ガンビアの春

書誌事項

ガンビアの春
庄野潤三著
初 出 「文藝」(河出書房新社)1978年11月〜1980年1月
出 版 1980年4月30日 河出書房新社 

紹介 

 1978年春のケニオン・カレッジのオナーズ・デイで、庄野潤三さんは、同学の名誉学位を授与されました。ガンビアのケニオンカレッジは、1957年秋からの1年間、庄野さんがロックフェラー財団の研究員として過ごした思い出の大学です。この学位授与式に出席し、受賞のスピーチをするために、庄野さんは20年ぶりにガンビアの地を訪れました。この短い滞在の時の古い友人、そして新しい友人達との交流を描いたのがこの作品です。

 今回の滞在の世話役は、西洋古典語(ラテン語)の若い教授であるクリフォード・ウェバーさんと、奥さんの日本人・邦子さん。彼らは、米国の大学の先生に7年間に一度与えられるサバティカルの休暇を日本で過ごした時に、詩人のランサムさんの奥さんの手紙とケニオン・カレッジ創立150周年の記念誌"REVEILLE 1975"、それに最新の入学案内を携えて、庄野さんの家を訪問したことにより庄野さんと知り合います。ランサムさんは3年前に既に亡くなられていましたが、ランサム夫人は、「ガンビア滞在記」によって、ガンビアが日本で有名になったことに、カレッジは、名誉学位をもって庄野さんに応えようと計画していることをさりげなく知らせます。そして、その秋に学長のジョーダン氏から正式な招請状が届いたのです。

 20年の間に500人を少し超える程度であった学生の数がほぼ3倍近くになり、女子学生も増えました。庄野さんが留学時代に住んでいた白塗りバラックはもうありませんでしたし、町並みも変わっています。一方、親しく付き合っていたファカルティのメンバー(要するに教授会ですね)の中には亡くなった方や他のポストに移られた方も少なからずいるわけですが、音楽の教授で聖歌隊の指揮者であったシュワルツさん、フランス語のハーヴィーさん、物理のミラーさん、政治学のベイリーさん、数学のフィンクバイナーさん、ドイツ語のヘイウッドさんなど10人近い馴染みの先生方がまだ健在でした。

 これらの古い友人達と、庄野さんは旧交を温めます。散髪屋のジムは、足を引きずるようにしていましたが、元気でした。そこで、庄野さんは、ファカルティ以外の人たちの消息を聞きます。銀行屋のブラウンさんが糖尿病から併発する腎炎で亡くなったこと、ウィルソン食料品店の主人の消息などです。又、マッキーさんは、かつて270エーカーの農園の仕事をしていて、58年に庄野さんが帰国する時に、コロンバスの空港まで送ってくれた方です。マッキーさんは既に農園の仕事は止めていましたが、庄野さんとの二十年ぶりの再会をことのほか喜びます。マウント・バーノンの町で百貨店を経営している、キニーとリンダの夫妻とも会い、夕食を共にいたします。ウレバー夫妻の心のこもった接客で、庄野夫妻はガンビアの休暇を楽しみます。

 このような旧知の人々との交流の間に、庄野さんは、「ケニオン・カレッジ-その三度目の四半世紀」を資料として、ケニオン・カレッジの歴史と習慣、そして小さなエピソードを紹介して行きます。勿論最初の留学の時の庄野さんたちの見聞きした経験も盛り込まれています。マッキーさんは、「潤三は、私達の憶えていないことを、よく憶えている」と言いますが、庄野さんの記憶と記録が過去と現在をうまく繋げて、ケニオンの様子を立体的に示します。この色々な資料に基づいて、様々な事項を組み合わせて、事象を多角的に立体的に見ていく、というのは1970年代後半から1980年代にかけて、庄野さんがよく用いた手法で、この作品もその例外ではないようです。

 この短い訪問で、庄野さんは、かつての1年間の滞在では経験しなかったものを見ることができます。それがラックーン(あらいくま)です。ラックーンはこの地方では珍しいものではないようですが、20年前の留学の時には、話に聞くだけで見ることはありませんでした。今回の滞在は短かったにも拘らず、ラックーンを見られたことは、庄野さんの栄誉をラックーンも称えたということかもしれません。

 ロス・ホールにおける学位授与式。庄野さんの行った講演の内容は、残念ながら簡単にしか記されていませんが、その前のジョーダン学長の言葉は是非紹介したいです。
「あなたがケニオンで過ごされた一年間、ノックス・カウンティはあなたの教室であり、その住民はあなたの良き助言者でありました。その後間もなく出版された1年の回想録は、実例によってあなたが教わった、ガンビアにはアメリカの片田舎の生活のエッセンスが含まれているという信条に拠って貫かれています。われわれはこんなにも遠い日本という国でこんなにも表情に富み、好意のある描かれ方をしたことに感謝し、あなたがわれわれの間で送った一年をいまもあなたの半生で最も大切な年と考えておられることを知って光栄に思うものです」

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