NHK交響楽団定期演奏会を聴いての拙い感想-2005年(前半)

目次

2005年 1月14日 第1532回定期演奏会 ウラディーミル・アシュケナージ指揮
2005年 1月29日 第1534回定期演奏会 ウラディーミル・アシュケナージ指揮
2005年 2月12日 第1535回定期演奏会 ジェームス・ジャッド指揮
2005年 4月 9日 第1538回定期演奏会 準・メルクル指揮
2005年 4月15日 第1539回定期演奏会 準・メルクル指揮
2005年 6月 3日 第1542回定期演奏会 パーヴォ・ヤルヴィ指揮
2005年 6月11日 第1543回定期演奏会 パーヴォ・ヤルヴィ指揮
2005年 7月 2日 第1545回定期演奏会 アンドレイ・ボレイコ指揮
2005年 7月 8日 第1546回定期演奏会 アンドレイ・ボレイコ指揮
2005年 7月22日 N響の「夏」2005演奏会 キンボー・イシイ・エトウ指揮

2005年ベスト3
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2004年ベスト3
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2003年ベスト3
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2002年ベスト3
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2001年ベスト3
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2005年 1月14日 第1532回定期演奏会
指揮:
ウラディーミル・アシュケナージ

曲目: 小林研一郎   パッサカリア(2000) 
       
  武満 徹   ウォーター・ドリーミング(1987)
      フルート独奏:エミリー・バイノン
       
  リヒャルト・シュトラウス   ツァラトゥストラはかく語りき

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:客演、チューバ:多戸、ティンパニ:久保、ハープ:早川、ピアノ:客演、オルガン:客演

弦の構成:16型(武満は14型)

感想
 
音楽監督・アシュケナージの定常公演の最初となった2005年1月定期公演Cプログラムは、お得意のリヒャルト・シュトラウスと日本人作曲作品との組み合せ。極めて渋いプログラミングですが、非常に意欲を感じさせるものだとおもいます。フランチャイズのオーケストラは、本拠地の都市や国と関連した作曲家の作品を紹介して行くことが重要な仕事の一つです。N響もこれまで、そのような演奏をやってきている訳ですが、定期演奏会で日本人作品が演奏される機会は決して多いとはいえません。まして、一晩に2曲演奏するのは、私の知っている限り、初めての経験です。そのような新機軸が新音楽監督の指向だとすれば、今後に期待が持てそうです。

 しかしながら、私は、小林研一郎の「パッサカリア」も武満徹の「ウォーター・ドリーミング」も全く初めて聴く作品です。従って、演奏の良し悪しは全く分りません。まず、小林研一郎について申し上げるならば、私は彼が作曲家だったと言うことを知りませんでした。彼が、オランダやハンガリーで人気の指揮者であり、日本においても「炎のコバケン」とよばれるほどの熱のこもった指揮ぶりで人気の高い指揮者であることは勿論存じ上げており、また、私も彼の熱い演奏で心が動かされた経験が何度かあります。しかし、この作品は、「炎のコバケン」の指揮の印象とは随分違った音楽でした。勿論激しい部分もあるのですが、基本に流れるものは静謐です。作品は、ヨーロッパと日本の二つの主題が交互にからむ変奏曲ですが、ヨーロッパの部分は、オランダとか中欧、あるいはヨーロッパ全体といった地域性を感じさせるものではなく、寧ろ西洋という概念をそのまま音楽に仕立て上げている様に思いました。一方日本の方は、決して東洋的な概念を音楽にしたのではなく、正に日本であり、それ以外の何物でもない。そこに、私は、小林研一郎の日本人としてのアイデンティティを感じました。演奏技術は非常にしっかりしたもの、チェロ、ヴィオラ、フルートのソロが特に良かったです。

 武満徹の「ウォーター・ドリーミング」は、オーストラリアの原住民「アボリジニ」の画家の同名の作品に触発されて作曲された作品だそうですが、流れる音楽は、どこかドビュッシーを彷彿させます。印象派には東洋に対する憧れがあり、武満は日本に根っこを持った作曲家であったことから、その二つの音楽はどこかシンクロするのでしょう。幻想的な素敵な作品でした。フルート・ソロのバイノンが又良い。音色は綺麗なのですが、ただ綺麗なのではなくどこか一寸陰がある。この陰のおかげで音楽のふくらみが増しているように思いました。特に中間部は、武満のもつ日本的なものが感じられ、その消えゆく音には、はかなさを感じました。アンコールは、ドビュッシーの「パンの笛」。この作品を聴くと、ドビュッシーと武満の近さを更に感じました。

 最後が、アシュケナージお得意の「ツァラトゥストラ」。上手な演奏でした。冒頭の有名な「夜明け」から最後まで、アシュケナージは、大編成のオーケストラを上手にドライブし、N響も細かなミスはあったようですが、全体としては、高い演奏技術で弾ききりました。木管の音は特によかったと思います。アシュケナージの音楽に対する向き合い方も極めて真っ当で、音楽のデフォルメのし方もワルツの味わいも、クライマックスの盛上げ方も「流石」と申し上げるべきなのだろうと思います。しかし、私の好む演奏とは何かが違う。けれん味の強い演奏で、私もこの作品は、けれん味のある演奏の方が似合っていると思うのですが、けれんのつけ方が、私の感性に合わなかったということかも知れません。 

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2005年 1月29日 第1534回定期演奏会
指揮:
ウラディーミル・アシュケナージ

曲目: メンデルスゾーン   ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
      ヴァイオリン独奏:ジャニーヌ・ヤンセン
       
  シューベルト   交響曲第8番 ハ長調 D.944「グレート」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川ア、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:松ア、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、ティンパニ:久保

弦の構成:16型(メンデルスゾーンは14型)

感想
 
ピアニスト・アシュケナージのイメージは色々あります。その中でも特に思うのは、広いレパートリーが上げられます。彼の本領はロマン派及び後期ロマン派にあったのだと思いますが、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ラフマニノフ、プロコフィエフとピアノ音楽の歴史を飾るほとんどの作品が彼のレパートリーの中に入っています。そこに彼の器用さと類稀なる才能を感じ取ります。しかし、指揮者としては、そのイメージが余り強くない。勿論、彼は指揮者としての活動も多分30年になり、それまで取り上げて来た作品も数多いのでしょう。しかし、彼の指揮者としてのレパートリーの本領は、チャイコフスキーやラフマニノフ、あるいはイギリス音楽にあって、古典派や前期ロマン派が得意な指揮者とはあまり思っておりませんでした。

 そういう私の偏見の中で、メンコンとグレートというオーケストラ演奏会の王道を行くようなプログラム、アシュケナージがどのように料理するのかを楽しみにして出かけました。そして、結論を先に申し上げれば、なかなか侮り難い演奏会だったと思います。

 オランダの若手、ヤンセンをソリストに迎えてのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。暖かみのある演奏でした。ヴァイオリン協奏曲を演奏する時、ソリストは、オーケストラの音の上に浮かびあがるように演奏することが多いと思います。そのようなオーケストラとの対比こそが、ヴァイオリン協奏曲を聴く醍醐味でしょう。しかし、ヤンセンはそういう演奏を端から考えていなかったようです。彼女の音自体が一寸くすんだ丸みの帯びたもの。美音と言うわけには行かないでしょう。その音がオーケストラの音の中にすっぽり包み込まれるように聞えます。スリリングなところは感じられませんでしたが、ホッとするものがありました。

 そういう演奏をする方ですから、一番の聴きものは緩徐楽章。基本的にロマンティックな解釈で、夢想的な音楽美を感じました。音の柔らかさが魅力的でした。勿論付ける方は大変です。ソリストの弱音の美を見せるために、N響は一所懸命抑制した演奏をしていたようです。しかしながら、N響は気を使い過ぎて、結果的には必ずしも良い演奏にはなっていなかったのかな、とも思いました。

 このメンコンと対照的な音楽に仕立てて来たのが、「グレート」交響曲。アシュケナージはこの作品を初期ロマン派の作品というよりは、古典派の終焉との解釈を示したのではないかと思います。基本的には無骨でごつごつした印象の演奏でした。しかし、それがこの作品の音楽と非常にマッチするのです。金管が一寸セーブしながら吹いているようですが、腰のある演奏で結構でした。全体にミスの少ない演奏で、かつ、作り出される音に生気がこもっており、ますます結構でした。第2楽章の有名なオーボエ・ソロとそれを下支えするクラリネットは、北島さんと横川さんでしたが、いつもと違うリズムの刻みながら、その纏り具合は抜群で感心いたしました。スケルツォは、低音楽器を前面にだして来ましたが、作り出される音楽はスケルツォもまた舞踏音楽だな、と思わせる溌剌としたものでした。そして、フィナーレのトレモロ、良かったと思います。聴きごたえがありました。

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2005年 2月12日 第1535回定期演奏会
指揮:
ジェームス・ジャッド

曲目: モーツァルト   交響曲 第25番 ト短調 K.183
       
  ハイドン   トランペット協奏曲 変ホ長調 Hob.VIIe-I
      トランペット独奏:関山幸弘
       
  ホルスト   組曲「惑星」作品32
      女声合唱:二期会合唱団

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:客演、チューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川、オルガン:客演、チェレスタ:客演

弦の構成:16型(モーツァルト/ハイドンは12型)

感想
 
ジェームス・ジャッドがN響の定期演奏会を振るのは初めてだそうですが、N響へは、何度か客演しているそうです。そう言われて見れば、2003年の「N響夏」を振ったのがこの方でした。あの時は、アメリカ音楽を集めたプログラムでしたが、音楽は全然面白いものではなく、私は極評しております。そんな訳で全く期待せずに出かけたのですが、今回の演奏は、手放しで誉められるようなものではないにせよ、2003年「N響夏」の時の演奏と比較しますと、十分評価出来るものでした。

 それにしても、このジャッドという方、音楽を聴く限り、真面目な方なのだと思います。そういう気質に合う音楽のときは、なかなか結構な演奏をするのだが、そうでなければ、詰まらなくなってしまう、そういうタイプの指揮者のような気が致しました。この私の感じ方が正しいとすれば、第一曲にモーツァルトの「小ト短調」を持ってきたのは賢明な選択でしょう。演奏は、はっきり申し上げれば、可もなし、不可もなし、といったレベルでした。別の言い方をすれば、指揮者がいなくとも、N響ならばこれぐらいの演奏はするだろうな、と思える程度のもの。この作品に本質的に内在しているデモーニッシュな味わいを感じることの出来ない演奏でしたが、一方で、モーツァルト作品がもつ軽みの表現も今一つでしたし、抒情的な味わいも今一つ足りない感じがしました。バランスされているが、面白みには欠ける演奏でした。にもかかわらず、モーツァルトの魅力なのでしょうか、余韻は悪くなく、全体としてはまあまあの演奏に仕上っていたように思いました。

 第2曲のハイドンが本日の白眉でした。ハイドンのトランペット協奏曲は、トランペット協奏曲の中では最も有名な作品ですが、実際のコンサートで聴けるのは稀です。私も、録音では、クラシック音楽を聴き始めた頃から知っているお馴染みの作品なのですが、実演で聴くのは今回が初めてです。ソリストは、N響のトランペット首席奏者・関山幸弘でした。関山は一寸管の短いトランペットを自在に操り、輝かしい音で演奏しました。関山自身は、相当緊張していた様で、楽章間の小休止で楽器の状態を非常に気にしていた様子ですが、第一楽章の天馬が翔けるような伸びやかな表現、第二楽章のふくよかさ、第三楽章の軽快な気分、どれも十分満足の行くものでした。同僚がソリストをやる時のN響の伴奏は燃えます。これまた、ソリストとよく息があった伴奏でした。本日の3曲の中では、最も優れた演奏であったと思います。

 そして、最後の「惑星」。良い演奏でした。ジャッドのお国ものということで、聴かせ所の見せ方が上手な演奏だったと思います。N響の技術も素晴らしい。大編成で演奏したのですが、乱れが少ない演奏で、その力量を示したものであると思います。しかしながら、感心はできるが満足はし難い演奏でした。恐らく、それは演奏の熱気の方向が、私の期待とずれたためなのでしょう。「惑星」という作品は、その名称からも推定つくように、描写音楽ですが、その描写は、音楽の内に潜むものを暴こうとする切れ味を感じさせるものではなく、表面のみを美しく見せようとしたのではないかという気が致しました。ジャッドは勿論工夫を凝らしてはいます。例えば、最後の海王星の部分の女声合唱ですが、随分長く歌わせて、余韻を出そうとした所などです。しかし、そういった工夫も音楽の見せ方の問題であって、中に切り込んで行く意気込みを感じさせるものではありませんでした。その結果、何となく映画のBGMを聴いているように思えました。

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2005年 4月 9日 第1538回定期演奏会
指揮:
準・メルクル

曲目: ハイドン   協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105
      ヴァイオリン独奏:篠崎史紀、チェロ独奏:藤森亮一
      ファゴット独奏:水谷上総、オーボエ独奏:茂木大輔
       
  リスト   ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
      ピアノ独奏:横山幸雄
       
  バルトーク   管弦楽のための協奏曲 Sz.116

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:茂木(第1曲は池田)、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:吉川、チューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:早川

弦の構成:16型(ハイドンは10型(10-8-6-4-3)、リストは14型)

感想
 
本日は、お花見のせいだったのでしょうか、原宿駅が異様に混んでいて、十分余裕のある時間に到着したはずだったのに、NHKホールに辿り着いたのは時間ぎりぎり冷や汗をかきました。こういう日に限って良い演奏会なのですよね。昨年秋のサヴァリッシュの時も私は一寸遅刻したのですが、演奏会は大変素晴らしいものでした。本日も準・メルクルの魅力を一杯見せてくれた名演奏会だったと思います。

 まずプログラムがいい。三曲とも協奏風作品で奏者の上手さで聴かせる作品。もちろんソリストやN響奏者の実力は十分分かったのですが、その中にあってもメルクルの力量がはっきり示されるところがすごいところです。ソリストは皆魅力的なのですが、結果として聴いていたのはメルクルの音楽だった、ということでしょう。大変満足いたしました。

 第1曲がハイドンの協奏交響曲。実演で聴くのは初めての作品です。親しみやすいメロディーの美しい作品ですが、ソリストの構成がヴァイオリン、チェロ、ファゴット、オーボエだったということはうかつにも知りませんでした。4人のソリストとオーケストラとを合わせる訳ですから、完全にきちっと揃うのは難しいようです。第1楽章はソリスト間でもギクシャクしたところがありました。しかしながら、息遣いがどんどんあって行き、後半は「流石同僚」、という感じでした。第3楽章の独奏ヴァイオリンから独奏チェロにメロディーが移されるところなどは抜群によかったです。

 リストのピアノ協奏曲。本日の白眉でしょう。主張のはっきりした演奏で、それでいてすっきりとしておりました。音楽を一言で申し上げれば、堂々とした品格の高い演奏でした。横山幸雄の演奏は、技術的なことを申し上げればミスタッチもあって満点とは言い難いのですが、華やかでありながら、それに流されずに堂々としていて嫌味がない。メルクルの指揮ぶりも同様に堂々としていて風格すら感じました。そういう立派な音楽でありながら重苦しくならず、ユーモアが感じられたことも強調したい。二人の演奏は音楽をする楽しさを強く感じさせてくれるものでした。

 バルトークの「オケコン」。これまた準・メルクルの力量をいやが上でも示した名演奏でした。楽器のそれぞれがクリアーに示されながら、音楽に向かって求心するという実に立派なものでした。明瞭さ、歯切れのよさは、リストの方が上だったとは思いますが、これでも悪くない。金管・木管ともに明確なミスはなく表現のダイナミズムも非常に納得行くものでした。

 準・メルクルは、今回、古典派、ロマン派、現代音楽を代表する協奏的作品を並べてみせました。それぞれ違ったアプローチのようにも思いましたが、こう続けて聴くと、一貫したものが見えてきます。どれも明晰でありながら、軽やかで且つしっとりした音楽。このバランスが準・メルクルの真骨頂なのでしょう。

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2005年 4月15日 第1539回定期演奏会
指揮:
準・メルクル

曲目: ベートーヴェン   荘厳ミサ曲 ニ長調 作品123
      ソプラノ:ルート・ツィーザク
      アルト:クリスティアーネ・イーヴェン
      テノール:佐野成宏
      バス:ヤン・ヘンドリック・ロータリング
      合唱:国立音楽大学(合唱指導:田中信昭/永井宏)

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:川ア、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:松ア、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、ティンパニ:久保、オルガン:客演

弦の構成:16型、合唱団人数:男声60人、女声102人

感想
 
ミサ・ソレムニスは第9交響曲と併称されるベートーヴェン晩年の傑作です。しかし、第9があれほどポピュラーな作品になっているのに対し、ミサ・ソレムニスはなかなか演奏されない。確かに名曲なのですが、あまりに名曲過ぎて皆敬遠している、ということなのかもしれません。N響でもそうは演奏されず、1995年ブロムシュテットが取り上げて以来、10年ぶりのことです。

 95年のブロムシュテットの演奏は、ベートーヴェンの厳しさ・偉大さを前面に出した演奏で、いかにも「荘厳」ミサ曲という感じで、非常に敬虔な思いを持って聴いたのを思い出します。こういう古典的大作を準・メルクルがどのように演奏するかは非常に興味がありました。結果としていえるのは、よい意味でも悪い意味でも現代的なミサ・ソレムニスに仕上がっていたと言うことです。タイトルこそ「荘厳」でありますが、その「荘厳」さは非常に薄まったもので、それをどう評価するかで、この演奏を買えるか買えないかが決まるように思います。

 全体に明るいアプローチです。これはソリストの影響もあるでしょう。高音がよく通り伸びます。佐野成宏は期待通りの美声でスカッと決めてくるところがいいです。アルトもよく声が通りかつ伸びます。そこにソプラノのツィーザクが可憐な声で参加するというと天国的美しさを感じます。逆にバスは全然存在感がありません。この作品は、バスが引っ張る曲であるというイメージがあったものですから、驚きました。

 ソリストが綺麗な音楽を奏でるのに対して合唱は割りと荒々しいアプローチ。アタックの強さが印象的でした。このソロと合唱との対比に、メルクルはオーケストラに対しクリアな音を要求しているようで、全体として見通しのいい音楽となっていました。そのため「キリエ」は流麗な音楽で抜け、「グローリア」は神の栄光を実感できるものとなり、「クレド」の生々しさも結構なものでした。

 前半のこの明るいアプローチは、後半も一貫していたのですが、「サンクトゥス」と「アニュス・デイ」は前半との対比が難しくなったようで、バランス的には今ひとつなのかな、とも思いました。また、サンクトゥスのソリストでつづるフーガがバス歌手が弱いので、全然フーガとして聴こえてこなかったのも困りました。堀さんのヴァイオリン・ソロも大変美しいものでしたが、「荘厳」さを感じさせるものではなく、違和感が残りました。

 メルクルは、「荘厳」さを消すことによって、この作品の持つ別な持ち味を示したものと思いますが、「荘厳」さをどこかで求めている私のような聴き手にとっては、良い演奏であることを否定しないのですが、今ひとつ共感できない演奏でした。

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2005年 6月3日 第1542回定期演奏会
指揮:
パーヴォ・ヤルヴィ

曲目: シューマン   チェロ協奏曲 イ短調 作品129
      チェロ独奏:トルルス・モルク
       
  ラフマニノフ   交響曲第2番 ホ短調 作品27

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:客演、ティンパニ:久保、

弦の構成:16型(16-13-12-10-8)、協奏曲は14型(14-12-10-8-6)

感想
 
2002年1月、パーヴォ・ヤルヴィがN響の定期公演に登場したとき思ったのは、パーヴォ・恐るべしでした。音楽に主張があるのにかたくなではなく、自由で多様性のある演奏で、大いに感心した覚えがあります。3年半ぶりに登場した今回取り上げたのがシューマンとラフマニノフ。どちらもロマンティックな作品ですが、アプローチは異なっており、パーヴォの特徴がよく表れた演奏だったのではないかと思います。楽しめた演奏会でした。

 シューマンのチェロ協奏曲は、一言で申し上げれば静謐な演奏。チェリストのモルクは、ゆったりとしたテンポで大河のような演奏を行います。水が流れて太くなり、その流れが柔らかく変形していきます。強いアタックで音楽を煽り立てるようなことは全くせず、丁寧な着実な演奏をしてみせました。弱音がしっかりと密度があって、美しく響くのが素敵でした。このモルクの演奏方針に、ヤルヴィ/N響も合わせていきます。N響は流石にモルクほど枯れた演奏にはなりませんでしたが、ソリストの弱音の邪魔にならないような丁寧な演奏で、モルクのかもし出す静謐な雰囲気を上手く盛り上げているように感じました。アンコールがカザルスの「鳥の歌」これも大変結構な演奏で、聴き応えがありました。

 ラフマニノフは、ヤルヴィの特徴がよく出た演奏でした。私はラフマニノフの2番を聴くと、ヴィクター・ヤングの映画音楽を思い出してしまいます。勿論これは、1940年代以前のハリウッドはラフマニノフの影響を受けていたことの反映で、ラフマニノフの責任ではないのですが、音楽にそのような通俗性が潜んでいることは確実だと思います。この通俗性をどのようにみせるのか、が指揮者の力量だと思いますが、ヤルヴィは、柔らかな自然な感じの演奏にまとめ、曲の持つ通俗性を上手く示したのではないかと思います。

 全体にうねりのある演奏で、これ見よがしのことはやらないのですが、メロディーラインを美しく響かせていました。勿論必要なメリハリ(例えば、第2楽章の主題と、副主題の対比)などははっきり示していますし、金管の咆哮も当然あるのですが、これ見よがしなところの感じさせない演奏でした。第3楽章は豊かな広がりを感じさせる大きな演奏になっており、結構だったと思います。しなやかな演奏で、癒される演奏でした。

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2005年 6月11日 第1543回定期演奏会
指揮:
パーヴォ・ヤルヴィ

曲目: トゥール   アディトゥス(2000/2002改訂)(日本初演)
       
  プロコフィエフ   ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26
      ピアノ独奏:アレクサンドル・トラーゼ
       
  シューマン   交響曲第3番 変ホ長調 作品97 「ライン」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:井野邊、チェロ:木越、ベース:池松、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:客演、ティンパニ:久保、

弦の構成:16型(16-14-12-10-8)、協奏曲は14型(14-12-10-8-6)

感想
 
端的に申し上げて、今年になってから一番の演奏会でなかったかと思います。パーヴォ・ヤルヴィの特徴がよく表れており、また、N響のヴィルトゥオジティがふんだんに発揮され、その両者のコンビを聴くうえで、ある意味最良のプログラムだった、と申し上げてよいのかもしれません。とにかく素晴らしい演奏会でした。

 トゥールの「アディダス」は、勿論はじめて聴く曲。打楽器を中心としたクラスター(というほど音の密度は濃くありませんでしたが)から始まる、いかにも現代音楽的作品ですが、メロディーが無視されているわけでもなく、なかなかとらえどころのない作品でした。ヴィブラフォンだのグロッケンシュピールだのチューブラ・ベルだののメロディー系の打楽器が活躍する曲で、いかにも現代風だな、と思いました。ヤルヴィにとって、トゥールという作曲家は同じ国出身でほぼ同年代ということで、非常に重要な作曲家のようですが、私が、作品の魅力を本当に理解できたのか、というと心許ありません。

 プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。ソリストは、アレキサンドル・トラーゼ。トラーゼといえば、2002年12月にショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番を演奏し、その圧倒的な名演が忘れられません。今回も同様の演奏が聴けるのかと期待しておりました。これがまた期待に違わぬ名演。私はこれまでこの作品を実演で何度か聴いておりますが、いつも物足りなく思っておりました。しかし本日は、曲の本質をよく示した演奏と申し上げてよいでしょう。この作品は、よく「ピアノを打楽器的に扱う」代表としてみなされますが、トラーゼはピアノを打楽器的に使うということがどういうことなのかを目の当たりみせてくれたと思います。

 序奏部のクラリネット(磯部さん好演)はゆったりと入ってきたのですが、ピアノの第1音が叩かれたとたん、テンポが変わります。体重の乗った力強いタッチで、太い指が鍵盤の上を縦横無尽に走ります。力強いのに、指の回りも速いという技巧でガンガン進みます。とにかくフォルテッシモを弾くと、あの巨体が椅子から浮くのですから、その力強さが分かります。第2楽章は、第1楽章の速さが一転してゆったりとした演奏。しかし、一音一音を揺るがせずしっかりと弾いていきます。第3楽章は、ずっしりと歌わせながらどんどん盛り上げって行き、最後の連打に流れ込むところは、本当に聴き応えがありました。N響/ヤルヴィも上手いです。

 トラーゼとヤルヴィは体の幅は全く違うのですが、衣装も黒いシャツにズボン、二人とも頭は禿げ上がっており、遠めには親子か兄弟が演奏しているように見えました。トラーゼは、ヤルヴィの指揮を気にしながら演奏しており、オケの音色とピアノの音色がよく混ざって一体感を醸し出していたのは、遠めには似たもの二人の関係がよい方向に働いたのかもしれません。文句なしでした。トラーゼはアンコールとして、D.スカルラッティのホ短調ソナタを演奏しましたが、これまた滋味あふれる名演で、大変結構でした。

 シューマンの「ライン」。同じシューマンでも、先週の「チェロ協奏曲」とは全く違うアプローチで面白かったと思います。先週が抑制した演奏だとすれば、「ライン」交響曲は、自由な演奏、と申し上げてよいかもしれません。各楽章ごとに演奏のスタイルと見事に変えて、全体としてはプリズムのような演奏、と申し上げたらよいでしょう。我々がシューマンといえば、サヴァリッシュを思い出すのですが、サヴァリッシュのいかにもドイツ風のがっしりした演奏とは相当違うものでした。

 第1楽章は肩の力が抜けた軽いアプローチ。それでいて音楽の持つ雄大さは削がれず、自然な流れで盛り上がっていくところは流石の実力でした。N響の管が本日はほとんどコケず、そこも音楽の自然な流れを作るのに有効に働いていました。第2楽章は、けれんの感じさせないスケルツォで、ゆったりとした気分が横溢しており大変結構なものでした。第3楽章はもう少し人工的な演奏。非常に魅力的なのですが、一寸才気に走りすぎたかな、と思われる節もありました。第4楽章は荘重な演奏で、1から3楽章の雰囲気と変えてきました。そして、第5楽章。アッチェラランドをかけて、自然な流れをつくり、楽しさを満たしながらフィナーレに至りました。

 とにかく、素晴らしい演奏でした。ある方が、この演奏を聴いたら、シューマンはしばらく聴かなくていい、とおっしゃっておりましたが、その気持ちよく分かります。

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2005年 7月2日 第1545回定期演奏会
指揮:
アンドレイ・ボレイコ

曲目: ブラームス   ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
      ピアノ独奏:ネルソン・フレイレ
       
  フランク   交響詩「のろわれた狩人」
       
  ストラヴィンスキー   バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:井野邊、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:客演、ティンパニ:石川、ハープ:早川、ピアノ/チェレスタ:客演

弦の構成:16型(16-14-12-10-8)、協奏曲は14型(14-12-10-8-6)

感想
 
アンドレイ・ボレイコという指揮者、遠目に見ると現田茂夫みたいな感じ。ところが現田さんの音楽って、何度か聴いたことがありますが、捉え所がなくて、説明がしにくい。印象が薄いと申し上げても良いかもしれません。でも、このボレイコという指揮者。N響初お目見えで、私もはじめて聴くのですが、強い印象を残してくれました。それも良い印象と悪い印象の両方で与えてくれたから面白いです。良い演奏会では決してなかったと思いますが、インパクトのある演奏会ではありました。

 ブラームスのピアノ協奏曲第1番。ピアノ協奏曲としては難曲のひとつで、誰でも演奏できるような作品では勿論ありませんが、フレイレにとっても荷が勝ちすぎていたようです。第一に楽譜を持ち込んだのが驚きです。ソロ・ピアニストのコンサートで楽譜を見るのを許されるのはリヒテルだけだと思っていましたが、フレイレの可なのですね。しかし、このような難曲を暗譜無しで演奏できるとすれば、逆にたいしたものだと思います。

 しかし、演奏は感心できるものでは全くありませんでした。テクニック的にぎりぎりのところで演奏しているのが素人目にも良く分かります。ゆっくり目の演奏は悪くないと思いますが、打鍵のバランスの悪さは目を覆いたくなるほどです。そのため、音楽がギクシャクして自然に流れない。ミスタッチも随分あったようです。音楽の構成自体はそれほど違和感のあるものではなかったのですが、技術的に問題が多いので、音楽にすっと入っていけないのです。フレイレってもっと上手なピアニストというイメージがあったこともあるのですが、一寸驚きでした。

 N響の伴奏も、大いに問題がありました。とにかくピアノと微妙にずれる。これも音楽全体をギクシャクさせていた理由のもうひとつの大きな原因です。ボレイコはその辺の調和に十分力を注げなかったようで、第1楽章が殊に悪かったと思います。これがN響?と思うほど演奏のミスも目立ちました。コンマスの篠崎さんが見るに見かねてか、まあ分かりませんが、一所懸命指示をするようになってようやくまとまったようです。

 第3楽章が大きなミスもなく、高揚感のあるフィナーレに至ったので、沢山拍手を貰っておりましたが、私は全然感心できない演奏だったと思います。

 休憩後の2曲は前半と比較すれば評価できるものでした。フランクの交響詩ははじめて聴く曲ですが、金管のファンファーレが印象深い作品でした。「呪われた狩人」は、ドイツの詩人ビュルガーのバラードを題材に作曲した作品だそうですが、演奏はフランス的というよりは、原作の影響が強いのでしょうか、ドイツ的な感じがしました。もともと劇的でおどろおどろしい作品のようですが、その感じは大体出ていたと思います。ただ、音楽が導入のホルンのファンファーレからフィナーレまでフォルテで突っ走る演奏で、抑揚が感じられませんでした。それがこの作品の特徴なのでしょうが、結局単調に聴こえました。

 結局のところ、一番良かったのは「火の鳥」だったと思います。先の2曲がどちらかといえばけれん味の強い演奏だったのに対し、この演奏はごく普通の火の鳥でした。きちっと整理された演奏で全体のバランスも良く、すっきりとまとまっていたと思います。「王女たちの踊り」のオーボエやチェロの音色は非常に良いものでしたし、「魔の踊り」の変拍子も上手く決まっていました。あまりけれんに走らず、楽譜に忠実に演奏するならば、N響はこれだけ立派な演奏ができるんだ、と当たり前のことを思ってしまいました。

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2005年 7月8日 第1546回定期演奏会
指揮:
アンドレイ・ボレイコ

曲目: ボリソワ・オラス   沈黙の王国(2003)(日本初演)
       
  モーツァルト   クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
      クラリネット独奏:横川晴児
       
  プロコフィエフ   交響曲第5番 変ロ長調 作品100

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、チューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:早川、ピアノ/チェレスタ:客演

弦の構成:16型(16-14-12-10-8)、協奏曲は10-8-6-5-3

感想
 
アンドレイ・ボレイコを2週間続けて聴いて思ったのは、硬い指揮者ですね。堅いのでもなく固いのでもなく硬い。それが良い方向にでるか悪い方向に出るかで音楽が変わるのだろう、と思いました。

 ボリソワ・オラスはスウェーデンに住むロシア人作曲家ということですが、この「沈黙の王国」という作品、響きが東洋的で独特の味わいがありました。冒頭のチェレスタとシロフォンの音色がよく、音楽が進むにつれて打楽器と管楽器が活躍します。荒々しい部分も沢山あるのですが、冒頭のフレーズが最後にも出てくるためか、全体としての印象は「静けさ」だと思いました。短い印象的なフレーズが少しずつずれて行って波が押し寄せては返すような音楽です。弦楽器は弱音で下支えする感じが強いのですが、その動きも面白く聴きました。

 モーツァルトのクラリネット協奏曲。本日の白眉でした。ゆったりとした演奏で、あえて華やかさや避けた演奏ではなかったかと思います。もっと若い奏者だとモーツァルトの表面的な美しさを表に出す演奏をすると思います。その方が演奏効果も華やかだと思うのですが、横川さんは「おじさんのモーツァルト」に徹しました。オーケストラも一寸くすんだ音でこのクラリネットをサポートする。結果として、晩年のモーツァルトの寂しさのようなものがよく表れて、素敵でした。第1、第2、第3楽章とも基本的なトーンが共通で、秋を感じさせる演奏になっていたと思います。大変気に入りました。

 プロコフィエフ。ボレイコの硬さが一番良く表れた演奏でした。しっかりしたテンポできっちりと弾かせる、というのがボレイコの行き方のようです。第1楽章のアンダンテは、アンダンテとはこのように演奏するのですよ、と言わんばかりのねっとりとした演奏。管楽器も打楽器にも思いっきり弾かせているのですが、音楽の枠を踏み外さず、表面の枠のぎりぎりまで詰め込むような演奏でした。音楽のうねりはあるのですが、総じて見れば、くっきりとした硬い演奏でした。

 第2楽章も基本は一緒。スケルツォですから、もっとテンポを動かして、その自由度の中に諧謔味を出していけばいいと思うのですが、骨組みから外そうとしないのですね。その結果音楽が窮屈で、聴いていて面白みに欠ける演奏でした。第3楽章の深みのある演奏は、反対にボレイコの真骨頂なのかもしれません。しっかりと彫りの深い演奏で、味わいがありました。しかしフィナーレは買えません。プロコフィエフのユーモアや風刺の気分が薄れてしまいました。もっと不真面目な演奏を目指してほしかったと思います。

 N響のメンバーの技術的な面は文句なし。磯部さんのクラリネットが特に印象的でした。

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2005年 7月22日 N響の「夏」2005演奏会
指揮:
キンボー・イシイ・エトウ

曲目: ドビュッシー   牧人の午後への前奏曲
       
  ボアエルデュー   ハープ協奏曲ハ長調
      ハープ独奏:グザヴィエ・ドゥ・メストレ
       
  ヴェルディ   歌劇「運命の力」序曲
       
  ヴェルディ   歌劇「オテロ」〜柳の歌「泣きぬれて野の果てにただひとり」「アヴェ・マリア」*
       
  マスカーニ   歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
       
  プッチーニ   歌劇「ジャンニ・スキッキ」〜「私のお父さん」*
       
  チレーア   歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」〜「私は神のいやしいしもべです」*
      *ソプラノ独唱:アンナ・トモワ・シントウ
アンコール      
  ワーグナー   歌劇「タンホイザー」〜「歌の殿堂」*
  レハール   喜歌劇「メリー・ウィドウ」〜「ヴィリアの歌」*
  レハール   喜歌劇「メリー・ウィドウ」〜「ヴィリアの歌」*(後半のみ)
  プッチーニ   歌劇「ジャンニ・スキッキ」〜「私のお父さん」*
      *ソプラノ独唱:アンナ・トモワ・シントウ

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:井野辺、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:松ア、トランペット:津堅、トロンボーン:客演、チューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川

弦の構成:16型(16-14-12-10-8)、オペラアリアは12型(12-10-8-6-4)

感想
 
仕事の都合で前半の2曲は聴けず、休憩後のオペラ・アリア中心の部分を聴きました。しかしながら、これだけでも十分に聴き応えのあるある演奏会でした。

 アンナ・トモワ・シントウは、1941年ブルガリア生まれのソプラノです。最盛期は1970年代から80年代にかけてのカラヤンとの共演が多かった頃でしょう。私も彼女の歌う元帥夫人で「ばらの騎士」の面白さを知った口です。その頃は、おそらく世界でも有数のリリコ・スピントでした。しかし彼女も既に63歳。若い頃のように声が出るわけではありません。おばあさん歌手によく見られるワウワウという声の揺れは隠しようがありませんでしたし、高音はぶら下がり気味、強靭な声が続けて出せるわけでもなく、技術的にみれば粗ばかり、と申し上げても決して間違いではありません。

 しかし、感動を与えるのはそれだけではない、そういうことがよく分かります。世界のトップスターだった経歴は伊達ではありません。とにかく音楽に説得力があるのです。特別綺麗でも、特別技術的に優れているとも思えないのですが、聴き手を引き込む「何か」があります。

 それをまず感じさせたのが、デズデモナのアリア「柳の歌」です。語るような歌い方で感情を抑制している様子がよく窺える。彼女の切ない気持ちがはっきりと表現されていて、凡百のソプラノとの違いがはっきり分かります。

 一転して、「私のお父さん」。これは買えません。どう聴いても「年増の深情け」のような歌で、音楽全体が重く、若くてずるくて、男(父親も男)を手玉に取ろうとするラウレッタの機智あふれる雰囲気が出てこない。この歌に対してはしつこくブーを飛ばしている方がいましたが、飛ばされても仕方がないと思います。

 しかし、スピント役を歌わせるとさすがです。アドリアーナ・ルクヴルールの登場のアリアは、大歌手が大女優を歌うという二重性ゆえに、さすがの貫禄となりました。歌にオーラが表れます。こうなると、アンコール無しとは参りません。まず一曲目が、「歌の殿堂」これまた流石の歌でした。技術的には問題があるのですが、威厳のあるエリザベートで、聴き手を納得させずには参りません。

 最後は「ヴィリアの歌」これは、緊張感の解けたのんびりした歌唱。惜しむらくは最後の伸ばしがかすれて消えてしまったこと。そこは本人も気になっていたのでしょう。アンコールで再度「ヴィリアの歌」を歌い、最後の伸ばしを(一拍休んでから入ったので、正しいやり方ではない、こういうところにも老化を感じます)決めてみせてアピールしました。

 こういうことをすると、会場の熱狂は冷めやりません。そして、リベンジの「私のお父さん」。今度は良かった。基本的な歌い方は30分前と全く同じなのに、聴こえてくる音楽ははるかに上です。本人の調子が乗ってきたということもあるのでしょうし、ブーを浴びせられてすごすごと帰れない、というソプラノの意地があったのかもしれません。とにかく聴きものでした。

 指揮とN響は、トモワ・シントウのテンポに合わせるのに苦労していたようですが、音は流石にクリアです。イシイ・エトウという指揮者の本領はこの演奏会では分かりませんでした。オケものの「運命の力」序曲は、シンフォニックな表現を強調したもの、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲は、特に可もなく不可もなしという演奏でした。

 という訳で、大歌手の歌を満喫いたしました。これでN響会員割引で入場料が1000円です。とてもお得でした。 

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