オペラに行って参りました-2018年(その5)

目次

ユーモラスな雰囲気を殺した後宮 2018年11月23日 東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」を聴く
野獣系カルメン 2018年11月25日 新国立劇場「カルメン」を聴く
最上ではなかったけれども 2018年12月15日 新国立劇場「ファルスタッフ」を聴く
若手の魅力、ベテランの味 2018年12月16日 舞台音楽研究会「こうもり」昼公演、夜公演を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

2018年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5 どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4   どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3     どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2       どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年            どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2018年11月23日
入場料:2階H列44番 9000円

主催:(公財)東京二期会
共催:(公財)ニッセイ文化振興財団【日生劇場】

日生劇場開場55周年記念公演
NISSEI OPERA 2018提携

モーツァルト・シリーズ

オペラ3幕 字幕付き原語(ドイツ語)、台詞の一部日本語上演
モーツァルト作曲「後宮からの逃走」(Die Entführung aus dem Serail, K.384)
台本:ゴットリープ・シュテファニー

会場:日生劇場

スタッフ

指揮 下野 竜也
オーケストラ 東京交響楽団
合唱 二期会合唱団
合唱指揮 大河内 雅彦
演出 ギー・ヨーステン
舞台美術 ラモン・イバルス
照明 喜多村 貴
衣裳主任 アルベルト・マルティネス・カスターニョ
アクション指導 古賀 豊
舞台監督 幸泉 浩司
製作 東京二期会
公演監督 佐々木 典子

キャスト

セリム 大和田 伸也
コンスタンツェ 安田 麻佑子
ブロンデ 宮地 江奈
ベルモンテ 山本 耕平
ペドリッロ 北嶋 信也
オスミン 斉木 健詞

感想

ユーモラスな雰囲気を殺した後宮-東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」を聴く

 イギリスは離脱することが決定したものの、EUはヨーロッパ国家として認められるひとつの試金石なのか、加盟したい国はいくつもあるようです。トルコはその最右翼で、1980年代から加盟を熱望しており、現在加盟候補国となっているそうです。つまり、今後トルコはヨーロッパの一員になるかもしれないということで、トルコの取り扱いは欧州の演出家にとっては神経質な問題なのかもしれません。そういう理由かどうかは知りませんけど、ギー・ヨーステンはトルコ色を払拭してきた(細かく言えば、舞台美術の一部にはトルコを彷彿させる部分を残してはいましたし、後宮の女性たちの衣裳もトルコ的と言われればそうかもしれませんが、そこは隠し味みたいなもので、全体の雰囲気には大きな影響がなかったと思います)。それが私は全く気に入りません。

 基本的にはリアリズム重視の現代風演出ということになるのですが、リアリズムのためなのか、セリムに国王感はありません。衣裳は礼服ですらなく、普通のジャケットにスラックスに見えます。コンスタンツェもシャネル風のワンピースです。ブロンデはメイド服でペドリッロは執事風燕尾服、オスミンは後宮の兵隊は秘密警察を彷彿とさせる制服を着ています。オスミンはアラビアン・ナイトから飛び出したような衣装を着せられ、半月刀を振り回しながら歌う、というのがよくやられる演出で、ここでの動きが居丈高だけど、実は小心というオスミンの特徴を示します。しかし、今回のオスミンはリアルに暴力的で、冒頭でオスミンがベルモンテを追い払う場面は、オスミンとその配下は、ベルモンテを暴力を振るって追い払います。こういうやり方は笑わせ役であるオスミンの特性をスポイルして、「後宮からの誘拐」が喜劇であることをあえて否定したみたいに見えます。また、第一幕で見せる後宮の外壁はコンテナのようで、無国籍感が強い。第二幕冒頭のブロンデのアリアでは、ブロンデの入浴シーンから始まり、その浴室風景は色っぽいものではありますが、そこが演出家が示したトルコ色かもしれませんが、エキゾチックだとは思いませんでした。

 ドン・ジョヴァンニはトルコで90人の女性を誘惑したそうですが、モーツァルト自身はトルコに行ったことはなく、伝聞による知識でトルコのイメージを固めていた。そこに異郷に対する憧れと怖れがある。それがエキゾチズムの源だと思うのですが、今回のギー・ヨーステンの演出はそのエキゾチズムの部分を見せないようにしてきた。トルコは欧州の一員だと言いたかったのでしょうか? しかし、台詞出物語が進行するジングシュピールでお話の前提となるエキゾチズムを否定してしまうと、内容が薄っぺらになってしまいます。エキゾチズムは現実ではありませんが、それがあるがゆえにイメージが膨らみます。イメージを膨らまない演出にして、舞台を詰まらなくする意味が私にはわかりません。

 というわけで演出は気に入らなかったのですが、音楽も実は今一つ納得できませんでした。

 下野竜也指揮する東京交響楽団は上手だったと思います。前に進む音楽で、あわただしすぎる、という意見もあるようですが、私はあれぐらいの疾走感があってもいいと思う。しかし、若いキャスト陣はそれぞれに課題を示したと思います。

 コンスタンツェ役の安田麻佑子、技巧的な歌唱を制御する見事なコントロール力を示しました。6番、10番、11番のアリアとも音程はしっかりしていましたし、トリルの取り扱いなども素晴らしいものがありました。軽快な歌いっぷりは大変立派だったと申し上げましょう。しかし、この方、技巧的な部分、歌に心情が乗っているように聴こえないのです。歌に深みがない。良く転がっていて立派なんだけど、「それで?」って言ってしまいたくなるような歌。更に低音が全く聞こえない。高中音はよく響くのですが、低音が聴こえないのでコントラストに乏しく、このアリアに含まれる陰影が見えてこない。それが、歌に心情が乗っているように聴こえない理由かもしれません。

 ブロンデ役の宮地江奈。声が上ずっていて、それで終始していました。緊張が解けなかったのでしょう。芝居で、ブロンデの強気な面を出すのには成功していましたが、アリアが今一つなのは残念です。またコンスタンツェとブロンデは普通ブロンデが高音担当で、コンスタンツェが中低音担当でそこで二人の対比が現れるわけですが、今回は安田の低音が全く響かないせいで、二人の対比がはっきりしていませんでした。そこもちょっと残念なところです。

 ベルモンテの山本耕平。一所懸命声を作って張りのある声を目指しているように聴きました。ただ、それが凄く人工的で鼻につきます。特に第一幕のアリアは冒頭のアリアも4番のアリアもあんまりうまくいっていない感じでした。ちょっとテンションを上げすぎて肩に力が入っていたのかもしれません。一方、ペドリッロの北嶋信也はとてもよかったです。キャラクター・テノールの役ですが、歌に無理がなく柔らかい表情がよく出ていて、ちょっと引いた感じも見事でしたし、アリアもとても素敵でした。初めて聴く方だと思いますが、注目していきたいと思いました。

 斉木健詞のオスミン、歌は良かったと思うのですが、演出のせいで、せっかくの歌があまり魅力的に聴こえなかったのが残念。もったいない感じがしました。

 なお、今回の上演は台詞も全てドイツ語の上演でしたが、太守セリムの大和田伸也だけ一部日本語を話すという珍妙なもの。この場合大和田にも全てドイツ語を話させるか、台詞は全て日本語にすべきであると思いました。大和田の演技はさすがに役者、という感じがあって悪くはなかったのですが、日本語ドイツ語の混和が台無しにした部分なのかな、と思います。

 「後宮からの逃走」は一昨年も日生劇場で取り上げていますが、あの時はブロンデの鈴木玲奈に難があったものの、他は皆素晴らしく演出も見事で、大変良かったという印象があります。今回の上演はあの時と比較して、そのブロンデも含めて、演出、全ての歌手、役者、音楽づくりも含めて向こうに軍配を上げざるを得ないものでした。きわめて残念な上演だったと申し上げましょう。

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鑑賞日:2018年11月25日
入場料:C席 7776円 4F 3列40番

主催:新国立劇場

オペラ3幕、日本語字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」(Carmen)
台本:アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 ジャン=リュック・タンゴー
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱 TOKYO FM 少年合唱団
児童合唱指揮 米屋 恵子/金井 理恵子
ダンサー 新国立劇場バレエ団
演 出 鵜山 仁
美 術 島 次郎
衣 裳 緒方 規矩子
照 明 沢田 祐二
振 付 石井 潤
再演演出 澤田 康子
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 斉藤 美穂

出 演

カルメン ジンジャー・コスタ=ジャクソン
ドン・ホセ オレグ・ドルコフ
エスカミーリョ ティモシー・レナー
ミカエラ 砂川 涼子
スニガ 伊藤 貴之
モラレス 吉川 健一
ダンカイロ 成田 眞
レメンダード 今尾 滋
フラスキータ 日比野 幸
メルセデス 中島 郁子
アンドレ 真野 郁夫
オレンジ売り 花房 英里子
ボヘミヤン 秋本 健

感 想

野獣系カルメン-新国立劇場「カルメン」を聴く。

 第三幕が暗すぎるのが難ですが、この鵜山仁のカルメンの舞台、立体的で、オーソドックスで、カルメンというオペラの魅力を伝えるのにちょうどいい舞台だと思います。みんなが「カルメン」ってこんなオペラだよね、という風に納得いく舞台。最近は日本でも結構奇をてらった舞台が多くて、このようなオーソドックスな舞台を見るとホッとします。さて、登場人物の動きも毎回基本は同じなのですが、細かい処では、出演する歌手の特性によって細かな変化を付けているようです。

 今回のジンジャー・コスタ=ジャクソンのカルメン、一言で申し上げれば猛獣でした。身体つきがスリムで、お色気むんむん系には見えないのですが、演技をすると、色気が零れ落ちます。それが子のカルメンが天然に持っている色気ではなく、明らかに作った色気。地顔もかなりきつめの美人だろうと思いますが、舞台化粧がそのきつさを強調するように陰影をつけてくる。それでかつホセを誘惑するときの大胆な演技。長い脚をたっぷり出して迫る。あんなことをされて、なびかない男がいるとは思えないほどです。純情なホセがイチコロにやられるのは無理ないなあ、と思いました。

 声は美声ではなく、ちょっと癖のある声、マリア・カラスに似ているかもしれない。ただ歌それ自身は正統派で、ハバネラもセギリディーリャもジプシー・ソングも見事でした。

 カルメンがホセを誘惑するのは、タバコ工場の女工たちの喧嘩がきっかけですが、このときカルメンとけんかをするマヌエリータ役の女優さんも立派でした。本気でファイティングポーズをとり、ベンチから転げ落ちながらもカルメンに飛び掛かっていく、女工たちの喧嘩の本気度にただ音楽をやっているだけじゃないオペラという芝居を見た、という感を強く持ちました。結局そう言う周囲の演技も含めてカルメンの特徴が描けていたのだろうな、と思います。素晴らしいカルメンでした。

 オレグ・ドルコフのホセ。正統派リリックテノールで、女々しいホセを表現するという意味では適切な選択でした。歌も決して悪くない。しかし、あの野獣系カルメンに対抗するにはちょっと線が細かったかもしれません。線の細さが、セギリディーリャで誘惑され、カルメンの縄を解いてしまうのは、「このホセじゃあ、しょうがないな」と思わせる部分があります。「花の歌」の切々と歌いあげる感じは見事でした。一方で、第四幕のカルメンを殺す二重唱は、もっと緊迫した迫力を出せると思うのですが、そこもまだ女々しさ先行みたいな感じがあって、もうちょっとパワーが欲しいなというところ。

 ティモシー・レナーのエスカミーリョはごく普通のエスカミーリョ。闘牛士の歌はもちろんよかったですけど、取り立てて強調するほどではないというところ。

 砂川涼子のミカエラは素晴らしい。今日本人でミカエラを歌わせたとき、砂川より上手な方がいるとは思えない。特に今回はカルメンが野獣系だったので、より清楚感を感じさせる砂川ミカエラが光ったのでしょう。第三幕のアリアはもちろんよかったのですが、第一幕でのモラレスとのやり取りや、ホセとの二重唱も砂川ならではの味わいがあったと思います。Bravaです。

 脇役陣では、伊藤貴之のスニガ、吉川健一のモラレスともによく、ダンカイロ、レメンダート、フラスキータ、メルセデスを演じた四人もとても素敵なアンサンブル。メルセデス役の中島郁子はアンサンブルの見事さでは定評のある人ですが、定評にたがわぬパフォーマンスを見せてくださいました。

 ジャン=リュック・タンゴーのフル東京フィルハーモニー交響楽団も特徴的ではありませんが、オーソドックスな演奏で舞台を盛り立てていました。「カルメン」を楽しむには十分だったと思います。以上、全体としてよくまとまった舞台で、新国立劇場の昨今のレベルの高さを再認識させられるものでした。

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鑑賞日:2018年12月15日
入場料:C席 6804円 4F 3列25番

主催:新国立劇場

オペラ3幕・字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲 歌劇「ファルスタッフ」(Falstaff)
台本:アッリーゴ・ボーイト

会場:新国立劇場オペラ劇場

スタッフ

指 揮 カルロ・リッツィ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
     
演 出 ジョナサン・ミラー
再演演出 澤田 康子
美術・衣装 イザベラ・バイウォーター
照 明 ペーター・ペッチニック
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 高橋 尚史

出演者

ファルスタッフ ロベルト・デ・カンディア
フォード マッティア・オリヴィエーリ
フェントン 村上 公太
医師カイウス 青地 英幸
バルドルフォ 糸賀 修平
ピストラ 妻屋 秀和
アリーチェ エヴァ・メイ
ナンネッタ 幸田 浩子
クイックリー夫人 エンケレイダ・シュコーザ
ページ夫人メグ 鳥木 弥生

感 想

最上ではなかったけれども-新国立劇場「ファルスタッフ」を聴く。

 開演前にアリーチェ役のエヴァ・メイが風邪気味ということで、「降板はしないけれども、それを承知で聴いてほしい」とのアナウンスがありました。ちなみに、私はエヴァ・メイを生で聴くのは今回が初めてで、期待して伺ったのでちょっと残念ではありました。ちなみに歌唱は強い声を張り上げるようなことはしないので、ちょっと迫力に欠けるのかな、という気はしましたが、歌のアプローチの仕方やアンサンブルでのバランスのとり方などはそこは世界的ソプラノ。さすがの技量を感じました。これでアリーチェの存在感を示さなければいけないところで、もう少し頑張っていただければ文句なしだったのですが、そこはセーヴされたのでしょうね。そういうところでの埋もれ感が画竜点睛にかける部分だったのかもしれません。

 「画竜点睛に欠ける」というのは今回全体を通して感じたところです。全体としては非常に緊密な舞台でとてもよかったと思いますが、細かく見ていくと、ここの部分がもうちょっと締まっていれば、とか、このフレージングがもう一つ滑らかだったら、という風に思う部分がいくつかあって、それが最上の演奏に感じられなかった理由かもしれません。

 ロベルト・ディ・カンディアのファルスタッフ。凄い上手だと思います。ただ今一つ踏み込みが足りない感じがします。このファルスタッフ、感情の迸りが今一つ嘘くさいというか抑えている感じがします。2015年公演のガグニーゼにも同じようなことを感じたので、これが演出の指示なのかもしれません。ただ、ファルスタッフという役柄、動きひとつひとつに哀しみというか可笑しさというか、そういう人間的な感情を表出してこそだとは思います。もちろんこの作品はアンサンブル・オペラで、タイトルロールといえども自分勝手に歌うわけにはいかないのですが、自分の自由になる範囲でもう一つ人間的なところを見せるべきではないのか、見せられたのではないのか、と思います。その点においては10月に聴いた田中大揮のファルスタッフの方が魅力があったと申しあげます。

 アンサンブルについてももっと緊密にできたのではないか、という気がします。2015年の新国立劇場「ファルスタッフ」はそこが本当に素晴らしくて、研ぎ澄ました刃物で一太刀ですっぱり切るような素晴らしいアンサンブルだったのですが、今回は実力あるソリストを揃えたせいなのか、上手なのですが、一丸感がちょっとかけていました。多分、それがあれば第一幕第二場の男声アンサンブルと女声アンサンブルの掛け合いのところなどもっと盛り上がったのではないかなと思いますし、フィナーレの大コンチェルタートももっと盛り上がって、最後になだれ込めたのではないかと思いました。

 とはいえ、良かった人もたくさんいます。私が今回最も気に入ったのはフォード役のオリヴィエ―リ。今回ロールデビューとのことですが、その分しっかり準備してきたのでしょう。フォードの感情の揺れを歌唱でしっかり表現していて本当に素晴らしかったです。二幕第一場のモノローグ「夢か、現実か」は感情が籠っているのに歌唱のバランスが崩れないという名唱で立派でしたし、アンサンブルで絡む部分もフォードらしさを常に保ちながら、それぞれの役割を果たしていたと思います。

 フェントンの村上公太。ちょっと虐げられた二枚目感がよかったです。歌唱もリリックテノールの自然な美しさで見事でした。上方跳躍で、ちょっと苦し気に歌ってしまうところがあったのが玉に瑕。

 幸田浩子のナンネッタ。この方、声が昔より痩せてきたような気がします。技術的にはさすがだと思いますが、ここぞというところの響きが薄い。三幕の妖精のアリアも悪くはないのですが、もう一つけれんを見せてほしいところです。

 青地英幸のカイウス。この方がカイウスを歌えば、こんな感じになるだろうな、という予想通りの歌。冒頭の「ファルスタッフ、ファルスタッフ」と言いながらガーター亭に飛び込んでくるところは、もっと渋い声の出せるテノールの方が私は好きですが、青地のようなリリックテノールは、腰の落ち着かないような表現で、その怒りを表すのでしょうね。

 糸賀修平のバルドルフォ、妻屋秀和のピストラ。前回もこのコンビで、よく知っている舞台だけあってとても魅力的。シュコーザのクイックリー夫人はけれんみたっぷり。この深みのある声は日本人メゾにはなかなかいない声です。鳥木弥生のメグも自分の役割を果たしていました。

 今回の舞台で特筆すべきはオーケストラの見事さです。「ファルスタッフ」は非常に緻密に書かれた作品ですからオーケストラが重要なことは言うまでもないのですが、そのテンポ感がたまらない。指揮はカルロ・リッツィ。リッツィはこれまでコンサートとオペラで1回ずつ、合計2回聴いていますが、2009年に聴いたN響客演時の演奏は良かったと印象はありません。その時はいろいろなことをオーケストラにやらせすぎて失敗した感じでしたが、今回はヴェルディへの尊敬の念を持った演奏でとてもよかったです。本質的にオペラ指揮者なのでしょう。緻密なスコアを緻密に演奏して見せて、このかっちりした感じがちょっと緩みがちな声楽をしっかり支えていました。その意味で今回の一番の立役者は、音楽全体をうまくコントロールしたリッツィだと申し上げます。

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鑑賞日:2018年12月16日
入場料:自由席 4500円

主催:舞台音楽研究会
共催:横浜市泉区民文化センター テアトル・フォンテ

オペラ3幕、日本語訳詞上演
ヨハン・シュトラウス二世作曲「こうもり」(Die Fledermaus)
原作:アンリ・メイヤック/リュドヴィック・アレヴィ
台本:カール・ハフナー/リヒャルト・ジュネ

会場:横浜市泉区民文化センター テアトル・フォンテホール

スタッフ

指 揮 高橋 勇太
管弦楽 エルデ・オペラ管弦楽団
合 唱 ベッラ・ヴォーチェ・ほか
合唱指導 澤﨑 恵美
ダンサー 星野バレエスタジオ(星野江里加、押木遥香、齋藤里奈、田上陽南乃)
演出/美術/衣裳 原 純
照 明 服部 栄一郎
振 付 星野江里加
舞台監督 菅野 将

出 演(左が昼公演/右が夜公演)

アイゼンシュタイン 川野 浩史/泉 良平
ロザリンデ 長島 由佳/川越 塔子
ファルケ 青山 弘昭/立花 敏弘
アデーレ 神田 さやか/楠野 麻衣
アルフレード 石山 陽太郎/吉田 顯
オルロフスキー 新藤 清子/赤根 純子
フランク 水澤 聡/五島 伝明
イーダ 中ノ森 怜佳/井野村 麻衣
ブリント 檜山 悠/戸村 優希
フロッシュ 森山 太

感 想

若手の魅力、ベテランの味-舞台音楽研究会「こうもり」を聴く。

 一日に二公演、二日で四公演を行う沢崎恵美主宰の舞台音楽研究会、これまでは夫君の小澤慎吾さんが演出を務めていたと思うのですが、本年は原純を招聘しました。昼公演と夜公演との間がほぼ1時間と休憩するのにちょうどいいこともあって、昼夜連続で聴いてみました。その結果いろいろと見えてくるものも多かったと思います。

 今回まず嬉しかったのは演出がちょうどよかったこと。こうもりはよくやられる演目ですから、私もずいぶん数多くの実演を聴いていますが、しっくりする演出はなかなかありません。新国立劇場の舞台はよくできているとは思いますが、好きかと言われればやっぱり違うと思います。昨年の東京二期会のホモキ演出は全く評価しませんし、その前の二期会公演もこれぞ、という舞台はなかったように思います。自分でおぼろげながらいいなと思って覚えているのは、ウィーン国立歌劇場のシェンクの舞台とか、1990年前後のフォルクスオーパの舞台とかですから、ほぼ30年ぶりにいい舞台を見た気がします。

 舞台がこじんまりとしていたのが功を奏しました。動く範囲が狭くて、舞台に乗っている人は大変そうでしたが、その分緊密度が増し、エネルギーが上がっていた感じがします。また無駄なくすぐりがなかったのもいい。台詞がストーリーを進めるために必要なことしか言わない。それでいてストーリーのポイントはしっかり説明して、この喜歌劇がファルケ博士が作った復讐劇だということを誰の目でも明らかに分かるように示している。これは凄いことです。演出によっては、なぜロザリンデがオルロフスキーの夜会に出かけるのかが理解できないようなものもあります。そう言う演出と比較すれば原の演出は理路整然としているけれども、理屈っぽくはない。そういうところにもちょうどよさを感じます。

 今回舞台美術や衣裳も原が担当しましたが、そのこだわりは結構凄いです。もちろん大掛かりなセットはないのですが、色の感じと小道具で、第一幕はお金持ちの家を表現していましたし、第二幕は華やかな夜会になっていました。第一幕でアイゼンシュタインがアデーレに運ばせるシャンパンの瓶にもこだわりがあったようですし、第二幕は赤と黒を基調にまとめた華やかではあるが発散しない感じ。そういうところにも演出家のこの舞台にかける意気込みを感じました。

 演奏の出来ですが、これは明らかに夜が上。夜公演の方がベテランが多かったということはあるのですが、一番の違いはファルケの差でしょう。立花敏弘のファルケは非常に巧みです。司会などをやらせるととても上手な方ですから、狂言回し的な役柄は真にお似合いです。序曲が始まる前に登場して物語の背景を説明するところから、自分の復讐劇にアデーレやロザリンデを巻き込んでいくアプローチの仕方。もちろん昼の部の青山弘昭も同じことをやっているのですが、キメが全然違う。立花がやると、よく切れる包丁でスパッと切った大根を上手に滑らして行くように見えるのですが、同じことを青山がやるとなまくら包丁でがりがり切って、ずらそうとしたら、上手くいかない、といった感じです。立花の颯爽とした動きが夜公演を引き立てていました。

 しかし、それ以外のキャストでは夜公演の方が明らかに良いという方はいなかったような気がします。

 アイゼンシュタインは昼公演はテノールの川野浩史、夜公演はバリトンの泉良平が務めました。この声質の差は大きく、かなり違うキャラクターに仕上がっていました。川野アイゼンシュタインは軽薄な成金という印象ですし、一方の泉は野卑な成金でした。どちらが好きかと言えば川野アイゼンシュタイン。アイゼンシュタインはテノールの方が好色感がストレートに出る感じです。しかし、芸達者という点では泉なのでしょう。泉はその大柄な身体も相俟ってブリントに対して示す怒りはパワフルで、あの怒り方は芝居だと分かっていてもブリントは怖かったのではないかしら。またそれだけにコミカルな可笑しさは泉の方がはっきり出ていていました。ただ、歌唱では地声を多用していました。それでキャラクターが立っていた部分はあるのですが、そこで声がベルカントだったらもっとよかったのになあ、と思います。

 ロザリンデは昼は長島由佳、夜は川越塔子が務めました。この二人は割と似ている感じに仕上がりました。しいて言えば長島はちょっと可愛らしく、川越はより気品のある感じでまとまった、ということは言えるかもしれません。そう思うのは、多分アルフレードとの関係があるのでしょう。今回のアルフレードは昼は石山陽太郎が夜は吉田顯が務めました。石山はまだ20代の新進気鋭のテノールで持ち声が甘く美しい。しかし、技術的には難も多く、これから育っていく人です。一方吉田はかなりのベテラン。声の美しさの点では石山に及びませんが歌のアプローチの仕方でベテランの力を示しました。

 今回ロザリンデに「声は美しいけど中身が空っぽのテノールを好きになったなんて、ああっ、あのアクート」という趣旨の台詞があったのですが、石山アルフレードだとその台詞がぴったりと嵌るのです。長島石山のコンビだとちょっと年上のお姉さんと若き燕の関係の甘い余韻が残っている感じで、一方、川越吉田の関係は、大人の男女のちょっとクールな恋愛関係だったのかなと思わせる部分がある。アイゼンシュタインとの関係で見ても、あのアイゼンシュタインのキャラクターの作り方であれば、長島の雰囲気も川越の雰囲気もなるほどな、という感じです。ちなみにロザリンデの一番の聴かせどころであるチャルダーシュはどちらも素敵でした。

 アデーレは夜公演の楠野麻衣を取りたい。昼公演の神田さやかも立派にアデーレを務めあげましたが、持っている声質が楠野の方が軽くて高音がよく転がるのです。今回アデーレはイーダと出会うと、山形弁で田舎もの丸出しで会話します。その会話と「侯爵様、あなたのようなお方は」のアリアとの差が楠野の方があって、そのギャップにより可笑しさを感じました。おそらく会話での田舎臭さも、神田/中ノ森の昼コンビよりも楠野/井野村のダブル麻衣コンビの方があったのでしょう。

 フランクも夜公演の五島伝明の方が似合っていました。フランクは刑務所長ですから高級官吏ですらない。その男が上流階級の夜会に紛れ込んでしまったときのオロオロ感が五島伝明の方が明確でした。また歌そのものの魅力も五島にはあったと思います。オルロフスキーは二人ともアグレッシブな感じがちょっとあって、退廃的な青年貴族という雰囲気を出すのには必ずしも成功していなかったかなという風に思います。また、歌に関して言えば、「私は客を迎えるのが好き」のようなアリアは、もっと大げさな表現が欲しいところ。これは昼夜ともそうだったので、そういう方針の演出だったのかもしれません。

 ブリントについては、Rekurrieren, appellieren, reklamieren, Revidieren, rezipieren, subvertieren の部分の本来の日本語訳は、「上告だ 控訴だ 異議申立だ、再審だ 継承だ 逆転だ」という感じで、裁判用語が次々出てくるところに面白さがあるのですが、 今回の日本語訳は裁判用語が全然出て来なくて残念でした。歌は昼夜とも若い方で、どちらもアイゼンシュタインに押されっぱなしの印象がありました。

 エルデ・オペラ管弦楽団はさほど悪くはなかったのですが、技術的にはアマチュアの限界を示しました。こうもりの序曲はもっとスピードを持って演奏してオーケストラの技量を示してほしいところですが、多分私の期待しているスピードでは演奏できないのでしょう。そこがプロとの差なのだと思います。なお、高橋勇太の指揮は取り立てて特徴的なものではなく、結果として、演出を上手く引き立てたのかな、という印象でした。

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