庄野 潤三(1921-2009)年譜

年譜に関する注


  1. この年譜はどくたーTの責任で作成したものです。ちなみに以下の資料を参考に作成しました。
    『庄野潤三全集』(講談社)第10巻収載年譜(庄野潤三作成) 1974年4月
    講談社文芸文庫『インド綿の服』に掲載の年譜(助川徳是作成) 2002年4月
    日本経済新聞「私の履歴書」1998年5月1日〜5月31日
    いわゆる「晩年シリーズ」の記述
    2006年以降の闘病生活に関しては、庄野氏のご親族からの情報に基づいています。
  2. 庄野潤三の年譜であることを踏まえ、「主な出来事」の欄は、庄野文学を理解するために必要と思われる事項に絞りました。家族に関しては、ある程度記述しましたが、これは庄野文学の柱に家族があったことを踏まえてです。
    なお、作品を読めば、もっと数多くのエピソードを知ることができますが、それは読者がひとつひとつ確認いただければ、と思います。
  3. 主な出来事の欄の赤太字は、受賞等を示します。
  4. 主な作品/出版欄の赤太字は、単行本等の出版、青太字は文庫本等の出版、緑太字は、全集等の出版を示します。単行本の出版についてはすべて網羅しておりますが、全集・文庫については、必ずしもすべてをまとめたものではありません。
  5. 主な作品の選択基準は、長編小説はすべて、短編小説もほぼ全作品を選んでおります。随筆については、主要なもののみ示しています。
  6. 「逸見小学校」の発見に合わせ、若干の追記をしました(2011.8.13)

西暦 

和暦 

年齢 

主な出来事 

主な作品/出版 

1921  大正10年  0  2月9日大阪府東成郡住吉村359番地(現大阪市住吉区帝塚山2丁目56番地)に父貞一、母春慧の三男として生れる。
長兄鷗一、次兄英二、姉滋子がいた。後に弟四郎、妹渥子、末弟至が生まれる。
父親は、大正5年に創立された帝塚山学院が翌6年に開校した帝塚山学院小学校の校長であった
 
1922  大正11年  1     
1923  大正12年  2     
1924  大正13年  3     
1925  大正14年  4     
1926  大正15年/昭和元年  5  4月、帝塚山学院幼稚園に入園   
1927  昭和2年  6  4月、帝塚山学院小学部に入学。4月14日、神戸出帆の香取丸で欧米の教育視察に出発した父を見送る。
9月、弟四郎、疫痢のため死去(享年3歳)。12月、父帰国。 
 
1928  昭和3年  7     
1929  昭和4年  8     
1930  昭和5年  9     
1931  昭和6年  10     
1932  昭和7年  11  7月、樽井の臨海学校で二里の遠泳に合格。
この頃初恋、お相手は同級生の山本君の家の家庭教師であった栗林桂子嬢。 
 
1933  昭和8年  12  4月、大阪府立住吉中学校に入学。この時の国語教師に伊東静雄がいた。12月、腎臓炎が発症。   
1934  昭和9年  13  前年12月に発症した腎臓炎のため、ほぼ1年間休学した。   
1935  昭和10年  14     
1936  昭和11年  15     
1937  昭和12年  16  4月、次兄英二、大阪の部隊とともに北満に向かう。
7月、長男鷗一、召集を受けて北支に出征。父母と和歌山県加太の深山重砲兵大隊まで兄を送りに行った。
漢文の井内彦三郎教諭の勧誘によりハーモニカバンドに入部。指揮者としてコンクールに出場し入賞。NHK大阪よりラジオ放送される。
 
1938  昭和13年  17     
1939  昭和14年  18  4月、大阪外語学校英語部に入学。主幹は吉本正秋教授。
このころより英国の随筆を好み、チャールズ・ラムの「エリア随筆」を読み始める。
中学の教科書に載っていたラムの文章を翻訳して、「ふるさと」という題で「外語文学」に投稿。
4月、陸軍中尉の次兄英二が中支に出征。7月、長男鷗一が北支より帰還。 
 
1940  昭和15年  19  7月、津田英学塾で開催された第7回日米学生会議に参加。
このころ、井伏鱒二、内田百閧フ作品に親しむ。
俳句に興味を持ち、内藤吐天の主宰する「東炎」を購読し、同好の級友を誘って句作を試みた。
キャサリン・マンスフィールドの短編「理想的な家庭」を翻訳し、英語部の雑誌「咲耶」に出した。
このころ、英国文学では、マンスフィールドのほかウォルポールなどを読む。 
 
1941  昭和16年  20  3月、河出書房「現代詩集」で伊東静雄の作品を読み、堺市三国ヶ丘の伊東静雄を訪ねる。以後、伊東を度々訪問して文学の話を聞くようになる。
6月、野外教練のあと、気管支炎をこじらせ、学校を長期欠席。このころから詩作を試みるようになる。
12月、大阪外語学校の繰上卒業式に出席。
太平洋戦争開戦に伴い、長兄鷗一再度応召。深山重砲兵大隊。
 
1942  昭和17年  21  4月、九州帝国大学法文学部東洋史学科に入学。1年上級の島尾敏雄を知る。重松俊章教授、日野開三郎助教授の研究室所属。
7月、満州旅行。朝鮮を経てハルピンまで行き、帰りは大連より船で帰国。
9月、試験休みに帰省して伊東静雄と水無瀬宮に遊ぶ。 
 
1943  昭和18年  22  3月、伊東静雄と東京から来た日本医科大学生・林富士馬、貴志武彦と共に、和歌山県古座に旅行。潮岬、那智の滝を訪ねる。
帰りは、伊東と伊勢に出て、志摩半島鵜方に一泊した。
5月、東洋史学会出席のため上京。林富士馬に同行して文京区関口町の佐藤春夫を訪ねる。
8月、友人と父の故郷徳島を訪ね、剣山に登る。
9月、再び朝鮮経由での満州旅行。旅行の目的は東京城に渤海国の首都上京龍泉府の跡を訪ねるためのもの。
鏡泊湖から東京城に戻った日に、法文系学生の徴兵猶予令廃止の新聞記事を読み、ハルビン経由で内地に帰国。
11月、徴兵検査により甲種合格。
11月、処女作「雪・ほたる」を執筆。
12月、広島県大竹海兵団に入団 
1944  昭和19年 23  1月、武山海兵団にある海軍予備学生隊に入隊。
7月、館山砲術学校に移り、対空射撃の訓練を受ける。
10月、九州帝国大学卒業。この昭和19年10月は形式的なもの。大学には応召以来通っていない。
12月、清水市駒越の砲台に隊長として勤務していた長兄鷗一を訪問し、一泊した。
12月、海軍少尉任官 
4月、「雪・ほたる」(まほろば)。伊東静雄の紹介の文章がついた。  
1945  昭和20年  24  1月、フィリピン赴任のため、佐世保に向かう途中、実家に立ち寄り一泊する。フィリピン敗北のため赴任することなく異動
2月、大竹潜水学校を経て館山砲術学校付を命じられ、庄野隊を結成。伊豆半島にある基地部隊に所属して砲台建設に従事。
8月、終戦により復員。弟至も復員。清水の長兄も復員。
10月、大阪府立今宮中学校に奉職。歴史を担当する。また野球部長となる。
 
1946  昭和21年  25  1月、浜生千鶴子と結婚。父の紹介。仲人は帝塚山学院理事長の山本藤助
妻は帝塚山学院の幼稚園、小学部、女学部、女学部高等科を卒業した学院っ子。
5月、奄美大島より復員した島尾敏雄、山形県鶴岡に疎開していた林富士馬とともに同人誌「光耀」を発行。
「光耀」のタイトルは、伊東静雄による。インフレーションのため、印刷が不可能になり、3号で廃刊。
6月、次兄英二、レンパン島より復員。
1月、詩「チェルニの歌」(文学雑誌創刊号:藤澤桓夫編集)
7月、「罪」(午前)
10月、「貴志君の話」(光耀)
11月、「淀の河辺」(午前)
1947  昭和22年  26 4月、このころから藤澤桓夫を訪ねるようになる。
7月、中村白葉訳「チェーホフ著作集」を読み、読書ノートをつける。
10月、長女・夏子誕生 
4月、「ピューマと黒猫」(文学雑誌)
6月、「青葉の笛」(午前)
12月、「恋文」(新現実) 
1948  昭和23年  27  3月、今宮高校が選抜高校野球に出場し、野球部長として甲子園のベンチ入りをする。初戦桐生高校と対戦し敗退。
6月、今宮高校から大阪市立南高校へ転勤。
11月、長兄鷗一死去(享年37)。 
4月、「銀鞍白馬」(文学雑誌)
6月、戯曲「巴旦杏の木の下」(泉田行夫の主宰する児童劇団「ともだち劇場」のために、サローヤンの「我が名はアラム」から「ハンフォードの旅」を劇化) 
1949  昭和24年  28  1月、「逸見小学校」脱稿
7月、「愛撫」が、『群像』の創作合評(青野季吉、中山義秀、荒正人)に取り上げられる。
『群像』より小説の註文を受ける。
4月、「愛撫」(新文学)島尾敏雄の推輓による。
4月、「兄弟」(文学雑誌)
8月、「十月の葉」(文学雑誌) 
1950  昭和25年  29  4月、「舞踏」が、『群像』の創作合評(宇野浩二、平野謙、高見順)に取り上げられる。
10月、父貞一心不全のため急死する。 
2月、「舞踏」(群像) 
8月、「スラヴの子守唄」(群像)
10月、「メリイ・ゴウ・ラウンド」(人間)
1951  昭和26年  30  9月、教職を辞職し、朝日放送に入社。教養番組制作を担当。同僚に、帝塚山学院出身の阪田寛夫がいた。
9月、長男龍也生れる。 
 
1952  昭和27年  31    4月、「紫陽花」(文芸) 
6月、「虹と鎖」(現在)
1953  昭和28年  32  3月、師の伊東静雄死去。
7月、「喪服」、「恋人」が昭和28年上半期の芥川賞候補になる。
9月、朝日放送東京支社に転勤。学芸課長の吉田三七雄の計らいによる。
東京都練馬区南田中町453番地に住む。 
1月、「喪服」(近代文学)
4月、「恋文」(文芸)
6月、「先生のこと」(詩学)
8月、「会話」(近代文学)
12月、「流木」(群像)
12月、第一創作集『愛撫』を新潮社より出版。  
1954  昭和29年  33  この年の初めころから、杉並区清水町の井伏鱒二を訪ねるようになる。
1月、東中野の「モナミ」で小島信夫『小銃』と庄野潤三『愛撫』の合同出版記念会が開催された。
4月、安岡章太郎の結婚の仲人をする。 
1月、「噴水」(近代文学)
2月、「臙脂」(文学界)
6月、「桃李」(文学界)、「黒い牧師」(新潮)、「団欒」(文芸)
10月、「結婚」(文学界)
12月、「プールサイド小景」(群像) 
1955  昭和30年  34  1月、母、脳血栓のため危篤。この年、母親の看病のため、家族とともにしばしば帰阪。
1月、「プールサイド小景」により、昭和29年下期、第32回芥川賞を受賞。同時受賞が小島信夫「アメリカンスクール」  
3月、「文学界」の同人雑誌現地座談会出席のため札幌旅行。
8月、朝日放送退社。文筆専業となる。
1月、「異端糾問」(近代文学) 
2月、「伯林日記」(文芸)
2月、『プールサイド小景』をみすず書房より出版
3月、「鵞ペン」(別冊文芸春秋)
4月、「バングローバーの旅」(文芸)
4月〜8月31日「ザボンの花」(日本経済新聞夕刊,152回)。最初の新聞連載小説。
4月、河出新書『結婚』を出版
5月、「兄弟」(新潮)、「雲を消す男」(文学界)
6月、「帰宅の時」(別冊文芸春秋)
7月、「海の景色」(中央公論)、「薄情な恋人」(知性)、「三つの葉」(小説新潮)
10月、「ビニール水泳服実験」(文芸)、「緩徐調」(文芸春秋)、「少年」(小説新潮)
12月、「無抵抗」(別冊文芸春秋)
1956 昭和31年  35  2月、次男和也生れる。
4月、母・春慧死去。
8月、近藤啓太郎の紹介により、千葉県安房郡江見町の太海へ家族で海水浴に行く。その後、ほぼ毎年この地へ海水浴へ出かけるようになる。 
1月、「可愛い人」(婦人朝日) 
1月、 文庫本『プールサイド小景』(角川文庫)出版
3月、「勝負」(文芸)
4月、「机」(群像)、「離れ島」(小説公園)
5月〜1957年2月、「旅人の喜び」(知性)連載
5月、「孔雀の卵」(小説新潮)、「スカランジェロさん」(小学六年生)
7月、『ザボンの花』を近代生活社より出版
8月、「黄色いガウン」(若い女性)
9月、「夢見る男」(小説新潮)
10月、「不安な恋人」(文学界)、「会話の練習」(小説公園)
11月、「ハンモック」(オール読物)
12月、「太い糸」(別冊文芸春秋)
1957  昭和32年  36  2月頃から夏にかけて、剃刀負けによるアレルギー症に苦しむ。 
8月26日、ロックフェラー財団の招きにより米国に留学することになり、妻と共にクリーブランド号で横浜を出帆。
サンフランシスコ、ロサンゼルス、グランド・キャニオン、シカゴを経て9月初めにケニオン大学のあるオハイオ州ガンビアに到着。
詩人のジョン・クロウ・ランサム教授に住居や聴講手続きなどで世話になる。
留守宅には妻の母が来て、3人の子供の世話をした。
12月、ワシントン旅行
2月、「ある町」(群像)、「独身」(小説公園)
6月、「父」(文学界)
6月、『バングローバーの旅』を現代文芸社より出版
7月、「自由な散歩」(小説新潮)
8月、「私のパタシュ」(新女苑)
10月、「相客」(群像)
11月、「吊橋」(オール読物)
1958  昭和33年  37  3月、バスで南部ニューオリンズ旅行。
6月、ニューヨーク、ボストン経由でカナダ国境へ旅行
8月、クリーブランド号で帰国。 
12月、「五人の男」(群像)、「イタリア風」(文学界) 
1959  昭和34年  38  3月、「静物」の執筆のため、次兄英二の友人の住む、和歌山県九度山町へ行く。
4月、この頃、十和田操と武蔵嵐山、越谷に遊ぶ。
7月、「ブリジストン・ニュース」の原稿を書くため、岐阜県御母衣へ旅行し、ダム工事を見学。
8月、家族と太海へ行く。 
1月、「南部の旅」(オール読物)、1月13日随筆「自分の羽根」を産経新聞に発表。
3月、「父母の国」(婦人之友)、「話し方研究会」(別冊小説新潮)
3月、書き下ろし『ガンビア滞在記』を中央公論社より出版
9月、「ニューイングランドびいき」(婦人画報)
10月、「静かな町」(別冊小説新潮)
11月、「蟹」(群像) 
1960  昭和35年  39  11月、「静物」により、第7回新潮社文学賞受賞。  6月、「静物」(群像)
7月、「なめこ採り」(文学界)、「土人の話」(小説中央公論)
10月、「二人の友」(聲)
10月、 『静物』を講談社より出版
11〜12月「王様とペンギン」(婦人之友) 
1961  昭和36年  40  4月、神奈川県川崎市生田に転居。長女夏子は生田中学校2年に、長男龍也は生田小学校4年に転入。次男和也は西生田幼稚園に入園。
6月、次兄英二、「ロッテルダムの灯」により、日本エッセイストクラブ賞受賞。
8月、家族と太海へ行く。次兄英二と長野県御代田へ旅行
1〜12月、「紀行随筆」を連載(いけ花龍生)
2月、「湖中の夫」(新潮)
3月、「花」(小説中央公論)、「群像」誌の座談会「私小説は滅びるか」(上林暁、亀井勝一郎とともに)に出席。
4月、「マッキー農園」(文学界)、「グランド・キャニオン」(風景)、「セーラの話」(小学六年生)
7-9月、「群像」誌の創作合評に安部公房、三島由紀夫と出席。
9月、「二つの家族」(新潮)
9月、書き下ろし長編小説『浮き燈台』を新潮社から出版
10月、「リッチソン夫妻」
11月、「一夜の宿」(文学界)
11月、アメリカの”THE LITERARY REVIEW"誌秋季号「戦後日本文学特集号」に「プールサイド小景」が掲載された。
1962  昭和37年  41  7月、家族と太海へ行く。
10月、宮崎県立図書館主催の講演会で講演 
4月、「道」(新潮)
5月、「天龍川をさかのぼる」(旅)
6月、「雷鳴」(文学界)、「熊谷守一の回顧展」(芸術新潮)
7月、「薪小屋」(群像)
7月、 短編小説集『道』を新潮社より出版
8月、「日ざかり」(新潮)
8月〜1963年7月、「つむぎ唄」(芸術生活)
10月、「休日」(文芸)、「写真家スナイダー氏」(風景) 
1963  昭和38年  42  4月〜1964年3月、早稲田大学文学部講師になり、英語を担当する。
7月、家族と太海へ行く。 
2月、「橇」(文学界)
2月、『旅人の喜び』を河出書房より出版
4月、「鳥」(群像)
7月、単行本『つむぎ唄』を講談社より出版
8月、「郡上八幡」(朝日ジャーナル)
10月、「石垣いちご」(文学界)
12月、『阿川弘之・庄野潤三集』(新日本文学全集1)(集英社)
1964  昭和39年  43  4月、NHKラジオ「人生読本」に出演。
5月、恩人の一人、佐藤春夫、死去
5月、佐渡へ取材旅行、NHKの講演会のため、札幌旅行。
8月、家族と太海へ行く。
11月、次兄英二『星の牧場』により野間児童文芸賞受賞。 
2月、「鉄の串」(群像)
3月、「子供の怪我」(婦人之友)
5月、短編小説集『鳥』を講談社より出版  
6月、「蒼天」(新潮)
7月、「曠野」(群像)
9月、「思い出すこと」(世界)
9月6日〜1965年1月19日、「夕べの雲」(日本経済新聞)
10月、書き下ろし『佐渡』を学習研究社より出版(「芥川賞作家シリーズ」の1巻として)  
1965  昭和40年  44  6月、石川県安宅町へ取材旅行
8月、家族と太海へ行く。 
1月、「つれあひ」(新潮)
1月、 新潮社の日本文学全集72、「名作集(四)昭和篇(下)」に「静物」が収載された。
2月、「冬枯」(群像)
2月、『プールサイド小景、静物』(新潮文庫)を出版  
3月、「行きずり」(文学界)
3月、 『夕べの雲』を講談社より出版
11月、「秋風と二人の男」(群像)
12月、「文学を求めて」(小島信夫との対談)(新潮)
この年、イタリアのポンピニア社より刊行された『現代日本小説集』に「道」が収載。
1966  昭和41年  45  2月、『夕べの雲』により、第17回読売文学賞受賞
8月、家族と太海へ行く
11月、徳島旅行。眉山の麓にある母方の祖父母の墓参。 
2月、「自然と描写」(高井有一との対談)(文学界) 
6月、「まはり道」(群像)
7月、「日本の文壇と英文学-夏目漱石をめぐって」(福原麟太郎との対談)(英語青年)
10月、「流れ藻」(新潮)
12月〜1967年11月、「雉子の羽」(文学界)
12月、イタリア・ミラノのフェロ・エディチオニ社より『夕べの雲』が翻訳刊行された(リッカ・須賀敦子訳)
1967  昭和42年  46  8月、家族と太海へ行く
9月、妻と広島の親せきを訪ね、宮島沖でキスゴ釣りをする。 
1月、「山高帽子」(文芸)
1月、 『流れ藻』を新潮社より出版。
3月、「卵」(朝日新聞日曜版)
3月、講談社「われらの文学」第13巻『庄野潤三』刊行
4月、「雪舟の庭」(太陽)
6月、筑摩書房「現代文学大系」62巻『島尾敏雄、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介集』が刊行された。
10月、「丘の明り」(展望)
12月、『丘の明り』を筑摩書房より出版  
1968  昭和43年  47 3月、父方、母方の祖先の法要のため、徳島旅行。
8月、家族と広島旅行。釣りと海水浴をする。 
1月、「伊東静雄・人と作品」「解説」を新潮社「日本詩人全集」第28巻『伊東静雄、立原道造・丸山薫』に発表。
2月、「星空と三人の兄弟」(群像)
2月、最初の随筆集『自分の羽根』を講談社より出版
3月、『雉子の羽』を文藝春秋社より出版
4月、「尺取虫」(季刊芸術)
4月、学芸書林「全集・現代文学の発見」5巻『日常の中の危機』に「プールサイド小景」を収載。
7月、「佐藤春夫伝」「解説」を文藝春秋社「現代文学館」21巻『佐藤春夫・室生犀星』に発表。
8月、「前途」(群像)
8月、筑摩書房「日本短編文学全集」第10巻『国木田独歩、尾崎一雄、庄野潤三』刊行
9月、「湖上の橋」(文学界)
10月、『前途』を講談社より出版
1969  昭和44年  48  8月、家族と広島旅行。  1月、「秋の日」(文芸)
2月、 中央公論社「日本の文学」第75巻『阿川弘之・庄野潤三・有吉佐和子』刊行
3月、「雨の日」(風景)
5月、「戸外の祈り」(婦人之友)
9月、「紺野機業場」(群像)
11月、「パナマ草の親類」(海)
11月、『紺野機業場』を講談社より出版  
1970  昭和45年  49  3月、「紺野機業場」により、第20回芸術選奨受賞 
5月、長女夏子、今村邦雄と結婚。この結婚は井伏鱒二の世話による。仲人は小沼丹。結婚後は生田の実家の近くの餅井坂の借家に住む。
8月、家族と広島を経て山口県長島の白井田へ行き、釣りと海水浴をする。
11月、岡山県笠岡市古城山の木山捷平詩碑除幕式に出席。
1月、「小えびの群れ」(新潮)
1月、筑摩書房「現代日本文学大系」第88巻『阿川弘之・庄野潤三・曾野綾子・北杜夫集』刊行
2月、「年ごろ」(文学界)
3月、「さまよい歩く二人」(文芸)
4月、「野菜の包み」(群像)
6月、随筆集『クロッカスの花』を冬樹社より出版
8月、「屋根」(新潮)
10月、短編集『小えびの群れ』を新潮社より出版
11月、「絵合せ」(群像) 
1971  昭和46年  50  7月、初孫・今村和雄誕生。
12月、『絵合せ』より第24回野間文芸賞受賞。  
1月、「蓮の花」(文芸)、仕事場(新潮)
3月、「カーソルと獅子座の流星群」(文学界)
5月、 短編集『絵合せ』を講談社より出版
5月、河出書房「カラー版日本文学全集」第52巻『庄野潤三・小島信夫・三浦朱門集』刊行、学習研究社「現代日本の文学」第44巻『小島信夫・庄野潤三集』刊行
7月、「村の道」(新潮)
7月、『夕べの雲』(講談社文庫)
7月、 新潮社「日本文学全集」第39巻『阿川弘之・庄野潤三・小島信夫』
8月、「宝石の一粒」(文芸)
10月、「休みのあくる日」(群像)
11月、「組立式の柱時計」(新潮)、「『絵合せ』を語る」(古屋健三によるインタビュー)(三田文学)
11月、『屋根』を新潮社より出版  
1972  昭和47年  51  4月、大阪にて、父貞一23回忌、母春慧17回忌、兄鷗一25回忌の法要を行う。
7月、『明夫と良二』により第2回赤い鳥文学賞受賞。
8月、家族と山口県長島の白井田へ海水浴に行く。 
9月、二人目の孫・今村良雄誕生
11月、『明夫と良二』により、第26回毎日出版文化賞受賞。
1月、「餡パンと林檎のシロップ」(文学界)
1月〜10月「野鴨」(群像)
4月、 書き下ろし『明夫と良二』を岩波書店より出版(岩波少年少女の本16)
8月、新潮社「新潮日本文学」第55巻『庄野潤三集』刊行
12月、『ザボンの花』(角川文庫)  
1973  昭和48年  52 5月、作家としての業績により第29回日本芸術院賞受賞
11月、第2回川崎市文化賞受賞。
 
1月〜12月、文芸に短編連作を発表。9回。後に『おもちゃ屋』として出版
1月、「雨傘」(新潮)
1月、 『野鴨』を講談社より出版
4月、 講談社「増補決定版・現代日本文学全集」補巻40『庄野潤三・遠藤周作集』刊行
5月、 随筆集『庭の山の木』を冬樹社より出版
6月、「鷹のあし」(群像)
6月〜1974年4月、講談社より『庄野潤三全集』全10巻刊行。  
1974  昭和49年  53    1月、「砂金」(群像)
3月、連作短編集『おもちゃ屋』を河出書房新社より出版
4月〜6月、「毎日新聞」夕刊に週1回連載「三宝柑」ほか
5月、「漏斗」(新潮)
6月、「霧とイギリス人」(文芸)
7月、「引越し」(海)
10月、「葡萄棚」(群像)
12月、「葦切り」(新潮) 
1975  昭和50年  54  2月、親友の阪田寛夫が芥川賞受賞。庄野家一家が電話口で万歳三唱する。
5月、中国人民対外友好協会の招きで、日本作家代表団の一員として中国各地を旅行。 
1月-12月、文学界に短編連作を発表。2月を除く11回。後に『鍛冶屋の馬』として出版。
1月、「五徳」(文芸)、「やぶかげ」(海)
2月、 短編小説集『休みのあくる日』、新潮社より出版
4月、「屋上」(群像)
8月、「黄河の鯉-中国の旅から」(文芸) 
1976  昭和51年  55  三人目の孫・今村明雄誕生 

1月、「かたつむり」(群像)、「家鴨」(海)
4月、 連作短編集『鍛冶屋の馬』を文藝春秋社より出版
6月、随筆集『イソップとひよどり』を冬樹社より出版
7月、「菱川屋のおばさん」(海)
10月、「写真屋」(群像) 

1977 昭和52年 56    1月〜1978年7月、文学界に短編連作を発表。ほぼ隔月。後に『シェリー酒と楓の葉』として出版。
2月、「引き潮」(新潮)
6月〜1979年2月「水の都」(文芸)
8月、コルクの中の猫(海)
12月、「双眼鏡」(群像) 
1978  昭和53年  57  4月、20年ぶりにオハイオ州ガンビアを訪問。ケニオン大学より文学博士の名誉学位を受ける。
12月、日本芸術院会員になる。  
1月、「割算」(新潮)
4月、 『水の都』を河出書房新社より出版。
11月〜1980年1月、「ガンビアの春」(文芸)
11月、『シェリー酒と楓の葉』を文藝春秋社より出版  
1979  昭和54年  58  11月、長男・龍也、鈴木敦子と結婚。仲人は阪田寛夫。  1月、「三河大島」(群像)
4月、随筆集『御代の稲妻』を講談社より出版。
7月、「伊予柑」(海)、
11月、「ある健脚家の回想」(文学界) 
1980  昭和55年  59  3月、長女夫妻、南足柄市に家を建て、転居
5月、妻とロンドン旅行 

1月、「モヒカン州立公園」(群像)
2月、短編小説集『屋根』を講談社より出版
4月、『ガンビアの春』を河出書房新社より出版
5月、「失せ物」(新潮)、「『ガンビアの春』補記」(文芸)
6月〜1981年9月、「早春」(海)
11月、上林暁追悼文「葉書の文学」(群像)、河上徹太郎追悼文「柿生の河上さん」(文学界)
12月、「ウェバーさんの手紙」(波)
12月、新潮社「新潮現代文学」第40巻『浮き燈台/流れ藻』刊行  

1981  昭和56年  60    1月、「昔の仲間」(文学界)
3月、「七草まで」(文芸)、福原麟太郎追悼文「福原さんを偲ぶ」(新潮)
10月、「インド綿の服」(群像)
11月、「休暇中のロン」(新潮) 
1982  昭和57年  61    1月〜1983年8月「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」(文学界)
1月、「おじいさんの貯金」(文芸)
1月、『早春』を中央公論社より出版。
1983  昭和58年  62    1月、「大きな古時計」(文芸)
9月、「嗅ぎ煙草とコーヒー」(新潮)
11月、「泣き鬼とアイルランドの紳士」(文学界) 
1984  昭和59年  63  四人目の孫・今村正雄誕生  1月、「楽しい農婦」(群像)
2月、「メイフラワー日和」(海)
2月、 『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を文藝春秋社より出版
5月、「山の上に憩いあり」(新潮)
6月〜1985年7月、「サヴォイ・オペラ」(文芸)
11月、「雪の中のゆりね」(群像)
11月、 『山の上に憩いあり−都築ヶ岡年中行事』を新潮社より出版
12月、自選随筆集『子供の盗賊』を牧羊社より刊行
1985  昭和60年  64  10月、次男・和也、冨田操と結婚。仲人は藤野邦夫。
11月13日、脳内出血のため川崎市の高津中央総合病院に入院。12月2日阪田寛夫の紹介で虎ノ門病院梶ヶ谷分院に転院。12月27日退院。 

8月、「会計簿と『チェーホフ読書ノート』」(群像)
9月〜1986年8月、日本経済新聞のコラム「スポーツの四季」に随筆を連載。10回
11月、「誕生祝い」(群像)、「南の島のまどさん」(波) 

1986  昭和61年  65  7月、和也長女・文子誕生  1月、「ガンビア停車場」(文学界)
3月、 『サヴォイ・オペラ』を河出書房新社より出版
7月〜1987年8月、連載エッセイ「世をへだてて」(ほぼ隔月、7回)(文学界)
12月、「丹下氏邸−エリア随筆」(短歌) 
1987  昭和62年  66    1月、島尾敏雄追悼文「気儘な附合い」(新潮)
7月、小学館「昭和文学全集」21巻『小島信夫、庄野潤三、遠藤周作、阿川弘之集』刊行
10月、「足柄山の春」(群像)
11月、『世をへだてて』を文藝春秋社より出版  
1988  昭和63年  67    2月、『インド綿の服』を講談社より出版
4月、
『夕べの雲』(講談社文芸文庫)刊行
8月〜1989年7月、「エイヴォン記」(群像) 
1989  昭和64年/平成元年  68    3月〜1991年4月「懐しきオハイオ」(文学界)
6月、『絵合せ』(講談社文芸文庫)刊行
8月、『エイヴォン記』を講談社より出版  
1990  平成2年  69  3月、和也長男・春夫誕生   
1991  平成3年  70  6月、龍也長女・恵子誕生  4月、随筆集『誕生日のラムケーキ』を講談社より出版
5月〜1991年4月、「鉛筆印のトレーナー」(海燕)
9月、『懐しきオハイオ』を文藝春秋社より出版
1992  平成4年  71  10月、次男・和也、小田急読売ランド前に転居  1月、短編小説集『葦切り』を新潮社より出版
5月、 『鉛筆印のトレーナー』を福武書店から出版
11月〜1993年10月、「さくらんぼジャム」(文学界) 
1993  平成5年 72  11月、勲三等瑞宝章受章。
11月、神奈川文化賞受賞
 
11月26日、次兄・英二死去。 
9月、「追悼・井伏さんの本」(群像)、「追悼・井伏鱒二『白鳥の歌・水甕』」(文学界) 
1994  平成6年  73  1月、受賞祝いとして、四家族合同で箱根芦の湯「きのくにや」へ1泊旅行
3月、龍也長男・龍太誕生。
1月〜12月、「文学交友録」(新潮)
2月、『さくらんぼジャム』を文藝春秋社から出版
10月、「群像」の「我が友吉行淳之介」の座談会に出席(遠藤周作、阿川弘之などと) 
1995  平成7年  74    1月〜12月、「貝がらと海の音」(新潮45)
3月、『文学交友録』を新潮社から出版。
9月、随筆集『散歩道から』を講談社から出版
10月、「宝塚・井伏さんの思い出」(本) 
1996  平成8年  75  1月、金婚式  1月〜1997年1月、「ピアノの音」(群像)
4月、貝がらと海の音』を新潮社から出版
7月、「父の本棚」(文学界)
9月、「フランス人形の絵」(新潮)
12月、遠藤周作追悼文「フランスの土産話」(群像)
1997  平成9年  76  8月、庄野家と子供3家族、合計4家族合同による伊良湖旅行  1月〜12月「せきれい」(文学界)
1月、小沼丹追悼文「小沼とのつきあい」(群像) 
4月、『ピアノの音』を講談社から出版
1998  平成10年  77    1月〜12月「庭のつるばら」(新潮)
4月、『せきれい』を文藝春秋社から出版
5月、1日から31日まで、「私の履歴書」を日本経済新聞に連載。
10月、随筆集『野菜讃歌』を講談社より出版 
1999  平成11年  78   

1月〜12月「鳥の水浴び」(群像)
4月、 『庭のつるばら』を新潮社より出版
10月、新潮文庫『文学交遊録』を出版  

2000  平成12年  79    1月〜12月、「山田さんの鈴虫」(文学界)
4月、『鳥の水浴び』を講談社から出版。  
2001  平成13年  80  7月、「おじいちゃん八十歳おめでとうの会」開催。大久保・「くろがね」にて。庄野一家13人プラス阪田寛夫、藤野邦夫の合計15人が出席。  1月〜12月、「うさぎのミミリー」(波)
4月、『山田さんの鈴虫』を文藝春秋社より出版 
6月、『貝がらと海の音』(新潮文庫)を刊行
2002  平成14年 81  5月、最初のひ孫が誕生、2009年現在、ひ孫は6人となる。  1月〜12月、「庭の小さなばら」(群像)
2月、江國香織との新春対談「静かな日々」(新潮)
4月、『うさぎのミミリー』を新潮社より出版
4月、インド綿の服』 (講談社文芸文庫)を刊行
9月、随筆集『孫の結婚式』を講談社より出版 
2003  平成15年  82    1月〜12月、「メジロの来る庭」(文学界)
2月、『庭のつるばら』(新潮文庫)を刊行
4月、『庭の小さなばら』を講談社より出版  
2004  平成16年  83    1月〜12月、「けい子ちゃんのゆかた」(波)
4月、『山田さんの鈴虫』を文藝春秋社より出版
5月、ピアノの音』 (講談社文芸文庫)を刊行
2005  平成17年  84  3月、親友の阪田寛夫死去。  1月〜11月、「星に願いを」(群像)
1月、『せきれい』(文春文庫)を刊行
4月、『けい子ちゃんのゆかた』を新潮社より出版  
2006  平成18年  85  9月、外出先で脳梗塞のため倒れる。新宿の春山外科に入院。年末、柿生の麻生リハビリ病院に転院。 1月〜12月、「ワシントンのうた」(文学界)
3月、『星に願いを』を講談社より出版
5月、愛撫・静物 庄野潤三初期作品集』 (講談社文芸文庫)を刊行  
2007  平成19年  86  3月、退院。自宅に戻る。  4月、『ワシントンのうた』を文藝春秋社より出版
7月、自分の羽根 庄野潤三随筆集』 (講談社文芸文庫)を刊行
10月、
山田さんの鈴虫』(文春文庫)刊行 
2008  平成20年  87     
2009  平成21年  88  9月21日、午前10時44分老衰のため逝去。享年88歳。9月28日、生田の春秋苑にてお別れ会が行われた。
南足柄市の長泉院に埋葬。
10月、『けい子ちゃんのゆかた』(新潮文庫)刊行 
2011  平成23年    未発表作品の「逸見小学校」が発見される  7月、「逸見小学校」が「新潮」8月号に掲載。
同月、『逸見小学校』を新潮社より出版
2014  平成26年      7月 夏葉社より岡崎武志編 庄野潤三小説撰集『親子の時間』を刊行 


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