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◎どくたーT@管理人(867) 題名:藤城投手
投稿日
: 2003年9月27日<土>09時32分/東京都/男性/おじさん |
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藤城さんについての簡単な略歴を書いておきましょう。これは週刊ベースボール等の公開情報によっています。
1956年4月5日生れ。右投げ右打ち。投手。180cm/86kg(ただし、96年巨人軍二軍投手コーチ時代の公式発表)。兵庫県出身。琴丘高-新日鐵広畑を経て1976年秋のドラフトで巨人に1位指名。入団。巨人には81年まで在籍し、その間74試合に登板。完投が2試合。そのどちらも完封勝利でした。11勝15敗0セーブ。214回と1/3を投げ、928人の打者と対戦し、打たれたヒットが211、奪った三振が170、防御率4.66でした。
現役時代の藤城はローテーションの狭間の先発か中継ぎに登板するイメージの選手だったと思います。
82年に阪急に移籍し、85年まで在籍。86年ロッテに移籍するもその年限りで引退。通算101試合に登板し14勝19敗、防御率4.51でした。
その後は、歌手の道なども目指したこともあるようですが、1993年に巨人の二軍投手兼育成コーチとなり、97年までその任を勤めています。家族は2歳年上の美恵子夫人、可奈さん、衣里さんとの4人家族です。
藤城さんがいつ生田にやって来たかはわかりませんが、巨人軍の練習場がある読売ランドに近いことから選ばれたのでしょうね。
以上の略歴を見ても、それほど華々しい活躍をされた方ではなく、いろいろ苦労もなされているのでしょう。犬の散歩をさせながら、庄野さんに「何度目ですか」と聞かれるところなど、人柄が出ているように思います。そういう隣人の働いているチームが優勝して良かった、と思うのは、自然な気持でしょう。
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◎粋狂(866) 題名:藤城さん
投稿日
: 2003年9月26日<金>23時51分 |
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★ つい先日(休日)の夕方、なにげにJスカイスポーツを見ていましたら、藤城さんがキャスターで出ていらっしゃってました。@昭和51年秋のドラフトで巨人に1位指名される、A巨人時代のピッチングの勇姿、Bその後、巨人から阪急→?とトレードされる、C現役引退後に歌手(!?)になられてスナック回りなどをされる・・・というような映像が紹介されていました。おそらく、その後、巨人のピッチングコーチになられ、そして現在は野球解説者になられているのでしょう。
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プロ野球もシーズンオフが近づき、藤城キャスターの出番も多いと思います。スカイパーフェクトTVをご覧になれる方(私は有線TVのJ-COMで見ております)は、是非一度ご覧になってみてはいかがでしょう?
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◎小川(864) 題名:『せきれい』から
投稿日
: 2003年9月26日<金>21時19分/神奈川県/男性/50代前半 |
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どくたーT 様
こんばんは。
庄野さんは、阪神タイガースファンを卒業なさったようです。証拠を探していて、やっとみつかりました。『せきれい』からです。
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藤城さん。
朝、妻が家の前を掃いていたら、犬のゴンちゃんを連れて散歩に行く藤城さんに会った。藤城さんは巨人軍のピッチングコーチをしている。気持のいいご家族なので、私たちも巨人が勝ってくれるとよろこぶ。負けると、がっかりする。
昨日は巨人がサヨナラ勝ちをした。で、妻は藤城さんに、「よかったですね。はらはらしました」と申し上げると、「まだまだはらはらしますよ」と藤城さんはいったそうだ。
------------------------------------------------------------------(282頁)
藤城さんは、今は巨人を離れているのでしたか。そうであれば、庄野さん夫妻も巨人の勝ち負けにはらはらすることは、なくなったかもしれません。それとともにプロ野球に一喜一憂することからも卒業なさったのでは、というのがわたくしの想像です。
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◎どくたーT@管理人(863) 題名:多分阪神ファン
投稿日
: 2003年9月23日<火>22時11分/東京都/男性/おじさん |
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小川様
庄野さんは大阪出身ですし、私も阪神ファンだろうと思います。
ただ庄野さんはそういうことを声高にいわない。今のただ騒ぎたいだけの阪神ファンとは一線を画しているのでしょう。多分9月15日も奥さんと小声で優勝を喜び合い、いつもよりビールを1缶ぐらい多く飲んだ、というところではないかしら。
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◎小川(862) 題名:どくたーT様へ
投稿日
: 2003年9月23日<火>11時11分/神奈川県/男性/50代前半 |
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ありがとうございます。昭和51年は長嶋監督の2年目でしたか。
長嶋監督の1年目、巨人があまりに負け続けるのでファンはやきもきしていたことを覚えています。わたくしは阪神ファンでした。
「浮世」にえがかれた庄野さんの姿は、その当時のわたくしの姿でもあって、はらはらしながら応援するその気持は、読んで我がことのようによく分る気がしました。そのためすぐ、庄野さんは阪神タイガースのファンであるに違いないと思ったのですが、もちろん、ただの思い込みですから、本当はどうだか分ったものではありません。
ただ、随筆集『子供の盗賊』にも、テレビで野球をみていて、ひいきのチームの旗色がわるいので、奥さんに生返事をするというところがあります。負けたり旗色がわるかったりする話ばかりというのは、いかにも阪神タイガースらしい気がします。
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◎どくたーT@管理人(861) 題名:昭和51年のプロ野球
投稿日
: 2003年9月22日<月>00時02分/東京都/男性/おじさん |
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小川様、ありがとうございます。
「御世の稲妻」の中にそんな文章があったような気がいたします。
ちなみに昭和50年の日本のプロ野球は、赤ヘル軍団広島が一世を風靡した年で、就任したばかりの長嶋巨人は、チーム史上初の最下位に沈んだ年であります。これを踏まえると、
庄野さんの、
>二ー一で負けている。この相手というのが、今年は無闇に強い。
という相手は、どうみても巨人ですね。テレビで中継している訳ですから、巨人戦以外である可能性は非常に少ないですし。
アンチ巨人であることは間違いないようですが、贔屓チームは阪神といえるかどうかですね。
昭和51年のセ・リーグの順位は、巨人、阪神、広島、中日、ヤクルト、大洋の順でした。巨人の監督は長嶋で阪神は吉田監督でした。
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◎小川(860) 題名:昔は阪神タイガースのファン
投稿日
: 2003年9月21日<日>21時33分/神奈川県/男性/50代前半 |
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こんばんは。
随筆集『御世の稲妻』に収められている「浮世」という文章(日本経済新聞、昭和51年6月23日)があります。書出しは以下のとおりです。
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夕食が終ったので、テレビの野球中継をみる。
二ー一で負けている。この相手というのが、今年は無闇に強い。だが、感心していても始まらない。大きく開いている首位との差を、少しずづでいいから縮めてゆかなくてはいけない。
今月は夜勤の番の長男と二人でみていると、どうやらつきはこちらにまわって来たらしく、思いがけないホームランが出て、逆転した。
何だかうまく行き過ぎたような気味もある。それにまだあと四回、残っている。四ー二になったのはうれしいが、これから先の心配苦労が思いやられる。(‥‥以下省略‥‥)
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昭和51年の6月に首位だったチームが分ると、そのチームのごひいきでなかったことが分りますが、どこだったでしょうか。
文章によると、逆転したのに心配でたまらず、「いつもこんな時、いっぺんに九回になってくれないかと考える。それははかない願いである。」とあります。テレビ中継が時間切れで終ると書斎へ行ってラジオをつけて、火照った足の裏を甕につけた姿勢で中継を聞きつづけます。次が文章の最後です。
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妻が中を覗いて、もっと楽にしてきかれたらという。いや、そうはしていられないんだ。
‥‥九回表、二死までこぎつけながら、重大な失策が重なって、引っくり返される。一日の終りが、こんな惨めなものであっていいのだろうか。レモン酒をついでくれ。
-------------------------------------------------------(引用終り)------
この熱心さ、心配性、弱気‥‥阪神タイガースファンの特徴です。
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◎粋狂(859) 題名:野球の贔屓チーム
投稿日
: 2003年9月19日<金>23時39分 |
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随筆集は全部読んだつもりですが、贔屓チームがどこかというお話は無かったと思います。ただ、前期家族ものの中に、テレビの野球中継で贔屓チームがあることを前提とした記述があったように思います。随筆集『庭の山の木』の中に、阪急対西鉄の野球中継を見学する「三人のディレクター」というお話もありましたが、どこが贔屓かということは一切避けられているのでしょうね。
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庄野さんはスポーツマンで、ガンビア滞在前後はテニスもやられていたようですし、ドクターT様がお書きのようにラグビーの知識は相当なもので、どこかの随筆集に、ラグビーの全日本のことを定期的に日経新聞に書かれたものがありました(おそらくスポーツ欄だった風です)。サッカーは、お子さんお二人も高校大学の運動部で活躍され、また、お孫さんの中にもサッカーをやられる方がいて、昨年のワールドカップに夢中で応援されたのは、そういう背景からすると、至極当然のことだったと思います。野球をご覧になるのもお好きだと思いますが、今ではテレビで野球をご覧になられないようですね(ニュースと「お江戸でござる」しか見られないとか)。
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さて、野球の贔屓チームですが、先日、井上章一氏だったか誰かが「関西=すべて阪神ファン」と思われるのは間違いで、昔は、関西でも、阪神ファン、阪急ファン、南海ファン、近鉄ファン、とそれぞれ分かれていた、というようなことを言っていましたが、そのとおりだと思います。地理的な関係からは南海ファンだった可能性が一番高いと推測しますが、どうでしょう。宝塚の小林一三氏を尊敬されている点からは阪急ファンということも考えられます。南海も阪急も無くなって今はどうでしょうか。生田にお住まいになられてからは、川崎球場時代の大洋ホエールズ(今のベイスターズ)ということも考えられますね。巨人ファンというのは考えにくいですね(『庭の山の木』所収の「子供の本と私」には、二人の男の子が巨人軍の徽章つきの黄色い帽子をかぶっておられたことを書いておられますが、あの当時の野球帽はほとんどYGマーしかなかったので、決め手にはならないと思います)。ただ、後期家族ものの中に、藤城さんがピッチングコーチをしていた時に巨人が優勝して、庄野さんが「おめでとうございます」とおっしゃる場面があったと思いますが、それ故に巨人ファンと断定するのも誤りだと思います。セリーグでは阪神が関西唯一のチームですから、心情的に応援されていたということは十分考えられると思いますが・・・。
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藤城さんですが、先日、スカイパーフェクトTVのスポーツチャンネルで、野球中継が中止になったときに、ある選手にスポットを当てた穴埋めの番組に解説者として登場されていました。
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