明夫と良二

書誌事項

明夫と良二
庄野潤三著
岩波少年少女の本
出版 岩波書店 1972年4月 

紹介

 「明夫と良二」は、岩波少年少女の本という中学生向きのシリーズの一冊として刊行されました。この本が刊行された当時、中学生だった私は、リアルタイムで読んでいます。約30年ぶりに今回読みなおしたのですが、こんなにも面白い作品だったかしら、と思いました。端的に言えば、良質なユーモアで満ちている作品です。

 勿論モデルは庄野さん一家で、庄野さんに相当する井村、細君、作品の途中で結婚する「和子」、そして浪人生の「明夫」と中学三年生の「良二」の五人家族の日常がスケッチ風に綴られます。確かに明夫と良二の兄弟の行動に焦点があたっていることが多いのですが、和子や細君、井村自身も重要な役割を示し、その意味でこれは家族の小説です。

 もう一つ大きな特徴は、地名や人名がほとんど出てこないことがあげられます。もちろん舞台は生田の山の上にある庄野さんの家なのですが、「生田」も出てこないし、神奈川も小田急線も出てきません。和子が結婚前に大阪にお墓参りに行く、という話と、明夫が大阪に旅行する話で大阪が出てくる以外は、和子が結婚後に住んだ、井村の家から徒歩30分ほどの「黍坂」の借家の話で「黍坂」が出てくるぐらいではないかと思います。人名も井村一家以外の名前で出てくるのは、和子の夫の「宏雄さん」、市場の「まもる君」そして、良二の友人で、和子の借家の大家さんの息子である「大沢テケシ」こと「大沢武」ぐらいです。

 逆にこのような固有名詞を最低限にすることにより,井村一家というある特定の家族の様子が、高校生と中学生ぐらいの男兄弟のいる家庭の典型例のように一般化されています。30年前、私すなわちどくたーTは、明夫と良二とは違ったタイプの子供でしたが、彼らの存在することのリアリティーはよく分ります。「こういうこ、いるよね」です。

 庄野さんは、この作品を書くに当り、読者の年齢による制約を次ぎのように考えたそうです。即ち,
「年齢的に読者に近いものを主要人物(主人公といえないとしても)として、その立居振舞、生活に重点を置くようにすれば、書き方さえ平明であれば年少の読者も読んでくれるのではないだろうか。そのため特に判り易く書いたりはせず、書かないでも判ることは遠慮無しに省略し、少年少女といえども最良の読者を想定して書き進めよう。
 また、一家の生活を大人と子供に分けることが出来ない以上は、大人の心情についても、ある程度は読んで理解して貰わないといけない、と」

 これは、言うまでもなく、大人向けの作品にも言えることで、逆にいえば、普通の中学生がこの作品の面白さを本当に味わうには、一寸ハイブラウです。私が最初に読んだとき、今回再読した時見えてきたものをほとんど理解していなかったのではないかという気がします。その意味で、この作品は少年少女向けに書かれたにも拘らず、大人にこそ愉しめる作品です。

 この作品での見所は、明夫と良二の性格の違いでしょう。明夫は弟に対して積極的に振るまい、怖がらせる、閉めだす、取り上げる、「デコピン」を食らわす、といった具合で弟をおもちゃにしています。良二は、そういう暴君的兄に対して、適当にいなし、付き合い、反抗して逆にやられます。でも何かのんびりした所があって、面白いコンビです。

 その兄弟の織なすハーモニーが、幾つものエピソードを生み出します。例えば「英語の質問」がおかしい。尚,以下の文章は,文章は大幅に省略してあります。

 良二は明夫に英語の質問をします。
 「明ちゃん」
 「なんだ」
 「分詞構文っていうのは、どういうことなんですか」
 これに対して、明夫は偉そうに弟に教えます。そうしているうちに、自分でも分らなくなってしまう。そこで父親に訊きます。

 「お父さん」
 「何だ、どこだ」
 「ここ。意味はわかるんだけど。どういう風に説明したらいいか、ちょっと」
 と井村に助けを求めて、教わります。井村は、
 「これか、ゼアー、ほら。やあい、でもいいな。おまえさん、悪い鰐さんよ」と教え、更に,明夫の「動詞はないの」という質問に「お前さん、と、悪い鰐さんとは、同格ということになる。おい、お前さん、このろくでなし、といった具合に」

 これで、兄の面目、丸つぶれです。このままでいると、また何を質問されるか分らない。そこで,明夫は、台所にいる和子に

 「早くお茶にしようよ」と声をかけ、
 「みんな揃わないと、この、お前さん、ろくでなしの同格が、いつまでもしつこく聞くの、英語の分らないところを」
といい、弟には、いつものおどす声で言います。
 「おい、いつまでも教科書ひろげていないで、いい加減に片付けたらどうだ。お茶にならないだろう」
 「はい、済みません」

 兄のあわてぶりと弟の飄々としたところがよく出ています。こういった何でもないけど一寸面白いエピソードを庄野さんは、丁寧に紡いでいます。その積み重ねで、一家の春の新学期から盆踊りまでの半年弱の生活を生き生きと描いています。

 庄野さんは、本作品で1972年の「赤い鳥文学賞」と「毎日出版文化賞」をダブル受賞しているのですが、それにふさわしい傑作だと申し上げてよいと思います。 

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