世をへだてて

書誌事項

世をへだてて
庄野潤三著

初出一覧 

 夏の重荷  「文學界」 1986年7月号
 杖  「文學界」 1986年9月号
 北風と靴  「文學界」 1986年12月号
 大部屋の人たち  「文學界」 1987年2月号
 Dデイ  「文學界」 1987年4月号
 作業療法室  「文學界」 1987年6月号
 同室の人  「文學界」 1987年8月号

出 版 1987年11月1日 文藝春秋社 
定 価 1200円
ISBN4-16-341840-7 C0095

紹介 

庄野潤三さんは、1985年11月13日脳内出血で川崎市の高津中央総合病院に入院。容態が安定した後、川崎市の虎ノ門病院梶ヶ谷分院に転院してリハビリテーションを行い、同年12月27日に退院しました。入院期間は僅か2箇月に過ぎないのですが、この入院が庄野さんの晩年の生活と作風とに与えた影響は大きかったと思います。

「世をへだてて」は、庄野さんのこの入院体験に基づいて書かれた小説です。本人もこの作品を「長い随筆」と言っているので、随筆と言ってもよいのですが、いくつかの潤色が認められますので、小説的随筆というのが的確かも知れません。

最初の「夏の重荷」は、この長編随筆のイントロダクションです。自分の病後の気持ちを英文学者で随筆家であった福原麟太郎の「秋来ぬと」に託して、元気になりつつある自分を励まそうとしています。また、この章があることで、「世をへだてて」が単なる闘病記では無く、庄野さんのその後の仕事への意志を示すことになっています。「夏の重荷」は庄野さんの言葉を借りれば、
「発病からまる一年たった翌三十一年、猛暑のつづくなかで福原さんがどのように秋の到来を待ち望み、健康を取り戻しつつある手ごたえを確かめながら、発病までは教職のかたわらの兼業のようになっていた新聞雑誌への註文原稿のお仕事を再開されたか、その様子が記されている。」
庄野さんも、この「世をへだてて」を書き始めるときは、病後の寒い冬を乗りきり、本格的な仕事の再開の時期だったこともあって、「前々から心を惹かれていた「秋来ぬと」を一層身近な気持ちで読み、励ましを受けるようになった」
紹介は詳細に綿密に行われ、執筆された時期の福原麟太郎と庄野さんとの交流も含めながら立体的に組みたてられています。庄野さんは、文芸評論的仕事はほとんどなされていませんが、自分の好きな作品を紹介するという芸はさすがものがあり、一読者に過ぎないTが、このようなホームページを開設する不遜さがよく分ります。

次ぎの「杖」は、庄野さんの病気全体のサマリーとも言うべき内容です。そして、「杖」をキーワードに「Cane」と「stick」の違いを論じ、Caneが鞭の意味を持つことを示して、「トム・ブラウンの学校生活」(トマス・ヒューズ)において、トムがいたづらをして校長先生に鞭打たれることを話し、ガンビアのケニオンカレッジでの思い出に飛び、正に変幻自在です。その合い間に自分のリハビリテーションを語り、更には、倒れた時分のことを語ります。広がりがあって自在ですが、達意の文章で、加えて、ユーモアもあり、庄野さんの随筆の芸を堪能できる秀作です。

「北風と靴」から「同室の人」は、発病してから退院するまでの経験を、時系列にそって語っています。倒れた当時のことは、本人の記憶が曖昧な為、娘の夏子さんの記憶に基づいて書かれています。病気の時の自分の感じ方、周囲の入院患者の親切、転院時の苦労、リハビリテーションの内容から、体温計を壊した時のきまりわるい思いまで、幻想的にあるいはユーモアをもって書かれています。

ここで、一番素晴らしいことは、お父さんの大病を妻と子供たちが、皆で支えて行こうとしている姿勢です。この時点において、夏子さんは4人目の子供が未だ乳飲み子でしたが、その子を負ぶって、南足柄の家から病院に通います。夏子さんの御主人も車を運転して、あるいは、転院の時の病院との交渉で協力します。二人の息子さんもすでに結婚なさっていましたが、二人のお嫁さんも手伝いに行っている様でした。下の和也さんのお嫁さん「ミサヲちゃん」は、「フーちゃん」がお腹の中にいて、つわりの最中でしたが、協力をしています。

この家族の結束したリレーと、庄野さんの持つ運とリハビリへの意欲とが相俟って、比較的早く退院することが出来、その後の旺盛な作家活動につながっているものだと思います。

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