱そうだけど、芯は強い」リューというよりは、「見た目も芯も強いリュー」のように見えました。

 加藤康之のカラフ。よかったです。声が軽くてぴんと張り、多分私が加藤を聴いた中では一番良かった。特に第一幕はよかったです。声に余裕があるので響きも柔らかいし、それでいて基本的な力量がある方なので、声の飛びもいい。加藤は身体を開いて、息の限界でアクートを決めようとする癖のある方なのですが、今回の一幕はそこまで声を張り上げることがなかったのでしょう。このまま続いたら、最高だったのですが、二幕以降、トゥーランドットと張り合うようになり始めると、限界で歌ってしまうのですね。もう少し余裕を持つだけで全然違うと思うのですが、そういう歌い方だとアクートはきちんと決まっても、それ以外の部分の音程も怪しくなりますし、技術的にできることも限られてしまうので、ちょっと残念だったかな、と思います。

 一番の聴かせどころである「誰も寝てはならぬ」は基本立派なのですが、語尾が十分伸びていない。3つ伸ばすべきところが二つぐらいで終わったみたいなところがたくさんありました。多分そうやってブレスを深くしていたのでしょうが、ふくらみが足りなくなっていた、ということはあると思いました。

 トゥーランドットの羽山弘子も頑張っていましたが、さすがに日本人のトゥーランドットですね。先日の新国立劇場のジェニファー・ウィルソンみたいに余裕しゃくしゃくというわけにはいきません。声に余裕がないので、どうしても頑張っている感が先に出てしまい、「氷のような」姫君という感じにはなかなかならない。張っている部分は立派なのですが、ちょっと気を抜くと失速する感じもあって、大変な役だな、と思わずにはいられませんでした。

 それにしても、トゥーランドットとカラフ。重唱になるとお互い負けられないと思うのか、張り上げ合戦が始まってしまう。お互い少しずつ抑えれば、もっとバランスもとれハーモニーも美しくまとまるだろうに、とは思いました。それ以外の人が冷静で正確だったので、ことに思うのかもしれません。

 時任康文振る新宿オペラ管弦楽団。アマチュア団体の常として問題もありましたが、よく練習してますし、オペラをサポートするに十分な演奏でした。立派だったと思います。

 舞台は、中央に階段状の台があるだけで、あとは小道具で場面変換をしようとするスタイル。演出に壮大感はもちろんありませんが、それでもトゥーランドットらしさは見えており、頑張っているなという印象でした。

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鑑賞日:2019年9月6日
入場料:自由席 無料 C5列9番で鑑賞

主催:東京学芸大学大学院

2019 東京学芸大学大学院オペラ

オペラ2幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」
Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場 東京学芸大学芸術館学芸の森ホール

スタッフ

指揮 小林 大作
ピアノ 佐藤 美桜/吉田 伊里
合唱 東京学芸大学音楽科有志
演出・美術・衣裳 原 純
照明 正木 剛徳
舞台監督 鈴木 遥佳

出演者

フィオルディリージ 白木 亜香音
ドラベッラ 椎葉 彩
フェランド 山本 和之
グリエルモ 正木 剛徳
デスピーナ 加藤 愛
ドン・アルフォンゾ 三神 祐太郎

感 想

頑張れ、若人-東京学芸大学大学院オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く

 音楽大学がオペラを公演するのは当たり前のことで、特に東京芸術大学と国立音楽大学は、大学院生が中心のオペラをもう何十年も続けており、オペラファンにとっては10月の風物詩と言ってよい。一方、教育大学である東京学芸大学がオペラをやっている、というのは、知っている方は知っているのでしょうが、私は全く認識していませんでした。歴史的には2003年から行われており、今回で17回目となるのだそうですが、元々大学院の「声楽演奏法」の授業の「オペラ演習」の発表公演という位置づけで、積極的に公開して公開してこなかった、というのはあるかもしれません。また、授業の発表ですので、基本は全てを学生がやる手作り公演です。今回は演出こそ原純を招聘しましたが、原が担当しないスタッフ業務については、照明がグリエルモで出演する正木剛徳が行い、字幕はフェランドの山本和之が、合唱の担当がドラベッラの椎葉彩、舞台監督は、8日にフィオルディリージを歌う鈴木遥と出演者皆で分担するというもの。その手作り感がいい感じでした。

 とはいえ、演出家を入れた効果なのか、非常に締まった舞台でした。そもそも「コジ・ファン・トゥッテ」は非常に厄介なオペラです。元々ストーリーが荒唐無稽かつ非倫理的なのに、音楽は最高に素晴らしいというアンバランスがあって、どう演出してもなかなかぱっとしない。読み替え演出もよくやられて、例えば、新国立劇場のミキエレットのキャンプ場コジや、昨年の日生劇場オペラでの菅尾友のアンドロイドコジがすぐ思い浮かぶわけですが、そんな読み替えもなかなか上手くいかないことがある。個人的に思い出が深いのは、自分が最初に見た「コジ」。1988年のバイエルン国立歌劇場公演のジャン・カルロ・メノッティの舞台。これは本当に目を見張るほど美しく、歌手の動かし方もいかにもロココ的で素晴らしかった印象があるのですが、他にどんな素敵な演出があっただろう? 一方、今回の原の演出はメノッティに次ぐぐらいよかったのではないかと思いました。

 時代はよく分からない。いわゆる読み替え演出ではないのですが、ちょっとひねって現代風にしてある。その現代風が今の若い人たちにとってちょうどいい感じではないかと思います。まず、幕の冒頭で、フィオルディリージとグリエルモ、ドラベッラとフェランドはベッドに入っている。要するにしっかり性愛関係を示す。それでもう結婚、と思っている二組の男女にドン・アルフォンゾがちょっかいを出すという形になっている。そして、フェランドとグリエルモがフィオルディリージとドラベッラを落とした後ももちろんベッドに入る。それで「女はみんなこんなもの」という話になりますが、この男たちの身勝手を女が許すはずがありません。最後は三人の女に男三人がひっぱたかれ、女たちが立ち去ってしまう、という形で終わっています。

 「コジ・ファン・トゥッテ」が大団円で終わらないというのは最近のトレンドだけど、全部の登場人物の動きが整合していて破局で終わったコジってなかなかない。哲学者然としているドン・アルファンぞが最後に袋叩きにあうのも、納得できます。

 大きな流れが一本道であるというだけではなく、中の細かい処の歌手たちの動かし方も見事でした。ひとつひとつの表情や細かい動きもストーリーに照らして適切作り上げられているので無駄がない。休憩を含めて3時間15分かかりましたが、退屈するところがありませんでした。学生ホールと決して恵まれているところではない会場でここまでの公演になったのですから、きちんとした会場でこのコンセプトでやれたらほんとうに見ごたえのあるものになるのではないか、と思いました。

 演出は素晴らしかったのですが、演奏はさすがにそいう言うわけにはいきません。特に第一幕はかなりボロボロだったと言わざるを得ません。裏方をやりながらの本番だったので、開演時間に調子をピークに持ってくることができなかったのでしょう。第一幕は実力の半分も出せなかったのではないか。第二幕は声も安定してきて、それなりに立派な演奏になっていました。

 その中で最も安定していたのは、ドン・アルフォンゾ役の三神祐太郎。東京芸大大学院の修士2年だそうですが、音大の大学院生と教育大の大学院生の違いを見せつけた歌唱をしたと思います。その三神も第一幕の前半は必ずしもうまくいっていないところもあったのですが、それ以降は声量のコントロールとバランスが上手く行き、安定した歌唱をずっと続け、音楽的核となっていました。

 グリエルモの正木剛徳もなかなか良好。いろいろ、「あれ」と思う部分はありましたが、声が安定していて聴きにくいところがない。重唱の下支えは、音程が「ほんとうにこれでいいの?」と思うところはありましたが、アリアもしっかり歌いましたし、立派だったと思います。

 フェランドの山本和之は声が足りない。レガートで美しく響かせるのは得意なようですが、声での感情表現はほとんど見えてこなかったと思います。オペラを歌う以上は、もっと声にけれんみを出していかないといけません。また、声量的にも不足していて、重唱になると他の声に消されて、あまり聴こえてこないのも問題だと思いました。

 女声三人は割と似通った声で、本来は皆、ソプラノ・リリコ・レジェーロでしょう。その中で比較的低音の出る椎葉をドラベッラに、中央域が出る白木をフィオルディリージにあてはめたものと思います。こういった役柄とのミスマッチは大学院オペラでは仕方がないのですが、やはりうまく行っていたとは言い難い部分があります。白木亜香音のフィオルディリージは、「岩のように動かず」にしても「ロンド」にしても低音が弱い感じです。また跳躍のような技巧的なところもミスがありました。でも重唱でメロディーを取る部分は総じて上手く行っており、ソロよりも合唱向きの人かもしれません。

 椎葉彩のドラベッラ。ソロは総じて良かったです。一方アンサンブルに入ると、内声のコントロールに自信はないようで、かなりおっかなびっくり歌っているように見受けられました。加藤愛のデスピーナ。この方も低音が弱いです。また声量的にも女性の中では一番弱い感じで、声としての存在感は足りなかったのかな、という印象です。又第二幕で公証人に化けたときは声色を使っていましたが、第一幕の医師に化けたときは声色を遣わず、使えるなら使った方がいいのに、と思いました。

 もう一点気の毒だったのは会場の学芸の森ホールの音響。非常にデッドで、ピアノの音も全然響かない。歌手の声もちょっと油断すると上に散ってしまってなかなか前に飛んでこない。響きのよい会場で聴ければまた違った印象なのかもしれません。

 更にもう一点残念なのは、東京学芸大学大学院が教職大学院化することで、音楽専攻の院生がいなくなり、この大学院オペラも今回で最終回とのこと。続ければ更なる進歩もあったのかもしれません。自分としてはその最後の公演を聴けたこと、運が良かったと思いましょう。この大学院オペラに取り組んできた院生諸君には「頑張れ、若人」と声をかけたいな、と思います。

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鑑賞日:2019年9月7日
入場料:B席 9800円 3F 1列27番にて鑑賞

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:公益財団法人新国立劇場運営財団/公益財団法人東京二期会

藤原歌劇団公演(共催:新国立劇場・東京二期会)

オペラ1幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「ランスへの旅」
IL VIAGGIO A REIMS)
台本:ルイージ・バロッキ
楽譜:ジャネット・ジョンソン監修ペーザロ・ロッシーニ財団編纂クリティカル・エディション 

会場 新国立劇場オペラパレス

スタッフ

指揮 園田 隆一郎
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
フォルテピアノ 小谷 彩子
合唱 藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団
合唱指揮 須藤 桂司
演出 松本 重孝
美術 荒田 良
衣裳 前岡 直子
照明 服部 基
舞台監督 菅原 多敢弘

出演者

コリンナ 砂川 涼子
メリベーア夫人 中島 郁子
フォルヴォル伯爵夫人 佐藤 美枝子
コルテーゼ夫人 山口 佳子
騎士ベルフォーレ 中井 亮一
リーベンスコフ伯爵 小堀 勇介
シドニー卿 伊藤 貴之
ドン・プロフォンド 久保田 真澄
トロンボノク男爵 谷 友博
ドン・アルヴァーロ 須藤 慎吾
ドン・プルデンツィオ 三浦 克次
ドン・ルイジーノ 井出 司
デリラ 楠野 麻衣
マッダレーナ 牧野 真由美
モデスティーナ 丸尾 有香
ゼフィリーノ 山内 政幸
アントーニオ 岡野 守

感 想

ゼッダの置き土産-藤原歌劇団公演「ランスへの旅」を聴く

 藤原歌劇団が「ランスへの旅」を初めて取り上げたのが2006年。アルベルト・ゼッダの指揮によるもの。この時の上演はもちろん素晴らしい歌を歌った方もいらっしゃるわけですが、ゼッダイズムがまだ完全に浸透しているというわけにはいかなくて、アンサンブルなどにはかなり乱れがありました。決していい演奏ではなかった、ということでしょう。ゼッダはその後も毎年のように日本を訪れ、藤原歌劇団でロッシーニ物の指揮をしていきました。2005年「チェネレントラ」、2008年「どろぼうかささぎ」、2010年「タンクレーディ」、2011年「セビリアの理髪師」を経て、2015年「ランスへの旅」に至っています。ゼッダは2017年3月に亡くなり、日本における最後の公演が2015年の「ランスへの旅」でした。この「ランスへの旅」は、ゼッダイズムが藤原に浸透したと申し上げられる公演で、ゼッダによって日本のロッシーニ演奏技術がどこまで引き上げられたのか、分かるような演奏でした。

 今回の新国立劇場公演は、この2015年の舞台のそのままの踏襲です。指揮は2015年時にゼッダのもとでサポート役(指揮補)を務めてゼッダの薫陶を受けた園田隆一郎。スタッフもほぼ一緒、歌手陣もかなり重なります。コリンナは前回も素晴らしいコリンナを歌われた砂川涼子。フォルヴォル伯爵夫人は、2006年以来の佐藤美枝子(佐藤美枝子は前回はコリンナ)。コルテーゼ夫人は前回デリラだった山口佳子。中井亮一は前回もベルフォーレを歌いましたし、シドニー卿、ドン・プロフォンドも前回歌われた二人。谷友博、三浦克次、井出司、楠野麻衣といった面々は前回と役柄を変えての出演という具合。

 以上直接ゼッダの薫陶を受けたメンバーがほとんどで歌ったわけですから、ゼッダに捧げるさすがの演奏だったと申し上げるしかありません。もちろん歌手の調子の良し悪しとかはありますから、個別に見ていけばミスはあったとは思いますが、全体的に見ればほんとうに素晴らしい涙がこぼれるような演奏で、日本のロッシーニ演奏技術レベルはおそらく今が史上最高、と申し上げられるではないか、と思います。技術的に進歩しましたし、小堀勇介のような若手もどんどん育ってきている。凄いと思いました。

 個別の歌手を見ていくと、例えば岡野守のアントーニオがいい。ちょっとしか歌わない脇役中の脇役ですけど、その僅かな出演にちゃんと存在感を示している。同じような意味で、山内正幸や丸尾有香もよかったです。

 男声低音陣はベテランと中堅の混合構成。前回はベテラン男声陣はかなり余裕を持ったオヤジ芸で歌っていた印象だったのですが、今回はもう少し締まった歌になっていた印象です。久保田真澄のドン・プロフォンドについては前回も思ったのですが、いわゆる「骨董品のアリア」での各国語の口まねは、その描き分けをもっと徹底的にやってくれた方がよかったかなと思いました。その他は皆素晴らしい。伊藤貴之のシドニー卿と谷友博のトロンボノクの男爵がよかったですし、三浦克次のドン・プルテンツィオのとぼけた味わいもさすがベテランと言うべきでしょう。

 男性高音陣は何と言っても小堀勇介。若さを前面に出した力強くも、ロッシーニの様式感が身に付いた歌唱は本当に素晴らしい。中井亮一のベルフォーレも全然悪くないのですが、小堀の歌と比較するといろいろ粗が見えてしまいます。

 中島郁子のメリベーア夫人もロッシーニ・メゾの魅力をしっかり伝えてくれました。だからリーベンスコフとメリベーアの二重唱などは二人の微妙な感じがよく表現できていて本当に素晴らしいと思いました。

 山口佳子をこれだけちゃんと聴いたのは初めてかもしれません。自分が思っていた声とはちょっと違っていたので、実は最初吃驚したのですが、アンサンブルへの溶け込み方は非常に上手で、よかったです。2006年以来のフォルヴィル伯爵夫人となった佐藤美枝子。コメディエンヌでした。演技・歌唱とも昔より濃い感じで、歌唱技術的なところだけではないフォルヴィルを見せてくれたのでしょう。砂川涼子のコリンナ。彼女らしい品の良いコリンナ。似合っていました。

 このように脇役の脇役までそろっていますから、前半の一番の聴きどころである例の14声による大コンチェルタートなどは本当に素晴らしい。ロッシーニさんありがとう、ゼッダさんありがとう、園田さんありがとう、歌っている皆さんありがとうと言いたくなります。後半の各国の歌によるガラも立派。「ランスへの旅」という名作をほんとうに堪能しました。

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鑑賞日:2019年9月8日 入場料:B席 2F 28列7番 2000円

主催:立川オペラ愛好会

第9回 立川オペラ愛好会ガラコンサート
「名歌手たちの夢の饗宴」

会場:たましんRISURUホール大ホール

スタッフ

ピアノ 河原 忠之

出演者

ヴェルディ作曲「イル・トロヴァトーレ」(ハイライト)

ルーナ伯爵 森口 賢二
マンリーコ 笛田 博昭
レオノーラ 森谷 真理
アズチェーナ 谷口 睦美

グノー作曲「ファウスト」(ハイライト)

ファウスト 村上 敏明
メフィストフェレス 妻屋 秀和
マルグリート 安藤 赴美子
ヴァランタン 牧野 正人

プログラム

イル・トロヴァトーレ
静かな夜 森谷 真理
炎は燃えて 谷口 睦美
重い鎖に繋がれ 谷口 睦美/笛田 博昭
君が微笑み 森口 賢二
愛しい君よ 笛田 博昭
見よ、 恐ろしい火を 笛田 博昭
この涙をご覧ください 森谷 真理/森口 賢二
フィナーレ 森谷 真理/谷口 睦美/笛田 博昭/森口 賢二
休憩
ファウスト
俺はここにいるぜ/私に快楽をくれ 村上 敏明/妻屋 秀和
門出を前に 牧野 正人
金の子牛は今でも生きている 妻屋 秀和
清らかで汚れを知らぬこの住処 村上 敏明
昔、トゥーレに王様がおりました 安藤 赴美子
宝石の歌 安藤 赴美子
三重唱「清らかな天使よ」 安藤 赴美子/村上 敏明/妻屋 秀和

感 想

準備不足-第9回 立川オペラ愛好会ガラコンサート「名歌手たちの夢の饗宴」を聴く

 立川オペラ愛好会は、毎年、牧野正人、森口賢二、村上敏明らを集めてガラ・コンサートを行っていますが、本年は、きちっとハイライト公演をやろうということで選んできたのが、「イル・トロヴァトーレ」と「ファウスト」です。トロヴァトーレは、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンに人を得ないとなかなかしっかりした上演ができないということで、ヴェルディの作品の中では人気の割には上演回数が少ない。また、「ファウスト」は「宝石の歌」は凄く有名でソプラノの課題曲のようなものですが、全曲が演奏される機会はなかなかなく、私は1995年に一度聴いただけでそれ以来全く経験がありません。それだけに楽しみに伺ったのですが、端的に申し上げれば、「トロヴァトーレ」は作品の魅力を伝えられる演奏だったのに対して、「ファウスト」は準備不足だったと言わざるを得ません。

 笛田博昭と森谷真理のコンビは今日本で聴ける最高のマンリーコとレオノーラの組み合わせでしょう。笛田のマンリーコのアリアはこれまでも何度も聴いております。今回がその最高か、と言われればそうではなかった感じがしますが、もちろん水準を大幅に凌駕したマンリーコで素晴らしいと申し上げるしかありません。森谷真理は調子が完璧でなかったのか、中低音に声のざらつきが見受けられ、そこが残念でしたけど、歌のアプローチはさすがの力量で十分満足できました。谷口睦美は、シルバー系のウィッグを着用しての登場。アズチェーナのおどろおどろしさをしっかり示した演奏で素晴らしく、森口賢二のルーナ伯爵も大変立派な歌唱でした。Braviでした。

 後半のファウストですが、まず牧野正人は例年通り司会も務めたのですが、その時の様子を見ていると体調があまりよろしくない様子で、本当に歌えるのかな、という感じでしたが、そこはベテラン、普段の牧野と比較すると、音の震えなどが目立ち、決して最上の歌唱ではありませんでしたが、しっかりとまとめてきました。また、妻屋秀和はさすがに日本を代表するバス。メフィストフェレスもこれまで当然歌っているのでしょうね。余裕のある歌唱で大変立派でした。

 一方高音系の二人は準備不足と申し上げるしかありません。二人の前には楽譜が置かれ、それを見ながらの歌唱。安藤が「宝石の歌」や「トゥーレの王様」を歌ったことがないとは思えないのですが、現実には楽譜をチラ見しながらの歌唱。歌が十分身体に入っていない感じで残念でした。もっと問題なのは、村上敏明。見せ方が上手で、高いテンションで歌ってみせて彼の力量を示し、「ファウスト」という作品をよく知らない方であれば凄く立派な歌だと思うのでしょうけど、「清らかな住まい」はかなりミスもあり、準備不足を露呈した感じです。いろいろ事情はあったのでしょうが、やはりオペラ歌手たるもの、本番は十分に準備して暗譜で歌って欲しいところです。

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鑑賞日:2019年9月14日
入場料:B席 6000円 2F 3列34番

主催:特定非営利活動法人東京オペラプロデュース

東京オペラプロデュース第104回定期公演(設立45周年記念公演)

オペラ3幕 字幕付き歌唱原語(フランス語)台詞日本語上演
シャブリエ作曲「エトワール」
L'étoile)
台本: ウジェーヌ・ルテリエ/アルベール・ヴァンロー

会場 新国立劇場中劇場

スタッフ

指揮 飯坂 純
管弦楽 東京オペラフィルハーモニック管弦楽団
合唱 東京オペラ・プロデュース合唱団
合唱指揮 中橋 健太郎左衛門
演出 八木 清市
美術 土屋 茂昭
衣裳 清水 崇子
照明 成瀬 一裕
舞台監督 佐川 明紀

出演者

ラズリ 翠 千賀
ラウラ王女 羽山 弘子
ウーフⅠ世 上原 正敏
シロコ 峰 茂樹
アロエス 前坂 美希
エリソン 羽山 晃生
タピオカ 島田 道生
オアジス 辰巳 真理恵
ユーカ 八木下 薫
アスフォデール 永井 千絵
ヅィニア 福田 弥生
ククリ 高山 美帆
アドゥザ 末広 貴美子
パタシャ 奥山 晋也
ザルザル 内田 吉則
警視総監 岡戸 淳
市長 八木 清市
パントマイム 山本 さくら

感 想

台詞は多すぎましたが・・・・-東京オペラ・プロデュース公演「エトワール」を聴く

 東京オペラ・プロデュースが創立35周年時に取り上げたのがシャブリエのオペラ・ブーフ「エトワール」。これが本格的に日本初演でした。2009年10月23日と24日。太田区民ホール「アプリコ」大ホールにて。指揮:飯坂純、演出:八木清市のコンビで上演されました。これは私ももちろん聴いています。ただ、どんな音楽だったか、どんな演奏だったかはほとんど全く覚えていませんでした。しかし、当時書いた感想を見てみると、決して良い演奏ではなかったようです。オペラ・ブーフのむつかしさを感じさせた演奏だったようです。

 それから10年たっての再演。指揮者と演出家のコンビは一緒。スタッフも共通する方も多いですが、舞台装置は一新し、歌手も若返る方は若返りました。そのなかで十年前の遺産というか、反省はしっかり生かされていた演奏になっていたと思います。少なくとも10年前に強く感じたギクシャク感が今回はほとんどなく、台詞のシーンと音楽のシーンのつなぎ目が割と自然に移っており、ひとつの舞台として見た場合よくまとまっていたと思います。あまりよくなかった踊りも今回はそれなりにまとまっており、指揮者と演出家とがかなり相談して作り上げた成果なのでしょう。

 もちろん、不満もいろいろあります。まず一番気に入らないのは、音楽が重たいこと。内容も馬鹿丸出しですし、曲もパロディ的なある意味「ふざけた」音楽ですから、もっと軽快な演奏の方が似合うと思いました。これはまずテンポの問題ということもあるでしょうし、歌手たちのフランス語の発音の問題もあるのではないかと思いました。フランス語は私は全く分からないので印象論以外の何物でもないのですが、もっと語尾が鼻にかかって抜けるような感じを出した方が雰囲気が出たような気がします。

 また台詞のシーンが長すぎるのも如何なものかな、と思いました。もちろん台詞の長い分話は分かりやすくなっていたところはあるのですが、あそこまで台詞が長いとオペラ・ブーフを見ているという感じよりも歌付き芝居を見ている感じになってしまって、音楽が始まるまで待たされている感が結構強くある。もっと台詞を刈り込めればいいのになと思いました。オヤジギャグのアドリブもいろいろありましたし、令和日本の最近の流行も取り込んで笑いは多かったのですが、そっちで笑いを取るのがいいのか、と言えばちょっと疑問です。この作品、最低限の台詞でつなぐと二時間弱で演奏できる作品なのですが、今回は休憩二回を含めて三時間十分。当初アナウンスされていた2時間55分が更に15分も伸びました。

 歌手陣は総じて良かったと思います。まずは羽山弘子のラウラ王女がいい。丁寧な歌いっぷりと安定した声の伸び、張りが見事でした。8月末に彼女のトゥーランドットを聴いたばかりでしたが、トゥーランドットよりもこの役の方が羽山弘子には似合っているのかもしれません。トゥーランドットはかなり限界のところで声を出していた印象ですが、この作品だと十分余裕があって、その分細かい処まで気が回すことができたのでしょうね。Bravaでした。

 翠千賀のラズリはソプラノ歌手がズボン役をやるむつかしさを感じさせる演奏でした。翠は男っぽさを出そうとかなり意識していたみたいで、低音を響かせようとしていたみたいです。一方高音はどうしてもソプラノの声になってしまい、その変わり目がちょっと目立ちすぎていたのかもしれません。決して悪い演奏ではなかったのですが今一つ得心できない。高音を出せるメゾ・ソプラノの方に歌ってもらった方がもっとうまくいったかもしれません。

 上原正敏のウーフ一世は。良かったと思います。軽い声で響かせる技術はなかなかのものです。とはいえ年齢的にはかなりベテランで、若いテノールのようなハリのある声で勢いよく飛んでくる感はもうないのですが、10年前の経験もあり、要所要所を締めてしっかりとした歌唱・演技でした。全体の格になっていました。同じく峰茂樹のシロコ。こちらもまさにベテランの味。芸達者な演技は若い人では真似ができないでしょう。所々入る歌も流石の魅力でしたし、とてもよかったです。

 脇役勢では前坂美希のアロエスがいい。前坂も安定した声の広がりが見事。だから、羽山弘子と前坂が絡むと音楽に厚みが出る感じがします。羽山晃生は足の怪我を押しての出演。ギブスを巻いて、つえをついての出演でしたが、きっちり役目を果たしました。羽山晃生は一時バリトン役を歌っていましたが、今回はテノールに復帰。しっかりした高音になっていました。

 島田道生のタピオカも10年前の再演。10年前は振付も担当していたのですが、今回はクレジットされていません。実際はどうだったのでしょう。それはともかく、島田は歌唱、演技ともにさすがにコメディアン。存在感をはっきり見せました。

 辰巳真理恵のオアジズ以下は基本合唱での参加。若々しさを感じさせる歌唱でよかったです。オーケストラはやや重かった印象はありますが悪くはない。幕間のパントマイムは今回の新機軸。舞台及び演出は、会場が新国立劇場中劇場に変わったことで新演出。廻り舞台を上手く使用して、幕ごとの見せ方を変えていました。

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