オペラに行って参りました-2008年(その4)

目次

レパートリー   2008年09月15日   村上敏明テノールコンサート」を聴く
「道化師」の世界   2008年10月01日   新国立劇場「トゥーランドット」を聴く
丁寧だけれど楽しくない   2008年10月12日   昭和音楽大学「夢遊病の娘」を聴く
これこそお買い得   2008年10月19日   国立音楽大学大学院オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く
アイディアマン、ハイドン   2008年10月23日   北とぴあ国際音楽祭2008「騎士オルランド」を聴く
新しい人材は育成されるか?   2008年10月24日   日本オペラ連盟人材育成オペラ公演「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く
何となくちぐはぐです   2008年10月31日   新国立劇場「リゴレット」を聴く
若い力の素晴らしさ   2008年11月09日   Nissay Opera2008「魔笛」を聴く
函を越えた声   2008年11月10日   ドラマティック オペラコンサート「今聴かせたい歌手たち」を聴く
チェコ語と調性   2008年11月20日   日生劇場/東京二期会「マクロプロス家の事」を聴く
フロッシュのいないこうもり   2008年12月3日   グルックスタジオ「こうもり」を聴く
デュトワ/N響の力量   2008年12月7日   NHK交響楽団定期演奏会「エディプス王」を聴く
デモーニッシュということ   2008年12月11日   新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」を聴く
お誕生日のオペラ   2008年12月22日   イタリア文化会館「ジャンニ・スキッキ」を聴く

オペラに行って参りました2008年その3へ
オペラに行って参りました2008年その2へ
オペラに行って参りました2008年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2007年へ
オペラに行って参りました2007年その3ヘ
オペラに行って参りました2007年その2ヘ
オペラに行って参りました2007年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2006年へ
オペラに行って参りました2006年その3へ
オペラに行って参りました2006年その2へ
オペラに行って参りました2006年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2005年へ
オペラに行って参りました2005年その3へ
オペラに行って参りました2005年その2へ
オペラに行って参りました2005年その1へ
どくたーTのオペラベスト3 2004年へ
オペラに行って参りました2004年その3へ
オペラに行って参りました2004年その2へ
オペラに行って参りました2004年その1へ
オペラに行って参りました2003年その3へ
オペラに行って参りました2003年その2へ
オペラに行って参りました2003年その1へ
オペラに行って参りました2002年その3へ
オペラに行って参りました2002年その2へ
オペラに行って参りました2002年その1へ
オペラに行って参りました2001年後半へ
オペラへ行って参りました2001年前半へ
オペラに行って参りました2000年へ 

鑑賞日:2008915

入場料: 1000円 自由席

主催:日野市/日野市教育委員会/日野市市民会館文化事業協会

-親子で楽しむコンサート-
村上敏明テノールコンサート
ピアノ伴奏:仲田淳也

会場 日野市民会館大ホール

プログラム

プッチーニ 歌劇「トスカ」より 妙なる調和
星は光りぬ
歌劇「蝶々夫人」より 間奏曲(ピアノ独奏)
歌劇「ラ・ボエーム」より 冷たい手を
歌劇「マノン・レスコー」より 間奏曲(ピアノ独奏)
歌劇「トゥーランドット」より 誰も寝てはならぬ
休憩
クルディス   帰れソレントヘ
  忘れな草
カルディッロ   つれない心(カタリ)
久石 譲 映画「天空の城ラピュタ」より 君を乗せて(ピアノ独奏)
映画「となりのトトロ」より さんぽ
映画「もののけ姫」より もののけ姫
ワーク   大きな古時計
春野 道哉   みんなのうみ
新井 満   千の風に乗って
ピアソラ   ミケランジェロ'70(ピアノ独奏)
サルトーリ   君と旅立とう
アンコール
ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より 風の中の羽根のように
武満 徹   小さな空
ララ   グラナダ
村井 邦彦   翼をください
ディ・カプア   オー・ソレ・ミオ
村井 邦彦   翼をください

「帰れソレントヘ」、「忘れな草」、「つれない心」は、女声合唱団「花野会」(指揮:押切貞子)との共演。編曲:安藤由布樹

アンコール曲:「翼をください」は、日野の子供40人との共演。

感 想

レパートリー−「村上敏明テノールコンサート」を聴く

 日野市は芸術文化とはあまり縁のなさそうな街なのですが、藤原歌劇団のテノール、村上敏明さんが日野出身ということもあって、市長が「藝術文化の薫る町」を打ち出しました。そして、その一枚看板・村上敏明のコンサートが行われました。今回のコンサートは、「親子で楽しむコンサート」と題して、子供にも親しみやすい曲をたくさん入れてのコンサート。アンコールでは「翼をください」を歌うことが随分前に市報でアナウンスされ、共演希望の子供たちを募集しました。集まった子供が約40人でした。それ以外にも子供の観客が比較的多く、「親子で楽しむコンサート」という目的は達成されたのではないかと思います。

 プログラムは、前半にプッチーニのオペラアリアを置き、後半にはカンツォーネと子供向きの作品を並べたもの。コンサートの楽しさという点では、圧倒的に後半が良かったと思います。

 というのは、オペラ・アリアとカンツォーネは、いつものレパートリーの焼き直し、という感じがするからです。私はこの3年間に村上のコンサートを3回聴き、そのほかにもプライベートな会合で彼が歌うのも聴いたことがあります。そこで歌うのは、プッチーニと「女心の歌」、カンツォーネで大体決まっています。同じ曲を何度も繰り返して歌えば、それなりに表現も深まり、勿論結構なことですが、「女心の歌」、「誰も寝てはならぬ」など3年連続で聴いているので、そろそろ別な曲でも良いのでは、と思ってしまいます。とはいうものの、「女心の歌」、「誰も寝てはならぬ」は、村上の特に得意とするレパートリーのようで、どちらも素晴らしいものでした。

 休憩後のカンツォーネ3曲は、ソロではなく女声合唱が入ったヴァージョン。毎年同じじゃいけないという意識で女声合唱を加えたのかどうか分りませんが、目先が変わったことだけは間違いありません。でも、それが成功したかどうかといえば結構疑問です。私は村上だけのソロで歌われたほうが良いのではないかという気が致します。

 後半はまず、ジブリ・シリーズ。これがいい。「さんぽ」は子供が歌う易しい曲ですが、村上はそういう曲であってもしっかりと歌います。村上も女の子をもつお父さんな訳ですが、家で、お子さんをお風呂に入れながら「さんぽ」を歌っているのかしら。そういう気分が濃厚な歌でよかったです。次の「もののけ姫」はカウンターテナーの米良良一が歌ってヒットした曲ですが、正統テノールが歌うことによって、米良の歌うときのおどろおどろしさが消え、すっきりとしたたたずまいになって、私はこちらの方が好きだと思いました。

 その後のNHK「みんなの歌」で取り上げられたチューブ春野道哉作曲の「みんなのうみ」がまた結構でしたし、サルトーリのカンツォーネも楽しめました。村上は、マイクを持って曲紹介をしながら歌うのですが(歌うときはマイクを使いません。念のため)、その語り口が軽妙でそこもまた結構なところです。そういう社交性が村上のレパートリーを広げているのだろうと思いました。

 アンコールは、「女心の歌」に始まり、武満徹の「小さな空」(この作品も村上は好きなようで、昨年に引き続き歌われました)、本邦初公開の「グラナダ」と続きます。村上にとって、グラナダは本邦初公開ということもあって、やや緊張も窺えたのですが、歌い終わってみれば、流石村上。日本のドミンゴとでも言うべき雰囲気でした。それから、日野市の小中学生と合唱した「翼をください」、日野でしか見ることの出来ない日野三大テノール(村上敏雄、宣也、敏明)による「オー・ソレ・ミオ」と続きます。この辺は確かに楽しさ満開のコンサートで、私も楽しめました。

 そんなわけで、約二時間半、十分に楽しめたコンサートでした。もし苦言を申し上げるのであれば、オペラ・アリアとカンツォーネについては、新たなレパートリーを早く示してほしい。それだけです。敬老の日の昼間に聴くコンサート。ゆったりとしていて、気持の良い時間を過ごせました。

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観劇日:200810月1日
入場料:
C席 7650円 4F 2列34番

平成20年度(第63回)文化庁芸術祭主催公演

文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場主催

2008/2009シーズンオープニング公演
プッチーニ作曲「トゥーランドット」
(TURANDOT)
台本:ジュゼッペ・アダミ/レナート・シモーニ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮 アントネッロ・アッレマンディ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
児童合唱 NHK東京児童合唱団
児童合唱指導 金田 典子
演出・照明 ヘニング・ブロックハウス
美術・衣裳 エツィオ・トフォルッティ
振付 マリナ・クリスティーナ・マダウ
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 大澤 裕

出演者

トゥーランドット イレーネ・テオリン
カラフ ヴァルテル・フラッカーロ
リュー 浜田 理恵
ティムール 妻屋 秀和
アルトゥム皇帝 五郎部 俊朗
ピン 萩原 潤
パン 経種 廉彦
ポン 小貫 岩夫
官吏 青山 貴
ペルシャの王子の声 渡辺 文智
侍女T 黒澤 明子
侍女U 小黒 三佳代
クラウン(マイム) ジーン・メニング

 

感 想 「道化師」の世界-新国立劇場「トゥーランドット」を聴く

 「トゥーランドット」は祝祭的なオペラですから、シーズンのオープニングにふさわしいのでしょう。新国立劇場では、2001-2002年シーズンの開幕を飾ったのがこの作品でした。このときの舞台は、マチェラータ野外オペラで1996年にプレミエを迎えたプロダクションで、その後ボローニャ歌劇場で使われているものを借りてきました。このプロダクションを私個人としてはなかなか気に入っていたのですが、新国立劇場では再演されず、7年ぶりの再登場では、新しい舞台のプレミエとなりました。演出は、ブロックハウス。

 ブロックハウスの演出の意図はパンフレットに書かれていますが、実際に見た感じで言えば、田舎芝居を意図しているように思いました。舞台は1920年代(これはブロックハウスの言葉)のイタリアの田舎の広場です。そこに旅回りの一座がやってきて「トゥーランドット」という寓話劇を上演する、と申し上げたら良いのでしょう。本来の舞台である中国的な印象はかなり抑えた上演だったと思います。最初無音の中で幕が開き、何もない広場に人々が集まり、旅回りの舞台となる車がやってきます。この広場の後にはメリーゴーランドやブランコがあり、たくさんの屋台も出ています。舞台の準備が整うと、お祭りのような広場の中で、ようやく「トゥーランドット」がはじまります。

 ブロックハウスは、オープニングからリューの死に至る、プッチーニの作曲した部分を仮面劇として演出し、その後のアルファーノの補筆した部分では、登場人物は1920年代のヨーロッパのファッションで登場し、フィナーレを飾ります。この舞台でまず思ったのは、レオンカヴァッロ「道化師」の舞台を想像させるな、ということです。まずは仮面劇ですし、三人の大臣、ピン・パン・ポンにしてもピエロの格好で登場します。そういった様子を見ても中国を意識した舞台というより、イタリアの田舎芝居でした。

 ちなみに広場はごちゃごちゃしていて、おもちゃ箱をひっくり返したみたい。そこも田舎の広場で開かれたお祭りで上演される旅回り芝居の印象を助長するものでした。

 音楽は一言で申し上げれば、荒削りであったと思います。音が大きく、彫りも深いのですが、やすりのかけ方が不十分なので、あちらこちらに棘や引っ掛かりが感じられるものでした。これは初日だからでしょう。回数が増えれば、すり合っていくと思います。

 アッレマンディの指揮は、デュナーミクを意識した迫力を前面に出したものでした。「トゥーランドット」はイタリアオペラの中で最もドラマティックな表情を要求される作品のひとつですが、アッレマンディは、オーケストラの音色をドラマティックにすることに意識を置いていたようです。それが第一幕ではあまり成功していなかったように思いますが、中盤や後半は、その生き生きとした響きが締まった音楽の形成に有効に示されておりました。東フィルの演奏も、細かいざらつきは沢山あったのですが、全体としては精気に満ちた演奏で結構だったと思います。

 歌手陣は、パワーで押し捲った外人勢とそれに立ち向かえなかった日本勢、というのが本当のところでしょう。まず、タイトルロールのテオリンがなかなかの出来でした。登場のシーンなどは音がこなれておらず今ひとつだったのですが、カラフとのやり取りがはじまると、声の迫力は流石です。もう少し丁寧に歌っていただければ、もっと良かったと思うのですが、硬さが取れた3幕の歌唱は見事なものでした。

 カラフのフラッカーロも迫力だけはテオリンに負けておりません。その咆哮は大したものです。従って、トゥーランドットとカラフがぶつかり合う場面では、両者の歌唱が四つに組んでぶつかり合い、ドラマティックなオペラの醍醐味を味あわせていただいたと思います。しかしながら、高音の伸びは今ひとつで、「誰も寝てはならぬ」では、勝利を確信する喜びの華やかさが今ひとつ欠いていたように思われます。

 テオリンとフラッカーロ。この二人がブルドーザーのようなパワーでオペラを引っ張ります。アッレマンディも東フィルも或いは合唱もこのパワーを基準に音を出します。そうなるとつらいのは日本人歌手です。浜田理恵のリューは、丁寧で繊細な歌唱で「お聴き下さい、王子さま」も「リューの死」も、リリックな味わい深く、表情も細やかな結構な歌唱でした。しかし迫力には欠けます。本来、私は力で押しまくる歌よりも、繊細な表情を大事にする歌唱が好きなのですが、テオリン・フラッカーロのブルドーザーが来るところでは、浜田のリューははかなげですが、パワーが不足していました。

 この傾向は他の日本人歌手でも一緒です。アルトゥム皇帝を歌った五郎部俊朗。上手なのですが、彼がロッシーニを歌うときのような冴えがありませんでした。ティムールを歌った妻屋も今ひとつ感が抜けませんでした。ピン・パン・ポンの歌唱も悪くはないのですが、他の強力な歌唱の中では存在感が十分ではありませんでした。

 外人勢と日本勢のこのようなバランスの悪さが少し気になりました。今後の5回の上演でどこまでそこが解決できるか聴きものです。

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鑑賞日:2008年10月12
入場料:B席 2000円 
3F 357

主催:昭和音楽大学

2008 昭和音楽大学オペラ公演

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ベッリーニ作曲「夢遊病の娘」(La Sonnambula)
台本:フェリーチェ・ロマーニ

会場 昭和音楽大学「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」

指 揮 星出豊
管弦楽 昭和音楽大学管弦楽部
合 唱 昭和音楽大学合唱団
合唱指揮 山舘冬樹
合唱アドヴァイザー 及川貢
演 出 馬場紀雄
美 術 川口直次
衣 装 ピエール・フランチェスコ・マエストローニ
照 明 奥畑康夫
バレエ振付 糟谷里美
舞台監督 渡邊真二郎

出 演

アミーナ 小林 郁絵
エルヴィーノ 望月 光貴
ロドルフォ 小田桐 貴樹
リーザ 倉本 絵理
テレーザ 佐藤 三穂
アレッシオ 上野 裕之
公証人 高嶋 康晴

感 想

丁寧だけど楽しくない-昭和音楽大学「夢遊病の娘」を聴く

 大学オペラは、夫々の大学ごとに特徴があります。でも、多くの大学はモーツァルトのオペラに基本を置いている感じがします。その中で、全く違った方針なのが昭和音楽大学で、この大学では、ドニゼッティの「愛の妙薬」とベッリーニの「夢遊病の娘」をレパートリーとして、ベル・カント・オペラを勉強しようとする方針があるそうです。今年は、「夢遊病の娘」を公演する年に当たるということで、「夢遊病の娘」が上演されました。

 私が、昭和音大オペラで、「夢遊病の娘」を聴くのは今度が二回目。前回は2005年、新国立劇場の中劇場でした。演出はそのときと全く同じでしたが、音響は全然違います。テアトロ・ジーリオ・ショウワの音響が良いのか、新国立劇場中劇場の音響が悪いのかよく分かりませんが、テアトロ・ジーリオ・ショウワの三階で聴くと、まるでPAで増幅しているのではないかと思うほど、音が近く生々しく聴こえます。昭和音楽大学が新百合ヶ丘に引っ越してきて、新しいホールを作ったことは(このホールは音響以外は問題がいろいろあるホールなのですが)大変素晴らしいことではなかったのか、と素直に思います。

 それにしても、「夢遊病の娘」という作品は、凄いストーリーだと思います。オペラには荒唐無稽な筋書きは付き物とはいえ、幾らなんでもやりすぎの感じです。第一「夢遊病」という疾患が大人に出る場合、精神的に何か問題があるというのはほぼ常識らしいのですが、「夢遊病の娘」アミーナは、エルヴィーノとの婚約が決まり、幸せの絶頂にいるとき、夢遊病で家を抜け出し、離れたリーザの旅館の伯爵の寝ている部屋を訪ねる、というのです。こういうことは医学的には考えにくい症状です。従って、そういう荒唐無稽な設定をおいた突っ込みどころ満載の劇であるからこそ、そういう突っ込みが出来ないぐらい真実味あふれた芝居をしてもらいたいとおもうのです。そうでなければ観客はだれます。しかしながら、今回の上演は、演奏に元々のドラマが持つ荒唐無稽さを凌駕できる真実味を感じることは出来ませんでした。そこが気に入らないところです。

 星出豊の指揮は、ドラマの真実を浮かび上がらせようとする指揮ではなく、とりあえず安全運転で、曲の破綻を防ぐという所に主軸が置かれていました。勿論これが星出の音楽というより、こうしなければオーケストラが壊れかねない、という危惧があったのではないかと推察します。勿論ミスもあるのですが、ミスがどうこうというより、音がこなれていないのです。音色とかフレージングの滑らかさ、という点では音大オーケストラとして一寸問題があり、上手なアマオケレベルというのが本当のところでしょう。

 こういうオケを相手にすれば、星出としてもしっかりと演奏させなければ始まらない、という判断があったのだろうと思います。もっとデュナーミクを広く使って演奏すれば、スリリングな演奏になる可能性もあると思いましたが、結果として丁寧な演奏を行い、スリリングなところはなく、冗長に感じさせる部分もあったというのが本当のところでしょう。とくに第一幕はフィナーレを別にすると本当に退屈な演奏でした。第二幕は、第一幕と比較すると、ずっと良い演奏になりました。これは、2005年に聴いたときもそうでしたので、オーケストラの緊張が解けてきた、ということと、作品の味わいの双方が関係しているのかもしれません。

 ソリストは、昭和音大の卒業生でプロの道をこころざしている方で編成しておりましたが、プロという観点で見た場合、力量的には今ひとつの方の集団と申し上げるのが妥当なところでしょう。

 アミーナ役の小林郁絵は、声質がアミーナを歌うには一寸重い感じがしました。比較的低音の充実したエルヴィーノとの愛の二重唱などはしっかりと歌えているのですが、華やかなアジリダなどコロラトゥーラの技術が必要な部分になるとどうしても声が出ません。高音では、声が細くなりますし、上方への跳躍では残念ながら十分届いておりませんでした。フィナーレの大アリアは、頑張っているのはよく分かるのですが、技術的な未熟さはいかんともしがたいところがあります。昨年2月、高橋薫子がリサイタルでこの大アリアをとり上げ、私は大いに感心いたしました。高橋のような名手とこれから成長する若手を同じ土俵で比較するのはルール違反だとは思いますが、こういう素晴らしい歌を知っている身とすれば、もう少し頑張って歌えないの!と、申し上げたくなります。

 望月光貴のエルヴィーノも今ひとつの歌唱でした。エルヴィーノの若々しさを表現するのに十分な美しいリリック・テノールですが、その持ち味を十分に出せなかったきらいがあります。なにせアクートの声が汚い。強い声を美しく響かせられないというのはテノールとしては問題です。更に演技も木偶の坊のように突っ立っている印象が強く、存在感が希薄でした。本来は、アリアで存在感を示さなければならないところですが、アクートが決まらないのでどの歌唱もメリハリがつかず、存在感を示すことが出来なかった、という所でしょうか。

 倉本絵里のリーザは、線が細く神経質な印象は拭えなかったものの、歌唱技術そのものは悪くなかったと思います。登場のアリアは緊張していたようで、今ひとつしっくりしなかったところがありますが、二幕のアリアは繊細な表現が素敵で、なかなか良かったと思います。

 主役が今ひとつの中、一人気を吐いたのが小田桐貴樹のロドルフォです。小田桐の声は、典型的バス声ですが、地の底からわきあがるような表現も、プリモ的表現もどちらもしっかりした歌唱で歌いました。第一幕は前半が全然盛り上がらなかったのですが、小田桐が登場して急に締まりました。小田桐は登場のアリアがまずしっかりとした表現でよく、その後も落ち着いた歌唱で聞き応えがありました。実は、このオペラ、合唱で上がる4年生が多いため、合唱の声量がどうしても過剰になりがちです。小林も望月も倉本も合唱とかさなるとアリアの声が合唱に埋没してしまうのですが、小田桐だけは、合唱の中でもしっかりと存在感を出していました。

 母親の佐藤三穂は良好でした。特に第二幕が良かったです。合唱は三年前の公演と比べると、ずっと迫力のある歌唱に仕上がっていたと思います。それでも舞台に乗る人数が多すぎるように思います。学生公演の性格上、ある程度は仕方がないのでしょうが、学生の迫力が強すぎて、ソリストの歌唱を消してしまうのは如何なものかと思いました。

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鑑賞日:20081019
入場料:
2000円 自由席

国立音楽大学大学院オペラ2008

主催:国立音楽大学

オペラ2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(Così fan tutte)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

会場:国立音楽大学講堂

スタッフ

指 揮 大勝 秀也
管弦楽 国立音楽大学オーケストラ
合 唱 国立音楽大学合唱団
チェンバロ 源田 泰子
演 出 中村 敬一
装 置 鈴木 俊朗
衣 裳 半田 悦子
照 明 山口 暁
舞台監督 コ山 弘毅

出 演

フィオルティリージ 増子 あゆみ
ドラベッラ 藤長 静佳
フェランド 与儀 巧
グリエルモ 吉川 建一
デスピーナ 山田 祥美
ドン・アルフォンソ 折河 宏治

感想

これこそお買い得-国立音楽大学大学院オペラ2008「コジ・ファン・トゥッテ」を聴く。

 音楽大学が教育成果の発表の場としてオペラを上演するのはごく当たり前のこととなりました。伝統があるのは芸大と国立音大ですが、それ以外の大学でも珍しくありません。大学主催のオペラの良いところは、まず入場料が安いこと。しかし上演の質は必ずしも保証されているわけではありません。しかし、国立音大の大学院オペラは、総じて上質な演奏が続き、2007年の「フィガロの結婚」のように、「類稀な」という形容詞で賞賛されるような上演もあります。

 本年の上演も、昨年に引き続き極めて上質な演奏になりました。大学院生の歌唱は、昨年よりも今年の方が少しまとまりが良かったためか、「まとまり」という点では昨年を上回っているかもしれません。勿論大学院生が出演するオペラですし、オーケストラも学生が中心ですから、問題がないということでは全くありませんが、その演奏のひたむきさと、大勝秀也の統率力ゆえに、とても素晴らしい演奏になったと思います。これで2000円です。何と素晴らしいことでしょう。

 大勝の音楽作りは非常にしなやかなものです。明らかに大勝が引っ張っていく指揮なのですが、その引っ張った感じが表に表れないところが良いと思います。オケピットと舞台との距離が近く、舞台上の歌手にも大勝が指示を与えてデュナーミクのコントロールをしていきます。その結果、特別速い演奏ではないのですが、颯爽としていて緩みが出てこないのです。流れが自然で置きに行く感じがない、大変結構なものでした。オーケストラは学生オーケストラですから傷はありますし、音色も完璧ではありません。しかし、そのきびきびした演奏は、若さを感じさせるもので、フレッシュな魅力がありました。

 中村敬一の演出も私の好むところ。本当にオーソドックスな、シナリオに忠実な舞台でした。私は変な読替えをしたり、奇を衒ったりする舞台よりも、このような自然で具象的な舞台が大好きです。大学院オペラであるが故に、特別なことをやらないという部分があるのでしょうが、モーツァルトの音楽を楽しむために何も変わった演出で楽しむ必要はないわけです。私にとっては、これまでいくつか見たコジの舞台の中で、1,2を争う好感度の高い舞台でした。

 歌手陣は女声陣と男声陣の間に力量の差が見られたことは事実です。この大学院オペラで本物の大学院生はフィオルディリージを歌った増子あけみとデスピーナを歌った山田祥美の二人で、他の四人はOBです。特に男声陣は、若手とはいえ、結構活躍を目にするメンバーです。女声陣との舞台経験の差はいかんともしがたいところがあります。まず、増子あけみは、第一幕の前半は明らかに硬くなっており、声に伸びが感じられませんでした。また本来持っている声が、高音は伸びが足りず、低音は艶やかさに欠ける声でした。この特徴は重唱で参加するときは目立たないのですが、ソロになると明らかになります。「岩のように動かず」も「あの方は行く〜恋人よどうぞ許して」もとりあえずは歌えているのですが、歌にゆとりがなく、艶めかない。もっとためを作って、響きを大事にすれば良いのに、と思いました。

 山田祥美のデスピーナは役柄と声質がフィットしていました。また、山田はデスピーナの心情を踏まえた歌唱をしようと意識していたようで、表情の変化に乏しい増子と比較すると、笑みがこぼれたり、厳しい顔つきになったりと表情が多彩に変化するのが良かったと思います。それでもデュナーミクを広がりは十分とは言えませんし、医師や公証人に化けたときの発声なども、年季の入った歌手が見せる落差ほどには当然ながらなりえておらず、その辺が大学院生の限界なのかも知れません。

 舞台経験という意味ではドラベッラ役の藤長静佳に一日の長があったようです。大学院生のような緊張はなかったのでしょうね。それだけに声がほぐれていて、余裕のある歌いっぷりでした。

 男声陣は二人のバリトンが素敵でした。二期会の本公演デビューを済ませている吉川健一は流石の歌唱です。私は吉川の歌うグリエルモを以前一度聴いているのです(東京オペラグループの公演)が、そのときよりも余裕のある歌唱と演技のように思いました。今回の舞台で一番の年長という意識があるためなのでしょうね。コミカルな意識を表に出した大げさな演技といい、あえて張り上げる声といい、若手を引っ張って行こうというという意思を感じました。

 ドン・アルフォンゾ役の折河宏治も良い。昨年は、バルトロを歌ったようですが、今年はアルフォンゾ。ブッフォ役を若手がやるのはなかなか大変だと思いますが、スマートなアルフォンゾになっておりよかったと思います。声量も吉川と並んでよく出ておりました。今回のコジは、歌唱的には二人のバリトンが軸を作ったようです。

 そして、フェランドの与儀巧。良かったと思います。特別な美声ではなく、どちらかといえばキャラクターテノール系の方だと思いますが、二人のバリトンの間に埋没することなく、存在を主張してまいりました。

 コジ・ファン・トゥッテは、重唱が極めて多いアンサンブル・オペラです。その練習はきっちりやったようです。アリアもさることながら、重唱の出来が平均的に良かったように思いました。このような重唱の感じから見ると、出演者全員がこの大学院オペラを成功に導こうという意識の中で演奏していたようです。その意識と指揮者の音楽作りの意識の波長があったのでしょう。それが、今回の成功の源だったに違いありません。

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鑑賞日:20081023
入場料:
7000円 A席 2F H28

北とぴあ国際音楽祭2008

主催:(財)北区文化振興財団

オペラ(DRAMMA EROICOMICO)3幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ハイドン作曲「騎士オルランド」Hob.XXVIII:11Orland Paradino)
台本:カルロ・フランチェスコ・バディーニ/ヌンツィアート・ボルタ改作

会場:北とぴあ さくらホール

スタッフ

指 揮 寺神戸 亮
管弦楽 レ・ポレアード
(オリジナル楽器使用)
フォルテピアノ 上尾 直毅
演 出 粟國 淳
美 術 横田 あつみ
衣 裳 増田 恵美
照 明 笠原 俊幸
舞台監督 大仁田 雅彦

出 演

オルランド フィリップ・シェフィールド
アンジェーリカ 臼木 あい
ロドモンテ 青戸 知
メドーロ 櫻田 亮
リコーネ 根岸 一郎
エウリッラ 高橋 薫子
パスクワーレ ルカ・ドルドーロ
アルチーナ 波多野 睦美
カロンテ 畠山 茂

感想

アイディアマン・ハイドン-北とぴあ国際音楽祭「騎士オルランド」を聴く。

 本年度の北とぴあ国際音楽祭のテーマは魔法。魔法が出てくるオペラ作品というのはいくつも思いつきますが、その中で、金沢正剛・松下功・船山信子の三氏によって選ばれた作品がハイドンの騎士オルランドでした。北とぴあ国際音楽祭のオペラは、寺神戸亮/レ・ポレアード演奏が前提なので、古典派以前の作品が取り上げられるのが当然なのでしょうが、騎士オルランドの物語は、ヨーロッパでは有名なお話のようで、オペラ・セリアの題材として、ペーリ、リュリ、ドメニコ・スカルラッティ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、ビッチンニなどにとり上げられてきたそうです(ちなみに、ヘンデルの「オルランド」は、来年9月26日、伊丹でヴィヴァヴァ・オペラ・カンパニーという団体が上演するそうです)。そういう沢山ある「オルランド」の物語の中から、ハイドンの作品を取り上げたのは、ハイドンのこのオペラがセリアではなく、オペラ・セミセリアであるからかもしれません。

 ハイドンは、周知のセリアねたである騎士の物語をパロディーにしたかったのかもしれません。エステルハージー候に仕えていたころのハイドンは、作曲上でもユーモアあるいたずらをしばしばやっていたようですから。有名なのは、交響曲第45番「告別」のエピソードですね。そういうことから見ても、セリアの題材をそのままセリアとして書きたくなかった、ということなのでしょうね。ドランマ・エロイコミコ即ち英雄喜劇と名づけて、パロディーに仕立て上げて見せました。この作品は、まさに積極的なパロディーで、例えば第一幕の前半はレシタティーヴォとアリアだけで劇が進み(典型的なセリアの書法です)、それにもかかわらず、フィナーレだけはアンサンブル・フィナーレにするというオペラ・ブッファのやり方を取り入れます。二幕以降もフィナーレを別にすれば、物語の進行は原則レシタティーヴォ。重唱は余りなく、アリアが多い、というオペラセリアの基本を踏襲しながら、エウリッラとパスクワーレという喜劇役を入り子の様に参加させて、「怒れるオルランド」に対する笑いを取っていく。そういう構成です。それが、ハイドンの感じている古いオペラに対する当てこすりであることは、間違いないところでしょう。

 そのようなパロディー・オペラを粟国淳は、絵で表現しようとしました。まず舞台正面は大きな額縁です。その額縁を突き抜ける形で額縁がもうひとつ横たわっており、その額縁の上で、劇は演じられます。横たわった額縁の奥にはもうひとつの額縁が正面を向いてたっており、その額縁はスクリーンとして使われます。粟国淳は、ハイドンのパロディー精神を意識的に強調しようとはしていませんでしたが、場面場面を絵として切り取ることによって、劇の進行を紙芝居のように見せました。本作は12の場面からなっているそうですが、この額の舞台を幕で隠しながら、場面を転換させます。奥のスクリーンに映し出される写真と、舞台の額の照明の変化とで紙芝居がめくられる。そういう印象です。

 寺神戸亮の音楽作りは、割ととゆっくりとしたしっとりとしたものでした。古楽器のオーケストラというときびきびした演奏が多いという印象でしたが、今回は違っていました。そのような持って行き方に好悪はあるでしょうが、私個人としては、もう少しきびきびした音の方が、ストーリー展開が相当恣意的で理由が分りにくい、という物語の弱みを表さないために有効な手法だと思いました。レ・ポレアードの音色は良好。細かなトラブルはあったようですが、全体としては古楽器オーケストラのしっとりとした音を楽しみました。

 歌手陣は総じて良好です。その中でも波多野睦美、高橋薫子、ルカ・ドルドーロの3人がとりわけ良かったと思いました。

 波多野睦美は、アルチーナ登場のアリアである「私の眼差しだけで」で凛とした雰囲気を示し、その後も丁寧な歌唱で、アルチーナの威厳を表現しました。しっかりした安定した歌唱で、感心いたしました。アルチーナは、登場のアリア以外は、伴奏付レシタティーヴォとレシタティーヴォ、それに重唱への参加ですが、どの場面でも存在感があり、このオペラの実質的な支配者がこの魔女にあることを否が応でも示したと思います。

 本オペラの喜劇的性格を代表するエウリッラとパスクワーレを歌った高橋薫子とルカ・ドルドーロはともにすばらしい表現でした。高橋のスーブレット・キャラクターに対する親和性は言うまでもないところですが、表現の多彩さ、表情、どれをとっても大変素敵なもので結構でした。緩急のつけ方や幅の広がりはベテランの味わいです。後述する臼木あいとは経験の差が出たと申し上げるしかないでしょう。ルカ・ドルドーロの歌唱もおかしさにあふれ、レパートリーから見れば、決してキャラクターテノールではないのですが、ぼやきながらもエウリッラに迫るところは、まるでモーツァルトの魔笛のパパゲーノを髣髴させました。

 この二人の演奏の白眉は、第二幕中部の二重唱「あなたの愛らしいお顔を見ていると」、そして、パスクワーレのアリア、「では、説明してあげよう。これが俺のトリルだ」でしょう。特にこのアリアは、パスクワーレが歌いながら指揮をし、それにあわせてオーケストラのメンバーが立って演奏するという、とても楽しい部分で、全体のストーリーには全く影響しない部分でありながら、一番楽しめたところでした。

 臼木あいのアンジェーリカも悪くありません。流石に20代。若々しい声と高音の伸びはとても素晴らしいものです。大きなアリアを4曲歌うのですが、一番よかったのは二つ目の「行かないで、貴方は私の灯火」だと思います。中間部の軽快なフィオリトォーラが特に良かったと思います。ただ、登場のカヴァティーナ、「絶えず震えているの、私の哀れな心は」は、緊張のせいか伸びが今ひとつでしたし、全体的に線の細さが目立ち、また歌唱が一本調子になるところが何箇所かあり、そのあたりの改善が今後の課題でしょう。

 櫻田亮のメドーロも悪くありません。櫻田は一時はもっと軽い声だったと思うのですが、抒情的なアリアが主だったからかもしれませんが、そこはそれほどではありませんでした。第一幕の「出発しましょう、神様」、第二幕の「彼女に伝えてください、一人の不幸な男が」もどちらもしっとりした良い歌唱でした。

 外題役のシェフィールドも悪くありません。ただ、オルランドがタイトル役であるにも係らず、実際歌うところはあまり多くないのですね。そんなわけで、印象が曖昧です。その中では、二幕のフィナーレから第3幕にかけてがよく、特に第3幕の「我が思いよ、どこへ行ってしまったのか」が聞き応えがありました。

 その他、青戸知がアリアを歌うのを久しぶりに聴きましたが、響きの良い歌唱で良好。畠山茂のカロンテも悪くありませんでした。

 公演としては上々のものだったと思います。ただ、作品自身がそれなりに単調で、その単調さを克服できるほどの公演ではなかったと思います。オーセンティックな演奏と単調さの克服を両立するのは難しいのでしょうが、今後はそういう点も考えていただければ良いのかな、と思いました。

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鑑賞日:20081024
入場料:
2500円 B席 3F 128

平成20年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
日本オペラ連盟人材育成オペラ公演

主催:日本オペラ連盟
共催:昭和音楽大学

オペラ1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「修道女アンジェリカ」Suor Angelica)
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

オペラ1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」Gianni Schicchi)
原作:ダンテ「神曲」地獄篇第30歌
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会場:テアトロ・ジーリオ・ショウワ

スタッフ

指 揮 菊池 彦典
管弦楽 東京カメラータ・ドナーティ・フィルハーモニー
オルガン 室井 摂
ピアノ 久保 晃子/今野 菊子
演 出 喜田 健司(原演出:岩田達宗)
美 術 増田 寿子
衣 裳 半田 悦子
照 明 成瀬 一裕
舞台監督 大澤 裕

出 演

修道女アンジェリカ

アンジェリカ 西川 あや子
公爵夫人 諸田 広美
女子修道院長 仲野 玲子
修女長 山本 千鶴
修練長 東 裕子
修道女ジェノヴィエファ 田篭 香代子
修道女オスミーナ 小松原 利枝
修道女ドルチーナ 宮本 彩音
看護修道女 鈴木 文美子/長谷川 沙紀
托鉢修道女 中嶋 絵美/鈴木 里香
修練女 中安 千晶
助修女 下條 広野/宗心 裕子
こども 中島 まや

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ 月野 進
ラウレッタ 田中 樹里
ツィータ 丹呉 由利子
リヌッチョ 藤原 海考
ゲラルド 富田 広貴
ネッラ 岩本 留美
ベット 田中 大揮
シモーネ 東原 貞彦
マルコ 浅野 達也
ラ・チェスカ 五十嵐 恵美
ゲラルディーノ 皆川 卓志
スピネロッチョ 秋本 健
アマンティオ・ディ・ニコラオ 三浦 克次
ピネリーノ 内田 雅人
グッチョ 千葉 裕一

感想 新しい人材は育成されるか-日本オペラ団体連盟人材育成オペラ公演「修道女アンジェリカ」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く

 10月24日は日本音楽コンクールの声楽部門の本選会だったそうで、入賞者が翌日の新聞紙上で発表になっておりました。まずは、毎日新聞からの引用です。

 「第77回日本音楽コンクール(毎日新聞社、NHK共催、特別協賛・三井物産)本選シリーズ4日目の24日は、東京オペラシティで声楽(歌曲)部門の本選が行われ、多彩な表現を声にのせてローレムなどを歌った岩下晶子さん(33)=東京芸大大学院=が第1位に選ばれた。97人から2度の予選を通過した10人が自由なプログラムを競演し、平野忠彦、松本美和子ら10氏が審査した。他の入賞・入選者は次の通り。(入選は演奏順、敬称略)第2位 市原愛(27)=アウクスブルク歌劇場専属▽第3位 馬原裕子(35)=東京芸大大学院修了▽入選 朴瑛実(30)=東京芸大大学院、松原友(29)=ミュンヘン音大大学院、友清崇(36)=ウィーン音大研究科修了、原田圭(32)=東京芸大大学院修了、相田麻純(26)=東京芸大大学院修了、山崎法子(34)=国立音大大学院、松井亜希(26)=東京芸大大学院▽岩谷賞(聴衆賞)松原友」

 その本選日に、日本オペラ連盟は、「人材育成オペラ公演」を実施しました。私自身は「音コン」の本選会を見たことがないので、「音コン」の集客力がどの程度であるかは知らないのですが、こちらの人材育成オペラ公演は、平日18:30から新百合ヶ丘という時間・場所の問題もあって、入りは半分ほど。聴いている顔ぶれはどうも出演者の関係者が多いように思いました。

 私は「音コン」が全てだとは思いませんが、「音コン」が新人の最大の登竜門であることは事実でしょう。「音コン一位」がオペラ歌手として大成することにはなりませんが、昨年の声楽部門第一位・廣田美穂が、11月のボエームのミミ役で藤原歌劇団の本公演にデビューするといったことを知るにつけ、「音コン」は一種のエリートコースなのでしょう。勿論、コンクールと舞台上演とは違って、舞台でお客さんの支持を得ることの方が重要なことは言を待たないところです。その意味では、音コン本番の日に、若手歌手のための人材育成公演を企画した日本オペラ連盟は高い見識があるということかも知れません。

 アンジェリカ、ジャンニ・スキッキ双方を通してまず言えるのは、菊池彦典の指揮の巧さですね。この方のイタリアオペラ演奏は定評のあるところですが、今回も例外ではありませんでした。東京カメラータ・ドナーティ・フィルハーモニーという名前の聞いたことのないオーケストラをぐいぐい引っ張っていきます。熱のこもった指揮ぶりでオーケストラの音がどんどん活性化されていきます。歌い手の皆さんは、こういう音楽の中で歌えることを幸せに思わなければいけません。

 さて、実際の演奏ですが、皆さん、頑張っていたな、というのが偽らざる印象です。その頑張りには敬意を表しましょう。

 「アンジェリカ」では、まず公爵夫人役の諸田広美に注目です。諸田は、公爵夫人の尊大で冷酷な雰囲気をよく表現した歌唱で、良かったと思いました。落ち着きもあって感情表現が抑制されていたと思いました。

 アンジェリカ役の西川あや子も頑張っていました。一所懸命な歌唱は結構だと思います。でも、西川の歌唱はそこまでです。インパクトにかけていて、歌唱に今ひとつ真実を見出せないところがあります。頑張っているのは分るのですが、聴き手が心情移入が出来ないのです。言い換えるならば、歌が退屈なのです。勿論感情を込めて歌われては入るのですが、その感情表現に突き抜けたところがないので、今ひとつ共感が出来ない。そこが残念なところです。

 前半の公爵夫人が登場するまでの修道女たちのおしゃべりの部分は、若い女の子の軽快な騒々しさがよく出ていて良かったのですが、その雰囲気と後半のシリアスな部分とをきちんと対比させるのであれば、後半の歌唱に対する意識をもっと上げたほうが良かったように思いました。

 「ジャンニ・スキッキ」の方は、タイトル役の月野進がなかなかよかったと思います。5年ほど前、武蔵野音大の「ウィンザーの陽気な女房たち」で聴いている筈ですが、そのときの印象は全く記憶にありません。これぐらい歌える方であれば、どこかに記憶があるはずなのですが。5年間で進歩したということなのでしょう。細かい点で気になるところはあったのですが、ジャンニ・スキッキの尊大で且つ小悪党の雰囲気を上手く出しておりました。また、劇の軸としての役割も果たしていたように思います。

 ラウレッタ役の田中樹里なかなか良い歌唱だったと思います。しかし、彼女もそこまでです。一番の聴かせどころである「私のお父さん」すっきりと上手に歌ったと思います。しかしながら、それ以上の存在感がないのですね。特徴に乏しい。この程度歌える方は沢山いらっしゃいます。その中で、田中がどのような存在感を出していくのか。そこが課題でしょう。

 丹呉由利子は「ピーア・デ・トロメイ」のとき、ロドリーゴで聴いた方ですが、そのときは余りいい印象を受けなかったように思います。今回のヅィータはそのときよりはずっと雰囲気が出ていたように思いました。 藤原海考のリヌッチョは、前半はさほど良いとは思わなかったのですが、後半はなかなか良いと思いました。

 アンサンブルで参加する歌手陣では、まずシモーネがよかった。誰が歌っているかと思ったら、藤原歌劇団の東原貞彦でした。流石に若手陣の中では歌唱に落着きと貫禄があるように思いました。同じことは公証人役の三浦克次についても言えます。やはり、舞台経験の多い方は、それなりに見せ方を知っているということなのでしょう。

 結局のところ、今回の歌手陣の中で、将来ビッグ・ネームになる方はいるのでしょうか。正直申し上げれば難しいところ。その中であえてあげるならば、諸田広美と月野進だろうと思います。そのほかの方も含めて精進していただき、私の予想を良いほうに覆していただければ嬉しいです。

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観劇日:20081031
入場料:
C席 5670円 4F 133

平成20年度(第63回)文化庁芸術祭協賛公演

新国立劇場主催

オペラ3幕
ヴェルディ作曲「リゴレット」
Rigoletto)
原作:ヴィクトル・ユーゴー
台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮 ダニエレ・カッレガーリ
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出 アルベルト・ファッシーニ
再演演出 田口 道子
美術・衣裳 アレッサンドロ・チャンマルーギ
照明 磯野 睦
振付補 石井 清子
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 村田 健輔

出演者

リゴレット ラード・アタネッリ
マントヴァ公爵 シャルヴァ・ムケリア
ジルダ アニック・マッシス
スパラフチーレ 長谷川 顕
マッダレーナ 森山 京子
モンテローネ伯爵 小林 由樹
ジョヴァンナ 山下 牧子
マルッロ 米谷 毅彦
ボルサ 加茂下 稔
チェプラーノ伯爵 大澤 建
チェプラーノ伯爵夫人 木下 周子
小姓 鈴木 愛美
門番 三戸 大久

感 想 何となくちぐはぐです-新国立劇場「リゴレット」を聴く

 新国立劇場で「リゴレット」を上演するのは2001年以来7年ぶりのことです。アルベルト・ファッシーニの舞台はオーソドックスなものですから、3度目の今回は新演出で上演されるかと思いきや再演です。勿論これは、悪いことではありません。私は、過去の上演作品の新演出を見るより、新国立劇場でまだ取り上げられていない作品をどんどんとり上げ、ポピュラーな作品は古い演出を何度も使うほうが、コストを考えても妥当な気がします。ヴェルディの作品だけを見ても、新国で取り上げられていない作品は未だ沢山あります。まずは「シモン・ボッカネグラ」、初期の作品も「ナブッコ」、「マクベス」以外はこれからの課題です。こういう作品も少しずつ取り上げていくのが「ナショナル・オペラ・シアター」の役割でしょう。

 とはいえ、7年ぶりに目にする舞台は、相当忘れていました。第一幕二場のリゴレットの家のシーンや第二幕はしっかり覚えていましたが、第三幕の舞台はすっかり忘れておりました。そのおかげで、フレッシュな気持で見ることが出来ました。久しぶりの上演は、なかなか宜しいものです。

 演奏は、全体的に見れば「普通の」演奏だったと思います。良い部分も沢山あるけれども、全体としてはそれほど感心できない、そういう舞台でした。また、音楽のすりあわせが今ひとつしっくりしておらず、もっと各関係者が意識して合わせてほしいと思いました。

 カッレガーリの全体の設計が私の趣味ではありません。まず第一幕第一場はもっと颯爽とした音楽作りのほうが私の趣味に合います。それに対して、第二場はもっとゆったりとさせる。また第二幕はもっとしっかりと演奏したほうがリゴレットの悲しみをより的確に表現できたのではないでしょうか。カッレガーリは、最初はわりとゆったりとした入りではじめたのに対し、第二幕のリゴレットの慟哭はあっさりと演奏したと思います。若いヴェルディ・バリトンがリゴレットを歌ったということが関係するのかもしれませんが、ストーリーを余り意識しない演奏のように思いました。

 アタネッリのリゴレットも臭みに欠ける。すっきりとしすぎて、ためが足りないのです。確かに美声ですし、歌唱も正確で乱れがなく感心させられるリゴレットなのですが、演技も歌唱もすっきりと行うので、リゴレットの内面にあるせむしの道化の悲しみが表現されてこないのです。ジルダを誘拐した貴族たちに、「娘を返してほしい」、と懇願するところの動きも速すぎると思いますし、「悪魔め、鬼め」と歌う部分も、たとえ楽譜と違っていたとしても、もっと強い慟哭を前面に出すべきではないでしょうか。また、第一幕でモンテローネやチェプラーノをからかう部分も通り一遍で、リゴレットの嫌らしさを十分表現できていない。あれだけの歌唱力があるのですから、もっとコクのある臭い演技をすれば舞台が締まったと思うのですが、全体に演技が軽くて、私には感心できませんでした。

 マントヴァ公のムケリアも今ひとつ。美声ですし、非常にいいものを持っている方だと思いますが、テクニックが洗練されていないのです。「とりあえず、アクートはきっちり決めました」というところで終わっていて、そのアクートに到る道筋はあなぽこだらけ、というところです。公爵の歌としては品位に欠けると思いました。「あれか、これか」も歌の流れがスムーズではなく、第二幕冒頭のアリアももっと表情豊かに歌ってほしいところですし、「女心の歌」ももっと洗練された歌い方があるでしょう。決めはしっかり歌えているのですが、そこまでの道のりもしっかり舗装しながら進んでほしいと思いました。若いテノールなので、数年後に期待したいところです。

 ジルダのマッシスも私の趣味とは違います。マッシスは、一幕ではジルダを恋に恋する乙女として描こうとし、第三幕では愛に殉じる強い女を描こうとして、歌い方をだんだん変えてきました。「慕わしき人の名は」は、ふわふわとした歌唱で、娘心を強調したのでしょうね。その後は、ふわふわとした部分と強い部分との割合を少しずつ変えて行って、ジルダの変化を示そうとしました。勿論そういう行き方をして悪い理由はありません。しかし、私は、「慕わしき人の名は」で恋に恋していたとしても、第三幕での芯の強さを想像できるようなしっかりした歌唱をする方がこの曲のの持ち味を表現することになるのではと思いました。

 皆それなりに力はあるのですが、少しずつずれているため、第三幕の有名な四重唱は、今ひとつ求心力が保てず盛り上がりませんでした。

 日本人脇役陣もそれほど目立った感じはありませんでした。長谷川顕のスパラフチーレは不気味な雰囲気でなかなか良く、森山京子のマッダレーナは、もう少し声が前に飛んでほしいと思いました。小林由樹のモンテローネは声自身の力で言えば、アタネッリの足元にも及びませんが、演技の厳しさで、全体の存在感は高いものがありました。そのほか、大澤建のチェプラーノ、山下牧子のジョヴァンナなどは目立ってはおりませんでしたが、しっかりとした歌唱だったと思います。

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鑑賞日:2008119
入場料:
C席 7000円 2F I25

日生劇場開場45周年記念公演
NISSAY OPERA 2008

主催:日生劇場((財)ニッセイ文化振興財団)

オペラ2幕、台詞日本語、歌詞原語(ドイツ語)上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflote)
台本:エマヌエル・シカネーダー

会場:日生劇場

スタッフ

指 揮 上岡 敏之
管弦楽 読売日本交響楽団
合 唱 C.ヴィレッジシンガーズ
合唱指揮 田中 信昭
児童合唱 パピーコーラスクラブ
児童合唱指導 籾山 真紀子
演 出 高島 勲
ドラマトゥルグ・字幕 山崎 太郎
美 術 乗峯 雅寛
照 明 勝柴 次朗
振付・ステージング 伊藤 多恵
舞台監督 幸泉 浩司

出 演

弁者 小田川 哲也
ザラストロ 小野 和彦
夜の女王 鈴木 麻里子
タミーノ 鈴木 准
パミーナ 星川 美保子
パパゲーノ 折河 宏治
パパゲーナ 直野 容子
モノスタトス 青柳 素晴
侍女1 和泉 純子
侍女2 南 智子
侍女3 与田 朝子
童子1、2、3 ハピーコーラスグループ員
武士1 川久保 博史
武士2 金子 宏
僧侶1 鶴川 勝也
僧侶2 高田 正人

感想

若い力の素晴らしさ- NISSAY OPERA 2008「魔笛」を聴く。

 オペラのストーリーの多くは三面記事的で、なかなか子供には見せにくい内容になりますが、子供に見せても余り問題にならない作品のひとつが「魔笛」です。日生劇場が長いこと実施している「中高生向けオペラ教室」の題材に「魔笛」をとり上げるのは当然なのでしょう。

 中高生向けに制作した舞台を一般人に見せるわけですから、比較的写実的な舞台を想像していたのですが、抽象的なものでした。舞台の上にもうひとつ舞台を組んで、その上で芝居が進行します。衣装は基本的に現代風。冒頭に登場するはずの大蛇は壁に描かれた絵だけの存在ですし、その後も含めてどさ廻りの歌謡芝居のような演出でした。夜の女王の登場の部分では、光物がきらびやかな紅白歌合戦の衣装のような衣装で登場し、侍女たちが後で羽根を持って踊るので、アリアの中身はともかく、田舎の歌謡ショー以外の何物でもありません。パパゲーノはサロペットのGパン姿で現れ、お約束の鳥かごもありません。

 高島勲の演出の意図は、ひとつは現代性、ということなのでしょうし、もうひとつは俗的な表現ということなのでしょう。本来「魔笛」はシカネーダーの主宰する劇団のために書かれた作品で、シカネーダーの劇団は当時のウィーン近郊で、庶民相手に商売をしていたはずですから、それを現代に持ってくるならば、田舎の歌謡ショー風、というコンセプトは間違っているとは思いません。しかし、中高生がそれを理解できるかどうかは難しいところです。もっとオーソドックスな演出が良かったのではないかという気が致します。

 一方、抽象的・現代的な舞台にして良かった部分もありました。まず、台詞の部分に入れる「くすぐり」がバラエティーねた、ワイドショーネタがてんこ盛りです。お笑い芸人・髭男爵の「ルネッサーンス」や、オバマ次期大統領の「YES,WE CAN」とか、泰葉のぶちまけにあった「金髪の豚野郎」とか、ほとんどテレビを見ない私ですら知っているネタがいくつも放り込んでありました。こういうくすぐりは、ひとつ間違うと品位を落とすのですが、シカネーダーの庶民劇を現代風にしたと考えれば、納得できることです。

 とはいうものの、演出それ自体はそんなに良いものであったとは思いません。私がこれまで見てきた「魔笛」の舞台の中では、余り好きではない舞台の一つに入るのかな、という気が致します。

 一方、音楽は良かったです。ここ数年の間に聴いた「魔笛」の舞台の中では、1,2を争う名演奏だったと思います。

 まず、上岡敏之の指揮がいいです。上岡といえば、今年6月、新国立劇場で「椿姫」を指揮し、私は「歌手におもね過ぎている」と書いて批判いたしましたが、今回の魔笛は、上岡が舞台を引っ張って行くような演奏であり、流れがよいと思いました。決して急ぐわけではなく、しっとりとした表現が必要なところでは自然なリタルダンドをかけるなど、歌手たちを上手く導く指揮を行っており、大変結構だと思いました。読売日本交響楽団の伴奏も、小さなミスは散見されたものの、全体としては、肉厚の音楽で、粒の立った活気のある音楽になっていました。

 歌手陣も概ね良好でした。若い歌手が多いので、表現が平板になるなど細かい部分で気になる部分はないわけではありませんが、基本的な部分は皆よく出来ており、安心して聴くことができました。

 特に良かったのがパパゲーノ役の折河宏治。パパゲーノの歌は民謡由来的であり、技術的にとりわけ難しいということはありませんが、センスの不足した方が歌われるとつまらないものになってしまいます。折河の歌は声が明晰ではっきりしていることに加えて、パパゲーノ役の持つ野性性を醸し出すのが上手で、見事なパパゲーノを造型しました。「恋人か女房が」のアリアがやや平板になってしまったのが惜しまれますが、そのほかは、アリアといい重唱といいどれもが役が板に付いた歌唱で、大いに満足いたしました。

 鈴木准のタミーノも良かったと思います。芯のあるやや軽めの歌唱で、純真なタミーノを上手く表現しました。「何と美しい絵姿」は絶妙でした。このトーンを全体を通じて通しきれればもっと良かったのではないかと思います。

 パミーナの星川美保子も上手。歌をきっちりと制御して発生する姿は見事なものでした。重唱でからむ部分も弱弱しくなることがなく、しっかり声が飛んでいたところも素晴らしいことですし、アリアの表現も納得行くところでした。特に第二幕のアリアの感情表現は出色のもので、タミーノに拒絶された心情をしっとりと歌い上げ、大いに感心させられました。

 夜の女王の鈴木麻里子も素晴らしい。現在東京音楽大学大学院に在籍中で、今回の夜の女王が実質的なオペラ・デビューのようです。そういう新人なのに、あの超絶技巧の極致とも言うべき夜の女王のアリアを歌ってしまうのですから凄いです。魔笛で歌われる夜の女王のアリア2曲のうち、「復讐の心は地獄の炎のように胸に燃え」の方は、大抵の歌手が何とか仕上げて舞台に登場するのですが、第一幕の「怖れおののかなくてもよいのです、わが子よ!」 の方は、準備不足でちゃんと歌えずに終わる方が少なくありません。それに対して鈴木のアリアは、ややきんきん声のではありますが、一つ一つ芯の通った歌いぶりでよく、登場のアリアも軽さと強さを上手く組み合わせて、聴き応えのあるものでした。表現の深みの点では、更に研究が必要ですが、新しいコロラトゥーラ・ソプラノが登場したことを喜びたいと思います。

 ザラストロの小野和彦も健闘したと思います。フォルムのしっかりとした歌で結構でした。ただ、小野がザラストロの役柄として適当か、という問題が別にあります。小野はどちらかといえば高音が得意の方で、低音の深みを歌うのは決して得意な方ではないように思いました。高音が響くので、どうしてもザラストロの重厚感が出にくく、そこが気になりました。

 その他の出演者も概ね良好。歌もオーケストラも指揮も良く、音楽的には大変魅力的な公演だったと思います。

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鑑賞日:20081110
入場料:
6000円 自由席(ただし今回は松尾興氏のご好意でご招待を受けました)

主催:ビアチェンテ

ドラマティック・オペラ・コンサート 今聴かせたい歌手達

会場:トッパンホール

出 演

バリトン   松尾 興
テノール   村上 敏明
ソプラノ   森 美代子
ピアノ伴奏   河原 忠之

プログラム

1. 村上 敏明   暁は光から闇を隔てて   P.トスティ作曲
      歌劇「トスカ」第一幕より「妙なる調和」   G.プッチーニ作曲
2. 森 美代子   歌劇「椿姫」第一幕より「そは、彼の人か〜花から花へ」   G.ヴェルディ作曲
3. 松尾 興   マリウ、愛の言葉を   C.A.ビクシオ作曲
      歌劇「椿姫」第ニ幕より「プロヴァンスの海と陸」   G.ヴェルディ作曲
4. 森 美代子/松尾 興   歌劇「ドン・ジョヴァンニ」第一幕より、二重唱「君の手をとり」   M.A.モーツァルト作曲
休憩
歌劇「リゴレット」ハイライト   G.ヴェルディ作曲
リゴレット:松尾 興 マントヴァ公:村上敏明 ジルダ:森 美代子
1. 前奏曲    
2. 娘よ、お前だけが   二重唱(リゴレット・ジルダ)
3. 甘い恋の喜びは   二重唱(マントヴァ公・ジルダ)
4. 慕わしき人の名は   アリア(ジルダ)
5. あふれる涙   アリア(マントヴァ公)
6. 悪魔め、鬼め   アリア(リゴレット)
7. いつも教会で   二重唱(リゴレット・ジルダ)
8. 女心の歌   アリア(マントヴァ公)
9. 奴の死体だ   二重唱(リゴレット・ジルダ)
アンコール
1. 村上 敏明   歌劇「トゥーランドット」第三幕より「誰も寝てはならぬ」   G.プッチーニ作曲
2. 森 美代子   宵待草   多 忠亮 作曲
3. 松尾 興   グラナダ   A.ララ 作曲
4. 全員   オー・ソレ・ミオ   E.ディ カプア作曲

感想

函を越えた声-「ドラマティック・オペラ・コンサート 今聴かせたい歌手達」を聴く

 トッパンホールはここ10年あまりの間に東京近辺で増えてきたクラシック専用ホールのひとつで、これまで訪れたことはありませんでしたが、なかなか素敵なホールでした。408席という小ホールというには少し大き目なホールは、声楽を聴くにはまさに打ってつけと申し上げて良いのでしょう。しかし、本日の三人はこの決して小さいとは言えない空間を音で満たして見せ、その狭さを強調した、と申し上げて良いのかもしれません。

 本日の出演者は、日本で活動しているテノール歌手の中で現時点で実力ナンバーワンと申し上げてよい村上敏明、最近活動量が豊富になり始めてきたソプラノ、森美代子、そして福岡在住で東京ではほとんど無名の松尾興です。この中で、村上について申し上げれば、オペラもコンサートも合わせると最近は年2回ぐらいのベースで聴いておりますので、歌唱は大体想像がつきます。森は、昨年秋の東京音大の「フィガロの結婚」スザンナを聴いた感じで言えば、大ホールよりも小ホールのほうが味が出るのではないかと思っておりました。そういう意味では期待が持てます。よく分からないのは松尾興です。プロフィールを見ると、それなりに歌われている方のようですが、どういういきさつで今回のコンサートに出演されることになったのでしょう。それでも村上、森と歌うのですから、彼らに負けないだけの何かがあるに違いありません。期待を持って聴きに伺いました。

 結論を先に申し上げれば、非常に熱のこもった素敵な演奏会でした。三人とも、出せる技量を全部出してやろうという意気込みが感じられて、まずそこがとても嬉しいところです。

 その中でもやはり、村上の技量は群を抜いていると思いました。彼は舞台でマントヴァ公を歌った経験はない(少なくとも日本ではないはず)と思いますが、私がここ5年ぐらいの間に聴いたマトントヴァ公の歌唱で、本日の村上以上の歌を歌った方は誰もいないと思います。「女心の歌」は9月に日野で聴いたときの方が良かったかな、とも思いますが、それは相対的な話であって、今回の歌唱でも十分高水準です。そして、「あふれる涙」の情感やジルダとの二重唱で見せる甘い雰囲気などオーラがあります。聴き手を興奮に誘い込む技量は天賦のものなのでしょう。素直に感心いたしました。

 村上は声が良いのは勿論ですが、今回は声の強さも余すことなく示しました。400人収容という函の空間を全て彼の声で満たし、更にあふれていました。アンコールで歌ったお得意のNessun dorma(「誰も寝てはならぬ)でのアクートは、村上のケレンを示しているようで面白く聴きました。

 松尾興の声も凄いです。松尾の声にはどこか湿気があって、ヴェルディに適性が高い方のようです。風邪気味だったそうで、ナチュラルヴィヴラートの制御など細部には気になるところもあったのですが、リゴレットの感情表現は素晴らしいものがありました。声量も十分で、会場の空間を満たしたという意味では村上に遜色がありません。ただし、観客を引き込むオーラの点では、舞台経験の豊富な村上の比ではなかったと思います。「悪魔め、鬼め」は熱の入った絶唱でしたが、観客の心を鷲掴みするようなプラスサムシングがなかった、ということがあるのかもしれません。

 しかし、一歩引いたときの歌唱は魅力的でした。例えば、「いつも教会で」の二重唱の後半部分などは、父親の娘に対する思いが前面に現れており、その朴訥な情感は聴き手の感情に訴える力がありました。松尾に関して申し上げれば、この二重唱がこの日のナンバーワンだったと思います。 

 この二人の声量に挟まれた森美代子は大変だったと思います。そんな中でも森は、精一杯自分の立ち位置を確保しようと頑張られていたと思います。正直申し上げて、二人の男声の声量に「とりあえず」という形容詞はつくものの伍していった訳ですから。

 森に関して申し上げれば、地声はそれほどソプラノ的ではないのではないかという気がしました。「そは彼の人か」はドラマティックな表現を試みているのは分るのですが、声の作り方が今ひとつしっくりせず、情感を込める、という前に声の重さが気になりました。森は可愛い顔立ちで、見た目や立ち居振る舞いはスーブレットの印象の強い方ですが、彼女の自然な声は、この椿姫のアリアに近いのかもしれません。後半のジルダ役では歌い方を変え、リリックあるいはレジェーロ的な声を作って来ました。こちらの方が森の雰囲気には合っており、また人工的な制御があったために、トーンのコントロールもよくなったのではないかという気がします。

 細々と書き連ねましたが、本質的には素晴らしい演奏会でした。会場の空間を飽和させて溢れる様な声の饗宴は、歌好きにとって何物にも換えがたいものです。なお、「ドン・ジョヴァンニ」の二重唱は日本語で歌われました。二期会の中山悌一の訳のもののようです。あと、もうひとつ忘れてはならないのは、河原忠之の伴奏の巧さ。その点はいつも感心させられるのですが、本日も例外ではありませんでした。

 アンコールはまたお互いのケレンの競演。村上敏明は上述のとおり「誰も寝てはならぬ」でアクートを決め、森美代子は「宵待草」の冒頭の上方跳躍(「まーてーど」の部分ですね)でソプラノの矜持を示しました。松尾興は「グラナダ」でリゴレットで見せた緊張とは反対のくだけた歌唱で大人の雰囲気を示しました。最後のオー・ソレ・ミオは、バリトン、テノール、ソプラノとお互い譲らない三重唱。滅多に声を出さない私が、思わずBraviと叫んでしまいました。

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鑑賞日:20081120
入場料:
C席 7000円 2F F15

日生劇場開場45周年記念公演
NISSAY OPERA 2008/東京二期会オペラ劇場

主催:日生劇場((財)ニッセイ文化振興財団)/(財)東京二期会

オペラ2幕、字幕付原語(チェコ語)上演
ヤナーチェク作曲「マクロプロス家の事」Vec Makropulos)
台本:レオシュ・ヤナーチェク(カレル・チャペックの同名の戯曲より)

会場:日生劇場

スタッフ

指 揮 クリスティアン・アルミンク
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団
演 出 鈴木 敬介
演出補 飯塚 励生
装 置 バンテリス・デシラス
照 明 沢田 祐二
衣 装 小栗 菜代子
舞台監督 小栗 哲家

出 演

エミリア・マルティ   小山 由美
アルベルト・グレゴル   ロベルト・キュンツリー
ヴィーテク   井ノ上 了吏
クリスタ   林 美智子
プルス男爵   大島 幾雄
ヤネク   高野 二郎
コレナティ博士   加賀 清孝
道具方   志村 文彦
掃除婦   三橋 千鶴
ハウク・シュレンドルフ   近藤 政伸
小間使い   清水 華澄

感想

チェコ語と調性- NISSAY OPERA 2008「マクロプロス家の事」を聴く。

 第1回ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演でこけら落としを行って以来、日生劇場は、日本のオペラ上演で一定の位置を占めてまいりました。5年に一回のメモリアルイヤーは、とりわけ意義深い成果を上げてまいりました。1993年の30周年では、松村禎三「沈黙」の初演を飾りましたし、2003年の40周年記念では、ベルグ「ルル」の3幕完成版の日本初演を行いました。45周年の本年は「マクロプロス事件」の原語上演です。

 勿論これは、非常に意欲的な企画です。日本初演ではないものの(日本初演は、1995年「国立オペラカンパニー青いサカナ団」によってなされていますが、日本語訳による上演)、チェコ語による日本人を中心としたメンバーの上演は初めてなわけですから。また、ヤナーチェクのほぼ晩年の作品となるため(初演は1926年)音楽的には調性の不明確な作品であります。更に申し上げれば、この作品はカレル・チャペック(「ロボット」という「言葉の生みの親として著名です)のSF的会話劇を原作としており、ほぼレシタティーヴォのみで進行し、歌詞の量が多い、という問題もあります。

 今回の日本人出演者の中に、チェコ語がそれなりにでも分る人はほとんどいないと思われますから、歌詞は丸覚えだったはずです。このように知らない言語で且つ量が多く、音楽的には調性感の乏しい作品を上演しようとするのですから相当量の練習が必要でしょう。そして、相当の時間練習に費やしたはずです。しかしながら、それでも練習量が十分ではなかった、というのがまず率直に感じるところです。

 まずは、プロンプターの指示が多すぎます。勿論、オペラにおいて、プロンプターの役割を否定するものではありませんが、プロンプターがほとんどのタイミングで声を出し、その声が、二階の奥の座席で聴いている私にも耳障りになるほど聴こえるというのは、どう考えてもいただけません。私も相当数のオペラを聴いていますが、これほどプロンプターの存在を意識させられた上演は初めてのことです。

 また、演技は全体に生硬で、特に音楽に乗りきれていない第一幕は全体的にちぐはぐ感が付きました。皆がどことなく腰の引けた歌唱と演技をやっているように見えました。これは、聴き手も問題でもあります。私は「マクロプロス事件」の名称はよく知っていましたが、聴くのは録音も含めて今回が初めて。初めて聴く作品であっても18世紀や19世紀の作品であれば、予習無しで楽しめるのですが、この作品は一度は予習しておいた方がもっと楽しめただろうと思いました。初見のオペラで「予習しておくべきだった」と思ったのは、随分久しいことです。

 と、最初に問題点をあげつらいましたが、それでも全体としては「良くやった」上演です。これだけ日本人には取り組みにくい作品をそれなりの形で上演してしまうわけですから。日本人のオペラ上演の水準が上がってきた、という事なのでしょう。

 音楽的には、アルミンク、新日本フィルの頑張りをまず評価すべきでしょう。いつものアルミンクのような才気を感じさせる演奏ではなかったのですが、手堅く全体をきっちりと抑える様な演奏で、音楽の骨格を示していました。アルミンクの持っている本来の音楽性からいえば、もっと柔らかく、もっと繊細な音楽作りをすることも可能なのでしょうが、音楽の骨格を示して、全体の流れを制御したようです。

 鈴木敬介の演出も賛成。実に具象的で細かいところにも目が行き届いています。よく知られた作品であれば、奇を衒った演出もそれなりに意味があるのでしょうが、「マクロプロス」のように珍しい作品は、オーソドックスで手堅い演出の方が絶対に良いと思います。第一幕の弁護士事務所、第二幕の劇場の舞台の袖、第三幕のホテルの部屋、デシラスの装置がよく、特に第二幕の装置は、幕の間から馬蹄型と思われる客席の一部が覗いているところなどは、よく考えていると思いました。

 歌手陣ではまず主人公のEMを歌った小山由美の頑張りを評価しなければなりません。小山は第一幕はそれほどぱっとしなかったと思うのですが、どんどん尻上がりに調子を上げ、第三幕のクライマックスのモノローグはまさに鬼気迫るものがありました。不老長寿を得たものの悲しみがよく示されていたのではないかと思います。第二幕のディーヴァの尊厳の表現もよく、全体に力強い表現で、ワーグナー・メゾとして定評のある小山であるからこそ、このような歌唱が可能なのだろうと思いました。Bravaです。

 対するキュンツリーのグレゴルも良かったと思います。グレゴルをレパートリーとしている方だけあって、小山との二重唱も含めてよく歌われていたと思います。ただ、2番目に名前が書かれる役柄ながら、存在感が余りないのも一方の事実で、そういう引いた役作りを意識していたのかも知れません。

 それ以外の方たちも頑張っていらしたと思います。取り立ててアリアがあるような作品ではありませんので、チームワークが出来を左右する。その意味では、皆意識が揃っていたのではないでしょうか。大島幾雄が手堅い演技と歌唱でもうひとつの軸を示し、チョイ役ながら、ストーリーにとっては欠かすことの出来ないハウク役の近藤政伸もいい歌唱で、興味を引きました。高野二郎のヤネクも、若々しい情熱のぶつけ方が良かったと思いますし、林美智子のエリミアにあこがれる娘役も悪くはありませんでした。

 なかなかとっつきにくい物語と音楽で、カーテン・コールの拍手が今ひとつ熱気に欠けるものだったのは事実ですが、よく頑張ったエポックメーキングな演奏だったと思います。

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鑑賞日:2008123
入場料:
A席 4000円 1F 1445

主催:Gluck Studio

オペレッタ3幕、日本語訳詞上演
ヨハン・シュトラウスU世作曲「こうもり」Die Fledermaus)
台本:カール・ハフナー,リヒャルト・ジュネ

会場:アミューたちかわ大ホール

スタッフ

指 揮 高野 秀峰
管弦楽 オーケストラ・アンサンブル・トウキョウ
合 唱 アンサンブル・コール・グルック
合唱指導 平良 交一
演 出 大野 光彦
演出補 村松 裕子
照 明 矢口 雅敏
衣 装 片岡 由香
舞台監督 渡辺 重明

出 演

ロザリンデ 江口 二美
アイゼンシュタイン 大野 光彦
アデーレ 竹田 有輝子
アルフレート 谷川 佳幸
オルロフスキー 澤村 翔子
ファルケ博士 中原 和人
フランク 大久保 眞
ブリント 川口 寛樹
イーダ 鹿内 真理

感想

フロッシュのいないこうもり- Gluck Studio「こうもり」を聴く。

 いろいろな意味で不満の多い公演でした。まず気に入らないのは、立川での公演なのに18時30分開始としたこと。私は立川の近くに住んでいますが、働いているのは都心です。18時30分に立川に着くのは容易ではありません。それでも、オペラは時間がかかるから開始時間をある程度早めなければならない事情はよく分かります。しかし、思いっきりカットが入って、20時30分に終演するのであれば、もう30分開始時間が何故延ばせなかったのでしょうか。あまり宣伝もせず、都心から来るお客は期待していなかったのでしょうが、それにしても不親切です。

 しかし、私はこのカットが気に入りません。ほとんど台詞の部分はカットしたのではないかしら。その上、重要な台詞役であるフロッシュが登場しないのですから、これじゃ、お話になりません。第3幕はフロッシュのとぼけぶりがあってこそ、前日の夜会との対照が可能になるのです。その部分をすっかりなくして、どこが「こうもり」なのでしょう。演出の大野光彦は、「オペラは長い」というお客様のためにサクッと二時間少々で終わります、と書いているのですが、必要な台詞や登場人物を消してまで短くする意味があるとは私には思えません。とりあえず、「こうもり」の音楽は流れていましたが、本当に味わいの薄い「こうもり」でした。残念ながら、大野光彦に「こうもり」のポイントが分っていたとは思えませんでした。

 その上、演奏自体もそれほど面白いものではない。シャンパンの泡がはじけるようなうきうきした気分こそが「こうもり」の醍醐味だと思うのですが、とにかく先に進めることばかりを考えていて、うきうきした気分が髣髴としないのです。勿論舞台の上では、大野アイゼンシュタインが、オルロフスキー公爵の夜会に出られるというので、はしゃいで踊って見せるのですが、そうい楽しい気分が客席まで伝わってこない。とにかくどんどんそぎ落として行くだけなので、余裕がないのです。例えば、アデーレが「侯爵様、貴方のようなお方が」を歌ってアイゼンシュタインをやり込められた後、アイゼンシュタインがアデーレのお尻をさわって、「キャー」と言わせて、「やっぱりアデーレだ」という定番のくすぐりがあるのですが、このくすぐりはカット。また、フランクは夜会に来て、場違いなところに来た、というおどおど感を出すことが、第三幕の伏線になるわけですが、第二幕ではフランクにそんな活躍の場がありません。結局音楽にとっては関係がないかもしれないけれども、ドラマを膨らませるという意味では十分有意義な台詞をきってしまうから、底の浅い演奏になるのです。

 高野秀峰の指揮には、そのような「ため」のない舞台を何とか面白くしようとする意志も無いようで、オーケストラも割合単調でした。

 歌手陣も全体的には今ひとつだったと申し上げざるを得ません。大野光彦は活躍しているテノールですが、二期会本公演や新国立劇場では脇役担当になることが多く、主役で歌われることは余りない方ですが、まあ、仕方がないのかな、と思わざるを得ませんでした。声量不足が気になりましたし、そのせいもあって立体感が乏しい感じです。江口ニ美のロザリンデは、いい部分が結構あるのですが、こまかい部分でも処理が今ひとつで、全体としてはピリッとしない印象です。これは竹田有輝子のアデーレも同じで、それなりに歌えてはいるのですが、細かい部分の詰めが甘いので、どうしても印象が散漫になるのです。澤村翔子のオルロフスキーも退廃感の全く感じられないオルロフスキーで、ファルケ親分の下の子分みたいで、威厳にかけます。

 私は「こうもり」は音楽技術だけで見せるオペレッタではないと思います。いろいろなくすぐりも入れ、トータルのバランスが保たれれば、歌手一人一人の技量が今ひとつでもまとまる作品です。しかし今回はそのバランスの悪さで、折角の名作を相当水っぽくしました。やっぱりフロッシュは大事です。

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鑑賞日:2008127
入場料:
D席 3F 137

主催:NHK交響楽団

NHK交響楽団第1634回定期演奏会

オペラ・オラトリオ2幕、字幕付原語(ラテン語、語り日本語)上演
ストラヴィンスキー作曲「エディプス王」GEdipus rex)
台本:ジャン・コクトー

会場:NHKホール

感想は、こちら

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観劇日:20081211
入場料:
C席 6615円 4F 130

主催:新国立劇場

新制作

オペラ3幕
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」
Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ 

会場 新国立劇場・オペラ劇場

指揮 コンスタンティン・トリンクス
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出 グリシャ・アサガロフ
美術・衣裳 ルイジ・ベーレゴ
照明 マーティン・ゲブハルト
音楽ヘッドコーチ 石坂 宏
舞台監督 斉藤 美穂

出演者

ドン・ジョヴァンニ ルチオ・ガッロ
騎士長 長谷川 顯
レポレッロ アンドレア・コンチェッティ
ドンナ・アンナ エレーナ・モシュク
ドン・オッターヴィオ ホアン・ホセ・ロペラ
ドンナ・エルヴィーラ アガ・ミコライ
マゼット 久保 和範
ツェルリーナ 高橋 薫子

感 想 デモーニッシュということ-新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」を聴く

 ドン・ジョヴァンニはよくデモーニッシュなオペラという言われ方をします。勿論これはストーリーのことを言っているわけではなくて、音楽の素晴らしさの賛辞であります。確かにモーツァルトのダ・ポンテ三部作(「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」)の中では、最も劇的な内容を持つ作品であることは疑いのないところです。それだけに、私は、「ドン・ジョヴァンニ」という作品を素直に、あるがままに演奏すれば、おのずとデモーニッシュないろどりが出てくる、と考えています(とは言うものの、凡百の指揮者に扱えるほど易しい作品ではなく、あるがままに演奏して沈むことは珍しくありませんので、難しいのですが)。

 ところが、トリンクスの考え方は私とは正反対のようで、いかに音楽をデモーニッシュな音楽に、あるいは劇的に作りこむか、ということに主眼が置かれているように聴きました。とにかくケレンがありすぎます。序曲からしてそうです。ドラマティックな作りにこだわるせいか、弦のざらつきがひどいです。目を瞑って聴いてみると、アマチュア・オーケストラのようなレベルで、とても東フィルの名手たちの音には聴こえません。勿論、東フィルの弦セクションがこんな音しか出せないわけはないので、指揮者の意図と考えざるを得ません。

 どんな音を作ろうと結果として舞台が締まればそれで良いわけですが、オーケストラの劇的な表現にこだわるので、「ドン・ジョヴァンニ」という作品が持つ本質的な繊細さに気が回らず、そういう細やかな部分が置いてきぼりになっていたようです。また、モーツァルトがロココの人であるという基本も無視されて作品が本質的に持つ軽さも表現できておらず、特に前半のべたっとした重さは、作品の音楽的魅力を却って阻害しているように思いました。

 疲れてきたのか第二幕の後半では、劇的な表現に対するこだわりがが薄れてきたようで、少しすっきりしはじめてよかったのですが、最初からどうしてこうできないのか、と思わずにはいられませんでした。自分でチェンバロを弾きながら指揮する意欲は買いますが、音楽的には空回りしていたと申し上げないわけには行きません。

 アサガロフの演出は、作品の内容に沿ったオーソドックスなもの。ドン・ジョヴァンニの鬘を初め、ヨーロッパ中世の雰囲気を出しておりました。舞台をヴェネツィアに変えた以外はほとんど台本どおりの素直なものです。保守的な演出を好むドクターTとしてはなかなか満足できました。特に冒頭の、ドン・ジョヴァンニがドンナ・アンナを誘惑するところは、ゴンドラで登場する、舞台表面は鏡状で水面のように反射する、など美的にも美しいものでした。それと比べると、第二幕の森のセットなどは随分ちゃちな感じがしましたが、まあ、よいでしょう。

 歌手陣は総じて良好だったと思います。

 まず特筆すべきは、ルチオ・ガッロのタイトル役の素晴らしさでしょう。落着きのある響きのきれいな声のバリトンで、声量も十分です。トリンクスの重たい音楽作りを全くものともせず歌っているところが素晴らしい。逆に言えば、トリンクスがタイトルロール歌手の一番歌いやすいテンポに合わせた、ということかもしれませんが、余裕綽綽の歌いぶりで大いに感心できました。私が聴いたドン・ジョヴァンニの中では、2001年の新国立劇場公演のフェルッチョ・フェルラネットの名唱と1992年ロイヤルオペラハウス日本公演におけるトーマス・アレンがこれまで印象深かったの二人だったのですが、これで三人になりました。どこをとっても文句なく、例えば、ドン・ジョヴァンニのセレナードの正確で美しい表現、「お手をどうぞ」における色気など聴き応えがありました。

 レポレッロのコンチェッティもまずまずです。ドン・ジョヴァンニの従者としての卑屈さの表現が今ひとつで、レポレッロとしては一寸立派過ぎるきらいがないではありませんが、歌それ自身は良かったと思います。ただ、一番の聴かせどころである「カタログの歌」は今ひとつ精彩にかけていたように思います。この曲は、レポレッロが自由にテンポを動かしながら歌ったほうが感じが出るのだろうと思うのですが、指揮者の音楽作りに余裕がないため、自由に歌えない窮屈な感じが出てしまったのではないかと思いました。

 ドン・オッターヴィオのロペラも結構です。比較的軽めの声のテノールなのに声量は十分で、間違いなく力量のある方です。二つのアリアが歌われますが、どちらも甘美で且つ伸びがあって素敵なものでした。ただ、やはり今ひとつテンポが合わないようで、本来の持ち味と思われる繊細な表現がきちんと聴こえてこなかったのが残念です。

 久保和範のマゼット。しっかりとした歌唱で悪いものではありませんでした。しかし、貫禄でガッロやコンチェッティの比ではなく、役柄から言っても仕方がないのですが、もう少し花嫁を略奪されそうななった男の怒りを示しても良いのかな、と思いました。

 モシュクのドンナ・アンナ。6月の椿姫の歌唱は徹底してけなしたのですが、今回はまずまずでしょう。今のモシュクの声にはヴィオレッタよりもドンナ・アンナに適性があります。前半は音楽の流れに今ひとつ乗り切れていないように思いましたが、後半は大変結構でした。ことに最後の「私が残酷ですって?、それは違います」の劇的な表現が素晴らしかったと思います。

 ドンナ・エルヴィーラを歌ったミコライもよかったです。今回の女声の中では一番だったかも知れません。繊細で多様な表現ができる方のようで、終始エルヴィーラの悲しみを上手に表現しておりました。ニ幕で歌われる二つ目のアリア「なんとひどいことを」がことによく、これまで私が聴いたドンナ・エルヴィーラの中ではベストかも知れないと思うほどでした。それ以外の部分も繊細な表現を心がけていることが分るのですが、それにかぶさるオーケストラの音が乱暴で、折角の繊細な表情が十分に見とれない、そこが大変不満でした。

 高橋薫子のゼルリーナ。灰汁のないすっきりしたゼルリーナを演じました。繊細でコケティッシュな表現が素敵です。大変上手なのですが、すっきりしすぎていて、ケレン味溢れる他の出演者や劇的なだけで繊細さに欠けるオーケストラにおされて目立たない感じだったのが残念です。

 とにかく歌手たちは夫々に特徴があり、また夫々の役柄を十分認識して歌唱し、演じていたと思うのですが、それに合わせた指揮でもオーケストラでもなかったと思います。指揮者が、歌手たちの繊細さを十分生かすような音楽作りをしてくれれば、もっともっと素晴らしい演奏になっていたはずですが、そうできないところに若い指揮者の限界を感じます。

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鑑賞日:20081222
入場料:
5000円 自由席

プッチーニ生誕150年記念講演

主催:Earnest II Entertainment/イタリア文化会館

オペラ1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」Gianni Schicchi)
原作:ダンテ「神曲」地獄篇第30歌
台本:ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

会場:イタリア文化会館アニエッリホール

スタッフ

指 揮 ステファノ・マストランジェロ
管弦楽 ハイブリッド・オーケストラ
エレクトーン 赤塚 博美
監 修 ダリオ・ポニッスィ
演 出 ウンベルト・ドナーティ
美 術 ウンベルト・ドナーティ
衣 裳 仕立て屋ポニッスィ
照 明 天野 もも
舞台監督 山本 勝己

出 演

ジャンニ・スキッキ マッシミリアーノ・ヴァッレッジ
ラウレッタ 高松 美保
ツィータ 新宮 由理
リヌッチョ 岡田 尚之
ゲラルド 福留 和大
ネッラ 山口ヴァレリー幸子
ベット 岡元 敦司
シモーネ 飯田 裕之
マルコ 黒川 拓哉
ラ・チェスカ 安念 奈津
ゲラルディーノ 藤田 理恵
スピネロッチョ 中原 和人
アマンティオ・ディ・ニコラオ 白岩 貢
ピネリーノ 宇田川 慎介
グッチョ 五島 泰次郎
ダンテ・アリギエリ(原作者) ダリオ・ポニッスィ

感想 

お誕生日のオペラ-Earnest II Entertainment/イタリア文化会館「ジャンニ・スキッキ」を聴く

 2008年はプッチーニ生誕150年のメモリアルイヤーということで、各地でプッチーニのオペラが上演されました。その掉尾を飾る上演がプッチーニの誕生日である12月22日に行われました。演目は「ジャンニ・スキッキ」。会場がイタリア文化会館アニエッリホール。多分300席ほどの室内楽やピアノ向きのホールで、私は初めて伺いました。

 会場は超満員。さほど宣伝をした上演ではないと思うのですが、通路にはパイプ椅子が出るほどでした。また観客もイタリアの方が多かったようで、場内で聴こえる会話がイタリア語、イタリア語が全くちんぷんかんぷんの私には、一寸居心地が悪い。勿論盛況だったことは結構なことです。

 しかし、オペラの上演で余計なお話は不要です。最初に館長の挨拶があり、次いでダリオ・ポニッスィがダンテの格好で登場して、ジャンニ・スキッキのお話について語り、その後マストランジェロが登場して、ジャンニ・スキッキの音楽的特徴について説明するのですが、その間40分弱、レクチャー・コンサートではないのですからこういった付録は余計です。イタリア文化会館の立場としては、イタリア文化の啓蒙が必要なのでしょうが、私としてはさっさとはじまって、さっさと終わってくれるのが嬉しい。1時間弱のオペラを聴くのに、40分もの付録に付き合わされるのは一寸閉口です。

 さて、「ジャンニ・スキッキ」を聴くのは本年3回目。最初は8月に三部作として東京文化会館で、二度目は10月に「修道女アンジェリカ」とともにテアトロ・ジーリオ・ショウワで、そして今回です。この3回で上演のスタイルが3本→2本→1本と変化し、会場も2300人入る東京文化会館大ホールから1300人ほどのテアトロ・ジーリオ・ショウワ、そして今回が300人ほどのアニエッリホールとどんどんダウンサイジングしているのが面白い。狭い会場での公演は、観客と歌手との距離が近いので、重唱におけるポジションなど大きな会場で聴くときには余り気にならないことや気がつかないことに気がつきます。

 演奏は小ホールの、舞台が狭い、オーケストラ・ピットがない、などの物理的な制約のなかで行われるわけですからそれなりの限界があります。ハイブリッド・オーケストラと称して、弦楽器・管楽器・打楽器とも各パート1本、足りない部分はエレクトーンで補うというスタイルですので、どうしても弦楽器の厚みが足りない。またオーケストラと私の席とが近すぎて、音が十分に混じらずに聴こえる、といった問題がありました。しかしながら、マストランジェロの指揮はきびきびとした活気のあるもので、演奏を十分リードしていたと思います。プッチーニの喜劇はこうじゃなくてはいけません。

 演出はイタリア文化会館館長のウンベルト・ドナーティ(彼がジャンニ・スキッキに遺産を横取りされた亡くなったブォーゾ・ドナーティの子孫の一人であることは言うまでもありません)。彼の演出はダンテがこの作品を書いた14世紀そのままを意識したもので、衣装などは中世的でした。「ジャンニ・スキッキ」を時代がかった演出で見るのは初めてだったので、それはそれで楽しめました。

 歌手陣では圧倒的にタイトル役のヴァッレッジが良かったです。狭い舞台を縦横に駆け巡り、歌唱も明瞭で、ジャンニ・スキッキの人を食った雰囲気もよく示されており、今年聴いた三人のジャンニ・スキッキの中では一番良かったかも知れません。

 次いで感心したのはリヌッチョを歌った岡田尚之。当初リヌッチョは笛田博昭がアナウンスされていたのですが、急遽降板、岡田に変更になりました。最近評判の笛田の声が聴きたくて、この公演に出かけたのですが、代りに岡田の声を聴くことができてよかったと思います。岡田の歌唱は前半が軽快でよかったのですが、終幕のラウレッタとの二重唱は少し疲れていたのか、声のコントロールが甘くなっていたのが残念でした。でも今後注目していきたいと思わせるものがありました。

 それ以外の方はこの会場ではこの程度は歌えて当然、というレベルでしたが、その中で、新宮由理は存在感のあるツィータでしたし、飯田裕之のシモーネも良く、安念奈津、山口ヴァレリー幸子のラ・チェスカ、ネッラのアンサンブルも良かったと思います。一方、ラウレッタの高松美保は、線が細く、歌が一本調子で広がりがなく残念でした。今年聴いた三人のラウレッタの中では、高橋薫子の足元にも及ばず、特徴の乏しかった田中樹里よりも更に特徴が乏しかったと思います。この広さの会場にもかかわらず、声が飛んでこないのも問題だと思いました。

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