クロッカスの花

書誌事項

クロッカスの花
庄野潤三著
随筆集
1970年6月冬樹社刊

初出:1959年から1970年各雑誌、新聞等

紹介

 庄野さんの第ニ随筆集です。庄野さんの第一随筆集「自分の羽根」は、彼の作家生活の初期から中期にかけて発表された随筆のうち、選りすぐりの作品を集めたという側面があります。第二随筆集である「クロッカスの花」は、第一随筆集から漏れた作品と、1967年から70年にかけて発表された作品からなる随筆集です。

 「自分の羽根」は、選りすぐったという意味では、庄野文学の幹に繋がるような作品が多いのに対し、「クロッカスの花」は、もっとゆったりした広がりが特徴です。もっと別の言いかたをすれば、庄野さんの芸の見本帳のような随筆集です。庄野さんはその後も沢山の随筆を発表され、随筆集も編纂されていますが、多様性という点では、「クロッカスの花」が一番ではないでしょうか。

 「自分の羽根」以来の三部構成は踏襲しています。即ち、第一部が自分の生活に根ざした印象など。第二部が文学的エッセイ、第三部が文学者の横顔などです。そして、これらには後年何度も語られる「後に残るは毛虫いっぴき」など、庄野さんご自身のお好きなフレーズがいくつか出て参ります。

 第一部は39篇です。特に面白いのは、お嬢さんと渋谷からバスで早稲田に行こうとして、バス停を探す「不案内」。短いものですが「書状計」もいいです。家族で映画を見に行き、混雑していたのでみんなでばらばらに坐り、娘さんが肉マンを届けてくれた、という「グレート・レース」もいい。「豆腐屋」、「就寝時刻」は、庄野さんの体質にある一寸したおかしみを味わえます。「夏の日記」は、近況報告として、昨年の日記帳を紐といている。そして絶妙の落ちがまたいいです。「イモリの話」も子供の話を上手くまとめて、最後にきちっと落として見せる所、絶妙です。松沢君の登場する「アケビ取り」も素敵です。「日曜日」これも短いものですがいい。

 そして、私が一番気に入っているのは「多摩丘陵に住んで」です。このとき、庄野さんは生田に住んで8年経っているのですが、名作「夕べの雲」に結実した、生田の開発による変化への感興が、凝縮して綴られています。自然の豊かな里山であった生田に越してきて、その自然を大いに楽しみます。しかし、生田の山は、公団住宅の建設のために切り崩されます。そして、庄野さんはこう書きます。「実際、変らない景色なんかないということを、私たちは自分に云い聞かせなくてはいけない。それは、この世に生きて行く上でのひとつの覚悟である」。即ち、庄野さんはこのような変化をあるがままに受け入れます。そして、縁があって住むことになった生田の町に、新しい鉄筋コンクリートの町が出来あがった後でも、気に入っていて、住み続けたいと考えます。土地に根を下ろす、ということにこだわりを覚えます。このこだわりは結果として40年以上住み続けたことで達成できているようです。この随筆を書いたとき、庄野さんは生田に住み続けることを本当の所どれだけ意識していたのか分かりません。しかし、結果として生田に根を下ろし、そこでの定点観測の記録が、庄野文学になってしまいました。21世紀の時点から、1969年の随筆を読むと、庄野さんの意志堅固な様子が良く分ります。

 第二部は35篇。文学的随筆ですが、幅が広いのが特徴です。「徒然草」のような古典、詩、ラムやチェイホフのような敬愛する外国文学作家、映画評、そして自作解題に至るまで、多様なジャンルに対する感想が含まれています。庄野さんの映画評は、映画そのものの感想もさることながら、そこで見えるものの自分の文学感への反映が面白い。例えば、ビリー・ワイルダー監督の「あなただけ今晩は」を評して、ワイルダーとシェイクスピアのアナロジーを説くところなど、庄野さんの人間観の面白さを感じます。このグループの中で面白いのは、「好きということ」、「日本語の上手な詩人」、「喜劇の作家」、「ロンドンの物音」、「サローヤンの本」、「騎兵隊」、「あなただけ今晩は」、自作解題の「私の戦争文学」、「要約された言葉」、「一つの縁」、「好みと運」。文章作法について書いた「実のあるもの」も庄野さんらしさが良く出ていて面白いです。こういった文学関係の随筆を読むと、庄野さんは、自分で書いたことをよく実践しているな、と思わずにはいられません。

 第三部は15篇。取り上げられている文学者は、伊東静雄、佐藤春夫、中村地平、小山清、木山捷平、中山義秀、三浦哲郎、島尾敏雄、森澄雄、坪田譲治、永井龍男、河上徹太郎、福原麟太郎、井伏鱒二。私は、「山の上に憩いあり」のプロトタイプとも云うべき、川上徹太郎との交流を描いた、「隣り村から」が一番好きです。

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