NHK交響楽団定期演奏会を聴いての拙い感想-2003年(後半)
目次
2003年 9月 4日 第1493回定期演奏会 阪 哲朗指揮
2003年 9月20日 第1495回定期演奏会 飯森範親指揮
2003年10月23日 第1497回定期演奏会 準・メルクル指揮
2003年11月 8日 第1499回定期演奏会 広上淳一指揮
2003年11月28日 第1501回定期演奏会 ローター・ツァグロゼク指揮
2003年12月 6日 第1502回定期演奏会 シュテファン・ザンデルリング指揮
2003年12月11日 第1503回定期演奏会 マッシモ・ザネッティ指揮
2003年 9月 4日 第1493回定期演奏会
指揮:阪 哲朗
曲目:メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲 作品21
ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調 作品11
ピアノ独奏 ユンディ・リ
シューマン 交響曲第1番変ロ長調作品38「春」
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川崎、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、チューバ:客演、ティンパニ:植松
弦の構成:メンデルスゾーン、ショパン:14型、シューマン:16型。
感想
2003年/2004年のシーズンが始まりました。このシーズンは、デュトワN響からアシュケナージN響に代る端境期で、久しぶりに首席指揮者や音楽監督がいないシーズンとなります。それにしてもこの二箇月の夏休みの間、N響は随分陣容が変わりました。まず、非常に残念なことですが、ホルンの一色隆雄さんが亡くなられました。また、トロンボーンの首席奏者・神谷敏さんが退団なさいました。チェロの丹羽経彦さん、ヴィオラの梯孝則さんが定年で退団なさいました。これまでも自己都合で退団なさる方や定年退団なされる方はいたわけですが、一度にこれだけ多くの人が抜けられたのは、一寸ないことではないかと思います。一方で、定年で退団した団員の嘱託採用制度も始まったようで、丹羽、梯の他、最近退団された打楽器の瀬戸川正さんとオーボエの浜道晁さんが嘱託になられたようです。N響も少しずつ少しずつ変わって行きます。
このような変化が始まったN響の新シーズンのトップバッターを勤める指揮者は、日本人の若手で最近の注目株・阪哲朗です。評判は随分聞いておりましたが、私が実際聴くのは初めてです。まだ35歳の若手。N響の団員で彼より若いメンバーは20人といないのですから、彼自身は結構緊張していたのではないかと思います。最初の「真夏の夜の夢」の序曲は、全体として一寸硬めの演奏でした。悪くはないのですが、メンデルスゾーンの音楽が持っている伸びやかな雰囲気を十全に表現出来たかと言えば、一寸疑問符をつけざるを得ません。
次は2000年のショパンコンクールの優勝者、ユンディ・リをソリストに迎えたショパンのピアノ協奏曲第1番。リの技巧は流石です。これは誉めないわけにはいきません。また、音楽的なポテンシャルも高い人のように思いました。しかし、彼は戦略を誤ったと思います。あるいはコンセプトの詰めの甘い演奏をやってしまったと思うのです。彼の一番の持ち味は大陸的な大らかなところだと思います。かれがゆったりと演奏すると、ふくよかな音楽が流れ、ユーラシア大陸の東西、ショパンのポーランドとリの中国とが上手くシンクロしてとても魅力的な音楽になります。この大陸的な大らかさに特化して音楽を組み立てて行けば、特徴的な「リ」の音楽になったに違いありません。
しかし、彼はサーヴィス精神旺盛で、自分の持つ技巧をこれみよがしにどんどん出してきます。個々にはとても上手だと素直に思えるのですが、音楽全体として見るとじつに小賢しい。褒めれば多面的な演奏ということになるのでしょうが、その一貫性のなさが、彼の魅力を削ぎ落したように思います。
シューマンの「春」交響曲はよい演奏でした。私はこの作品が割合好きなのですが、どうも演奏会との相性が悪いらしく、N響で聴くのは初めてです。阪哲朗は、このシューマンをすっきりと聴かせてくれました。第1楽章などは棒さばきが硬いのですが、紡ぎ出される音楽は切れがよく、早春の爽やかな雰囲気を感じさせてくれました。第二楽章は一転して柔らかく、スケルツォもまた切れの良さが目立つ、いかにも若さが溢れる「春」でした。阪はリタルダンドを多用するなどテンポを結構動かすのですが、それが嫌味にならないところが素晴らしいと思いました。N響初登場でこれだけの演奏を聴かせてくれた阪は、正に若手指揮者のホープといって良いのではないでしょうか。かつて広上淳一がN響にデビューしたとき、私は彼の才能に大きく感心いたしましたが、この阪哲朗の「春」もまた、新しい才能に出会えたときの心のときめきを覚える演奏でした。
2003年 9月20日 第1495回定期演奏会
指揮:飯森 範親
曲目:チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35
ヴァイオリン独奏 アナスタシア・チェボタリョーワ
マーラー 交響曲第1番ニ長調「巨人」
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:山口、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:池松、フルート:中野、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:松崎、トランペット:津堅、トロンボーン:客演、チューバ:多戸、ハープ:早川、ティンパニ:石川
弦の構成:チャイコフスキー:14型、マーラー:16型。
感想
2003年/2004年のシーズンの9月の定期演奏会は若手日本人指揮者の登場シリーズ。阪哲朗、岩村力、と来て最後が飯森範親です。飯森は優男風の二枚目で、追っかけファンもいるそうです(そう言えば、本日の指定席も売切れだったらしい)が、1963年生まれの40歳。押しも押されもせぬ中堅指揮者です。先日の東京交響楽団の演奏会を切符売切れのため聴きそこなったので、私が舞台上のオーケストラを振る飯森を聴くのは初めてです。二月の二期会「カルメン」の指揮がなかなか良かった印象があるので、今回も期待して出かけました。
第1曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。名曲の誉れ高い曲ですが、一つ間違えると「甘さ」が強調されて、甘ったるいだけの演奏になり勝ちです。チェボタリョウーワは、美貌の持ち主ですが、体付きがしっかりしていて、紡ぎ出される音楽も美音というよりはふくよかではあるけれども陰影のある音色に特徴があります。従って、彼女が演奏すると、チャイコフスキーの持っている本質的甘さが控えめになって、実に快適です。歌うべき所は十分に歌っているのですが、骨格がしっかりしているせいか流されない。非常によい演奏でした。
第2楽章のアンダンテは、ロシアのローカル色が一番濃い所ですが、彼女の感性にフィットするらしく歌が伸びやかです。アタッカで続く第3楽章は、技巧を明示して颯爽としたもの。N響の伴奏もいつもながら見事なもので、特に第3楽章の第2主題をオーボエ、クラリネット、ファゴット、独奏ヴァイオリンと渡していくあたりの技は特に感心致しました。
対するマーラーの「巨人」は、よく分からない、意図の見えない演奏でした。第1楽章はすっきりとした表現で、曲の構成や中音部の様子が見渡せるもので、こういう解析的行きかたでマーラーの音楽を表現するのか、という感じでおりましたが、そういうスタンスが一貫しない。ちなみに、私はすっきりとしたマーラーを好むものではないのですが、一貫していればそれも良し、です。しかし、楽章を経る毎に、演奏の様子が変わって行きます。全体として起承転結のように後から見て理解出来るように変わるのであれば良いのですが、行き方がばらばらで、散漫な印象を持ちました。また、管と弦とで音色も音量もタイミングも微妙なずれがあって、しっくりこない違和感がずっとつきまといます。個々の部分は、ヴィオラのユニゾンが一糸乱れず演奏したであるとか、音楽のダイナミックレンジが幅広いとか感心した部分もあるのですが、曲全体でみると、散漫です。
音楽が音楽ですから、随分ブラボーを貰っておりましたが、私には納得の行かない演奏で終りました。
2003年10月23日 第1497回定期演奏会
指揮:準・メルクル
曲目:マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:ミカエラ・カウネ/メゾソプラノ:リオバ・ブラウン
合唱:二期会合唱団(女声:54名、男声:66名) 合唱指揮:森口真司
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:岡崎、ホルン:松崎、トランペット:津堅、トロンボーン:客演、チューバ:客演、ハープ:早川、ティンパニ:久保、オルガン:客演
弦の構成:16型。
感想
準・メルクルはN響に初めて客演した1997年以来、ずっと好感をもって聴いて来た指揮者です。彼は非常に音楽性の高い指揮者で、聴きがいの高い方で、本年の新国立劇場「ジークフリート」に対する音楽のつけ方などは、ただただ感心するのみでありました。そのメルクルがマーラー「復活」を演奏するとなれば、期待せずにはいられません。楽しみに出かけました。
聴き終わった今感じるのは、もちろん悪い演奏ではなかったのですが、彼の本領を発揮した演奏では無かったのではないか、ということです。オーケストラのメンバーの支持も高かったようですし、お客さんからも物凄いブラボーでした。しかし、私にはあの緻密だけれども溌剌とした準・メルクルらしさがはっきりと見えない演奏のように思うのです。一寸緩んだ演奏とでも申しあげたらよいのでしょうか。
長い曲ですから、無事故で演奏するのは大変なのでしょうが、N響にしては細かいミスが目立ちました。アインザッツが揃っていないところもありました。弦の音の艶やかさも今一つのように思いました。特に、弱音で息長く演奏すべき部分に問題が目立ちました。美しく無いのです。第1楽章などは、曲の息の長さにつききれず、落ちつかなくなってしまうところもありました。逆にフォルテで咆哮する部分は重量感があり、力強さといい、ダイナミックな広がりといい文句なしなのですが、弱音部が弱いので、全体としてがさつな印象が拭い切れません。
そういう訳で、全体の構成などに取りたてて異論はないのですが、私がこれまで聴いたメルクルの演奏の中では、最も支持したくない演奏に終りました。
二人のソリストは、どちらも声が良く飛び、明瞭で感心致しました。特にメゾのブラウン。第4楽章のソロを、実に荘重にそれでありながら艶やかに歌って見せてくれて、大いに感心致しました。ソプラノのカウネは、ブラウンの魅力と比較すると一寸落ちますが、天使的な美声を持ち、良かったと思います。合唱も悪くなかったのですが、遅いフレーズの入りがばらばらで、そこがマイナスです。
指揮:広上淳一
曲目:プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
ヴァイオリン独奏:ボリス・ベルキン
マーラー 交響曲「大地の歌」
メゾソプラノ:加納悦子/テノール:ドナルド・リタカー
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:山口、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:川ア、チェロ:藤森、ベース:池松、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:樋口、トランペット:関山、トロンボーン:栗田、チューバ:多戸、ハープ:早川、ティンパニ:久保、マンドリン:客演、チェレスタ:客演
弦の構成:プロコフィエフ:12型/マーラー:16型。
感想
日本人の若手・中堅指揮者には、いわゆるイケ面指揮者が数多くいます。大野和士しかり、飯森範親しかり、大友直人もそうですね。そういう中にあって、広上淳一は見た目は典型的おっさんです。頭頂部は地肌が露出していますし、割と小男でおなかも出ているのではないかしら。しかし、その音楽的才能は、同年代指揮者随一の実力者であると昔から評価しております。彼を初めて聴いてからそろそろ15年になろうとしています。その間いつも素晴らしい演奏を聴いて来た訳ではないのですが、いつも主張のわかり易い演奏である所に特徴がありました。このような演奏は、スタイリッシュではあるけれど、指揮者の個性が浮き立たない演奏よりもずっと良いことであると思っております。
今回彼のオーケストラ演奏を久しぶりで聴いたのですが、広上の本質は全然変っていないな、というのがまず最初の印象です。若いころの指揮台の上で見せた激しい「踊り」こそ影をひそめたものの、本質的に理詰めで、聴き手に理解し易い音楽の組み立ては全く変っていませんでした。むしろ、経験を積んだだけあって、「広上の聴かせ方」というものがより明確に出ていたのではないかと思います。
プロコフィエフとマーラーは、本来違うアプローチが可能な作曲家だと思うのですが、広上は同じベクトル上に存在する作曲家として扱った様です。両作品とも基本的には柔らかい音楽としてのアプローチ。柔らかいけれどもしっかりしていて、空虚な柔らかさではなく、充填された中身自身が弾力をもった柔らかさの音楽でした。別の言い方をすれば、柔らかかったけれど、精緻な音楽づくりに特徴があったように思います。
プロコフィエフは、緩-急-緩の三楽章構成ですが、元気なスケルツォ楽章である第二楽章も、その精緻な音楽づくりを壊さない範囲での「急」であり、全体のバランスが良く取れていたと思います。ソリストのベルキンは、美音ではなく、情緒にも流されることなく、しっかりと充実した音楽づくりで、感心致しました。プロコフィエフを得意とするヴァイオリニストだけのことはあります。
マーラーも実に良い演奏でした。構成がクリアでメリハリがついております。テクニカルには、フルートの神田さん、オーボエの北島さん、クラリネットの磯部さん、バス・クラリネットの加藤さん、ホルンの樋口さんなどが絶妙の音色で演奏してくれました。勿論「大地の歌」で一番聴かなければならないのは歌ですが、そこでは加納悦子が抜群の歌唱を披露しました。中国の詩とその描く東洋的死生観とマーラーの音楽の双方に造詣のある日本人の強みを生かした歌唱なのでしょう。第二楽章「秋に一人寂しき者」の寂寥感、第四楽章「美について」の東洋的美観の表現、そして、最終楽章「告別」の「輪廻」を背景とした落着きのある寂寥感。落ちついた音色で、どれも深みと広がりとを感じさせられる正に納得のいく歌唱でした。久々に目頭が熱くなりました。
加納から比べるとテノールのリタカーの歌は技術的にも問題がありましたし、内容理解の上でも表面的であまり感心いたしませんでした。広上の柔らかい演奏についていけなかった様で、声の強弱のつけ方などは随分ギクシャクとしていました。
指揮:ローター・ツァグロゼク
曲目:メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」作品26
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 作品56a
マーラー 交響曲第4番ト長調
ソプラノ独唱:クラウディア・バラインスキー
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:堀江、ヴィオラ:店村、チェロ:木越、ベース:池松、フルート:神田、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、ハープ:早川、ティンパニ:石川
弦の構成:メンデルスゾーン、ブラームス:14型/マーラー:16型。
感想
私は全く知らなかったのですが、ツァグロゼクは、ドイツで評判の指揮者だそうです。現在ドイツで最もヴィヴィッドな活動で評判のシュトゥットガルト歌劇場の音楽聡監督で、ここ5年のうち4回、ドイツの「オペラハウス・オブ・ザ・イヤー」選出の原動力になっているそうですし、彼自身も2回「コンダクター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれているそうです。そういう予備知識を全く持たずに聴いていて、この方、随分個性の強い演奏をする方だな、と思いました。
まず感じたのは、彼はオペラ指揮者なのだ、ということです。端的に視覚的な音楽の作りをしますし、視覚的作品のほうが聴きごたえのある演奏をしてくれます。最初の「フィンガルの洞窟」がそう。テンポも大胆に動かしますし、強弱のつけ方もメリハリがあります。結果として絵画的作品がより絵画的に表出され、それも描線がくっきりと鮮やかな「フィンガルの洞窟」となりました。しかし、その描画は平面的ではなく立体的でした。僅か10分ほどの小品ですが、聴きごたえのある演奏だったと思います。
反面絵画的様相の少ない「ハイドン・ヴァリエーション」は、一転してつまらない演奏。主題は結構濃密で、ヴァリエーションが楽しみだったのですが、変奏に入ると、全体としての盛りあがりの方向が見えない。部分部分はそれなりに聴かせるものがあるのですが、全体を通すと、平板な演奏で面白みを感じることが出来ませんでした。
メインのマーラー。必ずしも私の好みのスタイルではないのですが、主張が一貫しており、こういうマーラーを支持する人が多数いることは理解出来る、そんな演奏でした。全体的な味わいは人工的な感じで、世紀末の混沌とした雰囲気を推測させるような演奏でした。こうは書きましたが,演奏自体は実にクリアで明晰なもの。ただそこに隠れた偽物臭さというか薄っぺらな味わいが聞こえて来るのです。勿論、こういう味わいをきちっと示せるのは大したものであります。指揮者の力量を評価しないわけにはまいりません。
オーケストラは基本的に柔らかく、弱音に注意が払われている所が特徴的でした。テンポを楽章の中でも自在に動かします。特に第三楽章のクライマックスは意識して遅く振って、息の長い弱音を響かせようとしたようです。もっとも遅く演奏するところは、指揮者の息の長さについて行けず、オーケストラが細かく乱れていたようです。一方で推進させる所は早めに進めて、全体で見ると音の強弱のダイナミクスではなく、スピードの動かし方のダイナミクスで、曲全体を立体的に示していたようです。
第4楽章のソプラノ・ソロは今一つ。綺麗な声のソプラノですが、意識して声をセーヴしているのかも知れませんが、全然飛んでこない。もう少し響かせてくれないと、「大いなる喜び」を感じることが出来ません。残念なところでした。
指揮:シュテファン・ザンデルリング
曲目:ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26
ヴァイオリン独奏:ウート・ウーギ
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 作品47
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:篠崎、2ndヴァイオリン:堀江、ヴィオラ:川崎、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:神田、オーボエ:茂木、クラリネット:磯部、バスーン:水谷、ホルン:松崎、トランペット:関山、トロンボーン:客演、チューバ:客演、ハープ:早川、ティンパニ:久保、ピアノ/チェレスタ:客演
弦の構成:ブルッフ12型/ショスタコーヴィチ:16型(但しヴィオラは11人)。
感想
例外はきっとあるのでしょうが、親子で指揮者というと、子供のほうが才能がある場合が多いようです。逆に親父に勝てる見通しが無ければ指揮者なんかにならないということかも知れません。クライバー親子然り、ネーメととパーヴォのヤルヴィ親子も然りです。ザンデルリングの場合は実際どうなのでしょう。
ちなみに、クルト・ザンデルリングという指揮者を私は名前しか知りません。1970年代当時の東ドイツのシュターツカペレ・ドレスデンで活躍した方だそうですが、当時私は貧乏学生でしたので、レコードを買うとなれば、徹底的に吟味し、これぞというものを購入しておりましたので、ザンデルリングまではとても至らなかった。ものの本によると、クルトは、1935年から60年までレニングラード・フィルに所属し、ムラヴィンスキーの元で研鑚を積んだそうです。言うまでもなくムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの作品を最もよく演奏した指揮者ですから、クルトのレパートリーの中核にショスタコは常にあったようです。息子が親父の得意曲を演奏する、これまたカルロス・クライバーが、エーリッヒのレパートリーを演奏していったのを彷彿とさせるようで、何かいいものを感じます。
シュテファンを聴いて思うのは、随分考えた演奏をしているな、と言うことです。メインのショスタコーヴィチの第5交響曲のスコアは父親のものだったそうですが、そこから紡ぎ出される音楽は、私がこれまで聴いてきたショスタコの5番とは、全く違った印象を与えるものでした。ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』によって変えられて来たショスタコ解釈ですが、今回の解釈は、その変えられてきたショスタコの解釈を更にもう一段深めると言うか、また捻るというか、私がこれまで聴いて来たショスタコの第5番とは全く違った音楽でした。
ブラボーは一部貰っておりましたが、総じて観客の感じは戸惑って拍手していた様子です。私も相当な戸惑いを感じましたが、悪い音楽では全くありませんでした。全体的に重い演奏で綴っているのですが、細かな部分はN響奏者のヴィルトゥオジティもあって明晰です。第2楽章のスケルツォは全体的には諧謔性が乏しい演奏だったと思うのですが、篠崎さんの独奏ヴァイオリンと管楽器との掛け合いなどは、聴きごたえが十分にありました。第3楽章のラルゴも静謐な音楽でした。しかしながら、ハープ、フルート、オーボエ、クラリネットの表情は豊かで、静かな音楽の上に広がるとき、非常に魅力的でした。第4楽章は一転して激しい音楽、荒々しい導入部と柔らかな中間部とのコントラストが見事でした。
このような音楽は恐らく楽譜をデフォルメしたところに出て来ているのだろうな、と思います。良くも悪しくも指揮者の主張がはっきり出た演奏でした。
第一曲目のブルッフのヴァイオリン協奏曲。ウート・ウーギの技術をまず褒めるべきなのでしょう。決してヴィルトゥオジティを誇示するような演奏ではないのですが、この作品の持つ「歌」をしっかりと表現したようです。豊かな「歌」が広がる反面、スピードは遅い感じで、全体的には一寸重い演奏でした。この重さは、次のショスタコを聴いた感じからすると、指揮者のテンポ感覚なのかな、という気がいたします。ウーギ自身はもう少し速いテンポのほうがまとめやすかったのではないかしら。アンコールでパガニーニ(ミルシュテイン編曲のものらしいですが掲示を見てこなかったので詳細は不明)を弾きましたが、こちらはコンチェルトより更に名演。堪能致しました。
指揮:マッシモ・ザネッティ
曲目:モーツァルト 交響曲第27番 ト短調 K.199
マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調
オーケストラの主要なメンバー(敬称略)
コンマス:堀、2ndヴァイオリン:永峰、ヴィオラ:店村、チェロ:藤森、ベース:西田、フルート:中野、オーボエ:北島、クラリネット:横川、バスーン:岡崎、ホルン:樋口、トランペット:津堅、トロンボーン:客演、チューバ:多戸、ハープ:早川、ティンパニ:客演(シュトゥトガルト放送交響楽団首席:ノルベルト・シュミット=ラウクスマン)
弦の構成:モーツァルト:10型/マーラー:16型
感想
N響は「大指揮者好み」のオーケストラですが、たまに若手指揮者を招聘して指揮させます。今月がその「世界の若手指揮者シリーズ」。これは、世界の有能な若手指揮者を知るためには欠かせないプログラムで、我々が準・メルクルの才能を知ったのも、アラン・ギルバートの実力を確認したのも数年前の「世界の若手指揮者シリーズ」でした。本年は、シュテファン・ザンデルリング、マルク・アルブレヒト、そして本日のマッシモ・ザネッティの三人。特に本日は、オペラハウスでキャリアを磨いたザネッティですので、その劇的な表現に期待して聴きに出かけました。
それで演奏ですが、端的に申しあげれば、指揮者の意図が空廻りした演奏会だったと申し上げます。ザネッティは随分考えてこのコンサートに臨んだと思います。オーケストラの弦の配置を第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順(これは数年前までのN響のポジションです)に並べましたし、マーラーの5番の第3楽章では、ホルンの首席奏者である樋口さんを、協奏曲のソリストのように、舞台のまん前に出して演奏させました。こういった新機軸は、彼の意気込みを示すのに十分なものだったと思いますが、だからと言って、彼の意気込みがオーケストラとよく噛み合っていたかと申し上げるならば、そうではなかったと言うところでしょう。
モーツァルトの27番の交響曲。実演を聴くのは初めての経験です。ザネッティの演奏は表情豊かなもので、オーケストラを歌わせます。だから良い演奏かといえば、そんなことはない。私には表情過多な演奏でした。モーツァルトの初期の交響曲は指揮者を想定しないで書かれています。コンサートマスターの指示で演奏するような作品です。そういう曲はもっとあっさりと演奏されることを想定されていると思うのです。私には違和感がありました。
メインのマーラー。これも指揮者は表情豊かに演奏しようとしていたと思います。でもその姿勢が音楽の内面に切り込んで行くような意識ではなくむしろ表面を撫でているような演奏にきこえました。マーラーの5番は非常に混沌とした作品だと思うのですが、彼の演奏は混沌とした表現で示す部分とそうでない部分が明確に分かれる感じがあります。クリアで見通しの良い演奏ですが、マーラーの持つ多様性というか重層性が逆に無視されているように思われます。
グロテスクな部分も気がついたらグロテスクというような、薄気味悪い演奏ではなく、「ここからグロテスク」とはっきり区別した演奏にきこえます。結果として私は第一、二楽章を余り楽しむことはできませんでした。それに対して第三楽章は、ホルンの樋口さんが前に出てきたこともあって、N響の本領が発揮されました。ようやく指揮者のベクトルとオーケストラのそれとが合った感じでした。続く第四楽章も表情豊かなアダージェットでした。テンポも強弱も細かく動かし、全体として陰影の深い演奏となりました。
最後の第五楽章はまた上滑りの演奏。指揮者は思い入れをもって一所懸命に指揮をしているのは分かるのですが、その思いがオーケストラに伝わらず一人相撲を取っている感じでした。オーケストラの技術。これはいつもながら見事なもの。ホルンの樋口さんばかりではなく、最初のファンファーレを吹いたトランペットの津堅さん。ファゴットセクション、オーボエ、クラリネット皆見事でした。また、シュミット=ラウクスマンさんのティンパニも細かい表情のつけ方に感心致しました。
結論的に申し上げれば、指揮者の個性が明確に示された演奏会にはなりませんでしたが、オーケストラの機能性故、破綻することなくまとまった演奏で終りました。
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