メジロの来る庭

書誌事項

「メジロの来る庭」
庄野潤三 作
2003年4月10日発行
187ページ
文藝春秋社刊 1524円(税別)
ISBN4-16-322800-4 
発表: 文學界2003年1月号〜12月号

紹介

 「貝がらと海の音」(1995年)に始まり、『子供がみんな結婚して、「山の上」のわが家に二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことを楽しみにして生きているかを描く私の仕事は、どこまでも続いていく』と庄野さんが書く最新刊が、この「メジロの来る庭」です。

 庄野潤三という作家は、若い時分から自分の家族や周囲を題材に作品を発表して来た訳ですが、その中で彼は、書くことと書かないことを厳しく峻別して来た方でした。川本三郎は、「郊外に憩いあり 庄野潤三論」(2002年、新潮11月号発表)において、こう書いています。

 『庄野潤三は、極力、作家である自分を消そうとする。作家という特殊な自分を消し生活者としての小市民性を浮きあがらせようとする。この消去あるいは削除は重要である。
 平穏な日常といい、小市民の幸福といい、そこには自ずと選択、削除の意志が働いている。作家としての仕事がほとんど描かれていないように一群の「郊外小説」には欠落しているものが多い。
 家庭の経済のことがまず一切、描かれていない。この老夫婦は、どういう経済状況にあるのか。作家である主人公は、いったいどれぐらい年収があるのか。昔の私小説作家だったらこだわったであろう生活の経済的基盤がほとんど語られない。(以下略)』

 この見方は、「うさぎのミミリー」頃までは確かに正しかった。しかし、「メジロの来る庭」は、これまで書かれてこなかった家庭の「経済的基盤」のお話も、「作家としての仕事」についてもそれなりに書かれ出しているのが大きな特徴です。例えば95ページ。

 『うれしい知らせ(二十三日)
 新潮社の鈴木力さんから大きな封筒が来たので何かと思ったら、「ミミリー通信」というのが入っていて、四月に出たばかりの『うさぎのミミリー』の重版ニ刷がきまりましたとある。二人でよろこぶ。ピアノの上のほとけさまにその「ミミリー通信」をお供えして、ご報告し、手を合せる。発売十日で重版がきまるとは珍しいことだ。うれしい』

 121ページもそうです。

 『うれしい日(二十九日)
 午後、朝刊をよんでから六畳でひる寝をしていたら、妻が郵便を持って来る。その中に最近新聞に出た読書随筆三回分の稿料振込の通知が入っていた。このくらいかなと思っていた稿料の倍なので、二人でよろこぶ。
 そこへ四月に出た「うさぎのミミリー」の重版ニ刷の印税振込の通知が来て、これも大きい。その振込通知二つをピアノの上の父母の写真の前において、手を合せて報告する。
 こつこつと原稿を書いて暮している身には、原稿料が入って、本がよく売れて版を重ねるほどうれしいことはない。ほとけさまが守ってくれているおかげである。』

 作家の生活において、仕事に直結する編集者の訪問は、非常に重要な事柄だと思いますが、庄野さんは、そういった事項をこれまで殊更に削除して来ました。読者は、庄野さんの担当編集者を「あとがき」で知っておりましたが、本文中に出てくるのは今回がほぼ初めてだと思いますし、具体的な金額は書いていないものの、作家の経済的基盤が原稿料と印税にあるという、ごくあたり前のことを、しっかりと明示しました。これは、川本三郎の評論に対する「そんな大袈裟な気持ちで書かなかった訳ではないよ」という庄野さんの回答でもあるようですし、あるいは、書こうと思えば、鳥や庭の花と同様に原稿料の話だって書けるという、庄野さんの自負の表れかもしれません。

 さて、この作品に描かれているのは、2002年1月26日から同年9月9日までの期間です。前作の「庭の小さなばら」が2002年1月24日までの生活を題材に描いておりますので、それに続きます。また、現在「波」に連載中の「けい子ちゃんのゆかた」は、2002年9月8日からスタートします。従って、これらの連作は、庄野夫妻の生活の断片に他ならない。

 この間の庄野家の最大の喜ばしい事件は、長女の次男の良雄くんに赤ちゃんが誕生したことでしょう。名前は萌花ちゃん。萌花ちゃんは庄野夫妻の初めての曾孫ですから喜びも一入です。5月1日に生れたのですが、夫妻は、病院から退院して間もない5月9日には、「ご対面」のため、良雄くんの奥さんの陽子ちゃんのご実家の小田原下曽我の市川家を訪れています。庄野さんは萌花ちゃんの頭をなで、奥様は抱っこして喜びを噛み締めます。

 もう一つ、読者にとってうれしいのは、フーちゃんの高校進学でしょう。庄野文学の読者にとって、フーちゃんは「エイヴォン記」以来のアイドルでした。「エイヴォン記」では幼児であった訳ですが、その子がもう高校生ですから、時間が経つのは速いものです。

 庄野さんの『晩年シリーズ』の大きな特徴は、花や鳥のように一見変化が無いものと、子供の成長のようにどんどん変化していくものが、同じ視線で描かれていることだと思います。老夫婦の生活は、四季折々の習慣を取り入れながら例年の如く進みます(これは恐ろしいほどの繰返しです)が、ここにかかわってくる孫はどんどん成長する。そういう時の流れの中に、少しずつ変ってくる親子関係やおじいちゃんと孫の関係が面白く感じます。

 それにしても、庄野家一族の仲の良いこと。見事なものであります。

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