NHK交響楽団定期演奏会を聴いての拙い感想-2009年(前半)

目次

2009年01月10日 第1637回定期演奏会 デーヴィッド・ジンマン指揮
2009年01月16日 第1638回定期演奏会 デーヴィッド・ジンマン指揮
2009年02月08日 第1640回定期演奏会 ラドミル・エリシュカ指揮
2009年02月13日 第1641回定期演奏会 カルロ・リッツィ指揮
2009年04月04日 第1643回定期演奏会 エド・デ・ワールト指揮
2009年04月10日 第1644回定期演奏会 エド・デ・ワールト指揮
2009年05月09日 第1646回定期演奏会 オリ・ムストネン指揮
2009年05月15日 第1647回定期演奏会 尾高忠明指揮
2009年06月06日 第1649回定期演奏会 ジョナサン・ノット指揮
2009年06月12日 第1650回定期演奏会 準・メルクル指揮

2008年ベスト3
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2007年ベスト3
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2006年ベスト3
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2005年ベスト3
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2004年ベスト3
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2003年ベスト3
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2002年ベスト3
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2009年01月10日 第1637回定期演奏会
指揮:
デーヴィッド・ジンマン

曲目: ショスタコーヴィチ   ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77
      ヴァイオリン独奏:リサ・パティアシュヴィリ
       
  シューベルト   交響曲第8番 ハ長調 D.944 「ザ・グレート」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:松ア、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、チューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川、チェレスタ:客演

弦の構成:ショスタコーヴィチ:16型、シューベルト:14型

感想
 
年が明けてはじめてのコンサートが本日のN響定期公演。年末年始は家でクラシックのライブ・コンサートをテレビで随分見ましたが、やはり会場は違います。生の音を直接聴ける喜びは何物にも換えがたいところがあります。ことにそのコンサートが相当の名演だったとすれば、「今年は春から縁起が良い」と嬉しくもなるものです。新年早々堪能いたしました。

 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。これはとても素晴らしい演奏でした。ソリストのパティアシュヴィリは日本財団から貸与されたという1709年製のストラヴィバリウス・エングルマンを持っての登場だったそうですが、その音色もさることながら、演奏自体の良さが耳に残ります。第一楽章「ノクターン」はしっとりとした暖かい音色の中、音楽の持つ暗い情感を見事に浮かび上がらせておりました。しっとりとした音色こそが全体を通す鍵で、音楽の表情は楽章ごとに大きく変わるのですが、そこに流れているものには一貫性がありました。第2楽章の「スケルツォ」の諧謔味、第3楽章「パッサカリア」におけるヴァイオリン・ソロの浮かび上がり方とカデンツァの力強さ、第4楽章「パーレスク」の天馬駆けるが如くの疾走。どれも音楽の持つ雰囲気を表しながら、全体としての流れを損なわずにしっかりと演奏しました。文句なしにBravaの演奏です。N響の伴奏も、トゥッティが合わない所があったとか細かい事故はありましたが、全体としてはソロ・ヴァイオリンと上手く呼応して反応していたと思います。

 シューベルトの大交響曲。こちらもなかなかの名演でした。弦楽器を1プルトずつ減らした14型編成でしたが、その分弦楽セクションの方が一所懸命に演奏したのか、16型と遜色ないような音が出ていたように思います。ジンマンは、表情記号やリズムを割としっかりと刻むことを要求していたようです。その結果、例えば第一楽章であれば、序奏のアンダンテの部分と後半のアレグロの部分の表情がより対比的に描かれました。同様にクレシェンドやデクレッシェンドもくっきりとしているため、音楽の表情がはっきりした生き生きした演奏に仕上がったように思います。第2楽章のオーボエのソロとそれを支えるクラリネット(茂木さんと磯部さん)の掛け合いは見事でした。スケルツォは一寸泥臭い雰囲気が良かったですし、第4楽章の明るい雰囲気も良かったと思います。

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2009年01月16日 第1638回定期演奏会
指揮:
デーヴィッド・ジンマン

曲目: ウェーベルン   パッサカリア 作品1
       
  マーラー   交響曲第10番から「アダージョ」
       
  R・シュトラウス   交響詩「ツァラトウストラはこう語った」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:佐々木、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:日高(前半)/松ア(後半)、トランペット:津堅、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:早川、オルガン:客演

弦の構成:16型

感想
 
先週は、古典的な表情の強い音楽(ショスタコーヴィチは20世紀音楽ですが、表情は古典派に通ずるところが多いと思っています)を正攻法で攻めた、という印象の強いジンマンですが、今週は、ロマン派音楽の終焉を飾る三曲をロマンチシズムな色合いたっぷりに演奏させたコンサートでした。私自身の好みは先週ですが、今週も決して悪いものではないと思います。

 今回のプログラムの特徴は、大規模オーケストラで演奏する曲であること、及びアダージョ、または弱奏に聴き所がある作品を集めたということだろうと思います。実はこのような作品の方が、アレグロで進む作品や、フォルテシモに聴き所がある作品よりもまとめるのが大変ですし、弱点も見えやすいということがあります。ジンマンは思い入れたっぷりにこれらの作品を描いていったと思いますが、名手揃いのN響と雖も、なかなか揃わないというところがありました。

 ウェーベルンのパッサカリアがまずそうです。主題と23の変奏からなるこの作品、ピアニシモからフォルテシシモ(fff)までの幅のダイナミクスに特徴があるとはいえ、その基本はピアノやピアニシモといった弱奏部がベースにある作品ですから、弱奏部がしっかり演奏されなければなりません。N響のメンバーはそこに注意を払って演奏していたようですが、それでも弱奏でかつアダージョになる部分は弦と管との調和がしっくりしない部分があったと思います。遅くなればなるほど呼吸が整いにくいということなのでしょうね。

 マーラーも同様の感想です。全体としてはふくよかな音楽にまとまっていたと思うのですが、全体としての息の強さ、息の長さが必ずしも揃ってはいないのです。冒頭簿ヴィオラの主題などは落着きがあって膨らみも十分で良かったのですが、指揮も出の揃いに関しては細心の注意を払っている感じはせず、全体としてもやっとした印象です。ジンマンはあえてメリハリをつけず、全体に輪郭を明確にしない方針だったのかも知れませんが、私自身としては今ひとつ腑に落ちない感じです。音の流れに身を任せていくと心地よさは感じるのですが、もっと違った演奏でも良いのではないか、という気分の演奏でした。

 輪郭を明確にしない、という点では、「ツァラトゥストラ」も同様でした。弱奏がややおっかなびっくり、という部分はあったのですが、全体としてはゆったりとした柔らかな音楽に仕上がっていたと思います。細かく見ていけばヴァイオリンのソロやヴィオラのソロなど美しい部分も沢山あり、後半は特によくなってきたと思うのですが、意識的なのか、無意識的なのかは分らないのですが、音楽に軸が一本通っているという印象ではなく、どこか微妙なずれをもって演奏しているという印象でした。 

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2009年02月08日 第1640回定期演奏会
指揮:
ラドミル・エリシュカ

曲目: スメタナ   交響詩「わが祖国」(全曲)

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:佐々木、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:松ア、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川

弦の構成:16型

感想
 
1990年代は、90年、92年、94年、97年と4回もとり上げられた「わが祖国」ですが、その後N響の定期演奏会からで取り上げられることはなく、12年ぶりの演奏になります。それは、タイトルが「わが祖国」と言うだけあって、チェコ人でないとなかなか共感を持って演奏できないということがあるのかもしれません。今回の定期演奏会は、チェコの長老指揮者・エリシュカが登場。私は全く知らない方ですが、チェコ国内では有名であり、日本でも何度も指揮経験のある方です。

 エリシュカの指揮を一言で申し上げれば、武骨な指揮となると思います。両手を大きく動かしてテンポを刻むやり方。体全体を使う指揮というよりは、腕の動きに物を言わせると申し上げるべきか。演奏する側は分かり易い指揮だったのではないでしょうか。カリスマ性を感じさせる方ではないので、N響の演奏に対する集中力は今ひとつの部分もあったのですが、全体として劇的な表情に富んだ演奏だったと思います。

 「劇的な表情をしっかり示す」ことはエリシュカが目指したところのように思いました。「わが祖国」こそは、チョコ人の歴史と地理とが背景に作曲家の思いを何処まで感じられるかが重要だと思いますが、エリシュカはスメタナと同じチェコ人であるので、その思いの伝達は、正攻法で行きました。どちらかといえば、遅めの演奏でしたが、必要に応じてアッチェラランドをかけるなどの技法ももちいて、この作品の持つ劇的な表情を上手に示しました。良い演奏でした。

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2009年02月13日 第1641回定期演奏会
指揮:
カルロ・リッツィ

曲目: ドヴォルザーク   チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
      チェロ独奏:ミクローシュ・ペレーニ
       
  ドヴォルザーク   交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界から」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:客演(都響の柳原氏)、オーボエ:青山、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:松ア、トランペット:関山、トロンボーン:新田、チューバ:客演、ティンパニ:久保

弦の構成:協奏曲:14型、交響曲:16型

感想
 
ドヴォルザークの有名2作品を取り上げるコンサートということで、チケットは売り切れ。あの広いNHKホールがほぼ満席になったのですから驚きです。私としては、もう少し空席が目立った方が聴きやすいのですが、N響としてはこれほどうれしいことはないでしょう。指揮はリッツィ。リッツィといえば、オペラ指揮者の印象が強く、私も随分昔、ロンドンのコヴェントガーデンで彼の振る「チェネレントラ」を聴いています。しかし、コンサートは初めて。楽しみに伺いました。結果として期待通りだった部分と期待はずれだった部分とがありました。

 ソリストのミクローシュ・ペレーニはN響とよく共演するチェリストで、今回が4回目。ドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏するのも1997年にイヴァン・フィッシャーとの共演以来2回目です。私は97年の演奏を聴いているのですが、あまり印象にありませんでした。それに対して今回は割と渋い演奏だったと思います。ドヴォルザークは歌謡性の強い作曲家だと思いますし、チェロ協奏曲もそういう側面があると思いますが、ペレーニは、淡々としながらも瑞々しく、歌謡性を強調することなく演奏したと思います。一方、リッツィは劇的な表現へのこだわりがあるようで、N響を大きく鳴らしていました。攻める指揮者とそれを受け止めながらも、すり抜けていくようなチェロの対比が面白かったです。とはいえ、リッツィもソリストに対する尊敬の念があるのでしょう。ソリストを立てた演奏になり、違いが上手く融合していました。

 後半の新世界交響曲は今ひとつの演奏。リッツィは、アッチェラランドとリタルダンドを多用して、立体的な造型を試みておりましたが、一寸やりすぎの印象でした。もっとすっきりと演奏しても自然と盛り上がるやり方はあると思うのですが、そうはならなかったようです。N響のアンサンブルも結構乱れておりました。第二楽章のイングリッシュホルンは池田昭子さんの演奏でしたが、これももう一段深みがほしいと思いました。 

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2009年04月04日 第1643回定期演奏会
指揮:
エド・デ・ワールト

曲目: リヒャルト・シュトラウス   4つの最後の歌
      ソプラノ独唱:スーザン・バロック
       
  ワーグナー(ヘンク・デ・フリーハー編曲)   指環−オーケストラル・アドヴェンチャー(1991)
      ブリュンヒルデ:スーザン・バロック

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:佐々木、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:客演、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:松ア、ワーグナーチューバ:今井、トランペット:津堅、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:久保、チェレスタ:客演、ハープ:早川

弦の構成:4つの最後の歌:14型、指環:16-16-12-12-8

感想
 
エド・デ・ワールトは日本では読売日本交響楽団との縁の深い指揮者で、N響とは初共演。実演では初めて聴く指揮者かと思いきや、2005年に二期会が「さまよえるオランダ人」を上演した時の指揮者でした。そのときの印象は、ロマンティックな味わいに特徴のある指揮者で、クライマックスに向けて盛上げるような指揮をする指揮者だ、ということです。その印象は今回も変わりませんでした。デ・ワールトはオランダ人ですが、ドイツ・後期ロマン派が体質的に一番あっているのかもしれません。

 「4つの最後の歌」は、リヒャルト・シュトラウス最晩年の曲にして、ドイツロマン派の最後の輝きともなる作品ですが、私は若いころはどうもこの作品が苦手で、聴いても楽しめなかった、という部分があります。今回、久しぶりに聴いて、ああ名曲なんだ、と突然思いました。聴き手の年齢が上がることによって感じ方が変わったのでしょう。また、演奏がとても柔らかい。N響の音は層状に何層も重なり分厚いのですが、すこぶる柔らかい。NHKホールのあの広い空間を満たすの最弱音の美しさは、まさに筆舌に尽くしがたいと申し上げても良いでしょう。スーザン・ブロックのソロは、この柔らかい表現に寄り添おうとするものですが、中低音にざらつきがあって、この曲のたそがれの美を表現するには完璧とは申し上げられないところです。しかし、それでも「眠りの前に」における、弱音のソプラノとオーケストラの音の混じり具合の素晴らしさであるとか、「夕映えに」における広がりを感じさせる静寂さであるとか、やはり素敵な演奏であることは疑いありません。

 後半の「指環」は、本来は全てオーケストラ曲だけ集めたものだそうですが、今回の演奏では、「ラインの黄金」に由来する部分はカットし、代わりに「神々の黄昏」のクライマックス「ブリュンヒルデの自己犠牲」をソプラノ・ソロを入れて演奏するというもの。オーケストラの規模はほぼ最大と申し上げて良いでしょう。弦が64人、ハープ6台、木管15人、金管18人、打楽器5人、あの結構広いNHKホールの舞台がほぼ一杯でした。それだけに音は厚いですし、いかにもドイツ音楽、といった感じでの演奏でした。ただ、デ・ワールトの方針は、ロマンティックな表情を大事にしようとするもので、「リング」の持っているスペクタクルな雰囲気はあまり感じることは出来ませんでした。N響は半分寝ているような演奏、と申し上げたら良いのでしょうか。

 この印象ががらっと変わったのは、ブロックが登場したあと。「ブリュンヒルデの自己犠牲」が始まると、音の雰囲気が変化しました。流石にワーグナー・ソプラノです。ことにFlight heimで始まる上方跳躍の表現は、これぞワーグナーというべき力強さ。ブロック自身も「4つの最後の歌」での抑制した表情よりも、ブリュンヒルデでの劇的な表現がお得意なようで、体からでるオーラが違います。こういうソプラノを聴かされれば、オーケストラだって当然発奮します。ブロックが本気を出した後のN響の音も明らかに変化しました。最後は素晴らしいクライマックス。お見事と申し上げましょう。

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2009年04月10日 第1644回定期演奏会
指揮:
エド・デ・ワールト

曲目: チャイコフスキー   ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
      ヴァイオリン・ソロ:ジャニーヌ・ヤンセン
       
  リヒャルト・シュトラウス   アルプス交響曲作品64

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:日高、トランペット:関山、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:植松、チェレスタ:客演、ハープ:早川、オルガン:客演

弦の構成:協奏曲:14型、アルプス交響曲:18-16-12-10-8

感想
 
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、俗にメン・チャイと並称されることからも分るように、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と並んで、最も有名なヴァイオリン協奏曲です。それだけにN響の定期公演で取り上げられることも多いのですが、これまであまり感動したことがなかったというのは正直なところです。若いヴァイオリニストがこの曲を演奏すると、きれいだったり、颯爽としたりするのですが、今ひとつ深みが感じられない演奏が多いのです。わたしは、さほど好きな作品ではないので、工夫のない演奏を聴かされると退屈してしまいます。

 しかしながら、今回のヤンセンは全然違います。彼女は、2005年にアシュケナージの指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏したときもそう思ったのですが、曲の本質を鷲掴みにして、それをぐっと提示するようなところがあります。音の正確さといった演奏技術ではもっと上手な方はたくさんいらっしゃると思うのですが、ロマンティックな音の作り上げ方はかなり独特だと思います。ポルタメントの使い方などは、古典的な感じもいたしました。取り立てて美音だとは思わないのですが、一音一音が厚くじっくりと演奏するので、迫力を感じます。結果としてこの曲の後ろ側にある大陸性を感じることが出来ました。デ・ワールト/N響のサポートも良い。クラリネットやオーボエとソロバイオリンの対話など大変素敵でしたし、デ・ワールトの持つどっしりした音楽性もヤンセンの呼吸にマッチしていたと思います。チャイコンで、こんな素晴らしい演奏を聴けたのは一寸記憶にありません。実演で聴いた最高のチャイコンかもしれません。

 後半の「アルプス交響曲」は「チャイコン」と比較すると落ちるというのが本当だと思います。デ・ワールトは抑制的な演奏を心がけていて、デュナーミクのバランスを考えた演奏にしようとしているようでした。それはある程度成功していましたし、ヴァイオリンを厚くして(そのため、今回の演奏会では、OBの金田さん、村上さん、大澤さん、根津さんが乗っていました)管楽器と対抗させておりましたが、結果としてこの作品の持つ壮大なパノラマは、ある程度表現されていたのかな、と思います。

 しかしながら大編成オーケストラ曲だけあって、且つシュトラウスの一筋縄ではいかない管弦楽法も関係しているのでしょうが、まとまりが今ひとつです。楽器間の応答がもう少しすっきりと行って欲しいのですが、微妙なずれを感じました。また、金管楽器は随分たくさんのエキストラが入っていましたが、バンダも含めてミスが結構目立ちます。金管の水準は10年ぐらい昔に戻ったような印象を受けました。デ・ワールトの組み立て方は分るのですが、十分に詰めきれていない感じ、別な言い方をすれば、見えてきたものは晴天下の輝けるアルプスではなく、曇天下の輪郭の一寸ぼやけたアルプスでした。

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2009年05月09日 第1646回定期演奏会
指揮:
オリ・ムストネン

曲目: ムストネン   3つの神秘(2002)
       
  ベートーヴェン   ピアノ協奏曲ニ長調(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61の作曲家自身による編曲)
      ピアノ独奏:オリ・ムストネン
       
  シベリウス   交響曲第6番ニ短調 作品104
       
  シベリウス   交響詩「フィンランディア」 作品26

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:日高、トランペット:関山、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:久保、大太鼓:竹島、チェレスタ:客演、ハープ:早川

弦の構成:ベートーヴェン以外16型、ベートーヴェン:12-10-8-6-4

感想
 
オリ・ムストネンという方はピアニストとしても有名な方で、N響定期には、1991年6月(演奏したのはラフマニノフの3番のピアノ協奏曲)、2004年5月(演奏したのは、ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のための協奏曲」及び「カプリッチョ」)にピアニストとして登場しています。私は残念ながら、どちらも聴いておりません。ですが、本日の演奏を聴く限り、ピアニストとしてよりも、指揮者としての適性が高い方のように思いました。

 最初の作品は、自作の披露ですが、どこかシベリウスに繋がる作品です。ムストネンがフィンランド人であることを意識させられる作品と申しあがられるのではないでしょうか。単純な音型の繰返しの中に見えてくる神秘さ・静謐さは一種独特のものがありました。大太鼓とチェレスタ、ハープを効果的に用いて印象的な雰囲気を醸し出していました。

 2曲目は有名なベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のベートーヴェン自身によるピアノ協奏曲編曲版。こういう作品が存在していることは知っておりましたが、聴くのは勿論初めてです。聴いて思うのは、この曲はヴァイオリン協奏曲としてこそ生きるのだな、というあまりにも当たり前のことです。作曲家がヴァイオリンをソロ楽器として選んだとき、その曲想をヴァイオリンを演奏したとき効果的に作るのは当然のことで、それを天才ベートーヴェンといえどもピアノに自然に置き換えるというわけには行かなかった、ということなのでしょう。滅多に演奏されないのもよく分ります。

 ムストネンは弾き振りでこの曲を演奏しましたが、この曲の場合は、弾き振りよりもソリストを別に立てた方が良かったようです。ピアノに対する神経は十分とは言えず(例えば小指のタッチなど)、指揮とピアノとに意識が分散したことに問題があったように思います。全体にごつごつしたピアノで、ヴァイオリン協奏曲の持つ柔らかさやポルタメントを十分に表現できていないと思いました。ソリストがメインで活躍する部分はスリリングに感じ、オーケストラが活躍する部分ではほっとするというのは、あまり良いものではないと思います。面白かったという意味では十分面白く、良い経験をさせてもらったと思います。

 後半のシベリウス6番。これは名演でした。私がN響の定期会員を始めてから20年以上経ちますが、その間一度もとり上げられなかった曲です。私もCDは持っていますが、実演を聴くのは初めての作品。でもこの作品は名曲ですし、演奏も良かったです。ムストネンは、タクトを手にせず、指と全身とで音楽を表します。その基本は柔らかさにあり、この作品の持つ幻想性、自然性とよくマッチしておりました。N響の技術が高いのは申し上げるまでもないのですが、指揮者の柔らかでしなやかな表情がよく伝わっておりました。ムストネンのシベリウスに対する親愛感とフィンランドに対する思いがよく表れた演奏でした。

 最後は第6交響曲とは対照的な「フィンランディア」。ガンガン吹くN響管楽器陣。6番との対照の妙で楽しめました。

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2009年05月15日 第1647回定期演奏会
指揮:
尾高 忠明

曲目: エルガー   チェロ協奏曲ホ短調 作品85
      チェロ独奏:ロバート・コーエン
       
  エルガー   交響曲第2番変ホ長調 作品63

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:客演、オーボエ:青山、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:今井、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:客演

弦の構成:協奏曲;14型、交響曲;16型

感想
 
日本で最もエルガーについて詳しいと思われる尾高忠明によるオール・エルガー・プログラムでした。尾高は昨年5月もN響を指揮して、エルガーの交響曲第1番を演奏したのですが、そのときの確固たる姿勢を思い出します。昨年の尾高は巨匠芸のように思ったのですが、オール・エルガー・プログラムとなりますと、伝道者的一徹さを感じました。

 そのエルガーの作品の中では比較的有名な「チェロ協奏曲」は、ロバート・コーエンの独奏で演奏されました。コーエンのチェロは前半がよく、後半はもう少しという感じです。第1楽章はこの作品の持つ田園の憂鬱的雰囲気を上手く醸し出していたと思いますし、第2楽章の諧謔さの表現も上々でした。第3楽章のアダージョもしっとりとしていて良かったのですが、アダージョの特性を考えるともっとどっしりとした演奏でもよかったのかも知れません。第1楽章から第3楽章まではN響との呼吸もよく合っており、エルガーのチェロ協奏曲のよさを味合わせてくれたと思います。第4楽章はどんどんテンポが変わっていくせいもあるのかもしれませんが、オーケストラとの呼吸が少しずつ合わなくなって、今ひとつ集中し切れなかったのが悔やまれます。でもトータルで見ればこの作品の特性をよく表現した演奏だったと思います。

 後半の交響曲第2番。初めて聴く曲です。尾高の使命感を持った指揮は悪いものではありませんし、また曲自身は非常に複雑で、気を引き締めてじっくりと聴くと、かなり複雑なことをやっているな、ということが分ります。しかし、音楽全体として感じられる表情は、言ってみればイージーリスニング的です。第2楽章のアダージョなどは、ぼーっとして聴いていると、なんとも気分よくなります。とはいっても全体としてはつかみ所のない曲で、聴き終わったときの印象がぼやけます。第4楽章は大陸的な印象を持って聴いていたのですが、聴き終わってみると、陽炎のように消えていく感じもあって、そこがエルガーのエルガーたる所以かもしれません。

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2009年06月06日 第1649回定期演奏会
指揮:
ジョナサン・ノット

曲目: ストラヴィンスキー   管楽器のための交響曲(1947年版)
       
  プロコフィエフ   ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品19
      ヴァイオリン独奏:庄司紗矢香
       
  ラヴェル   優雅で感傷的なワルツ
       
  ドビュッシー   交響詩「海」

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:山口、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西山、フルート:客演、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:今井、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、チューバ:池田、ティンパニ:植松、チェレスタ:客演、ハープ:早川

弦の構成: プロコフィエフ:12型、ラヴェル:16型、ドビュッシー:16-14-12-12-8

感想
 
今回のプログラムは、デュトワがやりそうなプログラムです。そしてまた事実、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番以外はデュトワはN響の定期でとり上げています。ヴァイオリン協奏曲の2番は2回とり上げていますから、ヴァイオリン協奏曲第1番をとり上げていないのは、単なる偶然でしょう。しかし、ノットとデュトワとは随分肌合いが違います。端的に申し上げれば、デュトワのあのスカッとした華やかさはあまり感じられませんでした。

 ストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲は2001年12月の1450回定期でデュトワの指揮で取り上げられ、私は聴いているのですが全く何も覚えておらず、初耳のように聴きました。管楽器だけで演奏される作品ですからもっと華やかな作品になっていても良いとおもいますが、わりとモノトーンの静かな印象の作品です。ただし、演奏自体は一寸散漫な印象があり、楽器どおしの音の受け渡しが微妙にずれている感じがいたしました。

 プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。庄司紗矢香上手です。技術的には十分素晴らしいと思います。美音ですし軽快です。例えば第1楽章の第2主題におけるチェロとコントラバスの下支えの上を颯爽と転がるヴァイオリン・ソロ。ゾクゾクといたします。でも庄司の音楽はそこまでです。技術的なレベルは高く、美音で軽快ではありますが、ヴァイオリニストの主張が聴こえない。あえて言えばロボットが演奏しているような感じです。2007年4月にシトコヴィツキがこの曲を演奏したわけですが、あのときの知と情の絶妙なバランス感覚をよく覚えている身からすると、今回の庄司の演奏は知に偏りすぎていました。もう少し情に重心を置いて演奏しても良かったと思いました。

 なお、N響のサポートは悪くはありませんが、第一楽章のソロ・ヴァイオリンとフルートとの掛け合いで、フルートが重く、バランスが悪くなったのは一寸残念に思いました。アンコールはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴ。ノンヴィブラートのはかなげな音楽で、プロコフィエフよりずっと庄司向きのように聴きました。

 後半の最初は「優雅で感傷的なワルツ」。この作品を実演で聴くのは初めてなのですが、録音を聴くがぎりクライマックスの第7ワルツに向けて盛上げていくような演奏をされることが多いように思います。それに対して、ノットはもっと変化をつけようと、一つ一つの表情を変えながら演奏しました。その結果第1のワルツは随分彫りの深い音楽としてまとまり、相対的に第7ワルツの迫力が小さく感じました。全体としては寄せて返す波のような演奏で、そこに暗譜で演奏した指揮者の主張があるのかもしれません。

 最後は「海」。ややゆったりとしたテンポで演奏します。低音部強化のためか、通常の16型の弦構成にチェロだけ1プルト増やしての対応。これは恐らく効果があったのでしょう。じっくり歌わせるのですが、低音部がしっかりしているので粘りがあります。木管群が非常に安定していて結構でした。こちらも波の印象のある演奏。この波の揺らぎが、「優雅で感傷的なワルツ」と「海」を繋ぐ共通点のように思いました。

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2009年06月12日 第1650回定期演奏会
指揮:
準・メルクル

曲目: ベートーヴェン   ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15
      ピアノ独奏:ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ
       
  メンデルスゾーン   劇音楽「夏の夜の夢」
      ソプラノ独唱:半田美和子、メゾソプラノ独唱:加納悦子
      合唱:東京音楽大学、合唱指導:阿部純
      語り:中井貴恵

オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:佐々木、チェロ:木越、ベース:吉田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:日高、トランペット:津堅、トロンボーン:新田、ユーフォニウム:客演、ティンパニ:久保

弦の構成:14型

感想
 
ジャン・フレデリック・ヌーブルジェはまだ20代前半の若いピアニストで初耳の方です。でも若さの才気を立ち昇らせていて、ベートーヴェンの若いときに書かれたピアノ協奏曲と上手くマッチしていて、そこが魅力的でした。このピアニスト、音の粒立ちがよく明晰です。しかしながらタッチが柔らかく豊かなフレージングもあって、そこがフランス人ピアニストの魅力かもしれません。演奏は、ピアニストの若い才気とそれを受け止める準・メルクルの生きのよさが上手くマッチしていて楽しいものでした。ピアノに関してはカデンツァがことに面白い。ダイナミックで長大。恐らく自作でしょう(ベートーヴェンはこのピアノ協奏曲のために3つのカデンツァを用意しており、ヌーブルジェはその中で一番長いものを演奏したそうです。(一静庵様に教えていただきました))そういう才気の走らせ方が又若さなんだなと、一人ごちました。

 今回のプログラムの白眉は、今年生誕200年を迎えるメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」(全曲)です。実は、私が一番好きなメンデルスゾーンの作品がこの曲ですが、序曲や結婚行進曲はたまに演奏されますが、全曲演奏はそうはない。N響では1997年の6月にデュトワが一回とり上げています。このときは江守徹が語りを務めた、歌舞伎調の語りで結構楽しんだことを覚えています。

 今回の語りは中井貴恵。中井の語りはラジオの朗読調で決して悪いものではありませんが、日本語の同音異義語の問題や難解な漢語の使用などで、一寸分りにくいところがありました。また、中井は当然ながらマイクを使用しての「語り」ですが、増幅された声は、オーケストラや歌唱とのマッチィングが今ひとつ不自然な感じがいたしました。

 一方、演奏自体は上々。細かく申し上げればホルンのミスとか完全ではありませんが、メルクルのしなやかな音楽作りはこの作品の雰囲気をよく表現していたのではないかと思います。序曲における躍動感の表現。スタカートとレガートの対比。夜想曲におけるホルンとファゴットとの掛け合いなどは、N響のヴィルトゥオジティとメルクルの音楽性の幸せな一体感と申して良いのではないでしょうか。

 半田美和子と加納悦子のソロは、会場が広いせいもあって、合唱やオーケストラにやや埋もれた感じがありましたが、演奏全体としては合唱のよさも含めてよくまとまっていたと思います。良い演奏でした。

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