掲示板の過去の書きこみ(9)

 

奥様のピアノ
どくたーT@管理人(970) 投稿日 : 2004年5月5日<水>12時35分/東京都/男性/おじさん
 
「ピアノの音」の話で一寸気になったのですが、最近の作品では奥様がピアノを練習する場面が出てまいりません。もうお止めになったのでしょうか。
私ごとで恐縮ですが、私の小学生の娘が最近ブルグミューラーを弾き始めました。「素直な心」、「牧歌」など。「せきれい」にはいつ到達するのでしょう?

どくたーT@管理人(972) 題名:「春風」 投稿日 : 2004年5月6日<木>23時25分/東京都/男性/おじさん
 
ふかおさま

「春風」、どのような作品なのでしょうか。残念ながら、私も分かりません。奥様がその前に練習されていたアンダーソンの「ウォータールーの戦い」は、全音ピアノピースの155晩ですので、全音ピアノピースに含まれているかと思い、調べて見たのですが、300までには入っていませんでした。また、音楽之友社の「標準音楽辞典」も調べてみましたが、その作品名の項目はありませんでした。その他我が家にある楽譜を片っ端から当たって見たのですが、見つけられません。
今まで気にしていなかったのですが、こう指摘されると、気になりますね。

ふかお(971) 題名:気が付きませんでした 投稿日 : 2004年5月6日<木>06時23分/京都府/男性/おじさん
 
そう言えば、「メジロの来る庭」には、奥様のピアノの話題が一度も登場しませんでした。
「庭の小さなばら」にも、調律の話はありましたが、レッスンや練習の話は見あたりません。かろうじて72頁に「先日、妻がピアノのおけいこの帰りに相模大野の伊勢丹で買った台所着は、見るからに涼しそうで、いい。」という記載があるので、レッスンに行っておられることは分かるのですが。
「うさぎのミミリー」では、奥様は、庄野さんの好きな「ウオータールーの戦い」を練習し、レッスンでも見てもらっています。その157頁に、「チェルニー」という項目で、「夕方、ピアノのおさらいを終わった妻、『チェルニーの12番、むずかしい』という。チェルニーには手こずっている。チェルニーは指使いの練習のための曲だから、きいていて面白くない」とあります。
きっと、ブルグミューラーを終えた奥様は、チェルニーやソナチネ・ソナタに進まれていると思うのですが、ブルグミューラーの各曲の文学的タイトルに惹かれていた庄野さんは、チェルニーやソナタのタイトルには感興を覚えず、記載に至らないのではないでしょうか。
ところで、「うさぎのミミリー」193頁に登場するワルツの「春風」というのが、私には誰のどの曲か分からないのですが、どなたかご存じでしょうか?


ピアノの音文庫版
ふかお(962) 投稿日 : 2004年4月24日<土>16時44分/京都府/男性/おじさん
 
庄野さんの「ピアノの音」が講談社文芸文庫で5月10日に発売されるそうです。
文芸文庫の価格が一般に高いとしても、定価1418円というのは、相当なものですね。解説などが充実しているのでしょうか。

どくたーT@管理人(969) 題名:絶版 投稿日 : 2004年4月26日<月>00時08分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様
そうなのです。最近は絶版になるスピードが早くなっているようで、困ります。どうでもいい内容の本が、結構長く残っている反面、庄野作品のような何度も読み返したくなるような作品が絶版になるのは、悲しいものです。

ゆう(965) 題名:うれしいですね! 投稿日 : 2004年4月25日<日>16時52分/富山県/女性/20代後半
 
また楽しみができました!

庄野作品は、言葉は悪いですが麻薬のようで、新刊がでて読むと、またすごく新しいものがほしくなります。今とっても庄野先生の文章に飢えていたので本当にうれしいです!

「ピアノの音」はもう絶版で図書館でしか読めなくなっていたのでなおさらです!

確かに文芸文庫は解説が充実していますよね。あの色も手触りも好きで庄野作品にとても似合っていると思います。ああ、本当に楽しみです。情報ありがとうございました!

どくたーT@管理人(963) 題名:いつも教えて頂きありがとうございます。 投稿日 : 2004年4月24日<土>23時21分/東京都/男性/おじさん
 
ふかおさま、毎度ありがとうございます。

「ピアノの音」は単行本が1700円(税別)でしたから、文庫が1417円は一寸高いかな、と思います。文芸文庫の常で、充実した解説など付録は沢山つくと思いますが。
ところで、庄野さんの「晩年シリーズ」、最近の作品も楽しんで読んではおりますが、一番の傑作がシリーズ第2作目のこの「ピアノの音」であるというのが私の意見です。未読の方はこれを機会に是非読んで頂きたいな、と思います。


「メジロの来る庭」の日付の混乱
粋狂(964) 投稿日 : 2004年4月25日<日>00時35分/東京都/男性/50代前半
 
★ ゆう様ご指摘の「庄野先生によるあとがきには「4」の章だけ自分の不注意で短くなったことをお詫びすると書いてありました」という件ですが、管理人様がご指摘のように日付の重複が「文学界」連載であったわけですが、その内容を改めて読みますと、文学界4月号の冒頭「宝塚の午後(二月十一日)」から「次男来る。(二十三日)」の項は、その内容からして3月とすべき誤りだったものと思われます(白木蓮の蕾・誕生日のお祝い・お彼岸!!)。次の「新横浜へ(三月二日)」以降は、5月号などの記述から正しいと思います。
(1)そもそもは3月号の「クロッカス(三月九日)」が急に日付が飛んでいますので、その前に、4月号の「新横浜へ(三月二日)」から「白木蓮(七日)」までが挿入されるべきだったんでしょう。
(2)その次(「クロッカス(三月九日)」の次)に、月名を改めて「宝塚の午後(三月十一日)」から「次男来る。(二十三日)」が続けばつながるのですが、ただ、そこで問題になるのが5月号で、「ばらの芽(三月七日)」からの記述で、やはり重複がり出てくるのです。

★ 1年半から2年ほど前の事柄を記述された創作ノートを基に原稿を作られるので、そのようなうっかりミスが生じたのかなと思います。ひょっとして、違う年のノートと混同されることもあるのかも、とも思ったりしますが、そこまではないでしょうね。

★ 単行本が今手元にないので、最終的にどのように整理されたのか確認できないのですが、今日、文学界を借り出してきて読んだところでは、以上のような推測をした次第です。

どくたーT@管理人(968) 題名:いかなご釘煮 投稿日 : 2004年4月26日<月>00時04分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
詳細な解題どうもありがとうございました。私ももう少し詳細に検討しようと思って、図書館に出掛けたのですが、昨年度の文学界は書庫にしまわれたそうです。出してもらっても良かったのですが、時間がなかったので、又今度ということに致しました.

ところで、先日、親戚のお土産で「いかなごの釘煮」というものを頂きました。美味しかったです。

粋狂(967) 題名:皆様もご推理を! 投稿日 : 2004年4月25日<日>21時50分/東京都/男性/50代前半
 
>なるほど・・・。結構複雑なのですね。
>ということは、文学界は3,4,5月号を借りればよいのでしょうか?
★ そうだと思います。推理小説を読み解くように、ゆう様も推理してみてください。私は、「百木蓮の蕾」についてのいくつかの記述、「春先に明石の海でとれたいかなご釘煮」、クロッカスの花、ばらの芽、三月生まれの誕生のお祝い・・・というような点に着目した推理です。

>たまに、すごく細かい年表をつくって(いつ山田さんが何を持ってきたとか(笑))
>まとめてみたい衝動にかられます・・・。
★ その気持ちよく分かります。私は、登場人物一覧表を何度も手を加えながら作っておりまして、作品を読んでおります。おかげで、自分の親戚以上に、庄野さんご一家のことが詳しくなってしまい、苦笑しております。

ゆう(966) 題名:ありがとうございます! 投稿日 : 2004年4月25日<日>16時59分/富山県/女性/20代後半
 
なるほど・・・。結構複雑なのですね。
ということは、文学界は3,4,5月号を借りればよいのでしょうか?

たまに、すごく細かい年表をつくって(いつ山田さんが何を持ってきたとか(笑))まとめてみたい衝動にかられます・・・。


てづかやま
どくたーT@管理人(961) 投稿日 : 2004年4月21日<水>23時50分/東京都/男性/おじさん
 
へむへむさま
お久しぶりです。
同窓会誌は、同窓生以外はなかなか見るのは難しいですね。帝塚山学院のサイトを探して見ました所、同窓会のサイトがあり、一昨年の「てづかやま」の表紙の写真が載っておりましたので、将来は掲載されるかも知れません。
ところで、帝塚山学院の教育理念は、庄野貞一初代院長の 「一にも力、二にも力、力の人」という標語で示されるそうです。この言葉は、庄野潤三文学にも繋がりますね。


自筆原稿!
へむへむ(960) 投稿日 : 2004年4月20日<火>22時52分/大阪府/男性/40代前半
 
おひさしぶりです。
このほど手元に届いた帝塚山学院の同窓会誌「てづかやま」(2004.vol.13)の表紙に潤三先生の自筆原稿写真が掲載されていました。
「文学界」昭和54年11月号に掲載された「ある健脚家の回想」の最初のところです。みなさんにお見せできないのが残念ですが、なんだかとてもゆっくりと書いたような字で、潤三先生らしいなあと思えるものです。
潤三先生は帝塚山学院小学部15期生で、お父さんの庄野貞一さんは学院の設立者であり初代院長です。私は中学男子部の卒業生なのでこの同窓会誌が届きます。


メジロの来る庭
ふかお(951) 投稿日 : 2004年4月1日<木>09時25分/京都府/男性/おじさん
 
文藝春秋社Webの広告に8日発売と載りました。

「家庭の愛情で紡がれる本当に豊かな日々。
子供らが独立し、夫婦二人で送る山の上の家での日々──よき人々と季節の彩りに囲まれ、静かな喜びに満ち溢れた人生を綴った傑作」


どくたーT@管理人(958) 題名:庄野さんの曾孫 投稿日 : 2004年4月15日<木>00時10分/東京都/男性/おじさん
 
ふかお様

庄野さん夫妻は遂に曾孫持ちです。庄野さんの実質的デビュー作である「愛撫」は、若い夫婦のお話だったことを思うと感無量です。講談社の「庄野潤三全集」の第何巻かにお孫さんの多分和雄さんを抱いた写真が載っていたのですが、その弟の良雄さんの子供というと、自分も長いこと庄野文学に親しんで来たのだな、と思います。
「メジロの来る庭」を読了しました。幾つか感じ入る所があり、それについては近日中に別に纏めたいと感じております。
なお、過日この掲示板で議論になった連載第12回の、和雄さんと邦雄さんの件、「邦雄さん」に直っておりました。

ふかお(957) 題名:ひ孫 投稿日 : 2004年4月12日<月>20時47分
 
どくたーT様、ゆう様、私も謎が解けてすっきりしました。
「メジロの来る庭」のハイライトは、やはり庄野さんご夫妻にひ孫が誕生することではないでしょうか。
萌花ちゃんに会いに、ご夫婦で良雄くんの奥さんの実家に行くところが、なんともお幸せそうで、
まさに「ふくよかな日々」でした。
それと、やはり勝手口がありましたね。本の81頁に、勝手口の前に水道の蛇口を付けるところが出てきました。
でも、これはどこにあるのでしょうね。

ゆう(956) 題名:感謝です 投稿日 : 2004年4月12日<月>01時39分/富山県/女性/20代後半
 
管理人様、どうもありがとうございました。
納得です。
推敲の話も興味深いです。今度、図書館で両方をみてみたいと思います。

自分の日記を見直すとちょうど去年の今ごろから庄野作品を読み始めています。情報が少ない中、このサイトがどんなに役にたったかわかりません。今回の謎解き(?)も含めて感謝しております。

今回の作品も、とても素晴らしいものでしたね。
他人に庄野作品のどこがよいかを説明するとき、いつも困っていたのですがこの作品の帯にある、江國さんの「心より体の変化」という言葉にとても共感しました。本当に「しーんと落ち着く」んですよねえ。

どくたーT@管理人(955) 題名:庄野さんの不注意 投稿日 : 2004年4月11日<日>23時08分/東京都/男性/おじさん
 
ゆう様

昨年の文学界4月号に載ったのは、2001年2月11日〜3月7日のことです。
ところが、第二章を見れば分るように、2月8日〜2月23日の出来事が書かれ、第三章では、2月23日〜2月26日のことが書かれています。要するに、2月11日〜2月26日までは重複して書かれています。

取り上げられているトピックスが概ね異なっているので、別に構わないような気もしますが、一部「ムクドリ」のエピソードや、「どこかで春が」の百田宗治のエピソードが重なっていることから、削除したものと思われます。

かつて、庄野さんは江國香織さんとの対談で、創作ノートから原稿になるとき、大体そのまま写している、とおっしゃっていたわけですが、第二章と第四章のオリジナルを読み比べて見ると、同じ題材を扱いながらも順番などの構成が微妙に異なっており、創作ノートから原稿に移す時、相当推敲されている様子が窺えます。

どくたーT@管理人(954) 題名:未だ、買えていません 投稿日 : 2004年4月7日<水>23時08分/東京都/男性/おじさん
 
こんな予定では無かったのですが、今週は妙に忙しく、書店の開いている時間に仕事場からでられません。私の家の近くの書店は11時まで営業しているのですが、そこには、文学書はあまり置かないので、「メジロ」も未だありませんでした。明日こそ、買いましょう。

ゆう(953) 投稿日 : 2004年4月7日<水>16時14分/富山県/女性/20代後半
 
こんにちは!待ちに待った発売。富山でも今日手に入りました!
カバーは関口美智子さんの油絵で、関口聖司さんによるもの。(どんなかたたちなんでしょうか?)
帯には江國香織さんの「いささかもぶれることない美しい日本語で、ふくよかな日々が綴られている!」という言葉が書かれています。

庄野先生によるあとがきには「4」の章だけ自分の不注意で短くなったことをお詫びすると書いてあろました。「文学界」では活字になったようです。三月、新横浜経由で大阪に行くことを決め、君子蘭が咲いた後から抜けています。
恥ずかしながら「文学界」は立ち読みですませていたので、何が書かれたいたか覚えていません。どなたかご存知でしたら教えてください。よろしくお願いします。

どくたーT@管理人(952) 題名:メジロの来る庭 投稿日 : 2004年4月2日<金>00時54分/東京都/男性/おじさん
 
ふかお様
情報、ありがとうございました。
そうすると、都心の書店では、6日頃並ぶかもしれません。
週があけたら、日参します。
家の履歴書
どくたーT@管理人(948) 投稿日 : 2004年3月27日<土>23時42分/東京都/男性/おじさん
 
あのイラスト、作品理解の参考になりますね。
2階建てではないことは、なんとなく分っていたのですが、勝手口が書かれていないのが一寸意外でした。庄野さんの作品では、勝手口での奥様と御客様とのやりとりがよく描かれていますから。ふかお様がおっしゃるように、本当は相当ゆったりとしたお宅で、勝手口はイラストレーターの趣味若しくはミスで省略したのかも知れません。

どくたーT@管理人(950) 題名:省略 投稿日 : 2004年3月30日<火>23時54分/東京都/男性/おじさん
 
ふかおさま
イラストですから、省略があるのは仕方がないことですが、作品でお馴染みのものが抜けていると、一寸寂しいですね。ピアノで思いだしましたが、井伏さんの肝いりで買った、古備前のつぼもありません。
庭の木も、もっと細かく書いて頂ければと思いました。「バラ」と小さく書いてありましたが、これは英二おじちゃんのバラなのでしょうか

ふかお(949) 題名:家の履歴書 投稿日 : 2004年3月28日<日>07時16分/京都府/男性/おじさん
 
確かに勝手口があったような記憶がありますね。それと、家の、庭とは反対側の方に通路があって、通り抜けが出来るような気がします。
応接室(書斎)の、机がある掃き出し窓を挟んで反対側に、庄野作品の中では重要なピアノがあるはずなのですが、これも省略されていますね。


週刊文春「家の履歴書」
粋狂(942) 投稿日 : 2004年3月24日<水>21時50分/東京都/男性/おじさん
 
★明日発売(夕方、入手できるところがあって入手して読んでいたのです・・)の週刊文春の「家の履歴書」に庄野さんが登場です。生田のおうちの間取り図もあり、いろいろと興味深いお話もあります。出版禁止となった先週号でなくて良かったヨカッタ!!

ゆう(947) 投稿日 : 2004年3月27日<土>16時11分/富山県/女性/20代後半
 
私も読みました。
あーさんのおっしゃるように2階がない、ということ私も初めて認識しました。

それと、家には関係ありませんが庄野先生は大阪弁なのですね。もしかして奥様もそうなのでしょうか?
書き言葉は標準語なのでそのままの発音をイメージしていました。「やわらかい大阪弁・・・、いいですね。頭の中で小説の中の言葉を関西風に発音してみるとずいぶん印象が変わります。驚きました。

あー(946) 投稿日 : 2004年3月26日<金>08時40分/東京都/女性/おばさん
 
私も昨日早速に購入しました、まあ、今週号は先週のようなことはないでしょうが。
じっくり見て、平屋のお宅だったんですね。確かに階段を上がるなんてことは今まで1回も書かれてないのだから当たり前ですが、改めて認識。丁寧に住まわれている様子が窺われます。
4月には「メジロの来る庭」も出版されてうれしい春ですね。

ふかお(945) 題名:家の履歴書 投稿日 : 2004年3月25日<木>09時23分/京都府/男性/おじさん
 
粋狂さま、情報ありがとうございました。
週間文春は、毎週木曜日に入手しているので、早速そのページを開けました。
ほんとうに、生田の家の立体間取り図が載っています!
いかにも居心地の良さそうな家で、ここで庄野さんご夫婦が暮らし、作品が生まれているのかと思うと、感無量です。
書斎など小さいように見えますが、前に江國香織さんとの対談に載った写真を当て嵌めると、ずいぶんゆったりした家であることが分かります。

どくたーT@管理人(943) 題名:酔狂様、情報ありがとうございます。 投稿日 : 2004年3月24日<水>23時16分/東京都/男性/おじさん
 
週刊文春は、毎週購入しているわけではありませんが、しばしば買います。先週号は買うチャンスはあったのですが、私にとってはどうでもよい内容だったので、買いませんでした。
今週号は、明日買います。
本当に情報ありがとうございました。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html


「ガンビアもの」分類私論
粋狂(940) 投稿日 : 2004年3月23日<火>23時33分/東京都/男性/おじさん
 
★昭和32年夏から翌年夏まで、小4の夏子さんなど3人のお子様を留守宅で奥様のお母さま(『メジロの来る庭』でこのお母様が広島で天寿を全うされたことが描かれていました・・)に預けて、ご夫妻でアメリカの小さな田舎町ガンビアに滞在されたことを基にされた作品群は、短編や随筆を含めると、とても豊穣なものです。まだケネディが登場する前、もちろん公民権運動以前の時代のアメリカの一面が鮮やかに描かれていて、私は、「家族もの」に劣らず好きです。坂西志保さんの薦めでご夫妻で行かれたことが、結果的には、豊かな交流となったように思います。

◎「ガンビア滞在もの」(単行本)
・『ガンビア滞在記』(1959年単行本)
・『シェリー酒と楓の葉』(1977年単行本)※9月から暮までの記録
・『懐しきオハイオ』(1991年単行本)※正月から8月までの記録
・『ガンビアの春』(1980年単行本)※ 再訪の記録

★最初に出た『ガンビア滞在記』は、隣人のエディノワラ夫妻との交流が中心ですが、圧巻は、『シェリー酒と楓の葉』と『懐しきオハイオ』とで書かれた詳細な記録ですね。そして、『ガンビアの春』は、約20年ぶりに実現した感動的なガンビア再訪を描いたものです。

★ガンビア再訪の契機を作られたウエバー邦子さんのことが、下記のページにありました。
http://www.jasmec.go.jp/ck/kokusai/report/taoka/0202/ohio.htm

(「短編」「随筆」について続く)

どくたーT@管理人(944) 題名:オハイオ州 投稿日 : 2004年3月25日<木>00時02分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
いつもありがとうございます。
私は、アメリカ合衆国に何度も行った経験があるわけではないのですが、自分の数少ない経験から見ても、最もアメリカらしいアメリカはオハイオ州を含む中部のアメリカなのだろうなと思います。
本当に、ひたすらだだ広いですし、一寸田舎だと、隣の家まで車で5分みたいな所が全然珍しくない所が凄いです。
庄野さんも、ガンビアという大学町で、アメリカらしいアメリカを感じられたのだろうと思います。「ガンビア滞在記」は置いておくとして、「シェリー酒と楓の葉」と「懐しきオハイオ」の二冊は、20年前後の月日を経て書かれているだけに、庄野さんの愛着の深さが分ります。また、「シェリー酒と楓の葉」と「懐しきオハイオ」の間に10年ほどのブランクがあるところに、ガンビア体験を反芻しながら、原稿を纏めて行った庄野さんの姿勢が読み取れて、興味深いです。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

粋狂(941) 題名:「ガンビアもの」分類私論(2) 投稿日 : 2004年3月23日<火>23時35分/東京都/男性/おじさん
 
(続き)

◎(ガンビアもの短編)
・「イタリア風」(『静物』・全集第3巻所収)
・「南部の旅」(『道』・全集第4巻所収)
・「父母の国」(『絵合せ』・全集第8巻所収)
・「話し方研究会」(『休みのあくる日』所収)
・「ニューイングランドびいき」(『旅人の喜び』・全集第3巻所収)
・「静かな町」(『道』・全集第4巻所収)
・「ケリーズ島」(『道』・全集第4巻所収)
・「花」(『休みのあくる日』所収)
・「マッキー農園」(『道』・全集第4巻所収)
・「グランド・キャニオン」(『絵合せ』・全集第8巻所収)
・「二つの家族」(『道』・全集第4巻所収)
・「リッチソン夫妻」(群像1961年10月号/?)
・「写真家スナイダー氏」(『絵合せ』・全集第8巻所収)
・「湖上の橋」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「砂金」(『休みのあくる日』所収)
・「モヒカン州立公園」(『屋上』所収)
・「ガンビア停車場」(『葦切り』所収)

◎(ガンビアもの随筆)
・「米と醤油」(『イソップとひよどり』所収)
・「オハイオの新聞」(『イソップとひよどり』所収)
・「アメリカの匂い」(『イソップとひよどり』所収)
・「シュワルツ教授」(『クロッカスの花』・全集第10巻所収)
・「のらくろピクニック」(『イソップとひよどり』所収)
・「銀行の娘さん」(『御代の稲妻』所収)
・「ガンビアの正月」(『自分の羽根』・全集第10巻所収)
・「アメリカの田舎道」(『庭の山の木』所収)
・「結婚記念日」(『イソップとひよどり』所収)
・「サザン・パシフィック鉄道」(『イソップとひよどり』所収)
・「散髪屋ジム」(『自分の羽根』・全集第10巻所収)
・「ウィルソン食料品店」(『庭の山の木』所収)
・「ランサムさんの思い出」(『自分の羽根』・全集第10巻所収)
・「あらいぐま」(『庭の山の木』所収)
・「サッカーと私」(『クロッカスの花』・全集第10巻所収)
・「要約された言葉」(『クロッカスの花』・全集第10巻所収)
・「オハイオから」(『御代の稲妻』所収)
・「サンタフェ鉄道の思い出」(『御代の稲妻』所収)
・「二十年前」(『御代の稲妻』所収)※坂西志保さん
・「トランク」(『御代の稲妻』所収)
・「兄の贈物」(『ぎぼしの花』所収)
・「「ガンビアの春」補記」(『ぎぼしの花』所収)
・「ウェバーさんの手紙」(『誕生日のラムケーキ』所収)
・「休暇中のロン」(『ぎぼしの花』所収)
・「菊池さんの手紙」(『ぎぼしの花』所収)
・「本の書き入れ」(『ぎぼしの花』所収)
・「横浜との縁」(『ぎぼしの花』所収)
・「『懐かしきオハイオ』―近況」(『散歩道から』所収)


「結婚前自伝もの」「いわゆる夫婦小説」分類私論
粋狂(938) 投稿日 : 2004年3月14日<日>22時21分/東京都/男性/おじさん
 
★ 「結婚前自伝もの」は、ほぼ事実に忠実な作品群ですが、いわゆる「夫婦小説もの」は、かなり、フィクションを組み立てようと苦心された作品群だと思います。若い夫婦の不安定さが通奏低音のように流れているように思います。「第三の新人」と云われた時代であり作品群だと思います。ここから方向性に変化があって「前期家族もの」につながるのかと思います。

◎「結婚前自伝もの」
・「宝石のひと粒」(『休みのあくる日』所収)
・「太い糸」(全集第3巻所収)
・「父」(全集第3巻所収)
・「十月の葉」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「恋文」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「喪服」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「団欒」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「伯林日記」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「薄情な恋人」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「兄弟」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「勝負」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「無抵抗」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「石垣いちご」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・「山高帽子」(『丘の明り』・全集第6巻所収)
・「曠野」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・『前途』(単行本/全集第7巻所収)
・「秋の日」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)

◎ いわゆる「夫婦小説もの」
・「罪」(習作/全集第1巻所収)
・「ピューマと黒猫」(習作/全集第1巻所収)
・「愛撫」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「舞踏」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「メリイ・ゴオ・ラウンド」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「スラヴの子守唄」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「会話」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「噴水」(『愛撫』・全集第1巻所収)
・「臙脂」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「結婚」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・「プールサイド小景」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)


どくたーT@管理人(939) 題名:夫婦小説 投稿日 : 2004年3月17日<水>00時10分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
「若い夫婦の不安定さが通奏低音のように流れている」と酔狂様ご指摘の若い夫婦小説は、最近の作品から庄野文学に入った人には相当の驚きでしょうね。庄野さんは、結局自分の周辺を題材にしてのみしか作品を発表出来なかったわけですが、それゆえに,作者の心情が時期時期によって変化していく様子が分ります。
初期の作品の「不安定さ」こそが、庄野文学を文学に仕立てていた最大の要因だったわけですが,それをフロンティア精神に変えて行き、そのフロンティア精神を文学に高めたところが、庄野文学の真骨頂でした。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html


「前期家族もの」「後期家族もの」私的分類
粋狂(932) 投稿日 : 2004年3月8日<月>23時51分/東京都/男性/おじさん
 
★『波』連載の「けい子ちゃんのゆかた」第3回を皆様、もうお読みでしょうね。庄野さんご自身は、「夫婦の晩年」と表現されておられますが、毎日のお散歩や食欲旺盛な健啖家であるご様子から、軽々に「夫婦の晩年シリーズ」と書くのが憚れるので、私は勝手に「後期家族もの」シリーズと名付けております。このシリーズは、ご存知のように、序奏3作+本シリーズ10作目です(いずれも単行本)。

◎後期家族もの(序奏3作+本格10作)
・『エイヴォン記』(1989年講談社)
・『鉛筆印のトレーナー』(1992年福武書店)
・『さくらんぼジャム』(1994年文藝春秋)
・第1作『貝がらと海の音』(1995年/新潮社)
・第2作『ピアノの音』(1996年/講談社)
・第3作『せきれい』(1997年/文藝春秋)
・第4作『庭のつるばら』(1998年/新潮社)
・第5作『鳥の水浴び』(1999年/講談社)
・第6作『山田さんの鈴虫』(2000年/文藝春秋)
・第7作『うさぎのミミリー』(2001年/新潮社)
・第8作『庭の小さなばら』(2003年/講談社)
・第9作『メジロの来る庭』(2004年予定/文藝春秋)
・第10作『けい子ちゃんのゆかた』(2004年『波』連載中)

★ 私は、この庄野さんご一家の前史を知りたくて、整理メモをつけながら読みまして、一応、次のように「前期家族もの」を時代順に並べてみました。生田の生活ものでも家族が主役でないものは「身辺スケッチもの」「聞き書きもの」に分類したものもあります。また、「若い夫婦小説もの」に分類すべかその境界も難しいのですが・・(それらの分類は後日また)。 (続く)

粋狂(937) 題名:『野鴨』『おもちゃ屋』『鍛冶屋の馬』 投稿日 : 2004年3月14日<日>22時09分/東京都/男性/おじさん
 
★ 『絵合せ』(講談社文芸文庫)・『明夫と良二』と『インド綿の服』(講談社文芸文庫)をまず先に読んでいたのですが、その間の時間のギャップが大きいので、私にとっては、結婚して「和子さん」が生田のお家からそう遠くない「黍坂(おそらく餅井坂のこと)」に住まわれて南足柄に越されるまでの時代の話の『野鴨』『おもちゃ屋』『鍛冶屋の馬』は非常に興味深かったですね。

★ 次は、その前の時代の分類(「結婚前自伝もの」「いわゆる夫婦小説」)私論を書き込んでみます。

どくたーT@管理人(936) 題名:後期の作品の焦点(分類3) 投稿日 : 2004年3月14日<日>19時18分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様の言われる後期の作品は、庄野さんの入院後の作品群ですが、題材として最初に取り上げられたのが、「フーちゃん」ものでした。「フーちゃん」は庄野さんにとって初めての女の孫だということで、可愛さも一入で、いくつかの作品に結実したと思いますが、その時点で取り上げられたのが、子供のいなかった長男家族を題材にせず、次男家族を題材にしたと言うところが、「分類2」で書いた、庄野さんの家族観が感じ取れます。
後期連作は、勿論神奈川庄野家一族の作品と見るのが妥当なのでしょうが、孫への目の当たり方は、小学生前後が一番大きいような気がします。現在作が「けい子ちゃんのゆかた」ですが、「けい子ちゃん」が小学生高学年であることが、タイトルと無関係ではないように思われるのです。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

どくたーT@管理人(935) 題名:庄野さんのフォーカス(分類2) 投稿日 : 2004年3月14日<日>10時37分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様の書き込みをみながら思ったのですが,庄野さんの家族観は、夫婦と子供(未青年の)と言う所にフォーカスがあるようです。文学的な焦点のあてかた、という点ではなくて題材の選択ということですが。
その最初のシリーズは、要するに「夕べの雲」の家族です。このシリーズは、和子の結婚、という変化で終結します。「絵合せ」が詩情溢れる傑作と成得ているのは,庄野さんの自分のオリジナルの家族の終焉、ということへの思いがあるためであろうと思います。
次いで、庄野さんの「普通の家族」の眼は、和子の家庭に向けられます。「おもちゃ屋」から「インド綿の服」がその一連ですが,「家族の精神」という意味で、「夕べの雲」と「インド綿の服」に強い類似性を感じます。
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どくたーT@管理人(934) 題名:分類(1) 投稿日 : 2004年3月11日<木>00時46分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様、ありがとうございます。非常に参考になります。
庄野さんの作品は、ほとんどが自分が見聞きしたものを題材にしていますので、そういう意味では、ほとんどの作品が「家族もの」です。多分、「愛撫」や「舞踏」のような酔狂様が「若い夫婦」ものとして区別している作品も、モデルは(その全てではないにしても)庄野夫妻であることは間違いありません。
ただ、こういう初期の作品は不要なものをどんどん切り捨てて行って成立している部分があるので、例えば、「若い夫婦」系の小説では子供がいても、子供の影が見えないというのはあると思います。このような厳しいルールは初期作品のほうが顕著です。だからこそ「新聞小説」として執筆したため、こういう厳しいルールをとらなかった「ザボンの花」が、当時の庄野さんの作品の中では異色作であるにもかかわらず、庄野文学全貌をみたとき光り輝く作品になっているのだろうな、と思います。
すみません、もう遅いので、日を変えて追記します
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粋狂(933) 題名:「前期家族もの」「後期家族もの」私的分類 投稿日 : 2004年3月8日<月>23時53分/東京都/男性/おじさん
 
(続き)

★『』が単行本で、「」が短編を意味します。

◎ 前期家族もの
・「桃李」(『プールサイド小景』・全集第1巻所収)
・『ザボンの花』(単行本/全集第2巻所収)
・「バングローバーの旅」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「緩徐調」(『バングローバーの旅』・全集第2巻所収)
・「旅人の喜び」(『旅人の喜び』・全集第2巻所収)
・「静物」(『静物』・全集第3巻所収)
・「蟹」(『静物』・全集第3巻所収)
・『つむぎ唄』(単行本/全集第4巻所収)
・「鳥」(『鳥』・全集第5巻所収)
・『夕べの雲』(単行本/全集第5巻所収)
・「蒼天」(『丘の明り』・全集第5巻所収)
・「卵」(『丘の明り』全集第6巻所収)
・「丘の明り」(『丘の明り』・全集第6巻所収)
・「尺取虫」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「星空と三人の兄弟」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「パナマ草の親類」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「さまよい歩く二人」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「戸外の祈り」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「野菜の包み」(『小えびの群れ』・全集第8巻所収)
・「小えびの群れ」(『小えびの群れ』全集第8巻所収)
・「絵合せ」(『絵合せ』全集第9巻所収)
・『明夫と良二』(単行本/全集第9巻所収)
・「蓮の花」(『絵合せ』全集第8巻所収)
・「カーソルと獅子座の流星群」(『絵合せ』全集第8巻所収)
・「組立式の柱時計」(『休みのあくる日』所収)
・「餡パンと林檎のシロップ」(『休みのあくる日』所収)
・『野鴨』(単行本)
・『おもちゃ屋』(単行本)
・「三宝柑」(『休みのあくる日』所収)
・「引越し」(『休みのあくる日』所収)
・「葡萄棚」(『休みのあくる日』所収)
・「やぶかげ」(『屋上』所収)
・『鍛冶屋の馬』(単行本)
・「分れ道の酒屋」(『屋上』所収)
・「コルクの中の猫」(『屋上』所収)
・「双眼鏡」(『屋上』所収)
・「三河大島」(『屋上』所収)
・「失せもの」(『葦切り』所収)
・「インド綿の服」(『インド綿の服』所収)
・「おじいさんの貯金」(『葦切り』所収)
・「大きな古時計」(『インド綿の服』所収)
・「楽しき農婦」(『インド綿の服』所収)
・「メイフラワー日和」(『葦切り』所収)
・「雪の中のゆりね」(『インド綿の服』所収)
・「誕生日の祝い」(『インド綿の服』所収)
・「夏の重荷」(『世をへだてて』所収)
・「杖」(『世をへだてて』所収)
・「北風と靴」(『世をへだてて』所収)
・「大部屋の人たち」(『世をへだてて』所収)
・「Dデイ」(『世をへだてて』所収)
・「作業療法室」(『世をへだてて』所収)
・「同室の人」(『世をへだてて』所収)
・「足柄山の春」(『インド綿の服』所収)

★ 「家族もの」の中でのすきなエピソード・ベスト10というのも、いつかやってみたいと思っています。


河田ヒロさんが自分のホームページを立ち上げられました
どくたーT@管理人(929) 投稿日 : 2004年2月20日<金>23時32分/東京都/男性/おじさん
 
「けい子ちゃんのゆかた」の挿絵を書いていらっしゃる河田ヒロさんが、自分のサイトを立ち上げられました。今、覗いて来た所ですが,まだ30人ほどの訪問者のようです。是非ご覧になって下さい。
アドレスを貼りつけておきます。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

どくたーT@管理人(931) 題名:井伏鱒二、伊馬春部 投稿日 : 2004年3月3日<水>23時57分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様
書き込みありがとうございます。
三月に入って,二月のポカポカ陽気が嘘のように寒くなりました。一時期マフラーを止めていたのですが、今週は復活です。

さて、井伏鱒二ですが、高校生の頃随分読んだ覚えがあります。「山椒魚」、「本日休診」、「駅前旅館」、「黒い雨」などなど。面白かった覚えはあるのですが、その後全然読まなくなりました。私は庄野文学とも一時離れていたのですが、あるときより再読を始めたわけですが、いまの所、井伏鱒二の作品を読み直そうという気にはなれないようです。

一方、「伊馬春部」とは随分懐かしい名前です。ムーラン・ルージュの座付作家からNHKの放送作家になった、放送作家の草分けのような方だったと思います。ラジオドラマの「向こう三軒両隣」というのが代表作でしたね。
http://plaza.across.or.jp/~t-kawada/index.html

粋狂(930) 題名:私も「井伏鱒二」を読んでおりました! 投稿日 : 2004年3月2日<火>00時27分/東京都/男性/おじさん
 
★河田さんの日記を拝見すると、今、寝る前に「井伏鱒二」をお読みとか・・。私も、たまたま『群像 日本の作家16 井伏鱒二』(小学館)を今日まで読んでおりました(この本は、井伏さんの入門書としては最適なような感想を持ちました)。

★ 庄野さんの本の完全読破に欠けていた新潮社版の『山の上に憩いあり―都築ヶ岡年中行事』を読み終えた後、庄野さん関連の本を読んでおります。
・阪田寛夫『庄野潤三ノート』
・伊馬春部『土手の見物人』(これは、庄野さんの随筆集の中で紹介されていて読みたかったので・・・)
・『群像 日本の作家16 井伏鱒二』

★今日からは、
・小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(庄野さん編集のみすず書房版)
を読んでおります。

★ 次回は、庄野作品の私的分類の試論を書き込みたいと思ってます。


やっと
こぺちゃん(927) 投稿日 : 2004年2月11日<水>01時57分/千葉県/女性/20代前半
 
 卒業論文書き終わりました。
 『庄野潤三論〜SERENDIPITY〜』です。庄野についての論文が以外に数はあるものの、なかなか新しいことは言われていないようなので、自分で勝手にいろいろ書いてしまいました(笑)。都立中央図書館に通い、そこらにはおいてない文献をお金をかけてたくさん手に入れたのも、いい思い出・・・。でも、そんなとき役に立ったのは、ここでした。お世話になりました。もしかしたら、そのうちわたしのホームページで卒業論文全文を掲載するかもしれません。そのときは一報いれます。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/3433/

どくたーT@管理人(928) 題名:おめでとうございます 投稿日 : 2004年2月12日<木>23時46分/東京都/男性/おじさん
 
こぺちゃん様
大学生にとって、卒論は最大のイヴェントですよね。完成して提出できて良かったですね。論文が、貴女のサイトに掲載されたら、是非読ませて頂きます。楽しみに待ちます。それにしても、私のサイトが卒論執筆のナヴィゲーターになるとは、、、。一寸恥ずかしいですね。


連載第2回
ふかお(925) 投稿日 : 2004年1月30日<金>06時27分/京都府/男性/おじさん
 
新潮社から「波」2月号が届き、無事「けい子ちゃんのゆかた」連載第2回が読めました。
ところで、その59頁上段に「和央ようかは、私と花の母校である大阪の帝塚山学院の卒業生なので、二人で声援を送っている。」とあるのですが、この「花の」が分かりません。
単なる誤植でしょうか。「妻」なら意味が通るのですが。

どくたーT@管理人(926) 題名:私は誤植説に賛成します。 投稿日 : 2004年2月1日<日>00時25分/東京都/男性/おじさん
 
私の家にも、先週「波」が届き、早速読みました。ふかお様のご指摘の点、私は誤植だと思います。妻と花、達筆で書くと似たような感じになるので,植字の担当の方が、うっかり間違えたという所でしょう。

ところで、第2回を読んでいて、気がついた何点か書きます。
(1)フーちゃんの吹奏楽で、
『一時半、開会。吹奏楽部は大方女子生徒である。指揮者も司会も女生徒。フーちゃんは指揮者の女生徒のすぐ左手に並んだ三人の中にいた。』とあります。私は「男子生徒、女子生徒」という言い方を普通するのですが,庄野さんは、最初「女子生徒」と書き、次からは、「おんな生徒」という書き方をしています。ここで、こう変えることで、文章が柔らかくなっていますが,もう一つ「おんな生徒」という言葉が、庄野さんの中には、まだ生きている言葉なのですね。

(2)紀伊国屋
奥さまが,「孫の結婚式」上梓のあと、新宿紀伊国屋に本の並び方を見に行きます。私は、この本を新宿小田急百貨店内の「三省堂書店」で購入したのですが,春に出版される「メジロの来る庭」は、「紀伊国屋」で買いましょう。私は新宿で働いているので、紀伊国屋はよく行きます。

(3)散歩の歩数。
庄野さんの日課が散歩で、ニ万歩を超えることも少なくないのは、読者ならば皆存じ上げているところですが,「メジロの来る庭」において、『あまり無理をして歩かないようにする』、という趣旨の記述があったように思います。ところが、10月2日は、万歩計が23000歩。「大々まわり」、「大まわり」、という表現もあり、ますますお元気な様子です。


とりあえず読破しました(11ー完)
粋狂(920) 投稿日 : 2004年1月25日<日>23時36分/東京都/男性/50代前半
 
★ 図書館からの本の取り寄せに手違いがあってだいぶ予定より遅くなりましたが、(58)『休みのあくる日』、(59)『屋上』、(番外)『私の中の日本人』、(60)『早春』(中公文庫)、(61)『水の都』、(62)『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』、(63)『子供の盗賊』、(64)『サヴォイ・オペラ』、そして昨晩、最後の(65)『引き潮』を読み終え、これで、昨年3月頃から完全読破に挑戦しようと始めた大願がようやく成就いたしました。この間、管理人さまの作品紹介に随分と助けられました。改めて御礼申し上げます。

★ 管理人さまの作品紹介に導かれ、挑戦を始めたのは、庄野さんの今の作品につながる元を辿ってみたいという気持ちからで、途中から、作品を私なりに分類整理しながらの楽しい読書となりました。特に、「桃李」から『インド綿の服』に至る≪前期家族もの≫と 、『世をへだてて』を挟んで、『エイヴォン記』を序章に始まる現在のシリーズとが、私なりにつながって、非常に興味深く思いました。

★ 『波』1月号も当然読みました。第1回ということを意識されて、初めての読者向けに相当いろいろなことを丁寧に説明されているな、という印象ですね。今日から、作品分類整理のために、もう一度随筆集などを借出してきました。全集の巻末解説で一応目を通した阪田寛夫さんの『庄野潤三ノート』も借りました。一応の整理が出来ましたら、少しずつご紹介して、皆様の御意見をお伺いしたいと思います(分類に迷うものもありますし・・・)。現在のシリーズのファンであれば、≪前期家族もの≫もきっと体系的・時代順にお読みになると、皆さんご興味を持たれるのではないかと思います。

粋狂(924) 題名:ハーッ(嘆息)!そんなのもあるの!? 投稿日 : 2004年1月29日<木>23時16分/東京都/男性/50代前半
 
★ 処女作の「雪・ほたる」は、おそらく後の『前途』に昇華したものだと思い、それ故に全集にも収録されなかったんだなと思っていました。しかし、「ダゴンさんの恋人」なるケッタイなタイトルの庄野作品があるとは知りませんでした。たしかに、岡本喜八監督の「給料泥棒」というのは、見た記憶はありませんが、耳にしたことはあります。

どくたーT@管理人(923) 題名:ダゴンさんの恋人 投稿日 : 2004年1月29日<木>00時32分/東京都/男性/おじさん
 
庄野さんの作品の中には,単行本化されていないものがいくつかあるようです。処女作の「雪・ほたる」が先ずそうですし,酔狂様ご指摘の「リッチモンド夫妻」もそうかもしれません。それでもこれらの作品は、『庄野潤三全集』の年譜には取り上げられています。しかし、それ以外の年譜にも取り上げられていない作品もあるようです。例えば,ここのタイトルで上げた『ダゴンさんの恋人』。この作品は、岡本喜八監督により「月給泥棒」というタイトルで映画化されているのですが,庄野さんの年譜を見ても、そんな作品が発表されたこと、またそれが映画化されたことは記載されておりません。
庄野さんにとっては、相当不本意な作品だったのかも知れません。一度読んでみたい作品ですが、私もそれは達成目標です。

粋狂(922) 題名:まだもう少し残っているような? 投稿日 : 2004年1月27日<火>23時45分/東京都/男性/50代前半
 
★ いろいろ分類整理のチェックに入ったところ、例の「デビラカレイ」の出て来る『山の上に憩いあり―都築ヶ岡年中行事』の管理人さまの紹介を読み直して、あの単行本を読んでいないことが判明しました。全集以降の単行本で、私の住むS並区の図書館にないのが、新潮社刊の『山の上に憩いあり―都築ヶ岡年中行事』だけでして、注文したところ、小学館の『昭和文学全集21』(昭62)が届き、その中に表題作があったので、読んだつもりでおりましたが、表題作以外のものはその中にはなかったわけで、今日、図書館に寄って、よそから取り寄せてもらうようお願いしてきたところです。

★ また阪田寛夫さんの『庄野潤三ノート』を読み始めたところ(全集の巻末解説そのものかと思っておりましたが、少し違っている印象があります・・)、これまでの単行本には収録されていないのではないかと思われるもの(例えば、ガンビアものと思われる 「リッチソン夫妻」(群像1961年10月号)というのは読んだ記憶がない??あるいはタイトルが変更されているのか??)もあって、そういう落穂拾いもしなければいけないかなと思ったりしています。

どくたーT@管理人(921) 題名:偉業達成 投稿日 : 2004年1月27日<火>23時23分/東京都/男性/9歳以下
 
酔狂様
おめでとうございます。庄野先生の全単行本をお読みになるというのは、比較的寡作な先生とはいえ、大変なことだと思います。おめでとうございますとお祝いを申し上げます。『早春』、『水の都』、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』、『サヴォイ・オペラ』の時期は、庄野先生の非常に創作意欲の旺盛な時期の作品であると思っております。全てが全て大傑作ではないにしろ、非常に力の入った緻密な作品で、そういう作品が酔狂様の最後の作品になったことを、素直に喜びたいと思います。
「世をへだてて」を境に「前期家族もの」「後期家族もの」という分け方は,これまで言う人がなく、斬新な見方ではないでしょうか。私は庄野文学を「生田前」(〜1960)、病気前(1960〜1985)晩年(1985〜)と分けるのですが,酔狂様の見方も一理ありかな、と思います。


デビラカレイ
どくたーT@管理人(919) 投稿日 : 2004年1月18日<日>19時14分
 
週刊朝日の新連載、池辺史生さんの「日本乾物紀行」の第三回が広島県尾道市の「デベラガレイ」でした。
これは多分、庄野さんの、河上徹太郎との交流を描いた「山の上に憩いあり」の『でびらがれい』と同じものでしょう。福原さんから頂いたでびらがれいを子供ら三人で代わる代わる叩いて、柔らかくなったのを扇がたの小さな金網で焼いて、召しあがるところは、この作品の中で印象的なシーンの一つです。
ところが、この「デベラガレイ」、最近は後継者不足で、漁師が少なくほとんど取れないそうです。干物の名品で、叩いて炙って食べると美味しいものだそうですが,現在売られているのはほとんど進物用。
そう言えば,庄野さんの最近の作品には、『でびらがれい』出てきませんね。
波 1月号
ふかお(917) 投稿日 : 2004年1月9日<金>09時19分/京都府/男性/おじさん
 
どくたーT様、もう手に入りましたでしょうか。
私も、正月に大きい書店を尋ねて回ったのですが、入荷しておらず、昨日、ようやく事務所の近くの小さい本屋にたくさん置いてあるのを見つけました。必要ならお送りしますので、お申し越し下さい。
新連載は、いつも通りの調子で、嬉しくなります。春夫くんは中学1年生、ふーちゃんは、もう高校生になっているのですね。

どくたーT@管理人(918) 題名:私も入手致しました。 投稿日 : 2004年1月10日<土>12時05分
 
ふかお様
お気遣いありがとうございました。送って下さる方があって、私も手にいれました。お話は前作『メジロの来る庭』より連綿と繋がっている様子です。
我が家も娘がいて、浴衣を祖母(妻の母)に直してもらいましたので、どこも同じだなあ、などと感じております。けい子ちゃんのこのゆかたは、生田の諏訪神社の秋祭に来ていくもののようですが、多摩地方は秋祭が盛んなようですね。多摩地区にある私の住む町でも9月には小さな、普段は無人の神社でも、必ずお祭りをやり、お神輿もでます。
そんな地域の類似性も楽しみました。


庄野さんの新連載
モチコ(911) 投稿日 : 2003年12月30日<火>02時01分/東京都/女性/20代前半
 
お久しぶりです。
昨日、アルバイト先の書店で『波』の庄野さんの新連載を読みました。
こちらの掲示板で知りました。情報ありがとうございます。

『波』はいつもうちのお店に入るのですが、数が少ない上に、近くの出版社がいくつか取り置いて持っていくので、その余った分しかいただけないんです。
今回も「余ったら下さい」と言っておいたのですけど、あいにく余らなかったので、いただけませんでした。でもまだ受け取りに来ていなかったので、こっそり読ませてもらいました。
今回も、河田ヒロさんの挿絵と題字でした。とても可愛らしくて素敵でした。
題名『けいこちゃんの浴衣』も素敵ですね。かなり気に入りました。
私は『メジロの来る庭』の連載を読んでいませんでしたので(楽しみに取っておこうと思って)、今年のはじめに出た『庭の小さなばら』が私にとっていちばん最近の庄野さんだったのですが、また少し様子がわかって嬉しかったです。
お孫さんたちもみんな、大きくなったのですね。

今回から連載で読むことにしました。
手に入るか入らないかヤキモキするのが嫌なので、定期購読してしまうことにしました。
これからまた、楽しみです。4月の新刊も楽しみ。
みなさんは連載を読まれるのでしょうか。1冊にまとまるまで待つ方が多いのでしょうか。

モチコ(916) 題名:私も間違えました 投稿日 : 2004年1月4日<日>05時16分/東京都/女性/20代前半
 
ゆうさんの書き込みで、私も間違いに気付きました。
正しくは『けい子ちゃんのゆかた』ですね。
手元になかったので、間違えてしまいました。失礼しました。

「ゆかた」を漢字にしないのが、庄野さんらしいですね。
この題名、今までの庄野さんの作品の中で、1位2位をあらそうくらい好きです。
私も1月号欲しいな。
それでは失礼いたしました。

どくたーT@管理人(915) 題名:私も定期購読を申し込みました。 投稿日 : 2003年12月31日<水>09時19分/東京都/男性/おじさん
 
私は、正直申し上げると,「連載が途切れるのではないか」と随分心配になりました。新潮社に直接尋ねればよかったのですが、このところ、平日の昼間は忙しくててんてこ舞いしていたので電話もかけられず、そうこうしている内に「波」の話を知りました。ホッとしました。
80歳を過ぎても矍鑠たる仕事ぶりの庄野先生の連載を続けていただくのは、大袈裟に言えば、日本文芸誌の使命だと思っておりますので,途切れず連載が続くこと、本当に心から感謝したいと思います。
子供の頃,「波」や岩波書店の「図書」は家に配達してくれる書店のお兄ちゃんが持ってきてくれたものですが,(私も小学館の学習雑誌などをとってもらっていました)、いつのまにか、配達が無くなり,出版社のPR誌とも縁が無くなりました。
「波」はインターネットから簡単に予約出来ましたので、助かりました。ただ、翌月号からの1年間と言うことらしいので,1月号は手に入らないかも知れません。新潮社さん、1月号も送って下さいね。

ふかお(914) 題名: 投稿日 : 2003年12月31日<水>00時27分/京都府/男性/おじさん
 
ゆうさん、早々と情報をありがとうございました。京都では年末休みになって、「波」がまだ手に入りませんが、連載が続いていたということが分かっただけで、ほっとしました。

あー(912) 題名:ありました 投稿日 : 2003年12月30日<火>10時17分/東京都/女性
 
二子玉川の紀伊国屋にはありました。でも、机の上にあるのは12月号で、1月号は下の棚に隠して?ありました。近所の書店にはありませんでした。小さな街の本屋さんには宣伝誌もあまり来ないのでしょうか。毎月探し回るの大変なので、私も定期購読申し込みました。
読みたい気持ちを我慢できないので、いつも連載から読んでしまいます。そして単行本になったときゆっくり読み返すときのうれしさが何とも言えません、至福の時?
これで落ち着いて新年が迎えられそう。新しい年もお元気で書き続けて頂きたいです。


明日確認しましょう
どくたーT@管理人(906) 投稿日 : 2003年12月29日<月>00時01分
 
ゆう様
情報どうもありがとうございました。
25日にある書店で「波」の新年号の有無を尋ねたところ、未だ入荷していないとのことでした。新潮社のサイトの変更も未だだし,今月は正月の関係で遅れているのかな、と思っておりました。
早速、明日都心の書店で「波」を入手します。楽しみです。

ゆう(913) 題名:こちらこそ 投稿日 : 2003年12月31日<水>00時25分/富山県/女性/おねえさん
 
品切れですか・・。残念ですね。
私は田舎に住んでいるのですが、たまたま東京にきていて銀座の教文館でみつけました。

こちらこそ、このページで「『波』かもしれない」という情報を得ていたので、運良く早くに手に入ったので感謝しております。

インターネットカフェで急いで書き込みをいたしましたのでタイトルを少し間違えてしまいました。正確にはひらがなで「けい子ちゃんのゆかた」です。
庄野先生は男のお孫さんが多いですから、やはり女の子が格別かわいいのですね。タイトルは「けい子ちゃん」ですがフーちゃんの話もちゃんと載っていますよ。

管理人様の感想も楽しみにしております。


どくたーT@管理人(907) 題名:波は品切れ 投稿日 : 2003年12月30日<火>00時43分
 
本日(29日)、新宿紀伊国屋で尋ねたところ,27日に入荷したが,全てはけてしまって品切れ、とのことでした。これは発注するしか無いですね。


新連載
ふかお(901) 投稿日 : 2003年12月6日<土>18時07分/京都府/男性/おじさん
 
今日、書店で「新潮」と「群像」の新年号を見ましたが、庄野さんの新連載はありませんでした。目に付く他の雑誌も見てみましたが、見つかりません。
「メジロの来る庭」が終わって、今度はどの雑誌に連載されるのか、情報をお持ちの方はお知らせ下さい。

ゆう(905) 題名: 投稿日 : 2003年12月28日<日>23時17分
 
「波」で「けいこちゃんの浴衣」というタイトルで新連載がはじまっていました!
連載が途絶えなくてほっとしました!

ふかお(904) 題名:新連載 投稿日 : 2003年12月23日<火>10時34分/京都府/男性/おじさん
 
20日発売の小説新潮にも若干の期待をしていたのですが、新連載は石田衣良と椎名誠でした。やはり「波」でしょうか。25日が楽しみです。

どくたーT@管理人(903) 題名:新潮社は「波」に期待 投稿日 : 2003年12月20日<土>23時39分/東京都/男性/おじさん
 
「新潮45」にも連載はありませんでした。「ミミリー」と同じ「波」は、未だ可能性があります。あの雑誌は毎月25日発売ですので、我々に対する良きクリスマス・プレゼントになってくれるといいのですが。

どくたーT@管理人(902) 題名:新連載 投稿日 : 2003年12月7日<日>21時00分
 
ふかお様のこの書き込みを見て、私も早速、街の真ん中の大きな書店まで出かけて行きました。確かにどこにも見つかりませんでした。新潮社に連載するならば次の可能性としては、「波」と「新潮45」ですね。どちらも1月号の予告が出ていないので、もう少し待ちましょう。他社の可能性はあるのでしょうか。「すばる」には出ていませんでした。


立て続けに読破中(10)
粋狂(894) 投稿日 : 2003年11月26日<水>23時51分/東京都/男性/50代前半
 
★ 全集第7巻から第10巻まで、読み終えました。単行本で数えると(53)『前途』、(54)『紺野機業場』、(55)『小えびの群れ』、(56)『絵合せ』、(57)『屋根』、(番外・再読)『明夫と良二』、(番外・再読)『野鴨』、(番外・再読)『自分の羽根』、(番外・再読)『クロッカスの花』、です。これで、全集は完全読破しました。

★ 次は、昭和50年以降で読んでいない本に取り掛かかろうと、(58)『休みのあくる日』(1975年新潮社)を読み始めたところです。パラパラ見ただけですが、まだ、「ガンビアもの」や「前期家族もの」の短編があることを知って、嬉しくなりました。残り10冊を切って、ようやく第4コーナーを回っている感じです。年内に読みきれるかホントに微妙なところかな・・・・。

どくたーT@管理人(900) 題名:私の中の日本人 投稿日 : 2003年11月29日<土>23時42分/東京都/男性/おじさん
 
私もこのサイトを立ち上げたころ、図書館の蔵書検索を利用して、庄野先生の著作を調べたことがあります。その時ヒットしたのが酔狂様がお書きの「私の中の日本人」でした。それまで全く聞いたことがない作品だったので、早速取り寄せて読んでみました。そしてその中身が既読の作品集に収載された随筆だったので、残念に思ったことがあります。

尚、庄野さんがお書きになって公表された文章は、昭和40年以降に執筆されたものの全てが単行本化されているようですが、それ以前の作品では、雑誌発表だけで、単行本化されていないものがあるようです。具体的にどういうタイトルか?といった情報はないのですが、私も何とかして探し出して見たいと思っております。

粋狂(899) 題名:「私の中の日本人」 投稿日 : 2003年11月29日<土>21時58分/東京都/男性/50代前半
 
『私の中の日本人』というのは、多くの作家がこのテーマで書かれたエッセイ集でして、庄野さんの御本というわけではありませんでした。冒頭に庄野さんの文章があるので、図書館検索でヒットしたようです。この文章は、『庭の山の木』に収録されている文章でした。

粋狂(897) 題名:あと8冊+1冊? 投稿日 : 2003年11月28日<金>23時38分/東京都/男性/50代前半
 
★これまでの私のカウント・ナンバーに、(3)『夕べの雲』(1964年/講談社文芸文庫)、(47)単行本見収録作品「太い糸」「父」(全集第3巻所収)、(52)習作「罪」「貴志君の話」「ピューマと黒猫」(全集第1巻所収)、が入っていましたので、どくたーTさまの主要作品目録62冊からすると、あと8冊です。

★それと、図書館の検索で「私の中の日本人」というのが出てきまして、ひょっとすると共著かもしれませんが、これも読む予定です。つまり、「残り5冊」ではなく、都合9冊となりますが、うち、(58)『休みのあくる日』と、(59)『屋上』 、の短編集2冊を今日までに読み終えましたので、実質、あと7冊になりました。

どくたーT@管理人(896) 題名:あと5冊 投稿日 : 2003年11月27日<木>21時42分/東京都/男性/おじさん
 
庄野さんの出版された単行本は62冊ですから、58冊目と言うとあと5冊になります。もう一歩という感じですね。年内ゴールを目指してお励み下さい。
ところで、庄野さんが「愛撫」でメジャーデビューされてから54年になるのですが、その間ほとんど切れ目なく作品を発表してこられている割には、随分少ない作品数です。いうまでもなく、1冊の本を出版するのに、庄野さんがどれだけ手をかけて来たかの証左であります。これからも、少しずつ私は再読して行こうと思います。


メジロの来る庭最終回
大阪の一愛読者E.S(892) 投稿日 : 2003年11月26日<水>16時23分/大阪府/男性/60代前半
 
粋狂様ご指摘の、和雄さん、邦雄さんの間違えの件ですが、文面からするとあのビ−ルパ−テイ−には長女夏子さんのご主人邦雄さんは出席していなかったように感じます。確かに前の方の表現では「和雄」と「さん」づけの表現ではないので、ご指摘の部分ではさんづけになっているので、邦雄さんの間違いかとも思われますが・・・。

どくたーT@管理人(895) 題名:酔狂様の解釈が、正しい様です。 投稿日 : 2003年11月27日<木>21時24分/東京都/男性/おじさん
 
確認のため、「文学界」12月号に当たってみました。
「長女と和雄さん」と書かれているセンテンスの前の文章に、「長女夫婦」という言葉が出てきておりますので、恐らく邦雄さんはこのビアパーティに参加していたものと思われます。

粋狂(893) 題名:単行本を待ちましょう 投稿日 : 2003年11月26日<水>23時37分/東京都/男性/50代前半
 
★ 「さん」付けのあるところが決定的だと、私は思うのですが・・・。単行本でどうなっているか、待ちたいと思います。


阪神ファン
粋狂(890) 投稿日 : 2003年11月13日<木>23時24分/東京都/男性/50代前半
 
★全集第9巻所収の『野鴨』を再読しておりましたら、「六」のところに、「井村の妻は、押入れにしまってあった和子の小学生のころの絵日記や作文を出して来た」とあって、その中に「今日は夜、たんぱほうそうをかけました。きょじんとタイガースです。私たちはタイガースをおうえんしていたのに、五たい〇できょじんが勝ってしまいました。」という記述がありました。やはり、庄野家は、昔からタイガースファンだったのでしょう。

どくたーT@管理人(891) 題名:やっぱり大阪人 投稿日 : 2003年11月16日<日>21時33分/東京都/男性/おじさん
 
要するに、庄野さんご一家は大阪出身ということなのでしょうね。
面白いな、と思うのは「きょじんとタイガース」とあるところ。「和子」の絵日記ということは昭和28、29年頃のことだと思いますが、そのころ、普通は、「阪神タイガース」を「阪神」と呼んでいたのではないでしょうか。勿論、違うかもしれません。
庄野さん宅では、そのころ「阪神」とは呼ばず「タイガース」と呼んでいたのですね。「阪神タイガース」は、元々は「大阪タイガース」だったわけですから、大阪人の庄野さん一家としては、阪神とは呼びたくなかったのかも知れませんね。


メジロの来る庭-最終回
どくたーT@管理人(887) 投稿日 : 2003年11月8日<土>23時54分/東京都/男性/おじさん
 
「文学界」に連載中であった「メジロの来る庭」が昨日発売の12月号で最終回を迎えました。「夫婦の老後」シリーズも丸9年がたちました。作品としても9冊が終了。これらをずっと見ていると、当たり前のことですが、漢詩の「年年歳歳、花相似たり。歳歳年年、人同じからず」という言葉を覚えます。
「メジロの来る庭」では、庄野さん夫妻が、ひいおじいさん、ひいおばあさんになり、夏子さんがおばあさんになり、フーちゃんも高校生です。「夫婦の老後」シリーズの第1作である「貝がらと海の音」でフーちゃんは小学校2年生でしたから、月日が経つのは速いと思わずにはいられません。
さて、例年通りのルールで行けば、来年は新潮社の番です。記念の10作目。今度はどの雑誌にどんなタイトルで発表されるのでしょう。楽しみです。

どくたーT@管理人(889) 題名:鋭いご指摘 投稿日 : 2003年11月13日<木>00時04分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様のご指摘。私も読んでいて違和感があったのですが、和雄さんと邦雄さんとを間違った、とは考えつきませんでした。これは、酔狂様のご指摘のとおりでしょう。単行本になるとき、修正されていると宜しいですね。
穴八幡の件もありがとうございました。私の仕事場は、高田馬場駅まで歩いて15分ほどの所なのですが、穴八幡には一度行きたいと思いながら、行ったことがありません。今度行って見ようと思います。

粋狂(888) 題名:私も読みました! 投稿日 : 2003年11月11日<火>23時42分/東京都/男性/50代前半
 
★私も図書館で読みました。奥様の誕生日での恒例行事が新たにできたようで、いいですね。
★一箇所「長女と和雄さんにおじぎして」とあるのは、前後の文脈から夏子さんご夫妻におじぎされた訳で、「邦雄さん」とすべきミスでしょうね。これは庄野さんがボケられたのではなく、夏子さんご一家の男性陣のお名前が「○雄」に統一されていて紛らわしいので、ウッカリされたのでしょう。それと、今回の回ではないのですが、恒例の早稲田・穴八幡のお札の説明で「お正月から節分の日まで」お札を頒けてくれるという記述がいつもされているようですが、正確には「冬至の日から節分の日」までです。「冬至」→「ゆず」→「融通」 ということでお金の融通の神様と云われているようです。以前、早稲田に越して初めての冬至の日に、早朝から貸切りバスが何台も掛け付け大騒ぎなのにビックリした記憶があるのです。でも、この辺りはおおらかに読んでおりますが・・・。
★最終回といっても、掲載誌とタイトルが変わるだけだと思えば、楽しみは続きますね。新潮社なら、前回のようにPR誌の『波』なら、多くの人の目に触れてファン拡大になるように思います(私がそうでしたから)。


山田さんの鈴虫
あや(885) 投稿日 : 2003年11月5日<水>12時43分/東京都/女性/おばさん

庄野氏の次男の和也さんと学生時代に同じサッカー部で青春しました。そんなご縁もあってふと見かけた本を手にしました。若いころは、ほのぼの暖かいなんていうことを嫌っていたのに年とともにそんな情景に涙が出ます。時折 登場する庄野さん<次男の>に 元気でがんばってるんだな!!あのころのまま 楽しい庄野さんが目に浮かびます。みんなで逢いたいなー。

どくたーT@管理人(886) 題名:レスをつけるひと 投稿日 : 2003年11月6日<木>23時59分/東京都/男性/おじさん
 
あや様
書き込みありがとうございます。これのレスは、管理人がするべきものでは無いような気もいたしますが、書きます。
和也さんと同窓の方が書き込まれるのかと思うと、このサイトの広がりがそこまで達したということで、とても嬉しい気持です。庄野先生の「次男」については、「明夫と良二」などでの、割と専横的兄とそれを飄々と受け流す「弟」というイメージがあるのですが、『あのころのまま 楽しい庄野さん』と、お書きのところをみますと、その「弟」の雰囲気でずっと来ている、ということなのでしょう。


先ず一として・・・
OR(882) 投稿日 : 2003年10月30日<木>09時45分/神奈川県/男性/60代前半
 
八月に、最初の書き込みをさせていただいたORです。
文化功労者の件、小生も同感です。残念です。
ところで、昨年九月発刊の、”孫の結婚式”を、最近読みました。
庄野氏が「静物」を書き上げるときのことが書かれています。(P125〜131)
庄野氏が書けなくて困っていたとき、先輩の佐藤春夫氏が「先ず一として一つ書いて
見るんだね、次に二として・・・」というアドバイスを受けて、その言葉通りに書い
た、とあります。
「釣堀へ行こうよ」と男の子が言い出し、小学生の女の子も「行ってみたら」という
ものだから、・・・・・というふうに話が始まったとあります。
庄野氏の「書くこと」の原点が、ここにある!と思いました。
その後の作品を読む(というか、思い出す)につけても、そう思います。
同時に、多少なりとも文章を書く場合の、重要なアドバイスであると思った次第で
す。
なお、この章には、庄野氏の兄、英二氏のことも書かれています。
同氏の作品群も、心に沁みるものが多いですね。(全集あり)      以上

OR(884) 題名:ご指摘ありがとうございます 投稿日 : 2003年11月2日<日>14時18分/神奈川県/男性/60代前半
 
どくたー管理人様
ご丁寧なレス、ご指摘ありがとうございます。
文学交友録、読んだような気もしますが、気を入れて、再読して見ます。
文学上の先輩、同輩そしてご家族など周囲の人々の影響もさることながら、
それらを、ご自分の中で、もう一度発酵させ、開花させ作品としておられることは、
本来の才能と、ご努力とによるものなのだろうと思います。
浅い読み方かも知れませんが、そうした一端が、氏の随筆にときどき現れており、
今回もそんな気がしたので、書き込みをさせていただいた次第でした。

どくたーT@管理人(883) 題名:「まず一として」のお話。 投稿日 : 2003年10月30日<木>23時04分/東京都/男性/おじさん
 
OR様、お久しぶりです。
「静物」を書く時、庄野さんは本当に苦しんだようです。昭和34年の4月以降ほぼ一年間をこの作品のみに費やした、と言います。それだからこそ、佐藤春夫のこの助言は身に沁みたのでしょう。
庄野さんは、伊東静雄の弟子ですが、友人の林富士馬が佐藤春夫の弟子だったこともあり、また、伊東と佐藤との関係もあって、同人作家時代から、佐藤春夫とは交流があったようです。そのような佐藤春夫との交流は「文学交遊録」(新潮文庫)に詳しいので、ご興味があれば、お読み下さい。
佐藤春夫のアドバイスはOR様のおっしゃるように、文章を書く上での一つの心得だと思いますが、私のような凡人は、とてもそのアドバイスを糧に出来そうもありません。庄野さんは、その言葉を生かして、文章の切れ味の鋭さでは庄野文学随一の傑作「静物」を書いたわけですから、読者にとってもありがたい一言だった、ということなのでしょうね。
残念
どくたーT@管理人(880) 投稿日 : 2003年10月29日<水>21時38分/東京都/男性/おじさん
 
勿論、阪神タイガースのことではありません。
文化功労者、今年こそ、庄野さんの番だと思っていたのですが、曽野綾子さんでした。自分の周囲だけを冷徹に見つめて、最高の散文を書く作家よりも、宗教観に基づく高い倫理性を持った作家の方が文化功労者にふさわしいということなのでしょう。更に言えば、曽野さんは社会活動も熱心ですし。
私個人としては、「文学の質」という点だけにこだわれば、曽野文学よりも庄野文学の方が断然上だと思っております。
来年こそ、庄野さんの順番と信じましょう。それまでお元気で執筆活動を続けて欲しいです。

ふかお(881) 題名:文化功労者 投稿日 : 2003年10月29日<水>23時07分/京都府/男性/おじさん
 
全く同感です。昨年期待してはずれ、今年こそは、と思っていたのに、残念でした。


立て続けに読破中(9)
粋狂(876) 投稿日 : 2003年10月15日<水>23時03分/東京都/男性/50代前半
 
★ 前期家族ものを求めて全集第6巻を読んだことから、成り行きで順次、全集を遡ることし、第5巻〜第1巻までを読了しました。文庫本などで既読のものもありましたが、せっかく全集を読むのであれば全部読み尽くそうと思い、作品を私流に分類しながら読み通しました。単行本単位で数えると、(41)『鳥』、(42)『佐渡』、(43)『浮き燈台』、(44)『道』、(45)『つむぎ唄』、(46)『静物』(ほとんどは再読)、(47)単行本未収録の「太い糸」「父」、(番外・再読)『ガンビア滞在記』、(48)『バングローバーの旅』、(番外・再読)『ザボンの花』、(49)『旅人の喜び』、
(50)『愛撫』、(51)『プールサイド小景』、(52)習作「罪」「貴志君の話」「ピューマと黒猫」、です。

★ 私流の分類ですが、@結婚以前の庄野家もの、A夫婦小説、B前期家族もの、Cガンビアもの、Dそば耳聞き耳小説(身辺スケッチもの)、E聞き書き小説、F寓話その他、G後期家族もの、H随筆、という風にとりあえず整理しております。

★ 明日から全集第7巻に取り掛かる予定です。

★ それと、家内と義母がかねてから鶴川の旧白洲次郎・正子邸「武相荘」に行きたいと言っていましたので、近く行くことを予定していますが、さて昼飯はどこで?という話になり、生田を通るので「益膳」にしようということになりました。楽しみです。

どくたーT@管理人(879) 題名:益膳 投稿日 : 2003年10月21日<火>22時47分
 
酔狂様

この「庄野潤三の部屋」は、益膳のサイトをリンクして居りまして、お店の外観などは見た事がございます。
益膳の場所は、丁度生田高校の前で、庄野さんのお宅からも600-700メートルぐらいのところのようです。ホームページによれば、寿司、うなぎ、会席料理のお店だそうですが、席数からすると、普通の住宅地の御鮨屋さんのようですね。

それでも庄野さんご贔屓の御店ですから、きっと美味しいのでしょう。私は、生田方面に出かけることが全く無い訳では無いのですが、(例えば、この夏休みには生田緑地の日本民家園に行きました)が、庄野さんご贔屓の御店には、一度「藤屋ベーカリー」のパンを買ったことがあるだけで、どこにもいったことがありませんでしたね。

白洲正子邸は、私は行ったことがありませんが、一度言ってみたい気がしてまいりました。

粋狂(878) 題名:まだ第3コーナーぐらい 投稿日 : 2003年10月19日<日>23時51分/東京都/男性/50代前半
 
★ どくたーTさま。ラストスパートまでは、もう少し時間が掛かりそうです。既読のものでも全集を全部読み通そうとすると、結構時間が掛かります。ただ、現在は、庄野作品の全体像をつかみたく、その意識があると、既読のものでも読みなおすと新しい発見があることを知りました。

★ 益膳にも行ってきました。ホームページがあって、カー・ナビに頼って行ったので、今一つ地理関係が把握できませんでしたが、「生田高校入口」などという交差点などに出会い、フーちゃんはこの辺を歩いているんだと、ちょっとドキドキしました。
益膳のホームページ http://homepage2.nifty.com/masuzen/

★ 帰宅して、図書館で「文学界」11月号の最新回を読みましたら、ちょうど「益膳の会」のお話で、大変興味深かったです。そこでも触れられていたように思いますが、「益膳」は、お店が最近新しくなったようでした。

★ ところで鶴川の旧白洲正子邸で書斎の本棚の本を見ていましたら、講談社文芸文庫の福原さんの『チャールズ・ラム伝』が並んでおりまして、庄野作品をひととおり読んだら、あれを読みたいなと思いました(絶版になっているのかどうか分かりませんが、絶版でも文芸文庫なら図書館にあると思い、楽しみになりました)。

どくたーT@管理人(877) 題名:ラストスパート 投稿日 : 2003年10月16日<木>23時41分/東京都/男性/おじさん
 
酔狂様

そろそろ全作品読破も近いのではないでしょうか。私はほぼ3年かけて、庄野さんの全出版作品を読み直しましたが、酔狂様のペースは1年足らずかしら?整理の結果も教えて下さると嬉しいです。

益膳行かれるのですね。その報告もお待ちしております。


小田急線
どくたーT@管理人(875) 投稿日 : 2003年10月13日<月>21時59分
 
鉄道好きな作家は結構いて、古くは内田百間、最近ならば阿川弘之、宮脇俊三が著名ですが、彼らは、自分が住んでいた町の鉄道は語らないようです。阿川弘之の随筆も随分読んでいるつもりですが、彼が田園都市線について語った随筆は読んだことが無いように思います。

一方、庄野さんは特別に鉄道好きと言うわけでは無いと思いますが、小田急線沿線に住んでいるためか、小田急線について消極的に取り上げた作品は多いです。
昔は、「休みのあくる日」という舞台が小田急線と思われる作品を書いていますし、最近の一連の「老後小説」では、東京に出かけると帰りは、しばしば「小田急の各停に坐って帰る」と書かれます。庄野さんにとって、小田急線が一番身近な線であることに変りがありません。

さて、先日、講談社の現代新書で政治学者の原武史さんが書かれた「鉄道ひとつばなし」という本を読んだのですが、彼は小田急線を結構辛らつに批判しています。小田急線は距離が長いので、長距離客も多く、いつも混んでいるので、私もあまり乗りたいと思わないのですが、それは、私が普段使用する線が京王線だからかも知れません。この著者の原さんの普段使用する線は、東急田園都市線。

けれども、小田急沿線住民は小田急に愛着を持つ人が多いらしいですね。私の昔の上司は、東京に出てきたとき住んだのが、小田急線の「梅が丘」。結婚して家を買うときも小田急線沿線を探し、現在住んでいるのが「喜多見」ですから。高校時代の友人は結婚した時「経堂」にマンションを借り、その後「豪徳寺」に移るといった具合です。彼らは、小田急線沿線はいいと言いますね。

庄野家は子供たちが独立した訳ですが、家を構えたのが皆小田急線沿線です。長女の「南足柄」にしたって、小田急沿線のようなもの。庄野家と小田急線は深く結びついているようです。

 

週刊新潮10/9日号
どくたーT@管理人(871) 投稿日 : 2003年10月3日<金>22時15分/東京都/男性/おじさん
 
裏表紙の内側に、ダイエーの「変わる」という広告が出ているのですが、そこに庄野先生の「お昼ごはんの話」というショートエッセイが載っています。庄野さんの文章もさることながら、山本容子さんの挿絵も素敵です。

どくたーT@管理人(874) 題名:遅くなりました。 投稿日 : 2003年10月8日<水>23時37分
 
第三のファン様
レスが遅くなり申し訳ありません。自分のコンピュータの調子が不調で、レスをつける元気がなかったのです。
第三のファン様の書き込みは、「孫の結婚式」に収載されている「おじいちゃんの食後」のことだと思います。週刊新潮の2001年8月30日号に載ったもの。およそ2年前ですね。今回の「お昼ごはんの話」は、庄野さん自ら、「おじいちゃんの食後」の続きで、おじいちゃんがどんなお昼ごはんを食べているかという話。と書いていらっしゃいます。

第三のファン(873) 題名:デザート 投稿日 : 2003年10月5日<日>01時22分/東京都/男性/20代前半
 
お久しぶりで失礼します。
以前、やはり週刊新潮だったと思いますが、ローソンの広告で、ローソンでデザートとを買う習慣があり、店員の態度も好くてうれしい、といった内容の庄野先生のエッセイが載っていました。(うろ覚えで正確ではありません)
庄野先生に依頼するセンス。ダイエーを応援したくなります。

どくたーT@管理人(872) 題名:「変わる」? 投稿日 : 2003年10月3日<金>22時21分/東京都/男性/おじさん
 
上記のエッセイのおしまい、「この昼食はこれから先、どのくらい続くだろうか? おそらく今のまま変らないで続くだろう。続いてほしい。それが私の願いである。」
「変るダイエー」の広告に・・・・。流石庄野さんです。


こぺんぎん(868) 投稿日 : 2003年9月27日<土>11時07分/女性/おねえさん

こんにちは。お久しぶりです。
質問です。全集第七巻の冊子に、草野心平さんが、庄野文学を「形容詞のない文体」と言っています。確かに、途中までは形容詞はなかったけれど、後期家族ものでは、「おいしい」「ありがたい」など、連発ですよね?いったいいつその変化が生じたのでしょう?わかれば、その理由も知りたいです。

どくたーT@管理人(870) 題名:草野心平の解釈 投稿日 : 2003年9月28日<日>23時28分/東京都/男性/おじさん
 
こぺんぎん様のご指摘と、小川様の追記を読んで、草野心平の「形容詞のない文章」という意味について考えて見ました。
まず、この文章には、草野の詩人としての意識が強く働いているものと思われます。詩人は、ある詩を書く為に、言葉を選びに選び、徹底的に研ぎ澄ませ、無駄を排除します。その極限が俳句ですが、通常の詩だってその例外ではない。
庄野さんは、伊東静雄の弟子であり、その関係で三好達治や佐藤春夫とも関係が深く、そういうところから考えると、彼は詩のような無駄のない文章を書きたいと考えていたものと思われます。
その一つの成果が「静物」です。これはまさに静物画のような作品ですが、重要なことは、文章に無駄が全く無いと言うことでしょう。当初200枚ほどの長編を予定したのが、文章を研ぎ澄ませて、無駄な部分を切り削いで行くうちに、100枚ほどの中篇になったというのは有名な話です。そういう緊密な作品を読んだ詩人草野心平が、無駄な言葉が無いという意味で、「形容詞の無い文体」と言ったのでしょう。
ただ、ここまで徹底して言葉を吟味するという作業は、庄野さん自身としてもかなり苦しかった作業のようで、その後の作品は、「静物」よりは言葉に緩みがあります。
私は、初期の庄野文学の「遊び」の無い文章よりも、中期以降のもう少し余裕のある文章に惹かれます。

以上の文章は、「静物」に限れば、全くその通りなのですが、草野心平は、「ガンビア滞在記」も例にあげています。「ガンビア滞在記」は、明かに無駄な言葉は無いのですが、「静物」ほどは言葉の選択に注意が払われていない印象を受けます。
しかし、「ガンビア滞在記」は以下の幾つかの点で特徴的です。
1)視点は、庄野さんに固定されていること。
2)内容は事実に基づいて書かれていること。
3)実際あった事実に関して、取りわけ感想を述べないこと。
4)比喩は少なく、使用する場合でも直喩であること。

これは、比喩特に隠喩で深みを出す詩とは全く異なった行き方です。要するに曖昧さを排除した文体です。形容詞は、使い方によっては、内容の曖昧さを助長します。草野は、庄野さんの曖昧さのない文章を読んで、「形容詞の無い文体」と言ったのかもしれません。ひょっとしたら、その両者が懸けてあるかも。

もし後者の意味で草野心平が使用しているとするならば、現在の庄野さんの文体も、曖昧さの無い平易さ、という意味で、「ガンビア滞在記」と同様だと思います。

小川(869) 題名:形容詞 投稿日 : 2003年9月28日<日>08時22分/神奈川県/男性/50代前半
 
こんにちは。全集の「月報7」を見てみました。
草野心平の「形容詞のない文体」は、「静物」から四行を引用して、次のように書かれています。
---------------------------------------------------------
 「すごい」
 と男の子が云った。
 「すごい」
 と小さい男の子が云った。(「静物」より」)

 この会話は実にうまい。すばらしい技巧である。余分なことは書くな、という氏の修身から、こうした会話も生れるのだろう。そこからも聯想されることだが、庄野さんの文章にはどうも形容詞がないような気がする。あっても恐らくは殆どない。(‥‥以下省略)
----------------------------------------------------------(引用終り)

そして、この文章の最後のところでは「形容詞というものは、どうしても作者がそれがなくては文章自体が成立たないと思っての場合以外は必要でないように思われる。(‥‥略‥‥)それ以外の、例えば青い月などというその「青い」は詩乃至文学では御法度ということになる。(以下省略)」と書かれています。

 「‥‥どうも形容詞がないような気がする。あっても恐らくは殆どない。」というのは、草野心平の印象を述べたにすぎないようです。「静物」の「小さい男の子」の「小さい」は、「青い月」の「青い」と同じく形容詞です。

 想像するに、草野心平は、「おいしいチョコレートひとつ食べる。」ではなく「チョコレートひとつ食べる。おいしい。」(『せきれい』)というような庄野さんの書き方のことを指して、「形容詞のない文体」といっているのではないでしょうか。「静物」の「すごい」も「男の子」の言葉ではありますが形容詞です。


庄野先生の贔屓チーム
どくたーT@管理人(858) 投稿日 : 2003年9月19日<金>00時46分/東京都/男性/おじさん
 
本年のセ・リーグの優勝は阪神で決定し、阪神ファンの諸兄には嬉しい限りだと思います。おめでとうございます。
ところで、庄野先生の作品にプロ野球の話はほとんど出てこないような気がいたします。彼がラグビー好きであること、息子さん二人がサッカーをやっていたことからサッカーにも関心があること、水泳が得意である(あった)ことは、存じているのですが、野球はどうなのでしょう。
今宮中学校に勤務していた時分、野球部の部長をやっていて、甲子園(全国中等野球大会:現在の高校野球)に出場したという話がありますから、野球が嫌いと言うことは無いと思うのですが、プロ野球の贔屓チームの話は出てこないようです。
やはり大阪出身で阪神ファンなのでしょうか。それとも、裏に住んでいる藤城さんの縁で巨人ファンかしら。それとも川崎に住んでいるということで、横浜ファンと云うことも考えられます。また、帝塚山出身ということで旧南海ファンという可能性もありますよね。
どなたか、この件についての随筆を読んでいる方はいらっしゃいませんか?
http://tc5810.fc2web.com/operago200302.htm

どくたーT@管理人(867) 題名:藤城投手 投稿日 : 2003年9月27日<土>09時32分/東京都/男性/おじさん
 
藤城さんについての簡単な略歴を書いておきましょう。これは週刊ベースボール等の公開情報によっています。
1956年4月5日生れ。右投げ右打ち。投手。180cm/86kg(ただし、96年巨人軍二軍投手コーチ時代の公式発表)。兵庫県出身。琴丘高-新日鐵広畑を経て1976年秋のドラフトで巨人に1位指名。入団。巨人には81年まで在籍し、その間74試合に登板。完投が2試合。そのどちらも完封勝利でした。11勝15敗0セーブ。214回と1/3を投げ、928人の打者と対戦し、打たれたヒットが211、奪った三振が170、防御率4.66でした。
現役時代の藤城はローテーションの狭間の先発か中継ぎに登板するイメージの選手だったと思います。
82年に阪急に移籍し、85年まで在籍。86年ロッテに移籍するもその年限りで引退。通算101試合に登板し14勝19敗、防御率4.51でした。
その後は、歌手の道なども目指したこともあるようですが、1993年に巨人の二軍投手兼育成コーチとなり、97年までその任を勤めています。家族は2歳年上の美恵子夫人、可奈さん、衣里さんとの4人家族です。
藤城さんがいつ生田にやって来たかはわかりませんが、巨人軍の練習場がある読売ランドに近いことから選ばれたのでしょうね。
以上の略歴を見ても、それほど華々しい活躍をされた方ではなく、いろいろ苦労もなされているのでしょう。犬の散歩をさせながら、庄野さんに「何度目ですか」と聞かれるところなど、人柄が出ているように思います。そういう隣人の働いているチームが優勝して良かった、と思うのは、自然な気持でしょう。

粋狂(866) 題名:藤城さん 投稿日 : 2003年9月26日<金>23時51分
 
★ つい先日(休日)の夕方、なにげにJスカイスポーツを見ていましたら、藤城さんがキャスターで出ていらっしゃってました。@昭和51年秋のドラフトで巨人に1位指名される、A巨人時代のピッチングの勇姿、Bその後、巨人から阪急→?とトレードされる、C現役引退後に歌手(!?)になられてスナック回りなどをされる・・・というような映像が紹介されていました。おそらく、その後、巨人のピッチングコーチになられ、そして現在は野球解説者になられているのでしょう。

★ プロ野球もシーズンオフが近づき、藤城キャスターの出番も多いと思います。スカイパーフェクトTVをご覧になれる方(私は有線TVのJ-COMで見ております)は、是非一度ご覧になってみてはいかがでしょう?

小川(864) 題名:『せきれい』から 投稿日 : 2003年9月26日<金>21時19分/神奈川県/男性/50代前半
 
どくたーT 様

 こんばんは。
 庄野さんは、阪神タイガースファンを卒業なさったようです。証拠を探していて、やっとみつかりました。『せきれい』からです。
----------------------------------------------------------------------------
 藤城さん。
 朝、妻が家の前を掃いていたら、犬のゴンちゃんを連れて散歩に行く藤城さんに会った。藤城さんは巨人軍のピッチングコーチをしている。気持のいいご家族なので、私たちも巨人が勝ってくれるとよろこぶ。負けると、がっかりする。
 昨日は巨人がサヨナラ勝ちをした。で、妻は藤城さんに、「よかったですね。はらはらしました」と申し上げると、「まだまだはらはらしますよ」と藤城さんはいったそうだ。
------------------------------------------------------------------(282頁)

 藤城さんは、今は巨人を離れているのでしたか。そうであれば、庄野さん夫妻も巨人の勝ち負けにはらはらすることは、なくなったかもしれません。それとともにプロ野球に一喜一憂することからも卒業なさったのでは、というのがわたくしの想像です。

どくたーT@管理人(863) 題名:多分阪神ファン 投稿日 : 2003年9月23日<火>22時11分/東京都/男性/おじさん
 
小川様
庄野さんは大阪出身ですし、私も阪神ファンだろうと思います。
ただ庄野さんはそういうことを声高にいわない。今のただ騒ぎたいだけの阪神ファンとは一線を画しているのでしょう。多分9月15日も奥さんと小声で優勝を喜び合い、いつもよりビールを1缶ぐらい多く飲んだ、というところではないかしら。

小川(862) 題名:どくたーT様へ 投稿日 : 2003年9月23日<火>11時11分/神奈川県/男性/50代前半
 
 ありがとうございます。昭和51年は長嶋監督の2年目でしたか。
 長嶋監督の1年目、巨人があまりに負け続けるのでファンはやきもきしていたことを覚えています。わたくしは阪神ファンでした。
 「浮世」にえがかれた庄野さんの姿は、その当時のわたくしの姿でもあって、はらはらしながら応援するその気持は、読んで我がことのようによく分る気がしました。そのためすぐ、庄野さんは阪神タイガースのファンであるに違いないと思ったのですが、もちろん、ただの思い込みですから、本当はどうだか分ったものではありません。
 ただ、随筆集『子供の盗賊』にも、テレビで野球をみていて、ひいきのチームの旗色がわるいので、奥さんに生返事をするというところがあります。負けたり旗色がわるかったりする話ばかりというのは、いかにも阪神タイガースらしい気がします。

どくたーT@管理人(861) 題名:昭和51年のプロ野球 投稿日 : 2003年9月22日<月>00時02分/東京都/男性/おじさん
 
小川様、ありがとうございます。
「御世の稲妻」の中にそんな文章があったような気がいたします。
ちなみに昭和50年の日本のプロ野球は、赤ヘル軍団広島が一世を風靡した年で、就任したばかりの長嶋巨人は、チーム史上初の最下位に沈んだ年であります。これを踏まえると、
庄野さんの、
>二ー一で負けている。この相手というのが、今年は無闇に強い。
という相手は、どうみても巨人ですね。テレビで中継している訳ですから、巨人戦以外である可能性は非常に少ないですし。
アンチ巨人であることは間違いないようですが、贔屓チームは阪神といえるかどうかですね。
昭和51年のセ・リーグの順位は、巨人、阪神、広島、中日、ヤクルト、大洋の順でした。巨人の監督は長嶋で阪神は吉田監督でした。

小川(860) 題名:昔は阪神タイガースのファン 投稿日 : 2003年9月21日<日>21時33分/神奈川県/男性/50代前半
 
 こんばんは。
 随筆集『御世の稲妻』に収められている「浮世」という文章(日本経済新聞、昭和51年6月23日)があります。書出しは以下のとおりです。

-----------------------------------------------------------------------
 夕食が終ったので、テレビの野球中継をみる。
 二ー一で負けている。この相手というのが、今年は無闇に強い。だが、感心していても始まらない。大きく開いている首位との差を、少しずづでいいから縮めてゆかなくてはいけない。
 今月は夜勤の番の長男と二人でみていると、どうやらつきはこちらにまわって来たらしく、思いがけないホームランが出て、逆転した。
 何だかうまく行き過ぎたような気味もある。それにまだあと四回、残っている。四ー二になったのはうれしいが、これから先の心配苦労が思いやられる。(‥‥以下省略‥‥)
-------------------------------------------------------(引用終り)------

 昭和51年の6月に首位だったチームが分ると、そのチームのごひいきでなかったことが分りますが、どこだったでしょうか。
 文章によると、逆転したのに心配でたまらず、「いつもこんな時、いっぺんに九回になってくれないかと考える。それははかない願いである。」とあります。テレビ中継が時間切れで終ると書斎へ行ってラジオをつけて、火照った足の裏を甕につけた姿勢で中継を聞きつづけます。次が文章の最後です。

-------------------------------------------------------------------------
 妻が中を覗いて、もっと楽にしてきかれたらという。いや、そうはしていられないんだ。
 ‥‥九回表、二死までこぎつけながら、重大な失策が重なって、引っくり返される。一日の終りが、こんな惨めなものであっていいのだろうか。レモン酒をついでくれ。
-------------------------------------------------------(引用終り)------

 この熱心さ、心配性、弱気‥‥阪神タイガースファンの特徴です。

粋狂(859) 題名:野球の贔屓チーム 投稿日 : 2003年9月19日<金>23時39分
 
★ 随筆集は全部読んだつもりですが、贔屓チームがどこかというお話は無かったと思います。ただ、前期家族ものの中に、テレビの野球中継で贔屓チームがあることを前提とした記述があったように思います。随筆集『庭の山の木』の中に、阪急対西鉄の野球中継を見学する「三人のディレクター」というお話もありましたが、どこが贔屓かということは一切避けられているのでしょうね。

★ 庄野さんはスポーツマンで、ガンビア滞在前後はテニスもやられていたようですし、ドクターT様がお書きのようにラグビーの知識は相当なもので、どこかの随筆集に、ラグビーの全日本のことを定期的に日経新聞に書かれたものがありました(おそらくスポーツ欄だった風です)。サッカーは、お子さんお二人も高校大学の運動部で活躍され、また、お孫さんの中にもサッカーをやられる方がいて、昨年のワールドカップに夢中で応援されたのは、そういう背景からすると、至極当然のことだったと思います。野球をご覧になるのもお好きだと思いますが、今ではテレビで野球をご覧になられないようですね(ニュースと「お江戸でござる」しか見られないとか)。

★ さて、野球の贔屓チームですが、先日、井上章一氏だったか誰かが「関西=すべて阪神ファン」と思われるのは間違いで、昔は、関西でも、阪神ファン、阪急ファン、南海ファン、近鉄ファン、とそれぞれ分かれていた、というようなことを言っていましたが、そのとおりだと思います。地理的な関係からは南海ファンだった可能性が一番高いと推測しますが、どうでしょう。宝塚の小林一三氏を尊敬されている点からは阪急ファンということも考えられます。南海も阪急も無くなって今はどうでしょうか。生田にお住まいになられてからは、川崎球場時代の大洋ホエールズ(今のベイスターズ)ということも考えられますね。巨人ファンというのは考えにくいですね(『庭の山の木』所収の「子供の本と私」には、二人の男の子が巨人軍の徽章つきの黄色い帽子をかぶっておられたことを書いておられますが、あの当時の野球帽はほとんどYGマーしかなかったので、決め手にはならないと思います)。ただ、後期家族ものの中に、藤城さんがピッチングコーチをしていた時に巨人が優勝して、庄野さんが「おめでとうございます」とおっしゃる場面があったと思いますが、それ故に巨人ファンと断定するのも誤りだと思います。セリーグでは阪神が関西唯一のチームですから、心情的に応援されていたということは十分考えられると思いますが・・・。

★ 藤城さんですが、先日、スカイパーフェクトTVのスポーツチャンネルで、野球中継が中止になったときに、ある選手にスポットを当てた穴埋めの番組に解説者として登場されていました。


再読『夕べの雲』
粋狂(855) 投稿日 : 2003年9月3日<水>23時52分
 
★講談社文芸文庫で1度読んでいたのですが、全集第5巻を借りたついでに、『夕べの雲』を再読しました。前期家族ものの前作「鳥」よりも一層吹っ切れて、子どもを中心とした家族の日常の可笑し味が描かれていて、確かに庄野さんの代表作ですね。

★須賀敦子さんがこれをイタリア語訳されたことを知ったことが、私が庄野さんの作品にハマッることに至る最初の契機なのですが、改めて、この作品をイタリア語に翻訳するというのは、さぞ大変だっただろうと感嘆します。日本語の地口(駄洒落のような)で笑わせる個所などもいくつかあり、また、日本人しか分からないだろう風俗などもありますし・・・。しかし、その困難さを越えても翻訳して紹介したい作品だと思われたんですよね。須賀さんも関西の比較的恵まれたご家庭に生まれ、お父さんも外国を旅行されていて、多分に、庄野さんと通じるところがあったのだと思います。文藝&ハ冊の須賀敦子追悼号でしたか、須賀さんが生田の庄野さんを2度ばかり訪問されていることが庄野さんの一文で紹介されてがいたと思いますが、お二人がどんなお話をされたのか非常に興味がありますね。

★江藤淳氏が「父性の文学」と評されたそうですが、『父の詫び状』の向田邦子さんの作品にも通じるようにも思うのですが、しかし、昭和30年代までの日本の家庭の多くは、ああいう感じの家庭が多かった(というよりも普通だった)という気がします。龍也氏と同じ昭和26年生まれの私は、ちょうど東京オリンピックが開かれていた頃を舞台とした『夕べの雲』のあの時代の雰囲気には、とても共感するところが多いのです(家庭におけるTVの位置付けetc.)。

★家内は、「細君」が男の子の夏休みの宿題にヤキモキするところなどに、「今の作品では非の打ち所のない上品なお母さんという感じだけど、子どもにアレコレ注意するところなど「なーんだ」普通のお母さんだ!!」と安堵し喜んでおります。私は、近藤啓太郎氏の息子さんもおっしゃっていたように、男の子の部屋がすごく乱雑であること(夏休みの宿題に最後追われることもそうですが・・)など、模範家族の反面、ちょっとダラシナイところに、共感しております。「折り目の正しい」家族でしょうが、けっして「聖家族」ではない、と思いたいですが。どくたーT様は、キッチリしたご性格(夏子さん型)かもしれませんが、私は、ルーズなところがあるので、龍也・和也さん型に共感・親しみを覚えるものです。

★ これで、全集の第6巻と第5巻を読み終え、今日から第4巻に突入します。ガンビアものの短編とおぼしき作品群が並んでいる『道』が収録されているので、楽しみです。

どくたーT@管理人(857) 題名:父性の文学 投稿日 : 2003年9月7日<日>21時28分/東京都/男性/おじさん
 
私は、庄野文学に好きな作品は多いけれど、その中でも唯一つを選ばなければならないとすれば、大いに迷いながらも「夕べの雲」を選ぶとおもいます。

「私の履歴書」には、生田の山に越して来た庄野さん一家が、その山が壊されて住宅公団の団地が建ち始めるまでの間、どんなふうに生田の山と別れを惜しんだか、を「夕べの雲」に書いているとありますが、その自然の変化を惜しみながらも、とことん親しもうとする姿勢が、あの作品の抒情に繋がるのだろうと思います。

庄野家を模範家族という風に言われますが、「夕べの雲」から「野鴨」に描かれる子供たちは、どうみても昭和30年代から40年代にかけて普通にいた子供たちです。私は、庄野さんの描く二人の男の子たちのような自然の親しみ方はしなかったと思いますが、部屋がいつも汚れていて、引出しの中にはガラクタが詰まっている、というのは一緒でした。

庄野さんは、子供の教育に対して、ある程度コミットしていたのだろうと思います。それは勿論細かい所ではなくて、やっていいことと悪いことの線引きを明確にする、ということと、子供の様子を常に観察するということでしょう。江藤淳の「父性文学」論は、家長としての庄野さんの枠組がある、ということだろうと思います。そして、家族の中に庄野さんは確実な存在感があります。

阿川佐和子が阿川弘之の教育について書いた随筆を最近読んだのですが、彼は、文士たる自分がまともに子供を教育出来る訳がない、そうであるならば、自分の専門である日本語の使いかただけはちゃんと教えよう、ということで、子供たちの言葉遣いだけは厳しく指導した、という趣旨だったかと思います。
一般に文学者は、自分の表現のためには家族をかえり見ないのは当然、といった風のところがあり、阿川弘之も例外ではないということなのでしょう。一方庄野さんは、自分の表現と家族を見守る父親の目の方向性が一致しており、潤三イズムが家族に行き渡ったということは大いにあると思います。
http://tc5810.fc2web.com/operago200302.htm


再度、流れ藻を読みました。
きすけ(851) 投稿日 : 2003年8月30日<土>21時32分
 
 以前、人から頂いて、読んだのですが、その時は、この本に何事も不幸がなく、何となく幸せな気分になったのを、覚えています。
 今回、読んだのは、3月に父ががんの告知を受けて以来、気鬱であったのが、少し、慣れたと言うか、落ち着いたというか、何か、読みたい、自分も何か、表現したいと思うようになったためだと思います。

どくたーT@管理人(854) 題名:「流れ藻」の主人公 投稿日 : 2003年8月31日<日>12時51分/東京都/男性/おじさん
 
「流れ藻」の主人公はバイタリティがありますよね。
お父様、早くよくなると宜しいですね。癌は、未だに治療のむつかしい病気ですが、治癒する場合も少なくありません。快癒するようにお祈り申し上げます。
http://tc5810.fc2web.com/operago200302.htm


立て続けに読破中(8)
粋狂(850) 投稿日 : 2003年8月28日<木>23時46分
 
★ 講談社文芸文庫以外の前期家族ものを拾っていこうと、(32)『ザボンの花』(角川文庫)、(33)『明夫と良二』(岩波少年文庫)、(34)『野鴨』、(35)『おもちゃ屋』、(36)『鍛冶屋の馬』、〈37〉『雉子の羽』(全集第6巻所収)、(38)『山の上に憩いあり―都築ヶ岡年中行事』(小学館『昭和文学全集21』(昭62)所収)、(39)『流れ藻』(全集第6巻所収)、(40)『丘の明り』(全集第6巻・第5巻所収)、を読み終えました。

★ (32)から(36)まではスンナリ読めたのですが、そこから図書館に単行本がなく全集を読むしかなくて、前期家族ものだけを一気にとは行かなくなり、ややペースダウンしました。(37)『雉子の羽』は少し系統が違っていました。むしろ『丘の明かり』の中の「丘の明かり」「卵」、それと今読んでいる全集第5巻所収の「鳥」などが明夫と良二<Vリーズですね。

★(38)『山の上に憩いあり―都築ヶ岡年中行事』は、小説ではないのでしょうが、河上徹太郎ご夫妻と庄野一家との交流がまとめられていて、随筆集で断片的には知っている事柄ですが、早く読みたかったので、間に挟んで読みました(これも単行本とはいきませんでした)。猟銃を抱えた河上さんと猟犬の後を庄野さんのご一家が一列になって山野を歩かれるお姿は、想像するだけでも愉快です。夏子さんの「てっちゃんメモ」もいいですねぇ。

★(39)『流れ藻』も、全集第6巻に所収されていたので、この際に読んだものです。でも、これも面白かったです。

★ 全集だと単行本にあるだろう庄野さんの「あとがき」が読めないのが残念ですが、その代わり、月報でご友人らが庄野さんの事をいろいろお書きになっているのが興味深いですね。第6巻月報では、近藤啓太郎さんの息子さんが高校受験のため庄野家に泊めてもらったときに「世の中には、テレビドラマに出て来る模範家族みたいな家が、ほんとうにあるものなんだな」という感想が笑えました。

★ 今、全集第5巻を借りているので、「夕べの雲」も再読しようかと思っています。前期家族ものも各作品ごとに登場人物一覧を整理していますが、『ザボンの花』だけ長男・長女・次男というように少しアレンジしてあります(それと、練馬の頃のお話です)が、「鳥」以降は、生田を舞台にした和子・明夫・良二でほぼ統一されているようです(苗字などの若干のバラツキはあるようですが・・・)。

★ 前期家族ものは、こどもを中心にした家族の日常にある可笑し味が随所にあって、いいなぁと思います。現在のフーちゃんなどお孫さんが中心になる後期家族もののファンの皆様には、やはり前期家族ものは(読めば一層楽しさが倍化すると言う意味で)必読なのではないでしょうか。

どくたーT@管理人(853) 題名:聖家族 投稿日 : 2003年8月31日<日>12時46分/東京都/男性/おじさん
 
近藤啓太郎さんが全集の月報に書かれている、「世の中には、テレビドラマに出て来る模範家族みたいな家が、ほんとうにあるものなんだな」というのは考えてみれば大したものです。よく庄野文学を評して、こんな家族ある筈がない的言い方があるのですが、本質的に庄野家は、「模範家族」だったのでしょうね。これは、庄野家の特性に庄野さんの考えや行動が反映されているということなのでしょう。庄野文学を「父性の文学」といった人がいましたが、父親の存在感がそういう家族を作り、それが作品にも反映されているということなのだと思います。
http://tc5810.fc2web.com/operago200302.htm

どくたーT@管理人(852) 題名:「ザボンの花」のことなど 投稿日 : 2003年8月31日<日>12時38分/東京都/男性/おじさん
 
書き込み中エラーが発生して書き込めません。三度目です。
「ザボンの花」の家族は、兄、妹、弟の子供3人ですが、この作品が書かれたとき、庄野家は4人家族でした。「なつめ」は恐らく夏子さんがモデルであると思われますが、長男の「正三」は、全くの創作か、庄野さんの子供時代の思い出を使ったものと思われます。「正三」と「潤三」名前も似てますし。ちなみに次男の「四郎」は、庄野さんの早世した弟四郎さんと同名であることを付記します。
http://tc5810.fc2web.com/operago200302.htm


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