NHK交響楽団定期演奏会を聴いての拙い感想-2006年(後半)

目次

2006年09月02日 第1574回定期演奏会 外山雄三指揮
2006年09月08日 第1575回定期演奏会 若杉 弘指揮
2006年09月22日 第1576回定期演奏会 ウラディーミル・アシュケナージ指揮
2006年10月07日 第1578回定期演奏会 ウラディーミル・アシュケナージ指揮
2006年11月10日 第1581回定期演奏会 サー・ロジャー・ノリントン指揮
2006年11月19日 第1582回定期演奏会 ネルロ・サンティ指揮
2006年12月02日 第1583回定期演奏会 ローター・ツァグロゼク指揮

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2006年 9月 2日 第1574回定期演奏会
指揮:
外山 雄三

N響創立80周年 正指揮者シリーズ

曲目: 尾高 尚忠   交響曲第1番 作品35 
      第2楽章:世界初演
       
  マーラー   交響曲第5番 嬰ハ短調

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:井野邉、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:客演、トランペット:関山、トロンボーン:新田、テューバ:池田、ティンパニ:石川、ハープ:早川

弦の構成:16型

感想
 
2006-2007シーズンの最初はN響正指揮者シリーズと称して、3人のN響正指揮者が夫々1プログラムを振る予定でした。本年6月に、N響正指揮者の一人、岩城宏之がなくなったため、一人が1.5プログラムずつ振り、また岩城の振る予定であったBプログラムは、「故岩城宏之追悼公演」となります。尚、Bプログラムでは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」が演奏されますが、これは、岩城が予定していたプログラムに入っていました。岩城は別にこの作品を自分へのレクイエムにするつもりはなかったと思いますが、妙な偶然を感じます。

 閑話休題。さて新シーズンの最初を飾るのは、尾高尚忠の交響曲第1番です。そう滅多に演奏される作品ではありませんが、N響とは縁の深い作品のようで、作曲者自身の初演以来何度も取り上げられているそうです。最近の定期公演では1991年に岩城宏之が取り上げました。しかしながら、私は初めて聴く作品です。印象としては、正当な後期ロマン派作品、といった感じでしょうか。西欧的な部分と東洋的な部分とが上手くミックスしていてなかなか聴き応えのある作品でした。

 第一楽章を外山は、ダイナミックな表情で演奏します。トランペットやホルンを補強しているため、金管の印象が強く残ります。一方、弦も強奏が多いため、強く濁った響きが多く聴こえたように思いました。新発見の第2楽章。一言で申し上げれば余計な楽章だったと思います。最近発見された楽章で、第3楽章へアタッカで続けるように、楽譜に指示があるそうですが、終わり方が唐突で不安定。基本は緩徐楽章で、正当な交響曲の構成ですが、第一楽章の雄大さを受ける第2楽章としては、一寸弱い感じがします。更に後ろの楽章があれば、また感じ方が違うのかもしれませんが、二楽章構成の交響曲として聴いた場合、第一楽章だけで完結して何か問題があるのかしら、などとも思いました。ちなみに、第2楽章の演奏は、木管がきれいで結構でした。

 マーラーの5番は、端的に申し上げれば熱血的演奏です。ただ、この演奏がこの作品と本当に合っているのか、といえば、私には疑問です。とはいえ、N響の個々の奏者のヴィルトゥオジティには素直に頭を下げましょう。冒頭の関山さんのファンファーレ。まずこれが素晴らしい。透明で伸びがあって、どことなく哀しさも感じられて絶妙でした。エキストラで入ったホルンの森さんの音色も非常に美しく、感心いたしました。木管系もよい。青山さんのオーボエを下から支える水谷さんのファゴットなど感心するところがいくつもありました。

 しかし、音楽としてみた場合、健全すぎる。マーラーの持つ官能性が希薄になっている演奏でした。退廃的ではなく実が一杯詰まっている感じ。第4楽章以外は概ね激しく演奏する部分、盛り上がる部分がよく、落ち着いた部分、静かな部分の官能美や精妙性に問題を残しました。第4楽章の有名なアダージェット。他の楽章のゆったりとした部分とは違って、マーラーらしい美しさが一部見られたと思います。しかし、息の長い音楽になったため、一部奏者にその長さについていけない方がいらして精妙さに欠いたのが残念でした。

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2006年 9月 8日 第1575回定期演奏会
指揮:
若杉 弘

N響創立80周年 正指揮者シリーズ

曲目: ウェーベルン   パッサカリア 作品1 
       
  マーラー   交響曲第9番 ニ長調

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:井野邉、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:新田、テューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:早川

弦の構成:16型

感想
 
20年もオーケストラのコンサートに通っていると、主要な作曲家の主な管弦楽作品はほぼ聴いているような気がしていますが、実際は違います。マーラーの9番はその一曲です。なぜかこれまで実演で聴く縁がありませんでした。N響でも何年かに1回、必ず演奏される作品なのですが、面白いものです。これで、私のN響でのマーラー交響曲全集が完成しました。ちなみに私にとって、N響での交響曲全集が完成している作曲家はブラームス、シューマン、ベートーヴェン、チャイコフスキーに続き5人目です。

 さて演奏ですが、はっきり申し上げればぱっとしない演奏だったと言わざるを得ないです。プログラムは、20世紀音楽の旗手の一人であったウェーベルンと19世紀ドイツロマン派の伝統を守ったマーラーのほぼ同時期の作品を並べたことで、その地域的時代的類似性と音楽潮流上の相違を感じられればよかったのだろうと思うのですが、演奏にそのような主張が込められているようには聴き取れませんでした。

 まずウェーベルンがいかがなものか。とにかく焦点のぼけた演奏で、指揮者が演奏者に何を期待しているのかが見えてこないのです。98年にアラン・ギルバートが振った演奏を覚えているのですが、あれは結構な演奏でした。それと比べると、音楽的頂点がわからない演奏で、満足できませんでした。

 マーラーも今ひとつの演奏でした。前半よりは後半がよく、特に第4楽章の後半は、N響弦楽の実力が発揮され、ゆっくりした音の流れの中、次第にフェードアウトしていくところは、大変素晴らしいものだったのですが、そこに至るまでは結構事故もあったようですし、それ以上に求心的音楽になっていませんでした。

 個別の演奏は素晴らしい。いつもは結構ミスの出る樋口さんのホルンが今回は抜群によく、うっとりと聞き惚れましたし、藤森さんのチェロソロ、篠崎さんのヴァイオリン、ヴィオラセクション、茂木、横川、岡崎の木管首席陣、コントラファゴットの菅原さんと流石としか申し上げようのない演奏が続きました。それにもかかわらず、アンサンブルになると今ひとつなのです。第一楽章はところどころ「はっ」とするところがあるのですが、全体としては散漫な印象の演奏でしたし、第二第三楽章は今ひとつ野暮ったい。タイミングが微妙にずれており、音が濁るのです。そういった問題が修正されてまとまったのが第4楽章ということなのでしょう。遅い音楽をあれだけきっちりと演奏できるのがN響の実力なのでしょう。

 結局問題は指揮者です。ウェーベルン、マーラーを通してそう思うのですが、若杉の指揮自体がおじいさん、おじいさんしていてギクシャクしているのです。昔はもっと流麗な、音楽に乗った指揮をされていたと思うし、先月の「欲望という名の電車」でも悪くない音楽作りをしていたと思うのですが、今回はどうも音楽を制御しきれていない感じがしました。別の言い方をすれば音楽作りの方針が明確でない。その結果かどうか判りませんが、楽員たちの演奏も何か戸惑った感じがあったものと思います。若杉は、一時期日本のマーラー指揮者の最高と言われ、今回の演奏もマーラーの音楽のもつ退廃性を上手く表現していた部分もあったのですが、満足したと申し上げることはできないように思います。

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2006年 9月22日 第1577回定期演奏会
指揮:
ウラディーミル・アシュケナージ

N響創立80周年記念
ショスタコーヴィチ生誕100年

曲目: ショスタコーヴィチ   ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77 
      ヴァイオリン独奏:ボリス・ベルキン
       
  ショスタコーヴィチ   交響曲第10番 ホ短調 作品93

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:吉田、フルート:中野、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、テューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川、チェレスタ:客演

弦の構成:協奏曲;14型、交響曲;16型

感想
 
私はアシュケナージの指揮があまり好きではなく、どうしても辛口になってしまうのですが、例外的に感心するのはショスタコーヴィチの解釈・演奏です。これだけは裏切られたことがありません。いつも納得行く演奏をしてくれます。今回も例外ではありませんでした。非常に素晴らしい演奏だったと思います。

 まず、ヴァイオリン協奏曲。名演でした。ボリス・ベルキンのヴァイオリンが特に素晴らしい。特に美音ではありませんが、音に粗さがなくどんな部分でも密度がある締まった演奏で、感心いたしました。第一楽章の静謐な雰囲気。第二楽章の諧謔と歯切れのよさ。第三楽章の厳密さ。第四楽章の軽快さ。楽章毎の特徴を上手く表した演奏でした。特筆すべきは第三楽章の長大なカデンツァ。技巧的にも難しいものだと思いますが、厳しい表情の演奏で全く弛緩することがなく、ため息が出るほど素晴らしかった。

 N響・アシュケナージのサポートもまたよい。基本的に低音部が充実している作品ですが、N響の低音楽器のサポートも特筆すべきでしょう。特にファゴット、チューバ、チェロやコントラバスのセクションもよかったです。軽妙さと重厚さの程好い調和。アシュケナージの解釈の妥当性を感じました。

 交響曲第10番の演奏もまた結構でした。ヴァイオリン協奏曲の緊張の後の演奏で、完成度からいえば今ひとつの部分もあるとは思いましたが、全体としては十分に評価できる演奏だと思いました。このような演奏を聴くと、アシュケナージの演奏の感性がショスタコに似合っているとしか言い様がないと思います。アシュケナージは結構せかせかした方のように思うのですが、そのせかせか感とショスタコのスケルツォの皮肉的諧謔さと波長がしっかり合っている、と申し上げたらよいのでしょうか。いわゆる精密な演奏ではないのですが、ショスタコの音楽の本質を衝いている演奏であり、アシュケナージのショスタコに対する共感を聴いたように思います。弦切れのトラブルの後にもかかわらず、堀コンマスのヴァイオリン・ソロは結構でしたし、樋口さんのホルン、甲斐さんのピッコロ、岡崎さんのファゴット、横川さんのクラリネット、茂木さんのオーボエがよく、打楽器陣の鋭い音も結構でした。 

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2006年10月07日 第1579回定期演奏会
指揮:
ウラディーミル・アシュケナージ

曲目: 武満徹   鳥は星形の庭に降りる 
       
  バルトーク   ピアノ協奏曲第3番 BB127(Sz.119)
      ピアノ独奏:エレーヌ・グレモー
       
  ラヴェル   「ダフニスとクロエ」組曲第1番、第2番
      合唱:栗友会、合唱指導:栗山文昭

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀/篠崎、2ndヴァイオリン:山口/永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:木越/藤森、ベース:西田/吉田、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:今井/樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:新田、テューバ:池田、ティンパニ:植松、大太鼓:久保、ハープ:早川、チェレスタ:客演

弦の構成:武満;12-10-8-6-6、協奏曲;14型、「ダフニス」;16型

感想
 
10月14日ロサンジェルスを皮切りに7都市で行われる米国演奏旅行の壮行演奏会。あるいは予行演習公演でした。そのためメンバーは首席陣総揃い。また曲によって並び方が変化するもので、特に弦楽は久々のエキストラ無しとなりました。それにしても演奏旅行にもっていくには渋いプログラムです。このようなプログラムでも米国のお客さんは切符を買ってくれるということなのでしょう。そうであるならば、やはりN響の力が世界的にも評価されているということでご同慶の至りです。

 全体的に見て、悪い演奏ではなかったと思いますが、完成度は十分だったかといえば、まだ一段高める余地がありそうです。

 「鳥は星形の庭に降りる」は武満徹の1970年代の代表作の一つで、確かに名曲だと思います。5という数が基準になり、五つの黒鍵の五音音階が聴き手の日本人にフィットするのではないかと思います。この作品は木管の音が素敵な非常に美しい作品だという印象があるのですが、アシュケナージは精密な美には拘っていないように思えました。個別の奏者は上手なのですが、アンサンブルとして聴くと、今ひとつ物足りないところがある。ピアニスト・アシュケナージの最大の特徴はそのタッチから醸し出される美音ですが、その美音の創造は天然のものであって、アシュケナージが意識して作り上げたものではないのかもしれない、と彼が指揮するオーケストラ作品を聴くと思います。

 バルトークのピアノ協奏曲3番。プロコフィエフの3番と並んで20世紀を代表するピアノ協奏曲だと思います。平明で明快。二十世紀音楽を作り上げた大作曲家の最後の境地はどこにあったのでしょう。私が残念に思うのはグレモーが、その境地を感じて演奏しているように思えないことです。ダイナミックな表現で、聴き手をわくわくさせるものはありました。特に第3楽章は見事でした。でも演奏が雑です。それはミスタッチが多い、というよりももっと根源的なもの。例えば、打鍵後の指の抜き方が一定していない、のようなところです。速いパッセージはそういうところは問題にはならないのですが、遅い第2楽章は、音を保ちきれないところがありました。息切れするのですね。N響のサポートがねちっとしたものだったので、余計にそこが気になります。またペダルの使い方も今ひとつ。響かせすぎのところがあり、結果としてオーケストラの音とピアノの音とがぶつかる部分がありました。協奏曲の演奏というより、競争曲の演奏みたいでした。

 「ダフニスとクロエ」、滅多に演奏されない第一組曲も演奏です。これはなかなかよい演奏でした。アシュケナージは体質的にどこか重たいものを持っていて、それが合う作品であればよいのですが、そうでないとつまらなくなることが多いです。ラベルはデュトワのように軽快にきりっとした演奏を私は好み、アシュケナージのどこかひきずるような音楽は好みとしません。ところが、今回はアシュケナージの一寸重たい音楽作りが合唱とのマッチングに貢献しました。息遣いの問題なのでしょうか、しっくり来るのです。好感を持ちました。合唱それ自体は、入りが決まらなかった、などもあり、完成度は今ひとつだったのですが、オーケストラと合わさると、音楽のふくらみがきっちり表現されました。結構でした。

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2006年11月10日 第1581回定期演奏会
指揮:
サー・ロジャー・ノリントン

曲目: ベートーヴェン   ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
      ヴァイオリン独奏:庄司紗矢香
  ヴォーン=ウィリアムス   交響曲第5番 ニ長調

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:井野邉、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:青山、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:井川、トロンボーン:栗田、ティンパニ:久保、

弦の構成:協奏曲;10-10-8-6-4、交響曲;16型

感想
 
大変素晴らしい演奏会だったと思います。今回の指揮者、ノリントンは古楽器の指揮者から出発した人で、十何年か前、ベートーヴェンの交響曲全集で注目を集めました。私はこのベートーヴェン交響曲全集をもっているのですが、本当に面白い演奏で、一度実演を聴いてみたいものだ、と思っておりました。遂にそれを経験できたわけですが、いつものN響と全く違った音を聴くことが出来て、大変楽しみました。

 彼の特徴は弦楽器のノンヴィブラート奏法です。ヴィブラートは音の幅を広げますけれども、音程が甘くなり、清潔感を失うことがあります。私は、特に古典音楽は、ヴィブラートは最小限にして、必要な部分で効果的に使用する方が音楽にメリハリが付いてよい、という考えの聴き手なのですが、現実にノンヴィブラート奏法の音楽を聴くことはまれです。ですから、今回のようなノンビブラート奏法による演奏会はとても新鮮でした(なお、実際は完全にノンビブラートが徹底されていたわけではなく、ところどころヴィブラートが聴こえてきたことを付記します)。

 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、私がこれまで聴いていたこの作品とは全く違う音楽でした。今回徹底してゆっくりした演奏で、全体の演奏時間が50分ほどかかりましたが、音がピュアで重くならないので、押し付けがましさが全く感じられない。とても素敵です。一音一音がクリアに聴こえ、それはソリストの庄司紗矢香もそうですし、オーケストラもそう。透明感のあるところがまたいい。ヴィブラートをかけないことにより線が細くなるのではないか、と思う方もいらっしゃるのではないかと思いますが、そんなことはない。それ以上に音の明晰さが結構で、音の造型が見事です。第2楽章のヴァイオリンソロとクラリネットとの掛け合いや、ファゴットとの掛け合いがこれぐらい浮き上がって聴こえてきたのもはじめての経験です。軽妙で、明晰で、ゆったりとしていて、それで重くならずバランスの取れた名演奏だと思いました。

 RVWの交響曲第5番は、全く初めて聴く作品です。N響では1999年にプレヴィンが取り上げているのですが、私はその演奏会を聴いておりません。そのため、演奏の良し悪しは分からないのですが、管と弦とで入りの不一致があったなど細かいミスはあったようで、ベートーヴェンよりは完成度の低い演奏だったと思います。第2楽章がプレストで第3楽章がレントになり、そこのスピードの変化が面白かったのと、音楽全体の表情がいかにも柔らかく、イギリスの牧歌を現しているようなところが結構でした。この作品も弦はノンヴィブラートを原則に演奏していたようですが、その効果として、音楽にどこかほっとしたものが流れていたのではないかと思います。

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2006年11月19日 第1582回定期演奏会
指揮:
ネルロ・サンティ

曲目: モーツァルト   歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588から「序曲」,フィオルディリージのアリア「岩のように動かず」
      歌劇「フィガロの結婚」K.492から「序曲」,伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこへ」
      歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527から「序曲」,ドンナ・エルヴィーラのアリア「あの恩知らずは約束を破って」
      ソプラノ独唱 アドリアーナ・マルフィージ
  チャイコフスキー   交響曲第5番 ホ短調 作品64

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:井野邉、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:今井、トランペット:関山、トロンボーン:新田、ティンパニ:客演、

弦の構成:モーツァルト;12型、チャイコフスキー;16型

感想
 
サンティはこれまで何度かN響に客演し、いつも水準の高い演奏を聴かせてくれました。特に印象深いのはヴェルディ。2001年のヴェルディ名曲集や、2003年の「レクイエム」などは、特に印象深く覚えています。彼が歌つきの作品で共演するソプラノはいつも愛嬢アドリアーナ・マルフィージ。マルフィージもそれぞれ十分な歌唱をし,このコンビの卓越性を示すものと思ってきました。

 今回は、この二人はモーツァルトを取り上げました。ダ・ポンテ三部作のそれぞれの序曲とソプラノのアリアをそれぞれ一曲。フィオルディリージと伯爵夫人、それにドンナ・エルヴィーラでした。これらの役柄に求められている声にマルフィージは適切だろうと思います。ですから、今回も素晴らしい歌唱を聴けることを期待して出かけました。しかし、そこははっきり申し上げて期待はずれでした。その責任はマルフィージに負っていただきましょう。

 サンティの音楽作りはゆったりしたテンポに一つの特徴があるわけですが、それはモーツァルトでも例外ではありませんでした。今風のスポーツカーのようなシャープで推進力に満ちたモーツァルトではなく、内容を充実させて構成を明確に示したモーツァルトでした。「コジ・ファン・トゥッテ」序曲の、今回のように滋味がありかつ内声部の構成を示すような演奏を聴いたことがあったかしら。「フィガロの結婚」序曲もゆっくりと演奏することにより、一音一音を大事にされた弾き飛ばしのない演奏になっておりました。「ドン・ジョヴァンニ」序曲もゆっくりした演奏で同様によい。ゆっくりしているけれどもピュアな音色で結構だったと思います。

 そのように充実したオーケストラの演奏に対して、マルフィージの歌唱はあまりに空虚でした。昔は、もっと声量があり、声に密度もあったと思うのですが、今回は、歌の骨格だけを示した感じの歌唱です。とりあえず音程を大きく外すとか、テンポを大きく乱す、といったことはないのですが、高音は細くなりますし、低音の響きは今ひとつきれいではない、といった具合で、どうにも感心しない。特に「岩のように動かず」が良くなく、伯爵夫人のアリアももう一つ、比較的ましだったのがドンナ・エルヴィラですが、これも十分というには程遠い歌唱でした。声に密度がなく、歌唱も自信なさそうで、溌剌としていない。オーケストラが充実していただけに、ソリストの不調が目を引きました。

 休憩後のチャイコフスキー。こちらは名演。ゆっくりとしたテンポで悠然と引っ張っていく音楽は魅力的です。全体として55分ほどもかかった(通常は45分ぐらいで演奏されることが多いです)演奏ですが、緊張が緩まないところが素晴らしい。第一楽章のがっちりとした構成がある中で歌謡性を失わないところが素敵でしたし、第二楽章のアンダンテ・カンタービレにおけるホルンや木管の音色も魅力的でした。リタルダンドを上手く使いながら、アッチェラランドは抑制して使い、滑らかに流れを制御していきます。そこに流れるN響の透明性と密度を両立させた音は流石サンティ/N響と申し上げましょう。第四楽章のファルテシモとアッチェラランドの有機的響きは絶妙と申し上げるしかない。あれだけゆっくり演奏しながら、弛緩しない音楽作りは本当に素晴らしいものです。

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2006年12月2日 第1583回定期演奏会
指揮:
ローター・ツァグロゼク

シューマン没後150年 オールシューマンプログラム

曲目: シューマン   序曲、スケルツォとフィナーレ 作品52
       
  シューマン   ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
      ピアノ独奏 ゲアハルト・オピッツ
       
  シューマン   交響曲第4番 ニ短調 作品120

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:客演(上村昇)、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:新田

弦の構成:協奏曲;14-14-10-8-6、他;16-16-12-10-8

感想
 
本年はシューマン没後150年のメモリアル・イヤー。勿論本年はモーツァルト生誕250年のメモリアル・イヤーということもあって、そちらの方が大きく宣伝されておりますが、N響はシューマンに敬意を表して、本年2度目のオール・シューマン・プログラム。6月に準・メルクルで、今回はツァグロゼクが取り上げました。メルクルのプログラムとツァグロゼクのそれとは、一寸対照的です。メルクルは、交響曲の第4番の初稿とクララ・シューマンのピアノ協奏曲を取り上げたのに対し、ツァグロゼクは、交響曲第4番の確定稿とロベルト・シューマンのピアノ協奏曲を取り上げました。この対照は演奏にも現れていたように思います。メルクルの音楽がどちらかといえばスリリングだったのに対し、本日の演奏は落ち着いていた、と思いました。

 さて、ツァグロゼクは、本日のプログラムを、二重構造として意識していたと思います。「序曲、スケルツォとフィナーレ」の二重構造ですね。即ち、「序曲、スケルツォとフィナーレ」はプログラムの序曲的位置づけ、「ピアノ協奏曲」はスケルツォ的位置づけ、そして「交響曲第4番」はフィナーレ的位置づけ。そうやって、プログラム全体を纏めようとしました。

 「序曲、スケルツォとフィナーレ」は、それぞれの描き分けをあえて曖昧にしたのではないか、といった風の演奏でした。全体として軽快にすっきりと纏めます。聴こえてくる音楽はいかにもシューマンです。どことなく頼りなく、それでいて全体的に有機的に絡み合います。「クライスレリアーナ」や「交響曲第一番」を彷彿とさせるところもあり、オール・シューマン・プログラムの導入には、まさに適切だったのでしょう。

 ピアノ協奏曲は、スケルツォ的には演奏されませんでした。ゲアハルト・オピッツのピアノはよく言えば中庸、正直申し上げれば平凡なもので盛り上がりに欠けるものでした。最初遅めのテンポで弾き始め、だんだん速くなっていくのですが、これ見よがしのアッチェラランドやリタルダンドはかけず、淡々と演奏が進みます。悠然とした演奏であり、悪いものではないと思うのですが、スリリングな気持ちになれない演奏で、一寸期待外れと申し上げます。

 一番音楽的に盛り上がったのが、交響曲第4番でした。ツァグロゼクは、これまでの2曲の恨みを晴らすかのように、劇的な表現を前面に出して指揮をします。生き生きとした演奏で推進力があります。しかし、遅くなった部分では楽器の乱れが目に付きました。結局推進力があるので、ちょっとぐらいの「ずれ」などものともせず進んでしまうのですが、もっと丁寧に演奏すればなお良かったように思います。トータルではバランスが取れていたので良い演奏に聴こえたのですが、本当にそう言い切ってよいかどうか、よく分かりません。

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