インド綿の服

書誌事項

インド綿の服(連作短編集)
庄野潤三著
初 出 
 インド綿の服  群像 昭和56年10月号
 大きな古時計  文藝 昭和58年1月号
 楽しき農婦   群像 昭和59年1月号
 雪の中のゆりね 群像 昭和59年11月号
 誕生日の祝い  群像 昭和60年11月号(「誕生祝い」を改題)
 足柄山の春  群像 昭和62年10月号
出 版 1988年2月9日 講談社 
ISBN4-06-203416-6 C0093

紹介 

庄野潤三さんは、家族を小説の題材にして、多数の作品を発表しているが、「インド綿の服」は、その家族ものの中の連作短編集。

この作品集のあとがきに、一番良い紹介の文章があるので、まずはそれを転載します。

「足柄山からこんにちわ」で始まる長女の手紙を受け取る。妻が朗読する。聞いている私は楽しむ。あるいは驚く。心配させるようなことは書いてなくて、笑うか呆れるかという方が多いのだが、この手紙から受けるよろこびを必要な註釈を加えながらなるべくそのまま読者に伝えたいというのが、「インド綿の服」に始まる足柄山シリーズ六篇のテーマといっていいだろうか。
(中略)
「インド綿の服」が『群像』に載ったのが昭和五十六年十月で、「足柄山の春」が六十二年十月だから、まる六年たった。長女一家が南足柄市へ越して行ったのは「インド綿の服」のでる前の年の春であるから、長女一家からいえば、雑木林の中の家で新しい環境に馴染みながら過ごした最初の七年間の生活が物語の背景となっている。はじめは夫婦と三人の子供で出発したものが、途中から子供四人となった。

この『あとがき』にほとんど尽されているのですが、以下にはそれぞれの作品の読み所を、かいつまんで紹介。

インド綿の服

「暑中お祝い申し上げます(我ら亜熱帯族の言葉)」
で始まる夏の手紙を軸に、夏に関わるいくつかのエピソードで構成されています。
坂田金時(金太郎ですね)が産湯を使ったという夕日の滝まで「朝飯前のドライブ」で行って来られる山に家を新築したお蔭で、避暑の気分を味わいたい来客が七組もあり、民宿「あしがら」は大繁盛。朝から晩まで食べるものをこしらえるか、買出しに行っているという日が続いた。それで、母親のための夏の普段着「インド綿の服」が来年用になった話。
長女のユーモア溢れる言動。例えば、母親と長男の嫁と三人で食事会をした時の礼状の書き出し。
「ウーマンズ・ミーティングの後援会長の大株主の後見人の陰の黒幕の父上殿。本日も多大なる出資をして頂きまして、真に有難うございました。」
この手紙からウーマンズ・ミーティングのいきさつが書かれ、そして、また最初の手紙に戻って、長女のところの小学校4年生の長男が市の水泳大会に出場した話になる。スタート直後は、顔をつけたまま人の倍の早さで手を廻して、あれよあれよという間に先頭になり、ニ位にかなりの差をつけてプールの2/3まで来たけれども、その後は失速して、ゴールに着いたら四位か五位。親と似たようなことをするものですね。

大きな古時計

「インド綿の服」が足柄山の夏の生活を書いているのと反対に、冬の生活の描写です。
「足柄山では松風が怖ろしいうなり声を立て、時々、霰の舞う、凍るような日々が続いています。景気づけに歌でも歌おうと思っても、口をついて出るのは、木枯らしとだえてさゆる冴ゆる空よりとか、凍れる月影空に冴えてとか、そんなのばっかり。でも、だるまストーブのお蔭で一日中ぽかぽかと暖かです」
この作品のポイントは「だるまストーブ」です。はじめて土間のストーブに火が入った日、ストーブに点火すると、薪のはぜる音と一緒に香ばしい匂いが広がり、ほんのり家中が暖かになって、何ともいえずいい感じがした、と書かれてあります。大変なのは、薪集め。あらゆる伝手を頼って薪集めを心掛けないと、すぐなくなってしまいます。そうして厳しい冬を過ごすと春。春の喜びがあふれます。前向きな希望が書かれます。「今年はもっと洋裁をしたいし、パンやお菓子も毎日、焼いて、庭仕事にも畑にも力を入れたい。(中略)。読書も楽しみだし、夢が膨らみます」

楽しき農婦

タイトル通り、収穫の秋のお話。お話の中心の手紙は、
「久しぶりに雲一つない抜けるような秋空の美しい日に、夢のぎっしり詰まった小包が届きました。心のこもった誕生日の贈りもの、本当に本当にありがとうございます」で始まる礼状。この礼状は、お誕生日のプレゼントへの喜びを一寸大げさに示すことで、素直な気持ちが伝わります。さて、手紙の主、夏子さんは、知り合いの農家のおばあさんから二十坪ほどの畑を借りて、じゃがいもほか色々な野菜を作っています。その成果を生田の庄野さんにも届けようとします。「畑の出来があんまり素晴らしいので、思わず畦に佇んでうれし泣きするぐらいです」と陽気です。
でも、全てが平穏では無い。夏子さんの末の息子の益夫くんが、盲腸炎の診断が出ず、腹膜炎を起しかけたこと。これには、さすがの陽気な夏子さんも一寸涙声になります。しかし、無事に平癒し、最初の手紙に戻る。その手紙の終わりには狸のエピソードが記され、自分の名前の上に「狸の里の」をくっつけ、ドローンと書き添えてあった。

雪の中のゆりね

春から初夏にかけてのお話。手紙の書き出しは、
「ハイケイ、御無沙汰しています。生田の皆の衆はお元気ですか?こちらは見渡す限り一面の青葉でカメレオンのように緑色に染まりそうです」
この「カメレオンのように」、というのがいいですね。山に入って、野生のえびね蘭を取ってきては庭に植える。そしてえびね御殿になっている、というお話が、次に続きます。この初夏の喜びは、寒い冬を経験したからひとしおなのですね。特にこの年の冬は厳冬で、「過去最高の薪を蓄えて気をよくしていたら、いつの間にか過去最低に減ってしまったの」であり、御主人と「薪がないのは貯金がないより辛いね」と言っていたわけですから。

誕生日の祝い

ここでは、夏子さんの四人目の男の子「フニャラー」こと民夫ちゃんが生れたことが先ず書かれます。赤ちゃんが出来たことは、本人をはじめ誰も気付かなかったので、夏休みににアメリカ娘のホームステイを引受けます。
おなかに赤ちゃんがいても、アメリカ娘「ジャッキー」の世話に奮闘努力をしています。このジャッキーは、「おとなしくて可憐で頭が良くてスポーツ万能なので、近所でも、時々通っている小田原の高校でもすぐに人気者になりました」といういい子ですが、それでも大変なことが多い筈。庄野さんも生田の家に一日招待して、歓迎に努めます。二箇月のホームスティが終わって、ニュージャージーに帰るジャッキーを家族皆で成田空港まで見送った時には、最後の最後まで「さようなら」を言わなかったけれども、それを言ったときには、ジャッキーも、長女も目から涙がこぼれた。
秋になると、出産準備も整うが、薪を製造する戦力(戦艦なつこ)が減って大変なこと、が書いてある手紙。
一年後の夏休み。上の子供たちは、末っ子をバギーに乗せては散歩をし、風呂に入れてくれる。夏休みも終わりに近づき、「夏休みは大忙しだけど、賑やかで楽しいです。九月からは子守りの兄ちゃんがどっといなくなって残念です」

足柄山の春

以上5作がほぼ1年1作のペースで書かれていたのに対し、この「足柄山の春」だけが2年ぶりの作品。これは、その間に、庄野さんが脳内出血を起して、入院したためである。しかし、無事に退院して、誕生日の手紙が書かれます。有名な、「生田の丘の親分さんへ」で始まり、「金時のお夏より」で終わる手紙ですね。
しかし、この作品の中心は、長女一家のネコとの交わりを描いたタマニャンメモでしょう。次男竹夫くんが、「すごいしかけ」を作って野良猫のはな子を捕まえようとするお話や、亡くなった飼いネコ「タマ」の思い出話。
この作品は、ほとんどが夏子さんの手紙で構成されて、註釈がごく僅か。でも手紙が面白くて、愉快です。

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