目次
2018年09月15日 第1891回定期演奏会 パーヴォ・ヤルヴィ指揮
2018年09月21日 第1892定期演奏会 パーヴォ・ヤルヴィ指揮
2018年10月13日 第1894回定期演奏会 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
2018年10月19日 第1895定期演奏会 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
2018年11月09日 第1897回定期演奏会 ジャナンドレア・ノセダ指揮
2018年11月24日 第1899定期演奏会 広上 淳一指揮
2019年12月01日 第1900回定期演奏会 アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮
2018年12月07日 第1901定期演奏会 トーマス・ヘンゲルブロック指揮
2018年ベスト3
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2016年ベスト3
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2015年ベスト3
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2014年ベスト3
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2013年ベスト3
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2012年ベスト3
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2011年ベスト3
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2007年ベスト3
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2006年ベスト3
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2005年ベスト3
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2004年ベスト3
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2003年ベスト3
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2002年ベスト3
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2001年ベスト3
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2018年09月15日 第1891回定期演奏会
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
曲目: | ヨハン・シュトラウス2世 | 喜歌劇「こうもり」序曲 | |
ヨハン・シュトラウス2世 | ワルツ「南国のバラ」作品388 | ||
ヨハン・シュトラウス2世 | ワルツ「クラップフェンの森で」作品336 | ||
ヨハン・シュトラウス2世 | ワルツ「皇帝円舞曲」作品437 | ||
ヨーゼフ・シュトラウス | ワルツ「うわごと」作品212 | ||
マーラー | 交響曲第4番ト長調 | ||
ソプラノ独唱:アンナ・ルチア・リヒター |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:白井、ヴィオラ:川本、チェロ:桑田、ベース:吉田、フルート:甲斐、オーボエ:客演(兵庫芸術文化センター管弦楽団コアメンバーの吉村結実さん)、クラリネット:伊藤、ファゴット:水谷、ホルン:今井、トランペット:菊本、トロンボーン:新田、ティンパニ:植松、ハープ:早川
弦の構成:シュトラウス:14型、マーラー:16型
感想
2018年-2019年シーズンの最初の演奏会は、首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィによるヨハン・シュトラウスとマーラーという19世紀末ウィーン音楽のプログラム。N響でシュトラウス・ファミリーの音楽がまとめて取り上げられるのは珍しく、ここ30年では、2004年にハインツ・ワルベルグがオール・シュトラウスの演奏会をやったのと、2010年に尾高忠明が演奏会の半分をシュトラウスの曲で構成して以来。楽しみに行きました。一方、マーラーの4番は定番で、何度も聴いています。
さて、演奏ですが、どの曲もパーヴォ節炸裂でした。
シュトラウスの曲はどの曲も独特のリズム感があります。ウィーン系の指揮者が演奏するとそれがローカルな味になっていいわけですが、パーヴォのリズムの捉え方もまた独特で、ウィーン的なものとはちょっと違うのですが、聴いていると「えっ」と思う部分がありました。それがパーヴォの個性なのだろうと思います。ひとつひとつの音の微妙な伸び縮みや、アッチェラランド、リタルダンドの捉え方などが、パーヴォの皮膚感覚として何かあるのでしょうね。かなり細かい処でいろいろなことをやっていたようですが、N響はしっかりその指示について行っていたようで、面白い演奏に仕上がっていたと思います。
選曲ですが、どの曲も有名曲ですが、最後に演奏されたヨーゼフの「うわごと」は、ちょっとミステリアスな雰囲気のある曲で、マーラーとのつなぎを意識した選曲なのかな、とちょっと考えました。
マーラーの4番、こちらもパーヴォの趣味なのか、細かくテンポを揺らした演奏だったと思います。結果としてパーヴォらしさは出ていましたし、この曲の持つ諧謔的な側面が強調されていたと思いましたが、リハーサルの時のテンポを変えたのか、理由はよく分かりませんが、オーケストラの音の揃い方は今一つだったと思います。N響は一糸乱れぬ演奏が得意ですが、今回はなかなかそうはいかなかった感じです。特にゆっくりしたところでのずれが目立ったように思いました。アンア・ルチア・リヒターのソプラノソロ。美しい声のソプラノで、自分も頭に花飾りをつけて登場。澄んだ綺麗な声でよかったですが、最初のところ、ちょっと音程が揺れたのと、声量がNHKホールの空気全体を響かせるには、ちょっと弱かった感じです。
2018年09月21日 第1892回定期演奏会
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
曲目: | シベリウス | 「レンミンケンネンの歌」作品31-1 | |
シベリウス | 「サンデルス」作品28 | ||
シベリウス | 交響詩「フィンランディア」作品26(男声合唱付き) | ||
シベリウス | 「クレルヴォ」作品7 | ||
ソプラノ独唱:ヨハンナ・ルネサン** | |||
バリトン独唱:ヴィッレ・ルネサン** | |||
男声合唱:エストニア国立男声合唱団(全曲出演) |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:伊藤、2ndヴァイオリン:大林、ヴィオラ:佐々木、チェロ:藤森、ベース:市川、フルート:甲斐、オーボエ:青山、クラリネット:松本、ファゴット:水谷、ホルン:今井、トランペット:菊本、トロンボーン:古賀、チューバ:池田、ティンパニ:客演(東京佼成ウインドオーケストラの坂本雄希さん)
弦の構成:16型
感想
オール・シベリウス・プログラムはオーケストラの演奏会ではそれほど珍しいものではありませんが、交響曲、協奏曲が一曲も入らず、全て男声合唱が入る曲だけでまとめた演奏会というのは、ほとんどないのではないでしょうか。演奏された曲も、「フィンランディア」以外は、私は初めて聴くものばかりです。ちなみに、私が愛用している収載曲数9000の「名曲大事典」にも「フィンランディア」以外の三曲の掲載はなし。かなり珍しいもののようです。
それで演奏ですが、基本的には素晴らしい演奏会だった、と申し上げてよいと思います。「基本的には」と書いたのは、NHKホールの広さの問題が演奏に影響していたことは否めないと思うからです。
エストニア国立男声合唱団。とてもうまいです。48人しかいませんが、響きが揃ったときの倍音の出方が半端ではありません。感動して聴いていました。一方で、48人しかいない合唱団をオーケストラの後ろに置くことはどうなのかな、とも思いました。客席からの距離が遠すぎる感じです。それでもテノールが活躍してくれる曲ならまだいいのですが、高音がなくて中低音が中心の曲は響きが伝わるのに時間がかかり、遠くで歌っている感じがとても強く出ます。その意味で、もう少し配置を考えればよかったのに、とは思います。
最初の「レンミンケンネンの歌」が特にそんな感じでした。本来、もっと勇壮な合唱曲のようですが、遠くで歌われている感じが強すぎて、そのような曲の特徴が消えてしまったと思います。
二曲目の「サンデルス」。こちらは、かなり長文の叙事詩に曲をつけたもの。もちろん歌詞の意味は全く分かりませんが、快活な表情や勇壮な表情などの使い分けができているようでした。また一曲目よりは高いラインで曲が動いていることもあって、和音がまとまった時の響きがとても素晴らしかったです。男声合唱の魅力をたっぷり味わいました。
「フィンランディア」。パーヴォはオーケストラをガンガン煽っていました。中間部に男声合唱が入りますが、合唱後のアッチェラランドは半端ではなく、最後はものすごい盛り上がりで終わりました。一方の合唱は緩徐部分でありゆったりと歌い始められますが、クレッシェンドの力強さが凄く、高音がガンガン響き、合唱団の力量をしっかりと示すものでした。素晴らしい演奏だったと思います。
今回の演奏会の眼玉「クレルヴォ」。とても素晴らしい演奏だったと思います。フィンランドの民族叙事詩である「カレワラ」に題材をとったもので、歌詞付き交響詩、といった感じの曲です。演奏時間はほぼ80分。シベリウスの管弦楽曲の中で一番長い作品だそうです。詩の内容は兄妹の近親相姦を扱ったもので、その管弦楽の充実ぶりと詩の内容からワーグナー的なものを少し感じました。パーヴォ・ヤルヴィの音楽づくりですが、とても自然な感じでよかったです。パーヴォはドイツ物などをやるとき、いろいろな部分を強調しすぎることがあって、時としてデフォルメしているような不自然さを感じることがあるのですが、この曲では全然そういうことはありませんでした。エストニア生まれというフィンランドとの共通性がどこかにあって、それが自然に音楽に乗り移っているかもしれません。
ルネサン姉弟は「クレルヴォ」を200回以上歌っているということで、さすがに音楽が身体に染み付いている感じです。表情の出し方が素晴らしいと思いました。エストニア国立男声合唱団の合唱もとても立派。彼らもこの曲を相当歌い込んでいる感じです。もちろんN響の技術は申し分ありません。指揮者、独奏者、合唱、オーケストラと素晴らしい組み合わせで、初めて聴く音楽でありながら、感動いたしました。私は音楽の地域性を強調するのはあまり好きではないのですが、今回の演奏は、指揮者、ソリスト、合唱が共通の皮膚感覚を持っている強さを感じました。
2018年10月13日 第1894回定期演奏会
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目: | モーツァルト | 交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」 | |
ブルックナー | 交響曲第9番ニ短調(コールス校訂版) |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:キュッヒル、2ndヴァイオリン:大林、ヴィオラ:川本、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:松本、ファゴット:水谷、ホルン:福川、トランペット:菊本、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:久保
弦の構成:モーツァルト9-10-6-4-3、ブルックナー15-16-12-10-8
感想
91歳、現役最長老と申し上げてよい指揮者によるモーツァルトとブルックナー。モーツァルトとブルックナーは演奏スタイルが若干異なっていたように見受けましたが、演奏はどちらも素晴らしいもの。感動的な演奏会だったと思います。
モーツァルトはブロムシュテットが消えてしまったモーツァルトしか聴こえてこない音楽。でも非常に緻密だし躍動感もある。ブロムシュテットは昔は結構理屈っぽい音楽を作る人で、モーツァルトとの相性が良い指揮者という印象はありませんでした。N響でもモーツァルトと言えば協奏曲の伴奏ばかりで、交響曲を演奏するようになったのはここ10年ほどです。したがって、彼のモーツァルトの交響曲を聴くことは、まだあまり多くないのですが、「プラハ」は二度目になります。前回は2008年1月のことでした。その時の自分の感想を今読んだのですが、今、再掲しても全然違和感がありません。ちょっと引用します。
「それをつくづく感じたのは「プラハ交響曲」です。ブロムシュテットは、この名曲の繰返しを全て行うという、ある意味、非常にケレンの強いことをやってみせました。しかし、それで音楽の流れが損なわれることは何もありませんでした。ブロムシュテットという個性がすっかり音楽の中に隠れて、我々に見えてくるのはひたすらモーツァルトでした。N響の力を持ってすれば、ブロムシュテットがいなくても同じように演奏してしまうだろうな、と思わせてしまうところにブロムシュテットの腕があります。とにかく自然な演奏で、モーツァルトの味わいがとことん表現されていたと思います。現在、これだけのモーツァルトを演奏できる指揮者はそうはいないでしょう。名演奏でした。」
そのころからモーツァルトの音楽にブロムシュテットが無私な形で浸れるようになったのでしょうね。長老指揮者の芸をたっぷり味わいました。
ブルックナーはずっと生々しい音楽。9番は未完成で、ブルックナーの「白鳥の歌」とも言われるわけですが、白鳥の歌を感じさせるようなものではありませんでした。
今回使用したのはコールス校訂版という楽譜。Wikipediaを調べてみますと「コールス校訂版:2000年、ベンヤミン=グンナー・コールスによる、完成された3楽章の新校訂版。ウィーンで新たに発見された筆写譜を参照としており、ノヴァーク版に比べ30か所程度の修正がある」とのことです。私は初めて聴きました。私はブルックナーに詳しいわけではないので、自分の耳ではどこがノヴァーク版と違っているのか全く分かりませんでしたが、そうなのでしょう。この楽譜をブロムシュテットは暗譜で演奏しました。ブロムシュテットは若い頃からブルックナーをレパートリーの中核においていた方で、どの曲も身体に染み付いているのでしょうが、70歳過ぎてから出版された楽譜を全部勉強して、90歳過ぎてから暗譜で演奏するのですから、凄いとしか申し上げようがありません。
演奏はブロムシュテットらしい緻密さと音楽の持つエネルギーを前面に出そうとする躍動感が共存した演奏。ゆるみがなく若々しい。タクトを持たず、手と表情で指示を出しているのだと思いますが、その様子はかつてのブロムシュテットではありません。さすがに老いが目立っています。しかしながらその動きに敏感に反応するオーケストラが、おそらくブロムシュテットの意図を忖度して、あの若々しい音楽に結びつけたに違いありません。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの見事な音やホルン、ワーグナーチューバ、トランペット等の咆哮も魅力的。弦のトゥッティも立派で、素晴らしい演奏に仕上がっていました。
2018年10月19日 第1895回定期演奏会
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目: | ハイドン | 交響曲第104番ニ長調 Hob.T-104「ロンドン」 | |
マーラー | 交響曲第1番ニ長調「巨人」 |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:伊藤、2ndヴァイオリン:大宮(第一ヴァイオリン次席奏者)、ヴィオラ:客演(ケルンWDR交響楽団首席奏者の村上淳一郎さん)、チェロ:桑田、ベース:市川、フルート:甲斐、オーボエ:青山、クラリネット:伊藤、ファゴット:水谷、ホルン:今井、トランペット:長谷川、トロンボーン:古賀、チューバ:池田、ティンパニ:植松(ハイドンは客演:九州交響楽団首席奏者の森洋太さん)
弦の構成:ハイドン10-10-6-4-3、マーラー16-16-12-10-8
感想
先週のモーツァルトの演奏について、私は「ブロムシュテットが消えてしまったモーツァルトしか聴こえてこない音楽」と書きました。しかし、今回のハイドンはブロムシュテットらしさが満喫できた演奏と申し上げましょう。この若々しい演奏は91歳、現役最長老とは思えないアグレッシヴなものでした。
演奏は、端的に申しあげれば古楽器演奏をかなり意識したもの。例えば、ヴァイオリンとヴィオラはノンヴィヴラート奏法で演奏されましたし、音の消え方もたっぷり歌わせて残るというよりは、ストレートにすっと立ち上がってすっと消えていく感じです。ハイドンの104番はモーツァルトが亡くなったあとの1795年の作品で、標準的な二管編成が確立した後の作品です。二管編成の曲は普通14型や16型の弦楽器のサイズの大きいオーケストラで演奏されることも少なくないですが、今回の弦楽器は当時に合わせてオーケストラとしては最低のサイズと言ってよい変則10型。音のバランスが、管偏重になります。そこも古楽的で、ブロムシュテットの学究的な側面がよく出た演奏だったと申し上げられると思います。
後半のマーラー。ブロムシュテットはマーラーが不得意だという印象があるわけではありませんが、基本ブルックナー指揮者だと思います。N響定期でもブルックナーは様々な曲を取り上げてきましたが、マーラーは限定的です。今回は2週間でブルックナーの最後の交響曲とマーラーの最初の交響曲を聴いたわけですが、演奏自体の説得力はブルックナーが確実に上だったと思います。ブルックナー嫌いを公言している私が、これは素晴らしいと思いましたから。それと比較すると、今週のマーラーは「普通の」マーラーだったと思います。N響も先週の研ぎ澄まされた鋭さを感じられませんでしたし、ミスもありました。音楽の流れも自然で豊かではありましたが、どこかに澱んだところもあったりして、「巨人」という曲に関しても、ブロムシュテットという指揮者にとっても最高の演奏ではなかったというのが本当でしょう。
ただ、お客さんの熱気は凄かった。N響のファンは長老演奏家に対して非常に敬意をもって拍手を送りますが、今回も例外ではない。Bravoの嵐が凄く、オーケストラの団員が舞台から退場した後も、ブロムシュテットはは呼び出されて拍手を受けていました。
2018年11月09日 第1897回定期演奏会
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
曲目: | ラヴェル | ピアノ協奏曲 ト長調 | |
ピアノ独奏:アリス・紗良・オット | |||
プロコフィエフ | バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(抜粋) | ||
モンタギュー家とキャピュレット家 | |||
少女ジュリエット | |||
仮面 | |||
踊り | |||
朝の歌 | |||
修道士ロレンス | |||
ロメオとジュリエットの別れ | |||
群衆の踊り | |||
朝の踊り | |||
アンティル諸島から来た娘たちの踊り | |||
タイボルトの死 | |||
ジュリエットの墓の前のロメオ | |||
ジュリエットの死 |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:白井、ヴィオラ:佐々木、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:甲斐、オーボエ:青山、クラリネット:松本、ファゴット:宇賀神、サクソフォーン:客演(フリー奏者の大城正司さん)、ホルン:福川、トランペット:長谷川、トロンボーン:古賀、チューバ:池田、ティンパニ:久保、ハープ:早川、ピアノ:客演(フリー奏者の梅田朋子さん)、チェレスタ:客演(フリー奏者の楠本由紀さん)
弦の構成:ラヴェル8-8-6-6-4、プロコフィエフ:16型
感想
前半のラヴェルは室内楽的編成にしてコンパクトに、後半のプロコフィエフは大編成のオーケストラをできるだけぎゅっと縮めておこうとしてもので、舞台が混雑しているなという印象でした。こういう編成の差がある場合、N響は小編成の方がよい演奏になる場合が多いのですが、今回は逆だったように思います。プロコフィエフが堂々とした立派な演奏でした。
ラヴェルのピアノ協奏曲。アリス・紗良・オットのピアノ。良く指が廻って軽快なピアノ。一方で、優美なところは優美で、第二楽章のアンダンテの響きの素敵なこと、雰囲気の可愛らしさも相俟って、こういう音楽っていいなあ、と思いわせるものでした。Bravaでしょう。さて、それに絡むN響管楽陣、今一つ野暮ったい印象。ピアノのテンポが少し速かったのか、全般的に少し慌てている印象で、このスピード感を維持したまま、ピアノをしっかりと受け止める感じが欲しいように思いました。冒頭のピッコロ・ソロとかトロンボーンのグリッサンドとか、もうちょっとさばきようがなかったのかな、と思いました。
なお、ソリストへの拍手は素晴らしく、2曲のソリストアンコール。サティのグノシェンヌとショパンのワルツ。どちらもこのピアニストの洒脱さを感じさせるものでよかったです。
後半のプロコフィエフ。良かったです。大編成が重戦車のごとく一糸乱れず進む印象。力強さと洒脱さが上手にまじりあった演奏で、N響の実力をしっかり感じさせるものでした。この差は、指揮者の守備範囲の差なのかもしれません。ノセダはイタリア人指揮者ですが、得意なのはロシア東欧物という印象があって、まさにそのロシア物を上手く演奏した、ということなのでしょう。
プロコフィエフと言えば、ノセダの師であるゲルギエフの演奏が有名ですが、今回のノセダの演奏もゲルギエフ張り、と申し上げてよいかもしれません。普通オーケストラの指揮者って、もう少し早振りして、オーケストラはその後をついてくるという印象がありますが、今回のノセダは早振りにしなかった感じ。身体で取っているリズムにオーケストラがぴったり反応して、それが非常に一体感と推進力を生んでいたと思いました。N響管楽陣も洒脱さを要求されるラヴェルよりも、どっしりと演奏できるプロコフィエフの方が演奏しやすいということはあるのかもしれません。素晴らしい響きだったと思います。
2018年11月24日 第1899回定期演奏会
指揮:広上 淳一
曲目: | バーバー | シェリーによる一場面のための音楽 作品7 | |
コープランド | オルガンと管弦楽のための交響曲 | ||
オルガン独奏:鈴木 優人 | |||
アイヴズ | 交響曲第2番 |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:客演(ソロヴァイオリニストの白井圭さん)、2ndヴァイオリン:大林、ヴィオラ:佐々木、チェロ:客演(日本フィルの辻本玲さん)、ベース:西山、フルート:甲斐、オーボエ:茂木、クラリネット:松本、ファゴット:宇賀神、ホルン:今井、トランペット:菊本、トロンボーン:古賀、チューバ:池田、ティンパニ:石川、ハープ:客演(フリー奏者の水野なほみさん)、チェレスタ:客演(フリー奏者の梅田朋子さん)、
弦の構成:16型
感想
N響がアメリカのオーケストラ作品を並べて取り上げるのはかなり珍しいと思います。スラットキンは初めてN響の定期舞台に上がった時、オールアメリカンプログラムでその実力を示しましたが、他に誰かいたかしら。このスラットキンにしても、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」やコープランドの「ロデオ」と言った比較的ポピュラーな曲目を取り上げました。翻って今回の広上淳一の選曲、かなり聴き手を選びそうです。どの曲も作曲家の20代の作品だそうですが、若書きの作品を集めただけあって、無名なものが多い。私は前半の2曲は全く初耳でしたし、アイヴズの交響曲2番も実演では初めて聴きました。
正直申し上げて、どの曲もさほど良い曲には思えませんでした。アイヴズの交響曲は欧米のさまざまな旧来の旋律が引用され、コラージュされているので、それを探す楽しみはありましたし、変な曲だなとは思いましたが、聴いていて興奮するところがあります。その意味ではアイヴズが一番面白かったのでしょう。それでも広上淳一はこれらの曲の良さを分かってもらおうとする伝道者の勢いで演奏しました。
N響の演奏は、どの曲もかなり立派だったと思います。N響の奏者たちにとっても初めての曲だったでしょうから、彼らの技術レベルだけが表面に出るということなのでしょう。その意味ではN響の基本的力量がよく分かった、と言えると思います。
この3曲の中で広上淳一が一番一所懸命振っていたのは、第二曲目のコープランド。もちろんオルガンの鈴木優人との合わせに気を使っていたことはもちろんなのですが、オーケストラを躍らせようと必死でした。私は広上淳一を初めて聴いたときからもう30年たつのですが、若い時から彼は身体いっぱいに使って、指揮台もたっぷり使うのが特徴でした。その特徴は今回もしっかり見られ、60過ぎて日本を代表する指揮者になった今も、彼は若いな、と思います。
鈴木優人のオルガンはもちろん立派だったのですが、オルガンはホール自体が楽器ですから、NHKホールの響きということになるのでしょう。その意味ではホールの響きを楽しんだ、ということになるのかもしれません。
アイヴズの交響曲はさすがN響とでも言うべき迫力でした。広上の指揮はいつもにもまして流麗で、踊れる指揮者の面目躍如でした。アイヴズの初演者はバーンスタインですが、バーンスタインの弟子を任ずる広上にとっては、この曲の良さをいい演奏で聴かせて見せたいという意思があったのでしょう。それがよく分かる演奏でしたし、N響管楽器陣もその要求によく応えていたと思います。全体として広上淳一の個性と力量がしっかり見られる演奏会でよかったと思います。
2018年12月01日 第1900回定期演奏会
指揮:アレクサンドル・ヴェデルニコフ
曲目: | スヴィリドフ | 組曲「吹雪」-プーシキン原作の映画から | |
スクリャービン | ピアノ協奏曲 嬰へ短調 作品20 | ||
ピアノ独奏:アンドレイ・コロベイニコフ | |||
グラズノフ | 交響曲第7番 ヘ長調 作品77「田園」 |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:伊藤、2ndヴァイオリン:大林、ヴィオラ:佐々木、チェロ:藤森、ベース:吉田、フルート:甲斐、オーボエ:茂木、クラリネット:伊藤、ファゴット:宇賀神、ホルン:福川、トランペット:長谷川、トロンボーン:古賀、チューバ:客演(フリー奏者の田村優弥さん)、ティンパニ:久保、ハープ:早川、ピアノ/チェレスタ:客演(フリー奏者の梅田朋子さん)
弦の構成:協奏曲;14型、その他;16型
感想
何年か前の「音楽の友」誌で、ある評論家が、「N響のプログラムは保守的過ぎてつまらない。定期演奏会はもっと冒険すべきだ」みたいな意見を書いていました。その時だって、私はN響が保守的なプログラムだけやっているとは思いませんでしたが、東京交響楽団や新日本フィルが結構意欲的なプログラムに取り組んでいる時期だったので、そう思えたのかもしれません。しかし、その方だって、今年の後半のN響のプログラムを見たら、そんな意見は言えなくなると思います。私は、N響の定期だけで600回通っているコンサート・ゴーアーですが、初めて耳にしたとか、生を聴くのは初めてという曲が、25曲中13曲もあります。実に半数以上。今回の三曲もスクリャービンのピアノ協奏曲はラジオかなんかで一度ぐらい聴いたことがあるかもしれませんが、他は一度もありません。スヴィリドフなんていう作曲家、恥ずかしながら、名前すら今回初めて知りました。
さて、作品ですが、スヴィリドフの「吹雪」。映画音楽ということですが、まさに映画音楽、ほんとうに描写的な音楽で、場面場面の雰囲気がよく分かります。ロシア的哀歓を感じる、と言えばその通りなんでしょうけど、私は1930年代から40年代のハリウッド映画の音楽との類似性を感じました。マックス・スタイナーやヴィクター・ヤングですね。1964年の作品だそうですから、作曲家はハリウッドの映画音楽を意識していると思います。作品は聴きやすいし、2-3分ほどの感じの違う曲が9曲繋がっているので、飽きさせもしない。しかしながら、私は飽きました。メリハリはついているのですが、どこか底が浅くて、類似性が鼻につくのです。もちろん、N響の演奏に文句はありません。特に、第6曲「軍隊行進曲」の勇壮な管楽器の響きは、聴きごたえがありました。
スクリャービンのピアノ協奏曲。演奏者のヴィルトゥオジティが前面に出る、まさにロマン派的ピアノ協奏曲。コロベイニコフは手に力があるのか、男性的な表現でガンガン演奏していく印象。もちろんテクニックもあって、アルペジオの表現など素晴らしいな、と思いましたが、そういう繊細さを優先する演奏ではなくて、もっと前に進む吹雪の中を進む機関車のような演奏をしたと思います。曲自身は古典的なもので、優美な部分も少なくなく、同時代のラフマニノフとの類似性も感じさせました。その意味でもっと繊細さを前面に出した演奏もありかと思いますが、コロベイニコフは、その繊細さを前面に出すことを拒否することによって、この曲の持つロシア的側面を前面に出したいのだろうな、と思いました。N響の伴奏も特に違和感がなく楽しめました。
最後のグラズノフの7番。グラズノフは、シベリウスやラフマニノフと並んで19世紀末から20世紀初頭の代表的な交響曲作曲家の一人であるという音楽史的な知識はあるのですが、恥ずかしながら、彼の交響曲を聴いたのが今回初めてです。この曲は、「田園」というタイトルから明らかなように、意識しているのはベートーヴェンの田園です。しかしながら、ベートーヴェンの「田園」がドイツの郊外の田園であるのに対し、グラズノフはロシアの田園を意識しており、ベートーヴェンより大陸性を感じる音楽です。この曲も確かに描写音楽で聴きやすいのですが、曲の印象はベートーヴェンでは全然なくて、ラフマニノフでした。ラフマニノフの交響曲を聴いているような気分にさせられました。また、冒頭の上行音型はプッチーニの歌劇「トゥーランドット」のカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」の冒頭の音型に似ており19世紀末から20世紀初頭の好みが分かるようで面白く聴きました。N響の演奏は立派でした。
今回の三曲、N響にとっても初めての曲が多かったのではないでしょうか。先週の広上淳一のオールアメリカプログラムも、普段演奏しない作品で、2週続けてそういうプログラム。二週連続乗っている奏者も多かったのですが二週間ともそれぞれ技術的にはしっかりした演奏だったと思います。曲の魅力を引き出す指揮になっていたかどうかは、曲を知らないので何とも言えませんが、間然としたところのない演奏で素晴らしい。N響奏者の演奏技術に感心いたしました。
2018年12月07日 第1901回定期演奏会
指揮:トーマス・ヘンゲルブロック
曲目: | バッハ | 組曲第4番 ニ長調 BWV1069 | |
バッハ(シェーンベルグ編曲) | 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552「聖アン」 | ||
バッハ | マニフィカト ニ長調 BWV243(クリスマス用挿入曲付) | ||
合唱:バルザダール・ノイマン合唱団(合唱指揮:デトレフ・ブラチュケ) | |||
独唱:バルザダール・ノイマン合唱団メンバー | |||
(ソプラノT:アグネス・コバッチ、ソプラノU:バーバラ・コゼリ、アルト:フィリッポ・ミネッチア、 | |||
テノール:ミルコ・ルートヴィヒ、ヤン・ペトリカ、バス:ラインハルト・マイヤー、ティロ・ダールマン) | |||
アンコール | バッハ | クリスマス・オラトリオ BWV248 から第59曲 コラール「われらはここ馬槽のかたえ、汝がみ側に立つ」 | |
ヒッレルード編曲(15世紀フランス) | 久しく待ちにし主よ、とく来りて |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:田中、ヴィオラ:川本、チェロ:桑田、ベース:市川、フルート:神田、オーボエ:青山、クラリネット:伊藤、ファゴット:水谷、ホルン:福川、トランペット:菊本、トロンボーン:新田、チューバ:池田、ティンパニ:植松、ハープ:早川、チェレスタ:客演(フリー奏者の梅田朋子さん)、オルガン:客演(フリー奏者の大塚直哉さん)
弦の構成:聖アン:16型、その他:8-8-6-4-2
感想
予想以上に素晴らしい演奏会でした。特に事前にアナウンスされていなかったアンコールの二曲。どちらも最高に素晴らしい。あの二曲を聴いただけで、今年の嫌なことを全て忘れられそうです。
まず、クリスマスオラトリオの第59曲。これが演奏されたのは、ヨーロッパでクリスマス・シーズンにマニフィカトを演奏されるときは、この曲もアンコール的に演奏されるという習慣に基づいたようですが、全体がピアノで進行する真に静謐な音楽。しかし、その弱音の和音が揃うときの音の広がりが本当に広大で心に響くもの。これがNHKホールですからあの程度の響きなのでしょう。本当に良いホールや曲会で演奏したら、どんな素晴らしい響きになるのだろうと想像させるもの。はっきり申し上げて音楽を聴くことに擦れている筆者ですので、滅多に感動しないのですが、この響きには感動しました。久しぶりに涙が溢れました。演奏が終了してから拍手が始まるまで10秒ぐらいあったかもしれません。このピンとした張りつめた空気が、この演奏のすばらしさを物語っているな、と思いました。
最後のフランス・ルネサンスのクリスマス・キャロル。讃美歌としても有名なものらしいですけど、残念ながら、讃美歌の方は知りません。こちらはアカペラで歌われましたが、また素晴らしい響き。クリスマス・オラトリオはピアノだけで進行しましたが、こちらはフォルテもピアノもあるダイナミクス。ただ、アクセントを強調する歌い方はしないので、響きの盛り上がり方が凄く自然で素敵でした。
さて、メインのプログラムですが、まず、管弦楽組曲第4番。懐かしかったです。40年以上前、大学生時代、アルバイトでためたお金で最初に買ったLPの一枚が、リヒターの指揮する「管弦楽組曲全集」何度も繰り返して聴きました。しかし、この曲に関しては二枚目のレコードを買うことはなく、演奏会で聴いたことも一度もないので(N響では1988年10月定期でブロムシュテットが取り上げた以来の演奏)、ほぼ40年ぶりで聴き、それが初めての実演体験となりました。ヘンゲルブロックは古楽から出発した方で、N響の演奏もきびきびした古楽を意識したもの。しっかりした演奏で素敵でした。
2曲目の「聖アン」、シェーンベルグがバッハの楽曲を大オーケストラ向けに編曲していたのは知っていましたが、聴くのは初めてです。オリジナルのオルガン曲もCDは持っているので聴いたことはあるはずなのですが、全く記憶がありません。というわけで楽しんで聴きました。4管の大オーケストラでバッハを演奏するとこんな感じになるんだ、とは思いましたが、正直なところそれ以上の感興はありませんでした。いま、これを書きながらオルガン曲を聴いていますが、オルガンの方がこの曲にはしっくりくるなと思いました。
最後の「マニフィカト」。完璧な演奏ではありませんでしたが、メリハリとテンポがよく進み、かつ歌唱が柔らかなので、全体としてとても美しい演奏に仕上がっていてよかったと思います。合唱団のレベルが高い。通常、マニフィカトではソリストを別に立てると思いますが、今回は全部団員が行いました。このことにより、音楽のトーンが一貫しており、いかにもドイツのクリスマスだな、と思える音楽空間が広がっていました。ソリストでは、コントラルト役を歌ったカウンター・テノールのフィリッポ・ミネッチアがことによかったと思います。それにしても各パート6人ずつ(ソプラノはTとUに分かれる、バスは7人)の合計31人しかいなくて、かつ音の響きが比較的デッドなNHKホールでピアノでもあのふくらみのある響きを出せるのですから、合唱団の力量が非常に高いのだろうと思います。
最初は少し硬かった感じはありますが、後半になると合唱の響きの合い方もよくなって素敵だったと思います。N響もとても上手です。通奏低音だけの伴奏なのチェロの活躍が多い曲ですが、それがすこぶる素敵。やっぱりバッハはいいなあ、と思わせる演奏でした。
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