トム君・サム君

さわりの紹介

 「君、君」
 といって、本間君が目くばせをした。これはトム君サム君のお父さんが法螺を吹くから、こっちも一つ吹き飛ばしてやろうという合図だった。二人は、丁度その前日そんな相談をしていたのである。
 「王政復古って何ですか?」
 「徳川幕府が倒れたんです」
 「分りました。革命でしょう?」
 とトム君が大きい目を見張った。
 「そうです」
 「しかし、負けたんじゃ仕方ありませんね。進め!パン」
 「負けた上に首を取られてしまったんです」
 と安井君、これは本当だった。安井君の曽お祖父さんは戊辰の戦争で死んだのである。
 「大変々々!」
 「曽お祖父さんの弟も死んだんです」
 「君、君、メダ、メダ」
 と本間君が注意した。駄目駄目という意味だった。トム君サム君は本間君と安井君に分らないように英語を使うことがある。これに対して、本間君と安井君は日本語を逆さまに使って、相手に分らないように相談する。
 「ラホラホ、ケフケフ」
 と、これは法螺を吹けということだった。
 「ガイクマ、モリアツをやろうか?」
 「よかろう」
 「曽お祖父さんの戦争のお話をしましょうか?」
 と安井君はトム君サム君に向き合った。
 「どうぞ」
 と二人はうなずいた。もう日本礼式をやらない。あぐらをかいている。
 「曽お祖父さんは強いですから、味方が負けて皆船へ逃げたけれど、唯一人後に残りました。寄って来るものを撫ぜ斬りにしました」
 「豪いですな」
 「もう敵の姿が見えないからよかろうと思って、悠々と退却にかかりました。馬に乗って海を渡るんです。一町ばかり進んだ時、海岸から『おゝいおゝい』と呼ぶものがありました。敵の大将です」
 「面白い」
 「こっちは大将じゃないですけれど、緋おどしの鎧を着ていました」
 「緋おどしって何ですか?」
 「赤い鎧です。これは大将が着るものです」
 「それじゃ大将でしょう?」
 「いや、大将とは違います。無官の太夫です。大将の次ぐらいのところでしょう。しかし敵は大将と思ったんです。『御大将と見かけたり。返せ返せ。おゝいおゝい』と呼ぶんです」
 「危いですな」
 「敵に後を見せるのは卑怯ですから、曽お祖父さんはすぐに引っ返して、海岸で斬り合いを始めました」
 「斬られたんですか?」
 「ナカナカ。刀が鋸のようになるまで戦いました。その刀もしまってありますから、今度見せて上げましょう。さて、敵は本当の大将だから強いです。面倒だといって、取っ組んで来ました。しばらく馬の上で揉み合っていましたが、ドウとばかり地面へ落ちたんです。その時曽お祖父さんは運悪く下になってしまいました」
 「大変大変!」
 「敵の大将は曽お祖父さんの首を切ろうとしましたが,よく見ると未だ若いです。若い時の話です。『君は幾つですか?』と敵の大将が訊きました。『十六歳です』『それでは御両親がありましょう?』『あります』『私も丁度十六になる子がありますから、十六歳の子は殺せません。早くお逃げなさい』『いや逃げれば、雑兵の手にかかります。あなたのような豪い大将に殺される方が本望です』と曽お祖父さんは西に向って手を合わせました。そこで敵の大将も仕方がありません。涙を流しながら、刀を振り上げました。南無阿弥陀仏。首は前に落ちました」
 「その首はどうなりましたか?」
 「大将が持って行ったんでしょう」
 「しかし豪いです。十六ぐらいで泣かないのは」
 「そこは武士です。敵の大将も豪いです。世の中の無常を感じて、坊さんになりました。若武者を殺したものですから、後悔したんです」
 と安井君は語り終わった。
 「本当に十六でしたか?」
 とサム君がきいた。
 「ええ。若い時の話です。それに昔は十六ぐらいで戦争に出たんですから」
 「サム」
 とトム君が呼んだ。二人は英語で話し始めた。
 本間君はその間に安井君と目くばせをして、ニコニコ笑いながら、
 「僕の曽お祖父さんも丁度その頃戦争に出たんです」
 とやりだした。

 (中略)

 「日本の紳士、僕達はもう帰ります」
 とトム君がいった。
 「それじゃ又きたまえ」
 「君達もどうぞ」
 「ええ」
 「今に面白いぞ」
 とサム君がニヤニヤ笑った。
 「何だい?」
 と本間君が訊いた。
 「塀に上がってからだ」
 「何だろうな?」
 「見ていたまえ。びっくりさせてやる」
 「さあ。何だろうな?」
 と安井君は首を傾げた。
 トム君サム君は塀に登って、
 「進め!バン」
 と例の通り勇壮な身振をした。何だ?詰まらない。そんなことかと安井君も本間君も思った。しかし次の瞬間に、
 「熊谷敦盛」
 とトム君が叫んだ。
 「那須与一!」
 とサム君が叫んだ。
 「オヤオヤオヤ」
 「知っていやがる」
 と日本側は実際びっくりした。

作品を楽しむ

 佐々木邦は、少年倶楽部に昭和2年から継続的に連載を持っていました。最初が「苦心の学友」、次いで「村の少年団」、三作目が「わんぱく時代」ときて、「トム君・サム君」は、昭和8年1月号から12月号まで一年間連載されました。

 隣同士に住む安井君、本間君の二少年と、庭の塀ごしの家へ引っ越して来たアメリカ人の双子の兄弟、トム君サム君との間に生まれた友情を扱った作品です。日本語が巧みで日本に好意をもっているトム君・サム君と、安井君・本間君は直ぐに親しくなり、共に遊ぶようになります。どちらも元気で、負けず嫌いで、でも素直な子供たちで、お互いの家を行き来し、楽しくユーモラスな日米交歓を繰広げます。安井君と本間君との間の喧嘩も、トム君・サム君のとりなしで仲直りします。そうした友情を通じて、二人はお互いの国民性の違いや習慣を違いを知り、また、自国に関する知識の曖昧さに気付かされます。

 特に、トム君・サム君の叔父さん、アンクル・ジョンが来日した時に、方々を案内して回った二人は、ことごとく議論を吹きかけられるのに閉口しながらも、自分達の知識の不確かさと、物事を客観視する重要性、議論をすることの大切さを学んで行きます。

 「トム君・サム君」は、少年小説であり、政治的な意見が表面に出ているわけではありませんが、時局に対するアンチ・テーゼとして書かれた作品です。日本は昭和6年に満州事変を起こし、本格的な戦争時代に入り始めた時期でした。米国との関係も悪くなり始めていました。昭和7年には上海事件、満州国の成立、井上準之助や團琢磨の暗殺、5.15事件が起き、そして8年には国際連盟からの脱退や滝川事件がありました。米国は日本を厳しい目で見初めていました。

 そういう時代に、日米が仲良く、互いの文化の違いを理解して、ともに信頼関係を築きあげようというテーゼの作品が書かれたことは驚きです。佐々木邦の気骨を感じずにはいられません。大人向きの作品では中々ここまでかけなかったかも知れません。その意味で貴重な作品だと思います。

 この作品を書いたせいかどうかは不明なのですが、佐々木邦は、その後三年間、少年倶楽部には殆ど執筆することはありませんでした。

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