NHK交響楽団定期演奏会を聴いての拙い感想-2003年(前半)
目次
2003年 1月10日 第1478回定期演奏会 イルジー・コウト指揮
2003年 1月25日 第1480回定期演奏会 イルジー・コウト指揮
2003年 2月 6日 第1481回定期演奏会 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
2003年 2月21日 第1483回定期演奏会 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
2003年 4月12日 第1484回定期演奏会 シャルル・デュトワ指揮
2003年 4月18日 第1485回定期演奏会 シャルル・デュトワ指揮
2003年 5月17日 第1487回定期演奏会 クシシュトフ・ペンデレツキ指揮
2003年 5月22日 第1488回定期演奏会 ネッロ・サンティ指揮
2003年 6月14日 第1490回定期演奏会 シャルル・デュトワ指揮
2003年 7月25日 N響「夏」2003
ジェームス・ジャッド指揮
2003年 1月10日 第1478回定期演奏会
指揮:イルジー・コウト
曲目:ドヴォルザーク スラブ舞曲集
作品46&72(抜粋)
作品46から 第1番ハ長調/第2番ホ短調/第3番変イ長調/第6番ニ長調/第8番ト短調
作品72から 第1番ロ長調/第2番ホ短調/第7番ハ長調
ショスタコーヴィチ 交響曲第1番へ短調 作品10
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:松崎、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:多戸、ティンパニ:植松、ピアノ:客演
弦の構成:16型。
感想
2003年の私個人の最初の演奏会です。そして、N響最初の定期公演。ここにN響はイルジー・コウトを呼び、コウトはドヴォルザークとショスタコーヴィチを持ってきました。コウトはチェコ出身の指揮者でドイツ系オペラが得意、ワーグナーのスペシャリストとして知られているようです。私も過去何回か聴いておりますが、彼の持ってくるプログラムは、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスとドヴォルザークに片よっておりまして、お国ものとドイツロマン派のオペラに対する自信のほどが窺えます。
ドヴォルザークは予想通り、土の匂いがプンプンする演奏でした。よく言えばローカルな、悪く言えば「ダサい」演奏でした。かつてカラヤンがやったような、精妙でスタイリッシュな演奏とは対極のところを目指していたようでした。総じてテンポは遅目で実際の踊りを意識した演奏だったように思います。一寸したタイミングや息の使い方が独特で、そのためかどうかはわかりませんが、N響の弦のタイミングが所々ずれてきこえました。一方でオーケストラをよく鳴らしており、ワグナー指揮者の片鱗を見る思いでした。
作品46の方がよりための利いた演奏で、作品72の方が比較すれば、印象に残り難い演奏だったと思います。しかし、優雅で感傷的な舞曲である作品72-2は、低音をよく鳴らし、優美さや感傷的なイメージよりも、より泥臭いイメージを強調しておりました。
ショスタコは、コウトの個性が強調された演奏だったと思います。私はこの曲を実演で聴くのは初めての経験だったのですが、CDではよく聴く一曲です。私は、この曲をモダニズムの影響をつよく受けたアヴァンギャルドな作品というイメージを持っていたのですが、本日の演奏は、この交響曲の持つそういった雰囲気が希薄な演奏になりました。全体として歌いすぎで、テンポが重くなっていました。コウトにとってショスタコは、ソヴィエトのポスト・ワーグナーなのかもしれません。この作品は独奏楽器が活躍し、管弦楽のための協奏曲という側面もあるのですが、第一楽章の磯部さんのクラリネット、第二楽章の岡崎さんのファゴット、第三楽章の北島さんのオーボエ、共に良いものがありました。第一楽章における田中さんと篠崎さんのヴァイオリンのかけあいや、ショスタコに対する造詣の深い藤森さんのチェロソロも流石と申し上げます。しかし、私の趣味に合う演奏ではありませんでした。
2003年 1月25日 第1480回定期演奏会
指揮:イルジー・コウト
曲目:ワーグナー「ニーベルングの指輪」(抜粋)
「ワルキューレ」より
第2幕の序奏「さあ、馬に鞍を置け、天翔ける戦乙女よ!」
第3幕第3場「ヴォータンの告別:今生の別れだ、あっぱれな戦乙女」
「ジークフリート」より
第2幕第2場「あいつが父親でないことが分かって本当にせいせいしたな」
第3幕 序奏〜「起きろ、ヴァーラ」
第3幕の幕切れ「私は永劫の時を生きてきた」
「神々の黄昏」より
第1幕 「夜明け」と「ジークフリートのラインへの旅」
第3幕 「ブリュンヒルデ!聖なる花嫁よ」と「ジークフリートの葬送行進曲」
第3幕の幕切れ 「太い薪を、ラインの川縁に幾重にも積み上げよ」(ブリュンヒルデの自己犠牲)
独唱者:スーザン・オーウェン(ソプラノ/ブリュンヒルデ)
アルフォンス・エーベルツ(テノール/ジークフリート)
フルーデ・ウルセン(バス・バリトン/ヴォータン)
コンマス:山口、2ndヴァイオリン:堀江、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、ワーグナーチューバ:大野、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:多戸、ハープ:早川、ティンパニ:ウベルト・シュミット=ラウクスマン(シュツットガルト放送交響楽団首席ティンパニスト)
感想
N響は本年3月、新国立劇場のワーグナー「ジークフリート」の公演でオケ・ピットに入るのですが、その前哨戦として非常に関心をもって出向いた演奏会でした。そして、N響がオケピットに入ることにより、よい演奏を聴かせてくれるのではないかという期待感を持つことができるような演奏会だったと思います。
コウトの演奏は、想像していたよりもずっと普通の演奏でした。特別速くも特別遅くもなく、私が想像していたよりはあっさりとした演奏でしたが、ここぞというときにはオケをしっかりと鳴らしていました。ワーグナーを聴いているということははっきりと認識させられるのですが、ワーグナーの嫌らしい面を強調するほどではない、そういう演奏でした。ワグネリアンの方はこういう淡白な演奏を好まないのでしょうね。でも、私のようにワーグナーのしつこさが好きでない聴き手にとっては、この程度に上品な演奏の方がうれしいです。
歌手達はそれぞれ立派でした。NHKホールは声が発散するホールで声楽には向いていないのですが、その中で3人とも頑張っていたと思います。特にスーザン・オーウェンがよかった。少なくとも声の力という点では、十分な実力の持ち主であると思います。「ジークフリート」のフィナーレも、「ブリュンヒルデの自己犠牲」も、正確さという点においてはきちっと歌っていたと思いますし、声もよくきこえて、満足でした。一方において、コンサート形式の抜粋ですから仕方がない部分もあるのですが、「ブリュンヒルデの自己犠牲」などは、割と冷静な歌いっぷりで、聴き手の感情移入を拒むようなところがあったと思います。
男声は二人とも声が下向きのベクトルを示しているようで、三階席の私の耳にはまっすぐに入ってこない感じでした。ウルセンはそういう意味で力強さを感じなかったのですが、オーケストラの強奏でも声がかき消させることはなく、しっかりとした歌でした。表現という点では三歌手の中で一番達者だったと思います。「ヴォータンの告別」はなかなかしっとりとしていてよかったと思います。
エーベルツはなかなか良い声の持ち主ですが、力量的にスーザン・オーウェンの馬力にかなわないという感じでした。「ジークフリート」の第三幕のフィナーレは、オーウェンに押されており、英雄ジークフリート、というには一寸弱いかな。とはいえ、声はよく飛んでおりましたし(私の方向ではなかったのですが)、満足いくレベルでした。
全体としてみればなかなか素晴らしい演奏会でした。そして特に感じたのは、N響はやっぱり上手いな、ということです。準・メルクルは、イルジー・コウトとは全く異なるアプローチをすると思いますが、ベースのレベルの高さは舞台全体によい影響を与えると思われます。4月の新国立劇場。楽しみに待ちましょう。
2003年 2月 6日 第1481回定期演奏会
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目:ニルセン 序曲「ヘリオス」作品17
モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 ハ長調K.503
ピアノ独奏:イモジェン・クーパー
ブラームス 交響曲第2番ニ長調 作品73
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:客演(マールテン・ディッカーヌ:ケルン放送響)、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ:客演、ティンパニ:久保
弦の構成:16-16-12-10-8、モーツァルトは、10-10-6-4-3
感想
ブロムシュテットは実際の練習よりも説明が長く、オケマンたちに煙たがられている指揮者だという話を聞いたことがあります。そのため、演奏会によっては、オケマン達がそっぽを向いてしまって、ちぐはぐな演奏になってしまう場合もあるようです。でもその関係が緊張を生んで、結果として良い演奏会になる場合も少なくありません。本日は後者。お互いの緊張関係が音楽にスリリングな魅力を与えておりました。
第1曲のニルセン。初めて聴く曲です。静かに始まり、中央で盛り上がり、最後にそっと終るという作品ですが、中央のソナタ部が一寸荒っぽい印象でした。
モーツァルトのピアノ協奏曲。悪くはなかったのですが、クーパーの目指す音楽とブロムシュテットの目指す音楽とが微妙にずれており、そこが一寸気になりました。ブロムシュテットは、綺麗な音を目指していないようです。ロココ的軽みよりも重厚なベートーヴェンの先駆者としてのモーツァルトを表現したかったのではないか、と思いました。それに対してピアノはソステヌート・ペダルを多用して柔らかなモーツァルトと描こうとしていたようです。このピアノはとても素敵なものでした。でも情緒的というよりむしろ知的なアプローチで、ブレンデルの表現に似ていました。クーパーはブレンデルの弟子ですから当然なのかも知れませんが、弟子のピアノに師匠が見えるというのも面白いものです。曲全体としては、オーケストラが微妙に強すぎるかな、という印象でした。作品へのアプローチの方向として、私はブロムシュテットの行きかたよりもクーパーの行き方を支持します。
ブラームスの交響曲第2番。よくブラームスの「田園」と呼ばれる作品です。でも「田園」という優美なイメージとは一寸かけ離れた演奏でした。血潮あふるるブラ2、といったところでしょうか?ブロムシュテットは割と普通のアプローチをしているようでしたが、微妙に熱いのです。この微妙さが本日の演奏の魅力でした。さりげないのですが聴き手を引きこんで行く力があるのです。大らかに弾いているのですが、熱い。オーボエとフルートの掛け合いが見事でした。曲の盛上げかたは第4楽章に向かって集中する感じ。第4楽章は楽員の息遣いまでが調和してきて、ボウイングの力強さがはっきりと見えて盛りあがりました。第2,3楽章には細かいミスもあったようですが、ブロムシュテットの曲の見せかたの上手さと、それにきちっと対応してきたN響を大いに称えたいと思います。
なお、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとを対向配置において、それぞれ8プルトずつにする、というのがブロムシュテットの音へのこだわりです。しかし、それがNHKホールにおいてどういう効果を示していたのか、私には分かりませんでした。
2003年 2月21日 第1483回定期演奏会
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
曲目:リヒャルト・シュトラウス 13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 作品7
ニルセン クラリネット協奏曲 作品57
クラリネット独奏:磯部周平
シベリウス 交響曲第2番ニ長調 作品43
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:松崎、トランペット:関山、トロンボーン:客演、チューバ:多戸、ティンパニ:植松、小太鼓:石川
弦の構成:ニルセン;10-10-6-4-3 シベリウス;16-16-12-10-8
感想
ブロムシュテットは現代を代表する名指揮者の一人で、ブルックナーやブラームスにも実力を発揮する人ですが、でもその本領は北欧音楽にあるようです。例えばニルセンは、1988年以来延べ九曲が演奏されていますが、そのうち六曲をブロムシュテットが指揮しています。シベリウスも然り。交響曲7曲の内4曲を取り上げています。また、リヒャルト・シュトラウスも得意にしております。そういう風に考えると、今回の演奏会は、ブロムシュテットの土俵で勝負した演奏会で悪い筈がありません。実際もまた、良い演奏会でした。
リヒャルト・シュトラウスの「13管楽器のセレナード」は、そう滅多に聴ける曲ではないのですが、ブロムシュテットはお好きな作品の様で、1992年11月のN響定期演奏会でも取り上げています。私は、92年も聴いているのですが、どんな曲だったか全く記憶にはありませんでした。久々に聴いて思ったのは、「セレナード」と言うよりも「昼下がりのけだるさ」とでも言うべき演奏だった、ということです。ブロムシュテットは、ゆっくりしたテンポでロマンチックに弾かせていて、シュトラウスの若さよりも、ドイツロマン派の最後の作曲家という印象が強くでました。また、奏者同士の自発的な掛け合いが無く、御互いに腰が引けたような感じにきこえました。それぞれのソロが良かっただけに一寸残念でした。余談ですが、管楽合奏の時、コンサートマスター役を果すのは、第一フルートなのですね。
ニルセンの「クラリネット協奏曲」。初めて聴く曲です。モダニスムの音楽だと思いました。全体に奇妙な音が鳴り響きユニークですが派手では無い。クラリネットが中音域を縦横無尽に走り、その後ろを小太鼓が支える構図です。クラリネットの音の進行もユニークですが、よくバランスが取れていて、聴いていると安らぎを感じます。ソリストはN響クラリネット首席奏者の磯部さんですが、彼は、スタンスが取り難いのではないかと思われるこの作品を、上手に料理して結構だったと思います。ブロムシュテットは、北欧音楽のスペシャリストだけあって、堂の入った伴奏でした。楽しめました。
シベリウスの交響曲第2番。オーケストラの定番の曲ですが、ブロムシュテットは一味違う演奏をしてくれたようです。どちらかと言えばおそめのテンポで、オーケストラをしっかり鳴らしていました。ブロムシュテットは見た目はスタイリッシュな指揮者のようですが、本日の演奏はスタイリッシュとは全く反対の位置にある演奏だったように思います。物理的にも力強く、ごつごつした印象でした。また、どの楽器も、一音一音を揺るがせにせず一所懸命に弾いておりました。結果として北欧のローカル性も感じられ、スケールの大きさも実感できたように思います。とても良い演奏だったと思います。
2003年 4月12日 第1484回定期演奏会
指揮:シャルル・デュトワ
曲目:武満 徹 セレモニアル-An
Autumn Ode(1992)
笙独奏:宮田まゆみ
ショパン ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
ピアノ独奏:ネルソン・フレーレ
ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:堀江、ヴィオラ:川崎、チェロ:木越、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:茂木、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、コルネット:関山、トランペット:井川、トロンボーン:栗田、チューバ:多戸、ティンパニ:久保、ハープ:早川
弦の構成:武満、ショパン;14型 ベルリオーズ;16型
感想
N響は、4月20日から5月1日まで12日間のロシア、オーストリア、ドイツを回る演奏旅行へ出かけます。指揮はデュトワ、メインが「幻想交響曲」ということで、今回の定期演奏会はそのリハーサルという色彩が濃いようです。N響の通常の定期演奏会では、弦のパートでは必ず何人かのエキストラが入るのですが、今回は弦楽器のパートが全て団員という豪華版です。コンサートマスターは堀さんが勤められたのですが、その隣りに坐ったのがN響第1コンサートマスターの篠崎さん、その後ろに3人のフォア・シュピーラーが並ぶという第1ヴァイオリンの布陣。第2ヴァイオリンとチェロでは、それぞれの両首席奏者が一列目に入りました。
しかし、全般的に完成度という点では今一つという気がいたしました。
その中で最も良かったのが、「セレモニアル」だと思います。武満徹の晩年の傑作であるこの作品は、92年にサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されて以来、数多く演奏されてきています。N響が定期で取り上げるのは二度目ですが、ヨーロッパの演奏旅行に持って行ったこともあり、N響としては馴染みのある曲です。笙という日本独特の民族楽器を独奏楽器とし、洋の東西を意識した作品で、聴いているとリラックスさせられるものがあります。宮田まゆみの笙の音色の柔らかさと、N響の東洋的美感が相俟って、日本的エキゾチズムが満ち溢れた演奏になっていて良かったです。
ショパンのピアノ協奏曲は、面白い演奏でした。フレイレのピアノは結構粗く、ミスタッチも随分あるのですが、一方でタッチは軽く、かつメロディーラインから聞えてくる音には哀愁が感じられました。演奏の方向性がよく見えない、よく言えば複雑なニュアンスをあらわして膨らみのある演奏だったと言うことになりますし、悪く言えば、まとまりのない演奏だった、ということになるかと思います。私は粗っぽく演奏しているのに、つむぎ出される音楽にショパンの本質的な哀感が切々と感じられたので、かえって一寸気持ちが悪い、というのが正直なところでした。デュトワ/N響の伴奏は問題無し。第2楽章の岡崎さんのファゴットがとても良かったことを付記しておきます。
ベルリオーズの「幻想」。これはデュトワ/N響の十八番で、安心して聴けるもののひとつです。今回も安定感があり、盛上げ方も予定調和的で、まさに安心して聴けました。デュトワの解釈は昨年2月に定期演奏会で取り上げたときと変わりない感じで、良くも悪くもデュトワ節でした。いい演奏だったと思うのですが、全般的な感じとして、一寸鋭さに欠ける所があり、完成度という点では更に練り上げる余地があるように思いました。
2003年 4月18日 第1485回定期演奏会
指揮:シャルル・デュトワ
曲目:R・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」作品20
J・マクミラン 交響曲第3番「沈黙」(N響&BBC委嘱作品・世界初演)
ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 組曲「展覧会の絵」
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:山口(ドン・ファン/沈黙)、堀(展覧会の絵)、2ndヴァイオリン:堀江、ヴィオラ:川崎、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:松崎、トランペット:関山/井川(沈黙)、トロンボーン:栗田、チューバ:客演/多戸(展覧会の絵)、ティンパニ:植松、ハープ:早川、ピアノ:客演、チェレスタ:客演、サクソフォーン:客演
弦の構成:16型
感想
シャルル・デュトワは、1996年9月に常任指揮者に就任して以来、都合7シーズンN響の常任指揮者/音楽監督として活躍してまいりました。6月のCプログラムで、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」を演奏会形式で上演いたしますが、通常のプログラムによる演奏は今回が最後です。そして本日のプログラムは、この7年間のN響の歩みを象徴するようなプログラムでした。「ドン・ファン」は、独墺音楽を得意として来たN響ヘの別な視点からのアプローチという意味で、デュトワの成果の一つですし、新作を多く取り上げる、というのもデュトワの方針の一つでした。そして、華やかなオーケストラ・サウンドを特徴とする「展覧会の絵」とくれば、デュトワの成果の集大成と申し上げても過言ではありません。
N響は機能的で、発足当初から日本一のオーケストラであり、今迄その座を脅かされたことはありません。でも私が定期会員になった15年ほど前は、音のきらびやかさと音楽のウィットにおいて、海外の一流オケと比較してかなりの格差があったのではないかと思います。しかし、デュトワがシェフとなってから音楽が変わりました。特に管楽器は演奏の水準が格段に良くなりました。また、大して良くない指揮者が振った時も大きく崩れなくなった、と言えると思います。本日の演奏会は、オーケストラ・トレーナーとしてのデュトワの実力を思い起こさせるのに十分なものでした。
「ドン・ファン」は本日のプログラムの中では、一番完成度の低い演奏だったと思います。それでも水準以上の高レベルの演奏でした。豪華絢爛と言う言葉がピタリとする響きでした。中間部でのオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと音楽を渡していく部分の流麗さ、音楽の切れ味の鋭さ。どちらも素晴らしいものでした。これでホルンのユニゾンがもう少し滑らかに響き、終曲の全停止のあとのpでの入りがきちんと揃えば文句なしだったのに残念です。
ジェームス・マクミランの新作、交響曲第3番は、遠藤周作の小説「沈黙」に触発されて作曲させた作品だそうで、その副題も「沈黙」です。遠藤周作は日本におけるキリスト教の受容の問題を生涯のテーマとした作家ですが、マクミランのこの作品は、キリスト教の「神の沈黙」の問題よりも、洋の東西における文化の受容の違いを表現しようとした作品に感じました。単一楽章の作品ですが、構造はシンメトリックで、打楽器とイングリッシュホルンで日本的な響きを示しながら開始し、そのイメージを休み休みながら、オーケストラ全体に広げて行きます。このあたりの音楽は例えば、武満徹が文芸映画で使用したような音楽との類似性を感じました。京都を舞台として女優たちが共演するような文芸映画のバックミュージックとして坐りがいいのです。耽美的と申し上げてもよいかもしれません。中間部は日本的というよりもよりコスモポリタン的響きです。そしてまた日本的な響きに戻り、最後は吊るしたベルとイングリッシュホルンの二重奏で終ります。面白い作品でした。今回で定期公演の出演が最後になる、イングリッシュホルンの浜さんの演奏が素敵でした。
「展覧会の絵」よくやられる作品ですが、デュトワとの演奏は一味違うな、と感じます。この作品は管楽器のソロが上手くないと詰まらなくなる作品ですが、加藤さんのバス・クラリネット、岡崎さんのファゴット、磯部さんのクラリネット、松崎さんのホルンとどれも結構なものでした。関山さんの安定したトランペットの味わいはいうまでもありません。N響の管楽器のメンバーがこの10年あまりの間にいかに上手になったかを感じさせる演奏でした。華やかな音楽を華やかに演奏して見せる、という当たり前のことが、現在のN響では当たり前になっっている、ということなのだと思います。良かったです。
2003年 5月17日 第1487回定期演奏会
指揮:クシシュトフ・ペンデレツキ
曲目:メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」作品26
ペンデレツキ ヴァイオリン協奏曲第2番「メタモルフォーゼン」(1995)
ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:水谷、ホルン:松崎、トランペット:津堅、トロンボーン:神谷、ティンパニ:久保、チェレスタ:客演
弦の構成:14型、ベートーヴェンは16型
感想
ペンデレツキが20世紀後半を代表する作曲家のひとりであることは、音楽史上の常識として知っておりますが、現実に彼の音楽を親しく聴いているかと言えば、そんなことは全くありません。むしろ敬して遠ざけているというのが実態でしょう。その大作曲家がN響の指揮台に立つ。どんな音楽の作りをするのかに興味がありました。その結果は、実に真っ当な中庸な指揮をして、音楽もしっかりした構成をさししめして見せました。正直言って、一寸意外でした。
メンデルスゾーンは、やや遅目の演奏で、明確な表現だったと思います。テンポを変に動かしたりしないので全体に平板な印象でしたが、音色がくっきりとして明確で絵画的だったと思います。特に横川さんのクラリネットが良かったように思いました。
第二曲のヴァイオリン協奏曲は1995年に中部ドイツ放送交響楽団の委嘱で作曲され、アンネ・ゾフィー・ムターに献呈された曲だそうです。全体に暗い印象の曲で、メタモルフォーゼンのタイトルでもわかるように、主題がオーケストラとソリストの間で行き来するにつれてどんどん変化して行きます。この変化がどこまで楽しめるか、というのが、この曲への評価になりそうです。私にとっては若干冗長で、退屈に感じる部分もありました。基本のトーンが一貫しているので、聴いていると眠くなるのです。ソリストのジャンタル・ジュイエは、相当の難曲らしいこの作品をいかにも軽々と弾いているように見え、良かったと思いました。
ベートーヴェンは最初聴いていて、いかにも実質のある演奏だな、と思っておりました。中庸で、がっちりしていて、明確で、指揮者の個性が前面に出るというより、作品の特徴を明示するような演奏だったと思います。ペンデレツキは無理にアッチェラランドをかけたりせずにすっきりと演奏していて好感を持ちました。第二楽章は、緩徐楽章のようにはせず、この楽章がアレグレットで書かれていることを示すことを目的としたような演奏でした。スケルツォは、最初一寸速めでしたが、その後はまた普通のスピードに戻り、曲の構成を示すことに注力している様に見ました。それに対して第4楽章は徹底的に走らせました。私はこういうスリリングな演奏も好みますが、音楽的に本当にこれで良いの?と考えてしまいました。ただ、指揮者がどうあおろうとも、N響の団員は結構軽がると付いていき、指揮者の意図する音楽を技術的には全く問題なく演奏したことを付記して起きましょう。
2003年 5月22日 第1488回定期演奏会
指揮:ネッロ・サンティ
曲目:ヴェルディ レクイエム(死者のためのミサ曲)
アドリアーナ・マルフィージ(ソプラノ)
ヤーナ・ムラゾワ(メゾソプラノ)
ミロ・ソルマン(テノール)
フランコ・デ・グランディス(バス)
二期会合唱団 合唱指揮:三澤 洋史
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:山口、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:神谷、ティンパニ:石川、大太鼓:植松
弦の構成:16型、合唱:男声72名、女声92名、合計164名
感想
本日のコンサートを終えて、帰宅しようと歩いている所、聴いていたある観客のご夫婦が言っておりました。
夫「良い演奏だったね」
妻「ほんと。イタリアの音がしていた」
私は、この会話が本日の演奏を最も端的に示しているのではないかと思います。
サンティがオペラ指揮者として有名であり、ヴェルディのレクイエム自身がある意味オペラティックな作品ですから、そうなるのは予想されていたことなのですが、音楽自体がとてもオペラ的に聞こえとてもよかったと思います。言いかえるならば、サンティのヴェルディ「レクイエム」に対する意識は「歌」にあるようで、ヴェルディの「歌」の魅力を前面に押し出そうとした演奏だったように思われました。タクトを持たない左手の表情が豊かで、それを合唱に向けたり、金管に向けたり大忙しでした。
歌という意味では、まず二期会合唱団を褒めるべきでしょう。164名の混声合唱団がフォルテで歌うと、あの響きがデッドな空間のNHKホールであっても、音が飽和します。この迫力は素晴らしいものです。「怒りの日」の冒頭は、オーケストラのフォルテと合唱のフォルテとがぶつかり合ってがっぷり四つに組み、互いに一歩も譲らない、という様相を見せよかったです。N響の金管も全く動じることなく、ファンファーレ、アルペジオと余裕をもって吹いていきます。オーケストラの音は全般に立っており、曲の攻め方もクリアーで明るいもので、こういった音の出方が、先に書いた「イタリアの音」というイメージに繋がったものと推察いたします。
指揮、オーケストラ、合唱と比較すると、ソリストたちは最初明かに負けていました。しかし、どんどん調子を上げ、最後はそれらと互角の線まで戻したというのが印象です。
マルフィージは特別美声だとは思いませんでしたが、声に艶のあるソプラノリリコでよかったです。殊に、「怒りの日」の「レコレダーレ」におけるムラゾワとの二重唱は、お互い細かいニュアンスをうまく表現していて秀逸であり、また、終曲のリベラ・メでのソロは、ヴェルディのヒロインを歌うような強い声で締め、曲の有終の美を飾るのに貢献したと思います。
メゾ・ソプラノのムラゾワは、高音部が篭って延びないのが一寸残念なのと、声量がNHKホールで歌うには足りない様で、私の所まで十分な声が飛んでこないのが不満でした。しかし、細かいところのニュアンスの表現や歌の表情の表し方は、今回の四人のソリストの中で最もコントロールされており、前述のレコルダーレやアニュス・ディにおけるアカペラは二重唱を聴く楽しみを味わえました。
テノールのソルマンは美声ですが、初め声が篭って抜けて行かないところが不満でした。でも「インジェミスコ」のソロは、よく頑張っていたものと思います。
バスのグランディス。本日の歌手ナンバーワンだと思いました。声質が良くて声がよく伸び、音程が安定していてベースの安定に寄与していると思いました。「コンフターティス」のソロもさることながら、ラクリモーザの歌唱もよかったです。
オーケストラは、岡崎さんのファゴットソロ、北島さんのオーボエとそれにつくフルートの音色が殊に魅力的でした。
とにかく細かい苦情はあるものの、総じて見れば出色の演奏だったと申し上げることが出来ると思います。サンティとN響の実力に脱帽致しました。
2003年 6月14日 第1490回定期演奏会
指揮:シャルル・デユトワ
曲目:リヒャルト・シュトラウス 歌劇「エレクトラ」作品58
(演奏会形式・字幕付原語(ドイツ語)上演)
出演者
エレクトラ | : | エリザベス・コンネル(ソプラノ) |
クリテムネストラ | : | ジェーン・ヘンシェル(メゾ・ソプラノ) |
クリソテミス | : | エファ=マリア・ウェストブルック(ソプラノ) |
エギスト | : | ジークフリート・イェルザレム(テノール) |
オレスト | : | デイヴィド・ピットマン=ジェニングス(バリトン) |
オレストの守役&年老いた従者 | : | 大久保 光哉(バリトン) |
クリテムネストラの側仕えの女官&第5の召使 | : | 平井 香織(ソプラノ) |
クリテムネストラの裾持ちの女官&第4の召使 | : | 薗田 真木子(ソプラノ) |
若い使者 | : | 岡本 泰寛(テノール) |
召使頭 | : | 田中 三佐代(ソプラノ) |
第1の召使 | : | 菅 有実子(メゾ・ソプラノ) |
第2の召使 | : | 大林 智子(メゾ・ソプラノ) |
第3の召使 | : | 栗林 朋子(メゾ・ソプラノ) |
城中の家臣や女官&召使の男女 | : | 二期会 |
合唱指揮 | : | 岩村 力 |
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:山口、2ndヴァイオリン:篠崎、3rdヴァイオリン:堀江、1stヴィオラ:店村、2ndヴィオラ:小野(富)、3rdヴィオラ:大久保、1stチェロ:藤森、2ndチェロ:藤村、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:松崎、トランペット:津堅、トロンボーン:吉川、チューバ:客演、ティンパニ:久保、ハープ:早川、チェレスタ:客演
感想
デュトワの音楽監督としての最後の演奏会でした。彼は、1996年9月のシーズンより常任指揮者、98年9月より音楽監督としてN響の方向性に大きな影響を与えてまいりました。N響は昔から機能的なオーケストラでしたが、基本的にはドイツ・オーストリア系の重厚な音楽を得意とするオーケストラであったと思います。しかし、デュトワがシェフになってからはよりブリリアントな響きにすぐれたオーケストラに変身致しました。ここ1〜2年の充実は目を見張るものがあり、屑の演奏が本当に少なくなりました。10年ほど前は、弦は上手だったのですが、木管や金管は、油断するとすぐに落ちたり外したりして結構スリリングだったのですが、最近素人のお客が聴いて分かるような大外れは、滅多になくなったように思います。この辺が、オーケストラ・トレーナーとしてのデュトワの実力だったのでしょう。
そのデュトワの音楽監督として最後を飾るコンサートに選んだ曲が「エレクトラ」でした。デュトワはオペラ指揮者として活躍した経験も少なく、リヒャルト・シュトラウスをレパートリーの中核としているわけでもないのに、この難曲を選んだのは、自分のオーケストラトレーナーとしての実力を示したかったに違いないと思います。この曲がどれぐらい難曲かと言えば、かつて日本で舞台上演されたのは、1980年のウィーン国立歌劇場の引越し公演のときだけであること、演奏会形式でも全曲上演されるのが3度目で、日本のオーケストラでは初めてであることをいえば、その難度は想像がつくと思います。なにせ、通常5部の弦が9部構成になり、3つのパートに分かれるヴィオラの1パートがヴァイオリン持ち替えというのですから、物凄いです。その他にもヘッケルフォーンだのバセットホルンだのワグナーチューバだのコントラバス・トロンボーンだの滅多に見かけない楽器が使用されます。総勢110名の大オーケストラです。
そして、N響は正に名演でした。これだけ音が重なって複雑な音楽にもかかわらず、全体がクリアーに見とおせるのが驚きでした。オケは一所懸命に演奏し、フォルテは遠慮なく咆哮します。それなのに、ちっとも乱れを感じさせないのは何故なのでしょう。弦楽器の弱音時でも強奏時でも艶やかな響きが途切れない所は流石というしかありません。デュトワの演奏は、どんな音楽でもおどろおどろしくせず、オケの機能性を最大限発揮させて響きをコントロールするのが真骨頂ですが、今回の演奏もその線でいっていました。こんな難曲をこれだけ明快に聴かせてくれたというだけで、私は十分満足です。
歌手もなかなか良かったです。特に感心したのは、急にキャンセルになったフランソワーズ・ボレの代役で登場したウェストブルックでした。1994年デビュー、本格的に活躍し始めたのが2001年秋のシーズンからということですから、まだまだ若い人のようですが、中音部に厚みがあり、よく声が飛びます。NHKホールは、余程の方でないと声が発散して密度を感じることが出来ないのですが、この方はの歌には密度を感じました。歌の様式感もしっかりしているようですし、結構美貌でスタイルもよく、よかったと思います。
タイトル役のコンネルは、ドラマティック・ソプラノの第一人者という書き方がプログラムにされていましたが、細かい表現に美感を感じました。勿論フォルテの部分の実力も侮り難いものがあるのですが。この方の魅力はエレクトラというある意味では非常に下品な役柄を、ドラマティックに歌うことをせず、もっと上品に、別な言い方をすれば、デュトワの演奏の趣味に合わせて歌ったことにあるように思いました。
クリテムネストラ役のジェーン・ヘンシェルも悪くはなかったと思います。ただ、この方の歌う音の高さがどうもオケの音に隠れ易い場所のようで、歌がはっきり聞えてこないのが残念でした。しかし、コンネルとヘンシェルの二重唱は、迫力があり良かったと思います。
男声陣では、ジェニングスの歌は、声がよく飛んで良かったです。かつての大ヘルデン、イェルサレムもそれなりの魅力が感じられました。
日本陣の脇役陣、皆それぞれに頑張っていたと思います。しかし、コンネルやウェストブルックのような本物のドラマティコとは体格が全然違います。残念ながら、声がほとんど殺されていました。こういう曲を普通の日本人歌手が歌ってはいけないのだと強く思った次第です。
そういう訳で、オーケストラは本当に素晴らしいものでしたし、歌手も優れておりましたが、それでもこの演奏会は100点満点ではありませんでした。それは端的にいえば、NHKホールの問題です。NHKホールは巷間言われるほど音響の悪いホールではないのですが、音の発散し易いホールで、オーケストラ伴奏付の歌曲を演奏するときは相当の歌手に対する配慮が必要です。今回もソロ歌手たちは皆良かったと思うのですが、オーケストラの咆哮に歌が消されたり、たとえオーケストラが静かに演奏しても、声が密度をもって響いてこない部分が多々ありました。私は、今回の演奏会をオペラとしてよりも、デュトワN響の成果発表会として聴いたので、歌がはっきり聞えない不満は大きく感じなかったのですが、この演奏会をオペラとして聴いた人にとっては、結構不満に感じたのではないかと思います。このプログラムをこのコンビで新国立劇場やサントリーホールで聴いたら、恐らくもっと素晴らしい演奏会になっていたと思います。
とはいえ、少なくともデュトワN響の最後の演奏会としては大成功でしたし、ここまでN響を育ててくれたデュトワさんに一人のN響ファンとして厚く御礼申し上げたいと思います。尚、今回の定期演奏会をもって、チェロの丹羽経彦さんが停年退団となるそうです。お疲れ様でした。
2003年 7月25日 N響「夏」2003
指揮:ジェームス・ジャッド
曲目:コープランド バレエ組曲「ビリー・ザ・キッド」
ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー
ピアノ独奏:ナイダ・コール
バーンシタイン 「ウェストサイド物語」より「シンフォニック・ダンス」
ガーシュイン 「パリのアメリカ人」
ヴォーン=ウィリアムス 「グリーンスリーブス」による幻想曲(アンコール)
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:木越、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、サクソフォーン:客演、トランペット:津堅、トロンボーン:栗田、チューバ/客演、ティンパニ:久保、ハープ:早川、ピアノ/チェレスタ:客演、
弦の構成:14型、ベートーヴェンは16型
感想
N響は、幅広いレパートリーを誇るオーケストラですが、割と弱いのがアメリカ音楽です。1988年以降の定期公演プログラムを見ても、「ビリー・ザ・キッド」も「パリのアメリカ人」も演奏されたことがありません。「ラプソディ・イン・ブルー」は、1988年にスラットキンが指揮しておりますが、それ以来15年間演奏経験なしです。そのようなN響がアメリカ音楽をテーマに『N響「夏」2003』コンサートを行うというので、楽しみにしておりました。
しかし、本日の演奏は、全体的に捕らえどころのない低調なコンサートでした。楽員は服装が定期演奏会の燕尾服ではなく、普通のブラック・スーツに長いタイ。ネクタイは全体には灰色系でしたが個人個人で別のデザインと少しはカジュアルでしたが、音楽は全然カジュアルではない。このようなプログラムなのだから、楽員たちはもっと楽しそうに、場合によってはもっと羽目を外した音楽作りをしても良いかと思うのですが、全体として、硬い表情がとれない御仕事御仕事した演奏で、演奏することを楽しんでいる様子が窺えませんでした。その気分が聴き手にも伝わって来るので、聴き手も盛りあがれない。だから拍手もおざなりです。
この責任は、指揮者のジャッドが負うべきでしょう。どれもこれもジェントルでそつがないのですが、曲の本質に踏みこんでいる様子が窺えないのです。指揮ぶりを見ていても、なにか楽しそうではなく、ジャズ的フィーリングも感じられないのです。本質的に本日のようなプログラムには向いていない人なのではないでしょうか。
「ビリー・ザ・キッド」はほとんど初めて聴く曲なので、よく分からないのですが、聴いていて楽しくなかったという点では他と一緒です。「ラプソディ」は、ピアノのナイダ・コールが線の細い演奏ながらも独特のリズム感があって、この曲のフィーリングをよく表わしていたと思うのですが、掛け合うオーケストラがしかつめらしい演奏で、スウィングしないのです。トランペットなど個別の楽器では流石N響と思える所もあるのですが、全体としては重くです。ちぐはぐした感じが最後までぬぐえませんでした。
「ウェストサイド」も基本は一緒。N響の演奏は楽器を操作するテクニカルな部分では全然文句がないのですが、音楽としてのプラスアルファが全く感じられないのです。ウェストサイド物語が本質的に持っているニューヨークの不良たちの突き破るようなパワーが、演奏から感じられない。強制された躍動感はあっても自発的ではない、と申し上げても良いでしょう。
「パリのアメリカ人」も同様です。私はMGM映画の「パリのアメリカ人」のLDを持っているのですが、今日のN響の演奏ではジーン・ケリーもレスリー・キャロンも踊りたくないでしょうね。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||