野鴨

書誌事項

明夫と良二
庄野潤三著
初出「群像」1972年1月号〜10月号
出版 講談社 1973年1月 

紹介

 ある時期より、庄野さんの作品は、日記的になって行きます。具体的には「鉛筆印のトレーナー」からかしら。それより前の作品は、たとえ経時的に描いていても、トピック(勿論、これは一般的な意味でのトピックと言うよりは、庄野さんの小説世界におけるトピックです)を重ね合わせながら、時の移ろいを描くという、割と手の込んだことをやっている作品が多いような気がいたします。

 「野鴨」は正にその典型です。「野鴨」は、『群像』誌に10回にわたり連載された作品ですが、各回とも3つのエピソードの羅列です。それらのエピソードは、全体として見ればお互いに関係しあい、大きな時間軸の流れがあるのですが、それぞれのエピソードは、それぞれのテーマで完結しています。言いかえるならば、作家の目は、三脚に据えつけられた固定焦点のカメラのようです。そのレンズに飛びこんでくる自然の移ろい、野鳥の群れを書くとともに、過去の思い出も同じレンズで眺めていきます。

 カメラのフレームに取りこまれてくることだけを書いているわけですから、見えない部分もたくさんあります。あるいは、ぼやけている部分もたくさんあるのかも知れません。しかし、フレームに映し出される事柄だけは、あらゆる小説的技巧を駆使して、立体的に描いて行きます。庄野潤三という作家の好みや、物の見方、あるいは癖によって焦点の当てられた事柄を、遥かな過去、過去、最近、現在、という時の違いを組み合わせて、お互いをくっつけたり、連想したり、あるいは飛躍して、立体感を出していると言って良いと思います。ひとつのキーワードを元に、色々な関連がないようなことにも想像が及びます。

 「野鴨」に描かれているキーワードは、例えば、『離れて暮らしている親戚、結婚式、従姉妹同士、柘榴と銀杏の黄葉、ざんねん雑炊、かまきりと「アマリリス」、イギリスの児童劇映画、四十雀、半纏の裁縫と子供の元気、雪融けの雫、皆既月食ととらつぐみ、草鞋と池の主、クロッカスの花、縦笛、兄の夢、赤い下げ鞄、サッカーパンツのほころび、パウンドケーキ、テッセン、ゆで卵、子供の前歯、パン屑、学生服のカラー、みやこわすれ、自然薯の蔓、犬小屋、ロンドンの地図、古い樋、孫の誕生日、末っ子』ですが、そのキーワードの枠内で完結しているお話もありますし、そのキーワードから更に変化して、展開するお話もあります。そこは融通無碍です。

 共通しているのは、カメラの位置です。それは、庄野さんの書斎です。庄野さんの庭の木や花のたたずまい、四十雀やうぐいすのさえずり、そこから一転して黍坂の和子の語り口、いつもの庄野さんの世界です。これらは、あるいは、音楽的と言っても良いかもしれません。ソナタ形式の様に、主題のテーマを展開させて、発展させて、再現させて終るものも有りますし、発展させて、そのまま終るものもあります。前奏曲とフーガのような作品もあります。

 もうひとつ大事なことは、庄野さんの「好み」が基本的に固まってきていると言うことです。小説の構築の仕方は、最近よりも厳格ですが、描いている世界は30年後とあまり変わりありません。庄野文学を好む人達は、結局のところ、庄野さんの「好み」への眼を好んでいるのかしら、とも思います。

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