目次
2022年9月10日 第1962回定期演奏会 指揮:ファビオ・ルイージ
2022年9月16日 第1963回定期演奏会 指揮:ファビオ・ルイージ
2022年10月15日 第1965回定期演奏会 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
2022年10月21日 第1966回定期演奏会 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
2022年11月12日 第1968回定期演奏会 指揮:井上 道義
2022年11月18日 第1969回定期演奏会 指揮:レナード・スラトキン
2022年12月3日 第1971回定期演奏会 指揮:ファビオ・ルイージ
2022年12月9日 第1972回定期演奏会 指揮:ファビオ・ルイージ
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指揮:ファビオ・ルイージ
曲目: | ヴェルディ | レクイエム | |
ソプラノ独唱:ビブラ・ゲルズマーワ | |||
メゾソプラノ独唱:オレシア・ペドロヴァ | |||
テノール独唱:ルネ・バルベラ | |||
バス独唱:ヨン・グァンチョル | |||
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平 恭平) |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:大宮、ヴィオラ:佐々木、チェロ:辻本、ベース:吉田、フルート甲斐、オーボエ:𠮷村、クラリネット:伊藤、ファゴット:宇賀神、ホルン:客演(群馬交響楽団の竹村淳司さん)、トランペット:菊本、トロンボーン:古賀、チンバッソ:池田、ティンパニ:植松
弦の構成:16型
会場:NHKホール
感想
1年半に及ぶ大改修が終わって、NHK交響楽団の定期演奏会がNHKホールに戻ってきました。その最初の公演が、新首席指揮者であるファビオ・ルイージの就任披露演奏会となりました。二つのおめでたいことが重なった中、最初のプログラムは、ヴェルディの大作「レクイエム」です。
ちなみにNHKホールはどこが変わったのか、見た目にはほとんどわからない感じです。座席の交換などは行われたのかもしれませんが前と変わっていない感じでしたし、舞台の見え方なども変化はありません。音響は「昔よりも良くなったのではないか」という声もあるようですが、私にはそこもはっきりしませんでした。一方で、運営面は確実な変化がありました。大きいのは、カーテンコール時の写真撮影の解禁です。従来はカーテンコールも写真撮影は禁止になっていましたが、今シーズンからSNSに感想を投稿することを前提にカーテンコールのみ写真撮影が許されることになりました。時代の変化ですね。それにしても自分にとって一番親しいホールでまた自分にとって一番親しいオーケストラの演奏が聴けることはこの上ない喜びです。
さて演奏ですが、一言で申し上げれば素晴らしいものでした。特に合唱。冒頭の「レクイエム」がほとんど聴こえるか聴こえないかぐらいの微妙な音でありながら立派に和音が構成されているところから、メゾフォルテで歌われるバスのパートソロ、そして全体合唱へと続く第1曲目がまず素晴らしい。どんなところでも和音に揺らぎがなく、テンポも一致して一体感があり、デュナーミクも最初の「レクイエム」のpppと「怒りの日」におけるffまで自在の変化がまた見事です。オーケストラの音がなくなるア・カペラの合唱部分も和音が惚れ惚れするほど美しく響き、プロの合唱団の実力の高さ、ポテンシャルの高さをこれでもか、というぐらい示したと思います。ブラビッシモです。
オーケストラももちろん素晴らしい。NHKホールに戻って、弦楽器のサイズも16型と従来に戻り、一段と音の厚みが増した感じ。更に低音楽器が充実しており、ヴェル・レクの重厚さをしっかり支えていたと思います。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの低音楽器がしっかりとしていた。クラリネットやファゴットもよく響いていたと思います。
ルイージは奇を衒わない正当で中庸な音楽づくりをする指揮者という印象があるのですが、今回も同じでした。もちろん鳴らすべきところは鳴らしていたし、刻ませるところは季座増してもいましたが、全てはスコアの表現をしっかりと音にすることに専念していたという風に聴きました。
この素晴らしい合唱とオーケストラに挟まれて苦労していたのがソリストです。そもそもNHKホールの空間を満たすだけの声量が必要ですし、また曲の性格からして、声に一定の重厚さが必要だとも思います。それだけの歌手はなかなかいないわけですが、今回の歌手も合唱とオーケストラに挟まれて埋もれ気味であったことは否めません。
その中でよかったのはメゾソプラノのペドロヴァ。充実した落ち着いた声が良い感じで響いており、全体のトーンを決めるのに大きく影響していたように思います。バスのグァンチョルもいい味を出していましたし、ソプラノのゲルズマーワは前半はさほど良いとも思わずに聴いていたのですが、「アニュスデイ」や「リベラメ」では、落ち着きのある表情でいい感じにまとめていました。一番割を食ったのがテノールのバルベラ。バルベラは素晴らしいレジェーロ・テノールですが、その分あの軽い声はヴェルレクには似合わない感じがしました。全体的なトーンの色合いとひとりだけちょっと違っていて、浮いていた感じがありました。
とはいうものの、今まで聴いた経験から申し上げれば最高の「ヴェルレク」であったことは間違いありません。素晴らしい演奏が、NHKホールの再開と、新首席指揮者のお披露目に花を添えました。
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指揮:ファビオ・ルイージ
曲目: | R.シュトラウス | 交響詩「ドン・ファン」 作品20 | |
R.シュトラウス | オーボエ協奏曲 ニ長調 | ||
オーボエ独奏:エヴェ・スタイナー | |||
R.シュトラウス | 歌劇「ばらの騎士」組曲 |
弦の構成:管弦楽曲:16-14-12-8-8、協奏曲:12-10-8-6-4
会場:NHKホール
感想
見事な演奏だったと思います。しかしながら、先週のヴェルディ「レクイエム」の感動と比較すると、「普通の演奏」だったと申し上げてよいと思います。
ルイージを私はバランスの取れたクレバーな指揮者であると思っているのですが、今回はそういう彼の特徴が、リヒャルト・シュトラウスの音楽をリヒャルト・シュトラウスの音楽の世界の中で完結させて、それを突き破るようなものにはしなかったのだろうな、という印象を持ちました。
「ドン・ファン」。スタイリッシュな演奏で、楽器の切れ味もよく、N響のサウンドもしっかり聴かせてくれているのですが、そこで終わっている感じです。おそらくN響であればもう一段精密さの増した演奏も可能だろうと思いますし、もう一段透明感のある演奏も可能だろうと思うのですが、その辺の一体感が今一つ不足していたのかな、という印象。個別の楽器で申し上げればオーボエもクラリネットもホルンもよかったのですが、相乗作用で生まれる魔法は無かったのかな、というところでしょうか。
2曲目の「オーボエ協奏曲」。オーボエの柔らかな音色が素敵でよかったのですが、リードの調子があまりよくなかったのか、ソリストが神経質なほど気を使っている印象でした。聴いている限りは特に変だとも思いませんが、何か気になるところがあったのでしょうか、表情が硬く、演奏も必死に音を出している感じで、自由闊達な音の動きが見事なリヒャルト・シュトラウスの味を少し殺していた印象です。多分もっと軽妙な演奏を指向していたと思うのですが、なかなかそうはならなかった印象です。N響の演奏は立派でしたが、スタイナーの必死な形相に気を取られて、全体のバランスを味わうには行かなかったというところです。
3曲目の「ばらの騎士」組曲。こちらも最初の「ドン・ファン」と同じような印象。もちろん立派な演奏なのですが、もう一段何かがあると更に良い音楽になっただろうな、と思えるような演奏でした。音のシャワーは素晴らしいのですが、その間から降り注ぐ光が見える感じになるともっといいのかなと思います。
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指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目: | マーラー | 交響曲第9番ニ長調 |
弦の構成:16-16-12-10-8
会場:NHKホール
感想
昨年10月以来の登場でした。1927年生まれの現役最長老指揮者は、今年もN響の指揮台に戻ってきてくれました。流石に老いによる衰えは隠せません。昨年は独りで入場し、指揮台に立って二時間指揮をし、滋味あふれる音楽を伝えてくれたのですが、今年はコンサートマスターの篠崎さんに抱えられるようにして入場し、椅子に腰かけての指揮となりました。
それでもマーラーの9番交響曲という大曲をほぼ80分間弛緩することなく振り続けるのですから、その音楽に対する情熱は素晴らしいとしか申し上げようがありません。そんな指揮者をひと目みたいと言うクラシックファンが多数いらしたようで、チケットは完売。それでもあきらめきれない熱心なファンが何人も、開演前には「チケット買います」のボードを手にして立っていました。
演奏は楽団員のブロムシュテットに対するリスペクトが極めて高い緊張感を持って結実し、素晴らしい名演となった、と申し上げてよいと思います。ひとりひとりが一流の演奏家であるN響の団員が、ひとつの目標に対して本気でベクトルを合わせたときどんな音楽になるのかを、目の当たりにしたと思います。
ブロムシュテットは若い頃はかなり理屈っぽい指揮者だったそうで、練習の時は演奏しているよりも説明の方が長かったそうですが、今はさすがにそこまで細かいことを言うとは思えません。また昔は指揮棒を持って颯爽と大きな指揮をしていたと思いますが、ここ何年間は指揮棒を持つことはなく、指先で指揮をしている感じです。流石に指揮姿がぎくしゃくしているところもありましたした。それでもテンポを作っているのは明らかにブロムシュテットでしたし、金管や打楽器に対する指示も要所要所で的確に出しており、マーラーのこの大曲に対する意気込みを感じました。
そんな中で楽員たちは基本的にはブロムシュテットの指揮に従いながら、老いで表現できなくなっている部分に対しては団員たちが過去の指示で受けたことなどを思い返しながら、ブロムシュテットの音楽を再現したのだろうと思います。
全体的にぴんと張りつめた緊張感の中で演奏されたわけですが、第1楽章は、特に前半がその緊張感が楽員の中で消化されていなかった感じがします。結果としてやや固い音楽になってしまったかな、という感じはしました。しかし、冒頭序奏部分のチェロ、ホルン、ハープの掛け合いはとても美しかったですし、基本穏やかに進む音楽の中に現れる過去200年の西洋音楽から取られた断片が、音楽の永遠性となんとも言えない寂しさを感じさせるものにはなっていて実に美しいものでした。
第1楽章の深い内面性と永遠性に対して、第2楽章は軽薄な音楽の印象。第2楽章のタイトルは、「緩やかなレントラーのテンポで」となっていますが、一種の舞曲なのでしょうね。マーラーの求めたちょっと粗野な感じが、偽物っぽい雰囲気を醸し出し、世紀末の喧騒のウィーンを感じさせる(この作品がに書かれたのは20世紀になってからですから世紀末音楽ではありませんが)ものでした。そのキッチュな雰囲気は唯乱暴になることは決してなく、美しいフォルテと推進力でフォルムを保ちながら進んでいく。こういうところに、本当にN響の上手さを感じます。
第3楽章は、「「ロンド=ブルレスケ」アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に」という楽譜の指示だそうですが、スケルツォ楽章でしょう。N響の演奏は、スケルツォの羽目を外した感じを残しながらも、第2楽章同様、抜群のテクニックでフォルムを崩さない演奏で凄い。そういう演奏ですが、小利口な演奏という感じではなく、ブロムシュテットのマーラーの告別の音楽に対する思いを代弁しようとする真摯な思いが込められている感じがして素晴らしい。
そして第4楽章。真の静謐な音楽。抑制された中に多様な変化を感じさせる緊張感あふれた演奏でした。特に後奏が凄かった。最後の34小節は弦楽だけで「死に絶えるように」演奏されることが求められるわけですが、そのN響弦楽陣の弱音による「死に絶えるような」表情が天国的に美しい。張りつめた中で美しく響く弦楽合奏は消えては浮かぶさざ波のようにも聴こえ、耳をそばだてている聴き手にも厳しい緊張感を要求しました。本当に素晴らしい、一期一会の名演だったと思います。
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指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目: | シューベルト | 交響曲第1番ニ長調D.82 | |
シューベルト | 交響曲第6番ハ長調D.589 |
弦の構成:1番;10-10-6-4-3、6番;12-12-8-6-4
会場:NHKホール
感想
シューベルトの交響曲は「未完成」と「グレート」交響曲以外の作品が演奏されることは希で、N響の定期演奏会で見てみると、1番が演奏されたのは1992年のホルスト・シュタイン以来、6番は私がN響の定期会員になった1988年以降では初めてです。このシュタインの指揮の演奏は聴いている筈なのですが全然記憶になく(聴いたことすら忘れていました)、どちらも新鮮に聴くことができました。
シューベルト16歳の時にかかれたという第1番はハイドン的な交響曲で古典派の模倣といった習作。その中に後年の未完成に繋がるような匂いがどことなく感じられるのが面白いです。N響も弦楽器が33人という小編成でこの曲を演奏しました。それにしてもブロムシュテット、凄いです。先週に引き続き、椅子に座っての指揮でしたが、指先の柔らかさとかテンポ感覚とかは流石です。流石に大振りをすることはほとんどないのですが、しっかりとオーケストラに向き合って指示を与えています。大編成のN響も迫力があって良いですが、小編成でコンパクトに演奏したときのN響のアンサンブルは一段と素晴らしい。16歳のみずみずしさが感じられる演奏でした。
第6番もシューベルトが21歳の時の作品だそうで、第1番と比較すると管楽器の使い方が大胆になり、より「未完成」や「グレート」に近づいた感じです。一般に「小ハ長調」と呼ばれるこの作品ですが、シューベルトは自筆譜に「大ハ長調」と書いたそうですけど、それだけの自負があったのでしょう。
今回は12型のオーケストラによる演奏でしたが、第1番よりも弦楽器の規模を1プルトずつ大きくしたのと、作品自体の管楽器の明確な響きで、第1番よりもよりロマンチックになった印象です。第1番も第6番もシューベルトの作曲人生で見た時初期作品になるのですが、第1番から第6番への成長と変化をブロムシュテットは見せようとしていたように聴きました。N響は弦楽器の規模が一回り大きくなっても乱れることなく、この大指揮者の意図に即した演奏をされたと思います。素敵な演奏でした。
指揮:井上 道義
曲目: | 伊福部 昭 | シンフォニア・タプカーラ | |
ショスタコーヴィチ | 交響曲第10番ホ短調作品93 |
弦の構成:16型
会場:NHKホール
感想
伊福部昭とショスタコーヴィチの組み合わせは2020年12月の演奏会で、井上道義が取り上げました。その時は、最初にショウスタコーヴィチの第1番をやってから、伊福部昭の日本狂詩曲など2曲が演奏されたのですが、とても素晴らしく、私は2020年のN響の演奏の第2位に選びました。この時井上がこの二人の組み合わせの相性の良さに納得できたのでしょう。今回は反対に伊福部から始まって、ショスタコの最高傑作とも評される10番が後半に演奏されました。
伊福部昭は小学生の時、父が北海道の音更村の村長となったことから同地に住み、アイヌとの交流により、彼らの生活・文化に大きな影響を受けたそうです。タプカーラとはアイヌ語で「立って踊る」という意味だそうで、シンフォニア・タプカーラは、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたと言われます。確かに伊福部特有の土着的感性がリズムに乗って、これでもか、という感じで繰り出してくる。
井上道義は指揮者というよりは祭司のように見えました。大きく身体全体を揺すりながら、オーケストラを盛り上げていく手法は流石に見事で見飽きることがありません。3+2の変拍子があちこちに出てくるのですが、それをティンパニのほか小太鼓、トムトム、テインパレス、グイロという楽器で刻んでいく様子が、人間の本能的な興奮を呼び起こします。このリズムを正確に刻むのは本当に大切なようで、小太鼓かティンパレスを担当していた竹島悟史さん(多分小太鼓だと思うけど、私の席からははっきり確認できませんでした)は、自分が演奏していないときでもずっとリズムを取っている様子でした。
井上道義の音楽作りはだんだん前のめりになっていく感じで、N響のメンバーもそれに乗っかりながらガンガン進んでいき、それでいながら破綻がないので、もともと盛り上がる曲ではありますけど、更に盛り上がったのではないかと思いました。面白かったです。
後半のショスタコは、井上が祭司から司祭になったと申し上げたらいいでしょうか。この曲が教会音楽のようだ、などと申しあげる気はさらさらないのですが、服装も前半が略礼装であった井上が後半は燕尾服に着替えて登場したところを見ても、ショスタコーヴィチの音楽に対するリスペクトが敬虔な司祭のように音楽を導いた、と申し上げてよいのではないかと思うのです。
と言って静謐な音楽を演奏したということでは全然ありません。もちろんアンダンテは繊細に演奏させますが、咆哮させるところは爆発的な咆哮を求め、井上特有のリズムを身体全体で取る様子は第1曲目と全然変わりはないのですが、作品がとても複雑に書かれているので、場面場面で意識して指揮姿を大きく変えているのではないかという風に思いました。
それにしてもN響のヴィルトゥオジティは凄い。アレグロで演奏されるフルートの重奏などは滅茶苦茶速くてバラバラになりそうなものですが、全然そうならない。ファゴットの落ち着いたソロも素晴らしかったと思いますし、もちろん弦楽器の一糸乱れぬところなどは申し上げるまでもない。素晴らしい演奏技術でしたし、紡ぎだされる音楽も素晴らしいと思いました。
9,10,11とこの3か月間、Aプログラムは本当に充実していて、素晴らしい演奏の連続でとても嬉しいです。
指揮:レナード・スラトキン
曲目: | コープランド | バレエ音楽「アパラチアの春」(全曲) | |
コープランド | バレエ音楽「ロデオ」(全曲) |
弦の構成:アパラチアの春;10-10-8-6-4、ロデオ:16型
会場:NHKホール
感想
2020年の4月定期演奏会はレナード・スラトキンが招聘されていたのですが、新型コロナの蔓延によるイベント中止の影響で中止。スラトキンの来日も取りやめになりました。この時のCプログラムに予定されていたのが、今回の2曲+小品の2曲。今回はそのリベンジというところでしょうか。尚、スラトキンは、「ロデオ」の組曲を1988年のN響公演でも演奏しており、34年ぶりの再演ということになります。
演奏は2曲ともN響としては至って普通の演奏だったと思います。技術的には流石N響だと思いましたが、物凄く良いかと言われれば、そんなことはないと答えそうです。
「アパラチアの春」と「ロデオ」を比べると、ロデオの方がまだましという感じ。「アパラチア」は元々、フルート、クラリネット、ファゴット、ピアノ、ヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバスの13人からなる小管弦楽用に書かれているそうで、それが管弦楽組曲に編曲された時二管編成になり、更にその管弦楽編成でバレエ用に再度編曲されたのが今回演奏されたバージョンらしい。元々弦楽器よりも管楽器に力点が置かれた作品で、今回も二管編成の管楽器に対して弦楽器は第1ヴァイオリンが10本という小さい編成。そのせいか、バランス的に弦楽器が管楽器の音が支え切れていなかったのではないかという気がしました。また、金管の音が少し華やか過ぎたのではないかという感じもします。のどかなアパラチアの春の表現よりは、春の嵐もあるアパラチア、という演奏ではなかったかと思います。
「ロデオ」は、「アパラチア」よりいい感じでした。組曲版では演奏されない第3曲ではホンキー・トンク・ピアノを梅田朋子さんがジャジーに演奏し、そこにオーケストラが重なるところなどは、凄くいい感じで響きました。それでも満足とは申しません。作品自体は極めてアメリカ的な臭いの強い音楽で、もっと下品に演奏したほうが曲のにおいが強く立ち上るのではないかという印象。N響は上手だけど品が良すぎる。ロデオの荒々しさと西部劇の世界の土のにおいを感じさせるには、イマイチというところでしょう。上で梅田さんのピアノはよかったと書きましたが、あそこは酒場で酔っぱらったホステスが座興で演奏したみたいな感じで演奏したほうがもっと良かったのかもしれません。
指揮:ファビオ・ルイージ
曲目: | ワーグナー | ウェーゼンドンクの5つの詩 | |
メゾソプラノ独唱:藤村 実穂子 | |||
ブルックナー | 交響曲第2番ハ短調(初稿:1872年) |
弦の構成:ヴェーゼンドンク;12型、交響曲;16型
会場:NHKホール
感想
ワーグナーにブルックナーとガチガチの後期ドイツロマン派プログラム。ただ選曲は凝ったもので、聴衆を選ぶ演奏会だったと思います。
最初の「ヴェーゼンドンクの5つの詩」。N響の定期で取り上げられるのは久しぶりで2001年以来。私もその時以来の鑑賞です。2001年はヘンツェがオーケストラに編曲した楽譜を使用しましたが、今回はよりオリジナルのピアノ版に近いとされるモットル版による演奏。
藤村実穂子の歌唱は、とても丁寧で美しいものでした。とにかく弱音のコントロールが見事でした。弱音にしても言葉が明瞭に聴こえてくるし、オーケストラに声が埋もれることがない。息遣いが丁寧で、細い線が一定の太さで薄くならずに続いていくようなところがいいのでしょう。音がレガートで綺麗に繋がって波をうつように流れるさまは本当に幻想的と申しあげてもよい美しさでした。ドイツ語らしい語末の子音も分かります。私はドイツ語が全然分からないので、歌詞と歌唱との関連は論じられないのですが、全般的に濃厚なロマンチシズムを感じます。おそらく詩の内容を踏まえて表現を工夫されていたものと思います。曲集のクライマックスは5曲目の「夢」にあるのですが、ここのフォルテも立派。ピシっと決めながら崩れない。流石藤村実穂子だと思いました。
ルイージ/N響の伴奏も、この藤村のロマンティックな歌唱に寄り添うもので、吠えすぎることはなく、ワーグナーの濃厚な色気を感じさせるものでした。一か所だけ第一ヴァイオリンのピチカートが揃わなかったのがちょっと残念ではありましたが、オーケストラと歌唱とのバランスも丁度いいものだったと思います。
後半のブルックナー。2番自体がブルックナーの交響曲の中では一番演奏されない曲で、更に、使われた楽譜が通常使用される第2稿ではなく、初稿というのが更に珍しいです。N響が取りあげるのは2016年9月のパーヴォ・ヤルヴィ以来。この時パーヴォは第2稿で演奏したので、初稿を聴くのは私としては初めての経験です。
作品そのものに関しては整理されていない感じが強く名曲だとは全然思いませんが、冒頭が弦楽器のトレモロからチェロが第一主題を美しく弾きだすブルックナー開始だったり、ブルックナー休止が何度も登場するなど後期のブルックナーを彷彿させる色々なやり方が含まれていて、混沌とした部分もありながらもブルックナーを聴いているという感じが強かったです。ルイージの演奏は全体を見通した癖のないもの。音楽の流れを重視してけれんみをあまり強く示さない、彼らしいものと言って良いものだろうと思います。それでいて、第2楽章のスケルツォはその音楽の持つ粗野な感じをしっかり見せてくれましたし、フィナーレの咆哮もしっかりありました。
N響の演奏もルイージの指示に従った美しいもので個々の楽器のヴィルトゥオジティは流石に素晴らしいものがあります。特に一番ホルンが良かったかな。細かいところでは小さな乱れは聴こえたのですが、全体の流れに棹さすようなモノではありませんでした。
本年のAプログラムは今回で最後ですが、新シーズンとなった9、10、11、12月、どれも素晴らしい演奏で、N響の魅力を堪能した4か月でした。
指揮:ファビオ・ルイージ
曲目: | モーツァルト | 交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」 | |
メンデルスゾーン | 交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」 |
弦の構成:モーツァルト;12型、メンデルスゾーン;16型
会場:NHKホール
感想
オーケストラの王道を行くようなプログラムでしたが、演奏は2曲で対照的だったと思います。
モーツァルトの演奏は最近はオーセンティック楽器の演奏に影響され、モダン楽器でもオーセンティックな楽器のような響きを求められることが多いと思うのですが、今回は違いました。かつての大指揮者がやったようなロマンティック偏重の堂々とした音楽。モーツァルトの持つ軽快なスピード感は失われていなかったのですが、音自体は軽くいくという感じではなくどちらかと言えば重厚なものでした。私自身はモーツァルトは重厚な演奏より軽快な演奏を好むものなのですが、これはこれで一貫していて悪くない。そして、音もN響的だったと申しあげてよいのかもしれません。
メンデルスゾーンは前半のモーツァルトとは真逆の方向。すなわち、軽くメリハリのついた演奏。もちろん弦楽器の規模が違いますから、音の迫力とかデュナーミクの幅とかはメンデルスゾーンの方があるのですが、私がこれまで「スコットランド」交響曲に持っていた北ドイツの冬のどんよりとしたイメージを覆すような演奏でよかったです。アクセントを重視している様子で、輪郭がはっきりしていて、音色が明るいのが特徴だったと思います。これはこれでとてもいい。
こうやって2曲続けて聴くと、ルイージはモーツァルトはよりメンデルスゾーンに近づけた感じで、メンデルスゾーンはモーツァルトにより近づけた感じで演奏し、ドイツの古典派からロマン派に移り変わる半世紀の差を見せようとしたのではないかと思いました。そういう意図だと考えると、確かに2曲は一貫性を持っていたと思います。
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