懐かしきオハイオ

書誌事項

「懐かしきオハイオ」
庄野潤三 作
1991年9月25日発行
649ページ
文藝春秋社刊 2913円(税別)
ISBN4-16-312730-5 C0093
発表: 文学界 1989年3月号〜1991年4月号

紹介

 庄野潤三・千寿子夫妻は、ロックフェラー財団の奨学金を得て、1957年秋から翌58年夏まで、米国オハイオ州ガンビアのケニオンカレッジの研究員として暮らした。このときの生活は、帰国後まもない1959年に「ガンビア滞在記」として発表された。

 オハイオ州は、アメリカ合衆国北東部にあり、州都はコロンバス。西にインディアナ州、北にミシガン州、南にケンタッキー州、東にペンシルベニア州とウェストバージニア州に接し、州の北側は五大湖の一つエリー湖の一部である。州内の大都市にはシンシナティやクリーブランドがある。庄野夫妻の暮らしたガンビアは、州都コロンバスの北東約60kmのところにある小村である。当時は、学生数500のケニオンカレッジがあり、電話番号帖には戸数200、人口600と記載されていた。

 当時のアメリカ合衆国は、世界で一番裕福な国であり、高度成長期に突入したばかりの日本とは生活水準が確実に違っていた筈である。そんな日本から行った作家にとって、米国の田舎の一年は、驚きが多かったものと思われる。そのアメリカの普通の学生町の生活を啓蒙的に書いたのが「ガンビア滞在記」と言ってよいかもしれない。それから30年経ち、当時36歳だった庄野さんも60台となり、当時の外国生活をより詳細に描きたいという欲求が強くなったものと思われる。当時の日記に基づいて、滞在後半の生活を日記風に(即ちエピソードの日時を明確にして)書いたのがこの作品である。

 庄野さんが、米国滞在の機会を与えられたとき、田舎の出来るだけ小さな町に行って、町の人と付き合いながら暮らしたいという希望をもって、ガンビアという誰も知らないような町を選んだ。そして、ケニオン・カレッジの教員住宅「白塗りバラック」に住み、教員仲間や町の人と交流する。一番深い交流だったのは、政治学の期限付き講師だったミノーとジューン夫妻。ほとんど毎日のようにマティーニやビールを一緒に飲んでいる。その他にも英文学のサトクリッフさん、物理のエリオットさん、政治学の主任教授イングリッシュさん、数学のニコディムさんといった教員仲間とはしょっちゅうディナーに呼んだり呼ばれたりして交流を深める。一方で、東京に残してきた子供達を心配している。日記なので、その日その日の変化がよく分り、当時のアメリカ人の生活の一断面が示されている。

 「ガンビア滞在記」ではほとんど触れられていない(多分日本で知っている人は当時稀だったから書かなかったと思うが)ラクロスの話や「大草原の小さな家」で日本でも、ここ20年あまり有名になったローラ・ワイルダーの著書を読む話も出て来ている。帰国直後の日本とそれから30年経った日本とでは、話の受容の仕方が変わって来た。そこで、再度当時の生活を見なおした、ということのように思う。作品は、かなりの大部。庄野氏最長の作品。

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