陽気なクラウン・オフィス・ロウ

書誌事項

陽気なクラウン・オフィス・ロウ
庄野潤三著
1984年2月10日第一刷発行
文藝春秋社、1500円、

初出:「文學界」1982年1月号〜1983年8月号

紹介

 非常に片手落ちな紹介です。残念ながら、私はラムを読んだことがありません。だから、ラムという随筆家が英文学においてどのような位置を占めているか知らないのです。ラムを読んでいないと、「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」の本当の面白さは分らないのではないか、という気がします。でも仕方が有りません。ラムを読んだことがないどくたーTによるラムを非常に敬愛する庄野潤三さんの「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」の紹介です。

 まず、チャールズ・ラムの紹介から。

Charles Lamb 17751834 ロンドン、テンプルのクラウン・オフィス・ロウ生まれ。クライスツ・ホスピタル校に学ぶ。1789年より92年にかけて南海会社に勤務。17921825年ロンドンの東インド会社・書記。1807年姉メアリとの共著により出版された「シェイクスピア物語」にて有名。1796年以降、精神を病んだ姉メアリの保護者となり、生涯独身を通した。代表的な作品は、2025年にわたり「ロンドン・マガジン」に“エリア”のペンネームで寄稿したエッセイであり、後に「エリア随筆(前編)(1823)と「エリア随筆(後編)(1833)としてまとめられ、刊行された。

 庄野さんが中学校の英語の副読本でラムと初めて出会ってから40年あまり。心斎橋の丸善で生れて初めて買った洋書がエヴリマンズ・ライブラリーの「エリア随筆」。こうして長い間、ラムとラムの描くイギリスに興味を持ちつづけていた庄野さんが、奥様とともに初めてロンドンを訪問したのは1980年5月のことでした。その10日間のロンドン滞在の記録が本書です。

 庄野さんは、朝起きてから夜寝るまでの行動を克明に説明していきます。朝7時30分に起き、ホテルの1階のコーヒーショップ「ゲイエティ」に行って、コンチネンタルの朝食を食べるところから、帰って来てブランデーを飲みながらテレビを見、風呂に入って寝るまでです。日中は出かけているのですが、ロンドン大学に留学中の井内雄四郎さんに案内されて、あるいはご夫婦だけで、ラム所縁の地を歩くのです。庄野さんにとっては、バッキンガム宮殿も、ウェストミンスター寺院も、ロンドン塔も興味の対象ではありません。ほとんどがラムと、ラムの紹介者として名高い福原麟太郎氏、そしてかつてロンドンを訪れた自分の父親の足跡を追う日々です。

 初日はまず、ラムの生まれ育ったテンプル(法学院)に出かけます。20世紀の法学院の様子を眺めながら、その地に生まれ育ったラムに思いを馳せます。
 「チャールズ・ラムは昔、ここにありし弁護士事務室にて生る。1775年2月10日」
と刻まれた石の文字板を見つけて喜びます。そこで、庄野さんは、ラムの両親の雇い主だったサミュエル・ソールトに思いを馳せます。テキストは、エリア随筆の中の「法学院の老判士」。さらに、そこに描かれた風変わりな人物を紹介し、テンプルの沿革までのべます。テキストはラムのほか福原麟太郎の随筆や観光案内。一つの場所を重層的に描いていきます。つまり、庄野さんにとってのロンドンは、ラムの街であると同時に、福原さんの街であり、父親の足跡の残った街なのです。

 二日目は、コヴェントガーデン、大英博物館、ピカデリーサーカスを廻ります。その前に、ソールトのエピソードを紹介し、ラムの学校時代からサラリーマンになるまでの略歴を紹介します。散歩を始めると、コヴェントガーデンの由来を紐解き、ラム姉弟がこの町に住んでいたことを述べます。夕方からは、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の舞台をみます。この「マイ・フェア・レディ」に関する薀蓄を示した後、ラムの芝居好きの話が登場します。ドルアリー・レーン座の思い出を書いたラムの随筆と、ドルアリー・レーン座の歴史を見比べながら、ラムの行ったドルアリーレーン座は1812年に改築される前の建物だろうかと偲びます。

 聴き書き作品が、庄野さんの一つの系列にあります。世間的には無名な人の生活を聴き書きする作品です。代表作は「紺野機業場」でしょうか。「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」も聴き書き作品と呼んでよいと思います。ただし、訊かれて答える人が、ラムであり、福原麟太郎であります。庄野さん曰く、「ラムは世間でいう文士と違った一生を送った。いくらか痩せ我慢もあるにはあるが、「花の都ロンドンの会社員」であるという誇りをもっていた。」。そうであるからこそ、このロンドン紀行は、18世紀末から19世紀初頭の活性化したラムの愛したロンドンと、自分が足を置いている現在のロンドンが、ロンドンの静寂と喧騒とが立体化するのでしょう。

 毎日出かけ、出掛けた先でラム姉弟の生活に思いを馳せる。その形で旅行記が進行します。それが文学的興味を呼びます。一方において、庄野さんにとって、食事をしたり見物をすることと、ラムやその時代のロンドンに思いをよせることは、同じことの様です。食事をするのは宿泊していたストランドパレスホテルの中あるいは周辺のレストランやバーが多いようですが、そこの給仕さんの行為や周囲のお客さんの様子も克明に書いて行きます。ビーフィーター・バーの素足で髪を三つ編みにして良く働く給仕の女性や、マスク・バーのマリアンなどとの交流は、ラムや19世紀のロンドンを行きつ戻りつしている読者にとっては、作者夫妻と同様に、恰好の息抜きの場になっています。

 この旅行は、庄野さんにとっても奥様にとっても楽しいものでした。あと3日で日本に帰らなければならないという晩に、奥様は
 「もうあと一週間ある」
と言って、自分を元気付けます。庄野さんは自分の気持ちをそうは書きませんが、恐らく同じ気持ちだったに違いありません。

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