オペラに行って参りました-2024年(その7)

目次

若手登用 2024年10月17日 日本オペラ振興会団会員企画シリーズ「魔笛」を聴く
やりたいものをやれる幸せ、聴ける幸せ 2024年10月19日 「第6回高橋薫子 但馬由香ジョイントコンサート」を聴く
珍曲の理由 2024年10月20日 国立音楽大学大学院オペラ2024「偽の女庭師」を聴く
会場の問題、歌手の問題 2024年10月26日 相模原シティオペラ「オペラガラコンサート&アマールと夜の訪問者」を聴く
読替演出の許容範囲 2024年10月27日 東京二期会オペラ劇場「影のない女」を聴く
長年の渇望 2024年11月10日 NISSAY OPERA2024「連隊の娘」を聴く
ヴェルディの先駆者 2024年11月22日 藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」(初日)を聴く
ドニゼッティの魅力の見せ方 2024年11月23日 藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」(2日目)を聴く
ロッシーニは天才である 2024年11月28日 新国立劇場「ウィリアム・テル」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2024年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2024年
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2024年10月17日

入場料:自由席 4800円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会

藤原歌劇団&日本オペラ協会団会員企画シリーズ

オペラ2幕 字幕付原語(ドイツ語)上演/オペラ・コンチェルタンテ形式
モーツァルト作曲「魔笛」K.620 (Die Zauberflöte)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場 渋谷区文化総合センター大和田さくらホール

スタッフ

指 揮 大勝 秀也
ピアノ 稲葉 和歌子
フルート 梅澤 敦子
グロッケンシュピール(電子) 多羅尾 睦恵
合 唱 団会員メンバー
演技アドヴァイザー 馬場 紀碧

出 演

ザラストロ 東原 貞彦
夜の女王 福田 亜香音
タミーノ 原 優一
パミーナ 鈴木 璃紗
パパゲーノ 飯塚 学
パパゲーナ 浅田 眞理子
モノスタトス 島崎 昭之助
侍女1 渡部 史子
侍女2 萩原 紫以佳
侍女3 湯澤 里帆
童子1 江田 真紀子
童子2 小原 明実
童子3 進 美沙子
弁者 片沼 慎
武士1 平尾 啓
武士2 田村 智仁郎

若手登用-藤原歌劇団、日本オペラ協会団会員企画「魔笛」を聴く

 音楽大学の大学院を卒業し、二期会や藤原歌劇団の研修所を修了するものが毎年30-40人生まれてきますが、こういうオペラ歌手の卵は研修所の修了公演を別にするとオペラの舞台に立つ機会はあまりありません。それでも数の少ない男声歌手は自主公演の脇役や市民オペラの合唱のエキストラで呼ばれますが、女声歌手になるとライバルが多く、実力があってもなかなか歌う機会がないという実態があります。そういった中、藤原歌劇団と日本オペラ協会の団会員委員会は、数年前から団会員のオーディションを行い、その合格者をもって年に1回のオペラ公演と年に2回のガラコンサートを行うようになりました。

 従来この年に1回のオペラ公演はイタリアオペラだけだったのですが、本年は春に今回の指揮者を務めた大勝秀也によるドイツ語のディクションのトレーニングを行い、「魔笛」につながったということです。ちなみに藤原歌劇団でドイツオペラを上演した経験は「タンホイザー」、「ローエングリン」などあるわけですが、これらの歌詞は全て日本語に訳されたものであり、ドイツオペラを原語で上演したのは、2014年新百合ヶ丘での「魔笛」以来。ただしこの時は台詞は日本語だったので全曲ドイツ語の経験は今回の「魔笛」がまったく最初だそうです。

 出演者はオーディションで選ばれ、その結果、若い顔ぶれがそろいました。主力メンバーに20代から30代前半の若手が揃い、脇を中堅やベテランが固めるという構図。最近の若手オペラ歌手は上手な方が多く、新国立劇場の研修所公演や音大の公演では素晴らしい演奏を聴かせてもらうことが多いこと、また今回は初めて聴く方も多いのでその点も楽しみに伺いました。

 しかし、演奏全体としては期待ほどではなかった、というのが本当のところでしょう。特に主役のパミーナと夜の女王が不調だったのが痛い。

 とりわけパミーナは、最初の聴かせどころであるパパゲーノとの二重唱「愛を感じる男の人達には」があんまりいい感じのハーモニーにはなっておらずちょっと残念だったのですが、一番の聴かせどころのアリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」が全然上手くいかず落ちてしまったところがあるのは残念。パミーナを歌った鈴木璃紗は私は多分初めて聴く方ですが、日本オペラ振興会の研修所第40期卒業ということですから、まだ20代の方でしょう。おそらく好調の時は素晴らしいのでしょうが、不調の時の対処方法や、本番にベストの状態を作っていくための経験がまだ足りないということなのでしょう。

 福田亜香音の夜の女王も不調で残念。コロラトゥーラの技術は素晴らしく第二アリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」のハイFはしっかり鳴らしていたし、そこに至るアプローチも悪くない。しかし、第二アリアに関しては「復讐の怨念」を歌うべき前半は声が浮いている感じでドスが効いておらず迫力に欠ける。第一アリアの「ああ、怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」はもっと問題で、前半は音程が安定しておらず、母の愛をしっかり歌に込め切れていなかったこと、及び母の愛からコロラトゥーラに至るアプローチが上手くいかなかったことからハイFまでは上がっていたようですが、かなりギリギリ。夜の女王の二つのアリアは第一アリアの方が難しいので、第二アリアは上手くいっても第一アリアはあまりうまく行かないことは珍しくないのですが、今回の福田もその例に漏れなかった、ということかもしれません。

 一方で、原優一のタミーノが良かった。原は昨年やはり「魔笛」で武士1を歌ったのを聴いているのですが、その時はあまりよいという印象を持たなかったのですが、今回のタミーノは見事。冒頭の登場の場面からアリア「何と美しい絵姿」までの流れがよく、絵姿のアリアも柔らかく歌い上げていい。その後の歌唱も重唱も含めて非常にいい立ち位置で歌い、王子のいい雰囲気を保っていました。

 低音系はベテランが対応。こちらはさすがに経験による懐の深さを感じさせる歌でした。まず、今回の最ベテランであるザラストロを歌った東原貞彦。声自身に深みがあってザラストロにぴったりな声だというのはもちろんあるのですが、経験に裏打ちされたバランスのいい歌唱は、「おおイシスとオシリスの神よ」にしても、「この聖なる殿堂では」も素晴らしいと思いましたし、パミーナとの重唱でもあまりうまくいっていないパミーナを上手にカバーしていたように見えました。

 パパゲーノの飯塚学もいい。彼のパパゲーノは昨年夏にも聴いており多分ニ回目です。昨年もとてもいい感じだったのですが、今回も安定していてよかったと思います。パパゲーノは「魔笛」のなかでは庶民であり、与えられている歌も民謡調だったり親しみやすいものが多い。そしてこの作品の中で最も歌うのもパパゲーノです。でも役割としては狂言回しで脇役です。だからパパゲーノが頑張ってもなんか全体としても魅力になってこない感じはあります。とはいえ「パ、パ、パ」の二重唱などを聴くとやっぱり庶民の生きる力のようなものが感じられて素敵です。

 重唱系は中堅と若手との混合チームですが、皆よかったと思います。特に童子の三重唱はどの場面でもいい感じにハモっていてバランスもよく出色の出来。これは一番下の進美沙子がしっかり支えて、童子2の小原明実が三人をしっかり溶け込ませた硬化なのでしょうね。Braveです。同じく侍女の三重唱も良かった。三人とも普通の黒のドレスで、妖艶さは感じられなかったのですが、ハーモニーはよく合っていて綺麗な和音が響きました。ただ、童子の三重唱と比べるとソロで歌う部分が多く、そうなると一番下の湯澤里帆がもう少し前に出たほうがアンサンブルがもっと安定したような気がします。

 武士の二重唱は平尾啓の武士1が素晴らしい響き。流石の中年の星と思いましたが、田村智仁郎の声は今一つはっきりせず、重唱のバランスとしてはもう少し下が聴こえるといいのになあ、と思いました。

 合唱は男声は助演格の新後閑大介以外はソリスト兼任、女声は合唱専任で合計10名。女声のアルトには中原沙織のようなソリストとしてもおなじみの方が入っており、流石に皆力があって素晴らしい。

 島崎昭之助。モノスタトス。アリアは悪くなかったけどもう少しムーア人の悲しみを感じさせる歌であってほしかった。片山慎の弁者。悪くはないが、弁者に期待される重厚感はなかった感じです。 

 全体の演出ですが、元々演奏会形式で企画されたものに後から演技をつけたというもののようで、舞台美術はなし。衣裳は自前、小道具はベンチ1台のみというもので言うほどのものはないのですが、その分この作品に本質的にある「選民思想」、「女性蔑視」に対する批判的な視点は全く感じられず、歌にもその辺の意識が含まれている感じはなく、オペラ・コンチェルタンテ方式の限界なのかなという感じはしました。

 音楽的には稲葉和歌子のピアノが終始安定していて素晴らしく、大勝秀也の全体のコントロールも舞台上のトラブルに上手に対応されていたのではないかと思います。全体として序曲がカットされ、その他細かいカットはかなりありました。その分コンパクトにまとまってよかったとは思いました。

藤原歌劇団、日本オペラ協会団会員企画「魔笛」TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年10月19日

入場料:自由席 4000円

主催:ミュージックオフィス ファイブラインズ

第6回 高橋薫子 但馬由香 ジョイントコンサート

会場 としま区民センター小ホール

出 演

ソプラノ 高橋 薫子
メゾソプラノ 但馬 由香
ピアノ 瀧田 亮子

プログラム

作曲家 作品名/作詞 曲名 歌手
ロドリーゴ 4つの愛のマドリガル 何を使って洗いましょう 高橋 薫子
ロドリーゴ 4つの愛のマドリガル お母さん、ポプラの林に行ってきたよ 高橋 薫子
マスネ 作詞:ルイ・ガレ エレジー 但馬 由香
ビゼー 作詞:レグナール パストラル 但馬 由香
木下 牧子 作詩:武鹿 悦子 うぐいす 高橋薫子/但馬由香
木下 牧子 作詩:岸田 衿子 竹とんぼに 高橋薫子/但馬由香
サン・サーンス 作詩:ジュール・バルビエ 不幸な人 高橋薫子/但馬由香
休憩   
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 花娘の二重唱「末永く愛し合い、貞節を守りあいましょう」 高橋薫子/但馬由香
モーツァルト 歌劇「皇帝ティトの慈悲」 セルヴィリアとアンニオの二重唱「ああお許しを、今まで愛してきた人に」 高橋薫子/但馬由香
グノー 歌劇「ファウスト」 シーベルのアリア「花の歌」 但馬 由香
グノー 歌劇「ファウスト」 マルグリートのアリア「宝石の歌」 高橋 薫子
グノー 歌劇「ファウスト」 シーベルのアリア「幸福で君が微笑むなら」 但馬 由香
R・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」 ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱「光栄にも大役を仰せつかり」 高橋薫子/但馬由香
アンコール   
木下 牧子 作詩:岸田 衿子 ある日のたび 高橋薫子/但馬由香

やりたいものをやれる幸せ、聴ける幸せ-第6回 高橋薫子 但馬由香 ジョイントコンサートを聴く

 高橋薫子と但馬由香のジョイントコンサート、最初は美術館コンサートと称して練馬の光が丘にある美術館内で行われていたのですが、その後池袋に会場を移して今回が6回目。私自身は最初は伺えなかったのですが、その後は毎回伺って今回で5回目になります。このコンサートでは彼女たちがこれまで歌っていない新曲を出来るだけ選ぶようにして、かつやりたいものをやる、という方針で一貫しているそうです。私は高橋薫子を聴き始めて既に30年になり、コンサートを聴いたのも10回ではきかないと思いますが、かつては同じ曲を何度も歌っていたと思いますが、最近は定番の曲であっても、「私、この曲を歌うの、初めてなんです」という曲が多くなってきました。

 かつては日本を代表するスーブレットとして数多くのオペラに主演してきた高橋ですが、彼女も既に還暦を過ぎ、メインの仕事は国立音大や東京藝大での後進の指導になっています。しかし、コンサートになると必ず新曲を披露し、彼女の新たな面を見せる研究熱心なところは凄いなと思います。

 一方の但馬由香はデビューして20年を超えて脂が乗り切ったころ。最近は藤原歌劇団で主役や主要な脇役、新国立劇場でも重要な役を歌うようになり、忙しいはずなのですが、この高橋とのコンサートを楽しみにしてやはり私の知らない歌曲を紹介してくれます。

 今回は前半が歌曲、後半がオペラの曲だったのですが、かなり珍しい曲が多い。特に前半の歌曲。それも外国ものにその特徴が表れています。高橋の歌ったロドリーゴは有名な「アランフェス協奏曲」を作曲した方だと思いますが、彼がこんな作品を作曲しているかどうかは本当のところは知りません。曲の感じは2曲でもちろん違うのですが、どちらもその根底に可愛らしさがあって、楽しめました。但馬はフランス歌曲。マスネの「エレジー」はピアノ曲として比較的有名ですが、歌曲版を聴いたのは初めてです。ビゼーの「パストラル」は全くの初耳。楽しませていただきました。

 木下牧子の2曲はどちらも合唱曲として有名です。「竹とんぼに」そもそも二部合唱曲ですが、二重唱曲として聴くのは初めてだと思います。聴いて思ったのは、二人の声があっているということです。もちろんソプラノとメゾソプラノなので、声の質感は違うのですが、声が上手く混ざりあう感じがある。ユニゾンになった時の一致した感じや三度や五度で響く感じがとてもよくて、綺麗に倍音が出てきます。プロ歌手なのですから当然と言えば当然なのですが、実際はそうならないケースも多いので、二人の相性の良さを感じました。

 サン・サーンスの曲は元々はオーケストラ付の二重唱曲だそうで、私はもちろん初耳。かなり珍しいもののようで、よく探し出すな、と驚いた次第。

 後半の冒頭は「フィガロの結婚」から花娘の二重唱。高橋は日本を代表するスザンナ歌いですし、但馬はケルビーノ歌いです。花娘は若いソプラノのデビューの時などによく配役になりますが、二人にとっては全くの初役だそうです。この曲は先導した花娘の二重唱の後に合唱が付きますが、今回は合唱はなし。こちらも流石の重唱でした。

 そして歌劇「ファウスト」からの3曲。但馬由香は本年1月藤原歌劇団の本公演でシーベルを歌い、「花の歌」が素敵だったのはよく覚えていますが、今回もそれを彷彿させるもの。ただ、その時準備していたシーベルの第4幕のアリア「幸福で君が微笑むなら」は結局カットになり、本番では歌えなかったそうです。今回はそのリベンジだそうで、歌えてよかったと言っていました。もちろん、歌いたかった曲ですから歌唱ももちろん素晴らしい。聴き手にとってもいい経験でした。

 最後が「ばらの騎士」の二重唱。オクタヴィアンが銀のバラをゾフィーに届ける場面は「ばらの騎士」でも一番華やかなシーン。ピアノ一台で伴奏するのはかなり大変ですが、瀧田亮子が凄い頑張って弾いてくれたおかげで、本来の豪華さを彷彿させる歌唱でした。

 今回聴いていてとても思ったのは、やりたいものをやると、歌う側もいい感じで歌えて雰囲気がいい。聴き手としても初耳の曲が多くても楽しめて幸せを感じる、ということです。

 さらに思うのは、今回期せずして若い曲が多かったということがあげられます。最初のロドリーゴの曲も若者やもっと小さい子の曲だし、木下牧子の曲も若さを感じさせる曲。花娘の二重唱もそうだし、「ファウスト」は永遠の若さを求めて悪魔に魂を売るわけです。最後の「ばらの騎士」は元帥夫人の老いへの諦念と貴族社会の没落とがシンクロナイズされているところがこのオペラの本当の魅力ですが、この第二幕の二重唱は去っていくものに対して新たに生まれてくるものの象徴であります。今回の二人はもうどちらもベテランというべき方々です。このような選曲をされたのは偶然なのでしょうが、一方で若さの持つ明るさに対する羨望が深層にはあったのかもしれないな、と思った次第です。

第6回 高橋薫子 但馬由香 ジョイントコンサートTOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年10月20日

入場料:S席 き-39番 3000円

主催:国立音楽大学

2024年国立音楽大学大学院オペラ公演

オペラ3幕 字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「偽の女庭師」K.196 (La finta giardiniera)
台本:(伝)ジュゼッペ・ペトロセリーニ

会場 国立音楽大学講堂大ホール

スタッフ

指 揮 小林 資典
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
チェンバロ 朴 令鈴
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
音 響 片桐 健順
舞台監督 徳山 弘毅

出 演

サンドリーナ 鈴木 琉花
ベルフォーレ伯爵 足立 悠道
アルミンダ 添野 愛彩
市長 井戸 遼太郎
ラミーロ 金沢 真衣
セルベッタ 藤田 真由
ナルド 大島 嘉仁

珍曲の理由-2024年国立音楽大学大学院オペラ公演「偽の女庭師」を聴く

 国立音楽大学の大学院オペラは既に50年の伝統を誇りますが、取り上げられてきたのは常にモーツァルト、それも「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」のダ・ポンテ三部作にほぼ限定されています(「イドメネオ」や「皇帝ティートの慈悲」を上演したこともあります)。これは登場人物が比較的多めで、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンがバランスよく配置され、夫々にアリアがあり、また重唱も多くてその種類も豊富というオペラの基本を勉強するのにうってつけということがあると思います。しかし最近の音楽大学の大学院は国立音大に限らずソプラノが圧倒的多数になってバリトンがいないらしい。国立音大も例外ではなく、今年の大学院2年のオペラコースの院生は、10人中8人が女声、2人がテノールということで、女声が多数活躍し、夫々にアリアがある作品として「偽の女庭師」に白羽の矢が立ったようです。

 「偽の女庭師」はモーツァルト19歳の時の作品で、流石に若書きであり、重唱の複雑さなどはダ・ポンテ三部作とは比較になりませんが、ソプラノ過多の学生の状況を見ればやむを得ない、という判断だったのでしょう。日本国内で上演される機会はあまりなく、私は14年ぶり二度目の鑑賞。14年前に楽しんだ覚えはあるのですが、そのストーリーも音楽もほぼ完全に忘れており、その面では新鮮な気持ちで楽しむことができました。

 14年前の自分の感想を読んでみると、演奏もあまりよくなかったようで、今一つの評価だったのですが、今回は「アリアに比重が偏っている」、「ストーリーに深みがなく、ダ・ポンテ三部作の面白さにはかなわない」など、作品そのものに対する思いは色々ありますが、演奏としては全然悪いものではありませんでした。これは同級生と先輩の同窓生の歌手で作り上げる良さであり、また一年間じっくりと作品に向き合って取り組んできた成果なのでしょう。

 特に大学院生四人は皆、それぞれの持ち味を出して、いい雰囲気を示しました。第一幕は冒頭とフィナーレ以外はアリアとレシタティーヴォで繋がれて物語の背景が明らかにされるのですが、ナルド以外の6人にそれぞれアリアがあります。どれもが技巧的なものなのですが、皆、それぞれの技巧をきっちり決めて、それぞれの持つ大げさな感じを上手に示したのではないかと思います。皆よかったと思うのですが、個人的には特にラミーロを歌った金沢真衣、セルベッタ役の藤田真由に特に魅力を感じました。

 助演陣では何といっても井戸遼太郎の市長が良かった。普通のオペラブッファならこの市長の役はバッソ・ブッフォに歌わせる立ち位置の役柄ですが、モーツァルトはそれをキャラクターテノールの役として書き、それが高音のコミカルさを見せて面白い。アリアは内容的には自分の気持ちを楽器の特徴にたとえ、それに合わせて楽器がソロを演奏するという結構凝った曲ですが、井戸はそれぞれの楽器の特徴を上手く使いながらと気持ちをを歌って、雰囲気を盛り上げました。

 今回スーブレット役はセルベッタになるわけですが、スーブレットは物語の基本的筋に絡むことはありません。その意味で、ダ・ポンテ三部作におけるスザンナ、ゼルリーナ、デスピーナとは違っているのですが、その分キャラが立っていて、雰囲気的にはデスピーナに一番近い感じです。そんな役を藤田真由は高音の見事なコロラトゥーラのテクニックも見せて良かったのではないかと思います。

 一幕のフィナーレはアンサンブル・フィナーレでてんやわんやの大騒ぎになるわけですが、だんだん盛り上がってスピードが上がっていく感じに皆いい感じでアンサンブルしており、楽しめました。

 二幕もフィナーレ以外はレシタティーヴォとアリアの連続ですが、モーツァルトの天才的なところはアリアのスタイルを色々書き分けているところなのでしょう。この幕で味になっているのはナルドのアリア。このナルドを助演の大島嘉仁が歌いましたが、この大島のコミカルな歌が面白い。セルベッタにイタリア風、フランス風、イギリス風で言い寄って見せるのは、後年、ロッシーニが「ランスへの旅」のなかでドン・ブロフォンドが歌う骨董品のアリアの先駆を言っているようにも思いましたが、大島は上手に歌い分けていたと思います。

 アルミンダは自分は上流階級の人よと鼻にかける鼻持ちならない女ですが、それを添野愛彩はいやらしくなり過ぎない程度にコミカルに歌ってみせてそこもいい。結構深刻な内容の短調のアリアもあったようですが、ブッファの範囲の中で雰囲気を出していたように思いました。

 この作品の中で役柄的によく分からないのが、実はタイトル役のサンドリーナと相手役のベルフォーレ伯爵です。オペラの前史としてあるのは、ベルフォーレ伯爵は恋人の侯爵令嬢ヴィオランテを嫉妬のあまり刺し殺して逃亡しました。ところが一命を取り留めた彼女は、なお、愛している伯爵を探し出すためにサンドリーナと名を変え、市長のドン・アルキーゼの女庭師として雇われています。市長の姪のアルミンダは伯爵との婚約が整い、市長宅にやってきます。恋人を殺して逃亡している筈のベルフォーレがのこのこと市長宅に来るのも変ですし、それができるなら、ヴィオランテは市長宅に庭師として潜り込まなくてもベルフォーレを探せたのではないかと思うのです。オペラは何でもありだからこういう設定でもいいのですが、二人のキャラクターがなかなか理解しにくいものになります。

 ベルフォーレを歌った足立悠道はあまり深くは考えてはいなかったようで、楽譜通りにモーツァルトテノールらしい、明るく軽い声でベルフォーレを歌われたと思います。それはそれでいいのですが、役柄的には元カノを殺した陰りがあってもいいと思ったのですが、そういったところは感じることができませんでした。鈴木琉花はサンドリーナのアンビバレントな性格が逆に考えすぎる原因になっていたようで、どの曲もしっかり歌われていて素晴らしいのですが、サンドリーナにどのような性格を与えるかについて自分の中では回答がなくて、聴いていて何となく中途半端な感じを受けました。

 小林資典の音楽作りは、モーツァルトの若さを意識したものだったように聴きました。オーケストラも指揮者の意図に寄り添って演奏していたように思えました。演出は中村敬一。中村らしいストレートでオードドックスな演出は、滅多に演奏されることのないオペラの面白さを伝えるのに丁度いいのではないかと思いました。

2024年国立音楽大学大学院オペラ公演「偽の女庭師」TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年10月26日

入場料:全自由席 4800円

主催:相模原シティオペラ

相模原市民によるオペラガラコンサート&オペラ「アマールと夜の訪問者」

オペラ1幕 日本語字幕付日本語訳詞上演
メノッティ作曲「アマールと夜の訪問者」 (Amahl and the Night Visitors)
台本:ジャン・カルロ・メノッティ

会場 杜のホールはしもと 多目的ホール

スタッフ

指 揮 柴田 慎平
ピアノ 久保 晃子
キーボード 狩野 弘子
合 唱 相模原シティオペラ合唱団
演 出 舘 亜里沙
美術協力 アトリエKINOEDA
照 明 おおやま こうへい

プログラム

作曲家 作品名/作詞 曲名 歌手
ヴェルディ 椿姫 乾杯の歌 全員
モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ フィオルディリージとフェランドの二重唱「まもなく私は許嫁の腕の中」 高橋 初花/須藤 章太
マスカーニ 友人フリッツ スーゼルとフリッツの二重唱「スーゼル、おはよう」 小松 美紀/石垣 敏伸
ヴェルディ 海賊 メドーラのアリア「あの人は帰ってこない」 目代 好美
ドニゼッティ 愛の妙薬 アディーナとドゥルカマーラの二重唱「何という愛」 首代 明子/大島 興明
ヴェルディ オテッロ イヤーゴの信条 四方 裕平/須藤 章太
マスネ サンドリオン サンドリオンのアリア「やっと家に着いたわ」 藤本 恵美子
メノッティ 電話 ルーシーのアリア「もしもし!ああ、マーガレットね」 藤本 恵美子
休憩   
メノッティ アマールと夜の訪問者 全曲 別項

出 演

アマール 玉田 弓絵
久保田 華代子
カスパール王 狩野 武
メルキオール王 水澤 聡
バルタザール王 赤木 恭平
従者 木の枝 棒太郎
ダンサー 沙月 愛奈
天使(黙役) 田中 美音
ナレーション 峰 まりか

会場の問題、歌手の問題-相模原市民によるオペラガラコンサート&オペラ「アマールと夜の訪問者」を聴く

 相模原シティオペラは例年夏に相模原市民会館の大ホール本公演をやっていて、私も何度か聴いていますが、このホールは古い市民会館等の常で、音響はあまりよくはありません。一方、「杜のホールはしもと」のホールはとても音響のいい音楽ホールで、「相模原市民オペラも音響のいいホールで演奏したいと思ったんだな、良いことだな」と一人合点して、会場に向かいました。ところが「杜のホールはしもと」に行ったら、やっている演奏会はオカリナか何かの演奏会で、「え、会場、間違えたかな」と一瞬びっくりしましたが、よくよくチラシを見てみると会場は、「杜のホールはしもと」の多目的ホール。

 こちらに伺うと、多目的ホールは床がフラットな体育館みたいなホールで、せり上がりの舞台はありますが、その高さは低く、視認性はよくありません。さらに音響が最悪。極めてデッドで響かないことこの上ない。歌手にも楽器にも非常に使いにくいホールでした。生の声が飛んでくるのは歌手の生の実力が分かりますが、今回第一部で出演した歌手は、ありていに申しあげればほとんど名の知れた方はおらず、歌唱内容も全員がイマイチと申しあげてよいレベル。そもそも力量がない中響きが悪いので、正直なところ聴いていてあまり楽しいものではありませんでした。

 その中で比較的良かったのは最後に歌った藤本恵美子。この方も歌ったのはサンドリヨンのアリアと「電話」のルーシーのアリアと普通ガラコンサートでは取り上げられない曲ですが、曲の雰囲気が分かる歌いわけをしていたと思います。また、四方裕平による「イヤーゴのクレド」もカッシオとのレシタティーヴォから入っていて全体的な雰囲気も悪いものではないのですが、悪のオーラを感じさせるには経験不足な感じ。その前の「愛の妙薬」の二重唱もアディーナは気の強いおきゃんな感じがもう少しあった方がいいと思うし、ドゥルカマーラはもっと軽薄に歌わないと雰囲気が出ません。

 そんなわけで前半は全然よいとは思わなかったのですが、後半の「アマールと夜の訪問者」はうって変わっていいパフォーマンスでした。これは会場全体を使ってオペラの雰囲気を出そうとした舘亜里沙の演出の効果とアマール役の玉田弓絵の伸びやかな歌唱と三人の王様の重唱がまとまっていたことが大きかったと思います。

 玉田弓絵。よかったです。今回は日本語の字幕付で日本語で歌われましたが、字幕なくて何を言っているかが明確だったのは彼女だけでした。クリアで且つすっきりした歌いっぷりで高音の伸びもよく、「嘘つき」と思われている実は心の清らかなアマール少年を上手に表現していたと思います。玉田の歌はこれまで何度か聴いたことがあって知ってはいましたが、オペラで主役級を歌っているのを聴くのは初めてで、彼女の魅力を楽しめたと思います。

 母親の久保田華代子。雰囲気は悪いものではないのですが、声が籠っていて日本語が明確に聴こえてこないのが痛い。字幕があるので問題はないのですが、もしなかったら、何を言っているのかが半分ぐらいは分からなかっただろうと思います。

 三人の王様は二人のベテランと若手バスによって演奏されましたが、この男声アンサンブルが綺麗だし、ちょっとコミカルな雰囲気も出ていてとてもいい。さらに木の枝棒太郎の従者。ほとんど黙役ですが、ちょっと歌うとそこが印象的に決まって素敵でした。合唱も良かったです。入っているメンバーは町田や相模原あるいは川崎方面でオペラを上演するとよく舞台に上がるメンバーで練習が十分足りている感じはなく、アンサンブルとしては乱れも多かったのですが、個々人に力量のある人が多かったせいか、作品全体の雰囲気にはマッチした歌唱で良かったです。

 上術の通り舞台は狭くかつ低いので、演技は舞台の上でやるだけではなく、通路や後方の空間も使用した会場全体を使いました。合唱が通路の両側に立って歌うと会場全体が音に取り囲まれる感じになっていい感じでした。狭い舞台を逆手に取った舘亜里沙のいい演出だったと思います。

相模原市民によるオペラガラコンサート&オペラ「アマールと夜の訪問者」TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年10月27日

入場料:C席 3FL1列19番 9000円

主催:公益財団法人東京二期会

Tokyo Opera day 2024、ボン歌劇場との共同制作、東京二期会オペラ劇場

オペラ3幕 日本語、英語字幕付原語(ドイツ語)上演
リヒャルト・シュトラウス作曲「影のない女」作品65 (Die Frau ohne Schatten)
台本:フーゴ・フォン・ホフマンスタール

会場 東京文化会館大ホール

スタッフ

指 揮 アレホ・ペレス
管弦楽 東京交響楽団
合 唱 二期会合唱団
合唱指揮 大島 義彰
演 出 ペーター・コンヴィチュニー
舞台美術 ヨハネス・ライアカー
照 明 グイド・ペツォルト
ドラマトゥルク ベッティーナ・バルツ
演出助手 太田 麻衣子/森川 太郎
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

皇帝 樋口 達哉
皇后 渡邊 仁美
乳母 橋爪 ゆか
伝令史 友清 崇/髙田 智士/宮城島 康
若い男の声 下村 将太
鷹の声 種谷 典子
バラク 河野 鉄平
バラクの妻 田崎 尚美
バラクの兄弟 的場 正剛/水島 正樹/狩野 賢一

読替演出の許容範囲-東京二期会オペラ劇場公演「影のない女」を聴く

 これは、オペラの舞台として失格でしょう。

 私は基本オーソドックスな舞台が好きなのですが、だからと言って読替演出を一概に否定するものではありません。しかしながら読替えには節度がなければならないと考えており、その節度とは要するに「楽譜に忠実であること」だと思っています。楽譜に忠実とは楽譜に書かれたことをその通りに演奏するのが基本ですが、楽器を減らしたり、例えばピアノ伴奏に変更したり、というのは許される範囲だと思いますし、またストーリーの本質に大きく影響を与えない範囲でカットもありでしょう。例えば、「フィガロの結婚」では第4幕のドン・バジリオのアリアとマルチェリーナのアリアは慣習的にカットされることが多いですが、これは別に構わないと思います。この2曲は悪い曲ではありませんが、ストーリーの本質に直接関与する曲ではないからです。

 「影のない女」について考えると、この曲はかなり難解な作品で、慣習的にカットされる部分が決まっていると言う話はきいたことがありませんが昔は30分程度のカットはよくされていたようで、例えばシノーポリの録音は30分ほどのカットがあります。しかし、原典尊重の立場から最近はカットは最小限にするのが多いようで、私が聴いた過去の例でいえば、2010年の新国立劇場における上演では休憩2回を入れて上演時間は4時間を超えていて、カットはかなり少なかったのだろうと推定されます。正直なところ、ホーフマンスタールの台本は難解で、というよりも推敲不十分で同じ話をまとめるにしてももっと何とかならなかったのかとは思いますが、しかし、台本作家はそれで良しとし、作曲家もその台本を踏まえて曲をつけているわけですから、そこは尊重するのは大前提でしょう。

 今回はこの台本に思いっきり手を入れました。即ち、本来は三幕もので、ノーカットだと各幕が70分、70分、60分の合計3時間20分かかる作品が、今回は第一幕はほぼ生かしたものの、第二幕は前半だけ演奏されてそこで第一部が終了になり休憩。第二部は第三幕の冒頭から始まり、フィナーレに向かって話が収束していく部分が突然第二幕の終盤に繋がり無理やりエンディング。これだけでもありえない変更ですが、そのうえ、新たに作られたベッティーナ・バルツの台本もホーフマンスタールに輪をかけてわけわからない内容。彼自身が作詞した台詞を作って無理やり挿入しているうえに、それならば全部書き換えればいいものをホーフマンスタールのオリジナルも残しているようで、要するに支離滅裂です。そもそも分かりにくい話が、ストーリーを改ざんすることにより、ますます訳の分からない話になっています。ゲネプロレポートもいくつか出ていましたが、後から読み直してみると結構歯切れが悪くて、それらを書いた評論家たちもかなり困惑していたことが読み取れます。

 このような変更を来なった理由をドラマトゥルクのバルツはパンフレットにいろいろ書いていますが、要するに現在のポリティカルコレクトに合わせてストーリーを変更したということであって、言うまでもないことだけど、ポリティカルコレクトに沿って歴史的な事実や長年の慣習を批判するのは自由ではあるが、たとえポリティカルコレクトであるとしても、芸術家がその時代その時代背景に影響されて作り上げた作品を改ざんしてよいということにはなりません。

 更にミソロジーに対して焦点を当てているようですが、元々の作品がそこまで女性蔑視の作品なのか。もちろん「影のない女」=妊娠できない女であって、それが不幸であるというのは男の思い込みかも知れないけれど、実際のところ、この作品の背景には第一次世界大戦があって、そこにおける人類史上初めての大量殺戮が背景にあって、そこで失われた「生」を悼む気持ちが奥底にあることや、現代においても世界には実際に不妊治療を受けている女性が沢山いて、その人たちは妊娠を望んでいること、またそもそも「影のない女」という作品自身が「魔笛」にインスパイヤされたメルヘンであると考えたとき、「影のない女」を「女性蔑視」として改ざんしなければならないほどポリティカルにインコレクトな作品だとも思えません。

 それでも実際に見せられた演出も支離滅裂です。実際の舞台美術は全体的に清潔感がありすぎて、その近未来的感覚が「ちょっと違う」と思いましたが、それでも霊界の皇帝の宮殿と地上の染め物工場をマフィアの巣くう都会の地下駐車場と遺伝子操作の研究所とした発想はありでしょう。しかし、そういう設定をしたら、その設定が観客に納得できるように作っていくのが演出家の仕事でしょう。そこが本当にわけわからないカオス状態になっていて、霊界と人間界を行き来するのは本来皇后と乳母だけのはずなのに、皇帝もバラクの家を訪問してバラクの妻とセックスするなんて何故そうしたのかが理解できません。それ以外にも本来歌う人じゃない人が歌ったり、訳の分からない日本語の台詞を放り込んだり、結局ひたすらカオスなだけで、久しぶりにこの作品を聴いた私には、「?」が10個も20個も並ぶような舞台で納得感はゼロでした。

 音楽的には聴かれた皆さんが大絶賛されており、それについては概ね異論はありません。ただ、この演出に対して音楽側から異議を唱える人はいなかったのか。当初バラク役でアナウンスされていた清水勇磨は体調不良で降板したそうですが、これが彼の「芸術上の理由」で降板していたなら格好良かったのでしょうけど。

 それにしても賛否が分かれる(というよりも否定的な意見が多くなる)舞台を務めるのは歌手やオーケストラは大変だと思います。この素晴らしいシュトラウスの音楽を切り刻んだ舞台を指揮したアレホ・ペレスは共犯者ではありそれをあまり褒め称えるのはどうかとも思いますが、シュトラウスのオペラの中でも最大の規模のオーケストラを美しくドライブした手腕は称えていいのでしょう。歌手に関しては田崎尚美のバラクの妻が出色。この分厚いオーケストラの音に負けないふくよかな声を堪能することができました。また代役ながら素敵なバラクを歌った河野鉄平、円熟の皇帝を聴かせてくれた樋口達哉に関してもBravoと申し上げましょう。もう一つ、歌手たちの演技も良かった。エロティックでグロテスクな演出ですが、それでも嫌悪感を感じさせないようにしっかり演出家の世界観に沿って演技・歌唱を行ったのは、彼らのプロフェッショナル精神のなすところであって、そこは称賛されてしかるべきだと思います。

 それだけに二幕の後半と三幕の意味のないカットやグロテスクな切り貼りが残念なのです。カットされた第三幕は本来は救済の場面です。バラク夫妻が愛を取り戻して天上の扉が開かれ、皇后がバラクの妻を見て「Ich will nicht」と高らかに宣言するクライマックス。そしてその後生じる平穏と静寂の音楽、どう考えてもこの終わり方の方が、争いのままバッサリと切る不安定な終わり方より10000倍ましです。

 読替演出はどうぞやってください。でも改ざんはいけません。それだけです。

東京二期会オペラ劇場公演「影のない女」TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年11月10日

入場料:B席 2FH列41番 8000円

主催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団「日生劇場」

NISSAY OPERA 2024

オペラ2幕 日本語字幕付原語(フランス語)上演
ドニゼッテイ作曲「連隊の娘」 (La fille du régiment)
台本:ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ/ジャン=フランソワ=アルフレッド・バイヤール

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 原田 慶太楼
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 C.ヴィレッジシンガーズ
合唱指揮 三澤 洋史
演 出 粟國 淳
美 術 イタロ・グロッシ
照 明 稲葉 直人
衣 裳 武田 久美子
ヘアメイク 橘 房図
振 付 伊藤 範子
舞台監督 山田 ゆか

出 演

マリー 熊木 夕茉
トニオ 小堀 勇介
ベルケンフィールド侯爵夫人 鳥木 弥生
シュルピス 町 英和
オルテンシウス 森 翔梧
伍長 市川 宥一郎
農民 工藤 翔陽
クラッケントルプ公爵夫人 金子 あい

長年の渇望-NISSAY OPERA 2024「連隊の娘」を聴く

 この10年来、自分にとって一番見たいオペラが「連隊の娘」でした。

 知られていない作品ではない。というより、70数作あるドニゼッティのオペラ作品の中では「愛の妙薬」や「ルチア」といった作品ほどではなくても、比較的有名な作品です。また「ああ、友よ、何と楽しい日」、「行かなくてはならないの」、「フランス万歳」などのアリアは、時々コンサートピースとしても取り上げられます。しかしオペラとしては、日本ではほとんど上演されない。日本初演は1914年と言うからもう100年以上昔です。しかし、本格的に上演されたのはこれまでただ2回、2006年のボローニャ歌劇場の日本公演と2017年のびわ湖ホールだけです。私は諸事情でどちらも聴くことができず、これまでは録音やビデオで楽しむだけでした。

 しかし、日生劇場が遂に取り上げてくれた。昨年、このことが発表になった時、私は小躍りして喜びました。「遂にこの名作が聴ける」、そう思うとそれだけでワクワクしました。

 そして現実の舞台。一言で申し上げれば流石に日生劇場の舞台でした。オリジナルのフランス語台本による全曲ほぼノーカット上演、粟國淳によるポップで楽しい舞台と原田慶太楼の切れ味のいい音楽作りは、この作品の楽しさを知らしめるのに丁度いい素晴らしいものだったと思います。最高の形で長年の渇望がようやく癒されました。

 とにかく台詞が多いです。台詞もフランス語で上演されたのですが、本当に長い。通常であればレシタティーヴォになるところが全部台詞なわけですが、通常の上演ではこの台詞はかなりカットされるそうです。しかし今回はノーカットではなかったようですが、7-8割は残していたようです。出演者曰く「世界一台詞の多い連隊の娘」だそうです。その結果、舞台としてはやや冗長になったきらいはありますが一方でストーリーが事前予習なくてもすっきりと頭の中に入ってきて、非常に分かりやすい。そして粟國淳の演出が素晴らしい。

 この作品の本来の時代設定は、1815年ごろのナポレオン戦争のころで、マリーが育てられる第21連隊はドイツに攻め入る侵略軍です。侵略軍は今日においてもロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ地区に対する侵攻など許されないもので、根本的には殺伐としたものでう。そこにマリーとトニオの恋愛劇は似合わない。そこで粟國淳は舞台をカラフルなおもちゃの世界に切り替えてしまいました。出てくる兵隊は皆おもちゃの兵隊さんだし、ベルケンフォード夫人やオルテンシウスが身に着けている衣裳は、昔雑誌の付録についてきたような、紙の着せ替え人形の着せ替えです。だから、この着せ替えを来た人たちは横を向かない。基本的にはカニ歩きですし、後ろを向いて背中を見せると恥ずかし気に逃げてしまう。

 こうしたおもちゃの世界に舞台を持ち込むことで、リアルな戦争の愚かしさや貴族世界の虚飾の虚しさ、男女間の愛の素晴らしさや母性愛などが不自然ではなく浮かび上がり、読替演出の見事な成果になったと思います。更にはカラフルでポップな舞台はこの作品のひとつひとつの曲のキャッチ―な側面も浮かび上がれせることができており、ドニゼッティにしてみれば、「フランスから頼まれたからよいしょして書いてやったよ」ぐらいの気持ちだったと思うのですが、ドニゼッティのそんな職人的手腕の凄さも浮き上がらせたように思います。

 歌手では何といってもトニオの小堀勇介でしょう。一番の聴かせどころ、9回のハイCを出すことで有名な「ああ、友よ、何と楽しい日」は本当に素晴らしいものでした。小堀の声は一時よりは若干重くなったと思うのですが、その分、高音もしっかり力が乗った素晴らしい響きになります。あの9回をどれもまったくかすれることなく、しっかりと力を込めて歌えるところ、Bravo以外の何物でもありません。指揮者の原田慶太楼も指揮台から大いに拍手、「アンコールやります」と声をかけて、BISをやって見せました。そのアンコールの歌も同様に素晴らしいもの。アンコールに応えた小堀の男気も称えましょう。このアンコールの影響かどうかは分かりませんが、二幕のトニオのアリア「マリーの側にいるために」のアクートは、この第一幕のアリアほどは上手くいっていなかったので、喉には結構負担はあったようです。

 マリーの熊木夕茉。今回がオペラデビューという新星。オーディションでこの役をつかんだようですが、それだけのことはあります。舞台の上を溌溂と動き回り、その元気な感じはこの舞台にぴったりです。一部歌詞が飛んで音がなくなったり、プロンプして貰ってやっと歌えたり、音楽的には傷はそれなりにあり、デビューの重圧が気持ちにのしかかっていたのだろうなとは思います。しかしそんな中でも溌溂とした伸びやかな歌唱や、身体全部を使った元気いっぱいの演技は良かったですし、一番の聴かせどころのロマンツァ「行かなければならないの」は情感の籠ったしっとりとした歌で、大器の片鱗を見せました。

 脇役も適役。

 ベルケンフォード侯爵夫人は鳥木弥生が演じましたが、この方は芸達者。SNSなどを拝見していますとそもそもがユーモアのある方のようですが、紙の着せ替え人形として登場した今回は、ちょこちょことカニのように横歩きするところなど、非常に楽しんでやっているんだろうな、という感が見受けられました。アリアは冒頭のクープレぐらいで音楽的にはあまり特徴的な役ではないのですが、フランス語の長台詞が凄くて、よくあれだけ覚えてしっかりやるなあと感心。特に、自分はマリーの伯母ではなく、マリーが自分の結ばれなかった大尉との子であることがばれ、最後にこれまで進めてきた公爵家との縁談を破棄し、「好きな相手と結婚させてやります」という第二幕後半は、鳥木弥生ならではの存在感とオーラがあり、素晴らしかったと思います。

 シュルピスの町英和もいい。基本的には重唱で支える役ですが、初舞台の熊木をしっかりフォローして上手に助けていました。また、終始マリーの味方として立ち回る演技も音楽どもども、熊木マリーにしっかり寄り添っており、よかったと思います。

 もう一つ重要なのは合唱。藤原歌劇団でプリモバリトンを歌う市川宥一郎や最近成長著しい工藤翔陽が含まれる合唱はパワフルで、魅力満点。いわゆる「男声合唱」に想像される合唱とは違うのですが、それぞれが自発的であり、バラバラなのだけど揃っているみたいな兵士の合唱は、舞台を盛り上げるのに大きな役割を果たしました。

 原田慶太楼/読響の音楽作りも素晴らしい。原田慶太楼と言えば、アメリカものなどの割とポップな感じの曲を得意とする指揮者というイメージがあったのだけれども、今回は彼のポップなイメージと華やかで可愛らしい舞台がちょうど合っていて、バランスがいい。今回は、指揮もノリノリで、それでいてしっかり歌手にも寄り添っており、この楽しい舞台をより楽しく見せようとする姿勢が素晴らしい。特に、小堀勇介の素晴らしい「ああ、友よ、なんと楽しい日」にアンコールさせたのは、ある意味危険な賭けだったと思うのですが、劇場を興奮のるつぼに追い込んだという点で、よい判断だったなと思います。

 読響の基本高いレベルの演奏技術は当然健在ですが、原田慶太楼の指揮に乗せて明るい音を奏でていたのも印象的。読響と言えば重厚なドイツ音楽というイメージがあるわけですが、21世紀も20年過ぎて、そういう印象は過去のものとして捨てなければいけないな、とも思いました。

NISSAY OPERA 2024「連隊の娘」TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年11月22日

入場料:B席 2F E列34番 9000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団「日生劇場」

藤原歌劇団90周年記念公演/NISSAY OPERA 2024

オペラ2幕 日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッテイ作曲「ピーア・デ・トロメイ」 (Pia de'Tolomei)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 飯森 範親
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 安部 克彦
演 出 マルコ・ガンディーニ
美 術 イタロ・グロッシ
照 明 西田 俊郎
衣 裳 マリオ・ディーチェ
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

ピーア 伊藤 晴
ネッロ 井出 壮志朗
ギーノ 藤田 卓也
ロドリーゴ 星 由佳子
ランベルト 龍 進一郎
ウバルト 琉子 健太郎
ピエーロ 相沢 創
ビーチェ 黒川 亜希子
牢番 濱田 翔

ヴェルディの先駆者-藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」初日を聴く

  感想はこちら。

藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」初日TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年11月23日

入場料:B席 2F E列24番 9000円

主催:公益財団法人日本オペラ振興会
共催:公益財団法人ニッセイ文化振興財団「日生劇場」

藤原歌劇団90周年記念公演/NISSAY OPERA 2024

オペラ2幕 日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ドニゼッテイ作曲「ピーア・デ・トロメイ」 (Pia de'Tolomei)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

会場 日生劇場

スタッフ

指 揮 飯森 範親
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 安部 克彦
演 出 マルコ・ガンディーニ
美 術 イタロ・グロッシ
照 明 西田 俊郎
衣 裳 マリオ・ディーチェ
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

ピーア 迫田 美帆
ネッロ 森口 賢治
ギーノ 海道 弘昭
ロドリーゴ 北薗 彩佳
ランベルト 大澤 恒夫
ウバルト 西山 広大
ピエーロ 別府 真也
ビーチェ 三代川 奈樹
牢番 濱田 翔

ドニゼッティの魅力の見せ方-藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」2日目を聴く

  「ピーア・デ・トロメイ」の日本初演は、昭和音楽大学が大学オペラとして2007年に行われ、2010年に再演されています。この時使用された楽譜はパガンノーネ改訂版。この楽譜がどのような由来のものかは私は知らないのですが、2007年の時点では批判校訂版は発表はされていたようですが、出版されたのは2009年。今回は批判校訂版による日本初演ということになります。ちなみにパガンノーネ改訂版は、初演で使用されたヴェネツィア版に第1幕のフィナーレを改訂後の大コンチェルタート版に変更したもののようで、基本的に今回の藤原公演と一緒。2007年の公演は演出がマルコ・ガンディーニで、薄い記憶をたどると、かなり類似した舞台だと思うのですが、同じ演出家が類似の楽譜で演出したことが関係するのかもしれません。

 ちなみにこの「ピーア・デ・トロメイ」は「ランメルモールのルチア」の2年後に初演されていること、舞台が教皇派と皇帝派の対立を背景にした13世紀に置かれていて、勇壮な音楽が多く使用されていることから、ヴェルディの初期の作品との類似性を感じられるところがあります。また作品としてはオーケストレーションはまだまだ単純ですが、音楽全体としてはかなり凝縮されて作られており、比較的長い(冗長な?)スタイルのベルカント・オペラからドラマを凝縮して劇的に聴かせる時代への変化を感じさせるものになっています。

 指揮の飯森範親は二日間とも同じように指揮をして、盛り上げるところは盛り上げるし、歌に寄り添うべきところは寄り添って変幻自在。ベルカント・オペラらしい旋律美も見せるところは見せながらも基本的にはきびきびした音楽づくりで、引き締まった力強い音楽をオーケストラから引き出していました。

 しかし、ダブルキャストで聴いた両日はテイストがかなり違っていました。初日の伊藤晴がピーアを演じたグループは全体的に力強さが先に来る感じの演奏となっており、ヴェルディ的な勇壮な味わいが先に来るもの、一方で、迫田美帆がピーアを演じた二日目は、ベルカント的な細かい装飾による技巧や柔らかい表現がドニゼッティの抒情性を浮きだたせており、音楽の自然な流れも相俟って、聴き手にストレスをかけないような音楽になっていました。

 基本となるオーケストラが変わらない中で、これだけ雰囲気の違う舞台に仕上がったのは、いかにオペラにおける歌手の影響が大きいかという一つの証拠になるようにも思います。

 ピーアに関しては迫田美帆が断然よかったです。伊藤晴も第二幕のアリアなど、情感のこもった素晴らしい歌で魅力的であったのは確かですが、第一幕はあまり調子が良くなかった様子で、音楽が流れないのです。この流れない原因が彼女だけにあったのかどうかはわからないのですが、一部歌詞が落ちてしまい、音楽を停めてしまったのは残念ながら事実です。

 一方で迫田美帆は、これぞベル・カントともいうべき歌を披露しました。彼女は細かいアジリダを丁寧に組み込みながら自然に音楽を盛り上げていきます。登場のアリア「稲妻を呼び起こす神よ」においては、シェーナからカンタービレへの自然な流れやカバレッタにおける喜びの表現などが一連の流れに乗っていて、細かい技巧も冴えわたりとても魅力的な歌に仕上げてきました。一方でこの流麗な流れが、もう少しけれんを見せたほうが良いなと思ったのは、弟ロドリーゴが寝室に忍んできて、二人で喜びの二重唱を歌う場面。迫田、北薗ともに流麗すぎて、メリハリがはっきりしない感じ。こちらは初日の伊藤晴、星由佳子コンビの割と和音をはっきり聞かせようとしたスタイルのほうが自分の好みではありました。

 そういった点はありますが、最初から最後まで、これぞドニゼッティというべき軽快で細やかな歌唱をした迫田美帆は二日目の立役者だったろうと思います。

 ネッロのアプローチは、初日の井出壮志朗と二日目の森口賢二とでは全然違いました。井出は美声によるロマンチックな表現でこのネッロという役柄を演じていました。息が長くて、美声がぶれないのが素晴らしいし、第二幕のアリア「妻を失ったこの心には」は、中間に挿入されるギーノのアリアの前後で、怒りと喜びがわかるわけですが、その歌い分けや、その後自分が妻を死に追いやったことに対する絶望の表現がすべて丁寧で素晴らしいと思いました。

 一方で、森口ネッロは、ネッロという役柄を弱い悪役と見立てて、癖のある表現でその人物像を浮かび上がらせていたのが特徴的でした。音楽的には井出ネッロのほうが魅力的でしたが、ドラマにおけるポジションという点では猜疑心を芝居からもはっきり見せる森口賢二にベテランの力を感じました。

 ギーノも初日の藤田卓也と二日目の海道弘昭では全然違うアプローチ。藤田は昔はもっとリリックな声を持っていたと思うのですが、今はかなり重い印象です。低音部における迫力がすごい半面、高音の伸びは今ひとつで天井に抑え込まれている感じです。悪役っぽいドラマチックが魅力ですが、高音の伸びが今回程度だとベルカントオペラのテノールとしてはいかがなものか。確かにヴェルディ的魅力はあるのですが、ドニゼッティのスタイルとは違う感じがしました。

 一方の海道弘昭はリリックな美声で聴かせるし、高音もすっきりと上がるのですが、一方で、響きがきれいに乗らないところや、声が抜けてしまうところがあって、そこが残念かもしれません。また丁寧さという点でも改善点が残されており、冒頭の登場のアリアは、もう少し聴かせ方があるだろうにとは思いました。

 ロドリーゴ。見た目と歌のメリハリの点で星由佳子に魅力を感じましたが、音楽が流れていった北薗彩佳も悪くない。星由佳子は、藤原デビューの本舞台が今回ということもあって、かなり緊張していた様子です。そのため音楽が縮こまってしまった部分があってそこは残念ですが、その点を割り引いても、ズボン役を勇壮には歌えており、見た目のシルエットの良さもあって、よかったと思います。一方の北薗ロドリーゴは、流れる音楽の中に自分を組み込んで言った感じの歌で、全体と混然とした感じがありました。音楽としては北薗のアプローチは当然あると思います。結果としてアリアは勇壮ではあったのですが、細かいところをもっとメリハリをつけたほうがより勇壮に見えたのではないかという気がしました。

 脇役陣は初日組が断然魅力的でした。特に琉子健太郎と龍進一郎。二日目は西山広大と大澤恒夫が歌いましたが、初日組はどこを歌ってもしっかり美声が鳴って、歌詞が隠れないところが素晴らしい。二日目の二人は、張って歌うところはいいのですが、ちょっと力を抜くときこえなくなってしまいそこは残念でした。

 なお、浜田翔の牢番、ちょっとだけの登場ですが、きれいで伸びやかな声が出ており、素晴らしいと思いました。

 合唱も力強くてよかったのですが、特に男声合唱は二日目のほうが初日よりもうまくいっていた印象。

 全体としては個々には傷があったものの、全体としては音楽がよく流れていて、すっきりとまとまった二日目がより魅力的だったと思います。 

藤原歌劇団「ピーア・デ・トロメイ」初日TOPに戻る

本ページトップに戻る  

鑑賞日:2024年11月28日

入場料:B席 3F 1列40番 15895円

主催:文化庁/新国立劇場

令和6年度文化庁芸術祭主催公演

オペラ4幕 日本語字幕付原語(フランス語)上演
ロッシーニ作曲「ギヨーム・テル」 (Guillaume Tell)
台本:ヴィクトール=ジョゼフ・エティエンヌ・ド・ジュイ/イポリット=ルイ=フローラン・ビス

会場 新国立劇場オペラハウス

スタッフ

指 揮 大野 和士
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 冨平 恭平
演出・美術・衣裳 ヤニス・コッコス
アーティスティック・コラボレーター アンヌ・ブランカール
照 明 ヴィニチオ・ケリ
映 像 エリック・デュラント
振 付 ナタリー・ヴァン・パリス
演出補 シュテファン・グレーグラー
音楽ヘッドコーチ 城谷 正博
舞台監督 高橋 尚史

出 演

ギヨーム・テル ゲジム・ミシュケタ
アルノルド・メルクタール ルネ・バルベラ
ヴァルテル・フュルスト 須藤 慎吾
メルクタール 田中 大揮
ジェミ 安井 陽子
ジェスレル 妻屋 秀和
ロドルフ 村上 敏明
リュオディ 山本 康寛
ルートルド 成田 博之
マティルド オルガ・ペレチャッコ
エドヴィージュ 齊藤 純子
狩人 佐藤 勝司
ダンサー 川竹摩耶/上田舞香/岡本優香/辻しえる/三田真央/渡辺はるか/石井丈雄/小野田陽斗/岸村光熙/郡司瑞輝/富岡櫂/中村文哉/林田陸

ロッシーニは天才である-新国立劇場「ウィリアム・テル」を聴く

  「ギヨーム・テル」はロッシーニ最後のオペラ作品で最大の大作。序曲だけが有名で、本編はマティルドのアリア「暗い森」が時々コンサートで取り上げられるぐらいで全編が演奏されることはあまりありません。かつては「グリエルも・テル」としてイタリア語で上演されることが多く、私もLD時代にリッカルド・ムーティ指揮のLDを購入して、当時は楽しみました。1992年に批判校訂版が登場してからはフランス語で上演されるのが当たり前になり、日本では2010年に南條年章オペラ研究室で、ピアノ伴奏による演奏会形式でフランス語による実質的な日本初演がされています。

 これは素晴らしい試みで私も勇んで駆け付け楽しんだ記憶があります。ただ、この演奏会は、バレエ部分が全部カットで男声合唱も一部がカットというものでかなりの短縮版、もちろん演奏会形式ですから演技もなければ、ピアノ伴奏だけなので、オーケストラの迫力もない、というものでLDで見ていたスケールとはちょっと違ったものではありました。その時の私の感想は、ロッシーニの天才の片鱗は見えたものの「バレエ付きの舞台上演を早く見たい」というものでしたが、日本でかなえられるとは正直なところ、思っていませんでした。

 しかし、大野和士音楽監督、すごいですね。私が14年間心に秘めていた思いを汲んでくれて、新国立劇場でこの傑作を取り上げ、それも批判校訂版によるほぼノーカットでの上演。バレエも合唱も全部やってくださいました。この作品の凄さの全貌が初めて見えたように思います。

 作品の特徴としては、まず合唱の多用でしょう。もちろん、それまでのオペラ作品だって合唱は使われていました。だけど、バロックオペラでは、合唱が使われるのはせいぜい1曲でしたし、モーツァルトだって、合唱に重きを置いてオペラを作曲した感じがしません。ロッシーニ当人にしたって、合唱はそれまでも効果的に使っていたと思うけど(例えば、「セヴィリアの理髪師」における第一幕のフィナーレ)、ここまで合唱に重きを置いた作品を書いたのは初めてだったのではないかしら。そう思うと、合唱をソリストと同等に扱った史上最初の作品と申し上げてもいいのかもしれません。

 要所要所で出てくる合唱は、もちろん新国立劇場合唱団が担ったのですが、これがまた上手。迫力とハーモニーとが高いところで調和していて、どこをとっても素晴らしいというしかありません。今回の上演の成功は、作品がそもそも素晴らしいということがあるわけですが、その素晴らしい作品の魅力をしっかり出せたのは、新国立劇場合唱団の素晴らしい力量あってのことと思います。富平恭平の合唱指揮とともに高く評価しなければいけません。

 もう一つ賞賛すべきは大野和士の指揮です。かつての大指揮者が鬼籍に入ったり引退していく中、現在日本の指揮界のトップランナーは広上淳一と大野の二人だと思いますが、オペラ指揮者としては大野のほうが向いている気がします。オペラには広上のようにエモーショナルな指揮をするより冷静にオーケストラをコントロールする大野のほうが上手にまとめられるというのがあるのだろうと思います。今回の大野はバランスいい目配りで音楽全体をきっちりとまとめ、舞台の上では細かいトラブルもいろいろあったのですが、冷静にまとめて予定された上演時間をほぼ守って終わらせました。東京フィルハーモニー交響楽団の低音楽器群の見事な音とともにこの重厚なグランドオペラの力感をしっかり見せており、本当に素晴らしいと思いました。

 歌手陣ではタイトル役ミシュケタでしょう。この日はちょっと風邪気味だったようで、冒頭に「体調不良ですが舞台を務めます」とのアナウンスがあり、確かに、冒頭のアルノルドとの二重唱「どこに行くのだ」では、歌い終わった後、小さく咳をする場面もあってちょっと心配したのですが、尻上がりに調子を上げ、テルの一番の聴かせどころである第三幕のエア「じっと動かず」は、それほど長くもなく、盛り上がりもあまりない地味な曲ですが、それを滋味あふれる表情で歌うところ、実に素晴らしい。実は、この作品で歌うアリアはこの一曲だけで、あとは重唱や合唱とのコンチェルタートに参加するだけなのですが、テルの参加する重唱はストーリーの骨格をなすもので、とても重要です。例えば、第二幕のアルノルドとヴァルテルとの三重唱は、須藤慎吾ヴァルテルの低音の魅力もあって、アルノルドが復讐を誓う盛り上がりがいい感じに目立ちます。それ以外でもテルの存在感はこの作品の魅力を決めるもので、ミシュケタがその役の魅力を引き出していたのでしょう。

 ルネ・バルベラはベルカント・テノールの魅力を思いきり発揮しました。彼が歌うアルノルドの一番の聴かせどころは、第4幕のレシタチフ付きのエア「私に残された住処よ」になりますが、軽々と響かせるハイCがやはりテノールを聴く醍醐味でしょう。そのほか、冒頭の世の中を知らない青年からマティルドとの愛の二重唱を経て、男声三重唱でスイスの独立に目覚める感じは、まさにヒロイックテノールの魅力ですが、これをしっかり見せてくれたと思います。

 対する女声陣ですが、まず安井陽子のジェミが大健闘、あの合唱の大コンチェルタートの中で彼女の声を聴かせるのはなかなか至難で、ソロでアリアを聴かせるときの余裕はなく、かなりぎりぎりのところで歌っていましたが、その中でもしっかり声を浮かび上がらせ、存在感を示したのは見事でした。また、少年らしい動きと演技も魅力で、有名なリンゴの場面で成功した時の喜び方などははじけていてよかったです。一方で、第4幕のフィナーレのコンチェルタート、うまく合わなかった様子で、彼女が一瞬落ちた感じになり、プロンプターの指示で歌っているようにも見えました。

 エトヴィージュの斉藤純子もよかったです。冒頭のコンチェルタートでも存在感もさることながら、第4幕のアティルド、ジェミとの三重唱では、低音部をしっかり支えて、きれいな重唱を作る基盤の役目をしっかり果たしました。

 マティルドのペレチャッコ、長身で王女の雰囲気もあり悪くはないのですが、マティルドに与えられた声はペレチャッコのようなレジェーロの歌手よりももっとリリコの方のほうが似合うと思います。2010年の時は、小林厚子がマティルドを歌ったのですが、小林の声のほうがマティルドに似合っているように思いました。とはいえ、聴かせる魅力はもちろん持っていて、一番の聴かせどころのエア「暗い森」はちょっと浅い感じはありましたけど悪いものではなく、第三幕冒頭のエアも雰囲気は出ていました。一方、ペレチャッコとアルノルドの愛の二重唱は、最後がうまくかみ合っていなかった感じがしましたが、実際はどうだったのかしら。

 日本人の脇役陣では存在感と安定した歌唱で、ジュスレルの妻屋秀和が見事。また第一幕だけの登場ですが、父メルクタールを歌った田中大揮が声が立っていて、大柄な身体とともに存在感を示していました。声の魅力では須藤慎吾のヴァルテル。低音の響きが素晴らしい。また、ちょっとだけの出演ですが、成田博之のルートルドもしっかり役割を果たしました。

 山本康寛のリュオディは、冒頭の舟歌でハイCをしっかり聴かせ、村上敏明のロドルフは、どこにいても村上敏明になってしまいますが、そんな感じで存在感を示しました。

 ルネ・コックスの舞台は、抽象的な森をずっと示しており、幾何学的で堅いイメージ。あそこまでカラフルではないけれども、最初の東京リングにおけるキース・ウォーナーの舞台を思い出しました。ちなみに頭上から繰り返し降りてくる矢じりはハプスブルグ家の圧政、弾圧の象徴であり、一方で、立ち上がる民衆の象徴でもあるのでしょう。本来フィナーレでは、アルノルドとマティルドは結ばれてハッピーエンドとなるべきところですが、マティルドはハプスブルグ家の王女ながら革命軍に加担として、といって革命軍に完全に加わるわけにはいかず、フィナーレでは、後方に一人立ち尽くし、喜びの輪に加わることはありません。このあと彼女はどうなるのか、考えさせられました。

 第四幕の嵐の場面ではプロジェクションマッピングを使用。全体としては抽象と具象を混ぜた感じの舞台だったわけですが、個人的にはプロジェクションマッピングを多用して、スイス感をもっと出してくれたほうがよかったかなとは思います。しかし、こういった他民族による弾圧は、ガザ地区でもウクライナでも今まさに起きていることであり、抽象的な表現を用いることで観客に問題意識を突き付けているようには思いました。

 それにしても、四幕全部がコンチェルトフィナーレ。第一幕は村人と兵士の合唱による対立そこにメルクタールとロドルフがかみ合っていくところ、第二幕は合唱のメンバーがどんどん集まって、三人の男性ソリストの鼓舞に盛り上がっていく。第三幕は、テルの「じっと動かず」に始まり、テルの逮捕、マティルドが登場してのジェミの保護、最後は兵士と民衆とのにらみ合いと息を継がせぬ迫力。そして、ラストは崇高な合唱による終曲。

 ロッシーニはコンチェルトフィナーレの名手だったわけですが、すべての幕を合唱付きのコンチェルトフィナーレとし、それぞれ性格を変えてくるところ、彼の最終オペラとして彼の過去の経験を全部盛り込んだのだな、というのがよくわかります。そしてそのすごさを見せてくれた合唱団とソリストたち。コントロールした大野和士。とにかくロッシーニの天才ぶりを最初から最後まで感じられる素晴らしい公演でした。まだ全公演が終わっていないですが、再演を強く希望したいと思います。

新国立劇場「ウイリアム・テル」TOPに戻る

本ページトップに戻る